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Page 1 山中:ヨーロッパ統合の立役者たち (2) 15 ヨーロッパ統合の
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
15
ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 立 役 者 た ち(2)
ジ ャ ン ・モ ネ
中
田
文
憲
The]k∋adjhgmenofEuropeanUniむy《2)
‐JeanMonnet‐
FumjhoriTANAKA
要
ヨー ロ ッパ は 、2004年5月1日
旨
、新 しい加 盟 国 が10か 国加 わ り、25か 国 とな っ た。 ま た 、欧 州 憲 法 の
制 定 に と りか か る な ど、連 邦化 に 向 け て 「
深 化 」 を促 進 しつ つ あ る。
現 在 進 み つ つ あ る ヨー ロ ッパ 統 合 の 出発 点 と され る の が 、 シ ュー マ ン ・プ ラ ン に基 づ く欧 州 石 炭 鉄 鋼
共 同体(ECSC)で
あ る。
しか し、 こ の案 を作 成 した本 当 の人 物 は 、 ジ ャ ン ・モ ネ とい うフ ラ ン ス人 で あ る。 それ ゆ え に 、 ジ ャ
ン ・モ ネ は 、欧 州 統 合 の父 と呼 ばれ て い る。
本 稿 では 、 ジ ャ ン ・モ ネ が 、 なぜ ヨー ロ ッパ 統合 を始 め よ うと した の か 、 ま た どの よ うに進 め た の か 、
特 にモ ネ とア メ リカ との親 密 な 関係 と ドゴー ル との確 執 に焦 点 を 当 て な が ら分 析 を試 み た。
ジ ャ ン ・モネ は活 動 の途 中 で 、栄 光 と挫 折 を 味 わ っ た が 、彼 の夢 は 、現 在 ま で生 き続 け 、 ヨー ロ ッパ
統 合 に情 熱 を傾 け る人 々 に勇 気 と希 望 を与 え て い る。
は じめ に
欧 州 連 合(EU)は2004年5.月1日
大」の一方、欧州連合は
領 が 議 長 を務 め る
に 加 盟 国 が10か 国 増 え 、25か 国 体 制 に な っ た 。 こ う した
「拡
「
深 化 」 も加 速 化 し て い る 。 現 在 、 ジ ス カ ー ル デ ス タ ン 元 フ ラ ン ス 大 統
「
諮 問 会 議 」 で 出 さ れ た ヨ ー ロ ッ パ の 将 来 像 に 関 す る議 論 が 進 ん で い る 。 こ の
動 き を 一 言 で 表 わ せ ば 、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 最 終 目標 で あ る 連 邦 化 へ の 試 み と 言 う こ と が で き る 。
こ う し た ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 試 み は 、 ジ ャ ン ・モ ネ か ら 始 ま っ た と 言 え る 。 こ の 小 論 の 目 的 は 、
ジ ャ ン ・モ ネ が な ぜ ヨ ー ロ ッ パ の 統 合 を 思 い 立 っ た の か 、 ま た な ぜ
いは
「ミ ス タ ー ・ヨmッ
パ 」 とま で 言 わ れ る よ うにな った の か 、彼 の 生 い 立 ちや 時 代 背 景 、 国
際 情 勢 な ど も 踏 ま え て 、 そ の 理 由 を解 明 す る こ と に あ る 。
平 成16年9月21日
受理
「ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 父 」 あ る
療 良 大 学 教養 部
奈
16
良
1.ジ
1.生
大
学
紀
要
第33号
ャ ン ・モ ネ の 栄 光 と 挫 折
い立ち
ジ ャ ン ・モ ネ(JeanMonnet)は
ニ ャ ッ ク(Cognac)で
、1888年11月9日
、 フ ラ ン ス の シ ャ ラ ン ト県(Charente)コ
生 れ てい る。 父 は 土 地 の特 産 品 で あ るブ ラ ンデ ー の製 造 業 者 で あ った 。 母
も ワ イ ン 製 造 業 者 の 娘 で 、 敬 度 な カ ト リ ッ ク 信 者 で あ っ た 。 ジ ャ ン が 生 れ た 時 、 母 は19才 で 、 そ
の 後 弟 の ガ ス トン と 二 人 の 妹 ア ン リエ ッ トと マ リ ・ル イ ー ズ が 生 れ て い る 。 ジ ャ ン ・モ ネ は 学 校
の 勉 強 が 大 嫌 い で あ っ た 。 彼 の 学 校 嫌 い は 両 親 に も わ か っ た よ うで 、 彼 が16才
ロ レ ア の 第2段
2.欧
にな っ た 時 、 バ カ
階 に 進 ま ず 、 ロ ン ドン に 商 売 の 勉 強 に 行 く こ と を 許 し て く れ た1)。
州 石 炭 鉄 鋼 共 同 体(ECSC)以
ロ ン ドン の 金 融 界 シ テ ィ ー で2年
前
間 修 業 を積 ん だ 後 、 ジ ャ ン ・モ ネ は 、 父 の 指 示 に 従 い カ ナ ダ
へ 、 次 に ア メ リカ へ 顧 客 開 拓 の た め に 渡 っ た 。18才 の ジ ャ ン ・モ ネ は ハ ド ソ ン ・ベ イ ・カ ン パ ニ ー
の チ ッ プ マ ン 会 長 と も 対 等 の 取 引 を して い る 。 若 き ジ ャ ン ・モ ネ は ア メ リ カ の 大 き さ に 魅 了 され 、
ま た 彼 らの 中 に、 パ イ オ ニ ア 精神 と何 か をや りとげ よ うとす る意 志 を発 見 した 。 さ ら に、 ア メ リ
カ 人 が 学 校 の 卒 業 証 書 や 家 柄 な ど に も 無 頓 着 な と こ ろ が 、 ジ ャ ン ・モ ネ の 気 に 入 っ た 。 こ う し た
ア メ リカ で の 体 験 が ジ ャ ン ・モ ネ の 発 想 と 行 動 に 大 き な 影 響 を 与 え て い る 。
第1次
世 界 大 戦 が 始 ま る と 、 ジ ャ ン ・モ ネ は 、 連 合 国 側 に ま と ま りの な い こ と に 気 づ き 、 英 仏
間 の 協 力 体 制 を 作 る こ と を 政 府 に 進 言 し 、 こ れ が 受 け 入 れ ら れ て ロ ン ドン に赴 き 、 連 合 国 同 士 が
国 際 市 場 で 競 争 す る こ との 愚 か さ と危 険 性 を説 い た 。 これ が 功 を奏 して 、 物 資 の 買 付 けな ど を共
同 で 行 う 「ジ ョイ ン ト ・コ ミ ッ テ ィ 」 が 設 立 さ れ 、 こ れ が 後 に 戦 時 の 最 も 重 要 な 新 国 際 経 済 機 関
と 言 わ れ る]hteH宙edMar並
nMTCの
血leTransportCounci(]AMTC)の
誕 生 に つ な が っ た。 モ ネ は
フ ラ ン ス 代 表 に な っ て い る2)。
こ う し た 第 一 次 世 界 大 戦 中 の 仕 事 ぶ りが 評 価 さ れ 、 モ ネ は 戦 後 新 た に 設 立 さ れ た 国 際 連 盟 の 事
務 次 長(soussecr6taireg6n6raDに
任 命 され た。 しか し、拒 否 権 発 動 で 麻痺 し、動 か な い 国際 連
盟 に見 切 りをつ け、 家 業 の 立 て 直 し も あ って コニ ャ ッ ク に帰 る こ と に した 。 そ の 後 、 家 業 の 立 て
直 しが 一 段 落 す る と 、 モ ネ は ビ ジ ネ ス の 世 界 に 打 っ て 出 た 。1926年
に は 、 ア メ リカ の 投 資 銀 行 と
組 ん で 、 パ リ に ブ レ ア ・フ ォ ー リ ン ・コ ー ポ レ ー シ ョ ン を 設 立 し 、 ポ ー ラ ン ドの 通 貨(ズ
ロ チ)
問 題 解 決 や 、 ル ー マ ニ ア 通 貨 の 安 定 の た め に 活 躍 し た 。 し か し 、 ア メ リカ で 始 め た トラ ン ス ア メ
リカ ・コ ー ポ レ ー シ ョ ン の 事 業 は 、1929年
し て い る 。 さ ら に 、1932年
の 株 価 大 暴 落 を 受 け て5百
万 ドル も の 大 き な 損 失 を 出
中国 経 済 の 再 建 を 目的 と した 中国 開 発 銀 行 を設 立 す るた め 中国 に渡 っ
て い る3)。
1938年
フ ラ ン ス に 帰 っ た モ ネ は 、 フ ラ ン ス 軍 の た め に ア メ リカ の 戦 闘 機 の 買 付 け を 行 っ て い る 。
1939年 第2次
世 界 大 戦 が 始 ま る と 、]AMTCを
CoordinatingCommittee)を
モ デ ル に した
「
仏 英 協 力 委 員 会 」(Francoおritish
設 立 して 、 仏 英 の 統 合 を 試 み た 。 ま た 、1943年
渡 り、 ジ ロ ー 将 軍(HenrrHonoreGfraud)と
を 合 体 させ"FrenchCommittefbrNatbnalLjberatbn"を
ド ゴ ー ル 将 軍(Char]esdeGaulle)を
に は ア ル ジ ェ リア に
説 得 して 両 軍
発 足 させ た4)。 そ の 後 モ ネ は イ ギ リス
政 府 に 協 力 し て 、 ア メ リカ に 軍 事 物 資 の 調 達 に 出 向 い て い る 。 こ の 時 、 ア メ リカ の 全 産 業 を 軍 事
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
17
体 制 に 向 か わ せ る き っ か け と な っ た ル ー ズ ヴ ェ ル ト大 統 領 の 有 名 な
な け れ ば な ら な い 」 と い う談 話(FresideChatofDecember29,1940)の
「
我 々 は 民 主 主 義 の 兵器 庫 で
も とに な っ た の も、 実
は モ ネ の 言 葉 で あ っ た5)。
1945年 に は ア メ リ カ か ら物 資 援 助 を 受 け る た め の 新 た な
「
武・
器 貸 与 」 契 約(Lends,ease)の
締
結 に 成 功 し て い る6)。
戦 争 が 終 わ って み る と、 フ ラ ンス の 国 土 は 荒廃 し、 経 済 も麻 痺 状 態 に あっ た 。 そ こで 、 ドゴー
ル将 軍に
「
近 代 化 しな けれ ば 没 落 す る」 と訴 え て 、 「
近 代 化 お よ び 整 備 計 画 庁 」(Commissarぬt
auP]andeMiodernisationetd'Equipement)を
設 立 し 、 自 ら長 官 に 就 任 し た 。 当 該 計 画 庁 の 任 務
は フ ラ ンス の 復 興 と再 建 に と って 極 めて 重 要 で あ った 。 この 時 発 表 され た 復 興 計 画 が 、 い わ ゆ る
「
モ ネ ・プ ラ ン 」 で あ る7)。
3.欧
州 石 炭 鉄 鋼 共 同 体(ECSC)の
第2次
世 界 大 戦 後 の ヨ ー ロ ッパ で 最 も 重 要 な 問 題 が 、 ル ー ル 地 方 と ザ ー ル 地 方 の 扱 い で あ っ た 。
ザ ー ル(Sarre)は1919年
(Ruhr)は
設立
の 時 と同 じくフ ラ ン スの
「
属 州 統治 」 下 にお か れ て お り、一 方 、 ル ー ル
連 合 国 が 共 同 統 治 す る 「国 際 ル ー ル 庁 」(]nternationalRuhrAuthority)の
れ て い た 。 し か し 、 ア デ ナ ウ ア ー(KonradAdenauer)が
首 相 に な る と、 ドイ ツ は
下におか
「ドイ ツ だ け
で な く、 フ ラ ンス 、 ベ ル ギー 、 ル クセ ンブ ル クの 炭鉱 、 工 業 地 帯 も合 わ せ て 管 理 す る国 際機 関 な
ら 同 意 す る と主 張 し た8)。 フ ラ ン ス は 何 か 対 案 を 出 さ ね ば な ら な い 状 況 に あ っ た 。 ち ょ う ど そ の
頃 、1949年9月
ア メ リカ の デ ィー ン ・ア チ ソ ン(DeanAcheson)は
に 対 して 、1950年5月
シ ュー マ ン(RobertSchuman)
の ロ ン ドン 会 議 に 、 新 しい ドイ ツ 政 策 を 出 す よ う要 請 し た 。 しか し 、 シ ュ ー
マ ン に は 良 い 案 が な か っ た 。 そ こ へ 、 後 年 シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン と 言 わ れ る よ う に な る 「案 」 を
ジ ャ ン ・モ ネ が 持 っ て 来 た の で あ る9>。
