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日本記者クラブ会報」

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日本記者クラブ会報」
日本 記 者 クラ ブ 会 報
資 格 委 で再 度 申 し 合 わ せ
こ の と こ ろ.
、個人 D会 員 と 法 氏
会 資 格 を 厳 格 に 審 査 し て お り、 L
一〇 〇 八
会口
貝 二 人 の惟 薦 に よ り 資 格 委 員 会
会 員 の 入 会 に 当 た って は 、 基 本
あ り ま せ ん。
ウ ンジ 、 レスト ラ ンは広 げ よ うが
利 川 で き る よう にな りま す が、ラ
来 年 四 月 か らはト 階 ホ ー ルが卑川
ず つ増 え て いる 勘 定 に な り ま す .
厳 重 に 審 査 し ても 年 間 約
在 で ..、 ヒ 灯 一,
八 と 、 入 会 資 格を
二 、 .、
丘 八人. それ が 今 年 じ月現
ク ラ ブ の会 員 数 は 八 六 年 当 貯
合 わ せ ま し た。
会 員 数 急 増 を抑 制す る こ ヒを 申 し
﹂ と 述 べ、
月 卜 Lし日 に 開 か れ た 会 員 資 格 委 員
日IF氏7〕 じ'5棘ll.1ノて使
墾几F務髄 却
ll」
「口 のII乍
﹁従 来 方 針 を 堅 持 す る
賛 助 会 員 の入会 申し 込 み が増 え て
ブ と し て は 八 六 年 以 来 、 Aム員 の ・
へ
会 で も 松 ド宗之委 員 長 が改 めて
第258号
お りま す が、施 設 の状 況 か ら クラ
迎 え て 貼 食 会 〔7121
(qlr廻)を
発行
.一
一
二
ラ ブ
厨 M
東 京 都 ﹁ 代 田 .
区 内 幸 町 ﹁./ ..ノ
記 者 ク
- ..ヒ ....代
日 本
日 乍 フ レ ス セ ン タ ー ビ ル
.
顧 社 団 法 入
i
の渡 辺 恒 雄 委 員 長 が
﹁委 鼓 会 レ一
し
て は推薦 者 に でき る だけ責 任 を 持
って いた だ き 、 た いし て.
面識 の な
い入 ま で 頼 ま れ た か ら 推 薦 す る と
いし た い﹂ と い って お り ま す が 、
電 話 . ー
で 審 査 す る わ け で す が 、 厳 L い入
ぜ ひお願 い いた し ます。 ま た 、 こ
い う よ う な こ と の な い よ う に お 頼、
会 審 査 が あ る こ と を ご 存 じ な い基
うし た点 も 孝 慮 し 理事 と資 格 委 員
さ て 、 七 月 の ク ラ ブ 行 事 は .H
本 会 員 も お ら れ る よ う で、 辱 に よ
査 条 件 を 少し ご説 明 いたし ます 、
の ジ ェ フ リ ー ・ア ー チ ャ、1 氏 亭﹂囲
の皆 さ ん に は 推 薦 を 遠 慮 いた だ い
ま ず 、 法 入 賛 助 会 員 に つ いて は
む 会 を 皮 切 り に 、 =.目 ・プ ロ イ エ
る ヒ 首 を ひ ね る 推 薦 が L が って き
当 時 か ら原 則 と し て受 け付 けを 停
ル 独 信 託 公 祉 購鴨裁 、 .
八ロ
て い・
9 こ ンアU曾}.
侭知.
卜 曳﹂い 。
止 、 新 入 会 は ⋮礼 も 認 め ら れ て お
郎 プ ロ野 球 コ ミ ッシ 2ナ ー 、 ト 一
H 閥ブ ラ ギ ン スキ ー横 浜 ﹂
巾 朔 L八助
卜 L 日 ・ボ ボ ブ ・モ ス ク ワ 市 .長 と
て も 細 か な 内 現 が あ り 、 そ の要 点
一、 会 員 経 験 が あ り 、 法 入 会 鼓
昼 食 会 、 会 兄 、 囲 む 会 、 研 究 Aムな
教 授 、 卜 ..日 ・ 呉 駐 日 韓 国 大 使 .
社 に 二 十 年 以 土 勤 務 し 、 か つ、 最
ど 六 件 、 二 卜 ..日 に は ア ンジ ェイ ・
﹁コ ル チ ャ ッ ク
先 生 ﹂ の 試 写・
会 も 行わ れま した 。
ワイ ダ 監 督 の映 画
員 社 に +年以 ヒ 勤 務 し 、 退職 後、
特 に 、 呉 大 使 の 昼.
食 会 で は 目本
基 本 的 には こ の 二 点 を 備 え た 人
ず 、す べて 口本 語 で通 し てく れ ま
チ か ら質 疑 応 答 ま で通 訳 を いれ
語 に堪能 な 大 使 が 、冒 頭 の ス ビー
だ け が 入会 を 認 め ら れ ま す が 、 疑
白 木東 洋 )
した,
(
事 務 局長
問 があ れ ば、 推薦 さ れ る前 に事 務
道 ・評 論 活 動 を し て いる 人 。
主 と し て 法 人 会 員 社 を 通 じ て報
二 、 ムム員 経 験 は な い が 、 法 人 会
近 κ年 以内 に退 職 し た 人 .
は 次 の 通 り です 。
レ目國コ
り ま せ ん. ま た個 人 D会 員 に つ い
ま す 。 し た が って 、 現 在 の入 会 審
明10日
局 に お 問 い合 わ せ く だ さ い。 当 時
〔lI
会 員 数 抑 制 方針 を 堅 持
第258号
1991年8月10日
1991年
:冒ド戊3年}
遙 か な り 三 里 塚
り 、宇 宙熱 に 浮 か さ
宇 宙 旅 行協会 を つく
原 田三夫 氏 ら と 日 本
り か、科 学解 説家 の
望 遠 鏡を のぞく ば か
閣 の官 房 長 官 を 務 め た こ と が ご
る ﹂大 物 政 治 家 だ った 。 吉 田 内
い)落 な 人 柄 は 、 ﹁共 に 語 る に 足
知 り A口い だ った が、 豪 放 石価(
ら
り、 国 会 を 回 り 始 め た 頃 か ら の
和 三 十 八 年 東 京 支 社 に転 勤 と な
自 慢 の 一つ で あ った が 、 昭 和 五
れ て いた 。
そ んな こと があ っ
十 二年 、 福 田 内 閣 の運 輸 大 臣 と
こう し て 、 偶 然 にも 私 を 取 り
て 戸村 さ んは 、 私 か
が楽 し み だ った と か。 私 も 彼 か
巻 く 友 八 の 一入 が空 港 を 造 る 大
雄
ら 芸 術 の 話 を 聞 く のが 勉 強 の 一
臣 、 も う 一人 の旧 友 が 反 対 派 の
秀
り 、 ま た ク リ ス チ ャ ンで も あ る 、
つでも あ った 。 そ れ に私 は 、 三
最 高 責 任 者 と な った わ け だ 。
屋
毎 年 、 お 盆 が や って く る 度 に
い わ ゆ る 地 方 き って の 文 化 人 で
里 塚 に 近 い 松 尾 町 の出 身 で あ る
土
既 に 鬼 籍 に 入 った 友 入 た ち を 出心
あ った 。 当 然 な が ら 、 以 前 か ら
こ と か ら 、 同 じ 方 ゴ∩の "ぺ =
.
.
口葉 "
新東 京 国 際 空 港 が成田 市 三 里 塚
し て入 閣 し た 。
い出 す 。 ま さ に 走 馬 灯 のよ う に
千 葉 日 報 の 文 化 欄 に は、 度 々 登
で 話 し 合 う 時 、 格 別 の親 し み を
ら 宇 宙 の話を 聞 く の
遠 く 過 ぎ 去 った 日 の こ と が 、 昨
場 し て いた 関 係 も あ って 、 ﹁平 和
を中 心と し た 地域 に決 定 し た 。
成 田 空 港 反 対 同 盟 の 戸 村 一作 委
一月 二 H に 七 卜 歳 で 亡 く な った
そ の 一八 が 、 昭 和 丘 十 四 年 卜
地 方 裁 判 所 へ来 る 度 に 、 日 報 社
法 廷 に 立 つ よ う に な った 。 千 葉
に な って か ら 、 裁 判 に か け ら れ
そ の後 、 反 対 同 盟 の リ ー ダ ー
少し の時 間 でも 現実 か ら逃 れ よ
そらく 苛 酷 な 闘争 生活 の中 で 、
層 好ん で宇 宙 談義 を求 めた 。 お
対闘争 に の め り 込 んで から 、
一
いま 考 え る と 戸 村 さ ん は 、 反
こ の ボ タ ン の か け 違 い が いま
満 が爆 発 し た も のだ った 。
民 を 無 視 し た 一方 的 な 決 定 に 不
対 運 動 の 火 の 手 が あ が った . 農
す る と、 地 元農 民から 猛 然 と 反
昭 和 四 卜 一年 七 月 の 閣 議 で 、
日 のよ う に 思 え て な ら な い。
な 三 里 塚 ﹂時 代 か ら の 旧 友 の 間 柄
感 じ て いた 。
員 長 。 も う 一人 は 、 昭 和 六 卜 三
へ立 ち 寄 り 話 し 込 ん で いく の が
く以後 反 対 闘 争 は、 過激 派 も 巻
年 五 月末 日に ヒ 十 七 歳 で亡く な
地球外 生 物 や 膨 張す る宇 宙 、 そ
き 込 み エス カ レー トす る ば か り 。
だ に 尾 を 引 い て いる が 、 と も か
と こ ろ で 、 私 と の 話 .題 の 多 く
れ も 時 間 も 空 間 も スケ ー ル が ケ
うとし て いた のかも しれ な い。
﹁宇 宙 ﹂ の 話 。 か つ て 私 は 遊
一方 、 政 府 、 公 団 側 も 機 動 隊 の
常 だ った 。
は
タ違 いに大 き な 話、 時 のた つの
導 入 によ り、 これ に対 抗 。 三 里
めた福 永 健 司 さ ん である。
軍 記者 時 代 に 科 学 担 当 を や ら さ
も忘 れ て 話 し 込 んだ。
戸 村 さ ん は 、 現 在 でも な お 続
い て いる 成 田 闘 争 の カ リ ス マ的
れ 、 東 大 生 研 の糸 川 ロケ ッ ト の
塚 周辺 は 、 怒 号と火 炎 ビ ンと催
リ ーダ ーと し て知 ら れ た人。 彼
一方 、 福 永 さ ん と は 、 私 が 昭
取 材 か ら 始 ま り 、 い つの 間 に か
った 第 六 十 三 代 衆 議 院 議 長 を 務
戸 村 一作 氏 と 福 永 健 司 氏
だ った 。
と、
って お 毒の 話1
は彫 刻家 でも あ り、 画家 でも あ
(2)
第258号
1991年8月10日
第258号
1991年8月10日
ら 始 ま った F 葉 港 ・
二鹿 島 港 か ら
1
,.
一.
年 の .
.一
11 を 迎 え る 、
、 一,H か
そ れ が ト 年 -目頃ヒ 佛硯き 、 昭 和 .r
比
`
な って い っ た U
涙 ガ ス弾 が 飛 び 交 う 異 常 嚇 態 と
ら 空 港 に 乱 入 、 管 制 塔 を 一時 占
過激 辰 t.
卜水 マ ン ホ ー ルな ど か
を 目 前 に 控 え た 同 月 ..卜 六 目 、
な 準 備 に 入 った 、 し か し 、 開 港
と の ノータ ムを 出 し て、最終 的
除 く )全 便 を 成 田 の 新 空 港 に 移 す
て 、 羽 田 の 国 際 線 (中 華 航 空 を
昭和 .
