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Title Author(s) シューマン『リーダークライス』作品39 : 詩人精神と解釈 兼田, 博 Editor(s) Citation Issue Date URL 大阪府立大学紀要(人文・社会科学). 2001, 49, p.21-30 2001-03-31 http://hdl.handle.net/10466/12418 Rights http://repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/ シューマンrリーダークライス』作品39 一詩人精神と解釈一 席 田 博 先般、私はローベルト・シューマン(1810−1856)の歌曲集r詩人の恋』(D‘c配θrZ∫θbθ)(作品 48)を論じたがD、今回はアイヒェンドルフ(1788−1857)による歌曲集rリーダークライス』 (作品39)を取り上げる2)。この作品を取り上げるのは、19世紀前半を生きたひとりの作曲家が ロマン的心情を取り込んでいったという事実を、アイヒ手ンドルフを題材としたこの歌曲集を検討す ることによって確認したいからである。こう書くのは、音楽上のロマン派の始祖シューベルトの(こ とにピアノ曲と歌曲の分野で)後継者として位置づけられるシューマンが、すでにシューベルトとは 質的にかなり異なった歌曲を書いていることが目につくからである。シューベルトが作曲した詩人た ちでロマン派の本質を十分展開した者は少なかった。ヴィルヘルム・ミュラーの詩による連作r美し き水車屋の娘』とr冬の亡子は、すくなくともさすらいをテーマにしていたという点だけでも、その 数少ないものに入れてもよいだろう。しかしシューマンは題材の点でシューベルトよりもはるかにめ ぐまれていた。多様な文学的潮流にさらされていた時代に生きていただけに、かえって時代に陶太さ れた詩人たちの作品に容易に接近できたのである。アイヒェンドルフも彼が遭遇したすぐれた詩人の ひとりであった3)。 ノヴァーリスやティークの時代から降って、アイヒェンドルフは時代的にはロマン派の第二世代に 属し、少なくとも没年だけを見ればシューマンにとっては同時代人に近い。ロマン派には深遠な哲学 があり、アイヒェンドルフもそれに影響を受けていた。しかしシューマンがアイヒェンドルフから汲 みとりたかったのは、主として心情的なものではなかろうか。だから本論ではロマン派の哲学の迷路 に踏み込むようなことはせず、感情的側面に集中していきたい4)。 この作品は1840年という彼の「歌の年」に作曲された多数の歌曲の一部である。したがってr詩人 の恋』を論ずる際に説明しておいたこと、とりわけ彼の個人的状況は、大部分ここでも通用する。す なわちシューマンはクラーラとの結婚生活に踏みだしたころであり、彼女との幸不幸相交じった恋愛 体験はさまざまな形で彼の創作に影響していた。その典型は恋愛詩を題材にした歌曲集の作曲であろ う。 rリーダークライス』の中にも恋愛詩を題材としたものがあり、それは必然的にr詩人の恋喜と の比較へとわれわれを導くであろう。しかしrリーダークライス』のテーマ圏の広がりから考えて、 この歌曲集を論ずるにあたってシューマン自身の恋愛体験の直接的反映を議論に組み入れることは、 場所によ?ては適切ではない。 r詩人の恋』との比較で言えば、肝要なことはむしろ恋愛というテー マ以外でシューマンがどのような音楽=テクスト関係を創り上げたかという点を考察することであ ろう。自然をうたい、さすらいをうたい、孤独をうたったアイヒ手ンドルフの詩に、シューマンは作 曲家として、それゆえ詩の解釈者としてどのように接近していったのであろうか。 シューマンに(伝記面でも創作面でも)家庭的な、それゆえ典型的なビーダーマイアー的傾向があ ることはさまざまに指摘されている‘)。したがってロマン派の詩人のテクストを取り上げたことは、 (21) ビーダーマイアー期の人間シューマンが、自己の立場を芸術活動を通じてさぐろうとしたとき、時代 的には少し前の文学を肉化することによってそうしたということを意味する。作曲家はその時点で知 りえたおびただしく多彩な感情表現の中から、自分の資質に合った文学としてアイヒェンドルフを選 んだのであった。