モ ネ の 考 え は 、 わ れ わ れ が 国 家 主 権 に こ だ わ る 限 り、 資 源 の 全 面 的 所 有 、 す な わ ち 、 全 領 土 の
支 配 と い う過 去 の 悪 夢 か ら 逃 れ ら れ な い 。 そ れ を 避 け る に は 、 ヨ ー ロ ッ パ を 統 合 し 「合 衆 国 」 に
し な け れ ば な らな い 。 ドイ ツ と フ ラ ン ス の 石 炭 と鉄 鋼 に つ い て 、そ の 主 権 を 超 国 家 的(supranational
な 機 関 に 移 し 、 共 同 管 理 す る こ と が 、 ヨー ロ ッ パ 統 合 の 第 一 歩 と な る と い う も の で あ る。 モ ネ は 、
ま た 、 ヴ ェ ル サ イ ユ 体 制 の 最 大 の 問 題 点 は 、 ドイ ツ に 対 す る
「
優 越 感 」 と 「支 配 の 意 識 」 で あ っ
た と し、 こ れ を 取 り 除 く こ と も ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 目的 だ と し て い る10>。モ ネ は こ の よ うな 考 え を
ま と め て 、 ビ ドー 大 統 領(GeorgesBjdault)に
直 接 手 紙 を 書 い た 。 そ の 内 容 は 、 「ヨー ロ ッ パ は
連 邦 を ベ ー ス に 組 織 され る べ き で あ る こ と 。 ドイ ツ はConseilde1'EuropeやOEECな
どで 、 他
国 と平 等 に扱 わ れ ま た 協 力 す べ き こ と。 石 炭 と鉄鋼 の 生 産 を共 同 管 理 下 にお く こ とで 、 経 済 発 展
の 共 通 基盤 が 直 ち に確 保 され 、 ヨー ロ ッパ 連 邦 へ の 第 一 歩 とな る こ と。 これ に よ って 、 長 い 間 、
武器 の 製 造 を運 命 づ け られ 、 多 くの 犠 牲 を強 い られ て きた 地 域 の 人 々 の 運命 を変 え られ る こ と。
フ ラ ン ス 政 府 は 最 高 機 関 の 下 に 石 炭 と 鉄 鋼 を 置 く こ と 提 案 す る こ と 。 生 産 の 連 帯 は 仏 ・独 間 の 戦
争 を考 え られ な くす るだ けで は な く、 物 理 的 に不 可 能 にす るで あ ろ うこ と」 で あ った 。
こ れ は 、 国 家 主 権 と い う タ ブ ー に 挑 戦 し 、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 最 初 の 試 み と な る歴 史 的 な 文 章 で
あ る が 、 ビ ドー の 秘 書 フ ァ レ ー ズ の 怠 慢 で 、 ビ ドー の 机 の 上 に 載 っ た ま ま だ っ た 。 モ ネ は こ の 手
紙 の コ ピー を 直 ち に シ ュ ー マ ン に 手 渡 した 。 シ ュ ー マ ン が ゴー サ イ ン を 出 した の で 、そ の ま ま 「シ ュ ー
奈
18
良
大
学
紀
要
第33号
マ ン ・プ ラ ン 」 と して 発 表 され る こ と に な っ た 。 こ れ が な ぜ
「ビ ドー ・プ ラ ン 」 で は な く 「シ ュ ー
マ ン ・プ ラ ン 」 に な っ た か の 真 相 で あ る1D。
も っ と も、 一 方 で 、 仏 独 の 石 炭 と鉄 鋼 を共 同 管 理 す るア イ デ ィア は
前 に も さま ざ ま な 形 で 存 在 す る 。 た と え ば 、1949年
に フ ラ ン ス の ポ ー ル ・レイ ノー(Pau1Reynaud)
は ヨ ー ロ ッパ 鉄 鋼 庁(Autoritepubliquede工acねreurop6en)の
ル フ ァ ン(HerveAlphand)の
ら、 彼 こそ
「
シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン 」 以
案 の 中 に は 、す で に
設 置 を 提 案 し て い る。 ま た 、 ア
「シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン 」 の 原 型 が あ る こ と か
「
知 られ ざ る 欧 州 の 父 」 だ と す る 見 解 も あ る'2)。 しか し、 ど の ア イ デ ィ ア も 「シ ュ ー
マ ン ・プ ラ ン 」 ほ ど 実 現 に 向 け 内 容 を煮 詰 め た 案 に は な っ て い な い 。
「シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン 」 の 草 案 は 、 何 人 か の 協 力 者 に よ っ て 完 成 し た こ と が 知 られ て い る が 、
一 番 重 要 な 役 割 を果 た した の は
ル ・ル テ ー ル(Pau1Reuter)で
、 エ ク ス ・ラ ・シ ャ ペ ル の 大 学 で 法 律 を 講 じ る 若 き 教 授 、 ポ ー
あ る 。 実 は 、 モ ネ の 当 初 の 考 え は 、"Lotharingia"を
再 現 させ る
こ と に あ っ た が 、 ル テ ー ル は ア ル ザ ス 地 方 や ル ク セ ン ブ ル ク な ど の 国 境 周 辺 の 人 々 を も う一 度 結
び つ け るの は 不 可 能 だ と し、 国 境 は 動 か さず 、 石 炭 と鉄 鋼 だ け を結 び つ け る案 を出 し、 モ ネ も こ
れ に 従 っ た との 証 言 が あ る 。 ル テ ール の ほ か に は 、 旧 友 の エ テ ィエ ン ヌ ・イ ル シ ュ(EtienneHirsch)
と ピ エ ー ル ・ユ リ(PTerreUridが
作 業 に 参 画 し た'3)。
シ ュ ー マ ン の 提 案 は す ぐ に ア デ ナ ウ ア ー 首 相 に 示 され 、 ア デ ナ ウ ア ー の 最 終 合 意 を 待 っ て 、1950
年5月25日
、 提 案 の メ モ ラ ン ダ ム が ベ ル ギ ー 、 オ ラ ン ダ 、 ル ク セ ン ブ ル ク と イ タ リア に も 通 知 さ
れ た 。 イ ギ リス の 外 相 ベ ビ ン は 、 フ ラ ン ス が イ ギ リス 抜 き で ドイ ツ と 交 渉 に 入 っ て い る と し て 激
怒 し た が 、 そ の 態 度 は 煮 え き ら な い も の で あ っ た 。 イ ギ リ ス の 最 大 の 関 心 事 は 最 高 機 関(Hなh
Authority)が
実 際 ど うい う も の な の か 見 極 め て か ら参 加 す る か ど う か 決 定 し た い とい う も の で
あ っ た 。 モ ネ は 元 来 イ ギ リス び い き で 、 議 会 民 主 主 義 の 発 祥 の 国 を 深 く 尊 敬 し て い た が 、 シ ュ ー
マ ン ・プ ラ ン へ の 参 加 条 件 に つ い て は 、 一 歩 も 譲 る 気 は な か っ た 。 イ ギ リス 人 の
「主 権 移 譲 」 に
つ い て の 強 い 抵 抗 を感 じ 取 っ た モ ネ は 、 こ れ 以 降 、 イ ギ リス 抜 き で 話 を進 め る 決 心 を し た の で あ
る14)。
しか し、1950年6.月20日
、 シ ュー マ ンが フ ラ ンス 外 務省 の
「
時 計 の 間 」 に6か
国 の 代 表 を招集
して 、 条 約 作 り に 向 け て ス タ ー トし て み る と 、 各 国 か ら さ ま ざ ま な 問 題 提 起 が さ れ た 。 そ の 最 大
の 問 題 は 、 最 高 機 関 の 独 立 性 に 関 す る も の で あ っ た 。 各 国 政 府 は 、 本 音 で は 、 超 国 家 的 権 力 を認
め る こ と に 強 い 抵 抗 を感 じ て い た 。 ベ ル ギ ー や オ ラ ン ダ が そ の 典 型 で あ っ た が 、 特 に オ ラ ン ダ 代
表 の シ ュ ピ ー レ ン ブ ル ク(DirkSpierenburg)は
そ の 他 で も 、 フ ラ ン ス で は ドゴ ー ル ー 派(ゴ
最 高 機 関 の 権 限 を 縮 少 す る よ う執 拗 に 迫 っ た 。
ー リス ト)や
「
英 仏 協 商 派 」(EntenteCord血]e)は
、
ドイ ツ と の 共 同 は フ ラ ン ス に と っ て 自 殺 行 為 だ と し て 反 対 し た 。 ま た ドイ ツ で も 最 大 野 党 の 社 会
民 主 党 の シ ュ ー マ ッ ハ ー 党 首(KurtSchumacher)が
しか し 、 モ ネ は
シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン に 反 対 した 。
「政 府 間 協 議 体 」(organisationhtergovernementa]e)で
は 、過 去 の 経 験 か ら
何 も 学 ん で い な い と して 、 あ く ま で 超 国 家 的 機 関 に こ だ わ り、 こ れ を ヨ ー ロ ッ パ の 連 邦 化 へ の 基
礎 に す る こ と を 主 張 し 続 け た 。 モ ネ の 粘 り強 い 説 得 が 功 を 奏 し 、1951年4月18日
の
「
時計の間」で
「
石 炭 ・鉄 鋼 に 関 す る 欧 州 共 同 体 条 約 」 に6か
鉄 鋼 共 同 体 」(EuropeanCoalandSteelCommunity)(ECSC)が
、 パ リの 外 務 省
国 が 調 印 し 、 こ こ に 「欧 州 石 炭
誕 生 し た'5>。
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
ジ ャ ン ・モ ネ は
「シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン 」 成 功 の
19
「
影 の 立 役 者 」 で あ る が 、 も う一 つ の 強 力 な サ
ポ ー トの 存 在 を 指 摘 し て お く べ き で あ ろ う。 そ れ は 、 ア メ リ カ の 存 在 で 、 特 に デ ビ ッ ド ・ブ リ ュ ー
ス(DaviclBruce)と
ウ ィ リ ア ム ・ トム リ ン ソ ン(WilliamTomtinson)は
、 「
モ ネ ・プ ラ ン 」 の
頃 か ら モ ネ と 親 し く 、 ま た モ ネ の 考 え 方 に 心 酔 し て お り、 モ ネ の 活 動 を 一 貫 し て サ ポ ー トし た 。
そ の 他 ジ ョ ン ・フ ォ ス タ ー ・ダ レス(JohnFOsterDulles)や
デ ィー ン ・ア チ ソ ン(DeanAcheson)
な ど歴 代 国 務 長 官 も 熱 心 に ヨ ー ロ ッ パ 統 合 を 支 持 し 、 進 行 ス ピ ー ドが 落 ち た 時 に は 、 む し ろ プ
レ ッ シ ャ ー を か け た の で あ る 。 ま た ジ ョ ン ・マ ッ ク ロ イ 高 等 弁 務 官(JohnMcCley)も
て 重 要 な 支 援 者 で あ っ た 。ECSCの
モ ネ に とっ
本部 が で きた とき 、 ダ レス はす ぐに公 式 訪 問 し、 そ の後 デ ビ ッ
ド ・ブ リ ュ ー ス を 大 使 と し て 派 遣 す る な どECSCが
独 立 した
「
政 治 的 権 力 」(Authority)で
あ る
こ と を ア ピ ー ル して く れ た の で あ る16)。
「シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン 」 の 成 功 に 別 の 要 因 を 挙 げ る 見 方 も あ る 。 そ の 代 表 が デ レ ッ ク ・ヒ ー タ ー
で 、 彼 は キ リス ト教 民 主 党 に 所 属 す る 政 治 家 の 役 割 を 重 視 す る 。 ヒ ー タ ー は シ ュ ー マ ン(1948∼
52年
フ ラ ン ス 外 相)、 デ ・ガ ス ペ リ(A]BidedeGasperi)(1945∼53年
ウ ア ー(1949∼63年
ドイ ツ 首 相)が
「
黒 衣 を ま と っ た 共 同 戦 線 」(theB]ackFront)を
て 、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 運 動 を 支 援 し た と 言 う。 こ の3人
項 が あ り、2度
イ タ リ ア 外 相)、 ア デ ナ
に は 、 も う1つ
結成 し
国 境 地 帯 の 出 身 と い う共 通
の 大 戦 に大 き く運命 を変 え られ た 経 験 を持 つ 。 た と えば 、 シ ュー マ ンは ロ レー ヌ
