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緊迫しているキリストの再臨

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緊迫しているキリストの再臨
緊迫しているキリストの再臨
副題・空中再臨の直後に患難時代は始まるか
主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。
(Ⅰコリント一六 二
: 二)
山岸登著
エマオ出版
目次
序文
一
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Ⅰ・ やがてこの世界はさばかれる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四
Ⅱ・ 空中再臨とは? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一 二
Ⅲ・ マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
二〇
・・・・・・・・・・・
Ⅳ・ 千年王国とは?
五一
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・
Ⅴ・ 患難時代に何が起きるのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
五六
Ⅵ・ ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれている
偽キリストとはどのような人物なのか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
六八
Ⅶ・ 新約聖書の信憑性とキリストの空中再臨との関係
八一
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・
Ⅷ・ サタンの信者攻撃の手段 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
八五
Ⅸ・ キリストの再臨の緊迫性を否定している不注意な聖書解釈の実例 ・・・・・九〇
Ⅹ ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることである
と固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程
度の期間があると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難
が取り除かれる
九七
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ⅩⅠ・ 総括 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一一〇
付録 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一一四
序文
序文
さいりん
さいりん
クリスチャンの信仰にはキリストの再臨についての知識が不可欠です。キリストの再臨
さいりん
さいりん
に つ い て の 正 確 な 知 識 は ク リ ス チ ャ ン を 世 俗 化 か ら 守 り、 さ ま ざ ま の 誤 っ た 教 え の 影 響
かいしゃく
か ら 守 り ま す。 再 臨 に つ い て の 正 確 な 教 え が な い こ と や、 再 臨 に つ い て の さ ま ざ ま の 異
さいりん
めいりょう
かいしゃく
な る 解 釈 が あ る こ と が、 多 く の ク リ ス チ ャ ン た ち を 迷 わ せ 、 不 安 定 に さ せ て い ま す 。 し
か し、 聖 書 は 再 臨 に つ い て 明 瞭 に 語 っ て い ま す 。 そ こ に は 人 間 の 解 釈 が 入 り 込 む 余 地 が
まど
ありません。ですから聖書を聖書が語っているとおりに信じ、受け入れる者たちは、た
さいりん
と い ど の よ う な 異 な る 教 え を 聞 い て も 惑 わ さ れ る 必 要 が あ り ま せ ん。 従 っ て 私 た ち は 人
せんにゅうかん
間 の 意 見 や 教 団 の 教 理 な ど を 参 考 に す る の で は な く、 聖 書 か ら 直 接、 キ リ ス ト の 再 臨 に
せんにゅうかん
せんにゅうかん
つ い て の 教 え を 学 ぶ べ き で あ る の で す 。 と こ ろ が、 人 は い っ た ん 間 違 っ た 先 入 観 を 持 た
さ れ て し ま う と、 そ の 先 入 観 を 捨 て る こ と が 難 し い の で す。 そ し て 聖 書 を 先 入 観 に 従 っ
て読んでしまうのです。
しんし
それですからクリスチャンは、「聖書は正しい。聖書は何を語っているか。聖書が語っ
さいりん
ていることばに従おう。」という真摯な態度で聖書を読む必要があるのです。
それで、キリストの再臨について聖書は何と語っているかを知るために、直接聖書から
1
序文
学んでみましょう。
さいりん
さいりん
めいりょう
く
かえ
くう
さて、信仰者が新約聖書を読むならば、聖書が再臨について明瞭に何回も繰り返して語っ
ちゅうさいりん
ちじょうさいりん
て い る こ と が 分 か り ま す。 そ し て 、 キ リ ス ト の 再 臨 に は 二 種 類 が あ る こ と、 す な わ ち 空
にせ
かいめつ
中 再臨と地上再臨があることが分かります。では、それらを一つ一つ聖書から学びましょ
かんなんじだい
う。
さいりん
ちじょう さいりん
(患 難 時 代 の 終わ り に、 偽 キ リ ス ト と そ の軍 隊 を 壊 滅 さ せ て イ スラ エ ル 人を 救 う た め にオ
さいりん
くう ちゅう
リーブ山の上に天から下って来られる再臨 を地上再臨 と呼び、一方、教会時代の終わりに地
さいりん
かんなんじだい
にせ
上にいる聖徒たちを天に引き上げるためにキリストが空中 まで 下りて 来られる再臨 を空 中
さいりん
再臨 と呼びます。患難時代 、偽キリストとは何なのかの説明は後の章で行います。)
その前に、キリストの再臨と密接に関連している世界の終末についての聖書の教えを学
ぎもん
ば な け れ ば な り ま せ ん。 す な わ ち 、 こ の 世 界 は ど こ に 向 か っ て い る の か、 こ の 世 界 の 未
来に何があるのか、この世界はいつまで続くのか、という疑問に対する聖書の答えを正
らっかんてき
確 に、 聖 書 か ら 学 ん で お く 必 要 が あ り ま す 。 な ぜ な ら ば 、 福 音 的 と 思 わ れ て い る 教 会 の
ひかんてき
中にも世界の未来について非常に楽観的な考えを持っている教会があり、特に近代主義
者の中には世界には終末はないと説いている者もあり、あるいは悲観的な考えを持って
2
序文
じしょう
ひかんてき
どくとく
しゅうまつろん
とな
い る 非 ク リ ス チ ャ ン と 同 様 な、 聖 書 に 基 づ か な い 悲 観 的 な 想 像 を 語 っ て い る 者 た ち も あ
しゅうまつ
り、またクリスチャンと自称している人々の中にも聖書に基づかない独特な終末論を唱
どうよう
ふけんぜん
え て い る 人 も い ま す。 キ リ ス ト 教 界 の 中 に あ る こ の よ う な 世 界 の 終 末 に つ い て の 種 々 の
異なった考えが多くのクリスチャンたち に動揺を与えており、また不健全な信仰生活を
送 ら せ て い る 原 因 に も な っ て い ま す。 で は 最 初 に 聖 書 は 世 界 の 終 末 に つ い て 何 と 語 っ て
いるかを聖書から学びましょう。
3
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
ゆ てき かいしゃく ほどこ
ひ
ゆ
いん
さて、聖書のみことばを読み、聖書が語っていることを比喩とは取らず、またそれに隠
喩 的 解 釈 を 施 さ ず 、 み こ と ば を 文 字 通 り に、 語 ら れ て い る と お り に 受 け 取 る 人 は 、 だ れ
で あ っ て も、 こ の 世 の 終 わ り に 全 世 界 に 対 す る 神 の さ ば き が 行 わ れ る こ と を 認 め な け れ
ばなりません。なぜならば聖書がそう語っているからです。
み
す
使徒パウロはアテネで行った伝道メッセージの中で次のように語りました。
く
あらた
にんめい
「それで、一方、神は無知の時代を見過ごされたが、今や、全てのところの、全ての人
間に悔い改めるように命じておられる。なぜならば、神は、そのために任命しておられ
しょうこ
る 一 人 の 人 に よ って、 義 に よ って こ の 世 界 を さ ば く た め の 日 を 決 めて お ら れ る か ら で あ
る。神は、そのための確かな証拠を全ての者に与えるために、その方を死者たち の中か
らよみがえらされたのである。」(使徒一七 三
: 〇、三一)
ルカが記録したこのメッセージは、パウロがアテネで語ったメッセージの、主要部分の
要 約 で あ る と 思 わ れ ま す 。 彼 は、 異 邦 人 世 界 の ど こ に 行 っ て も 、 こ の よ う な メ ッ セ ー ジ
を語ったと見て良いでしょう。
4
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
パウロがテサロニケの町に行った時も、この世が神の怒りによってさばかれると語った
ことは間違いありません。ですから彼はテサロニケ人への手紙第一に次のように記して
います。
「また、神が死者たちの中からよみがえらせた御子イエスが、やがて来ようとしている
御 怒 り か ら 私 たち を 救 う た め に 天 か ら 下 って 来て く だ さ る こ と を、 ど の よ う に して あ な
たがたが待ち望むようになったかを言い広めているからです。
」
(Ⅰテサロニケ一 一
: 〇)
「 あ な た が た を 今 苦 し め て い る 者 たち に は 苦 し み を、 そ し て 、 今 苦 し め ら れ て い る あ な
た が た に も 、 私 た ち と 共 に、 安 息 を も っ て 報 い る こ と が 、 神 に と っ て 正 し い こ と な の で
ほうふく
す。主イエスは、燃える炎の中を主の力ある御使いたちを伴って天から現れてくださる時、
神 を 知 ら な い 者 た ち に、 ま た 私 た ち の 主 イ エ ス の 福 音 に 従 わ な い 者 た ち に そ の 報 復 を お
けいばつ
六
:
与 え に な り ま す 。 こ の 者 た ち は、 主 の 御 顔 の 前 か ら 、 ま た 主 の 御 力 の 栄 光 の 前 か ら ( 退
はめつ
」
(Ⅱテサロニケ一
けられて)、永遠の破滅に投げ入れられるという刑罰を受けます。
~九)
ローマ人への手紙は彼が福音の真理全体をローマにいる聖徒たちに、仮に彼がローマに
行けなかった場合を考えて、ぜひとも伝えたいという願いをもって書き送ったものです。
5
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
その中に次のように記しています。
ふけいけん
けいじ
ぼうがい
「 そ の わ け は 、 神 の 怒 り が 、 人 類 に 対 し て 、 実 に 不 正 に よ っ て 真 理( の 進 展 ) を 妨 害 し
ている彼らのあらゆる不敬虔さと不正に対して、天から啓示されているからです。」(ロー
みいか
マ一 一
: 八)
がんこ
く
あらた
「それで、あなたは、あなたの頑固さと悔い改めのない心によって、御怒りの日、すな
わ ち 神 の 正 し い さ ば き の 表れ の 日 に お け る 御 怒 りを 自 分 自 身 の た め に 積 み 上 げて い る の
です。」(ローマ二 五
:)
こうずい
ノアの大洪水前の時代にいたエノクが、世の終わりに神がこの世をおさばきになると預
よげん
言したと、主イエスの肉の弟ユダは聖霊に導かれて次のように記しています。
ふけいけん
「アダムから七代目のエノクは、彼らに対して次のように言って預言しました。『見よ。
ふけいけん
ふけいけん
実 に 主 は ご 自 分 の 幾 千 万 の 聖 徒 たち と と も に 来 ら れ、 全て の 不 敬 虔 な 罪 人 たち に 対 し て
らんぼう
あば
さ ば き を 行 い、 彼 ら が 不 敬 虔 に 行 っ た あ ら ゆ る 不 敬 虔 な 業 と 、 彼 ら が 主 に 逆 ら っ て 語 っ
たあらゆる乱暴な言葉を暴かれる。』」(ユダ一四、一五)
おお
モーセも次のように記しています。
『 わ た し に 罪 を 犯 し た 者 は だ れ で あ れ、 わ た し の 書 物 か ら
「 主 は モ ー セ に 仰せ ら れ た。
6
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
消し去ろう。………わたしのさばきの日にわたしが彼らの罪をさばく。』」(出エジプト記
よげん
三二 三
: 三、三四)
神 は、
「さばきの日」と呼ばれる日を定めておられ、その日、人類を罪のゆえにおさば
きになるのです。
おお
ダビデは詩篇第百十篇の中でキリストについて預言して次のように語りました。
「主は、私の主に仰せられる。『わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わた
しの右の座に着いていよ。』」(一)と語り、この「私の主」が神の御子、キリストであら
れることを明らかにしてのち、「あなたの右にいます主は御怒りの日に、王たちを打ち砕
かれる。主は国々の間をさばき、それらをしかばねで満たし、広い国を治めるかしらを
みいか
打ち砕かれる。」(五、六)と語り、「あなたの右にいます主」、すなわち父なる神の右にお
かいめつてき
ら れ る 主 な る キ リ ス ト が 御 怒 り の 日 に 世 界 の 王 たち を 打ち 砕 き、 彼 ら を さ ば か れ る こ と
を預言しました。
よげん
イザヤ書は、第十三章の中で次のように、バビロンが神の怒りによって壊滅的にさばか
れ る と 預 言 し て い ま す 。 し か し、 こ の 章 に 記 さ れ て い る み こ と ば は 、 バ ビ ロ ン を 世 の 終
わ り に 至 る ま で に 現 れ る、 世 界 を 支 配 す る 異 邦 人 帝 国 の 代 表 と 見 な し て お り、 バ ビ ロ ン
7
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
に 対 す る 神 の さ ば き の 宣 告 が 全 異 邦 人 世 界 に 対 す る 神 の さ ば き の 宣 告で あ るこ と を 明 ら
かにしています。
「 見 よ。 主 の 日 が 来 る。 残 酷 な 日 だ。 憤 りと 燃え る 怒 りを も って、 地を 荒れ す た ら せ、
罪人たちをそこから根絶やしにする。」(九)…………「わたしは、その悪のために世を罰し、
じゅんきん
その罪のために悪者を罰する。不遜な者の誇りをやめさせ、横暴な者の高ぶりを低くする。
ふる
いきどお
(一一、一二)
わたしは、人間を純金よりもまれにし、人をオフィルの金よりも少なくする。」
ゆ
「それゆえ、わたしは天を震わせる。万軍 の主の憤りによって、その燃える怒りの日に、
大地はその基から揺れ動く。」(一三)
バプテスマのヨハネも次のように語りました。
「毒蛇のすえたち。だれが必ず来る御怒りを逃れるようにあなたがたに教えたのか。」
(マ
いなづま
タイ三 七
:)
よげん
主イエスは、サタンがさばかれる時が来ることを次のように預言されました。
「それでイエスは彼らに言われた。
『わたしはサタンが稲妻のように天から落ちることを
知っているのだ。』」(ルカ一〇 一八)
:
「今が、この世のさばきの時である。今、この世を支配する者が追い出されるのだ。
」
(ヨ
8
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
ハネ一二 三
: 一)
「 さ ば き に つ い て と は、 こ の 世 を 支 配 す る 者 が す で に さ ば か れ て し ま っ て い る こ と を で
よげん
ある。」(ヨハネ一六 一
: 一)
このみことばの表現は、近い将来に実現されることが確実である未来の出来事について
かんなんじだい
)す なわ ち「こ の 世を 支
の ギ リ シ ア 語 の 表 現 法 で す。
( 預 言 的 過 去 形 と 呼 ば れ て い ま す。
よげん
配する者」とはサタンのことです。そしてヨハネの黙示録は、「患難時代」の中でサタン
が天から落とされることを次のように預言しています。
まど
「そして、この巨大な竜、すなわち、悪魔、またサタンと呼ばれている者、あの古い蛇、
全世界を惑わす者は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされた。そして彼の使いども
も彼とともに投げ落とされた。
」
(黙示録一二 九)
:
かんなんじだい
「 底 知 れ ぬ 所 」 に 投 げ 込 ま れ、
( サ タ ン は 患 難 時 代 の 終わ り に 御 使 い に よ って 束 縛 さ れ、
千年王国の間そこに閉じ込められており、千年が終わると一時そこから出されて、ゲヘ
)
ナと呼ばれる「火と硫黄との池」に投げ込まれます。
〈黙示録二〇 一
: ~三、七~一〇〉
神がこの世をさばかれる「怒りの日」とは、サタンに服従して神に反逆しているこの世
の上に神が怒りを注ぎ、
世をさばかれる日であるのです。そして神は必ずサタンをさばき、
9
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
火の池ゲヘナに投げ込まれます。
ヨハネの福音書の著者使徒ヨハネは、御子を信じない者が神の怒りによってさばかれる
と次のように語りました。
「 御 子 を 信 じ て い る 者 は 永 遠 の い の ち を 持 っ て い る。 し か し、 御 子 を 信 じ て い な い 者 は
決していのち にあずかることがないばかりか、神の怒りがその者の上に留まっている。」
ふけいけん
(ヨハネ三 三
: 六)
使徒ペテロは、この世のさばきについて次のように語っています。
はめつ
「 し か し、 今 の 天 と 地 は 、 同 じ み こ と ば に よ っ て 、 不 敬 虔 な 者 た ち の 火 に よ る さ ば き 、
すなわち破滅の日まで保たれているのです。」(Ⅱペテロ三 七
:)
結論
一・世界はいつまでも続かない。神は、かつてノアの時に大洪水で人類を滅ぼされたよ
うに、次は火をもって人類を必ずさばかれる。
二・真の神を捨てて、サタンに服従しているこの世界に対して神は怒っておられる。
三・サタンは必ずさばかれる。その前に人類世界がさばかれる﹁さばきの日﹂
、
﹁御怒り
10
Ⅰ・やがてこの世界はさばかれる
の日﹂が必ず来る。
11
Ⅱ・空中再臨とは?
さいりん
くうちゅうさいりん
さいりん
それではキリストの再臨とは何なのでしょうか。キリストの再臨と世界の終わりとhど
のように関連しているのでしょうか。先ず空 中 再臨から調べましょう。
Ⅱ・空中再臨とは?
テサロニケ人への手紙第一、第四章から
一三・兄弟たちよ。私はあなたがたが眠った人々について無知でいて欲しくありません。
それは、望みのない外部の人々と同じように悲しむことがないためです。
さいりん
一四・私たちは、実に(主)イエスが死なれて復活されたことを信じています。ではそ
) 神 は( 主 ) イ エ ス に あ っ て 眠 っ た 人 々 を も 主 と と も
のとおり、(キリストの再臨の時、
に連れて来られるはずです。
一五・私たちは、主のみことばによってあなたがたに言います。私たち生きていて主が
ひび
来られるまで残っている者は、眠った人々に先んじることは決してありません。
一六・なぜならば、御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が号令
の 声 と と も に 天 か ら 下 っ て 来 ら れ ま す。 そ し て 、 キ リ ス ト に あ っ て の 死 者 たち が 最 初 に
よみがえり、
12
Ⅱ・空中再臨とは?
くうちゅう
うば
一七・次に、残って生きている私たちが、彼らと同時に、奪い取られるように雲の中に
はげ
引き上げられ、空中で主に会い、そしていつまでも主とともにいることになります。
一八・このように、これらのことばによって、あなたがたは互いに励まし合いなさい。
コリント人への手紙第一、第十五章から
つ
く
く
つ
五〇・それで、兄弟たちよ。私は、このことを言います。血肉(のからだ)は神の国を
おくぎ
継ぐことができません。朽ちるものは朽ちないものを継ぐことができません。
五一・見なさい。私はあなたがたに奥義を語ります。私たちの全てが眠るのではありま
またた
いっしゅん
せん。〔肉体的に死ぬのではありません。〕(私たちの)全てが変えられるのです。
く
五二・最後のラッパの合図と共に、瞬く間に、一瞬のうちにです。すなわち、ラッパが
く
く
鳴 ら さ れ ま す。 す る と 死 者 た ち が 朽ち な い 姿 に よ み が え ら さ れ ま す。 そ し て 私 た ち は 変
えられるのです。
五三・なぜならば、この朽ちるものは、必ず、朽ちないものを着なければならず、この
く
く
死ぬべきものは、必ず、不死を着なければならないからです。
五四・この朽ち るものが、朽ちないものを着て、この死ぬべきものが、不死を着る時、
13
Ⅱ・空中再臨とは?
実にその時、
「死は勝利に飲み込まれてしまった。
」
とげ
」と
五五・「死よ。お前の勝利はどこ にあるのか。死よ。お前の棘はどこ にあるのか。
とげ
記されている聖書のことばが実現されるのです。
五六・死の棘は罪です。そして、罪の力は律法です。
。
五七・ 主イエス・キリストを通して、私たちに勝利を与えてくださる神に感謝(します)
ひび
使徒パウロは、主イエスが、地上にいる聖徒たちを天に引き上げるために神の合図のラッ
くう ちゅう
く
パ の 響 き と と も に、 そ の 時 す で に 肉 体 的 に 死 ん で い る 聖 徒 た ち の 霊 を 引 き 連 れ て 、 天 か
ら空中まで下って来られると語っています。その時、彼らの死んでいた肉体が不死の朽
くう ちゅう
ちない栄光の姿に変えられてよみがえらされます。そして、その時、地上にいる聖徒た
さいりん
おくぎ
ちは生きているまま、一瞬のうち に栄光の姿に変えられて、天に引き上げられ、空中で
めいりょう
主 に お 会 い す る と 語 っ て い ま す。 使 徒 パ ウ ロ は こ の 再 臨 を「 奥 義 」 と 呼 ん で い ま す。 す
ひ
なわち それは、それ以前には、このように明瞭には全く語られたことがなく、神のみこ
けいじ
こ ろ の 中 に 秘 め ら れ て い た の で す が、 主 イ エ ス が ヨ ハ ネ の 福 音 書 第 十 四 章 で 一 度 だ け 弟
子たちに語られたことを除いて、使徒パウロに初めて啓示された真理であるのです。
14
Ⅱ・空中再臨とは?
みだ
ヨハネの福音書第十四章には次のように記されています。
一・お前たちは心をかき乱されていてはならない。神を信じ続け、そしてわたしを信じ
続けよ。
そな
二・わたしの父の家には、住まいがたくさんある。もしなかったら、お前たちに、そう言っ
そな
たはずだ。なぜなら、わたしはお前たちのために、場所を備えに行こうとしているからだ。
むか
三・そして行って、お前たちのために場所の備えができたとき、わたしはお前たちをわ
たしのところに迎えるために、再び必ず来る。わたしのいる所に、お前たちをもおらせ
るためである。
さいりん
むか
主イエスは、この再臨の目的を、地上にいる聖徒たちを御自分とともにいつまでもおら
くう ちゅう さいりん
そな
せるために、御自分がおられる御父の家に彼らを迎えるためであると語っておられます。
そな
主イエスは、その空 中 再臨の時を、「お前たち のために場所の備えができたとき」、す
ぬすびと
な わ ち 御 父 の み も と に 私 たち の た め の 場 所 が 備 え ら れ た 時 と 定 め て お ら れ ま す。 ヨ ハ ネ
さ
はだか
はじ
の黙示録第十六章十五節でも主イエスは、「──見よ。わたしは盗人のように来る。目を
覚 ま し て 見 張 っ て い る 者、 裸 で 歩 い て 自 分 の 恥 を 人 に 見 ら れ な い よ う に 着 物 を 身 に 付 け
15
Ⅱ・空中再臨とは?
