...

11月号(No.292)

by user

on
Category: Documents
15

views

Report

Comments

Transcript

11月号(No.292)
ていよう
綴葉
'10
11
No.292
あなたが創る生協の書評誌
▶
話題の本棚
マイケル・J・サンデル著
『完全な人間を目指さなくてもよい理由』
筒井康隆著
『現代語裏辞典』
特集/遊び
新刊コーナー/新書コーナー/名著再読/最近読んだ本
〒606-8317 京都市左京区吉田本町
京大生協綴葉編集委員会
Tel:771-6211 / E-mail:[email protected]
綴葉HP: http://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/000696.php
話題の本棚
さが道を譲ると、責任は恐ろしいほど拡大していく。われわれはよ
その点、著者が説得的で面白いのは、生命倫理学の枠組みでなく、
彼自身の言葉で問題の本質を表現仕切ってしまう点にある。「謙虚
ないという根本的な事実を見逃している弱点もある。
設計に関係なく、人間は誰一人として自分自身の遺伝的形質を選べ
る、といった批判である。しかしこういった批判には、親の遺伝子
子供の遺伝子組成操作は、生まれてくる子供に対する権利侵害であ
つとして「自律」が挙げられる。例えばクローニング技術に関して、
落ち着いて、無理に白熱せず、
サンデルを読む
完全な人間を目指さな
くてもよい理由
遺伝子操作とエンハンスメントの論理
マイケル・J・サンデル著
林芳紀、
伊吹友秀訳 ナカニシヤ出版
サンデル教授を知っていますか?
カント、ロールズ、アリストテレスら古今の哲学も参考しつつ批判
が『これからの~』。功利主義やリバタニアリズムなどの流行に対し、
も今年放送され、知名度が一躍高まった。その内容を本に纏めたの
著者の学部講義の模様を収録した「ハーバード白熱教室」が日本で
き延びるための哲学』
(早川書房)が売れまくっている、ハーバード
大学のサンデル教授。大教室での多数の学生との掛け合いが絶妙な
治哲学と生命倫理学という性格の違いこそあれ、「マイケル・ジョー
実は本書の原著の出版は三年前であり、今回の翻訳・刊行も「サ
ンデル・ブーム」の後追いではないと言う。むしろ個人的には、政
背伸びしないで読めるサンデル書
が低すぎることが責められる可能性もあるのだ。
は、普通はその選手の位置取りに関してだが、やがては選手の身長
バスケット選手がリバウンドを取れなかった時にコーチが責めるの
り多くの物事を偶然のせいではなく選択のせいにするようになる」。
を試み、公正な社会のあり方を探った三五〇頁。講義の雰囲気その
今年五月に出版された『これからの正義の話をしよう いまを生
ままに、洗練さと情熱に溢れた文章に多くの人が惹きつけられた。
テクノロジーの発展が生み出したこの行為は、スポーツにおける遺
人間の形態や機能を改善することを目指した介入」のこと。バイオ
るからだ。背伸びして「ブーム」に強引に乗っかった人でも、本書
カ以外の国でも医療技術と自由市場の発達の中で既に起こりつつあ
く縛られていた前著に対し、本書で著者が懸念する問題は、アメリ
ダンへの課税は不公正だ」という呑気なリバタリアンらを相手にす
エンハンスメント問題への新しい接近方法
る前著よりも、より喫緊なテーマを扱う本書の方が一般の読み物と
人気絶頂の彼の新刊のテーマは、エンハンスメントと倫理の問題。
しては好印象であった。議論自体がアメリカ固有の思考枠組みに強
エンハンスメントとは「健康の維持や回復に必要とされる以上に、
伝子注射によるパフォーマンス向上や、ヒト成長ホルモンの処方に
(一八四頁 税込一八九〇円 よる子供の身長アップなど、倫理に纏わる新しい議論を巻き起こす。 の方が意外と腰を据えて読むことができるかもしれない。
(もずく)
月刊)
エンハンスメントに対して生命倫理学で一般に行われる批判の一
10
2
話題の本棚
現代語を裏から見るユーモア
現代語裏辞典
筒井康隆著
文藝春秋
せいさく【政策】やがて空気の抜けるアド・バルーン。
しょし【初志】政治家が忘れねばならぬもの。
↑「痛みを伴う改革」は疑似餌でなかった「マニフェスト」ですが、
やはり「初志」は忘れた方が良かった?
きゃくせんび【脚線美】鑑賞して喜ばれる場合と見てセクハラにな
↑ S‌
雑
M誌では脱皮にはならないようで。しかしそれが「時かけ」
じゃなくて本当に良かったです。ではエロ路線ついでに……。
だっぴ【脱皮】 作家が純文学を書きはじめること。
S‌
F
エスエム【 S‌
】
初
M S‌
F期、間違えてこの手の雑誌に書かされてしま
った。
本屋の新刊コーナーになぜか辞書っぽいものが置いてある。書名
を見て、なんだこりゃと思い、著者を見たら納得。筒井康隆だ。本
一二,〇〇〇項目に及ぶ悪ふざけ
誌今月号は最近読んだ本で『パプリカ』を取り上げ筒井先生に二ペ
↑ 先生の場合はいかなる場合も後者です。
むすこ【息子】親の貯金で日本経済に貢献するやつ。
る場合があり、両者の境界は不明。
思う。もしかしたら賢いかもしれない変態のおじさんだ。養老孟司
とうし【投資】確実に損をするのは息子への投資である。
ージも割く筒井康隆祭りだ(そんなバカな……)。朝日放送の「ビ
『バカの壁』のパロディ『アホの壁』、小松左京『日本沈没』のパロ
↑ 父さん、母さん、ごめんなさい。
だいがく【大学】人生の息抜き。
ーバップハイヒール」を見ていればヒトトナリは何となく分かると
ディ『日本以外全部沈没』などもう好き勝手、面白おかしく書き散
しょもつ【書物】読者に「知識を得た」と錯覚させる代物。
↑ 娘たち、心せよ。
ゆいのう【結納】親が何をしてやっても、離婚するやつは離婚する。
むしよけ【虫除】娘にガードマンをつけたら、そいつが虫になった。
むすめ【娘】実家の物品を持って行くやつ。
らして生きているのだ。
何はともあれ腹を抱えて笑うがいい!
