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第3章 セクシュ アクティの歴史と現在

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第3章 セクシュ アクティの歴史と現在
第.3一章
セ ク シ ュ ア グ テ イ の鯲
快
と現 在
楽
と
叡
智
正
木
晃
無 上 の 快 楽 と究 極 の叡 智 とが分 か ち が た い 関係 に あ る。 或 い は、 快 楽 と叡 智 と を、 等 号 で 結
ぶ こ とす ら可 能 な の だ … …。
いわ ゆ る後 期 密教 に特 有 の この 図式 は、 時空 を越 え て、 常 に人 を惹 きっ け る。 あ りて い に い
え ば 、10代
の終 わ りの頃 、 私 が密 教 研 究 を志 した理 由 の一 半 も、 この図 式 が 発 散 す る何 か に
か らめ と られ た ゆ え だ った か も しれ な い。
そ して 、 近 年 の チ ベ ッ ト密 教 ブー ム もま た、 この 図式 と無 縁 で は な い。 人 間 の もっ 動 物 性 の
極 と もい うべ き生 殖 行 為 、 そ して人 間 が求 め う る聖 性 の極 と もい うべ き至 高 の 知 性。 近代 合 理
主 義 に蹂 躙 され て、 な が ら く全 く無 縁 とお もわ れ て きた この両 者 の あ い だ に、架 橋 しよ う と い
う試 み が 人 々 の 関心 を集 め た と して も、 そ れ は そ れ で無 理 か らぬ事 態 か も しれ な い。 た とえ誤
解 に基 づ く点 が少 な くな い と して も…。
こ とに も性瑜 伽(せ
い ゆが)。 っ ま り、 男 女 の性 行 為 を欠 くべ か らざ る身体 技 法 と して 導入
した 仏教 究 極 の 瞑想 法 を め ぐ って は、 あ ま りに衝 撃 的 な修 行 法 な るが ゆえ に、 定 か な根 拠 を も
た ぬ 憶 測 と恣 意 的 な解 釈 が ま ま行 わ れ て きた。
そ う した 誤解 を解 く意 味 もあ って、 こ こで で はチ ベ ッ ト仏 教 の正 統 派 を任 ず るゲ ル ク派 が伝
承 して きた チ ベ ッ ト密 教 に お け る最 高 の修 行 法 を材 料 に、 快 楽 と叡 智 の関 係 を考 え て み た い。
最 高 の 叡 智 一悟 り と は何 か
ゲ ル ク派 の 宗 祖 で あ り、 ブ ッ ダ以 来 、2500年 に お よ ぶ 仏 教 の 歴 史 に お け る最 後 の 巨 人 で
あ った ツ ォ ンカバ(1357∼1419)は
特 に 、 ナ ー ガ ール ー ジ ュナ(龍 樹)と
、 『秘 密 集 会 タ ン トラ』 が究 極 の仏 教 な の だ と主 張 した。
ア ー ル ヤ デ ー ヴ ァ(聖 天)と
い う2人 の人 物 が この タ ン
トラ に施 した 解 釈 と、 そ こか ら導 き出 され た実 践 法 こそ、 悟 りへ の最 も優 れ た修 行 法 で あ る と
み な した 。 これ を 「聖者 流(聖 父 子 流)」 と い う。
イ ン ドで は、 『秘 密 集 会 タ ン トラ』 を根 本 とす る実 践 法 に、 二 大 流 派 が存 在 した 。1っ
は
ジ ュニ ャ ー ナパ ー ダ とい う人 物 が 開発 した 「ジ ュニ ャー ナパ ー ダ流 」 で あ り、 も う1つ が い ま
述 べ た 「聖 者 流 」 で あ る。近 年 の研 究 成 果 に よ れ ば、 まず ジ ュ ニ ャー ナパ ー ダ流 が先 行 し、 聖
者 流 が そ れ に続 いた ら しい。 ツ ォ ンカ バ が 選 択 した聖 者 流 は、 西暦 で い え ば、 ち ょ うど1000
年 頃 、 全 盛 を 迎 え て い た とい うが、 そ の あ た りの歴 史 的 な詮 索 は、 これ 以上 す るっ も りは な い。
191
興 味 が あ る方 に は、 専 門書 を ひ も とい て い た だ こ う。
問 題 は、 仏 教 が規 定 す る最 高 の叡 智 た る 「悟 り」 とは い った い何 か、 で あ る。 もち ろん 、 そ
れ に即 答 で き るわ け はな い。 た だ、 ツ ォ ンカバ が悟 りに つ い て、 ど う考 え て い たか く らい は、
多 少 の推 測 が成 り立 つ。 或 い はチ ベ ッ ト密 教 に お い て、 悟 り は、 人 間 が い か な る状 態 に な った
と きに得 られ る もの か く らい は、答 え られ る と思 うの で あ る。
結 論 か ら言 お う。 ツ ォ ン カバ は 『秘 密 集 会 タ ン トラ』 の 聖 者 流 を 修 行 す る こ と で 、 「幻 身
(ギ ュル ー=虹 の身 体)」 と 「ほん と うの光 明(ト
ゥ ンギ ・ウ ー セ ル)」 を 、 同時 に成 就 した と
きに、 人 間 は至 高 至上 の 叡智 を 獲 得 して 、生 きた ま ま ホ トケ にな る と信 じて い た。 この両 者 が
同 時 に成 就 す る こ とを 、 チ ベ ッ ト密 教 で は 「双 入(ス
ンジ ュ ク=双 運)」 と呼 ぶ 。 つ ま り 「双
入 」 こそ が 、 チ ベ ッ ト密 教 の求 あて や まな い究 極 の 状 態 な ので あ り、 これ を越 え る叡 智 は存 在
しな い。
生 起 次 第(し
ょ う き しだ い)と
ゲ ル ク派 の密 教 修 行 で は、 生 起 次 第(し
しだ い=ゾ ク リム)の 、2つ
究 竟 次 第(く
き ょ う しだ い)
ょう き しだ い=キ ェ ー リム)と 究 竟 次 第(く
き ょう
の段 階 が設 け られ て い る。
生 起 次 第 と は、 簡 単 に言 え ば、 私 た ち の世 界 を構 成 す る森 羅 万 象 が 、 実 は究 極 の存 在 で あ る
ホ トケ た ち の顕 現 に ほ か な らな い こ とを感 得 す る修 行 で あ る。 も う少 し具 体 的 に い うな ら、 あ
らゆ る物 質 世 界 は ホ トケ た ち が参 集 す る曼 陀 羅 で あ り、 そ こに輪 廻 す る生 き と し生 け る もの全
て が曼 陀 羅 を か た ち つ く る上 で不 可 欠 の聖 な る存 在 で あ る こ とを、 瞑 想 して心 身 に浸 透 させ る
こと な ので あ る。 こ うす る こ とで、 日常 性 の固 い殻 を破 砕 し、 日常 性 を絶 対 化 し執 着 しが ち な
私 た ち の意 識 構 造 を、 根 底 か ら揺 るが し、 ホ トケ の正 しい教 え を授 か る準 備 が で き あ が る。
究 竟 次 第 と は、 後 期 密 教 が究 極 の修 行 法 と して 開発 した、 快 楽 と叡 智 の究 極 の 関係 に基 ず く
修 行 法 、 す な わ ち 「性 瑜 伽(せ
いゆ が)」 に まつ わ る修 行 法 の こ とで あ る。 瑜 伽 と は、 ヨー ガ
の音 訳 で、 身 体 技 法 を と もな う瞑想 法。 そ の言 葉 の頭 に、 性行 為 を意 味 す る性 とい う単 語 が冠
せ られ て い る こ とか らわ か るよ うに 、 「性 瑜 伽 」 と は男 女 の性 行 為 を導 入 した 瞑想 法 に ほか な
らな い。 究 竟 次 第 は、 そ の名 の 示 す とお り、 究 極 の修 行 法 な るが ゆ え に 、極 あ て秘 匿 性 が 高 く、
ほん の僅 か な 者 に しか 伝 授 され て こな か った。
生 起 次 第 は、 日本 密 教 の 修 行 法 、 た とえ ば 曼 陀 羅 の 観 想 法(瞑 想 法)や 本 尊 瑜 伽 と も類 似 し
て い て、 理 解 はそ う難 し くな い。 一 方 、 究 竟 次 第 は、 イ ン ドの 後 期 密 教 、 そ して そ れ を 継 承 し
た チ ベ ッ ト密 教 に特 有 の修 行 法 で あ り、 日本 密 教 の 修 行 法 か ら類 推 す る こ と は不 可 能 と い って
い い。
文 献 に つ い て
