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第一章を読む (←文字をタップしてください)
ト﹄
だった。︵第一章
おわり︶
* この続きはお買い求めの上お楽しみください。
がインストールされてる方は
*
Amazon Mobile JP
■
こちらからどうぞ >>
はハンバーグでなくては意味がないので、
いったんカラスの 肉を作らなくてはな
らず、それも、あまりぞっとしない話だ
った。
蓮実は、自分が無意識に口笛を吹いて
いるのに気づいた。癖というのは、なか
なか直らないものらしい。
メロディは、﹃三文オペラ﹄の﹃モリター
たい、どうやって処理したらいいのか。
燃えるゴミとして黄土色のゴミ袋に入れ
て出したら、きっと、すぐに見咎められ
ることだろう。
カラスを 材 料 に し
ネットで 調 べ る と、
たパイやシチューの作り方が出ていたが、
と て も 食 べ る 気 に は な れ な い。
モモの
にすれば家計の節約になるが、与えるの
明らかだった。
蓮実は、電気止まり木のスイッチをオ
フにすると、雨戸を開けて庭に出た。
カラスの死骸が、どさりと地面に落下
する。
やれやれと思う。こうして見ると、実
に 大 き い。オナガな ど 比 べ も の に な ら な
かった。これほどかさばる物体を、いっ
のだ。さぞ、止まり木を放して逃げたい
ことだろうが、感電すると筋肉が収縮す
るために、自らの意思では握った両肢を
開くことができないのだろう。
フギンは、全 身 の 羽 毛 を 逆 立
や が て、
て て 膨 ら ん だ 状 態 で 動 か な く な る と、
コ
ウモリのように、止まり木から逆さまに
ぶら下がった。すでに絶命しているのは
び立っていった。
フギンも、鳴き声を発しかけたが、ど
うしても声が出せないようだった。両方
の目が、瞬膜で真っ白になっている。
鳥は、一本の高圧線に止まっても感電
しないが、別に、人や獣より絶縁性が高
いわけではないらしい。左右の肢の間に
電圧をかけてやれば、ひとたまりもない
ントに 接 続 さ れ て い る。
コードの 途 中 に
は、
スイッチが取り付けてあった。
フギンの様子を窺いながら、
ス
蓮実は、
イッチを入れた。
結果は、激烈なものだった。
フギンは、大きく口を開け、半ば羽根
を開いた状態で固まって、痙攣している。
驚いたムニンは、一声大きく鳴くと、飛
スパイプをつかんでいた。二本のパイプ
は、
ゴムシートと 竹 材 に よ っ て、電 気 的
に絶縁されている。
ステンレスパイプから延びている電線
は、合わさって一本のコードとなり、雨
戸の隙間から部屋の中へ導かれていた。
さらに、100Vを200Vに昇圧する
変圧器を通って、最終的には壁のコンセ
る の だ が、フギンは、こ こ は 俺 の 指 定 席
だ と 言 わ ん ば か り の 態 度 だ っ た。直 径
3 ・2 セ ンチのステンレスパイプは、カ
ラスにとって、ちょうどよい太さなのだ
ろう。
止まり木の中央部には、T字の縦棒に
あ た る 竹 が 出 っ 張 っ て い る の で、
フギン
の二本の肢は、左右で、別々のステンレ
徐々にそばにやってくるようになり、つ
い に は 同 族 で は な い と 見 切 っ た の か、
オ
ナガの尾羽根を引き抜いて捨ててしまう。
そして、それと同時に警戒心も捨て去っ
てしまったようだった。
フギンは、今、蓮実の作ったT字形の
止まり木にいる。止まり木は物干し台の
支柱に針金で縛り付けて一段高くしてあ
べ る と、オナガは ず っ と 小 さ い が、文 字
通り尾が長く センチ以上あるので、見
た目のインパクトは大きい。
フギンとムニンも、二日ほどは、尾羽
根 の あ る 周 辺 を 忌 避 し て い た。カラスは、
何より同族の死骸に関心を持ち、恐れる
という習性がある。しかし、三日目にな
ると、こちらの意図を察したようだった。
20
いため、新しいものがあると、しばらく
は 敬 遠 し て 近 づ か な い。特 に、フギンと
ムニンは、智能が高く、こちらの意図を
見抜く能力は図抜けていた。
しかし、だからこそ、それを逆用する
ことができるのだ。
蓮 実 は、止 ま り 木 の す ぐ そ ば に、オナ
ガの 尾 羽 根 を 差 し て お い た。カラスと 比
猫のようなしなやかさで身を起こすと、
そっと、庭の方へ行く。雨戸は、外が見
えるように、隙間が空けてあった。
そっと目を近づけて、外の様子を窺う。
いた。巨大なカラスが、二羽、物干し
台に止まっている。
蓮実が特製の止まり木を作ってから、
四 日 が た っ て い た。
カラスは 警 戒 心 が 強
どうやら、よくやったという意味らしい。
園田教諭も、こちらを見てうなずいた。
辞職の可能性もあったところを、結局、
口頭の厳重注意だけですんだのだから、
感謝のまなざしも当然のことだろう。
蓮実は、目を開けた。
カラスの鳴き声だ。
えていたら、まずいことになっていたか
もしれないと、蓮実は思う。やり手らし
いあの弁護士を、本気で怒らせてしまっ
たかもしれないのだ。
やはり、当初、難物と思えた園田教諭
の方を説得にかかったのは、正解だった
らしい。
酒井教頭が、蓮実の背中をぽんと叩く。
考えたのだろう。二、三度うなずくと、
わかりました今後ともよろしくお願いし
ますと言い、それで会見はお開きになっ
た。
事務所を出るときに時計を見ると、来
所してから十五分しかたっていなかった。
酒井教頭から指示されたように、鳴瀬
本人を説得して親を懐柔しようなどと考
遺憾の意を表し、二度とこのようなこと
は起こさないと誓うと、医療費を含めた
賠償を申し出た。事前に打ち合わせたと
おり、弁解は一切しなかった。
鳴瀬弁護士は、表情こそ変わらなかっ
たものの、こちらの対応に満足したよう
だった。少なくとも、これ以上圧力をか
けても、たいして得られるものはないと
ま り、難 敵 で は あ っ て も 、
クレーマー と
は正反対に、早期の決着を図りやすい相
手でもある。
蓮実は、無駄な前置きは排して、まず、
担 任 と し て の 謝 罪 を 行 っ た。バトンタッ
チした園田教諭は、鳴瀬修平に怪我をさ
せてしまったことを率直に詫びる。さら
に酒井教頭が、あらためて学校としての
脳明晰らしく、言葉にまったく無駄がな
い。
時間を無駄にすることを最も嫌うタイ
プだろうと、蓮実は見て取った。教師の
給与からすると想像もつかないような時
間給で動いているため、まさにタイム・
イズ・マネー で、つ ま ら な い 問 題 に 必 要
以上にかかずらうことを恐れている。つ
翌日、蓮実は、酒井教頭と園田教諭の
三人で丸の内にあるダウンタウン弁護士
事務所に出向き、鳴瀬修平の父親と会っ
た。
鳴瀬明男弁護士は、小柄で、高級そう
な背広に身を包み、ちょっとウッディ・
アレンに似ていた。学校の非を糾す際も、
語り口調は事務的だったが、いかにも頭
は、早く片付けなきゃなりませんな﹂
園田教諭は、大きな手でグラスを握り
しめて言う。
蓮実は、やれやれと思う。これで、何
とか、和解のための道筋はできた。すっ
かり薄くなった焼酎のオンザロックを
み干すと、急に空腹を感じた。
に復帰してもらいたいんですよ。今、ち
ょっと、いろいろありまして﹂
問題が起きていることを臭わせると、
園田教諭は、太い眉を上げた。
﹁柴原ですか?﹂
﹁え え。ま あ、こ こ で 申 し 上 げ る よ う な
話でもないんですが﹂
﹁そ う か。そ う い う こ と な ら、こ の 問 題
ょう﹂
園田教諭の態度は、武道家らしく、見
ていて潔いものだった。
﹁た だ し、体 罰 そ の も の の 是 非 に つ い て
は、信念を曲げるつもりはありません﹂
﹁ありがとうございます!﹂
蓮実は、深々と頭を下げた。
﹁う ち の 体 育 の 授 業 も、早 く、園 田 先 生
下げるだろうにね。逆にのけぞるとは、
今の子のやることはわからないなあ
⋮⋮﹂
そばにいた古典の井原恒教諭が、感想
を漏らす。授業と同じ春風駘蕩といった
調子に、場が和んだ。
﹁⋮⋮ い や、わ か り ま し た。鳴 瀬 に 怪 我
を負わせたことについては、謝罪しまし
を含んでいたので、全員が、ほっと胸を
なで下ろした。
﹁平 手 で 頭 を 叩 こ う と し た ら、そ の 瞬 間、
鳴瀬が躱そうとしたのか、頭をそらした
んで、目の横に当たってしまったんです
よ。まあ、その程度の動きも読めなかっ
た私の未熟さのなせる業です﹂
﹁ふ つ う、頭 を 叩 か れ そ う に な っ た ら、
よ﹂
しばらくの間、重苦しい沈黙が続いた。
周囲にいる誰もが、固唾を んで、成り
行きを見守っている。
﹁⋮⋮ 素 人 に 下 手 糞 呼 ば わ り さ れ る の は
不本意だが、まあ、そのとおりだからし
かたがないな﹂
ようやく園田教諭が発した声は、笑い
を導こうとして加えた体罰なら、怪我を
させないような配慮は、当然、あってし
かるべきでしょう。⋮⋮失礼を承知で言
いますが、目尻を切って流血させるとい
う の は、プロの 教 師 と し て ど う な の か。
まして、園田先生のような空手の達人が、
どうしてそんな下手糞な殴り方をしたの
か、今でも不思議でしょうがないんです
トパンチの店内は、一気に気温が十度ほ
ど下がったようだった。
﹁は い。先 生 が 鳴 瀬 を 殴 っ た こ と に 対 し
て は、謝 罪 の 必 要 は な い と 思 い ま す。
⋮⋮しかし、怪我を負わせたことについ
ては、話は別です﹂
蓮実は、平静な調子で答える。
﹁怒 り に ま か せ て で は な く、冷 静 に 生 徒
﹁え え。で す か ら、園 田 先 生 に は、謝 罪
していただかなければなりません﹂
﹁何だと⋮⋮?﹂
園田教諭の目が、ぎらりと剣 な光を
帯びた。
﹁今、謝 罪 は 必 要 な い と 言 っ た ば か り だ
ろう?﹂
ラビッ
二 人 を 除 く 全 員 が、凍 り 付 く。
を言いかけたが、田浦教諭に手で口を塞
がれた。
﹁い や、よ く わ か り ま し た。私 も、今 日
は、蓮実先生のお考えを知ることができ
たのは、良かったと思います。ですが、
だったら、この一件は、どう処理するお
つもりですか? 鳴瀬の親はかなり強硬
だと、教頭から聞きましたが﹂
違う話だからだろう。
﹁私 た ち 一 般 の 教 師 は、必 要 な 体 罰 を 一
部の先生に肩代わりしてもらって、自分
たちは、のうのうと体罰には反対のよう
な顔をしていたんじゃないか⋮⋮私自身、
反省が必要だと思ってるんですよ﹂
﹁ひかし、ほれはですね⋮⋮蓮実先生﹂
真田教諭が、呂律の回らない舌で何か
謝するはずです﹂
園田教諭は、大きくうなずいた。
﹁蓮 実 先 生 が、そ う い う お 考 え だ と は 知
りませんでした。⋮⋮いや、我が意を得
た思いです﹂
向こうで、田浦教諭が、ぽかんと口を
開けているのが見えた。蓮実がふだん生
徒たちに言っていることとは、百八十度
いうことです。たしかに、建前では、体
罰はすべて禁止されています。しかし、
今の子供たちが、それで言うことを聞き
ますか?
一時的な感情の発露ではなく、
心底、子供たちのことを案じて加える体
罰は、愛の鞭です。子供たちが道を踏み
外しそうになったとき、愛の鞭によって
立ち直ることができれば、将来、必ず感
い!﹂
﹁もちろんです﹂
蓮実は、間髪を入れず答えた。
﹁ん?