の 出 身 で ル ク セ ン ブ ル ク で 育 ち 、 ドイ ツ の 大 学 を 出 て ドイ ツ に 定 住 、 第1次
して 応 召 、 戦 後 フ ラ ン ス 人 に な っ た 。 こ の た め 共 産 党 員 か ら
大 戦 で は ドイ ツ 兵 と
「ドイ ツ 野 郎 」 と の の し ら れ た こ と
も あ る 。 デ ・ガ ス ペ リは 、 オ ー ス ト リア ・ハ ン ガ リー 帝 国 の トレ ン テ ィ ー ノ 州 に 生 れ 、 第 一 次 大
戦 後 イ タ リア 領 に な っ た た め 、 本 人 も イ タ リア 人 に な っ た 。 ま た 、 ア デ ナ ウ ア ー は 、 ケ ル ン 生 れ
で 、 ラ イ ン ラ ン ト人 の 伝 統 を 受 け つ ぎ 、 フ ラ ン ス び い き で 、 プ ロ イ セ ン嫌 い で あ っ た 。 彼 は1920
年 代 に独 仏 の石 炭 と鉄鋼 を結 合 す る こ とを フ ラ ン ス に提案 して い る。 こ の時 、 す で に
「連 邦 国 家 」
と い う言 葉 を使 っ て い る の が 目 を 引 く17>。
確 か に 、 ア メ リカ や カ ト リ ッ ク の 政 治 家 の 協 力 も あ っ た が 、 や は り、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 第1歩
で あ るECSCは
、 モ ネ の 卓 抜 した 交 渉 能 力 と粘 り強 さ に よ っ て 実 現 し た と す る の が 妥 当 で あ ろ う。
モ ネ は 、 こ の 後 も長 い 間 現 役 で 活 躍 す る が 、、ECSC成
立 の こ の 時 が、 彼 の絶 頂 期 で あ った こ とは
間違いない。
4.欧
州 防 衛 共 同 体(EDC)の
試 み と挫 折
1940年 代 後 半 か ら50年 代 前 半 に か け て 、 ヨ ー ロ ッ パ で 大 き な 問 題 に な っ た の が 、 ドイ ツ の 再 軍
備 で あ る。
共 産 主 義 勢 力 の 拡 大 に 危 機 感 を 抱 い た ア メ リカ は 、 ヨ ー ロ ッ パ の 防 衛 力 増 強 に 乗 り出 す が 、 そ
の た め に は 、 ドイ ツ の 工 業 力 と 軍 事 力 が 不 可 欠 と 考 え る よ う に な っ て い た 。
1950年6.月25日
、 驚 く べ き ニ ュ ー ス が 伝 え ら れ た 。 北 朝 鮮 軍 が 韓 国 に侵 入 し て 戦 闘 が 始 ま っ た
と い うの で あ る 。 こ の 時 モ ネ は 、 旧 友 の ジ ョー ジ ・ボ ー ル(GeorgeBallyな
ど と、 シ ュ ー マ ン ・
プ ラ ン の 打 ち 合 わ せ を し て い た が 、 素 早 く こ の 事 態 が 何 を も た ら す か 読 み と っ た 。 つ ま り、 ア メ
リカ は 、 こ の よ うな あ か ら さ ま な 侵 略 を 黙 っ て 見 す ご す わ け は な く 、 ア メ リカ は 介 入 し て 来 る 。
そ うな れ ば 、 シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン を 立 往 生 さ せ る だ け で な く 、 ア メ リカ が ヨ ー ロ ッ パ 防 衛 の た め
奈
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大
学
紀
要
第33号
に ドイ ツ の 役 割 を 主 張 し続 け る だ ろ う と い う予 想 で あ っ た18)。そ し て 、 モ ネ の こ の 予 想 は 当 た る
こ と にな る。
1950年9月
、 デ ィ ー ン ・ア チ ソ ン は シ ュ ー マ ン に 、 「ヨ ー ロ ッパ 自身 で60個 師 団 を 確 保 し、 こ の
う ち10個 師 団 を ドイ ツ が 分 担 す る 」 案 を 示 し 、 シ ュ ー マ ン は 大 き な シ ョ ッ ク を 受 け た 。 こ れ は ま
さにフランスの悪夢で ある
ネは
「ドイ ツ 軍 」(Wehrmacht)の
復 活 を 意 味 す る19)。こ の 年 の8月
にモ
「ヨ ー ロ ッ パ の 防 衛 は 、 共 同 で 、 共 同 の 組 織 で 、 共 通 手 段 で 、 ま た 共 通 の 貢 献 に よ っ て 実 現
す る べ き で あ る 」 と の 手 紙 を ル ネ ・プ レ ヴ ァ ン 首 相(ReneP]even)に
送 っ て い た20)が 、 ア メ リ
カ の 政 策 に 反 対 す る た め に 、 フ ラ ン ス 政 府 の 声 明 を 作 成 し 、 こ れ を 発 表 す る よ う説 得 し た 。1950
年10月24日
、 プ レ ヴ ァ ン は 、 「フ ラ ン ス 政 府 と し て は 、 欧 州 共 同 防 衛 問 題 を 討 議 す る 前 に 、 石 炭 、
鉄 鋼 に 関 す る シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン が 共 同 体 の 概 念 を 一 般 に 普 及 、 徹 底 さ せ て く れ る も の と信 じ て
い た 。 し か し 、 世 界 情 勢 は 、 フ ラ ン ス に そ の 延 期 を許 さ な い 事 態 を も た ら して い る 。 した が っ て 、
フ ラ ンス 政府 は 統 合 欧 州 の 政 治機 関 の も と に、 ヨー ロ ッパ 軍 の創 設 を提 案 す る」 との 政府 声 明 を
国 民 議 会 に 提 出 し た21>。 こ れ が 後 に
「プ レ ヴ ァ ン ・プ ラ ン 」 と 呼 ば れ る も の で あ る。
こ の 案 に 、 ア ン ゼ ン ハ ワ ー 政 権 は あ ま り乗 り気 で は な か っ た 。 そ こ で 、 モ ネ は
体 」(EuropeanDefenseCommunity)構
は 、 「EDCは
「欧 州 防 衛 共 同
想 を 認 め て も ら う た め に 、 必 死 の 工 作 活 動 を した 。 モ ネ
、 フ ラ ン ス 人 の 怨 念 を 呼 び 起 こ さず 、 ま た 大 西 洋 同 盟 に キ ズ を つ け ず に 、 ドイ ツ の
再 軍 備 が で き る 唯 一 の 方 法 」 だ と言 っ て ア イ ゼ ン ハ ワ ー を説 得 し た 。 こ れ が 功 を 奏 し て 、1952年
、
ア メ リカ 政 府 は 公 式 に 欧 州 の 経 済 的 、 政 治 的 、 軍 事 的 統 合 を 支 持 し た 。 デ ィ ー ン ・ア チ ソ ン は 、
「EDCは
西 側 ヨー ロ ッパ の 自 由 な 人 々 を 結 び つ け る と い う長 年 の 夢 の 実 現 で 、 極 め て 重 要 な 出 来
事 で あ る 。EDCの
本 当 の 意 味 は 、 安 全 保 障 の 領 域 の み に 留 ま らな い 」 と述 べ て い る22>。
こ う し た ア メ リカ の 支 援 も あ っ て 、 欧 州 防 衛 共 同 体 条 約 は 、1952年5月27日
、ECSC加
盟 の6
か 国 に よ って 調 印 され た 。 しか し、 批 准 を め ぐ って 大 きな 問題 が 生 じた 。 そ の 最 大 の 問題 が 、 モ
ネ の お 膝 元 で あ る フ ラ ン ス で 起 き た の で あ る 。EDC反
対 の 急 先 鋒 は ド ゴ ー ル で あ っ た 。 彼 は1952
年 に、 完 全 な 独 立 を有 す る国 家 が 集 った 連 合 に よ る ヨー ロ ッパ が 必 要 だ と説 き、 国 家 主 権 の移 譲
に猛 烈 な 批 判 を 加 え て い た 。 そ の 内 シ ュ ー マ ン が 外 相 を は ず れ 、 ビ ドー(Bidault)が
過 去 の 経 緯 を 無 視 し 、EDCを
初 め とす る 超 国 家 的 ス キ ー ム に 反 対 し だ し た 。 さ ら に 、 マ ン デ ス ・
フ ラ ン ス(PjerreMendesFrance)が
し 、 「EDC条
就 任 す る と、
首 相 に な る と 、 国 粋 的 か つ ゴ ー リ ス ト的 考 え 方 を 前 面 に 出
約 は フ ラ ン ス で は 批 准 され え な い 」 と 宣 言 す る ま で に な っ た23)。1953年11月9日
、
ドゴ ー ル は 、 演 説 の 中 で 、 直 接 的 な 名 指 し は し な か っ た も の の 、 は っ き り わ か る 形 で 、 モ ネ を
"]n
spamateur"(陰
謀 の 仕 掛 人)と
呼 ん だ 。 モ ネ は こ の 侮 辱 的 な 言 葉 に 、 「ドゴ ー ル は 時 代 遅 れ の
考 え に と りつ か れ て い る 。 各 国 が 主 権 に し が み つ く 限 り、 ヨ ー ロ ッ パ 問 題 は 絶 対 に解 決 し な い 。
こ の こ と は 、 過 去 の 一 連 の 失 敗 を 見 れ ば 明 らか だ 」 と 反 論 し て い る 。 し か し、1hspirateurと
い う
言 葉 は 、 モ ネ の 脳 裏 に い つ ま で も 残 っ た よ うだ24)。
ドイ ツ も1953年3月
に は 条 約 を 批 准 し 、 残 る は フ ラ ン ス だ け に な っ て い た 。 し か し 、1954年8
月30日 、 フ ラ ン ス 議 会 は 反 対319賛 成264で
ラ ン ス 国 家"ラ
・マ ル セ イ エ ー ズ"を
、EDC条
約 を否 決 して しま った 。 勝 っ た議 員 た ち は フ
大 合 唱 し た と 伝 え ら れ て い る25)。
レ イ モ ン ・ア ロ ン に ド レ フ ユ ス 事 件 以 来 の 国 論 を 二 分 し た 大 論 争 と 評 され 、EDC支
持者 か ら
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
「8A30日
の 犯 罪 」(]ecrnnedu30aout)と
嘆 き と 共 に 語 られ る こ の 大 事 件26)は 、 実 質 的 に ヨ ー
ロ ッ パ 統 合 の 動 き を 大 き く 後 退 させ る こ と に な っ た 。EDC条
与 え た 。 モ ネ は そ の 後2度
と1943年
21
∼1954年
約 の 失 敗 は 、 モ ネ に も大 き な 打 撃 を
に か け て の 力 を 取 り戻 せ な か っ た と い うの が 、 多 く
の 識 者 の 指 摘 す る と こ ろ で あ る27)。
5.欧
州 防 衛 共 同 体(EDC)以
降
大 き な 精 神 的 打 撃 を 受 け た モ ネ を 勇 気 づ け て くれ た の が 、 ジ ャ ッ ク ・ブ ノ ア ・メ シ ャ ン(Jacques
Benois棚6chjn)が
書 い た イ ブ ン ・サ ウ ド王 の 伝 記 の 中 の サ ウ ド王
moi,toutn'estqu'unmoyen,meme1'obstac]e"(私
も)で
価nSaoud)の
言 葉"Pour
に とっ て は 、す べ て が 手 段 で あ る。 障 害 す ら
あ っ た28)。 こ こ に は 、 ど ん な 困 難 に も 立 ち 向 か うモ ネ の 強 い 意 志 とや れ ば な ん と か な る と
考 え るモ ネ 独 得 の 発 想 が 見 られ て 興 味 深 い 。
モ ネ は 自 由 な 立 場 に な っ て 行 動 し よ う と決 心 し、1954年11A9日
集 め 、 翌 年(55年)2A10日
ECSCの
にECSCの
最 高 機 関の 幹 部 を
の任 期 切 れ を も って 辞任 す る こ と を表 明 した 。
最 高 機 関 の 幹 部 た ち は 、 次 の ス テ ッ プ と して 、ECSCの
扱 う領 域 を 石 炭 と鉄 鋼 以 外 の
もの 、 た と えば 、 運 輸 や エ ネ ル ギー ま で 拡 大 した い と考 え る よ うにな った 。 モ ネ は 最 初 この 考 え
方 に あ ま り乗 り気 で な か っ た が 、 エ ツ ェ ル(EtzeD、
シ ュ ピ ー レ ン ブ ル ク や コ ペ(Coppe)な
が 熱 心 に 言 うの で 、 領 域 別 の 統 合(Sectoralintegration)で
ど
進 む 決 心 を し た29)。領 域 別 の 統 合 を
積 み 重 ね る こ と に よ っ て ヨ ー ロ ッ パ 統 合 へ た ど り つ け る とす る モ ネ の 新 し い 考 え 方 の 始 ま り で