配 L .一
年 .二旦 .一
卜 日を期 し
て は 、 .長 い 記 持 生.
活 の中 で の 初
ヒ ころ が そ の あ ヒ 、 私 に と っ
再 会 を 約 し て 帰 って 行 .
﹁
、た 、
は も ち ろ ん 出 な いま ま 、 二 人 は
会 ﹂形 式 で 行 わ れ た 、 そ し て 結 論
フ 会 談 が 、 私 の 司 会 のも と ﹁座 談
輸 大 .臣 対 .反 対 同 盟 委 ほ 長 の ト ッ
葉 H 報 社 で .一
時 間 半 にわ た り 運
い. か く 、
、
.
日う 私 も こ の ヒ 月 、 ロ
注 い だ .一入 の ト ッ フ は 、 今 ほ な
年 h 月 一
..卜
要 職 に就 か れ た が 、 昭 和 六 卜 .
一.
者 か ら 退 き 、 後 に衆 議 院 議 長 の
閣 改 造 で 運 輸 大 臣 を 辞 め 、 壷-嘱
ま た 、 福 永 さ ん も そ の 後 の内
巾-か ら 行 ﹂
カ.
不⋮
明に な って いる こ
ヒ い・
つ の は 、 補⋮・
水さ ん が 隔
丁⋮
朋
へと 退 い た 。
に伴 い、 日 報 社 力社 長 か ら 会 .
長
ー タ リ ー ク ラ ブ の ヴ バ ナ ー 就 任
か ノ\ーレヴ、、 話 押
し へ口 い に 情 赦 型ぼ
︼日 に ,
死 去 し た 、
ンタ ー で 層 ら ぬ 人 と な 一
・2 た 、
卜 燃 料 の 列 車 輸 送 も 、
体 験 か 待 って い た .
53 年 5 月 に ト ッ プ 会 談
の ジ ・
;
拠 し たL 、 機 械 を 破 壊 し て 使 用
不 能 にす る な ど 、 騒 乱 状 態 は ウ
て
動 労 スト な ど に よ り 緊 迫 ム ! ド
った 。
の極 に達 し た 、
■-
は 県 内 各 地 に 広 が
そ ん な 巾 、 政 府 と 空 港 公 団 は
こ の た め、 開港 は大
世 の中 は 常 に 変 わ り つ つあ る 。
.︺に 気 付 い た暫
楠一
社 の 記臥
白に 探 '
鮒
さ れ 、 夕 方 に な って 日報 社 へ各
し か し 、 新 衷 京 国 際 空 港 は 、 福
一
幅 に 遅 れ 、 κ 月 .一
卜
社 の記呂 に飛 び 込ま れ、 質 問 攻
﹁難 産 の .
r は 良 ピ・育 つ
11 に 延 期 と な った . そ
は いる が 、 こ ち ら が 取 材 を 受 け
ヒ は 逆
永 さ ん が 開 港 H の祝 辞 で .
.
.
.
目っ た
と 反 対 派 と の 間 で ﹁話
る のは初 め て の こと .あ ん な に
で、 いま だ 完 成 を み て い な い,
の に あ った . 八 の 取 材 は 慣 れ て
し 合 い解 決 ﹂を 求 め る 声
苫 労 し た こ と は な か った 、
.結 局 、
..
卜 余 年 の年 月 が 過 ぎ て も , き
んな 甲 で世 論 は、政 府
が 次 第 に 左 き く な って
、止 直 に 申 し L げ て 退 散 願 っ た
ょう も
"
し かし、 そ れ から 間もな く 戸
一本 の 滑 走 路 か ら ジ ャ ン
に 、 "温 か な り 一
.一里 塚
﹂と い う ギ
彬
い った .
.
が 、 せ っか く の 特 ダ ネ も バ プ ル
ボ 機 が 飛 び 削 ち 、 夕 ー ミ ナ ル ビ
こう し た 時代 背景 の
に 終 わ った .
村 さ んは 、 がん に 侵 され て 入 院 。
中-唱・、 私 μけ田心い 切 り 4㌔
一
11村 さ ん ヒ 福 永 さ ん に
一九 二 ー
-年 生 ま れ
副 杜 長 を 経.
て
L
しーハ年 社
取締 役衷﹂
吊支 杜 長
ひ で お A吾貝
同 時 に報 道 部 長
托 .年 L 月 為ム長
長取締役専務
最
代
ルは .
臭 休 み の海 外 旅 行 客 で ご っ
連 絡 を と り 、 ﹁ 葉 11 報
つら や
た 返 し て い る 。
社 で ヘム っ て も ら え な い
す が の闘 セ も 病 に は 勝 て ず 、 深
病 院 ま で 兄 舞 い に 行 った が 、 さ
か と 、 .一人 に 無 理 を 承
い恨 み を 残 し て 、 昭 利 .κ 卜 四 年
下 蔑 目報 社 創 団 ヒ
知 で頼 み 込 んだ。 そ し
十 一月 一.H 、 初 冬 の 築 地 が ん セ
四ヒ年ト葉 新 聞入 社
て正 月 十 日正 午 から 千
【:D
、
村
、,[.た'・
会
肉
で'馳
氏'し
村
千目.,:;↑i:35}
匡:カ」圏㌧1}1'イ
〉各1隻(ノ
も[1レk,Lri;び
後.月
談
会
の
で
制
r・ 菓11報
ワーキンクプ レス
と り を 連 日 、 繰 り 返 し て いた 。
ど 証 券 各 社 の幹 部 と こ ん な や り
昨 年 の今 ご ろ 、 野 村 、 日 興 な
﹁く ど いな 、 絶 対 な いよ ﹂
券 ト ラ ブ ルも な い の で す か ?
と の 指 摘 に対 し 、 証 券 業 界 の 反
め 、 ﹁不 公 臣 取 引 を
一掃 せ よ ﹂
百 六 卜 瓦 億 円 に 過 ぎ な か った た
が1
2
口く 、 追 徴 対 象 補 て ん 額 も 約
は プ ラ ック マ ンデ ー 前 後 と 時 期
か った 。 さ ら に 十 四 社 の 補 て ん
ー ・野 村 と [ 興 が 含 ま れ て いな
こ の時 の .
史正 処 分 に は 、 ガ リ バ
き っ か け に な る は ず だ った が 、
い た 。 大 蔵 省 幹 部 が 漏}
ら し た さ.
日
峙 点 で 既 に そ の大 半 を つ か ん で
卜 .二億 円 に 達 し 、 大 蔵 省 は こ の
の 損 失 補 て ん 総 額 は 一千 一.百 八
今 に な って み る と 、 四 大 証券
い と 指 導 し て い る ﹂。
務 問 題 も きち んと し て おき な さ
受 け る 事 態 にな ら な いよ う 、 税
三 月 以降 に補 てん で追 徴 処 分を
と (補 て ん の )報 告 を さ せ て いる 。
﹁う ち は 損 失 補 て ん な ん か 、
七 月 に 大 口投 資 家 に 損 失 補 て ん
応 は 極 め て 鈍 か った . ﹁国 税 当 局
結 果的 に損 失 を 埋 め た 証
英
当 時 、 野村 や 口 興 に 対 す る 国
税 当 局 の 税務 調 査 が 始 ま って い
た が 、 そ の調 査 結 果 は 今 度 こ そ
補 て ん 問 題 追 及 の 支 え の 一つに
な る は ず だ った 。 こ の た め 、 税
務 調 査 に 支 障 を き た さ な いよ う 、
化 し て いた 。 だ が 、 そ の バ プ ル
に は 損 失 補 て ん が あ って 、 野 村
ヒ こ ろ が 、 ﹁山 .な ど 十 四 証 券
し か し 、 自 浄 能 力 の な い証 券 業
認 ﹂ で あ る ことも 分 か ってきた。
各 社 が と った 手 法 が 、 ﹁自 己 否
い 一年 だ った 。
き た の は 翌 一一.
年 六 月 ..十 日 。 長
い﹂ と いう 記 事 を 本 紙 に 掲 載 で
ひでと し氏
一九 L鉦 年レ
覗売
地方 部 内信 諜を経
霞ガ毒 丙
売,℃
田 澱 樫F垂 ・
「直1【i券
会 長(メ 亘 」カぎ辞 ・f壬(7.22>写
び た 一文 し て な い﹂
を し て いた 山 一や 準 大 予 な ど 十
葉 で 、 私 たち は多 額 の補 てん が
武
一年 間 、裏 付 け 取 材 に 奔 走
清
利
と の 見 解 の相 遠 ﹂ と いう 弁 解 も
更正 (
追 徴 )処 分 を 下 し た 直 後 だ
っ た 。 十 四 証券 の 更 正 処 分 が 終
わ った こと で 、 補 て ん 問 題 は ヤ
マを 越 し た と 見 る 人 が 多 か った
が、 私 たち は こ の こ ろ か ら チー
ム を 組 ん で長期 取 材 を 始 めな け
裏 付 け取 材を進 めな がら 調査 終
法 人 損 失 16 ⑪
を支 え 、損 失補 て ん に象 徴さ れ
な ど に は 、 補 て ん が 一川 も な い
界 と 大 蔵 省 に、 倫 理 軽 視 の業 界
r を 待 ち 続け た。
﹁野 村 証 券
証 取 法 違 反 の疑
伏 せ ら れ て いる こと を 確 信 した。
省 も
ま った 。 そ の過 程 で ﹁
追 徴を受
億 円 穴 埋め
依 然 と し て通 用 し て いた 。 大 蔵
れ ば な ら な か った .
.乎 成 二年 初 め か ら の株 、 債 券
分 も 済 ん で いる ﹂ と し て 、 調 査
け る 事 態 にな ら な い よ う ﹂ 証 券
裏 付 け取材 は こ の時 点 から始
急 落 で パプ ルが はじ け 、 ゆ が ん
さ え し な い有 り 様 だ った 。
﹁既 に 報 告 を 受 け 、 社 内 処
だ 経 済 活 動 の ツ ケ が 次 々ヒ 表 面
る 不 公 正 取 引 を 繰 り 広 げ てき た
と いう の は 信 じ ら れ な い﹂ と 首
青森支局
・
八行警から鮭会部
き よた け
て
新 聞 入社
(ヒ 月 二 十 五 [ 記 )
証 券 業 界 の構 造 的 腐一
敗 に ついて
を 求 め る には 、 具 体 的 な 補 て ん
体 質 を 認 めさ せ、 抜 本 的 な改革
省 幹 部 が こう 漏 ら し た 。 ﹁乎 成 二
の 事 実 を 突 き 付 け る し か な い.
を ひ ね る 記者 に 対 し 、 あ る 大 蔵
山 一な ど の補 て ん 問 題 は 、 こ
年 一二月 ま で に 他 社 か ら も き ち ん
は 、 手 付 か ず のま ま だ った 。
う し た 証 券 界 の体 質 を 追 及 す る
(4)
四 証 赤 に対し て 、 東 京 国 税 尚 が
損失補 てん
第258号
1991年8月10日
第258号
1991年8月10日
は 連 日 .二卜 度 を 超 え る 猛 暑 だ っ
の捜 査 が優 先 す る ﹂ と の航 場 か
報 であ り、 大使館 な ど は
﹁現 地
か ら 得 ら れる のも 大 方 は 二次情
の 時 間 が か か った 。
を 現 場 で再 構 成 す る の に か な り
確 認 しな がら、 事 件 のあ ら まし
再 度 、時 間、場 所 、 入 数 な どを
慣 れ て は い る が 、 一番 疲 れ る の
は 第 三 世 界 に共 通 し て いる か ら
電 話 の便 の 悪 さ 、 料 金 の高 さ
ら か ら 直 接 取 材 す る の が こ の丁
と も か く 現 場 を 踏 み 、 11 撃 者
ル で 換 算 しな いと 旅 行 者 に は も
ミを し たばか り の ペ ルー は 、ド
す さ ま じ いイ ン フ レ で 、 デ ノ
いと 席 が 消 え て し ま う こ と も あ
時 間 以 L前 に チ ェ ック イ ンし な
は 飛 行 機 だ 。 出 発 時 問 の最 低 二
め だ った .
