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見る/開く - 茨城大学

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見る/開く - 茨城大学
ROSEリポジトリいばらき (茨城大学学術情報リポジトリ)
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「灰の水曜日」への一視点--宗教詩人としてのエリオッ
トをめぐって
島岡. 将
茨城大学教養部紀要(6): 57-82
1974-03
http://hdl.handle.net/10109/9868
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お問合せ先
茨城大学学術企画部学術情報課(図書館) 情報支援係
http://www.lib.ibaraki.ac.jp/toiawase/toiawase.html
『灰の水曜日』への一視点
宗教詩人としてのエリオットをめぐって
島 岡 将
死への憧憬
「キリスト教の立場からすれば,死とはそれ自身生への移行である」とキルケゴ
一ルは言う。死して甦るという仕方で生命の根源から根源的に生きることが宗教的実
存の根本にほかならない。『東方の博士がした旅』Jo解ηe〃oμんθMαg‘(1927)のな
かで,キリスト降誕の際供物を携えてやって来た三博士のひとりが語る死への憧憬
一「わたしは悦んでもう一度死にたい」(“1曲ould be glad of another death.”
ム42)一もまた,その根祇において,あらたな精神的生命に再び生まれ出たいと願
う再生への熱い希求に連らなるものであった。
思うに,エリオットの詩の世界は,最初から死への衝迫にみたされていた。わたし
たちは,はやくも『J・アルフレッド・プルーフロックの恋歌』TんeLo”eSoηgo〆
」溺プ7ed Pゲψocん(1917)のペルソナ,あの孤疑逡巡する中年紳士までもが,漠然と
ではあるが,死の観念に愚かれていたことを思い起すだろう 「わたしは,一対のカニ
鋏になって/静かな海の底をカサコソ走っていたほうがましだった。」C61 should have
been a pair of ragged claws/Scuttling across the Oowers of silent seas.”」乙73
一74.)さらに『荒地』TんeWα8君eLα雇 (1922)においてもまた,古代の豊饒祭神話
にもとつく《死による再生》の観念が,やはりネガティヴにではあるが・しかしいっそ
う多様な主題の変奏のもとに暗示されていた。五章からなるこの作品の冒頭の章が,
隔
u死者の埋葬」TんθB駕畑Joμ舵Deαdと題されていたことは,作品全体の基調を
暗示しせいてきわめて象徴的である。そこに呈示されたさまざまなイメジに底流する
のは,精神的にも情緒的にも不能の状態に陥った現代の西欧世界が自らにたいしてい
だく自己埋葬へのおさえがたい衝動であった。
エリオットはたしかに『荒地』をおびただしい死のイメジでみたした。しかし,こ
の死のイメジは,再生への展望をいまだ見出しえぬ消極的な性質のものであったと言
わなければならない。エリオットが呈示する死のイメジは,たとえば・ダンテの『神
曲』の地獄の情景へと読者の連想力をただちに導くつぎの詩行に描かれた現代都市の
58 茨城大学教養部紀要(第6号)
一光景のなかにそのもっとも頽廃した極面が見出されるだろう。そしてこの時,エピグラフ
のなかでクーマエの巫女が口にする死を願う言葉 「わたしは死にたい」∼が,
「誕生と生殖と死」(‘birtL, and copulation,and deatL’Sωθεηθ〃月80η♂8言θ8:.Fγαg蹴e励
o!伽鴻goηム36)のパターンが永遠に反復される世俗の存在様式に組み込まれ,根源
的な死に決して直面することのないこの作品のペルソナたちにむけられたエリオット
のアイロニーであったことが判明する。
Unreal City,
Under tbe brown fog of a winter dawn,
Acrowd flowed over London Bridge, so many,
Ihad not thought death had undone so many.
Sighs, short and infrequent, were exhaled,
And each man fixed his eyes before his feet.
(五 丁んε B駕7渉α♂ o! ”Lθ 1)θα(∫, ♂ム 68−73)
空虚の都市
冬の夜明けの鳶色の霧のなかを
ロンドン’ブリッジの橋の上を群衆が流れて行った,彩しい人の数だ,
死がこれほどたくさんの人を破滅させたとは思わなかった。
たまに短い溜息がつかれた。
どの人も足もとをじっと見ながち歩いた。
しかし,すでに見たように『東方の博士がした旅』において,エリオットのペルソ
ナは生と死をその根源的な相において把捉するにいたる。イエスの生誕を目撃した博
士は言う一「わたしは,それまで生誕と死を見ていたが/生誕と死は異なるものと
思っていた。/しかしこのイエスの生誕は/彼の礫刑による死やわたしたちの死のよ
、っに,激しい苦痛をわたしたちにもらした。」(“Ihad seen birth and death,/But
b・dtk・ught th・y were di狂・・ent;thi・Bi・th was/Hard and bitter ag。ny f。r us,
1ike Death・our death・”♂乙37−39)と。そしてこの時,わたしたちは,rプルーフロッ
ク』にはじまるエリオットの作品の展開が,いわば死の観念の形而上的認識への昇華
の諸階梯に照応するものであったことを理解する。事実エリオットは,彼の詩人とし
ての自己完成を示すと言われる『四つの四重奏』Fo解0鷹7観8 (1942)において,
十字架の聖ヨハネが説く《霊魂の暗夜》のなかに形而上化された《豊饒の死》の実現
の可能性があることを数える。
Descend lower, descend only
Into the world of perpetua丑solitude,
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 59
World not world, but that whicb is not world,
Internal darkness, deprivation
And destitution of all property,
Desiccation of the world of sense,
Evacuation of the world of fancy,
Inoperancy of the world of spirit;
(B%7η診 1Vo7診07L, III., ’ム 25−32)
下へ下へと降りて行け,ひたすら降りて
永遠の孤独の世界に入ってゆけ,
「世界」であって世界でなく,人間の世界でない世界へ,
内心の闇,すべての所有が ’
剥奪され失われている所,
感覚の世界が乾ききり,
夢想の世界に住む者もなく,
精神の世界に動く者もない世界へと。
この死の観念の昇華への階梯は,しかし,同時に絶望の深化への階梯でもあった。なぜ
なら,人は絶対的な絶望の経験を通じて自己を自覚的に神のうちに基礎づける場合に
のみ,その絶望から解放され,愛にみちた神の知解を得ることができるからである。
そしてこの事実を理解する時,エリオットの作品系列のなかで『荒地』がどのような
位置を占めるものであるかが明日になるのである。
エリオットは後に,「われわれはキリスト教の教父たちが見たように世界を見るすべ
を知る必要がある。起源に再び立ち昇る目的は,われわれが一層大きな精神的認識を
もって,われわれ自身の状況に立ち戻ることが可能になるということである。われわ
れは,それが宗教的希望によって克服されるためにも,まず宗教的恐怖感を回復する
必要がある」ωと言う。r荒地』は,現代生活のリアリスティックな映像化によっ
て,ダンテの『神曲』地獄篇を思わせる荒廃した世界像を定着させた作品である
が,これは,堕獄のヴィジョンを呈示することによって絶対的な絶望の経験に通じ
る宗数的恐怖感を読者のなかに回復しようとするエリオットの試みであったと言えよ
う。
しかしわたしたちは,このことからただちに,『荒地』のエリオットを正統的理念の世界に
自立する宗教的啓蒙者と結論してはならない。たしかにこの作品の終章に,「せめて自分の
土地だけでも規律をつけてみましょうか」(“Shall I at least set my lands in order?”
