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スペクテイター』(21)

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スペクテイター』(21)
大阪経大論集・第55巻第5号・2005年1月
翻
69
訳〕
スペクテイター』(21)
第196号から第205号
門
第196号
田
俊
夫
1711年10月15日(月曜日)
【スティール】
だが,潮の流れに合わせて,風に吹かれて捜し求めているものは,
満ち足りた気持ちになっていると,この地でも,
そう,ウルブラの地でも見つけることができる。(ホラティウス)1)
拝啓
いかなる時代の道徳家であっても,彼らにはおおむねひとつの共通した欠点があるもの
と小生は考えています。それは,彼らが常に自分たちは人々に幸福とは何であるか教示し
ているのだと公言してはばからないことです。真の幸福は現世では手に入れることはでき
ません。したがって,貴殿には先輩諸氏よりも控えめな語り口になっていただき,幸福で
はなく,ひたすら気持ちを楽に保つ方法だけを教示して欲しいものと考えます。慎み深く
実際的なことに照準を定めている人物のことに思いを馳せますと,喜びを助長するという
よりも苦痛を和らげることに目が向くはずです。大きな不安は払拭できますが,真の至福
は獲得できません。大切なのは心の平静,つまり,心のバランスなのです。心の平静とは
上機嫌といえますが浮かれ騒ぎとまではいかない心的状態をさします。上機嫌は苦痛がな
ければ常に維持できますが,分別のある人の浮かれ騒ぎというものは,常に偶発的なもの
であるべきです。つまり,浮かれ騒ぎといったものはあるきっかけで自然に沸き起こるも
のであって,そんな機会が待ち伏せしていることはまれなことです。浮かれ騒ぎたいとい
う気質はブランデーの力を借りないと元気がでない体質に似ています。それゆえ,貴殿の
掲げる指針は「気を楽に持つ」にしていただきたいのです。浮かれ騒ぎというものは,自
堕落で始末に負えない馬鹿笑いとかみだらな喜びに急き立てられるものであって,そうで
ないない限り,活躍することはありません。
小生の以前からの知人につぎのような人たちがいます。二人は互いに仕事でとても多忙
を極めているのですが,毎日顔を会わせます。彼らはパイプをくゆらせているだけなので
1) ホラティウス『書簡詩』1.11.30
70
大阪経大論集 第55巻第5号
すが,お互いに敬愛しあっており,セネカの1章を読んでいるときよりも大きな静穏さを
享受しているのです。目指すものが何もない場合には,ごく頻繁に心身の遊惰を享受しま
すが,幸福そのものを追求しますと,不安な心持になってしまいます。控えめな食事を続
け,友と親しく会話を交わし,心安らかに眠りにつく人は何の苦悩も抱きません。洗練さ
れた人たちは静穏さについて語っていますが,彼らはまさしくその静穏さを手に入れてい
るのです。
観察者殿,小生が拙い表現で貴殿にお願いしていますことは,質実な人たちが満足感を
持って暮らすことができる,そんな生き方について貴殿に語っていただきたいということ
なのです。知恵,つまり,貴殿のおっしゃる人生観が学識のある人たちにしか通用しない
のは,嘆かわしい限りです。また,心地よい暮らし方を知るためには賢人にならなくては
ならないのもそうです。したがって,貴殿に人々の間に親近感を植え付ける労をとってい
ただく価値があるものと考えます。そうしていただけますと,お互いの交わりは非常に心
地よいものとなり,才人たちもその才能と比較すれば,無力な喜びしか示せなくなります。
正直な職人の家庭を描写する叙述や談話が,まるで貴殿にとってのクラブと同様に,楽し
い気晴らしだとお分かりいただけるかもしれません。気立てのよさはそれ自体,果てるこ
とのない喜びの源となります。そして,(才人たちの著述で広く主張されますおきまりの
心痛ではなく)本来の満足感で満たされた家庭生活の描写は,社会にとってきわめて有益
なものとなります。
下層階級の人たちは労働と休息を繰り返しますので,彼らにはいわゆる快楽という言葉
で表現される一種の楽しみが必要となります。そこで,観察者である貴殿から,この件を
貴殿の思索の対象に加えていただき,それも教訓的な調子にならない形で扱っていただく
必要があります。要するに,小生としましては,貴殿に以上の点に注意を払っていただき,
質朴,天真爛漫,勤勉および節制が,学問,知恵,知識および熟考に負けず劣らず,静穏
を導く術であることを示していただきたいのです。
敬具
ティー・ビー
拝啓
10月12日ハックニーにて
私は先般貴方からとても公平な評をいただいた若い女性です2)。貴方のご意見では,私
は扇の申し分のない使い手であり,最高の知識を備え,また,とても器用に扇を使うとの
ことでした。実際,意地の悪い世間も,私が笑いに急き立てられてふと我に返り,丁重に
なり,両手を下に降ろし,同時に扇を閉じ,イングランドで最も好ましい女性になること
を許してくれることでしょう。貴方が私に目を留めてくださり,お認めくださったことに
少なからぬ喜びを抱いています。そして,他の女性に妬みからからかわれることがあって
2) 第134号参照。ベンジャミン・イージーの嘆願。
スペクテイター』(21)
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も,それに打ち勝ち,貴方との友好関係を断ちたくありません。そこで,現在の心境をお
伝えする無礼を許していただきたいと思います。今月9日の等距離に置かれた二つの干草
の間にあって,感覚に均等な影響を与えられたロバの情況の記事を拝見しましたが,この
ロバの心境がまさしく現在の私の心境なのです。実は,私は今二人の若い紳士に言い寄ら
れていますが,私はその二人にこのうえなく夢中になっているのです。助言を求めるとき
には何も隠し立てをしないのが大切ですので,正直に申しますが,私ははなはだ多情でこ
のうえなく欲張りな女性なのです。恋人のウィルは大変なお金持ちで,もうひとりのトム
は大変な美形です。双方とも好きなように御せます。よくよく考えて見ましても,ウィル
の資産を失うことが怖くてトムにすることもできませんし,また,ウィルの資産をとって
トムと別れることもできません。私はとても若く,しかも,私ほどの大きなチャンスに恵
まれている人はほかにはいないのです。トムはとても陽気でこのうえなく快活な人です。
ダンスは上手で,とても親切で,いつでもいつ会っても楽しく過ごせます。目にするだけ
で喜びがふつふつと沸いてくるのです。一方のウィルは大変なお金持ちで慎重なお方です。
トムは私を喜ばせるために次から次へと洒落た服を着て登場します。でも,そんな人はそ
れだけに貧しいのではないかと考えてしまいます。そこで最終的に愛情と強欲という欲望
を吟味してみましたが,厳格に量りにかけてみますと,私は好き嫌いよりも強欲に引かれ
るものと思います。したがって,貴方に異論がない場合は,ウィルにすると思います。あ
あ,可哀そうなトム!
敬具
つれないビディーより
第197号
1711年10月16日(火曜日)
【バジェル】
些細なことで張り合い,くだらないことで争う。
自分は本気だと,彼は言い,抗弁する。
いずれにしても,自分は信頼されてなんかいないのだ,
言論の自由も封じられているのだと。
とるに足らぬ別の人生のことを思い描く。
問題は何を願うかだ。これは誇りに思えるのか。
教化しうるのか。一番よく知っていることは。
ヌミクムを抜けて,見晴らしのよいブルンドゥジウムへと。
そう,アッピア街道へと。(ホラティウス)1)
いかなる時代にあっても,人生には自然に付着して離れようとしない何らかの悪徳とい
1) ホラティウス『書簡詩』1.18.1520
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大阪経大論集 第55巻第5号
うか欠点が待ち構えているものです。そこで,人々は細心の注意を払ってこれを排除しな
くてはなりません。若者,老年,そして人そのものがさらされるそれぞれの弱点について
は,昔から,幾多の詩人,哲学者たちが書き留めてきました。だが,こういった悪癖を,
年齢や気質の違いからというよりむしろ教育を受けて育ってきた職業つまり仕事の観点か
ら論じた著者に出会った記憶は,小生にはありません。
このことについては,誰でもほんの少し考えれば分かることですので,小生としては,
これまで触れられる機会がなかったことに気づき驚きを新たにしているのです。概して,
実業家は知悉しており,心に何らかの気質,変化を与えるだけでなく,外面的な振る舞い
や取るに足らぬ所作に示されることになります。どんな人にもそれなりの雰囲気が漂って
おり,初めて見かけただけで,その人がどんな人物か分かるものです。だから,このうえ
なく不注意な人であっても,水夫の身のこなしや仕立屋の足取りを見間違えることはほと
んどありません。
教養はおそらく私たちの外面的な力や振る舞いにほとんど影響を与えないかも知れませ
んが,心に深く刻み込まれるものですので,全体として心をある方向に向けることになり
ます。
数学者はごくありふれた話にも証明を持ち込むでしょうし,スコラ神学者は定義と三段
論法を大いに駆使します。医師と聖職者は,私的な集まりでも,患者や弟子に接するとき
のように権威をちらつかせることになりかねません。一方,法律家は生起するあらゆるこ
とに,弁論術の練習のための演習討議の材料を見つけます。
それぞれの職業が冒されやすい欠点については,おそらくいずれもっと詳細に批判する
ことになるかも知れませんが,今は最後にあげた例,つまり,長衣すなわち法律家諸氏の
争い好きというか論争好きの矯正に専念したいと思います。
論争を自分たちの職分と考え,しばしばそれでお金を稼いでいるこういった紳士は,人
前で屈服することはまずいことだと考えていますので,ごく当たり前のように論争を吹っ
かけます。彼らは,普通の話題の場合においても,自分たちは法廷で言い分をいかに熱心
に弁護できるかを示します。それゆえ,彼らはしばしば,会話を快適で有益なものにする
のに欠かせない気質を失念してしまいます。
この件に関しては,セントリー大尉も関心を寄せており,「法律家は話し相手としては
鼻持ちならない連中ばかりですよ」と語っているのを耳にしたことがあります。
分別がありますが,素っ気ない話し方をする大尉が,先日の夜,最近出くわしたことが
ある若い法律家との顛末について話をしてくれたのです。こんなことで論争になるとは夢
にも思わず,このテンプル法曹も私も生まれる数年前の戦いにおける将軍の振る舞いにつ
いて私がしゃべっているときのことだったのです,と大尉は言います。この若い法律家は
早速私の話をさえぎって,私からすると,何一つ分かっていないと思われるのですが,彼
は15分以上にわたって論じ,私の考えがいかに根拠不十分であるかを示そうとしたのです。
それに対して,私としてはそれ以上の論争をしたくありませんでしたので,確かに,あな
たがおっしゃる点については考えたことはありませんでした,いろんなことが考えられま
スペクテイター』(21)
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すね,と彼に言ったのです,と大尉は言います。すると,私を逃がすまいとする相手は,
