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埼玉県の地域活性化に向けた取り組み

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埼玉県の地域活性化に向けた取り組み
2008 年 2 月 26 日発行
埼玉県の地域活性化に向けた取り組み
①新たなステージを迎えた「ものづくり」のまち∼川口市
②歴史と文化を活かした市民参加のまちづくり∼草加市
③産学官連携による映像産業を核とした地域振興∼本庄市
要
旨
1. 首都圏の一角を担う埼玉県は、内陸県としては最大の経済規模を有するが、その
一方で、隣接する東京のベッドタウンとしての色彩が強く、県の独自性が出しにくい
状況にある。そこで本稿では、地域の特色づくりという点で注目される、川口市の「も
のづくり」産業の振興、草加市の地域資源を活用したまちづくり、本庄市の産学官連
携に基づく映像産業を核とした地域振興、という三つの事例を紹介する。
2. 埼玉県南部に位置する川口市は、「鋳物のまち」として知られる。同市は製造業
と中小企業を中心とする工業都市として発展してきたが、70 年代以降の産業構造の
変化などにより多くの鋳物工場が姿を消した。そうした中で、住宅都市・商業都市へ
と変貌した川口市では近年、ものづくり産業の重要性が再認識され、その基盤強化に
向けた動きが活発化している。鋳物のブランド製品の開発や、他の工業地域との連携
強化がその一例だ。また、ものづくりに携わる人材の育成にも注力されている。こう
した地道な取り組みが、川口市における地域経済活性化の鍵となりそうだ。
3. 草加宿を起源とする草加市は江戸時代の風情が残る歴史都市であるが、都市化に
伴う生活環境の悪化や、「埼玉都民」と呼ばれる東京を日常生活圏とする住民の増加
に伴う地域の活力低下が指摘されてきた。こうした中、市内の豊富な歴史・文化資産
を活用し、都市再生をスローライフの視点から進める「今様・草加宿」事業が開始さ
れた。本プロジェクトの特徴は、「今様・草加宿」実行委員会という市民組織を設け
て住民の発想をダイレクトに取り入れたことで、住民の合意と継続性が求められるま
ちづくりを効果的に進める手立てとなっている。
4. 埼玉県では近年、映像に着目した産業振興が進められている。その代表例が本庄
新都心地域で進められているリサーチパーク構想であり、この産学官連携プロジェク
トの中心的存在となっているのが早稲田大学だ。同大学が設置した映像関連の専門施
設や大学院は、教育・研究拠点としてばかりでなく、数多くの映像作品の制作現場と
しても利用されている。また、映像制作支援活動への参加などを通じて、映像に対す
る住民の関心が高まり、地域交流も進んでいる。開始後間もない本プロジェクトには、
映像拠点としての特色づくりや人材育成、協力企業の開拓など、課題も少なくないが、
次の段階を見据えた取り組みが始まっており、今後の進展が期待される。
5. 本稿で紹介した三事例は、いずれもまちの特色を際立たせることで、地域の求心
力を高めようとする取り組みといえる。こうした地域特性を高めようという視点は、
活力向上に悩む他の地域にとっても不可欠であろう。埼玉県が今後どのような特色あ
る地域に変化していくのか、その動向が注目される。
本誌に関する問い合わせ先
みずほ総合研究所株式会社 調査本部 政策調査部
研究員 植竹則之
Tel:03-3201-0577 Email:[email protected]
当レポートは情報提供のみを目的として作成されたものであり、商品の勧誘を目的としたものでは
ありません。本資料は、当社が信頼できると判断した各種データに基づき作成されておりますが、
その正確性、確実性を保証しているものではありません。また、本資料に記載された内容は予告な
しに変更されることもあります。
はじめに
埼玉県は関東地方の内陸県であり、首都圏の一角を担っている。面積は全国で 39 位ながら、
人口は約 711 万人(2007 年 12 月 1 日現在)と全国で 5 番目に多い。人口面における県の特
色としては、比較的若い世代の割合が高いことがあげられ、県民の平均年齢は 41.8 歳と全国
で 4 番目に若く、15∼64 歳の生産年齢人口が全人口に占める比率は 68.8%で全国第 3 位の高
さとなっている1。また、隣接する東京へのアクセスが容易なことから、宅地や工業用地が広
がっている。
近年、埼玉県で特に注目されたトピックは、2001 年に浦和、大宮、与野の三市が合併して
さいたま市が発足したことであろう(2005 年にはさらに岩槻市を編入)。同市の中心部は「さ
いたま新都心」と呼ばれ、国や県の行政機関のほか、イベント・宿泊・商業施設などが集中
している。また市内には、国内最大級のサッカー専用競技場である埼玉スタジアム2もある。
このように、さいたま市は県の経済や文化、スポーツの一大拠点となっている。
次に県の特徴を地域別にみていくと、県南部では都市化・宅地化が進展し、製造業を中心
とした産業が発達している。これに対し、県北部は首都圏の消費者などをターゲットとした
野菜を生産する近郊農業地帯となっている。また県西部の秩父地方では、豊かな自然を活か
した観光産業が盛んである。
経済面では、県内総生産(約 20.5 兆円)と事業所数(約 25.4 万ヶ所)が全国第 5 位、製
造品出荷額等(約 13.9 兆円)と小売業年間販売額(約 6.1 兆円)が全国第 6 位となっており、
内陸県としては最大の経済規模を有する3。このように、埼玉県の経済力は全国的にみても高
いレベルにある。しかし、国際間や地域間の競争が激化する中、現在の経済力を維持し、さ
らなる飛躍を実現していくためには、企業の生産性向上や高付加価値化、新産業の育成など
が求められている。また、存在感の大きい首都東京に隣接している埼玉県は独自性が出しに
くい状況にあり、昼夜間人口比率4が全都道府県中最低の 87.8%(2005 年国勢調査)である
など、東京のベッドタウンとしての色彩が強くなっている。
このように、埼玉県では地域の個性を高めることが地域活性化の重要なテーマとなる。そ
こで本稿では、地域の特色づくりという観点で成果を上げている、①「ものづくり」産業の
再興を目指す川口市の取り組み、②草加市における歴史と文化の財産を活用した住民参加型
のまちづくり、③産学官が連携して映像産業を中心に地域振興を図る本庄市の試み、という
