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Hirosaki University Repository for Academic Resources
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第3章 ネーデルラントから見た地球海
中沢, 勝三
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1999-05-24
http://hdl.handle.net/10129/1906
本文データは青木書店の許諾に基づき複製したもので
ある。
publisher
http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/
第3章
はじ めに
ネ-デ ルラ ントから 見 た地中 海
古来 、ネー デ ルラ ン- 地方 は今 日 に いたるま で、 ヨー ロ ッパ大陸 の北 西端 と い- 地 理的位 置 によ って'
交 通 の要 衝 であ った。 ま た、 〓 1
世紀以 降 の ヨー ロッパ経済 の革新 の中 心 地 にあ った ため、 人 と文物 の行
き来 が激 し か った。 この地方 の経済 的盛 衰 は、も とよ り時 代 によ って' ま た地域 によ って微妙 な差 異 があ
った が、中 世 から近代初 頭 にかけ て の時 期、 そし てそ の後 の停 滞 し た 1時 期 を別 とし て、 工業化 経済 の時
代 以後 にお いて、 つね に ヨー ロ ッパ経済 の中 枢的位 置をし めた。
ネ- デ ルラ ン-地方 は、 別名低 地 地方 とも呼 ば れるな だら かな平 地 で、 そ の北 半分 はライ ン川 の河 口地
帯 であ り、中 世 から干拓 がさ かんな地 であ る。 オラ ンダ では国 土 の四分 の 一が海 面下 にあ るポ ルダ ー と呼
ばれ る干拓 地 からな って いる。 そ の東 側 に隣接す る大陸 の内 陸 地域 ' ライ ン下流地域を介 し て今 日 のドイ
ツ、 そし て南側 に接す る フラ ンスと歴 史 的 に密接 な経済'交 易関係 ' そ し て政治的 ・文化的 な関 係 を も っ
て いる。他 方 で、 ドー パI海 峡 を隔 てた英国 とも強 い結 び つき をも って いた。 英国 は' 7四世紀 以降 農村
ネ- デル ラン トか ら見た地 中海
第 3章
8
9
におけ る市 場 経済 の勃 興 によ って経 済力 を高 め て いき、毛 織物 製 品 の原料 であ る羊毛 の供 給国 から毛 織物
輸出国 へと転換 し、 そ の こと がネー デ ルラ ン- におけ る地域 間 、 都市 間 の浮 沈 に多 大 な影響 を およ ぼす こ
と にな る。
そし て、 こ の地方 は中 世 ヨー ロ ッパ の中継商 業 の中 枢 の 一つであ ったイ タリ ア、 とり わけ 北 イ タ リア諸
都市 と、 中部 ドイ ツをあ いだ には さ ん で結 び つきを 強 め て い- こと にな る。 ネ- デ ルラ ン- とイ タ リ ア と
の強 固な交 易関係 は、 1六 世紀 にな って独特 の ヨー ロ ッパ大 陸 縦 断 内 陸交 易 の隆盛 と いう 頂点 を極 め る こ
と にな る。 この交 易商 業 の流 れ は、 両地域 間を結 ぶ交 易 の糸 とし て だけ でな-、 そ の両端 に英国 と レヴ ァ
ン-、中近東 地域 をも 含 むと いう 、 す ぐ れ て 「世界的 な」意 味 を も つ経済的 実 態 であ った。 さら に、 西地
中 海 のイ ベリ ア半島 世 界 と の結 び つき は、 アメリ カ 「
発見 」 よ り 以前 から 強 固なも のがあ った。 地 中 海を
超えた 「
拡大 地中 海 」 とも いう べき 大西洋 に、 7五世 紀 に乗 り出 し て い-植 民活 動 に フラ ンド ル (
ネI デ
ルラ ン- の 一地方名) の商 人も か か わ って いた のであ る。
こう し たネー デ ルラ ン- と地中 海 と の深 いかか わり は、 や が て 一六 世紀 の後半 から の ヨー ロ ッパ の相 次
ぐ 戟 乱 の時 代 に翻 弄 さ れ、 三〇 年 戦 争 (T六 一八 ∼四 八 年 ) に突 入 し て繁 栄 の時 代 に訣 別 す る こと にな
る。 一七世紀 は、 「オラ ンダ の世 紀」 とも いわれ、繁 栄 のあ り 方 は 一六 世 紀 と同 じも のでは な- 、 成 立 し
つつあ る国家 を背 景 にし た再 編 さ れ た姿 で登場す る こと にな る。 コスモポ リタ ンな ヨー ロッパ世 界 のあ り
方、 交 易 と商 業 に体 現 さ れ た人 とも の のボー ダー レスな 動き は、 国 境 と戟 乱 によ って大き な制 約 を 受 け る
こと にな る。 中 世 から近 代初 頭 におけ る ヨー ロッパの経済交 流 の実 態 を ネ I デ ルラ ン- とイ タ リ ア の交 易
90
商業 ネ ッ トワー ク
1部
第
にお いて、 ま たネ ー デ ルラ ン- とイ ベリ ア半島 と の商 業 に ついて、 つか のま の繁 栄 と共生 に見 よう とす る
のが本 章 の狙 いであ る。
1 中 世 のネ- デ ルラ ンー と地中海
世界市場ブリ ュージ ュ
「
多 数 の土地 から来 る多 数 の商 人 の同時 の存 在 が、 ブ リ ュー ジ ュに ﹃
世 界市 場﹄ の地 歩 を 与 え たも のと
考 えら れ る。 と いう のは、 ア フリ カ と ア ジア は、 地中 海 を 通 じ て、 ヨー ロ ッパと旧世 界全 体 と結 び ついて
いる から であ る」 と は歴 史 家 フ ァ ン ・ハウ テ の言 葉 であ る。 フリ ッツ ・レー リ ヒも ま たブ リ ュー ジ ュを
「
中 世 の世 界市 場 」 と名 づけ た。 二 一
七 七年 、 ジ ェノ ヴ ァ のガ レー船 (
オー ル付 き の帆 船 ) がブ リ ュー ジ
ュや ア ン- ウ ェルペ ンに来 訪す るよう にな り、 〓三 四年 にヴ ェネ ツィア のガ レI船 団 がブ リ ュー ジ ュに
来 た。 一四世紀 にな る と、 イ タ リ ア と の直接 の海 上交 易も 本 格 化す るよう にな る。 こ のイ タ リ ア商 人 が定
着 し た のがブ リ ュー ジ ュであ った。 彼 ら は、出身 都市 別 に居 留 商 人団 体 を つ- り、 や が てはそ こで領 事 を
選出Lt 自治権 を 獲得す るよう にな って い-。 それ は彼 ら の財 力 と そ の商 業 知識 の蓄 積 によ るも のであ っ
たO この時 代 に、 ブ リ ュー ジ ュに は ど れ ほど の外国商 人 が いた のであ ろう か. そ の詳 細を物 語 るデー タ は
乏 し いが、 一四 四〇年 の人数 とし て、 ハンザ 二二六人、 スペイ ン四八 人、 ヴ ェネ ツィア四〇人、 ジ ェノヴ