これ か ら 『秘 密 集 会 タ ン トラ」 聖 者 流 の修 行 法 を、 ゲ ル ク派 の高 僧 で あ った ガ ワ ン ・パ ル デ
ン(?∼1797)の
192
『大秘 密 四 タ ン トラの地 と道 の解 釈 で あ る経論 を 照 らす 書 」 を参 照 しっ つ、
快 楽 と叡 智
で き る限 り簡 潔 に ご紹 介 しよ う と思 う。
この書 物 は最 近 、 私 の チ ベ ッ ト仏 教 に関 す る領 域 の 師 で あ る ッル テ ィム ・ケ サ ン(日 本 名=
白館 戒 雲)大 谷 大 学 助 教 授 と北 村 太 道 種 智 院 大 学 教 授 によ り 日本 語 訳 され発 刊 さ れ た(日 本 語
訳 書 名 『大 秘 密 四 タ ン トラ概 論 』 永 田文 昌堂1994)。
しか し、 本書 は逐 語 訳 的 で極 めて 難 解
な た め、 私 が ッル テ ィム ・ケ サ ン師 の許 可 を得 て 、 よ りわ か りや す い 日本 語 に あ らたあ た文 章
を もち い る点 を ご了 承 い た だ き た い。
生
1.粗
起
次
第
な る念 の瑜 伽
① 粗 な る曼 陀 羅 を観 想(瞑 想)す
る。 まず 曼 陀 羅 の 内部 に建 立 さ れ た宮 殿 を観 想 し、 そ れ が
完 成 した な らば、 そ の中 に ホ トケた ち を招 き入 れ る と観 想 す る。 この場 合 は、 ゆ っ く り と
観 想 して い く。
② ゆ っ く り と観 想 す る こと に習 熟 した ら、 一 挙 に全 て を観 想 で き る段 階 に進 む 。 その 際 、 粗
な る曼 陀 羅 は一 挙 に観 想 で き るが 、 そ の中 に招 き入 れ るホ トケ た ち の うち、 粗 な る ホ トケ
た ち は一 挙 に観 想 で き る もの の、 一 部 の微 細(み
さい)な ホ トケ た ち は まだ 一 挙 に は観 想
で きな い。
③ 次 の段 階 で は、 微 細 な ホ トケ た ち も、 極 く細 か い部 分 ま で一 挙 に観 想 で き る よ うに す る。
④ 微 細 な ホ トケ た ち ま で一 挙 に観 想 で き る段 階 に達 す る。
この よ うに して、 生 起 次 第 の 目的 、 す な わ ち 日常 性 の 固 い殻 を破 砕 し、 日常 性 を 絶対 化 し執
着 しが ち な私 た ち の意 識 構 造 を、 根 底 か ら揺 るが し、 ホ トケ の正 しい教 え を授 か る準備 が で き
あ が る。 修 行 者 は、 何 を見 て も、 それ らが ホ トケた ち の顕 現 な の だ と、 自然 に意 識 で き る よ う
に な るQ
2.微
細瑜 伽(み
さ い ゆが)
究 竟 次 第 の修 行 に耐 え られ る心 身 を育 む た あ に は、 さ らに微 細 瑜 伽 を行 ず る必 要 が あ る。
① 修 行 者 自身 の鼻 も し くは リ ンガ(陰 茎)の 先 端 、 あ るい は臍 や心 臓 に、 微 細 な滴(テ
ィク
レ=ビ ン ドゥー)か 文 字 を置 く と観 想 して 、 そ こ に心 を完 全 集 中 す る。
② そ の テ ィ ク レや文 字 の 中 に、 曼 陀 羅 と ホ トケ た ちを 生起 す る。
③ この 微 細 瑜 伽 を完 璧 な もの にす る。
これ に 習 熟 す る と、 「止(寂
(ル ン=息=生
静 の境 地)」 が 実現 で き る。 また 、 究 竟 次 第 で必 要 とな る 「風
命 エ ネ ル ギ ー)」 の コ ン トロー ル に も役 立 つ の で 、 修行 者 は必 ず 、 こ の状 態 に到
達 しな け れ ば な らな い。
生 起 次 第 は、 通常 は 日 に4回 行 ず る。 しか も、 行 に入 って い る と きの み な らず 、 日常 生 活 の
全 て を、 こ の行 に奉 じな けれ ば な らな い。 食 事 を とる と き は修 行 者 自身 が ホ トケで あ り、 食 物
193
は甘 露 で あ る と思 って加 持 して食 す。 寝 る とき も、 ホ トケ の光 明 に入 る と念 じな けれ ば な らな
い。 そ う して初 め て、 生 起 次 第 が成 就 す る。
本 行 に入 る前 段 階 にす ぎな い 「微 細 瑜 伽 」 です で に、 修 行 者 の リ ンガ(陰 茎)に 滴 や 文 字 を
観 想 す る こ とが 求 め られ、 性 に まっ わ る修 行 法 の一 端 が か い ま見 られ る。
究
竟
次
第
ゲ ル ク派 に よ る最 も簡 単 な 究 竟 次 第 の定 義 は、 「風(ル
(左=キ
ャ ンマ=ラ
ラナ ー ・右=ロ
マ ー ラサ ナ ー)か
ン)を 、鼻 孔 に 通 ず る左 右 の 脈 管
ら、 身体 の 中央 を貫 く中央 脈 管(ウ
マ=
ア ヴ ァ ドゥ ー テ ィー)に 、 観 想 の 力 に よ って導 き入 れ、 と どめ、 溶 融 させ て、 成 仏 を可 能 にす
る状 態 を 創 出す る こ と」 に ほか な らな い。
成 仏 を 可 能 にす る状 態 と は、 「幻 身(ギ
ュ ー ル ー)」 と 「ほん と うの光 明(ト
ル)」 が、 同 時 に成 就 した と きで あ る。 これ を 「双 入(ス
ゥ ンギ ・ウ ー セ
ンジ ュ ク)」 とい う。 ゲ ル ク派 の考 え
方 で は、 「幻 身 」 は物 質 性 を もち、 「ほん と うの光 明」 は精 神 性 を もっ。
『秘 密 集 会 タ ン トラ』 「聖 者 流 」 の究 竟 次 第 は、 全 部 で6っ の次 第 か ら構 成 され る。 ① 定 寂
身 ・② 定 寂 口 ・③ 定 寂 心 ・④ 幻 身 ・⑤ 光 明 ・⑥ 双 入 で あ る。 この うち で、 幻 身 の成 就 が い ち ば
ん難 しい と い わ れ て き た。 ツ ォ ンカ バ は、 彼 自身 の述 懐 に よれ ば、30代 末 の 時点 で、 この幻
身 を完 全 に理 解 し、 成 就 して い た と い う。
1.定
寂身
この修 行 は、 修 行 者 が 自分 の リ ンガ(陰 茎)の 尿 道 に滴(テ
観 想 の力 に よ って、 「風(ル
ィ ク レー精 液)を 観 想 し、 そ の
ン)」 を 中央 脈 管 に導 き入 れ、 と どめ、 溶 融 して、 「空 性 」 を如 実
に体 得 しよ う とす る こ とで あ る。 この段 階 で は、 実 際 に は 「空 性 」 の智 恵 は生 じて お らず 、 生
起次 第 か ら究 竟 次第 へ の、 い わ ば橋 渡 しの役 割 を果 た して い る。
あ
こ こで行 わ れ る内容 は、 も う少 し具 体 的 に は、 聖 者 流 の秘 密 集 会 曼 陀 羅(阿
しゅ く
閾 金 剛 曼 陀羅)
を 、 修行 者 自身 の 身 体 に展 開 し、 体 得 す る こ とで あ る。 そ の と き、 修 行 者 は、 い ま も触 れ た よ
う に、 自分 の リン ガの 尿道 に滴 を観 想 し、 そ こに と どめ て お く。
自分 の リン ガの 尿 道 に滴 を観 想 し、 そ こ に全 精 神 を 余 す こ とな く集 中 して い く と、 「風 」 と
「心 」 が じっ は1っ で あ る とい う こ とに気 付 く。 っ ま り、 心 を とど め た と ころ が風 の所 在 す る
場 所 な の で あ る。 この メ カニ ズ ムに気 付 け ば、 修 行 者 は 自在 に風=心
を操 作 して い くこ と が可
能 にな る。 こ こで も、 リン ガ、 す な わ ち 男性 器 が重 要 な役 割 を演 じて い る。
ちな み に 、8世
紀 以 降 の 密 教 で は、 男 性 の精 液 は 「菩 提 心 」、 す な わ ち悟 りを求 め よ う とす
る根 源 的 な 心 の象 徴 で あ り、 さ らに は菩 提 心 そ の もの とみ な さ れ た。 この論 理 を突 き詰 め て い
け ば、 射 精 は菩 提 心 の放 出 と同 義 とな る。 そ の 結 果 、 師 の 僧 が女 性 パ ー トナ ー と性 交 し、 精 液
と女 性 の 愛 液 の混 ざ っ た も のを 菩 提 心 を 称 して 、 弟 子 の 口 の 中 に入 れ る灌 頂 儀 礼 の ほ か は 、 射