三つの事例を紹介する。
1
平均年齢は 2005 年の国勢調査、生産年齢人口比率は 2006 年 10 月 1 日現在の総務省推計人口による。
2001 年 10 月の完成で収容人員は 63,700 人。J リーグの浦和レッドダイヤモンズの本拠地で、2002 年に日
本と韓国が共同開催した第 17 回 FIFA ワールドカップの会場ともなった。
3 県内総生産は 2004 年内閣府県民経済計算、事業所数は 2006 年総務省事業所・企業統計調査、製造品出荷
額等は 2006 年経済産業省工業統計表、小売業年間販売額は 2004 年経済産業省商業統計表による。
4 常住人口 100 人あたりの昼間人口(常住人口に、他の地域からの通勤・通学人口を加え、他の地域への通
勤・通学人口を差し引いた人口)の割合。大都市部では高くなり、その周辺では低くなる傾向にある。
2
1
1. 新たなステージを迎えた「ものづくり」のまち∼川口市
埼玉県やさいたま市では、2005 年頃から企業誘致が活発に行われてきた5。その結果、さい
たま市付近では大企業の本社機能の集積が進み始めた。その一方で、埼玉県の産業構造全体
をみると、大都市圏の中では中小企業従業者の比率が高く(図表1)、製造業をはじめとす
る多様な産業が発達している。このような特徴を有する埼玉県にあって、川口市は小規模・
零細企業で働く人の割合や、全産業に占める製造業のウエイトが県の平均よりも高く(図表
2)、中小企業や製造業が地域の経済において大きな役割を果たしているという県の特色が、
より顕著に現れている都市といえる。
(図表 1)人口上位5都府県における中小企業従業者比率の比較
東京都(1位)
44.3
神奈川県(2位)
76.6
62.8
大阪府(3位)
愛知県(4位)
69.9
埼玉県(5位)
83.6
人口上位5都府県
を除く全国平均
84.1
(%)
0
10
20
30
40
50
60
70
80
90
(注)中小企業は中小企業基本法第 2 条第 1 項の規定に基づく「中小企業者」を指す。
(資料)総務省「事業所・企業統計調査(2004 年)」
(図表 2)小規模企業従業者比率及び製造業従業者・事業所比率の比較
(%)
50
43.3
40
30
小規模企業従業者比率
製造業従業者比率
製造業事業所比率
24.9
19.1
32.8
25.3
23.3
23.4
20
14.3
10.1
10
0
川口市
埼玉県
全国平均
(注)小規模企業は中小企業基本法第 2 条第 5 項の規定に基づく「小規模企業者」を指す。
(資料)総務省「事業所・企業統計調査(2004 年)」
5
埼玉県では、企業誘致活動の具体的な施策を体系化した総合的な行動計画として、2005 年に「企業誘致大
作戦」、2007 年に前記計画の理念を継承する「チャンスメーカー埼玉戦略」が策定され、一定の要件を満た
した企業の立地促進に向けた措置が講じられている。また、さいたま市では 2005 年に「企業誘致活動方針」
を定め、本社機能又は研究開発機能を有する事業所等を開設する際の経費補助を行っている。
2
「ものづくり」産業は戦後のわが国経済の急速な発展を支えてきたが、近年は海外からの
安価な輸入品に押され、守勢に立たされている。この傾向は川口市においても例外ではなく、
かつての工業都市から近年は商業都市へとまちの様相が変貌してきた。こうした状況の中、
資源に恵まれていないわが国で国際競争力を維持していくためには、技術力の高さを活かせ
る「ものづくり」産業の復権が重要であるとの認識が、川口市においても、また全国的にも
再び高まっている。
そこで以下では、川口市の産業構造の変遷を概観した上で、「ものづくり」産業の基盤強
化や商業の活性化に向けた川口市商工会議所の取り組みを紹介する。
(1) 「産業都市」川口市の歴史
川口市は、埼玉県南部における主要都市の一つである。人口は約 50 万人と県内自治体では
さいたま市に次いで2番目に多く、「鋳物のまち」として知られてきた。JR 川口駅の駅前に
は、鋳物工場の様子と労働の素晴らしさを表現したとされる「働く歓び」という名称の銅像
がある(写真1)。東京という大消費地に隣接する利点から、鋳物以外にも機械工業をはじ
めとする多様な地場産業が存在し、従業員数 4 人以上の工場の数は約 2,000 ヶ所と県内自治
体でトップ、製造品出荷額等は約 5,155 億円で同 6 番目であり、県内有数の工業都市である6。
川口市の代表的な産業である鋳物工業は、江戸時代に小規模な手工業という形態から始ま
った。その後、明治時代には政府の富国強兵策を受けて基幹産業として発展をとげ、大正時
代から昭和初期にかけて最盛期を迎えた。川口市における鋳物の同業者組合である川口鋳物
工業協同組合の加盟企業は、現在約 150 社であるが、最盛期には 600 社程度あったという。
川口市における、このような鋳物産業をはじめとする製造業の隆盛は、戦後の高度経済成長
期まで続いた。
(写真 1)川口駅前にある「働く歓び」の銅像
(撮影)みずほ総合研究所
6
2005 年の工業統計調査による。
3
(2) 産業構造の変化と大規模商業施設の登場
1970 年代半ばに入ると、オイルショックの影響などを受けて、盛況であった川口市の鋳物
産業にも陰りが見えるようになる。そして、その後の産業構造の変化、円高に伴う競争環境
の変化、取引先企業の生産拠点の海外移転などにより、鋳物業者の多くは厳しい経営を迫ら
れるようになり、鋳物工場の数は減少の一途をたどった。70 年代から川口市では急激な人口
増加が始まったが、その要因の一つには鋳物工場の跡地の大半がマンションなどの宅地に転
換されたことがあげられる。そして、東京から近距離にあった川口市は、このような工場跡
地の宅地転換や交通網の整備により、住宅都市としての色彩を強めていった。
人口の大幅な増加に伴い生活用品の需要が高まったことを背景として、川口市では近年大
型商業施設の開業が相次いでいる。その契機となったのが、1991 年に市内初の百貨店として
「川口そごう」が川口駅東口に進出したことである。その後、2005 年にはショッピングセン
ター「川口 CASTY」がそごうの隣に、また川口駅から徒歩 10 分程の場所にショッピングモ
ール「アリオ川口」がオープンした(写真2・3)。さらに翌 2006 年には、川口駅東口に住
宅・公共機能も有する複合商業施設「キュポ・ラ」が完成した(次ページ写真4)。この施
