Comments
Description
Transcript
“東洋のベニス 水の都・とやま”への挑戦!
鱚 繭麟鰺褥 当時としては途方もな い、大都 、 この広大な湾曲地帯を埋め立 て、 けだ が 富 山 も戦 国 時 代 城 が築 かれ た 時 、 城 の北 側 を流 れ る神 ここに行 の中心を置くと いう、 雰ほ類篭 の中 心部 を 東 西 に湾 曲 し て流 れ 8年 前 のあ る 日、 私 は富 山 市 る松 川 河畔 を 散 歩 し て いた。 両 通 川 は外 堀 と し て城 を 守 って い 0年 、 神 通 川 の湾 曲 地 た。 昭 和 1 これはベネ チアが河 口の潟を 残 し、 中 州 を 埋 め立 て る こと に 、 よ って 川 の中 に広 大 な 土 地 を 、 市計画が実行 に移 された。 とど こか似 て いる。もちろん、 い った ので あ る。 生 み出 し、 街 の中 心を つく って 岸 の桜 並 本 が 河畔 に枝 を 仲ば し 都 心 と は思 わ れな い静 け さと 風 ベネ チアの場合は敵 に攻 められ 帯 は右 岸 側 を 現在 の松 川 と し て 情 が 漂 って いる。 目 の前 を ロ マ ンチ ックな 遊 覧 船 が 、 観 光 客 を な いよう海 の中 に街を築 いたわ 埋め立 て海 の中 に行を築 いたの 振 ると 遊 覧 船 の未 客 も 手 を 振 っ 満 載 し て通 り 過 ぎ て行 く 。 手 を て答 え てき た 。﹁ ま るで ベ ルギ ー このひ と こと が私 の好奇 心 を い のブ ルージ ュの様 な 所 で す ね ﹂ やが う え にも 刺激 し た。 贈鰹糧 像 その時私は、ブ ルージ ュと い う街 の名前 さえ知らなか った。 束洋 のベ ニス″を その2年前 ″ めざして、行 のど真中を流 れる 松川 に遊覧船を浮 かべたば かり だ った。松川は川幅 300メー 紙 ロド rト 垢 iJ 0朝 れて いた名残りを留 める歴史的 イパ スは洪水を治 め、 やが て本 流とな った。湾曲地帯は荒涼た る河原として残り、街 の発展を 阻害す ること にな った。 そ こで ) ●日 召禾日初期 (1930∼ り,││力 ││●り│ 瀬鮮││り I ト ルもある神通川が湾曲 して流 な川であ る。神通川は洪水 のた び にこの湾曲地帯で氾濫を起 こ し、行 に大被害を与えて いた。 明治 に入 ってオラ ンダ人 の技師、 デ ・レーケを招き相談したと こ ろ、真 っすぐ にバイパ スを つけ るよう提言があり実行した。バ 3月 号 グッドラックとやま 家 々が、ま るで おとぎの国 のよ はベネチアにな か った緑がタ ッ う に巡 ってくる。そしてここに こと を 知 った時 の驚 き / 9年 前 、 松 川 の遊 覧 船 に フラ しかし、ブ ルージ ュと比較 し して いる。 絵 のような美 しさを見事 に演出 ブ ルージ ュの がベ ニスでなく 〃 様な街″と叫んだ のか、まざま ざとよみがえ って来た。 ここに は、緑したたる川辺りの草本が プリとあるのだ。遊覧船で 川巡 りをしながら、なぜあの旅行者 ン ソ ワーズ 。モ レシ ャ ン女 史 が 乗 った 。 彼 女 は私 に ﹁ベ ニスよ り松川 の方 がず っときれ いです ﹂ と 言 う 。﹁お上 手 で す ね﹂ と 私 が 言 う と 、 モ レシ ャ ンは真 顔 で 、 レ ﹁ 本 当 で す 。 松 川 には水 だ けで ぇ た。 凌 欠白 た場合、富山 の松川河畔 は、残 の大半は、水辺と道路 の両方 に 玄関を持 って いる。水辺からも く富 山 。