私が無視した点にこそ,私の考え方の基本があると言い,問題の裏面に照準を合わせ始め
たのです。これに対して,私は不本意ではありますが,最初の気持ちを抑え,完全に彼の
理屈に従ったのです,と大尉は言います。すると,テンプル法曹は,再び,元の態度に戻
り,三度目の論争を仕掛けてきたのです。要するに,彼は私とは一触即発の状態を保ち,
意見の一致を見たくなかったのだと分かったのです,と大尉は言います。そこで,私は口
をつぐみ,彼には勝利の微笑を浮かべさせて好きにやらせるしか方法はなかったのです。
私から見ると,彼は「常に立場を変え,常に論駁できるヒューディブラス」のような人物
だったのです2)。
私としては,常々,法学院を政治家や立法者の養成所と考えてきました。そういう訳で,
私はしばしばそこに行くことを大きな楽しみとしています。
先だって,非常に名高いテンプルのコーヒーハウスに立ち寄ってみますと,そこには若
い学生諸君がたむろしており,いくつかのグループに分かれて,それぞれ熱心に論争して
いました。前大臣の政治手腕をめぐって,熱のこもった賛否両論が飛び交っているグルー
プもあり,あるものが和平への準備行為を提案するや,別人がそれを却下しているグルー
プもあり,また,別のグループでは,あるものが熱心にダンケルクの要塞の取り壊しを主
張すると,それを激しく否定するものがいるのでした。まるで,双方が絶えず異議申し立
てをしているようなものでした3)。要するに,党派と利権という些細な偏見に煽られた勝
利への願望が議論を白熱させたものにし,論争者は互いに無意識のうちに相手に反感と不
満をもってしまうのだと思います。
議論を実のあるものにすること,これができる人はほとんどいませんので,ここで若干
のルールを定めたいと思います。特に,法律に精通している私の身内の若者に書面である
ルールを教示したところ,彼は切り出されるあらゆるテーマについて,人前でうまく論じ
るようになったのです。
私は全原稿を手元に置いていますので,おそらく,時期を見計らってわが国の若者にと
って必須の事項を公表していくことになると思います。本日のところは以下の点を明らか
にしておきたいと考えます。
言い争いはできるだけ避けること。社交の場で寛大で育ちがよいと思われるためには,
他人の意見を反駁するというより改善させるために,陽気な気分であることはもちろん,
機知が欠かせないということを忘れないようにすることです。どうしても議論の場に入ら
ざるを得なくなった場合は,冷静さと謙虚さを最大限に発揮して議論に加わり,この両者
を聞き手に印象付けることです。さらに,独断的でもなく,うぬぼれていると言動で示さ
2) 『ヒューディブラス』1.1.6970
3) 1713年3月,ユトレヒト条約が調印の運びになったとき,条項のひとつに,フランスはダンケルク
要塞を取り壊すべしという条項があった。この条項は,ホウィッグ党が執心しており,大きな論争
を引き起こした。スティールはこれに関して,『ガーディアン』第128号,「ダンケルクの重要性」
「ダンケルクの現状から見るフランスの誠意」などに意見を述べた。
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大阪経大論集 第55巻第5号
なければ,誰もが勝利を心から喜んでくれます。のみならず,議論で窮地に陥った場合は,
いさぎよく身を引くことができます。控えめにしておくことで,相手の意見を聞くことに
喜びを見出すことになります。こうすることで,ソクラテス的論法が是認されることにな
ります。ソクラテス的論法では何一つ断言しないのですが,一方で自家撞着に陥ることも
ありません。おそらく,相手を確固としたあなたの意見に賛同させようとしているのでし
ょうが,あなたは相手の意見を聞きたがっているようにしか見えません。
非常に難しいことだが欠かすことのできないこの気質を保つためには,相手が自分に同
意しないからといって腹を立てることほど条理に合わない,つまり,馬鹿げたことはない
のだと思うことです。人々が知識を獲得する関心や教育や手段は多種多様ですので,みん
なが同様の考え方をすることはあり得ないのです。いずれにせよ,あなたが相手に腹を立
てるとすれば,相手にもあなたに腹を立てるだけの理由があるのです。冷静さを保つため
には,時々,自分の意見には教育や関心という偏向があり,相手にもおそらく同様の偏向
があるのではないかと,公平な気持ちになって自問してみると有益です。だが,勝利の誉
れだけを目指して争うとなると,怒り出さない限り足を踏みはずし,相手を有利な立場に
立たせることはないのだということを不可謬の座右の銘にしておくです。
議論が終了すると,人は激しい熱気のためにすっかり忘れていた数多くの重要な理性を
思い出すことになります。
相手があなたの理性の力を理解せず,愚鈍な理屈をならべたてるからといって,立腹す
ることはなおさら馬鹿げたことです。名声を目指して議論する場合には,勝利は一層簡単
になります。あらゆる点において,相手は確実にあなたの怒りではなく憐憫の対象となり
ます。相手があなたのことを理解できない場合には,あなたに透徹した分別を与えてくだ
さった造物主の愛顧に感謝の念を捧げるべきなのです。
同輩のなかには,主人を苦しめるだけの怒りを評価する人は誰もいないということを忘
れてはなりません。愚か者やならず者と遭遇するときは常に,自らを懲らしめることです。
このことは,おそらく,思慮分別あるいは安楽とさほど矛盾しないものなのです。
最後に,心から議論を終わらせたいと考えるなら,知識が激情への時宜にかなった抑止
となります。純粋に真実を追求している場合は,どちら側に真実があるかなんてことはほ
とんど関係しなくなります。ここで,私がしばしば口にしていることを割愛するわけには
いきません。すなわち,論争の場であからさまにどちら側にも与することなく,仲裁者の
役割に徹すれば,一同に尊敬の念をもたらし,妬みを買うことはあり得ません。こうする
ことで,その人物は状況を徹底的に分析し,あい争っている双方を適度に持ち上げながら
自らの判断を下すことができる公明正大な人物だとの評価を得ることになるのです。
本日のテーマについては,警告をひとつ発して締めくくりたいと思います。勝利を手に
したときには,控え目にすることが肝要です。一同および論争相手にあなたが勝利したの
だが,心が広いので勝利に乗ずることはできないのだということを分からせるだけで十分
なのです。
スペクテイター』(21)
第198号
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1711年10月17日(水曜日)
【アディソン】
私たちはまだらの狼の挑発に乗る雌鹿に声援を送る。
退却が勝利であるときに,確実に死ぬと分かっていても,
雌鹿は突進するのだ。(ホラティウス)1)
私が「火とかげ」という名で識別する種の女性がいます2)。火とかげとは,火を踏みつ
け,火の中に住んでいながら傷を負うことのない,貞節の烈婦のような人物のことです。
火とかげは,付き合う相手の性別は分からず,見知らぬ人ともひと目で打ち解け,相手が
ズボンをはいているか,ペティコートをまとっているか気づかないほど心が広いのです。
彼女は男性の訪問者を私室に招きいれ,夕方までずっとピケットをして過ごし,月明かり
のもと2,3時間彼と散歩します3)。彼女はこういった無邪気な振る舞いを禁じている夫
の無分別とか両親の厳格さにこのうえなく愛想をつかしているのです。それゆえ,火とか
げは嫉妬に対しては絶えず激しく攻撃を加え,フランス風の行儀作法を礼賛し,しきりに
自由な交際を主張します。要するに,火とかげは,無敵の天真爛漫な生活を送っている訳
です。彼女の性分は生来一種の霜で保護されており,誘惑ということが何のことか分から
ず,誘惑できるならやってごらんなさいといった調子で挑みかかります。彼女の貞節は絶
えず試練にさらされているのです。そうです,善良なエマ王妃のように,火の試練にさら
されているのです4)。可憐で無邪気な彼女は,焼けたすき刃の中を目隠しで進みますが,
焼け焦げることはありません。
それゆえ,つぎに述べることは,既婚であれ未婚であれ,火とかげには無縁です。これ
から述べる女性は,生身の人間であって,どうしても誘惑には勝てないのです。
火とかげに分類されない女性に関しては,絶対に火とかげのような振る舞いをなさらな
いように心から助言します。信心で言う「誘惑」,好機はできるだけ避けることが大切で
す。なれなれしく付き合っていて,そのうちに裏切られ,とどのつまりは零落と汚名を着
せられてしまった女性は数知れません。また,初めのうちはお世辞と誓いを散りばめなが
ら,最終的には,非難と偽証と不信を口にする男性も数知れません。自分たちを脱出不可
能な自責の念と悲嘆という迷路に引きずり込む人物との接触そのものをちょうど死に神を
避けるように避けることです。私としては,男性の世界の大義を捨てて,女性に,『孤児』
の登場人物チャモントのつぎの言葉をお勧めします。
「男を信じてはなりません。我々男性は生来,不実で,しらばくれ,巧妙で,残酷で,
1) ホラティウス『頌詩』4.4.5052
2) アレキサンダー・ポープ『髪の毛盗み』(1712)参照。
3) ピケットは2から6の札を除いた32枚を使って2人で行うカードゲーム。
4) エマはエセルレッド王の妻で,証聖王エドワードの母。焼けたすき刃の上を裸足で歩いて無実を証
明したといわれる。
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大阪経大論集 第55巻第5号
気まぐれな存在なのです。男が愛を口にするときには,用心してかかりなさい。誓いを立
てたとしても,きっとあなたを騙すことになるでしょうから。」5)
このテーマについては詳しく語らなくてはなりませんが,ここでは,最近,スペインで
勤務していたことがある将校のひとりから聞いたお話を紹介して終わりにしたいと思いま
す。男性と親しくし過ぎることによって,女性がこうむる危険が明らかにされていると思
われます。
思慮分別も人並み以上に備えており,冷静沈着な振る舞いのカスティリャ王国の男性が
齢五十にして,結婚を決意したのです。快適な結婚生活を送るために,彼は美と教育以外
には何一つ好ましいところのない若い女性に目を付けました。彼女の両親は数年来全土を
荒廃させている戦争のために困窮していたのでした。このカスティリャ人は彼女に求婚し
結婚にいたりました。しばらくの間,二人はこのうえなく幸せな生活を送りました。そん
なとき,夫は資産の大部分があるナポリ王国に行かなくてはならない用事ができたのです。
妻は一人にされるのが我慢できないほど夫のことを愛していました。二人が船出して丸一
日経たないところで,不幸なことにアルジェリアの海賊に囚われ,全員陸にあげられ,奴
隷にされたのです。慰めとなったのですが,カスティリャ人と妻は,同じ主人の下に引き
取られました。二人が互いにとても愛し合っており,自由の身になることを渇望している
ことを知った主人は,法外な身代金を要求しました。カスティリャ人は,身の破滅になる
ほどの額を支払うくらいなら,奴隷の身で死んだほうがましだと考えたのですが,妻の気
持ちに心を動かされ,(たまたま近い親戚にあたる)スペインの友人に地所を売却して送