古典派のベートーヴェンが啓蒙主義の影響のもとにあり、彼の音楽は人間の未来を 信じた楽観主義に裏打ちされ、音楽表現の可能性を極限まで押し広げようとしていたことに比べて、 シューマンはここで音楽の役割りを限定したかのように、個人的な心情の発見へと向かう。 rリーダークライス』がハイネの詩による『リーダークライス』(作品24)とr詩人の恋』の中間 に書かれていることは、何か上の論点のヒントとなるべきものを提供してくれるかもしれない。ハ イネは自分がロマン派であることを最後まで認めたがらず、当初は啓蒙主義に立脚した作家だと自 負し、進歩的作家の目から見てロマン派は退歩であると断じた。人類の進歩にとって、ロマン的感 ’情と哲学への沈潜はっまずきとなる、と言わんばかりに。しかしシューマンにとってハイネはアイ ヒェンドルフと並べて矛盾なき詩人であった。人間の深みにひそむ多様な感情を表現した詩人のひと りだったのである。ハイネの場合は進歩的要素とロマン的要素が矛盾しながら同居していたが、ベー トーヴェンを経たシューマンにとっても、内面に沈潜することは人間存在にとってすでになんら矛盾 することではなかったことになる。このことはしかし、ただちにシューマン自身が退行的であったと いう評価にはっながらないはずだ。啓蒙主義的要素と内面重視的要素が同居していてもよいではない か。内面の発見は退行なのではなく、人間の内的展開の必然的な一部として高揚されてもよいではな いか。 詩に音楽を合わせていくという作曲家の行為の前段階には、詩を選び取るという行為がある。いま rリーダークライス雷にもこのことを当てはめつつ、シューマンが選んだアイヒェンドルフの12編の 詩を概観するとき、簡単にエールマンの次の言葉を引用しておくのもよいかもしれない。「この連作 は夜の暗い気分の自然詩、あこがれと希望の歌、憂愁と幸福をうたった12曲を含み、ロマン御尋さと、 作曲家が自己の中にある本質の核心であると感じていた「極めがたいもの」を掘り下げている。」6) つまりシューマンはアイヒェンドルフの作品でも典型的にロマン的な感情をそなえたものを採用した ようだ。 たとえば私はアイヒェンドルフの詩に見られる詩的自我の存在に注目してみたい。これが個人的心 情を音楽化しようとする作曲家の創作への原動力に関係するように思われるからである。 拝情的自我の存在は、たいていの場合明瞭である。たとえば第1曲r異郷にて』などには明確に自 我の現われがある。 「赤き閃光のもと、わがふるさとの方角から、/雲がこちらへ迫り来る。/だが 父も母もすでに亡くなって久しく、/私を知る人も、もはやかの地にはない。/もうすぐ、もうすぐ 安らぎの時がやって来よう。/そのとき、私もやすらおうぐそして私の上にも/森の美しい孤独が降 りてこよう。そしてこの地でも私を知る人はもはやない。」D この詩において自我はまだ瞑想的である。しかし第9曲r憂愁』においては、拝塵的自我の気分は すでに題名から明らかである。 「ときには私もうたうことができるだろう、/あたかも楽しげである かのように。/しかしひそかに涙にくれるとき、/私の心は自由を得る。/ナイティンゲールもこの ように、/春の風が外でたわむれるときなら、/かれらの牢獄の穴から、/あこがれの歌をひびかせ る。/するとすべての心は耳をすまし、/すべての人は歓びを得る。/だが歌の中にある深い苦しみ (22) を、感じる人はひとりもいない。」8)ここでアイヒェンドルフは詩作の真実の一端を明らかにしてい る。詩人は、たとえば何かの使命感をおびて創作するのではなく、まったく個人的ないとなみとして それを行なう。人に教えるのではなく、人に理解してほしいと願う。その内容は苦悩であり、悲しみ である。しかしその苦悩も悲しみも、いわゆる世界苦の意義を持ったものではなく、詩人の個人的、 感情的なものにちがいない。そしていずれの2編の場合も、シューマンのような作曲家には沈潜的な 自我の存在が感情移入をうながしたのであり、ここで作曲は詩人の個人的感情から刺激を受けている のである。 音楽は言葉を超えたところにあるとも云い、言葉がついえたところにあるとも云う。彼は新しい音 楽的感情の開拓に自覚的に、しかし一面で本能的に取り組んでいった。