た 。 岡本綾 .
rが 出 場 し た 令 米 女
ら 、 あ ら す じ し か 公 表 し な い。
テ キ サ ス州 フ ォ ー ト ワ ー ス市
.
rオ ーブ ンはヒ月 卜 二 日、 .
r選
凶..
八 が ゲリ 一
7卜﹂餌別机叔ζ﹂h
孔た 事 孤ぼ
の 胆 件 の原 則 だ 、 翌 朝 、 ホ テ ル
る 。 さ ら に は 出 発 の遅 れ 。
.[日 目 . ペ ル ー の リ マ で 日 本 八
の 一報 を 知 った の は 、 そ の 日 の
の の価 値、植 段 が 全 く 分 か らな
マイ ア ミ で の 乗 り 継 ぎ 梗 に 間
従 業 員 を 日説き落 と し て臨時 通
.
に合 わ な か った ニ ュー ヨー ク ま
い
と ころ が、 カ ー ド 朴 会 の ア メ
の は 現地 時間 卜 皿
.一H 午 後 卜 峙 、
る 地.
兀住 民 か ら の
一般 的 に お お ら か な 性 格 レ一い え
テ ル や 一流 レ ス ト ラ ン 、 商 店 ぐ
百 ド ル. カ ー ド を 使 え る の は ホ
ベ ルー は真 冬 。 半 袖 に 夏 の ジ
大阪社会 部
も・
リた つ氏
外 信 部を経 て
.尾ヒ .
.
年毎 目新
斗
几
たわら
-
一穿 六 月から 一
一ユー ヨークむへ局員
聞 入社
った 、
ル を 出 て か ら 、 ..十 八 時 間 か か
で の 帰 路 は 、 な ん と リ マ のホ テ
護
立
リ カ 国内出張 か ら 転 戦 した た
原
夏 服 の ま ま "冬 "の 現 場 へ
ペ ルー はこれ で 一
..回 口 だ が 、
か け た。
訳 に 雇 い、 と り あ え ず 現 場 に 出
夕 方 だ った 。
同乱
伎 、 ﹁現 地 へ飛 ん で く れ ﹂ と
の指 .
小で、 ま ず 孝 え た の が 最 短
時 間 でリ マに入る 方 法 だ。 あ れ
こ れ 航 空 会 社 を 当 た った 末 、 ダ
ラ ス ・フ ォー ト ワ ー ス 空 港 か ら
田
ち ょう ど 破害 者 の遺 体 と 遺 族 が
は 結 構 難 し い。 時 間 や 数 へ の こ
ら いだ。 タク シー 代 も 払 えず 、
業 生 産 技術 セ ンタ ー の 現地 従業
ャ ケ ット だ け の 軽⋮
装 が こたえ た
(51
マイ ア ミ 経 山 リ マ直 行 便 。 そ れ
で も 乗 り 継 ぎ な ど で B か か る
が 選 択 の余 地 は な い。
日 本 に向 け出 発す る直 前 で、国
だ わ り が 、 11 本 の 新 聞 .記 者 の 感
ホ テ ル 精 算 の ハイ ヤ ー で 急 場 を
f 荷 物 だけ でリ マに到 着 した
際 線 到 着 ロビ ー か ら 出 発 ロビ ー
覚 よ り お お ざ っ ぱ 。 ﹁事 実 ﹂ と
し の いだ が 、 か な り 商 売 さ れ て
め 、 ポ ケ ット の 現 金 は わ ず か 一
.一
へ直 行 し 、 フ ァ ク ス で 人 手 し て
﹁﹂・
目 分 の意 兄 ﹂ も 入 り 乱 れ る 。
員 三 人 に 、 一人 ひ と り 別 々 に 同
が 、 フ ォ ート ワ ー ス の ゴ ル フ場
"事 情 聴 取 "
い た .報 記 事 を 手 に 、 見 送 り に
事 件 の 一部 始 終 を 目 撃 し た 農
﹁共 通 部 分 ﹂
し ま った.
米 て いた 関 係 者 ら の 取 材 か ら 始
じ 質 問 を 繰 り返 し
よ り は 過 ごし や す か った の が 慰
め た。
一報 は 、 情 報 が あ い ま い で 必 ず
だ け を 取 り 出 す . そ れ タアuと に 、
海 外 で起 き た こ う し た 事 件 の
し も ,止 確 で は な い 。 現 地 の 邦 人
ロ イ タ ー・一 サ ン テ レ フ 雪 ト
写 奥
ロ ー ガ ン が 残 さ れ て い た σ 、121
建 物 内1コ 対1ス
ワーキ ング ブ レス
ペ ル ー ・邦 人 射 殺 事件
ワーキングプレス
ー 十 七 H の 三 H 間 、 ロ ンド ン で
会 議 ・サ ミ ッ ト は 七 月 十 五 日
﹁ヒ 回 日 を 迎 え た 先 進 国 首 脳
が 異 常 に 多 いた め 、 便 宜 を 図 る
はあ る が 、 日 米 は 同 行 の取 材 隙
設置 し た。 これ は毎 回 の こと で
レ スセ ンタ ー を 都 心 のホテ ル に
政 治 、 経 済 改 革 に向 け た 責 任 と
ト 側 の責 任 論 だ 。 ソビ エト 側 に
れ る 二 点 を 記 し て お き た い。
.つは 対 ソ 支 援 問 題 と サ ミ ッ
問 題 認 識 に ズ レ が 生 じ た と 田心わ
サ ミ ット が 、 軍 備 管 理 な ど で 国
理会 議 を 開 催 し た ことも あ って 、
の常 任 理 事 丑 か 国 によ る 軍 備 管
た。 こ の・
甲 で フラ ン スは 、 サ ミ
ン タ ー で は 、 サ ミ ット 卑 用 の テ
八-回 、 こ れ ・2 二 つ の プ レ ス セ
る が 、 ヨ ー ロ ッパ で は、 ソ ビ エ
止 め を か け た と の受 け 止 め が あ
義務 を 課 し 、本 格的 支援 への歯
こ の 根 底 に は 、 単 に サ ミ ット
した。
屋を重 ね る 政 治的行動 だ と 非 難
連 に何 か を 指 示 す る 姿 は 、 屋 ヒ
ット 直 前 に パ リ で 、 国 連 安 保 理
開 催 さ れ 、 引 き 続 き ゴ ル バチ ョ
ため だと 一
可
.
口わ れ て い る 。
これま で.
西 側 先 進 国 の経 済 的
レ ビを 通 じ て 、 首 脳 達 の会 議 場
ト の 改 革 に G 7 側 が完 全 に コ ミ
7 T1 が 開 か れ た 。
成 果 と 結 束 を 誇 示 し てき た サ ミ
への 出 入 り 、 昼 食 会 、 夕 食 会 の
の役 割 を 経 済 問 題 に と ど め る か
ット は 、 そ の 最 大 の 相 手 で あ っ
ット し た と み る 。 ソ ビ エト の破
どう か の問 題 ではなく 、 冷 戦 終
模 様 、 エ ン タ ー テ イ ン メ ント な
結 後 の 今 後 の 世 界 の新 秩 序 を 模
産 と大 混 乱 を 回避す るた め に 西
た ソビ エト ロ 身 が 会 議 に加 わ り 、
ど 、 す べ て の 行 事 の進 行 状 況 を
索す る 中 で 国 連 強化を 通 じ た 、
第 二 次 大 戦 後 の連 合 国 体 制 を 維
持す る の か 、 先進ヒ か国 の サ ミ
ット 体 制 を 新 た に 基 礎 と し て い
て いく 責 任 を G 7 が負 い、 本 格
側 経 済 体 制 の 一員 レこ て支 援 し
ニー 争 い に も 発 展 し か ね な い も
ん で、今 後 の国 際政治 の ヘゲ モ
連 安 保 理 の常 任 理嚢 国 入 り も 絡
そ れ は 同 時 に 日、 独 、 伊 の 国
啓
肝 心 の 会 議 の中 身 は 、 各 国 別
支 援 への 道 筋 を つけ た と 広 く 受
の で あ り 、 実 は今 回 の サ ミ ット
村
は 世界 から 三 千 人 のジ 瀞
、ー ナ リ
のブ リ ー フ ィ ン グ に頼 る こ と に
け 止 め ら れ て いる 。
が提 起 し た 大 き な課題 と 言 え る
く の か と の 認 識 の違 いが あ る 。
スト が集 ま り 、 そ のた め のプ レ
な る。 だ が 、 そ こ で 出 て く る 情
もう 一つは、 国 連 の強化 と サ
だ ろう 。
谷
三 つ のプ レ セ ン に 三 千 人
西 側 経済 体 制 に 組 み込ま れ る こ
と に な った こ と か ら 、 サ ミ ッ ト
参 加 国と そ の首 脳 達 が会議 で い
か に自国 の舵 張 を 貫 き、活 躍 し
た か 、 お の お の 国 民 に宣 伝 す る
政 治 シ ョ ー 的 色 彩 を .段 と 強 め
ス セ ン タ ー が サ ミ ット 会 場 と は
報 は、 例 え ば 日 本 な ら 日 本 の 立
ミ ット の役 割 の問 題 だ 。 サ ミ ッ
る こと にな った 。
離 れ た場 所 に 設 け られ 、各国 ご
場 に 沿 った も の、 都 合 の良 いも
ト があ ま り に 政 治 的 機 能 を 持 つ
映 像 で 見 る こ と が でき た 。
と の ブ リ ー フ ィ ン グ や議 長 の メ
の に な り が ち な わ け で、 全 体 の
こと に 対 す る 懸 念 は 以 前 か ら フ
今 回 の ロ ン ド ン ・サ ミ ット に
ー ジ ャ: 英 首 相 あ る いは G 7 +
流 れ 、 印 象 と は 食 い違 う こ と が
八八 年か ら ロ .
/ド
一元 し 一年 N H K
1 の あ と の ゴ ル バ チ ョフ大 統 領
すす む氏
経 済 部 を経 て
ン支局 (
現 在 ヨー ロ.パ総局 )記者
入局
た にむら
ラ ン スな ど に 強 く あ った が 、 今
国 連 の機 能 強 化 が 取 り 上 げ ら れ
回、湾 岸 戦 争 の経験を 通 し て の
往 々 に起 こ る の は 当 然 な の だ ろ
今 回 の サ ミ ット で 、 そ う い う
う。
と の 記 者 A.
ム兄 な ど が 行 わ れ た 。
これ と は 別 に 日 本 と ア メ リカ は 、
各 々、 自 国 の 同 行 記 者 専 用 の プ
(6)
フ大 統 領 を 加 え た 歴 史 的 な G
G7十1:
第258号
1991年8月10日
ワーキングブレス
名古屋場所
が 、 、.π 目 の 元 11 、 館 内 に あ る
員 札止 め の大 盛 況 で幕を 閉じ た
い 日 は な か っ た 。 本 紙 も 入 社 一.
だ って 、 藤 島 部 屋 に 姿 を 兄 せ な
ス ポ ー ツ 紙 は も ち ろ ん 、 .般 紙
れ た時、 限 界 を r 感 した 記 者 も
曙 の前 に 土 俵 の外 へ吹 き 飛 ば さ
横 綱 の引 退 劇 。 初 日、 パ ワ ー の
た 。 完 場 所 の 千 代 の富 十 に 続 く
目 目 の ト 四 日 、寂 し く 引 退 し
けん騒 のさ な か、大 乃 国 が 八
げ、殊 勲 、 技 能 の両賞 を 獲 得 .