金してくれるようにとの指示を再三再四出しました。友人は,もっと妥当な金額になるこ
とを期待もし,自分が相続の可能性のある地所を売却したくないものと考えて売却を先延
ばしにしたため,3年が経過しました。
カスティリャ人と妻が囚人として捕らわれていたところに,たまたまイスラムに改宗し
たフランス人が居合わせていました。この人物はフランス人独特の陽気さを持ち合わせて
おり,捕虜たちにしばしば自らの冒険談を話して聞かせました。幽閉されている彼らを慰
めようと,時折,歌とか踊りとか何か浮かれたことを付け加えました。アルジェリア人の
風習に精通していたこの人物は,アルジェリア人たちにもうまく取り入ることができまし
た。カスティリャ人は,ある日この改宗者と話をしていたとき,カスティリャにいる友人
の怠慢と背信行為について打ち明け,この危急の際の自身の振舞い方について助言を求め
ました。カスティリャ人はさらに,自分で地所の処分をしに出かけない限り,資金調達は
不可能だと思う,と付け加えました。すると改宗者はアルジェリア人の主人は,そのよう
な口実では絶対に釈放には同意しないと断言して,最終的に,船乗りに変装して脱出する
方策を助言しました。脱出に成功したカスティリャ人は,地所を売却し,送金すれば不着
になるかもしれないと考え,また,自分の命よりも大切に思う妻を失うくらいなら,お金
を手にしたまま死んだほうがましだと考え,アルジェリアに向かう小さな船に乗り込みま
5) トマス・オトウェイ『孤児』(1680)ii. 28891
スペクテイター』(21)
77
した。やがて最愛の妻に会え,この並外れた気前のよさによって,さらなる妻の愛を獲得
できるのだと考えたときの彼の喜びの気持ちはとうてい言葉では言い尽くせません。
夫の留守中に,改宗者は若い妻にうまく取り入り,武勇談でもって彼女を魅了したため
に,彼女はたちまち彼のことをこれまでに接した中で最も洗練された人物と思うようにな
りました。要するに,彼女の心は誠実なカスティリャ人からすっかり離れていき,彼のこ
とをこれほど魅力的な自分が執着するほどの人物とは思えなくなったのでした。彼女は改
宗者から夫が現れたときの振舞い方を教わりました。そこで彼女はあらん限りの愛情と感
謝の気持ちを装って彼を迎えました。そして,あれこれと説いて聞かせ,彼が身代金とし
て持参してきたお金を共通の友である改宗者に預けさせました。自分たちが交渉するより
も,彼ならきっと金額を値切ってくれ,自分たちにとって好条件を引き出してくれると説
得したのです。善良な夫は妻の思慮に感心し,その助言に従ったのでした。私としまして
は,できることならこの結末は秘密にしておきたいのですが,そういう訳にもいきません
ので,できるだけ手短に片付けたいと思います。翌朝,カスティリャ人はいつもより遅く
まで眠りましたが,目覚めてみると,妻がいなくなっていたのです。彼は飛び起き妻の所
在を尋ねてみますと,夜明けに改宗者と一緒にいたのを見かけたということでした。要す
るに,お金を手にした改宗者は出立の準備を整え,カスティリャ人を囚われの身にしたま
ま,二人して速やかにアルジェリアの領地から脱出したのです。ひとつには激怒したアル
ジェリア人の主人による残酷な扱いのため,ひとつには不実な妻の心無い仕打ちのため,
カスティリャ人はその後何ヶ月も経たないうちに息を引き取ったのでした。
第199号
1711年10月18日(木曜日)
【スティール】
愛が私に手紙を書けと命じた。(オウィディウス)1)
つぎの手紙には非常に誠意が感じられますので,私としましては掲載せざるをえません。
拝啓
貴方の書き物を読んでいますと,随所で女性の味方をなさっていらっしゃいますが,殿
方の欲得ずくの妻選びという点についてはこれまで全く触れられたことはないのではない
かと思われます。このテーマについて考えていただけますと,私たち多くの女性がいかに
惨めな状況に置かれているか,容易に了解いただけるものと思います。私たちは慣習なら
びに慎み深さという慣わしによって想いを寄せる殿方を口説くことが抑制されているだけ
でなく,家の格の違いから愛する殿方から言い寄られる望みも奪われてしまっているので
す。このような不利な立場に置かれていますので,私としましては是非貴方におすがりし
1) オウィディウス『名婦の書簡』4.10
78
大阪経大論集 第55巻第5号
て,近々の紙面につぎの手紙を載せていただきたいと考えています。この手紙はこのとこ
ろ私に自信なさそうに言い寄ってきています殿方への想いを告白したものです。この方は
私のことを熱心に愛していらっしゃるのは確かですが,財産が不釣合いなために,もし結
婚に踏み切って彼の目的を追求すれば世間に顔向けけができなくなると考えているのです。
また,彼は認められたくないのでしょうが,先日,私が思いがけなく彼を熟視しているの
に気づき,殿方が言うもっと気楽な関係を結べるのではないかという希望を彼に起こさせ
てしまったのです。今は,彼のことで胸が一杯なのです。貴方が愛と貞操というものをご
存知でしたら,これ以上あれこれと並べ立てず,私が「オルーンデイツ」と名づける彼へ
の手紙を持ち出してもお許しいただけるものと思います。なぜなら,もし私が望ましい結
果を得られない場合は,この話はひとつのロマンスで終わるのですし,好意を寄せられる
ことになれば,結婚式では,スタティーラという名前で,貴方に手袋を受け取っていただ
くことになるのですから2)。
オルーンデイツへ
どのようにしてあなたに私の気持ちをお伝えし,あなたの気持ちを諭したらよいのかそ
の方法に思いをめぐらせ,随分途方に暮れたあげく,この方法を選びました。こうすれば,
私の気持ちをあなたに直ちに分かっていただけますし,あなたの気持ち次第で秘密にして
おくことも可能です。近日中に私が望むような結果が得られない場合には,この件はきれ
いさっぱり忘れることにいたします。それにしましても,愛を打ち明けようとしている今,
私はどうしたらよいのでしょう。でもいったんそうと決めたのですから,あなたに一切そ
の気がなく,私の一方的な想いだと分かったときには,これまでいたいけな心に入り込ん
ださまざまな想いがありますが,あなたの姿を確実に私の視界から追放することができる
と思います。とはいえ,あなたはどうして人生における心からの重要な幸福を世評の犠牲
にしなくてはならないのです。世評というものにはなんの根拠もなく,誤謬と偏見に満ち
満ちているのではありませんか。あなたたち殿方は富だけでは幸せになれないと分かって
いますが,富の張り合いとなると,ほかのことには目もくれなくなります。社交界は腐り
きっており,献身ということはいたらないわたしたち女性に委ねられています。そして殿
方の行動原理は,おおむね,利得と快楽になっています。上流社会人としてのあなたのた
めになることを単刀直入にお伝えすることにいたします。現在の状況をご説明しますと,
私を情婦にするか妻にするかはあなたのお心次第なのです。ただ,私としましては,後者
を選ぶほうがあなたのためになり,あなたの喜びをさらに大きな喜びとすることに間違い
はないものと確信しています。
そういうわけで,舞台のお膳立ては整い,あなたは夜の到来を心待ちにします。そして,
あなたのみだらな心が請け合うすべてのものを床入りによって完成させようとして,そう,
若い盛りで純潔との評判の娘を手に入れるために,あなたが相応しいと思う逢引の場所を
2) レオノーラの蔵書の1冊ラ・カルプルネードの『カッサンドラ』に登場する。
スペクテイター』(21)
79
決めて,都合のよい場所へと連れて行くことになります。あなたはまもなく,元気で,若
く,陽気で,快活な私を堪能することになります。空想にとらわれ,約束したことがすべ
て偽りだということに気づいたときには,あなたを魅了した純潔はどこへ行ってしまうの
でしょう。あなたが一人になって一時間もすると,道楽者の喜びは破壊者の喜びにすぎな
いことに気づくでしょう。破壊者というものは味わうすべての果実をしなびさせてしまい
ます。人でなしがむさぼり食ったところには,人の食欲をそそるに値するものは何一つ残
されません。想像力が満たされると,理性の力が回復します。そして私はこのうえない嘆
き,困惑を覚えながら,あなたへの不安な想いの原因を自問することになり,人目を忍ん
だあなたの訪問を待ち,今後は社交界では互いにきわめて不釣合いな孤独と自責の念を伴
侶として暮らすことになります。私は私たち二人が過ごしていくことになる日陰者として
の生活に身を委ね,あらゆる人々が満足するに違いない新鮮な空気を味わうことも,自由
な交際を持つこともなくなってしまいます。私の所作は検査には合格せず,私にとっては
漠然とした感じでしかないのですが,あなたの人生観に任せることになります。
一方,あなたがやさしく寛大な心持で私を妻に迎えることができますと,貞淑な女性は,
感謝の気持ちから,彼女が備えていた従順さと愛情をすべてあなたに捧げることになりま
す。愛想のよい人物からどのような満足感が得られようとも,包み隠すところのない気分
からどのような従順が得られようとも,真摯な友愛からどのような慰めが得られようとも,
それらはあなたの寛大さが生み出す当然の結果だと考えることができます。現在,邪まな
考えから私に期待していることがあるとしますと,それには嫌悪と飽満が伴うことでしょ
う。貞淑な愛に対する高ぶった感情は,幸福のごく小さな一部に過ぎません。無垢な情熱
に有頂天になることは,白昼の稲妻のようなものであり,喜びを高めるというよりもその
妨げとなります。そういうわけですから,最も高邁な分別の喜びが至福の下位に位置づけ
られるような人生には限りない幸せが宿っているものと思われます。
さて,私を露骨なやり方でわがものになさろうとされるあなたの人道にもとる願望につ
いて繰り返し申し述べておかなくてはなりません。私とこの幸福の間には,あなたの資産
にお似合いの資産家の高慢な娘さんが立ちはだかっていることは分かっています。でも,
あなたがあなたの資産にお似合いのお方とお許しを得てありがたいという気持ちを持って
あなたのお屋敷に入る人物それぞれの同伴と振る舞いを比較検討なさいましたら,どちら
を選ぶべきか,自明の理のはずです。おそらく,あなたは分別があり資産家のお仲間との
お付き合いで一日家を開けることは相応しいことだとお考えになられるでしょうが,高慢
な娘さんの場合は,あなたの不在を自分に対する不当な仕打ちと考え,社交界に出入りす
るあなたと釣り合った形での支出をもくろむことでしょう。こういった女性は何事に付け
ても,持参した財産のことを念頭に置くことになりますが,私が気にかけますのはあなた
の財産のことだけです。高慢な娘さんとあなたとの関係はいつまでたっても駆け引きであ
って,私との関係ですとそれは親しい交わりとなるのです。常に,あなたの部屋には喜び
が充満しますし,恩人が部屋を離れるときにも,心からの好意が寄せられます。ご自分の
胸に手を当てて考えてみてください。感謝の気持ちで一杯の人に恩義をかけることにどれ
80
大阪経大論集 第55巻第5号
ほど大きな喜びがあるかお分かりのはずです。私と一緒になればそういった人生が歩める
のです。私以外の方と結婚なされば,絶えず損得ばかりを気にかけながら暮らすことにな
り,恩恵を施すあるいは受けるという幸せは知らずにすんでしまうことでしょう。
おそらく,あなたは結局のところ常人の分別にしたがって,慎重な道を選ばれることで