設の名称は、川口市における鋳物産業の象徴的存在であったキューポラ7に由来している。
地方都市では、郊外への大型店舗進出により中心市街地が空洞化した例が多い。これに対
し、川口市では中心部である川口駅周辺に大規模商業施設の立地が集中しているため、市街
地全体としての活力は失われていない。また、川口市における商業従業者数や商品販売額の
推移をみると、1990 年頃をピークとしてその後一時減少したが、90 年代後半に再び増加に転
じ、現在もほぼ横ばい圏内となっている(次ページ図表3)。これは、90 年代後半から始ま
った大型商業施設の開業ラッシュが、集客力の向上や雇用の創出をもたらしたためとの見方
ができよう。
(写真 2・3)川口そごうと川口 CASTY(左)、アリオ川口(右)
(撮影)みずほ総合研究所
7
鋳物の作成過程で用いられた鉄の溶解炉のこと。現在ではその多くが近代的な電気炉に取って代わられた。
4
(写真 4)キュポ・ラ
(撮影)みずほ総合研究所
(図表 3)川口市の商業従業者数及び年間商品販売額の推移
(万人)
(兆円)
1.2
4.0
3.5
商業従業者数(左目盛)
商品販売額(右目盛)
1.0
3.0
0.8
2.5
2.0
0.6
1.5
0.4
1.0
0.2
0.5
0.0
0.0
1982
85
88
91
94
97
99
2002
04 (年)
(注)商業従業者数は、卸売業と小売業における従業者数の合計。
(資料)経済産業省「商業統計調査』
しかしながら、消費者の幅広いニーズに応えられる大型店が地場の小規模な店舗から顧客
を奪うという構図は他の地域と変わっておらず、川口駅周辺の地元商店街は苦境に立たされ
ている。商業事業所数の推移をみても、ここ 20 年程度で川口市の小売業店舗数は 3 割以上減
少している(次ページ図表4)。また、大型商業施設は本社が別の地域にあるチェーン店で
あることが多く、地元自治体の税収入の増加につながりにくいという側面もある。
そこで、川口市では数年前から商店街に活気を取り戻そうとする試みが始められている。
その代表例が、市の補助を受けて川口市商店街連合会と川口商工会議所が共同実施している
「きらり川口商品券」事業である。この商品券には 10%のプレミアムがついており、1,000
円の商品券 11 枚綴りを 1 万円で購入することができる。商店街以外にも幅広く参加を呼びか
5
け、大型店などでも利用可能となっている点が特徴だ。
ただし、これまでのところこの商品券が利用されるケースは大型店での購入が約 7 割を占
めており、市の中心部まで距離のある郊外地域では販売が低調であるなど、「きらり川口商
品券」事業には課題も少なくない。商店街における商品券の利用拡大を図るため、2007 年に
は従来からあった全ての事業加盟店で利用できる共通券に加え、大型店以外の一般商店のみ
を利用対象とする専用券が発売された(写真5・6)が、今のところ目立った効果はみられ
ないという。
(図表 4)川口市の商業事業所数の推移
(箇所)
6,000
4,691
4,489
4,442
4,397
3,984
5,000
3,658
3,610
小売業
卸売業
3,404
3,086
4,000
3,000
2,000
1,000
1,121
1,066
1,324
1,472
1,219
1,089
1,260
1,180
1,085
82
85
88
91
94
97
99
2002
04
0
(年)
(資料)経済産業省「商業統計調査」
(写真 5・6)「きらり川口商品券」が使える川口銀座通り商店街の様子
(撮影)みずほ総合研究所
6
(3) 見直される「ものづくり」の価値
川口市では、商業化が進む一方で、1990 年前後に最大となった工場数や製造品出荷額は、
その後平成不況の影響などから減少が続き、現在ではピーク時と比べて 5∼6 割程度の水準に
まで落ち込んでしまった。
このような状況の中、川口市では今「ものづくり」産業を見直していこうという機運が高
まっており、川口商工会議所を中心として、ものづくり産業の復興に向けた取り組みが行わ
れている。その代表的なものが、中小企業庁の JAPAN ブランド育成支援事業8を利用した
「KAWAGUCHI
i-mono」(かわぐちいいもの)とよばれる IH クッキングヒーター9対応
の鋳物製調理器具の開発である。従来から鋳物は電磁誘導性や耐久性などに優れていたが、
強度を保つには一定の厚さが必要であった。そこで、軽量化技術に優れた川口鋳物の特性を
活用して作成したものが本製品であり、鋳物業界の新しいブランド製品といえよう。商工会
議所では当製品の輸出に向けた海外戦略も視野に入れているという。
さらに、川口市が産業クラスター計画10の地域産業活性化プロジェクト「東葛川口つくばネ
ットワーク支援活動」の対象地域に指定されたことで、新しい産業を開発しようとする試み
も進んでいる。本プロジェクトは、茨城県つくば地域の先端産業と千葉県東葛地域及び川口
地域のものづくり産業を融合させることにより、新しい事業・産業の創出を促進し、より高
度な研究開発型企業の集積ゾーンの形成を図ろうとするものである。
このほか、川口商工会議所では人材育成事業にも注力している。その一つが、埼玉県が実
施している産学連携ものづくり人材育成事業「クラフトマン 21 in 埼玉11」への参加である。
川口商工会議所は、地元の川口工業高校と連携して、学生に工場経験を積ませたり、工業技
術者による講習を行ったりすることで、ものづくり企業への就職の増加につなげようとして
いる。また、鋳造業を対象とした取り組みとして、「鋳造中核人材育成プロジェクト12」も開
始されている。
8
地域の伝統的な技術や素材などの資源を活かした製品等の価値・魅力を高め、世界に通用する「日本」が表
現されたブランド(JAPAN ブランド)の確立を目指すプロジェクトに対し、商工会・商工会議所等を通じ
て経費補助を行う事業のこと。2004 年度から開始された。
9 電気熱源のコンロで、平らなプレートの下にある誘導加熱コイルに電流が流れると磁力線が発生し、この磁
力線の働きでプレート上の鍋を発熱させる仕組みとなっている。なお、IH とは電磁誘導加熱(Induction
Heating)のこと。
10 地域においてイノベーションやベンチャー企業が次々と生み出される産業集積地の形成を目指す計画のこ