あ っ た 。 モ ネ の 関 心 を 特 に 引 い た 領 域 が 原 子 力 エ ネ ル ギ ー で あ っ た 。 こ れ は 原 子 爆 弾 と い う恐 怖
と と も に 、 平 和 利 用 す れ ば 有 望 な エ ネ ル ギ ー に な り う る と い う期 待 が あ る た め 、 モ ネ はECSCと
は 別 に特 別 の 最 高機 関 を作 って 、 原 子 エ ネ ル ギー の 管 理 と開 発 を共 同 で 行 うこ と を提 案 した 。 こ
の 提 案 に 対 し て ドイ ツ な ど は あ ま り興 味 を 示 さず 、 逆 に 共 同 市 場(CommonMarket)が
作 られ
るな ら、 そ の 枠 内 で 、 原 子 力 エ ネ ル ギー の 共 同 体 を設 置 す る こ とは 承認 で き る と言 っ て きた 。 モ
ネ は 、 共 同 市 場 の 考 え 方 は 、 彼 が 最 終 目標 と す る
「
欧 州 連 邦 」 の 実 現 を遅 らせ るの で は な い か と
懸 念 して 、 積 極 的 に は 賛 成 し な か っ た 。 し か し 、 オ ラ ン ダ の ベ イ エ ン 外 相(Beyen)の
熱 心な推
奨 が あ っ て 、 共 同 市 場 設 立 の 気 運 は 盛 り上 っ て い っ た30)。こ う し た 状 況 の 中 、 オ ラ ン ダ の ポ ー ル ・
ア ン リ ・ス パ ー ク(PauHienriSpaak)は
ドイ ツ の ア デ ナ ウ ア ー 、 フ ラ ン ス の ビ ネ ー(A.Pinay)、
イ タ リア の マ ル テ ィ ー ノ(G.Martjno)に
手 紙 を 送 り 、 「ヨ ー ロ ッパ の 再 興 」(Re]ance)を
け た 。 ス パ ー ク の 提 案 は 、ECSCと
呼びか
同 じ 方 法 を 運 輸 や エ ネ ル ギ ー の 領 域 に 拡 大 す る こ と。 ま た 共
同市場 を設 立 し、運 輸 、 原 子 力 、 共 同 市 場 を
「共 同 の 権 威 」(authoritecommune)と
い う1つ
の
傘 の 下 に 置 く こ と で あ っ た 。 モ ネ は 情 勢 の 変 化 を 察 知 し て 、 ス パ ー ク の 案 に 賛 成 し た31)。 こ こ に
ヨmッ
パ 統 合 の 新 しい ペ ー ジが 開 い た の で あ る。
ス パ ー ク は 、 上 述 の 提 案 を 討 議 す るた め 、 自 ら議 長 とな っ て 、1955年6月1日
、 イ タ リア の メ ッ
シ ー ナ で 会 議 を 開 い た 。 会 議 で は 、 フ ラ ン ス が 原 子 力 共 同 体 へ の 支 持 を 熱 心 に 説 い た が 、 ドイ ツ
は 共 同 市 場 に 関 心 を 示 し 、 ベ ネ ル ッ ク ス3国
も ドイ ツ 支 持 に 回 っ た こ と か ら 、 こ の 両 方 を 設 立 す
る 方 向 で 結 着 し た32)。こ の 決 議 内 容 は ス パ ー ク の 指 揮 の 下 、 ピ エ ー ル ・ユ リ の 協 力 を 得 て2年
歳 月 をか けて煮 詰 め られ
「
ス パ ー ク 報 告 」 と い う形 で 発 表 さ れ た 。 こ れ が 後 の
た た き 台 と な っ た の で あ る33>。
の
「ロ ー マ 条 約 」 の
奈
22
共 同市 場 を
良
「欧 州 経 済 共 同 体 」(ECC)と
大
学
紀
要
第33号
して 設 立 す る こ とに 関 して は 、 ス パ ー ク が 、超 国 家
的機 関 に強 い ア レル ギー 反 応 を示 す フ ラ ンス の 反 対 を考 慮 して 控 え 目な 計 画 に と ど めた た め、 大
きな 混 乱 は生 じなか っ た。 しか し、モ ネ が ご執 心 で あ っ た
「欧 州 原 子 力 共 同 体 」(EURATOM)
の 方 は 、 ドイ ツ が 消 極 的 で あ っ た た め 進 行 速 度 が 遅 か っ た が 、 モ ネ は 、 ア メ リカ の 支 援 を 取 りつ
け る こ と に よ っ て 強 力 に 推 進 し た 。 特 に ア イ ゼ ン ハ ワ ー 大 統 領 がEURATOMに
有 利 に 働 い た34)。さ ら に 、1956年7月26日
発 表 した
賛 成 した こ とが
、 エ ジ プ トの ナ セ ル 大 統 領 が 、 ス エ ズ 運 河 の 国 有 化 を
「
ス エ ズ 危 機 」 が 起 き る と 、 ヨ ー ロ ッ パ に エ ネ ル ギ ー 確 保 へ の 気 運 が 高 ま り、 ア デ ナ ウ
ア ー 首 相 を 動 か し 、EURATOM設
1957年3.月25日
(EEC)の
立 へ 大 き な は ず み と な っ た35)。
、 多 少 の 紆 余 曲 折 は あ っ た も の の 、 「欧 州 原 子 力 共 同 体 」 と 「
欧 州 経 済 共 同体 」
設 立 を 内 容 とす る
「ロ ー マ 条 約 」 は 調 印 さ れ た 。 こ こ に 、 共 同 市 場 を 中 心 と す る 新 し
い ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 動 き が ス タ ー トし た 。 こ の こ と は 、 超 国 家 主 義 の 権 化 に し て 、 領 域 別 統 合 論
者 で あ る モ ネ の 考 え と は 異 な る道 が で き た こ と を 意 味 す る 。 考 え て み れ ば 、EDCの
失敗以来、 フ
ラ ン ス 政 府 に よ っ て 公 的 職 務 か ら遠 ざ け ら れ て い た モ ネ は 、 メ ッ シ ー ナ 会 議 に も 出 席 し て い な い 。
い や す る こ と が で き な か っ た 。 こ の あ た りか ら 、 モ ネ の 影 響 力 は 、 は っ き り と 低 下 し た と 言 わ ざ
る を え な い36>。
EDC失
敗 後 、 モ ネ の 活 動 の 中 心 に な っ た も の に 、LeCommited'actionpour]esEtats刃nis
d'Europe(ヨ
ー ロ ッ パ 合 衆 国 の た め の 行 動 委 員 会)が
あ る 。1955年10Aに
は
「メ ッ シ ー ナ 会 議 を
ヨ ー ロ ッ パ 合 衆 国 に 向 け て の 一 歩 に し よ う」 と の マ ニ フ ェ ス トを 掲 げ る な ど 、 モ ネ の 夢 で あ る
ヨmッ
パ 統 合 に 向 けて さま ざま な 提 言 を行 って い る。 しか し、 そ れ ら を実 現 す る政 治 的 基盤 を
持 た な か っ た た め 、 徐 々 に 応 援 団(cheer]」ading)的
性 格 を お び る よ うに な り、 曖 昧 な存 在 の ま
ま 残 る こ と に な っ て し ま っ た37>。
11.ア
1.ア
メ リ カ そ し て ドゴ ー ル
メ リカ との 親 密 な 関 係
モ ネ が 、 生 涯 に わ た っ て ア メ リカ に 好 感 を 持 ち 、 ア メ リカ 人 と 緊 密 な 連 繋 を と りな が ら さ ま ざ
ま な 課 題 に ぶ つ か っ て 行 っ た こ と は よ く 知 ら れ て い る 。 ジ ャ ン ・モ ネ の ア メ リカ び い き が 、 ヨ ー
ロ ッパ 統 合 に 大 き な 貢 献 を し た こ と は 真 実 で あ る が 、 一 方 で 、 そ の こ と が 、 多 く の ヨ ー ロ ッパ 人 、
中で もモ ネ の祖 国 フ ラ ンス で の モ ネ 批 判 の 原 因 に もな った の で あ る。
モ ネ が ア メ リカ び い き に な っ た 原 因 は 、 ま ず 、 生 れ 故 郷 の コ ニ ャ ッ ク と い う土 地 柄 に あ る 。 元 々
ブ ラ ン デ ー の 取 引 で 海 外 と の つ な が りの 深 か っ た 土 地 だ け に 、 外 国 人 に 対 す る 偏 見 が な か っ た 上
に 、 最 初 に 渡 っ た ロ ン ドン で ア ン グ ロ ・サ ク ソ ン に 対 す る 尊 敬 の 念 と 親 し み を感 じ た の が 出 発 点
に な っ た。 そ の 後 、 ブ ラ ンデ ー の販 路 拡 大 の た め に渡 っ た ア メ リカ で 、 「
ア メ リカ文 明 」 と もい
うべ き 、 形 式 ば ら な い ざ っ く ば ら ん さ 、 チ ャ レ ン ジ 精 神 、 民 主 主 義 的 な 政 治 制 度 な ど に 引 き つ け
られ た 。
モ ネ が ア メ リカ と の 関 係 強 化 に 向 か っ た の は 、 た し か に こ の よ うな 思 い が 、 心 の 底 に あ っ た か
ら で あ る が 、 実 際 に は 、 も っ と 現 実 的 な 理 由 で コ ン タ ク トし て い る の で あ る 。 そ の 最 初 は 第2次
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
23
大 戦 中 に 軍 事 物 資 調 達 の た め に ア メ リカ に 渡 っ た と き で あ る 。 モ ネ は 、 そ の 鋭 い 直 感 で 、 ア メ リ
カ の 軍 事 力 と工 業 力 の 助 けが な けれ ば 、 連 合 国 側 の 勝利 が な い こ と をい ち早 く見 抜 き、 素 早 く行
動 に 出 て い る 。 ま た 、 第2次
大 戦 が 終 わ った 後 も、 ヨー ロ ッパ が 荒廃 か ら立 ち直 る には 、 ア メ リ
カ の 援 助 が 不 可 欠 で あ る と の 信 念 か ら 、 自 ら の ア メ リカ 人 脈 を 総 動 員 し て 事 に 当 た っ て い る 。 さ
ら に、 フ ラ ンス の た め に
「レ ン ド リー ス 」 契 約 を 新 た に 締 結 し た り、 マ ー シ ャ ル ・プ ラ ン を 自 ら
立 案 し た モ ネ ・プ ラ ン と リ ン ク さ せ て 、 ア メ リカ の 援 助 を フ ラ ン ス の 再 興 の た め に 最 大 限 利 用 し
よ うと努 力 して い る。
そ の 後 、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 に 向 け て 運 動 を 開 始 し た 時 も 、 特 に ドイ ツ の 動 き を コ ン トロ ー ル す る
の に ア メ リカ の 力 を フ ル に使 っ て い る 。 な ぜ な ら 、 ドイ ツ を 抑 え ら れ る の は ア メ リカ だ け だ と 見
抜 い て い た か らで あ る。 こ うして
「
欧州石炭鉄鋼共同体」か ら
「
欧 州 防 衛 共 同 体 」 に 「欧 州 原 子
力 共 同 体 」 の 設 立 に 際 して は 、 ア メ リカ の 支 援 を 背 景 に行 動 して い る。 モ ネ の成 功 の 理 由 は 、
ヨ ー ロ ッ パ 統 合 が ア メ リカ を 含 む 西 側 世 界 の 安 定 と 繁 栄 の カ ギ と な る こ と を粘 り強 く 説 得 し た か
らで あ る。
モ ネ が ア メ リカ を 頼 り に し た も う一 つ の 理 由 は 、 イ ギ リス の ヨ ー ロ ッ パ 統 合 に 対 す る 冷 た い 態
度 で あ る 。 モ ネ は 第1次
大 戦 中 の 英 仏 協 力 体 制 を 作 り上 げ た 経 験 か ら 、 ま た イ ギ リス に 対 す る 尊
敬 の 念 か ら も 、 ヨmッ
パ 統 合 に イ ギ リス の 力 を 借 りた か っ た が 、 イ ギ リス が 主 権 に こ だ わ る伝
統 的 な 姿 勢 を 崩 そ う と し な か っ た た め 、 一 層 ア メ リカ を 頼 る よ う に な っ た の で あ る 。
一方
、 ア メ リカ が モ ネ の 言 う こ と を 聞 き 入 れ た の は 、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 が 共 産 ブ ロ ッ ク へ の 防 波
堤 に な る と 考 え た か ら で あ る が 、 そ れ と は 別 に シ ュ ー マ ン ・プ ラ ン に 、 か つ て の
「ニ ュ ー ・デ ィ ー
ル 」 政 策 の 考 え 方 と 共 通 点 を 見 出 し た か ら で あ る 。 ジ ョ ン ・マ ッ ク ロ イ は 、 か つ て シ ュ ー マ ン ・
プ ラ ン を ヨ ー ロ ッ パ のTVA(TennesseeValleyAuthority)と
呼 ん だ と い う38)。