松 川 の雰 囲気 と似 て い るブル ー ジ ュ (ベ ル ギー ) シ な く 、 美 し い緑 が あ りま す ﹂ と 、 チ 一 中 ¨痺 ﹃オ ¨議 ″計﹄︹ 章 つ つ モ い緑 には、最後まで出合えな か ったからだ。 運河を中心 にした街 づくりを進 ″ め、 水 の都″の代名詞である ベ ニスにもな い独自性を打ち出 ″ とわ か つた。 ■小の都 ・ベネチ 昨年、永年 の夢で あ ったブ ル 念ながら未完成と いわぎ るを得 な い。 それはブ ルージ ュが、自 ージ ュの行 に初めて立 った。ま と に、川辺り に建 って いる建物 生 し た富 山 の シテ島 と も いえ る 一 分たち の行 の特長である、川や 発 祥 の地 と いわ れ る シテ島 の誕 るで中世 にタイ ムスソ ップした ような街だ。川や連河が縦横 に ちら側 から見ても正面としての 道路側 からもアクセスで き、ど 鉢 ア″でゴ ンド ラに乗 って運河巡 ▲ りをしたが、松川のよう に美し 生 にも 酷似 し て いる。 セー ス川 走り、その景観 の美 しさは、ま さに ″ 屋根 のな い美術館 ″と い ってよ い。遊覧船 に乗れば、石 、 この よう な 街 づく り は パソ の中 州 を 埋 め立 て て築 かれ た シ 0本 の橋 で 結 ば れ、 現 テ島 は、 1 在 も パ ソ の中 心と な って いる。 や レンガで作 られた三角屋根 の して いるからであ る。驚 いたこ 埋 め立 て地 には、 現在 、 県 庁 、 神 通 川 の湾 曲 部 を 埋 め立 て て誕 市 庁 合 、 県 民 会 館 、 電気 ビ ル、 N T T ビ ルな ど主 要 な建 物 が並 さ て、 こ こま で 話 し て富 山 が び 建 つ。 水 の都 ″で 川 の中 に誕 生 した ″ ブ ルージ ェの様 な かと 思 う 。 ″ あ る こと が おわ かり いた だ けた 街 ″ と 旅 行 者 から た と え ら れた 富 山。 そ のブ ルージ ュが ″世界 で 最 も美 し い街 ″ と 言 わ れ ″ 北 欧 の ベ ニス″と称 え ら れ て いる ア ー 秋│ 街 ″ と 旅 行 者 から た と え ら れ た 富 山 。 そ の ブ ル ー ジ ュが ″L 界 で 最 も 美 し い 街 ″ と 言 わ れ ″北 欧 の ベ ニ ス″ と 称 え ら れ て い る デザ イ ンが な され て いる。 船で 巡 る時 、 ま さ に川 が 本 通 りで 、 そ の川 の両 側 に水 面 から直 接立 ち 上 が るよ う に建 物 が立 って い る。 そ の建 物 と建 物 の間 に緑 の ︲ジュは 本 立 が う っそ う と 生 い茂 って い るのだ。 雰 し て いる。 こ の二 つの行 は、 は可能 かも知れな い。 ″ 川や運河を中心とした中世 の ︱︱ L サ バ ー シ ョップ ﹂で 行 な了 こ した、現代で∵ 一 ︲クとぃる のかも 楽 し い 演 出 を さて、川を中 心に富山の街 づ 松川は、行 の地盤 レベ ルから , 5世紀頃より ブ ルージ ュは、 ・ ズウ ィン川が埋まり、航路が閉 くりを考えた場合、 ベネ チアや 一一・五 メート ル程下が った所 に いけ狛写 ざされる。だがそれがかえ って 中世 の行並をそのまま留 めるこ ととな ったのだ。 ベネチアにし ケー ルが大 きすぎ ることと、建 によ って、今以上 に自然 の美し 前者 の二 つの行と比較して、 ス 岸 に、草花 や低木を植えること あるようだ。それは富山の街が、 ク ︵ 川辺り の散歩道︶沿 いの護 つのテー マで考えるには無 理が 地下の街 のよう にソバーウ ォー ても、物資 の輸送 は舟連で、運 物も近代的すぎるからだ。