.
綱 、 一大 関 を 敗 り 、 十 .勝 を 挙
優 勝 を 成 し 遂 げ 、 貴 花 田 も ..
横
し た 。 琴 富 十 が し 年 ぶ り の平 幕
が確 実 に 進 ん で いる こ と を 証 明
頭。 こ の名 占 屋 場 所 は肚 代 交 代
横 綱 の ち ょう 落 と 若 テ の 台
て い った 。
相 撲 記 者 ク ラ ブ に 一枚 の張 り 紙
年 目 の記 者 が 目 参 、
多 か った よ う だ 。
愛 知 県 体 育 館 で 繰 り広 げ ら れ
が掲 .
小さ れ た 。 H 本 相 撲 協 会 か
生 か し て 若 ・貴 と 仲 良 く な り 、
協 会 に と っ て 、 若 ・践 は 大 き
った 、 本 祉 の 取 材 陣 も 通 い詰 め
宿督 (
豊 明 市 )の警 戌 は 怠 れ な か
勝 って も 負 け て も 、 放 駒 部 屋
味を 帯 び 、 フ ︹
,ン の ボ ル テ ー ジ
川 は 年 内 に 大 関 へ、 の 声 が 現 実
ファ ン の期 待 に こた えた 。 貴 化
"若 さ " を
新 聞 各 社 も 負 け て いら れ な い。
ら の ワイ ド シ ョ ー 取 材 規 制 の ﹁通
一緒 に 食 事 に い く 間 柄 に 、
.入
も ます ま るヒ がる 。
た 大相撲 名 古 犀 場 所 、連 目、 満
知 ﹂だ った .
な財 産, ト か
牛 問 、 角 界 の第
た. 師匠 の.
兀大 関 魁 傑 の 放 駒 親
貴花 田 は、 卜 八 幾 レ カ月と い
者 だ った 千 代 の 富 レ が 引 退 し た
あき かず氏
九 し一
.
⋮
年中H
こんどう
中 11 尺ボ ー ツ報 並部
大矧撲担 申
ーハ.賞選臥ワ
中 11新
新聞 ・
へ社
う 史 L 最 年 少 .の 若 さ で ﹃ 役 に 昇
藤 島 、 放 駒 の "二 兎 "を 追 う
た 阪だ 祉 編渠部 を 経 '、 .
へ犯
委員 [
隼から再 び.浬動 部
聞運動 部
進。
一 六 月 ..十 四 U 、 貴 花 旧 ら の
会 見 が行わ れ 、藤 島 部屋 宿舎
(
名 占 屋 市 名 東 区 )の 月 心 与 に は
方 が ﹁(
大 乃 国 と }話 し 合 っ て み
和
あ ヒ 、角 界 の 屋 台 骨 を 貴 花 田 が
る ﹂と い う .
.
昌菓 を そ っと も ら し
昭
支 え てく れ る 、 と 期 待 は 大 き い。
た 。 これ で 引 退 を 嚢 前 に 確 信 し
藤
そ んな 若 き ヒ ー ロー を 過 剰 な マ
た. 三十 分 でも 十 分 でも 早 け れ
近
テ レ ビ各 社 は 競 い合 う よ う に
ス コミ の報 道 の 嵐 で つぶ さ れ て
ば 、 そ れ だ け 中 身 の濃 い紙 .
面作
{71
百 入 を 超 す 報 道 陣 が 集 ま った 。
大 広 問 は テ レ ビ カ メ ラ 八台 が 持
ちU
込ま れ 、 ﹁記 者 、 カ メ ラ マ ン ・り
貴 花 田 の特 番 を 組 み 、 コー ナ ー
はたま らな い。 そ れ がワイ ド シ
り が出 来 る 。
百 八 を 超 す 料藁道5弔 力f集 ま っ た 貴 イ乞川 ら の 列j蓬
の 熱 気 が あ ふ れ た 、 こ の時 か ら 、
を 設 け た 。 け い こ 場 で、 宿 舎
ョー の取 材 規 制 に な った の だ ろ
各社 も そ う だ ろ・
77が 、 い つ か
・貴 ﹂の 取 材 合 戦
で . 芸 能 リ ポ ー タ ー が マイ ク を
う 。 テ レ ビ の ワ イ ド シ ョー の よ
マ ス コ ミ の ﹁若
突 き つけ 、 相 樺⋮と 全 く 関 係 な い
う に 一過 陸 の も の と 、 長 く 付 き
て あ った 。 ⊃
に、 そ の事 態 に 備 え てあ った 。
面 と 運 動 面 の本
合 い信 頼 関 係 を 築 き L げ て い る
記 ﹂﹁大 乃 国 と い う 努 ﹂な ど す で
が 始 ま った 。
質 問 を 浴 び せ た 。 父 で あ り、 師
く る "X デ ー " の 原 稿 は 用 意 し
匠 の藤 島 親 方 は 、 こ の種 の 取 材
相 撲 記者 と は 、 取 材 す る 姿 勢 が
ま る っき り 違 う の で あ る 。
は 極 力 は ね つ け て いた が、 報 道
合 戦 は 臼 ご と に エ ス カ レー ト し
メ貞1「r「1
盛}㍗
会 見(6.2・
第258号
1991年8月10日
ク レ イ ・チ ャ ン ド ラ ー
ト')
傷=欄;薪
最 近 の 取 材 時 間 の多 く は 、 ス キ ャ
仕 事 に つ いて はう まく 言 い当 て て いる 。
言 葉 で は あ る が 、こ の 数 か 月 の 自 分 の
ず の ヤク ザ 者 を 意味 す る。 嘲 笑 的 な
喜 ん で泥 の中 ま で かき回 す 、 恥 知 ら
者 )"と 言 う 。ス キ ャ ンダ ル を 捜 し て 、
し か し 、日 本 で は そ う は い か な い。
マス コ ミ に情 報 が流 れ出 る だ ろ う。
だ ろ う し 、そ の 過 程 で い や お う な く 、
い った 問 題 へ の 関 心を ア ピ ー ルす る
で は 、民 主 党 、共 和 党 と も 猛 烈 に こ う
頼 人 を 代 表 す る弁 護 上 にな る 。 議 会
ユー ス 源 は 、 司 法 当 局 か 憤 慨 し た 依
った こ と を 理解 す る の は 難 し い。外 国
ス を 犯 し て も 権 力 を 持 ち 続 け る、と い
外 国 人 に と って 、日 本 で は 官 僚 が ミ
く さ ん い る か ら だ ﹂。
銀 行 の役 員 には、 大 蔵 省 のO B がた
あ の 銀 行 を 倒 産 さ せ は し な い。 あ の
う し く ま じ め に 答 え た 。﹁わ れ わ れ は
楽 し み に し て いる わ け で は な い が 。
興な ど ) に費 や さ れた. 別 に そ れ を
マ ン、 光 進 と フ ジ タ 観 光 、 野 村 と 日
も 明 ら か に な った 。 こ の 発 沖.
[は 我 々
問 さ れ れ ば 真 実 を 話 す 、 と の 発 ⊃.
口で
田淵 節 也 野 村 証券 荊会 長 が 、 証 入喚
法 に 対 す る H 本 の奇 妙 な 態 度 は 、
ま た 、こ の スキ ャ ン ダ ル が 大 蔵 省 や 東
度 を と リ続 け て いる の に は 驚 かさ れ る 。
ル発 覚 後 も 、大 蔵 省 に 敬 意 を 表 し た 態
大 蔵 省 詰 め の 記 者 が 、証 券 スキ 瀞
、ンダ
の プ レ ス にと って 、日 本 の 記 者 、特 に
ンダ ル 関 連 の 記 者 会 兄 (住 友 と イ ト
外 国 八 記 者 に と って は 、 日 本 の 経
ガイ ジ ンを 当 惑 さ せた。 田 淵 前 会長
ま た 、日本 の大 手 企 業 の 不 直 が 報 じ
済 スキ ャ ンダ ル の 取 材 は 、 遅 〃 と し
日 本 の 役 人 や投資家 の 多 く は 、官
ら れ た 後 、ト ップ が 劇 的 な 謝 罪 を す れ
京 証 券 取 引 所 詰 め の記 者 によ って では
と を 気 に も し な い様 予 で 、 な ん な く
僚 の気 ま ぐ れ が、需 要 と 供 給 の ルー
ば ど ん な 問 題 か ら も 逃 げ ら れ る 、と の
は 、 ﹁法 に 従 う ﹂と 角 し を か け た 。 他
スキ ャ ン ダ ル 取 材 を こ な し て い く 。
ルま で も 無 視 で き る か の よ う に 考 え
て 進 ま な い。 外 国 人 記 者 は 事 件 の 構
材 しな が ら , 私 は よ く古 弔 の近 く に
外国入.
記 者 に と って は 、 ま ず 、 法
考 え 方 に慣 れる のに も 時 間 がかかる。
な く 、大 新 聞 の社 会 部 記 者 に よ って 、
あ った 渇 水 時 の 貯 水 池 を 思 い出 し た 。
て いる フ シ が あ る 。 数 か 月 蔚 、 私 は
企 業 ト ップ の辞 任 や 減 給 措 置 が見 山 し
に選 択 の 余 地 があ ると 、 彼 は 考 え て
昨 夏 か ら 東 京 で 金 融 担当 記 者 にな
に よ っ て と いう よ リ 、 官 僚 の 気 ま ぐ
著 名 な 日 本 人 の金 融 ア ナ リ ス ト から 、
に な って いる が 、四 大 証 雰 にお け る 改
造 を 追 う の に つま ず いて ば か り い る
った 。 ち ょ ・
りど 日 本 の 資 産 ブ ー ム が
れ に よ って 日 本 の金融 制度 が支 配 さ
﹁あ ま リ 経 営 の よ く な い 、二井 太 陽 神
革 の 真 の証 拠 を 私 は ま だ 見 て いな い。
最 初 に 明 ら かにさ れ た こと は 興 味 深 い。
退 潮 し 始 め た 時 期 と .致 し て いた 。
れ て いる 、 と いう 概 念 に 慣 れ る の に
戸 銀 行 が や って いけ る の は 、 大 蔵 省
いた の だ ろ う か .
日銀 の三 重 野 総 裁 の緊縮 財 政 政 策 の
時 間 が か か る 。 こ の単 純 な 真 実 が 、
さ ら に.橋 本蔵 相 の 過 分な サ ラ リ
のに、 口本 人 の同 僚た ち は そ ん な こ
お かげ で、 目 本 の 経 済 を魅 力 的 に み
が 一二井 の 名 の つく 金 融 機 関 を 絶 対 に
の 証 券 取 引 委 員 会 の 日 本 版 を つく ろ
目本 の スキ ャ ンダ ルの展 開 を 理 解 す
の後 、 私 は 大 蔵 省 の役 人 に 、 日 本 の
う 、 と の動 き を 妨 げ る も の と し て 受
ー か ら のわず かな 減 給 決 定 が、米 国
米 国 な ら 、 巨 大 な証券 会 社 が 大 手
大 手 銀 行 の 運 命 が 大 蔵 省 に よ っ て本
け ヒ め ら れ て い る の は 、 私 に と って
倒産 さ せ な いからだ ﹂ と 聞 いた 。 そ
下 が る に つれ 、目 本 経 済 の 底 に あ る 、
の投 資 家 に 特 別 な 待 遇 を 与 え て い た
当 に 決 ま る と思 う か、 と 尋 ね た 。 こ
るう え で大 変 重 要 であ る。
醜 く 臭 いゴ ミ が 少 し ず つ兄 え てき た 。
と いう ニ ュ ー ス は 、 法 的 訴 訟 の 嵐 を
不 可 解 である 。
せ た豊 富 な 資 金 は 、 急激 に蒸 発 し 始
英 語 で は ジ ャー ナ リ スト の こ と を
の役 人 は 私 の 冗 談 半 分 の 質 問 に お そ
(訳 ・編 集 部 )
引 き 起 こ す 。 記 者 に と って 最 良 の 二
め て いた 。 日 ご と に 金 融 の 水 位 標 が
過 去 一年 間 、 日 本 の金 融 制 度 を 取
◇外 国人記者がみた"証 券不祥事"◇
時 折 、 〃マ ック ・ レ イ カ ー (醜 聞 暴 露
(8)
"が 下 が る に つ れ
"水 位
第258号
1991年8月10日
第258号
1991年8月10日
国連 記 者 会
ほビ 多様 な .
