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第31号
1 9 8 7 年 1 0 月 1 5 日発行 ・ ニ ュ ー ス チ ャ ペ ル い 第31号 ― 神戸古擦区僚原伯母野山町 1-2-1 郎 次 日 前 宗教 セ ン タ ー夏 の 報 告 今 年も 大 学 の名 物 キ ャン ブ であ る余 島 キ ャ ンプ が 七 月 二十 七 日の ! 二十 日内 ま 、 で 八 十 七 名 の学 生諸 君 が 。 参 加 し て行 わ れ ま し た 三 、 泊 四 日 の 日程 な の で 中 二 日間 は朝 か ら 夕 方 ま で十 分 にブ ログ ラ ムを消 化 でき る 、 の で そ の効 果 は大 き いで 。 す 今 年 は ヨ ットと ウ イ ンド 、 サ ー フ ィ ン に別 れ 指 導 者 の行 き 届 いた指 導 を た っぷ り受 け る こと が でき ま し た。 陸 上 の スポ ー ツは試 み る 機 会 が多 く あ り ま す が 海 上 スポ ー ツは機 会 が少 な い 、 ので 参加者 は貴 雷 な体験 をしたと 思 います。 生ま れ 、 、 てはじめ て艇 にふれた者も あり 帆を立 てる ことも ロープを張 る ことも、 そし てもち ろん乗 る ことも 初体 、 験 私も仰 で見 ていて参加者 の生き 生き した日 と行動 を忘 れる こと は できま せん。 、 海上 に吉も なく す べるよう に走 る ョ ットや ウ イ ン ドサ ーフ ィンは周囲 の風景も マッチし て、実 に美 し い も のです。 しかし、 そ の美 しさも 一つ間違 えば転 覆し 、 て 生命 とり にもなりか ねませ ん。 そ の開放感 と緊張 、 感 は や ってみなけれ ばわからな い貴重 な体験 です。 参加者 は時 の経 つのも忘 れ て訓練 にうち こみました。 、 今 年 はこれら に加 え て 姫路 YM CA総 三事 の篠 原 、 理弘氏 を迎 え て ﹁ 何 が 健康 か﹂と いう テー マのも と 、 に 健康 の日常化 に ついて考 えました。 また同時 に姫路 YM CA体育専任講 師 の内藤 一実 さ んを お招き し て エア 0ビ ク スを楽 しみまし た。彼女 は NHK主催 の全国 エア ロピ ク ス指導者 大会 に出 場 する チャプレン 1 9 8 7 年 1 0 月 1 5 日 発行 ー ・ チャベルエユ ス 松 蔭 女 子 学 院 大学 松蔭女子学院短期大学 本教 セ ンター や や や や → や → → 々 々 々 々 々 々 く ☆ xxxxxxxxXXX浄 、 ほど の ベテラ ンですか ら 上手 な のは当たり前 です が、 それと は対 照的 に学 生諸 君 の身 体 の硬さ には、 いやは 。 や将来 が不安 になりま した 多 分学 生諸君 は二十才前 後 の 一番身 体が柔軟 で健康 な時代 ではな いでし ょう か。 、 頭脳 の開発 も大切 ですが 首 から下 の開発も気を つ けな いと いけませ ん。今 は ﹁ 若 さ﹂ でも っているも の も 将来 は年中病 気を首 にぶらさげ て生活する よう に 、 な ば 大変 です。 れ そ の他夜 は先 生も学 生も 入り混じ ってワイ ワイ バー ティーです。 こ の先 生は こんな特技 をお持 ちかと、驚 くやら感激 する やら ⋮⋮査 べながら の立 ち話 、余 興と 交 わり はま すます楽 しく深 まるばかり でした。 聞く所 によると近く 写真展 も行 われ る そう ですから、ご覧下 さ い。 次 に九月 二十 五 日り ・二十 六 日口大学 の六甲 セミナ ー ハウ スで、 ターン ・サ ービ スの時聖脅朗 読 や、 オ ル 、 ガ ンの奉仕を し ている諸者 が集ま って これま た勉 強 と親睦 の 一泊 二日を過ご しまし た。 開会社拝 は六甲山 上 で いちば ん古く また格 式 のある六甲山 ホ テ ルのチ ャペルでいたしました。セミナーハウスにしても、自 分 の吐 く息 が聞 こえ るほど静 かな雰 囲 気 の中 で過ご しました。 、 皆 心 に自 然と余裕 をも つこと が できまし た。 