ァ三 六人、 フィ レ ンツ ェ二 二人、 ル ツカ 二 一
人 と いう 数 字 があ る。 し かし、 ポ ルー ガ ルや カタ ル- ニャの
ネー デ ル ラ ン トか ら見 た地 中海
3章
第
9工
数字 は不 明 であ る。
1五 世 紀 の前 半 にお いて、 ジ ェノヴ ァや ヴ ェネ ツィ ア のガ レI船か ブ リ ュー ジ ュに立 ち寄 り'
木綿 、染 料、 ワイ ンを売 り、 帰 り荷 に英国 産 の羊 毛 や毛 織物 を持 ち帰 った。
明
馨
や
みようぼ ん
こ の時 代 のブ リ ュー ジ ュの ヨー ロッパ経済 におけ る位 置 を よ - 示す 叙 述 とし て引 き合 いに出 さ れ る のが
オリヴ ィ エ ・ド ニフ ・マルシ ェの年代記 の記 述 であ る。 一五世紀 の年 代記 作 者 オリ ヴ ィ エ ・ド ・ラ ・マル
シ ェは、ブ ルゴー ニ ュ公 シ ャル ル豪 胆公 と英国 国 王 エド ワー ド 四世 の娘 マー ガ レ ッ- と の結 婚 を祝 って'
翌 一四六八年 に催 さ れ た祝 典 を記 録 し て いる が、 そ のブ リ ュー ジ ュにおけ る行 進 のな か に' イ タリ アや ス
ペイ ン各 地 の商 人 が豪 華 な 衣 装 を身 にま と った姿 が描 か れ て いる。 行 進 の先 頭 には、 馬 に乗 ったヴ ェネ ツ
ィア人 が陣 取 り、 次 いで フィ レ ンツ ェ人、 スペイ ン人' ジ ェノヴ ァ の商 人 が つづ-。 し かも、 そ の人数 は
多 い。 マルシ ェは、 フィ レ ンツ ェ商 人 一 一人、 スペイ ン商 人 二 四 人' ジ ェノヴ ァ商 人 に いた って は、 「
白
いダ マスク織 の服 を着 て馬 に乗 った 一〇八 人 の商 人」 が 「同数 の従 僕 を し た がえ て」 行進 し たと叙 述 し て
いる。 こ の行進 に見 ら れ る富 裕 な南欧商 人 の姿 は' 彼 ら が当時 こ の都市 で受 け て いた処遇 と そ の位 置 を よ
-示し て いると いえ る。
フィ レ ンツ ェの有 名 な金 融貿 易商 家 であ る メデ ィチ家 も 、 ネI デ ルラ ン- におけ る拠点 を こ のブ - エー
ジ ュにお いた。 コシ モ ・デ ・メデ ィチ は、 一四三九 年 に ベ ルナ ルド ・ポ ルテ ィナ - をブ リ ュー ジ ュで の代
理人 に指 名 し た が、 こ こで活 発 な交 易、金 融 活 動 を展 開 し た。先 に述 べた シ ャ ル ル公 の祝 典 行進 で フィ レ
ンツ ェ人を率 いた のは、 メデ ィチ家 のブ リ ュー ジ ュで の差 配役 を務 める- マソ ・ポ ルテ ィナ リ であ った。
92
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
と ころ で、 こ の 一五世紀 にお いて、 ブ リ ュ ー ジ ュを舞 台 とし てし だ いに 一つのミ ニ世 界経済 とも いう べ
き新 し い経済 の動 き が築 かれ て い った。 す でに、 一四世紀 のはじ め には マディ ラ、 カナ - ア、 アゾ レスの
諸島 が発見 され植 民 が進 ん で いた が、 有 名 なポ ルー ガ ルの エンリ ケ航 海 王 子 (二二九 四 ∼ 一四 六〇年) の
イ ニシアテ ィブ によ って、 ア フリ カ西海岸 が探 検 航 海 され て い った。 彼 の在 世中 にポ ルー ガ ルは ポ ジ ャド
ー ル岬 を発 見 し' l四四 六年 にはギ ニア に達 し て いた。 これら の島 々や ア フリ カ西岸 で手 に入 れられ た象
牙 や マラ ゲ ッ- と いわ れ る ア フリ カ産 香 料 '金 、 のち にな る と砂 糖 な ど の植 民 地 物 産 の市 場 と な った の
が、 ブ リ ュー ジ ュであ った。 ポ ルー ガ ルはア フリ カ交 易を お こなう 上 で、 対 価 とし て必 須 の貴金 属 や金 属
製 品を調達 す るた め にもネIデ ルラ ン- に赴 - 必要 があ ったo そし て、 こ の交 易 を 担 った商 人 のな か に、
ブ - エー ジ ュのデ スパ ルス商 会 のよ- なネ ー デ ルラ ン-商 人 の活 躍 があ ったo 砂糖 キ ビは マディ ラ島 に シ
チ リア島 から導 入 され、 一四五五 年 にそ の生 産 が開 始 され た。 一四 五〇年 から七〇年頃 に かけ て' ブ リ ュ
ー ジ ュ商 人 の ファ ン ・ウ エルテや ファ ン ・デ ル ・ハー ゲ ンな ど がアゾ レ ス諸島 の植 民 に参 加 し て いる。 -
ゥ ルネ ー の商 人 エウ スター シ ェ ・ド ・ラ ・フォ スは 一四七九 年 ア フリ カ西岸 を 探 検 し っつ交 易活 動を お こ
な い、 香 料 や奴 隷 を 銅製 品 と交 換 し て いる が' この頃 、 何 人も の フラ ンド ル商 人 がリ スボ ンに滞在 し てア
ゾ レス諸島 や マディ ラ島 と フラ ンド ルと のあ いだ で活動 し て いる。
こ の頃 から北 ヨー ロ ッパがし だ いに砂糖 の消費 量 を増 大 し はじ め、 リ スボ ンとブ リ ュー ジ ュと のあ いだ
で、従 来 の中 世的交 易 に は見 ら れな か ったタイ プ の、 いわ ば ミ ニ世 界 経済 とも いえ る交 易 圏をも つ商 業交
易 が成 立し た。 のち に大 西洋 を はさ ん で ヨー ロッパと ア メリ カ世 界 (
カリブ 海) のあ いだ で展開 さ れ る砂
ネ- デ ル ラン トか ら見た地 中海
3章
第
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糖 生 産 とそ の交 易 のひな 型 が、 ヨー ロ ッパと北 ア フリ カ諸島 と のあ いだ で 一五 世紀 にお いて形成 さ れ た の
であ る。 そ の舞 台 が マディ ラ島 とブ リ ュー ジ ュであ り、 ア ン- ウ ェルペ ンの砂 糖 精 製業 であ った。
ポ ル- ガ ルのネI デ ルラ ン- におけ る本 拠 地 は長 ら -ブ リ ユツ へにあ って、 こ の地 で 二二八 六年 から在
外 商館 を 設 置 し、 「
居 留商 人団」 を組 織 し て いた。 そし て、 一四 三 八 年 にブ リ ュー ジ ュ市 から得 た特 権 で、
領 事 を 選出す る こと が でき るよう にな る。
アントウ エルベンの発展
ア ン- ウ ェルペ ンは、 一四 世 紀 にラ イ ン地 方 を 後背 地 とし て毛 皮 や ワイ ンの有 力 な 市 場 と な って いた
が、 一五 世紀 に入 って飛 躍 的 発 展 を遂げ て い-。 そ の背 景 には、 英国 の毛 織物 輸 出 の成 長 と いう 経済 的 転