と。経済産業省の施策として 2001 年度から開始され、現在 17 のプロジェクトが進行している。
11 工業高校が商工会議所と技術者の講師派遣や生徒・教員の工場実習などの面で連携し、実践的教育プログ
ラムの確立を図る取り組みのこと。さいたま、川口、熊谷、狭山の四市で行われている。経済産業省と文部
科学省が 2007 年度から共同で開始した「中小企業ものづくり人材育成事業」に採用された。
12 講習やインターンシップ、工場見学などを通じて鋳造業の中核人材や後継者の育成を図る取り組みのこと。
経済産業省が 2005 年度から開始した「中小企業産学連携製造中核人材育成事業」の一つ。
7
(4) 多種多様な地元企業が活力の源
以上を踏まえ、今後も川口市が「ものづくり」産業都市として継続的に発展していくため
には、次の二点が重要となろう。一つは、高い製造技術を活かして従来の同一規格大量生産
方式から高品質少量生産方式への転換を図り、増え続ける安価な海外製品に対抗できるブラ
ンド力を開発することである。もう一つは、多様な小規模企業が集積しているという産業特
性を最大限に利用して、幅広いニーズに迅速に対応できるという強みに一層磨きをかけるこ
とである。
これまでみてきたように、川口商工会議所は単に政府の補助事業に依存するのではなく、
これを上手に活用しながら川口産業界全体のレベルアップを目指す試みを開始している。こ
うした地道な取り組みが真の意味で地域経済力の向上につながっていくのではないだろうか。
2. 歴史と文化を活かした市民参加のまちづくり∼草加市
草加市は埼玉県東部の主要都市の一つであり、人口は約 24 万人と県内自治体で 6 番目に多
い。江戸時代にできた宿場町を起源とする「街道のまち」であり、草加市役所前にある地蔵
堂などはその名残をとどめる(写真7・8)。代表的な地場産業としては浴衣(ゆかた)や
皮革があり、草加せんべい発祥の地としても有名である。
(写真 7・8)草加市役所(左)と市役所前の地蔵堂(右)
(撮影)みずほ総合研究所
市の中心部には宿場町時代の面影が残り、江戸の風情を感じさせる街並みも姿をとどめて
いるが、近年、工業化や都市化の進行に伴ってその周囲の様子は大きく変化している。また、
昼夜間人口比率 82.1%(2005 年国勢調査)が示すように、隣接する東京のベッドタウンとし
ての色彩が強まっており、草加市の独自性をアピールできるような活力あるまちづくりが課
8
題となっている。こうした中、市民の発想を取り入れた都市再生プロジェクトとして「今様・
草加宿」事業が始まり、注目を集めている。
ここでは、草加市の歴史や最近の状況を確認するとともに、本プロジェクトの概要とその
成果についてみていく。
(1) 草加宿から草加市へ
草加市のルーツとなった草加宿は、江戸時代の五街道の一つである日光街道13における第二
の宿駅であった。当時この辺りは街道近くを流れる綾瀬川の恩恵を受けて稲作が盛んで、江
戸幕府の直轄領として栄えた。綾瀬川沿いに植えられた松並木は今日、草加松原の名称で親
しまれており、その一帯は日本の道百選14にも選ばれている(次ページ写真9)。また、江戸
時代前期の俳人松尾芭蕉が、紀行文「おくのほそ道」の舞台となった現在の東北・北陸地方
への旅の途中で当時の草加宿に立ち寄ったとされ、綾瀬川沿いにある札場河岸(ふだばかし)
公園15には松尾芭蕉の銅像や句碑などが建てられている(次ページ写真10)。このほかにも、
草加市内にはおせん茶屋16や東福寺17など、草加宿の名残が散見される(次ページ写真11・
12)。
草加市としての歴史は市制が施行された 1958 年に始まるが、この頃から団地の建設や交通
機関の発達により人口が大幅に増加し、これに対応する形で都市基盤整備が進んだ。しかし、
その半面、交通渋滞や住宅の密集、都市河川である綾瀬川への排水問題など都市特有の問題
が発生し、生活環境の改善がまちづくりの課題として浮かび上がってきた。また、東京に隣
接する草加市には、ベッドタウンとして市外・県外からの人口流入が続いた。こうして草加
市では「埼玉都民」とよばれる東京都内を通勤・通学先とする住民の割合が多くなり、人口
の増加が必ずしも地域の活力増強につながらないという構造が生じている。
13
江戸時代に、日本橋を起点にした東海道、中山道(中仙道)、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道が基幹
道路に定められた。このうち日光街道は千住、幸手(さって)、小山、宇都宮を経て日光に至る街道であり、
間には 21 の宿駅がおかれた。
14 「道の日」の制定を記念して、当時の建設省と「日本の道 100 選」選定委員会により選定された特色ある
道路 104 本のこと。優れた道路を選定・顕彰することによって、道路の意義・重要性に対する国民の関心を
高めることが目的となっている。
15 札場河岸は綾瀬川を利用した船運に使われていた船着場であり、江戸時代から大正時代にかけて、江戸と
草加を結ぶ物流の拠点として重要な役割を担っていた。その名称は所有していた商家の屋号(札場)に由来
する。札場河岸公園には江戸時代の船着場の石段が復元され、河岸の雰囲気が再現されている。
16 旧日光街道沿いにある茶屋風の休憩所で、その名称は元祖草加せんべいの作り手とされる「おせんさん」
に由来する。敷地内には高札を模した掲示板などがあり、江戸時代の草加宿の雰囲気を漂わせる。
17 草加宿開発に功績があり、後に宿役人となった大川図書(おおかわずしょ)が創建したと伝えられる寺で、
境内には大川図書の墓碑などがある。山門、鐘楼、本堂外陣欄間は草加市の指定文化財となっている。
9
(写真 9・10・11・12)草加松原(左上)、松尾芭蕉像(右上)
おせん茶屋(左下)、東福寺(右下)
(撮影)みずほ総合研究所
(2) 「今様・草加宿」事業の開始
宿場町の雰囲気の残る伝統都市から生活都市への変化が進む一方で、一部の市民の間では
草加市の有する歴史的資産を次世代に伝えようとする取り組みが行われてきた。その代表例
が市民団体を中心として実現された草加松原の保存・再生である。これは綾瀬川の水害や周
辺の都市化によって激減した草加松原の松並木を、若木の補植など市民の自主的な活動によ
り復活させたものである。また、生活排水の流入等で水質が悪化した綾瀬川の浄化運動にも
多数の市民が参加してきた。こうした努力もあって、綾瀬川周辺には日本の道百選に指定さ
れるまでの良好な景観が戻ってきた。