しょう。塞ぎこんだとき,何を思い,何を口にするか,私には分かりません。でも,私を
見捨てられた情婦ではなく,感謝の気持ちで一杯の妻になさるかどうかは,あなた次第な
のだということだけは付け加えておきたいと思います。
敬具
第200号
1711年10月19日(金曜日)
【スティール】
祖国への愛はあらゆることに打ち勝つ。(ウェルギリウス)1)
君主の野心は,しばしば,人民を傷つけることになります。戦争で痛ましい結果になっ
た人たちのことは言うまでもありませんが,このことは,多くの場合,上首尾に終わって
褒め称えられる人たちにも当てはまるのです。戦争による損益のバランスが妥当なもので
あるかどうかといった厳格な見方をしてみますと,征服が犠牲に見合うに足ることはまれ
なことなのです。
先日,寄稿者の皆さんの手紙に目を通していましたとき,「算術好きの男」からの手紙
から助言を得ました2)。この手紙は,私の現在の思考を気晴らしというよりもっと有益で
ある「政治上の算術」へと向かわせてくれたのです。わが友は,ルイ14世は領土を拡張し
たものの,臣民の数は戦争開始時点よりも増えなかったのだと立証したのです。そればか
りか,彼が獲得した臣民1人につき,彼が継承した臣民を3人亡くしたことになるという
ことです。この算術好きの男の計算に間違いがなければ,ルイは自らの野心によって貧し
くなったに違いありません。
臣民のために尽くす君主は,臣民一人一人の資産に対する絶対的な所有権があります。
したがって,君主の富は,臣民の数と富に比例して増えもしますし,減りもします3)。例
えば,戦争とか悪疫によってロンドンが潰滅しますと,(こんな仮定は断じてないのです
が,まったくの例えです)女王陛下は余儀なく歳入の大部分を失う,あるいは,少なくと
も残された人々の負担が増すことになります。おそらく,ロンドンの住民は全人口の10分
の1を超えることはないでしょうが,ロンドンの住民の方が地方に住む人々よりよりも衣
1) ウェルギリウス『アイネーイス』6.823
2) 第180号参照。
3) ここの「算術好きの男」は,当時の一般的な経済の考え方をお手本にしている。サー・ウィリアム
・テンプルは「世間一般の不満について」で「一国の力と富は主として住民の数と富による」と述
べている。
スペクテイター』(21)
81
食住に恵まれていることでしょうから,彼らが支払う消費税,家屋に課される賦課税,そ
の他の税は,王室の全収入の5分の1に相当するはずです4)。これだけに止まりません。
ロンドンは全土の産物の大部分を消費します。さらに,賃借料とか毎年の地価も高いので
すから,土地税も大きな額となります。そこで,ロンドンの住民を失うことは,必然的に,
君主にとっては大変な痛手であり,王国全土にとっても同じことが言えるのです。
他方,神の思し召しによって,ロンドンの住民の数と富に相当する新たな臣民がもたら
されるとしますと,彼らの支払う消費税とか家賃が失ったものと同じだけの額が王室の歳
入となると,私は考えます。そして,この人々の消費が全土の産物の新しい市場となりま
すので,地価は,特にロンドンに隣接する土地の毎年の価値は上昇しますし,税額も上昇
することになります。この場合の税収も失ったものと同額になります。
税額として査定されたものはすべて,個々人から徴収されます。そこで,臣民各人が君
主にとってどれだけの価値があるか算定するためには,もっとも卑しい人物にいたるまで
誰がどれだけ支払うか考慮すべきです。
私の考えるところでは,国民の8分の7は本来財産がなく,家長として日々の糧を得る
ために働かざるを得ません。この種の人たちはグレート・ブリテン全島に700万人います。
しかも,この人たちが全土の産物の少なくとも4分の3を消費します。もしこの推定が正
しいとすれば,財産のない臣民が家賃の4分の3を支払います。その結果,地主による税
の4分の3の支払いが可能となっているのです。つぎに,もし地租の大部分がこのように
700万人に割り当てられているとしますなら,一人当たりの額は3シリング強ということ
になります。このように,貧者に依拠していますので,富者も貧者がいなければ税の支払
いは不可能となります。もっとも貧しい人々でさえも,この計算で行けば,君主にとって
は年間3シリングの価値があるわけです。
繰り返しますが,全体の8分の7にあたる人々の消費が消費税全体の3分の2を払うこ
とになります。そして,この額が同時に700万人,つまり,貧しい人々の数に割り当てら
れるとしますと,一人当たりの額は7シリング強となります。それゆえ,7シリングと3
シリングを合わせますと,財産のない貧者各人は,子供や労働を除くと,君主にとって年
間少なくとも10シリングの価値があるのです。そういうわけで,新しい臣民一人を獲得し
ても,それまでの臣民を一人失えばなんら意味がないことになります。
私はこのような思いに取り付かれていたとき,直ちにつぎのような主張を思いつき,議
員に助言の手紙を書く準備に取り掛かったのです。つまり,その主張とは,都市間の移動
の自由と通商の門戸開放,本国人と外国人の差別撤廃,教区定住法の廃止,その他住民の
増加にとって障害となるあらゆるものの一掃なのです。ところが,同胞の労働者が,英国
人の生得権を1シリングで売り,英国人の純血を外国人の血で台無しにし,言語と宗教の
混乱を招き,よそ者にろくを食ませるという害をつのらせていたのだということを思い出
4) 当時のロンドンの人口はおよそ67.5万で,連合王国の総人口は600万から700万の間であったと見積
もられている。(トレヴェリアン)。スティールはつぎの文でロンドンの人口は全国の約1割を占め
ると語っている。彼はこの少し後で,総人口はおよそ800万と推定している。
82
大阪経大論集 第55巻第5号
してしまったのです5)。そこで,私は尊大になるのは控え,この計画を頓挫させ,生殖と
いう普通のやり方で人口増加を図ることにします。
私は常に国民の幸せを心がけており,絶えずこれを促進する手立てはないものかと腐心
しています。思いますに,私は本心から空想家のように賢明な方策を思いついたふりをし
ているのかも知れません。それまでの計画を断念し,今では沼地や湿原を干拓したり,海
を埋め立てたりして,新たな土地を確保することが重要だと考えているのです。国土があ
ればそこに人を増やすことは実行可能と考えらますので,人々のために国土を増やせば,
それはひいては国王にとっても大きく利することになると考えるに至ったのです。
この世をお創りになられた全知全能の神が,今,海原から立ち現れ,人の数以外はすべ
て現在と変わらない建物,穀物,家畜およびその他衣食住の便を備えたわが国の仲間にお
加わりいただいたとしても,私たち国民の富あるいは国王の歳入を増やすことにはならな
いと思われます。と言いますのは,全住民にとって,現在存在する建物で過不足ありませ
んので,新しい土地に住まわせるために古い土地を見放すことになれば,新しい土地にお
ける地代の増加分は,少なくとも,古い土地ではその分だけの減少を伴うことになるから
です。また,穀物も家畜も十分にあると,超過分を処分するために,隣国に分け与えるこ
とになり,隣国からの輸入を認めるわけにいかなくなります。ほかの産物に関しても,す
でに需給関係が釣り合っているのです。ところが,買い手が同数であって,産物などが2
倍になりますと,その持ち主は現在の価格の半額で満足しなくてはなりませんし,地主も
同様に半額で満足しなくてはなりません。したがって,国土が拡大することで,地代は全
体としては増加しませんし,税収の増加にもつながりません。それどころか,これは大変
な減少になるものと思います。なぜなら,土地というものは産物を生み出してはじめて価
値を持つものであり,産物はすべて腐敗しやすく,その大半は1年以内に消費されるか,
消費されずに腐敗するかのいずれかですので,持ち主は所有したまま無駄にしてしまうよ
りも,なんとかして処分をしたいと考えるのが普通です。その結果,こういった腐敗しや
すい産物の年間生産量の1割は,消費の可能性がなく,価格は半減するでしょう。このた
め,あらゆる香辛料を独占している隣国の商人は,需要に見合う量を熟知しており,超過
分はすべて廃棄しているのだと考えられます6)。その場合,年間生産量が消費量の2倍に
なると現在の価格の8分の1になると考えるのが当然だったのです。したがって,土地の
拡大は現在の価格の4分の1を超えないか,現在の税金の4分の1強を見込めるものにし
なくてはならないでしょう。
5) これは,1708年,外国人プロテスタントの帰化を求める法案が提出されたときに主張されて一般受
けをした議論を皮肉ったもの。この法案は,反感を呼んだため成案には至らなかった。スウィフト
は1711年1月25日の『イグザミナー』でこの法案について言及する。彼は,ホウィッグ党の復権に
よるひどい結果のひとつに,この法案の再度の立法化をあげ,イギリス人の生得権は再び12ペンス
の価値しかもたなくなったと考える。彼は1711年6月7日の『イグザミナー』でもこの法案につい
て言及する。
6) 隣国の商人とはオランダ人のこと。
スペクテイター』(21)
83
一般には,この上なく豊かな国々にはこの上なく貧しい暮らしがあると考えられていま
す。この思索で取り上げたことがあるスコラ学者のロバのように,人々は二つの食事に挟
まれて今にも飢え死にしかねません7)。実のところ,国民の大半を占める貧しい人々は生
きるために働きます。もし2日の労働で1週間分の貧弱な物質を入手できるとしたら,あ
との4日は働く気がしなくなるでしょう。しかし,その場合,2日の賃金では,食料代も
払えず,政府に物品税を払うことができません。
それゆえ,現在の事例には,まさしく,ヘシオドスの「半分は全体より多い」の奇説が
当てはまるのです8)。人々の数が同数の場合には国土は全土より半分の場合のほうが貴重
であるということほど,政治的な算術の言を言い得ているものはありません。私はサー・
ペティが語ったことは理屈にあっていたのではないかと思い始めています。彼はスコット
ランドの高地地方およびアイルランド王国全土が海に沈み,人々が全員救出され,グレー
ト・ブリテンの低地に連れて来られたとしたら,彼らは地所の代価を体でもって弁済する
ことになるのだが,国王と臣民は総体としては,まさに喪失によって豊かになると考えた
のです9)。
もし人のみが富を生み出すとすれば,人ではなく1万エーカーの土地を付加した人物よ
りも,子供を10人持った父親のほうが国に恩恵を施していることになります。確かにルイ
王は広大な領土を獲得しました。だが,算術好きの男の言うとおりだとしますと,ルイ王
は今ではかつてほどの数の臣民の主人ではありません。彼は以前ほど強力な軍隊を戦場に
送ることはできませんし,臣民は衣食に事欠き,以前ほどの収入も入らなくなっているか
も知れません。その理由は明白です。ルイ王はきっと臣民を失ったためだけでなく,領土
を獲得したことによってもまた,貧困になっているに違いありません。
第201号
1711年10月20日(土曜日)
【アディソン】
人は信心深くあらねばならないが,迷信深くなってはならない。(ゲリウス)1)
子供の熱情を敬虔で味付けすることは非常に重要なことです。敬虔というものは幼いと