なに さを保 つと共 に、 カ フ ェ ・レス サ ク ラパ ック ス 欄 川を中心に街 づくりをし てきた、 ブ ルージ ュのよう に行全体を 一 ある。 この高低差 を利用し て、 河を中 心として行 づくりを進め いこと により異空間を つくり出 ▲と や ま リ バ ー ラ ンド ・松 川遊 覧 船 を創 造 す る こと 般一レベ ルから 1段 下 った 所 に、 テー マにし た 街 は、 松 川 と 同 じよ う に、 行 の地 ア内 な ら、 川 を 人 の旅 行者 が 訪 れ る。 そ の秘密 中 心と し た エソ 気 都 市 と な り 、 年 間 1 4 0 0万 コンベ ンシ ョン都 市 と し そ の名 残 りを 留 あ る。 め る松 川河 畔 を て、 今 や全 米 ナ ンバ ー ワ ンの人 こ の夢 を いち 早 く 実 現 し た 街で 行 の中 心部 と 、 め立 て誕生 し た ア メリ カ の サ ンア ント ニオ は 川 の湾 山 部 を 埋 ンド ″ の誕 生で あ る。 し かし、 神 通 県 が めざ す 川 の王 国 ″ ソ バ ーラ 焼失してしま っ それを見 にたくさんの人が集 っ てく ること になる。まさに富山 た。 の建物 の殆どを い界限 に化まれ変わ ってくれば 、 しろ、富山は城F町でありなが ト ラ ンや み やげも の屋 な ど の 。■ 則の大 ﹁ ら、 5 ソバー ・シ ョップ﹂を配置す 空襲 によ って昔 る。松川を中心 に川辺りが楽し てきた。自動車を 一台も入れな 3月 号 グッドラックとやま た こと によ る。 川を 中 心 にし た街 を つく り 出 し 中 心 に こ の川 を位 置 づ け ると い う、 先 見 性 を も った 整備 計 画 を で き る のだ。 コンベ ン シ ョンを 楽 し む こと が な いと確 信し て いる﹂ 世 界 中 から 観 光 客 が く る に違 い ト ニオ の都 心部 を め ぐ るた め に 、 画 が 実 現 さ れ れば 、 他 に類 のな 流 れ る都 市 を 知 ら な い。 修 景 計 くサ ンアント ニオの河岸 レスト ラ ン コンベ ン シ ョンに出 席 す る者 は、 こ の川 の中 にで き た 街 と い う、 別 世 界 の 不思議 さ にだ れも た のは、 建 築 家 の ロバ ー ト ・ハ 練 り あ げ、 夢 を 現実 にし て い っ ま た ゴ ンド ラ に未 ってサ ンア ン い魅 力 的 な美 し さを 見 るた め に、 が虜 にな ってしま う 。 ま るで 地 下 の街 のよう に、 未 り物 も 進 入 ト ニオ 川 の修 景 事 業 に よ って グ マンで あ る。 彼 は、 サ ンア ン ﹁ サ ンア ント ニオ は、 観 光 ソ 述 べた。 ″ア メリ カ の ベネ チ ア を めざ ″ 、 す べきで あ ると 1 92 9年 に サ ンア ント ニオ市 の将 来 像 の レベ ルを 少 し降 り た 所 にあ る の し て こな い異 空 間 が 、 街 の地盤 だ。 川 の流 れ は疎 ま し く 思 わ れ る 、 く ら いゆ っく りと流 れ ロ マン ゾ ート 地 と し て の可能 性 を ま だ チ ックな雰 囲 気 の中 を遊 覧 船 が 客 を 満 載 し て や ってき て、 川 の によ り、 サ ンア ント ニオ は国 内 のど の都 市 よ りも 個 性 的 な 都 市 認 識 し て いな い。 河 川修 景 事 業 って挨 拶 す る。 コンベ ン シ ョン に都 市 部 を美 し い川 が湾 曲 し て と な るだ ろう 。 