さいりん
る者は幸いである。──」と語って再臨が予告無しに突然行われると語っておられます。
よげんしゃ
さらにヨハネの黙示録第二十二章六節は、「そして 彼(御使い)は私に、『これらのこと
じょうじゅ
ばは、信頼できるものであり、真実です。
』と言った。預言者たちのたましいの神である
くう ちゅう さいりん
じょうじゅ
主 は、 す ぐ に 成 就 さ れ る べ き 事 を 、 そ の し も べ た ち に 示 す た め に そ の 御 使 い を 遣 わ さ れ
よげん
かた
たので ある。」と語って、空 中 再臨が「すぐに成就されるべき」信頼できる事実である
と語っています。
く
かえ
さらに主イエスは、「『見よ。わたしはすぐに来る。この巻物の預言のことばを堅く守る
たずさ
はなよめ
一
: 二)と語られ、御自分が私たちを迎えに「すぐに」
むか
者は、幸いである。』」
(黙示録二二 七
: )と語られ、繰り返し「見よ。わたしはすぐに来る。
そして、わたしは一人ひとりに、それぞれの働きにふさわしく報いるために、わたしの
むく
報いを携えて来る。」(黙示録二二
来て下さると約束されました。
かわ
使徒ヨハネは御霊に動かされて、「御霊も花嫁も『来てください。』と言っている。そし
二
: 〇 )と
て、これを聞く者も、『来て ください。』と言え。そして、渇く者は来れ。いのち の水を
求める者は、ただで受けよ。
」
(黙示録二二 一七)と語りました。
:
きわ
つ
しか
」
(黙示録二二
極め付けは主イエス御自身が、「然り。わたしはすぐに来る。
16
Ⅱ・空中再臨とは?
だんげん
断言されたことです。それに対して主イエスを真実に信じる者たちは、「アーメン。主イ
エスよ。来てください。」(黙示録二二 二
: 〇)と叫ぶ他ありません。
使徒パウロは、ピリピ人への手紙第三章二十節で、彼が「そこから私たちの救い主、主
しゅうかんてき
さいりん
たいぼう
イエス・キリストが来られることを熱心に待っています。」と聖霊に導かれて語っていま
ふけいけん
じょうよく
つつし
ふか
す。彼は毎日、常に、習慣的に、主イエスの再臨を待望して いたのです。そして 彼は弟
けいけん
子のテトスに、
「私たち に不敬虔と俗世界の情欲とを捨てて、今の世において慎み深く、
さと
正しく、敬虔に生活し、幸いなる望み、すなわち 偉大なる神で あり、私たち の救い主で
あがな
あられるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教え諭しています。キリストは、
とくせん
私 た ち の た め に ご 自 身 を お 捨 て に な り ま し た。 そ れ は 、 私 た ち を あ ら ゆ る 無 法 か ら 贖 い
けんい
出し、私たちをご自分のためにきよめて、良い働きに熱心な特選の民とするためでした。」
(テトス二 一
: 二~一四)と信者たちに教えるように「あなたは、十分な権威をもってこ
すす
せ
れらのことを語り、勧め、責め続けなさい。」(一五)と命じました。
使徒パウロから福音を聞かされ、教えを受けたテサロニケにある教会の聖徒たちも、主
イエス・キリストが「天から下って来て下さることを」熱心に待っていたのです。それで、
使徒パウロは、
「神が死者たちの中からよみがえらせた御子イエスが、やがて来ようとし
17
Ⅱ・空中再臨とは?
みいか
て い る 御 怒 り か ら 私 たち を 救 う た め に 天 か ら 下 って 来て く だ さ る こ と を、 ど の よ う に し
てあなたがたが待ち望むようになったかを言い広めているからです。」
(Ⅰテサロニケ一
一〇)とテサロニケの聖徒たち宛の手紙の中に記しています。
さらに、使徒パウロはヘブル人への手紙第十章三十七節で次のように語って、この手紙
の宛先のヘブル人クリスチャンたちを励ましています。
「もうすぐ、間もなく、来るべき方は来られる。遅くなることはない。」
結論
一・空 中 再臨とは、今の教会時代に地上にいる聖徒たちを天に引き上げて、キリスト
が お ら れ る 所 で い つ ま で も キ リ ス ト と 共 に お ら せ る た め に、 キ リ ス ト が 空 中 ま で 下 り て
来て下さることである。
二・教会時代は、主イエス・キリストの復活と、その四十日後天へ帰られた十日後、エ
ル サ レ ム に い た 聖 徒 た ち に 聖 霊 が 下 っ て 来 ら れ た 時 か ら 始 ま っ た の で あ り、 教 会 時 代 の
終 わ り に キ リ ス ト は 地 上 に い る 全 て の 信 者 を、 御 自 分 と 同 じ 不 死 の 栄 光 の 姿 に 変 え て 天
に引き上げてくださる。
:
18
Ⅱ・空中再臨とは?
三・空 中 再臨は主イエス御自身の約束事であり、必ず実行される。
四・それには予告や前兆がなく、突然行われ、今日でも明日でも、いつでもあり得るこ
とである。
五・それゆえ、私たちは、主イエスに﹁主よ。来てください。﹂と叫びつつ、日々、常に待っ
ていなければならない。
19
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
はかい
Ⅲ・ マ タ イ の 福 音 書 第 二 十 四 章 と マ ル コ の 福 音 書 第 十 三 章 と ル カ の 福 音 書 第 二 十 一
章で主イエスは何を語られたのか?
かいしゃく
かいしゃく
主イエスが、これらのみことばによってエルサレムの都が破壊されることについて語ら
かいしゃく
れ た こ と は、 誰 に で も 明 ら か で す が、 い ろ い ろ の 解 釈 が あ る の で ど の 解 釈 が 正 し い の か
が 分 か ら な い と 言 っ て い る 人 々 が か な り あ り ま す。 そ れ で 、 人 の 意 見 や 解 釈 を 取 り 入 れ
るのではなく、聖書から直接真理を学ばなければなりません。聖書から直接、聖書が何
を 語 っ て い る か を 学 び ま し ょ う。 マ タ イ の 福 音 書 第 二 十 四 章 と マ ル コ の 福 音 書 第 十 三 章
へいき
と ル カ の 福 音 書 第 二 十 一 章 を 読 む な ら ば、 ほ ぼ 同 じ こ と を 語 っ て い る こ と が 分 か り ま す
ので、それらを併記してみます。
◎マタイ二四章
一・ それから、イエスは宮を出て 行かれ、歩いて おられた。すると弟子たち がイエス
に近寄って来て、宮の建物を指し示した。
二・そこで、イエスは彼らに答えて、「お前たちは、これら全ての物に見入っているの
だろう。真実に、お前たち に言う。ここで一つの石もくずされずに、他の石の上に残さ
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
れることは決してないのだ。」と言われた。
◎ルカ二一章
くず
六・
「 こ れ ら、 お 前 た ち が 今 見 て い る 石 に つ い て 、 全 て の 石 が 完 全 に 崩 さ れ て 、 今 あ る
石の上になくなる時が必ず来る。」
◎マタイ二四章
ぜんちょう
三・イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちが、密かにみもとに来て、
「いつ、
ぜんちょう
それらのことが起こるのでしょうか、また何があなたのお現れの前兆、すなわちこの時
代の終わりの前兆であるのかをお話ください。」と言った。
◎ルカ二一章
ぜんちょう
七・それで、彼らは質問して、「先生、では、それらのことはいつあるのですか。それ
はかい
らのことが起きる前に、どんな前兆があるのですか。
」と言った。
てっていてき
主イエスは弟子たちに、エルサレムの都と神殿が徹底的に破壊されて廃墟にされると預
言されました。それで弟子たちは、それがいつ来るのかということに強い関心を持ち ま
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
した。
さてそれは何時起きることなのでしょうか。主イエスがこの地上におられた一世紀のエ
はかい
ほうかい
よげん
ルサレムの町と宮は、紀元七〇年に起きたユダヤ人のローマに対する独立闘争の時、ロー
マ軍 によって破壊されました。では、主イエスはそのエルサレム崩壊のことを預言され
はかい
ほうかい
たのでしょうか。「そうだ」と言う人々がありますが、そうではありません。なぜならば、
ぜんちょう
よげん
じょうじゅ
ローマ軍 によるエルサレム破壊の前に、主イエスの語られた、エルサレムの神殿の崩壊
ほうかい
よげん
はかい
の 前 兆 に つ い て の 預 言 の 文 字 通 り の 成 就 は な か っ た か ら で す。 主 イ エ ス が 語 ら れ た エ ル
よげん
ほうかい
じょうじゅ
サレム崩壊についての預言は紀元七〇年のローマ軍による破壊とは全く異なることです。
あやま
はかい
そ れ で 主 イ エ ス の 預 言 が 紀 元 七 〇 年 に 行わ れ た エ ル サ レ ム 崩 壊 に よ って 成 就 さ れ た と 取
まど
ることは明らかに誤っています。ではこれはいつ行われる破壊でしょうか。次のみこと
ばを読みながら考えましょう。
◎マタイ二四章
四・そこで、イエスは彼らに答えて言われた。
「 だ れ も お 前 たち を 惑 わ す こ と が な い よ
うに見張っておれ。
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
まど
だま
五・なぜならば、多くの者がわたしの名を名乗って現れ、『私がキリストだ。』と言って、
多くの人を惑わすからだ。
◎マルコ一三章
五・それで、イエスは彼らに話し始められた。「だれにもお前たちを騙させないように
注意せよ。
だま
だま
六・多くの者がわたしの名によって現れ、『私こそがそれだ。』と言う。そして多くの者
を騙す。
◎ルカ二一章
八・それで イエスは言われた。「騙されないように気を付けよ。なぜなら、わ たしの名
を使って『私で ある。
』とか『その時が来た。
』とか言う者が大勢現れるからで ある。決
して彼らの後に付いて行くな。
しょう
歴史家ヨセフスによると、紀元六六年から始まったローマ軍による攻撃に先立って、少
五
: )、「わ たしの名によって 」(マル
数 で す が 自 分 が メ シ ヤ で あ る と 称 す る 者 た ち が 現 れ た こ と は 事 実 で す 。 し か し、 彼 ら の
中 の 一 人 も「 わ た し の 名 を 名 乗 っ て 」
(マタイ二四
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
さいらい
コ 一 三 六)
、
「わたしの名を使って」
(ルカ二一 八)と主イエスが言われたように、主
:
:
イエスの御名を使っては現れませんでした。彼らは、「私はメシヤである。
」とは言っても、
じんつう
八・しかし、これらのことは全て、陣痛の始まりである。
◎マルコ一三章
ききん
じしん
七・お前たちは、戦争について、また戦争のうわさを聞いても狼狽するな。それらは必
ろうばい
七・民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉と地震が起こる。
であるからだ。しかし、まだ終わりではない。
狼 狽 さ せ ら れ な い よ う に 気 を つ け よ。 な ぜ な ら ば こ れ ら は 必 ず 起 こ ら ね ば な ら な い こ と
ろうばい
六・ ま た、 お 前 たち は、 戦 争 のこ と を、 ま た 戦 争 の うわ さを 聞 く よ う に な る。 し か し
◎マタイ二四章
ません。
否定する者たちでした。ですからこれらの聖句と紀元七〇年の事件とは関係が全くあり
と は 言 い ま せ ん で し た。 そ の 反 対 に、 彼 ら は す べ て 主 イ エ ス が メ シ ヤ で あ ら れ る こ と を
「私はナザレのイエスの再来である。」とか、「私はナザレのイエスのよみがえりである。」
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
ず起きなければならない。しかし、終わりが来たのではない。
じんつう
じしん
ききん
八・実に民族が民族に、国が国に敵対して立ち上がり、方々に地震が起き、飢饉も起き
る。これらのことは、陣痛の始まりである。
ぼうどう
◎ルカ二一章
そくざ
九・戦争と暴動について聞いても、恐れおののくな。なぜならば、これらは初めに必ず
」
起きなければならないことであり、終わりは即座には来ないからだ。
えきびょう
ききん
一〇・それから、イエスは次のように彼らに語り始められた。「民族は民族に、国は国
だい じ し ん
に敵対して立ち上がる。
ぜんちょう
はかい
一一・数々の大地震が起こり、あちらこちらに疫病と飢饉が発生する。そして天からの
大きな恐ろしい前兆が現れる。
ぼうどう
だい じ し ん
ここで語られているエルサレムの宮の破壊の前には、戦争のうわさが流れ、また実際に
いへん
戦争と暴動があり、民族対民族の戦い、国対国の戦いが起こり、数々の大地震が起こり、
ほうかい
ぜんちょう
だいてんぺん
天 体 に も 異 変 が 起 こ ら な け れ ば な り ま せ ん。 こ の よ う な こ と は 、 紀 元 七 〇 年 の エ ル サ レ
ム崩壊の前にはありませんでした。ここで語られている前兆とは、今後に起こる大天変
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
ち
い
ほうかい
ほうかい
地異のことであり、世界的大政治問題のことであるのです。ですから紀元七〇年のロー
マ軍 によるエルサレム崩壊と、主イエスが 預言されたエルサレムの都と宮の崩壊とは関
係がないことが明白です。
◎マタイ二四章
にく
にく
あ
九・その時、人々は、お前たちを苦しみに会わせ、また殺す。また、お前たちはわたし
の名のゆえに、全ての国の人々によって憎まれる。
一〇・また、その時、大勢の人々が罪に引き込まれ、互いに裏切り合い、憎み合う。
◎マルコ一三章
う
たた
九・お前たちは、自分自身に気を付けよ。彼らはお前たちを議会に引き渡し、またお前
あかし
た ち は 会 堂 の 中 で 打 ち 叩 か れ る。 そ し て お 前 た ち は 、 わ た し の た め に、 支 配 者 た ち 、 王
たちの前に証をするために立たせられる。
一〇・そして第一に、福音は全ての民族に宣べ伝えられなければならない。
一一・そして、彼らがお前たちを引き渡すために引いて行く時、お前たちは何を語ろう
か と 心 配 し て は な ら な い。 ま さ に そ の 時 に お 前 た ち に 与 え ら れ る 言 葉 を 語 れ 。 実 に、 語
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
るのはお前たちではなく、聖霊であられるのだ。
にく
一二・また、兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に自ら逆らって立ち、
実に彼らを死に至らせる。
た
しの
はくがい
一三・また、お前たちはわたしの名のために、みなの者の憎まれ者にされる。しかし、
最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
◎ルカ二一章
一二・しかし、これらのこと全ての起きる前に、人々はお前たちを捕らえて迫害し、会
あかし
堂 や 牢 に 引 き 渡 す 。 そ し て 、 彼 ら は、 お 前 た ち を わ た し の 名 の ゆ え に 王 た ち や 総 督 た ち
の前に引き出す。
べんめい
一三・それはお前たちにとって証する機会となる。
こうべん
はんろん
一四・それで、お前たちは、どのように弁明しようかと前もって考えないと心の中で決
めておけ。
一五・なぜならば、わたしが、お前たちのあらゆる敵対者が抗弁することも反論するこ
ともできない言葉と知恵とをお前たちに与えるからである。
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
はくがい
福音伝道が始まって以来、クリスチャンたちは常に迫害されてきました。しかし、それ
ほうかい
く
あらた
はエルサレムの宮とは全く無関係でした。紀元七〇年のローマ軍 によるエルサレムの都
と 宮 の 崩 壊 の 原 因 は、 罪 を 悔 い 改 め て キ リ ス ト を 信 じ る こ と を 拒 ん だ ユ ダ ヤ 人 と ロ ー マ
はくがい
政府との間に発生した政治問題でした。そのためにクリスチャンたちがローマによって
こうそう
迫害されたということは、全くありませんでした。クリスチャンたちは、ユダヤ人の対ロー
よげん
マ 抗 争 の 間、 完 全 に 部 外 者 で し た。 む し ろ 彼 ら は ユ ダ ヤ 人 た ち に よ っ て エ ル サ レ ム の 町
くうちゅうさいりん
しゅうまつ
かんなんじだい
から追放されていました。ですからこの主イエスの預言は、紀元七〇年のことではなく、
はくがい
空 中 再臨によって教会時代が終わった後の終末に、すなわち患難時代の中でエルサレム
にせ よ げ ん し ゃ
まど
の 都 に 住 ん で い る イ ス ラ エ ル 人 の 中 の キ リ ス ト 信 者 たち に 向 け ら れ る 迫 害 に 関 す る こ と
です。
◎マタイ二四章
一一・また、多くの偽預言者が立ち上がり、多くの人々を惑わす。
た
しの
一二・また無法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷える。
一三・しかし、最後まで耐え忍ぶ者は、必ず救われる。
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
◎ルカ二一章
にく
一六・しかし、お前たちは両親、兄弟、親族、友人たちによってさえ裏切られ、彼らは
お前たちのある者を殺す。
ほろ
一七・そして、お前たちはわたしの名のゆえに全ての者によって必ず憎まれる。
にんたい
かくとく
一八・しかし、お前たちの髪の毛一本も決して滅びない。
はくがい
一九・忍耐によって、お前たちは自分のいのちを獲得せよ。
にく
はくがい
こ こ に 語 ら れ て い る 終 末 に 起 き る 信 者 に 対 す る 迫 害 は、 非 常 に 恐 ろ し い も の で す 。 多
くの聖徒たちがキリストを信じる信仰のゆえに憎まれ、迫害され、殺されます。しかし、
かみ
ほろ
ほろ
主イエスはここで大変不思議なことを語られました。「お前たちは殺されるが、お前たち
た
しの
」とはどういう意味なのでしょうか。殺されても滅びな
の髪の毛一本も決して滅びない。
じょうきょう
必ず救われる。
」とは何を意味しているのでしょうか?