これ は 、 4 無駄 基がえせば 私たちは毎日忙しい忙じ いと言 いながヽ 、 な時 を過ご し ■雪 な生命をす り へらし ているような 。 気がしまし た 中道 チ ャブ レンは礼拝 の理論と実際 を 。 お話 し下 さ いまし た 奉 仕者だけ が聞く のはも った い な いような気がしま した。 来年か らは現役 の奉 仕者 は 、 、 むろん のこと OBも自 主参加者も現れれ ば すばら し いことだと思 います。 いずれも心 に残 る素 晴 らし い課外講座 でした。 1 9 8 7 年1 0 月1 5 日発行 チ ャ ペ ル ・ニ ュ ー ス 31号 0第 政 道 F デ ンの東 ﹂ と いう タイ ト ルを 見 る と 思 い出 す の 、 は文 字 作 品 よ りも 映 画 で はな いでし ょう か。 あ の幻 の 、 名 優 と言 わ れ 著 った ジ ェー ム ス デ ィー ンが主 演 し 。 も 私 た 映 画 です 実 は音 映 阿 を 見 た だ け で スタ イ ン 家 と ト ラ スク家 の二 代 にわ た る 物 語 です が 、 物 語 の後半 にな ると ト ラ スク家 の物 語 を 中 。 心 に展 開 さ れ て行 き ま す ト ラ スク家 の物 語 む こう で ベ ーパ ー パ ック の原 作 を手 に入 れ 読 。 む こと が でき ま し た こ の作 品 は ハミ ルト ン ペ ック の原 作 を 読 んだ こと はな か っ 、 た の です が こ の 夏 ウ イ リ ア ム スミ スカ レ ッジ に一 行 った際 に 中 者 の アイ ド ルで あ 、 、 使 用 人 です が 不 思 議 な 教 碁 と 知 恵 を持 ち 作 者 ス タイ ンベ ック の代 弁 者 と も 言 わ れ る中 。 こ の作 品 は 国人 の リ ーな ど が登 場 人 物 です 創せ 記 四章 の有 名 な カ イ ンと ア ベ ルの物 語 を 。 頭 に お い て 書 か れ た作 品 です こ こ で創 世 記 四章 一節 か ら七 節 ま でを 引 用 し てお き ま し ょ つ。 。 ︿人 は そ の妻 エバを 知 った 彼 女 は みご も 、 、 り カ イ ンを 産 ん で言 った ﹁わ た し は主 に 、 。 よ って ひと り の人 を 得 た ﹂ 彼 女 はま た そ 。 の弟 ア ベ ルを 産 んだ ア ベ ルはキ を 飼 う 者 と 、 。 な り カ イ ンは上 を 耕 す者 と な った 日が た って、 カ イ ンは地 の産 物 を持 ってき て主 に供 。 え 物 と し た ア ベ ルも ま た そ の群 れ のう いご と 肥 え たも のと を 持 ってき た 。 主 は ア ベ ルと 。 そ の供 え物 と は顧 みら れ た し か し カ イ ンと 、 そ の供 え物 と は顧 みら れ な か った ので カ イ 、 ンは大 い に憶 って 顔 を 伏 せ た。 そ こ で主 は 。 ﹁ カ イ ン に言 わ れ た な ぜ あ な た は憶 る の で 、 。 す か な せ顔 を 伏 せ る の です か 正 し い こと 、 を し て いる の でし た ら 顔 を あげ た ら よ い で し ょう 。も し 正 し い事 を し て いな い の でし た 、 ら 罪 が 円 回 に待 ち 伏 せ て いま す 。 そ れ はあ 、 な た を嘉 い求 めま す が あ な た は それ を治 め 。 な け れ ば な り ま せ ん ﹀ こ の最 後 の ﹁あ な た はそ れ を お め な け れ は な 、 り ま せ ん。﹂と いう 語 を め ぐ って リ ーは新 し 。 ﹁ い解 釈 を 紹 介 し ま す あな た は 治 め な け れば な り ま せ ん﹂ と 訳 さ れ た ヘブ ライ語 は ﹁テ ィ ム シ ェ ル﹂ と いう 言 葉 です が 、 これ は 、 F E ヽ三o日 母 ︼ 一と普 英 語 で言 う と く? り 昭 では 二代 にわた って父 親 の愛情 を め ぐ って兄 。 弟 の間 の葛 藤 が描 か れ ま す 腹 ち が い の兄弟 アダ ムと チ ャー ルズ の愛 憎 こも ど も の関係 に アダ ムの子 供 で双 子 の兄弟 ア ロンと カ レブ 。 ︵キ ャ 〃 ︶の物 語 が続 き ま す 映 画 ﹁エデ ン の東 ﹂ は原作 の後 の部 分 を 取 り 上 げ た も ので 。 、 す そ れ に最初 は アダ ムの恋 人 であ り 後 に 、 弟 の キ ャ ルに接 近 す る アブ ラと いう 少 女 ア 、 、 ダ ムと キ ャ ルを 産 み な が ら 大 と 子 供 を 捨 て 「エデンの東 Jを読 んで 通訳 さ れ て いま す が く呂 3増 ど F 留q 〓 ﹁あな た はそ れ を 治 め得 る 。﹂とも 訳 せ ま す 。 こ の場 合 は ﹁罪 を 支 配 せ よ ﹂ と いう 絶 対 命 令 スタインペ ノク アダ ムを 射 って重 傷 を生 わ せ て家 を出 奔 し いま は売春 宿 の女 二 人 と な って いる 母 親 のケ イト ︵本 当 の名 は キ ャツ イ ︾それ に アダ ムの 聖書と文字 、 ﹁あな た は罪 を お め得 る 。﹂つまり ではな く 。 罪 に悩 み な が ら も 罪 を 治 め 得 る道 が あ る と 、 いう こと で 罪 と音 し ん で闘 いな から 何 と か 。 そ れ か ら救 わ れ る道 が あ る こと を 示 し ま す こ の作 品 の中 で力 の キ ャ ルは事 業 に失 敗 しタ く の財 産 を 失 った父 親 のた め に密 か に母 親 か ら 借 り た 金 で農 盲 物 の相 場 の思感 買 いを や っ 、 て大 鷺 け し て そ の金 を 父 親 に贈 ろう と し ま 。 す し か し そ の大 儲 け は戦 争 によ る値 上 が り であ る こと を 知 って いる父 親 は そ れを 拒 香 し 。 ます 傷 つけ ら れ た キ ャ ルは何 も 知 ら な い善 真な ア ロンを 母 親 の所 に連 れ て行 って会 わ せ 。 ま す 母 親 はと っく にな く な ったと 思 って い 、 た ア ロンは シ ョ ックを 受 け 軍 隊 に入 り戦 死 し てし ま いま す 。 キ ャ ルは リ ーの勧 め で死 に 近づ いて いる父 親 の アダ ムの枕 も と に行 き 真 、 相 を打 ち 開 け てざ んげ し 父 親 の赦 し を 乞 い 。 ま す いち ば ん最 後 に父 親 の アダ ムは ﹁テ ィ 。 ムシ ェ 〃! ﹂ と つぶ やき ま す それ が アダ ム 、 の最 後 の言 葉 であり こ の作 品 の終 わ り の言 。 葉 でも あ り ま す 、 作 者 は いわ ゆ る菩 人 より も 罪 を 犯 し な が 、 、 、 らも 罪 を 意識 し それ に悩 み 救 いを 求 め 。 て いる人 に央 感 を 寄 せ て いま す キ ャ ルこ そ こ の作 品 の二 人 公 な の です。 作 者 の創 世 記 に 。 つい て の解 釈 は正 し いか ど うか 分 か り ま せ ん し か し作 者 の人 間 観 、 罪 に個 み な が ら救 済 を 求 め る 二 人 公 の姿 は私 た ち にいろ いろ と 教 え 。 てく れ る と ころ が あ る よ う に思 いま す ﹁カ イ ンと アペ 〃﹂ の物 語 は兄弟 関 係 に代 表 さ れ る よう な人 間 関係 一般 が いか に困難 な 問 。 題 を合 ん で いる か を 示唆 し て いま す カ イ ン 、 の姿 は ス タイ ン ベ ツクだ け でな く 多 く の文 。 学作 品 にそ の影 を落 と し て いる のです 陽 光 と 肥沃 な 土 、 地 に意 ま れ 湊 流 、 と 鉱 泉 森 と高 原 の国 ﹁グ ルジ ア﹂ と は俗 に三世 紀 の キ リ スト教 の聖 人 ゲ オ ルギ ウ ス に由 来 す ると 言 わ れ て 、 いる が グ ルジ ア 人 自 身 は サ カ ルト ベ 0と自 称 し て い 、 西 部 黒海 沿 岸 の茶 ︿グ 〃ジ ア紅 て 知 ︶と 東部 カ ヘチ ア地 方 の ワイ ンは ソ連 邦 磁 一であ る。 約薩珈雑 確萌馳k抽 茅ぜ 籍欄 い辞的伊 ”卿娃 、 タ ング ・ゴ ルガ サ ル王 で クラ川 の険 し い 。 