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来日したケニア政府高官が 青年海外協力隊員OBと四十数年ぶりに再会

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来日したケニア政府高官が 青年海外協力隊員OBと四十数年ぶりに再会
2014.11.20
Topic
独立行政法人国際協力機構
来日したケニア政府高官が
青年海外協力隊員OBと四十数年ぶりに再会
四十数年ぶりの再会を果たした 3 人。左から今野さん、カマウさん、千々岩さん
ち
ぢ いわ そう てい
こん の まこと
四十数年前に青年海外協力隊員としてケニアで活動した千 々 岩 宗 貞 さんと今 野 充 さんが JICA
市ヶ谷ビル(東京都新宿区)で 11 月 18 日、派遣当時に接点のあった任地の方と協力隊時代以
来の再会を果たした。相手は、国際協力 60 周年記念シンポジウム「成長と貧困撲滅∼日本の
(主催・外務省、 JICA )にアフリカ代表として出席するために来日し
ODA に期待される役割∼」
たケニア共和国運輸インフラ省長官のマイケル・カマウさんだ。
「子どものころに交流を持った青年
海外協力隊員ともう一度会いたい」というカマウさんの希望で実現した再会だった。
主賓・カマウさんの登場を待つ部屋は緊張感に包まれていた。
千々岩さんと今野さんが自動車整備の職種で派遣されていた
のは、ケニア中央部の町・ニエリにある林野庁営林署。カマウ
さんは、そこに勤める職員の息子だった。当時はまだ小学生。
「初めてテープレコーダーを見たのは、協力隊員が持っていたも
の。それで音楽を聞かせてもらったこともある」。カマウさんに
はそんな思い出があると、再会に先立って伝えられていた。しか
し、すでに 40 年以上前のこと。二人はカマウさんのことがよ
く思い出せなかった。再会の会場でカマウさんの到着を待つ二
人は、
「 よそよそしい会見になってしまうのではないか」と心配し、
「大切なのは人と人との心に橋をかけ
ること」
と話すカマウさん
緊張していたのだった。
これまで二人にはケニアを再訪する機会がなかった。しかし、
任地ニエリでの経験は、いずれにとってもいわばその後の人生
のよりどころとなるものだった。
「協力隊経験で精神的に強くなり、物事を多面的に見ることが
できるようになった」。そう話すのは、 1968 年に 29 歳で協力
隊に参加した千々岩さん。協力隊に興味を持ったのは、自動
車業界の専門誌で協力隊に関する記事を目にしたのがきっかけ
だった。派遣前訓練に入る 4 日前には長男が誕生。子育てを
妻に託しての赴任だった。帰国すると、その長男に「おじさん」
「任地の人に何かを残せていたのだと
初めてわかった」と話す千々岩さん
と呼ばれてしまう。妻に負担をかけていたことを改めて感じ、埋
め合わせしようと一心不乱に仕事に打ち込むようになった。帰
国して 2 年後には、長女が生まれる。つけた名前は「にえり」。
以来、人に家族の紹介をするときには、決まって「ニエリという
のはケニアで一番すばらしい町の名前だ」と話すようになった。
「海外での仕事に挑戦したい」。そんな思いで今野さんが協力
隊に参加したのは 1970 年。 27 歳のときだった。配属先の車
両の維持管理をサポートするというのが派遣の目的だったが、
実際は、エンジンがついているものなら何でも修理を求めて持
ち込まれる毎日。建設機械やトラクターは序の口で、チェーン
ソーや高地の畑に水をひくウォーターポンプまで修理した。日
頃から道具は何でも直して使う現地のスタッフたちは、修理の
手際はよかったものの、場当たり的。今野さんは彼らに故障の
根本的な原因を探して直す方法を教え、信頼を得た。
任期を終えた後は商社に就職。自動車メーカーが社員を派遣
しないようなリスクの高い国で、複数の自動車メーカーのさまざ
まな車を販売するという仕事に携わってきた。そうした仕事を支
えてくれたのが、何でも直したニエリでの経験だった。
「あのときの子どもが立派な政治家に
なっていることに驚いた」と話す今野
さん
ニエリに対する特別な思いを胸にカマ
ウさんを待つ二人。業務の合間をぬって
再会の会 場に駆けつけたカマウさんは、
彼らを見るとすぐさま、それぞれに対して
「ミスター・チヂイワ!」
「ミスター・コンノ!」
と笑顔で声をかけた。いまだに二人の顔
を覚えていたのだ。
千々岩さんが、持参した当時の任地の
写真を広げると、場は一気に和む。
「これ
千々岩さんが持参した当時の写真を見ながら、思い出話に花を咲
かせた
が私の母親です!」
「このコックの名前は
なんだっけ? そう、ワニエル!」。写っ
ていたのは、カマウさんの知る人ばかり
だったのだ。そうして 3 人は子どもと青年
だった当時に戻り、語り合った。
その後 3 人は、今回の再会についての
それぞれの思いを伝え合った。カマウさん
は、
「さまざまな国際協力事業があります
が、大切なのは人と人との心に橋をかけ
ることだと思います。こうして四十数年ぶ
りにお二人に会えたことは奇跡です」と、
協力隊員との出会いと再会への喜びを口
にした。今野さんは、現地の子どもたち
が裸足でよくケガをするので、薬をあげて
いたという思い出を振り返りながら、
「あ
のときの子どもが立派な大臣になっている
ことに驚いた。覚えていてくれてうれしい」
と感謝を述べた。千々岩さんは、
「自動車
テープレコーダーに吹き込んだ思い出の歌を合唱する 3 人
整備は目に見える成果を出しにくい職種。協力隊の経験は間違いなく自分のためにはなったが、現
地の人のためになっていたのかがわからないままだった。カマウさんがこうして私たちに声をかけて
くださったことで、何かを残せていたのだと初めてわかった」と話し、万感の思いを伝えた。
最後に 3 人は、四十数年前に一緒に歌ってテープレコーダーに吹き込んだこともあるというスワ
ヒリ語の歌を合唱。半世紀近くの年月を超えて、もう一度 3 人の心に橋がかかった瞬間だった。
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