いとは?「最後まで耐え忍ぶ者は、
じょう きょう
これは現在の私たちについて語っているのではなく、ある特別な期間中の、特別な状 況
に あ る 信 者 た ち に つ い て 語 っ て い る の で す 。 そ の 特 別 な 期 間、 特 別 な 状 況 と は 何 で あ る
かは、この後のみことばが明らかにしています。
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
◎マタイ二四章
こんどう
一四・この御国の福音は、必ず全世界に宣べ伝えられ、全ての国民にあかしされる。そ
れから終わりが来る。
ゆる
「御国の福音」と「罪の赦しの福音」とを混同してはなりません。もちろんこれも罪の
たいぼう
赦しと無関係ではありません。「御国」とは、神がアブラハムに約束され、そしてダビデ
王 に 約 束 さ れ た、 そ し て イ ス ラ エ ル の 民 が 待 望 し て い る 千 年 王 国 、 メ シ ヤ の 王 国 の こ と
く
あらた
そな
く
あらた
ほろ
です。ですからそのメッセージは「千年王国の実現が目前に迫っている。その王国に入
く
あらた
る こ と が で き る よ う に す べ て の 人 は 悔 い 改 め て そ れ に 備 え よ。 罪 を 悔 い 改 め な い 者 は 滅
ぼされる。
」 で あ る の で す。
「 そ れ か ら 終 わ り が 来 る 」 と い う 表 現 は、 罪 を 悔 い 改 め る た
めの期間が終わることを意味しています。
さいりん
と
このみことばを現代のこととして取り、世界中に福音を宣べ伝え終わったならキリスト
あやま
かいしゃく
かんなんじだい
が再臨して下さると説く人々がいますが、それはこの聖句の前後関係を無視した、非常
く
あらた
に誤った解釈です。この「御国の福音」伝道は、おもに患難時代の前半に行われ、それ
を行うのは罪を悔い改めてキリストを信じたイスラエル人です。
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
◎マタイ二四章
よげんしゃ
さと
にく
一五・それゆえ、預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖な
る所に立っているのを見たならば、──読者は悟れ。──
一六・そのときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
一七・屋上にいる者は、家の中から自分の物を持ち出そうとして下に降りるな。
ひさん
みおも
ち
の
一八・畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけない。
一九・だが、それらの日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女だ。
二〇・ただ、お前たちの逃げるのが、冬や安息日にならぬように祈っておれ。
くなん
二一・なぜならば、その時、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったよう
な、またこれからもないような、ひどい苦難があるからだ。
せんみん
二二・そして、もし、その日数が限られていなかったなら、一人として救われる者はな
にく
いだろう。しかし、選民のために、その日数は必ず限られる。
◎マルコ一三章
一 四・『 荒 ら す 憎む べ き も の 』 が、 立 って は な ら な い 所 に 立 って い る のを 見 た な ら ば、
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
さと
読者は悟れ。ユダヤにいる人々は山地に逃げよ。
もど
ち
の
あわ
一五・自分の家の屋上にいる者でも、家から何かを持ち出すために、降りて家の中に入
ることもするな。
みおも
一六・畑にいる者も、自分の着物を取りに家に戻ってはならない。
一七・だがちょうどそれらの日々に、身重の女と乳飲み子を持つ女とは哀れである。
一八・それで、それが冬に起きないように祈れ。
◎ルカ二一章
二〇・それで、エルサレムの町が軍隊によって囲まれるのを見たならば、その時、その
めつぼう
滅亡が近づいたことを知れ。
たいきょ
こうがい
二一・その時、ユダヤにいる者たちは山地に向かって逃げよ。(エルサレムの)都の中
じょうじゅ
ほうふく
にいる者たちは退去せよ。郊外にいる者たちは、その(町の)中に入ってはならない。
あわ
ち
の
二二・なぜならば、それは、(聖書に)書かれてあることが全て成就される報復の日だ
からである。
二三・悲しむべき哀れな者たちは、その時、子を宿している女たちと乳飲み子を持って
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
のぞ
くなん
き
ころ
みいか
ほりょ
いる女たちである。それは、大きな苦難がその地の上に、そして 御怒りがこの民に対し
て臨むからである。
二四・そして、人々は剣の刃によって斬り殺され、あらゆる異邦の国々に捕虜として連
ふ
あ
ゆ
いんゆてき
れて行かれる。そして、エルサレムは、異邦人の時が満たされるまで、異邦人によって
踏み荒らされ続ける。
ひ
さ て 、 こ れ ら の み こ と ば を 読 み、 こ の み こ と ば を 比 喩 と は 取 ら ず 、 ま た そ れ に 隠 喩 的
かいしゃく ほどこ
とくしゅ
解 釈 を 施 さ ず 、 み こ と ば を 文 字 ど お り、 語 ら れ て い る と お り に 受 け 取 る 人 な ら ば 、 だ れ
よげんしゃ
で あ っ て も 、 主 イ エ ス が、 こ れ ら の み こ と ば を 、 あ る 特 殊 な 期 間 中 に い る エ ル サ レ ム の
あ
にく
都の住民について語られたことが分かるはずです。その特殊な期間とは、「預言者ダニエ
ルによって語られたあの『荒らす憎むべき者』が、聖なる所に立っている」のを人々が
見る期間です。その意味を理解するためには、ダニエル書第九章を開く必要があります。
ダニエル九 二
: 一~二七
まぼろし
二一・すなわち、私がまだ祈って語っているとき、私が初めに幻の中で見たあの人、ガ
ブリエルが、夕方のささげ物をささげるころ、すばやく飛んで来て、私に近づき、
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
さと
さず
二二・私に告げて言った。「ダニエルよ。私は今、あなたに悟りを授けるために出て来た。
まぼろし
二三・あなたが願いの祈りを始めたとき、一つのみことばが述べられたので、私はそれ
さと
を伝えに来た。あなたは、神に愛されている人だからだ。そのみことばを聞き分け、 幻
を悟れ。
とが
あがな
まぼろし
よげん
かくしょう
二四・あなたの民とあなたの聖なる都については、七十週が定められている。それは、
しせいじょ
そむきをやめさせ、罪を終わらせ、咎を贖い、永遠の義をもたらし、幻と預言とを確証し、
さと
至聖所に油をそそぐためである。
二五・それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、
油 そ そ が れ た 者、 君 主 の 来 る ま で が 七 週。 ま た 六 十 二 週 の 間、 そ の 苦 し み の 時 代 に 再 び
広場とほりが建て直される。
せいじょ
はかい
こうずい
二六・その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来た
こうはい
けいやく
るべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで
かた
戦いが続いて、荒廃が定められている。
い
つばさ
ぜつめつ
二七・彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とを
やめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
上にふりかかる。」
ダニエル九 二
: 四に語られているとおり、神はイスラエル人とエルサレムの都のために
七 十 週、 す な わ ち 四 百 九 十 年 を 定 め て お ら れ ま す 。 す な わ ち 、 エ ル サ レ ム の 都 と 神 殿 を
よげん
再 建 せ よ と い う 命 令 が 出 さ れ て か ら 千 年 王 国 が 実 現 さ れ る まで が 四 百 九 十 年 と 定 め ら れ
ているのです。預言の場合、一週とは七年間のことですので、七十週とは、七年の七十
倍の四百九十年のことです。さて、第二十五節には「引き揚げてエルサレムを再建せよ。」
よげん
と い う 命 令 が 出 さ れ て か ら、
「油そそがれ た者」
、すなわち 千年王国の王、メシヤが来る
までが「七週と六十二週」であると預言されています。「引き揚げてエルサレムを再建せ
さいよう
よ。」という命令は、ペルシアのアルタシャスタ王によって紀元前四五七年と前四四五年
ちょくれい
の 二 回 出 さ れ ま し た。 そ の う ち の 最 初 の 勅 令 を 採 用 し ま す 。 主 イ エ ス が 、 御 自 分 が メ シ
ヤ で あ ら れ る と 公 に 宣 言 さ れ た の は、 紀 元 二 七 年 で す 。 紀 元 前 四 五 七 年 に 勅 令 が 出 さ れ
た と い う こ と は、 実 質 的 に 紀 元 〇 年 か ら 四 百 五 十 七 年 と 数 ヶ 月 前 で す 。 ま た 主 イ エ ス の
十 字 架 上 の 御 死 は 紀 元 三 〇 年 で 、 そ の 三 年 前 の 紀 元 二 七 年 は、 紀 元 〇 年 が あ り ま せ ん か
ら、それは実質的に紀元前一年から二十六年後のことです。それで、四五七プラス二六は、
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
た
つい
四八三年、すなわち六十九週になります。第二十六節に「(エルサレム再建のために費や
よげん
」と語ら
した七週、すなわち四十九年と)その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、
れているとおりです。
ここで、読者は、特に、聖書の預言について初めて学ばれる方は、次のことを知らなけ
ればならないのです。イスラエル人とエルサレムのために定められている七十週、すな
ていし
わ ち 四 百 九 十 年 は、 主 イ エ ス の 十 字 架 上 の 御 死 に よ っ て 六 十 九 週 の 終 わ り ま で 、 す な わ
そうにゅう
ち 四 百 八 十 三 年 ま で 進 み ま し た が、 最 後 の 七 十 週 目 の 七 年 間 の 実 行 が 停 止 さ れ て い る の
じっし
で す 。 六 十 九 週 が 終 わ っ た 後、 最 後 の 一 週 が 始 ま る ま で の 間 に 教 会 の 時 代 が 挿 入 さ れ た
かんなんじだい
じんつう
のです。また最後の七十週が実施されるためには、その準備の時も必要なのです。(この
書は、この事を説明しようとしています。)
さて、この最後の一週、最後の七年間を「患難時代」と呼び、聖書はそれを「陣痛(産
くなん
じんつう
みの苦しみ)」と呼んでいます。エレミヤ書第三十章七節は、「ああ。その日は大いなる日、
かんなんじだい
くうちゅうさいりん
」と語っていま
比べるものもない日だ。それはヤコブにも苦難(陣痛の苦しみ)の時だ。
かんなんじだい
す。この患難時代は教会時代が終わった後、すなわち空 中 再臨の後に(その直後ではな
く、 し ば ら く の 期 間 の 後 に ) 来 る の で す 。 そ の 患 難 時 代 も 、 前 半 の 三 年 半 と 、 後 半 の 三
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
だいかんなん
あ
い
年半の二つに分けられ、後半の三年半は「大患難の時代」と呼ばれています。
にせ
にせ
第 二 十 六 節 の「 や が て 来 た る べ き 君 主 」 と は 、 第 二 十 七 節 の「 荒 ら す 忌 む べ き 者 」 と
くわ
にせ
同一人物です。すなわち それは「 偽キリスト」です。(この 偽キリストについては、後の
かた
けいやく
章で 詳しく説明しなければなりません。) 偽キリ ストは、第二十七節で「彼は一週の間、
かんなんじだい
けいやく
にせ
多 く の 者と 堅 い 契 約を 結 び、」と 語ら れ て い ると お り、 七 十 週 の 最 後 の 一 週 の 七 年 間 の
か
にせ
患難時代が始まる前に、多くのユダヤ 人と 契約を 結びます。それは、ユダヤ 人が 偽キリ
ほしょう
すいさつ
かんなんじだい
にせ
ストを 自分たち のメシヤと して 受け入れ るこ とと 引き 替え に 偽キリ ストが 彼ら の 安 全を
けいやく
保 証 す る と い う こ と で あ る と 推 察 さ れ ま す 。 患 難 時 代 は、 多 く の ユ ダ ヤ 人 が 偽 キ リ ス ト
にせ
とつ
と 契 約 を 結 ん だ 時 か ら 始 ま る の で す 。 ユ ダ ヤ 人 の 考 え で は 、 メ シ ヤ は 神 で は な く、 単 な
ぜん
しんにゅう
る偉大な人間で あるのです。ところが 偽キリ ストは、三年半の後、その週の半ばで、突
す
ようきゅう
然エルサレムの神殿の中に侵入し、自分が神であると宣言します。そして、自分の偶像
にせ
を神殿の中に据え、ユダヤ人にそれを礼拝することを要求します。その後、三年半の間、
はかい
せいじょ
はかい
ユダヤ人たちはいけにえを神にささげることができなくなります。そして遂に 偽キリスト
はエルサレムの町と神殿を破壊してしまいます。
「来たるべき君主の民が町と聖所を破壊
する。」とは、このことを語っているのです。ダニエル書第七章二十五、二十六節には「彼
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
にせ
ほろ
よげん
さか
やされ、滅ぼされる。」と預言されています。
くなん
にく
ほうふく
は
うば
ほろ
だい か ん な ん じ だ い
つ
た
二
: 一 ) こ の 日 か ら、 三 年 半 の 大 患 難 時 代 が 始
めつぼう
書かれてあることが全て成就される報復の日だからである。」と語っています。
じょうじゅ
郊外にいる者たちは、その(町の)中に入ってはならない。なぜならば、それは、(聖書に)
こうがい
いる者たちは山地に向かって逃げよ。(エルサレムの)都の中にいる者たちは退去せよ。
たいきょ
囲まれるのを見たならば、その時、その滅亡が近づいたことを知れ。その時、ユダヤに
かこ
ルカの福音書第二十一章二十~二十二節は、「それで、エルサレムの町が軍 隊によって
まるのです。
ひどい苦難があるからだ。」(マタイ二四
の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、
ときは、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
」 と 語 っ て い ま す。
「なぜならば、その時、世
」
「その
語 ら れ た あ の『 荒 ら す 憎 む べ き 者 』 が 、 聖 な る 所 に 立 っ て い る の を 見 た な ら ば 、
あ
マタイの福音書の第二十四章十五節と十六節は、「それゆえ、預言者ダニエルによって
よげんしゃ
彼 の 手 に ゆ だ ね ら れ る。 し か し、 さ ば き が 行 わ れ 、 彼 の 主 権 は 奪 わ れ て 、 彼 は 永 久 に 絶
しゅけん
くそうとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、
ほうそく
( 偽キリスト)は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
38
はかい
こ こ で 明 ら か に さ れ た こ と は、 マ タ イ の 福 音 書 第 二 十 四 章 と マ ル コ の 福 音 書 第 十 三 章
くう ちゅう さいりん
と ル カ の 福 音 書 第 二 十 一 章 が 語 って い る エ ル サ レ ム の 神 殿 の 破 壊と 聖 徒 たち が 受 け る
かんなんじだい
苦 し み と が 、 現 在 に 起 き る こ と で は な く、 キ リ ス ト の 空 中 再 臨 の 後 し ば ら く の 期 間 の
後 に 実 現 さ れ る 七 年 間 の 患 難 時 代 の 中 間 の こ と で あ る と い う こ と で す。 そ し て マ タ イ
かんなんじだい
じょうじゅ
ほうふく
の 第 二 十 四 章 三 節 か ら 十 四 節 ま で と 、 同 じ く ル カ の 第 二 十 一 章 八 節 か ら 十 九 節 ま で は、
患難時代の前半の三年半の間に起きるべきことであるのです。
みいか
のぞ
さて、 ル カ 二 一 二
: 二は「それは、(聖書に)書かれて あることが全て 成就される報復
ほうふく
ほうふく
の日だからである。
」と語っていますが、その「報復」とは、誰に対する何のための報復
なのでしょうか。また、同じ章の二十三節は「そして 御怒りがこの民に対して臨むから
そうとく
である。」と語っています。マタイ第二十七章は、かつてユダヤ人たちが、主イエスを十
字架に付けるように総督ピラトに要求した時、彼らが次のように言ったと記しています。
く
あらた
かんなんじだい
た。」(マタイ二七 二
: 五 ) す な わ ち 患 難 時 代 と は、 神 の 御 子 を 十 字 架 に 付 け た ユ ダ ヤ 人
ほうふく
に 対 し て 神 の 怒 り が 注 が れ 、 神 が 彼 ら に 報 復 さ れ る 時 で あ る の で す 。 し か し、 そ の 目 的
は彼らに罪を悔い改めさせることです。
39
「すると、民衆はみな答えて、『その人の血は、私たちや子どもたちの上に(かかれ)。』と言っ
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
◎マタイ二四章
にせ よ げ ん し ゃ
せんみん
二三・その時、だれかがお前たちに『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにい
にせ
る。』とか言っても、信じてはいけない。
まど
二四・なぜならば、 偽キリストたちや偽預言者たちが必ず立ち上がり、できれば選民を
も惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せるからだ。
二五・見よ。わたしは、お前たちに(このことを)すでに語っておいた。
二六・それで、もし、彼らが『そら、荒野にいる。
』 と 言 っ て も 、 出 て 行 く な。
『 そ ら、
部屋の中に。』と言っても、信じるな。
二七・なぜならば、この人の子の現れは、いなずまが東から出て、西にひらめくようで
あるからである。
くなん
二八・死体のある所には必ず、はげたかが集まるのである。
ばんしょう
ゆ
うご
二九・だが、これらの苦難の期間の直後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天か
ら落ち、天の万象は揺り動かされる。
三〇・実に、そのとき、この人の子のしるしが天に現れる。すると、地上のあらゆる種
40
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
ひび
ともな
つか
族 は 胸 を 打 っ て 悲 し む 。 そ し て 彼 ら は、 こ の 人 の 子 が 大 能 と 大 い な る 栄 光 を 伴 っ て 天 の
雲に乗って来るのを見る。
よすみ
せんみん
三一・そして、この人の子は、大いなるラッパの響きとともに、御使いたちを遣わす。
そうぞう
そうぞう
すると御使いたちは、天の果てから果てまでの地の四隅から彼の選民を集める。
◎マルコ一三章
くなん
一九・なぜなら、それらの日々は、神が天地を創造された創造の初めから、今に至るま
げんてい
で、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の時になる。
せんみん
二〇・そして、もし主がその日数を短く限定しておられなかったならば、生き残れる者
は一人もない。しかし、主は、ご自分で選んだ選民のために、その日数を短く決めて お
られる。
にせ よ げ ん し ゃ
せんみん
まど
『ほ
二一・ そのとき、たといだれかが、お前たちに『そら、キリストがここにいる』とか、
にせ
ら、あそこにいる』とか言っても、信じてはならない。
二二・ 偽キリスト、偽預言者たちが現れて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや
不思議なことをして見せる。
41
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
くなん
二三・だから、お前たちは注意せよ。私は、全てを前もって話しておいた。
ばんしょう
ゆ
うご
二四・だが、それらの日には、その苦難の後に、太陽は暗くされ、月は光を放たず、
二五・星は天から次々と落ち、天の万象は揺り動かされる。
二六・ そのとき、彼らは、この人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見
る。
せんみん
ぜんちょう
二七・そのとき、彼〈この人の子〉は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、
四方からその選民を集める。
◎ルカ二一章
いよう
なや
うご
おそ
二五・そして、太陽と月と星に前兆が現れる。そして、世界中で異邦人たちが、海と波
ゆ
からの異様な音によって不安に悩まされる。
よそう
ともな
二六・人々は、天の軍隊〈星〉が揺り動かされるので、その住む全ての所を襲おうとし
ていることを予想して、恐ろしさのあまり気を失う。
二七・そしてその時、人々は、この人の子が偉大なる力と栄光を伴って、雲に乗って来
るのを見る。
42
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
かんなんじだい
ヨ ハ ネ の 黙 示 録 第 六 章 以 降 に、こ の 患 難 時 代 に 全 人 類 に 注 が れ る 神 の 怒 り が ど の よ う
けいべつ
おろ
あつか
に恐ろしいものであるかが語られています。この時、神の激しい怒りが全世界に注がれ、
はげ
神は全人類をさばかれるのです。その時、それまで神を軽蔑し、神を愚か者扱いしてい
おそ
た 者 た ち は、 自 分 た ち が 行 っ た 罪 が、 ど れ ほ ど 激 し く 神 を 怒 ら せ て き た か を 思 い 知 る で
かんなんじだい
しょう。しかし、それは遅すぎるのです。
さいりん
ちじょうさいりん
くうちゅうさいりん
くべつ
この患難時代の終わりに主イエス・キリストは天から地上に下って来られます。ですか
ちじょう さいりん
おくぎ
よげん
らこの再臨を「地上再臨」と呼んで、「空 中 再臨」と区別します。
キリストの地上再臨は「奥義」ではなく、旧約聖書の中に預言されてきたことです。ゼ
よげん
たと
やわ
カリヤ書第十四章四節には、「その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の
上に立つ。」と預言されています。
◎マタイ二四章
三二・だから、いちじくの木から、喩えを学べ。枝が柔らかになり、葉が出て 来ると、
夏の近いことが分かる。
三三・そのように、お前たちもこれらのことの全てに気付いたら、それが戸口まで来て
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
いると知れ。
じょうじゅ
三四・真実に、お前たちに言う。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代
は決して過ぎ去らない。
じょうじゅ
三五・この天地は過ぎ去る。しかし、わたしのことばが(成就せずに)過ぎ去ることは
決してない。
三六・しかし、その(成就の)日と時がいつであるかは、だれも知らない。天の御使い
たちも子も知らない。ただ父だけが知っておられる。
だいこうずい
三七 ・ なぜならば、この人の子の現れの日も、ちょうど、ノアの日のようであるからだ。
三八・大洪水の前の日々、ノアが箱舟に入った日に至るまで、人々は、食べたり、飲ん
だいこうずい
だり、めとったり、とついだりしていた。
三九・そして、大洪水が来て全ての物をさらってしまうまで、彼らは分からなかったの
だ。実に、この人の子の現れ(の日)も、そのようになる。
うす
四〇・そのとき、畑に二人いたとする。すると、一人は取り去られ、一人は残される。
四一・ 二人の人が臼をひいていたとする。すると、一人は取り去られ、一人は残される。
四二・だから、目をさましておれ。お前たちは、自分の主がいつ来られるか、知らない
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
からだ。
四三・しかし、お前たちはこのことを知っている。家の主人は、どろぼうが夜の何時に
そな
来 る と 分 か っ て い た な ら 、 眠 ら ず に 見 張 っ て い る こ と だ ろ う 。 ま た、 自 分 の 家 が 破 ら れ
ることを許しはしないだろう。
四四・このことのゆえに、お前たちも備えておれ。なぜならば、お前たちが考えもしな
い時に、この人の子は来るからである。
◎マルコ一三章
せんみん
たと
やわ
二七 ・ そのとき、彼〈この人の子〉は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、
四方からその選民を集める。
二八・イチジクの木から、喩えを学べ。枝が柔らかくなり、葉が出て来ると、夏の近い
ことをあなたがたは知る。
二九・そのように、お前たちは、これらのことが起こるのを見たら、彼〈この人の子〉
が戸口まで近づいていると知れ。
三〇・真実に、お前たちに告げる。これらのことの全てが起きてからでなければ、この
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
時代は過ぎ去らない。
ほろ
三一・この天と地は滅びる。しかし、わたしのことばは決してすたれない。
さ
三二・しかし、その日、その時については、だれも知らない。御父以外に、天の御使い
たちもこの子も知らない。
ちじょう さいりん
三三・気を付けていよ。目を覚ましておれ。その時がいつであるか、お前たちは知らな
いからだ。
かんなんじだい
ばんしょう
ゆ
うご
いじょうげんしょう
患難時代が始まったならば、主イエス・キリストが地上再臨される前に、「太陽は暗く
なり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされる」という異常現象
が 起こ り、 さ ら に「こ の 人 の 子 の し る し が 天 に 現れ る 」 ので、「 地 上 の あ ら ゆ る 種 族 は
ともな
ちじょう
胸を打って悲し」みます。そして世界中の人々が、「この人の子が大能と大いなる栄光を
さいりん
せま
めいりょう
ふる
伴 って天の雲に乗って来るのを見る」のです。それで、世界中の人々は主イエスの地上
再臨が迫って来ていることを明瞭に知り、震えおののくのです。ところがマタイの福音
書第二十四章四十二節で主イエスは、
「お前たちは、自分の主がいつ来られるか、知らな
い か ら だ。」と 語 って お ら れ ます。 第 三 十 二 節 か ら 第 四 十 四 節 まで を よ く 注 意 して 読む
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
ちじょう さいりん
くう ちゅう さいりん
かんなんじだい
な ら ば 、 第 三 十 七 節 の「 こ の 人 の 子 の 現 れ の 日 」 は 患 難 時 代 の 終 わ り に あ る キ リ ス ト の
かんなんじだい
(もちろん空 中 再臨のことでもなく)主イエス・キリスト
地 上 再 臨 を 意 味 し て お ら ず、
が世界に対するさばきを始められる日、すなわち 患難時代が始められる日を意味してい
ることが分かります。それを言葉を多くして表現すると、
「お前たちは、人の子が世界に
対するさばきを開始するために、いつさばきの場に現れるかを知らないからだ。」になり
ます。
◎ルカ二一章
あがな
二八・これらのことが起こり始めたなら、しっかりと身を起こし、お前たちの頭を上げ
たと
」
て上を見よ。なぜなら、お前たちの贖いの日が近づいているからである。
「いちじくの木、及び全ての木を見よ。
二九・それからイエスは彼らに喩えを語られた。
さと
三〇・すでに木が芽を出しているならば、お前たちはそれを見て、夏がすでに近くに来
ていると自分で悟れ。
さと
三一・このようにお前たちも、これらの出来事を見たならば、神の国が近くに来ている
と悟れ。
47
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
三二・真実にお前たちに言う。この時代が終わるまでに、
これらのこと全ては必ず起きる。
めいてい
でいすい
しんぱいごと
い き そ そ う
三三・天と地は必ず過ぎ去る。しかし、わたしのことばは決して過ぎ去らない。
わな
とつじょ
おそ
三四、三五・お前たちの心が、酩酊と泥酔とこの世の心配事によって意気阻喪してしまい、
とつぜん
おそ
そのためにその日が、罠のように突如、お前たちを襲うということが決してないように、
自 分 自 身 に 注 意 せ よ。 そ れ は 、 全 地 の 表 に 住 ん で い る 者 全 て の 上 に、 必 ず 、 突 然 に 襲 い
かかるからである。
さ
三六・それで、お前たちは、これらのやがて起こるべき出来事の全てを逃れることがで
き、この人の子の前に立つことができるように、常に目を覚まして祈っておれ。」
おそ
めいりょう
ルカの福音書第二十一章二十八節から三十六節までは、「その日」が「全地の表に住ん
あがな
でいる者全ての上に、必ず、突然に襲いかかる」さばきの日のことであると明瞭に語っ
ゆる
ています。そして、主イエスは、その「日(期間)
」の後すぐに「贖いの日」が来て、イ
スラエル民族が罪を赦され、神の国、千年王国に入ることが許されると語られました。
さいりん
くうちゅうさいりん
かんなんじだい
こ の よ う に マ タ イ の 福 音 書 第 二 十 四 章、 マ ル コ の 福 音 書 第 十 三 章、 ル カ の 福 音 書 第
二十一章が語っているキリストの再臨は、空 中 再臨ではなく、患難時代の終わりにある
48
Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
ちじょうさいりん
地上再臨のことであるのです。
結論
一・ ま ず 教 会 時 代 の 終 わ り に﹁ 空 中 再 臨 ﹂ が あ り、 そ の 後 に し ば ら く の 期 間 が あ り、
それから﹁患難時代﹂が始まる。︵これについてはこの後に詳しく説明します。︶
二・﹁患難時代﹂が始まる前に偽キリストが現れ、全世界を支配する。
三・そして、多くのイスラエル人も偽キリストを自分たちのメシヤ︵救世主︶として受
け入れる。
四・患 難 時 代 は 七 年 間 で 、 そ の 期 間 は 全 世 界 に 神 か ら の 怒 り が 注 が れ る 非 常 な 苦 し み の
時代である。その期間は、前半と後半の二つに分かれており、特に後半はかつて誰も経
験したことがないほどの恐ろしい苦しみの時である。
五・患 難 時 代 は 、 偽 キ リ ス ト を 支 配 者 と し て 受 け 入 れ た 世 界 に 対 す る 神 の 復 讐 が 行 わ れ
る期間である。それに対して、偽キリストは、神を信じる者たちを激しく憎み、迫害する。
そ れ で、 そ の 期 間 は、 神 を 信 じ る 者 た ち に と っ て は 大 試 練 の 時 で あ る。 同 時 に、 そ の 期
間の苦しみによって神はイスラエル人に悔い改めて神に立ち返るよう促される。
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Ⅲ・マタイの福音書第二十四章とマルコの福音書第十三章と
ルカの福音書第二十一章で主イエスは何を語られたのか?