きに教え込まれてしまうとめったに消え失せることはありません。敬虔は,世の中の煩労
や青年期の熱情や悪徳の誘惑によって,一時消えたように見えるかも知れませんが,思慮,
熟慮,加齢あるいは不幸によって我に返らされると,再び顔を持ち上げ名乗り出てきます。
火は覆い隠し勢いをなくすことができるかも知れませんが,完全に消し,息の根を止める
7) 第191号参照。
8) 第195号参照。
9) 彼の「アイルランドとスコットランドの高地地方を放棄するという提案」は,彼の『政治的な算術
をめぐる小論』(1711)に見出される。
1) アウルス・ゲリウス『アッティカの夜』「初期の詩人」からの引用。
84
大阪経大論集 第55巻第5号
ことはできないのです。
敬虔の伴わない節制,沈着,正義というものは,冷たくて命の通わない無味乾燥な美徳
であり,信仰心というよりはむしろ装飾を施した哲学といえます。敬虔は崇高な構想に心
を開かせ,心は非常に高尚な科学で経験するよりももっと崇高な考えで満たされることに
なります。それと同時に,魂は,官能的な喜びよりも,さらに興奮させられ揺り動かされ
ることになります。
獣の場合はどんな振る舞いにも敬虔との類似点は一切伺えないが,その行為にはほんの
かすかな理性の光が伺えるものもいるということから,人間と動物は,理性というよりも
敬虔にこそ違いがあるのだと語っている著述家がいます2)。確かに,心は宗教的な崇拝へ
と傾きますし,生来魂は危険や不幸に遭遇しますと,何か超越者に向かうものです。また,
何か特別の思いがけない幸運を授かると,私たちの心の中には目に見えない監督者に対す
る感謝の念が沸きあがります。神の卓越した業を熟慮するときには,私たちは愛と賞賛の
行為にこの上なくうっとりした気持ちにさせられます。そして,崇高なお祈りの瞬間に,
一同が心を一にしているのを見れば,明らかに,敬虔つまり宗教的な崇拝は,人類最初の
創始者から綿々と継承されてきた伝統の賜物に違いないことが分かります。また,これは
理性のもつ本来の光に準拠しているのだということ,さらに,これは魂そのものに吹き込
まれている本能から発生しているのだということが分かります。私としては,こういった
ことはすべて同時発生的なものだと考えます。そのいずれもが神への崇拝の原理として割
り当てられているのです。明らかに,創始者としての至高の存在を指摘しているわけです。
キリスト教が教える敬虔の個々の形および方法については,また別の機会に譲るとして,
ここではこの神の原理でさえ,我々の全行動の指針として与えられている適切な理性の力
で和らげられない場合は,時として私たちを誤った方向に導くことがあるのだということ
に触れておきたいと思います。
私たちを誤った敬虔へと導く二つの大きなあやまちは,狂信と迷信です3)。
宗教的な狂信に陥っている人ほど憂鬱なものはいません。夢中になっている人物の場合
は,たとえそれが傲慢とか悪意からであっても,人間性にとって極めてしゃくにさわる光
景に違いありませんが,その異状さ無分別な敬虔の熱意,つまり,その誤った務めに一心
不乱に心を傾注しているために生じている場合には,それはより特別な意味から私たちの
憐れみを受けるに足ります。しかしながら,私たちはここからつぎのような教訓を得るこ
とができるかも知れません。つまり,敬虔そのものは,あまり熱狂的にはなりえないと考
えがちですが,その熱が心配りと慎重さによって和らげられないと,心を乱すことになる
可能性がありますので,できるだけ冷静に理性を保ち,生活のあらゆる場面において熱情
2) チャーベリのハーバート卿エドワードは『真理について』6章で「最も重要な点は獣にはいかなる
信仰も存在しないということだ。我々人間との違いはまさにここにある。」と記している。
3) アディソンはここで,英国国教会は非国教徒やローマ・カトリックのような極端な立場はとらない
との考えを述べている。この考えはさかんに唱えられ,たとえば,スウィフトの『桶物語』にも伺
える。
スペクテイター』(21)
85
や妄想および体質の影響から身を守るように特別の注意を払わなくてはなりません。
敬虔は,理性の支配下に置かれない場合は,往々にして狂信へと変質します。心が敬虔
で燃え上がりすぎますと,自らが燃え立たせているのではなく,自らの内部にある何か神
性なものよって突き動かされているのだと考えがちになります。こういった想いに耽りす
ぎ,気質も熱情が支配的になりますと,最終的には,想像上の狂喜と恍惚に陥ってしまい
ます。いったん神の力を感じていると思ってしまいますと,自分ははるかに優れた教導者
に導かれていると考えて,人としてのしきたりを軽んじ,すでに確立している枠組みのど
のような信仰にも従わなくなるのは少しも不思議なことではありません。
狂信はある種過剰な敬虔と言えますが,迷信は,ゲリウスが引用した「人は信心深くあ
らねばならないが,迷信深くなってはならない。」という古代の異教徒の格言によれば,
敬虔だけでなく広く信仰の過剰でもあるわけです。なぜなら,この著者が語るように,ニ
ギディウスは,この格言について,ラテン語で語尾が osus(卑しむの意)で終わる単語
は一般に不道徳な特質,過剰なまでにその性質を備えていることを暗示しているのだと述
べたからです4)。
信仰の狂信者は頑迷な道化のようなものであり,迷信深い人物は面白みのない廷臣のよ
うなものです。狂信はどこか狂気をはらみ,迷信は愚かさをはらんでいるのです。英国国
教会に所属しない分離派の大半は,ローマ・カトリック教が子供じみたくだらない迷信深
い巨大な組織となっているように,強烈に狂信的な色合いを帯びています。
ローマ・カトリック教会は,実際この点に埋没してしまって回復不可能に思えます。非
常識な服装や振舞いが世の中に持ち込ますと,それは直ちに見破られ見放されることにな
りますが,一方,ある法衣とか儀式が,たとえそれほど馬鹿げてはいないとはいえ,教会
という聖域に逃げ込んでしまうと,いつまでも執着することになります。おそらく,ゴー
ト人の司教はあのような形の靴つまり上靴を履くのが礼法にかなっていると考えたのでし
ょう。また別の司教は,人前でお祈りを捧げるときには,頭にはミトラ(司教冠)を被り,
手には司教杖を持って行うことが礼儀正しいことだと考えました。これに対して,兄弟分
のヴァンダル人が,他のものに負けず賢明なのですが,風変わりな服装を付け加えます。
ヴァンダル人はこの服装がしかじかの神秘的教義をうまく伝えられると考えたのです。そ
の結果,礼拝式そのものが次第に空疎な見世物となってしまったのです。
彼らの後継者たちはこういった儀式の空虚さと不便さを分かっていますが,改革する代
わりに,おそらく彼らがもっと意味があると考える他のものを付け加えるのでしょう。そ
して,これも同じように取り込まれ,いったん認められてしまうと,決して追い出される
ことありません。私はローマ教皇が聖ペテロ大聖堂で司祭を務める場面を目にしたことが
あります。教皇は丸2時間というもの執り行う場面に従って,それぞれ別個の装身具を着
けたり外したりで忙しくしていたのです5)。
4) アウルス・ゲリウス『アッティカの夜』4.9.2
ニギディウスは過度なもの示す例として「酒に溺
れた」(vinosus),「女好きの」(mulierosus),「疑念に満ちた」(religious)を挙げている。
5) 当時の教皇はクレメンス11世で,彼は1700年から1721年まで教皇の座に就いた。アディソンは,
86
大阪経大論集 第55巻第5号
そこから生まれる無限の利点は別にしたとしても,力強くしっかりとした敬虔な行為ほ
ど,人の目から見れば光り輝き,人間性に光彩を添えるものはありません。狂信と迷信は
人間の理性の虚弱さの現れであって,不信心者の嘲笑とあざけりの的となり,私たち人間
を腐敗堕落している獣以下の存在にしてしまいます。
偶像崇拝は誤った敬虔から生じるもうひとつの過ちと見なすことができますが,このテ
ーマに関する意見はわが読者には無益だと思われますので,これについては詳しく述べな
いことにします。
第202号
1711年10月22日(月曜日)
【スティール】
あなたの富んだ友人のほうが,あらゆる欠点や悪徳という点では,あなたより
しっかり蓄えており,あなたを嫌いあるいは矯正するのだ。(ホラティウス)1)
先日,街を歩いているときに,身体つきのたくましい徒弟が馬車の御者と言い争ってい
る場面に遭遇しました。何か挑発的な言葉を投げかけられた徒弟は,たちまち帽子と鬘を
かなぐり捨て,御者をごろつき呼ばわりし,自分は紳士の息子なのだと言いながら,こぶ
しを固め御者の顔に殴りかかります2)。若き紳士は,どうやら鍛冶屋と年季奉公の契約を
結んでいるようでした。二人は,馬車に施したなんらかの作業の支払いをめぐって言い争
いとなったのです。彼の親方は,争いが行われている間,しきりにこの少年のことをほめ
ちぎっていました。親方は彼に向かって手と足を使へ,頭も使うのだと叫びながら,取り
巻いている私たちに向かっては,彼にはとても立派な友人がおり,彼に大金をゆだねるこ
とができるのだと言って,私たちを味方に取り込みました。私は人間論に広く関わってい
ますので,この若者に対して突然持ち上がった人気について考えをめぐらさざるを得ませ
んでした。おそらく,わが友人タキトゥスとともに,この場には似つかわしくないことを
考え始めたのでしょう。つまり,この全員が寄せる好意をこれとは無関係な理由のせいに
したのです3)。ところで,この若い鍛冶屋が紳士だということ,そしてその彼が現在野次
1701年の夏,聖ペテロ大聖堂を訪問した。
1) ホラティウス『書簡詩』1.18.25
2) ミソンはイギリス人の喧嘩好きについて詳しく述べている:「少年二人が街中で口論を始めると,
通りがかった人が立ち止まり,瞬く間に彼らを取り囲み,二人をけしかける。そしてついには殴り
合いになる……御者がお客の紳士と料金をめぐって言い争いとなり,紳士が喧嘩で決着をつけよう
と言うと,御者は喜んで同視するのである……」。
3) ラパンは『歴史についての所見』7章で,タキトゥスはつねにありもしない戦略や深慮を想像して
いると書き留めている:「深慮は万人に共通の動機であり,あらゆる行為を解明する手がかりとな
る。……要するに,彼の描く人物はみんな似たり寄ったりで,個性的な人物は登場しない。彼の考
えには無理があり,不自然に思える。タキトゥスの非凡な才能は,一律に彼が成し遂げた全仕事に
刻まれているのである」( 評論集』1706,ii. 2645)。
スペクテイター』(21)
87
馬たちと対等な立場にあるということから,彼に好意が寄せられたのだと思われます。さ
らに,彼が紳士であるというよりむしろ,自分では口にしたのだが,護身のために相手ほ
ど粗暴な方法を用いなかったことがあげられます。彼が立派な友人を持っていることの利
点は,親方が言うように,素早く駆り立てられたのです。生まれが効力を発揮するまでに,
彼は勇気と活発さという人間的な資質において御者よりも優れているのだということを示
し,彼には立派な友人がいることの利点を確かなものにしたのです。
この取るに足らない事の顛末を道徳的観点から解釈できるとしますと,つぎのようにな
ると思われます。つまり,人々は富,生まれ,あるいはその他いかなる美質において,他
者に優る利点を持っていても,その差異のほかにそれに付随する卓越さを示さなくてはな
