...

(参考資料2)「奈良市らしい眺望景観」分析シート(PDF文書)

by user

on
Category: Documents
10

views

Report

Comments

Transcript

(参考資料2)「奈良市らしい眺望景観」分析シート(PDF文書)
参考資料2
■ 眺望景観分析シートのイメージ(修正版)
No.01
奈良県庁屋上広場から奈良市街地、山並み、社寺等への眺望景観
(東側)
Ⅰ
奈良県庁屋上
視対象
(東側)若草山、東大寺大仏殿 (西側)市街地
(南側)興福寺五重塔
(北側)聖武天皇陵等の樹林
眺望空間
(南側)
(西側)
眺望景観の類型
視点場
近景
(東側)樹林
(南側)樹林
(西側)樹林、市街地
(北側)市街地
中景
(東側)社寺
(南側)興福寺五重塔
(西側)市街地
(北側)丘陵樹林
遠景
(東側)若草山、春日山
(南側)市街地、山並み
(西側)山並み
(北側)山並み
視対象の
前景
・東側、西側、南側の樹林は歴史的風土保存区域、風致
地区、名勝及び都市公園区域として保存が図られてい
る。
・都市公園施設の整備等の際は、高さ・規模への配慮が
求められる。
視対象の
背景
・奈良奥山ドライブウェイ周辺の森林において遠景で赤
茶色に変色した立ち枯れが見られる。山林の適切な管
理により、稜線・山容を保全することが求められる。
・北側への眺望の背景に、旧奈良ドリームランドの工作
物が映り込んでいる。
視対象
・西側市街地は、地形特性を感じられ周囲の山並みの稜
線を遮らない高さ・規模とすることが求められる。
・社寺は、文化財保護法に基づく保存の継続、山林は、
古都法・風致地区条例による保存と、市民や企業との
連携による適切な管理の推進が求められる。
(北側)
目に見える景 ・360 度の視界が開け、奈良盆地を一望できる。
保全の視点
観の特性
・若草山、春日山及び観音山・手向山などの山並みを背景に、東大寺大仏殿、興福寺五重塔、数多くの歴史文化遺産が分布する市街地が広がる。
そして近景には境内及び公園の樹林が一帯に広がり、歴史と自然の豊かな景観が形成されている。
・東側には、東大寺の各種寺院建築が樹木の間から見え隠れし、周囲の樹林・山林と一体となって歴史的風土を創り出している。
心で感じる景 ・東西北の3方を山並みに囲まれた奈良盆地の地形的特徴を感じられるとともに、風水思想に基づき建
観の特性
設された平城京の姿を想起できる眺望景観である。
平城京建都詔勅「方今、平城之地、四禽叶図、三山作鎮、亀筮並従。
(方に今、平城の地、四禽図
に叶ひ、三山鎮を作し、亀筮並に従ふ。
)
」
・視点場である奈良県庁は、興福寺の旧境内に位置しており、奈良盆地の広がりや歴史的な背景、都市
構造を感じとれる一方で、見られる対象としての興福寺五重搭や東大寺大仏殿等の歴史文化遺産との
関係を考えさせられる場ともなっている。
○興福寺は鎌倉・室町時代に実質的に大和国を支配し、江戸時代にも 21,000 石の朱印を与えられ保護されてきたが、
明治維新により慶応 4 年(1868)に出された神仏分離令によって、明治 5 年(1872)には興福寺は一時的に廃寺と
なっている。この廃仏毀釈運動の中で、一乗院門跡は県庁(現、奈良地方裁判所)
、千字観禅院堂旧趾(現・奈良県
庁東側駐車場付近)は奈良師範学校となり、大乗院門跡なども売却され、五重塔までもが売りに出されている。
四禽図に叶い、風水思想に基づき建設された
○明治 20 年(1887)12 月 1 日に奈良県の開庁式が行われた時、新県庁舎にあてられたのは、奈良公園内の旧寧楽書院であった。しかし、新しい県庁舎を建てることは、
多くの県民の悲願でもあり、明治 28 年 12 月にようやく新庁舎が現在の県庁舎の西側に建設され、その後昭和 40 年(1965)に現在の庁舎ができるまで使用された。