さて、辞典という0こ0と0で0こ0れ0はもう適当に抜粋して楽しんでもら
うしかあるまい。ツボに入れば爆笑必死なので気に入ったら購入頂
きたい。それでは私(星の屑)のツッコミつきでどうぞ。
↑ その通りです。俺はなんて無駄な時間を……。 (星の屑)
(四四八頁 税込二四一五円 月刊)
ごい【語彙】「美味しい」だけでもグルメ番組のリポーターになれ、 しょひょう【書評】読んだ時間の謝礼はなく原稿料のみ。
】疑似餌。
manifest
3
「構造改革」だけでも総理に……。
マニフェスト【
7
2010. 11. 10
綴 葉
特集 遊び 今回の特集は「遊び」。遊びといえば「飲む、打つ、買う」…しかし遊びとは人生の余白、
と考えれば、このような典型に回収されない遊び方こそ遊びの本質にかなったものであるよ
うにも思えてきます。
遊び=余白といえば、よく言われることですが、「ブレーキの遊び」という表現は極めて
よくできた言い回しだと思います。目的に直結しないからこそ意味がある。読書も学問も、
ピンポイントな狙いから外れたところに意外な気づきがあるものなのかもしれません。
(峰)
遊びを人類学する
的が見えにくい。だが遊びはつかみどころが
「食べる」や「寝る」などと違って、その目
の目的で生物がする行動の総称とされるが、
娯楽、休養、リラックス、ストレス解消など
び」の定義は可能なのか。一般に、楽しみ、
遊びの退廃を診断し、より広い領域、人間の
の手段とする風潮が強かった。ホイジンガは
の一環に位置付けられ労働者管理や大衆動員
レクリエーションとしてとらえ、教育や産業
九三〇年代は、ナチスドイツのように遊びを
異を唱える危機感だった。本書が書かれた一
この困難にめげずに彼を「遊び」に向かわ
せたのは、当時の遊びの機能主義的な理解に
ミズムと遊びは折り合いが悪い。
ない対象であるにも関わらず、見ればこれは
文化総体を遊びとしてみようとしたのだ。彼
「遊び」について書く、すなわち考えるこ
とは簡単なようで案外難しい。そもそも「遊
「遊び」だと分かってしまう不思議な明瞭さ
それらは個別の文化理解のためでなく、むし
は古今東西の遊びと文化の事例に言及するが、
もある。
遊びの普遍論
大 家 が「 お も し ろ
かを決定できないという判断からのこと。老
としては遊びの「おもしろさ」がどこにある
論的解釈も役立たないともいう。これは研究
しかし、同時に従来の分析的なプローチも理
り、文化に先立って遊びが存在したという。
ーデンス︵遊ぶ人︶』( 中公文庫)において、
人間の活動のあらゆる側面に遊びの要素があ
いる。
この系譜にはカイヨワ、ベイトソン、チク
セントミハイ、ベンヤミン、アンリオなどが
一的に論じようとする。
うに、地位や集団を超えて共通する部分を統
でも子供は追いかけっこをし隠れ家を作るよ
論者といっていいだろう。つまり世界中どこ
直すための素材として扱っている遊びの普遍
ろ人間総体を遊びとの関わりにおいて理解し
さ」の記述に向かっ
オランダの歴史家ホイジンガは『ホモ・ル
ていったというのは
おもしろいが、こと
遊びの個別文化論
一方で、遊び論にはもう一つの系譜がある。
遊びの地域性、個別性に注目し、その差異を
ほどさようにアカデ
4
た と え ば、 寒 川 恒 夫 の『 遊び の 歴 史 民 族
や民俗学者が多い。
と関連付けて理解しようとする文化人類学者
この系譜には、個別の要素を当該社会の文脈
遊びの普遍論に対して、個別文化論と呼べる。
記述・分析しようとする立場である。これは
お 』(
小 学 館 ) や 五 歳 児 の『 よつ ば と!』
(アスキー・メディアワークス)など子供の
さ れ る。 主 人 公 が 小 学 四 年 生 の『 団地 と も
意外と似通っている部分があることに気づか
野外体験教室の子供たちの遊びを比べると、
モの遊びと、アフリカの狩猟採集民や日本の
収められたニホンザルやチンパンジーのコド
同じまなざしからとらえようとする。本書に
なものだ。ヒト・サルの区別なく子どもたち
暮らす環境に応じたサルたちの創造性も相当
る。だが、雪球運びや馬跳びなど自分たちの
の発案する数々の遊びの豊かさにうならされ
日常世界を舞台にした作品では、主人公たち
(夏太郎)
習を身につけながら生活のなかで遊びをみる
域・集団に長期にわたって関わり、言語と慣
い大作を読破するもよし、一人旅に出るもよ
読者各位は夏休みを有意義に過ごされただ
ろうか。仲間と海に行くもよし、普段読めな
しかるに私にとってコンピュータゲームとし
っすぐ走れないし波動拳もなかなか出ない)。
求される技術も有しない(マリオカートでま
小説のようなゲーム、
ゲームのような小説
ない。 種の違いを超えて見られる能力なのかもしれ
が遊びにおける創意工夫の天才であることも、
学』(
明和出版)では、ラオスにおけるボー
トレースが王の統治を確認する儀礼としての
機能をもつと理解するなど、いわば各地の遊
びがそれぞれの地域の社会集団の形成と統合
という姿勢が、個別社会における他の文化要
し。ルーティンから解放された有り余る時間
に役立つものとして描かれている。特定の地
素との関連で理解しようとする認識につなが
てリアリティがあるのは、パソコンを購入し
「言語」となぞらえることもできよう。ただ
ら、 同 時 に 個 別 文 化 依 存 的 で も あ る 遊 び は
これら二つの遊び観はどちらも遊びの一面
を言い当てている。人類に普遍的でありなが
えた。世界は画面の中にしかなかった。静止
カーテンも開けず部屋からほとんど一歩も
出ない日が続き、幾多の大事な用事が宙に消
た。泣いても叫んでも戻ってはこない。
……下宿にこもってひたすらゲームをしてい
トノベルについてお届けしたい。
それと分かちがたく結びついて展開したライ
ベルゲームという物語性の強いジャンルと、
る度合いが小さく、物語や謎解きを中核に据
‌用ノベルゲームである。
この手のゲームは反射的操作や技術を要求す
んどゲームに縁がない。楽しむのに最低限要
頭したゲームであるが、私は実のところほと
るのは自然なことだろう。
に お い て、 そ の 貴 重 さ に 急 か さ れ る こ と が