精 は強 く戒 あ られ た。 従 って 、 修 行 者 た ち は精 液 の 保 存 に極度 の 関心 を示 せ ざ るを え ず、 の ち
に は夢 精 を 恐 れ て眠 る に眠 れ な い と い う滑 稽 な 事 態 さえ 出 来 した ら しい。
194
快 楽 と叡 智
2.定
寂 口(金 剛 念 誦)
修 行 者 は、 自分 の心 臓 の上 端 に、 滴 な い し真 言 の文 字 を観 想 す る。 す る と、 上 か らの風 と、
下 か らの風 が、 心 臓 の チ ャク ラ に通 ず る中 央 脈 管 に入 り、 と ど ま り、 溶 融 して、 心 臓 の脈 管 の
結 び 目 が完 全 に ほ ど け は じめ る。
この と き、 修 行 者 は 「出 し ・入 れ ・と ど め る」 の3っ を 、3っ の文 字 の声 と して 唱 え る金 剛
念 誦 か、 或 い はhumとhohの2っ
の文 字 の金 剛 念 誦 の 、 どち らか が必 要 とされ る ので 、 定 寂
口 は金 剛 念 誦 と も呼 ば れ る。
心 臓 の 中央 脈 管 に風 を流 入 させ る に は、 前 もって心 臓 の上 下 の脈 管 を ゆ るめて おか な けれ ば
な らな い。 そ れ に は、 自分 の鼻 の先 端 に光 の滴 を観 想 す る微 細 瑜 伽 を行 ず る必 要 が あ る。
鼻 の先 端 に光 の滴 を観 想 す る こ と は、 リ ンガ の先 端 に滴 を観 想 す る こ とに通 じ、 自分 が レー
ギ ャ(実 際 の女 性 のパ ー トナ ー=カ ル マ ・ム ドラ ー)と 性瑜 伽 を行 じて も、 菩 提 心(精 液)が
漏 れ な い よ うに とど め る こと や、 自分 が エ ー ギ ャ(想 像上 の女 性 パ ー トナ ー)と 性 瑜 伽 を 行 じ
た と き、 菩 提 心 を とど あ る こと に習 熟 で き る と註 釈 され て い る。 こ うす る と、 生 命 活 動 が 活 性
化 され、 心 臓 に風 が集 ま りやす くな る と い う。
3.定
寂心(心 清 浄)
内 の縁 で あ る金 剛 念 誦 な ど と、 外 の縁 で あ る 印契(ム
ドラ ー=女 性 パ ー トナ ー)の 生 命 活 動
に よ って 、修 行 者 を活 性 化 し、 心 臓 の チ ャク ラの脈 管 を完 全 に ほ どい て、 そ の中 心 に あ る 「不
壊 の テ ィ ラカ(微
細 な粒 子=ミ
シ クペ ー ・テ ィク レ=テ ィラ カ)」 に風 が送 り込 まれ 溶 融 す る
こ とに な る。
風 が心 臓 の 中 の テ ィ ラカ に完 全 に溶 融 す る と、4っ
の ヴ ィ ジ ョンが あ らわ れ る。
① 「顕 明(ナ
ン ワー空)」 明 浄 無 垢 の秋 の 空 に、 月光 が充 満 す る如 き 白 い ヴ ィ ジ ョン。
② 「増 輝(チ
ュー バ=極 空)」 明 浄 無垢 の秋 の 空 に、 太 陽 が昇 った如 き赤 い ヴ ィ ジ ョン。
③ 「近 得(ニ
ェル トプ=一 切 空)」 明 浄 無 垢 の秋 の空 が 暮 れ な ず ん だ如 きどす 黒 い ヴ ィ ジ ョ
ンo
④ 「た とえ の 光 明(ペ イ ・ウー セ ル)」 擬 似 的 な光 明 の ヴ ィ ジ ョン。
① ・② ・③ の 各 ヴ ィ ジ ョン は 「三 空 」 とい い、 男 女 の性 行 為 、 就 寝 中、 意 識 不 明 な どの 状 態
に お い て も、 類 似 の ヴ ィ ジ ョンが 出 るが、 根 本 的 に は人 間 が 死 ぬ と き にあ らわ れ る。 す な わ ち、
定 寂 心 の 修 行 で は、 生 きな が ら、 あ らか じめ死 の状 態 を先 取 りす る こ と にな る。 ④ は以 後 の修
行 で 体 験 され る はず の 「ほん と うの光 明」 に似 て い る が、 あ くまで 類 似 の状 態 に過 ぎ な い ので 、
「た とえ の光 明(偽 の光 明)」 と呼 ば れ る。
「三 空 」 を体 験 す る とき は、 た と え よ う の な い快 楽 が 伴 う とい わ れ、 「
三 空 」 と 「三 歓 喜 」 と
称 さ れ る。 「空 」 は大 乗 仏 教 最 高 の キ ー ワ ー ドで あ り、 定 寂 心 の修 行 は この 「空」 の 諸 相 を
「歓 喜 」 と して、 如 実 に体 得 す る過 程 な の で あ る。
195
4.幻
身(自
加 持)
幻 身 は あ らゆ る修 行 の 中 で、 最 も難 しい と され る段 階 で あ る。 幻 身 と は、 人 間 が死 ん で、 次
の生 命 形 態 と して、 この世 に生 まれ 変 わ る まで の 間 、 つ ま り 「中有(パ
ル ド)」 の状 態 が ま さ
に幻 身 で あ って、 「虹 の 身 体 」 と も呼 ば れ る。 ち な み に、 あ らゆ る生 命 は、 そ の死 の 瞬 間 に、
す で に次 の生 命 形 態 の か た ち を した幻 身 に変 じ、 そ の状 態 の ま ま 「中 有」 の 期 間 を す ご し、 や
が て こ の世 に生 を受 け る。 この点 は、 『倶 舎 論 』 の第3章
に 明示 さ れ て い るが 、 『死 者 の書 」 で
は せ っか く 『倶 舎 論 』 の説 を 引用 しな が ら、 あ や ま っ た説 明 を して い る。
幻 身 は、 幻 身 同 士 で は相 手 を見 られ る が、 ふ っ うの人 間 に は見 え な い。 た だ し、 幻 身 を成 就
した修 行 者 は、 幻 身 を 見 る こ とが 出来 る。 ま た、 幻 身 を成 就 した者 は、 死 に際 して、 前世 の 業
に制 約 さ れ ず 、 自在 に 来世 を得 られ る とい わ れ る。
幻 身 が い った い どの よ うな もの か に っ い て、 『智 恵 金 剛集 』 とい う書 物 は、 こ う語 って い る。
①風 と心 の み か ら出 来 て い るか ら、 「幻 の人 」 の よ うで あ る。
② ど こに で もあ まね く存 在 す るか ら、 「水 月 」 の よ うで あ る。
③ 肉 と骨 を 離 れ て い るか ら、 人 の 「影 」 の よ うで あ る。
④刹 那 に 動 くか ら、 「陽炎 」 の よ うで あ る。
⑤ 夢 の 中 で 見 る 「夢 の身 」 の よ うで あ る。
⑥ 実 体 は こ こに あ る の に、 別 の場 所 に あ らわ れ る 「反響(山 彦)」 の よ うで あ る。
⑦ 「蜃 気 楼 」 の よ うで あ る。
⑧1っ な の に、 多 くの あ らわ れ を もっ か ら、 「魔 術 」 の よ うで あ る。
⑨ 物 質 的 存 在 に汚 さ れず 、 混 じ り合 わ な いで あ らわ れ るか ら、 「虹 」 の よ うで あ る。
⑩ 肉 体 の 中 に あ る こ とは、 「雲 の 中 の雷 」 の よ うで あ る。
⑪ 空 の状 態 か ら忽 然 と出現 す る点 は、 澄 み切 った 清 水 か ら 「泡 沫 」 が生 ず るよ うで あ る。
⑫ 一 切 が 完 璧 で あ る点 は、 鏡 の 中 に 「持 金 剛(密 教 究 極 の ホ トケ)の 影 像 」 が 出現 す る よ う
で あ る。
さて、 幻 身 を 出現 させ るた め に は、 定 寂 心 で お こな った順 序 と は逆 の手 順 を 踏 む 。 す な わ ち、
心 臓 の チ ャ ク ラの 中 の 「不 壊 の テ ィ ラカ」 に溶 融 して い た風 を、 今 度 は少 し動 か し、 解 放 す る
の で あ る。 す る と、 定寂 心 の と き と は逆 向 きの ヴ ィ ジ ョ ンが あ らわ れ る。
① 「た とえ の光 明 」
② 「近 得 」
③ 「増 輝 」
④ 「顕 明 」
こ の と き、 心 臓 の チ ャ ク ラ の中 の 「不 壊 の テ ィ ラ カ」 に溶 融 して い た風 が 「幻 身 」 に変 容 す
る。 この 逆 の 過 程 は、 死 ん だ 人 間 が 、 再 び再 生 す るま で の過 程 に あ た る。 い い か え れ ば、 「中
196