彼自身、音楽評論も書いたが、 音楽が散文的表現に対置されたポエジーのようでなければならないことを、彼は随所で表明してい る9)。本能的にというのは、種々の芸術ジャンルの中で音楽が概念の表現をもっとも苦手とするこ とと関係する。音楽論を通じた、言葉を仲立ちとした音楽改革運動も、やはり対象の言語表現化に苦 しまざるをえなかった。シューマンが模索した新しい道はつまるところ作曲活動を通して開かれたの である。そしてrリーダークライス』の場合、アイヒェンドルフの詩が触媒であった。とはいえシュ ーマンにとって新しい道はもしかするとテクストの媒介なしでも可能なことであったかもしれない。 彼のピアノ音楽の存在がそのことを裏づけるし、彼の歌曲においてピアノ伴奏が重要であるとされる 一般的見解も、そのことを支持している。 この音楽;テクストの混合体はシューマンのものでありながら、完全には彼のものでなく、詩人 がテクストに込めたものと、作曲家が音符に込めたものはときに補完しあい、ときに対立もする。シ ューマンの音楽とアイヒェンドルフの詩が同一の感情を目指して創られていると断ずるにはよほど注 意が必要だが、歌曲というジャンルにおいて作曲家が詩人の精神を活かそうとしているのは前提とし てよいだろう6そして少なくともシューマンは自分のアイヒェンドルフ歌曲が詩人精神と作曲家精神 との融合であることを信じていたのではあるまいか’。)。そして最終的にこの混合体はわれわれへ返 され、われわれはふたたび言葉でそれを表現することになる。私がシューマンの歌曲で最終的に確認 したいことは、彼自身が彼以前の歌曲に見いだしえなかった新たな感情を、作曲家が詩に取り組むこ とによって獲得していく過程である。 そして私はとくにr月の夜』とr城の上で£の2曲の分析を通じて、この過程に接近していきたい。 この2つの原詩は今一ダークライス』の他の10編と比べても異色であり、作曲家にも対決を義務づ けているように思えるからである。そして、あらかじめ結論めいたことを言えば、シューマンは、一 面で原詩の持つものを活かすべく創作し、他面で作曲家の感性と技術でアイヒェンドルフに対決する ことができた、と言ってよいだろう。 * まず最初に第5曲r月の夜』から始めよう。 あたかも空が地にこっそりと 口づけを贈ったようだった。 (23) 地が花の微光の中で 空のことだけを考えるようにと。 風は野を渡り、 穂はかすかに揺れていた。 森は静かに音を鳴らし、 夜はそれほど澄みきっていた。 そしてわが魂は 羽を大きく広げた。 静かな土地をこえ、 あたかもふるさとに還るようにID。 最初の情景描写はすでに情景描写ではない。詩人揮見た自然はエロティックな夢想のベールを帯び ていた。たしかに人間は地上にしか住めないが、天上には文字どおり天上的なものが住むのである。 しかし天と地はひそかな合一の約束を果たす。したがって詩人が「ふるさと」と呼ぶ場所はこの世の 現実世界ではなく、たとえば飛翔が可能な夢の世界である。 この詩の時制に注意したい。基調は過去形である。過去形は通常、事実の積み重ねという重みを持 つ。つまり詩人にとってまぎれもない体験として天と地の逢瀬は語られる。もちちん、この両者が 出会う場面は慎重に接続法第二式で、つまり非現実のこととして語られる。原詩はrEs war, als hatt’der Himme1/Die Erde still gekOBt」と開始される。このrEs war」にはメルヒェ ンのひびきがこもるが12)、もちろんそのスタイルは擬似的である。 「あたかもふるさとに還るよう に(Als floge sie nach Haus)」という1行からも、またこの詩が過去形で書かれていることからも、 詩人の帰郷がじつは果たされなかったことがわかる。なぜならばこの接続法第二式はすでに全体的な 過去の叙述の中に組み込まれており、すべては回想だからである13)。 そうすると、やさしく包み込むような自然は詩人にとって何だったのか。 帰郷はファンタジーの世界だけでなしうる。この帰郷はかならずしも本来的な意味に限定すること はない。あるべき場所に帰ること、これが帰郷である。アイヒェンドルフにとって、またおよそ詩人 にとって、 「あるべき場所」のひとつが、たとえば完成された芸術の世界のような未知のユートピア であることはたやすく想像できる。