て以来稀に遊ぶ
し、言葉をもたない動物にも遊びをするもの
した闇の中で、私はただ充血した目で科白を
‌ の
‌ 空、リトバスの夏
トの遊び・サルの遊び
ヒ
往 々 に し て あ り、 残 念 に 思 う。 私 は こ の 夏
は多い。
追いクリックをし続けた。足元には無数の栄
さてかように貴重な夏休みをつぎ込んで没
養ドリンクの瓶が散乱していた。
亀井伸孝編『遊び
の人類学ことはじ
A
I
R
ゲーム世界のガラパゴス
デジタルゲームの教科書制作委員会『デジ
タルゲームの教科書』(
ソフトバンククリエ
め 』(
昭 和 堂 ) は、
ヒトとサルの遊びを
P
C
えている。ということで本特集二稿目は、ノ
5
綴 葉
No.292
ーザー層を獲得し、限定的な市場をバックに
の普及に伴い、家庭用ゲーム機とは異なるユ
イティブ)によると、
‌用ノベルゲームが
登場するのは九〇年代初頭。その後パソコン
いく」と述べる。もし読者が「ライトノベル
の性質がドラマ(の可能性の束)に優先して
人物が規定されるのではなく、キャラクター
ズ マ は『 ライ ト ノ ベ ル「 超 」 入 門 』(
ソフト
バンク新書)において、「ドラマの結論から
トーク・ロールプレイングゲーム (
の源流にはテーブル
うに、ライトノベル
の研究が指摘するよ
(青弓社)など多く
‌
‌ ‌ ‌)
のプレイ記録(リプレイ)が存在する。
ト ノ ベ ル 研 究 序 説 』
独自の発展を遂げていく。家庭用ゲームでは
ってどれも大体同じに見える」と感じるので
角川学芸
新城は続く著作『 物語工学論 』(
出版)において、神話論を参照したキャラク
とりをまとめたものが『ロードス島戦記』な
成するトークゲームである。この設定とやり
て、設定に基づいて行動を選択して目的を達
あれば、それは彼らの指摘の妥当性の証左で
扱いづらい、性愛、家族制度、死といったテ
ター類型を示し、ゲームシナリオやライトノ
ど黎明期の作品である。
ーマが正面から扱われることがひとつの特徴
と
‌ はコンピュータゲームではなく、数人
ベル制作において、類型化されたキャラクタ
この対比は本書の基幹をなす重要な論点であ
ーザーとしての実感は確かに酷似しているが、
ベルと同様に消費されていると指摘した。ユ
入れているわけだ。
消費者も、積極的に類型化された物語を受け
コンピュータゲームや
‌ゲームとの相互作
用 に よ っ て 展 開 し て き た 様 は、『 研 究 序 説 』
ライトノベル史のその後において、家庭用
負っている。いわゆる「萌え」だの「ツンデ
ライトノベルもノベルゲームも、物語の基
本構造の多くを類型化されたキャラクターに
物語のリテラシーとしてのデータベース
り、興味深い。
ライトノベル前史、ゲーム的な世界の拡大
のプレイヤーがそれぞれのキャラクターとし
ノベルゲームは基本的には静止画を背景に、
ただ文字を表示して話が進むだけの代物であ
ーを軸にした物語構築を提案する。制作者も
あるといえる。
T
R
うなゲーム」と呼び、小説とりわけライトノ
であると同書は指摘する。
T
R
P
G
る。東浩紀は『 ゲーム的リアリズムの誕生 』
(講談社現代新書)の中でこれを「小説のよ
P
G
P
C
レ」だのは、まさに典型的類型であり、ある
意 味「 使 い 回 さ れ
る」ものである。東
は上掲書でこの類型
の束を「データベー
ス」と呼び、新城カ
最後にノベルゲームから離れて、ライトノ
ベルの成立期におけるゲームとのかかわりを
イ ト ノ ベ ル は 最 初 か ら「 ゲ ー ム の よ う な 小
(峰)
説」として生を享けたのである。 「遊び」と一口に言っても、その内容は多
種多様で捉えがたい。そんな「遊び」につい
一貫して「遊び」が現実とは本質的に隔離さ
明らかにしている。だが、注目すべきは彼が
文庫)が役に立つ。カイヨワは「遊び」をそ
て 踏 み 込 ん だ 考 察 を し た い と き に は、 ロ ジ
れた、不確定で参加自由な活動であると主張
の性質によって分類し、その社会的な位置を
ェ・ カ イ ヨ ワ の『 遊び と 人 間 』(
講談社学術
遊びとしての読書
小説の世界に遊ぶ
見てみよう。一柳廣孝、久米依子編著『ライ
および『ゲーム的リアリズム』に詳しい。ラ
P
C
2010. 11. 10
綴 葉
6
れているという点で、祭りや宗教体験といっ
している ことだ。「遊び」は世俗と切り離さ
ダイアナ・ウィン・ジョーンズ『九年
目の魔
はらむ逆説だ。
いく。それは遊びの
遊びに伴う責任
法』(
創元推理文庫)のように、少女の空想
を通して徐々に現実と幻想が絡まり合うよう
た聖なるものと結びつけられているのだ。
品世界にしばしの間入り込み、カタルシスを
ではない。誰に強制されたわけでもなく、作
まざまだろうが、生真面目に読むだけが読書
づく。もちろん、読書に対するスタンスはさ
本の書評」から構成されている。冒頭の序文
『完全な真空』( 国書刊行会)はもはや物語す
ら放棄し、作品全体が十数本の「実在しない
ド の S F 作 家 ス タ ニ ス ワ フ・ レ ム が い る。
戦後ヨーロッパでそうした異世界の創造を
極限まで推し進めた作家と言えば、ポーラン
学問のほら話
愛おしさを感じずにはいられないだろう。
本を読み終えるときには、作品世界に対して
して、その矛先はそのまま「遊びとしての読
けられる真相と弾劾はあまりにも痛切だ。そ
だが、そんな知的遊戯を気取る彼らに突きつ
げな暗合や蘊蓄に溢れた推理を繰り広げる。
追求したものと言える。本書でも、登場人物
が、特殊な「約束事」を遵守する「遊び」を
事件の謎を推理し、読者は真相を解決編より
「本格ミステリー」だ。作中の探偵役は殺人
で い る。 本 書 が 表 向 き 取 っ て い る 形 式 は、
どちらの作品も小説内に異世界を築くことに
の供物』(
上・下、講
自覚的だ。思春期の瑞々しい視点も相まって、 談社文庫)には、そんな遊びへの戒めが潜ん
中井英夫『虚無へ
得る――そんな体験も読書の醍醐味のはずだ。
までも「『完全な真空』への書評」という体裁
書」を行う読者にも向けられている。
な作品もあるだろう。対照的な方法ながら、