どういうことです?﹂
園田教諭は、狐につままれたような顔
になった。
﹁で す か ら、先 生 が 鳴 瀬 を 殴 っ た こ と に
対して謝罪される必要など、一切ないと
した﹂
園田教諭は、焼酎のグラスを置くと、
大きな目で蓮実を見た。
﹁蓮 実 先 生 の 言 い た い こ と は、よ く わ か
ってます。そのために、本日は、こうし
てお誘いいただいたわけだ。⋮⋮だが、
私は、自分の信念に反し、体罰を加えて
申し訳ないなどと謝罪することはできな
技術ではないのか。それがなぜ、教育現
場では常に人間性の涵養にすり替えられ
るのか、まったく理解不能だった。
とはいえ、もちろん、ここで、そんな
ことは言えないし、言うつもりもない。
﹁園 田 先 生。お 話 を う か が え て、本 当 に
よかったと思います。先生は、やはり、
我が校に必要な方だという確信が持てま
いものなんです﹂
周囲で聞き入っていた教師たちは、み
な、大なり小なり感銘を受けているよう
だった。もう少しで拍手が出そうな雰囲
気である。だが、一人、蓮実だけは、醒
めていた。
すべての武道、格闘技は、つまるとこ
ろ、相手を殺すか戦闘能力を奪うための
え上げる武道だからです﹂
いつしか、静かになったラビットパン
チの店内に、園田教諭の言葉だけが響い
ていた。格闘技談義は、しだいに教育論
へと発展していく。
﹁⋮⋮ ど ん な 困 難 に 直 面 し よ う と も、絶
対に折れない、挫けない心。それこそが、
厳しい練習を通じて、私が生徒に与えた
ませんが、空手こそ最強の格闘技だとい
うことです。K1にせよUFCにせよ、
選手の健康を重視したルールの中では、
その強さはわからないかもしれない。だ
が、本当に殺すか殺されるかという極限
状況に至り、空手は、初めてその真価を
発揮するんだ。空手とは、単に肉体の技
術を高めるだけではなく、強 な心を鍛
獰猛な体つきだと思ってたんですが﹂
﹁そ ん な 目 で 見 る の は、勘 弁 し て く だ さ
い。私は、根っからの平和主義者ですか
ら﹂
蓮実は、両手を広げて、戦意がないこ
とをアピールした。
﹁そ う で す か。⋮⋮ ま あ い い。私 が 言 い
たいのは、手前味 と思われるかもしれ
は、捻られたら、ひとたまりもないはず
です。ところが、膝や首を捻ったりする
のは、たいてい反則になりますし﹂
﹁ほ う ⋮⋮ 詳 し い ね。蓮 実 先 生 は、格 闘
技の経験があるんじゃないですか?﹂
﹁と ん で も な い。見 る の は 好 き で す が、
やる根性はありませんよ﹂
﹁そ う で す か? 細 い よ う で、け っ こ う
最強の打撃技である頭突きがOKなら、
もっと早くKO決着するはずだ﹂
﹁そんな無茶な⋮⋮死人が出ますよ﹂
蓮実は、柔らかく反論を試みる。
﹁そ れ に、園 田 先 生 は、打 撃 系 が 割 を 食
ってるとおっしゃいますが、寝技系も、
けっこう禁止技は多いじゃないですか。
たとえば、足関節を取られた場合なんか
園田教諭は、いつになく熱弁をふるう。
﹁そ れ に、最 近 の 総 合 格 闘 技 は、打 撃 系
にのみ禁じ技が多すぎるでしょう。初期
のバーリトゥ ード・ルールの よ う に、禁
じ手は、嚙みつきと金的攻撃、目潰しく
ら い で い い ん だ。グラウンドで の 垂 直 の
肘打ちや、顔面へのキックまで駄目だと
いうのは、おかしいですよ。だいたい、
だ け で、形 勢 は 百 八 十 度 変 わ っ て し ま
う﹂
﹁それは、そうですね﹂
﹁第 一、相 手 が 複 数 に な っ た 瞬 間 に、あ
らゆる寝技は、まったく無意味になる。
つ ま り、総 合 格 闘 技 と い う の は、ボクシ
ングや 柔 道 と 同 じ で、
ルールの 中 で の 最
強を競っているにすぎないんだ﹂
﹁参 考 に は な る が、証 明 に は 全 然 な ら ん
でしょう﹂
園田教諭は、馬刺しをほおばると、生
の 焼 酎 を 水 の よ う に み な が ら 言 う。
グ
ラスを握る手は体格に比べても巨大で、
節くれ立ち、分厚い拳腁 胝ができていた。
﹁そ も そ も、何 が 最 強 か な ん て、決 め ら
れるわけがない。小さな得物が一つある
り除いた方がいいだろうと判断した。ま
ずは、心理学で言うところの信頼関係を
構築しなければならない。
﹁⋮⋮ 園 田 先 生 は、総 合 格 闘 技 で の 戦 績
は、
最強の証明になると思われますか?﹂
しばらく話すうちに、格闘技の話が、
互いの興味の接点であり、最も盛り上が
ることがわかった。
いるだけですから﹂
園田教諭は、体育大学の学生時代、空
手の全国大会で優勝の経験があり、空手
部の顧問をしていた。
﹁そ う で す か。⋮⋮ あ っ。何 を お み に
なりますか?﹂
蓮実は、いきなり本題に入るより、し
ばらく酒を飲ませて、相手の警戒心を取
真田教諭の話は衝撃だったが、今はとり
あえず、こちらに注力しなくてはならな
い。
﹁す み ま せ ん。い き な り、お 呼 び 立 て し
たりして。空手部の指導で、お忙しかっ
たんじゃないですか?﹂
﹁い や、た い し た こ と は あ り ま せ ん。今
の時期は、まだ、基本練習を反復させて
だったが、立っているだけで、周囲を圧
するような存在感があった。
﹁園田先生!﹂
蓮実は、立ち上がった。
﹁真 田 先 生。今 の 話、今 度 ま た、ゆ っ く
り聞かせてくれませんか?﹂
﹁わかりました﹂
蓮実は、園田教諭を奥の席へと誘った。
ゃあ、田浦先生だって、大隅主幹も、橋
口先生も、ちゃんとした先生は、何人も
いますよ。でも、つまり、改革を行う熱
意とか⋮⋮﹂
真田教諭は、しどろもどろになった。
そのとき、急に、沈黙が訪れた。見る
と、園田教諭が、入り口から店内を見回
している。学校と同じ黒いジャージー姿
ないですか? これで、蓮実先生がいな
くなったら、いったいどうすれば﹂
﹁あ ら。残 念 だ わ。わ た し は、真 田 先 生
の中では、まともな教師のうちにカウン
トされてないんですね﹂
田浦教諭が、じんわりと真田教諭を睨
む。
﹁い や、そ う い う 意 味 じ ゃ な く て。そ り
まで言ってたんです。さすがに、それは
で き な い と、校 長 が 拒 否 し て ま し た け
ど﹂
水面下では、知らないうちに、そんな
話が出ていたのか。蓮実は、首筋に冷た
いものを感じた。
﹁は っ き り 言 い ま す け ど、う ち の 学 校 で、
まともな教師は、蓮実先生と僕だけじゃ
ーブルに置いた。
﹁⋮⋮ も う ち ょ っ と、詳 し く 教 え て く れ
ませんか?﹂
﹁は っ き り と は わ か ら な い ん で す け ど、
蓮実先生のクラスをどうにかしろという
ことみたいです。今、授業が荒れてるっ
て聞いて、腑に落ちました。⋮⋮それで、
場合によっては、蓮実先生を更迭しろと
て?﹂
﹁そ れ は、わ か り ま せ ん。し か し、二 人
の会話を、偶然、立ち聞きしちゃったん
ですよ。釣井は、何かを明るみに出すと
言って、校長を脅迫してたんです。しか
も、その要求が、蓮実先生に関すること
だったんですよ﹂
テ
蓮 実 は、持 ち 上 げ か け たグラスを、
は、止まらなかった。
﹁そ ん な 悪 徳 教 師 が、ど う し てクビに な
らないか、ご存じですか?
今日、初め
て知ったんですけど、釣井は、校長の弱
みを握って、脅迫してるんですよ﹂
﹁脅迫?﹂
蓮実は、呆気にとられた。
﹁ど う い う こ と で す か?
校長の弱みっ
﹁⋮⋮ し か し、業 者 か らリベートを 受 け
取ってるような教師は、糾弾されるべき
だと思うんですよ!﹂
﹁リベート?
何の業者?﹂
﹁は い は い。そ ん な 話 は、も う や め ま し
ょう。お酒は、楽しく むものよ﹂
田浦教諭が、やんわりと遮ったが、怒
りモードに火がついたらしく、真田教諭
な いクズ野 郎 は、な い ん じ ゃ な い で す
か?﹂
﹁授 業 の こ と だ け な ら、僕 だ っ て、そ こ
ま で 言 い ま せ ん よ。
デモし か 連 中 は、み
んなそうじゃないですか?﹂
ラビットパンチの 店 内 に、何
蓮 実 は、
人か団塊の世代の教師がいることに気が
ついて、ひやひやした。
﹁ち ょ っ と お、わ た し を 挟 ん で、ど う し
て、そんな殺伐とした話ばっかりするの
よ?﹂
田浦教諭が、抗議する。
﹁い や、ご め ん。し か し、ち ょ っ と、聞
き捨てにはできないっていうか。⋮⋮た
しかに、釣井先生の授業はひどいらしい
ね。でも、いくら何でも、人間の資格が
れてますか?﹂
﹁い や。う ち のクラスで ね、ち ょ っ と、
授業が荒れてるみたいなんですよ﹂
蓮実は、蓼沼らが授業妨害をしている
ことを話した。
﹁そ う で す か。な る ほ ど ⋮⋮。い や、当
然ですよ。その件に関しては、蓼沼が悪
いんじゃないって思いますね﹂
順に思い出してみる。主幹の大隅康文教
諭は、我が校では最も人格者と言われて
いる人だし、それ以外にも、それほど問
題のありそうな教員は⋮⋮。
﹁も し か し て、釣 井 先 生 の こ と を 言 っ て
るんですか?﹂
真田は、酔眼朦朧とした顔を上げた。
﹁そ う で す!
蓮 実 先 生 も、何 か、聞 か
﹁ま あ、真 田 先 生 の 言 う こ と も、わ か ら
ないではないけど﹂
柴原のことを思い浮かべながら、応じ
る。
﹁同 じ 教 科 と し て ね、僕 は、恥 ず か し い
んすよ﹂
﹁同じ教科?﹂
柴原ではないらしい。数学科の面々を、
ねた。
﹁ど う し た も 何 も、う ち の 学 校 っ て い う
のは、最低ですよ。教師どころか、人間
の資格もないクズ野郎が、堂々と教壇に
立ってるんだから⋮⋮蓮実先生は、そう
思いませんか?﹂
これは、はなから穏やかではない。相
当に荒れているようだ。
﹁そ う で す よ ⋮⋮ 今 晩 は、 み ま し ょ
う!﹂
真田教諭も、いつになく、酔っぱらっ
ているようだが、それだけではない。ど
ことなく様子がおかしかった。
﹁ ど う し た の?
何 か、あ っ た ん で す
か?﹂
蓮実は、まるで生徒に対するように
っぽい吐息を漏らす。
﹁あ ん ま り ん で 帰 る と、ご 主 人 に ら
れるんじゃない?﹂
蓮実が言うと、眉根を寄せる。
﹁い い の よ。ど う せ、向 こ う だ っ て、さ
んざん んでくるんだから﹂
田浦教諭の夫は、十五歳年上で、大企
業の部長職だった。子供はいない。
ュアイスを入れたグラスとお絞りを持っ
てくると、田浦教諭は、芋焼酎を注ぎ、
蓮実の分の氷割りを作った。
﹁乾杯!﹂
グラスを触れ合わせる。
三人は、
﹁両 手 に 花 ね ⋮⋮ も う、最 高 に、い い 気
分﹂
とても教師とは思えないような、婀娜
甘い顔立ちをしているせいか、生徒の人
気投票では、蓮実に次ぐ不動の二番手だ
った。
﹁もう。立ってないで、さっさと座って﹂
田浦教諭に腕を引かれて、蓮実は、座
る。三人掛けにはやや狭い席なので、身
体が軽く触れ合った。
何 も 言 わ な い の に、店 員 が、クラッシ
﹁いやあ⋮⋮そんな﹂
真田教諭は、頭を搔きながら、焼酎の
グラスを呷った。現在二十八歳で、晨光
町田では最年少の教師である。一人も落
ちこぼれを作らないというのがモットー
で、授業についていけない生徒には補習
をしてやっていた。軟式テニス部の顧問
で も あ り、スリムな 長 身 で、少 年 っ ぽ い
顔 で 誘 う。
ボックス席 の 隣 に 座 っ て い る
のは、数学科の真田俊平教諭である。
﹁いいよ。お邪魔だろうから﹂
﹁何 よ お。お 邪 魔 だ な ん て、水 臭 い わ ね
え。⋮⋮わたしたちの仲で﹂
﹁田 浦 先 生、今 晩 は、ご 機 嫌 み た い で す
ね。真田先生と一緒だからかな?﹂
蓮実は、真田教諭に向かって言う。
専用駐車場にマウンテンバイクを止め
て、
ラビットパンチに 入 る と、客 は 全 員
見知った顔ばかりだったので、思わず苦
笑する。
﹁あ ら あ、蓮 実 先 生。こ っ ち に い ら っ し
ゃいよ﹂
田浦潤子教諭は、早くも出来上がって
いるらしく、湯上がりのように上気した
けを残すのみだったが、待ち合わせの時
間が迫ってきたので、作業を切り上げ、
再び町田駅前に向かう。行ったり来たり
の一日になったが、最後は、 X C 用
のマウンテンバイクでの出陣だった。道
路交通法上は、自転車でも飲酒運転にな
るが、町なかは押して歩けば、捕まるこ
とはない。
ンチ、横が センチの、T字形をした止
まり木ができた。今度は、電源コードの
先を二つに分割して被覆を剝き、それぞ
れステンレスパイプの内側にハンダ付け
する。最後に、T字の横棒にゴムシート
を巻き付けると、上からステンレスのパ
イプをすっぽりと被せた。
いよいよ、これで物干し台への取り付
30
吹 い て い た。﹃三 文オペラ﹄の﹃モリター
ト﹄
のメロディだった。
購入した物品をハイゼットの荷台に放
り込み、蓮実は、家に帰った。
最初に、太い方の竹材の端に鉈で切れ
目を入れると、細い竹材の中央部を挟み
込んで、釘と接着剤、針金を使って、し
っかりと固定する。これで縦が100セ
チの竹材を、長さ センチに、同じく直
径6センチの竹材を長さ100センチに
カットしてもらった。それから、釘、針
金、接着剤、
ゴムシート、ハンダ付けのセ
ッ ト 、 メートルの電源コード、
スイッ
チをカゴに入れる。これはないかと思っ
ていた小型の変圧器も見つかった。
買い物をしながら、我知らず、口笛を
15
30
家に帰ることにしたが、途中で思いつい
て、
ホームセンターに立ち寄った。
まず、頭の中で完成図を思い浮かべる。
支柱は、庭の物干し台を使えばいいの
で、それ以外に必要な資材を物色する。
最初に、直径3・2センチのステンレス
パイプを、長さ センチずつ、二本切り
出してもらう。次いで、直径2・5セン
10
蓮実は、両手で、美彌の頭をシャンプ
ーするように、もみくちゃにしてやった。
美彌が手を振りながら見えなくなると、
蓮 実 は、
コインパーキングに 止 め て あ っ
たハイゼットの と こ ろ に 戻 っ た。ラビッ
トパンチはすぐそばだが、約束の時間に
はまだ早いし、ずっとここに止めておく
と、費用がかさむ。そのため、いったん
もいい﹂
蓮実は、片手で、美彌の頭をくしゃく
しゃにした。
﹁も う、や め て よ ー。知 っ て る?
