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川 尻 筆

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川 尻 筆
資料5
かわ
川
1
じり
尻
ふで
筆
川尻筆とは
ひろしまけん と よ た ぐ ん かわじりちょう
川尻筆は,広島県 豊田郡 川 尻 町 において,江戸時代末期から農閑期の副業として製造が始まり,
今では,同町の主要産業として,伝統と技術を綿々と受け継がれている。
川尻町の筆づくりにおいては,「ねりまぜ」という技法が一般的であり,「毛組帳」に記載されて
いる原材料の量からも明らかになっている。この技法は大量生産には向かないが,反面,高度な技
術を必要としていることから,出来上がった製品は高い品質の筆となる。
2
工芸品の特徴と手工業性について
ほくび
川尻筆の製作は,大きく分けて,穂首 製作工程,軸製作工程,完成工程の3つの工程に分けられ
るが,いずれの工程も古くからの技法によって1本1本手作業で進められ,それぞれ複雑な工夫と
気配りを経て丹念に仕上げられる。
原材料は主に,穂首に獣毛,軸には竹や木を使用しているが,獣毛は紀元前から使用されている
と伝えられており,今なお用いられ続けている。
3
沿革・伝統性について
(1)
沿革
川尻町と筆の関わりは江戸末期(天保9年)に,菊谷三蔵が摂州有馬(現在の兵庫県)から筆
を仕入れ,寺子屋などで販売したのが始まりである。筆の商売で成功の後,村人に筆の製造が農
閑期の副業に有利なことを説き,安政6年,上野八重吉が作ったのが,川尻町における筆製造の
始まりとされている。その後,何人かの業者がつづき,「川尻筆」としての産地形成をなし,そ
の名を全国に知られるようになった。
明治時代に入ると学制の制定,小学校令の改正によって筆の需要が高まり,川尻筆は大いに発
かわじり ひつぼく かぶしき がいしゃ
展し,明治34年,全国に先駆けて株式組織の川尻 筆墨 株式 会社 の設立もあり,技術面,経営面
でも飛躍的な進歩を遂げた。
しかし,第二次世界大戦中,戦争に多くの職人をとられたことや戦後の学制の変更で学校習字
が廃止されたこともあり,一時,衰えた時期もあった。
かわじり もうひつ じぎょうきょうどうくみあい
それでも,昭和42年に川尻 毛筆 事業 協 同 組合 が組織され,経営の合理化,近代化が実現した
ほか,昭和46年には学校習字が復活するなどにより,川尻の主要産業として「川尻筆」の技術
と伝統は今もなお受け継がれている。
(2)
4
参考文献・資料
① 「賀茂郡史」(1916年3月)廣島縣賀茂郡私立教育會発行
② 「川尻史」(1927年)川崎春吉編
③ 「名産川尻筆」(1982年)川尻町商工会
④ 「毛組帳」
⑤ 「研究紀要 わが国筆産地の生成と発展」(1996年)東海学園大学
伝統的な技術又は技法
①
綿抜きの作業には,もみがらの灰を用いること。
西田安慶
②
③
④
5
寸切りは,寸木及びはさみを用いること。
混毛は「練り混ぜ」(ぼんまぜのあと練り混ぜを行うものも含む。)によること。
糸締めは,麻糸を使用すること
伝統的に使用されてきた原材料
①
穂首は,山羊,馬,イタチ,狸,鹿,のぶすま若しくはこれらと同等の材質を有する獣毛と
すること。
② 軸の素材は,竹又は木を使用すること。
6
製造される地域
広島県豊田郡川尻町
7
製造産地の概要
(1) 川尻筆は,広島県豊田郡川尻町で作られ,平成14年度の製造事業者数は14事業所,従事者
数130人,生産額980百万円である。
項目
年度
平成14年度
※
(2)
生産額
(百万円)
製造事業者数
(社)
従事者数
(人)
980
14
130
数値は概算
申出に係る協同組合等の名称及び概要
(名称)川尻町毛筆事業協同組合(理事長
(設立)昭和42年
(平成14年度 組合概要)
項目
年度
平成14年度
※
数値は聞き取りによる
山下雅章)
生産額
(百万円)
製造事業者数
(社)
従事者数
(人)
783
12
100
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