.
.
口語 が .度 に 飛 び 交 う 場
面.
ト の 動 玉b
夕﹂追 う の に 、 各 国 記 者 団
と リ ア ル タ イ ム で 動 いた 安 保 理 の 木
ヒも 相 当 苦 労 し たよ う だ .
所 は な い, 総 会 議 場 レ一
もな れ ば 、 .
肖
一年 ・
へ月 現 在 V の 大
毎 11 .
臣 午 か ら 開 か れる 国 連 報 道 官
(九
使 、 随 員 が 数 .白 入 も 集 ま り て い る り
の定 例 会 見 は 、 ほ と ん ビ 日 程 発 長 に
κ 卜 托 力国
様 々な 、
.
日語 レ爵 黛 ヴ が 、 そ れ ぞ れ 政
終 始 。 塾・れ ﹂u変 .史 が 多 ノ\
湘体幽
侠 突 鉄伊
治 的 思 惑 を 秘 め 、 カ・ん と も 形 容 し が
安 保 理 が 〃ロ集 さ れ て 慌 て た こ と も あ
を 廊 .ト で 捕 ま え て 聞 く し か な い 。 結
た い音 の 洪 水 に な りて い る の だ が ,
な も のを 感 じ て ち ト
、 コヒ 感 動 す る ,
局 、 安 保 理 議 場 前 の 廊 ド が い つ ム)
臨
ジ ロリ と 振 り 返 り、
っ た , 秘 密 会 に な る こ レ一が 多 い 安 保
国 連 公 用 語 は 、英 語、 フ ラ ン ス
時 の .記 臥釦会 見 場 に な っ た 。 そ ん な 各
ー
そ れ が 、 議 長 の つち 貯 を 合 図 に . つ
語 、 巾 国 語 、 ロ シ ア 語 . ス ヘイ ン 語
国特 派 員 目当 て に. 徹夜 に な り そ う
と 切 り 返 し てき た、 案 外 こ んな や り
埋 の中 身 を 知 る に は . 終 わ りて 翫 て
に . .部 ア ラ ビ ア 語 と 決 ま って い る .
、
な 日 は 、 イ ンド人 の屋 台 売 リ ま で出
取 り の 中 ・に た 使 の 本 此uが 感 じ ら れ る
に まと まろ う と す る。 世 界中 か 思 孝
だ か ら 議 噺吻で 話 さ れ る 各 国 代 表 の 母
た の だ か ら お か し か った 。
東 る各 U
囚 レへ使 や デ ク エ ヤ ル 事 務 松鴨長
国 語発 .
.
目は 、 す べ て こ れ ら 公 用 語 に
(.
大 皇 ) に あ った こ ヒ が あ る の か ﹂
﹁君 は エ ン ペ ラ
国 連 を 取 材 し て い て 、 あ あ .﹂れ は
と だ .
. 各 国 代 表 も 勢 ぞ・
ろ いpし、 議 長
国 連内 で同 時 中 継 さ れ る ケー プ ルテ
が 英 語 で、 議 長 は 概 ね 英 語 を 使 う 。
振 りま いた も のだ.
か つ ぎ 込 ま れ る な ど 、 何 か ヒ 話 .題 を
の総会 中 に 、鼻 血 を 出 し て .
医 務 室 に
ア ルア ン バリ大 使 だ、 こ の 八 、 昨 年
と いえ ば . な ん と い って も イ ラ ク の
X 一つの卸
・
㌔さ や か な 備 え . そ れ で も
構 え る の に対 し、 各 鮭 机
A P や ロイ タ ー な ど が
ス ト リ ベ ー に 面 し た 小 さ な 一部 渥 だ 。
し て いる の は、本 部 ビ ル 四階 のイ ー
わ れ わ れ 日本入 記者 が たま り場 に
か ら 、廊 .
卜 取 材 も 楽 し い。
も 席 に着 いて 、 そ ろ そ ろ 会 議 か 始 ま
レ ビ の 場 八口も 、 英 語 に 直 さ れ て い る
そ の ア ルア ンバリ大 使 が 開 戦 直 前
国 連 復 権 の息 遣 いを な ん と か 日 本 の
安保 理 の常 連大 使 た ち の甲 の狂 役
ろ ・
'2と い う 時 、 潜
餓 .﹁Nが 軽 く 机 ヒ で つ
こ ヒ が 多 .い. し た が っ て わ れ わ れ 国
の こ と し .月 、 母 国 へ 打 ち 合 わ せ に
鈎覗者 に μ
仏え よ う と が ん ば って い る .
二の中 でも
ち を 打 つ. す る と 、 そ れ ま で 隣 の 話
連 担 当 記 κ の 取 材 は 英 語 で 事 足 り
帰 り 、 再 び 国 連 に、
堤 ってき た 時 の こ
会議 場 や安令 保 障 珊事 会 議 場 で の こ
し 声 も 聞き 取 れ な いほ ど ざわ つい て
る. 記者会 兄 も ほ と ん ど英 語 で行 わ
裏 京 本 社特 報 部
杜会 部な どを経て
一几 ヒ 一
.
.
年中 U新閃 入
一 つ、 F A
一社 で .室 を
いた 議 場 が、 ス ー ッ と 静 ま る 、 ま る
﹁日 経 ﹂ の M .記 者 が 廊 ド で 大
﹁サ ダ ム ・ フ セ イ ン に 会
・
へ沁 年 か ら 二 乳ー ヨ ー ク 特 派 鼓
杜
つ二む氏
ヒ だ 。
使 を 捕 ま え
った の か ﹂ と 聞 い た 。 す る と 大 使 は
たじま
れ て いる 。
国 連 が始 ま って 以 来 の 多 忙 を 極 め
っ レ一
も 汎 用性 の高 い の
同 時通 訳さ れ . 傍 聴席 で聞 く こ と が
を合 わ せ・
、
,う レ一
す る 強 い意 思 の よ う
しノこ
で 潮 が 引 く よ う に 、 全 員 の注 意 が 一
点 に 集 中 す る 。 こ の 瞬 間 が 面 白 い。
た 八-回 の 湾 岸 戦 争 で は 、 現 地 の 情 勢
せ
是f鋲11D坐
1旦
田 畠 会 見q.15)'つ=與
よ う;二ilゴ}オ
i奪 岸r包 垂幾 ノ)1跨」、.1虹Uの
力
島
田
いか にも 国 連 ら し い ヒ 感 じ る 瞬 聞 が
廊 下が 臨 時 の会 見 場 に
でき る'
』'r
あ る 。 テ レビ放 映 でも お なじ み の総
ミ
鵬
た ぶ ん 、 世 界 広 し と いえ ど . こ れ
(9[
愉
ジ ェ フ リ ー ・ア ー チ ャ ー 氏
・チ ェ ル シ ー ・テ ラ
紅 茶 付 き の懇 談 会 、 お ま け に出 版
.
.
兀か ら . 最 新 作
﹁.
自 .
〃 ド ル を ヒ リ 返
ス への道 ㌦ (
1
1 ・.
卜 )の フ レ ゼ ン ト が
あ った。
デ ビ ュー 作
せ ! ・ で .躍 ベ ス ト セ ラ ー 作 家 の 仲
・壷ー口 の サ ッ
残 った が 、 そ の存 在 は サ ソチ 瀞
、- 政
東 独 の国 営 企業 民 営 化 の最 高責 任 者
四 11 に 暗 殺 さ れ 、 同 公 社 理 事 か ら 旧
に 就 任 した。 そ の 二代 目 は、 初 の外
権 に と っ て ト ゲ で あ っ た ﹂と 説 明 し 、
﹁首 相 経 験 者 は 自 動 的 に ﹂ 院 に シ フト
め に は 、 八-の よ う に 外 部 か ら 応 援 し
議 員 復 帰 に ついては 、
﹁保 守 党 の た
の あ る 政 治 家 だ か ら ﹂と 絶 賛 . 自 ら の
却 し 、 次 の .一丘 % も 交 渉 段 階 に 入 っ
形 成 し て いた が 、 す で に 二 瓦 % を 売
の 企 業 が 巨 六 な コ ン グ ロ マ リ ット を
昨 年 レ ー1 の統 一時 に は 八 千 あ ま り
壷ー初 考 え て い た 裁 {
疋額 は 球 団 の提 .
小
入 と し て初 め て 調 停 を 依 頼 さ れ た が 、
成心﹂﹁今 春 、 中 目 ・落 合 選 ヂ か ら 日 本
測 推 定 報 道 々 は 、 球 団 に ヒ って 人 迷
﹁新 入 選 手 の契 約 金 な ど で の "先 行 .
丁
遊 先 に 日本 を 選 ん だ こ とを 強 調、 旧
て いた方 が いいの で は な いかと 思 っ
て いる.
. ﹁短 期 澗 で 好 成 績 を ヒ げ た と
額を.
卜 同 って いた ﹂と 口 火 を 切 り、 続
で き る が 、 チ ャー チ ル 同 様 、 ヒ 院 に
て い る ﹂. そ し て 、 こ の 九 月 、 サ ッ チ
思 わ れ る かも しれ な いが .外 国 の購
け て フ ロ野 球 人 気 、 ド ラ フ ト 制 度 、
東 独 地 域 への投 資 の 利 点 を P R し 、
わ
、1 前 首 枳 に 同 行 し て 再 来 B す る こ
入 者 は 二Q % 以 .ト に ヒ ど ま りて いる 。
ア マ チ ュア 野 球 と の 関 係 、 フ ロ野 球
は 移 ら な いだ ろ う 。 な ぜ な ら 廿 ッチ
と ウ}明 ら か に し た 。
我 々は よ り多 く の外 国 投 資家 を求 め
ど の く ら い外 国 へ売 却 し た いか 、
.
3
1定 し た 司 会 者 が 田いわ ぬ ア ク シ デ
ド イ ツ
選 手 の.
優 遇 策 な ど に つ いて 語 った (12
﹁タ イ ム ・イ ズ ・ マネ ー . 日 本 企 業
と いう 質 問 には 、 ﹁計 画 経 済 から 脱 却
ン ト で 欠 席 、 急 き ょ ピ ンチ ヒ ッタ ー
ぺー リ
ン参.
昭⋮)。
は 極 め て慎 重 に調 査 し て か ら投資 を
し た ば か りな ので、 計 画 はた て て い
リプ ロ野 球 改 聴
串
横浜
" に つ いて の弧
湘議 が 、
決 定 す る 冒 や リ 方 と し て は .止 し いが 、
一郎 プ ロ 野 球 コ ミ ッシ ョナ ー
熱 心 に繰 り広 げ ら れ た.