換 があ った。 英国 から の毛 織物 の輸 出 攻勢 は、 フラ ンド ルの毛 織物 工業 に打撃 を与 え たが、 ア ン- ウ ェル
ペ ン市 は 〓 貝し て こ の英国 産毛 織物 を積極 的 に受 け 入 れ たため に、 ネ - デ ルラ ン-内部 にお いて際 立 った
対応 の相 違 が地域 間 ・都市 間 の レベ ルで顕 在 化 し た のであ る。 と ころ でt T四- 1五 世紀 の中 葉 ま では、
英国 製 の毛 織物 の地中 海、 そ し て レヴ ァ ン- ・中 近東向 け の輸 出 は、 必ず しもネ ー デ ルラ ン-を 経由す る
こと はな か った。 し かし、 ジ ェノヴ ァや ヴ ェネ ツィア の商 人 によ って海路 、 英国 製 の毛 織物 が地中 海、 さ
ら にはア レクサ ンド リ アな ど へ、 し だ いに大 量 に輸出 され るよう にな る。
ア ン- ウ ェルペ ンが英国 毛 織 物 の交 易 地 とし て発 展 し た のは、 そ の都市 が ケ ル ンの商 人を介 し て中 継交
易 の拠点 とな った こと が重 要 であ った。 イ ギ リ ス毛 織物 の購 入者 とし て ケ ル ン商 人 が登 場し た のであ る。
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商業 ネ ッ トワー ク
1部
第
ア ン- ウ ェルペ ンには、 英国商 人、 つま り毛 織物 輸出 貿 易商 人団 体 であ る マー チ ャ ン- ・アド ヴ ェンチ ャ
ラ ー ズ が進出 し、 ケ ルンを はじ め とす るドイ ツ商 人 が同市 に毛 織物 を 購 入す るた め に こ の都市 を訪 れ た。
こ の こと がア ン- ウ ェルペ ン市 場 を 国 際 的 位 置 に押 し上 げ た のであ った。 ア ン- ウ エルペ ンは、英国 製 の
毛 織物 を たん に取引す る市 場 都 市 にと どま らな か った。 こ の都市 は、 そ こ で受 け 入 れ た英国 製毛 織物 を染
色 し仕上 げ る工業 都市 とな って い った。 当 時 の工業 にお いてし め る毛 織 物 工業 の位 置 から し て、 ア ン- ウ
ェルペ ンは当 時 の先 端的 工業 都市 とな った のであ る。
と ころ で、 そ れま で衰 退 の道 を た ど って いた と は いえ、国 際 的 工業 とし て の地位 を保 って いたブ リ ュー
ジ ュな ど の都市 を軸 とす る フラ ンド ルの都市毛 織 物 工業 の利 害 は、 統 治者 の交 替 によ って劇 的 な変 化 を こ
う む る こと にな る。 1四 七 七年 に シ ャ ル ル豪 胆 公 がナ ンシ ー 郊外 で フラ ンス の ルイ 二 世 に敗 れ て戦 死し
たあ と、 ネ ー デ ルラ ン- の実質 的 統 治者 とな った ハブ スブ ルク家 の マク シ ミリ ア ン大 公 と の対 立 によ って
鮮 明な か たちを と る こととな った。 一四八〇年 代 にお いて、ブ リ ュー ジ ュは同市 を 訪 れ た マタ ンミリ ア ン
を 1時 幽閉す る手 段を と ったが、 そ の報復 は フラ ンド ルに手厳 し か った。 最 大 の痛 手 は、ブ リ ュー ジ ュに
居 を お-外 国商 人 に対す る退 去命 令 であ った。 こう し て l五 世 紀 の末 に外 国 商 人 の多 - はブ リ ュー ジ ュを
去り 、 ア ン- ウ ェルペ ンに向 かう こと とな った。
ち ょう ど この時 期 に ヨー ロッパ 'G商 業 世界を 根底 から揺 る がす よう な 地 殻 的変 化 が生 じ た。 世紀末 にヴ
ァ ス コ ・ダ ・ガ マによ る ア ジ ア航 路 の開 発 と いう 大 事 業 とし て実 を 結 び、 そ れ よ り 以前 に コ ロンブ ス の
「
新 世 界」 到達 と いう 、 ヨー ロ ッパ側 から 見 れ ば革 命 的 とも いえ る 「世 界 」 の拡 大 と いう 事 態 が生 じ た の
ネ- デル ラン トか ら見 た地 中海
3章
第
95
であ る。 ポ ル- ガ ル人 が' 直 接 イ ンド に行 き' そ こで ヨー ロ ッパ人 が求 め て いた胡棟 な ど の香 料 を手 に入
れ る ことが でき るよう にな り' 一五〇 三年 以 後 には、 リ スボ ンで胡 枚 がヴ ェネ ツィア の五分 の 一の値 段 で
販売 され るよう にな った. これ は' そ れま で 「
- ル コから栄養 分 を得 て いた」 (
ブ ローデ ル)と いわ れ る ほ
どア ジア物産 の独占的中 継商 業 によ って利 益 を得 て いたイ タ リ ア都 市 、 ヴ ェネ ツィアや ジ ェノヴ ァな ど の
一六世紀 のア ントウ エル ペン市場 と地中海
商 業 基盤 を掘 り崩す契 機 とな って い- のであ る。
2
アントウエルベンの繁栄
一六世紀 の開幕 を告げ る l五〇 1年 、 ポ ル- ガ ルの香 料 を積 載 し た船 舶 がはじ め てア ン- ウ ェルペ ン港
に向 か って ス ヘルデ川 (
シ ェル- 川) を遡 って い った。 そ し て 一五〇 三 年 以後 、 こ の交 易 の流 れ は頻繁 に
な って いく。 と ころ で こ のポ ル- ガ ル香料 のア ン- ウ ェルペ ン市 への到来 こそ' こ の市 場 をます ます 世 界
的市 場 へと押 し上 げ た決定 的 要 因 であ った。 そ れ はア ン- ウ ェルペ ンがブ リ ュー ジ ュにかわ って北 欧 を南
欧 に結 び つけ る役割を果 たし た から にはかな らな い. こ こに' フ ァ ン ・デ ル ・ウ ェI が 「リ スボ ン ・ア ン
- ウ ェルペ ン商業 枢軸」 と形容 し た結 び つき が形成 され た のであ る。 ま た、 ジ ャナ ンは、 同市 の世 界市 場
への上 昇 を、 「こ の地 にヴ ェネ ツィ アや リ スボ ン、 そ れ に ロンド ンか ら と同 じ よう にダ ンツィ ヒや ラ イブ
ツィ ヒからも 人 びと が訪 れ た」 と表 現 し て いる。 ア ン- ウ ェルペ ンは英 国 産毛 織物 の販売 地 とし て培 った
96
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
長 い伝 統 の基盤 の上 に' いま や 地中 海商 業 の花形 であ った香 料 交 易 を 引 き つけ ' ヴ ェネ ツィア では厳 し い
統制 のも と で香料確保 のため にや むな-銀 銅を さ ば かざ るを え な か った南 ドイ ツ商 人を も 引 き つけ た ので
あ った。 香料 交 易を 独占す る こと で' 香料 と銀 銅交 易 の へゲ モ ニI を 握 る こと が でき たイ タ リ ア都市 の実
権 が' 一挙 にア ン- ウ ェルペ ン市 場 に移 ったと いう こと であ る。 ま さ し -、 地中 海 から大 西洋 への 「