岸 に騎馬 の後 の申 が立 っている 伝説 によれ 、 世界 の四千種 の葡南 の中 ここでは五百種 の 、 、 自 生種 が あり ワイ ンの白 は ツィナ ンダ リ 、 赤 は ムクザ ニが最高 と評され るが 何れも そ 陽光 の トビリシを訪ねて修) 舶紅齢 賄 翻郭奪は離緩 卵難姫 神購頓 離嗽 時 イ 。 ︵暖か い ︶と いう町 の建 設を命 じたと いう この温泉 は現在も医療 にも使用 され ている。 トビ リ ンは当初 クラ川 に沿 って栄え、次第 に 。 山腹 へと進出 した 古 城 ナリカ ラ ︵古 い部処 、 は四世紀 他 は十六 ︱十 七世紀 の建 築 ︶の城 。 跡 は南東部 の山上 に空え ている トビリ ンは 城 の足下 に広 がる優雅 な旧市街 と現代都市 の 。 新市街 に分 れ る レー ス模様 のような木彫 り を施 した パ ルヨニー つき の家 屋 の立並 ぶ旧市 。 楽 器 の写真 を 撮 影 さ せ ても らう 気鳴 楽 器 の ド ゥド ゥキ、 ズ ルナ、 フイ ナ リ、 サ ラ ムリ。 、 、 弦 楽 様 の チ ョング リ バ ンド ゥリ カ マンチ 、 ャン 。 、 ァ、 ュ リ テ ニ チ す 打楽 愚 のド ー リ 、 クダ スト ビ リ尊 々何 れも 十 年 デ イプ リ ビ ト 別に逝芸さ れ ていた モ スクワのギ ピ ウ ス ・ 年一 エフゲ ニィ教授 へのお生 産用 の能楽 ﹁羽衣﹂ の録音 テープを興味が あると の民俗音楽 の先 生方 のた め に吉業院 に私 の翻 訳 ︵ソ連 邦諸民 。 族 の楽器 ﹀と共 に贈皇し た 勿論古代 から の 日本伝統音業 と 日本民謡 の録音 テープ は先 日 、 進三 し て いたが ジ ョルダ ー ニア教授 に ﹁ア イ ヌ民謡 は?﹂と言 われ て臓を突か れた。我 国 では日本 民謡 の レ コードの中 に通常 アイ ヌ 。 民舗 は入れ ていな い 二十世 紀末 の現在末 だ 。 存続 する こ の差別 に私 は深く恥じ入 った 中 管根首相 の失言問 題が報道 された のは帰国直 。 後 であ った 十 二日午前十 時教授 と前述 のグ ルジ ア正教 、 会 のシオ ニ本 山を訪 れ 高 名な神 学者 にし て 音業 家 の ツィ ンツ ァツゼ博 と の連 絡先を尋 ね 、 、 た後 教授 も初め てと の外務省を訪 れ 日本 、 から の手紙 を読 ん でもら い 夜 一人 で日 立グ 、 ルジ ア舞踊団 の歌と踊 り の コンサ ート に行き 民族楽器演奏 による優雅 な女性 の群舞と 勇士 な男性群舞 及び 民語 の数 々を使賞 する。特 に グ ーリ ア民謡 ︿西グ ルジ ア ︶のクリ マンチ , り ︵男声高音 のよ ったような歌 い方 ︶や近世 の都市 の音 楽な どを観光用な がら演奏 の実際 に触 れる こと が出来 た。 いよ いよ十 四日 の日 曜 日はカ タリ ,ス ︵総 主教 ︶御 司式 の公奉神 。 礼 ︵ミサ ︶に会符 する こと になる ︵つづく ﹀ 以上 前 に楽 器 の翻 訳 を し た時 か ら の馴 染 み で っ ヽ ” ら 曲 あ 降 印 航 喉 雑 確 能 除 か 議 げ 郵 雑 れ 確 雑 、 街 の小道 を歩 む時 真昼 の強 い日としも緑 の 、 木陰 に和 らげ られ 都会 の喧喋 と は別世 界 の 。 齢寂と雅趣 が析人 の心 の乾さを 癒し てくれ る 旧市街 の歓策 はま た多 く の建築 記念 物 に出会 う。 六 ︱七世紀建立 のシオ ニ本 山、六世紀 の 、 アンチ ス ハト教会 〓 一 七八年 ︱九 二年建立 、 のメテヒ教 全 夏 をお冷水 の滴り落ち る断崖 。 純舛 れル触 雄約癌朗 わ年 響 い彩 持劇陶晦 い締 新 ・旧市 街 は レー エン広 場 によ って指 はれ て 、 、 おり 広場を 見下 す ソ コラク台 地 緑 の コム ソモー ル並木道 の実 て に ︿母グ ルジ ア ﹀の銀 色 に揮く巨像 が右手 に剣を左手 に持 て成 し の 。 