そ れ、
女子の間で、どん引きなんだよ?﹂
﹁だ か ら や っ て る ん だ よ。俺 だ っ て な あ、
少しはストレス解消の手段が必要なんだ
よ!﹂
美彌は、すっかり解放されたような表
情になっていた。
﹁⋮⋮ ね え、わ た し、柴 原 な ん か に、汚
されてないからね﹂
﹁え?﹂
﹁体 操 服 の 上 か ら 触 ら れ た だ け だ か ら 。
本当。
キスだって、させなかったし﹂
﹁わ か っ た。⋮⋮ そ れ 以 上、言 わ な く て
﹁す ぐ に、俺 に 言 う ん だ。話 を 付 け て や
る。⋮⋮だけど、どうする?
美彌は被
害に遭ってるわけだし、あいつを学校か
ら追い出すことだってできるんだぞ?﹂
﹁で も、そ こ ま で は し た く な い。う ち の
母親に、心配かけたくないし。最初に、
わたしが万引きしたのが、いけないんだ
し﹂
の味方になってくれるよ。だから、もう、
柴原なんか、全然怖がる必要はないから
な﹂
﹁テープは?﹂
﹁冗 談 だ っ た と 言 え ば い い。万 引 き の 実
態がないんだから、もはや無意味だ﹂
﹁じ ゃ あ、も し 柴 原 が、ま た 何 か 言 っ て
きたら、どうしたらいい?﹂
るさを取り戻したようだった。竹田さん
も、いつでも遊びに来てと言ってくれた
が、はいと元気に答える美彌は、幼い少
女に戻ったように見えた。
蓮実は、美彌を町田駅の改札まで送っ
てやった。
﹁い い か。こ れ で、脅 迫 さ れ る よ う なネ
タはなくなった。あの店長さんも、美彌
彌に言った。
﹁店長さんがいい人で、良かったな﹂
﹁う ん。も う、二 度 と や ら な い っ て い う
のは、本当だよ。⋮⋮絶対、あの店では
ね﹂
蓮実は、深く溜め息をついた。
帰 り に 竹 田 さ ん の 家 に 寄 り、ショコラ
改めゴンと遊んで、美彌は、すっかり明
美彌は、殊勝に答える。
﹁う ち の 娘 も、来 年 受 験 な ん で す。で き
たら、晨光町田に行かせようかな。偏差
値的には、もうちょっと頑張らないと厳
しいんですけどね﹂
﹁是 非、来 て く だ さ い。お 待 ち し て ま す
よ﹂
ドラッグストアを出ると、蓮実は、美
﹁本 当 に、申 し 訳 あ り ま せ ん。今 後 は、
厳しく監督いたしますので﹂
蓮実も、横で頭を下げる。
﹁そ れ に し て も、蓮 実 先 生 み た い な い い
先生が担任で、あなたも、よかったね﹂
帰り際に、店長は、出口まで送ってく
れながら言った。
﹁はい。そう思います﹂
う﹂
店長は、しおらしく目を伏せている美
彌に、優しい声をかけた。
﹁で も、も う、二 度 と や ら な い で ね。最
近は、万引きの被害がひどくてね、うち
みたいな小さな店は、それだけで利益が
飛んじゃうの﹂
﹁ごめんなさい。もう、絶対しません﹂
いた後、一瞬、表情が険しくなる。だが、
美彌が自分から後悔して謝りに来たとい
う話を聞いて、さらに、蓮実が、代金を
支払った上で平謝りに謝ると、すっかり
温顔になった。頭が薄いこともあり、ま
るで仏様のように見える。
﹁う ん、わ か り ま し た。じ ゃ あ、も う、
こ の こ と は、な か っ た こ と に し ま し ょ
﹁ええー?
何て名前?﹂
﹁ゴン﹂
﹁噓。⋮⋮ださ﹂
美 彌 は、顔 を し か め、ピンクの 長 い 舌
を出した。
ドラッグストアの店長は、二人の突然
の来訪に驚いたようだった。万引きと聞
﹁帰りに、会ってくか?﹂
﹁本当?
どこにいるの?﹂
美彌の声音に、喜びがはじける。
﹁竹 田 さ ん っ て い う、事 務 員 さ ん の 家 だ。
先月定年退職したんだけど、あの頃、ち
ょうど、番犬がほしいって言ってたんだ
よ。⋮⋮でも、言っとくけど、今はショ
コラっていう名前じゃないからな﹂
﹁あ の と き か ら、ウチら は み ん な、ハスミ
ンの大ファンになったんだよ。親衛隊と
かESSの子だけじゃない。学年の女子
全員﹂
約一名、なぜだか、怖がっている子は
いるのだが。
﹁⋮⋮ショコラ、今、ど う し て る ん だ ろ
うなー。元気かな?﹂
蓮実は、黙って聞いていた。
﹁ハスミンは、たまたま通りかかって、ウ
チらが泣いてるのを見て、どうしたんだ
って いたじゃない?
それで事情がわ
かったら、すぐ、この軽トラに乗って飛
び出してった。⋮⋮そして、しばらくす
ると、
ショコラを連れて戻ってくれた﹂
美彌の声は、少し潤んでいた。
それで点数稼ぎをしたつもりだったに違
いない。
﹁そうだったんだ。あいつ⋮⋮!﹂
美彌の瞳は、新たな怒りに燃えた。
﹁そのせいで、学校に保健所が来て、ショ
コラは、連れて行かれちゃったんだよ。
みんな泣いたのに、誰も助けてくれなか
った。⋮⋮ハスミン以外は﹂
まって、 をやってたんだ。そしたら、
誰かがチクりやがった。たぶん、生徒じ
ゃないと思うけど﹂
﹁ああ、柴原だ﹂
﹁本当?﹂
﹁まちがいないよ。後で聞いたから﹂
管理職の間で自分の評判が良くないの
は、自覚していたのだろう。柴原教諭は、
の﹂
﹁あ あ。学 校 の 許 可 も 得 な い で、勝 手 に
な﹂
﹁頼 ん だ っ て、許 可 な ん て 下 り る わ け な
いもん﹂
美彌は、口を尖らせて、蓮実を見た。
﹁でも、ほっとくと、ショコラは保健所に
捕まっちゃうから、こっそり学校にかく
びく。
﹁わたしが、
ハスミンのこと好きになった
の、いつからか知ってる?﹂
﹁おいおい。告ってるのか?﹂
蓮実は、冗談めかして言ったが、美彌
は、笑わなかった。
﹁一 年 生 の 時、う ち のクラスで、犬 を 飼
っ て た で し ょ う?
ショコラっ て 名 前
﹁こ ら こ ら、何 や っ て ん だ?
こ れ か ら、
おまえのしたことで謝罪に行くんだ
ぞ?﹂
﹁前から、一度、乗ってみたかったんだ﹂
﹁こんな軽トラなのにか?﹂
﹁うん﹂
美彌は、助手席の窓に腕を沿わせて、
顎 を 載 せ た。セミロングの 髪 が、風 に な
るー!﹂
﹁こ ん な 軽トラで、悪 か っ た な。教 頭 に
も言われたよ﹂
ハイゼットを 発 進 さ せ た。め
蓮 実 は、
ざとく見つけた女子が数人、ずるいとい
うように、抗議の声を上げる。美彌は、
満面の笑みで、助手席からピースサイン
を送っていた。
﹁ほら、何してる。乗って﹂
﹁うん﹂
美彌は、嬉しそうに助手席に乗り込ん
だ。
﹁中は、けっこう広いね﹂
﹁まあ、
ハイゼットだからな﹂
美彌は、噴き出した。
﹁馬 鹿 み た い。こ ん な 軽トラ、自 慢 し て
かりするんじゃないかなあ⋮⋮全員、蓮
実先生のファンだから﹂
﹁恩に着ます﹂
断られないように、手を合わせて何度
も拝んでから、蓮実は、駐車スペースに
行った。美彌は、先に行かせてあった。
物珍しそうに、傷だらけの軽トラックを
撫でさすっている。
ろう?
ほら、行くぞ﹂
美彌は、ほっとしたようにうなずく。
蓮実は、まず職員室へ寄ると、高塚教
諭をつかまえた。
﹁高 塚 先 生。ち ょ っ と、生 徒 指 導 で 用 事
ができちゃったんですよ。今日のESS、
代わりに監督してもらえませんか?﹂
﹁え?
い い で す け ど、生 徒 た ち、が っ
﹁わかった﹂
蓮実は、立ち上がる。
﹁行こう﹂
﹁えっ?
どこ?﹂
﹁お ま え が 万 引 き し た、そ の お 店 だ よ。
俺が一緒に行って、謝ってやる﹂
﹁今すぐ?﹂
﹁早 く 決 着 を 付 け な い と、気 分 が 悪 い だ
﹁で も、生 徒 指 導の教師にそう言われた
ら、もしかしたら、そうなるかもって。
それに、騒ぎになるだけでも困るんだよ。
⋮⋮うち、両親が離婚してから、母親が
鬱になっちゃってて。今、そんな話聞か
されたら、どうなっちゃうかわかんない
から﹂
美彌は、悔し涙をにじませた。
て﹂
美彌は、柳眉を逆立てた。
﹁そ れ で、こ れ を 学 校 に ば ら し た ら、お
まえは退学になるぞって﹂
﹁それを信じたのか?﹂
蓮実は、眉間にしわを寄せる。
﹁そ れ ぐ ら い じ ゃ、普 通、退 学 に ま で は
ならないだろう?﹂
のだ。
﹁柴 原 は、最 初 は、優 し か っ た ん だ。わ
たしを喫茶店に連れてって、とにかく、
やったことは、やったことだ。全部話せ
って言うから⋮⋮たぶん説教くらいで許
してもらえそうな雰囲気だったんで、正
直に、万引きしたことを話したんだよ。
そ し た ら、そ れ を、勝 手 に 録 音 さ れ て
だが、実際は、常習だったんだろうと、
蓮実は睨んだ。
ともあれ、万引きは、店員に見咎めら
れることもなく、美彌は、平然と店を出
た。ところが、後ろから肩を叩かれ、飛
び上がることになる。警備員に見られて
いたのかと思ったが、振り返ると、そこ
にいたのは体育科の柴原徹朗教諭だった
るから。絶対に誰にも言わないよ﹂
最初の言葉を堰き止めていた心理的抵
抗が取り除ければ、後は一瀉千里だった。
美彌は、落ち着いた態度で、ことの顛末
を語った。
きっかけは、美彌が、町田駅前のドラ
ッグストアで、化粧品を万引きしたこと
だった。ほんの出来心だったということ
美彌は、首を振った。
﹁どうして?﹂
﹁困るから﹂
﹁ 何 か 、 や つ に、弱 み を 握 ら れ て る の
か?﹂
美彌は無言だったが、肯定したのと同
じことだった。
﹁何 が あ っ た ん だ。教 え て く れ。約 束 す
のことを心配したから、わざわざ言いに
来てくれたんだ﹂
美彌は、下唇を嚙んだ。
﹁と に か く、こ れ 以 上、俺 の 可 愛 い 生 徒
にふざけたまねはさせない。柴原には、
きっちり、やったことの責任を取らせて
やる﹂
﹁嬉しいけど⋮⋮それはやめて﹂
な?﹂
美彌は、一瞬、目をそらしかけたが、
ゆっくりとうなずいた。
﹁柴原か?﹂
﹁どうして、知ってるの?﹂
﹁俺にチクってくれた生徒がいた﹂
﹁誰?﹂
﹁そ れ は、誰 で も い い だ ろ う?
おまえ
けてくれるか?﹂
美彌は、顔を上げた。瞳に、かすかな
希望の光がともっているようだった。
﹁俺 は、美 彌 の 味 方 だ よ。そ れ だ け は 信
じてくれ﹂
﹁うん⋮⋮わかった﹂
美彌は、うなずく。
﹁今、美 彌 を 苦 し め て る や つ が い る よ
﹁馬鹿。違うよ﹂
蓮実は、苦笑して見せた。
﹁そ う じ ゃ な く て、俺 の こ と、信 頼 し て
るかってこと﹂
﹁そ り ゃ、そ う だ よ。担 任 だ し、ほ か の
先生とは、全然違うし⋮⋮﹂
美彌は、また、目を伏せた。
﹁じ ゃ あ、俺 を 信 用 し て、何 で も 打 ち 明
ている美彌を見ながら、瞬時に、話を引
き出すためのプランを組み立てた。
﹁⋮⋮ な あ、美 彌。俺 の こ と、ど う 思 っ
てる?﹂
意外な質問だったのだろう。美彌は、
顔を上げた。
﹁ど う っ て? 何、ど う い う こ と? ハ
スミン、わたしに告ってるの?﹂
あえて、聞きたいではなく、話したい
と言う。
﹁いいけど⋮⋮﹂
美彌は、以前から蓮実に対しては従順
だったが、それにしても、この元気のな
さは気になる。
蓮実は、美彌を、生徒相談室に誘った。
ソファの向かい側に座って、もじもじし
美彌は、何となく不安そうな表情だっ
た。怜花と同じくらいの小顔をした美少
女だが、眉が上がっていて目力があり、
ふだんは、みなぎる自信と負けん気を感
じさせる。それが、なぜか、今日は影を
潜めていた。
﹁ち ょ っ と、い い か な。話 し た い こ と が
あるんだ﹂
まったく可愛い気のない生徒だというこ
とぐらいだった。
帰宅前の S H R が終わると、蓮実
は、安原美彌を呼び止めた。遠くで片桐
怜花が、ちらりとこちらに視線を向けた
のが見える。
﹁何、
ハスミン?﹂
蓮実は、明るく言う。どうなるのかと、
はらはらして見ていたらしい職員室の雰
囲気が、それでやわらいだ。
結局、最後のコマの時間は完全に潰れ
てしまったが、何とか、堂島教諭の矛先
をかわすことはできた。それにしても、
堂島教諭には、つくづく辟易させられる。
唯一、同感だと思ったのは、早水圭介が、
以前から、先生の先進的な取り組みには、
敬服してたんですよ﹂
蓮実は、心にもないことを言った。
﹁本当ですか?﹂
堂島教諭は、疑わしげな声を出した。
﹁も ち ろ ん で す。い や あ、私 た ち は、二
人とも、早水にしてやられたみたいです
ね﹂
れたので、これ幸いと利用したに違いな
い。堂島教諭に対する攻撃を、すべて蓮
実の言葉として述べることで、まるで、
蓮実が堂島教諭の方針に真っ向から反対
しているかのように、印象づけたのだろ
う。
﹁堂 島 先 生。私 は、事 実、そ ん な こ と は
一切言ってないんです。それどころか、
蓮実は、堂島教諭のねちねちとした怒
りの舌鋒にさらされている間に、何が起
きたのか、だいたい想像がついた。早水
圭介だ。あの性格で、堂島教諭に反発を
覚えないはずがない。いつかやっつけて
やろうと、機会を窺っていたのだろう。
それが、今日の英語の授業で、たまたま、
蓮実が言葉狩りに反対だという言質が取
まい、みな、嵐が過ぎ去るのを待つしか
なかった。
この学校の教師は、総じて、何らかの
コネによって採用されていることが多い
のだが、後になって、高塚教諭から、堂
島教諭は広瀬清造理事長の遠縁に当たる
らしいと聞いて、ようやく合点がいった
ものである。
論者で、事あるごとに職員室で物議を醸
してきた。学校の出席番号は男女共通に
すべきというのはまだしも、﹃男女混合リ
レー﹄の﹃男 女﹄と い う 言 葉 は
﹃女 男﹄に 改
めろなどという変な主張を、職員会議の
席上で延々とまくし立てる。反論などし
ようものなら、何倍にもなって返ってく
るので、最後は酒井教頭さえ沈黙してし
そのまま残すべきだっていうんですか?