六・患難時代の終わりにキリストが千年王国の王としてこの地上に再臨される。そして、
偽キリストと偽預言者をさばき、この悪の世界をおさばきになる。
七・このようにして、この地上に千年間の神の国が実現される。
50
Ⅳ・千年王国とは?
Ⅳ・千年王国とは?
おおやけ
く
あらた
主イエス・キリストが御自分を公に現される前、バプテスマのヨハネが現れ、「悔い改
ゆる
めよ。天の御国が近づいているからだ。
」
(マタイ三 二
「天の御国」の
: )と叫びました。
か
「天」は、「神」の代名詞ですので、神に置き換えることができます。ですから「天の御国」
は、マルコの福音書の「神の国」と同じ意味です。
さて、私たちも福音伝道メッセージで、キリストを信じる者が罪の赦しをいただき、天
こんどう
国 で 永 遠 に 生 き る こ と が で き る と 語 り ま す。 そ れ で 、 ク リ ス チ ャ ン の 中 に は 福 音 書 の 中
に記されている「天の御国」とキリスト信者の希望である「天国」とを混同している人々
へ
もあります。それで、「天の御国」の本当の意味が何であるかをここで明らかにしておく
べきであると考えます。
(使
使徒パウロは「私たちが神の御国に入るまでには多くの困難を経なければならない」
徒一四 二
: 二、 Ⅰ コ リ ン ト 六 一
: 〇、ガラテヤ五 二
: 一、エペソ五 五
: )と 教 え ま し た。
こ れ ら の 節 が 語 っ て い る「 神 の 国 」 と 、 私 た ち の 福 音 伝 道 メ ッ セ ー ジ の「 天 国 」 と は 同
じ意味です。
51
Ⅳ・千年王国とは?
さて、旧約聖書の創世記を読むならば、神がアブラハムに、カナンの地を彼の子孫に永
けいやく
おお
遠の所有の地として与えると約束されたことが分かります。
『わたしはあなたの子孫に、この地
「その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。
を 与 え る。 エ ジ プ ト の 川 か ら 、 あ の 大 川、 ユ ー フ ラ テ ス 川 ま で 。 ケ ニ 人、 ケ ナ ズ 人、 カ
デ モ ニ 人、 ヘ テ 人、 ペ リ ジ 人、 レ フ ァ イ ム 人、 エ モ リ 人、 カ ナ ン 人、 ギ ル ガ シ 人、 エ ブ
ス人を。』」(創世記一五 一
: 八~二一)
さらに、神はダビデ王に彼の子孫のひとりを永遠の王座に着かせると約束されました。
よ
つ
「 あ な た の 日 数 が 満 ち 、 あ な た が あ な た の 先 祖 た ち と と も に 眠 る と き 、 わ た し は、 あ な
かた
たの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわ
た し の 名 の た め に 一 つ の 家 を 建て、わ た し は そ の 王 国 の 王 座 を と こ し え まで も 堅 く 立て
る。」(Ⅱサムエル七 一
: 二、一三)
よげんしゃ
ま た 神 は イ ザヤ を 始 め 多 く の 預 言 者を 通 して ダ ビ デ 王 の 子 孫 の 中 か ら メ シヤ が 起こ さ
よげんしゃ
よげん
れ、そのメシヤによって神の約束が実現されることを語られました。
まぼろし
預言者ダニエルも次のように預言しました。
「 私 が ま た、 夜 の 幻を 見て い ると、 見 よ、 人 の 子 の よ う な 方 が 天 の 雲 に 乗 って 来ら れ、
52
Ⅳ・千年王国とは?
へ
みちび
しゅけん
しゅけん
しゅけん
年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。この方に、主権と光栄と国が与えられ、
諸民、
ほろ
諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、
しゅけん
過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。」(ダニエル七 一
: 三、一四)
けんい
「 国 と 、 主 権 と 、 天 下 の 国 々 の 権 威 と は 、 い と 高 き 方 の 聖 徒 で あ る 民 に 与 え ら れ る。 そ
かぎ
くさり
の御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。」(ダニエル七 二
: 七)
よげん
そして、聖霊は使徒ヨハネにこの神の国の実現を黙示録の中で次のように預言させられ
ました。
りゅう
へび
ほばく
「そして私は、一人の御使いが、底知れぬ穴の鍵と大きな鎖とを手に持って、天から下っ
て来るのを見た。そして彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕縛した。そ
ふういん
まど
し て そ れ を 千 年 間、 拘 束 し た。 そ し て 御 使 い は 彼 を 底 知 れ ぬ 穴 に 投 げ 込 ん だ 。 そ し て 彼
わず
の 上 を 閉 じ 、 封 印 し た。 そ れ は 彼 に、 千 年 間 が 終 わ る ま で 、 諸 国 の 民 を 惑 わ す こ と を で
きなくするためであった。サタンは、それらの事の後、僅かの間だけ、解き放されるこ
ゆだ
あかし
と に な っ て い る。 そ し て 、 私 は 、 多 く の 座 を 見 た。 そ し て 彼 ら は そ れ ら の 上 に 座 っ た。
ひたい
そして彼らにさばきが委ねられた。そして私は、イエスの証と神のことばとのゆえに首
を は ね ら れ た 人 た ち の た ま し い を 見 た。 実 に、 彼 ら は 獣 や そ の 像 を 拝 ま ず 、 そ の 額 や 手
53
Ⅳ・千年王国とは?
こくいん
に獣の刻印を押されなかった人たちである。彼らは生き返って、キリストと共に、千年間、
王となった。そのほかの死者たちは、千年が終わるまで、生き返らなかった。これが第
一 の 復 活 で あ る。 こ の 第 一 の 復 活 に あ ず か る 者 た ち は 幸 い で あ り、 聖 な る 者 で あ る。 こ
の 人 々 に 対 し て は 、 第 二 の 死 は 、 何 の 力 も 持 っ て い な い。 彼 ら は 神 と キ リ ス ト と の 祭 司
となる。そして、キリストと共に、千年の間王として支配する。
」
(黙示録二〇 一
: ~六)
かんなんじだい
このように私たちは、患難時代の後に千年間キリスト御自身が王として支配されるすば
らしい「神の御国」が実現されることを知ります。この千年王国の実現は、神がアブラ
ハ ム と 約 束 さ れ た こ と で あ り、 ま た ダ ビ デ と も 固 く 約 束 さ れ た こ と で す 。 そ れ に は 神 の
あやま
御 名 が か け ら れ て い ま す。 で す か ら 必 ず 実 現 さ れ な け れ ば な ら な い こ と な の で す。 ク リ
おか
ス チ ャ ン の 中 に は 無 千 年 王 国 を 唱 え る 人 々 も あ り ま す が、 そ の 人 々 は 非 常 に 大 き な 誤 り
を犯していることに気が付くべきです。
結論
一・ 神 が ア ブ ラ ハ ム に 約 束 さ れ た と お り、 イ ス ラ エ ル の 民 に パ レ ス チ ナ の 地 を 所 有 さ せ、
豊かに祝福をお与えになる時が必ず実現される。
54
Ⅳ・千年王国とは?
二・それは地上において、主イエス・キリストが王となられて支配される神の国である。
三・それは患難時代の後に実現され、千年間である。
四・千年王国が実現される時、それ以前に、肉体的に死んだ聖徒たちで、キリストの教会
に 属 す る 聖 徒 た ち 以 外 の す べ て の 聖 徒 た ち が、 ︱︱ 旧 約 の 時 代、 す な わ ち ア ダ ム 以 来、
教会時代が始まるまでの期間中、また空 中 再臨で教会時代が終わってから患難時代が終
わるまでの期間中に肉体的に死んだすべての聖徒たちが︱︱よみがえらされる。彼らは
よみがえって千年王国に入り、キリストと共に千年間、王として世を支配する。
五・千年王国が終わった後、神は新しい天と地を創造される。
55
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
かんなんじだい
さて、私たちは、ここで患難時代に何が起こるのか、どのような事件があるのかについ
まぼろし
て学ばなければなりません。この学びのためにはヨハネの黙示録を開かなければなりま
せん。ヨハネの黙示録は、使徒ヨハネが幻の中で主イエスによって、「お前は見たこと〈複
数〉
、そして今あること〈複数〉
、そしてこれらのことの後に起ころうとしていること〈複
数〉を書き記せ。」(一 一九)と命じられて 著したものです。それで、第一章は「お前
:
は見たこと〈複数〉
」であり、第二章、第三章は、「今あること〈複数〉
」で、教会に関す
かんなんじだい
ることであり、第四章以降が「これらのことの後に起ころうとしていること〈複数〉
」な
のです。しかし、患難時代について語っている章は第六章から第十六章までと、第十九
そうにゅう
ふういん
ふういん
章 十 一 節 か ら 第 十 九 章 の 終 わ り ま で で す。 第 十 七 章 か ら 第 十 九 章 十 節 ま で は バ ビ ロ ン に
かんなんじだい
対するさばきについての記事の挿入です。
ふういん
「 小 羊 」 が 御 座 に 座 っ て お ら れ る 御 方 の 右 の 手 か ら、 七 つ の 封 印 で 封 印 さ
患 難 時 代 は、
ふういん
かんなんじだい
れた巻き物を受け取り、その封印を一つずつ解く時から始まります。
第一の封印が解かれると、すなわち患難時代が始まると白い馬が出て来て、勝利の上に
56
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
ふういん
にせ
にせ
うば
さらに勝利を得ようとします。それは 偽キリストによる偽の正義の勝利です。
さつりく
にせ
にせ
はたん
こん
第二の封印が解かれると赤い馬が出て来ます。そして、地上から平和が奪い取られ、人
らん
けいざいてきこんらん
しょみん
間同士の殺戮が行われ ます。 偽キリ ストによる偽の平和はす ぐに破綻を 来し、世界は混
ふういん
乱に巻き込まれます。
う
しはいかいきゅう
しょくりょう
しょみん
う
第三の封印が解かれると、黒い馬が出て来ます。非常な経済的混乱が生じ、一般庶民が
じじょう
かんなんじだい
ふゆうそう
食 糧 不 足 で 飢 え ま す。 支 配 階 級 に は 十 分 に 食 料 が あ る の に 多 く の 庶 民 が 飢 え て い る 現 在
ひしはいかいきゅう
が
し
にせ
の 北 朝 鮮 の 事 情 が 世 界 的 に な る の で す 。 患 難 時 代 が 始 ま れ ば、 中 国 の 富 裕 層 は 全 く 困 り
どくさいたいせい
けっかん
ばくろ
ま せ ん が、 国 民 の 大 部 分 が 属 す る 被 支 配 階 級 の 人 民 の 多 く は 餓 死 す る で し ょ う。 偽 キ リ
ふういん
ストによる独裁体制の欠陥が暴露されます。
ないらん
ききん
しびょう
第 四 の 封 印 が 解 か れ る と、 青 ざ め た 馬 が 出 て 来 ま す。 そ れ に よ っ て 地 上 の 四 分 の 一 が
つるぎ
げきへん
もうじゅう
う
おそ
剣、すなわち 戦争、内乱によって、また飢饉と死病によって 殺されます。その上、恐ら
ふういん
あかし
く気候の激変によって野生の猛獣が飢えて、人家を襲い、非常に多くの人々を殺します。
ふくしゅう
にせ
第 五 の 封 印 が 解 か れ る と、 神 の み こ と ば を 信 じ る 信 仰 と 真 理 を 証 し た た め に 殺 さ れ た
だいはくがい
人々 が神に復讐を 求めて 叫びます。すなわち、 偽キリ ストが、神のみことばを 信じる者
たちに対して大迫害を行います。
57
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
ふういん
だい じ し ん
しょうわくせい
ふんえん
第 六 の 封 印が 解かれ ると 大 地 震 が 起き、 太 陽 は 黒 く な り、 月 の 全 面 が 真 っ 赤 に な り ま
いよう
げんしょう
す。そして多くの星が地球に落下します。多くの小惑星の落下によって噴煙が立ち上がり、
かんなんじだい
かんなんじだい
異様な現象が引き起こされるのでしょう。それで人々は、神の怒りの日が来たことを知り、
恐れおののきます。
ここまでは、まだ患難時代が始まったばかりです。ヨハネの黙示録第七章は、患難時代
の 前 半 の 三 年 半 の 途 中 で 、 次 の 非 常 に 不 思 議 な こ と が あ る と 語 っ て い ま す。 イ ス ラ エ ル
人 の 中 か ら 十 四 万 四 千 人 が 救 い 出 さ れ 、 異 邦 人 の あ ら ゆ る 民 族、 部 族 の 中 か ら も 数 え 切
かんなんじだい
れ な い ほ ど 多 数 の 人 々 が 患 難 の 中 か ら 引き 出 さ れ て、 神 の 御 座 の 前で 神 様 を 礼 拝 す る の
かんなんじだい
です。この人々が信仰を持ったのはいつでしょうか。この人々の中の多くは患難時代が
くうちゅうさいりん
始まる前からの信仰者であると考えるべきです。なぜならば、この時は患難時代が始まっ
たばかりであるからです。空 中 再臨の時点でキリストを信じている者はすべて、天に引
き 上 げ ら れ て し ま い ま す。 そ れ で 、 地 上 に は キ リ ス ト 信 者 は 一 人 も い な く な っ て し ま い
ます。その時から、
聖霊による救霊の新たな御働きが始められるのです。その御業の結果、
かんなんじだい
けいけん
世 界 中 の あ ら ゆ る 民 族 の 中 か ら 数 え 切 れ な い ほ ど 大 勢 の 者 が キ リ ス ト を 信 じ、 来 る べ き
さばきから救い出されるのです。この人々は、しばらくの間だけ患難時代を経験します。
58
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
さて、この人々は何者でしょうか。
めいりょう
くべつ
くべつ
こ の 人 々 は キ リ ス ト の 教 会 に 属 し て は い ま せ ん。 こ の 群 れ に は イ ス ラ エ ル 人 と 異 邦 人
と の 明 瞭 な 区 別 が あ り ま す 。 教 会 の 中 に は、 異 邦 人 と イ ス ラ エ ル 人 の 区 別 は あ り ま せ
じゅんきょうしゃ
はくがい
ん。 教 会 に 属 し て い る 者 は 、 キ リ ス ト に あ っ て 一 体 で す 。 ま た、 こ の イ ス ラ エ ル 人 た ち
は 殉 教 者 で は あ り 得 ま せ ん。 迫 害 す る 者 が 、 殺 さ れ る 者 の 数 を イ ス ラ エ ル の 各 部 族 か ら
せんさく
一 万 二 千 人 ず つ 選 ぶ は ず が な い か ら で す 。 異 邦 人 も 同 様 で す 。 こ の 人 々 は、 地 上 か ら 引
けいきょ
けいきょ
くう ちゅう さいりん
き 出 さ れ 天 に い ま す 。 私 た ち は、 神 が 明 ら か に し て お ら れ な い こ と を 、 こ れ 以 上 詮 索 す
べきではありません。私たち は、教会の携挙後にも、(携挙とは、空 中 再臨の時、キリ
ふういん
こう
スト信者が天に引き上げられることです。
)たましいを救う神の恵みの御業があるという
ふういん
ことを知って、神を賛美するのみです。
ろ
さいだん
七つある封印のうちの最後、第七の封印が解かれます。するとひとりの御使いが金の香
ま
ひょう
炉 を 祭 壇 の 火 で 満 た し、 地 に 投 げ つ け ま す 。 す る と ラ ッ パ を 持 っ た 七 人 の 御 使 い が 現 れ
ます。
そのうちの第一の御使いがラッパを吹き鳴らします。すると血の混じった雹と火とが地
に向けて投げられ、地上の三分の一が焼け、樹木の三分の一、青草の全部が焼けてしま
59
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
だいしょくりょうなん
とうらい
います。大食糧難が到来することには間違いありません。
第二の御使いがラッパを吹き鳴らします。すると火の燃えている大きな山のようなもの
はかい
けいざい
が海に投げ込まれ、海の三分の一が血で真っ赤になり、海の生物の三分の一が死に、舟
こんらん
の 三 分 の 一 が 破 壊 さ れ ま す。 ど の 店 に 行 っ て も 魚 を 買 え な く な り ま す。 経 済 の 世 界 的 大
混乱が起きるに違いありません。
しょうとつ
おせん
第三の御使いがラッパを吹き鳴らします。すると燃えている大きな星が天から降って来
ひげき
て 地 球 に 衝 突 し、 そ の 破 片 が 世 界 中 の 水 源 に 落 下 し、 川 の 三 分 の 一 を 汚 染 し ま す 。 そ の
ために多くの人々が死にます。実に恐るべき悲劇です。
第四の御使いがラッパを吹き鳴らします。すると太陽、月、星の三分の一が打たれ光を
ひげき
失います。そのために世界中が凍り付くに違いありません。気候の大激変が起こります。
なお悲劇は続きます。
第五の御使いがラッパを吹き鳴らします。するとある星が地上に落ちます。そしてその
くつう
いんそつ
星 が 底 知 れ ぬ 穴 を 開 き ま す 。 そ の 穴 か ら 特 殊 な 「 い な ご 」 が 飛 び 出 し、 五 ヶ 月 間 人 々 に
くつう
はげ
非常な苦痛を与えます。この「いなご」は悪霊の中の大悪霊に引率された、人類が未だ
か つ て 見 た こ と も な い も の で す 。 こ の「 い な ご 」 が 与 え る 苦 痛 の あ ま り の 激 し さ で 人 々
60
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
は死を願うのですが、自殺さえできないのです。
だらく
こうそく
第六の御使いがラッパを吹き鳴らします。すると、かつて御使いであったのにサタンと
共 に 神 に 反 逆 し て 堕 落 し た 四 人 の 御 使 い が、 こ の 時 ま で ユ ー フ ラ テ ス 川 の ほ と り に 拘 束
きへい
きへい
そうぞう
こ
さ れ て い た の で す が 解 放 さ れ、 人 類 の 三 分 の 一 を 殺 す こ と が 許 さ れ ま す。 こ の 御 使 い た
きみょう
ち は 、 無 数 の 恐 る べ き 「 騎 兵 」 を 世 界 に 放 ち ま す 。 そ の「 騎 兵 」 も 人 の 想 像 を 超 え た 特
きみょう
殊 な も の で す 。 こ れ ら の 奇 妙 な も の た ち は 、 す べ て 、 現 代 の 人 間 が 仲 良 く し て い る、 あ
く
る い は 拝 ん で い る サ タ ン と そ の 子 分 の 悪 霊 に よ っ て 作 り 出 さ れ る も の で す。 こ の 奇 妙 な
あらた
も の た ち が サ タ ン の 作 品 で あ る こ と を 知 っ て も、 な お 人 々 は 偶 像 を 拝 み 続 け、 罪 を 悔 い
けいじ
改めようとしません。この時、地球上の人類の数は、元の四分の一以下になっています。
かんなんじだい
ヨハネの黙示録第十章は、使徒ヨハネにこれらの啓示を与える強い御使いのヨハネ個人
せいじょ
へのメッセージですので、ここでは説明を省きます。
せい
第十一章は、その時エルサレムの都に神の聖所があり、患難時代の中でも、そこで神を
じょ
せいじょ
くうちゅうさいりん
かんなんじだい
礼 拝 し て い る 人 々 が い る こ と を 明 ら か に し て い ま す。 現 在 の エ ル サ レ ム の 都 に は 神 の 聖
所はありません。ですからこの神の聖所は、空 中 再臨の後、患難時代が始まるまでに再
建されたものであるに違いありません。
61
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
よげん
あかし
よげんしゃ
また、このエルサレムの都で、千二百六十日間、
(これは三年半です。
) 二 人 の 預 言者が
預言し続けますが、彼らの証の期間が終わった時、「底知れぬ所から上って来る獣」がこ
だい じ し ん
の二人を殺します。しかし、この二人は三日半後によみがえらされ、雲に乗って天に上
にせ
にせ
ります。その時、大地震が起こり、都の十分の一が倒れて七千人が死にます。
じゅうりん
よげんしゃ
あかし
この「底知れぬ所から上って来る獣」と言われる者は、 偽キリストです。 偽キリストは、
かんなんじだい
かんなんじだい
そ の 後 エ ル サ レ ム の 都 を 三 年 半 の 間 蹂 躙 し ま す。 で す か ら、 二 人 の 預 言 者 が 証 す る の は
七年間の患難時代の前半であることが分かります。
かんなんじだい
せつしょ
最 後 の ラ ッ パ が 吹 き 鳴 ら さ れ ま す。 そ れ で 、 こ こ か ら、 い よ い よ 患 難 時 代 の 後 半 の 大
くわ
患難時代が始まるのです。
第十二章は、(この事の詳しい説明を知りたい方は、どうぞ拙書「ヨハネの黙示録各節
注解」
〈エマオ出版発行〉をお読みください。
)千年王国に入るように選ばれて いるイス
しはいけん
うば
ラエルの民が三年半の間、荒野の特殊な場所にかくまわれることが語られています。そ
して、 そ れ まで「こ の 世 の 神 」 と 呼 ば れ て き た サ タ ン が 宇 宙 の 支 配 権 を 奪わ れ て、 地 上
はくがい
だいかんなん
じゅんきょう
に 投 げ 落 と さ れ る こ と が 語 ら れ て い ま す。 そ れ で 、 サ タ ン は 地 上 で 聖 徒 たち に 対 し て 大
迫害を行います。この大患難の期間に大勢の聖徒が殉教します。
62
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
ごうまん
だいかんなん
にせ
けんい
あ
第十三章から大患難が始まります。サタンは「獣」、すなわち 偽キリ ストに自分の権威
い
を与え、傲慢なことを言わせます。この「獣」こそ、ダニエル書第九章二十七節の「荒
ごうまん
らす忌むべき者」であるのです。
けんい
「 こ の 獣 に 傲 慢 な 、 そ し て 神 を け が す こ と を 言 う 口 が 与 え ら れ た。 そ し て 彼 に 四 十 二 ヶ
ぼうとく
月(三年半)活動する権威が与えられた。そして 彼は、神の御名と、その幕屋、すなわ
ち、天に住む者たちをののしり、神を冒涜するために彼の口を開いた。そして彼は、聖
けんい
徒たちに対して戦いを仕掛け、そして彼らに勝つことが許された。そして、あらゆる部族、
民族、国語、国民を支配する権威が与えられた。そして地に住んでいる者で、ほふられ
た小羊のいのち の巻物に、世の初めからその名が書きしるされていない者はみな、彼を
拝む。
」
(黙示録一三 五
: ~八)
神 は、 神を 捨て て サ タ ン に 服 従 して き たこ の 世 に、 彼 ら が 自 分 たち の 神と して 選 ん だ
だま
サ タ ン が ど の よ う に 恐 ろ し い も の で あ る か を 味 わ わ せ ら れ ま す 。 こ の 世 は、 自 分 た ち を
ひげき
幸せにしてくれると思ったサタンが、実は自分たちをゲヘナに道連れにするために騙し、
にせ よ げ ん し ゃ
にせ
自分たちを恐るべき悲劇へと引き込んだのだと分かるでしょう。
この後に、偽預言者が現れ、 偽キリストの偶像を作り、それを人々に拝ませ、拝んだ者
63
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
ひたい
せいじょ
さいがい
たずさ
の 右 の 手 か 額 か に 六 百 六 十 六 と い う 数 字 を 書 き 込 み ま す 。 そ の 数 字 が な け れ ば、 物 を 買
かんなんじだい
うことも売ることもできなくさせます。
いよいよ患難時代の終わりが来ます。その時、天にある神の聖所から七つの災害を携え