こ う し て 大 統 領 を は じ め 、 数 々 の 政 府 の 要 人 と の 交 渉 を 通 じ て 、 モ ネ は 改 め て ア メ リカ 人 の 良
さ を 実 感 し た が 、 そ れ は ヨ ー ロ ッ パ 人 に 比 べ て ア メ リカ 人 は 、 学 歴 に こ だ わ ら ず 、 ま た
「教 養 」
に も 重 き を 置 か な い か ら だ っ た 。 モ ネ の 強 味 で あ る 実 用 的 で 、 分 析 的 な 、 し か も厳 密 で 、 直 接 的
な 知 性 が 重 要 視 され る こ と も 気 に 入 っ た39)。 こ う し た こ と が 、 「モ ネ は チ ャ ー チ ル よ り も 良 い ア ド
レ ス ・ブ ッ ク を ア メ リカ に 持 っ て い る 」 と か
「1960年 代 半 ば ま で 、 モ ネ は ア メ リカ 政 府 に 、 ほ か
の ど の 外 国 人 よ り も 個 人 的 ア ク セ ス を 持 っ て い た40>」 と い う評 判 に つ な が っ た の で あ る。
も っ と も 、 こ う し た モ ネ の ア メ リカ に 寄 せ る 思 い と は 裏 腹 に 、 ア メ リカ 側 は 国 益 重 視 の さ め た
眼 で 、 モ ネ を 見 て い た と い う指 摘 が あ る 。 た と え ば 、 ア イ ゼ ンハ ワ ー がEDCに
賛 成 した の は 、
ア メ リ カ 兵 を 早 く ヨ ー ロ ッ パ か ら 引 き 上 げ る た め で あ っ たa')と か 、 ま た 、 ア イ ゼ ン ハ ワ ー が
EURATOMに
賛 成 し た の は 、 核 拡 散 の 防 止 と 原 子 炉 の 輸 出 が 目 的 で あ っ た42)と か い う も の で あ
る 。 お そ ら く ア メ リカ は そ う し た 本 音 を 持 っ て い た と 思 わ れ る 。 し か し 、 鋭 い モ ネ は 直 感 的 に 、
そ う した ア メ リカ の 本 音 を 見 抜 い て い た に 違 い な い 。 そ れ で も な お 、 モ ネ は ア メ リカ と の 良 好 な
関係 維 持 こそ ヨ ロー ッパ の 統 合 に不 可 欠 だ との 判 断 に基 づ い て 行 動 して い た の で あ る。 フ ラ ンス
の 若 き 大 蔵 官 僚 ジ ャ ン ・ギ ヨ(JeanGuyot)は
、 「
モ ネ は ア メ リカ を 利 用 す る の は 、 ヨー ロ ッ パ
の 利 益 に な る と確 信 し て い た か らで 、 彼 は だ れ よ り も ア メ リ カ の カ を 利 用 した 」 と 述 べ て い る43)。
モ ネ は ア メ リカ に す り寄 る だ け の 男 で は な か っ た 。 モ ネ が ア メ リカ と親 密 な 関 係 を 続 け な が ら
奈
24
良
大
学
紀
要
第33号
も 、 つ ね に ヨ ー ロ ッ パ が ア メ リカ と 対 等 な 関 係 に な る こ と を 考 え て い た こ と は 、 さ ま ざ ま な 証 言
か ら 明 ら か で あ る 。 た と え ば 、 「ア メ リカ に 依 存 し す ぎ る の は 良 く な い 。 こ れ の 解 決 法 は た だ 一
つ 、 ヨmッ
パ を 統 合 す る こ と 。 統 合 す る こ と で は じ め て ヨ ー ロ ッ パ は ア メ リカ と パ ー トナ ー ・
シ ッ プ を 築 く こ と が で き る 」 と 発 言 し て い る44)。
こ う し た モ ネ の 努 力 は 、 や が て ケ ネ デ ィ 大 統 領 に も 深 い 感 銘 を 与 え 、1962年7月4日
な
「
パ ー トナ ー シ ッ プ 」 演 説 に 結 実 し た の で あ る 。 こ の 演 説 の 中 で 、 ケ ネ デ ィ は
言 」(dec]arationd'hterd6pendance)を
の歴 史 的
「相 互 依 存 の 宣
し た が 、 こ れ こ そ モ ネ の 待 ち 望 ん だ も の で あ っ た25>。
ア メ リカ に お け る モ ネ の 高 い 評 価 は そ の 後 ま す ま す 上 り、 モ ネ は ア メ リカ で い く つ か の 賞 を 授
与 さ れ て い る。 代 表 的 な も の は1963年11月
る
「自 由 賞 」(]ePrixde]aLibert6)で
、 「自 由 の 家 」(FreedomHouse)協
会 が 毎 年 出 して い
あ る が 、 こ の時 ケネ デ ィ は 、 「
過 去何 世 紀 もの 間 、 皇 帝 た
ちや 王 た ち、 独 裁 者 た ちが 、 力 で ヨー ロ ッパ を統 一 し よ うと して 果 た せ な か った 。 しか し、 あ な
た の イ ン ス ピ レ ー シ ョ ン の 下 で 、2000年
間 で き な か っ た こ と 、 つ ま り ヨ ー ロ ッ パ の 統 合 が 、20年
足 らず で 進 捗 し た 。 〈… … 〉 あ な た は 、 建 設 的 な ア イ デ ィ ア と い う唯 一 の カ で ヨ ー ロ ッパ を 変 え
つ つ あ る 」 と の メ ッ セ ー ジ を 届 け て い る 。 ま た 暗 殺 さ れ た ケ ネ デ ィ の 葬 儀 の2週
大 統領 に よ る最 初 の 賞 で あ る
間 後 、 ア メ リカ
「自 由 の 大 統 領 メ ダ ル 」(PresjdentjalMedalofFreedom)が
生前の
ケ ネ デ ィ に よ っ て 決 定 さ れ て い た こ と が わ か り、 再 び ワ シ ン トン に 向 か っ た 。 ジ ャ ッ ク リー ヌ 未
亡 人 立 会 い の も と 、 ジ ョ ン ソ ン 大 統 領 に よ っ て 、 「フ ラ ン ス 市 民 に し て 、 世 界 の 政 治 家 ジ ャ ン ・
モ ネ は 、 説 得 と 理 性 の 力 で 政 治 力 を 発 揮 し、 ヨ ー ロ ッ パ を 統 合 に 導 き 、 大 西 洋 諸 国 を 効 果 的 な
パ ー トナ ー 関 係 へ 導 い た 」 と の メ ッ セ ー ジ が 読 み 上 げ られ た46)。そ し て 、 極 め 付 き は 、 モ ネ の 葬
儀iの時 に 、 「リパ ブ リ ッ ク 讃 歌 」(TheBatt]eHymnoftheRepub]ie)が
流 され た こ と で あ る 。
こ の よ う に ア メ リカ で も て は や さ れ た モ ネ で あ る が 、 キ ッ シ ン ジ ャ ー(HenryKおshger)は
、
「
モ ネ を深 く尊 敬 して い る。 彼 は 偉 大 な 人 物 だ 。 彼 には イ ンス ピ レー シ ョン とア イ デ ィア と メ ッ
セ ー ジ が あ る 」 と 最 大 限 の 讃 辞 を 送 る 一 方 、 「私 に は 、 モ ネ は 頑 固 な フ ラ ン ス 人 だ っ た 。 ド ゴ ー
ル は ア メ リカ に 反 対 し な が ら 要 求 す る 。 モ ネ は ア メ リカ に 協 力 し な が ら 、 同 じ 結 果 を 得 よ う と す
る 」 と 述 べ て い る47)。こ の あ た り に ア メ リ カ 人 の 本 音 が あ る よ う に 思 え て な ら な い 。 ち な み に 、
キ ッ シ ン ジ ャ ー は 、 後 年(1975年)「
与 す る た め 、 ウ ジ ャ レ(Houjarray)の
グ レ ン ヴ ィ ル ・ク ラ ー ク 賞 」(]eprixGrenvilleC]ark)を
授
モ ネ の 自宅 を 訪 れ て い る 。
ま た ア メ リカ 人 で も 醒 め た 眼 で 見 る 人 は 、 モ ネ が つ ね に フ ラ ン ス や ヨ ー ロ ッ パ の 利 益 を 考 え な
が ら行 動 して い る こ とが わ か って い た し、 モ ネ 自身 も、 つ ね つ ね そ の 旨発 言 して い る。 しか し、
こ うした モ ネ の 言 動 に猜 疑 の 目 を向 け る人 々 は 、 モ ネ を
「
ア メ リカ の 手 先 」 と み な し て 激 し く 攻
撃 し た の で あ る48)。
モ ネ の ヨmッ
パ 統 合 と い う壮 大 な プ ロ ジ ェ ク トは 、 こ う し た 反 対 者 の 攻 撃 に よ っ て 痛 め つ け
られ 、 崩 壊 は 免 れ た もの の 、 蛇 行 しな が ら進 む こ と にな った 。
2.ド
ゴー ル との 確 執
ジ ャ ン ・モ ネ に と っ て 生 涯 に わ た る 最 大 の 敵 と な っ た の は 、 皮 肉 な こ と に 、 同 じ フ ラ ン ス 人 の
シ ャ ル ル ・ ドゴ ー ル(Char]esdeGaulle)で
あ っ た 。 彼 ら2人
の 出 会 い は 、1944年
第2次
世界大
戦 下 、 北 ア フ リカ の ア ル ジ ェ に お い て で あ っ た 。 す で に 述 べ た よ う に 、 モ ネ は 、 自 由 フ ラ ン ス の
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
25
た め に ジ ロ ー 将 軍 と ドゴ ー ル 将 軍 を 握 手 さ せ る こ と に 成 功 す る な ど 、 交 渉 人 と し て の 抜 群 の 能 力
を こ こ で も 発 揮 し た が 、 も の の 考 え 方 に 関 し て は 、 ドゴ ー ル 将 軍 と ま っ た く 合 わ ず 、 早 く も2人
の 確 執 は こ の 時 に 始 ま っ て い る。 モ ネ は 、 こ の 時 ア ル ジ ェ で 、 「ヨ ー ロ ッ パ は 、 各 国 が 主 権 に こ
だ わ る 限 り平 和 は な い 。 ヨ ー ロ ッ パ の 国 々 は 一 国 で 経 済 的 に 豊 か に な る に は 狭 す ぎ る 。 も っ と 広
い 市 場 が 必 要 だ 。 ヨー ロ ッパ の 国 々 が 連 邦 を形 成 す る こ とで 、 繁 栄 と社 会 的発 展 が あ る。 フ ラ ン
ス は ヨ ー ロ ッパ に 結 び つ け ら れ て い る 。 フ ラ ン ス は 逃 げ る わ け に は い か な い の だ49>」 と述 べ て い
る 。 す ば ら し い 先 見 性 と し か 言 い よ うが な い 。 こ う し た モ ネ の 考 え 方 は ドゴ ー ル に は 、 理 解 で き
な か った の で あ る。
後 年 、1965年5月15日
に 記 者 会 見 で ドゴ ー ル が ぶ ち 上 げ た
「
価 値 が あ り、 合 法 的 で 、 実 現 可 能
な の は 国 家 の み だ 。 国 家 と し て の ヨ ー ロ ッ パ 以 外 は あ り え な い 。 そ の 他 の も の は 神 話 で あ り、 作
り話 で あ り、 見 せ か け に す ぎ な い 。 統 合 ヨ ー ロ ッ パ に
者(federateur)に
「
政 治 」 が な くな れ ば 、 外 国 か ら来 た 統 合
頼 る こ と に な る で あ ろ う」 と い う ヨ ー ロ ッ パ 観 は 、 過 去12年
間 の ヨー ロ ッパ
統 合 の 努 力 を 侮 辱 す る も の と し て 、 モ ネ を 大 い に 立 腹 させ て い る50)。こ こ で 持 ち 出 さ れ た
者 」(federateur)と
は 最 強 の 連 邦(免deraD国
「統 合
家 ア メ リカ を 意 味 して い る こ とは 明 らか で 、 ド
ゴ ー ル の ア メ リカ 嫌 い を 端 的 に 表 わ し て い る 。
ドゴ ー ル が モ ネ を 嫌 っ た 理 由 の1つ
が 、 モ ネ の ア メ リカ と の 親 密 な 関 係 に あ っ た こ と は 疑 い え
な い 。 で は 、 ドゴ ー ル は な ぜ ア メ リカ が 嫌 い だ っ た の か と い う疑 問 が 残 る 。 こ れ を解 く カ ギ は ド
ゴー ル の 職 業観 に あ る。
ドゴ ー ル は さ ま ざ ま な 所 で
ル に よ れ ば 、 経 済(ビ
「ア メ リカ は 商 人 の 国 だ 」、 「モ ネ は 商 人 だ')」 と言 っ て い る 。 ドゴ ー
ジ ネ ス)は
、 政 治 に才 能 の な い 人 間 の た め に残 され た 分 野 だ とい うこ と に
な る52)。彼 が ビ ジ ネ ス を 一 段 低 く 見 て い た こ と は 明 ら か で あ り、 お そ ら く 、 こ れ は フ ラ ン ス の カ
トリッ クの 伝 統 で あ る
「
額 に 汗 し て 働 か ざ る を え な い 者 は 、 神 と の 約 束 を破 り楽 園 追 放 に な っ た