つまり、過去の因習と差別の歴史も、
何もかも、全肯定しろと?﹂
﹁そ ん な こ と は 言 っ て な い じ ゃ な い で す
か﹂
蓮実は、思わず天を仰ぎたくなった。
堂島智津子教諭は、四十代後半のベテラ
ン教師だが、先鋭的なジェンダーフリー
く国語科の教員でしょう、という言葉は、
喉元まで出たが、 み込んだ。
﹁⋮⋮ た だ、言 葉 は 大 切 な 文 化 遺 産 で す
から、大切にして継承していかなければ
ならないと、そう生徒たちに教えただけ
です﹂
﹁は あ? あ な た、何 言 っ て る ん で す
か? 昔からあるっていうだけの理由で、
ェンダー教育を実践しようと、懸命に努
力してきたんですよ。あなたは、﹃言葉狩
り﹄な ん て い うレッテルを 貼 っ て、そ の
すべてを否定するんですか?﹂
﹁ち ょ っ と、待 っ て く だ さ い。私 は、堂
島先生の授業についてなんて、一言も触
れてませんよ﹂
それに、あなたはジェンダー科ではな
何にせよ、勝手にこちらまで巻き込ま
ないでほしい。その上、授業放棄までさ
れたのでは、ますます大事になってしま
うではないか。今にして思うと、職員室
にいない方がいいという第六感が働いた
のは、このためだったらしい。
﹁わ た し は、無 垢 な 生 徒 た ち が、男 社 会
の偏見で毒されてしまう前に、正しいジ
本当に可愛い気がない⋮⋮!﹂
蓮実は、おかしなことに気がついた。
﹁そ う 言 え ば、堂 島 先 生 は、今 は 授 業 時
間中じゃないんですか?﹂
﹁そ う で す よ!
そ れ が、あ ん な こ と に
なったんで、自習にしてきたんです!﹂
だから、その、あんなことって何だよ。
蓮実は、こっそり溜め息をついた。
というのは、
どういうことでしょうか?﹂
蓮実は、相手を宥めるための微笑を浮
かべながら、 ねる。
﹁ど う い う も 何 も。あ な た の 動 の お か
げで、授業にならなくなったんです!
だいたい、一組の生徒は、表面は大人し
いけど、教師を見下してるような子が多
いのよ。特にあの、早水っていう子は、
だ の 鳥 の 羽 根 で す。落 ち 着 い て く だ さ
い﹂
堂島教諭がショック状態から回復する
までには、たっぷり五分以上はかかった。
無駄な時間を使わされたことにはうんざ
り す る が、
ヒステリックな 攻 撃 の 出 鼻 を
叩いたのと同じ効果はあったようだ。
﹁⋮⋮ そ れ で、私 が、生 徒 に 何 か 言 っ た
ところが、もはや死に体かと思われた
堂島教諭は、意外な粘り腰を見せ、自力
で体勢を立て直すのに成功する。
﹁は、蓮 実 先 生 ⋮⋮。何?
ぼ、暴 力 を
ふるうなんて﹂
堂島教諭は、分厚い唇を震わせ、眼鏡
の奥で、細い目を茫然と見開いていた。
﹁違 い ま す ⋮⋮ 誤 解 で す よ。こ れ は、た
向けに転倒しそうになった。もしこれが、
養 護 の 田 浦 潤 子 教 諭 や、
スクールカウン
セラーの水落聡子、音楽の小林真弓教諭
などだったら、蓮実は、持ち前の鋭い反
射神経を発揮して、すばやく飛び出し、
抱きかかえて急を救ったことだろう。今
回は、身体がまったく反応せず、見てい
ただけだった。
蓮実は、両手を前に出して、堂島教諭
を押しとどめようとする仕草をしたが、
右 手 に は、オナガの 尾 羽 根 を 持 っ た ま ま
であることを忘れていた。突然、目の前
に真っ黒な鳥の羽根を突き出され、堂島
教諭は、悲鳴を上げてよろめいた。
﹁きゃあ!﹂
小太りの堂島教諭は、のけぞって、仰
﹁何をといいますと⋮⋮?﹂
﹁と ぼ け な い で く だ さ い!
一組の国語
が、わたしが担当だということもご存じ
だったんでしょう?
今日の六限目が、
わたしの授業だとわかってて、わざと、
生徒を焚き付けるようなことをおっしゃ
ったんですか?﹂
﹁ちょ、ちょっと、待ってください﹂
題は一挙に解決するのにと思う。
職員室に入り、自分の机の前に座った
と思ったら、国語科の堂島智津子教諭が、
血相を変えてやって来た。
﹁蓮 実 先 生。あ な た は、生 徒 に 何 を お っ
しゃったんですか?﹂
いきなり喧嘩腰で言われ、蓮実は、面
食らった。
しかない。鳴瀬修平の一件は、今晩の園
田教諭との話し合いの結果如何にかかっ
ている。だが、それ以上に、早く手を打
たなくてはならないのは、安原美彌のセ
クハラ問題だろう。
偶然とはいえ、どちらも体育教師絡み
だった。いっそのこと、二人が戦って、
相討ちにでもなってくれれば、二つの問
ら。⋮⋮それじゃあ、七時半くらいに、
ラビットパンチで﹂
ラビットパンチは、町田の駅前にある
居酒屋で、なぜか、晨光町田の教師たち
の溜まり場になっていた。
職員室に戻りながら、蓮実は、頭の中
で懸案事項を整理していた。とりあえず、
緊急を要するものから順に片付けていく
⋮⋮。実はですね、今晩、ちょっと、お
付き合いいただけないかと思って。ご相
談したいことがあるんですよ﹂
何の話なのか察したのだろう。園田教
諭は、うなずいた。
﹁か ま い ま せ ん よ。で は、部 活 が あ る ん
で、七時以降でもいいですか?﹂
﹁も ち ろ ん。私 も、E S S が あ り ま す か
ジャージーの上からでもわかる肩から広
背筋にかけての筋肉の盛り上がりは、格
闘家に特有のものだった。
﹁ん?
それは、何ですか?﹂
蓮実の持っていたオナガの尾羽根を見
て、濃い眉の下にある、園田教諭の大き
な目が、ぎょろりと動く。
﹁い や、こ れ は、別 に 何 で も な い ん で す
生徒指導部にいるので、一応の人間関係
はできている。
﹁ああ、蓮実先生。どうしたんですか?﹂
園田教諭は、腹から響く野太い声で応
じた。身長は180センチほどだから、
蓮実より3センチほど高いだけだが、体
重 は あ き ら か にヘビー 級 で、ミドル級 の
体格である蓮実とは身体の厚みが違う。
体育の準備室へと向かった。誰もいなか
ったので、体育館を覗いてみると、黒い
ジャージーを着た園田勲教諭が、腕組み
をして立っていた。体育の授業で、一年
生のバレーボールの監督をしているよう
だ。
﹁園田先生﹂
蓮実が声をかけると、振り向く。同じ
ょうけどね。でも、そんなことしたらだ
めですよー。万一死んだら、鳥獣保護法
違反になります。野鳥はねえ、慈しんで
やらないと﹂
そ う 言 い な が ら、猫 山 教 諭 は、オナガ
の腹に、ざっくりとメスを入れた。
生物準備室から逃げ出すと、蓮実は、
﹁イノシシが 感 電 す る の は、電 流 が 肢を
伝って地面に流れるからですよ。鳥は、
高圧線に止まっても、どこにも電流の逃
げ場がないので、感電しませーん﹂
そうだったかと思い、蓮実は、がっか
りした。
﹁まあ、
カラスだって、二本の裸電線に同
時 に 触 れ た り し た ら、
バチッ と 来 る で し
気がするんですが﹂
蓮 実 は、ふ と 思 い つ い て ね た。イノ
シシに 効 く の で あ れ ば、
カラスに も 有 効
ではないだろうか。
﹁意 味 あ り ま せ ー ん。蓮 実 先 生 は、物 理
は苦手だったみたいですねえ﹂
猫 山 教 諭 は、チェシャ 猫 の よ う な 含 み
笑いを漏らした。
﹁⋮⋮あと、
カラスが侵入してくるルート
に、テグスを 張 っ て お く と、け っ こ う 嫌
が り ま す よ。ま あ、
ベランダな ら と も か
く、庭の上空を全部覆うのは無理でしょ
うが﹂
﹁いっそのこと、
ワイヤーを張って電流を
流したら、どうですかね? どこかの農
家 が、
イノシシよ け に 使 っ て い た よ う な
かないかもしれない。⋮⋮まあ、たぶん、
二、三日しかもちませんけどね﹂
猫山教諭は、ぴかぴか光るメスを出す
と、今にも解剖を始めそうになったので、
蓮実は退去することにした。
﹁貴 重 な も の を、あ り が と う ご ざ い ま す。
ためしてみますよ。それじゃ、私はこれ
で﹂
ガの尾羽根を数本蓮実に向かって差し出
した。あまり触りたくはなかったが、し
かたなく受け取る。
﹁これをどうするんですか?﹂
﹁カラスが 来 る 場 所 に 差 し と く ん で す。
黒いゴミ袋なんかでカラスの死骸に見せ
か け た ら、も っ と い い か も。カラスは 警
戒心が強いですからね、しばらくは近づ
んかの道具を使い分けますしね﹂
日本産のカラスも、それに近い智能が
あるとすれば、 したり脅したりして近
づけないようにするのは、まず無理だろ
う。
﹁これをあげますよ。使ってみたら?﹂
猫 山 教 諭 は、
ビニールの 使 い 捨 て 手 袋
を嵌めた手で、引き抜いたばかりのオナ
﹁あ い つ ら、頭 い い か ら。し か も、法 律
で保護されてるし﹂
﹁頭 が い い の は 知 っ て ま す が、た か が 鳥
でしょう?﹂
﹁動 物 用 の 智 能テストを や っ て み る と、
問題によっては、霊長類より上の得点を
取 る ん で す よ。ニュ ーカレドニアカラス
のウエクなんか、状況に応じて、小枝な
フギンとムニンの こ と を 思 い
蓮 実 は、
出した。
﹁そういえば、毎朝、カラスに悩まされて
るんですよ。何とか、追っ払う方法はな
いですかね?﹂
﹁それは無理﹂
猫山教諭は、楽しそうにオナガの尾羽
根を引き抜きながら、答える。
肉 を 除 去 で き る ん で す。タンパク質 除 去
酵素入りなのがいいようですねえ。とは
いえ、これまでに試したのは雀が主で、
このサイズの鳥は初めてなんです。けっ
こう、どきどきしてますよ﹂
﹁たしかに、
オナガっていうのは、こうし
て見ると、わりに大きな鳥ですね﹂
﹁カラスの仲間ですから﹂
方法だけど、煮すぎちゃうと、骨が傷む
んでね。それで、今まで、水酸化ナトリ
ウムの希薄溶液とかトイレ用洗剤とか、
い ろ い ろ 試 し た ん だ け ど、ピカ一 は、や
っぱ、これでしょう﹂
猫山教諭が誇らしげに掲げたのは、入
れ歯の洗浄剤だった。
﹁こ れ が、一 番、骨 を 傷 め ず、き れ い に
できるだけ取り去って、薬品に漬けとく
んです。骨にこびりついた組織を溶かす
ためにね﹂
やっぱり解剖するんじゃないかと思い、
蓮実は、げっそりした。
﹁地 面 に 埋 め と い て も い い ん で す け ど、
時間がかかるし、どうしても仕上がりが
汚くなるんですよ。重曹で煮るのはいい
いだけなんです。骨は⋮⋮本当に美しい
ですからねえ﹂
生物準備室の壁の棚は、数十体の小動
物の骨格標本で埋め尽くされていた。
﹁じゃあ、これ、どうするんですか?﹂
異臭がするわけではないが、蓮実は、
我知らず、鼻と口を押さえていた。
﹁う ん。羽 根 を 全 部 毟り、内臓や筋肉も
﹁⋮⋮ そ の、こ こ で、解 剖 を す る ん で す
か?﹂
蓮実は、少したじろいだ。
﹁い や い や、解 剖 な ん て し ま せ ー ん。私
は、内臓好きの変態連中とは違いますか
ら﹂
猫山教諭は、首を振った。
﹁私 は、た だ、完 璧 な 骨 格 標 本 を 作 り た
猫山教諭は、うっとりと言う。
﹁珍 し い 鳥 じ ゃ あ り ま せ ん が、め っ た な
ことでは、こんな標本は入手できません
からね。うふふ⋮⋮ひひひひひひ﹂
不気味な声や、物腰態度とは裏腹に、
猫山教諭は、二枚目俳優のような整った
マスクの持ち主だった。その落差が、よ
けいに生徒を怯えさせるのである。
ない。
﹁⋮⋮ 蓮 実 先 生。こ れ、見 て く だ さ い。
見事でしょう?﹂
猫山教諭の前には、頭が黒く尾が長い、
鳥の死骸があった。
﹁何ですか、これ?﹂
﹁オナガで す。死 因 は わ か り ま せ ん が、
朝、見つけたんです﹂
いですか?﹂
ふざけた名前のようだが、猫山崇とい
うのは本名で、本人のキャラクターと字
面から、生徒に猫祟りという渾名を付け
られていた。生物の専任教員は猫山一人
だが、生物準備室自体、晨光町田では一
種の都市伝説と化しており、生徒も教員
も気味悪がって、誰一人近づこうとはし
を流して屋根を付けただけの渡り廊下を
通るしかなかった。授業中とあって、人
気はない。二階の生物準備室に入ると、
昼なお薄暗く、妖気が漂っているような
感じがする。部屋の主は、白衣を着て机
に向かい、猫背になって、なにやら細か
い作業に没頭していた。
﹁猫 山先生。ちょっと、お邪魔してもい
頭が自分を探しているのなら、英語科の
準備室に避難したところで、すぐに見つ
かってしまうだろう。
こういう場合の隠れ場所は、決まって
いた。
蓮実は、本館から北校舎に向かう。本
館と北校舎とは各階で繫がっているわけ
ではなく、移動には地面にコンクリート
怜花は、もう一度一礼すると、足早に
生徒相談室を出て行った。
午後の授業二コマのうち、最後の一コ
マは空きだった。最初は、明日の授業の