快 楽 と叡 智
有 」 の状 態 を体 験 す る こ と に ほか な らな い 。
た だ し、 繰 り返 し述 べ た よ う に 、 幻 身 を 出 現 さ せ る こ と は 至 難 と さ れ る。 そ の た め 、 以 上 の
行 に 先 立 っ て 、 修 行 者 の 身 体 を 、 粗 大 な 身 体 と 微 細 な 身 体 と に 分 け て お い た ほ うが い い と い わ
れ る 。 これ に も、 や は り修 行 者 の 観 想 の 力 が 用 い られ る 。
よ り具 体 的 に い え ば 、 「遷 移(ポ
ワ)」 と
「入 魂(ト
ン ジ ュ ク)」 の 修 行 が い い と 勧 あ られ て
い る 。 「ポ ワ 」 は、 自分 の 意 識 を 体 外 に 離 脱 さ せ る行 法 で あ り、 「ト ン ジ ュ ク 」 は 離 脱 さ せ た 意
識 を 他 の 動 物 に 注 入 す る 行 法 で あ る 。 「ト ン ジ ュ ク 」 は あ ま り に 難 し い と さ れ る か ら、 こ こ で
は 「ポ ワ 」 に つ い て だ け 、 簡 単 に説 明 して お こ う。
ま ず 、 修 行 者 は 、 身 体 に あ る 眉 間 ・眼 ・耳 孔 ・鼻 孔 ・口 ・臍 ・尿 道 ・肛 門 の 八 孔 を 閉 じ、 頭
頂 に あ る 梵 孔(ブ
び 跳 ね て い る滴(テ
ン)を
ラ フ マ 孔)を
ィ ク レ=光
開 く。 自 分 の 眼 前 に 守 護 尊 を 観 想 し、 心 臓 の チ ャ ク ラ の 中 で 飛
を 本 質 と す る 生 命 エ ネ ル ギ ー)を
も観 想 す る 。 下 向 き の 風(ル
上 に 向 か っ て 引 き 上 げ る と と も に 、 ピ ッ ク と い う声 を 出 して 、 眉 間 ま で 引 っ張 り あ げ る 。
次 の ピ ッ ク と い う声 で 、 同 じ よ う に 、 テ ィ ク レ を 眉 間 か ら額 に 引 っ 張 り あ げ る。3回
目の ピッ
ク と い う声 で 、 テ ィ ク レ は 頭 頂 に あ る 梵 孔 に 達 す る 。 最 後 に 、 ペ ッ ト と い う声 と と も に 、 テ ィ
ク レ は梵 孔 を 飛 び 出 し、 守 護 尊 の 胸 の 中 に 溶 け 込 む の で あ る 。
も っ と も、 こ の よ う な 熾 烈 な 努 力 に もか か わ らず 、 こ の 段 階 で 出 現 す る 「幻 身 」 は 、 ま だ 完
全 に は浄 化 さ れ て お らず 、 そ れ ゆ え に 「不 浄 の 幻 身 」 と 呼 ば れ る 。 完 全 に 浄 化 さ れ 「幻 身 」 を
成 就 す る の は、 次 の 段 階 で 「ほ ん と う の 光 明 」 を 得 て か ら あ と の こ と で 、 そ れ ま で は 以 前 の 粗
な る身 体 を 全 く捨 て 去 る こ と は 出 来 な い の で あ る 。
5.ほ
ん と う の 光 明(楽
現 覚)
全 身 全 霊 を あ げ て 、 心 臓 の チ ャ ク ラ の 中 に あ る 「不 壊 の テ ィ ラ カ 」 に 、 す べ て の 風 を 送 り込
み 溶 融 さ せ る 。 す る と、 い ま ま で に 体 得 し た
「顕 明(ナ
ン ワ)」 ・「増 輝(チ
(ニ ェ ル トプ)」 が み な1っ
に 溶 け 込 み 、 「ほ ん と う の 光 明(ト
る 。 そ の 際 、 風(ル
、 「ほ ん と う の 光 明 」 の 乗 り物 の 役 割 を 果 た す 。
ン)は
ュ ー バ)」 ・「近 得
ゥ ン ギ ・ ウ ー セ ル)」 が 体 得 さ れ
こ の と き 、 最 高 の 快 楽 で あ る 「大 楽 」 が 生 じ、 そ の 大 楽 の 最 中 、 修 行 者 は 「空 性 」 を 、 文 字
ど お り 、 目 の 当 た り に す る と い う。 っ い に
「四 空 」 が 成 就 す る の で あ る 。
こ こ で 気 を 付 け な け れ ば な ら な い 点 は、 「ほ ん と う の 光 明 」 と い う表 現 を して い て も 、 そ れ
は 私 た ち が イ メ ー ジ しが ち な こ の 世 の 光 で は な い こ と で あ る。 「ほ ん と う の 光 明 」 と は 、 あ ら
ゆ る 言 語 表 現 を 遙 か に 越 え た 体 験 を 示 唆 す る 、 ま さ に仮 の 言 葉 に 過 ぎ な い 。 あ る 種 の 体 験 の 中
で 、 光 輝 く ヴ ィ ジ ョ ン を 得 て 、 そ れ が 「ほ ん と う の 光 明 」 だ と思 い こん で い る 人 も あ る よ う だ
が 、 全 くの誤 解 とい って い い。
そ う し た 原 因 の 一 端 は 、 「ほ ん と う の 光 明 」 を 英 訳 す る 際 、clearlightと
した こ と にあ る。
幻 覚 体 験 の 比 較 的 表 層 で 出 現 す る光 の ヴ ィ ジ ョ ンを 、 チ ベ ッ ト密 教 が 意 図 す る 究 極 の ヴ ィ ジ ョ
ン と 取 り違 え た 結 果 が 、 こ ん な あ や ま ち を 生 み 出 し た の で あ ろ う。
197
6.双
入
前 段 階 で 「ほん と うの 光 明」 を体 得 した な らば、 今 度 は も う一 度 前 に も ど って、 「幻身 」 を
出現 させ る。 つ ま り、 心 臓 の チ ャ ク ラの 中 の 「不 壊 の テ ィ ラカ」 に溶 融 して いた 風 を 、少 し動
か し、 解 放 して 、 「ほん と うの 光 明 」 と して1っ に溶 け合 って い た 「顕 明(ナ
(チ ュ ーバ)」 ・「近 得(ニ
ンワ)」・「増 輝
ェル トプ)」 を 再 び分 離 して 、
① 「近 得(ニ
ェ ル トプ)」
② 「増 輝(チ
ュ ーバ)」
③ 「顕 明(ナ
ンワ)」
の順 序 に展 開 す る ので あ る。
こ うす る と、 再 び 「幻 身 」 が 出現 す るが、 今 回 はす で に 「ほん と うの光 明 」 に よ って、 過 去
世 の業 や 今 生 の煩 悩 が 完 全 に浄化 され て い るの で、 出現 した 「幻 身 」 は完 璧 に 「清 浄 な 幻身 」
とな る。
こ う して 「ほん と うの光 明」 と 「清 浄 な幻 身 」 を 同 時 に成 就 させ る こと に は、 い う まで もな
く、最 高 の 快 楽 の 中 の快 楽 が伴 う。 そ れ は大 楽 に も勝 る大 楽 で あ り、 自他 の区 別 な ど雲散 霧 消
して 、 自在 に生 き と し生 け る もの こ と ご と くを、 至 福 の 中 で救 済 す る境 地 に入 る。 これ が 「双
入(ス
ンジ ュ ク)」 で あ る。 一
さ らに、 こ の境 地 を生 きて 、 充分 な功 徳 と智 恵 を集 積 した とき、 っ い に ホ トケか ら もこれ 以
上 何 ら教 え を請 う必 要 の な い境地 に到達 す る。 そ れ が 「無 学 の双 入 」 で あ り、 ホ トケの 境 地 そ
の もので あ る。 こ こで人 は ホ トケ とな る。 す な わ ち、 成 仏 で あ る。
性 瑜 伽 の 実 践
以 上 の秘 密 集 会 タ ン トラ聖 者 流 の修 行 法 で は、 修 行 の核 心 部 分 に お い て、 必 ず 性 瑜 伽 な い し
性 瑜 伽 に類 す る行 法 が行 じ られ る。
まず 最 初 に、 生 起 次 第 の 微 細 瑜 伽 の な か で、 修 行 者 は 自分 の リ ンガ(陰
茎)の
先 端 に、 滴
(テ ィ ク レ)や 文 字 を観 想 す る。 これ は、 「止(寂 静 の境 地)」 を実 現 す るた め で あ る。 ま た、
究 竟 次 第 で 必 要 とな る 「風(ル
ン=息=生
命 エ ネ ル ギ ー)」 の コ ン トロー ル の、 い い わ ば準 備
の た あ の修 行 で もあ る。
次 いで 、 究 竟 次 第 の第1段 階 の 位 置 す る 「定 寂 身 」 に お い て、 修行 者 は 自分 の リンガ(陰
茎)の 尿 道 に滴(テ
ィク レ=精 液)を 観 想 し、 そ の観 想 の 力 によ って、 「風(ル