このユートピアが到達不可能な場所であるのは当然だが、ただそ の場所が存在することを予感的に教えてくれるものがある。’ サれが自然である。すると詩人は自然と 交流することによって、彼ほんらいの世界、夢とメルヒェンと、そして帰郷という言葉が想起させる もうひとつのもの、すなわち死と連結することができたのである。 シューマンがアイヒェンドルフの原詩をどのように読み取ったかを、明の夜』ではひとつの特別 な視点からながめることができる。それは運動である。 天と地には上下の位置関係が存在する。最初の伴奏部を聴いてみると、ロ音(h)の左手と、その音 からかけ離れて高い嬰ハ音(cis)で始まる右手の不思議な和音が、この曲の主調がホ長調(E−dur)で (24) あることをさしあたって感じにくくさせている。とくに右手で奏でられる最初の4小節は、月のいる 上方からの下降の運動に対応する。しかし主調は第2小節ですでに強く感じられる。5小節めから6 小節めにかけて、右手はロ音を単独で鳴らす第5小節と、ロ音に嬰ハ音を加えて2度音程で鳴らす第 6小節が特徴的であり、ロ音に引っぱられて十分上昇できない嬰ハ音のもどかしさがある。大地は月 を迎えにいっているようであり、それを果たさないようでもある。したがってシューマンは天と地の 合一を、ちょうどアイヒェンドルフが「あたかも空が地に/こっそりと口づけを贈ったようだった」 とした精神にそって(すなわち非現実のこととして)、かんたんには成就させなかったように聴き取 れるのである。歌曲の伴奏にピアノの和音連打を導入したのはシューベルトであるが助、r月の夜』 の連打音は2小節を費やしてロ音と嬰ハ音を浮き彫りにし、駆動力でありながら、同時に前進と上昇 をためらっているような伴奏をなす。 歌唱はピアノの音を受けて(第6小節の弱起から)嬰ハ音で始まり、8小節めの嬰ホ音(eis)がな お上昇への願望を示す15)。調性はこの音のせいでまたもや感じにくくなっている。第9小節rHim− me1」の伴奏にも二度音程が現われるが、これは主調の丁丁の和音であり、むしろロ長調を感じさ せる。 rDie Erde still gekOBt」 (第10∼13小節)にさしかかると、主調のロ長調に完全に回帰 するζしかしロ長調の歌が嬰ハ音(これは本来ホ長調の関係調の嬰ハ短調(cis噸011)の主音である) で始まることが、そもそもこの曲に調性不明感と、あわせてある種の浮遊感覚を与えているのである。 この音型は四度くり返されるが、不安定な調性がそのつど主調に回帰することによって、この曲の歌 唱の最初8小節は、ただようものの不安定感と地に足をつけたものとの二重性、ないし対立を描くこ とができたのである。 煩雑さを避けるために図式化をこころみよう。歌唱の開始から最初の(弱起を含む)四小節を A、続く(弱起を含む)四小節をBとすると、この曲の歌唱部はA−B−A一一B/A−B−A−B/ C−D−A−Bという形に整理される。ただし弱起や装飾音の有無など、若干のちがいは無視する。 第3連でC−Dが現われる以外、この歌唱部は非常に単純に見えるが、そのC−Dのあとにくり返さ れるA−Bこそ、この曲の構造を発端部にさかのぼって考えさせる箇所である。というのは、またし ても嬰ハ音で始まるこのAは以前の四回と比べてまことに自然にひびくからである。つまりA−Bは 本来C−Dに接合すべき音型なのである。最後のA−Bの再提示はたんに最初への回帰と、それから 生まれる音楽の統一感を与えているだけではない。この曲がまさに途中から開始されていることを示 しているのである。しかしC−D部も本来的な開始の音型ではなかった。するとこの曲にはどこにも 開始にふさわしい音型がなかったことになる。では完全に主調にもとづいたB以外の部分では、何が 統一感を与えているのだろうか。それは第五小節に初めて現われ、その後も執拗にくり返される伴奏 右手のロ音ではあるまいか。このロ音は全体に統一感を与えているとはいえ、主調の根音ではなく、 属音である。 このよづに明の夜』には主調からのたえざるずれが存在する。シューマンはこの詩に作曲すると き、原詩のととのった定型性にもかかわらず、つねにある種の違和感をもって応えることにしたので ある。 (25) * 第7曲r城の上で』を見てみよう。