乙426)という詩人自身と思われるペルソナの言葉が見られ,すでに神の声に耳を傾け
たエリオットの存在が予想される。したがって,『荒地』は自然生活にたいする超自然
生活の優位を認めず,超越的なものをすべて拒否する近代の非宗教的人間にたいする
キリスト者エリオットの断罪の書と解せられるかもしれない。しかしここで,彼もま
60 茨城大学教養部紀要(第6号)
た自らの時代の歴史的条件を不可燐的に体験しなければならなかった時代の子であっ
たことをわたしたちは考えなければならない。エリオットが『異神を求めて』湾伽7
S齢η8θGod8(1933)のなかでつぎのように述べる時,そζにはたしかに時代の精
神状況に深くかかわらざるをえなかった者の声が聞きとれるからである。
漬神の行為はかつては精神的頽廃の徴候であったかもしれない。しかし今日では
むしろ魂がなお澄刺としており,生気を回復しつつある萌しとも考えられる。わた
したちが善の側をとろうと悪の側をとろうと,いずれにせよ,善悪の感覚をもつこ
● ●
とが精神生活の第一の必要事であるからだ。(2)
エリオットは,自らg時代の苦悩を体験したその体験の深さのゆえに,時代の精神
状況と対峙する位置に自らを置いたのである。『荒地』がさまざまな状況のもとに呈示
する時代の苦悩は,エリオットの存在にとって無縁のものではなく,これをそのもっ
とも深いところで規定するものであった。エリオットは後に,自らもまた神を仰ぐ詩
人として,ホプキンズやジョージ・ハーバートなどの正統的な信仰詩人よりもむしろ
「裏口からキリスト教に入ろうとした」(3)ボドレールにより大きな共感を抱くことが
できると語るが,それは,自らの時代の宿命をもっとも鋭敏に嗅ぎとることができた
ボドレールに,エリオットが己れの内的世界の親しい照応を見出していたからにほ
かならない。『ボドレール』Bα記e♂α∫7θ(1930)のなかのつぎの評言は,この『悪の華』
の詩人にたいするエリオットの共感と認識のありかたをもっとも端的に示していると
言えよう。
19世紀中葉,つまりゲーテが(もっともよい形で)’予告した時代,騒擾や計画や
政治綱領や科学の進歩や人道主義や何ひとつ改良することのなかった革命の時代,
徐々に堕落に陥った時代に,ボドレールはほんとうに大切な問題は罪と救済である
● ● ●
ことを認めた。彼が正しく行けるところまで行ってそれ以上進むことがなかったの
は,彼の誠実さを証明するものである。ヴォルテール以後のフランスを見た精神に
とって………,罪の実在を認識することは「新生」つまり新しい生活がはじまるこ
とである。選挙法の政正や国民投票や性生活の改革や衣服の改革の世界で,堕獄の
罰が受けられることはあまりにも大きな救いであるから,堕獄の罰そのものが直接
の救済一近代生活の倦怠から救い出す救済の形式となる,なぜなら堕獄の罰は結
局生きることに何らかの意義をもたらすからである。ボドレールが言おうとしてい
るrごとはこのようなことにちがいないとわたじは信じている。ω
『荒地』のエリオットは,ボドレールの詩と人生が体現した逆説の真理を正しく理
解し,自らもまたこの逆説を生きることで,「自らの時代の苦悩をあきらかにし,また
きたるべき時代の苦悩を予言するだけでなく,これらの困難を予示」(5)しようとした
詩人であった。「新生」への鍵一後に『灰の水曜日』ハ読Wθ伽ε8dα㌢(1930)のな
かで「喜びク)礎となるもの」と呼ばれるもの一を見出さなければならないと決意す
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 61
るエリオットにとって,残された仕事はただひとつ,それは浄化と確信のヴィジョン
にいたる根源的な絶望を自らの内部に確立することであり,その詩的相関物である具
体的なイメジを創造することであった。わたしたちはやがて,『荒地』の3年後に発表
される『うつろな人間たち』TんeHo〃oωMθη (1925)のペルソナのつぎの極端な好
情的自我の倭小化のなかにその絶望の具体的な現われを見出す。
T』ose who have crossed
With direct eyes, to death’s otわer Kingdom
Remember us if at all not as lost
Violent sou韮s, but only
As the hollow men
The stuffed men.
(Zム13−18)
ひたむきな眼をして,かなたの死の王国へ
渡った人々が,たとえ
われらを覚えているとしても
地獄におちた,はげしい魂としてではなく
ただ,うつろな人間
剥製の人間としてであろう。
エリオットが英国に帰化し英国国教会会員となるのは,この絶望にみちた否定的自
己認識の表明の2年後『東方の博士がした旅』の発表と同年のことである。以後エリ
オットは,「死と生誕の間の緊張の時」(‘the time of tension between dying and birth’
A8んレye伽θ8dα鮎VI,ム20)に立って,「より高次の夢にひそむ読まれたことのないヴ
イジョン」(・the unread vision in tbe higher dream写δ鼠IV,ム12)の探究をめざす・
記憶の浄化を祈願して
『プルーフロック』にはじまるエリオットの詩作活動は,『四つの四重奏』をもって
その全円環を閉じる.・プルーフ・ック、の詩人は・公衆を掩乱し警告する・(6)警世的
翻家であり,r荒地、の詩人は,・一握の塵にひそむ恐耐7)を言緒に垣間見せる黙示
録的詩人であった。わたしたちは,すでに指摘したように,これらの作品の詩想を決
定する自己アイロニーに,宇宙的感覚を失った近代精神にたいする詩人の批評精神の
、
?pを見ることができる。たとえば,最初『荒地』の序詩として構想されたといっ
『ゲロンチョン』Gθ70醐oη(1920)のペルソナ,マリオン・モントゴメリーMa並
。n M。。tg。meryがrプルーフ・ック、のペルソナには見られない・自己批判の基調・(8)
が窺えるとするこのペルソナのつぎの否定的な自己認識の表明は・やがてそのもっと
も極端な形を『うつろな人間たち』のなかに見出すことになるこの好情的自我を倭小
化する自己アイロニーの典型と言えよう。
62 茨城大学教養部紀要(第6号)
Vacant shuttles
Weave the wind. I have no ghosts, 一
An old man in a draughty bouse
Under a windy knob.
αム28−31)
うつろな稜が
風を織る。わたしには魂がない。
吹きっさらしの小さな丘のしたの
すきま風の家にすむ老人。
わたしたちは,このペルソナがダンテの『神曲』地獄篇第3歌に描かれている「生
きたことのない卑しいもの」をただちに想起させることを知るだろう。ダンテが地獄
の門前に置いたのは,「熱くもあらず冷ややかにもあらざるゆえに」天国からも地獄か
らも拒まれ続けるもっとも悲惨な人々であった。
自己の存在の無意味を自覚しながらも,たえず誇大妄想と饒舌一「いっそ思いき
って/宇宙を掩乱してみようか」(“Do I dare/Disturb the universe?”」ム45−46)
一によって,自己責任を狡滑に回避するプルーフロック氏をはじめ,エリオットが
己れの作品のさまざまなペルソナの性格を規定するために用いたこの自己アイロニー
の批評的属性については,スティーヴン・スペンダーStephen Spenderがつぎのよう
な説明をしている。
パウンドとエリオットは彼ら自身の郷愁にもっとも強力な防備を与えた。つま
り,詩人自身と同一視しうる詩中人物(たとえばプルーフロックやヒュー・セル
ウィン・モーバリ」)にむけられた巧妙なアイロニーがそれである。このアイロニー
は,読者が詩人を笑うまえに自らを嘲笑するという位置にその詩人を置いただけで
はない。このアイロニーは,郷愁を単に現在憎悪と過去憧憬にするばかりでなく,
「部屋のなかで女たちが行ったり来たりして/ミケランジェロの話をしている」と
いう詩行に表われているような現代的心理状態,現代的衰微の徴候のようなものに
することによって,郷愁そのものを立体描写した。(9)
エリオットとパウンドは,周知のように,この自己アイロニーの手法を,フランス
象徴派運動の傍流に位置する〉ユール・ラフォルグJules Laforgueとトリスタン・
コルビエールTrigtan Corbi6reから学んだ。ラフォルグもコルビエールもともに,
譜誌とグロテスクなイメジによって,己れをとりかこむ全現実を歪曲し,その虚像の
世界に己れの無秩序な欲望を放散させた詩人たちであった。凸面鏡による遠近法の歪
曲さながらに,己れの感覚に映ずる現実を異化する彼らの詩法には,巧みに隠蔽され,
冷却された,遊戯的な偏執が指摘されるかもしれない。いつれにしろ,彼らが多用し
た奇想天外な暗喩は,そこにはたらく形象機智によって,将情主体の秘匿という効果
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 63
を彼らの作品にもたらした。さらにアイロニーは,己れの現実との感情的なかかわり
を回避する自己離脱を彼らに可能にした。ラフォルグとコルビエールは,このように
好情主体の秘匿化を促す形象機智とアイロニーによってしかもはや自己を告白しない
ように誘われた詩人たちであった。
ところで,このふたりの詩人を形象機智とアイロニーに促したものは何であったか。
それは,隠し立て,晦渋化,変装に向う彼らのやみがたい衝動であったろうか。それ
とも,「不意打ちと思いがけないものこそは,今日の詩のもっとも重要な刺激のひとつ
である。」(1①と断言する彼らの今世紀における継承者アポリネールGunlaume Apol匹
naireを導いたあの美学的綱領の要請であったろうか。おそらくそのふたつが,彼ら
の心理と想像力とにともに作用していたのであろう。だがさらに,彼らの想像力に作
用するいっそう力強い要因があった。それは彼らが自らにたいしていだいていた特殊
な自己認識である。
アイデンティティ
彼らがともに決定的に体験していたのは,己れの自己同一性の喪失という不安な感
情であった。ピエロの姿のうちに19世紀末の感傷性と世界逃避の典型的な象徴を形成
したラフォルグは,そのピエロの仮面の背後に己れの実存の無力をひそめた流講の詩
人であった。そしてその無力感の根抵には,己れの混乱にたいする深い自覚があった
一「僕は僕自身なのだろうか,なにもかもがあまりにも複雑だ!」(“Sui的e m6i?