準備をする予定だったが、なぜか、職員
室にいるとろくなことがなさそうだとい
う第六感が働く。とはいえ、もし酒井教
ったが、怜花の表情は崩れなかった。
﹁違 う と 思 い ま す。蓮 実 先 生 な ら、相 手
が柴原先生でも負けないでしょう。きち
んと筋を通してくれるとも思います。で
も、本当のことを言うと、わたし、柴原
先生より、先生のことが怖いんです﹂
﹁怖い? どうして⋮⋮﹂
﹁失礼します﹂
怜花は、静かに言い放った。
﹁わ た し、先 生 を 信 頼 し て い る わ け じ ゃ
ないんです。ただ、先生なら、こういう
問題に、逃げずに向き合ってくれるって
思ったから﹂
﹁そ う い う の を、日 本 語 で、信 頼 と 言 う
んじゃないのかな?﹂
蓮実は、あえて剽軽に言ったつもりだ
﹁そうなのか? ⋮⋮しかし﹂
﹁わ た し、安 原 さ ん か ら、い じ め を 受 け
たこともあるんです。でも、こんなこと、
絶対に許せないんです。だって、教師が、
生徒にセクハラをするなんて⋮⋮!﹂
﹁そ う だ な。⋮⋮ だ け ど、俺 を 信 頼 し て
くれたのは、嬉しいよ﹂
﹁それも、違います﹂
処する。これ以上、安原が傷つかなくて
もいいようにね﹂
怜花は、深く一礼して、立ち上がった。
﹁で も、片 桐 が、安 原 と 親 し か っ た な ん
て、全然知らなかったな﹂
蓮実の言葉に、怜花は、ふっと笑みを
漏らした。
﹁親しくなんか、ありません﹂
蓮実は、怜花の言葉を押しとどめた。
そういった部分の観察力は、女の子は、
男の百倍優れている。まして、この子は、
異様なくらい勘が鋭い子だ。柴原教諭に
よるセクハラは、おそらく、事実と見て
いいだろう。
﹁片 桐 の 言 う こ と は、本 当 だ と 思 う。信
じるよ。きちんと調べた上で、厳正に対
安原さんばかりを指名するんです。それ
で、二人で行って戻ってくると、安原さ
んの様子がおかしいんです。⋮⋮あと、
柴原先生が、みんなの前で、安原さんに
向かって、変なことばかり言うんです。
それを聞いた安原さんは、たいてい、耳
まで真っ赤になって﹂
﹁わかった。もういいよ﹂
どんなことをしてるの?﹂
言ってしまってから、この質問自体が、
新たなセクハラになりかねないことに気
づく。怜花の方は、さいわい、そんな意
識はないようだった。
﹁わ か り ま せ ん。現 場 を 見 た わ け じ ゃ あ
りませんから。でも、倉庫から何かを持
って来なきゃならないからって、いつも
﹁柴原⋮⋮?﹂
ほとんど接点もないのにと言いかけて
から、思い出した。園田教諭の鳴瀬修平
への体罰事件以降、体育の授業は、一時
的に入れ替えられている。ここしばらく、
四組の体育は、柴原徹朗教諭が受け持っ
ているのだ。
﹁⋮⋮ そ れ で、柴 原 先 生 は、具 体 的 に、
う女子は一人もいないし、大部分の男子
からも、怖がられていた。あの蓼沼です
ら、美彌には一目置いているほどだ。
﹁でも、噓じゃありません!﹂
怜花は、気色ばんだ。
﹁う ん。噓 だ な ん て 思 っ て な い よ。で、
誰が加害者?﹂
﹁体育の、柴原先生です﹂
そういう目で見ている連中は、たしかに
存在する。
だが、彼女がセクハラの被害者という
のは、どうも合点がいかない。
﹁し か し、安 原 は、あ あ い う 性 格 だ ろ
う? 黙 っ て、
セクハラを 受 け て る っ て
いうのは、ちょっと想像ができないな﹂
二年四組で、気の強い安原美彌に逆ら
怜花は、目を閉じた。
﹁⋮⋮ 被 害 に 遭 っ て い る の は、安 原 美彌
さんです﹂
意外な名前に、蓮実は、考え込んだ。
安原美彌は、たしかに相当な美少女の部
類 に 入 る だ ろ う し、男 子 に は
︵特 に 他 の
クラスに は︶
、相 当 数 の 隠 れファンが い
るはずだ。いや、教師の中にも、彼女を
蓮実は、げっそりした。どうやら、か
な り 深 刻 な 問 題 ら し い。し か も、
セクハ
ラという言い方からすれば、おそらく、
加害者は男子生徒ではないだろう。
﹁⋮⋮ 俺 を 信 頼 し て、何 も か も、ぶ っ ち
ゃけてくれないかな? 女子の一人って
いうのは、誰のこと?
それから、誰が
セクハラをしてるの?﹂
る。
﹁わ か っ た。片 桐 か ら 聞 い た と は、誰 に
も言わない。約束するよ﹂
どうやら、相談したいのは、自分のこ
とではないらしい。怜花は、膝の上で、
ぎゅっと拳を握りしめた。
﹁クラスの女子の一人が、セクハラを受け
てるんです﹂
ような笑顔で言う。
怜花は、ちらりと蓮実を見て、すぐに
視線を外した。
﹁こ の こ と は、わ た し か ら 聞 い た っ て い
うのは、絶対、秘密にしてほしいんです
けど﹂
ずっと胸に溜めていたことを吐き出そ
うとしているらしく、かすかに声が震え
ある生徒相談室のドアを開けた。
﹁ごめんな。ちょっと遅くなった﹂
背 筋 を ぴ ん と 伸 ば し、ソファ に 浅 く 腰
掛 け て 待 っ て い た 片 桐 怜 花 は、﹁い い え﹂
とだけ答えた。
﹁時 間 が な い か ら、単 刀 直 入 に くよ?
相談したいことっていうのは、何?﹂
彼女の正面に腰を下ろして、力づける
なんて、珍しいわね﹂
田浦教諭は、意味ありげな笑みを浮か
べる。
﹁あ の 子 は、蓮 実 先 生 の 優 し い 外 面に
されていない、数少ない生徒の一人だと
思ってたのに﹂
﹁何を、人聞きが悪い⋮⋮﹂
蓮実は、苦笑しながら、保健室の隣に
今度は、卒業まで一緒なんだから﹂
﹁そうか⋮⋮悪いことをしたかな﹂
﹁噓。全 然、そ ん な こ と 思 っ て な い く せ
に。あの不自然なクラス分けは、どう見
たって、確信犯だわ﹂
﹁誤 解 だ よ。あ れ は、様 々 な 政 治 的 駆 け
引きと妥協の産物なんだ﹂
﹁そ れ に し て も、片 桐 さ ん が 相 談 に 来 る
﹁ええ。全部、蓮実先生のせいよ﹂
上目遣いに睨むまねをする。
﹁え?
どうして?﹂
﹁クラス分 け の 時 に、い じ め っ 子 と い じ
められっ子を、両方抱え込むんですもの。
やっと、蓼沼君たちと違うクラスになれ
ると思ったのに、また同じじゃ、坪内君
だって、がっくりくるでしょう。しかも、
けど﹂
坪内匠は、一年生の時、半分不登校に
なりかけていた生徒だった。二年生にな
ってから、登校し始めてはいるが、何か
があると身体の不調を訴えて、保健室に
逃げ込むのが常だった。
﹁そ う い え ば、坪 内 も、き っ か け は、い
じめだったよな?﹂
なイメージで見られているのが不思議だ
った。
﹁う ん。ち ょ っ と、生 徒 の 指 導 で 遅 く な
った﹂
それから、思いついて ねる。
﹁二 年 四 組 の 前 島 雅 彦 だ け ど、最 近、保
健室に来たことはあるかな?﹂
﹁な い わ ね。四 組 だ と、坪 内君は常連だ
蓮実とは同い年なので、最初からタメ
口で話せる気安さがあった。大きな目は、
いつも少し潤んでいて、目元には泣きぼ
く ろ が あ る。ウェ ーブの か か っ た 豊 か な
ロングヘアは、仕事中はアップにしてい
る が、
ナチュラルメイクで 白 衣 を 着 て い
ても、匂うような色香を発散していた。
にもかかわらず、生徒たちからは母性的
返事はなかった。
蓮実が、東側の階段を一気に駆け下り、
一階を急ぎ足に行くと、ちょうど保健室
から養護の田浦潤子教諭が出てきたとこ
ろだった。
﹁あ ら。さ っ き か ら、片 桐 さ ん が、相 談
室でお待ちかねよ﹂
しい顔をしている。いかにもいじめられ
そうなキャラクターではあるが、特に暴
力を受けたような形跡はない。
﹁わかった。いいよ﹂
前島の後ろ姿に向かって、呼びかける。
﹁な あ、も し 相 談 し た く な っ た ら、い つ
でも来てくれ。何でも、自分一人で抱え
込むことはないんだぞ﹂
蓮実の注意が前島に向いている間に、
蓼沼は姿を消す。佐々木も、すぐに後を
追った。
﹁前島。ちょっといいかな?﹂
﹁ま だ、昼 飯 を 食 べ て な い ん で ⋮⋮ 行 っ
てもいいですか?﹂
蓮実は、前島の様子を観察した。身体
が小さくて線が細く、女の子のような優
う!﹂
蓮実が、厳しい声を出すと、鼻白む。
﹁それ⋮⋮僕がかけたんです﹂
前島が、か細い声で言った。
﹁本 当 か?
い っ た い 何 の た め に、か け
たんだ?﹂
﹁何 と な く ⋮⋮ 家 で の 習 慣 で、つ い か け
ちゃったんです。意味はありません﹂
た?﹂
蓮実が問いかけると、立ち止まりはし
たものの、無言のままである。
﹁先 生。そ れ、自 然 に か か っ ち ゃ っ た ん
じゃないかなあ﹂
佐々木が、おちゃらけるように言う。
﹁い い か げ ん な こ と を 言 う な。鍵 は、そ
の摘みを回さなければ、かからないだろ
蓮実に鋭い目を向けたが、後は無視の構
えだった。前島雅彦は、ずっと、うつむ
いたままである。
蓮実は、顔をしかめた。これは、いじ
めの現場なのだろうか。
蓼沼は、佐々木に向かって顎をしゃく
ると、早々に屋上から退場しようとした。
﹁な あ。鍵 を か け て、こ こ で 何 を や っ て
だ?﹂
﹁別に⋮⋮﹂
蓮実は、そっぽを向いたまま立ちはだ
かろうとする佐々木を押しのけて、屋上
に出た。女の子がいるのではないかとい
う予想は、裏切られた。
佐々木の他に屋上にいたのは、二人の
男子生徒だった。蓼沼将大は、一瞬だけ、
蓮実は、鉄製のドアを叩いた。
﹁鍵 を か け て る の は、誰 だ? 今 す ぐ に
開けなさい﹂
し ば ら く、間 が あ っ た。や が て、サム
ターンを回す音がする。
そこに立っていたのは、四組の佐々木
涼太だった。
﹁お い お い。い っ た い、何 を や っ て た ん
し て い る の だ ろ う。
ガムで 鍵 穴 を 固 め た
のも、それが目的に違いない。教師に発
見された場合は、一時的にせよ籠城でき
れば、身繕いなどの時間が稼げるし、隙
を見て逃げられるかもしれないからだ。
だが、こうして発見した以上、見過ご
すわけにはいかない。
﹁おい、開けろ!﹂
の事実も発見できなかったため、職員会
議では、当分の間は様子を見るという生
ぬるい結論しか出せなかった。
蓮実は、東階段を上って屋上へと通じ
るドアを 開 け よ う と し た が、
ドアは 動 か
ない。
蓮実は、苦笑した。おそらく、生徒の
カップルが、自分たちだけの時間を満喫
しまう有様だった。これでは鼬ごっこで
あり、いくら鍵に予算を割いても足りな
いだろう。
再度鍵を取り替えて、すぐに施錠する
という案も出たが、そのまま固められて
しまうと、それもまた不便なことになる。
さいわいというべきか、屋上から飛び降
りるような生徒はおらず、その他の非行
で固定してはいないので、屋上側からは、
サムターンを回せば鍵がかけられるとい
う、管理上、非常にまずい状態が続いて
いた。
生徒指導部としては、すぐに施錠がで
きる状態に復旧するよう学校に要望し、
さっそく新しい鍵が取り付けられたが、
今度もまた、すぐにガムを詰め込まれて
しておくことにした。晨光町田では一番
古い校舎である本館は、屋上に何の施設
もないために、広い空間をただ遊ばせて
ある。それだけならまだいいが、問題は、
施錠ができなくなっていることだった。
二、三ヶ月前に誰かが鍵穴にガムを詰め
込んだために、鍵を差し込むことができ
な い の だ。た だ し、ガムはシリンダー ま
く、校内の死角になっている場所を見て
回った。生徒指導の観点からは、問題の
芽は、少しでも早く見つけて摘んでおい
た方がいい。
校舎や体育館の裏を見たが、どこにも
生徒の姿はなく、吸い殻なども落ちてい
なかった。そろそろ生徒相談室へ行こう
かと思ったが、最後に本館の屋上を確認
否応なしに大混雑に巻き込まれる。蓮実
の周りには、自然に生徒で人だかりがで
きるので、適当に相手をしながら、さっ
さと抜け出すことにしていた。
昼休みが始まってから、まだ十二、三
分しかたっていないので、片桐怜花は、
まだ来ていないだろう。
蓮実は、短い時間も無駄にすることな
つい勢いで脱線したのだが、これが新
たなトラブルの火種になることまでは、
蓮実も、予想できなかった。
午前中に三コマの授業をこなし、蓮実
は、北校舎のカフェテリアで昼食を済ま
した。四時限目が空きの場合は、時間差
で来られるのだが、そうでない場合は、
しかし、言葉狩りとは、文化に対する最
悪の蛮行です。たとえば、ある言葉が差
別語かどうかは、そこに込められた人間
の思いによって決まるはずですよね。大
切な文化遺産である言葉を、一部の人間
の勝手な思い込みで抹殺するというのは、
と ん で も な い、 Outrageous
な 話 で す。
テキストに戻って⋮⋮﹂
OK.