まず私はテクストとして見たときのr城の上で』の解釈から始 あたい。 眠りを続け、時を待ち、 年老いたその騎士は上に座す。 かしこには腺雨の影たなびき、 格子を通して森はざわめく。 髭と髪はからみあい、 そして胸と襟は石と化し、 上の静かな房の中、 騎士は何百年も座りつづける。 外は静かに、心を乱すものもなし。 人々はみな谷間へ降りていった。 森の小鳥が独りうたうのは 空(から)になった迫持(せりもち)の中。 下には婚礼の人々が 陽をあびてライン川を下うてゆく。 楽士たちのにぎやかな音楽。 そして美しい花嫁は涙を落とす童6}。 アイヒェンドルフが描く風景には静止的部分と動的部分が併存する。静止的部分には題名となった、 あたかも太古の昔からそびえ立つような古城そのものも含まれる。しかしこの詩を静止画像のように 見せかける最大のものは、その古城を守る、 「眠りを続け、時を待つ」騎士の石像である。彼の「髭 と髪はからみあい、そして胸と襟は石と化し」ている。人体を模造した像はすべてそうだが、なかば 生き、なかば死んだものとしての存在形態がここにはある。「アイヒェンドルフはこの石像を、人が語 りかけても答えず、それでいて断固として自分の存在意義を主張している者として描写している。騎 士は「時を待」っている。すなわち彼はいまだ任務につい七いるのである。その石像の製作者の意図 はすでに忘れられ、騎士の任務も後世の者には理解しがたいものとなってしまった。時を超えて存在 し、威厳を失わないようでありながら、彼には自分が死んだことを教えてもらわねば分からない者の いたましさすらただよう。 この詩に描かれた情景が静寂に囲まれていることは、すでに第3連の「外は静かに、心を乱すもの もなし」だけでも明らかであろう。ただし森の木々のざわめきはやはり城まで届き、城の窓では小鳥 がうたう。だがもちろんそれらの音も詩の全体の静けさを乱すほどではない。ただ第4連で「楽士た (26) ちのにぎやかな音楽」という一句があって、ここに初めてダイナミックな人生を示すモティーフが現 われる。すでに「人々はみな谷間へ降りていった」という第3連の1行が予備的に示していた人間の 存在は、結婚式のモティーフで特定の人間へと焦点を移していた。しかし詩人の視点は上方にある。 つまりライン川を行く婚礼の舟の情景は、およそ遠景にあるものすべてがそうであるように、生の躍 動感の大部分を詩人の視点までの距離に吸い取られながら、最初はほとんど音だけの印象として届く のである。 いっぽうこの詩の動的部分といっても、その運動はゆるやかである。口早は遠くの空を移動してゆ き、予感的な暗さを与えるが、古城のまわりの雰囲気には影響していない。遠くにあるがゆえに、 「かしこには野際の影たなびき(Druben.gehen Regenschauer)」の一句にある雲はほとんど動かない ように見えるはずである。人々が谷へ降りていくときも(すでに現在完了形で書かれている)、動き が急であったことを示す要素は何もない。そして婚礼の舟もライン川をゆるゆると降っていくのであ る。 r城の上で』の静的な動きをとくに時間の面からながめることもできるだろう。まず、すでにこの 古城と騎士が耐えてきた数百年の時間が前提となっている。騎士その人も「年老いた」人とされる。 その歴史的な時間の外郭を支えているのは、雲の動き、鳥の声、ライン川の流れである。非歴史的で はあるが、悠久の開くり返されてきたいとなみ、すなわちまわりの自然である。いっぽう、第3連と 第4連に現われる生きた人間たちは、この悠久の時間と短期間交差する存在にすぎない。ことに婚礼 は、人生のひとつの頂点であるとはいえ、その人生の中ですらまことに瞬間的なことである。 空間的な面からこの詩を検討してみても、やはり時間進行に見合った、ゆったりした設定が感じら れる。典型的なのは遠景に配置された畷雨である。古城の騎士に据えられていた詩人の目は、意図的 にいったん遠くへずらされる。そして遠くをながめた視線は、森のざわめきとともにふたたび古城へ と戻る。第3連で視線はもう一度城から離れて人々の不在を確認し、三たび城へ還ってくる。このよ うに情景は城と周囲の間を行き来するのであるが、いったいにこの詩において運動は横の線を基調と しており(終結部においてのみ視線は下に降りるが、それも川を行く婚礼の舟の動きで中和される)、 ことに遠景には重要な役割りが当てられている。