物語だ。そんな娯楽小説の古典といえば、ス
をとる徹底ぶりで、一つ一つの評もいかにも
そ う 捉 え て み る と、 こ の 遊 び の 定 義 が、
「読書」にもぴったりと当てはまることに気
ティーヴ ンスンの『 宝島』(
光文社古典新訳
文庫)になるだろうか。とはいえ、今読むと
「ありそう」と思わされる。しかし、「世界の
「遊び」がカイヨワの言うように非日常の
世界に属するのならば、それは時に日常に対
うした現実世界への教訓を授けてくれること
たちは素人探偵として事件を巡って意味あり
構築してみせる。読者はその言説を手がかり
「遊びとしての読書」を考えたとき、いつ
の時代も魅力的なのは非日常の世界を描いた
も先に見抜こうとする――このジャンル自体
筆者などは、登場人物の造型にどうしても海
する脅威にも転化しうる。ただし、まさにそ
非日常への飛翔
洋国家イギリスの矛盾を重ねてしまう。
まざまな分野の考証に基づいて奔放に虚構を
無根拠性」や「人間の限界」といったテーマ
それよりも、ハリー・ポッターブーム以降、
を論じつつ、当のレムは、文学や科学などさ
定着した感のあるファンタジーの方が、非現
実を楽しむには向いている。たとえば、ジョ
にさらに「新しい宇宙」を創造していくのだ。 があるのもまた「遊びとしての読書」の魅力
る。「 ネ タ 」 と し て 完 成 を 目 指 す ほ ど、 遊 び
だが、この試みは事情を知らない人間の目
に「知の欺瞞」と映る危険とも隣り合ってい
そが読書という「遊び」の一つのあり方では
癒し、日常を生きる力と知恵を得る。それこ
なのだ。非日常の世界を楽しむことで疲れを
ン・ ク ロ ウ リ ー『 エン ジ ン・ サ マ ー』( 扶 桑
社文庫)は、遠い未
少年の旅路をクリス
ないだろうか。 来の異文明を舞台に
タルのように閉じ込
は「マジ」と見分けがつかないものになって
(黄金
虫)
めてみせた。逆に、
7
綴 葉
No.292
新刊コーナー
アメリカの象徴として表象される過程の二つ
人」から「アメリカ人」となる過程と、彼が
ランクリンが実際に独立を通じて「イギリス
要になる「わざ」が何かを判断する能力を持
挙げられるのは現場で物を見て学ぶこと、必
つことである。新しい技術を生み出す背景に
の分岐点に運が関わることもおそらく間違い
と、失敗する人に分かれることは確かで、こ
こ と で あ る。「 必 要 」 に 挑 戦 し、 成 功 す る 人
か工夫したらできてしまった、という程度の
き上げられた所に更なる必要が生じて、何と
多くの場合において、オリジナルは今まで築
は、彼の行動の根底にあった〈理性と合理的
え余計に捉え難いフランクリン像だが、著者
む通りに振る舞うことが得意だった。それゆ
フランクリンはたくさんの仮面を持つ人物
である。幾つもの偽名で記事を書き、人が望
ウッド氏のプライドならではと言うべきか。
析に割いているのだが、そこは建国史の大家
は、オリジナルを求める心があるのではない。 の意味がある。実際、本書は九割を前者の分
「 科 学 技 術 立 国
日本」がいつの間
ない。だが、職人の観察にかける情熱は、分
世界が大切にする
ニッポン工場力
にか「スポーツ立
精神に基づく共和主義〉に焦点を当てる。そ
功が注目を集めたのだ。
「紳士」としての彼の功績よりも、出自と成
る、アメリカ的価値観の生まれた時代だった。
彼の名誉は「独立独行の男」として十九世
紀前半に復活する。それは、労働を美徳とす
セ ル フ メ イ ド マ ン
身アメリカには馴染めなかった。
ても、彼の革命への貢献は顧みられず、彼自
ところが驚くことに、「アメリカ人」となっ
命によりそれを否定されていく過程である。
なることを望んだフランクリンが、結局は革
成功を収め「紳士」となり「イギリス人」と
れが明らかにするのは、「植民地人」として
ペルソナ
国戦略」に代わっ
岐点に立つ以前の人の方が圧倒的に多いのだ
根岸康雄著
ていることはとも
ディスカヴァー・トゥエンティワン
かく、この国が付加価値を付けた技術で食い
ベンジャミン・フランクリン、
アメリカ人になる
ゴードン・ウッド著 池田年穂、
金井光太朗、
肥後本芳男訳 慶應義塾大学出版会
本書には、フラ
ンクリンが何故
ということに気付かせてくれる。 (
星の屑)
(二三二頁 税込一五七五円 月刊)
繋いできたことに異論はない。しかし途上国
がそこそこ発展してきた昨今、ワリを食うの
は先進国だ。ひとたび技術が流出すると、も
はや先進国にアドバンテージはない。人口の
多さと人件費の安さで受注は後発アジア諸国
に流れる。ならばもっと先端の技術で食って
い極細注射針、七五〇〇トンもの水圧に耐え
「全てのヤンキー
いくしかない。そのお手本のように、痛くな
る水族館用アクリル板の開発といった町工場
の父」となったの
か、その謎を解く
での挑戦が収められている。
技術的な書き込みは幾分粗いものの、その
とき何が必要とされて職人達がどういう考え
ヒントがある。
異色のフランクリン本だが、建国期のアメ
本書の原題は“ Americanization of Benjamin リカをより良く知るための好著。 (満潮)
” で あ る。 Americanization
に は、 フ
Franklin
(三七〇頁 税込三七八〇円 月刊)
9
方で実現を勝ち得たか、という点には十分な
インタビューがなされている。共通項として
8
2010. 11. 10
綴 葉
8
の途上にある。時
ぜに、行列は歩み
無事の祈念と波
瀾の期待をないま
が椿の本陣で待っている。
っている。その前に、第二巻ではどうやら女
きつつ心配し、大坂ではひいきの大商人が待
込まれる。国元では留守の家老たちが一息つ
れを見かねて馬番に身をやつした密偵は巻き
くい殿を扱いかねつつ若さをさらけ出す。そ
殿様は傍若無人に、しかし魅力的に一行を
動かす。家柄に気負った若い家老は、扱いに
のようなものとして参勤交代の道中がある。
かに江戸の武士たちがいる。社会がある。そ
に終始してしまいがちであるが、ここには確
個人主義によって共産主義を批判したサル
トル、観念を重視したがゆえにナチに加担し