器を持 って立 っている 章 勇と歓待好き のグ ルジア人 0 ,榎嫁一 象徴し て いる このグ ルジ ア 、 のシ ムボ ルは 時折家並 の間か らも題 か に見 し 隠 者 レ 公 三 中 ム和加並 力中 ︵車﹄ ︶確 中味ネ﹃ ”や い姉 た って広 がる全市 の眺望 はたと えようもな く 、 広大 で美 しく 此処を発 つ夜臨 めた夜 景 のす ばらしさ は百万 ド ルと言 われ る香港 の夜景 よ り遥 か に勝 れ ていた。 九月十 一日目立 トピリ シ南等音楽院 で民族 トピリシ ワ フタング ・ ゴ′ tガサル王の記念像 子 淑 見 二 10月 15日 発行 1987年 ・ ニ ュ ー ス チ ャ ベ ル 31号 0第 10月 15日 発行 1987年 ・ ニ ュ ー ス チ ャ ペ ル “) 第 3 1 ■ こ の夏 、 本 バ 滞井 哀米 文学科 私 は ア メリ カ で の語 学 研修 に参 加 。 ア メ リ カ には五 週 間 滞 す る機 会 を得 ま し た ■ し て ウ ィリ ア ム スミ ス ・カ レ ッジ で 四 、 週間 英 語 を学 び そ の後 の 一週 間 が観 光 と い 、 。 う スケ ジ ュー ルでし た 大 き な 荷 物 を手 にし 様 々な 思 いを 秘 め な が ら 私 達 一行 は七 月 二 。 十 七 日 に大 阪 空 港 を出 発 し ま し た と い った よう な も のが あ り 、 アイ デ ィ アの自 富 さ と 発 想 の ユ ニークさ に感 心 し てし ま いま 、 した 。 最 初 の頃 は緊 張 のた め に 多 少 ぎ こち 、 な さ が感 じ ら れ ま し た が 日数 を 重 ね て いく 、 うち に授 業 にも慣 れ アメ リ カ人 の先 生 にも 。 打 解 け る こと が でき ま し た そう な る と 全 、 体 の雰 囲 気 も よ く な り 積 極 的 に実 語 を話 す 、 よう にも な り あ ち こち で先 生 を囲 ん で譲 笑 。 す る光 景 が 見 ら れ ま し た 午 後 の授 業 が 終 わ ると自 由 時 間 にな る の で す が そ ついう 時 はだ いた い スーパ ー マーケ ツトかダ ウ ンタ ウ ン に出 か け ま し た 。 し か し 、 ジ ェネ 本 には電 車 ど ころか 六 スさ え 通 って い 、 なか った の で 交 通手 段 と し て は自 動 車 か自 。 し 何 ろ ア メリ でも 熱 心 に指 導 し て下 さ った メ ア リ ー先 生 ホ ー ム ス テイ の時 にお世 話 にな った先 生 の家 、 ﹁フジ ヤ マ﹂ ﹁ゲ イ ッ 十﹂ ﹁一ホ ﹂ 欣の方 々 ンジ ン、 ト モダ チ﹂ と片 古 の 日本 拓 で話 し て 、 く れ た イ タ リ ア人 の中 年 のおじ さ ん ポ ーカ ー フ ェイ ス で単 語 の発 音 を 正 し てく れ た食 堂 。 の少 年 紹介 す ると き り が あ りま せ ん が 、 ど の人 も み んな 明 る く て 本 ︼ に規 切 な人 た 。 ち でし た ァメ リ カと いう未 知 の国 で の生活 、 に対 し て の不安 感 が あり ま し た が ジ ェネ バ 、 の人 々 のや さ し さ に触 れ る たび に 人 の心 の 、 暖 か さ を 知 り ま た 勇 気 つけ ら れ る思 いが し 、 。 ま し た 吾≡ だ け では なく 精 神 的 な面 でも 。 勉 と にな った 五 週 間 だ った と 思 いま す 、 こう し て 驚 いた り感 動 し た り ま た自 分 白 身 の中 に新 し い発 見 を し た り し な が ら i 。 十 一方 の夏 が 過 ぎ て ゆき まし た 分 の足 に頼 る 他 は あ り ま せ ん 、 カは広 いの で 何 処 へ行 く にし ても自 動 車 が 。 です な いと非 常 に不 便 でしか た あ り ま せ ん 大 阪 1 サ ン フラ ン シ ス コー シカゴ ← シ ラ キ ュー スと 機 内 食 に閉 回し な が ら 、 飛 行機 を 乗 、 り換 え る こと 二回 。 そ し て ジ ェネ バま で は 。 バ スで 二時 間 く ら いか か り ま し た 私 達 が 過 、 ご し た ジ ェネ バ の町 は 豊 か な 自 然 に恵 ま れ 。 