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幻想と幻影の政治――マルコス 1965-1986
幻想と幻影の政治 マルコスー1965−1986 花 崎 春 雄 埼玉大学紀要 敢養学部 帯40巷(第1号)2004年9月30日 別 冊 幻想と幻影の政拾一一マルコス1965−19呂6 花 崎 泰 雄 これは第一歩だ。今回.下院講具に遠出さ 主主我を尊重Lた。そのマルコスに互恵民主主 れれぼ,20年以内にイロカノ族出身の大統 義をすてさせ,自ら「立憲権威主義」 領にきっとなってみせる。誓って申し上げ 〔constitutionaIauthDritarianism)とよんだ体制に 移行させた原田は,いったい何だったのだろう る。 一寸ルコス.1949年l か? どんな国内・国際政治的な力が作用Lた のだろうか?また.フィリピン国民をはじめ. 海外の論調もこの移行に強く反対Lなかったの 1.はじめに は,なぜだったのだろうか? 国民の半数以上が民主主義とは何であるかを マルコス時代のフィリピン社告はーいまで 知らない国で,いったいどうやったら民主主義 が異境できるのかい−インドネシアで民主化 もそうだが−一掃てる少数者と持たぎる多数者 の議論が高まり始めていたスハルト時代末期に の対比が残酷なまでに明瞭な社会だゥた。フィ あたる1998年代の中ごろ,当時の政府高官がジ リピン社会の特権層が国家の借間とその富を牛 ャーナリストたちにこう語ったことがあった。 耳る病んだ政治の伝統をひっくり適し,大統領 インドネシアに民主圭茸の経験が皆無だゥたわ 官邸から革命的な社会変革運動を巻き起こそう けではなかゥた。19弧年代の前半.短い期間な というのがマルコスの新社会運動(犯1usang がらもその常襲はあった。LかL,スカルノと BagongLipunan,KBL)だった。このアイディア スハルトの統治下でその記憶は薄らぎ.集われ は持たぎる多数者に受けた。戒厳令によるマル ていた。そういうわけで,199呂年のスハルH政 コスの大統領居座りが,当初.フィリピン大衆 権崩壊以降,インドネシアは民主主義政治の模 によって支持されたのはそうした理由による。 索を一から始めることになった。 大衆はいってみれば.マルコスがふりまく夢の かけらに酔いたかったのである。 フィリピンはインドネシアと違って.アメリ カ統治時代に民主主義の予備教育をうけていた. だが,草の成り行きをいまふり遡れば,マル とみなされることが多い。独立後しばらくはア コスが算民の救清に徹底的にこだわり,そのこ ジアで数少ない民主主義国家のひとつだった。 とに彼の政治生命をかけていたとは言いがたい。 ところが民主主萬を少しは知っでいたはずのそ マルコスが唱えた農地改革は,結局.ほとんど の国民が.1g72年にフユルディナンド・マルコ 実効をあげることができなかった。それどころ スに戒厳令国家樹立をやすやすと許してLまっ か.マルコスは自分自身とその取り巻き連中を た。 新しいフィリピン社会の特権層に成り上がらせ 独立以来,フィリピン政治において正統性が ることにより熱中した。 政治とは権力の配分・関係に影響を及ぼそうと 与えられていたのは立憲民主主義 (00nSt血tionaldem∝r且⊂y)だった。1粥5年から する努力であり.権力追求の努力は時として権 1972年の戒厳令までのマルコ耳大統領も立憲民 力自体がもたらす優越感を満喫するために行わ 一69−