Tout est si compliqu6!”Co卯’α厩e d%Sαgεde Pα¢ゴ8,ム71)コルビエールの苦
悩もまた,その根幹は生にたいする彼の不適合性にあった。彼もまた己れ自身の生命
を喪失したと感じる不安な人間のひとりであった。
Coloriste enrag6,−mais blame;
Incompris…… surtout de lui−mame;
(E「p記αpんε, ♂ム 38−39)
熱狂的な色彩画家一だが顔面蒼白,
何も知っちゃいず……一とりわけ自分のことは
彼らはその作品のなかで,ふざけたような振りをしたり,駄酒落にふけったりまた
胡散くさい愛嬌を振りまいたり,かと思うと,いきなり断ち切れたチェロの絃のよう
トラジ・
ネ鋭い苦痛にみちた叫び声を発する。彼らのこのプロメテウス的変身は,17世紀の悲
コメディ
喜劇の世界に繰り広げられた変身変容のたわむれを想起させるかもしれない。しかし,
彼らが変装とまやかしの世界に遊ぶのは,悲喜劇の主人公たちのように,以前の自己
から自らを解放し,永遠の誕生の状態を続けるためではない。それは,たえず己れか
らの離脱を図ることで,他者の判断によって傷つくことから己れをまもるだけでなく,
琶れの宿命の暗い雰囲気のなかにとらえられてしまうことから己れを救い出すためで
あった。彼らの諸詩篇に底流する軽妙さは,その背後に彼らの暗澹たる自己認識をひ
そめていたのである。
ラフォルグとコルビエールは,同音異義語法,省略法,張喩,文字交換,語の転倒
64 茨城大学教養部紀要(第6号)
など《驚異の感覚》をめざめさせるさまざまな技法にあふれた詩作品のなかで,現実
に存在するなにものにも己れの精神的支柱を見出すことができないという危機感と,
現実には出口がどこにも存在しないということをただ感ずるほかはなにもないという
無力感とを,きわめて内密な語り口で読者に語りかけていたのである。形象機智とアイロ
ニーは,ひとつには《知的な自己防禦》の手段であり,またひとつにはロマン主義詩
を特徴づける《愁訴の感情》にたいする攻撃の手段でもあるが,それらはまずなによ 一
りも,もはや語りかけるべき積極的な体験内容をもたないという好情主体側の苦渋に
みちた自覚の所産でもあった。ラフォルグとコルビエールの想像力は,理想化された
もの以外にはもはや何ものも認めないというロマン主義精神のあの高みにまで彼らを
導くには,あまりにも卑俗な懐疑と現実意識に貫かれていたのである。 L
@エリオットは,すでに述べたように,ラフォルグとコルビエールの詩に自己の芸術
的素質の支えと強化を求めることではじめて詩人として出立しえた人であった。わ
たしたちは,今世紀前半の詩の転換点を画したといわれる彼の最初の傑作『J・アル
ブレッド・プルーフロックの恋歌』のペルソナが,これらのフランスの詩人たちの詩
的世界の住人たちと思考においても感性においても多くの共通点をもっていることを
うとするその瞬間に彼の運命の混乱した暗い雰囲気のなかにとらえられてしまうあの
卑俗な懐疑と醒めた現実意識に支配された存在であった。
Igrow old……I grow old………
Isha皿wear the bottoms of my trousers rolled.
Shall I part my hair behind? Do I dare to eat a peach?
hshall wear wbite flanhel trousers, and walk upon the beac11.
胃
Ihave Leard the mermaids singing, each to each.
Ido not think that they wiH sing to me.
(♂ム 121−126) 診
ああ齢が寄る……齢が寄る……
ズボンの裾をまくってみようか。
髪をうしろで分けようか,それとも桃を食べようか。
白いフラノのズボンをはいて海辺を歩いてみようか。
おれは人魚がたがいに歌い交すのを聞いたことがある。
雀
l魚たちは,おれに,歌いかけているのではあるまい。
エリオットもまた,もはやアイロニーによってしか自己を告白しないように誘われ
たあの己れの混乱を自覚した詩人のひとりであった。この作品の冒頭の詩行
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 65
Let us go then, you and I,
When the evening is spread out against the sky
Like a patient etherised upon a table;
αム1−3)
さあいっしょに出かけてみようじゃないか,君と僕とで,
手術台で麻酔にかけられた忠者のように
夕暮が空いっぱいにひろがるとき,
に見られる「君」と「僕」とは,たしかにプルーロックの分裂した自我を暗示してい
る。また,夕暮を「手術台で麻酔にかけられた患者」にたとえる奇想は,知的遊戯に
たいするエリオットの偏執をうかがわせもする。エリオットは『プルーフロック』をおび
ただしい奇想であふれさせたが,この奇想の展開へとエリオットを導いたのは,己れ
の自我の分裂をみつめる彼の道化た自覚であった。「わたしはわたしの一生をコーヒー
の匙で計りつくしてしまった」(“Ihave measured out my life with coffee spoons,”
ム51)と自嘲するこの作品のペルソナは,鋭い知性と博識をもちながらそれらの知識
がついにアイデンティティを回復しえず,むしろ自らをたえず確信から遠ざけること
を知る近代的知性エリオットのアイロニカルな自己投影像であった。『プルーフロック』
に底流する軽妙さは,このように知性と情感の閉塞状態に陥り,なおそこからの出口
を見出しえぬ一近代人の荒廃した自己認識をその背後にひそめていたのである。
エリオットをフランスの詩人たちの詩的世界に赴かせたのは,アイデンティティの
分裂という彼らの共通の体験であった。しかも彼らはともにこの体験を近代人の宿命
としてとらえた。彼らがその作品のなかで好情的自我を倭小化するのは,自らの一自
我の病理を時代の病理と一体化させるためであった。彼らはそうすることで時代にた
いする批判の矢をひそかに放ったのである。自らの混乱を自覚した彼らには,それが
ただひとつの可能な批判の方法であったと言えるかもしれない。
インテグリティ
コルビエールとラフォルグが生きた時代は,人間の本然の姿にたいしてかつてない
ほどはげしい希求を表明した時代であった。彼らもまたキリスト教道徳の陰気くささ
を知らず,董恥心をもたない古代の生を賛美した。しかし彼らには,原初の生にたい ’
する初源的で積極的な愛が欠けていた。ことにラフォルグは,ショーペンハウエル
Arthur SchopenhauerやハルトマンEduard von Hartmapnなどのドイツのロマ
ンティックな形而上学的観念論に精神の拠り所を求めたためか,ついに生そのものに
たいする嫌悪から脱しきれなかったように思われる。彼らは,ともに天逝の運命にあ