これらのことが相まって情景に広がりとゆるいテン ポを与えている。 ここでr城の上で』の内容を考えてみたい。全体としてこの詩には明示的な意味は与えられていな いように見え、自然と古城、それを守る騎士の像、人々、婚礼、花嫁、これらの要素はばらばらに 配置されているようにも感じられる。しかしこれまでの分析で多少は明らかになったように、悠久の 時間軸と人生の瞬間的時間の交差がここには配されている。そして遠景を含めた空間のひろがりと、 舟の上に限定された人生の場所の局所性が対照的である。花嫁が落とす涙は、おそらく幸福な一瞬と 広漠な時間進行に気づいてのことであり、 「美しい」の一語はかえって、時間を超えても変わらずに いるものど比べれば、女性の幸福が一瞬であることを強調する。 この詩には}予情的自我の存在が希薄である。このことはアイヒェンドルフにはほとんどめずらしい とさえ言ってもよさそうだ。ただ、詩人があくまでも語り役に徹しているとはいえ、情景描写は明瞭 に詩人の感情的制御のもとにあり、風景は客観的に書き記されているのではなく、上述したような時 間的、空聞的配置の中で、野僧の永遠性と人生の瞬間性を対比的に表わすべく、ごく抑えられた調子 (27) で語られる。もし詩人がこの風景に紛れこみ、詠嘆調の感想をつけ加えれば、この詩の調子は一変し、 われわれにはかえって平板に感じられよう。風景も人間も、それ自身無言のままであり’ながら、必要 な役割りを演じているところにこの詩の「静止画像の中のドラマ」が存在する。 シューマンの作曲したr城の上で5に移ろう。この曲はおよそ歌曲には似つかわしくなくアダージ ョのテンポ指定を持っており、そのことはこれまでの詩の分析からもうなずけることであるが、この 歌の場合このテンポ設定は音楽の性格づけのために決定的といってよい。またリズム進行もここでは 本来的「歌謡」に求められる複雑性や、 「芸術的」歌曲に求められる意外性を回避し、単純な四分音 符を中心に構成されている。ピアノ伴奏は歌唱よりもさらにゆったりした二分音符を多用する。特徴 的なのは付点四分音符と八分音符に分割された2拍であり、曲の開始とともにいきなり現われて、い わば音楽を最初に性格づけ、また中間部でも歌と伴奏の両方に使われる。ただし伴奏のリズムは歌唱 パートに影響され、歌唱のリズムはもちろん原詩の持つそれに影響されている1η。さらにピアノは シンコペーションを多用し、それが二分音符同士が小節線をまたいでつながれているので、ピアノの 音はむしろひびきだけを残し、その残響の中に新たな音が弱音で忍び込むようになっている。旋律の 優美さはいつさい感じられない。全体として、音楽はここで、作曲家の創意を持ち込まないように、 いわば一般的な歌曲に期待される優美さ、軽快さ、濃刺さをすべて放棄するように求められている。 そのかわり単調とさえ言ってよいこの音楽構成は、いわば時の進行の不可避性を聴く者に知らせ、楽 曲に「歌謡」とはまったく異なった性格を与えることになった。このようなテンポとリズムの進行は 宗教的歌曲にこそふさわしい。もちろん原詩に宗教的モティーフが希薄であることは確認しておかな ければならない。しかし時間の容赦ない進行というきびしい自然の掟が、そして莫大な時間の経過と ともにすべてが忘却されるというなぐさめが、神性のかわりをしていないだろうか。 図式的分析を確認しておけば、この曲はアイヒェンドルフの原詩が4行を1連として4連で構成さ れているのを、2連ずつをひとまとまりにした有節歌曲の形式をとる。ただし記譜上はくり返し記号 は用いていない。歌は伴奏による導入部を持たずに決然と始まる。シューマンの記譜では調子記号は 何も与えられていないが、開始部分は明らかにホ短調(e順011)を示す。そして第1節の後半から八 長調(C−dur)に移行していく。第1番(原詩で最初の8行)が終わるとピアノ伴奏部は歌の旋律をほ とんどそのままなぞりながら、しかし歌とは別な道を歩んでいるように聞こえるが、これはその伴奏 部ががんらいホ短調であった旋律を(歌唱後半部下長調の関係調に当たる)イ短調(a−moll)に移して 弾いているからである。