私 は、 こ こ以外 両 岸 にあ る カ フ ェや レスト ラ ン に出 席 す る者 は、 こ の川 の中 に で テ ーブ ルを 囲 む人 々に手 を振 で き た 別 世 界 の行 で 、 ア フタ ー く神通 川 とそ つ くりの地 形 って 挨 拶 す る 。 コ ン ベ ン シ ョ ン で テ ー ブ ルを 囲 む 人 々 に 手 を 振 に都 市 部 を 美 し い川 が湾 曲 し て と な るだ ろう 。 私 は、 こ こ以外 のど の都 市 よ りも 個 性 的 な 都 市 潔誌 し て いを L 一 ロカ修 停等 操 によ り 、 サ ンア ント ニオ は国 内 そ ツ ラ ニヽ レ フ ト ラ ン 性 月に ′ . ヨ に出 席 す る者 は、 こ の川 の中 に この構 想 を 実 現す る には、 サ ン で き た 別 世 界 の街 で 、 ア フタ ー ◆比べてみれば ⋮ ⋮/ ア ント ニオ 川 と同 じ よう に、 川 ″ 屋 根 のな い美 術 館 ″を 見 る た め に、 ま た 、 遊 覧 船 に乗 って 富 山 の都 心 部 を 巡 るた め に、 全 いや世 界中 から観 国 各 地 から 、 光客 が や ってく る に違 いな い。 同じよう に市内中心部を流 れ、 サ ンア ント ニオ川は、松川と 河 畔 は、 よ り い っそ う 輝 き を増 ュのよ う な 街 と 感 嘆 し た松 川 ″ 現す れば 、 旅 行 者 が デ ルージ く る。 松 川 の河 川修 景 計 画 が実 然 と 人 工が 調 和 し た ″ 川 の街 ″ を創 造 す る こと が 可 能 にな って 保 つこと が で き れば 、 護 岸 に自 ら か の方 法 で 川 の水 位 を 一定 に で 、 この水 を 抜 く方 法 も考 えな ケ所 程 小 川 が流 れ 入 って いる の ければ な ら な い。 、 ま た 松 川 には右 岸 側 から 3 定 にな るよう コント ロー ルしな その歴史を大 切に、神 から授 か ″ った松川を中心に、 東洋 のベ の独自 の街を形成し てきた富山。 神通川が流 れ、水 の都として 甦ることにもなる。 とし て賑わ った神通川の歴史が 画されて いる。 これが実現すれ ば、江戸 ・明治時代、市中 心部 と岩瀬港を結び、最大 の通商路 交通で繋ぐと いう、大構想も計 運河 ︵ カナ ルパーク︶を水路で 結び、市中心部と岩瀬港を水上 いたち川、富岸 また、松川、 一鸞 訪“ 乙団 の水 位 が常 に 一定 に保 た れ る必 要 が あ る 。 上 流 に は 現在 水 門 はあ るが、 下 流 の いたち 川 が増 水 し た場合 、 水 が 逆 流 し てく る いた ち 川 と の合流 点 近 く ので 、 に水 門 を つく り、 水 位 が 常 に 一 洪水対策 からバイパ スを つくり ければ な ら な い。 と に かく、 何 湾曲地帯 の自然 の川を保存す る ニス ・水 の都 。と やま″ の創造 に挑戦していきた い。 色︸ す こと にな るだ ろう 。 を進 めて い った先見性 に学 ぶベ き点が多 い。富山市が このサ ン 0年程 円に アント ニオ市 から、 ・ 姉妹都市 の提携を中し込まれた 川を中心に街 づくりを進 めてい る奇縁 からだ。 さて ″ 束洋 のベ ニス ・水 の都 とやま のモデ ルとして、松川 ″ を中心 に ″ 川 の街″を つく るに は、 いく つかの問題点があ る。 ▼ リバ ーセ ンター (サ ンア ン トニ オ ) 川を中心 に、個性的な街 づくり と いう歴史を持 って いる。その 一 畿奪しく同じ 街 の 中心 部 街 の 中心部 15m 10∼ ことがある。 お互 い、湾由した 3月 号 グッドラックとやま