らないということです。要するに,差異というものは,当たり前の品位と礼儀を保ち,好
意あるいは評価の真の居場所を世論および常識に求めないときにはじめて効力を発揮する
ことになるのです。
他者との違いを維持するためには,財産とすぐれた境遇ほど必要なものはないと考える
際の人々の愚行は,家庭生活ではそれほど顔を出すことはありません。気持ちを不自然な
無用の長物に注ぎ込み,言うならば,人道にかなった生活はすべて交わりであるという明
白な考えを欠いているため,人生そのものをわがままで不安定な状態にしてしまうのが普
通です。一家の長であることは,単に賃金の支払いとか指図をすることだけでなく,進ん
で家族を保護し大事に育てようとする思慮分別,平静な振舞いが必要であり,これが身も
心も長たる資格を与えることになります。家族の者に,唯一心配の対象である者に,教養
教育や豊かな財産やその他あらゆる利点そのものが生み出すことのできない美質を期待し
ている姿を目にすることは非常に心地のよいものです。召使はひとえに主人に引き立てら
れなくなるのではないかという恐れから,公正で勤勉に,真面目できちんとするものです。
その場合には,神および人の法をもってしても,主人をなんらかの美徳に関して,枠の中
にとどめておくことはできません。だが,事柄が重要であろうと平凡であろうと,美点と
美徳に基づかない優越さはすべて,手管と術策によってしか支えられません。たとえば,
おもねる人は気まぐれな人の家族の代理人であり,理性以外の何かによって身を処してい
る人たちなのです。喧嘩を煽る人物とか遠縁とか貧しい親族とか貧乏な従者たちは,気ま
ぐれな富者の秩序を維持する人々です4)。取るに足らない事柄でも,誰が当てにでき,誰
が当てにはできないといった情報を彼は絶えず聞かされます。そして,ことによると彼を
欺いて古い外套を取ろうとする人のあてこすりから身を守るために20人の友人を保持しま
す。
ここではこれ以上このテーマについては触れませんが,つぎの手紙および嘆願書はこれ
に相応しい意見が述べられているものと思います。
拝啓
4) 第136号参照。
88
大阪経大論集 第55巻第5号
私はある老婦人の召使をしている者ですが,この主人は彼女の言うところの友人に取り
仕切られているのです。この友人は主人とはとても心安くしており,求められてもいない
のに忠告をしますので,主人は絶えず落ち着かなくなってしまいます。なにとぞ,相談相
手を志願するこういった人々について,あなたのご意見をお聞かせください。そして,彼
女たちには,誰かに助言を与えることは,相手に自分のほうが優れているのだと言ってい
ることにほかならないのだということを教えてあげてください。できましたら,絶えずや
って来ては,人の手はずを整えているテイパティ夫人こそ,人さまの家をもてあそび,か
き回しているいまいましい人物なのだと伝えてください。もしあなたのお力で彼女を一晩
外出させないでおくことができましたら,すべてのご婦人方はあなたのことを恩人とお考
えになられることでしょう。
敬具
スーザン・シヴィル
拝啓
小生は従僕で,世間には,激しやすいという点を除けば,非常に気さくな人物と言われ
る人たちがいますがそういった人物のひとりと生活を共にしています。なにとぞ,こうい
った人物に,激しやすく性急さを抑えようとしない人は,わずか半時間で友人や召使に,
丸々1年かけても償えないような危害を加えるのだということを教えてあげてください。
一般的な名声という点では非常に立派な方である小生の主人は,日々誰かに迷惑をかけ,
そのことで不機嫌になり,小生のやることにやつあたりをして小生をたたくのです。もし
こういった紳士が自分たちは社交の場で始終危害を加えているのだということが分かれば,
改心することでしょう。長年にわたって晩餐の席で紳士を観察してきました小生は,危害
を加えるということでは,不機嫌な性格よりも無分別のほうが10倍高いのだということが
分かっています。言うまでもありませんが,こういったことのご指摘は小生よりも貴殿の
ほうがお得意です。どうかよろしくお願いいたします。
敬具
くすぶっているトマスより
拝啓
嘆願者であるジョン・スチュアート,ロバート・バトラー,ハリー・クックならびにア
ビゲイル・チェインバーズは,自分たちのためさらにはロンドンおよびウェストミンスタ
ー市内の貴族の家に分散して奉公している関係者のために,衷心よりつぎのことを明らか
にしたいと思います。
われわれ嘆願者が雇われ生活を共にしている家の多くでは,本分に対してまったく不案
内であり,われわれがいかなるあしらいをしてもほとんど判断力のない主人がいるのであ
ります。
彼らは自分たち自身の本分に対する判断力がないために,そして,無精と矜持をほしい
スペクテイター』(21)
89
ままにしているために,自分たちの周囲には絶えずスパイという有害な人でなしを飼って
いるのであります5)。
スパイが受け入れられるときにはいつでも,その瞬間からその家の安寧は乱れてしまう
のであります。
スパイというものはいかなるときでもいいことは口にせず,われわれの陽気さと自由を
放恣と無規律という言葉で置き換えてしまうのであります。
スパイがいる家はどの家でも,嫉妬と誤解が飛び交うことになるのであります。
こういった家の主人夫妻は絶えず率直で忠実な召使を疑ってかかり,邪で不実な召使の
手に身を任せてしまうことになるのであります。
スパイを受け入れるこういった主人夫妻は,もはや取るに足らぬ存在となってしまい,
われわれ嘆願者は,ひどく軽蔑していても敬意を払わざるを得なく,われわれの身の保全
もスパイに求めることになってしまうのであります。
こういう訳ですので,われわれ嘆願者は,貴殿から,以上述べました事柄を貴顕の士に
ご指摘くださいますよう心からお願い申し上げる次第であります。われわれとしましては,
義務の命ずるまま,切にそう願うのであります。
第203号
1711年10月23日(火曜日)
【スティール】
ああ,父なるポイボスよ,もし私が本当にあなたの息子であると主張できるのなら,
もし母クリュメネが自分の恥をわざとらしい言い訳をして隠しているのでなければ,
どうかその証拠を授けてください。(オウィディウス)1)
私はまだ取り上げていませんが,散歩の途中で出くわす不幸な女性を誘惑することを目
的に,この大都市のあちこちをうろついているいい加減な手合いが存在しています。こう
いった破廉恥な放蕩者はあちこちで問題を起こし,しばしば教区委員の目に留まってしま
います。このため,ロンドンおよびウェストミンスターの大半の教区には,子供のいない
既婚男性と子供のことで台無しになってしまう未婚男性が存在することになります。
男性が一度こういった勝手気ままに庶民を食い物にするといった生活に身を委ねますと,
彼は人の多い街に目をつけます。その結果,彼が時々繁殖させる人の数を考えて見ますと
驚くべきことになります。年端も行かないのに,ローマ法が認めている子供が3人いる父
5) 1711年9月27日付けのヴィー・ティーの署名入りの手紙で,この話題について依頼があった:「貴
殿はいろいろ有益な思索をなさっておられますが,小生の記憶では家族のスパイに関するものは見
かけたことがありません。この輩が原因で生じる口論,言い争い,迷惑は枚挙にいとまがありませ
ん。主人と召使の間には耐えられないような数多くの嫉妬と不安を生み出すのです。それどころか,
家族の主人たちまでも,不和になって取り返しがつかなくなってしまうのです」。
1) オウィディウス『変身物語』2.3638
90
大阪経大論集 第55巻第5号
全員に与えられる特権を主張できる若者が大勢います2)。それどころか,もう少しで25歳
になるという放蕩者が,7人目の息子の父親だと名乗り,極めて打算的なことですが,そ
の子を医者にする積りだと言っているのを,私は耳にしたことがあります3)。要するに,
やつれた色男のことはさておき,財産を相続するまでに散財してしまう思慮に欠けた道楽
者と同じように,結婚するまでにすべての子供を生んでしまうこういった若き長老が,町
には溢れているのです。
ここで,私は恥知らずの放蕩者の異常な気まぐれについて述べない訳にはいきません。
この若者は紋章学を少しかじり,偉大なる家系図はしばしば木の形に作図することを知っ
ており,自らの私生児をこれと同様の方法で配列することを思いついたのでした。「幸せ
な実をつけた大枝は,間隔が狭く,天に向かって伸びる。母なる木は,未知の,他の木々
の,自分のものでないリンゴの葉を褒め称える。」4)
木の幹には,ウィル・メイプルという自分の名前を記しました。片側には,小枝をつけ
ていない大きな枝が出ており,そこには彼の不幸な妻メアリ・メイプルの名前を記しまし
た。幹の上部は5本の大枝で飾りました。1本目の大枝の下部には大文字でケイト・コー
ルと記しました。この大枝からは,ウィリアム,リチャード,レベッカという3本の小枝
を出しました。サル・トウィフォードが2本目の大枝となり,サラ,トム,ウィル,フラ
ンクという4本の小枝を出しました。3本目の大枝には小枝はまだ1本しかありませんが,
2本目の小枝のための間隔が設けられています。これは,この巧妙な仕掛けを思いついた
ときには,まだ生まれていなかったが,もうすぐ生まれるという訳でした。残り2本の大
枝は同種の実がたくさん付いていました。そのほかにも,実をつけていない飾りの枝がた
くさん付いていました。要するに,紋章院から繁茂する枝はなかったのです。
このダニのような連中が子沢山になるのは,彼らの本分にたいする飽くなき精励さなの
です。男というものは,誘惑をするときには,不道徳な色事のときほどの監視や疲れを経
験しないのです。本分を喜びにしていると言われている人々が存在するように,こういっ
た闇の息子たちは喜びを本分にしていると言えるのかも知れません。彼らは堕落した性癖
を獲得するには,その性癖を満足させるさいの骨折りの半分でいいのかも知れません。
こういった人物の工夫の才は精励や警戒ほど感心されません。メナンドロスと同時代人
であった喜劇詩人アポロドロスの断章につぎのようなユーモアに溢れた一節があります。
彼は「あなたはかんぬきと錠で戸締りをするかも知れません。そう,鍛冶屋でもそれほど
固く締めることできないでしょうが,猫と好色な男には意味がないのです。」と書いてい
ます5)。要するに,好色な男の頭ほど策略がぎっしり詰まっている頭はほかにはないので
2) アウグストゥスが嫡出子を3人持った父親に対して認めた税の減免などの恩典。プリニウス『書簡』
2.13,10.2を参照。
3) 一般に,第7子は並外れた治癒力を備えていると考えられた。ネッド・ウォードは『ロンドン・ス
パイ』8部で,ある家の前にある肖像画について,「低い鼻と醜い面相から,この人物はまさにム
アフィールドの将来の医者,つまり,第7子の七番目の息子と思った」と述べている。
4) ウェルギリウス『農耕詩』2.80
82
スペクテイター』(21)
91
す。
もし私にこの忌まわしい繁殖者という人種に対する処罰を提案することができるのでし
たら,第2,第3の罪を犯した連中は,アメリカの入植地に送り届けることにします。住
民が不足している女王陛下の領地に住まわせるのです。ディオゲネスの言い方を借りれば,
「人を移植する」のです6)。この罪を死刑にする国もありますが,私は追放で十分だと思
います。そうすることによって,この生殖力を公共の利益のために振り向けることができ