商業
革 命 」 の時 代 であ った。
こう し て' ポ ルー ガ ルも ヨー ロ ッパ向 け のア ジア産 香 料 ルト ー を 手 に入 れ ても ' そ の香料 を売 る に はネ
ア ジア交 易を 営 む上 で不 可欠 の対 価 とし て の金属 を 獲得 す る に は' ア ン- ウ ェルペ ンに進 出 し
- デ ルラ ン- に赴 かなけ ればな らな か った。 ブ リ ュー ジ ュにお いて見 たよう に' リ スボ ンでは香料 の販売
は難 し く
て いた フ ッガI家 な ど の南 ド イ ツ商 人 に頼 らなけ れ ばな らな か った から であ る。 さら に 1五〇八年 に' ポ
ルー ガ ル王室 は 「
イ ンド商 館 」 (
カ サ ・ダ ・イ ンデ ィ ア) の支 部 と し て 「フラ ンド ル商 館 」 を ア ン- ウ ェ
ルペ ンにお いたが' こ の年 ' ポ ルー ガ ル王室 は、 ア ン- ウ ェルペ ン市 場 に おけ る香料 の独占 的 販売 権 を イ
タ リ ア のア ファイ ター デ ィ家 とグ ア ルテ ロッテ ィ家 に売 却 し た。 こ の独占 は 一五 1四年 ま で つづ いた。 海
路 によ る大量 の胡根 の到来 と販売 は' イ タリ ア経由 の香 料 ルー - を 根 底 から掘 り崩 し て い った (
そ の後 一
時 ' レヴ ァ ン- ・地中 海 経由 の香 料 交 易 は回復 し た と は い、
え)O
以 上 見 てき たよう に' ア ン- ウ ェルペ ン市 場 の国 際 的 性格 ' 世 界性 は' 1五 世 紀中 頃 から の ヨー ロ ッパ
経済 全 体 の高 揚 を背 景 にし て' 英国 毛 織 物 交 易 と の結 合 を 基 盤 とL t そ の上 に' 南 欧商 人' ハンザ商 人 に
担 わ れ た遠 隔 地交 易 が つけ 加 わ る こと によ って付与 さ れ たも のと いえ る だろう 。 ア ン- ウ ェルペ ンで は'
ネ- デ ル ラン トか ら見 た地 中海
第 3章
97
ブ リ ュー ジ ュにおけ る と同様 ' 外国商 人 はそ の多 - が居留 団 と呼 ぶ べき組 織 を有 す る こと が認 めら れ た。
し かも、 ブ リ ュー ジ ュやヴ ェネ ツィアな ど と違 って、 ア ン- ウ ェルペ ンでは'外来商 人 の交 易活 動 が ほ ぼ
完 全 に自由 に営 む こと が可能 であ った ことも 、国際 的位 置 への上 昇 に拍 車 を かけ た と いわ れ て いる。 同市
は、ポ ルー ガ ルに商 館 を与 え るな ど積極的 に外国 商 人を招 致す る政策 を と った。 一五 三 二年 に新 設 され た
取 引所 は、 「い- つも の言語 が入 り乱 れ て 一つの騒音 と化 し' そ こではあ り とあ ら ゆ る民 族 衣装 が目 も あ
や に混 ざり合 って いる」 と形容 され る ほど であ った。
ク レモナ出身 の ロド ヴ ィ コ ・グ ィ ツチ ャ ルデ ィー 二は、 一五 六 七 年 に出 版 さ れ た ﹃
ネ - デ ルラ ン- 地
誌﹄ のな か で、 こ の都市 には主 要 な 六 つの民族 が いたと いう。 そ れ は' ドイ ツ人' デ ン マー ク ・オ ステ ル
リ ンク、 イ タリ ア人' スペイ ン人' イギ リ ス人' そ れ にポ ル- ガ ル人 であ った。 こ のう ち' オ ステ ルリ ン
ク と いう のは東 方 人 とも 訳す ことが できよう が' ハンザ商 人 の こと であ り' ア ン- ウ ェルペ ン への進 出 は
他 の商 人 に比 べてや や出 遅 れ て いた。イギ リ ス商 人 は マー チ ャ ン- ・アド ヴ ェンチ ャラー ズ組合 を組 織 し
て、 ヨー ロッパ大 陸 におけ る毛 織物 の販路 の拠点 とし てア ン- ウ ェルペ ンに定着 し た。 ド イ ツ商 人 の筆 頭
は アウク スブ ルク の フ ッガI家 であ り、 一五 l九 年 の神 聖 ロー マ帝 国 の皇 帝 位 を めぐ る選挙 では、 周 知 の
よう にブ ラ バ ン- 公 であ ってす でに スペイ ン国 王 カ ル ロス 一世 とな って いた フラ ンド ル生 ま れ のカー ルを
後押 しし た。 こ の時 代 は、R ・エー レンベ ルク がそ の書 名 とし た ﹃フ ッガー家 の世 紀﹄ とも いえ る最 盛 期
であ った。 フ ッガ ー家 はア メリ カ産 銀 の輸 入 が本 格化 す る以前 にお いて' ヨー ロッパ最 大 の銀 銅鉱 山 を経
営 し て いた。 彼 ら は ア ン- ウ ェルペ ンの市 況 が活 性化 す る以前 には、制 約 の大き か ったヴ ェネ ツィ ア のフ
98
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
オ ンタ コ ・デ イ 二丁デ シ (
ド イ ツ入館 ) にお いてそ の銀 銅 を 販売 し 、 香 料 を 獲 得 す る商 活 動 を 展 開 し て い
た。 そ の視 野 が、 ポ ル- ガ ルが ア ン- ウ ェルペ ンを ヨー ロ ッパ で の販売 拠 点 とす る こと で大 き -変 わ り'
そ れ がヴ ェネ ツィア の中 継 交 易 の基 盤 を削 ぐ こと にな った。
一六世 紀 の国 際 的 商 業 都 市 ア ン- ウ ェルペ ンでも っとも そ の彩 り を 添 え た商 品 は織 物 であ った。 そ のう
ち' ア ン- ウ ェルペ ンを国 際 的 位 置 に押 し上 げ た要 因 は いう ま でも な - イ ギ リ ス毛 織物 であ った が、 高 級
で豪 華 な織 物 はイ タ リ ア から も たら さ れ る絹 織物 であ った。 グ ィ ツチ ャ ルデ ィー 二によ る と' ネ ー デ ルラ
ン- にも たら さ れ た絹 織 物 は およ そ 六〇〇 万グ ルデ ンに のぼり' これ を 凌 ぐ のはイ ギ リ ス毛 織 物 (
八〇〇
万 グ ルデ ン) し かな か った と いう 。
グ ィ ツチ ャ ルデ ィー 二は いう 。 イ タリ ア各 地 から 、 絹 織物 ' 金 糸 ・銀 糸 の織 物 ' ヴ ィ ロー ド' タ ビ ス-
リ' 明答 '各 種 の薬 剤 が ア ン- ウ ェルペ ンにも た ら さ れ' 「ア ンヴ ェル スから は莫 大 な 量 のイ ギ リ ス毛 織
物 、 ア ル マンテ ィ エー ルの毛 織 物 、 亜麻 布 、 サー ジ織' オ スタ ー デ' 数 え 切 れな い種類 の小 間 物 や金 属 製
品」 を これま たイ タ リ ア各 地 に送 ったt と。
と いう こと は' そ のほ と ん ど が ア ン- ウ ェル
歴 史 家W ・ブ リ ユレは' 一五 六〇年 にネー デ ルラ ン- へ (
ペ ンにと い って い いわけ であ る が) 輸 入 さ れ た最 大 の品目 はイ タ リ ア産 の絹 織 物 で四〇〇 万 フ ロー リ ン'