ったこともその大きな理由のひとつであったが,引き裂かれた自分たちのアイデンテ
イティを回復し,自我からのおだやかな離脱にたどりつくことはついになかった。一
自我の病理を時代の病理と一体化させようとした周到な批評意識にもかかわらず,彼
らのアイロニーにはつねに苦悩の騎がつきまとっていた。
エリオットは,しかし,フランスの詩人たちの想像力をひきつけていたあの古代世
界への郷愁を知らなかった。『プルーフロック』執筆当時エリオットはつねにダンテの
66 茨城大学教養部紀要(第6号)
『神曲』を持ち歩いていたと伝えられている。これは,この作品がエピグラフとして
『神曲』地獄篇第27歌の一節を掲げている事実とともに,その時すでにエリオットの
関心が,罪と試練と許しとの三つの架空の伽藍を構築しえたダンテの壮大な想像力に
向けられていたことを物語る。エリオットはこの作品を現代の一地獄絵図とするつも
りであったのかもしれない。いつれにせよ,ダンテへの関心は,エリオットが罪と救
済の問題に視線を向け,西欧人の精神の中核をなしてきたキリスト教に自らの救済の
可能性を見出そうとしていたことをわたしたちに教えてくれる。またエリオットがす
くなくともラフォルグの形而上学的関心から遠く離れた地京に立っていたことは,彼
が学生時代哲学の徒としてフランシス・ハーバート・ブラッドリーFrancis Herbert
Bradleyを研究していたことからも推測されるだろう。ブラッドリーは,エリオッ
ト自身の言葉をかりれば,「狭隆で未熟で不安定な哲学にたいして,西欧の成熟した賢
明な哲学を擁護するために戦っていた」(ω哲学者であったからである。
『プルーフロック』においては,ある評者が指摘するとおり,コルビエールやラフ
オルグの内面をも時として侵蝕していたアイロニーは,エリオットの想像力の所産で
あるペルソナを犠牲にすることによってその効果をもっともよく発揮していた。エリ
オットは,あたかもコルビエール・ラフォルグ的病原菌を採集し,これを培養して,
プルーフロックというペルソナによって文学的に表現してみせようとしているかに思
われる。そこに窺われる意図と手法との完全な適応は,エリオットがすでにフランス
の詩人たちにたいして詩人としての自らの十全な独立を達成していたことを示すばか
りでなく,彼らの生のありかたをも批判できるある視座を所有していたことを示唆し
ている。それは,己れの自我の病理をゴルビエールやラフォルグにはついに見出しえ
なカった罪と救済というパターンのもとに傭畷することのできる視座であったと思わ
れる。事実わたしたちは,エリオットの詩作体験の総決算である『四つの四重奏』の
なかにつぎの詩行を認める時,『プルーフロック』からこの作品にいたるおよそ30年の
歳月に及ぶエリオットの詩作活動は,懐疑的な一知性が信仰の助けを得て浄化と確信
のヴィジョンを見出そうとする精神的探究の過程であったことを理解する。祈りの地
《リトル・ギディング》Little Giddingとは,懐疑と幻滅に抑圧され,たえず現実と夢
想との間に揺れ動いていたあの『プルーフロック』のペルソナが長く苦しい精神的旅
路の果てについに辿りつく希望の地であると言えるかもしれない。
You are not here to verify,
Instruct yourself, or inform curiosity
Or carry report. You are here to kneel
Where prayer has been valid. And prayer is more
Than an order of words, the conscious occupation
Of the praying mind, or the sound of the voice prayin昏
(L ittle G idd ing. 1.〃.45−50)
きみがここにいるのは実証するためでも
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 67
自らを訓すためでも,好奇心を広めるためでも
報道するためでもない。膝まずくためにきみはここにいるのだ,
いまも祈りが有効に行われているところに。また祈りとは
!
セ葉の秩序とか,祈る心の意識的な行いとか,
祈りの声のひびきとかにとどまらないものだ。
エリオットのペルソナが,自己アイロニーによる好情的自我の倭小化をはなれて,
この祈りめ地《リトル・ギディング》の地平をはじめて垣間見るのは,『うつろな人間
たち』の4年後に刊行される『灰の水曜日』においてであった。
『灰の水曜日』は,霊魂の暗夜を経て超自然的生活にふたたび甦ることをめざす一
現代人の魂の過程を記録する。記憶の浄化を求める祈りの詩句一「そして,わたし
はみずから論じすぎ/説明しすぎた事柄を/忘れるように神に祈ろう」(“And I pray
that I may forget/These matters that with myself I too much discuss/Too
much explain.”1, Z乙27−29)一 は,この作品の詩人が1裏疑的な自我を自覚的に神
のうちに基礎づけるにいたったことを示唆している。そしてわたしたち1まこの時,エ
リオットがもはや芸術作品の完壁さのみを探究する純粋に芸術的な存在ではなく,信
仰が知性を神に近づけ希望が記憶を神に集中させることを知る一信仰者であることを
認める。
エリオットは,1926年すなわち『うつろな人間たち』刊行の翌年「クライテリオン
4号」C而副oηIV上で,文学の概念を孤立させることによって文学の生命は奪われ
ると言い,「純粋文学は感覚の妄想である」と主張する。この主張はやがて『宗教と文
学』Rθ傭ピoηα記L舵7碗π7θ(1935)のなか1三その最終的な断定一文学のく偉大
さ〉は文学的基準だけでは決定されない。もちろん文学であるかどうかは文学的基準
によってのみ決定せられうるものであることを忘れてはならないけれども」⑫一一を
見出す。この断定にいたるまでの過程に,エリオットは『灰の水曜日』や『〈岩〉の合
唱』Cんo伽8θ8加物置んeRocκ(1934)などの宗教的作品をもつが,後者のなかに見
られるつぎの詩行は,エリオットが,文学の諸問題を正統の観念と組み合わせること
によって,自らの詩の瞭いを成就しようと企図していたことをわたしたちに教えてく
れる。そしてわたしたちはまた,この詩の瞭いへの祈願が同時に,己れの《知性の放
縦》を制御し,《生の浄化》を得なければならないとするエリオットの実存的欲求と一
@ 帽
フであったことを理解する。
LORD, shall we not bring these gifts to Your service?
Shall we not bring to Your service all our powers
For life, for dign董ty, grace and order,
And intellectual pleasures of the senses?