人 間 の 中 で も よ り多 く神 か ら罰 を 与 え ら れ て い る 人 々 」 と い う考 え に影 響 を 受 け て い る と 推 論 で
き る。 な か で も商 業 に対 す るカ トリッ クの 蔑 視 も よ く知 られ て い る と こ ろで あ る。 この こ とか ら
す れ ば 、 ド ゴ ー ル 大 統 領 を 訪 問 した 当 時 の 日本 の 池 田 首 相 を 評 し て
「ト ラ ン ジ ス タ ー ラ ジ オ の
セ ー ル ス マ ン に会 うとは 思 わ な か った 」 と言 い 放 った の も、 腹 立 た しい が 、 理解 は で き る。
ドゴ ー ル が モ ネ を 嫌 っ た も う1つ
は 自 作 農(unpetitproprietalre)で
の 理 由は 、 モ ネ の 出 身 そ の もの に あ る と言 え る。 モ ネ の祖 父
あ り53)、モ ネ 自身 も し ば し ば 自 ら を
半 ば冗 談 め か して 語 っ て い るが 、 こ の
「
農 民 」(paysan)と
い う言 葉 が 、 フ ラ ン ス で は 田舎 者 や
無 作 法 者 を 指 す 軽 蔑 語 で あ る こ と に 注 意 す る 必 要 が あ る 。1963年
時 に 、 ドゴ ー ル は
「コ ニ ャ ッ ク の 農 民 」 と
にア イ ゼ ンハ ワー が パ リに来 た
「
モ ネ は 良 い コ ニ ャ ッ ク を 作 る 。 と こ ろ が 残 念 な こ と に彼 は そ の 職 業 に 満 足 し
て い な い の だ54)」と 語 っ て い る 。 要 す る に
「
政 治 の 世 界 に 首 な ど突 っ 込 ま ず に 、 田 舎 で コ ニ ャ ッ
ク で も 作 っ て い ろ 」 と 言 い た か っ た の で あ ろ う。 こ う し た ドゴ ー ル の 言 動 が ア イ ゼ ン ハ ワ ー を 不
愉 快 に した で あ ろ う こ と は 想 像 に 難 く な い 。 ドゴ ー ル は す で に ル ー ズ ヴ ェ ル トか ら も 「
彼 の性 格
は 耐 え が た い55>」 と 言 わ れ て お り 、 ア メ リ カ の 政 府 要 人 の 間 の 受 け は 悪 か っ た の で あ る。
エ ル ヴ ェ ・ア ル フ ァ ン は2人
ドゴ ー ル:ラ
の 性 格 や モ ノの 見 方 につ い て 次 の よ うにま と めて い る。
テ ン文 化 、 愛 国 心 、 犠 牲 の 精神 、 軍 隊 の 規 律 、 高 遮 な 考 え方 、 自 己 と フ ラ ンス の
奈
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紀
要
第33号
同一 視 、 帝 国 主 義 的 、 ス タイ ル と形 式 を愛 す る、 信 心 深 い 、 妥 協 を許 さな い 、 自分 に も他 人 に も
厳 しい 、 演 説 家 。
モ ネ:シ
ャ ラ ン トの 農 民 、 学 歴 ・資 格 に 無 関 心 、 名 誉 ・勲 章 に 無 関 心 、 国 粋 者 嫌 い 、 ヨ ー ロ ッ
パ 好 き、 フ ラ ンス は ヨー ロ ッパ の 一 部 にす ぎず ヨー ロ ッパ は 世 界 の 一 部 にす ぎな い 、 巧 み な 交 渉
術 、 民 主 主 義 を 愛 す 、 独 裁 嫌 い`6>。
ま た 、 リチ ャ ー ド ・メ イ ン は2人
の 特 徴 を 、 ドゴ ー ル は 、 ご 託 宣 、 歴 史 へ の 深 い 造 詣 、 進 歩 へ
の 懐 疑 、 悲 観 主 義 者 で あ り、 一 方 モ ネ は 、 議 論 好 き 、 変 化 好 き 、 過 去 へ の 無 関 心 、 楽 観 主 義 者 だ
と 述 べ て い る57>。
モ ネ は 、 ドゴ ー ル を 政 治 家 と し て 高 く 評 価 し て い た 。 た と え ば 、 ドゴ ー ル 以 外 に ア ル ジ ェ リア
問 題 を解 決 で き る 人 物 は い な か っ た と言 っ て い る58)し 、 一 方 、 ドゴ ー ル も 、 モ ネ の 交 渉 能 力 の 高
さ に 一 目置 い て い だ9)。 し か し 、 両 者 の モ ノ の 考 え 方 が こ れ ほ ど違 う と 、 和 気 あ い あ い と い うわ
け には い か な い 。 二 人 の 敵 対 関係 は 一 生 涯 続 く こ と にな るの で あ る。
し か し 、 二 人 の 考 え 方 が こ と ご と く 異 な っ て い た か と 言 え ば 、 そ うで は な い 。 た と え ば 、 世 評
と は 異 な り、 モ ネ も ドゴ ー ル と 同 じ ぐ ら い
「フ ラ ン ス の 栄 光 」 を 取 り戻 し た い と 考 え て い た の で
あ る 。 た だ 、 そ の 後 の 時 代 の 変 化 に ど う対 応 す る か で 、 両 者 の 考 え 方 は 大 き く 違 っ た の で あ る 。
モ ネ は 冷 戦 の 激 化 に よ って
「フ ラ ン ス の 栄 光 」 な ど も は や か な わ ぬ 夢 と 見 切 り を つ け 、 ヨ ー ロ ッ
パ 統 合 に よ っ て 政 治 的 に も 経 済 的 に も 独 立 し 、 さ ら に 大 西 洋 同 盟 を 中 心 に ア メ リカ 寄 りの 政 策 を
と る こ と で ヨー ロ ッパ の 安 全 を 確 保 し よ う と考 え た の で あ る60)。一 方 、 ドゴ ー ル は 、 国 民 国 家 と
バ ラ ン ス ・オ ブ ・パ ワ ー を 基 本 とす る従 来 の 考 え を 押 し 通 し、 「フ ラ ン ス の 栄 光 」 に こ だ わ り続
け た の で あ る 。 し た が っ て 、 ア メ リカ に 対 し て は 、 ヨ ー ロ ッ パ を 支 配 し よ う と し て い る の で は な
い か と つ ね に 猜 疑 の 目 を 向 け て い た こ と か ら 、 ア メ リカ と親 し く す る モ ネ に激 し い 攻 撃 を加 え た
し 、 イ ギ リス が ヨ ー ロ ッ パ 共 同 体 に加 盟 申 請 し た 時 も 、 イ ギ リス を ア メ リカ の
だ と し て 、2度
にわ た って 拒 否 権 を発 動 した の で あ る。
こ う し た 二 人 の 確 執 は 、EDC条
した 。1958年
「トロ イ の 木 馬 」
約 を 葬 り去 る こ と で 、 モ ネ の 敗 北 、 ドゴ ー ル の 勝 利 が は っ き り
に 大 統 領 に 就 任 し た ド ゴ ー ル は 、 「も は や ジ ャ ン ・モ ネ が 命 令 を 下 す 時 代 は 終 わ っ
た6')」 と 完 全 勝 利 を 宣 言 し た の で あ る 。 「
影 の 仕 掛 人 」(hspirateur)、
「
影 の 男 」(hommede工ombre)と
黒 幕(eminencegrise)、
さ ま ざ ま に 形 容 され て き た62)モ ネ が 、 時 の 最 高 権 力 者 ド ゴ ー
ル に 打 ち 負 か さ れ た の で あ る が 、 あ る 意 味 で 、 これ は い た し方 の な い こ とで あ っ た 。 や は り 、 「
影
の 男 」 に は 、 そ れ な りの 限 界 が あ っ た と い う こ と で あ ろ う。
皿.ジ
1.欧
ャ ン ・モ ネ の 評 価
州 石 炭 鉄 鋼 共 同 体(ECSC)
ECSCは
、 ジ ャ ン ・モ ネ が ヨ ー ロ ッパ 統 合 の 第1段
も の で あ る が 、ECSCが
階 と して 、 心血 を 注 い で 実 現 に こ ぎつ けた
実 際 十 分 に 機 能 し た か とい う点 に つ い て は 、 評 価 は 厳 し く な る 。
具 体 的 に 見 て い く と 、1953年5.月31日
に 共 同 市 場 が オ ー プ ン し た 後 、 鉄 鋼 価 格 の 上 昇 に ス トッ
プ を か け ら れ な か っ た し 、 そ の 後 の 石 炭 危 機 も 乗 り切 れ ず 、 政 府 間 協 議 で 結 着 せ ざ る を 得 な か っ
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
た 。 結 局 、ECSCの
最 高 機 関(HighAuthority)は
27
、 超 国 家 的 に 統 治 し た り 、 石 炭 と鉄 鋼 の 共 同
市 場 を純 粋 な 形 で 作 る こ とが で きな か った とい うこ とで あ る。 で は 、 そ の原 因 は 何 か と言 えば 、
石 炭 と 鉄 鋼 が 、 競 争 力 を も っ て 売 れ る 単 一 で 、 共 同 体 規 模 の エ リア を 作 る こ と は 、 立 派 で は あ る
が 、 実 現 不 可 能 な 目標 で あ っ た か らで あ る 。 な ぜ な ら 、 こ れ らの 産 業 は 、 長 い 間 規 制 さ れ て お り 、
ど の 国 も 独 自 の 管 理 シ ス テ ム を 持 っ て い る た め コ ス トが わ か ら な い 。 そ の 上 、ECSCは
、主な市
場 撹 乱 要 因 で あ る 為 替 レ ー ト、 価 格 管 理 、 補 助 金 や 税 金 、 信 用 供 与 、 運 輸 政 策 な ど を コ ン トロ ー
ル す る 力 を 持 っ て い な か っ た か らで あ る 。 さ ら に 、ECSCは
、 ア メ リカ か ら多 額 の ロー ン を得 た
も の の 、 産 業 開 発 の た め に うま く 資 金 を使 う こ と が で き な か っ た し 、 ま た 、 ドイ ツ と フ ラ ン ス の
石 炭 カ ル テ ル や 新 しい 鉄 鋼 輸 出 カ ル テ ル の 実 施 を防 ぐ こ とが で きな か った こ と もそ の 要 因 に挙 げ
られ る。
一方
、ECSCが
達 成 し た こ と も あ る 。 た と え ば 、 ヨ ー ロ ッパ の ク ズ 鉄 取 引 を 規 制 す る仕 組 み を
立 ち 上 げ た こ と 。 労 働 者 の 再 教 育 や 再 雇 用 問 題 に 取 り組 ん だ こ と 、 国 際 荷 物 運 賃 の 均 一 化 に 先 鞭
を つ け た こ と 。 税 制 に 関 す る 比 較 経 済 学 的 研 究 に 最 初 に 着 手 し た こ と な ど が 挙 げ ら れ る63)。
こ れ ら を 総 合 的 に 判 断 す る と 、 「技 術 的 」 に は 、ECSCは
し、 一 方
「
精 神 的 」 な 面 で は 、ECSCの
失 敗 し た と言 わ ざ る を え な い 。 し か
果 た し た 役 割 は 、 や は り大 き い と 言 え る。 限 定 的 で あ っ
た とは い え、 知 恵 と説 得 だ けで 各 国 に主 権 の 一 部 を超 国 家 的 組 織 に移 譲 させ た こ とは歴 史 上 だ れ
も な し え な か っ た 快 挙 で あ る 。 共 同 市 場 が で き た こ と で 、ECSCやEURATOMの
よ うな 領 域 的
共 同 体 の 影 が 徐 々 に 薄 く な っ た の は 事 実 で あ る が 、 今 日ま で 続 く ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の 基 礎 を 形 作 っ
た こ とは 大 い に評 価 で き る。
ま た 、 モ ネ が 何 よ り も 心 を砕 い た ドイ ツ と フ ラ ン ス の 和 解 を 確 実 な も の と し た 功 績 も 大 き い 。
あ る 意 味 でECSCは
ドイ ツ と の 平 和 条 約 の 代 り と 位 置 づ け る こ と も 可 能 で あ る64)。モ ネ が 独 仏 和
平 の ポ イ ン トは 、 ドイ ツ を 平 等 に 扱 う こ と と 、 平 和 を 促 進 す る た め の"制
る こ と だ と考 え 、 こ れ ら の 実 現 し た も の が 、ECSCに
度"(jnstitutbn)を
結 実 し た の で あ る 。"制 度"の
て 、 モ ネ は ス イ ス の 哲 学 者 ア ミエ ル(HenrrFredericAm℃Dの
言葉で ある
作
重 要 性 につ い
「
個 々人 の経 験 は積
み 重 ね ら れ ず 、 再 び 繰 り返 さ れ る 。 制 度 だ け が ど ん ど ん 賢 く な る 。 制 度 は さ ま ざ ま な 人 の 経 験 を