次 いでイ ギ - ス毛 織 物 で三 二 四 万㌧ 三位 は パ ル-海 域 から の穀 物 で三〇〇 万 フ ローリ ンであ った と試算 し
て いる (
四位 はポ ルー ガ ル の香 料 で二〇〇万 フ ロー リ ン)
0
一六世 紀 の中 頃 にな る と' ネ- デ ルラ ン- 地方 の経済 の中 心 地 と し て ア ン- ウ ェルペ ン市 場 が揺 るぎ な
ネー デ ル ラン トか ら見 た地 中海
第 3章
99
い地歩 を し め るよう にな る。国 際 的 交 易 の動き に ついて いえ ば、 世紀 の中葉 とも な ると ア ン- ウ ェルペ ン
市 場 が、 ネ ⊥ 丁ルラ ン-交 易 の八割 近 - を し め るよう にな った と い っても 決 し て過 言 ではな い。 ア ンー ウ
ェルペ ン市 場 が、 ネ - デ ルラ ン- の交 易 そ のも のを映 し出す ほ ど のシ ェアをも つよう にな った のであ る0
そ こで、 ここではも っぱら ア ン- ウ ェルペ ン市 場 の動向 を取 り上げ る こと にし た い。
イタリア交易
一五 世紀 の四、五〇年代 にお いて、 す で に英 国 産 羊 毛 を 積 載 し た ア ン- ウ ェルペ ン の船 舶 が、 当 時 モ ロ
ッ コ海 峡 と いわ れ、 そ の後 ジブ ラ ルタ ル海 峡 と呼 ば れ るよう にな る海 峡 を突破 し てイ タ リ ア に赴 いて いた
こと が確 かめら れ る が、 一六世紀 にな ると、 ネ ー デ ルラ ン- を起 点 とし た内 陸交 易 の隆盛 期 を迎 え る こと
にな る。 こ の時 代 は、 北 ヨー ロ ッパとイ タ - アを結 ぶ運 輸 は おも に陸路 によ った。 こ のネI デ ルラ ン- の
イ タ リ ア交 易 が重 要 な意 味 をも つのは、 そ の両端 に、 北 は英国 が、 東 には レヴ ァ ン-、 さら には近東 、 ア
ジアをも 含 む広 大を 交 易圏 域 が広 が って いた から であ る。 し かも、中 世 の遠 隔 地交 易 に特有 の高 級 ・曹 移
品、 な いし は特 産物 に限 ら れず 、 英国 産 の毛 織物 、 ネ- デ ルラ ン-産 の亜麻 布 、 そ れ にイ タリ ア で製造 さ
れ る絹 織 物 と い った 工業 製 品 が大 き な 取 り扱 い品目 だ った こと であ る。 し かも、 そ れ 以 上 に興 味 深 いの
は、 こ の内 陸交 易 にお いては、多 数 の小商 人 が参 加 でき た こと であ る。 商 人 の資金 力 やネ ッ- ワー クを 張
り めぐ ら せる こと のでき る大商 人 だけ でな -、 小 規 模 の商 人 が運 輸業者 に商 品 を委 託す る こと によ って こ
の内 陸交 易 に参 加 し て い った。 新 し い時 代 の到来 であ った。
I
OO
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
ベ ルギ I の歴 史家W ・ブ リ ユレが研究 し た 一五 四 三∼四五年 のネI デ ルラ ン- の陸上輸 出交 易 の実態復
元 によれ ば、 ネ I デ ルラ ン- から の輸出 のほ ぼ四 〇% がイ タ リ ア向け であ り、 残 り はドイ ツ各 地 へ逮 ら れ
た。
商 品 の輸 出先 は、 一位 がア ン コー ナ で全 体 の三 五%、 ヴ ェネ ツィア が二位 で二九% 、 ジ ェノヴ ァ九 % で
あ ったQ これら 上位 三 都市 で、 全体 の四分 の三 を占 め たo商 品 の内 訳を金 額 で示す こと は でき な いが、主
要 な内容 は織 物 であ った。 も っとも、 そ のす べ てがイ タ リ ア向 け であ ったわけ でな いことは、前述 し たと
おり であ るO 数 量 とし て最 大 の部 分 をし め る のは カー ジー織 と毛 織 物 で、 そ の過 半 は英国 産 であ ったと推
定 され て いる。 ほ か に、 サーイ 織、 フリーズ織 、 亜麻 織物 、 タ ビ ス- リ、 それ に羊毛 であ った。 興味深 い
こと に、 胡枚 が相 当 額 見 ら れ る。
そし て、 こ の商 品を扱 った商 人 は、 イ タリ ア商 人 とネー デ ルラ ン- 商 人 であ った。 イ タ リ ア商 人 が全体
の六三% の金 額 の商 品を扱 い' ネ ーデ ルラ ン-商 人 が二三% を 輸出 し て いる。 次 いでドイ ツ商 人、 それ に
つづ- のがイ ベリ ア商 人 であ った。
以上 はネー デ ルラ ン- から の輸出交 易 であ るが、 ではイ タリ ア側 から の輸 入交 易 の実 態 はど のよう なも
のであ ったろう かo イ タ リ ア側 、 あ る いは他 の地域 から のネー デ ルラ ン- の輸 入 の実態 に ついて、輸出 で
見 た のと同様 の レベ ルでそれ と対 を なす よう な史 料 は、 残念 な がら見当 たら な い。 だ が、 別 の史料 二 五
六七年、 英国 ロンド ン港 の輸 入 ポー - ・ブ ック) から見 たとき、 こ のア ン- ウ ェルペ ン港 を 経由す る商業
交 易 の姿 を か いま見 る こと が でき る。 つまり、 イ タリ ア からネI デ ルラ ン-、 ア ン- ウ ェルペ ンを へて'
ネー デル ラン トか ら見 た地 中海
3章
第
IO工
図 1 商品の輸出先
図 2 国別商人数 と積荷価額の比率
中沢 勝 三 rア ン トウ ェル ペ ン国際 商 業 の 世 界 ]
出典)
英国 の ロンド ン港 に
陸揚げ され る交 易 で
あ る。
それ によ る と、 明
ら かにイ タ リ ア産、
あ る いはイ タ リ アを
経由 し てア ン-ウ ェ
ルペ ンに輸 入され た
商 品群 とし て、 絹織
物、 ファ スナ ア ン織
(
ジ ェノヴ ァ製)' タ
フタ織 があ り、 し か
ー ジ ュに
も 、ブ リ ュ
ついて小額 の例外 は
あ るも のの、英国 に
輸入され る交 易 にお
いて、 ア ン- ウ ェル
工02
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
ペ ンが ほと んど唯 7のチ ャ ンネ ルにな って いる こと が判 明す るO ア ン- ウ ェルペ ン経由 で ロ ンド ンに輸 入
され た タ フタ織 のな か に は' 中 近 東 産 を意 味 す る 「レヴ ァ ン- 」 と いう 地 名 の付 さ れ た も の、 ま た ル ッ
カ、 フィ レ ンツ ェと いう イ タリ ア都 市名 の ついたも のも含 ま れ て いる0
内 陸交 易 の輸 送 に ついて見 る と、 ネI デ ルラ ン- から イ タ リ ア に向 け て い- つか の ル ー - があ った が、