フ ィン ー レイ ク ガ ス た静 か で美 し い所 です ツが行 わ れ る 予 定 です な お午 後 口時 二十 分 よう字 内 向 の リサ イ タ 。 十 一月 四 H四 年 後 七時 ︿ 一般 向 ︶ 側奏 帥 と フ ーガ ハ短 調 ・バど ロン 曲 口 一 ト ン ・ コ ー プ マ ン オ ル ガ ン リ サ イ タ ル チ ャ ベ ル ・コ ン サ ー ト と呼 ば れ る湖 が あ り 大 学 は そ の中 の 一つの 。 セネ カ湖 のほと り に面 し て建 って いま す 広 、 大 な 芝 生 の キ ャ ン木 スが広 が り そ こ には ヨ 1 ッ し てお り 、 ま る で風 0 の か 在 パ 風 建 物 点 。 ま た 古 木 が た く 景画 を 見 て いる よ う です 、 の川 のほ と り に て他 々な人 と出 会 う こと が でき ま し た え って ァ メリ カ的 に見 え てしま う のか も し れ 。 ませ ん 、 私 は今 回 ア メ リカ に滞 在 し て いる間 に 様 。 授業 以外 。 些細 な こと は あ ま り 気 にし な いよう です 実 、 。 にお おら かだ と 思 いま す だ か ら 壊 れ か け 、 た自 動 車 がた って いても 不白 然 で はな く か か ら ジ ェネ パ の町 でも 自 動 車 は沢 山走 って い 、 。 ま す でも よく 見 てみ る と 日本 では 考 え ら 。 れ な いよ う なも のま であ り ま す ナ ンパ ーブ レート が外 れ か か って いたり 、 ド アか へこん 、 で いた り ま た は鈴 び て ポ ロボ ロにな って い 。 る よう な自 動 車 でも 平 気 で運転 し て いま す ァメ リ カ人 は本 当 に物 事 に拘 ら な いと いう か さん あり 、 す ぐ そ は で リ スや小 鳥 の姿 を 見 る 。 こと が でき た の には薦 さ ま し た 大学 で の授 業 は 三 ク ラ スに分 け て行 わ れ 年前 中 は英 会 話 が中 心 にな り ︵後 半 にな って か ら は講 義 が加 わ り ま し た ︶ 午 後 か ら は オ ーデ ィオ ・ビジ ュア ルの方 法 を 取 り 入 れ た 授 。 業 でし た 一つ 一つの授 業 が と ても よ く 工 大 、 、 され て い て た と え は 道 で会 った人 にイ ン 、 タビ ューす る と か コ マー シ ャ ルや劇 の製 作 ュー ハング シャー大学 高 層 千毒 子 語 学 研 修 に参 加 し て 隅鞣執□ 、 ゆ五時間遅 れ て大阪 国 己 十︵ 七月 二十六日 一 。 際空港 を出発 初め ての海外 と いう ことも あ リドキド キし ていま した。 サ ンフラ ンシス コ 、 。 で飛行機を乗り換 え ボ スト ン ヘ ポ スト ン 。 には夜十 一時頃 に到着 バ スで ニ ュー ハンプ 。 シ ャー大学 に着 いた のは真夜中 でした 寮 の 、 名前 はデ ィ末イ ンホ ー ルと言 い 真夜中 と い 、 う の に 何人か の先 生方 が暖か く迎 え て下 さ 。 り、 不安 も ふ っと ん でしま ったよう でし た 、 、 早速 次の日にヒアリング の テ ストがあり 私 葦 は六 つのクラ スに分 かれ て授業を受 ける事 、 、 になりま した。各 ク ラ スは人 九人 と 少人 、 数 でした ので 授業中 は ≡時も 気を抜 けませ 、 。 ん 私 のクラ ス担 任 ︵のような ︶先 生は ス ーザ ンと いう女 の先 生 で、毎 日ど っさり宿題 、 を出され て少 ししんどか った のです が おか 、 げ で英 語を読 み 督 くと いう作業 が以前 ほど 。 大変 でな いよう にな ったと 思 います 彼 女 は 、 大変 心 のやさし い人 で 私連 が たどたどし い 、 英語 で話しかけ る のを心よく聞 いて下 さり 。 又それをと ても喜 ん でくれま した さ て授業 、 、 ですが 一時間め は各自 担任 の先 生 の捜業 で私 達 の場合 は 一冊 のテキ スト に添 って爵文 。 