積 み 上 げ る 。 こ の 経 験 と 知 恵 か ら 、 人 は そ の 性 質 が 変 わ る の で は な く 、 行 動 が 変 わ る の を発 見 す
る65)」を 引 用 し て 制 度 の 重 要 さ を 強 調 した が 、ECSCが
そ の 最 初 の 制 度 と な っ た の で あ る。 モ ネ
は 国 民 国 家 を 結 び つ け る と い う 旧 来 の 発 想 を 捨 て 、 人 々 を 結 び つ け る こ と を 説 い た(Nousne
coalisonspasdesEtats,nousunissonsdeshommes66>)が
の 拠 り所 と し て"制
2.ス
度"を
、国家 の壁 が無 くなった時、人 々の心
考 え た の で あ ろ う。
ピル オ ー バ ー 効 果
ジ ャ ン ・モ ネ は 、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 の た め に は 、 ま ず 基 盤 を 作 り、 そ の 後 は 、 共 同 の 利 益 を 実 感
しな が ら、 実 績 を 積 み 重 ね る こ と に よ っ て 統 合 は 実 現 で き る と 考 え て い た67)。 こ の 考 え 方 は
機 能 主 義 者 」(Neo{Unctめnahst)に
よっ て
「モ ネ 方 式 」(methodeMonnet)と
「新
呼 ば れ て い るが 、
そ の ポ イ ン ト は 、 モ ノ ご と の 原 型 を 作 り、 そ れ が 一 旦 動 き 出 せ ば 、 は ず み が つ い て 連 鎖 反 応
(engrenage)を
overtheory)と
起 こ し 、 最 終 目的 に 到 達 す る とい う も の で 、 別 名
も 呼 ばれ て い る。
「ス ピル オ ー バ ー 理 論 」(spilk
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モ ネ の 旧 知 の 友 人 で あ り 、 熱 心 な 統 合 論 者 と して 知 られ た ヴ ァル タ ー ・ハ ル シ ュ タ イ ン(Wa]ter
Ha兆tejn)も
経 済 的 統 合 か ら政 治 的 統 合 は 可 能 だ と い う こ と を 主 張 す る た め に 、 こ の 理 論 を使 っ
て い る68)。
しか し 、 モ ネ がECSCの
設 立 に こ ぎ つ け た 頃 、 大 部 分 の 人 々 は 、 ス ピル オ ー バ ー 効 果 な ど と い
う説 に は 懐 疑 的 で あ っ た 。 実 は モ ネ の 旧 友 で あ り協 力 者 で あ っ た ロ バ ー ト ・マ ー ジ ョ リ ン(Robert
Marjolin)や
ジ ョー ジ ・ボ ー ル で す ら 、 本 音 の 部 分 で は 半 信 半 疑 で あ っ た 。 マ ー ジ ョ リ ンや ボ ー
ル は、 「
制 度 を 変 え れ ば 、 人 々 は 考 え や 行 動 を 新 し い 規 則 に 適 合 す る よ う に な る 」 と信 じ て い る
モ ネ の考 え方 に心 か らは 同調 で き なか っ た 。 マ ー ジ ョ リン は、 国家 意識 は一 代 で は変 わ らな い し、
制 度 を 変 え る だ け な ら 、 数 世 代 た っ て も 無 理 だ と 考 え て い た 。 さ ら に 、 深 く刻 み 込 ま れ た 思 考 習
慣 は 制 度 が 新 しくな って も簡 単 には 変 わ らな い と考 えて い た 。 一 方 、 ボ ー ル も、 ヨー ロ ッパ 合 衆
国 が 近 い将 来 実 現 す る とは考 え な か った 。 マ ー ジ ョ リ ンに い た っ て は 、 「
ス ピル オ ーバ ー効 果 」
と い う考 え 方 に 否 定 的 で あ っ た69>。
し か し 、 彼 ら の 疑 念 は 事 実 に よ っ て 打 ち破 ら れ た の で あ る 。 確 か に モ ネ が 当 初 想 定 し た 超 国 家
的 な 共 同 体 を 領 域 ご と に 作 っ て い け ば 、 や が て 統 合 に い き つ く とい う考 え は 、EDCの
市 場 の 出 現 で 、 軌 道 が か な り変 わ っ た こ と は 事 実 で あ る が 、1990年
や50年 前 に は 誰 も 予 想 し な か っ た 統 一 通 貨
代の
失 敗 と共 同
「欧 州 連 合(EU)の
誕生
「
ユ ー ロ 」 の 流 通 な ど を 経 験 す る に つ れ 、 ジ ャ ン ・モ
ネ が い か に先 見 性 の あ った 人 物 か 、 あ らた めて認 識 させ られ る。
3.ジ
ャ ン ・モ ネ の 人 と な り
ジ ャ ン ・モ ネ が 、 特 別 な 才 能 を 持 っ た 人 物 で あ っ た こ と は 、 彼 と 接 し た 人 々 の 証 言 か ら 明 ら か
で あ るが 、 彼 の 性 格 に も注 目す べ き点 が い くつ も あ る。 そ れ らの うち代 表 的 な もの は 以 下 の とお
りで あ る70>。
1)実
践主義者
言 葉 だ けで は 不 十 分 で 、 実 行 に移 して 始 めて 価 値 が あ る との 信 念 を持 っ て い た 。
2)ア
イ デ ア ・マ ン
ドゴ ー ル か ら"hspirateur"(影
の 仕 掛 人)と
呼 ば れ た が 、 す ば ら しい イ ン ス ピ レー シ ョ ン
の 持 ち主 と も解 釈 で き る。 実 際 、彼 は 独 自の ア イ デ ィア を次 々 考 えつ い た 。
3)理
想 主 義 者 で あ り現 実 主 義 者
高 い 理 想 を っ ね に 持 ち な が ら も 、 状 況 の 変 化 に 合 わ せ て 、 うま く 軌 道 修 正 し 、 新 し い 局 面
に柔 軟 に対 応 で きた 。
4)経
験主義者
抽 象 的 な 議 論 を嫌 い 、 自分 の 頭 で 考 えた こ とや 自 ら体 験 した こ と しか信 じな か った 。
5)楽
観 主義者
何 度 挫 折 を 味 わ っ て も 、 つ ね に 前 向 き に と ら え 、 前 進 す る 。 「障 害 す ら 手 段 で あ る 」 が 信
条 で あ った 。
6)交
渉の達人
だ れ が キ ー パ ー ソ ン か 瞬 時 に 見 抜 く 才 能 に 恵 ま れ 、 粘 り強 い 説 得 で 成 果 を 得 た 。
7)集
中力 の 人
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
29
1つ の こ と に全 力 を集 中 し、 そ れ を片 づ けて か ら次 の 案 件 に と りか か る手 法 を と った 。 ほ
とん ど休 み を と らず1つ の 案 件 を徹 底 的 に議 論 し、試 案 をい くつ も作 るの が つ ね で あ った 。
8)大
胆 さ と用 心 深 さ
第1次 世 界 大 戦 中 に、 父 の 友 人 の 紹 介 で 時 の 首 相 に会 って 直 談 判 して い る。 さ ら に各 国 の
最 高 権 力 者 や 政府 要 人 の 懐 に飛 び 込 ん だ 。 プ ライ ベ ー トで は 、41才 の 時 に20才 の 人 妻 と駆 け
落 ち し、 ソ連 で 結 婚 して い る。 一 方 、 普 段 行 動 を起 こす 時 は 、 入 念 に根 回 し して か ら第1歩
を踏 み 出 した 。
9)無
欲の人
政 治 的 野 心 を持 た な か った し、名 誉 や 勲 章 に も関 心 を示 さな か った 。
10)忍 耐 の 人
時 間 が か か る こ と を厭 わ な か った 。
これ ほ ど多 くの 特 徴 が挙 げ られ る ほ ど、 ジ ャ ン ・モ ネ は 従 来 の 分 類 や 枠 に は ま らな い 人 物 で
あ った 。 こ うした 彼 の 人 とな りが ど うや って 形 成 され た か 議 論 は 百 出 して い る。 な か で も多 くの
研 究 者 が 指 摘 す るの が 、 コニ ャ ッ ク とい う土 地 柄 や 家 業 の ブ ラ ンデ ー 作 り、 そ れ にプ ロテ ス タ ン
トの 影 響 で あ る7'〉
。 確 か に、 モ ネ 自身 が 自分 の発 想 と行 動 の 原 点 は コニ ャ ック に あ る 旨の発 言 を
た び た び して い る こ とか ら無 視 は で きな い が 、 あま り深 入 りす る こ とは避 け るべ きだ と考 え る。
な ぜ な ら シ ャ ラ ン ト地 方 は フ ラ ン ソ ワ ・ミ ッテ ラ ン元 大 統領 の 故 郷 で も あ る。 両者 の 発想 や 行 動
の ス タイ ル に大 きな 違 い が あ るの が わ か れ ば 、 この 議 論 に深 入 りす る危 険性 は 明 らか で あ ろ う。
な ぜ この よ うな 天 才 が コニ ャ ッ ク に生 れ た の か 、 そ れ は だ れ に もわ か らな い とい うの が 本 当の と
こ ろ で あ る。 モ ネ は2度
の大 戦 に よ る荒 廃 と復 興 とい う特 殊 な状 況 の も とで 、 フ ラ ンス お よび
ヨー ロ ッパ が 生 ん だ 突 然 変 異 の 天 才 で あ る。
おわ りに
ジ ャ ン ・モ ネ の 考 え 方 の 新 し さ は 、 人 々 を 結 び つ け る 上 で の ル ー ル と 制 度 を 重 視 し 、 従 来 の 国
と 国 と の 連 衡 の ゲ ー ム(バ
ン ラ ス ・オ ブ ・パ ワ ー)に
は 興 味 が な か っ た72)こ と で あ る 。 しか し、
モ ネ が 真 に 偉 大 な の は 、 そ の 考 え を 実 現 す る た め に 行 動 を 起 こ し 、 幾 多 の 障 害 を 乗 り越 え て 、 超
国 家 的 機 関 の 設 立 に 初 め て 成 功 し た こ と で あ る 。 モ ネ は1975年5月9日
に86才 で 引 退 す る ま で 、
ま さ に 生 涯 現 役 を 貫 い た 人 で あ る 。 モ ネ は ドゴ ー ル の よ うな 文 才 に 恵 ま れ ず 、 ま と ま っ た 著 作 は
残 し て い な い 。(1976年
に 出 版 し た 回 想 録(Memoirs)は
あ る が 、 こ の600ペ ー ジ を越 す 大 著 も 、
生 涯 の 協 力 者 で あ っ た フ ラ ン ソ ワ ・フ ォ ン テ ー ヌ(FrangoisFonta血e)が
ま と めた もの で あ る こ
と は 公 然 の 秘 密 と な っ て い る)。 し た が っ て モ ネ の 行 動 そ の も の が 、 彼 の 業 績 と い う こ と が で き
る 。 ケ ネ デ ィ 米 大 統 領 は 、 生 前 、 「モ ネ は 、 力 で や ろ う と し た 人 間 の だ れ よ り も 、 ア イ デ ィ ア に
よ っ て ヨ ー ロ ッ パ の 統 合 を 達 成 し た 」 と し て 、 モ ネ を"ミ
と 呼 ん で 尊 敬 の 意 を 表 わ した73)。1976年4月2日
初の
ス タ ー ・ヨ ー ロ ッ パ"(Mr.Europe)
、 長 年 の ヨー ロ ッパ 統 合 に 関 す る 功 績 に 対 し て 、
「
名 誉 ヨー ロ ッパ 市 民 」(Citoyend'honeurde工Europe)の
称 号 が 贈 ら れ た74)。 しか し、 モ ネ
の 数 々 の 功 績 も、 ヨー ロ ッパ 人 、 な か で も フ ラ ンス 人 に必 ず し も良 く理解 され た わ けで は な か っ
奈
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た 。 そ れ ど こ ろ か 、 中 に は 、 モ ネ を 裏 切 り者 と さ え 考 え る 人 も い た こ と も 事 実 で あ る 。 モ ネ の 出
現 は50年 早 す ぎ た の だ 。 ま さ に 天 才 の 悲 劇 で あ る 。
モ ネ の か な わ な か っ た2つ
の 願 い が あ る と い う。1つ
は100才
ま で 生 き る こ とで 、 も う1つ は 、 ノ ー
ベ ル 平 和 賞 を と る こ と で あ っ た75)。 生 前 、 名 誉 欲 と 無 縁 と 言 わ れ て き た モ ネ も 、 ノ ー ベ ル 賞 に は
関 心 は あ っ た よ うで あ る 。 し か し 、 そ の 夢 も つ い に か な わ ず 、1979年3A16日
、 ウ ジ ャ レの 自宅
で90年 の 生 涯 を 閉 じた の で あ る 。 しか し 、 そ の 後 モ ネ へ の 評 価 が 上 昇 す る 中 で 、1988年11月9日
、