ムの脅威は認識されていた。
自体は失効していなかったが、スターリニズ
たと加藤は論じていく。当時、共産主義思想
などの諸問題との対決を根本的に迫られてい
識人は、ファシズムや社会主義、植民地主義
パは伝統的な精神が大きく揺るがされた「危
思想を紹介したものである。戦後のヨーロッ
一九五〇年代前半のフランス滞在後に、先端
つらつらわらじ
は寛政、老中松平
の原理を説くフォースター――この章構成は
想を体現しながらもその限界も自覚し、寛容
バルトとヴェイユ、そして西欧中産階級の思
てしまったベン、そうした他者不在の観念を
機の時代」にあり、西欧市民文化に属する知
定信による倹約政策下、それに面従腹背の備
批判したグリーン、他者との対話を実践した
オノ・ナツメ作
講談社
前岡山「熊田家」の殿様の江戸入りは、曲者
(二二六頁 税込六八〇円 現代ヨーロッパの精神
それぞれの思想家の切実な問題意識を伝える
と同時に、加藤自身が多様性を受け入れた上
りと黒い羽織は、白々しい街道筋を浮き上が
って、ものの見事に江戸である。一行のべた
研究や平和主義的
日本文化・文学の
る知識人として、
加藤周一は戦後
民主主義を代表す
ことは無駄ではあるまい。ぜひ手に取ってほ
される現代、加藤たちの思考に今一度触れる
ないだろうか。正義や倫理が改めて問いなお
加藤周一著
岩波現代文庫
らせる一方で、夜の本陣の闇と明りにとけ混
な言説で知られている。日本人の世界観や文
韓図
)
傑作の予感を胸に続刊を待とう。 (
月刊)
感たっぷりのご当人の気紛れと、それにつき
従う面々の思惑と、紛れ込んだ公儀の密偵の
当惑に混沌と、しかし、表立っては粛々と東
へ、東へ。――開巻劈頭から静かに胸高鳴ら
される、俊英オノ・ナツメの新作の第一巻。
ざり、しかも同時にそれをまとう「個々人」
学的感性を明快に論じた加藤には、一方で西
での文化構築を主張するに至った過程とも重
の身分・階級に規定された欲望・関心をその
欧的教養への深い理解が備わっていた。
まらない包括的な視点を加藤に与えたのでは
った思索は、ヨーロッパへの表面的理解に留
なっている。時代の岐路において彼らが行な
言動によって描きだす。この手の作品は、と
しい一冊だ。 (黄金虫)
(二七〇頁 税込一〇七一円 月刊)
徹底的にディフォルメされた絵柄ながら、
綿密な考証の裏づけをうかがわせる細部によ
もすると「それがし……でござる」の出来合
本書に収められた論文は、若き日の加藤が
9
9
いの江戸イメージに甘えて現代人の仮装大会
9
綴 葉
No.292
増えるにつれて、
「せっかく京都に住んでいたのに、何も知ら
りそうだ。一歩進んだ案内人になるために、
ついて知れば、明日の買い物も少し楽しくな
た行かねば!」と思うし、京野菜・京菓子に
た御霊の謂れ・狛犬の特徴などを読めば「ま
の知識・さまざまな祭りや禊・神社に祀られ
だったとも知らなかった。天龍寺の庭や借景
たとは知らなかったし、船岡山の周りが墓地
のか。秀吉による都市改造で御幸町通ができ
在の広さになったのはそれぞれいつのことな
ったのか、河原町や堀川、御池、五条通が現
ないための工夫であり、書き手のモラルであ
みせるが、これが浮かび出る想いを垂れ流さ
た る 形 式 主 義 的 な 自 己 満 足!」、 と 韜 晦 し て
ぞれ「
‌ 字
‌ 詰め原稿用紙のぴったり 枚
分 」。 書 き 手 は こ の 厳 密 な「 形 式 」 性 を「 何
という日付が各編冒頭に置かれ、枚数はそれ
新しくは「二〇一〇年一月二十七日水曜日」
「一八五二年四月二十四日土曜日」、もっとも
本章は文芸誌『新潮』の連載に基づく一五
編からなる「随想」である。もっとも古くは
てエッセイの名は実を得る、ように思う。
知性への「試み」や「挑発」を伴ってはじめ
を案内する機会が
れる友人や外国人
京都に住んで早
や云年、観光に訪
知恵の会(代表 糸:井通浩)著
勉誠出版
古都をめぐる の講座
その辺の観光ガイド本では物足りなくなって
なかった」にならないために、ぜひ。
ことも増えるばかり。そんな現状を打破する
(投稿・宵)
(四四二頁 税込三五七〇円 月刊)
るということは自ずと汲み取られる。
そうして想われる固有名詞を順に挙げれば、
ル・クレジオ、川口松太郎、マキノ雅弘、オ
バ マ 大 統 領、 小 津 安 二 郎、 中 村 光 夫、 ジ ー
ン・クルーパ、フローベール、マイケル・マ
見られないその守備範囲の広さが、おそらく
と は い え、 他 の「 京 都 学 」「 京 都 観 光 」 本 に
親鸞の墓所の話などはかなりマニアックだ。
また古田織部や本居宣長を扱った章、法然・
るが、そういうものではたぶんない。生活経
思われがちで、事実、誰かれとなく書いてい
書けるかのように
からして誰にでも
くて軽いその語感
随想・エッセイ
というものは、緩
ことなく書きつけること。――ほとんど遺風
さ」の対極にあるものを、あえて言挙げする
随想
ン、磯﨑憲一郎、ソクーロフ、樋口一葉、小
野 寺 少 将、 エ リ ッ ク・ ロ メ ー ル、「 国 民 読 書
は本書の売り。自分が意外と京都の事を知ら
とも言うべき美風がここにはある。 (韓図)
月刊)
年」……となり、この著者の読者には旧聞に
なかったことを思い知らされる。たとえば、
験に基づく「共感」や「納得」にとどまらず、
(二五四頁 税込二三一〇円 8
う 仕 方 に こ そ あ る。 見 聞 さ れ る「 は し た な
はむしろ世に語られるそうした名前に向き合
属す事柄も少なくない。しかし、試みの核心
通りや池、墓地の変遷。昔の御所がどこにあ
蓮實重彥著
新潮社
28
京都学を楽しむ
きた。対応しきれない突っ込んだ質問に遭う
一冊になってくれそうなのが本書。京都の自
然・文化・信仰・学芸・衣食住をテーマにし
た三三の「講座」は、一般書よりは内容が濃
く、専門書ほど固くない、読み応えのあるや
やエッセイ風の文化論である。
4
0
0
33
二〇人以上の研究者が分担して執筆してい
るため、多少まとまりの悪い感は否めない。
7
2010. 11. 10
綴 葉
10
ヨーロッパ視覚文化史
想天外・英文学講義 』(
講談社メチエ)があ