○現在の庁舎は、一部が国指定名勝奈良公園(大正 11 年(1922)指定)の区域内であり、奈良公園の入口にあたる枢要な場所に位置している。そのため、昭和 37 年(1962)
に奈良県新庁舎計画が発表されると、
「奈良をまもる会」が結成され、県庁舎建築反対運動が起こった。
「奈良をまもる会」が新庁舎の創造写真を作成し、絶対に許容
できない旨を申し入れたり、社会党県連が知事への近鉄西大寺駅付近にするよう申し入れを行ったりしたが、同年末には起工、昭和 40 年(1965)に新庁舎が竣工し
た。
・東側の山林のなかには、春日大社や白毫寺などの社寺、また若草山山頂の鶯塚古墳など数多くの歴史文化遺産が分布しており、視覚的には見
えないものの、見る人のイメージを膨らませる眺望景観である。
・毎年 1 月に、
「若草山の山焼き」が行なわれる。若草山の山焼きの起源には諸説があるが、そのひとつに以下がある。東大寺・興福寺・若草山
の3者を一望できる眺望である。
「かつて、東大寺と興福寺とがしばしば寺領境界争いをしていたので、宝暦 10 年(1760)に奈良奉行所が仲裁に入り問題を解決した。以後、
両者の緩衝地帯として毎年山を焼くようになったという。
」
情報としての 観光情報
・東大寺、興福寺など奈良市内に点在する社寺や若草山、春日山などの山々は、
「大和国細見図」
「いんばんや絵図」
「奈良名所 活用の視点
景観の特性
細見図」など、近世以来多くの名所案内記で紹介されている。
文学芸術作品
・春日山等の山々は、万葉集にも多く詠まれている。
10-1604「秋されば 春日の山の 黄葉見る 奈良の都の 荒るらく惜しも」
(大原真人今城)
4-584「春日山 朝立つ雲の 居ぬ日なく 見まくの欲しき 君にもあるかも」
(坂上大嬢,大伴家持) など
インベントリー ・世界遺産である東大寺、興福寺、春日山原始林などを一望できる。
・視点場である奈良県本庁舎は、
「公共建築百選」に選ばれている。
1
・奈良県「まほろば眺望スポット百選」に選定されてい
る。奈良の景観宝地図にもあげられている。また、公
募により推薦された眺望景観であり、十分に認知され
ているといえる。
・多くの人が訪れる県庁の屋上である。視点場として整
備され、公開されており、特段の整備は求められない。
法的位置付け
2
No.03
東大寺二月堂裏参堂から東大寺二月堂への眺望景観
眺望景観の類型
視点場
Ⅲ
東大寺二月堂裏参堂
視対象
東大寺二月堂
眺望空間
近景
石畳・石段/石積・土塀・練塀/樹林
中景
石畳・石段/石積・土塀・練塀/樹林
遠景
東大寺二月堂/観音山
視対象の
前景
・名勝・史跡区域、歴史的風土特別保存地区、第一種風
致地区として保存が図られている。
・石畳・石段や石積み・土塀・練塀といった歴史的要素、
の修理・修復等を通じて景観が変容していくおそれが
ある。各構成要素の修理・修復の方針を定め、必要な
助成制度を設けることが求められる。
・樹木等の適切な管理により、二月堂への眺望を確保す
ることが求められる。
視対象の
背景
・名勝・史跡区域、歴史的風土特別保存地区、第一種風
致地区として保存が図られている。
・観音山や空が広がっていることが二月堂の象徴性を引
き立たせているため、視対象への眺望の背後に映りこ
む高さ・規模の都市公園施設等の建設は行わないこと
が求められる。
視対象
・東大寺二月堂は、国宝に指定され、保護が図られてい
る。
お水取りの風景
目に見える景 ・近景から中景にかけて、院・塔頭等の塀(石積及び土塀・練塀)と参道の石畳、石段、庭木が連なり、これらの歴史的要素が軸線を形成し、 保全の視点
観の特性
アイストップとなっている東大寺二月堂の象徴性を引き立たせられている。
・東大寺二月堂の背景には観音山の樹林地が広がり、遠景を構成している。