そしてイ短調の半終止形和音でうながされた第2節の歌唱パートは、しかし ふたたびホ短調をとる。歌としてはこれで第1節と第2節がまったく同等の調を与えられたことにな り、ピアノのイ短調の部分だけがむしろ異なった調子圏を構成していることがわかる。 旋律的な面からr城の上で』を分析してみると、シュー々ンは音高の種類を絞り抜き、多彩な音楽 言語の活用を避け、単純さの中に静譲さを結晶させようとしている。冒頭のロニホ(h℃)の五度下 降が目立っ。この音型はハ長調に移行した部分(第2連と第4連)でもト=ハ(g−c)の音程でくり 返され、さらに同型的にイ=二(a−d)、ロ=ホ(h−e)と一音ずつ上昇し、切情でクライマックスた 達することで、ピアノ伴奏部のイ短調への移行を準備する。第2連の場合この轟音のクライマックス は「何百年も」の一句に用いられ、まさに騎士が不動で過ごした年月にアクセントを与えるが、第4 連の場合は「楽士たちのにぎやかな音楽」という句にあてられるので、強調のありどころが意味と音 (28) で若干の不均衡を生む。しかし今度は「そして美しい花嫁は涙を落とす」が絶頂のあとの静けさにた どりつき、ひときわの味わいを生むのである。同型的な音型のくり返しは音楽に機械的な性格を与え るが、また一方で、ちょうどバッハの音楽がそうであるように、厳格さ、法則性といった表情も付与 する。シューマンはバッハに親しんでいたし、上のような厳格な同型的展開を交響曲第三番rライン』 の第四楽章などでも使った。こうして純粋な音楽の創出に成功した彼は、彼自身にとって、そして彼 とさして変わらぬ市民的世界の住人であるわれわれにとって、何気ない日常的世界に神性が忍び込 んでくるということを、示しおおせたのである。そしてr月の夜』で主調の回避による違和感によっ て原詩の定型性に反した歌曲を創ったように、ここでは原詩の定型性に極限まで沿いっっ、しかしか えって原詩の「歌謡性」を失わせてしまった。だがこうした離反がじつは詩人精神への最高の答えで あることにはうたがいがないだろう。 * 注 シューマンのrリーダークライス』の楽譜は、Schumann, Robert:SθZθc陀d 80πg8/br 80Zo Vb‘cθ απd Pεαηo, from the Complete Works εdition [Repfint= 石!oわθπ Scんμアηαπノゼ8 Wθrんθ, Hrsg. von Clara Schumann, Leipzig l882−1887], New York (Dover Publications) 韮981[=Dover], pp. l lO−131を使用した。 アイヒェンドルフの詩は、Eichendorff, Joseph Freiherr von:1鞄喫(}珍s鵡8αδθ鹿r晒r勉 μπ(」8c1Lr沸θπεπひεεr 13δπ(1θπ, hrsg. von Gerhard Baumann in Verbindung mit Siegfried Grosse, Erster Band:Gedichte, Epen, Dramen. Stuttgart(Cotta)1957[=Cotta]を参照した。 (D 兼田博:rシューマンr詩人の恋当をめぐる諸条件離 (「独仏文学」第33号、堺(大阪府立大学 独仏文学研究会)1999、pp.8HO5)。 ② シューマンはrリーダークライス謹という表題の歌曲集をもうひとつ、ハイネの詩によって作曲 しており、それには作品番号24が付されている。本論でrリーダークライス』というときは、そ の作品番号を示さないかぎり、作品39のものを指す。 (3)アイヒェンドルフのr予感と現在』は1815年に刊行され、その中に多数の詩を含む。彼の詩集が 刊行されたのは1837年である。Edler, Arnfried:RDbθπ&勧mαππμπd 8θ‘麗Z臨.(Laaber) 1982,SS.9−61参照。 (4)今泉はその論文の中で、ノヴァーリスを援用しつつ、言語に関するアイヒェンドルフの態度と、 シューマンの対応を精緻に関係づけて論じている(「Rauschen/Lauschen一シューマン:リー ダークライスとアイヒェンドルフの詩」、「あうろ∼ら」(日本アイヒェンドルフ協会)、第16 号、1998参照)。