り、議論のぶっ飛び具合と面白さでは高山に
追うことで記事を個別に読むだけでは見えな
テーマ毎にリンク・コードが付され、それを
ついての記述が、年代順にまとめられている。
を編集したもの。その時々に見出した古書に
軍配が上がる。高山と比較したとき本書の特
い繋がりが見えてくる。実に練られた構成で、
《古書を古読せず、雑書を雑読せず》
善の言葉に勇気づけられる。
ぜん
ないのだ。帯の惹句にも使われている金原明
きんぱらめい
はあっても、読者がいる限り本の生命は消え
心によって命を吹き返す。たとえ可能的にで
と埃に埋もれていた雑書が、見つけた人の関
がひしひしと伝わって来る。古びた紙の臭い
彼女にとっては一期一会の宝物で、そのこと
買う。一般には見向きもされない本が多いが、
参考書の類など、気になったものはとにかく
古書に対する著者の愛情は、並大抵ではな
い。週末毎に古書展へ出掛けて、雑誌に新聞、
逍遥の楽しみを存分に味わうことができる。
徴は実証的なことだが、厳密に論じるならも
それでも、旅とペテンと快楽と科学が一緒
くただった時代の雰囲気は実感できる。
うちょっとナマの資料が欲しいところ。
宮沢賢治の『雪
渡り』では、子ど
ジャン・ピエロ・ブルネッタ著
川本英明訳 東洋書林
もが狐の幻灯を見
(大福
)
月刊)
映画や文化史に興味を持つ人に、一冊目で
はなく二冊目として、おすすめしたい。
香具師だの、実際
に行く。幻灯だの
に見たことはないが妙に心躍る言葉である。
(六〇六頁 税込五〇四〇円 古書の森逍遥
黒岩比佐子著
工作舎
明治・大正・昭和の愛しき雑書たち
著者は「古本ラ
イター」で、その
本書はイタリアの映画史研究者が「映画以
前 」 の 映 像 文 化 史 を 書 こ う と し た も の だ。
ダ・ヴィンチによる眼球の解剖図からスライ
ドの原型が生まれ、それが幻灯という見世物
を生み出し、ヨーロッパ各地の都市や農村で
人々を魅了するようになるまでの歴史。街頭
や村祭りでマジック・ランタンと出会った観
〇 四 年 に は『
「食
道楽」の人村井弦
客たちにとって、画像の見せる夢幻の世界は、 筋では有名。二〇
アメリカ大陸やアフリカ大陸に劣らない「新
斎』(
岩波書店)でサントリー学芸賞、二〇
にしない姿勢には本当に頭が下がる。順調な
著者は昨年来癌を患い、現在過酷な闘病中
と聞く。その中で着実で分かりやすい編集・
認識をどれだけ変え得るかということが、豊
〇八年には『編集者国木田独歩の時代 』(
角
川選書)で角川財団学芸賞を受賞している。
執筆を続け、図書館に通い詰めて考証を疎か
富な図版とともに実感できる。
快復を願うばかりである。 (一升瓶)
(三八九頁 税込三三六〇円 月刊)
ただし、難点がいくつか。まず日本語訳が
わかりにくい。直訳は翻訳ではないことがよ
最近では『パンとペン 社会主義者堺利彦と
「売文者」の闘い』を講談社より上梓した。
世界」だ った。「視る」ことが世界に対する
7
本書は、二〇〇四年から続く彼女のブログ
11
くわかる。次にいうとすれば、視覚文化と科
学・世界観というネタですでに高山宏の『奇
6
綴 葉
No.292
いい顔してる人
荒木経惟著
PHP研究所
答:一 概 に 言 え な い け ど、「 最 近 わ た し の 顔、
いまいち?」と思うようなら、男(恋愛の相
じ車両に乗ってしまった時は、その人を注意
することもあるし、逆にマナーの悪い人と同
異性が隣に座ってきたら、恋の始まりを妄想
電車の醍醐昧の一つ。例えば目茶苦茶素敵な
手)か仕事を変えたほうがいいらしいです。
したい衝動にかられるだろう。そして結局行
問:生き方が顔に出るっていうこと?
的にいい顔になることもあるみたいですよ。
るネタを見逃すことが決してない。例えば逆
動に踏み切れずに後悔したりもする。
問:
こ
の本の内容
を一言でいうと?
問:じゃ、もとの顔がいまいちでもいい顔に
はなれるんですね?
声で彼氏に暴言を吐かれて気まずそうにして
答:うん、積み重なっていくものもあれば、
いい相手といい関係を作ることによって瞬間
答:アラーキーが
ぐだぐだ喋ってる
答:そう。もとの顔は変えられないけど、い
い顔の前には美男美女なんて敵わない。アラ
というわけで、目指せ「いい顔」。(大福)
(一九五頁 税込一二六〇円 月刊)
阪急電車
有川浩著
幻冬舎
かった相手の子が、たまたま同じ大学で授業
きてくれる。門戸厄神のプチラッシュでぶつ
宝塚駅で隣の席に座ってきてしかも話かけて
そして素敵な偶然が重なりまくるのも今津
線の特長。以前から気になっていた女性が、
団を一喝して黙らせたりする。
ば?」と囁いたり、車内マナーの悪い奥様集
瀬川駅から乗車するおばさん。同じ車内で大
この本の舞台は宝塚市と西宮市を結ぶ阪急
電車今津線。ここの乗客たちは、車内に転が
本です。
い る 彼 女 に、「 く だ ら な い 男 ね。 や め て お け
問:アラーキーって誰ですか?
ーキーの写真を見ればわかります。
答:
日
本の写真家の中で一番有名な人のひと
りです。本名は荒木経惟ね。
問:どういう写真を撮るひとなんですか?
答:人物写真が代表的で、ちょっとHな写真
も撮るし、猫とか花の写真も撮ります。
問:
何
について喋ってるんですか?
答:顔についてです。
までかぶっていたりする。
駅なのか甲東園駅なのかは分からないが、あ
一人で電車に乗
るときは、色んな
方法で退屈を回避
なたの人生を変える素敵な乗客がそこにいる
この片道一五分の物語に惹かれたなら、ぜ
ひ本を持って今津線へ。そして勇気を出して
寝たり、本を読ん
かもしれないから。 (もずく)
(二六九頁 税込五六〇円 月刊)
隣の人に話しかけてみると良いだろう。宝塚
問:表情が生き生きしてるとか、オーラが出
てるとか、そういうことですか?
だり、音楽を聴いたり、外を眺めたり。最近
ではパソコンに忙しい人も目立つ。
でも他の乗客次第で気分が左右されるのも
8
しようとするもの。
答:そんな感じです。この本の中に出てくる
顔を見れば、いい顔がどういうものか、なん
問:いい顔になるには、どうしたらいいんで
すか?
となくわかりますよ。
問:顔? きれいとか、かっこいいとか?