The LORD who created must wisL us to create
And employ our creation again in His service
Which is already His service in creating、 (D(,♂乙16−22)
68 茨城大学教養部紀要(第6号)
主よ・これらの贈物をささげて,あなたのお役に立ててはいけないでしょうか。
生命や,尊厳や,優雅や,秩序や,
五感の知的快楽にたいする
わたしたちのすべての力をあなたのお役に立つようにしてはいけないでしょうか。
造物主は,かならずわたしたちが創造することを願われ,
そしてわたしたちが創造したものを,ふたたび主のお役に立てることを願っておら
れるにちがいありません,
わたしたちの創造は,とりもなおさず主の創造にお仕えするのものだからです。
ホプキンズをこえて
詩の貝費いへの祈願と一体となったエリオットの宗教的実存への欲求は,しかし,彼
を素朴な信仰詩人へはもちろん,エクスタティックな神秘詩人へと導くこともなかっ
た。わたしたちは,『灰の水曜日』が宗教的悦惚を知らず,熱烈な神への讃辞の言葉も
持たず,ついに「灰の水曜日」の,過去のあやまちを悔い現世から神の世界へ向うた
めの一俄悔者の祈りに終ることを見出すだろう。エリオットにとって神を探究するこ
とは,もはやロマンティックな夢想でもなく,神秘な体験でもなかった。それは,い
わばもっとも深い懐疑的知性にもっとも強い信仰心を結びつける厳しい精神的営為で
あった。
エリオットの懐疑は,妄想を持たない人間の資質であった。これは,「賢明に疑え」
(‘doubt wisely’)と教えた17世紀の形而上詩人ジョン・ダンJohn Donne の懐疑
を思わせる。ダンもまた,スコラ哲学からネオ・プラトニズム,占星術から天文学,
ロヨラからマキャヴェリにいたる西欧文明が生んだ膨大な知識のなかに己れのアイデ
ンティティを見失い,その自覚から譜誰と変身変容へと赴いた道化的知性の持主であ
った。彼は秩序の崩壊が間近いことを予言して一つの時代を代弁した一「宇宙は解
体され断片となり,整然たる秩序も/適切なる供給も,正しき関係もすべて消え去っ
た。」 奇しくもダンは,後世のエリオットと同じく英国国数会会員となり,聖職者に
転向するが,彼の道化的知性の所産である『唄とソネット』Songs and Sonnets と
転向後の『ホウリイ・ソネット』Holy Sonnetsとの間にあるのは,懐疑的な知性を
信仰に結びつけることで断片化した世界像を再統一しようとする真摯な精神的営為で
あった。そこに,「これらの断片で僕は自分の廃嘘を支えてきた」(“These fragments
Ihave shored against my ruins” Tんeレγα8孟e Lαπ(f V. Wんα言抗θTん槻(feデ8α‘(1,
ム108)と『荒地』のペルソナに己れの存在の不統一を告白させたエリオットのように,
自らの《知性の放縦》を自己批判するダンの姿を予想することはさほど難しくはないだ
ろう。ダンの転向が一切の現象を疑う自然主義哲学にみられる後期ルネッサンスの精
神的風土からの脱出行為であったように,懐疑と信仰の融和を図るエリオットの探究
もまた今日のヨーロッパの精神的課題と深く切り結ぶものであった。それは,真理の範
囲と量とが増大し,さらにその抽象的明瞭性が増大しているにもかかわらず,その確信
がたえず減少しつつある現代の精神的状況を考えるならば容易に理解されるはずである。
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 69
エリオットは,『四つの四重奏』において,「君たちはエクスタシーのない道を歩まな
ければならないq」(“You must go by a way wLerein there is no ecstacy’二Eα8オ
Co舵γ,ム137)と語る。この言葉に示唆されているたえまない批判と検証とによって
絶対的な真理を探究しようとする客観精神こそ,エリオットが《時代感覚》とともに
現代詩入のもっとも重要な試金石と考えるものであり,たとえ神を仰ぐ詩人であって
も,己れの信仰的熱情からこれを棄てて顧みなくてもよいという程のものではなかっ
た。『異神を求めて』のなかで,韻律と詩語の革新的な実験によって《現代詩の祖》と
も称されるにいたった信仰詩人ヂェラード・マンリー・ホプキンズGerard Manley
Hopkinsにたいしてエリオットがつぎのように否定的な評価を下すのも,彼が現代詩
人に不可欠の条件として要求するたえず批評し探究するこの客観精神を論拠としたも
● ● ● ● ■ ● ● ■ ● ●
のであった。
信仰詩の場合,ただ作者の信仰的情熱の純粋性や態度というにとどまらず,さら
に多くの問題があるということはたしかです。《信仰詩人》であるということはひ
とつの制限なのであり,聖入でも詩を書けばみずからを制限することになり,たと
えこのような主題でも,それにみずからを限るというそのことにより,詩人みずか
らもまた制限していることになる。わたしは別のところでボドレールを宗教詩人だ
と主張したことがあるが,ホプキンズはそういうより重要な意味での宗教詩人では
ない。㈹
ホプキンズは,自らの魂の奥底に目を向けることで神の恩寵の状態を表現する純正
の信仰詩人であった。彼は宗教的天性と芸術的天性のみごとな調和,あるいはその激
しい葛藤からすぐれた宗教的作品を創造した。そのなかでも『まぐそ鷹』TんeW磁孟
加ηθγは,作品の純粋が詩人の生の純粋に依存することをもっとも典型的に示す作品
であった。たとえば,この作品の冒頭に描写された,暁の空を強い風圧にたえてなお
均整を乱さず飛翔する統制のとれた鷹のイメジは,超越的存在である神を仰ぐホプキ
ンズの上昇感性を端的に反映している。
Icau帥t this morning morning’s minion, ki血9一
dom of dayligkt’s dauphin, dapple−dawn−drawn Falcon, in Lis riding
Of the rolling lovel underneath him steady air, and striding
High there, how he rung upon tbe rein of a wimpling wing
In his ecstasy!then off, off forth on swing,
As a skate’s heel sweeps smooth on a bow−bend:the hurl and gliding
Rebuffed tbe big wind. My heart in hiding
Stirred fqr a bird,−the acLieve of, the mastery of the thing!
(〃.1 8)
わたしは見た。この朝,朝の寵児を,陽光の国の
王子,班色の暁にひき出されたあの鷹が,波のように
一 匂
70 茨城大学教養部紀要(第6号)
うねる大気にのって,あのはるかな高空を
潤歩するさまを。それは小きざみにゆれる翼の手綱をもらて
悦惚として輪を描いていた! それからやがて輪をはなれ,あたかも
スケートの踵がなめらかに弧を描くようにすいすいと飛翔した,
投げるがごとき,また滑るがごときその飛翔は,大風をもしりぞけた。
ひそんでいたわたしの心は
ひそかに動き一羽の鳥をあこがれた∼あの事物の完壁,かの卓越を!
鷹の野性の美と本能的な自己鍛錬とは,ガードナーW.H.Gardnerが指摘す
るように,「神に帰納された統制の美とイエズス教徒的理想のなげしい自己鍛錬 ・ ● ● ● o . ・
のシンボル」㈹である。かつて「実在のおそろしくも空虚な迷路のうえに/あえて探
究の眼をむけん」(“That dares to cast its searcぬing sight/on being’s dread and
vacant maze.”Noη磁肌,1乙29−30)としたホプキンズが,長年にわたる宗教的瞑想と
きびしい禁欲生活の後にいま,神意の特徴的表現である一羽の鳥の飛翔に触発されて,
神の秩序のもとに生きることへの喜悦にみちた決意をあらためて確認するのである。
詩人ホプキンズにこの作品のイメジと思想をもたらしたのは,敬慶な司祭ホプキンズ
の輩固な意志によって常住不断に培われてきた上昇感性に他ならない。神にたいする
信頼が己れの内部にゆるぎないものとなった時,彼の詩的相像力は《上昇するイメジ》
となってもっともみごとに結晶したのである。このようにホプキンズにとって,作品
の核をなすのは詩人の生の純粋に他ならなかった。事実,彼はつぎのような言葉を一
書簡のなかに書き記している一「もっとも高度で生き生きとした芸術の一種の試金
石とも言えるものは翼雛なのです.、・1⑤
ホプキンズを《現代詩の祖》として評価しようとする今世紀の批評的情熱は,ホプ
キンズの革新的な韻律法に,「内面の分裂と軋礫,そして心理の複雑さ」を表現しうる
可能性を見出し,そこに現代詩との特別な関連性を認めた。ホプキンズはある批評家
によって,「現在と未来にたいして影響力を持つただひとりのビクトリア朝詩人」と評
価された.(1⑤この日寺評価の対象となったのは,・班の美、P屈β翻,や・春、s吻8
によって代表される自然との交感をうたった「自然の14行詩」ではなく,ハーバート
・リードHerbert Readによって「神への愛をうたったというよりはむしろ悔恨,恐
怖,服従をうたった詩」⑳と評されたrドイッチュランド号の難破』丁加防εCκげ
彦んθDθ硲翻α記,あるいは『シビルの木の葉を判読して』Spθ♂げ70況S吻♂’8 Lθαη一
e8を予告的作品とする不安と絶望にみちた「恐ろしい14行詩」と称される一連の作
品であった。ホプキンズの技巧的手練がもっともよく発揮されているのは,宗教的喜
悦ではなく内面の沈思熟考を表現している場合であるとこの評者は考えるからである。
たとえば彼は,そのもっとも典型的な例を『シビルの木の葉を判読して』のつぎの詩
行に見る。
6ur t・k。,06ur。racl。!IL6t lif。, waned,。h l6t lif。 wi。d
0価er・nce sk6i・・d・t・ined・6i・・d vari・tyl叩・n,lall。n tw6。p。。1。、
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 71
part, pen, pack
Now her all in tw6 flocks, tw6 folds・black, white;right, wrong; reckon
but, reck but, mind
But thるse two;ware of a w6rld where b丘t these tw6 tell, eacb o仔the
6ther;of a rack
Wkere, selfwrung, selfstrung, sbeathe−and shelterless, tb6ughts against
thoughts fn groans grfnd.