このような地域の魅力向上にかける市民の強い想いを背景に、活気ある宿場町として栄え
た歴史と文化を活かし、草加市を現代にふさわしい個性的な地域として再生しようとする試
みが「今様・草加宿」事業である。その端緒となったのは、1988 年に草加松原地区一帯を市
のシンボルゾーンとして整備することを目標とする「綾瀬川左岸利用構想」が作成されたこ
とである。その後、2000 年に策定された第三次草加市総合振興計画基本構想において、市の
将来像として「快適都市」が掲げられ、草加宿以来の中心市街地である旧町地区と綾瀬川左
10
岸地区の整備が中心事業として盛り込まれた。
さらに、「市民が発想し行政が実行する」という本事業の性格を決定付けたのが、2003 年
に発足した「今様・草加宿」実行委員会という市民組織である。本委員会は、「今様・草加
宿」事業が全国都市再生モデル調査事業18に採択されたことをきっかけに、市の呼びかけで作
られた。メンバーは、町会をはじめとして自治会、商工会議所、青年会議所などから構成さ
れ、総勢 60 余名となっている。翌 2004 年には委員会に公募委員が加わるとともに、市の活
動が地域再生計画19の第一号に認定された。続く 2005 年には委員会が市に地域再生ビジョン
を提案し、これを受けて 2006 年に市が既存の行政計画と整合性をとりつつ「今様・草加宿」
事業推進計画を策定するに至っている。
この事業推進計画の目的は、これまでの草加市における都市計画の流れを受けて、旧町地
区と綾瀬川左岸地区の二地区を一つの都市再生軸として整備することである。計画期間は
2005 年度から 2015 年度までの 11 年間となっており、このうち最初の 5 年間がまちづくり交
付金20を活用する期間、次の 3 年間が事業を推進する期間、最後の 3 年間が事業の仕上げを行
う期間と位置づけられている。
(3) 歴史ある街並みの再現とスローライフの創出を目指した取り組み
「今様・草加宿」事業は、二つの大きな柱から構成されている。一つは、旧町地区におい
て歴史と文化の感じられる安全で快適なまちづくりを行うことであり、道路・公園・休憩場
所・歩行者ルート等の整備や、統一感のある景観の形成、にぎわいづくりなどの施策があげ
られている。もう一つは、綾瀬川左岸地区に景観資源を活かした魅力ある地域拠点を形成す
ることであり、護岸・広場・道路・文化産業交流拠点の整備や、綾瀬川と草加松原を軸とし
た都市景観の形成、旧町地区との回遊性の確保などを進めるとされている(次ページ図表5)。
草加市では、従来から地域のまちづくり協議会などにより住民の意向を把握した上で都市
計画が策定されてきたが、「今様・草加宿」事業の特徴は実行委員会という形でよりダイレ
クトに市民の発想を取り入れた点にある。先の計画でも、委員会との協働による事業推進と
事業実施に向けた地元住民の合意形成が盛り込まれている。つまり、この委員会は、市(行
政)と市民が同等の立場で納得するまで議論して、まちづくりの方向性を決定することがで
きる仕組みであるといえよう。
18
全国各地で展開されている「先導的な都市再生活動」を対象として国が支援する事業のこと。内閣総理大
臣を本部長とする都市再生本部が 2002 年に決定した「全国都市再生のための緊急措置」の一環として実施
されている。
19 地域の主導により作成される地域資源の活用計画のこと。地域再生推進のためのプログラムに基づき、内
閣総理大臣の認定を受けることで、当該区域内で一定の政策支援措置を受けることができる。
20 都市再生整備計画に基づき市町村が実施する事業を対象とした国土交通省の交付金制度。2004 年度に導入
された。歴史・文化・自然環境等の特性を活かした地域主導の個性あふれるまちづくりを実施し、全国の都
市再生を効率的に推進することにより、地域住民の生活の質の向上と地域経済・社会の活性化を図ることを
目的としている。
11
(図表 5)「今様・草加宿」事業の概要
対象
項目
主な内容
旧 町 地区
綾瀬川左岸地区
歩行者が安心・快適に
歩ける道路の整備
旧道のまちなみ景観形
成
公園・広場、休憩スポ
ットの整備
歩行者ルート、緑道の
整備
商業活性化と旧道のに
ぎわいづくり
モデル区間の整備、一方通行化、拡幅整備
駅前広場のバリアフリー化
統一感があり住宅と商店が共存したまちなみの形成
町屋・蔵の保存・再生
イベント用広場・来訪者の休憩施設・モニュメントの設置
歴史・文化を体感できるスポットや紹介する施設の整備
工場跡地の拠点整備
産業や市民文化交流、イベントの拠点づくり
歩行者散策路・緑道・道しるべなどの整備
旧道沿い商店街の活性化、せんべい街道の表情づくり
散策マップの作成、ライトアップの実施
多自然型親水護岸の整備、親水護岸沿いの緑道の整備
綾瀬川の親水護岸整備
親水空間の活用と普及啓発
市民の憩いと交流の場としての整備
左岸広場の整備
防災的機能のある広場としての整備
綾瀬川左岸道路(仮称) 左岸広場及び付近の工場跡地へのアクセス充実と安全・快
の整備
適な歩行ルート確保を目的とした道路の新設
都市景観の形成
回遊性確保、にぎわい
づくり
左岸広場、産業拠点、親水護岸、緑道などが対岸の松並木と
一体となった新しい都市景観の形成
散策マップの作成、ライトアップの実施、PR・イベントの
実施、交通アクセスの充実
(資料)草加市役所のホームページによりみずほ総合研究所作成
そして、本事業の推進資金となっているのが、地域再生計画の認定を受けたことで措置さ
れたまちづくり交付金である。この交付金は、道路・公園・河川・下水道の整備など、従来
から支援の対象とされてきた事業(基幹事業)だけでなく、地方自治体の提案に基づく事業
(提案事業21)も対象としており、地域の創意工夫を活かしたまちづくりを支えている。
また、本事業を行う上では「スローライフ」という視点が重要視されている。「スローラ
イフ」という言葉には、「ゆっくり、ゆったり、ゆたかに」という観点からまちを見つめ直
し、見失われがちな暮らしやすさや個性などを再発見し、新たな価値を創り出していきたい
という想いが込められている。
そこで、まずスローライフを支える生活空間の設計というハード面をみてみると、道路・
護岸・休憩所・文化拠点等の整備や景観形成などが進められている。これらの事業は成果が
現れるまでに長い年月と多額の費用を必要とし、整備途上の現時点では住民が成果を評価し