答:いや、いい顔についてです。
6
2010. 11. 10
綴 葉
12
ルポ 在日外国人
高賛侑著 集英社新書
電線一本で世界を救う
山下博著 集英社新書
歴史の中の
﹃新約聖書﹄
加藤隆著 ちくま新書
オーディオマニアと呼ばれる人たちがいる。 『新約聖書』ねえ、名前は知ってるけど読
高価な音響機器を購入し、又はスピーカーや
んだことはないな。だいたい私、キリスト教
る。
するケーブルの開発に成功してしまうのであ
的には困難であるとされていた、銀を素材と
社会の多民族・多文化化が急速に進んでいる。 だが、音質を追求するあまり、それまで技術
がギリシア語で書かれたのか、キリスト教が
いことを知ってまた驚く。なぜ『新約聖書』
にロゴスありき」も、いくつもある福音書の
か し ら。 有 名 な「 山 上 の 説 教 」 も、「 は じ め
史のときにこういう話をしてくれなかったの
ユダヤ教の成立と性格について明快な説明
がなされていることに驚く。何で高校の世界
徒じゃないし。そう思って手に取る。えらく
地方参政権付与や高校無償化からの朝鮮学
校排除の問題など、日本で暮らす外国人をめ
しかし法や制度のシステムが追いついてお
らず、軋みが発生している。ある種の希望を
彼は銀製ケーブルがもたらす音質の良さだ
けでなく、その特殊な電気特性にも注目し、
取り入れたローマ帝国の支配システムとは何
丁寧な文章に少し戸惑う。別に宗教的な本じ
胸にやってきた彼らを待ち受けていたのは不
自動車の燃費を大幅に向上させるパーツを発
か、昔習ったニケーア公会議が開かれた本当
ぐる状況がニュースになることが増えてきた。 ケーブルを自作し、その音質を追求すること
当な労働、差別、搾取、暴力。不法滞在者は
明した。エネルギー資源問題の解決にまで発
の意味は何か。答えはこの本に載っている。
ゃないようだと思って安心する。
犯罪者のように受け取られているが、実際は
展させてしまうあたり、彼の行動力には驚か
キリスト教って思ったより難儀な宗教やな、
と思って本を閉じる。でもちょっとぐらいな
を至上の喜びとする人々だ。本書の著者であ
日本の制度面の不備からそうなってしまった
される。
ら『新約聖書』を読んでみてもいいかも知れ
実際、これまで在日外国人の大半を占めてい
例も多い。
原理の説明や分析が丁寧に行われていて、
科 学 的 に も 興 味 深 い の だ が、「 世 界 を 救 う 」
ない、とも思う。キリスト教を信じたい人に
た在日コリアンに加えて、一九九〇年代以降、 る山下氏は、趣味が高じて自ら音響機器製作
今日、二二二万人を数える在日外国人を巡
る様々な状況を広範にレポートしたものが本
という大仰なタイトル、キャッチー過ぎる書
とってではなく、キリスト教を知りたい人に
会社を運営するほどのオーディオマニアなの
人が直面している課題を、満遍なく取り上げ
き口にはアマチュア発明家特有のうさん臭さ
13
中南米の日系人や中国人などが激増し、日本
ており入門書に適した内容になっている。冒
が漂っており、その点は差し引いて考える必
9
ひとつの立場を表明するためのお話でしかな
頭の地方参政権、高校無償化など新しい話題
とって道標になり得る一冊か。 (大福)
(二四八頁 税込八一九円 月刊)
9
書だ。コンパクトな中に、日本に暮らす外国
が多く盛り込まれ新書としてタイムリーな出
要があるだろう。 (蓋し)
(一九七頁 税込七三五円 月刊)
版となっている。 (夏太郎)
(二一七頁 税込七三五円 月刊)
8
綴 葉
No.292
新書コーナー
名著再読
現が直喩で、それを省いたものが隠喩……一応そういうことになっ
私たちが辞書的知識としてのみ「知って」いることは多い。例え
ば直喩と隠喩。「〜のように」と類似であることを明示した比較表
「ことば」から「人間」を知る 認識の諸相
レトリック感覚
ている。けれど両者の間には、このような形式面の説明だけで済ま
すことのできない、根本的な認識の相違がある、と佐藤は言う。
かつてその優れた感覚/記述により一時代を築き、それが本質を
突いていることによって今なお再読に値する著作――名著。今回取
両者が一般に似ていると思われていなくても、その類似を提案でき
似ていないもの同士を結びつけることはできないが、直喩の場合、
れを《設定する》……と聞いて、私は今でも心が震える。隠喩では
佐藤信夫著
講談社学術文庫
り上げるのは佐藤信夫。「ことば」を考え続けた斯界の巨人で、一
るし、類似したものとして認識することができる。議論の余地のあ
隠 喩 は 二 つ の も の の 類 似 性 に《 も と づ き 》、 そ れ に《 依 拠 す る 》
ことによって成立する比喩だが、直喩は逆に類似性を《提案し》そ
般に分かりやすい著作を多くものし、私たちの認識を一歩進めた。
る洞察ではあろうが、この説明によって暗闇に一条の光が射したこ
伝統レトリックと《発見的認識の造形》
《 形式》から《認識》へ
とは間違いない。詳細は、ぜひ本書をあたられたい。
既に隆盛し、近代に入って姿を消した後、二〇世紀後半になってよ
「レトリック」は普通「修辞法(学)」と訳され、しばしば通常の
表現に対する「凝った表現」のように理解される。古代ギリシャで
うやく現代的な観点から読み直しが始められた「伝統」レトリック
在り様を探求する。レトリックは、心が既に知っている表現すべき
れる文例を蒐集しては、そのような表現を成立させた人間の認識の
ちである――なぜだろう――。」
人物像を造形する……というあたりまえの事実を、私たちは忘れが
「すべてのことばは、それによって語られている対象を造形する
と同時に、ほかならぬそういう語り方をしている人として語り手の
妹編『レトリック認識』( 講談社学術文庫)で佐藤が言うには……
なものを入れるかということに、表現者の認識が現れる。本書の姉
認識形式への着目は、「対比」の場合にも面白い結果をもたらす。
「X対Y」という形式が表現に先立つことにより、各項にどのよう
は、説得や魅力的な表現のための《技術》として捉えられてきた。
この「使用に役立てるための」レトリック観によって長らく見落
とされてきたのが、レトリックの持つ《発見的認識の造形》という
ことを効果的に表すためにのみあるのではなく、対象の認識にとっ
役割であった。佐藤はこれにスポットを当て、レトリカルと見なさ
て既に不可欠のものではないか……。
一升瓶)
知的刺激に満ちたスリリングな一冊。本当に面白い。 (
(三〇一頁 税込一〇五〇円)
えられた「知識」を越えて――《直喩》と《隠喩》
教
14
最近読んだ本
なにか足りない? スパイスが足りない!