るのです。
こういった紳士の処分が決まるまでは,彼らにはこのような不正な方法で世に送り出し
た不幸な子供の世話をし,私生児に両親よりも徳を備えた人物になるような教育を授ける
よう大真面目に勧告します。このことが,彼らが罪を償う最善の方法であり,実際,これ
こそが,これまでの過ちの埋め合わせをするために彼らに残された唯一の方法なのです。
さらに,彼らには信仰および自然の理法という義務からだけではなく,当たり前の人間
性に照らして,彼らが生を授けただけでなく,極めて理不尽なことだが,恥辱をも授けら
れた子供たちの将来について十二分に考えていただきたいと思います。ここで私は一般に
流布している堕落した考えについて寸評を加えない訳にはいきません。この考えは私たち
がこうむりがちな悪徳をかばおうとする自然な気持ちから生まれたに違いありません。つ
まり,男子が庶子を作ること,および,間男をすることは,恥辱と見なすべきなのです。
そしてまた,もっぱら色好みと欺瞞のせいにされている卑しむべき行為は,無分別に,潔
白な人々にも降りかかってくるのです。
つぎの手紙によって,私はいつの間にかこの話に引き込まれたのです。この手紙は誠意
を込めて書かれていますので,これを書いた人物は自らの事例をうそ偽りなくありのまま
に語っているものと思われます。
拝啓
私は世間からは一般に忌まわしく,不幸せだと思われている人物のひとりです。父親は
王国ではとても著名な人物で,数多くの公職に就いています。私はその人物の息子ですが,
不幸なことに,私には彼のことを父と呼ぶ勇気もなく,彼もまた私が私生児ですので,私
のことを自分の子供と認めると面目がつぶれてしまうと考えています。それゆえ,善良な
人なら,親の愛情と交わりの中に見出す例の親愛の情を感じさせてくれる思いやりと無比
の満足感が奪われているのです。また,彼はいつも私に距離を置いていますし,お高くと
まっていますので,私には彼に息子としての義務を果たす機会もありません。私は,習い
性となり,彼の前ではおどおどしてしまうのです。そのため,私は要求をはっきり口にす
るができませんし,彼に私がこうむっている不自由さを理解させることもできません。
学者にも兵士にもまた何らかの仕事に就くようにも育てられていないのも私の不幸です。
5) ウィンタートン『ギリシャの弱小詩人たち』(1677,ケンブリッジ)484頁。彼は前書きでアポロド
ロスはメナンドロス(C. 343291B. C.)の同時代であったと指摘している。
6) 『ガーディアン』第155号「彼女の夫,またの名をマン・プランター」参照。
92
大阪経大論集 第55巻第5号
そのため,私は自分の力で食べて行くことがまったくできません。彼の助けを仰がざるを
得ないのです。そこで,やがてパンにも事欠くのではないかと危惧して絶えず不安を覚え
ています。彼のことをそう呼ぶことができればの話ですが,私の父は,私にはほんのわず
かな保証しか与えてくれません。
私はこれまで,幾分か紳士のような暮らしをして来ましたので,暮らしを立てていくた
めに働くことはとても難しいものと思われます。私は将来のことを絶えず心配しています
し,両親との優しい交わりと打ち解けた助言もなくとても不幸です。その結果,私は自分
自身のことを,誰もが認めることをためらう自然界から奇妙にも突如出現した怪物と考え
てしまうのです。
私は自然のままの資質を備えた人物と思われます。貴殿が世間に公表なさっておられる
お考えを継続的に読ませていただき,賞賛者になっています。それで,この告白をする気
になった訳です。同時に,私の述べましたことに貴殿の憐憫の情に少しでも触れるような
ことがございましたら,貴殿からご意見を賜りたいものと希望しています。つまり,私は
背徳の生まれですが,私はどのあたりまで私を生んだ人物の愛情を主張できるのか,私は
どこまでその人物の息子と考えていいのか,父はどこまで私の父であることを認めるのか,
といった件に関して,貴殿のご意見をお聞かせいただければ幸いです。私としましては,
貴殿のご意見やご助言が大きな慰めとなり,満ち足りた気持ちになるのでございます。ど
うかよろしくお願い申し上げます。
敬具
第204号
1711年10月24日(水曜日)
【スティール】
誘惑的なはにかみ,つかみどころのない表情,
はにかみを浮かべた表情,それはあまりにもつかみどころがなく,
じろじろ見ることはできない。(ホラティウス)1)
私が愛の特使になること,そして,愛に悩む人が私を通じてお互いの苦情を伝え合うこ
とを私は少しも不愉快には思ってはいません。最近つぎの手紙が私の元に届きましたが,
喜んで日の目を見させてあげたいと思います。読者の気晴らしとして供するために,読者
からするとおそらく取るに足らないことのように思えることでしょうが,書いた当の本人
にすればとても重要である顛末を掲載することを大目に見ていただきたいものと思います。
掲載を希望するそれぞれの手紙に書かれている私宛の前置きや挨拶,言い訳は省略するこ
とにしますが,言葉遣いとか間接的な言及によって,相手方がおおむね特定できるように
なっています。
1) ホラティウス『頌詩』1.19.7
8
スペクテイター』(21)
93
思慕する人へ
あなた宛に用いる「思慕する」という言葉によって,ポルトガル語が分かるあなたには,
あなたに対して抱く私の優しい心遣いの真に迫ったイメージが伝わるのです。先般スペク
テイター紙に掲載されたスタティーラの手紙を読み,私は私の心境を述べる方法としてこ
れと同じ方法を用いることを思いつきました2)。最近私への心遣いの中であなたが期せず
して見せた意図に,私は当惑していません。それはあなた個人の欠点というよりもむしろ
時代が退歩しているせいだと考えています。私はひとえにあなたのことだけを考えていま
すので,あなたとの交際がやましいものでないという条件さえあれば,あなたの名声,あ
なたの財産,あるいはあなたの奥方が世間で名を挙げて欲しいと願っている人とは,私は
喜んで縁を切ります。あなたをいつまでも私のものとしておけるというただひとつの満足
感と引き換えに,私は華やかな衣装も訪問の喜びも供回りもお芝居も舞踏会もオペラもす
べて放棄します。私がこの世で体験できる勝利感の唯一の原因をあなたが巧みに秘密にな
さることに異議を唱えることはいたしません。私はひとえにあなたの幸せを考えることを
心掛けると同時に,義務にしたいと思っています。もしこの手紙が狙っているような効き
目がないとしますと,あなたは私があなたのことを免れたいと思った,そして,あなたが
ひどい扱いを受けたときに断念せず何度も口にしたことを口にしてあなたを辟易させるた
めに,最も手っ取り早い方法を講じたのだ,と理解すべきです。うそ偽りのない人物にな
ってください。私のことを疑う間は私の奴隷になり,私があなたを愛していると思うとき
は私のことを無視するのです。できるなら現在の私との関係がどんなものか言い当ててご
らんなさい。私はこの気をもむ状態をどのくらい維持できるか分かっています。
あなたから愛慕されているベリンダより
拝啓
愛する女性の紛れもない欠点が長所であり,利点になるとき,男は奇妙な心境に陥りま
す。確信を持って言いますが,あなたに賭けることを非常に恐れています。私は現在,分
別を物ともせず,あなたのことが好きになっており,幸せをのぼせあがりだけに帰するの
はひどいことだと思っています。あなたがあなたを見るすべての若者に色目を使い,あな
たの目が人前に出るたびに新たな獲物を求めてさまようのを知っています。にもかかわら
ず,あなたの表情や身振りはすべてあまりにも美しいので,私は男性の心を射ようとする
あなたの行為そのものを賞賛せざるを得ません。私の心境は『浮世の習い』に登場する恋
人と同じです3)。私はあなたの欠点を非常に長い間見てきましたので,馴染み深いものと
なっています。私自身の欠点もさることながら,あなたの欠点が気に入っているのです。
だが,この浮いた振舞いは,現在,恋人としての私には好ましく映るのですが,夫となっ
2) 第199号参照。
3) 『浮世の習い』(1700)はウィリアム・コングリーヴの作品。ミラベルはミラマントの欠点につい
て「あの人の欠点は今では私自身の短所と同じくらい馴染み深いものとなっています。おそらく,
そのうちに気に入ることになってしまうわ。」と語っている。
94
大阪経大論集 第55巻第5号
たときでもそうであると思うのかどうか考えて見てください。事態は進展していますので,
私たちは先へ進む準備をしなくてはなりません。私の中では私は今でもあなたの恋人に相
応しいという想いがあり,あなたの中では今でも私の情婦だという想いがあることを心に
留めておいて欲しいものと思います。結婚生活における放埓は,一方にとっては魅力的な
ものですが,相手方にとっては不快なものなのです。以上のささやかな助言を聞き入れて
くださるかどうかで,私の幸福ないし不安が確かなものとなるのです。
敬具
ティー・ディー
前略
私が窓辺に腰をかけていたとき,そしてあなたが私のいとこと一緒に部屋の一方の端に
いたとき,あなたは私があなたを見ているのに気がついていましたね。その後ずっと,あ
なたはそのことを秘密にしておられます。私の目が語ったことにうそ偽りがないことはよ
ほど不注意でない限りお分かりいただけたものと確信しています。だが,名乗り出てそれ
を確認するには時期尚早ですので,署名は省略することにします。
草々
前略
昨夜,もっと近くにほかにも殿方がいらしたので,あの軽薄な女性の扇をあなたが拾い
上げてあげる必要があったのか私には疑問です。あなたはもっと確実な私の扇には手を触
れようとなさらないのです4)。
草々
フィリス
スペインのリ……大佐へ5)
この手紙が最愛の夫,最愛の人に届かないうちは,私にとってこの愛情のこもった名称
は何の意味も持たないでしょう。名誉と義務の命令に従うために,置き去りにされた私の
病気が悪化しました。医師たちからはあと1週間の命と告げられました。今私の気力は萎
えています。死を目前にして最も痛ましいことはあなたと別れなくてはならないことだと
最後の力をふりしぼって言わせていますのは,あなたへの熱烈な愛情なのです。私には自
責の念はひとかけらもなく,私を押しとどめるような悔悟されていない愚行も何一つない
ことを,あなたの慰めにしてください。私たちが共に過ごした幸せを思い起こしながら,
そしてあまりも早すぎる死を悲しみながら,私は死を迎えます。思うのですが,これは罪
とはかけ離れた弱さですので,神が制定され,神の法に従って生きて来た領土から離れた
4) 第135号参照。
5) ニコルスによると,「リ……大佐」はリヴァーズという人物のこと。
スペクテイター』(21)
95
くないと思うことには,ある種敬虔な気持ちが宿っているのではないでしょうか。来世は
善人にとっては幸福なもので,悪人にとっては惨めなものだということ以外には,私たち
は来世のことは何一つ知りませんので,少なくとも勝手に私たちは下界での出来事を理解
し,おそらく,死を免れないときには潔白に歩んで来た相方のお手本を示す仕事が与えら
れているのだと考えることで,生を断念するという難事を軽減してもよいと思います。あ
なたにはお分かりいただけないでしょうが,私は普段どおりにして,あなたの葛藤の助け
になってもよいと思います。ああ最愛の人よ,私の幸せはつぎのようなことにしか見出せ