大 き - 分 け る と西 ルー - と呼 ば れ る フラ ン スから スイ スのバー ゼ ル へ向 かう ルー - (これ は ロレI ヌを 経
由 す るも のとライ ン川を 航 行 す るも のと に大 別 さ れ た) で、 サ ン ・ゴ ター ル峠 を 越 え て ミラ ー ノや ジ ェノ
ヴ ァに達 し た。 もう 一つは東 ル1 - で、 ア ン- ウ ェルペ ンを 発 し て ケ ル ンから ニ ュル ンベ ルク、 アウ ク ス
ブ ルクを へてブ レ ンナー峠 でア ルプ スを 越 え る ルー - であ るO ま た、 ア ウ ク スブ ルク から は、 ザ ルツブ ル
クを 通 ってヴ ェネ ツィア に向 かう 道 筋 も あ った が、 いず れ にし ても 、 ア ルプ スを 越 え る必 要 があ った。 こ
れ ら の荷 物 は船 で、あ る いは 四 頭 以 上 の馬 で引 かれ た荷 車 で運 ば れ た0
ネI デ ルラ ン- とイ タ リ ア と のあ いだ には内 陸 ヨー ロ ッパ、 つま り ド イ ツと スイ ス、 オー ス- リ アな ど
の諸 邦 が広 が って いる。 内 陸 ル1 - は これ ら の諸 地域 と の結 び つき な し に は成 り 立 たず 、 と り わ け 、低 地
ライ ン地 方 と の関 係 が深 か った。 そ のな か で際 立 って深 い関 係 を有 し た のが ア ン- ウ ェルペ ンと ケ ル ンと
の関 係 で、 「ア ン- ウ ェル ペ ン ・ケ ル ン枢 軸 」 (
H ・ケレンベ ンツ)とも いわ れ る ほど、興 隆 と衰 退 の運 命
を とも にし た。
ケ ル ンは 一六世 紀 に お いて 「西 ド イ ツ経 済 の首 府 」 (
ケ レ ンベ ンツ) と いわ れ る ほ ど の繁 栄 を 享 受 し た
が、商 業 都 市 であ った だけ ではな - て、 金 属 ・皮 革 産 業 な どを有 し た産 業 都 市 でも あ った。 こ の都 市 は、
ネ- デ ル ラン トか ら見 た地 中海
第 3章
工
03
図 3 交易ルー ト
出典) W.
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62_
第 1部
商業 ネ ッ トワー ク
工
04
一五世紀 以 降 ア ン- ウ ェルペ ンの発展 と密 接 な連 携 によ って発展 への道 を た ど った。 ケ ル ンは、 英国 と の
商 業 にお いてイ ベリ ア、 ま た こ こで論 じ たイ タ リ アと の商 業 交 易関係 にお いてア ン- ウ ェルペ ンを重要 な
、 これら の深 い結 び つき のゆえ であ ろう。
中継地、 な いし窓 口とし て いたO ア ン- ウ ェルペ ン市 場 が崩 壊 す る過 程 で多 数 の商 人 の逃 避 地 とな った の
は
ま た、 こ の内 陸交 易 に は、多 数 の専 門的 な 運 送業者 が商 品 の運 送 に関与 し た。 ア ン- ウ ェルペ ンには、
運 送業者 の多 - の出身 地 であ る ヘッセ ンの地名 を冠 し た 「ヘッセ ン館 」 が 一五 六 四年 に建 造 さ れ た。
ネ-デ ルラ ン- と地中 海 世 界 の結 び つきを物 語 る興 味 深 い事 例 があ る。 以上 述 べた地 域 に沿 って、 イ ベ
リ ア半島 から ア ン- ウ ェルペ ン へ、 そ の後 ヴ ェネ ツィア へ、 そ し て最 終的 には オ ス マン帝 国 のナ ク ソ ス島
へと移住 し た メ ンデ ス家 のケー スであ る。彼 ら はも とも と はポ ルー ガ ルに住 む ユダ ヤ教徒 であ った が、 キ
リ ス-教 に帰 依 し 「
新 キ リ ス-者 」 と呼 ば れ た改 宗 ユダ ヤ人 であ り、 「マラ ノ ス」 と いわ れ た人 びと に属
す る当時 の主 導 的 な金 融 家 であ り、香 料貿 易商 であ る。 や が て、 迫 害 を逃 れ てヴ ェネ ツィ ア に逃 れ る が、
F ・レイ ン)ま で広 が って いた。 この のち、当主 で
そ の取 引網 は 「ア ン- ウ ェルペ ンから パ レステ ィナ」 (
あ った ジ ョア ン ・メ ンデ スはオ ス マン帝 国 に移 住 し、 ユダ ヤ教 徒 に戻 って名 前 を ヨセ フ ・ナ シ ィと改 め、
メ フメ- 二世 下 の金 融家 とな り ナ ク ソ ス公 とな った。 彼 は、 オ ス マン帝 国 のキプ ロス島 攻 略 の教 唆 者 であ
ったと今 日 では考 え ら れ て いる。
ネ- デル ラン トか ら見 た地 中海
第 3章
IOS
イベリア交易
ネーデ ルラ ン- のイ ベリ ア半島 と の交 易 はど のよう なも のであ ったろう か。先 に 一五世紀後半 のブ リ ュ
ー ジ ュ市 場 に ついて見 た 「大西洋地中海」 と いわ れたア フリ カ西沖 のアゾ レ ス' カナ リア諸島 で展開 され
た熱帯 産物 であ る砂 糖 キ ビ栽 培 によ る砂糖生 産 は' 一六世 紀 に入 ってア ン- ウ ェルペ ンで最盛 期 を 迎 え
る。未精製砂糖 を輸 入し た砂糖 の精 製加工産業 が こ の都市 で繁 栄し た。 これ には'ブ ラ ジ ルで の砂糖栽 培
をおこな ったネーデ ルラ ン-商 人 エラ スムス ・ス へッツを代表 とす る ス へッツ家 が際立 った活躍を示し た。
ネ-デ ルラ ン- とイ ベリ ア半島 と の交易活 動 に ついて見 て みよう 。 ベ ルギー の研究者 ブ リ ルの 一五五〇
年代 に ついて の研究 によ ると、以下 のよう なも のであ った。ネーデ ルラ ン- から の輸出 は'大部 分 がア ン
%' そ
-ウ エルペ ンから のも のであ った と考 えら れる が (
七八%)' 二位 は いず れもブ リ ュー ジ ュで 二 一
の約三分 の 一は繊維 品関係 であ った。次 いで' 小間物 一〇%'金属七% と つづ-0
繊維製 品 のう ち' も っとも重要なも のが亜麻 織物 であ り、全体 の二九%' 繊維関係 の四 四%をし める。
亜麻織物 には製造 地 の都市 名 が ついており、 アウデナー ルデ が三分 の 1をし め る。 次 いで毛織物 に ついて
見ると'金 額 でホラ ン-' ハー ルレム'英国' ロッテ ルダ ムの順 で'製造 都市 な いし は地域 が判 明す る。
サーイ織 に ついては' ライ セ ルと いう都市五五%' ホ ン- スホIテ の地名 の ついたも のが四 一% であ る。
これら のデー タ から' 亜麻織物 とサーイ織 はおも に南 ネ - デ ルラ ン- で製造 され たも のがイ ベリ ア半島 に
輸出され、毛 織物 に ついては' 英国製 と北部 ネ-デ ルラ ン- の製 品 が輸出 され て いた動き を つかむ ことが
でき る。
∫06
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