づらい部分がある。このように、まちづくりには長期的展望が求められるが、現在の資金源
21
提案事業には、「事業活用調査」(まちづくりの目標達成に向けた各種調査)、「まちづくり活動推進事業」
(住民の主体的なまちづくり活動を促進する市町村の取り組み)、「地域創造支援事業」(地域の実情を反映
した都市再生整備事業)の3種類があり、社会実験的な事業も可能な枠組みとなっている。
12
となっているまちづくり交付金は短期間での成果が要求される制度である。交付金の対象期
間終了後に、どのような手法で事業を発展させていくかが一つの鍵となろう。
このようなハード面に対し、スローライフの実現に向けて生活空間を利用しやすくするソ
フト面の事業としては、散策マップの作成やライトアップ、イベントの実施などがあげられ
る。これらの事業は比較的少ない費用で短期間のうちに達成できるものが多く、既に実現し
ているものも多い。提案事業という新たな支援の枠組みができたこともあり、市民の発想を
活かすことのできる分野として一層の進展が期待できる。
(4) 市民の声を取り入れた継続性あるまちづくり
まちづくりを進めるにあたっては、地域や関係する団体ごとに様々な事情が存在する。例
えば、道路拡張などの都市基盤整備が、他方で近隣居住者の権利の制限となるケースもある。
また、事業の対象地域の居住者にとって、まちづくりは生活そのものであるのに対し、周辺
住民にとっては、まちづくりは地域のシンボルとはなっても生活実感はない。このため、活
動に対する想いや考え方は住民間でも異なっている。
このような多様な住民意見をまちづくりに反映させているのが、実行委員会という議論の
場の存在である。委員の多くは、日々の仕事を抱えながらも熱意を持って委員会の仕事をし
ており、草加市民としての意識の高まりがこの事業を支えているといえる。
まちづくりは、終わりのない事業である。市民との意見交換に基づく「今様・草加宿」事
業は、草加市に継続性あるまちづくりを定着させる一つのきっかけとなるだろう。
3. 産学官連携による映像産業の振興∼本庄市
21 世紀におけるわが国の経済成長の新たな牽引役として、コンテンツ22産業に注目が集ま
っている。近年、その市場規模は拡大傾向にあり、2006 年時点で約 14 兆円となっている(次
ページ図表6)。2004 年には通称「コンテンツ促進法23」が成立するなど、国際的にも評価
の高いわが国の文化や創造技術を活かせる今後の基幹産業として、コンテンツ産業の発展に
対する期待は大きい。
埼玉県では今、このコンテンツ産業の中でも大きな割合を占める映像分野(次ページ図表
7)に着目した産業政策が行われている。まず、2003 年に映像関連産業の集積する国際的な
22
人間の創造的活動により生み出される文字や図形、色彩、音声、動作、映像、またはこれらを組み合わせ
たもののうち、教養・娯楽の範囲に属するものをさす。具体的には、映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、
アニメーション、コンピュータゲームなどがこれに該当する。
23 正式名称は「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律」。コンテンツに関する国や地方自治
体などの責務を規定し、コンテンツ産業の振興を促進することを目的としている。
13
拠点として川口市に SKIP シティ24が整備された。さらに、2005 年に策定された埼玉県知的
財産戦略25において、映像コンテンツ産業の振興が県の重点施策の一つに位置付けられた。
そして、このような映像産業を核とした埼玉県における地域振興策と同一線上にあるのが、
本庄市の「早稲田リサーチパーク」構想である。埼玉県北における産業創成事例として、本
節では産学官連携により進められている当構想を紹介する。
(図表 6)わが国におけるコンテンツ産業の市場規模の推移
(兆円)
15
14
13.3
13.2
2002
03
13.5
13.8
14.0
13
12
11
10
04
05
06
(年)
(資料)デジタルコンテンツ協会「デジタルコンテンツの市場規模とコンテンツ産業の構造変
化に関する調査研究」
(図表 7)わが国におけるコンテンツ産業の分野別内訳(2006 年)
映像
34.5%
図書・新聞、画
像・テキスト
42.8%
ゲーム
8.6%
音楽・音声
14.0%
(資料)デジタルコンテンツ協会「デジタルコンテンツの市場規模とコンテンツ産業の構造変化
に関する調査研究」
24
「埼玉県内中小企業の振興」と「映像関連産業を核とした次世代産業の導入・集積」を基本方針に、埼玉
県が日本放送協会(NHK)などとともに整備を進めている新産業拠点。企業の創造的な技術開発を総合的に
支援し、国際競争力を備えた県内産業の振興や人材育成を図ることを目的としている。なお、SKIP は
「Saitama Kawaguchi Intelligent Park」の略。
25 中小企業・ベンチャー企業における知的財産の創造・保護・活用を促進し、産業振興を図る「知的財産立
県」を進めるために定められた、埼玉県の知的財産に関する施策等の指針。
14
(1) 本庄地方拠点都市地域の開発
埼玉県の北部は、都市化・工業化が進んでいる県南部と比べて産業基盤が弱く、人口減少
傾向もみられるなど、比較的経済条件に恵まれている同県にあって相対的に厳しい状況に置
かれている地域である。本庄市はこのような埼玉県北部に位置する人口約 8 万人の小都市で、
かつては養蚕業と街道の宿場町で栄えたが、現在は目立った地場産業はみられない。その反
面、豊かな自然に囲まれて生活環境には恵まれており、未利用の土地も多いことから、工夫
次第で大きく発展する可能性を秘めている地域でもある。
このような地域特性を利用して、1993 年、埼玉県は本庄市と周辺の5町1村26を「本庄地
方拠点都市地域」に指定し、「働く」「暮らす」「遊ぶ」「学ぶ」といった都市機能の整っ
た新たな拠点づくりをスタートさせた。その中核エリアは「本庄新都心」と呼ばれ、当地に
進出してきた早稲田大学の諸施設を取り込む形で、開発を先導する地区として整備が進めら
れてきた。
まず、本庄新都心の付近には関越自動車道や JR 高崎線などが通り、県南部や東京など各方
面へのアクセスが確保されているが、これらに加えて 2004 年、本庄市内を通る上越新幹線に