ン)」 を 中央 脈
管 に導 き入 れ、 とど め、 溶 融 して 、 「空 性 」 を如 実 に体 得 しよ う と試 み る。 自分 の リンガ の尿
道 に滴 を観 想 し、 そ こに全 精 神 を余 す こ と な く集 中 して い く と、 「風 」 と 「心 」 が じつ は1つ
で あ る と い う こ とに気 付 く。 っ ま り、 心 を と ど め た と こ ろが風 の所 在 す る場 所 な の で あ る。 こ
の メ カ ニ ズ ム に気 付 け ば、 修 行 者 は 自在 に風 一心 を操 作 して い く こ とが可 能 にな る。
第2段 階 の 「定 寂 口」 で は、 心 臓 の中 央 脈 管 に風 を流 入 させ るた あ に、 微 細 瑜 伽 を行 じて、
198
快 楽 と叡 智
心 臓 の 上 下 の 脈 管 を ゆ る め る。 こ の 行 は 、 次 の 定 寂 心 で 自分 が レ ー ギ ャ(実
ナ ー 一 カ ル マ ・ム ド ラ ー)と
と や 、 自 分 が エ ー ギ ャ(想
性 瑜 伽 を 行 じ て も、 菩 提 心(精
像 上 の 女 性 パ ー ト ナ ー)と
液)が
際 の女 性 のパ ー ト
漏 れ な い よ うに と ど め る こ
性瑜 伽 を行 じた と き、 菩 提 心 を と どめ る
こと に習 熟 させ る 目的 が あ る。註 釈 に よ る と、 こ うす れ ば生 命 活 動 が活 性 化 さ れ、 心 臓 に風 が
集 ま りや す くな る と い う 。
第3段
階 の 「定 寂 心 」 は 、 い よ い よ 性 瑜 伽 の 実 践 で あ る 。 こ こ で は 、 内 の 縁 で あ る 金 剛 念 誦
(霊 力 を も っ 特 殊 な 言 葉 の 読 誦)な
ど と 、 外 の 縁 で あ る 印 契(ム
ド ラ ー=女
性 パ ー トナ ー)の
生 命 活 動 に よ っ て 、 修 行 者 を 活 性 化 し、 心 臓 の チ ャ ク ラ の 脈 管 を 完 全 に ほ ど い て 、 そ の 中 心 に
あ る 「不 壊 の テ ィ ラ カ(微
細 な 粒 子 一 ミ シ ク ペ ー ・テ ィ ク レ=テ
ィ ラ カ)」 に 風 を 送 り込 み 溶
融 させ る。
か くて 、 風 が 心 臓 の 中 の テ ィ ラ カ に 完 全 に 溶 融 す る と、 「顕 明(ナ
バ)」 ・「近 得(ニ
ェ ル トプ)」 ・「た と え の 光 明(ペ
ン ワ)」 ・「増 輝(チ
イ ・ウ ー セ ル)」 か ら な る4っ
が あ ら わ れ る。 こ の う ち 、 「顕 明 」・「増 輝 」 ・「近 得 」 の 各 ヴ ィ ジ ョ ン は
ュー
の ヴ ィジ ョ ン
「三 空 」 と い い 、 男 女
の 性 行 為 、 就 寝 中 、 意 識 不 明 な ど の 状 態 に お い て も、 類 似 の ヴ ィ ジ ョ ン が 出 る が 、 根 本 的 に は
人 間 が 死 ぬ と き に あ ら わ れ る と さ れ る 。 す な わ ち 、 定 寂 心 の 修 行 で は、 生 き な が ら、 あ らか じ
め死 の状 態 を先 取 りす る こ とに な る。
この
「三 空 」 を 体 験 す る と き は、 た と え よ う の な い 快 楽 が 伴 う と い わ れ 、 「三 空 」 と 「三 歓
喜 」 と称 さ れ る 。 「空 」 は 大 乗 仏 教 最 高 の キ ー ワ ー ドで あ り、 定 寂 心 の 修 行 は こ の 「空 」 の 諸
相 を 「歓 喜 」 と し て 、 如 実 に 体 得 す る 過 程 な の で あ る。
第4段
階 に位 置 し、 最 も難 し い と さ れ る 「幻 身 」 で は、 前 段 階 の 行 法 を 逆 に 行 じ る。 す な わ
ち 、 心 臓 の チ ャ ク ラ の 中 の 「不 壊 の テ ィ ラ カ 」 に 溶 融 し て い た 風 を 、 今 度 は少 し動 か し、 解 放
す る の で あ る。 す る と、 定 寂 心 の と き と は 逆 向 き の ヴ ィ ジ ョ ンが あ らわ れ る 。 も ち ろ ん 、 性 瑜
伽 が 必 然 的 に伴 う。 す で に触 れ た よ う に 、 こ の 幻 身 と い う修 行 の 段 階 は 、 死 か ら再 生 す る過 程
を た ど る こ と が 目 的 で あ る。
こ の と き 、 心 臓 の チ ャ ク ラ の 中 の 「不 壊 の テ ィ ラ カ 」 に 溶 融 して い た 風 が
「幻 身 」 に 変 容 す
る 。 こ の 逆 の 過 程 は 、 死 ん だ 人 間 が 、 再 び 再 生 す る ま で の 過 程 に あ た る 。 い い か え れ ば 、 「中
有 」 の状 態 を体 験 す る こ と に ほか な らな い 。
第5段
階 の 「ほ ん と う の 光 明 」 で は、 全 身 全 霊 を あ げ て 、 心 臓 の チ ャ ク ラ の 中 に あ る 「不 壊
の テ ィ ラ カ 」 に 、 す べ て の 風 を 送 り込 み 溶 融 さ せ る 。 す る と、 い ま ま で に 体 得 し た 「顕 明(ナ
ン ワ)」 ・「増 輝(チ
ュ ー バ)」 ・「近 得(ニ
ェ ル トプ)」 が み な1っ
に 溶 け込 み 、 「ほ ん と う の 光 明
(ト ゥ ン ギ ・ウ ー セ ル)」 が 体 得 さ れ る。
ま さ に 、 そ の 瞬 間 、 最 高 の 快 楽 で あ る 「大 楽 」 が 生 じ、 そ の 大 楽 の 最 中 、 修 行 者 は 「空 性 」
を 、 文 字 ど お り、 目 の 当 た り に す る と い う 。 っ い に 「四 空 」 が 成 就 す る の で あ る 。
ゲ ル ク 派 で は 、 「ほ ん と う の 光 明 」 を 成 就 す る に あ た り 、 第3灌
性 行 為 を 必 須 とす る灌 頂
〔イ ニ シ エ ー シ ョ ン〕)と 第4灌
頂(言
頂(般
若 智 灌 頂 一女 性 との
葉 に よ る 灌 頂)を
授 けて お く
か 否 か を め ぐ り、 ま た そ の 順 序 を あ ぐ り 、 論 争 が あ っ た 。 こ の 点 は極 め て 専 門 的 な 事 項 に 属 す
る の で 、 こ こ で は 触 れ な い が 、 第3灌
頂 を 授 け れ ば 、 印 契(ム
ドラ ー 一女 性 パ ー トナ ー)の
199
生
命 活 動 に よ って 、 修 行者 が さ ら に活 性化 され、 「三 空 」 が 目 の当 た りにで き、 さ らに 第4灌 頂
を授 け れ ば 、 そ の と き ほん と うの 大楽 を生 じて、 空 性 を 目 の 当 た りに 出来 る と い う説 も存 在 し
た。
最 終 の第6段
階 で あ る 「双 入 」 は、 も う一 度 前 に もど っ て、 「幻身 」 を 出現 させ る。 つ ま り、
心 臓 の チ ャ ク ラの 中 の 「不 壊 の テ ィ ラカ」 に溶 融 して い た風 を、 少 し動 か し、 解 放 して、 「ほ
ん と うの光 明 」 と して1っ
に溶 け合 って い た
「顕 明(ナ
ンワ)」・「増 輝(チ
ュ ーバ)」 ・「近 得
(ニ ェル トプ)」 を 再 び分 離 して展 開 させ る。
す る と、 再 び 「幻 身」 が 出現 す るが、 今 回 は す で に 「ほん と うの光 明 」 に よ って 、 過去 世 の
業 や今 生 の 煩 悩 が 完 全 に 浄化 され て い るの で、 出現 した 「幻 身 」 は完 璧 に 「清 浄 な 幻 身」 とな
る。 こ う して 「ほん と うの光 明」 と 「清 浄 な幻 身 」 を同 時 に成 就 させ る こ と に は、 い うま で も
な く、 最 高 の 快 楽 の 中 の 快楽 が伴 う。 そ れ は大 楽 に も勝 る大 楽 な の だ と い う。
要 す る に 、 第3段 階以 降 の修 行 で は、 い ず れ も性 瑜 伽 が実 践 さ れ るべ き こ とが 説 か れ て い る
の で あ る。
『
秘 密 集 会 タ ン トラ」 が 、 大 乗 仏 教 の正 統 な後 継 者 と して、 そ の 冒頭 に 「ブ ッダ は、 一 切 の