をき き あげま した 為文 と い っても そんな大 、 、 層なも のではな いのです が 私 の題 は ﹁子 、 育 ては女性 の役割 か﹂と いうも ので 各自 が 自分 の題材 に ついていろんな人 にイ ンタピ ュ ーをし たり、と ても楽 し いも のでした。授業 、 は 一日 に四限 あり 私 の場合 二限目 はド ラ 、 、 マの クラ ス 三限目 はビデオ 四限目 は発音 、 のクラ スでそれぞれ にと ても楽 しか ったし 、 特 に発音 のク ラ スは日本 に帰 ってからも 先 生 ζ言われた事 はと ても役 に立 っていると思 。 、 います 又 四週間 の ニ ュー ハンプ シ ャー滞 、 在 の間 に ポ スト ンやカ ナダ ヘの小旅行も あ り、息抜き にもなりました。最後 の 一週間 は 、 、 、 ニ ュー ョー ク ワ シ ント ン ロス サ ン フラ 、 ンシ ス コ ヘと 広 い広 い ア メリ カを 思 い切 り 、 。 満 嘆 しま し た 私 にと って 四週 間 美 し い ニ ュー ハンプ シ ャー の街 で勉 強 し た事 は 生涯 の 。 思 い出 にな る と 思 いま す 思 い出 の余 島 キ ャ 膨刊 短大英文学科 二年 。 三泊 四日 の余島 キ ャンプ ≡年 に混じ って 、 私達 二年 が行 く のは 最初 あまり乗 り気 でな 、 、 か った私 も 余島 に着 いた頃 には い つの間 にか わく わくと 心が底 って いる自 分 に気が付 、 いた。 さんさんとき らめく太陽 ヨバ ルトブ 、 ルーの海。 このような自 然 に恵ま れた余島 は 、 、 本当 に離 れ島 で 食料 はもち ろん のこと 水 ま でも小 豆島 か ら運 ん で いると いう ことを聞 、 き 自 然 の中 で暮 らす こと の大変 さを思 い知 らされ た。 、 初 日 の夜 は キ ャンブ フ ァイヤ ーをし て楽 原 10月 15日 発行 1987年 チ ャペ ル ・ニ ュ ー ス (助 第 31号 、 し いひととき を通ご した。夜 の海 は 昼間と はう ってかわ って物静 か で何とも言えな い趣 、 。 きがあ った 私連 は そんな海を目 の前 にし てみんな で輪 を つく り歌を歌 ったリダ ームを したりし て幼 い子供 にも ど ったような 気がし 、 。 た また 皆 段 ではほと んど見る こと のでき 。 な い先 生方 の素顔 も 見る こと が でき た 学校 、 では あまり やわらぐ こと のな い先 生方 の顔 、 であるが そ の時 だけ はこの上も なく にこや 、 か で 私達学 生と 一体 にな って楽 しん でいる 。 よう に思 われた 、 。 次 の日 私 は ヨ ントをした それ は私 が想 。 像した以上 に厳 しか った 私 は自然 を あまり 。 にも軽 く見すぎ ていた 自 然 の中 で何か をす 、 ると いう こと は あら ゆる危険を はらん で い 、 。 た まず ヨ ットを運び出 し組 み立 てる こと 。 から始 ま った 私 は組 み立 ても思うよう に出 、 来ず自分 の頼 りなさを思 い知らされ て これ 。 、 では いけな い と思 った 大学 にお いても 、 自分からす すん で 一生懸命何 か に取 りくむ 。 と いう姿勢 に欠け て いるよう に思 った い つ 、 も自分自身 に甘 く 途 中 で挫折 す る ことも し 。 ばしばあ った こんな私 にと って広 い海 の上 、 で しかも 一人 で ヨ ット に乗 る こと は最初と 。 ても苦痛 だ った しかし午後か ら はだ いぶん 。 慣れ てなんとか浮きながら前進 し ていた ヨ ットと いう のは、本当 に風だけを利用 し て進 、 む ので 思 ったより頭 を使 う スポ ー ンであ る 、 と思 った。時 おり強 く風が吹 いたかと思うと 今度 は全く風 が吹 かなか ったりし ていろんな 、 。 点 で音労 した も う絶対 に沈むま い と頭 の 1 9 8 7 年 1 0 月 1 5 日発行 チ ャ ペ ル ニ ュ ー ス 31号 0第 。 中 は そ の こと で い っぱ いだ った 練 習 は朝 九 。 