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加古川の歴史 古代~近現代・水害

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加古川の歴史 古代~近現代・水害
加古川の水害
豊かな水は潤いと同時に、たびたび大洪水
をおこし流れを変え、人々の暮らしを脅かし
てきました。
700年ごろ
1225年(嘉禄元年)
1665年(明暦元年)
1756年(宝暦6年)
1878年~1910年
(明治11年~43年)
1918年(大正7年)
1940年(昭和15年)
1947年(昭和55年)
加古川を利用した舟運が盛んになる。
川の流れが変わるほどの大洪水で国包村は残らず流出し一面の
河原になる。
姫路城主榊原忠次により築堤
昼夜を問わず、延べ36万人に及ぶ人足が1カ月余りで完成させる。
長浜屋新六郎が水害から人々を救うために築山を築く。
樹木の自由伐採による山崩れと洪水が頻発し、堤防の修理・流民
の救出が年中行事のようなになる。
江戸時代から何度も架橋をつくっては水害の被害を受け、明治に大
工事を行い加古川橋を完成させるが、大洪水が重なり消失してしまう。
鉄橋架設工事始まる。昭和8年完成。
三ケ村井堰竣工。その間度重なる出水・洪水を乗り越え、昭和18年竣立。
加古川大堰に着手。昭和63年完成。
昭和49年台風8号の水害
昭和40年 水害
昭和58年台風10号
平成16年台風23号 激甚災害の水害
加古川流域の歴史
(古代)
加古川流域では弥生時代から水田開
発が行われていました。
加古川沿いには多数の古墳や古代寺
院も存在しており、
古代における加古川流域の重要性が
窺えます。
大中遺跡(播磨町)
弥生時代後期の集落遺跡
平荘湖 (加古川市)
水に眠る古墳群
蘇る古代の道の駅
兵庫県立考古博物館
http://www.hyogo-koukohaku.jp/
賀古駅家跡(加古川市)
近年発掘された古大内遺跡(加古川
市)は、賀古駅家(かこのうまや)と言
われ、古代山陽道で最多の馬40頭
を擁し、90メートル四方の中に、駅
館院(宿泊施設)、駅楼(塔)、接待用
の施設もありました。
駅を管理維持する駅子(えきし)とい
う役人は数百人に及び、馬の世話や
田の耕筰をしていました。
加古川流域の歴史
(中世)
中世になると、大部荘など多くの荘園
が成立しました。
加古川水運と陸上交通の結節点と
なった加古川宿が繁栄し、鎌倉時代
には守護所も置かれました。
増田建築研究所
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/orion/index.html
称名寺(加古川)
鎌倉時代の加古川宿守護所
浄土寺
東大寺領大部荘の荘園管理の拠点
羽柴秀吉の三木城攻め
三木城は、1492年別所則治により修築さ
れ、御着城、英賀城と並ぶ播磨三大城の
一つです。
戦国時代5代目当主別所長治は織田信長
の家臣、羽柴秀吉による「三木の干殺し」と
言われる2年にも及ぶ飢餓作戦・兵糧攻め
で家臣・領民を救うべく自害し、三木城は
落城しました。
加古川流域の歴史
(近世)
江戸時代には、杉原紙、播州織、そ
ろばんなど、加古川水系が育んだ多
様な産業が展開されるようになりまし
た。また、加古川流域では、京・大坂
の上方文化の影響を受けた独自の
文化も生まれました。
『播州名所巡覧図絵』より
加古川宿
多くの旅人で賑わい、大名の参勤交代でも利
用されました。
泊神社(加古川市)
泊神社本殿は宮本武蔵の養子の宮本
伊織が寄進したものと言われています。
この棟札に宮本武蔵は高砂市米田が出
生地であると記述されています。
神戸観光壁紙写真集
http://kobe-mari.maxs.jp/
自然と共生しながら
育んだ
杉原紙
始だ 凍 重 千
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も白 つ 無 百
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加古川流域の歴史
(近現代)
高瀬舟は大正初年に途絶え、舟運の役割は鉄道が担うようになります。
明治時代、加古川河口部では加古川の水を利用した毛織物産業が栄え、
戦後は、重化学工業の工場地帯が成立しました。
加古川線
加古川線は、高瀬舟水運の
代替物として、大正年間に開
通しました。
疎水名鑑
http://inakajin.or.jp/sosui_old/index.html
淡山疎水
淡山疎水は、印南台地の農業水利のために188
2年(明治25年)に完成した疎水です。
山田錦
日本毛織印南工場
明治32年に、日本毛織加古川工
場の操業が開始され、大正8年に
対岸に印南工場が造られました。
煉瓦造りの建物群は、近代遺産と
しても貴重です。
山田錦は192
3年に、加東市
にあった兵庫
県立農事試験
場で開発され
た酒造米です。
山田錦物語
http://www.kikuhime.co.jp/yamadanisiki/
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