そ のほ か の品目 に ついて見 る と' 金属 の三 分 の二 は原料 でそ の大半 は銅 であ り、 染 料 の三 分 の二近 - は
ね
がし め る。 ま た書 籍 、 亜麻 、 家 具 と い った品目 も 並 ん で いる。
茜
あか
ネーデ ルラ ン- 側 の輸 入 に ついて見 よう 。 こ こ では' 香 料 が総 額 のほ ぼ半 分 で四 九 ・七 % を し め て い
る。 香料 の八 八% は胡櫨 であ る。 次 いで繊維 原 料 (
ほ ぼ全 額 を羊毛 がし め る) 一四% ' 砂 糖 三 一
% ' 油脂
七 ・五% であ る。 砂 糖 の産 地別 では、 ア フリ カ ・ギ ニア のサ ン ・- メが半 分' 油脂 のほと んど は オリー ヴ
油 で、食 料 (
全 体 の六 ・五% ) の半 分以上 は塩 であ る。
イ タリ アと の交 易 で見 たよう に ケ ル ンは' イ ベリ ア と の交 易 にお いても ア ン- ウ ェルペ ンを も っとも重
要な中 継 地 とし た。 一五 四〇年 代 には、 ポ ルー ガ ルの マディ ラや アゾ レス諸島 の大 量 の砂糖 が ア ン- ウ ェ
ルペ ンで精 製 さ れ、 ケ ル ンに運 ば れ たLt ま た各 種 の香 料 が ア ン- ウ ェルペ ンか ら も ち こま れ た。 そ し
て、 スペイ ンから の木 材 や皮 革 な ど の輸 入も ' おも にア ン- ウ ェルペ ンを介 し てお こな った。
2 オラ ンダ と地中海交易
二八世紀末 の危機と地中海交易
こう し たネ ー デ ルラ ン- 、 と- にそ の商 業 交 易 の中 心 地 であ ったア ン- ウ ェルペ ン市 場 を舞 台 とし て展
だ
が
' 一五 六〇年 代 を 転 機 とし て' こう し た活
開 さ れ た経済 活 動 にお いて' スペイ ン' ポ ルー ガ ル' そし てイ タ リ ア商 人' さら に はネI デ ルラ ン-商 人
の対 南 欧交 易 におけ る活 躍 には目覚 まし いも のがあ った。
ネ- デル ラン トか ら見 た地 中海
3章
第
1
07
況 を 呈 し た ヨー ロッパ の交 易 ・商 業 活 動 にはし だ いに暗雲 がたち はじ め る。 こ の頃 から、 ハブ スブ ルク朝
スペイ ン治 下ネ- デ ルラ ン- ではプ ロテ スタ ン-系諸 派 に対す る異端 弾 圧 が強化 さ れ だす。 ま た 一五 五八
年 に エリザ ベ スが英国 女 王 とな り、 テ ユー ダー朝 英国 対 ハブ スブ ルク朝 と の、 そし てや がて は 一六世紀後
半 の国 内 の宗 教争 乱 を 終息 さ せ て ヨー ロッパ の国際 的舞 台 に登 場す る フラ ンスと の角 逐 が、 ヨー ロッパ大
陸を縦断す る ボー ダー レスな商 業 活 動を事 実 上制 約す る こと にな って いく。
ハブ スブ ルク ・スペイ ンは、 プ ロテ スタ ン-系 新 教 の浸透 にとも な って不 穏 な情 勢 とな ったネ ⊥ 丁ルラ
ン- に向 け て、 イ タ リア北 部 のミラー ノから北 上 し ルク セ ンブ ルクを へて- エー ジ ュからブ リ ュッセ ルに
いた る重 要 な 軍事 ルー -、 いわ ゆ る 「スペイ ンの道 」 にそ の精 鋭 の軍 隊を 走 ら せ る こと にな る。 一五 六八
年 以後 長 期 にわ た る 「オラ ンダ の反 乱」 (
オ ラ ンダ 人 の いう 「
八〇年 戦 争 」 は、 独 立 が国 際 的 に信 任 さ れ
る 〓 ハ四 八 年 ま で つづ-) と いわれ る戦 乱 の過 程 で、 フラ ンド ルを はじ め とす る南 ネIデ ルラ ン- はし だ
いに スペイ ンの軍 門 に服 し、 ア ン- ウ ェルペ ン市 は 一年 におよ ぶ包 囲 戦 を へて 一五 八五 年 に陥 落す る。 中
世以来 ヨー ロッパ の先 進 的 経済 の 一角 を し め つづけ た南 ネー デ ルラ ン- 地 方 は、 長 い外国 の政 治的 支 配を
受け るよう にな った のであ る。 そ し てア ン- ウ ェルペ ンを はじ め とし て、 南 ネ- デ ルラ ン-、 フラ ンド ル
の商 人 や 職 人 が、 北 部 ネ- デ ルラ ン- や ケ ル ンな ど内 陸 ド イ ツ、北 ヨー ロ ッパ に大 規 模 な 移 住 を 開 始 し
た。 これら の移 住者 によ って、 南 ネ I デ ルラ ン- の経済 力 が、 人 的、 資 本 的 、 そ し て技 術的 な レベ ルでオ
ラ ンダ に、 そし て英国 や北 部 ドイ ツに移植 さ れ た のであ るQ ア ン- ウ ェルペ ンは苦 境 を脱す る ため に、 そ
れま で の立場 を かえ て ユー レヒ- 同 盟側、 つま り オラ ンダ側 に立 った。 だ が、 ス ヘルデ河 口が反 乱側 によ
108
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
って閉 鎖 され つづけ たた め に、 英国 毛 織物商 人 団体 であ る マーチ ャ ン- ・アド ヴ ェンチ ャラーズ組合 は、
一五六 四年 に大陸 で の販売 拠 点 を ア ン- ウ ェルペ ンから エムデ ンに移 す こと にな る。 そ の後 も、 ア ント ウ
エルペ ンにかわ りう る市 場 を 探 し て遍 歴 を 重 ね た が、 つ いにそ の代 替 市 場 を確 保 す る こと は でき な か っ
た。
次 いで、 スペイ ンと の戟 いの過 程 で独立を 維持 し た オラ ンダ が、 スペイ ンと l六〇九年 に締 結 し た 「1
二年 の講 和 」条約 によ って、 オラ ンダ 連邦 共和 国 の事 実上 の独立 が確定 し' それ以後 「一七世紀 オラ ンダ
の時 代 」 が到来す る こと にな るO とり わけ、 一六 丁八年 におけ る 「三〇年 戦 争 」 の勃 発 は、 ヴ ェネ ツィア
の レヴ ァ ン- やア ジア の産物 を扱う 陸 上 内 陸交 易を完 全 に壊 滅 さ せた。 こう し て、 か つて の南 欧 人 の、 地
中 海 人 の活 躍 の舞 台 は大き -後退 し、 国 家 の時 代 とな って い-0
オランダ の地中海交易
〓 ハ世紀 の中葉 ま で の繁 栄 の時 代 におけ る ヨー ロッパの遠 隔 地交 易 の中 心 が陸 上運 輸 であ った ことはす
でに述 べた とおり であ るが、 内 陸交 通 路 であ ったドイ ツが 1六世紀 の後 半 以 後 し だ いに政情不安定 にな る
に つれ て、 繁栄 を 詣歌 し た こ の陸 上 ルー- は後退 し て いき、 次 いで海上 輸 送 が これ にと ってかわ って い っ
た。 ネ ー デ ルラ ン- から の海上交 易 ル1 - は、 ジブ ラ ルタ ル海峡 を通 過す る ル1- であ る。新 生 オラ ンダ
から こ の海 峡 を突破 す る交 易 は 「海峡 通 過交 易」 と呼 ばれ た。