時頃 か ら 年 後 四時 ご ろ ま で続 いた 本 当 に無 、 、 事 に終 わ ってよか った と 同 時 に疲 れ た の 、 。 一言 だ った そ の晩 私 は横 にな ってか ら も まだ ヨ ット の上 で ゆら ゆらと 揺 れ て いる よ う 。 な感 じ が残 って いた も う 二度 と し た く な い 、 今 で は それ も 良 い思 い と そ の時 は思 った が 出 と な り あ の苦 痛 も 忘 れ て再び ヨ ントを し た 、 くな る時 が あ る ほ ど だ 。 これ も 何 も 知 らな い私 達 に 一生懸 命 教 え て下 さ った 先 生方 のお 。 かげ であ る と感 謝 し て いま す こ の キ ャ ンプ では本 当 に いろ ん な経 験 を す 。こ のす ば ら し い経 験 を る こと が でき ま し た これ か ら あと 残 り 少 な い大学 生活 を有 意義 に 。 過ご す ため の糧 にし た いと 思 って いま す ニ ュー ス フ ラ ッ シ ュ なぎ な た部 ◎ 窮 コロ 兵 庫 県 な き な た 大会 7月 西日0 於 姫路 スポ ー ツ会館 団体 3位 松蔭 A 個人 ベスト 8 中 山切子 ・白 井仁 美 峡式 テ ニス部 ◎西 日本 学生は式雇球選手格 大会 7 63 ︲ 18 1日ロ 月 月 2 0 静岡 県草 薙座球場他 於一 団体 準優惨 松蔭 ダブ ルス 津村 ・山 口組 シング ″ス ベスト 8 藤 田純 子 ・細 山正江 ◎ 第 2回 全 国私 立 短 大 体 市 大 会 9 目 ! 8月 1日 7月 2 的 ω 於 学 習 院 女 子 短 大 他 団 体優 勝 松 蔭 ︵青 山 ・岡 尾 野 ・山本 吉 田 ・尾崎 ︶ 個 人 ベ スト 8 〓口日 ・尾 崎 組 ◎ 全 日本 学 生 枚 式虐 球 選手 権 大 会 1日 8 4 日四 ! 1 月 四 於! 兵 膚 県神 鍋 ロー ンテ ニス コート他 団 体 ベ スト 8 松 蔭 シ ング ルス 優 勝 中 川 由佳 里 2位 青 山 道 子 卓 球 部 ◎ 関 西学 生卓 球 秋 手 リ ー ク破 。 於 一 京都 府 立 体 育 館 他 5日 ! 9月 5 日 8月 2 四 ω O松 蔭 41 2帝 塚 山大 O松 蔭 4 1 0成 隆 女 子 短 大 松 蔭 0 1 4京 都 産業 大 O 松 蔭 01 4天 母大 O 松 蔭 01 4近 大 O こ の結 果 松 蔭 は 4位 と な った 公 式 テ ニス部 ◎ 関 西 テ ニス選 手 権 3日 8月 7 1日仰 ! 2 0 於 大 阪 う つぼ コー ト 松 蔭 の広 田 選 手 は準 々決 憐 て国 田女 子 大 の 水F 選 手 を 破 り 準 決 勝 に進 出 し た が固 田 の細 。 木 選 手 に敗 れ ペ スト 4と な った ◎ 関 西学 生 選 手 権 4日 ! 9日 3月 2 側 2 的 於 吾 里 グ リ ー ン テ ニスク ラブ 、 松 蔭 の広 田 選手 は決 勝 ま で進 んだ が 再び 。 園 国 の細 木 選手 に敗 れ 2位 と な った ま た稲 葉 選 手 は準 決 勝 で広 田 選手 と松 蔭 同 志 の対 戦 、 。 と な り敗 れ た が ベ スト 4と な った ダ ブ ル 、 スで は鈴 木 ・広 田細 は準決 勝 ま で進 んだ が 武庫 川 女 子 大 の佐 藤 ・谷 組 に フ ルセ ット の末 。 敗 れ ベ スト 4と な った チ ャ ベ ル で結 婚 おめ で と う ︱ 9日 ◎ 7月 1 0 中右実千代 姉 ︵大学 国文学科 伽年苺 ︶と松 岡司兄 0月 1 0日 ◎1 ω 井 上格子姉 ︿大学英米文学科 ︲ 6年卒 ︶と水 野淳 兄 0月 H日 ◎1 向 伊藤典子姉 ︵大学 英米 文学科 ︲ 6年卒 ︶と安 口滋兄 それぞれ チ ■ベ ル結婚されまし た。 おめ で と うご ざ いま す 。 ◎関西学生牧式鹿球 秋期 リーク戦 0 1月 7日仰 ? 8日内 於 明 石公 園 コート 、 、 松蔭 は大体大 樟蔭 女大 市 塚 山短大 にそ 、 れぞれ 21 1で勝 ったが 天 理大 と関外大 に 11 2で敗 れ 3勝 2敗 で 2位 とな った。