た 七 人 の 御 使 い が 出 て 来 ま す。 そ の 各 々 が 神 の 激 し い 怒 り で 満ち た 金 の 鉢 を 持 っ て い ま
す。
は
もの
第一の御使いが鉢を地に向けてぶちまけます。すると「獣」の像を拝む者たちにひどい
悪性の腫れ物ができます。
第二の御使いが鉢を海にぶちまけます。すると海は死者の血のような血になり、海中の
すいげん
生物の全てが死んでしまいます。
第三の御使いが鉢を川と水源にぶちまけます。するとそれらが血になってしまいます。
にせ
第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけます。すると太陽が火で人々を焼きます。
か
か
第五の御使いが鉢を獣、すなわち 偽キリストの座にぶちまけます。すると獣の国は暗く
なり、人々は苦しみのあまり、自分の舌を噛みます。
そな
第六の御使いが鉢をユーフラテス川にぶちまけると水が涸れてしまい、東方から来る軍
隊 の た め に 道 が で き ま す 。 そ し て 悪 霊 ど も は、 真 の 神 に 対 す る 戦 い に 備 え て 世 界 中 か ら
64
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
くうちゅう
軍隊をエルサレムの北西部にあるハルマゲドンの平野に集めます。
にせ
さ
だい じ し ん
第七の御使いが鉢を空中にぶちまけます。すると未だかつてなかったほどの大地震が起
ひょう
こ り、 偽キリ ストの首都バビロンが三つに裂かれ、町々が倒れ、三十五キログラ ムほど
ある雹が天から降ってきます。
ふ
その時、主イエスは、白い馬に乗った天にある軍勢を引き連れ、御自身も白い馬に乗っ
て天から下って来られます。そして、
「全能者でいます神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれ」
(黙示録一九 一
: 五)ます。
「主が出て来られる。決戦の日に戦うように、
それらの国々と戦われる。その日、
主の足は、
くさ
くさ
エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。」(ゼカリヤ書一四 三
: 、四)
さいがい
「 主 は 、 エ ル サ レ ム を 攻 め に 来 る す べ て の 国 々 の 民 に こ の 災 害 を 加 え ら れ る。 彼 ら の 肉
くさ
だいきょうこう
をまだ足で立っているうち に腐らせる。彼らの目はまぶたの中で腐り、彼らの舌は口の
中で腐る。その日、主は、彼らの間に大恐慌を起こさせる。彼らは互いに手でつかみ合い、
互いになぐりかかる。
」
(ゼカリヤ書一四 一
: 二、一三)
「そして私は、獣と地上の王たちとその軍 勢が集まり、馬に乗っておられる方とその方
の軍 勢に対して戦いを仕掛けるのを見た。すると、その獣は捕らえられた。また、獣の
65
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
まど
にせ よ げ ん し ゃ
い
前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝んでいる者たちと
おう
を 惑 わ し た あ の 偽 預 言 者 も 、 彼 と い っ し ょ に 捕 ら え ら れ た。 そ し て 、 こ の ふ た り は 、 硫
つるぎ
黄の燃えている火の池に、
生きているまま投げ込まれた。そして残りの者たちも、
馬に乗っ
て お ら れ る 御 方 の 口 か ら 出 て い る 剣 に よ っ て 殺 さ れ た。 そ し て 全 て の 鳥 が 彼 ら の 肉 で 満
りゅう
へび
ほばく
ち足りた。
」
(黙示録一九 一
: 九~二一)
かぎ
くさり
「そして私は、一人の御使いが、底知れぬ穴の鍵と大きな鎖とを手に持って、天から下っ
て来るのを見た。そして彼は、悪魔でありサタンである竜、あの古い蛇を捕縛した。そ
ふういん
まど
し て そ れ を 千 年 間、 拘 束 し た。 そ し て 御 使 い は 彼 を 底 知 れ ぬ 穴 に 投 げ 込 ん だ 。 そ し て 彼
わず
の 上 を 閉 じ 、 封 印 し た。 そ れ は 彼 に、 千 年 間 が 終 わ る ま で 、 諸 国 の 民 を 惑 わ す こ と を で
きなくするためであった。サタンは、それらの事の後、僅かの間だけ、解き放されるこ
とになっている。
」
(黙示録二〇 一
: ~三)
結論
一・患 難 時 代 と は 、 悪 魔 が 遣 わ し た 偽 の キ リ ス ト を 受 け 入 れ た こ の 世 に 対 し て 神 が 激 し
く怒られ、 偽キリストとこの世を徹底的にさばかれる期間である。
66
Ⅴ・患難時代に何が起きるのか?
二・ キ リ ス ト を 十 字 架 に 付 け た 民 族 で あ る イ ス ラ エ ル 人 の 子 孫 の 中 の 信 仰 者 た ち の 多
く は、 患 難 時 代 の 中 で、 偽 キ リ ス トに よ っ て 迫 害 さ れ、 殺 さ れ ま す。 し か し、 彼 ら は
患難時代が終わり、千年王国が実現された時、よみがえらされます。
三・主イエスがマタイ第二十四章、マルコ第十三章、ルカ第二十一章で預 言されたこと
はこの患難時代の期間中に起こることである。この期間には、﹁その時、世の初めから、
今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難
がある。
︵マタイ二四 二: 一︶﹂しかし、この七年間の患難時代の後に千年王国が実現される。
それゆえ、主イエスは﹁最後まで耐え忍ぶ者は、必ず救われる。﹂︵マタイ二四 一: 三︶と
仰せられた。
67
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれている偽キリストとはどのような人物なのか?
この事を学ぶためには黙示録第十七章七節から十四節までと、ダニエル書第七章十七節
から二十七節までとを学ばなければなりません。
黙示録第十七章七節から十四節まで
ひ ぎ
ひ ぎ
七・そして、御使いは私に言った。「あなたは、なぜ驚いたのか。私は、あなたに、こ
の女の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持っている獣の秘義とを話そう。
はめつ
八・あなたの見た獣は、昔いたが、今はいない。しかし、やがて底知れぬ穴から上って
来る。そして彼は破滅に向かって行く。地上に住んでいる者たちで、世の初めからいの
ち の 書 に 名 を 書 き 記 さ れ て い な い 者 は、 そ の 獣 が、 昔 は い た が、 今 は お ら ず、 や が て 現
ち
え
れるのを見て驚く。
九・ここに知恵を持った心が(必要)である。七つの頭とは、この女が座っている七つ
の山であり、七人の王たちのことである。
とど
一〇・その五人はすでに倒れた。一人は今いる。もう一人はまだ来ていない。しかし彼
が来れば、しばらくの間だけ留まることになっている。
68
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
はめつ
一一・そして、昔いたが今はいない獣とは、八番目の王のことであり、また先の七人の
うちの一人である。その男は、破滅に向かって行く。
けんい
一二・そして、あなたが見た十本の角は、十人の王たちのことである。彼らは、まだ国
けんい
を受けてはいない。しかし彼らは獣とともに、一時の間、王としての権威を受ける。
一三・これらの者どもは、心を一つにして、彼らの力と権威とをその獣に与える。
一四・これらの者どもは小羊に対して戦う。しかし、
小羊は彼らに打ち勝つ。なぜならば、
小羊は主の中の主、王の中の王だからである。また彼とともにいる者たちは、召された者、
選ばれた者、忠実な者だからである。」
ダニエル書第七章十七節から二十七節まで
つ
一七・
「これら四頭の大きな獣は、地から起こる四人の王である。
一八・しかし、いと高き方の聖徒たちが、国を受け継ぎ、永遠に、その国を保って世々
限りなく続く。」
くだ
一九・それから私は、第四の獣について確かめたいと思った。それは、ほかのすべての
獣と異なっていて、非常に恐ろしく、きばは鉄、爪は青銅であって、食らって、かみ砕いて、
69
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
ふ
その残りを足で踏みつけた。
二〇・その頭には十本の角があり、もう一本の角が出て来て、そのために三本の角が倒
れた。その角には目があり、大きなことを語る口があった。その角はほかの角よりも大
きく見えた。
へ
二一・私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。
つ
二二・しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒た
ちのために、さばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。
ふ
くだ
二三・彼はこう言った。「第四の獣は地に起こる第四の国。これは、ほかのすべての国
と異なり、全土を食い尽くし、これを踏みつけ、かみ砕く。
ほろ
つ
二 四・十 本 の 角 は、こ の 国 か ら 立 つ 十 人 の 王。 彼 ら の あと に、 も うひ と り の 王 が 立 つ。
彼は先の者たちと異なり、三人の王を打ち倒す。
ほうそく
二五・彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、いと高き方の聖徒たちを滅ぼし尽くそ
しゅけん
うば
た
ほろ
うとする。彼は時と法則を変えようとし、聖徒たちは、ひと時とふた時と半時の間、彼
の手にゆだねられる。
二六・しかし、さばきが行われ、彼の主権は奪われて、彼は永久に絶やされ、滅ぼされる。
70
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
しゅけん
しゅけん
けんい
ふくじゅう
二七・国と、主権と、天下の国々の権威とは、いと高き方の聖徒である民に与えられる。
その御国は永遠の国。すべての主権は彼らに仕え、服従する。」
ダニエル書第七章十七節の「地から起こる四人の王」とは、バビロン、ペルシア、ギリ
シ ア と ロ ー マ の 四 つ の 帝 国 の そ れ ぞ れ を 代 表 す る 王 の こ と で す。 バ ビ ロ ニ ア 帝 国 の 代 表
者はネブカデネザル王であり、ペルシア帝国の代表者はクロス王であり、ギリシア帝国
にせ
の代表者はアレクサンドロス大王です。しかし、ローマ帝国を代表する人物はまだ世に
現れて いません。その人物が 偽キリ ストで あるのです。ヨハネの黙示録第十七章の八節
けいじ
か ら 十 一 節 まで に よ る と、 こ の 人 物 は 過 去 に 存 在 し た 七 人 の 皇 帝 の 内 のひ と り の 再 来で
あ る と さ れ て い ま す。 使 徒 ヨ ハ ネ に こ の 啓 示 が 与 え ら れ た 時 に い た 皇 帝 は ド ミ テ ィ ア ヌ
ス 帝 で 、 そ れ 以 前 に い た 五 人 の 王 と は、 ご く 短 期 間 皇 帝 の 座 に い た 人 物 は 除 い て ア ウ グ
スト、ティベリウス、カリグラ、クラウディウスとネロです。そして、その後に現れ、
「し
よげんしゃ
ば ら く の 間 だ け 」 皇 帝 の 座 に 着 い て い た の は ネ ル ヴ ァ で す。 そ の 七 人 の 中 の ひ と り が 再
来 し て 八 番 目 の 王 と な る の で す が、 バ プ テ ス マ の ヨ ハ ネ が 預 言 者 エ リ ヤ で あ る と 呼 ば れ
た よ う に、 そ れ は そ の 人 そ の 者 で は な く、 七 人 の 中 の ひ と り と 同 じ 性 格 の、 同 じ 働 き を
71
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
じごく
と
つ
行う人物と見なすべきです。なぜならば、その七人は皆すでに地獄に行ってしまっており、
と
つ
そ こ か ら 出 る こ と は 不 可 能 で あ る か ら で す 。 し か し、 過 去 の 七 人 の 皇 帝 の 一 人 に 取 り 憑
つ
にせ
い て い た 同 じ 強 力 な 悪 霊 が、 復 活 し た ロ ー マ 帝 国 の 皇 帝 に 取 り 憑 く と い う こ と は 大 い に
あり得ます。その悪霊憑き の皇帝が 偽キリ ストで あり、ローマ帝国を 代表す る人物で あ
るのです。
世 界 を 支 配 す る 異 邦 人 帝 国 の 最 後 の 第 四 の 帝 国 と は ロ ー マ 帝 国 の こ と で あ る の で す が、
現 在 ロ ー マ 帝 国 は 存 在 し て い ま せ ん。 今 は 教 会 の 時 代 で あ る か ら で す 。 し か し、 教 会 の
時 代 が 終わ ると 昔 の ロ ー マ 帝 国 が 復 活 し ます。 そ の 時、 ロ ー マ 帝 国を 復 活 さ せ る の が、
けいきょ
昔 の ロ ー マ 帝 国 が あ っ た 地 域 の 十 ヶ 国 の 十 人 の 王で あ る と 黙 示 録 第 十 七 章 十 二 節 と ダ ニ
エル書第七章二十四節が語っています。教会の携挙の後、この十ヶ国の強力な連合がヨー
ロッパに生まれます。その後、その十ヶ国の一つから、これら十人の王たちとは性格の
さつがい
異 な る ひ と り の 男 が 出 現 し ま す 。 ダ ニ エ ル 書 第 七 章 二 十 節 が 語 っ て い る こ と は、 こ の こ
さつがい
とです。この人物が十人の王たち の内の三人を殺害し、十ヶ国連合の頂点に立ち、ロー
しはいけん
マ帝国を復活させ、その皇帝の位に着きます。新しい王たちが殺害された三人に代わって、
十人の王たちは一致して、支配権をこの皇帝に渡します。
72
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
この事について黙示録第十三章も次のような事実を私たちに教えています。
かんむり
「 そ し て 、 私 は 、 海 か ら 一 匹 の 獣 が 上 っ て 来 る の を 見 た。 そ れ は 十 本 の 角 と 七 つ の 頭 と
を持っていた。その角の上に十の冠があり、その頭に神をけがす名が(書かれて)あっ
りゅう
けんい
た。 そ し て 、 私 が 見 た そ の 獣 は 、 ひ ょ う に 似 て お り、 足 は 熊 の 足 の よ う で 、 口 は ラ イ オ
ンの口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と位と大きな権威とを与えた。そして
ち め い てき だぼくしょう
いや
りゅう
そ の( 七 つ の ) 頭 の う ち の 一 つ は 、 打 ち 殺 さ れ て し ま っ て い る よ う に 私 は 見 た。 し か し
りゅう
けんい
その致命的打撲傷が癒された。そこで、全地は驚いて、その獣に従い、竜を拝んだ。な
ごうまん
『だれがこの獣に比べられ
ぜならば竜がその獣に権威を与えたからである。また彼らは、
けんい
ようか。だれがこれと戦うことができようか。
』と言って獣をも拝んだ。この獣に傲慢な、
そ し て 神 を け が す こ と を 言 う 口 が 与 え ら れ た。 そ し て 彼 に 四 十 二 ヶ 月 活 動 す る 権 威 が 与
ぼうとく
えられた。そして彼は、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののしり、
神 を 冒 涜 す る た め に 彼 の 口 を 開 い た。 そ し て 彼 は 、 聖 徒 た ち に 対 し て 戦 い を 仕 掛 け 、 そ
けんい
し て 彼 ら に 勝 つ こ と が 許 さ れ た。 そ し て 、 あ ら ゆ る 部 族、 民 族、 国 語、 国 民 を 支 配 す る
一
: ~八)
権 威 が 与 え ら れ た。 そ し て 地 に 住 ん で い る 者 で 、 ほ ふ ら れ た 小 羊 の い の ち の 巻 物 に、 世
の初めからその名が書きしるされていない者はみな、彼を拝む。
」
(黙示録一三
73
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
にせ
じゅうしょう
きせき
前の章ですでに語ったようにこの獣が 偽キリストです。彼が自分の前にいた十人の王の
てき
いや
うち の三人を殺害する時、彼も頭に重傷を負い、死んでしまったと思われますが、奇蹟
あが
的 に 癒 さ れ ま す。 そ れ は 当 然 サ タ ン の 力 に よ っ て で す。 人 々 は そ の 力 に 驚 き、 こ の 男 を
崇めます。それで多くのイスラエル人がこの男を自分たちのメシヤとして受け入れます。
主イエスがヨハネの福音書第五章四十三節で、「わたしは、わたしの父の名によって来て
い る。 し か し、 お 前 た ち は わ た し を 受 け 入 れ な い。 他 の 者〈 単 数 〉 が そ の 者 自 身 の 名 に
にせ
ごうまん
ぼう
おいて来れば、お前たちはその者を必ず受け入れる。」と語られたのは、この男について
とく
は
かんなんじだい
です。こ の「他の者」とは 偽キリ ストのことです。こ の男は非常に傲慢になり、神を 冒
けいやく
は
き
しょう
涜 す る こ と ば を 吐 き ま す。 そ し て 、 七 年 間 の 患 難 時 代 の 真 ん 中 で 、 こ の 男 は イ ス ラ エ ル
人との契約を破棄して、エルサレムの神殿に乗り込み、自分を神と称し、イスラエル人
だいいんぷ
たちに自分を神として礼拝することを要求します。
さて、ヨハネの黙示録第十七章は、大淫婦と獣について次のことを語っています。
だいいんぷ
かんいん
「すると、七つの鉢を持つ七人の御使いの一人が来た。そして私に話して、『来れ。私は
かんいん
あなたに大水の上に座っている大淫婦へのさばきを見せよう。
地の王たちは、この女と姦淫を行い、地を住まいとしている人々も、この女の姦淫のぶ
74
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
よ
どう酒に酔わされたのだ。』と言った。
ぼうとく
ひいろ
そして、
(御使いは、
)御霊に捕らえられた私を荒野に連れて行った。そして私は、緋色
ひ
しんじゅ
かざ
の 獣 に 乗 っ て い る 一 人 の 女 を 見 た。 そ の 獣 は 神 を 冒 涜 す る 名 で 満 ち て お り 、 七 つ の 頭 と
むらさき
十本の角を持っていた。
けんお
かんいん
この女は紫と緋の衣をまとっていた。そして金と宝石と真珠とで身を飾り付けており、
いんぷ
けんお
偶像礼拝の嫌悪すべきものと彼女の姦淫の汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。
ひみつ
しょうにん
よ
そ し て 彼 女 の 額 に は、
『全ての淫婦と世界中の嫌悪すべき偶像礼拝の母、大バビロン。』
という秘密の名が書かれてあった。
そ し て 、 私 は こ の 女 が 、 聖 徒 た ち の 血 と イ エ ス の 証 人 た ち の 血 で 酔 っ て い る の を 見 た。
そして私はこの女を見たとき、非常に驚いた。
ひ ぎ
そして、御使いは私に言った。
『あなたは、なぜ驚いたのか。私は、あなたに、この女
の秘義と、この女を乗せた、七つの頭と十本の角とを持っている獣の秘義とを話そう。
はめつ
あなたの見た獣は、昔いたが、今はいない。しかし、やがて底知れぬ穴から上って来る。
そ し て 彼 は 破 滅 に 向 か っ て 行 く。 地 上 に 住 ん で い る 者 た ち で 、 世 の 初 め か ら い の ち の 書
に 名 を 書 き 記 さ れ て い な い 者 は、 そ の 獣 が、 昔 は い た が、 今 は お ら ず、 や が て 現 れ る の
75
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
を見て驚く。
ここに知恵を持った心が(必要)である。七つの頭とは、この女が座っている七つの山
にせ
であり、七人の王たちのことである。』」(黙示録一七 一
: ~九)
だい い ん ぷ
いんぷ
ていせつ
この「獣」が第十七章で説明されているように 偽キリストであることに間違いありませ
むらさき
ひ
ん。では、この「大淫婦」とは何者でしょうか。淫婦とは、貞節に仕えるべき夫を裏切っ
しんじゅ
かざ
けんお
かん
て 欲 の た め に 他 の 男 に 自 分 を 売 り 渡 し た 女 の こ と で す 。 こ の 女 は「 紫 と 緋 の 衣 を ま と っ
いん
て」、「金と宝石と真珠とで身を飾り付けており、偶像礼拝の嫌悪すべきものと彼女の姦
しょうにん
よ
ぜいたく
淫 の 汚 れ で 満 ち た 金 の 杯 を 手 に 持 っ て 」 い ま す 。 そ し て 彼 女 は「 聖 徒 た ち の 血 と イ エ ス
にく
しんじゅ
かざ
の 証 人 たち の 血 で 酔 っ て い る 」 の で す。 す な わ ち 、 こ の 女 は 非 常 に 贅 沢 で 、 キ リ ス ト を
はなよめ
信じる者を憎み、大勢の聖徒たちを殺すのです。本来、「金と宝石と真珠」で飾られるべ
だい
「 金 の 杯 」 は、 エ ル
きは、「小羊の妻で ある花嫁」と呼ばれる聖なる都エルサレムです。
いんぷ
はなよめ
ひょうぼう
サレムの神殿で神を礼拝するために用いられました。これらのことを考えるとこの「大
しゅうきょうそしき
くうちゅうさいりん
淫 婦 」 が 、 キ リ ス ト の 花 嫁 で あ る と 標 榜 し な が ら 、 そ の 実、 こ の 世 の 富 を 追 い 求 め て い
る宗教組織であるということが分かります。それはキリストの空 中 再臨の時、天に引き
76
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
すわ
にせしんじゃ
こうせい
上げられなかった偽信者によって構成されている宗教団体です。そして、
「七つの頭とは、
みっせつ
(九節)ということは、
この女が座っている七つの山であり、七人の王たちのことである。」
だい い ん ぷ
すわ
えいきょう
この「女」とローマ帝国が密接に関係していることを物語っています。黙示録第十七章一、
かんいん
かんいん
よ
二 節 に よ る と 、 こ の 大 淫 婦 は「 大 水 の 上 に 座 っ て 」 い ま す 。 そ れ は 彼 女 の 影 響 が 全 世 界
もう
いんぷ
に及んでいるということを物語っています。また「姦淫を行い」「姦淫のぶどう酒に酔わ
よ
くうちゅうさいりん
さ れ る 」 と い う 聖 書 の 表 現 は、 物 の 売 買 で 金 を 儲 け る こ と を 意 味 し て い ま す 。 こ の 淫 婦
かんなんじだい
じしょう
いん
は「獣」の上に乗って酔っているのです。ということは、この事が起きるのは空 中 再臨
ぷ
の 後 で す が 、 患 難 時 代 の 中 で は あ り 得 ま せ ん。 自 分 を 神 で あ る と 自 称 す る 「 獣 」 が 、 淫
けいやく
婦 を 背 中 に 乗 せ て い る 様 子 は 、 こ の 事 が 行 わ れ る の が 、 こ の「 獣 」 が ロ ー マ 帝 国 の 皇 帝
の 座 に 着 く 前 で あ り、 多 く の イ ス ラ エ ル 人 と 契 約 を 結 ぶ 前 で あ る こ と が 分 か り ま す 。 イ
いんぷ
スラエル人が、淫婦を背中に乗せた「獣」を自分たち のメシヤとして受け入れることは
いん ぷ
よう ず
いん ぷ
ほろ
あり得ないからです。「獣」は、自分を世に売り出すために「淫婦」を利用するだけで、
かんなんじだい
けんい
りゅう
の事が起きるのは、明らかに患難時代が始まる前です。そして、この事の後に、「竜はこ
の獣に、
自分の力と位と大きな権威とを与えた。そしてその(七つの)頭のうちの一つは、
77
「獣」は「淫婦」を食い殺し、滅ぼして しまいます。こ
「 淫 婦 」 が 用 済 み に な っ た と き、
る偽キリストとはどのような人物なのか?