ということが言われるようになって、た
とえば、消防士、 Fireman
という言葉が
F i r e f i g h t e rに 、 B u s i n e s s m a nが
に言い換えられるよう
Businessperson
に な り ま し た。ま た、背 が 低 い、 Short
と い う の も、 Vertically challenged
、垂
直に挑戦されたなんていう、わけのわか
らない表現に変えられたりしています。
かし、それは、あくまでも自然な流れに
任せるべきで、特定の意図の元に行うの
は、問題があると思います﹂
﹁そ れ、も し か し た ら、言 葉 狩 り の こ と
ですか?﹂
早水圭介が、唇に妙な薄笑いを浮かべ
て、 ねる。
﹁そ う。英 語 で も、 Political Correctness
早水圭介が、反論した。口が達者で、
難しい質問で教師を立ち往生させるのを
趣 味 に し て い る よ う だ が、アメリカの 大
学でディベートの能力を磨いた蓮実から
す れ ば、黙 っ て い ら れ る よ り、コミュニ
ケーションがとれるだけ歓迎である。
﹁た し か に、言 葉 は、時 代 に よ っ て 廃れ、
新しい言葉に移り変わっていきます。し
育まれた文化遺産、 Heritage
です。私た
ちは、それを承継し、守っていく義務が
あるんです﹂
﹁⋮⋮ で も、言 葉 に よ っ て は、ふ る い に
かけられていくものもあるんじゃないで
すか?
すべてを一律に残そうとするよ
り、取捨選別が必要なこともあると思う
んですが﹂
覚を、大事にしてください。人間は機械
じ ゃ な い。数 字 や A B C の 直 線 的、
な評価規準は、客観的です。でも、
Linear
それでは、あまりにも無味乾燥でしょう。
英 語 に し て も 日 本 語 に し て も、コンピュ
ーター言語じゃありません。無駄や余剰
があってこそ、人間の言葉だという気が
しませんか? 言葉は、長い歴史の中で
口でも、充分、ついてこられる。だめな
の は む し ろ、
スロー す ぎ る 話 し 方 や、熱
意やエネルギーの感じられない態度だっ
た。
﹁なんか、そんなの嫌かも﹂
最前列に座っている、光田晴美という
女生徒が、ぽつりと言う。
﹁そ う。 Miss Mitsuda.そ の 嫌 と い う 感
価にすれば、もっとわかりやすいかもし
れない。しかし、毎回、百点満点で点数
を付けるのは無理です。だったら、五段
階 評 価 か、企 業 の 格 付 け の よ う に、
A
B
AAAとか、BBなんかの方がいいです
か?﹂
今の子供たちは、洪水のような情報に
さらされているため、速射砲のような早
は、素晴らしい、美しい、印象的という
意味を覚えておけばいいでしょう﹂
少しでも生徒の語彙を増やすために、
蓮実は、事あるごとに、派生語を耳から
覚えさせるようにしていた。CMのよう
に何度も聞かされていれば、何パーセン
トかは記憶に残るものである。
﹁さ っ き の 話 で す が、た と え ば、点 数 評
と、胡散臭そうな目をホワイトボードに
向ける。
﹁壮 大 な ⋮⋮ と か、荘 厳 な?
そ こ か ら、
素晴らしいという意味に変わったんだと
思いますけど﹂
﹁ Excellentそ
! の 通 り で す。覚 え て い ま
す か?
は、拡 大 す る。も と も
Magnify
とは、その形容詞形ですが、大学入試で
水圭
蓮実は、一番後ろの席にいる、早
介を指名した。成績は上位グループだが、
どこか斜に構えている印象がある。担任
の生徒ではないので詳しくは知らないが、
一年生の時は、しばしば家出を繰り返し、
最近では、渋谷のクラブにも出入りして
いるという話を聞いたことがあった。
早水圭介は、大儀そうに長身を起こす
ら、 Goodさ
! らに良ければ Great秀
! 逸
な答えなら、 Excellentそ
! れよりまだ上
があります。これはめったに言わないけ
ど、心底感動するくらい素晴らしい場合
には、 Magnificent
﹂!
蓮実は、勢いよく、スペルを板書した。
﹁こ の 言 葉 の 意 味 は、わ か り ま す か?
Mr. Hayami﹂?
どういうことですか?﹂
﹁先 生 は、 Good と
! か Great と
! か
Excellentと
! か言いますけど、その違い
っていうか⋮⋮どれがいいのか、よくわ
からないんですが﹂
﹁ Good question
﹂!
笑い声が上がった。
﹁ま ず、順 番 を 説 明 し ま し ょ う。正 解 な
四組では、あまりないことだった。
﹁テキストと は 関 係 な い ん で す け ど、評
価の規準を教えてください﹂
質問したのは、丸川伸行だった。成績
は中位だが、授業態度は最も熱心な生徒
の一人である。
﹁
All right.
Mr.
評 価 の 規 準 と は?
が知りたいのは、具体的には
Marukawa
二年一組の授業は、さくさくと進んだ。
担任する四組と比べると、平均点はさほ
ど変わらないが、問題のある生徒が少な
く、教師としては比較的楽なクラスだっ
た。
﹁ここまでで、何か質問はありますか?﹂
﹁はい﹂
手が挙がった。ここで質問が出るのも、
味をつなぎ、正しい解答には賞賛を惜し
まない。
﹁国 境 な き 医 師 団 がフランスで 設 立 さ れ
たのは、1971年で、それ以降、人種、
宗教、⋮⋮ええと、政治的な意見にかか
わ ら ず、医 学 的 な 助 力 を 与 え て き ま し
た﹂
﹁ Good ! Good
﹂!
蓮実は、五十分の授業中は、必ず高い
テンションをキープし続けた。そのため
の最大の武器は、歌手や俳優の卵を対象
に し たボイス・トレーニングのスタジオ
に通って鍛えた声である。緩急を付けつ
つ、生徒に受けのいいネイティブのよう
な発音で英文を読み聞かせ、退屈な文法
の解説にも、適度にジョークを交えて興
蓮実は、たたみかけるようなリズムで、
授業を進めていった。近頃の生徒は根気
がない、集中力に欠けると非難する教師
は多いが、聞き取れないようなぼそぼそ
とした声や、お経のように単調なリズム
で授業をやられたら、誰でも眠気を催す
ことだろう。要は、生徒に退屈する暇を
与えないことである。
う な 。 や っ ぱ り、お ま え た ち が 頼 り だ
よ﹂
S
S
蓮実は、両手で親衛隊の髪をくしゃく
しゃにしてやると、一限目の授業に向か
った。
﹁ OK. Great
! じ ゃ あ、次 の 文 は、 Mr.
Aoyagi訳
! してみよう﹂
ているのは周知の事実だった。
それにしても、釣井教諭の授業は、あ
まりにもひどいようだ。職員室でも、裏
に何かあるという が多い教師ではある
が、私立校で、なぜ、こんな教師がクビ
にもならず通用しているのか、確認する
必要があると思った。
﹁わ か っ た!
教 え て く れ て、あ り が と
三人は、異口同音に、釣井教諭の授業
に対する不満をぶちまけだした。
聞きながら、蓮実は、ただ啞然とする
しかなかった。釣井教諭は、教員の大量
採用が行われた 年代の末に教師になっ
ている。この年代には、でもしか教師と
いう言葉が示すように、教育に対して情
熱も責任感も皆無の教師が相当数含まれ
70
﹁ど う せ、釣 井 の 授 業 な ん て、誰 も 聞 い
てないもん﹂
﹁そうなのか?﹂
﹁だ っ て、何 言 っ て る か 全 然 わ か ん な い
し﹂
﹁こ っ ち が 理 解 し て る か な ん て、釣 井 は、
全然無視だし﹂
﹁みんな、最初っから、自習してるから﹂
蓮実は、三人の頭を軽く叩いた。今の
子供たちは異常に傷つきやすいので、ほ
んの少しでも った後は、必ずフォロー
を入れてやらなければならない。
﹁で も さ あ、授 業 が ち ゃ ん と 聞 け な い ん
じゃ、みんな、困るだろう?﹂
﹁別に﹂
佐藤真優が、吐き捨てた。
﹁そ う い う こ と、何 で、俺 に 教 え て く れ
ないんだよ?﹂
三人は、しゅんとした。
﹁だ っ て ⋮⋮ハスミンに 迷 惑 が か か る と
思ったし、みんな、釣井のことなんか、
どうでもいいって思ってるし﹂
﹁そ う か。わ か っ た わ か っ た。俺 の こ と
を、心配してくれたんだよな?﹂
の?﹂
三人は、困ったように顔を見合わせた。
﹁ま あ、荒 れ て る っ て い う か ⋮⋮ 特 定 の
人 た ち が、授 業 を 妨 害 し て る っ て い う
か﹂
代表して、阿部美咲が答える。
﹁蓼沼たちか?﹂
﹁まあね﹂
S
S
で最も蓮実に忠実な、いわば親衛隊だっ
た。
﹁何なの、あの子?
何の用?﹂
﹁別に、何でもないよ﹂
蓮実は、親衛隊を手招きして、廊下に
出た。
﹁そ れ よ り、教 え て く れ よ。う ち のクラ
スって、釣井先生の授業の時は荒れてる
か興味は引かれるが、これだけ難題が山
積している中では、新たな厄介ごとを持
ち込まれるのは勘弁してもらいたいとい
う気もする。
﹁ハスミーン!﹂
怜花がいなくなるまで待っていたらし
く、三人の女子がやってきた。阿部美咲、
佐 藤 真 優、三 田 彩 音である。クラスの中
﹁ち ょ っ と 複 雑 な 話 な ん で す け ど、時 間
を取ってもらえませんか?﹂
﹁そ う か。じ ゃ あ、昼 休 み に 生 徒 相 談 室
に来てくれる?﹂
﹁わかりました﹂
怜花は、一礼して去っていった。今ま
では距離を置いていた生徒が、急に相談
を持ちかけてきたのだから、どんな内容
ぐにこちらを見つめてくる。額が広く、
顎は細い。全体に小作りで可愛らしい顔
立ちだが、なぜか、自分に接するときは、
いつも緊張しているような気がする。
﹁いいよ。何?﹂
クラスに は、
蓮 実 は、笑 顔 で 応 じ た。
何を考えているのかよく読めない子が数
人はいて、この子はその一人だった。
減ではあるが、たぶん寝不足なだけだろ
う。
SHRを終えて、一限目の授業に向か
おうとしたとき、蓮実を呼び止めたのは、
意外な生徒だった。
﹁先 生。ち ょ っ と、相 談 し た い こ と が あ
るんですけど﹂
片桐怜花だった。大きな目が、まっす
まで以上に注意してクラスを観察してみ
たが、特に変わった点は見られなかった。
蓼沼将大は、退屈そうな表情で腕を組ん
で座っているだけだし、鳴瀬修平は、ま
だ目尻に絆創膏を貼っていたが、隣の生
徒と私語を交わす際は笑顔を見せている。
清田梨奈は、まじめに伝達事項をノート
に取っており、前島雅彦も、うつむき加
つけた方がいいですよ。下手に恨みを買
ったりすると、しっぺ返しが来るって
だから﹂
その点は、言われるまでもなかった。
釣井教諭は、教師としては無能でも、危
険な存在である可能性がある。くれぐれ
も対応を誤ってはならない。
蓮実は、朝の S H R の時間に、今
くれってことだと受け取りましたけど﹂
釣井正信教諭は、五十代半ばのベテラ
ン教諭だが、昨年、一年生を担任してい
るときに体調を崩したということで、し
ばらく休職していたという経緯があった。
﹁こ れ は 余 計 な こ と か も し れ ま せ ん け ど 、
あの先生、いろいろと裏工作が得意みた
いじゃないですか? 蓮実先生も、気を
﹁高 塚 先 生 は、な ぜ、ご 存 じ な ん で す
か?﹂
﹁釣井先生から聞いたんです﹂
﹁何 だ ろ う な ー。直 接、担 任 の 私 に 言 っ
てくれればいいのに﹂
﹁釣 井 先 生 は、ど う も、蓮 実 先 生 に 対 し
て妙な対抗意識があるみたいですね。こ
の話も、僕から蓮実先生に伝えておいて
のかは知りませんが、蓼沼は、そのとき
のことを相当根に持っているみたいで、
ねちねちと嫌がらせをしてるんだそうで
す﹂
高塚の話は、衝撃だった。二年四組の
ことは、すでに把握しつつあると思って
いたのに、この件に関しては、蚊帳の外
に置かれていたのだから。
て、私語やヤジが飛び交って、かなりひ
どい状態らしいですよ﹂
﹁⋮⋮本当ですか?﹂
蓮実は、眉をひそめた。問題児ではあ
っても、そんなに裏表のある生徒という
認識はなかったのだが。
﹁釣 井 先 生 は、一 年 生 の 時 は、蓼 沼 の 担
任だったじゃないですか?