本庄早稲田駅27が開業した(写真13、14)。本庄早稲田駅の開業以降、通勤・通学などで
同駅を利用する乗降客は年々増加する傾向にあり、本庄新都心に新たな人の流れが生まれて
いる。
(写真 13、14)上越新幹線(左)と本庄早稲田駅(右)
(撮影)みずほ総合研究所
次に、整備が進む本庄新都心地域をエリア別にみると、本庄早稲田駅南側の早稲田大学本
庄キャンパスを含む地区は「早稲田リサーチパーク」という研究開発や産業振興の拠点とな
26
27
美里町・児玉町・神川町・神泉村・上里町・岡部町の5町1村(当時)である。
駅名に付く「早稲田」は、市内にある早稲田大学本庄キャンパスに由来する。新幹線の駅名に大学名が記
されているのは、当駅が唯一の例である。
15
っており、2004 年から本格的に活動が開始されている。その中核施設が早稲田リサーチパー
ク・コミュニケーションセンターである(写真15)。当センター内には、新都心開発プロ
ジェクトのマネジメントを行う(財)本庄国際リサーチパーク研究推進機構の事務所がおか
れている。また、センターに隣接する区域には、インキュベーション・オン・キャンパス本
庄早稲田(IOC 本庄早稲田)という賃貸型のインキュベーション施設が設置されている(写
真16)。これらのほかにも、早稲田リサーチパーク地区には多くの施設が立地しているが、
開発中の区域もかなり残されている(写真17)。
これに対し、本庄早稲田駅の北側は商業や産業、住宅などの要素を併せ持つ複合都市とし
て計画されている。現在、都市区画整理や都市基盤整備が行われており、その全容がみえて
くるのは 2013 年頃の予定となっている。
(写真 15、16)早稲田リサーチパーク・コミュニケーションセンター(左)
IOC 本庄早稲田(右)、リサーチパーク内の開発中の区域(下)
(撮影)みずほ総合研究所
(2) 「映像のまち」本庄を目指した取り組み
早稲田リサーチパークの事業において、推進役である(財)本庄国際リサーチパーク研究
推進機構とともに大きな役割を担っているのが早稲田大学である。同大学の本拠は東京都新
16
宿区にあるが、1982 年に早稲田大学本庄高等学院を設立し、本庄市への進出を開始した。そ
の後、順次大学関連施設が整備されるとともに、2005 年には早稲田大学と本庄市の間でまち
づくりや産業振興、人材育成などの面で相互に支援・協力を行っていくことを内容とする包
括協定が締結され、関係強化が図られた。現在、リサーチパーク内にある早稲田大学関連施
設としては、芸術科学センターや国際情報通信研究センター(GITI)といった専門施設のほ
か、国際情報通信研究科(GITS)、環境・エネルギー研究科という二つの大学院があり、プ
ロジェクトの中心的存在となっている。なお、こうした有力私立大学のキャンパスが本部か
ら離れた場所に誘致された例としては、ほかに慶応義塾大学(東京都港区)の湘南藤沢キャ
ンパスなどがある。
本庄キャンパスにおける早稲田大学の教育・研究開発の主たるターゲットは情報通信と環
境の二つであるが、前者ではとくに映像分野に力が入れられている。この取り組みを支えて
いるのが、映像・情報関連の教育・研究施設である早稲田大学芸術科学センターだ。2001 年
の開設当時、当センターは最先端のスタジオやデジタルコンテンツの編集設備を備え、日本
初のフルデジタル・ハイビジョン映像の撮影もここで行われたという。
前身である本庄情報通信研究開発支援センター28の期間も含め、この施設は設立されてから
7 年近くが経過したが、その間に当施設を利用して数多くの映像作品が制作されている(図表
8)。また、2003 年には上記の GITI と GITS という二つの研究拠点が本庄キャンパス内に
移設され、映像分野の研究開発を行う環境が整った。こうした早稲田大学の事業展開により、
本庄市は次第に「映像のまち」としての特徴を持ち始めている。
(図表 8)早稲田大学芸術科学センターの主な利用実績(制作された映像作品)
公開年
作品名
公開方法
公開年
作品名
公開方法
2007
2006
2005
バブルへ GO!
あかね空
西遊記
日本沈没
THE 有頂天ホテル
ローレライ
姑獲鳥(うぶめ)の夏
戦国自衛隊 1549
亀は意外と速く泳ぐ
蝉しぐれ
まだまだあぶない刑事
愛地球博(めざめの方舟)
劇場
2004
劇場
2003
劇場
2002
イベント
2001
地球大進化
キューティーハニー
忍者ハットリくん
娘道成寺 地炎の恋
スパイ・ゾルゲ
バトルロワイヤルⅡ
最後の恋、初めての恋
ゆうれい貸します
ゴジラ×メカゴジラ機龍
海は見ていた
soundtrack
玩具修理者
テレビ
劇場
劇場
テレビ
劇場
イベント
(注)上記も含め、2007 年 4 月現在、センターを利用して制作された作品数は、劇場公開作品で 40 点、テ
レビ放映作品で 10 点、その他イベント等で 10 点となっている。
(資料)早稲田大学芸術科学センターのホームページによりみずほ総合研究所作成
28
2001 年に(独)情報通信研究機構(NICT)により設立された本庄情報通信研究開発支援センターは、5
年間という事業期間終了後、2006 年 3 月末に閉所される予定であったが、施設継続に向けた強い要望を受
けて、2006 年4月に芸術科学センターという早稲田大学の施設として再スタートした。
17
(3) 地域社会に溶け込むための工夫
研究開発拠点の開発や産業振興とともに、早稲田リサーチパークの事業目的の一つとなっ
ているのが地域交流の推進である。しかし、本プロジェクトの開始当初は、中心テーマが情
報通信や環境という先端的な分野であったことから、地域住民の関心はあまり高くなかった
という。そこで、プロジェクトに対する地域住民の理解促進を図るため、教育・研究関係者
以外の一般市民でも比較的接する機会の多い映像という分野に着目して、様々な試みが行わ
れてきた。
その代表的なものが 2002 年に設立された「彩の国本庄拠点 FC29」である。これは、映像
情報産業の誘致・育成を推進するとともに、住民参加型の地域づくりや観光・文化の振興を
図ることを目的として設立された組織で、本庄地方拠点都市地域の市町村や商工会、早稲田
大学などを中心に運営されている。
彩の国本庄拠点 FC の事業でメインとなるのは映像制作の支援である。この事業は、始めの
うちこそ依頼が少なかったものの、その後徐々に増加し、現在では月に 1∼2 回程度の頻度で、