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
りゅう
ちめいてき
だぼくしょう
りゅう
いや
けんい
打ち 殺されて しまって いるように私は見た。しかしその致命的な打撲傷が癒された。そ
こで、全地は驚いて、その獣に従い、竜を拝んだ。なぜならば竜がその獣に権威を与え
どくさいしゃ
かくほ
けいやく
たからである。」ということが起きるはずです。このようにしてこの「獣」は、復活したロー
かんなんじだい
マ帝国の独裁者の地位を確保します。それで、多くのイスラエル人がこ の「獣」と契約
かんなんじだい
ごうまん
を結ぶのです。その時から患難時代が始まります。
かんなんじだい
けんい
そして 患難時代の真ん中で、「この獣に傲慢な、そして神をけがすことを言う口が与え
よげん
られた。そして彼に四十二ヶ月(患難時代の後半)活動する権威が与えられ」るのです。
ぼうとく
そして 次の預言、「彼は、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちをののし
り、神を冒涜するために彼の口を開いた。そして彼は、聖徒たちに対して戦いを仕掛け、
けんい
そ し て 彼 ら に 勝 つ こ と が 許 さ れ た。 そ し て 、 あ ら ゆ る 部 族、 民 族、 国 語、 国 民 を 支 配 す
る 権 威 が 与 え ら れ た。 そ し て 地 に 住 ん で い る 者 で 、 ほ ふ ら れ た 小 羊 の い の ち の 巻 物 に、
かんなんじだい
かんなんじだい
世 の 初 め か ら そ の 名 が 書き し る され て い な い 者 は み な、 彼を 拝む。」 が 実 現 され る の も
患難時代の後半の大患難時代においてであることは明らかです。
結論
78
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
一・ローマ帝国は空 中 再臨後、すなわち教会の携挙後、患難時代が始まるまでに復活
しなければならない。
二・偽教会︵大淫婦︶が教会の携挙後、後に 偽キリストになる男の助けによって、短期間、
非常に栄える。この偽教会は、その時代に存在するキリストを信じる信仰を持った者た
ちを迫害し殺す。偽教会は、患難時代が始まる前にその男によって滅ぼされる。
三・最初、ヨーロッパの、昔ローマ帝国が支配していた地域の十ヶ国が連合体を作る。
その後からひとりの男が出て来て、先の十人の中の三人を殺害する。本人も致命的傷を
頭に受けるが、悪魔の力によって癒される。それで人々は非常に驚く。これらのことは
患難時代の中ではなく、それが始まるまでに行われなければならない。
四・その男が、復活したローマ帝国の皇帝となる。これも患難時代が始まる前でなけれ
ばならない。
五・多くのイスラエル人がこの男を自分たちの王として受け入れる。しかし、その時か
ら患難時代が始まる。
六・患難時代の中間で、 偽キリストはエルサレムの神殿に侵入し、自分が神であると宣
言し、自分を神として礼拝することを要求する。
79
Ⅵ・ヨハネの黙示録で「獣」と呼ばれてい
る偽キリストとはどのような人物なのか?
七・ 偽キリストとその軍隊が、患難時代の真ん中で、エルサレムの宮に侵入し、エルサ
レムの町と宮を破壊する。
80
Ⅶ・新約聖書の信憑性とキリストの空中再臨との関係
Ⅶ・新約聖書の信憑性とキリストの空中再臨との関係
しんぴょうせい
しんぴょうせい
ふ か ぶ ん
新約聖書の書簡の部分は、大部分が使徒パウロの書簡で占められています。それで、新
あやま
約 聖 書 の 信 憑 性 は、 パ ウ ロ の 使 徒 と し て の 信 憑 性 と 不 可 分 に 関 連 し て い る の で す 。 使 徒
パウロが聖霊に導かれて誤りのない信頼すべき神のみことばを語ったのか、それともパ
おか
かる
ウロも間違ったことを語ったので、全面的には信頼できないのか、のどちらかです。確
びどう
かに人間的には使徒パウロも間違いを犯し、軽はずみなことを語ったりしています。し
あらわ
か し、 聖 書 に 関す る 限 り、 神 は 彼 に 私 たち が 微 動 だ に し な い 確 信を も って 信 頼す べ き、
神 か ら の み こ と ば を 著 せ ら れ た と 私 た ち は 受 け 取 り ま す 。 な ぜ な ら ば、 全 能 の 神 が 聖 書
によってそれを要求しておられるからであり、もし聖書が信頼できないものであるなら
ば 、 私 た ち は 一 層 信 頼 で き な い、 愚 か な 人 間 と い う 馬 鹿 者 の 言 う こ と を 信 じ な け れ ば な
らなくなるからです。その結果、私たちは海図無しに、磁石無しに、(現在ならばGPS
えじき
ぐ
無 し に ) 太 平 洋 の 真 ん 中 に 放 り 出 さ れ た 小 舟 同 様 で 、 ど ち ら に 向 か っ た ら よ い の か、 全
とりこ
く分からなくなってしまうのです。その結果、人々はサタンの餌食になり、愚にも付か
ぬ神秘主義の虜になってしまうのです。
81
Ⅶ・新約聖書の信憑性とキリストの空中再臨との関係
めいりょう
ねつれつ
さいりん
さいりん
誰が読んでも明瞭に理解できることは、使徒パウロが熱烈に、毎日、キリストの再臨を
たいぼう
さいりん
待望していたこと、そして彼が全ての信者に自分同様に、キリストの再臨を熱心に待ち
望 む よ う に と 教 え た こ と で す。 キ リ ス ト の 再 臨 を、 す ぐ に で も あ り 得 る こ と と し て 待 っ
けっていてき
て い た の は パウ ロ だ けで な く、 全て の 使 徒 たち もで す。 使 徒 ペ テ ロ も、 使 徒 ヨ ハ ネ も、
しか
さ ら に 主 イ エ ス の 肉 の 弟 た ち の ヤ コ ブ も ユ ダ も 同 様 で し た。 さ ら に 決 定 的 な の は 、 主 イ
よげん
あかし
エス御自身「然り。わたしはすぐに来る。」と言われたことです。
さいがい
「私は、この巻物の預言のことばを聞く全ての者に証する。もし、だれでもこれにつけ
よげん
加えるならば、神はこの巻物に書かれてある災害をその人に加えられる。そして、もし
だ れ で も こ の 預 言 の 巻 物 の こ と ば を 取 り 除 く 者 が あ れ ば、 神 は、 そ の い の ち の 木 か ら 、
そして聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」(黙示録二二 一
: 八、一九)
使徒ヨハネは聖霊に導かれて次のように言いました。
「 愛 す る 者 た ち よ。 私 た ち は 今、 神 の 子 ど も で す 。 し か し、 私 た ち が ど の よ う な 姿 に な
る の か は ま だ 知 ら さ れ て い ま せ ん。 し か し、 彼〈 キ リ ス ト 〉 が お 現 れ に な っ た な ら ば 、
私たちはその方と同じ姿に変えられることを知っています。その時、私たちがキリスト
の あ り の ま ま の 御 姿 を 見 る こ と が で き る か ら で す 。 実 に、 全 て キ リ ス ト に つ い て こ の 望
82
Ⅶ・新約聖書の信憑性とキリストの空中再臨との関係
みを持っている者は、あの方が聖であられるように自分自身を聖くし続けています。
」
(Ⅰ
ヨハネ三 二
: 、三)
さいりん
けが
このみことばを逆に読むならば、キリストの再臨を待ち望まない者は、自分を汚し続け
るという事になります。
ちゅうせい
えいかん
そな
「私は、良い戦いを戦い終えました。走るべきコースを 走り終えました。
(キリストへ
しんぱんしゃ
さず
の)忠誠を守り通しました。今や、義の栄冠が私のために備えられています。彼の日に、
さいりん
ねつぼう
さず
正 し い 審 判 者 で あ ら れ る 主 が 、 そ れ を 私 に 授 け て く だ さ い ま す 。 私 に だ け で な く、 主 の
さいりん
再臨を熱望していた全ての者にも授けてくださいます。」(Ⅱテモテ四 七
: 、八)
ねつれつ
あつ
ちゅうせいしん
使 徒 パ ウ ロ が 熱 烈 な 信 仰 を も っ て 戦 い を 戦 い 通 し、 キ リ ス ト へ の 篤 い 忠 誠 心 を 守 り 通
さいりん
ねつい
し、成すべきわざを成し遂げることができたのは、彼がキリストの再臨を日々待ってい
ちゅうせいしん
ほうき
たからであるのです。その逆に、キリストの再臨を待ち望まない者は、熱意を失い、キ
だいたん
ほうき
リストへの忠誠心が消え、信仰の戦いを途中で放棄してしまうことになるのです。
にんたい
「で す か ら 、 大 き な 報 い を も た ら す 、 そ の あ な た が た の 大 胆 な 告 白 を 放 棄 して は な り ま
せん。あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを得るためには忍耐が必要です。
『もうすぐ、間もなく、来るべき 方は来られ る。遅くなることはない。』」(ヘブル一〇
:
83
Ⅶ・新約聖書の信憑性とキリストの空中再臨との関係
三五~三七)
結論
一・一世紀に生きていた使徒パウロは、毎日キリストの再臨を待望し続けていた。
二・キリスト御自身が全ての信者に御自分が迎えに来られるのを待つようにと命じられ
た。
三・キリストの再臨は一世紀にもあり得たことであり、二世紀にもあり得たことである
が、明らかにされていない神の御旨によって今に至るまで実現が引き延ばされた。しかし、
キリストの再臨は今日にもあり得ることである。
四・キリストの再臨が今日にもあり得る緊迫した事実であることを否定することは、聖
書の信憑性を否定することと等しい。
五・キリストの再臨を日々待ち望む者は、聖書の完全性を信じ、キリストを真に愛する
者であるが、キリストの再臨が緊迫していることを否定する者は、聖書の完全性を否定
する者であり、真の信者ではない。
84
Ⅷ・サタンの信者攻撃の手段
Ⅷ・サタンの信者攻撃の手段
うば
くう
サ タ ン は 、 ク リ ス チ ャ ン を 世 的 に し、 教 会 を 世 俗 化 す る 手 段 の 手 始 め が キ リ ス ト の 空
ちゅうさいりん
くうちゅうさいりん
まど
ぜんちょう
中 再臨についての希望をクリスチャンから奪うことであることをよく知っています。そ
さいりん
して、空 中 再臨を熱心に待っている信者を惑わす方法は、これこれの前兆が見えるから
ぜんちょう
むか
再 臨 が 近 い と 言 う こ と で あ る の で す。 す る と ク リ ス チ ャ ン たち は 大 喜 び し ま す。 そ の よ
くう ちゅう さいりん
うな主旨で書かれた書物はよく売れ、よく読まれます。
しかし、空 中 再臨には前兆は全くありません。主イエスは、今日でも私たちを迎えに
さいりん
来ることがおできになるのです。ところが、ハル・リンゼイ著「地球最後の日」、高木慶
ぜんちょう
しゅし
太著「近づいている世界の終焉」などは、「世の終わりが、
すなわちキリストの再臨が近い、
なぜならば、これこれの前兆が見えてきたから。」という主旨で書かれています。しかし、
さ
リンゼイ氏、高木氏が、「世の終わりが近い」という前から聖書は常にそう語って来ました。
「あなたがたは、その時を知っています。今は、すでに、あなたがたが眠りから目を覚
ま す べ き 時 で す 。 今 は、 私 た ち が 信 じ た 時 よ り も、 も っ と 救 い が 私 た ち の 近 く に 来 て い
ます。夜は進みました。昼〈夜明け〉は近づいています。」(ローマ一三 一
: 一、一二)
85
Ⅷ・サタンの信者攻撃の手段
く
あらた
み
す
「それで、一方、神は無知の時代を見過ごされたが、今や、全てのところの、全ての人
間に悔い改めるように命じておられる。なぜならば、神は、そのために任命しておられ
しょうこ
る 一 人 の 人 に よ って、 義 に よ って こ の 世 界 を さ ば く た め の 日 を 決 めて お ら れ る か ら で あ
る。神は、そのための確かな証拠を全ての者に与えるために、その方を死者たち の中か
みいか
らよみがえらされたのである。」(使徒一七 三
: 〇、三一)
がんこ
く
あらた
みいか
「それで、あなたは、あなたの頑固さと悔い改めのない心によって、御怒りの日、すな
わ ち 神 の 正 し い さ ば き の 表れ の 日 に お け る 御 怒 りを 自 分 自 身 の た め に 積 み 上 げて い る の
むく
です。」(ローマ二 五
:)
「 あ な た が た を 今 苦 し め て い る 者 たち に は 苦 し み を、 そ し て 、 今 苦 し め ら れ て い る あ な
も
ほのお
ともな
たがたにも、私たちと共に、安息をもって報いることが、神にとって正しいことなので
ほうふく
す。主イエスは、燃える炎の中を主の力ある御使いたちを伴って天から現れてくださる時、
神 を 知 ら な い 者 た ち に、 ま た 私 た ち の 主 イ エ ス の 福 音 に 従 わ な い 者 た ち に そ の 報 復 を お
けいばつ
六
:
与 え に な り ま す 。 こ の 者 た ち は、 主 の 御 顔 の 前 か ら 、 ま た 主 の 御 力 の 栄 光 の 前 か ら ( 退
はめつ
」
(Ⅱテサロニケ一
けられて)、永遠の破滅に投げ入れられるという刑罰を受けます。
~九)
86
Ⅷ・サタンの信者攻撃の手段
りべつ
けいきょ
だま
ほろ
「あなたがたは、どのような者によっても騙されてはなりません。なぜならば、(主の日
が来る前に)先ずその離別〈携挙〉があり、その次にあの無法の男、すなわち「滅びの
子 」 が 現 れ な け れ ば な ら な い か ら で す 。 そ の 男 は、 あ ら ゆ る 神 と 呼 ば れ る も の や 礼 拝 さ
れるものに敵対し、その上に自分を高く引き上げ、遂に神の宮の中に自分の座をもうけ、
自分自身が神であると宣言し出します。私が、まだあなたがたのところにいた時、これ
ら のこ と を あな た が た に 話 して い たこ と を、 あ な た が た は 思 い 出 し ま せ ん か。 そ して、
むほう
ひみつ
彼 が 彼 の 時 に〔 彼 に 決 め ら れ た 時 に 〕 現 れ る よ う に、 今 は ( 彼 を ) 引 き 止 め て い る も の
があることをあなたがたは知っています。しかし、今すでに無法の秘密は働いています。
むほう
た だ、 それ は そ の 引き 止 めて い る 者 が そ の 役 か ら 身を 引 か され る 時 まで で す。 そ の 時、
さいりん
はいぜつ
そ の 無 法 の 男 は( 必 ず ) 現 れ ま す 。 そ し て 、 主 イ エ ス は、 そ の 男 を 御 口 の 一 息 を も っ て
いつわ
取 り 除 き 、 ご 自 身 の 再 臨 の 輝 き を も っ て 廃 絶 し て し ま わ れ ま す 。 そ の 男 の 現 れ は、 あ ら
あざむ
ほろ
ゆ る 偽 り か ら の、 す な わ ち サ タ ン の 力 と し る し と 不 思 議 な 業 に よ る 働 き に 従 っ た も の で
滅びに向かいつつある者たちに対して(行われます)。
す。そして、あらゆる欺きの不正が、
いつわ
まど
な ぜ な ら ば、 彼 ら を 救 う た め の 真 理 へ の 愛 を 彼 ら が 受 け 入 れ な い か ら で す 。 そ し て 、 そ
のゆえに神は、彼らがその偽りを信じるように惑わす力を彼らに送り込まれます。それは、
87
Ⅷ・サタンの信者攻撃の手段
げんしょう
せかいじょうせい
しゅうまつ
真理を信じないで、不義を喜ぶ者たちの全てがさばかれるためです。」(Ⅱテサロニケ二
三~一二)
あらわ
リンゼイ氏や高木氏やその他、ある現象があるから、世界情勢が物語っているから終末
ぜんい
が 近 い と 書 物 を 書 い た 全て の 人 が 悪 意 を も って 本 を 著 し た と 言 って い る ので は あ り ま せ
しゅうまつ
ん。多分彼らは善意をもって 書いたので しょう。しかし、新約聖書は、書かれた当初か
げんしょう
しゅうまつ
ら 世 の 終 わ り が 近 い 、 終 末 が 近 づ い て い る と 語 っ て き た の で あ り、 ク リ ス チ ャ ン た ち は
じょうきょう
しゅうまつ
そ れ を 信 じ て き た の で す。 す な わ ち 、 い ろ い ろ の 現 象 が あ る か ら、 現 在 終 末 が 近 い と 言
う こ と は、 世 界 に 現 在 の よ う な 状 況 が な か っ た 一 世 紀 の ク リ ス チ ャ ン た ち は、 終 末 が 近
いと思い違いをしたのだと言っていることと同じなのです。さらに、一世紀のクリスチャ
ン た ち に 思 い 違 い を さ せ た 聖 書 は、 現 在 も 信 じ る 者 に 思 い 違 い を さ せ る か ら 、 信 じ な い
うば
けんい
ちょめい
おうせい
方 が 良 い と い う こ と に な る の で す。 こ の よ う に し て サ タ ン は 多 く の ク リ ス チ ャ ン たち か
い
き
ら、聖書への信頼を奪い去り、聖書の権威を認めない著名な神学者、発言の旺盛な出しゃ
しょうちん
さくりゃく
さいりん
きんぱくせい
ば り ど も の 言 葉 に よ っ て 右 往 左 往 さ せ、 聖 書 へ の 確 信 を 失 っ た ク リ ス チ ャ ン た ち は 意 気
消沈させられてしまうのです。これが悪魔の策略です。
現在、正しい信仰の道から外れた多くの教会が、キリストの再臨の緊迫性を否定し、そ
:
88
Ⅷ・サタンの信者攻撃の手段
まど
さいりん
れはいずれあるだろうが今ではない、と言い出しており、さらにキリストの再臨はない
しょうごう
とさえ言っています。これは、明らかに悪魔の惑わしであり、そのように言っている者
くう ちゅう さいりん
ぜんちょう
た ち は 、 た と い 牧 師 と い う 称 号 を 持 っ て い て も、 悪 魔 に 奉 仕 し て い る 悪 魔 の し も べ た ち
です。
よそう
聖 書 は、 キ リ ス ト の 空 中 再 臨 が、 い つ で も あ り 得 る こ と で あ る と 、 ま た そ れ に は 前 兆
くうちゅうさいりん
が な い の で だ れ も 予 想 で き な い と、 し か し 必 ず あ る と 語 っ て い ま す。 そ し て 、 主 イ エ ス
けんい
みっちゃく
御自身が「すぐに来る」と確約しておられるのです。ですから、キリストの空 中 再臨は
さいりん
きんぱくせい
聖書の権威と一体であり、さらにキリストの神性とも密着しているのです。すなわちキ
せま
リ ス ト の 再 臨 の 緊 迫 性 を 否 定 す る こ と は、 キ リ ス ト の 神 性 を も 否 定 す る こ と に な る の で
す。次の聖句は一世紀のクリスチャンにも私たちにも、同じ力をもって迫っています。
ふけいけん
ぞくせかい
じょうよく
つつし
ふか
けいけん
「 な ぜ な ら ば、 実 に、 全 て の 人 を 救 う 神 の 恵 み が 現 れ た か ら で す。 そ し て、 私 た ち に
不 敬 虔と 俗 世 界 の 情 欲と を 捨て て、 今 の 世 に お いて 慎 み深 く、 正 し く、 敬 虔 に 生 活 し、
一
: 一~一三)
幸 い な る 望 み、 す な わ ち 偉 大 な る 神 で あ り、 私 た ち の 救 い 主 で あ ら れ る イ エ ス・ キ リ ス
さと
トの栄光の現れを待ち望むように教え諭しています。」(テトス二
89
Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定
している不注意な聖書解釈の実例
にせ
じゅんびきかん
Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定している不注意な聖書解釈の実例
してき
すでに指摘したように 偽キリストの出現には、多くの準備期間が必要です。ローマ帝国
の再来(復活)
、最初十人の王が現れ、その後にひとりの男が出現し、その男が先の十人
けいやく
の中の三人を殺害すること、その後、その男がローマ帝国の皇帝になり、世界を支配下
にせ
だいいんぷ
かんなんじだい
に 置 く こ と、 そ し て 多 く の イ ス ラ エ ル 人 が こ の 男 と 契 約 を 結 ぶ こ と な ど で す。 そ れ に 加
かんなんじだい
ぜんじゅつ
え て 、 偽 教 会 で あ る 大 淫 婦 の さ ば き 等、 他 に も 患 難 時 代 が 始 ま る 前 に 起 き な け れ ば な ら
くう ちゅう さいりん
ない事件が多数あるのです。
くう ちゅう さいりん
くう ちゅう さいりん
そ れ で、 も し キ リ ス ト の 空 中 再 臨 後、 直 ち に 患 難 時 代 が 始 ま る と す る と、 前 述 の こ
ぜんちょう
かいしゃく
さいりん
と が 全て キ リ ス ト の 空 中 再 臨 の 前 に 起 き な け れ ば な ら な い と、 す な わ ち 空 中 再 臨 に は
ぜんちょう
さいりん
前 兆 が あ る と 解 釈 し な け れ ば な ら な く な る の で す。 そ う な る と 現 在 私 たち の 目 に 再 臨 の
あやま
かいしゃく
前 兆 と 見 え る も の が 見 え な か っ た 一 世 紀 に、 キ リ ス ト の 再 臨 を 日 々 待 つ よ う に と 教 え た
しゅうえん
パウロは間違っていたということになるのです。そのような誤った解釈が、「地球最後の
けいきょ
くう ちゅう さいりん
かんなんじだい
日」とか、「近づいている世界の終焉」等の書物を書かせているのです。
教会の携挙(空 中 再臨)後、直ち に患難時代が始まるとは聖書は語っていません。教
90
Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定
している不注意な聖書解釈の実例
けいきょ ご
かんなんじだい
じゅんび
会の携挙後にしばらくの期間があり、その間に患難時代のための準備が行われます。そ
の期間が何年であるかは分かりません。数ヶ月というほど短期間ではあり得ません。
あやま
①ヨハネの黙示録第二、三章の七つの教会
かいしゃく
解 釈 上の非常に一般的な誤りの一つが、ヨハネの黙示録第二、三章に記されている七つ
はくがい
の 教 会 の 理 解 の 仕 方 で す。 エ ペ ソ に あ る 教 会 が 一 世 紀 の 使 徒 時 代 の 教 会 の 姿 で 、 ス ミ ル
ナ に あ る 教 会 は 紀 元 八 十 年 か ら 三 百 十 三 年 まで 迫 害 の 中 を 過 ご し た 教 会 の 姿で、 ペ ル ガ
しゅうきょうかいかく
モ に あ る 教 会 は 紀 元 三 百 十 四 年 か ら 六 百 年 ま で の 古 カ ト リ ッ ク 教 会 の 姿、 テ ア テ ラ に あ
る教会はローマ・カトリック教会の姿、サルデスにある教会は十五世紀の宗教改革で生
せ ぞ く か
ま れ た プ ロ テ ス タ ン ト 教 会 の 姿、 フ ィ ラ デ ル フ ィ ア に あ る 教 会 は 十 八 世 紀 の リ バ イ バ ル
時代の教会の姿、ラオデキアにある教会は現在の生ぬるい世俗化した教会の姿を表して
さいりん