セ ル ゲ イ ・ブ ラ ギ ン ス キ ー
ゴ ル バ チ ョ フ大 統 領 は じ め 、 シ ェ
ル野 球 組織 コミ ,シ ョナ :。米 大 リ
ボ ー ル (野 球 の 皇 帝 )レ一
呼 ば れ て いる
ワ ルナ ゼ 外 相 (当 時 )、 ベ ス ス メ ルト
市 立 大学 助教 授
そ う で 、 いわ ば プ ロ 野 球 界 の最 高 権
ブ で の会 見 の 同 時 通 .
訳を務 めた 。
ヌイ フ外相 な ど 、 ソ連 要 人 の当 ク ラ
ー グ で は 、 シ ー ザ ー ・オ ブ ・ベー ス
,
配 式 に は 、 U 本 フ ロ フ ェ ッシ ョ ナ
吉 國
に 症 つた 臼 木 事 務 局 長 を 進 行 役 に 、
.番 得 . ち ゅ
な い ﹂二笑 わ せ た 。
一番 乗 り が 、
う ち 、,し て い た ら 損 を す る ﹂
き た い。
時 ⋮
間 は ←めま り な い こ レ ︺
ヰ一強 淵∵ Vヴ、お
信 託 公 社 総 裁
ビ ル ギ ッ ト ・プ ロ イ エ ル
て い る ﹂。
ャ ー さ ん は 、 屑井 き な ど 不 .
要 の実力
出 席77人
目 本 企 業 の投 資 促 進 を 求 め た ,
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●
多㌔f若F
ル
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父 親 が イ ン ツ ー ーー ス ト 東 京 支 店 、
長
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111「店35ノ
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ロ」∫セrl神
噛[1齢1ぞ
7.81月
威 折。
ま ず 出 席 者 金 員 、 生.ビ ー ル で 乾 杯
し た 後 、 〃試 へ﹄ 開 始 飾 九 代 目 は 、
〉
(ll〕
間 入 り し た ア ー チ ャ ー 氏 は . ﹁嘱 情 通
に と って は 、 あ り き た り の 話 に な る
か も し れ な い が ﹂と 前 置 き し て 、 昨 秋
の 保 守 党 党 首 選 の 裏 話 を し ゃ べり 出
し た 。
選 挙 の仕 組 み から は じ め て、 対抗
一回 投 西小目 山
剛夜
馬 の へ ー ゼ ル タ イ ン氏 出 馬 に 至 る 背
吼凧、 第
初 代 の ロ ー ウ ェ ッ ダ i 総 裁 が ヘー年
キ ・.・
げ リ ン
チ ャー首 相 の.
.
.
.
阿
動 , メ ー ジ ャー 首 相
王
唾IJ.更
誕 生 ま で の いき さ つな ビ 、 時 に劇 場
で 芝 居 を し て いる か の よ う に ド ラ マ
チ ッ ク に 語 った が 、 そ の 後 矢 継 ぎ 早
に質 問 が畠さ れ た ,
けト藤-花 彦 会 貝
力些3くrゆ.田.焔,
サ ッ チ わ、i 前 昨 相 の ド 院 選 疏 候 補
・ ス
ロ1会
デ 套 員
村r両
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7.1:HlP判
断 念 の 背 疑 を ﹁ピ ー ス .
ル酢 相 は .
卜院 に
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名'会 見
水 】1把
7.3.、
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ブ
ラ
ク
第258号
1991年8月10日
Illll席71へ
エ リ ツ で ン、 ヤ プ リ ン スキ ー 三 案 の
打 開 への ア ブ ロー チ で あ る ハプ ロフ.
そ れ ぞ れ の特 徴 を ⋮
肇げ た . ﹁私 はビ ち
った た め 、 11 不 の 小 呂.
r校 に .
..
年 ヒ
一学 期 通 った 、 呼 門 的 な 話 を 含 め 、
だ
読 み 、 井 き は 並口通 の 日 木 人 以 L 、 こ
支 持す る 、が、 そ れ を 政治 的 に実行
ら か ヒ いえ ぱ 、 ヤ プ リ ン ス キ ー 案 を
史 的 転 換 はな る か
だ っ た が ⋮ ﹂と 笑 う 。
シ ェ ワ ル ナ ゼ 前 外 相 ら ヒ 進 め る ﹁民
、
﹂的 改 革 運 動 Lに つ い て 、 ﹁運 動 体 の
ま ま では ソ連 の政 治 状況 を本 質 的 に
変 え て い ノ、hりに は (写ら な い。 二 大 政
党 の 萌 芽 を 作 り 出 し た い﹂と 語 り 、 将
北 朝 鮮 が し 11 八 目 、 国 連 に 加 盟 予
を 目 指 す ﹂ヒ 力 説 し た . そ し て ﹁ゴ ル
を 巻 き 込 ん だ ﹁大 衆 的 な 民 ・
E、
﹂義 政 党
来 は企業{
氷 や ドごン・
不 ス マ ン、 隅
力働閻折
続 き を 取 った こ ヒ に つ い て は ﹁ "ひ ヒ
バ チ タ 7 の号 ・
え て いる こヒ には 関 心
さ せ る た め の基 盤 作 P を し て いる 、
に 注 ロ し た い。 こ れ が 、 経 済 再 生 に
つ の 朝⋮
鮮 〃政 W
束 の 変 更 で は な い. わ
が な い.
一 彼 が 我 か、の 政 策 に 同 意 す れ
ま ず 本 論 に 入 る 前 に . 日 本 の ソ連 報
エ リ ツ f ン 報 道 に つ い て . ﹁ソ 連 の
最 も 大 き な希 望を 持 た せるも の にな
が 国 に対 す る 暴 本 的 な 政 策 は 変 わ ∩
.
し た 。
保 守 系 マ ス ・メ デ f ア の 反 エ リ ツ f
る の で はな いか﹂. 講 演 内 容 は、 記 録
シ ェ前 外 相 を 中 心 と し た 新 し い動 き
ン ・キ ャ ン へ ー ン を う の み に し ♂
﹂い
版 第 55 号 参 照 、
﹁わ が 国 の 北 〃 外 交 の 成 果 の ひ レろ で
印 の た め 来 11 し た , こ の 交 渉 は 、 婁
八,回 は . 東 京 都 と の ﹁友 好 都 市 ﹂.調
る 、 彼 に 対 す る 批 判 の 中・に は 唱 実 熊
あ り、北 の基本 的 政 策 変 史 の足 掛 か
韓国大 使
﹁私 の は 明 治 の古 い 日 本 語 な ので 、
り に な る の で は ﹂レ一
も じ
い った 仕 事 は 、 対 外 友 好 文 化 交 流 団
煕
ス タ ッ フが テ キ ス ト を 用 意 し て く れ
北 朝 鮮 が ! A E A レ一の 協 定 に 調 印
体 連 合 会 の 独 占 だ っ た は ず だ が ﹂と の
在
リ 、 も コヒ 客 観 的 な 兄 方 を し て ほ し
ま し た ﹂ヒ 笑 わ せ て 、 .
北 方 外 交 ヒ韓 ・
す る こ ヒ に つ い て は 、 ﹁実 際 に 無 条 件
呉
い ﹂。 も う . つ、 ソ 連 入 は 働 /・意 欲 が
日 関 係 pと 題 し た へー ハー を ゆ っく り
め て 臼 山 選 挙 '
.㌔選 ん だ 夫 統 領 一
、
﹂あ
な い か ら 経 済 が 良 く な ら な いヒ いう
と 読 みあ げ .続 く 質 疑 応 答 も "本 語
ノ ー ポ 尺 チ 通 信 特 派 員 の問 い に は 、
モ ス ク ワ市
日 の 滞 在 で で き た の だ ろ う ﹂、
年 間 できな か .
り た こ ヒ を 、 た っ た .一
ら な い こ と だ . だ か ら こ そ . .工 -四
﹁新 し い市 .長 の .
長 ⋮
所 は , 占 いm
規⋮
則←
ご知
濃 部 都 政 時 代 か ら 続 い岬、いた ︹ ﹁こ う
綴 道 に っ い て , ﹁血ハ面 目 に 働 ノ、の が バ
で 査 察 を受 け 入 れ る ヒ みる のは 時 期
ガ ブ リ ー ル ・ポ ポ フ
尚 早 ﹂二 の兄 方 を .
小し た 、
に あ る国 、 あ る いは 北 朝 鮮 の友 好国
長
昨 年 卜 月 に 次 い で 、 ..
度 目 のク ラ
う 舌 、 陽 気 だ った . こ の 六 月 に 初 の
じ ょ
で 、 Ar年 は 中 国 と 民 間 レ ベ ル の 勘
貝目
勿
直 接 選挙 で、 名 実 と も に
ブ 登 場 。 前 回 よ り 顔 色 も 良 ・\
代 表 部 を 相 圧 設 置 し た が . ﹁ビ ザ 発 給
な っ た . ﹁こ れ ま で は 、 い わ ば 議 会 の
"市 長 聖 と
の権 限 を与 え て お り 、事 実 ヒ の政 府
議 長 だ った . 市 長 は そ れ よ り も 権 力
昨・年-の ソ 連 と の 国 交 樹 電 に 次 い
七 〇 年代 以降 の動 き を 整 理 した .
と の 関 係 改 簿 を "北 方 外 交 ゐと定 義 し 、
スピ ーチ で は、 北 朝 鮮 ヒ同 盟 関係
で}
∬ った 。
示 題 では、 経 済 危 機 を も たらし て
が 飛 躍 し 過 ぎ て い る ﹂。
.
の国 民性 ではな い、 あ ま り にも論 理
カ バ カ し い制 度 だ った か ら で 、 生 来
恨 の・
二二 う か あ る 、 ロ ・
ンア国 民 か 初
ば 別 だ が ﹂と 。
道 に つ い て指 摘 し た 、
、
[
を 共 普 で出した。
の .月 に は 、 新 舷"判 で ﹂
、
ソ連 経 済 の歴
」甘常67へ
て い な い ﹂ヒ 慎 噴 な 発 .
.
ロキ}
行 う .方 、
」
「
蔀 義ll.刻i
代 表 部 . 国 交 樹 ㍍.へ の 大 き な 布 、
右と
Irl≦セi[1一月II光永 委 亙三
〈ID
、
出1畠116ノ
食 会
ぞ1と
・臣FI・
が 強 く 、 月 給 ♂u高 く な る と い う 約 束
出 席lm入
名』
会 見
7.17[水:.記
い る 根 本 的 な 原 囚 を .二 つ に 整 理 し 、
「ソ;1堕121㍉1
ト
ス
ゲ
ブ
ラ
ク
7.12'看
な る ﹂ヒ . 慮 大 統 領 の 積 極 姿 勢 を 強 調
糊1.刷1
通 訳
くゴ
串 ・
委 員
雨!チ}イr川1:li=ま
究 ≦学
イく1仁'ピ
7.II〔
第258号
1991年8月10日
7月8日
う し た 観 点 か ら 行 って いる も の で あ
よ う 衆 知 を 集 め てお り、 近 々発 長 で
⑭
き る と こ ろ ま で煮 詰 ま って き た 。
⑪
り、 スー パ ー スタ ーを待 蝦 す る フ ァ
ン の方 々 の 期 待 に こ た え よ う と す る
㊥
選 手の優 遇策
⑪
⑭
新人 選 手 諸 者 がプ ロ
野球 を 魅 力 的 な産 業 と 認 識 し て くれ
﹁柳 川 事 件 ﹂ 以 後 、 プ ロ
の壁 む で 仕 切 ら れ て いる の は 不 幸 な こ
球界 が 、 依 然
で具 体 的 な 数字 を 明 示す る こ と は で
て 、 九 }.年 度 か ら 実 施 す る . 決 定 ま
優 遇 策 〃 を 決定 、 選 手会 の ∼ 解 を得
"選 } の
ド ラ フト 制 度
と であ る 。
き な いが 、優 遇 策 は、 ① 最 低 保障 の
るよ う に 、 わ れ われ は 近 く
であ り、 永 久 に存 続 させ る べき シ ス
野 球 界 は 、 ア マチ ュア 野 球 界 と の 関 係
増 額 、 ② 第 二 年 金 の新 設 、 ③ 球 団 移
わ が 国 の野
テ ム、 と は 暫 え て いな い. し か し 、
修復 に 懸 命 の努 力 を続 け 、 現 在 は友
籍 の活 性 化 、な ど に及 ん で いる。
ア マチ ュア 野 球 と の 関 係
プ ロ野 球 界 の 秩 序 を 保 ち つ つ 戦 力 の
好的 な.