(肱10−14)
わたしたちの身の上を語るもの,ああわたしたちの神託よ!
さあ衰えた生を,ああ生を,
かつては柞にわけられ,染めわけられ,筋をつけられていたその多様さから
すべてふたつの糸巻にまきとるがいい。
さあすべてをふたつの群に,ふたつの囲に,黒と白,正と邪に,わけ,
閉じこめ,封じこめるがいい。
ただこれらふたつのものだけを思い,気をくばり心にとめよ。
これらふたつのものだけが教えては互いに区別し合う世界にのみ気をくばれ。
己れを苦しめ,己れを締めあげ,おおいもなく避難所もなく,
思考と思考とがうめきつつきしりあう
拷問台に気をくばれ。
たしかに,ここで駆使されている頭韻 リズム,類音などの音韻上の革新的な技法
は,ホプキンズの苛烈な内心の相剋をその坤きの一瞬一瞬において的確に伝えている。
それは,現代詩が要求するもっともよい意味での《同時性》(‘simultaneity’)を獲得
している。わたしたちはそこに,「悪」にたいする「善」,肉体にたいする精神の闘いと
いった信仰者が必ず直面しなければならない苦悩の劇的な投影を認め,そしてホプキ
ンズの苦悩の真実を了解する。しかし評者は,ホプキンズの相剋を単に神から疎隔さ
れた信仰者の絶望や挫折の苦しみと解釈することに満足しない。彼は,ホプキンズの
意識はもっと複合していると言う。ホプキンズの絶対者はゆらぎ,そして彼は恐ろし
い懐疑の淵に取り残されていると示唆する。評者がホプキンズの韻律法の革新的な現
代性を評価するのは,まさにこの複合感情の伝達という機能のゆえであった。
しかし,自らもまた現代詩の祖と評価されるエリオットは,’ホプキンズの韻律法の
革新が彼の精神同様ある狭い範囲でしか働かず多くの目的に役立てえないことを指摘
して,「そのうえ,それはときどき必然性を欠いているように思える つまりほとん
ど純粋に言葉のうえのことになっていることがときどきある。一篇の詩全体が,思想
● ■ ■ ■ ● ■ ■ ・
もしくは感情の真の発展であるよりは,おなじものがさらに加えられた,つまり一種
の累積という感じをうけとることになる」㈹と言う。それでは,このエリオットの否
o ● ●
定的なホプキンズ評価と, 「彼(ホプキンズ)は,今までの詩人のなかでもっとも注
目すべき作詩技巧の発明家のひとりであり,また主要な大詩人でもあった。もし彼が
72 茨城大学教養部紀要(第6号)
当然受けるに値しただけの注目を受けていたならば,1890年以後の英詩の歴史はかな
り現在とは違ったものになっていただろう」⑲というさきの評者の積極的な肯定的評
価との懸隔の大きさはどこから生じるのであろうか。ここで,エリオット自身の『灰
の水曜日』からその冒頭の一節を引用してみよう。それは,エリオットの評言の射程
をあきらかにしてくれるかもしれない。
Because I do not hope to turn again
Because I do not hope
Because I do not hope to turn
Desiring this man’s gift and that man’s scope
Ino longer strive to strive towards such things
(Why should the ag6d eagle stretch its wings? )
Why should I mourn
TLe vanisLed power of the usual reign?
(1,♂ム1−8)
わたしはふたたび,ふりかえることを願わないので
わたしは願わないので
わたしはふりかえることを願わないので
この人の才や,かの入の能力をうらやんで
このようなものを,もはや争って手にいれようとはしない
(どうして年おいた鷲が翼をはる必要があろう)
どうして,世の常の力が消えうせたことをなげく必要があろうか。
こめ作品の主題は,言うまでもなく臓悔である。もしふりかえれば,生の浄化への
道は閉ざされ,「棘だらけの梨のまわりを廻る」(‘go round the prickly pear’Tんθ
Ho〃o泌Meη. V,乙1)あのうつろな人間たちが住む「死の夢の王国」(‘death’s dream
ldngdom’)に立ち戻ることになるだろう。選択と決意はすでになされた。だがここに
は,ホプキンズの「恐ろしい14行詩」が呈示するあの悦惚と苦痛,希乖と絶望とが混
清した神とのはげしくも親密な対話はない。詩のリズムもまた緩徐的で,ホプキンズ
の作品を特徴づけていた漸層的高まりをもたない。用いられている言葉も平明で,ホ
プキンズの作品は言うまでもなく,彼の初期の作品がもっていた文体の凝縮への傾向
も示さない。事実,『灰の水曜日』がはじめて刊行された時,そこに『プルーフロック』
や『荒地』の特性であった「力強さと迫真性,言葉の含蓄の豊かさと暗示性,主題と
技法の適応」などが欠けることを見出し,エリオットの想像力の枯渇を指摘した評者
さえあった.⑳
とすれば,『灰の水曜日』があきらかに示すこの文体の緩和化は,この作品の文学
的価値が劣ることを示すものに他ならないのだろうか。わたしたちはそこに,エリオ
ットの宗教体験の稀薄さを読み取るべきなのであろうか。「どうして年老いた鷲が…」
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 73
の一行は,文学を己れの根本的選択としたサンボリストがその想像力の枯渇を嘆く自
嘲の言葉と解すべきであろうか。しかしわたしたちはここで,この作品の詩入が同時
に,信仰が知性を神に近づけ希望が記憶を神に集中させることを知る一信仰者である
ことを想起しなければならない。『プルーフロック』の詩人は,知性と感情の閉塞状態
に陥り,緊張と頽廃の間で永遠に自己決定を留保するアイデンティティの分裂に悩む
不安な存在であった。そしてこの事実を見つめる道化た自覚が,奇想の展開をはじめ
とする修辞的技巧へと彼を導いたのであった。しかし,信仰の助けをかりて神の摂理
のうちに休らうことを願ういま,この詩人がレトリックへの関心から己れを引き離そ
うとすることは,当然の行為ではないだろうか。事実わたしたちはやがて,『四つの四
重奏』のなかに,レトリックへの関心を制禦し,生の探究と文学の探究との融和を図
ろうとする詩人の所信を見出す。
Aperiphrastic study in a worn−out poetical fashion,
Leaving one still with tLe intolerable wrestle
With words and meanings, the poetry does not matter.
It was not (to start again )what one had expected.