心で感じる景 ・奈良には院や塔頭が数多くあり、それらが様々な趣向を凝らした庭をもっている。江戸初期頃と見られる「東大寺寺中寺外惣絵図」には 50 を超
観の特性
える塔頭がみられる。東大寺二月堂裏参堂から東大寺二月堂への眺望景観を構成する塀や庭木の一部は、東大寺塔頭である中性院、寶珠院の
ものであり、特に寶珠院は近世二月堂の管理の任を負うなど、東大寺二月堂との関わりの深い塔頭である。東大寺二月堂とそれを支えた院・
塔頭とが一体となった宗教文化を感じられる眺望景観である。
○東大寺中性院:住職は第 220 世東大寺別当であり、2010 年修二会の練行衆にも名を連ねる。本尊は木造弥勒菩薩立像(国指定重要文化財)
。
泥土と瓦の練塀が美しい。
○東大寺寶珠院:近世初頭に堂衆方子院として創立。近世には、東大寺二月堂の管理の任を負っており、二月堂修二会にかかわる記録、堂衆
独自の法要等の記録が多く伝えられている(現在は東大寺図書館寄託)
。
・東大寺二月堂の法会「修二会」は 「お水取り」とも呼ばれており、大仏開眼供養会の行なわれた天平勝宝 4 年(752)に始められ、一度も 途
絶えることなく続けられている。十一面観世音菩薩を本尊とし、
「天下泰平」
「五穀豊穣」
「万民快楽」などを願って祈りを捧げ、人々に代わっ
て懺悔の行を勤めるものであり、前行、本行をあわせてほぼ 1 ヶ月、準備期間を加えれば 3 ヶ月にも及ぶ大きな法要となる。現在では 3 月 1
日より 2 週間にわたって行わるが、もとは旧暦の 2 月 1 日から行われていたため、二月に修する法会という意味から「修二会」と呼ばれるよ
うになった。また二月堂の名もこのことに由来する。
・東大寺・二月堂は平重衡の兵火(1180 年)
、三好・松永の戦い(1567 年)の2回の戦火には焼け残ったが、寛文7年(1667 年)
、お水取りの
最中に失火で焼失。2年後に江戸幕府の援助を得て、従前の規模・形式を踏襲して再建されたものが現在の建物である。
・写真家入江泰吉が撮影した「春めく二月堂裏参道」を契機に、現在、多くの人々が訪れる観光スポットとなっている。
春めく二月堂裏参道:
「入江は、
「この参道の、ものさびた光景こそ、いかにも古都奈良らしい情感が漂うたたずまい」と、何度も撮影してい
た(後略)
」
視対象となる東大寺二月堂は、
「大和国細見図」
(享保 20 年(1735)、安永 5 年(1776)、
「和州奈良之絵図」
(元治1年(1864))
、
「い 活用の視点
んばんや絵図」
(明治 3∼15 年(1870∼1882))
、
「奈良名所細見図」
(明治 24 年(1891))
、
「奈良名勝案内図」
(昭和 5 年(1930))
など、近世以降、各時代を通じて多くの名所案内記等に掲載されてきた。
文学芸術作品
・入江泰吉は紫色の木蓮の花と東大寺裏参道の写真「春めく二月堂裏参道」を撮影した。文化財でもない、何気ない紫色の木
蓮と東大寺二月堂、土壁をセットとした 1 枚の写真を契機に、現在、多くの人々が訪れる観光スポットとなっている。
・司馬遼太郎も好んだ風景であり、
「奈良散歩」では東大寺二月堂とお水取りについて記している。
インベントリー ・東大寺は、世界遺産として多くの人々に知られている。また、南都七大寺のひとつである。
・奈良は、
「わたしの旅 100 選」や「日本遺産・百選」
「新日本観光地百選」などに選定されており、東大寺はその多くで構成
要素のひとつしてあげられる。
情報としての 観光情報
景観の特性
3
・奈良の景観宝地図にあげられている。また、公募によ
り推薦された眺望景観でもある。
・入江泰吉の写真「春めく二月堂裏参道」により多くの
人がこの景色を撮影しようと訪れており、より積極的
な情報発信は求められない。
・石畳・石段であり、周囲の歴史的な雰囲気と調和して
おり、特段の整備は求められない。
法的位置付け
4
Fly UP