何があった
そうとした。ほとんど記憶に残っていな
い。
﹁そ う で す ね。英 語 は 不 得 意 科 目 の 最 た
るものだし、借りてきた猫みたいな感じ
ですね﹂
﹁そ れ が、数 学 の 釣 井先生の授業では、
態度が一変するんだそうです。子分の加
藤拓人や佐々木涼太も尻馬に乗るらしく
か? このところ、大人しくしてたんで
すがね﹂
﹁表 だ っ て、事 件 を 起 こ し た と い う こ と
じゃないんですがね。教師によって、授
業態度が極端に変わるみたいなんですよ。
蓮実先生の授業では、静かにしてるんで
しょう?﹂
蓮実は、授業中の蓼沼の態度を思い出
処分を受けている。にもかかわらず、退
学にならなかったのは、当時、町田駅周
辺で、晨光学院町田高校の生徒が他校の
不良に恐喝を受けるという事件が続発し
ていたのが、蓼沼の入学によって影を潜
めたという事情によるところが大きい。
いわば、高度な政治的判断である。
﹁あ い つ が、ま た、何 か や っ た ん で す
大は、現在の二学年を仕切るボ
蓼沼将
スだった。体格がさほど大きいわけでは
な い が、
ボクシングの 経 験 が あ り、不 敵
な面構えをしている。一年生のとき、壮
絶な殴り合いの末、手の付けられない乱
暴者だった二年生を叩きのめして一躍勇
名を馳せたほか、他校の生徒との小競り
合いなどは数知れず、すでに数回の停学
﹁た し か に そ う で す が、う ちレベルだ と、
どの生徒も可愛いものですよ。まあ、若
干名は、取扱注意の札を貼っとかなきゃ
なりませんが﹂
﹁い や ⋮⋮ で も、し ゃ れ に な ら な い の が、
一人いますよね?﹂
高塚教諭は、ますます声を潜めて言う。
﹁蓼沼のことですか?﹂
﹁だ い た い、蓮 実 先 生 のクラスに、問 題
のある子が集中しすぎなんですよ。うち
の学校の生徒は、公立なんかに比べると
大人しい子が多いけど、一年の時に事件
を起こした子を、ほとんど一手に引き受
けてるじゃないですか?﹂
そこには、ある種の取引というか、大
人の事情があるのだが。
後半は、園田教諭に聞こえないよう、
小声になる。
﹁ま あ、し か た が な い で す よ。園 田 先 生
は、武闘派だから。それに、ああいう怖
い先生がいてくれるから、僕らは助かっ
てる面もあるし﹂
高塚教諭も、大きな身をかがめて、ひ
そひそ話に付き合う。
えていてくれたと喜んでいるが、本当は、
ヘビー・メタボリックの略である。
﹁い や。う ち のクラスは、問 題 続 出 な ん
ですよ﹂
蓮実は、こぼした。
﹁生 徒 同 士 の 問 題 だ け だ っ て 手 に 余 る の
に、あそこまで正々堂々と体罰を加えて
くれるとねえ⋮⋮﹂
ら難しい顔して﹂
声をかけてきたのは、同じ英語科の高
塚陽二教諭だった。かなり肥満している
ために、酒井教頭からはダイエットする
よう厳命を受けているが、いっこうに
せる兆しはない。ちなみに、生徒が付け
た渾名はヘビメタで、本人は、昔ロック
をやっていたと話したのを生徒たちが覚
諭や厳格な園田教諭に集まるはずだから、
比較の上では、善玉に見られるだろうと
いう計算もあった。
そうか、と思う。やはり、園田教諭と
いうのは必要な存在かもしれない。だと
すれば、ここは、辞職を思いとどまらせ
た方が得策だろう。
﹁蓮 実 先 生。ど う し た ん で す か?
朝か
それによって、校長や教頭の信頼を勝
ち得ることができるし、生徒たちの情報
が自然に集まってくるというメリットも
ある。
蓮実には、少々厳しい指導をしたくら
いでは、生徒間に築いてきた絶大な人気
が揺らぐことはないという自信があった
し、生徒の不満の矛先は、粗暴な柴原教
蓮実は、朝の校門指導を終えると、職
員室に戻ってきた。教師には、担任する
クラスと担当教科以外に、校務分掌とい
う役割分担があり、蓮実の場合、それは、
生徒指導および生活指導だった。ときに
は生徒たちを締め付けなければならない
損な役回りだが、蓮実は、あえて、嫌わ
れ役を買って出ていた。
久保田菜々と白井さとみが、ようやく
追いついて、校門に現れた。
﹁ああ。おはようございます! ⋮⋮じゃ
あ、蓮実先生。今の件、くれぐれも、お
願いしますよ﹂
酒井教頭は、そう言うと、ふんと鼻を
鳴らして、きびすを返した。
にどうしろと?﹂
﹁鳴瀬修平を、説得してください﹂
酒井教頭は、囁くように言う。
﹁本 人 か ら 父 親 に 言 っ て、訴 え る の を や
めるように﹂
﹁そ れ は 無 理 で す よ。い く ら、本 人 を 説
得しても⋮⋮﹂
﹁おはようございまーす﹂
それはそうだろうなと、蓮実も思った。
同じ体育教師でも、ちんぴらやくざが間
違って教職に就いたような柴原徹朗教諭
と、生徒にも厳しいが自分はさらに厳し
く律している、園田勲教諭のような武道
家とでは、自ずから生徒の見る目も違う
はずだ。
﹁お っ し ゃ る こ と は わ か り ま し た が、私
いんじゃないですか?﹂
﹁園 田 先 生 は、余 人 を も っ て 代 え 難 い 人
材なんです。他にも怖い先生はいますが、
武道の達人ということで、生徒から畏怖
と尊敬を勝ち得ているのは、園田先生だ
けでしょう?
いくら怖い先生が必要だ
と言ったって、柴原先生のような方にば
かり頼るわけにはいかないんですよ﹂
生徒の質は、どうしても玉石混淆になり
ます。中には、授業について行けなくな
って、隙あらば暴れようという生徒が、
必ず出てくる。そういうとき、校内の秩
序を維持するためには、どうしたって、
強面の体育教師が必要になるんですよ﹂
﹁ま あ、か り に そ う だ と し て も、何 も、
余人をもって代え難いということは、な
回復するのに最も力を発揮してくれたの
が、園田先生なんですよ﹂
﹁し か し、以 前 に ど ん な 功 績 が あ っ た と
しても⋮⋮﹂
﹁問題は、過去じゃない。未来です﹂
酒井教頭は、眉間に深いしわを刻んで
言う。
﹁い い で す か?
う ちクラスの 私 学 で は、
こうおっしゃってるんですよ﹂
﹁だ と し た ら、辞 職 し て い た だ く よ り な
いんじゃないですか?
それで、問題は
一件落着しますよ﹂
﹁そ ん な わ け に い か ん で し ょ う?
蓮実
先生はご存じないでしょうが、うちの学
校にも、公立校並みに荒れかけてた時期
があるんです。そのとき、校内の秩序を
﹁う ん ⋮⋮。そ れ は そ う な ん だ が、物 事
は、そう単純に行かないんですよ﹂
﹁どういうことですか?﹂
﹁園 田 先 生 に も、教 育 者 と し て の 信 念 と
い い ま す か、
プライドが あ る と い う こ と
なんでね。生徒には時には愛の鞭も必要
だ。自らそれを否定することはできない。
どうしても謝れと言うのなら職を辞すと、
んとした謝罪をすることが前提だと思い
ます﹂
蓮実は、正論を吐く。
﹁と り あ え ず、教 頭 か ら 園 田 先 生 に、謝
るようおっしゃっていただかないと。そ
の上で、まだ先方が納得がいかないとい
うことであれば、説得のしようもありま
す﹂
だった。
﹁そ う い う 問 題 じ ゃ な い。訴 え を 起 こ さ
れること自体が、学校にとっては、たい
へんなイメージダウンなんです﹂
酒井教頭は、もはや苛立ちを隠せなく
なっていた。
﹁わ か り ま し た。し か し、こ の 問 題 を 収
めるためには、まず園田先生から、きち
すよ﹂
酒井教頭は、苦慮の表情を見せた。
﹁園 田 先 生 は、訴 訟 保 険 に は 加 入 さ れ て
ないんですか?﹂
正式名称は、教職員賠償責任保険。二
〇〇〇年頃から損害保険会社各社が売り
出した、教師が保護者らから訴えられた
際に、訴訟費用や賠償金をまかなう保険
徒に体罰を加えることが、許されている
のかと。こちらの対応次第では、新たな
手段を取らざるを得ないとおっしゃって
ました﹂
﹁⋮⋮ そ れ は、教 育 委 員 会 に 訴 え る と い
うことですか?﹂
﹁い や、ど う も、い き な り、刑 事 お よ び
民事で告訴するということのようなんで
っていう一件ですか?﹂
鳴瀬には、しばしば教師に対して反抗
的になる癖がある。うまくいなして頭を
冷やさせれば、それほど手こずる生徒で
はないのだが、園田勲のような昔気質の
体育会系教師には、歯向かわれたこと自
体、我慢ならなかったらしい。
﹁そ う で す。教 師 が、感 情 に ま か せ て 生
﹁電話?
誰からですか?﹂
﹁鳴 瀬 修 平の父親からです。ご存じだろ
うとは思いますが、日本でも五指に入る
大 手 の、
ダウンタウン法 律 事 務 所 に 勤 め
る弁護士です。専門は、企業法務らしい
んだが﹂
﹁鳴 瀬 修 平 ⋮⋮ と い う と、こ の 間 の 体 育
の授業中、園田先生に殴られて流血した
てはお任せしますよ。蓮実先生は、生徒
の人気は抜群なようですからね﹂
酒井教頭は、急に猫撫で声を出し始め
る。何となく、嫌な予感がした。
﹁⋮⋮ 実 は、も う 一 つ、二 年 四 組 絡 み で、
大きな問題が出来しましてね。昨日の晩
ですが、私のところに電話があったんで
すよ﹂
題児をたくさん抱え込んで、だいじょう
ぶなのかっていう声は、かなりありまし
たしね﹂
﹁ご 心 配 に は 及 び ま せ ん。事 実 関 係 が 確
認できたら、自ずから解決への道筋も見
えてくるはずです﹂
蓮実は、あくまでも低姿勢に徹する。
﹁⋮⋮ そ う で す か。ま あ、そ の 件 に 関 し
真偽のほどを確認している段階です。本
人は、金を脅し取られたという事実を否
認してますので﹂
﹁まったく、しっかりしてくださいよ﹂
酒井教頭は、鼻を鳴らした。
﹁蓮 実 先 生 の 生 徒 の 掌 握 力 に 全 幅 の 信 頼
を置いて、担任を任せたんですから。そ
も そ も、クラス分 け の 時 も、あ れ だ け 問
体、ほとんど実態がないようですから﹂
しまったと思う。言わなくてもいいこ
とを言ってしまった。
﹁別 口?
二 年 四 組 は、他 に も い じ め 問
題があるんですか?
しかも、金が絡む
となると、これは厄介ですよ?
被害者
は、誰なんですか?﹂
﹁⋮⋮ 前 島 雅 彦です。ただ、これもまだ、
で、とりあえず証拠を押さえておきませ
んと﹂
﹁え っ 金?
清 田 梨 奈の父親は、金を取
られたって言ってたの?﹂
酒井教頭は、色めき立つ。
﹁い や。そ れ と は 別 口 の、い じ め の 話 で
す。清田梨奈が金を取られたという事実
はないと思います。そもそも、いじめ自
生徒から慎重に事情を聴取している段階
です﹂
﹁し か し、早 く 手 を 打 た な い と、余 計 に
こじれるんじゃないですか?
特に、い
じめ関係なんかは﹂
酒井教頭は、鼻が詰まっているような
声で言う。
﹁そ う で す が、ま あ、金 銭 が 絡 む 話 な ん
﹁そ れ よ り、新 年 度 早 々 か ら、二 年 四 組
ではいろいろ問題が起きてるみたいだけ
ど、どうなんですか?﹂
朝一番から、最も聞きたくない質問だ
った。新学期が始まり、わずか二週間ち
ょっとで、どうしてこうも問題ばかり持
ち上がるのかと思う。
﹁ど れ も、ち ょ っ と 微 妙な問題ですから、
−
根にしわを寄せた。真田俊平教諭が乗っ
ている黄色いマツダRX 8を指してい
ることは、言うまでもない。
﹁で き る だ け、私 の 車 か ら は 離 し て 止 め
てほしいですね。間違っても、擦ったり
しないようにね﹂
冗談めかして明らかな本音を漏らして
から、酒井教頭は、真顔になった。
とかならないの?﹂
﹁い や、こ れ は こ れ で、け っ こ う 重 宝 す
るんですよ。文化祭の準備の時なんか、
いろいろ荷物も積めましたし﹂
﹁ま あ、ち ゃ ら ち ゃ ら し たスポーツカー
で 学 校 に 来 ら れ る よ り は、ま だ し も だ
が﹂
酒 井 教 頭 は、ゴルフ焼 け し た 鼻 の 付 け
置に納まっているからだ。
﹁蓮実先生﹂
ハイゼットを降りると、後ろから、鼻
にかかった声が聞こえた。
﹁教頭先生。おはようございます﹂
蓮実は、内心とは裏腹に、笑顔で挨拶
する。
﹁こ の 汚 い 軽トラは ⋮⋮ い い か げ ん、何
う?﹂
蓮実は、二人のブーイングを聞き流し
な が ら、
ハイゼットを 発 進 さ せ た。す で
に開いている校門をくぐり、教職員用の
駐車スペースにハイゼットを止める。ど
んなに早く来ても、一番乗りの栄誉が得
られたことはなかった。酒井宏樹教頭の
銀色のレクサスISが、必ず先に、定位
﹁ね え、
ハスミン。学 校 ま で 乗 せ て っ て
よ﹂
菜々が、荷台に手をかけてせがむ。
﹁だめだ。教頭に怒られるからな﹂
﹁いいじゃん。
ケチ﹂
﹁君 た ち。朝 練 な ん だ か ら、し っ か り 足
腰を鍛えなきゃな。むしろ、ここからは、
ウサギ跳 び で 行 っ て み た ら ど う だ ろ
たしなめる蓮実の言葉は、ほとんど耳
に入っていないらしく、さとみは、しげ
しげと、傷だらけの軽トラックを眺める。
﹁やっぱり、
ハスミン、これはないわー。
こんなのに乗ってるから、三十二にもな
って、恋人もできないのよ﹂
﹁先生の恋人は、おまえたち、全員だ﹂
﹁げっ。何、それ?