如 来 た ち の 身 ・語 ・心 の 源泉 た る諸 々 の金 剛女 陰 に住 した も うた(ブ
ッダ は、 あ らゆ る如 来 た
ち に と って あ らゆ る真理 の 源泉 で あ る複 数 の女 性 た ち の性 器 の なか に お られ た 一女 性 た ち と性
瑜 伽 を行 じて お られ た)」 とい う衝 撃 的 な文 言 を掲 げて 登 場 したの は、8世
紀 の こ とだ った と
い わ れ る。 そ して 、 この タ ン トラを根 本 的 な典 拠 とす る秘 密 集 会 タ ン トラ聖 者 流 の 修 行 法 が 流
行 した の が 、 紀 元1000頃
の イ ン ド。 この時 期 、 この タ ン トラ を奉 ず る密 教 行 者 た ち は、 以 上
の解 説 に説 か れ た 通 りの 行 を実 践 して い た ら しい。
な ぜ 、性 瑜 伽 が必 要 か
修 行 に お いて 性 瑜 伽 を 行 ず る理 由 、別 の表 現 を す る な ら女 性 パ ー トナ ー を必 須 とす る理 由 は、
これ ま で の 解 説 に よ る限 り、以 下 の2点 に集 約 さ れ る。
① 女 性 の もつ 生 命 エ ネル ギ ー に よ って、 修 行 者 の生 命 活 動 を活 性 化 す る た め。
② 究 極 の 把 握 対 象 で あ る 「空 性 」 を体 得 す る た め。 「空 性 」 の ヴ ィ ジ ョ ンは、 男 女 の性 行 為
の最 中 に も生 ず る とい う認 識 が 、 そ の背 景 に あ る。
① の点 に つ いて いえ ば 、秘 密集 会 タ ン トラ聖 者 流 の修 行 は あ ま りに過 酷 で あ って 、 通 常 の生
命 力 で は とて も全 うで きな い 。 ゆ え に、 修 行 者 の生 命 力 を活 性 化 す る必 要 が生 ず るが 、 そ れ に
は女 性 との 性 行 為 を 導 入 した瑜 伽(ヨ ー ガ)が 欠 か せ な い か らだ とい う。
ま た、 ② の点 に 関 してっ け加 え れ ば、 「空 性 」 の ヴ ィ ジ ョ ンは本 当 は人 間 が死 ぬ と き に あ ら
わ れ る とい う認 識 が 前 提 に な って い る。 っ ま り、 男 女 の性 行 為 が孕 む で あ ろ う 「死 の先 取 り」
が、 性 行 為 に よ る 「空 性 」 の ヴ ィ ジ ョン体 験 を背 後 で支 え て い る こ とに な る。 しか も、 「空 性 」
の把 握 は た とえ よ うの な い 快楽 が 伴 う とい い、 「空 性 」 は同 時 に 「歓 喜 」 で もあ る と され る の
200
快 楽 と叡 智
で 、 こ こで は当 然 なが ら、 性 行 為 の 快 楽 が キ ー ワ ー ドに な っ て くる。
た だ し、 秘 密 集 会 タ ン トラ聖 者 流 の修 行 法 、 わ けて もそ の 中核 にお か れ る究 竟 次 第 の 第3段
階 以 降 の修 行 は、 ゲ ル ク派 の関 係 者 に よ る と、 極 め て 危 険 な もので あ る。 究 竟 次 第 の 第3段 階
以 降 とい え ば、 そ れ は性 瑜 伽 の実 践 に ほか な らな いが 、 そ こで行 われ る内 容 は、 聞 くと こ ろで
は、 極 端 な呼 吸 コ ン トロ ー ル を駆 使 して 、 心 停 止 な い しは心 停 止 に非 常 に近 い身 体 状 況 を創 出
す る こ とだ とい い、 歴 代 この負 担 に耐 え き れず 、 死 ぬ もの が相 次 い だ と も伝 承 され て い る。
す な わ ち、 秘 密 集 会 タ ン トラ聖 者 流 にお け る性 瑜 伽 は、 本 来 、 「楽 」 を標 榜 しな が ら、 そ の
実 は死 に 直面 す る こ とを も くろ む手 段 だ っ た ので あ る。 先 に指 摘 して お い た男 女 の 性 行 為 が 必
然 的 に孕 ん で い る とい う死 。 そ の死 を、 性 行 為 がか も しだ す快 楽 を極 限 まで 追 求 す る こ とを 通
して 、 わ が もの に しよ う とす る こ と。 そ れ が、 この 修行 法 の 本 質 だ った の だ。 ち なみ に、 性
行 為 の極 限 的 な快 楽 追 求 と極 端 な呼 吸 コ ン トロー ル に よ る心 停 止 状 態 の招 来 とは、 必 ず し も矛
盾 しな い。 い さ さか穏 当 を欠 く言 い 回 しか も知 れ な い が、 あ る種 の 向精 神 薬 が もた らす 心 身 の
あ りよ う は、 そ う した状 態 にか な り近 い可 能 性 が あ るゆ え だ。 しか も、4っ
の ヴ ィ ジ ョ ンを 出
現 させ る た め に は、身 体 的 な危 機 、 も っ と いえ ば、 死 亡 率 が相 当 に高 い身 体 状 況 を実 現 す る必
要 が あ る と い って い い。
快 楽 の 仏 教 的 解 釈
で は、 仏 教 は快 楽 を、 い っ た い ど の よ う に考 え て きた の だ ろ うか。 そ れ を少 し探 って み よ う。
仏 教 は、 ブ ッダ以 来 こ のか た、 出家 にあ た って 「五 種 不 男(こ
な男 性)」 と 「二形(に
し ゅふ な ん=五 種 類 の不 完 全
ぎ ょ う=半 陰 陽)」 の規 定 を設 け、 健 全 な 肉 体 を もっ男 性 で あ る こ とを
強 く要 請 した。 い い か え れ ば、 性 欲 を もっ 男 性 だ けが 出 家 で き るの で あ って、 性 的 不 能 者 や 同
性 愛 者 は、 初 め か ら排 除 さ れ て い た ので あ る。 また 、 出 家 は、 性 欲 が 最高 潮 に達 す る青 少 年 期
以 前 に な され るべ き で あ って、 性 欲 が衰 え てか らの 出家 に は二 義 的 な意 味 しか あ た え られ て い
な い。
極 く端 的 に表 現 す る な ら、 仏 教 は熾 烈 な性 欲 を、 修 行 に よ って 、 悟 りへ の原 動 力 に変 容 さ せ
る こ とを も くろ ん だ の で あ る。 或 い は、 性 欲 に代 表 され る 肉 の領 域 を、霊 の領 域 に変 容 さ せ る
こ とを は か った。 そ の 際、 密 教 以 前 の仏 教 は、 禁 欲 を掲 げ て い た の に対 し、 密 教 は性 欲 を、 場
合 に よ って は噴 出 さ せ る こ とに よ って最 高 の叡 智 を得 よ う と した が、 仏 教 の歴 史 全 体 か ら見 れ
ば 、 密教 のそ う した立 場 はや は り特 異 とい わ ざ る を え な い。
しか し、 こ こで 注 意 す べ き こ とが あ る。 そ れ は仏 教 は ブ ッ ダ以 来 、 快 楽 を 必 ず し も全 面 的 に
否 定 は して こな か った とい う点 で あ る。 む ろ ん、 世 俗 に お け る一 般 的 な快 楽 追 求 は、 執 着 の最
た る もの と して 、 完 全 に 否 定 され た 。 だ が 、修 行 に お け る或 る特 殊 な状 態 の快 楽 は、 そ の 限 り
で はな か った。
修 行 に お け る或 る特 殊 な 状 態 の 快 楽 とは 、 瞑想 が もた らす快 楽 で あ る。 こ の快楽 だ け は、 容
認 され る ど ころか 、 積 極 的 に求 め られ た。 も っ と も、 この志 向 は仏 教 独 自 と い う よ り も、 仏 教
以 前 に ま で遡 る イ ン ド精 神 界 の 動 向 に淵 源 が あ る。
201
古 代 イ ン ドの精 神 界 で は、 瞑想 は究 極 の状 態 を 実 現 す る ほ とん ど唯 一 の手 段 で あ っ た。 一 説
に は、或 る時 点 ま で は向精 神 薬 に よ る実 現 も許 され て いた もの の、 何 らか の理 由 に よ り、 それ
は堅 く禁 じ られ、 専 ら瞑想 に よ って究 極 の状 態 を求 め る方 向 に 向 か った とい う。