映画やテレビドラマ、CM、プロモーションビデオの撮影支援などが行われている(次ペー
ジ図表9)。この事業にはボランティアやエキストラとして地元住民が多数参加しており、
リピーターも多いそうだ。少数ながら撮影支援への参加をきっかけとして映像業界に転進し
た人もいるという。
映像制作支援以外の彩の国本庄拠点 FC の事業としては、親子クレイアニメーション教室30
や映画上映会などの地域交流事業や、ホームページや会報の作成といった地域情報発信事業
がある。このほか、彩の国本庄拠点 FC のサポートを受ける形で、早稲田大学の学生と地元住
民が年1本程度のペースで映画撮影にチャレンジするという試みも始まっている。
こうした彩の国本庄拠点 FC の活動以外にも、本庄市では近年映像を利用して地域交流を進
める動きが活発化している。例えば、早稲田大学などの主催により 2005 年から本庄拠点地域
展示会がコミュニケーションセンター内で行われているが、その一環として、2006 年と 2007
たの
年には「ほんじょう楽シネマ」と題する映画の無料上映会や映画関連資料の展示会が開催さ
れた。また、(財)本庄国際リサーチパーク研究推進機構の企画・運営により、まちづくり
の様子を体感することで自分の住むまちの魅力を再発見するとともに、地域の課題に主体的
に取り組む人材を育成する「まちづくり大学」という事業も実施された。
29
FC はフィルムコミッションの略で、映画やテレビドラマ、CM などの撮影場所誘致や撮影支援を行う非営
利の公的機関のこと。なお、「彩(さい)の国」は 1992 年に選定された埼玉県の愛称。
30 クレイアニメーションとは、クレイ(粘土細工)を用いて作製したキャラクターを少しずつ変形させなが
ら多くの画像を撮影し、それを連続して表示させる映像作品のこと。当教室では、講師の指導のもと、スト
ーリー制作やキャラクター作製、撮影、映像の編集を行い、最後に上映会を実施した。
18
年
2007
2006
(図表 9)彩の国本庄拠点 FC の主な映像制作支援実績
作品名
種類
主な支援内容
映画
エキストラ、公共施設使用許可申請
KIDS
テレビマガジン
撮影場所紹介
CM
撮影許可申請、撮影場所紹介
FoZZtone
PV
恋空
映画
撮影場所紹介
ドラマ
エキストラ、撮影許可申請
ZERO
世にも奇妙な物語
ドラマ
撮影場所紹介
時効警察
ドラマ
撮影場所紹介
東京タワー
ドラマ
撮影場所紹介
闇の死置人
ドラマ
撮影場所紹介
堀の中の懲りない女たち2
ドラマ
撮影場所紹介
地獄少女
ドラマ
撮影場所紹介
リアル鬼ごっこ
映画
撮影場所紹介
日本以外全部沈没
映画
撮影場所紹介
倖田來未
撮影場所紹介
PV
撮影場所紹介
B'z
PV
ふみ子の海
映画
撮影場所紹介
あかね空
映画
撮影場所紹介、エキストラ
(注)2006 年、2007 年の実績を一部抜粋した。PVはプロモーションビデオを表す。
(資料)彩の国本庄拠点 FC のホームページ等によりみずほ総合研究所作成
(4) 映像は「コミュニケーション・ツール」
以上みてきたように、本庄新都心地域の産学官連携では、まず行政と大学が新たな拠点づ
くりに向けて協力関係を築き、それをもとに地域活性化が進行する構図となっていることが
特徴といえよう。本庄市にとっては、地域づくりに大学と映像産業という二つのコアができ
たことで、まちに特色が生まれつつある。また、映像制作に関わることで地域の魅力が見直
され、住民間の交流も活発化している。一方、早稲田大学にとっては、本拠のある東京から
比較的近くにある広大な敷地の中で、複数の専門機関が連携して先端分野の教育・研究がで
きるというメリットがある。
ただ、今後この地域に映像産業を根付かせていくにあたっては、いくつか課題もある。例
えば、本庄市周辺にはドラマシーン向きの景観や古い街並みなど撮影に利用できる環境要素
が少ないことがあげられる。また、プロジェクトへの協力企業を増やすことも不可欠であろ
う。このほか、映像産業全体に関わる問題として、これまで映像制作を志す人々を育てる場
所となっていた撮影所が減少し、その人材育成機能が低下していることも指摘されている。
早稲田大学や(財)本庄国際リサーチパーク研究推進機構では、このような現状を認識し
た上で、プロジェクトを次の段階に進めようとしている。まず、リサーチパークにある映像
施設の利用拡大を図るため、埼玉県内の他の映像拠点との連携強化が進められている。また、
最近では本プロジェクトに関心を示す地元企業も増えてきていることから、今後は光ケーブ
19
ルによるデジタル映像の直接送信ができる企業を増やすことで、リサーチパークにおける映
像制作件数の増加につなげる方針だ。さらに、人材育成面では、文部科学省の補助を受けた
早稲田大学の映像人材教育システム31が動き出しており、企業への技術研修の協力要請も模索
されているなど、優秀な映像クリエーターを輩出する新たな仕組みの構築が進められている。
本庄新都心地域における「映像のまちづくり」は、まだ始まったばかりである。映像産業
と産学官連携を機軸にした一層の地域活性化の進展が期待される。
おわりに
埼玉県は、全国有数の経済基盤の整った地域でありながら、東京のベッドタウンや下請け
工場地としての性格が強く、地域の独自性が乏しかった。本稿では、このような埼玉県の現
状を打破し、まちの特色を際立たせることで、地域の求心力を高めようとする取り組みを紹
介した。
川口市では、新ブランド開発や人材育成などを行うことで、一時期停滞していた「ものづ
くり」という地場産業の基盤強化が図られている。また、草加市では、単なるベッドタウン
から脱却するとともに、住民の増加に伴って発生した都市型問題を解決するため、地域住民
の発想を取り入れながら、歴史都市としての再生が目指されている。これに対し、産業特性
の乏しかった本庄市では、大学と映像産業という二つの要素をまちづくりのコアとした新し
いスタイルの地域振興が進められている。
こうした地域特性を高めようという視点は、活力向上に悩む他の地域にとっても不可欠で
あろう。埼玉県が今後どのような特色ある地域に変化していくのか、その行方が注目される。
31
文部科学省の「現代的教育ニーズ取組支援プログラム」(2006 年度)に、早稲田大学の「映画・映像制作
人材育成の新教育システム」が選定された。
20
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