ひくー!﹂
菜々が言うと、さとみも、﹁ほんと、一
人で盛り上がってて、馬っ鹿みたいだか
ら﹂
と 口 を え る。や る 気 の な い よ う な
口ぶりながら、二人とも剣道は二段であ
り、都の個人戦では優勝候補と目されて
いた。
﹁お い お い。顧 問 の 先 生 を、馬 鹿 は な い
だろう?﹂
保田菜々と白井さとみが、笑顔で手
久
を振っていた。二人とも、蓮実が担任の
二年四組の生徒だった。
﹁どうした?
早いじゃん﹂
ハイゼットを止めて ねた。
蓮実は、
﹁剣 道 部 の 朝 練。夏 の 都 大 会 に 向 け て、
牛島が、馬鹿みたいに張り切っちゃって
て﹂
で通学してくるのだが、まだ七時前とあ
って、生徒の姿はほとんどない。
と思ったら、校門まで三百メートルほ
どのところで、竹刀袋をかついだ二人の
女 生 徒 に 出 く わ し た。二 人 は、エンジン
音に気づいて振り返り、蓮実のハイゼッ
トを見つけたようだった。
﹁ハスミーン!﹂
ガソリン代を節約する方法を試し始めて
いる。
国道156号から、晨光学院町田高校、
通称晨光町田のために造成された道を上
がる。ついこの間までは、道に沿って植
えてある桜が満開だったが、さすがに、
もう全部散って葉桜になっていた。大部
分の生徒は、町田駅からバスに乗りつい
平気で入っていける軽トラックが重宝す
るのだ。
先月までは、J Rの町田駅に近い狭い
アパートを借りていたが、駐車場代がか
かるのが馬鹿らしいと思っていたので、
現在の家が見つかったのは渡りに船だっ
た。軽トラックは、意外に燃費が悪いと
いうネックもあったが、この冬からは、
町田の高校に職を得たのは昨年のことだ
ったが、その際、廃車寸前の軽トラック
をタダ同然で買ったのだった。当初は、
引っ越しと当座の足に使えればいいくら
いに思ったが、すぐに手放せなくなって
しまった。町田市は道路事情が悪く、頻
繁に渋滞する上、学校は丘陵地帯を切り
開いて造られているので、狭い農道にも
学校のことを考え始めた。
朽ちかけた借家にも、三つのメリット
があった。家賃が安い。学校まで近い。
そして、庭が広くて車を置くスペースに
困らないという三点である。
蓮 実 は、愛 車 で あ るダイハツ・ハイゼ
ットに乗って、細い坂道を下っていった。
は水しか出なかったが、やがて熱い湯が
迸 り始めた。
ま あ、カラスの こ と は、目 覚 ま し 代 わ
りだと思えば、しばらくは我慢できる。
それより、すぐにでも解決しなければ
ならない問題が、山積みになっている。
蓮実は、目を閉じて湯に打たれながら、
自らの職場であり小さな王国でもある、
りてきましょうか?﹂
そんな子供だましで、あの狡賢いフギ
ンとムニンを追い払えるわけがない。
汗がひいて躯が冷えてきたので、蓮実
は、山 崎 氏 に 会 釈 し て 家 に 戻 る。ジャ ー
ジーと下着を古い二槽式の洗濯機に放り
込んで回すと、
シャワーを浴びた。プロパ
ンガスを使っているせいか、最初の一分
勝手に駆除するわけにもいかんし、役所
に言っても、いっこうに埒があかんので
す よ。せ い ぜ い、ゴミ袋 の 色 を、黄 色 か
ら黄土色にしたぐらいですかな。前から
思っとるんですが、役人というのは、具
体的な被害が出るまでは、何もせん習性
があるようですな。お困りでしたら、畑
で使ってるカラス除けの風船か何か、借
こういうことはないんだが⋮⋮﹂
﹁ま あ、人 も 犬 も、相 性 が あ り ま す か ら
ね。それよりも、実は、毎朝カラスが鳴
くんで、この時間に起こされちゃうんで
すよ。何とかならないでしょうか?﹂
山崎氏は、地元の自治会長も務めてい
る。
﹁う ー ん。難 し い で す な あ。野 鳥 だ か ら、
と﹂
モモが 顔 を 見 せ た。
山 崎 氏 の 後 ろ か ら、
たちまち、さっきの恩も忘れて、低い声
で唸る。
﹁こら、
モモ。唸るんじゃない﹂
モモを っ て 庭 の 方 へ と 追
山 崎 氏 は、
い返した。
﹁す み ま せ ん ね。あ ん ま り、他 の 人 に は、
蓮実も、足を止めて挨拶する。
﹁毎 朝、よ く 続 く と 思 っ て ね え。感 心 し
とるんですよ。やっぱり、あれですか。
学校の先生っていうのは、体力勝負です
か?﹂
﹁ええ。
エネルギーをもてあましてる連中
に、言うことを聞かせようと思うと、こ
っ ち も、負 け な い だ け のパワー が な い
になった。
家に戻ってくると、山崎家のご隠居が、
玄関の前で自己流の変な体操をしていた。
﹁おや、蓮実さん。おはよう﹂
わざわざ、門の外に出てくる。髪も眉
も真っ白だが、血色がよく、声にも張り
があった。
﹁おはようございます﹂
あわてて手懐
けようとするのは、やめた
方が無難だろう。蓮実は、口笛を吹きな
がらモモから離れ、再び走り始めた。
狭い坂道を軽快に走り抜け、七国山か
ら民権の森を通り、野津田公園を一周し
て 戻 っ て く る。そ の 間、マラソンランナ
ー並みの速度をキープして走っていたた
め、ジャ ージー は す っ か り 汗 び っ し ょ り
らく臭いを嗅いでいたが、やがて、夢中
になってハンバーグを食べ始めた。
﹁どうだ、
モモ?
うまいだろう?﹂
夕食用に買った国産牛の 肉で作った
のだから、犬の にはもったいないよう
な代物だ。とりあえず、賄賂は奏功した
ようだが、上目遣いにこちらを窺う様子
からすると、完全に気を許してはいない。
になるので気が引けるが、山崎家は大家
さんなので、文句も言いにくい。
モモへ の 対 策 は、す で に 準 備
し か し、
してあった。
ウェストポーチか らビニール
蓮 実 は、
袋を出すと、中に入っていたハンバーグ
をモモに投げ与える。
モモは、吠えるのをやめてから、しば
施錠は欠かせない。
家を出て走り始めたとたんに、激しい
犬の吠え声に出迎えられた。二軒おいて
隣 の 山 崎 家 で 飼 わ れ て い る 雑 種 犬、モモ
である。他の人間にはそれほど吠えない
の だ が、な ぜ か、初 対 面 か ら、モモは 蓮
実に対して敵愾心を燃やしているようだ
った。山崎家の前を通るたびに近所迷惑
え ず、
ジョギングぐ ら い し か や る こ と が
ないからだ。
蓮実は、いったん玄関に向かいかけて
から思い出し、冷蔵庫からビニール袋を
出すと、
ウェストポーチに入れた。
ナイキ
のランニングシューズを履き、玄関の引
き戸を開ける。町田市は侵入盗の件数が
多いので、ちょっと一回りするだけでも
形成されたに違いない。空から眺めた町
田は、とても自分の記憶から生まれたと
は思えないくらい真に迫ったものだった
が。
一人暮らしの気楽さで、家に帰ってく
るとジャージーに着替え、寝るときも、
そのままである。これには、便利な点も
あった。この時間に目覚めると、とりあ
の日か、哺乳類から覇権を奪回するつも
りなのかもしれない⋮⋮。
もちろん、冷静に考えれば、そんなこ
とがあるはずはない。すべては、夢に特
有の時間感覚の混乱のせいだろう。おそ
ら く、カラスの 最 初 の 鳴 き 声 を 聞 い た か、
直前に何らかの気配を察知したとき、そ
こへ至るまでの物語が、頭の中に瞬時に
いではないか。先月、この家に越してき
て以来、何とかカラスを追い払おうと攻
防戦を繰り広げるうちに、やつらが想像
以上の智能を持っていることは痛感させ
ら れ て い た が、ま さ か、
テレパシー の よ
うな能力まで備えているとは思わなかっ
た。鳥類は、恐竜の直系の子孫であるら
しいが、ひそかに超能力を磨いて、いつ
え、こちらの作為を見抜く眼力は、たい
したものだった。
歯を磨き、冷たい水で顔を洗っている
うちに、徐々に頭がすっきりとしてきた。
すると、かえって、さっきの夢が気にな
りだした。
前段はともかく、後半は、まるで自分
の意識がカラスに同調したとしか思えな
返している。蓮実が、こらっと叫んでも、
いっこうに逃げようとはしない。ものを
つかんで投げるふりをしても、駄目であ
る。
だが、蓮実が、鴨居の上に隠してある
硬球をこっそり持ったとたん、ぱっと飛
び立った。どう聞いても阿呆と聞こえる
捨て台詞を残して。毎朝のお約束とはい
雌 だ ろ う。カラスは、瞬きするときに瞬
膜 で 目 が 真 っ 白 に な る が、ムニンの 左 眼
は潰れているのか、ずっと白濁したまま
であり、外観にいっそうの禍々しさを加
えていた。どちらも、一声鳴けば、野良
犬などたちまち逃げ去るくらいの凄みが
あった。
フギンとムニンは、悠然とこちらを見
いうわけか、蓮実が借りているこの朽ち
かけた家がお気に入りらしく、毎日やっ
て来る。蓮実は、二羽を北欧神話の主神
オーディンの眷属にちなみ、思考と記憶
と名付けていた。
フギンは、ハシブトガラ
スとしては群を抜いて巨大であり、北海
道のワタリガラスに匹敵するサイズがあ
る。ひと回り小さいムニンは、おそらく
縁側の方に行って雨戸を開け、庭を一
した。
いた。巨大なカラスが二羽、物干し台
に止まって、平然とこちらを見返してい
る。
町田のカラスは、全体に体躯も態度も
大きいが、おそらくは、その頂点に立つ
であろうボスガラスのペアだった。どう
スは鳴き止まないことがわかっていた。
毎朝きちんと起こしに来る律儀さは、あ
る意味、賞賛に値するほどだ。そして、
カラスの 押 し 売 りモーニング・コールは、
こちらが起きたことを示すまでは、けっ
して終わらないのだ。
蓮実は、布団の上に起き上がると、両
肩と首をぐるぐると回した。それから、
カラスの鳴き声がした。
二度、三度。
枕元の目覚まし時計を見た。まだ、五
時過ぎである。
蓮実聖司は、大きく伸びをした。何が
悲しくて、毎朝、こんな時間にたたき起
こされなくてはならないのかと思う。だ
が、経 験 上、我 慢 し て 寝 て い て も、カラ
で恒久的に応急補修してあった。
これは、この家だ。半覚醒の状態で認
識する。自分が寝ている家を、空から眺
めている不自然さも、たいして感じない。
視点は、ふわりと、庭の物干し台の上
に降り立った。
はっと目が覚める。
び去っていく。
そこでUターンして、南へと向かった。
国道 号を横切り、七国山緑地へ向かう。
さらに前方には、団地群が姿を現してい
たが、急速に高度を落としていく。
小さな民家が目の前に迫ってくる。か
なり老朽化した平屋の日本建築で、屋根
瓦 の 一 部 が 脱 落 し て お り、ブルーシート
57
まだ早朝のようだ。東の空には、朝焼
けのなごりが見える。
町田市北部の上空、数百メートルだろ
うか。多摩市と町田市を隔てる丘陵地帯
が一望にできる。小野路城跡にある晨光
学院町田高校が、ちょうど真下にあった。
渡り廊下で結ばれて﹃コ﹄の字形に並んだ
校 舎 と 体 育 館、グラウンドが、後 ろ に 飛
大空を飛んでいる。
空を飛ぶ夢を見るのは、久しぶりだっ
た。いつもなら、高く飛ぼうとすればす
るほど、強力に大地に向かって引き戻さ
れ、せいぜい地上数センチを滑空するの
が精一杯だった。だが、今は飛んでいる。
しかも、周囲の情景は、信じられないほ
どリアルだった。
いつのまにか、前の方の列で、ざわめ
きが起きていた。校長、教頭、主幹教諭
などの、学校の幹部連中だ。何が気に入
らないのか、しきりに騒いでいる。
右往左往する彼らの影で、舞台が遮ら
れるので、
ライフルを向ける。
数発撃ったところで、突然、視界が一
変した。
一人、また一人と生徒に命中する。被
弾した生徒は、影絵人形のように平べっ
たくなって、舞台から奈落へ転げ落ちて
いった。
客席から、どっと笑いが起きた。
射的の腕前を賞賛してくれるのではな
いかと期待して、二人の女性の方を見や
ったが、反応はなかった。
高校生たちは、操られるままに整然と
与えられた役割をこなしていたが、中に
何人か、勝手な動きをして芝居の流れを
阻害している生徒たちがいた。
チョ ークを 投 げ て み
腹 が 立 っ た の で、
たが、いっこうに当たらない。それで、
射的のゲームに使うコルク弾を装填した
ライフルを撃ってみた。
れていた。ぎくしゃくと舞台の上を動き
回ってはいるが、どう見ても、自らの意
志による行動ではない。
両隣にはうら若い女性が座っていて、
両手に花の状態だった。左側にいるのは、
養護の田浦潤子教諭。右側にはスクール
カウンセラーの水落聡子がいて、心配そ
うな顔で舞台を見守っている。
混沌とした夢の中にいた。
どうやら、舞台を見ているようだ。役
者は全員高校生だった。担任している二
年四組の生徒たちであることがわかる。
クルト・ヴァイルの﹃三 文オペ
演 目 は、
ラ﹄
らしい。
バンドネオンが﹃モリタート﹄
の旋律を奏で始める。よく見ると、高校
生たちには操り人形のような紐が付けら
Fly UP