い る と い う、 教 会 時 代 を 七 つ に 分 け る 説 明 で す 。 こ れ は 非 常 に う が っ た 説 明 で あ る と 見
たいぼう
え ま す が、 も し こ の 説 明 が 正 し い な ら ば、 キ リ ス ト の 再 臨 は 一 世 紀 に は あ り 得 な か っ た
の に、 使 徒 パ ウ ロ は す ぐ に あ る と 思 い 込 ん で 、 来 ら れ る は ず の な い キ リ ス ト を 待 望 し て
91
Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定
している不注意な聖書解釈の実例
けいじ
けいじ
そこ
さいりん
おくぎ
い た と い う こ と に な り ま す 。 そ こ で 問 題 は、 聖 霊 に 導 か れ て キ リ ス ト の 再 臨 と い う 奥 義
だま
を キ リ ス ト か ら 直 接 啓 示 し て い た だ い た 使 徒 パ ウ ロ が、 啓 示 を 理 解 し 損 な っ て 間 違 っ た
こ と を 教え た の か、 あ る い は キ リ スト が パウ ロを 騙 し た の か、と い うこ と に な り ます。
ぎもん
と に か く こ の 間 違 っ た 説 明 は、 黙 示 録 の 説 明 書 の 中 で 「 素 晴 ら し い 説 明 」 と し て 堂 々 と
さいりん
書 か れ て お り、 多 く の 信 者 が そ れ を 正 し い と 思 い 込 ん で 何 の 疑 問 も 感 じ る こ と 無 し に 受
け取っています。その結果、今世紀以前の信者で、キリストの再臨を今日か明日かと待っ
さいりん
ていた信者たちは間違ったことを空しく望んでいたということになり、もしかして今は
ラ オ デ キ ア の 教 会 の 時 代 で は な い か も 知 れ な い か ら、 あ ま り 熱 心 に 再 臨 を 待 た な い よ う
あやま
にしようというクリスチャンが生まれてしまうのです。
だらく
せ ぞ く か
教 会 の 時 代 を 七 つ に 分 け る こ と は 大 変 に 大 き な 誤 り で す 。 教 会 の 時 代 の ど の 時 点 で も、
とくちょう
教 会 に は、 真 理 に し っ か り と 立 っ て い る 忠 実 な 教 会 か ら 、 残 念 な が ら 堕 落 し て 世 俗 化 し
た教会まで種々の特徴を持った教会があり得たのです。なお「御使い」とは、「任務を負
つか
わ さ れ て 送 り 出 さ れ た 者 」 を 意 味 し て い る の で 、 必 ず し も 「 天 使 」 を 意 味 し ま せ ん。 黙
けんせき
はげ
示録の七つの教会のそれぞれに、一人ずつ遣わされた七人の「御使い」に対する主イエ
スの譴責の、あるいは励ましのみことばを読むならば、これらの「御使い」が人間であ
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Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定
している不注意な聖書解釈の実例
ることはだれの目にも明らかです。
まぼろし
へんせん
よげん
も し、 それ ら 七 つ の 教 会 の、 記 され て い る 順 番 が 教 会 時 代 の 変 遷を 預 言 して い ると 説
しょくだい
明 す る 人 々 の 主 張 が 正 し い な ら ば、 使 徒 ヨ ハ ネ は 幻 の 中 で も そ れ ら の 七 つ の 教 会 を 意 味
えんしゅうじょう
す る「 燭 台 」 が 直 線 上 に 並 ん で い る の を 見 た は ず な の で す が 、 ヨ ハ ネ の 黙 示 録 第 一 章
十二、十三節は、それら七つの教会が円周上に並んでおり、その円の「真ん中に」キリス
よげん
ト が 立 っ て お ら れ る の を 彼 が 見 た と 記 し て い ま す 。 こ の こ と も 、 七 つ の 教 会 が、 教 会 時
代についての預言ではないことを明らかにしています。
②ダニエル書第九章二十六節
さと
二五・それゆえ、知れ。悟れ。引き揚げてエルサレムを再建せよ、との命令が出てから、
油 そ そ が れ た 者、 君 主 の 来 る ま で が 七 週。 ま た 六 十 二 週 の 間、 そ の 苦 し み の 時 代 に 再 び
広場とほりが建て直される。
せいじょ
はかい
こうずい
二六・その六十二週の後、油そそがれた者は断たれ、彼には何も残らない。やがて来た
るべき君主の民が町と聖所を破壊する。その終わりには洪水が起こり、その終わりまで
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Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定
している不注意な聖書解釈の実例
こうはい
かた
戦いが続いて、荒廃が定められている。
い
けいやく
ぜつめつ
二七・彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物とを
はかい
よげん
やめさせる。荒らす忌むべき者が翼に現れる。ついに、定められた絶滅が、荒らす者の
せいじょ
上にふりかかる。(ダニエル九 二
: 五~二七)
じゅうりん
はいきょ
じょうじゅ
多 く の 注 解 者 が こ の「 聖 所 を 破 壊 す る 」 と い う 預 言 が 紀 元 七 十 年 に ロ ー マ 軍 に よ っ て
こうはい
エ ル サ レ ム の 都 が 蹂 躙 さ れ、 廃 墟 に さ れ た こ と に よ っ て 成 就 し た と 説 明 し て い ま す。 さ
よげん
こうはい
らにそれに続いている「その終わりまで戦いが続いて、荒廃が定められている。」という
預 言 も、 エ ル サ レ ム の 都 が 教 会 時 代 の 期 間 中 ず っ と 荒 廃 し た ま ま で あ り 続 け る と い う こ
はかい
と を 語 っ て い る と 説 明 す る 者 も あ り ま す 。 ま た、 こ れ に 関 連 さ せ て 、 ヨ ハ ネ の 福 音 書 以
よげん
はかい
外 の 三 つ の 福 音 書 全 て に 記 録 さ れ て い る、 エ ル サ レ ム の 神 殿 が 破 壊 さ れ る と い う 主 イ エ
ス の 預 言 も、 紀 元 七 十 年 の ロ ー マ 軍 に よ る エ ル サ レ ム の 都 と 神 殿 の 破 壊 に よ っ て 実 現 さ
れたと説明しています。
さいりん
もしそれが正しい説明であるならば、ダニエル書第九章二十六節も、さらに主イエス御
自 身 も、 御 自 分 の 再 臨 は 紀 元 七 十 年 以 前 に は な い と 語 っ て お ら れ た こ と に な り ま す 。 と
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Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定
している不注意な聖書解釈の実例
おくぎ
さいりん
おくぎ
三
: 、 Ⅰコ
こ ろ が 使 徒 パ ウ ロ は、 教 会 に つ い て の 奥 義 を 、 キ リ ス ト の 再 臨 に つ い て の 奥 義 と 共 に キ
けいじ
さいりん
(エペソ三
リスト御自身がパウロ個人に特別に啓示されたと主張しています。
ちゅうかいしゃ あやま
リント一五 五
: 一 ) そ し て パ ウ ロ は、 キ リ ス ト の 再 臨 を 、 い つ で も あ り 得 る こ と と し て
たいぼう
毎日待望していたのです。
聖霊に導かれた使徒パウロを正しいとして多くの注解者が誤っているとするか、多くの
ちゅうかいしゃ
くうちゅうさいりん
ぜんちょう
注 解 者 を 正 し い と し て 使 徒 パ ウ ロ が 間 違 っ て い た と す る か の ど ち ら か で す。 答 え は 一 つ
よげん
じょうじゅ
かんなんじだい
しかありません。使徒パウロが正しいのです。キリストの空 中 再臨は、前兆無しにいつ
でもあり得るのです。
かんなんじだい
せいじょ
ではダニエル書第九章二十六節の預言はいつ成就されるのでしょうか。それは患難時代
せいじょ
の中間です。黙示録第十一章一節には、
患難時代の中にあるエルサレムの町に聖所があり、
けいきょご
かんなんじだい
そこで真の神を礼拝している人々がいることが示されています。この聖所は当然、教会
あらわ
の携挙後、患難時代が始まるまでに再建されたものです。(なお、使徒ヨハネが、主イエ
はかい
にせ
ス 御 自 身 に よ っ て 黙 示 録 を 著 す よ う に 命 じ ら れ た の は、 紀 元 七 十 年 以 降 で 、 そ の 時 に は
しせいじょ
とつぜん
) 偽キリストがエルサレムにある神
すでにエルサレムの都も神殿も破壊されていました。
殿 の 至 聖 所 の 中 に 突 然 に 入 り 込 む の で す か ら、 そ の 時 エ ル サ レ ム に 神 殿 が な け れ ば な り
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Ⅸ・キリストの再臨の緊迫性を否定
している不注意な聖書解釈の実例
くうちゅうさいりん
かんなんじだい
かんなんじだい
ません。もし空 中 再臨の直後から患難時代が始まるならば、患難時代の前半にエルサレ
ちゅうかいしゃ
くう ちゅう さいりん
ムの町に神殿が再建されなければなりません。そのようなことはあり得ません。そこで、
さいりん
あ る 注 解 者 は 空 中 再 臨の前に神殿がエルサレムの都に再建され るはずで あると 言いま
す 。 す る と 「 再 臨 は 今 日 で は な い。 も っ と 後 で あ る。 エ ル サ レ ム に 神 殿 が 再 建 さ れ て か
とな
らである。」となり、使徒パウロは思い違いをしていたということになるのです。さらに、
思 い 違 い を して 間 違 っ たこ と を 教 え て い た パウ ロ は 信 用 な ら な い と、 恐 る べ き 異 端 を 唱
えることになります。
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Ⅹ・ キ リ ス ト の 空 中 再 臨 に は 前 兆 が な く、 い つ で も あ り 得 る こ と で あ る と 固 く 信 じ、
さ ら に 空 中 再 臨 後、 患 難 時 代 が 始 ま る ま で に あ る 程 度 の 期 間 が あ る と 認 め る こ と に
はんえい
ひ
うす
①ヨハネの黙示録第十八章の商業都市大バビロンに対する神のさばきについての預言
ちんぼつ
よげん
ヨハネの黙示録第十八章には、バビロンの都が、繁栄の最中に、挽き臼の石が海に投げ
しん じゅ
あさぬの
むらさきぬの
ひ ぬの
こう ぼく
ぞ う げ ざい
込 ま れ て 消 え 失 せ る よ う に 一 瞬 に 海 中 に 沈 没 し て し ま う と 預 言 さ れ て い ま す。 そ れ を 船
ほうせき
に乗っている商人たちが遠くから眺めるのです。
く
こうか
にっけい こうりょう
「これらの物(金、銀、宝石、真珠、麻布、紫布、絹、緋布、香木、さまざまの象牙細
にゅうこう
工、高価な木や銅や鉄や大理石で造ったあらゆる種類の器具、また、肉桂、香料、香、香油、
乳香、ぶどう酒、オリーブ油、麦粉、麦、牛、羊、それに馬、車、奴隷、また人のいのち)
を 商 っ て 彼 女 か ら 富 を 得 て い た 商 人 た ち は、 彼 女 と 共 に 苦 し む こ と を 恐 れ て 遠 く 離 れ て
あさぬの むらさきぬの ひ ぬ の
しんじゅ
かざ
立ち続け、大声で泣き、また悲しむ。彼らは言う。『ああ悲しいことだ。ああ悲しいこと
だ。麻布、紫布、緋布を着て、金、宝石、真珠を飾りにしていた大きな都よ。なぜならば、
97
よって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
いっしゅん
しょうばい
ぼうえき
はかい
と大声で叫び続ける。」(一五~一九)
かんなんじだい
や
おそ
つ
のんき
ばや
か
いっしゅん
はかい
かんなんじだい
もう
はかい
ぐち
ちゅうかいしゃ
う に も 死 ね な い 苦 痛 に 絶 叫 し て い る 最 中 で す 。 ヨ ハ ネ の 黙 示 録 の 注 解 者 の 多 く は、 こ の
ぜっきょう
ろ 患 難 時 代 で は、 彼 ら は、 自 分 の 舌 を 噛 ん で 死 の う と し て も 死 が 逃 げ て 行 く の で 、 死 の
かんなんじだい
を嘆くようなことはあり得ません。この様子は患難時代のものではあり得ません。むし
なげ
が 焼 け て 海 中 に 沈 没 す る 様 子 を 暢 気 に 眺 め て 、 自 分 たち の 金 の 儲 け 口 が な く な っ た こ と
ちんぼつ
人口が何十分の一に減らされている時に、商人たちが海に船を浮かべて、バビロンの都
へ
て くる火に焼かれ、大地震に襲われ、船という船が破壊され、海が血に変わり、世界の
じしん
学 び ま し た。 恐 る べ き 災 害 が 矢 継 ぎ 早 に 天 か ら 降 り 注 が れ る 時 に、 世 界 中 が 天 か ら 降 っ
さいがい
患難時代には商売も貿易もできません。患難時代とはどのような時代であるかはすでに
かんなんじだい
な、彼女の貴重品によって富を得ていたのに、それが一瞬のうちに破壊されてしまった。』
きちょうひん
しみながら、
『ああ悲しいことだ。ああ悲しいことだ。大きな都よ。海に舟を持つ者はみ
都が他にあるだろうか。
』と大声で叫ぶ。そして、彼らは、頭にちりをかぶって、泣き悲
海で働く者たちも、遠く離れて立ち、彼女が焼かれる煙を見て、『この大きな都のような
あれほどの富が、一瞬のうちに破壊されたとは。』そして、全ての船長、全ての船客、水夫、
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
98
バ ビ ロ ン に 対 す る 神 の さ ば き が ヨ ハ ネ の 黙 示 録 の 第 十 八 章 に 記 さ れ て あ る ので、 そ れ が
かんなんじだい
主 題 的 順 序 に 従 って 記 さ れ て あ る と は 理 解 せ ず に 時 間 的 順 序 に 従 って 記 さ れ て い る と 取
かんなんじだい
かんなんじだい
にせ
て い ま す。 そ れ に よ っ て 、 彼 ら は 患 難 時 代 を 大 し た 苦 し み の 時 代 で は な い の で は と い う
印象を読者に与えるのです。
どくさいしゃ
この大バビロンに対するさばきは、患難時代が来る前の、ローマ帝国が復活して 偽キリ
けいざい
かいてん
しょじょ
ストがローマ帝国の独裁者になり、世界を配下に置いて 一時的に政治がうまくいって い
はなむこ
るため世界の経済が非常に良く回転している時代に行われると取るべきです。
しゅうかん
はなむこ
はなよめ
はなよめ
むか
② マ タ イ の 福 音 書 第 二 十 五 章 一 節 か ら 十 三 節 ま で の「 花 婿 を 出 迎 え る 十 人 の 処 女 た ち 」
のたとえ
こんれい
せいやく
とな
はなよめ
あいさつ
はなむこ
ユダヤ人の婚礼の習慣によると、花婿は花嫁の家に花嫁を迎えに行きます。その時、祭
はなむこ
ひろうえん
ひろうえん
かいさいじかん
おく
司を呼んで結婚の誓約を唱えます。花嫁は父親とお別れの挨拶をして後、花婿に連れら
れ て 花 婿 の 家 で 行 わ れ る 披 露 宴 に 出 席 し ま す 。 そ の 披 露 宴 の 開 催 時 間 は、 し ば し ば 遅 れ
99
る た め に、 こ の バ ビ ロ ン に 対 す る 神 の さ ば き を 患 難 時 代 の 終 わ り 近 く に 起 き る こ と と し
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
はなよめ
せいやく
ちょうきょり
けっこん ひ ろ う え ん
はなよめ
はなよめ
こんえん
めいりょう
はなよめ
くうちゅう
こんえん
100
はなよめ
はなむこ
むか
すいさつ
その人々は、恐らく――これはわたし個人の推察です。聖書は明瞭にしていません。―
る人々もあるのです。
開 か れ ま す 。 そ の 婚 宴 の 式 に 招 か れ る 人 々 が あ る の で す 。 ま た、 婚 宴 の 世 話 役 に 選 ば れ
こんえん
員を御自分の、一人の花嫁として迎え入れて下さいます。その次に、天で小羊の婚宴が
はなよめ
ら れ ま す。 そ し て 、 教 会 時 代 の 聖 徒 たち が 全 員 天 で 勢 揃 い し ま す。 キ リ ス ト は そ れ ら 全
せいぞろ
キリストは、再臨の時が来た時、地上の信者を天に引き上げるために空中まで降りて来
さいりん
とは、非常に間違っています。
て あ り 得 な い こ と で す 。 で す か ら こ の「 十 人 の 処 女 」 を キ リ ス ト 信 者 の 型 と し て 取 る こ
の 唯 一 人 の 花 嫁 で す 。 ひ と り の 花 婿 が 一 度 に 十 人 の 女 性 と 結 婚 す る と い う こ と は、 決 し
はなよめ
ま せ ん。 で す か ら 、 こ の 娘 た ち は キ リ ス ト 信 者 の 型 で は あ り 得 ま せ ん。 教 会 は キ リ ス ト
さて、十人の処女は結婚披露宴の給仕役、あるいは花嫁の世話役であって花嫁ではあり
けっこん ひ ろ う え ん
ことが当たり前であったそうです。
時 間 が か か っ た と い う 事 が あ っ た ので、 花 婿 の 家で の 結 婚 披 露 宴 が 時 間 通 り 始 ま ら な い
はなむこ
と の お 別 れ に 時 間 を 取 り、 ま た 花 婿 の 家 が 花 嫁 の 家 か ら 長 距 離 で あ っ た た め に 予 定 よ り
はなむこ
ることがあったのだそうです。花嫁の実家での結婚の誓約の後、花嫁の親族や友人たち
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
けいきょご
かんなんじだい
こんえん
― 教 会 の 携 挙 後 か ら 患 難 時 代 が 始 ま る まで の 間 に 主 イ エ ス を 信 じ た イ スラ エ ル 人で し ょ
すいさつ
かんなんじだい
ろいろ推察できますが、聖書が明らかにしていないことに深入りすべきではありません。
明らかなことは、この人々が患難時代の中を通らないことです。
きへい
③ダニエル書第十一章四十節から第十二章一節までに記されている預言
第十一章四十節から四十五節まで
ひき
しゅうげき
しんにゅう
四〇・終わりの時に、南の王が彼と戦いを交える。北の王は戦車、騎兵、および大船団
うるわ
を率いて、彼を襲撃し、国々に侵入し、押し流して越えて行く。
四一・彼は麗しい国に攻め入り、多くの国々が倒れる。しかし、エドムとモアブ、また
の
アモン人のおもだった人々は、彼の手から逃げる。
ひぞうぶつ
たからもの
四二・彼は国々に手を伸ばし、エジプトの国ものがれることはない。
四三・彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が
彼につき従う。
101
う 。 こ の 人 た ち が、 天 で 行 わ れ る 婚 宴 に ど の よ う に し て 参 加 す る こ と が で き る の か は い
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
おびや
ぜつめつ
四四・しかし、東と北からの知らせが彼を脅かす。彼は、多くのものを絶滅しようとし
スラエル民族の母国を意味しています。
ある国を意味しています。)第四十一節の「麗しい国」とはパレスチナの国、すなわちイ
うるわ
主 に バ ビ ロ ン を、 そ し て 黒 海 の 北 に あ る マ ゴ グ を、 あ る い は そ の 方 面 に あ る 北 の 果 て に
は ア ッ シ リ ア を、 エ レ ミ ヤ 書 で は バ ビ ロ ン を、 あ る い は ペ ル シ ア を、 エ ゼ キ エ ル 書 で は
プトを意味しています。(「北の王」はダニエル書ではシリアのことですが、イザヤ書で
この事件が起きるのは「終わりの時」です。「南の王」とは、ダニエル書では常にエジ
の民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
て 以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなた
くなん
一・その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まっ
第十二章一節
わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。
四五・彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終
て、激しく怒って出て行く。
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
102
かんなんじだい
うるわ
だんてい
ざんぱい
かいめつ
さ て 「 終 わ り の 時 」 が 患 難 時 代 の 後 半 以 前 で あ る と 断 定 で き る の は、 第 十 二 章 一 節
かんなんじだい
くなん
かんなんじだい
患難時代の後半の「その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る」と記されてい
かんなんじだい
るからです。では、北の国がエジプトに侵入することが患難時代の前半に行われるでしょ
かんなんじだい
にせ
うか。すでに、患難時代がどのような時代であるかについて学びました。学んだところ
すき
によると 患難時代の前半にも、すで に 偽キリストが世界の支配者と して の地位を 確立し
かんなんじだい
よ
ち
てしまっていますので、この事件が起きる隙がありません。また黙示録に記されている
しんにゅう
たから
患 難 時 代 に つ い て の 記 事 の 中 に は 、 こ の 事 件 が 入 り 込 む 余 地 も あ り ま せ ん。 こ の 北 の 国
の王はエジプトに侵入し、エジプトの宝を手に入れようとします。第四十三節の「ルブ
ほりょ
人とクシュ人が彼につき従う」という意味は、恐らくルブ人(リビア人)とクシュ人(エ
おびや
チ オ ピ ア 人 ) が 捕 虜 と し て 連 行 さ れ る と い う 意 味 で し ょ う。 彼 は 自 分 が こ の 作 戦 に 大 成
すいさつ
功を収めたと思ったのですが、「東と北からの知らせが彼を脅かす」とあります。この「東
えんじょ
と北」がどこの国を指すのかは不明です。
「東」は東洋方面であると推察できます。「北」
しんぐん
が 何 を 指 す の か は、 正 確 に は 分 か り ま せ ん が、 ロ ー マ 軍 が エ ジ プ ト 援 助 の た め に 地 中 海
の 沿 岸 を 時 計 回 り に 回 っ て パ レ ス チ ナ 地 方 に 進軍 し て 来 る と 取 る こ と が で き ま す。 こ の
103