と もあ れ 、 この 重 要 極 ま り な い 瞑 想 に は、 っ こ う3っ の 属 性 が 設 定 さ れ て い た。 精 神 性
cit・存 在 性sat・ 快 楽 性anandaで
あ る。 この3っ を満 た さな い 以上 は、 瞑 想 は不 完 全 で あ り、
究 極 の状 態 な ど決 して実 現 しな い と信 じ られ て いた の で あ る。 簡 単 に い え ば、 心 地 よ い瞑 想 が 、
よい 瞑想 に ほか な らな い
これ ら3っ の属 性相 互 の 関係 は か な り微 妙 で 、突 き詰 め て考 え て み る と、3っ
の うち、 精 神
性 と存在 性 は、快 楽 性 に 内包 さ れ て しま うか も しれ な い。 い い か え れ ば、 快 楽 性 の実 在 が 、 精
神 性 と存 在 性 の実 在 を保 証 す る とい う構 造 を もっ わ けだ。 さ らに い え ば、 現 実 の修 行 の なか で
は、 精神 性 と存 在 性 は快 楽 性 の実 現 を通 じて のみ 、 そ の実 在 が確 か め られ る とい って い い。 や
や 余談 め い て恐 縮 だ が、 ブ ッ ダ最 愛 の弟 子 の名 が ア ー ナ ン ダ(阿 難)で
あ った と い う事 実 は、
以 上 の事 柄 に 照 らす と き、 あ ま りに 出来 す ぎ た逸話 で あ る。
大 乗仏 教 で は、 快 楽 の正 当性 は 「大 楽 」 と い う カ テ ゴ リー で論 じ られ る こ とが 多 い。 こ の論
理 は、 この世 に お け るあ り とあ らゆ る ものが 本 質 的 に清 浄 で あ って、 人 間 の諸 々 の行 為 もま た
本 来 清浄 な の だ とい う思 想 で あ る。 この思 想 は、最 古 の大 乗 仏 典 と され る 「般 若 経 」 に源 が あ
る とい わ れ 、7世 紀 頃 に成 立 した 「理 趣 経 」 で 、人 間 の煩 悩 は も とよ り、 性 行 為 す ら も菩 薩 の
一 境地 に ほ か な らな い と宣 言 さ れ た。
こ う した 考 え方 は、 ふ っ うは思 想 の 自立 的 運 動 の 結 果 とみ な され て きた が、 私 は そ うと も限
らな い と思 って い る。 お そ ら く、 まず 最 初 に修 行 の 体 験 が根 底 に あ り、 思 想 と して ま とめ られ
た の は後 の こ とで あ ろ う。 事 実 、 この種 の修 行 を積 ん だ 人 々 に き く と、 或 る種 の修 行 法 で は、
いや お うな く快 楽 が突 出 す る とい う。 よ く修 行 は苦 しい もの と され、 難 行 苦 行 の言 葉 もあ る く
ら いだ が、 実 際 は 或 る点 を越 え れ ば、 修 行 は苦 しみ を は るか に凌 ぐ快 楽 に変 容 す る。 そ の強 烈
さ は世俗 の快 楽 の比 で は な い。 修 行 者 が世 俗 を捨 て 、 修 行 に精 進 で き る本 当 の理 由 は、 実 は こ
こ らあ た りに あ る。
座 禅 しか り、念 仏 しか り。 ま して や密 教 の性 瑜 伽 は い う まで もな い。 も っ と も、 先 に指 摘 し
た よ うに、 密 教 修 行 が もた らす快 楽 は、 場 合 に よ って は、 死 と隣 り合 わ せ で は あ るが。 しか し、
死 と隣 り合 わ せ で あ るよ うな快 楽 ほ ど熾 烈 な快 楽 は、 こ の世 に また とな い と もい い う る。
女 性 パ ー トナ ー の 位 相
一 方、 修 行 者 の パ ー トナ ー を っ とめ る女 性 は、 ど の よ う な位 相 を 占め て い た の だ ろ うか。 概
して タ ン トラが説 くス テ レオ タイ プ は16歳 の処 女 で あ る。 だ が 、 同 時 に、 た とえ ば最 も性 に
まっ わ る表 現 を多 用 す る タ ン トラで あ る 「ヘ ー ヴ ァジ ュ ラ タ ン トラ」 は、 あ らゆ る年 齢 の女 性
た ちを、 全 く平 等 に愛 せ よ と主 張 す る。
さ らに、 そ の人 数 も様 々 な解 釈 が あ り、 必 ず し も一 定 しな い。 「秘 密 集 会 タ ン トラ」、 「ヘ ー
ヴ ァ ジ ュ ラ タ ン トラ」 や 「サ ン ヴ ァ ラ タ ン トラ」 は、 同 時 的 に複 数 の女 性 を愛 せ と規 定 す るが、
202
快 楽 と叡 智
実 際 に これ らの タ ン トラを典 拠 に性 瑜 伽 を 実 践 した密 教 行 者 の記 録 を読 む と、 大 概 は た った1
人 の女 性 しか相 手 に して い な い よ うで あ る。
ま た、 女 性 パ ー トナ ー は 「ヨー ギ ニ ー(瑜 伽 女)」 とか 「ダ ーキ ニ ー(荼 吉 尼)」 とか 呼 ばれ 、
少 しで も油 断 す る と、 男 を 喰 い殺 す よ うな 「猛 悪 な女 」 とさ れ て い るが 、 こ う した描 写 は ど う
や ら観 念 的 に作 り上 げ られ た形 成 が 濃 い。 た だ し、 イ ン ドに お い て密 教 行 者 のパ ー トナ ー をっ
とめ た女 性 の多 くは特 別 な 階級 に属 して い た こ とは確 か で、 一 説 に は母 か ら娘 へ と特 殊 な性 的
技 法 を伝 承 して い た娼 婦 だ った と もい う。
チ ベ ッ トに お け る性 瑜 伽 の場 合 は、 イ ン ドのか か る実 状 とは趣 を異 に し、 私 が 知 りえ た範 囲
で は、 少 な く と も偉 大 な密 教 行 者 に関 して は、 同 時 に複 数 の女 性 を相 手 に した と い う記 録 は見
当 た らな い。 彼 らの女 性 パ ー トナ ー は、 まず 間 違 い な くた った1人 にす ぎず 、 彼 女 と の長 期 に
わ た る性 瑜 伽 の実 践 に よ って悟 りを得 た と伝 え られ る。
そ れ ど ころ か 、 チ ベ ッ トな い しチ ベ ッ トに直 接 的 な影 響 を あ た え た と思 わ れ る密 教 行 者 の
パ ー トナ ー は、 む しろ女 性 の方 が主 導 権 を 握 って い た感 す らあ る。
2っ ほ ど、 例 を挙 げ よ う。 チ ベ ッ ト密 教 の代 表 的 な修 行 法 とさ れ る 「ナ ー ロ ー の六 法 」 を 開
発 した と い うイ ン ド人 の密 教 行 者 ナ ー ロ ー パ(1016∼1100)は16歳
の と き、 は るか 年 上 で
あ った可 能性 の高 い女 性 密 教 行 者 ニ グマ の指 導 の も とで性 瑜 伽 の実 践 に励 ん だ と い い、2人
の
関 係 はそ の後 、8年 間続 い た。 ニ グマ は 「ナ ー ロー の六 法 」 に近 い と伝 え られ る密 教 の 修 行 法
「ニ グ マ の六 法 」 を開 発 した と もいわ れ 、 密 教 の理 論 に 関 す る著 作 を したた め る ほ どの 抜 群 の
知 性 の持 ち主 で もあ った。
現在 で もチ ベ ッ ト密 教 に お け る重 要 な修 行 法 の1つ に数 え られ る 「チ ュ ー=自 分 の 肉 体 を 切
り刻 み、 悪魔 た ち に慈 悲 の心 を も って あ た え、 あ らゆ る執 着 を断 っ 瞑 想 法 」 を 創 始 し、 あ わ せ
て シチ ュ ー派 とい う密 教 の一 派 を開 い た マ チ ク ・ラプ ドゥ ンマ(1055∼1143)は
ら訪 れ た 密教 行者 タ ムパ ・サ ンゲ(?∼1117)の
、 イ ン ドか
パ ー トナ ー と して性 瑜 伽 を実 践 し、 彼 女 自身
も悟 りを 得 た と伝 え られ る。
別 説 で は、 タ ムパ ・サ ンゲ の 関与 は存 在 せ ず、 マ チ ク 自身 の圧 倒 的 な霊 的 力 が 無 名 の 男 性 行
者 との性 瑜 伽 に よ り開 発 され た と もい う。 い ず れ に せ よ、 女 性 が仏 教 の宗 派 の開 祖 にな った 実
例 は マチ ク以 外 に はな い。
お そ ら く仏 教 は、 女 性 が 悟 りを得 る こ とを も と も と考 え て い な か った。 これ は周 知 の 事 実 で