What was to be the value of the long looked forward to,
・ o ● ・ , ・ ● ■ O o ● , ● ● ● ● ● ■ ● ■ ● 欄 欄 o ■ o ● ● ■ ●
(Eα8孟 Coんeヅ II, ’ム 19−23)
陳腐な詩法の迂説法の研究で
言葉や意味との耐えがたい組打ちを
いつも強いられる。詩はじつはどうでもよい
そんなことは(もう一度言うが)所期の目的ではなかった。
何が長く期待する価値であるべきだったのか,
o o . ・ ・ . ● ● ● , ● ● ● ● ■ ● ● 願 ● ■ ● ● ● ● ・ ● o ● ・ o
一
uどうして年老いた鷲が……」の一行は,ジョーンズE・E・Duncan Jonesが言
うように,「詩人たちが時おり自己について抱く大仰な観念にたいするアイロニックな
攻撃」ωと解すべきであった。
エリオットの文体の緩和化は,彼の精神的探究の本質を考えると,彼の詩がとるべ
き必須の傾向であったことがわかる。“Because”の反復によって効果をたかめられた
詩の緩徐的リズムは,エリオットのたえず批評し詮索する懐疑的な探究精神の運動を
誠実に反映したものであったと言えよう。ホプキンズの場合,その作品ははげしい情
緒的昂揚の一瞬において成立していた。イメジと言語の創造は,いわば発作的に行な
われている。ホプキンズはブリヂスに宛てた一書簡のなかで,「恐ろしい14行詩」の成
立の秘密を明かしているが,そこには,それらの作品が「おのずからなるインスピレ
一ションのように自分の意志に抗して」心に浮かび,一瞬のうちに書き上げられたと
ある。㈱ホプキンズにとって霊感は,彼の詩に「朗々とした起伏,高まり,喜悦,
74 茨城大学教養部紀要(第6号)
創造性」(‘The roll, the rise, the caro1, the creation,’To R. B.ム12)をもたらす
ためになくてはならない詩作の契機であった。
Sweet fire the sire of muse, my soul needs this;
Iwant the one rapture of an inspiration.
(To 」R.B. ごム 9 −10)
甘美なる火,詩魂の父,わたしの魂にはこれが要る。
わたしにはあるひとつの霊感のあの一度の歓喜が必要なのだ。
エリオットをホプキンズから遠ざける一点はまさにこの「霊感」という言葉にある。
エリオットの作品は,「苦悩する精神と創造する精神との完全な分離」㈱が達成された
地点で成立している。少くともエリオットは,この地点で詩作することを己れに課して
いた。このことは,彼の作品が「構成」への周到な配慮を前提にしていることを示す。も
ちうん『灰の水曜日』のような宗教的作品の場合,イメジと言語の創造は,『プルーフロ
ック』を支配している技巧的熟練への関心からではなく,明確な宗教意識にもとついて
なされていることは言うまでもない。わたしたちはただここで,「霊感の詩」が対立する
のは,構成の概念そのものでなく,「構成の詩」がめざす表現の対象領域にほかならな
いことを想起すればよい。「霊感の詩」は,ある特定の情緒を洗練し凝縮することをめざ
すが,「構成の詩」は,意識の先端,あるいはそのかなたにある情緒をより意識化し映像
化することをめざす。このことを理解する時,エリオットのホプキンズにたいする否定
的評言の射程はいっそう明らかとなる。エリオットにとってホプキンズは,その詩が表
現する苛烈な内的葛藤の真実にもかかわらず,詩のあらゆる主題を宗教的精神で扱う
詩人ではなく,その限られた一部分を取扱い,人間がその主要な熱情と考えるものを見
捨て,それによってこの熱情にたいする無知を告白する詩人に他ならなかったのである。
エリオットにとって詩人を他の人々と区別する一点は,その認識の深さと広さの差
でしかない。シェイクスピアは人間の情熱をもっとも広く扱い,ダンテはその高所と
底部とをわたしたちに示す。エリオットもまた,「ときおりわたしたちがまれに透視す
るところの,人間存在の深層を形成している,より深い無名の感情」鋤を開示するこ
とを,自らの詩的営為の課題とする。
ホプキンズに欠けていたのは,人間の生活についての広範囲で多方面にわたる理解,
エリオットが「一般意識」(‘general awareness’)⑫励と呼ぶものであった。彼の作
品は,今世紀の精神状況を特徴づけるアイロニーや現世的情熱や知的な懐疑を知らな
かったのである。『神の壮麗』Go♂8 G搬ηde解や『まぐそ鷹』によって代表されるホ
プキンズの信仰詩は,「恐ろしい14行詩」と称される一連の作品によってその円環を完
成し,信仰詩人ホプキンズの魂の持続と緊張を深めるが,それら一連の作品が表現す
る苛烈な内心の軋礫も,エリオットにとっては,近代的自我の苦悩というよりはむし
ろ,己れ個人の救済に深く心を捉えられた一ジェズイットの信仰活動上の不安,いわば
修道院内における苦行者の苦悩を反映したものにすぎなかったのである。ホプキンズの
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 75
「インスケイプ論」(“Inscape”)もまた,知覚の対象の個有の本質への洞察を説く,
基本的に詩人の《見る》という機能にかかわる主張であったが,その限られた特殊な
宗教意識のために彼の想像力はついに時代の一般的精神状況との接点を見出しえなか
ったと言うべきであろうか。
,
C駆逐された芸術家として
エリオットは,すでに見たように,死の観念とともに生きた。死の観念とともに生
きることは,しかし,あるひとつの倫理を選び取ることに他ならない。それは,言葉
の芸術にたずさわる詩人を,詩人の内的世界の実現と客観化としての芸術作品それ自
体だけでなく,一生活者として文学そのものといかにかかわるかという問題の考察にま
で導く。エリオットが生の実践的概念に加担しなければならないことを自覚した時,
すなわち『うつろな人間たち』の極端な仔情的自我の倭小化をはなれ『灰の水曜日』
の悔い改めと未来の信仰とに進んだ時,彼を捉えたのはこの問題であった。
エリオットはかつて『批評の機能』TんθF槻c伽ηoプC7漉cご8糀 (1923)において,
「批評活動は,芸術家の作用をうけて創作と一体化することで,真に高度に完成した
ものとなる」㈱と主張した。たしかに,一自我の病理を時代の病理と一体化させる
『プルーフロック』の自己アイロニーは,批評精神と詩的感性とが緊密に融合した表
現技法であった。しかし,エリオットはこの主張の3年後に一書評のなかでつぎのよ
、 → 、
ツに言つ。
彼(現代の芸術家)は,もし知性をそなえた人間であるなら,自分が自分の芸術
を自分で満足がいくまでに実現しえないことを知るだろう。そして彼は,彼の仕事
を妨げる状況の諸要素一一政治,社会,哲学,歴史など の考察へと駆られるか
もしれない。このような厄介な探究にとりかかる時,彼は自分の芸術をおろそかに
● ■ ● ● ● ● ● ● ● ● ■
するといって非難される。しかし,おそらく次代の思想におよぼすもっとも力強い
e響はこの駆逐された芸術家たちのそれであろう。㈱
● ●
エリオットの書評の対象は,現代世界の全問題を支配するものが政治に他ならない
ことを知って,文学活動から政治評論の領域へと進んだウィンダム・ルイスWyndham
Lewisの評論『被支配の芸術』 丁加過7渉げ.Be∫ηg翫♂ed(1926)であるが,
この一節はまた,『うつろな人間たち』から『灰o水曜日』へと向う時期のエリオット
自身の関心の方向を反照する卓抜な自己証言でもあった。決して多作とは言えないエリ
オットがとりわけ寡作であったこの時期は,同時に,エリオットを主筆とする「クラ
イテリオン」が文芸批評誌から宗教や政治への関心を深める文明評論誌へとその性格
を拡大・変化させていく時期でもある。「審美的批評と倫理的・社会的批評との間に
一線を画することはできないし,批評と形而上学との間に一線を画することもできな
い。文芸批評をもって出発することはできるが,諸君は,どれほど厳格で美的であろ
うとも,遅かれ早かれその境界をこえて他のものに移行することになる」㈱とエリオ
ットは先の書評から2年経過した1928年に書く。芸術的主題の探究が否応なしにその
他の主題の考察へと自らを導くことを認めたエリオットは,現代作家は文学をはみだ
76 茨城大学教養部紀要(第6号)
す方向に向うことによってしか文学的存在になりえない,と結論するにいたったので
ある。
エリオットのこの文学からの逸脱の傾向は,マラルメの衣鉢を継ぎ今世紀において
もなおサンボリスムの中核精神を堅持したヴァレリーが,己れの根本的選択と時代の
良心との矛盾に直面して,文学そのものを軽視しなければならなかった事情を考える