雰 囲 気 で 話 し合 え る 状 態 に ま で
こ う し た 改 革 を 実 行 し て いく た め に
努 力 の 一環 で あ る 。
均衡 を 図 り 、 十 二球 団が共 に繁 栄 し
き た 。 し か し な がら プ ロ野 球 O B が ア
は 、 プ ロ野球 紺 織 の財 政 基 盤 を 堅 圃
.越 え ら れ ぬ プ ロ・ア マ
て いく た め に は 、 "必 要 な 規 制 " で
マチ ュア 選 予 と し て 受 け 入 れ ら れ ず 、
な も の と し な け れ ばな ら な い。 メ ジ ャ
⑭
あ り、 当 分 の 問 統 行 せざるを 得 な い、
指 導 者 と し て 復 帰す る 道 にも 厳 し い条
ー -ー ー グ の財 政 は、 入 場 料 や パ ーキ ン
私 も こ の制 度 が 完 壁
と判 断 し て いる 。
件 が 付 さ れ て いる 。
こ の制度 の 目 的 は、① 球 団 財 政 の
力 の 均 衡 化 、 の =.
点 にあ り、 こ の 制
わ れ わ れ の 願 いで あ る , ア マ チ ュ ア
特技 の 野 球 で再 就 職 でき る こ と が、
大 部 分 は わ が 国 では "潜 在 的 な 財 産 〃
って 支 え ら れ て いる 。 こ れ ら のう ち の
選 手 名 、 ペ ット マー ク等 の 許 諾 料 によ
グ 料 のほ か 、 高 額 な 放 映 料 や 球 団 名 、
球 の人 気 が う ん ぬ ん さ れ は じ め た の
度を や め て も こ り .
.
点 に つ いて は 心
野 球 向 L の た め に、 でき る こ と が あ
現 役 を 引 退 し た プ ロ野 球 選 手 が 、
は、 貴 花 田 のよ う な スー パー スタ ー
配 な いと こ ろ ま で 球 界 が 成 熟 す れ ば 、
健 全 化 、 ② 球 界 の 秩 序 の維 持 、 ③ 戦
が 出 て こ な か った こ と に 、 最 大 の 原
る こ と で 選 手 の優 遇 策 は ま す ま す 充 実
で あ り 、 ま だ ま だ 発 掘 ・開 発 の 余 地 を
フト で き る 選 手 数 を 憎 や す 方 向 で 検
す る し 、 入 場 料 の据 え 置 き も 可 能 で、
れ ば 、 葺 ん で や ら せ て も ら い た い。
"規 制 強
撤 廃 に や ぶ さ か で は な い。 し か し 、
討 し て い る 。 一兄 こ れ は
直 接 フ ァ ン に 還 元 さ れ る こ と にな る 。
因 が あ る と 思 う 。 スポ ー ツ の世 界 で
化 " に 受 け 取 ら れる か も し れ な い が 、
現 実 に テ レビ の放 送 権 、 放 送 料 一つ
残 し て いる 。 こ の財 産 を "顕 在 化 ηす
(日 本 野 球 連 盟 ) か
現 在 進 行 中 の 改 革 の中 で は 、 ド ラ
さ れ て き た の は 、 新 人 選 手 に "プ ロ
実 は社 会 入 野球
と って も わ が 國 の場 合 こ れ ま で の沿 革
残 念 な が ら 現 状 は そ こま で 成 熟 し て
最 近 の少 年 達 は 、 遊 びに事 欠 か な
野 球 に 入 ら な い自 山 " が あ る か ら に
ら ﹁ド ラ フ ト で 指 名 し な か っ た 選 手
が あ り 、 改 革 に は時 間 も か か う つが 、
は 、 フ ァ ン で な く て も 、 そ の存 在 が
い。 そ の子供 達 の 目 を 野 球 に向 け さ
ほかな ら な い。 現在進 行中 の改 革 も
を 取 ら な い で も ら いた い ﹂ と い う た
私 の 在 任 中 に方 向 づ け だ け でも し てお
"と し て 認 定
せ る ため に は 、 野 球 の而白 さ を ア ビ
こ の .線 を 越 え な い、 と いう コ ン セ
って の 要 望 が あ り , そ れ に こ た え よ
き た いと 思 って いる 。
。や む を 得 ざ る 規 制
ー ルし 、 ア ロ野 球 が 魅 力 あ る 職 業 で
ン サ ス の上 に 進 め ら れ て いる 。 さ ら
う と し て い る た め に ほ か な ら な い。
いと 、 爆 発 的 な 人 気 が で な い。
あ る こと を 知 って も ら う 必 要 があ る 。
に 〃規 制 " は 少 し でも ゼ ロ に 向 か う
いる と は 判 断 で き な い。
今 シ ー ズ ン、 ア ロ野
吉 國 プ ロ野 球 コミッシ ョナ ー 語 録
広 く 知 られ る よ う な大 スタ ー が出 な
プ ロ野 球 人 気
、
、
…
-7㎜
現在 進 め て いる 大 き な改 革 も、 そ
q2>
「,、
一.、
』
・柵
、
⊆
一
第258号
1991年8月10日
第258号
1991年8月10日
孤 児 院 の 院 、長 を 務 め る ユ ダ ヤ 系
え.
ーた ち . ナ チ 支 配 ド ワ ル シ ャ ワ
の異 常 な 事 態 が 錯 綜す る。
罐 会 議 報 告 灘
︹7 ・9
宴会 場}
11 本 斯 聞 社 の 理 事 交 代 を .
駅認,
"
第 剛 回 理 事会
.、西
一.会 費 規 則 の .部 改 定 を 脈 認 。
誇 り ずコ.
止 塘
我♂U捨 て 、 じ ゃ が い ーひ
一袋 、 幾 ば く か の 寄 付 を 求 め て 走
一、八 [
月 一 口 か ら の 貸 室 料 改 定 ︻悟 均
(
︾ 蜘つア ッ フ )を 決 {
疋、
.
り回 る コ ルチ 帥
、 !ク 完 生 。 . .
白入
月 .目 付 の 会 員 入 退 会 を 審 議 し 、 理
松 ド 委員 長 、 羽瞭 、 清 水 .播
事 会 へ答 申 し た .
出 席
谷 . 村 瀬 . 大 塚 、 川 畑 、 浮
木 、 中 村 、 柴 埼 の各 委 鼓 、
第 凹回 企 画 委 員 会
フ レ ス セ ンタ ー ホ ー ル の
ゲ スト に つ いて協 破 し た ほ か、 プ ,
r
仔 事 報 翫目の 後 、 ・
へ 月 口㎝
降 のク ラ プ
氏会 議室 冒
営 み は 際 限 か な い,
.だ が 、 奔 走 の
ク ラ フ 南丁場 利 川 に つ い て 、 株 目 本
シ ュ米 た ω
机酬
眼 の 記 臥nへ'兄 に つ い て
一7 ・m
果 イ、、 ト レ ブ リ ン カ 収 容 .
肋行 き ゐ
フ レ ス セ ンクーヒ の交 渉 経 過 を 説
は 、 小 委 員 会 を 設 け て 対応 す る こと
の.
﹁ 供 を 飢 え と .死 か ら 守 る た め の
命 八--が ド る ..
明 . 利 用 方 法 や 佃氏用一
料 な㎝
ド︺に つ い
にし た 、
.、 m 階 の
﹁.
r 供 達 を 怖 が ら 刃・
な いた め に は 、
て は 、 施 設 運営 委 員 会 に検 討 を 委
出 席
部 、 江 藤 、 藤 原 、 河 崎 、 旧
以 隆 の ブ レ ス セ ン ク ー ホ ー ル の 利 用
理事 会 か ら委 嘱 さ れ た . 明 午 四 H
第 ワ︼
会護室 ︺
・
小ヒ 理嘱 長. 犬 養 、 藤 村 両 副
関 根 委 員 長 .村 L 、細 野 . 阿
嘱 す る こと にし た、
.ダ ビ デ の 星
出席
私 が つ い て あ げ な く て は な ら な い ﹂.
" の旗 と 共 に 完 生.
は
梨 , 佐 藤 , 山 中 . 西 村 . 秋
第 80 回 施 設 運 営 委 員 会
.
r供 の 隊 列 の 光 頭 に 此 つ 、 化貝占㍗の
川 、 藤 木、 浅 野 、 松 澤 . 永 町
(7 ・24
畑 . 藤 川 、 丸 尾 . 川内 、 末 常
芝 配ド の ワ ル シ 函
、ワ ケ ワ ト ー 詑
.
﹂、
か つて夏 休 み を楽 し ん だ森 にさ
.
1、 は 閉 じ 、 何 秒 か の 暗 闇 。 静 {
叔、
の各 理事. 長 谷、 辻 両 監 郭 .
理 骸 長.松 ド 、 関 根 、 米 、 木
.∵日八 の 孤 児 を {
手る が . つ い に ガ
し か か リ 、最 後 尾 の 貨 屯 か 、
停 ま る,
医 師 ﹁コ ル チ 荊,門
,ク 光 生 ﹂が 、 ナ チ
ス 室 ト レ プ ーー ン ウ 収 容 所 に 送 ら れ
中 か ら飛 び 出 し 望原 を 走 リ出 す ,
ー
の各 委 員 .
た 実 話 の 映 .画 化 、
、父 を カ チ ン の森
第 ⋮⋮回 会 報 委 員 会
供 ら の顔 の明 る さ .
第 ,入バ譲 室 ∀
で ナ チ に膚 殺 さ れ た 鬼 十 ア ン ジ ェ
=- ・h
法 ・料口
金 に つ い て 協 議 Fレた ほ か . 六
代 問 が愛 を 、 連 帯 を、 氏 閻 の尊
L 月 ロ
ヴ. 記 録 版 5
4ロ
ゲに つ い て 飢
思兄
厳 を 信 じ 、 果 て た ヒき .あ ん な 表
月 度 の貸 室 およ び ア ラ スカ の売 リ L
イ ・ワ イ ダ 監 督 が . 稟 斌 自 山 化 で
交 換 し た 後 、 ,
八、 托 月 号 の 編 集 に つ
げ に つ いて、 事 務 局 か ら報 告 し た 。
や っヒ 作 る こ ,
二が 出 恥 た モ ノ ク ロ
いて 協 議 し た .
・料 金 に つ い て
情 にな る のだ ろ う か、遠 ( 週 き 忘
一芋 U ・L .L } .
.
1" - 1 ーウ
出 席
﹂ .宮 地 、八 木 、田 中 の 各 委 員 .
石 川 委 員 長 . 中 空 、和 田 .村
理 嘱 会 に答 申 す る こ と にし た.
は 、 元 月 の委 員 会 で 成案 をま と め .
こ の 結W
果 、 利 用﹁
法
れ た 何 か が 、 心 を つき 崩 す の だ .
深 川 委 員 長、 山崎 、 金 林 、 川
バ ノク に 響 く ナ チ 親 衛 隊 の銃 声 、
エンド タ イ ト ルが終 わ るま で席
.