1六世紀末 から 一七世紀 のはじ め にかけ て、 オラ ンダ連邦 共和国 が南ネ I デ ルラ ン- から の離 散 し た多
ネ-デ ルラン トか ら見た地 中海
第 3章
1
09
数 の商 人 や産業 人を受 け 入 れ て、 そ の経済 力 を飛 躍的 に向 上 さ せ、 ネ- デ ルラ ン-経済 の重 心 は南 から北
のオラ ンダ に決定 的 に移 った。 そ の移 住者 のな か に資 力 を有 し た ユダ ヤ人 が いた ことは いう ま でも な い。
こ の間、 北部 ヨー ロ ッパから 地中 海 へ向 け て の 「
海 峡 通 過交 易」 と いわれ る ジブ ラ ルタ ル海峡 を突破 す
る海 上運 輸貿 易 が本 格 化 し、 英国 も ま た オラ ンダ と同様 一五 八〇年 頃 から この交 易活動 に参 画 し て- る。
いう ま でも な -当 初 は、 イ ギ リ ス人、 フラ ンス人、 ハンザ 同盟 の商 人 のな か で、 オラ ンダ 人 が断 然他 を 圧
倒す る シ ェアを誇 った。
と ころ で、 オラ ンダ の地中 海 交 易 の興隆 の契 機 は、 研究史 の上 では これま でパ ル- 海 から地中海 への穀
物 の輸送 にあ った と考 え ら れ てき た。 だ が、 近 年 に いた って歴 史 家 イ スラ エルら の研究 では、 そ の中 継交
易 の中 心 は穀 物 取 引 ではな -、 「
豊 かな交 易」 と いわ れ る、 イ タ - ア の絹 織 物 な ど の高 級 な 繊 維 製 品、 そ
れ に香料 、銀 と の交 換 が主 流 であ る と考 え直 さ れ るよう にな ってき た0
オラ ンダ の地中 海交 易 は、 こ の時 期、 当初 は穀物 の輸 出 貿 易 によ って本 格 的 に開始 さ れ た。 イ タリ ア に
おけ る凶作、 レヴ ァ ン- 地方 と の交 易 の停 滞 によ ってイ タ リ ア で穀 物 の不 足 が深 刻化 し、 パ ル-海 地 域 か
ら 地中 海 へ向け て の穀 物 貿 易 に深 -関与 し た が、 そ の後 、 拡 大 と多 様 化 の時 代 に入 って い-。 これ に は、
オラ ンダ の実 質的 独立を 画 し た と いわれ る スペイ ンと のあ いだ の 一六〇九 年 の 「二 一
年 の講 和」条 約 によ
って、 オラ ンダ 人 の交 易活 動 の不 安 が取 り除 かれ た こと が多 大 な影 響 を与 え た。 こ の講和条 約 は、 一六 二
一年 に失効 し、 オラ ンダ は スペイ ンと のあ いだ で ふた た・
び戦争 を お こなう こと にな る。 こ の戦争 で地 中 海
交 易 は 一六 二〇年代 から 世紀 の中 頃 にかけ て停 滞 局 面を 迎 え た が、 そ の後 、 世紀 の中 頃 に地中 海交 易 は最
lIO
商業 ネ ッ トワー ク
第 1部
な る。
盛期 に入 る。 そし て、 オラ ンダ の地中 海交 易 は 一六八 八年 にな り、 今度 は逆 に劇 的 に収縮 し て い- こと に
交 易 の趨勢 は お お むね以上 のと おり であ った が、交 易 の内 容 、構 造 から見 ると、 この間 根底 からそ の特
質 に変化 が生 じ た。 一七世紀 のオラ ンダ は西 地中海 に お いて、 イ ベリ ア半島 とイ タ リ ア間 の中 継交 易 を相
当部 分 担う こと にな った。 具 体的 には、 オラ ンダ の船舶 が カ ステ ィー リ ヤの羊 毛 、 バ レ ンシア の塩、 ポ ル
ー ガ ルの砂糖 を ジ ェノヴ ァ、 リ ヴ ォ ルノ、 そし てヴ ェネ ツィ ア に運搬 し た のであ る。
ア ム ステ ルダ ムが ヨー ロ ッパ の植 民地物産 の中 心 地的 な市 場 とな って興 隆 し た。 一六〇 二年 に創 設 さ れ
たオラ ンダ東 イ ンド会社 が、希 望 峰 経由 の香 料交 易 に お いてポ ル- ガ ル商 人 の地 歩 を完 全 に奪 ったから で
あ る。 そし てま た' オラ ンダ船 が地中 海 から オラ ンダ へのア ジア産 物 資 を供 給す る こと にな った。 一六〇
二年 以後 、 ヴ ェネ ツィアを 通 る交 易量 は劇的 な低 下を見 た のであ る。 ジ ェノヴ ァも ま たし ばら - は命 脈 を
び
保 ったも のの、 〓 ハ二七年 の スペイ ン国 庫 の破 産後、 急 速 にそ の交 易量 を 減 じ た。
結
「
ネ ー デ ルラ ン- から見 た地中 海 」 と は、 さ ま ざ ま な視 点 から 考察 す る こと が可能 であ る。 ベネ ル ック
スと呼 ば れ るよう にな った この地 域 は、現在 、 ま さし - ヨー ロ ッパ の中 心 に位 置す る だけ でな -、 さま ざ
まな レベ ルで ヨー ロッパ の真 ん中 にあ る。EU本 部 がそ こに位 置し、 ブ リ ュッセ ルには、 イ タ リ アを はじ
ネ- デ ル ラ ン トか ら見 た地 中海
第 3章
工ⅠⅠ
め地中 海各 地 の レ スー ラ ンが並 ん で いる。 「ベ ルギ ー と いう 国 家 を ヨー ロ ッパ に解 消 し て し ま ったら 」 と
いう 党 さえ政権 担当 政 党 にあ る。 深 い歴 史的関 係 を有 す るネー デ ルラ ンI と地中 海 を、 こ こ で は おも に、
r
k,)977.
〓ハ
〇〇年 ∼ 一七五〇年﹄名 古 屋 大学 出 版会、 一九
失 われま た今 日復 活 し たとも いえ る内 陸交 通 の世 界、 人 とも の の流 れ に ついて顧 みて みた。
︹
参考文献︺
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川北 稔 訳) ﹃
近 代 世 界 シ ステ ム
九 三年。
小岸 昭 ﹃マラー ノ の系 譜 ﹄ みす ず書 房、 一九九 四年。
中 沢勝三 ﹃
ア ン- ウ ェルペ ン国 際 商 業 の世界﹄ 同 文舘 、 一九 九 三年 o
F ・ブ ロー デ ル、 村 上 光彦 訳 ﹃世 界時 間﹄ みすず 書 房、 一九 九 六年 0
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7
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ade,]58
5・]740,Ox fr
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M ・モラ、 深 沢克 己 訳 ﹃ヨー ロ ッパと海﹄ 平 凡社 、 一九 九 六年 。
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商 業 ネ ッ トワー ク
第 1部
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