ないのだと言わせてください。すなわち,人道的な生活がさらされるあらゆる冒険に注意
を怠らないこと,熱に苦しめられているあなたのまぶたに眠りを与えること,戦いの日に
大切なあなたのお顔を守ること,弱々しく神を恐れる女でありながら付いて行きたいと切
望したあなたのもとに,傷や苦痛を許さない守護天使を同行させることがそうなのです。
こういったことを考えることで,私は哀れで元気のない気持ちにむちを打つのです。でも,
実際には,弱りきった現在の状態では,私の死を初めて耳にするときのあなたの悲嘆を想
像しますと,激しい苦悩に耐えることはできません。あなたが悲しみを寄せてくださる人
物があなたを慰めようとする以上に,あなたの優しく寛大な心のほうが大きな苦しみを覚
えられることでしょうから,これ以上長々と書くことはいたしません。私の意識が確かで
あれば,あなたのことを神にお祈りしながら最後の息を引き取りたいと思います。二度と
あなたのお顔を見ることはないでしょう。永遠のお別れを,さようなら。
ティーより
第205号
1711年10月25日(木曜日)
【アディソン】
真実の見せ掛けに騙される。(ホラティウス)1)
私は一般に知られていない不道徳的な性格の持ち主に遭遇しますと,どんな性格であれ,
その害を防ぐために,それについて詳細に指摘し,「案山子」に仕立て上げます。そうす
ることで,私はその性格の人物の見本を提供するだけでなく,女王陛下の臣民すべてにそ
の害を受けないようにとの警告を発します。たとえば,引喩を変えますと,私は人生の砂
州や流砂つまり落とし穴のいくつかを抽出するのです。そして無知で軽率な人がそれに乗
り上げないように,引き続き,まだ隠れている砂州や流砂の発見に精力を費やしているの
です。つぎの手紙を公表しますのは,こういった意図があるからなのです。この手紙はこ
の種の暗闇の部分に光を当ててくれています。
拝啓
1) ホラティウス『詩の技法』25
96
大阪経大論集 第55巻第5号
あなたの思索のうちで,私たち女性の向上を意図した思索ほど私が大きな喜びを胸に読
むものはほかにはございません。第7号および第12号では無分別な恐怖や迷信を,第15号
では供回りに対する気まぐれを,第31号では人形芝居に対する好みを,第33号では美に対
する考え方を,第37号ではロマンスに対する嗜好を,第45号ではフランス式気取りに対す
る強い好みを,第57号では勇ましさとパーティー熱を,第66号および第67号ではダンスの
悪弊を,第128号では軽率さを,第154号および第157号では伊達男に対する好みを,第176
号では夫を尻に敷く横暴さを,それぞれ矯正しようとなさいました。第41号ではピクト人
について,第73号では偶像について,第89号では抗弁者について,第198号では火とかげ
について,それぞれ語っておられます。同様に,あなたは衣装について分析なさり,私た
ちがしばしば犯す奢侈についても指摘なさっておられます。第50号および第81号では「つ
けぼくろ」について,第98号では髪飾りについて,第102号では扇について,第104号では
乗馬について,第127号ではフープペティコートについて,それぞれ攻撃なさいました2)。
そのほかにも,その他の紙面およびあちこちにちりばめられています幾多の手紙の中で,
数限りないほど小さな欠点に触れていらっしゃいます。同時に,あなたが私たち女性に払
う賛辞も数え切れないほどあること,そしてまた,あなたが指摘なさる欠点そのものもそ
れ自体は悪質なものでなく,また,あなたもお認めのように私たち女性に共通したもので
ないことを認めない訳にはいきません。ところで,こういったあなたのご意見は,一部社
交界の女性のことを,それも不道徳というよりもむしろ無分別な女性たちのことを意識し
て書かれているのは明らかです。低劣な女性たちの中には,私たち女性の名折れであり,
あなたの非難を受けるに十分値するある種の娼婦が存在します。こういった女性の放蕩者
の振舞いを扱うと,貴紙の品性を落としてしまうことになるのは分かりますが,これに関
するあなたのご意見は,このために被害を蒙っている徳があり貞節を守っている女性を正
当に扱うことになるのですから,あなたのご意見を公表なさることが不適当と考えないで
いただきたいと思います。承知しておいていただきたいのですが,私がこの手紙を書く気
になりましたのは,ある恥ずべき女性の振舞いがきっかけとなっているのです。若いころ
からとても破廉恥な売春をして過ごして来たこの女性は,現在も,自分たちよりも若い男
性を誘惑し,犯罪的な交渉を成立させて生計を立てている女性のひとりなのです。お金を
手にする手管のひとつとして,彼女はしばしば自惚れの強い若者に,しかじかの貴婦人つ
まり名士の女性が心に熱い想いを秘めており,ひたすらその想いを明かしたいと願ってい
るのだと説得します。それどころか,彼女は,そのお金はあとで独り占めすることになる
のですが,まるでロダリーゴーからお金を借りるかのように,名士の女性の名をかたった
手紙を書くことまでしたのです3)。一方,お金を貸した相手は自分の名前も知らないその
女性が自分に対して恩義があると考えたのです。そして,その女性と同席したとき彼女が
恩義を感じていないこと,つまり,彼女が好意を認めていないことに首をかしげるのでし
2) ここに列挙されている24紙のうち,16紙がアディソンの執筆である。第157号となっているのは,
実際には第156号のこと。元のフォリオ版では間違って第157号と打たれていた。
3) 『オセロ』1幕3場。
スペクテイター』(21)
97
た。だが,彼はあまりにも信義を重んじる人物であったため,彼女にお金のことを口にす
ることができなかったのです。
このあばずれ女はこの手の関係を信じるだけの虚栄心を持った人物に出会いますと,口
にしたことのない賛辞を連発し,届けたことのないことづけを送り届けてその人物を最大
限に利用します。この恥ずべき女の家にはしばしば外国人が何名か出入りしますので,彼
女がお金の工面をするためによく用いるもうひとつの手管について耳にしたことがありま
す。外国人は噂でしか知らないあるイギリスの美人をものにしようとしてため息をつきま
す。そのとき,彼女は,彼が秘密を守れるなら,出会いを周旋してあげると約束します。
幸運にうっとりするその外国人は,彼女にプレゼントをします。そしてまもなくして,架
空の肩書きを持った女性を紹介されるのです。お分かりでしょうが,この巧妙な御用商人
は,この場合,わが王国を代表する貴婦人数名の代理人を抱えているのです。このため,
私の聞くところでは,外国の地で,高貴で潔白この上ない女性から受けた愛情を自慢する
ドイツの伯爵に出会うのはごくありふれたことになっているのです。さて,貴婦人がこの
ようにいわゆる代理人によって売春し,不貞な女としての評判が立つとき,女性の評判は
どのようにして守ればいいのでしょう。ちょうどこれは,ドライデンの『ウェルギリウス』
第9巻に登場する英雄が,彼に酷似した姿で現れた幻がトゥルヌスの元から逃げ出したた
めに,臆病者と見なされるようなものです4)。私の申していることが事実であるかどうか
は,こういった女性の女衒何名かが行っていることを見ていただければ分かります。もし
この手紙が活字になりましたら,この手の不道徳な手合いについてもっと詳しくお伝えす
るかも知れません。
敬具
ベルヴィデラ
紙面を埋めるために,テーマは異なりますが,さらに2通付け加えたいと思います。
拝啓
小生は田舎で牧師をしている者です。そこで,説教壇からはうまく摘発できないいくつ
かの無作法を嘲笑の的にするために,あなたのお力をお借りできないものかと考えた次第
です。
この夏,彼女が言うには,転地のために小生の教区にやって来たようですが,この未亡
人が,とても華美な格好で日曜日ごとに小生の教会に現れて,会衆を非常に驚かせている
のであります。
われわれ全員がとても気を悪くしているのは,彼女の賛美歌の歌い方に芝居がかったと
ころがあることです。彼女は賛美歌100番にイタリアの旋律を50以上持ち込みます。昔か
らあるわが祖先の荘重な旋律で「すべての人々」を歌い始めると,彼女は母音部分をまっ
4) 実際には第9巻ではなく,第10巻。
98
大阪経大論集 第55巻第5号
たく違った調子で歌い,ニコリーニの装飾音を添えるのです5)。そして,ホプキンズやス
ターンホールドの韻律でお馴染みの「イーク」とか「アイ」という音になると,必ずと言
っていいほど,彼女はその音をビブラートで30秒は引き伸ばし,威勢のよいオペラのよう
に歌っているのが聞こえてきます6)。
小生は教会音楽をいささかも敵視していませんが,この悪弊は,すでに賛美歌斉唱をお
祈りの一部としてではなく,気晴らしと考えているわが教区民を嘲笑の的にしてしまうの
ではと危惧しています。そのうえ,その悪い影響が広まるのを懸念します。なぜなら,郷
士スクウィーカムは,声からすると(こういう表現が許されるとするなら)イタリアの歌
手に適しているように見えるのですが,この前の日曜日に,その旋律の練習をしていたか
らです。
小生にはこの婦人の主義は分かりますし,この点に関しては非同調が許されていると考
えている彼女は宗教寛容法に申し立てをすることも分かっています7)。だが,賛美歌を歌
うときに,ほかの会衆と違った調べで歌うことはその法令では認められていない一種の宗
派分立なのだということをあなたから彼女に知らせていただきたいのであります。
敬具
アール・エス
前略
貴殿は「節制」に関する紙面において8),飲酒に関して,サー・ウィリアム・テンプル
を引き合いにして,「1杯目は自分のために,2杯目は友人のために,3杯目は陽気な気
分のために,そして4杯目はわが敵のために」というルールを定めておられます。実は小
生,会員となっているあるクラブで貴紙を拝読したのであります。そのとき,わがクラブ
の会長がわれわれに向かって,ここには確実に印刷ミスがある,「グラス」という単語は
「ボトル」のはずだと言い,小生から貴殿にこのミスをお知らせし,つぎの正誤を出して
もらうようにしろ,との指示が出されたのであります。「10月13日土曜日の紙面,第3段
落,11行目の「グラス」は「ボトル」の誤りでした。」
お人よしのロビンより
5) 「昔からある荘重な旋律」は,1542
57年のジュネーヴ詩篇の音楽担当ルイ・ブルジョワのもの,
本来,詩篇134のベザ版のために作曲された。1561年に出版されたノックスの「英・ジュネーヴ詩
篇」では,賛美歌100番の長律版(音節4行の賛美歌調スタンザ)に編曲された。ニコリーニにつ
いては第5号参照。
6) 1562年のジョン・ホプキンズとトマス・スターンホールドによる韻律は,ごく最近テイトとブラデ
ィの韻律に取って代わられていた。1698/99年1月10日のポストマン紙によれば,この新しい曲は
1月8日の日曜日に,セント・マーティンズ・イン・ザ・フィールドで初めて用いられ,「みんな大
いに満足したとのこと,まだこの曲を用いていない市内の全教区では,ロンドン主教の推挙もある
ので,これに倣うことが望ましい」ということである。
7) 宗教寛容法は1689年に制定された。非国教徒に条件付で信仰の自由を認めた法律。第3号参照。
8) 第195号参照。
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