戸 の各 委員 。
小 会議室 V
松 ド 新 委 負 長 のあ いさ つ の後 、 ,
八
(7 ・17
第 田回 会 員 資格 委 員 会
出席
飢え . 病 に倒れ る ゲ ,
.ト ー の 入 々 、
を ㍍.つ 入 は な く , 諸 兄 姉 泣 い て い
大 留明夫
レ ジ ス タ ン ス の 若 臥n、 ヤ こ二、
㌧㎜馬・
え
個 人 D 全員
た
・味 方 の 教
る ユダ ヤ の 同 胞 。 偉 た な 児 童 教 育
学者 を 救 お う とす る敵
(B)
ク ラブ試 写 会 「コ ル チ ャ ッ ク 先 生 」
○ 囲碁 の会 ●
七 月 二 十 11 。 十 六 人 が 参 加 、 総
会 員 の著書
政治 改革
高橋
祥起
︹ご恵贈 いただき まし を
(
芦 書房
・ギ
大 蔵 雄}
ン﹂助
.一
、六〇〇 円)
対 局 数 は 三卜 八局 。 久 し ぶ りに新 井
ス
J
日 外
・テ レ ン
ヤF
7D
ηー 在
ヒ 目
月 卜 11
.. 四 〇 〇 円 )
﹁酉 へ向 カ ッ テ み
疋レ﹂
(
講談杜
会 長 が顔を 見 せ ま し た 。
成 績 の良 か った 方 は 、 川 本 和 孝 四
圏
︹土 ︾ 午 後 一
段 . 後 藤文 康 二段 、 細 金 正人 初段 の
方 々でし た。
次 回 は 八 月 二 十 四 11
太丸 ミ コー ジ ア ム か ら
国 報 道 協 会 会 長 ︹ロイ タ ー 通 信
,
ブ カ レ スト 国 疏 美 術 館
時 から た会 議 室 で 行 います .
プ ロ棋 L ・大 野 雅 文 四 段 を 招 い
所 蔵 絵 画 展 ﹂の 招 待 券 を ご恵 贈 い た だ
て . 指 導 対局 も 行 わ れ ます 。 多数 ご
参 加 く だ さ い。
きま し た。 お 礼 申 し あげ ます 。
し た が、 県 々に .
二入 が 殉 職 、 多 く は
十 代 の若者 を 中 心 に ヒ ー
﹁八 余 が 活 躍
点 にヒ 支 局を 配 置 し た 。 そ こで は 二
軍 軍 政 地 域 に も マ カ ッサ ル支 社 を 拠
道 網 を 展 開し た が 、 東 南 ア ジア の海
大 戦 中、 同 盟 通 信 は 全占 領 地 に報
材料 を補 足 し て ま と め たが 、 空 白 が
心 に、戦 争 に関 す る各種 出 版物 か ら
憶 は 薄 れ て いる 。 不 卜 分 な 材 料 を 中
と ん ど は トロ希 1ー ヒ の 老 境 に あ って 記
る人 は 二卜 乱 人 に過 ぎな い。 そ の ほ
い.
.
.
卜 入 が す で に他 界、 消息 のわ か
け。 だ が半 世 紀 を 経 た今 ロ 、 半 数 近
記 憶 と 少 な い個 八 的 な 占 い記 述 だ
く な い。 資 料 は 勤 務 し て い た 入 達 の
激 し い戦 局 の ド で 口 夜 生 死 の 境 を さ
多 い。 残 念 な が ら 時 を 逸 し 過 ぎ た 。
ゆ ビ ジ ョ ンボ ック スO
﹁苦 難 と 危 機 を 乗 り 越 え て . マカ ッ
ま よ う 状 況 に あ った 。 そ の 活 動 記 録
現存者 に よ る 自 費 出版 . ク ラ ブ 書
いた だ け れ ば 幸 い で あ る 。
個人D
内田啓 明
棚 に 寄 贈 さ せ て いた だ いた 。 お 読 み
サ ル芝 社 局 の 記 録 1 ﹂ を よ う や く ま
と めた 。
敗 戦 時 に支 社 局 の文 書 類 はす べて
焼 却 し て いる の で 、 公 的 な 記 録 は 全
(14)
第258号
1991年8月10日
第258号
1991年8月10日
写 真
木
和
彦
(当 時 は も っ ぱ ら テ ン ト 張 り
,
r供 の晦 に読 ん だ 笑 い 話 に こ う いう の が あ
った 。 サ ー カ ス
だ った ) に タ ダ で 入 る 方 法 . そ れ は テ ント に
お 尻 を つ っこ ん で 四 つ ん ば いに な る . そ こ に
兄 張 り が 来 て . お いお いそ ん な 所 か ら 出 て は
駄 目 だ 、 ち ゃん と 出 口 か ら 出 な さ い、 と .
百わ
れ る, そ こで大き な 顔 を し て中 に入れ る 、 ヒ
いう の で あ る .
こ の 入 は 入 ろ う と し て いる ので あ ろ う か 、
出 よ う と し て いる の で あ ろ ・
・ーか . 営 業 活 動 の
自 粛 を 告 げ て いる こ の 張 り 紙 に は 、 お 客 様 に
大 変 ご 不 便 を お か け いた し ま す が 、 宜 し く ご
r・
承 の ほ ビ お 願.い申 し ヒ げ ま す 、 と 書 い て あ
る 。 ま さ か 、 こ の シ 瀞、ッ タ ー の ド を く ぐ り 抜
﹁ご .不 便 ﹂ を か け た
け な く て は な ら な い、 と い う こ ヒ が ﹁ご 不 便 ﹂
の内 容 で は な いだ ろ う 、
損 失 補 て ん 問 題 で 番
の は .般 投 資 家 で は な く 、 公 ↑
衣を 求 め ら れ た
リ ス ト に 載 っ て い る 企 業 、 個 八 と いう の が 四
大 証 券 の 認 識 で は な いか , こ のと こ ろ 報 道 さ
れ て い る 一連 の 有 名 企 裳 、 大 学 に か か わ る 不
祥 事 事 件 を 読 ん で い る と 、 11 本 の 社 会 は 芯 か
ら 腐 って き て いる の で は な いか と 真 剣 に 思 わ
さ れる。
.小 臣 行 為 が 大 手 を 振 っ て ま か り 通 る サ ー カ
魍 )
ス 小 屋 は 、 い つま で 匿 界 の 中 で 競 争 に 耐 え ら
れ る の だ ろ う か。
(羽 仁
(15}
柏
(
翫 軌嶽 欄繍 ⋮.
へ﹂
サ ー カ ス 小 屋
︹二 時 間 単 位 ) が
八 月 から 貸室 料 金 を改 定 し ま し た
八 月 一日 か ら ク ラ ブ の貸 室 料 金
︿ ﹀ は 一時 間 当 た り の延
一﹂ハ、 疏 ○ ○ 円
(・
八、 一
二〇 〇 川口V
︹ ) は広 さ と適 正 入 数 。
次 の よ う に な りま し た 。
長料金。
冗 階︼
.① Lヘムム議 {
至
一 一、 ○ ○ ○ 円 ︿.
鉦、 近 ○ ○ 円﹀
(22 坪 ・会 議 30 人 ・症 食 40 入 )
②小会議室
大陸
喜止
取締 役
代長取締 役社 長
理 事 ・社 長
編集 統 活 総 局 長
(13 坪 ・会 議 20 人 ・立 食 25 八 )
(法 人 会 員 代 表 変 更 V
(新 V 高 橋
清成
11 則 ス ポ ー ツ新 聞 社
(旧 ) 中 島
徳丸
恭
昭夫
名 古 屋 タイ ム ズ社
(
新) 吉田
(旧 ) 横 内
(新 ) 国 保
.洗
テ レビ愛 知
(田 ) 黒 川
(新 ) 脇 野
寛
テ レ ビ新 広 島
(旧 ) 松 本
(新 ) 山 本
囲夫
潔
代表取締 役社長
ア ー ル ・ケ ー ・ピ i 毎 H 放 送
(旧 ) 黒 野
③一
寛乳
会場
一
二一二、 ○ ○ ○ 円 ︿一⊥ハ、 五 〇 ()田U>
︹38 坪 ・会 議 70 人 ・疏 食 80 人 V
三 .二、 ○ 0 0 円 ︿︻六 、 圧 ○ ○ 円 ﹀
﹁ビ ジ ョ ン ポ ック ス ﹂ へ ご 寄 稿 く
﹁ビ ジ ョ ン ボ ッ ク ス ﹂ に ご 寄 稿 を !
会 員 の消 息 欄
だ さ い. 取 材 や 娼 版 予 定 、 転 馨 の お 知 ら せ な ど 近
.
④ 会 見室
(41 坪 ・会 議 の み 80 人 )
月
の
計
行
.四 九 社
基 本会員
八 =.
七 Q人
法 人 ・個 八 賛 助
特別賛助 会員
二 、 七 五五 八
緒 方 貞 子 国 連
(5 H 現 在 ∀
..二 一.
社
事
二 =.
七人
︹戸
∬事 案 内 電 話
誠
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委 員 開宝 子 山 幸 充
○ 一ニ ー一二五 〇 .ニ ー .
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難 民 高 等 弁 務官 を囲 む 会
20 日 (
火 )午 後 2 時 ー 3 時 30 分
八
一、 六 〇 二 入
法八会 貴
口
周 へお 送 り い た だ け れ ば 翌 月 号 で ご 紹 介 し ま す .
大 歓 迎 です 。 毎 月 レ 旺 口ま で に三 .
白 字 以内 で事 務
況 を お 寄 せ く だ さ い。 夏 の 旅 行 の "印 象 メ モ " も
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一六 . 旺 ○ ○ 円 (,
八 、 =﹁
○ ○ 円﹀
︻八 造
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応接{
薫
一 一、 ○ ○ ○ 円 ︿I
(9 坪 ・会 議 室 の み 6 八 )
⑥ 第 .会 議 室
会員現況
個人 会 員
(8 坪 ・会 議 の み 14 人 ﹀
三八
ヒ ..
一
社
一 一、 ○ ○ ○ 円 く.托 、 圧 ○ ○ 円 V
会員
⑦ 第 .一
会議 室
(8 坪 ・会 議 の み 16 人 )
名聾会員
ジ ェー
= 二人
貸 室 の申 し 込 み は 、 所 定 の ﹁利 用 中 込 書 ﹂ に 会
合 名 、セ な品 席 者 な ど を ご 記入 のう え 、 几 階受 付
に ご提出 く だ さ い。
(オ
呉 韓 国 大 使 の スピ ー チ テキ ス ト が あり ます
ヒ月 卜 二 日 に 行 わ れ た、 呉 在 煕
ヒ ) 駐 U 韓 国 大 使 昼 食 会 の ス ピ ー チ テ キ スト (日
本 語 ︺ が あ り ま す 。 ご 希 望 の 会 員 に は コピ ー を 作
﹁ア ラ ス カ ﹂ も ご 利 用 く だ さ い
成 し ま す 。 九 階 の 受 付 へお 申 し 出 願 いま す 。
十階 の
会 報 委 員 長 "深 川
金林 正 義
河野
山崎英 祐
事 務 局 連 絡 ・長 谷 川
ク ラブ 会 員 は ト 階 の レ スト ラ ン ﹁ア ラ ス カ ﹂ を 、
二 割 引 き で 利 用 で きま す 。 ご利 用 の 際 は 、 電 話 (三
〇 三 ⊥ 二五 〇 .
.一- ニ ヒ ニ ..
)
(
電話
﹁会 員 証 ﹂ を お 示 し く だ さ い。
五〇一
一
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) .一七 一
一= で テ ー プ ル 予 約 を さ れ 、 テ ー プ
ル に着 か れ た ら
(16)
第258号
1991年8月10日
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