私の本論はロマン派全体の思想的流れから切り離してアイヒェンドルフをあっ かい、彼の感情的側面を中心とし、シューマンに関してもそこに重点を置いて論じているので、 その意味でかなりひかえめな主張であると言わざるをえない。 ⑤ そして私の前掲論文でも、私はr詩人の恋』の作曲者シューマンの恋愛経験を強調し、結婚後の 家父長としての人間性に注目し、要するにビーダーマイアー人の創造としてあの歌曲集をとらえ (29) ていた。アイヒェンドルフによるrリーダークライス』の場合、そのテーマは恋愛詩ほど徹底し ては個人的状況に集中していない。しかしその中でシューマンがやはり個人的な感情に愛着を持 ち、それを芸術歌曲として結実させようとした努力を見ていくのが本論の趣旨である。 (6) Oehlmann, Werner:エ万。んεωπ9ωπdハfμs‘ん‘πSbhμηταππs・Lεα1θrπ(7840−1849♪. βeiheft zu田 Co田pact Disc−Set: Robert Schumann: L‘θ(∫θr. Dietrich Fischer−Dieskau, Bariton, Christoph Eschenbach, Piano. Nr. 445 660−2, Hamburg (Deutsche Grammophon) [1979]。 (7) Dover pP. l lO−lll, Cotta S.263。 (8)Dover p.125, Cotta S.71。なお、アイヒェ.ンドルフの原詩は3部に分かれているが、シューマ ンが作曲したのは第1部だけである。 (9)この点に関しては、Floros, Constantin:&勧mαηπ8 mωs読αZ‘εcんθPoθ‘漉In:Heinz−Klaus Metzger und Rainer Riehn (Hrsg.):ルfμsεん一1(bπ2qρ‘εSoπ(1erbα几(∫, Roわer‘8cんz乙mαππ・し H伽chen(edition text+kritik)1981, SS.90−104参照。 (10)このことは前回の論文でも引用した、新しい歌曲に関するシューマンの言葉で十分裏づけられよ う。「このようにしてかの芸術性に富み、深遠な内容の歌曲の流儀が成立したが、もちろん以前 の人はこれについては何も知.ることはできなかった。なぜなら音楽の中で反映しているのは新し い詩人精神にほかならなかったからである。」Schumann, Robert:Gesαmm臨θ&んr碗θπあ6er .ル石画ん認ル西画勉r」 Mit eine田 Nachwort von Gerd Nauhaus und einem Register von.Ingeborg Singer [Reprint: Ausgabe Leipzig l854], Wiesbaden (Breitkopf&Hartel) 1985 [=GS], Bd.1, SS.262−263参照。 (ll)Dover pP.118一豆19, Cotta S.306。 (12)Brinkmann, Reinhold:&ゾLμηη7Lπ μノ㎡1冤c1Le1繊)ηゲ.ε拝読θπ2μητ瓦edε7rゐrεεε (魂)認39.凱usik− Konzepte 95, MOnchen (6dition text十kritik) 1997, S.15。 (13)Brinkmann, a. a.0. S.15。 (14)渡辺護:『ドイツ歌曲の歴史』、東京(音楽之友社)1997,b.115。 (15)Brink田ann, S.260 (16)Dover pp.122−123, C(》tta SS.32−330 (17)原詩は4行1連、トロカイオス(強弱)格4脚の押韻詩で、脚韻は1行めと3行め、.2行めと4 行めが(図式化するとA−B−A−Bと)押韻する。参考までに原詩の第1.連を示す。句読点は Cottaに従う。 Eingeschlafen auf der Lauer Oben ist der alte Ritter; Droben gehen Regenschauer, Und der Wald rauscht durch das Gitter. .本論を執筆するに際してもちろんいくつかのCDも聴かせてもらった。なかでも注6)に示した演 奏はよく参照した。 (30)