に、この北の国の軍 隊が「海と聖なる麗しい山との間」で惨敗し、壊滅させられてから
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
きへい
たて
かんなんじだい
つるぎ
おお
104
くうちゅうさいりん
おおたて
ロ ッ パ の 東 北 部 に 住 ん で い る ス ラ ヴ 系 の 民 族 が 彼 ら の 子 孫 で あ ろ う と 思 わ れ て い ま す。
のメシェクでありトバルであるのかと同定することは困難です。しかし、一般的にはヨー
どうてい
現 在 そ の 民 族 は さ ら に 北 方 に 移 動 して 他 の 民 族 と 混 ざ って い ま す ので、 ど の 民 族 が 現 在
ま
メ シ ェ ク と ト バ ル と は 、 昔、 黒 海 の 北 の 地 方 に 住 ん で い た ス ラ ヴ 系 の 民 族 の こ と で す 。
もにいる。』」(一~六)
北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍 隊、それに多くの国々の民があなたとと
とプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。ゴメルと、そのすべての軍隊、
たて
みな剣を取る大集団だ。ペルシヤとクシュ
それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、
ぶそう
はあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。
メ シ ェ ク と ト バ ル の 大 首 長 で あ る ゴ グ よ。 今、 わ た し は 、 あ な た に 立 ち 向 か う 。 わ た し
であるマゴグの地のゴグに顔を向け、彼に預言して、言え。神である主はこう仰せられる。
よげん
「さらに、私に次のような主のことばがあった。『人の子よ。メシェクとトバルの大首長
書の「北の王」とが大いに関係していると見なし得ます。
さて、エゼキエル書第三十八章を読むと、この「北の王」のエジプト侵攻と、ダニエル
しんこう
ようなことが起こり得るのは空 中 再臨と患難時代の間の期間しかありません。
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
ひき
しんぐん
その北にあるマゴグの地の大首長、ゴグが大軍 団を率いてエジプトに向かって進軍 して
しんにゅう
来るのです。それはいつのことでしょうか。それには次の節が答えています。
つるぎ
はいきょ
国は剣の災害から立ち 直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟で
あったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らは
みな安心して住んでいる。」(八)
しんこう
イスラエルの民が剣の災害から立ち直り、多くの国々の民の中から集められ、安心して
くうちゅうさいりん
か ん な ん じ だ い ちゅう
くうちゅうさいりん
住 ん で い る 時 に、 北 の 地 か ら ゴ グ が 大 軍 を 率 い て イ ス ラ エ ル の 国 に 侵 攻 し て 来 る こ と が
かんなんじだい
可能な時期は、もちろん空 中 再臨の前ではなく、患難時代中でもなく、空 中 再臨の後で、
にせ
しかも患難時代が始まる前以外にあり得ません。
にせ
さて、この「北の王」が 偽キリストであると言う人々もあります。しかし、次の聖句が
この人物が 偽キリストではないことを明らかにしています。
「 ゴ グ が イ ス ラ エ ル の 地 を 攻 め る そ の 日、 ─ ─ 神 で あ る 主 の 御 告 げ ─ ─ わ た し は 怒 り を
じしん
燃 え 上 が ら せ る。 わ た し は 、 ね た み と 激 し い 怒 り の 火 を 吹 き つ け て 言 う 。 そ の 日 に は 必
ず イ ス ラ エ ル の 地 に 大 き な 地 震 が 起 こ る。 海 の 魚 も 、 空 の 鳥 も 、 野 の 獣 も 、 地 面 を は う
105
「多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
ひょう
いおう
にせ
ばつ
ほろ
ひき
ひょう
いおう
106
ふる
ごうう
し、戦われる。その方の目は燃える炎のようであり、そして彼の頭には、彼自身の他だ
おられる御方は、『忠実また真実。』と呼ばれる御方である。そして義をもってさばきを
エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。」(ゼカリヤ書一四 三
: 、四)
「 そ し て 、 私 は 、 天 が 開 か れ た ま ま で あ る の を 見 た。 見 よ、 白 い 馬 が 。 そ の 上 に 乗 っ て
「主が出て来られる。決戦の日に戦うように、
それらの国々と戦われる。その日、
主の足は、
にキリスト御自身が天から下って来て戦われます。
て 滅ぼされ るので す。しかし、 偽キリ ストに対して は、次のみことばが語って いるよう
ほろ
この北の王とその軍隊は同士打ちと疫病で滅ぼされ、降り注ぐ豪雨、雹、火、硫黄によっ
えきびょう
らは、わたしが主であることを知ろう。」(一八~二三)
わ た し の 聖 な る こ と を 示 し て 、 多 く の 国 々 の 見 て い る 前 で 、 わ た し を 知 ら せ る と き、 彼
の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。わたしがわたしの大いなることを示し、
ごうう
になる。わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々
えきびょう
山々でゴグを攻めさせる。──神である主の御告げ──彼らは剣で同士打ちをするよう
つるぎ
が け は 落 ち 、 す べ て の 城 壁 は 地 に 倒 れ る。 わ た し は 剣 を 呼 び 寄 せ て 、 わ た し の す べ て の
つるぎ
すべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
おうかん
れ も 知 ら な い 名 が 書 か れ て い る 多 く の 王 冠 が あ っ た。 そ し て そ の 御 方 は 血 に 染 ま っ た 衣
あさぬの
を 着 て お ら れ た。 そ し て そ の 御 方 の 名 は 『 神 の こ と ば 』 と 呼 ば れ て い た。 そ し て 天 に あ
するど
つるぎ
つるぎ
彼の口から鋭い剣が出ていた。彼がその剣で諸国の民を打つためであった。そして実に
ふ
こ の 彼 は 、 鉄 の 杖 を も っ て 彼 ら を 牧 さ れ る。 そ し て こ の 御 方 が 、 全 能 者 で い ま す 神 の 激
」
(黙示録一九 一
しい怒りの酒ぶねを踏まれる。
: 一~一五)
いおう
にせ
そして、 偽キリストはキリスト御自身の手によって捕らえられ、硫黄の燃えている火の
池に投げ込まれます。次の聖句がそのことを語っています。
と
「そして私は、獣と地上の王たちとその軍 勢が集まり、馬に乗っておられる方とその方
こくいん
の軍 勢に対して戦いを仕掛けるのを見た。すると、その獣は捕らえられた。また、獣の
まど
にせ よ げ ん し ゃ
と
い
前でしるしを行い、それによって獣の刻印を受けた人々と獣の像を拝んでいる者たちと
おう
を 惑 わ し た あ の 偽 預 言 者 も 、 彼 と い っ し ょ に 捕 ら え ら れ た。 そ し て 、 こ の ふ た り は 、 硫
ほ
ご
黄の燃えている火の池に、生きているまま投げ込まれた。
」
(黙示録一九 一
: 九、二〇)
かんなんじだい
にせ
このように患難時代の前に、しかも、ローマ帝国が復活し、 偽キリストがローマ帝国の
独裁的皇帝となったために世界が安定し、イスラエル人たちがその保護を受けて平安を
107
る軍勢が真っ白な、きよい麻布を身にまとって、白い馬に乗って彼に従っていた。そして、
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
かんなんじだい
約を結ぶ。この時から七年間の患難時代が始まる。
108
しんにゅう
四・多くのイスラエル人がこの男をイスラエル人のメシヤとして受け入れ、この男と契
であり、一時的に全世界を支配する。全世界はこの 偽キリストに服従する。
の支配権を握り、昔のローマ帝国を復活させて、その皇帝となる。この男が 偽キリスト
三 ・ 十 カ 国 同 盟 の 十 人 の 支 配 者 の 後 か ら 、 非 常 に 狡猾 な 男 が 現 れ 、 そ の 男 が 十 カ 国 全 体
ローマ帝国の復活の土台となる。
二 ・ 空 中 再 臨 の 後 に、 地 中 海 沿 岸 の 十 カ 国 が 同 盟 し て 連 合 体 を 形 成 す る。 そ れ が 昔 の
望むべきである。
一・空 中 再臨は予告も前兆もなしに何時でもあり得るので、私たちは常に再臨を待ち
結論
できなくなります。
い な ら ば 、 こ の「 北 の 王 」 が 何 者 で あ る の か、 パ レ ス チ ナ に い つ 攻 め て 来 る の か が 理 解
もし、空 中 再臨の後、患難時代が始まるまでに、ある程度の期間があることを認めな
くう ちゅう さいりん
楽しんでいる時、突然に北の国の王が大軍隊を率いてパレスチナに侵入して来るのです。
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
五 ・七年間の患 難時代は、神が全世界をさばかれる時である。全期間中、特に後半の三
年半には神の激しい怒りが注がれる。
これがキリストの地上再臨である。
七・キリストはこの地上に神の国を実現される。それが千年王国である。
109
六・患難時代の終わりに真のキリストが天から下って来られ、 偽キリストを滅ぼされる。
Ⅹ・キリストの空中再臨には前兆がなく、いつでもあり得ることであると
固く信じ、さらに空中再臨後、患難時代が始まるまでにある程度の期間が
あると認めることによって、聖書解釈上の多くの困難が取り除かれる
ⅩⅠ・総括
ⅩⅠ・総括
かんなんじだい
くう ちゅう
すでに出版されている、終末についての解説書の中には、教会時代がキリストの空 中
さいりん
かんなんじだい
再 臨 に よ っ て 終 り、 そ の 直 後 に 患 難 時 代 が 始 ま る よ う に 説 明 し て い る も の が か な り あ り
ま す 。 し か し、 こ の 小 論 で 説 明 し た と お り、 教 会 時 代 が 終 わ っ た 後、 患 難 時 代 が 始 ま る
かんなんじだい
ま で に 起 き な け れ ば な ら な い 重 大 な 事 件 が い く つ か あ る の で す。 で す か ら 教 会 時 代 と
患 難 時 代 の 間 に は あ る 程 度 の 時 間 が ど う し て も 必 要 で あ る の で す。 で す か ら ダ ニ エ ル 書
じゅんび
そうにゅう
第九章二十四節の「七十週」の第六十九週と第七十週の間に教会時代だけでなく、最後
くう ちゅう さいりん
の第七十週が始められるための準備の時も挿入されたと説明しなければなりません。
かんなんじだい
ぜんちょう
こ の こ と を 否 定 す る、 あ る い は 認 め な い な ら ば 、 ど う し て も キ リ ス ト の 空 中 再 臨 の 前
かんなんじだい
ぜんだ
に患難時代が始まるための前兆が何かあるとしなければならなくなります。なぜならば、
くう ちゅう さいりん
かんなんじだい
患難時代はお膳立てなしには、すなわち準備なしには始まり得ないからです。あるいは、
どれい
キ リ ス ト の 空 中 再 臨 の 直 後 の 患 難 時 代 に つ い て 、 ヨ ハ ネ の 黙 示 録 が「 そ し て 世 界 の 王
かく
たち、有力者たち、軍司令官たち、金持ちたち、勇者たち、全ての奴隷と自由人たちが、
ほら穴と山の岩間に身を隠した。そして彼らは山や岩に向かって、『我々の上に倒れろ。
110
ⅩⅠ・総括
かく
そして御座に座しておられる御方の顔と小羊の怒りから、我々を隠してくれ。なぜなら、
かんなん
彼 ら 〈 御 父 と 小 羊 〉 の 怒 り の 大 い な る 日 が 来 て し ま っ た の だ か ら だ。 だ れ が そ れ に 耐 え
くうちゅうさいりん
けんあく
られようか。』と言った。」(黙示録六 一
: 五~一七)と語っているにもかかわらず、患難
じだい
時 代 が、 そ れ ほ ど 苦 し い も の で は な い と 言 わ な け れ ば な ら な く な る か ら で す 。 事 実 あ る
注解者はそう言っています。あるいは空 中 再臨の前には世界情勢が現在より一層険悪な
さいりん
しんぴょうせい
も の に な ら な け れ ば な ら な い と 言 う こ と に な り、 そ の 結 果、 現 在 の 世 界 の 様 子 に よ れ ば
さいりん
ぜんちょう
再 臨 が そ れ ほ ど 迫 って い る と は 思 え な い と 言 って、 聖 書 の 信 憑 性 を 否 定す るこ と に な る
のです。
さいりん
しかし、聖書は、キリストの再臨が起きる前に前兆はなく、いつでもあり得るゆえに私
かんなんじだい
くう ちゅう さいりん
くう ちゅう さいりん
かんなんじだい
たちは再臨を日々待たなければならないと明らかに教えています。
患 難 時 代 は 空 中 再 臨 の 直 後 に は 始 ま り ま せ ん。 空 中 再 臨 後、 患 難 時 代 が 始 ま る まで
にはある程度の準備の期間がなければなりません。その期間が何年であるかは不明です。
かんなんじだい
神はそれを明らかにしておられません。しかし、その期間は数ヶ月の短期間とは考えら
れません。この期間中に患難時代が始まるための準備が行われますから、それなりの期
間が必要です。
111
ⅩⅠ・総括
くうちゅうさいりん
くう ちゅう さいりん
ぜんちょう
よちょう
さ て 、 読 者 の 方 々 は、 キ リ ス ト の 空 中 再 臨 が い つ で も あ り 得 る こ と を 理 解 さ れ た と 思
さいりん
います。キリストの空 中 再臨のためにはその前兆、予兆はありません。明日でもあり得
る事であるのです。しかし、再臨がいつあるか分からない、ということは、この十年間に、
あるいは、この百年間にあるかも知れないが、ないかも知れない、ということを意味す
る と も 取 れ ま す 。 言 葉 の 上 で は 確 か に そ う で す 。 し か し、 キ リ ス ト は 「 然 り。 わ た し は
きたい
え
すぐに来る。
」 と 約 束 さ れ た の で す 。 で す か ら 真 に キ リ ス ト を 愛 す る 者 は、
「明日にはな
むか
たいぼう
いかも知れない。」と「ない方」に期待せずに、「あり得る方」に望みを置いてキリスト
が迎えに来てくださることを真実に待望すべきであるのです。
ですから、真実にキリストを信じ、またキリストを愛する真の信者は、毎日、主イエス・
はげ
さいりん
そな
キリストに向かって「主よ。早く来てください。
」と叫びつつ、世から離れ、主の御業に
さいりん
さいりん
励みつつ、主イエスの再臨に備えているべきです。マラナ・タ(私の主よ。来てください。)
さいりん
かんなんき
かんなんき
かんなんき
現在、キリストの再臨を公然と否定したり、あるいは、再臨はあるけれどすぐではない
と言ったり、再臨は患難期の後にある、あるいは患難期の途中にあると言い、患難期は
112
ⅩⅠ・総括
さいりん
すす
ま だ 先 の こ と で あ る か ら 再 臨 は ま だ ま だ 先 の こ と で あ る と 言 う 者 たち が 現 れ て い ま す の
で、読者の方々はこのような者たちに対して特に警戒心を強めることをお勧めします。
113
緊迫しているキリストの再臨
山岸登著
定価 840 円(本体 800 円 +5%消費税 40 円)
2010 年 9 月初版 1,000 部
発行所 エマオ出版(津久野キリスト恵み教会出版部)
〒 593-8307 大阪府堺市西区平岡町 276-4
TEL
072-273-8615
FAX
072-273-8833
Email [email protected]
ISBN978-4-904805-03-9 C1016\800E 乱丁落丁はお取り替えいたします。
エマオ出版目録 2010 年 9 月現在
山岸登著 本体価格
マタイによる福音書注解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3,000
マルコの福音書注解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,600
ルカの福音書注解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,800
ヨハネの福音書注解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,900
使徒の働き各節注解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2,300
恵みの真理(ローマ書各節注解)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2,800
コリント人への手紙 ( 第一・二 ) 各節注解 ・・・・・・・・・・・・・・ 1,900
ガラテヤ人への手紙・ピリピ人への手紙各節注解 ・・・・・・・1,500
エペソ・コロサイ・ピレモン各節注解 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1,500
テサロニケ人への手紙 ( 第一・二 )・
テトスへの手紙・テモテへの手紙 ( 第一・二 ) 各節注解 ・・ 1,800
ヘブル人への手紙注解(現代の教会に対する神の警告)・・・・ 2,500
ペテロの手紙 ( 第一・二 )・ユダの手紙各節注解 ・・・・・・・・・1,500
ヤコブの手紙・ヨハネの手紙 ( 第一・二・三 ) 各節注解 ・・・ 1,500
ヨハネの黙示録各節注解 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,300
詩篇の解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,200
イザヤ書解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,500
エレミヤ書・哀歌解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,500
エゼキエル書解説 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,500
永遠の地獄 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,000
聖書が示す神の摂理 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,800
これで聖書が解りやすくなる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,300
聖書に基づく教会観 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・800
ヨシュア記講義 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,500
いつキリストは再臨されるか ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,000
聖書教理Q&A第 1 部(創造編)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・500
聖書教理Q&A第 2 部(救済編)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,200
けいやく
聖書教理Q&A第 3 部(契約編)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,000
聖書の真理によって
「聖書的セカンドチャンス論」を斬る ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 800
緊迫しているキリスト再臨 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 800
山岸登訳書 本体価格
新約聖書-エマオ出版訳- ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,000
ギリシヤ語新約聖書の実用法 ケネス・ウエスト著 ・・・・・・・・1,500
いのちのことば社卸部扱い
新約聖書ギリシヤ語文法手引き ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5,000
種類に従って バイロン・C・ネルソン著 ・・・・・・・・・・・・・・・・・1,800
石に書かれた洪水物語 バイロン・C・ネルソン著 ・・・・・・・・・1,300
アブラハム以前 バイロン・C・ネルソン著 ・・・・・・・・・・・・・・・1,000
C . H . Mシリーズ
No.1
ヨブとその友 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・400
No.2
エリヤの生涯とその時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・700
No.3
ダビデの生涯とその時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,000
No.4
ヨシヤ王の生涯とその時代 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・600
No.5
シモン・ペテロ その生涯とその教訓 ・・・・・・・・・・・・・・700
No.6
ベタニア ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・700
No.7
エリコとアコル ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・700
No.8
ギデオンと仲間たち ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・700
No.9
キリストの大宣教命令 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・700
No.10 真実な回心とは? そしてその結果は? ・・・・・・・・・・・・・・800
中高生伝道用短編小説 イワノフの悪夢 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・300
松岡平(塩釜恵みキリスト教会牧師)著 真理とは何か? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1,500
Fly UP