モ ネ の 生 誕100周 年 の 日 、 ミ ッ テ ラ ン 大 統 領 の 発 案 に よ っ て 、 モ ネ の 遺 灰 は パ ン テ オ ン に 移 され 、
他 の 偉 人 た ち と 合 祀 さ れ る こ と に な っ た76>。
生 前 の モ ネ は さ ま ざ ま な 挫 折 を 味 わ い な が ら も 、 ヨ ー ロ ッパ 統 合 の 夢 を 捨 て る こ と は な か っ た 。
そ の モ ネ の 夢 は 、 今 日ま で 生 き て お り、 ヨ ー ロ ッ パ 統 合 に 情 熱 を燃 や す 人 々 に 勇 気 と 希 望 を 与 え
続 けて い るの で あ る。
注
1)
JeanMonnet:Memoirs,Fayard,Paris,1976.pp.37^-40
EricRousel:JeanMonnet,Fayard,Paris,1996.pp.25^-33
FredericJ.Fransen:TheSupranationalPoユ1t1CSofJeanMonnet,GreenwoodPress,Westport,2001,P,12
FrangojsDuchene:JeanMonneちW.W.Norton&Co.,NewYork/London,1994.P.30
2)
JeanMonnet:op.cit.PP.45∼66
FredericFransen:op.cit.pp.16^-23
Frangojk3Duchene:oP.c士
3)
し.PP.32∼44
JeanMonnet:oP.Clt.PP,130∼135
FredericFransen:oP.cit.PP.13∼17
EricRoussel:op.cit.pp.107^-136
4)
FredericFransen:op.cit.p.18
5)
RobertR.Nathan:AnUnsungHeroofWork1WarlI
O。Brjhk]by,C.Hacketteds.:JeanMonnet7ThePathtoEuropeanUnity,MacMinan,London,1991.)P。72
6)
FranCojk∋Duchene:oP。c士LP。143
7)
PascalFontaine:JeanMonnet,JacquesGrancher,Editeur,Paris,1988.pp.45^-52
8)
JeanMonnet:oP.Clt.PP,333∼335
9)
FredericFransen:oP.cit.P.95
10)
PascalineWwand:De工usagede工AmeriqueparJeanMonnetpour]bconstructioneuropeenne
G.Bossuat,deA.Wj唾)kenseds.:JeanMonnet,fEuropeetぬschemlhsde]bpajx,Pub]icationsde]b
Sorbonne,1999.)p.254
11)
ErjbRoussel:op.cit.PP.521∼522
12)
JeanMonnet:op.cit.pp.333^-334
EricRoussel:op.cit.p.382
13)
JeanMonnet:oP.Clt.PP,349∼353
FredericFransen:oP.cit.P.96
14)
JeanMonnet:op.cit.pp.367^-391
ノ
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
31
FranCojk∋Duchene:oP。c士LP。208
15)
JeanMonnet:op.cit.pp.413^-417
FredericFransen:op.cit.p.103
16)
Pasca上heWjhand:oP.cit.P.257∼263
FredericFransen:op.cit.p.111^-112
17)DerekHeater:Theideao
fEuropeanunity,LeicesterUniversityPress,Leicester&
London,1992.pp.152
^154
18)JeanMonnet:op.cit.PP.393∼394
Brinkley,C.Hacketteds.:JeanMonnet,MacMi]]an,London,1991.)
GeorgeW.Ball:lntroductionΦ.
PP.x1]x∼xユx
19)JeanMonnet:oP.Clt.PP,400∼401
20)FredericFransen:oP.cit.P.120
21)JeanMonnet:op.cit.pp.406^-407
22)PascalineWinand:op.cit.p.261^-262
23)FredericFransen:op.cit.p.127
FrangojsDuchene:oP。ciし
。PP.253∼255
24)JeanMonnet:op.cit.pp.506^-508
FredericFransen:op.cit.p.127
25)Frangojk3Duchene:oP.c士
し.P.256
26)PascalFontaine:op.Clt,PP.77∼78
27)FrangojsDuchene:oP。ciし
。PP.256∼258
FredericFransen:op.cit.p.18,p.123
28)JeanMonnet:op.cit.pp.467^-468
29)FrangojsDuchene:oP.Clt.P.264
30)FredericFransen:oP.cit.P.124
31)DerekHeater:op.cifpp.164^-166
32)EricRoussel:op.cit.pp.686^-688
33)DerekHeater:oP,Clt.PP.166∼168
34)PascaluzeWjhand:oP.cit。P.267
35)JeanMonnet:op.cit.pp.493^-494
Frangojk3Duchene:oP.c士
し.PP.292∼299
36)JeanMonnet:op.cit.p.497
FrangojsDuchene:oP。ciし
。P。280
FredericFransen:op.cit.p.124
37)EricRoussel:op.cit.p.694
FredericFransen:op,Clt,pp.125∼126
Hackett
38)JohnGi山ngham:JeanMonnetandtheEuropeanCoalandSteelCommunityO。Brlhk]ey,C.
eds.:JeanMonnet,MacMi]]an,London.1991.)p.139
ΦeanJ,
39)HenryH,H,Remak:ThemanfromCognac∼JeanMonnetandtheAng]lowaxonMlhdset
Kotbwskied.:TheEuropeanUnjbn,OhjbUnivers士
40)FrangojsDuchene:oP。ciし
41)PascalineWlhand:oP.c止p.262
しyPress,AthensOhjb),2000,)PP,73∼74
。P。63,P.383
奈
32
42)
FranCojk∋Duchene:oP。c士LP。302
43)
EricRoussel:op.cit.pp.634^-635
44)
FrangojsDuchene:oP.Clt.P.382
良 大
学
紀
要
第33号
Pasca上heWjhand:oP.cit.PP.254∼255
45)
JeanMonnet:op.cit.pp.548^-549
46)
1bicl:pp.554^-556
ErjbRoLlssel:oP.Clt.PP,778∼779
47)
1bicl:p.849
48)
FranCojk∋Duchene:oP。c士LP。383,P.388
49)
EricRoussel:op.cit.p.421
50)
JeanMonnet:oP.Clt.PP,516∼517
ErjbRoussel:op.cit.P.741
51)
1bicl:p.359,p.533,pp.731^-732
52)
1bicl:p.785
53)
JeanMonnet:op.cit.p.37
54)
ErjbRoussel:op.cit.P.805
55)
1bicl:p.367
56)
1bicl:p.731
57)
RichandMayne:GrayEminenceO.Brmkley,C.Hacketteds.:JeanMonnet,MacMjユ
p.120
58)
FrangojsDuchene:oP。ciし
59)
EricRoussel:op.cit.p.402
60)
FredericFransen:op.cit.p.128
61)
1bicl:p.127
FrangojsDuchene:oP。ciし
62)
。P。316
。P。315
EricRoussel:op.cit.p.20,p.354
Frangojk3Duchene:oP.c士
63)
JohnGihngham:oP.ciし.PP.155∼156
64)
1bicl:p.156∼157
65)
PascalFontaine:op.cit.pp.132^-133
し.P.119
FrangojsDuchene:JeanMonnet'sMethodsO.Brlhk]by,C.Hacketteds.:JeanMonnet,MacMiUan,
London,1991.)p.102
66)ErjbRoussel:op.cit.P.625
67)FranCojk∋Duchene:oP。c士LP。12,P.376
68)DietmarHerz:DieEuropaischeUnion,Ver]agC.H.Beck,Munchen,2002.pp.42^-43
RobertMarx)hn:WhatTypeofEurope?Φ.Brlhk]by,C.Hacketteds.:JeanMonneちMacMf[lan,London,
1991.)p.172∼173
69)Ibicl:p.172
70)Ho]lgerSchr6der:JeanMonnetunddlbamerjkanjscheUnterstUtzungfUrdぬeuropaachelntogratip)n
1950-1957,PeterLang,FrankfurtamMajh,1994.pp.541∼552
FrangojsDuchene:oP。ciし
71)HenryH.H.Remak:op.cit.pp.61^-63
。PP.345∼387
捻n,London,1991.)
田 中:ヨ ー ロ ッパ 統 合 の立 役 者 た ち(2)
FredericFransen:op.cit.pp.7^-10
72)
Frangojk3Duchene:oP.c士
73)
1bicl:p.345
74)
1bjd:p.21,p.340
し.P.409
FredericFransen:op.cit.p.5,p.134
75)
Brinkley,C.Hacketteds.:JeanMonnet,MacMi]]an,
JacquesvanHe]mont:JeanMonnetashewasΦ
London,1991.)p.217
76)ErjbRoussel:op.cit.P.914
Summary
Inc]Lldjhgtencountriesnew]呼adnlittedonMaylst,2004,theEuropeanUninnnowconsjstsoftwenty-five
countries.ItseemsthatEUisacceleratingitsintegrationtowandbecomingtheUnitedStatesofEurope,i.e.
itsfmalgoal
AlthoughthebeginningoftheEuropeanUnionwastheEuropeanCoalandSteelCommunityestablished
maccordancew廿h葡heSchumanP]bn",theP]bn'struedrafterwasJeanMonnet.ThatjswhyJeanMonnet
jscalled価efatherofEurope.
ThispaperanalyzeswbyJeanMonnetstartedthemovementoftheintegrationofEuropeandhowhe
proceededit,focussingonthecloserelationshipbettyeenJeanMonnetandtheUnitedStatesofAmerica
andonthediscordbettyeenJeanMonnetandCharlesdeGaulle.
AlthoughJeanMonnetexperiencedgreatsuccessandafterwardsmiserabledisappointment,hisdream,
name]ytheunificationofEurope,isst皿alivetDdayandcontinuestoencouragetheprogressofEurope's
mtegratifln.
33
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