あ ろ う。 だ が、 性 瑜 伽 が 流 行 した8世 紀 か ら10世 紀 に か け て の時 期 に悟 りを得 た、 いわ ゆ る
「成 就 者 」 の伝 記 で あ る 「八 四成 就 者 伝 」 を ひ も と く と、 そ こに は5人 の悟 りを得 た 女 性 の 物
語 が っ づ られ て い る事 実 に気 付 く。 これ も、 性 瑜 伽 の実 践 で は、 女 性 パ ー トナ ー の力 が 大 き く
関 与 して い た こ と の明 証 で あ り、他 の仏 教 と性 瑜 伽 を 実 践 した密 教 との見 解 の相 違 に ちが い な
い。
快 楽 の ゆ
く え
「秘 密 集 会 タ ン トラ聖 者流 」 を最 高 の仏 教 を み な し、 そ の 整備 に生 涯 を捧 げ た ッ ォ ンカバ の
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性 瑜 伽 に対 す る見 解 を述 べ て お こ う。
一 言 で い え ば、 ツ ォ ンカバ は性 瑜 伽 の有効 性 は求 め な が ら も、 そ の実 践 は否 定 し、 瞑想 と し
て の み、 この修 行 を行 ず る こと を求 め た。 っ ま り、 究 竟 次 第 に お い て、 性 瑜 伽 の 実 践 が要 請 さ
れ て い る部 分 は、 修 行 者 の霊 的 な力 に よ って 、女 性 パ ー トナ ー を 出現 させ 、 彼 女 を 相手 に す べ
し と結 論 づ けた の で あ る。 こ うい う と、 そ うか、 想 像 力 に よ って女 性 パ ー トナ ーを 出 現 させ る
の か と解 釈 され が ち だ が、 チ ベ ッ ト密 教 の場 合 、 こ こで い わ れ て い る こ とは単 な る想 像 力 の カ
テ ゴ リー を 完全 に超 越 した霊 的 と しか 表 現 で きな い 力 に ほか な らな い。
この点 は常 識 的 な理 解 を超 え る 内容 な ので 、 これ以 上 は深 入 り しな いが 、 た とえ ば 曼 陀 羅 の
瞑 想 で も、 図 に描 か れ た曼 陀 羅 は、 あ くまで ほん の入 り口 にす ぎず、 た とえ想 像 力 を 駆 使 して
眼 前 の曼 陀 羅 の通 りに脳 裏 に復 元 した と して も、 そ れ はチ ベ ッ ト密 教 が求 め る曼 陀 羅 の瞑 想 で
は な い。 あ え て い うな ら、 想 像 力 が もた ら した曼 陀 羅 は、 そ れ が完 成 した時 点 で 、 一 旦 消 し去
られ る対 象 で あ り、 一 度 は空 無 と化 した修 行 者 の 前 に、 今度 は ま さに実 体 と して 顕 現 す る もの
な の で あ る。
女 性 パ ー トナ ー を顕 現 させ る場 合 も、 これ と同 じで 、 ッ ォ ンカバ が指 定 した修 行 を正 し く経
た者 が顕 現 させ た女 性 パ ー トナ ー は、 現 実 の女 性 よ り も遙 か に霊 的 な力 に富 み、 行 を成 就 させ
る とい う。 聞 くと ころ に よ る と、 現 実 の女 性 は、 か え って邪 魔 にな る と もい う。 も っ と も、 現
実 の女 性 パ ー トナ ー を排 除 して しま った結 果 、 女 性 が 悟 りを 得 る機 会 を奪 って しま った と もい
え るわ け で 、 事 実 、 ツ ォ ンカ バ以 降、 女 性 の偉 大 な密 教 者 は あ らわ れ な か った。
さて、 最 後 に確認 して お か な け れ ば な らな い点 が あ る。 それ は、 性瑜 伽 で は、 原 則 と して、
射 精 が伴 わ な い こ とで あ る。 この こ とは、 理 屈 の上 で は、 精 液 が 菩 提 心 に同定 さ れ るゆ え に ほ
か な らな い 。 した が って、 性 瑜 伽 に お い て、 た び た び強 調 され る絶 大 な 快楽 は、 通 常 の性 行 為
に お け る射 精 に よ る快楽 と はま った く異 な る こと に な る。
射精 を 伴 わ な い とい う こ と は、 快 楽 に終 わ りが な い こ と を意 味 す る。 っ ま り、 タ ン トラが繰
り返 し唱 え て や まな い絶 大 な快 楽 とは、 そ の瞬 間 の快 楽 の激 烈 さ も去 る こ とな が ら、 よ り重 要
な の はそ の 時 間 的 な 持続 に起 因 して い る と思 わ れ る の だ。
研 究 者 自身 の 個 人 的体 験 を ま じえ る こ とに は異 論 もあ ろ うが、 あ えて 語 らせ て い た だ けば 、
(性瑜 伽 で は な い)或
る種 の行 の な か で私 が 体 験 した快 楽 は2時 間 以 上 に も及 び、 しか も射精
の よ うな 局 所 的 に生 ず る快 楽 で はな か った。 ま さ に全 身 的 な快 楽 で あ って 、 い さ さか 語 弊 が あ
るか も しれ な いが 、 そ の快 楽 は男性 の そ れ で は な く、 女 性 が得 られ る で あ ろ う最 高 の快 楽 に比
す べ き もの で あ る と感 じ られ た 。
私 は この 点 に こ そ、 性瑜 伽 の最 大 の秘 密 が あ る と思 る。 要 す るに、 性 瑜 伽 は、 性 行 為 のか た
ち を採 用 す る もの の、 そ の 実 は性 行 為 で はな く、 あ くま で 瞑想 法 の極 な の だ。 だか ら、 単 に性
行 為 を 重 ね た と こ ろで 、悟 りは決 して 得 られ な い。 ま た、 女 性 の快 楽 こそ、 キ ー ワ ー ドで あ っ
て 、 女 性 パ ー トナ ーを 必 須 とす るゆ え ん も、 本 来 、 彼 女 た ち の快 楽 に あ った ら しい。 極 論 す る
な ら、 性 瑜 伽 とは、 修 行 者 が 男 性 を 超 え 、女 性 を導 き手 と しっ っ女 性 の快 楽 を わ が もの と し、
さ らにそ の 快 楽 を、 いわ ば 跳 躍 台 と して 、悟 りの世 界 へ飛 ぼ う とす る究 極 の瞑 想 法 で は な か っ
たか 。
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快 楽 と叡 智
参 考 文 献
参 考 に供 した文 献 は数 多 い が、 こ こで は単 行 本 と して 出版 さ れ、 且 っ 入 手 しや す い もの の み を あげ た。
立川武蔵 「
西 蔵 仏 教 宗 義 研 究 」 第1巻
トゥカ ン 『一 切 宗 義 』 サ キ ャ派 の 章
東 洋 文 庫1974
西 岡祖 秀 「
西 蔵 仏 教 宗 義 研 究 」 第2巻
トゥカ ン 『一 切 宗 義 』 シ チ ュ派 の 章
東 洋 文 庫1978
平松敏雄 「
西 蔵 仏 教 宗 義 研 究 」 第3巻
トゥカ ン 『一 切 宗 義 』 ニ ンマ 派 の 章
東 洋 文 庫1982
福 田 洋 一 ・石 濱 裕 美 子 「
西 蔵 仏 教 宗 義 研 究 」第4巻
ト ゥ カ ン 『一 切 宗 義 』 モ ンゴ ル の章
東 洋文庫
1986
立 川武 蔵 「
西 蔵 仏 教 宗 義 研 究 」 第5巻
トゥカ ン 『
一 切 宗 義 』 カ ギ ュ ー派 の 章
東 洋 文 庫1987
D.1.Snellgrove"TheHEVAJRATANTORA"OxfordUniversityPress1959
ッル テ ィ ム ・ケ サ ン(白 館 戒 雲)・ 北 村 太 道 「大 秘 密 四 タ ン トラ概 論 』 永 田文 昌堂1994
ッル テ ィ ム ・ケ サ ン(白 館 戒 雲)・ 正 木 晃 「密 教 の世 界 』 新 人 物 往 来 社1994
津 田真 一 『
反 密教 学 』
Gト
リ ブ ロ ・ポ ー ト1987
ゥッ チ(金 岡 秀 友 ・秋 山余 思訳)『 曼 陀羅 の 理論 と実 際』 金 花 舎1992
高 田仁 覚 『イ ン ド ・チ ベ ッ ト真 言 密 教 の研 究 』 高 野 山大 学 内 「密 教 学 術 振 興 会 」
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