ちゃんは、まさに味を引き締めるスパイスそのものです。現実でう
まくいかない人を助けるための存在に、夢でしか会えないという矛
その点、映画「パプリカ」は、原作の大筋以外はいじり倒している
っている客には「なんか違う、おいしくない」と言われてしまう。
パプリカ
こんさとし
盾も面白い。筒井先生のこういうセンスは抜群にキレています。
敏監督のパプリカ
今
さて、原作つきで作品を作るという行為は、すでに出来上がった
料理を再び分解し、組み合わせて、味付けするようなものではない
料理をなさる方、特にその予算が限られている方には分かってい
ただけると思うのですが、貧乏は食卓を単調にします。なぜなら、
にも関わらず、見事に筒井作品のカラーを保っています。
筒井康隆著
新潮文庫
十年一日の如く同じ食材しか使えないから。しかし救世主は存在す
かと思います。ヘタを打つと何もかも中途半端になり、前の味を知
るもので、それがスパイスです。たったの一振りで、飽きの来た味
タントラーメン(特に味噌味)なんかにも良く合い、出来上がりに
チックな部分を鮮明にしました。こんな要素はそれまでの今敏作品
それは何かと突き詰めて、原作ではいまいち説得力を欠く、ロマン
夢が抑圧された自我の発露だとすれば、自分の夢=パプリカを人
の為に費やしている敦子には、発散しきれないものが凝っている筈。
が変わる。豊かな食卓の為に、ここをケチってはいけません。
この映画の面白いところはそれだけでなく、おそらく監督が振り
かけたであろう新たなスパイス。それは、「敦子が敦子自身のため
パプリカ、というスパイスは、少しくすんだ赤い粉末として売ら
れています。味を説明するのは難しい。色は辛そうですが辛くなく、 に夢を見ることはあるのか」という疑問です。
爽やかな風味とあたたかい深みを生む使える子です。
にはなかったもので、予想外のうれしい相乗効果です。
特筆すべきクセもない。でも、ピラフに、パスタに、果てはインス
筒井作品のパプリカ
ちそうさまでした。おいしかったです。
ご
パプリカちゃんは、夢探偵です。見た目は小生意気な少女ですが
優秀なサイコセラピストで、最新の機器を用いて患者の夢を共有し、
去る八月二四日、今敏監督は四六歳で永眠されました。アニメー
ションの枠に囚われず印象的な作品を作る、貴重な才能でした。と
病気の原因であるトラウマを探します。その他あーんなことやこー
(投稿・ )
tk
(四八三頁 税込七〇〇円)
ても残念です。この場をお借りして、ご冥福をお祈り致します。
んなこともしてくれたりしますが、あくまで夢の中の話。しかして
千葉敦子のもうひとつの顔なのです。
その実体は、精神医学研究所に所属する美しきノーベル賞候補者、
夢という混沌から現の問題をぴしりと浮かび上がらせるパプリカ
15
綴 葉
2010. 11. 10
当てよう!図書カード
編集後記
iPhone、Xperia、今をときめくスマートフォ
今月の特集「遊び」いかがでしたでしょう
ン。これらには「青空文庫」(著作権が切れた
か。サルのコドモにもさまざまな遊びが見ら
古い文学作品のアーカイブを公開しているウェ
れますが、以下のうち実際に観察されている
ブサイト)が読めるソフトウェアもインストー
ものはどれでしょう?(複数回答可)
ルできるので、ちょっとした待ち時間に携帯電
1. 食べ物を水で洗う
話一つで手軽に文学作品を読めるようになりま
2. 雲に乗って空を飛ぶ
した。便利な世の中ですね。
3. 相手の顔の表情を真似する
日本文学の場合、著作者の死後50年が経つと
4. 椰子の実を使ったサッカー(夏太郎)
著作権が消滅するので、例えば既に芥川龍之介、
《応募方法》読者カードに答えを書いて生
坂口安吾、太宰治、樋口一葉といった作家の作
協のひとことポストに入れてください(また
品が、ボランティアの手によって青空文庫に公
はe-mail:[email protected])。正解者の中から
開され、誰でも読めるようになっています。私
抽選で5名の方に図書カードを進呈いたしま
もXperiaを繰り読書にいそしんでいます。
す。締切りは12月15日です。
その中でも、友人に勧められて読んでみた泉
鏡花の『高野聖』
。昔の字体なので最初は読み
7・8月号の解答
づらかったのですが、徐々にその面白さに引き
7・8月号「王妃アントワネットの台詞でな
込まれていきました。一つ一つの言葉が生き生
いもの」の解答は、「2.文句があるならベル
きとしていているのです。特に、語り手の旅僧
サイユにいらっしゃい!」でした。『ベルば
が山の小道で蛭に襲われて体中の血を吸われる
ら』を代表する一言ですが、実はポリニャッ
シーンの描写の生々しさと言ったらもう……お
ク伯爵夫人の台詞です。応募10名中 5 名の方
かげで次の日の朝は蛭に襲われる夢を見て最悪
が正解でした。図書カードの当選者は、ぴー
な目覚めでした。媒体と字体は変わっても、文
こっくさん、ついむさん、ちよのふじさん、
学はいつの時代も僕たちに感動をもたらしてく
ル・ルーさん、中村恭子さんです。おめでと
れます。(蓋し)
うございます。(大福)
読者からひとこと
○読んだことのある本の書評は特に面白いで
す。 (文・ル・ルー)
○ベストセラー、売れまくっている本より、
自分も共感できる本をこの夏休みに一冊は読
みたいなぁー。 (経・ぶんぶく)
―大学生の読書体験に即した紙面を作ること
ができれば、と考えています。面白い本や興
味のある分野など、皆様の読書の実態、ぜひ
お知らせ下さい。大いに参考に致します。
○〝綴葉〟のおかげで、常に本を読みたいと
思うようになりました。もうすぐテストです
が…。これからも「面白い」と思った本を載
せてほしいです。 (医・梓)
―読書にも中毒性、あります。患者仲間を増
やすことも本誌の勤め? 最近自分にとって
の「面白い」が変化してきて、些か固陋にな
ってきたような……少し心配しています。
○みなさまはとても本を読んでいるのだと感
心します。一体いままでにどれほどの本を読
まれたのでしょうか。 (人環
・キク)
―人によって様々で、綴葉に入ってから読書
の幅を広げる人も多いです。専門分野はゴリ
(一升
瓶)
ゴリと、詳しくない分野は調べものしつつ書
きます。結構自転車操業です。
16
Fly UP