時,今世紀の文学者が経験しなければならなかった時代の宿命であったとも言えよう。
ヴァレリーの文学蔑視の態度には,芸術が芸術を否定することによって芸術は依然と
して芸術でありうる,という逆説が込められていた。彼はこの逆説を生きることによ
って,今世紀初頭の典型的な精神となった。
『うつろな人間たち』以後にエリオットがたどる文学からの逸脱化の道もまた,究
極においては文学の擁護を意図した逆説的な性質のものであったが,しかしこの逆説
は,エリオットがすでに第一詩集『プルーフロックとその他の観察』P駕加cんα記
0置舵7068e7”α伽η8(1917) において生きたものであった。ロマン主義的好情詩の
パロディに他ならないこの詩集の諸詩篇は,前世紀が詩に求めた「超越的な意味」を
欠き,厳粛で悲愴な表情を捨て去っていた。ことに『プルーフロック』は,芸術の自己嘲笑
が芸術の守護に通じるという逆説を具現することで一世代の感受性の変革を成しとげた
画期的な作品であった。もっともこのときエリオットに,ヴァレリーのようにこの逆説のな
かに己れの政治的良心を鱈晦しようとする周到な目論見があったかどうか,それは詳らか
ではない。ただスペンダーがこの作品のアルス・ポエティカと言ってもよい『伝統と
個人の才能』T7αd謳伽αηd孟んθ1顧”δ磁αJTθ1θ雇(1917)の主張の本質を衝いたr破
壊的要素』TんθDθ8漉c如θE♂蹴e雇 (1953)のつぎの畑眼な評言が示唆するよう
に,エリオットの想像力はそのとき,己れの意識に継起する心象をいわば「意識の流
れ」的手法で定着することをめざしたきわめて内省的な性質のものであったとは言え
るだろう。
このエッセイのもつひとつの重要な局面は,詩において自然,あるいは客観的世界
が演じる役割を論じることを一切省略してしまっていることである。美学的創造に
ついてのエリオットの観点は,まったく頭脳的でしかないように思われる。現実の
外部世界は,同化された経験か,さもなければもろもろの印象として眺められてい
● ●
る。この印象も,それが精神に印象づけるようなものにとってしか重要と思われな
いような類のものであり,印象づけを行っている現実にたいしては何ら顧慮してい
ないような類のものなのである……………・…・・………
じつは,エリオットは客観世界,つまり自然の世界と独自の内的世界との永続的
な緊張によつて創作力が刺激を受けるような類の芸術家をまったく無視していたの
⑫⑨である。
したがって,第一詩集の諸詩篇と『うつろな人間たち』以後の作品を隔てるものの
ひとつは,作品の背後にある「駆逐された芸術家」(‘dispossessed artist’)として
のエリオットの自覚の有無であったと言えよう。1920年代後半のエリオットの関心は,
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 77
文学をはみだす方向に向うことによって,つまり歴史にたいして己れをひらくことで・
『プルーフロック』から『荒地』にいたる一連の逆説的な颯刺詩がついに実現しえな
かった現実とのポジティヴな拮抗関係を己れの文学に回復することにあった。たとえ
零
ホ,エリオットのこの精神の運動の展開過程における最初の文学的成果とも言える
『灰の水曜日』には,『ゲロンチョン』に見られたあの歴史にたいする猜疑 「考え
てもみよ/歴史には,いろいろ手のこんだ路があり,もくろまれた廊下や出口があり,
また/耳うちされる野心であざむき,虚栄で/われらを誘いこむ。」(“Think now/
History has many cunning Passages, contrived corridors /Ahd issues, deceives
with whispering ambitions,/Guides us by vanities.”」ム32−35.)一はもはや存在し
なかった。旧約聖書エゼキエルの書第48章29節を直接の典拠としたこの作品の第2章
結尾のつぎの詩節は,過去の罪の改心と未来の信仰とが祝福の泉となって,荒地にも
死のあるところにもかならず新しい生命をもたらしてくれる,という喜びにみちた希
望を伝えている。
Under a juniper遭ree the bones sang, scattered and shining
We are glad to be scattered, we did little good to each other,
Under a tree in the cool of the day, with the blessing of sand,
Forgetting themselves and each other, united
In the quiet of tbe desert. This is the land which ye
Shall divide by’ 撃盾煤D And neither division nor unity
Matters. This is tLe land. We have our inheritance.
(II. Zム 48−54.)
エニシダの木蔭で,散らばって輝きながら,骨が歌った
●
レくらは散らばってうれしい,ぼくらは,たがいに,ほとんどよいことをしなかっ
た。
砂の祝福をうけながら,日の涼しい木蔭で,
自分を,おたがいを忘れ,荒野の
静けさのなかで結ばれて。これはあなたがたが
くじを引いて分ける土地だ。しかし分けるとか,いっしょにするとかは
o ■
問題でない。これがその土地だ。われらは受けついだのだ。
そしてこの希望は,やがてエリオットの信仰の確立とともに,『四つの四重奏』のな ’
かではっきりとした確信に転じる。『荒地』のペルソナの「せめて自分の土地だけでも
規律をつけてみましょうか」という言葉になお窺われたあの危惧とためらいはもはや
ここにはない。
1
vhatever we inherit from the fortunate
We have taken from the defeated
78 茨城大学教養部紀要(第6号)
What they had to leave us−a symbol:
Asymbol perfected in death.
And all shall be well and
All manners of thing shall be wel1
By the purification of the motive
In the ground of our beseeching.
(Lピ髭♂θ G‘(彦(オ」η8㌔ III, Zム 43−50)
わたしたちは幸せな者たちから何を受け継こうとも
敗北者たちからもわたしたちは,かれらが残されなければならなかったものを受け
継いだ,象徴を
死によって完成される象徴を。
かくてすべてはうまく行く
わたしたちの切願の地における
動機の浄化する力によって。
、
u駆逐された芸術家」としてのエリオットの精神の運動を方向づけるものは,もち
うん一知識人としての彼の政治的良心に他ならないだろう。しかしここで,詩劇『寺
院の殺人』M灘de面η伽Cα置舵d7αZ(1935)のなかにその文学的証言が見出される
ように,エリオットにとって政治的諸問題は究極において宗教上の問題に収剣される
べきものであったことを想起すれば,エリオットを文学からはみだす方向に向わせた
のは,生の実践的概念に加担しなければならないとする信仰者エリオットのさらに根
源的な倫理的要請であったことが理解されるだろう。たしかにエリオットのその後の
評論活動,ことに『キリスト教社会の理念』丁舵1鹿αoプαCんγ競‘伽Soc‘θ惚 (19
39)と『文化の定義に関する覚書』No孟θ8言oωα7d8孟ん2 D4‘η肋πof仇伽7θ(1948)
は,時代の思想を拓こうとするモラリスティックな精神的指導者としてのエリオット
の姿勢をはっきりと打ち出している。このようにエリオットにあっては,宗教的志向が
倫理の考察への道を開くものであったことは,前者においてエリオットが「起源に再び
立ち昇る目的は,わたしたちが一層大きな精神的認識をもって,わたしたち自身の状
況に立ち戻ることが可能になるということである」と述べていることからも容易に窺
われよう。
「歴史的現在」のなかに生きることを拒否し,永遠の現在からなる「起源の時」を
憧れる信仰者の単独者的情熱を制禦し,倫理といういわば共同体的概念に加担するこ
とをエリオットに強いるのは,彼の精神に本来的に内在するモラリズムに他ならない。
しかし,このモラリズムにたいするエリオット自身の自覚を見るのに,わたしたちは
『キリスト教社会の理念』を待つ必要はない。それは,『灰の水曜日』刊行の翌年に発
表された『パスカルのパンセ』Tんθ‘Pθπ8加8’(ゾPα8cα♂(1931)と題されたエッセ
イのつぎの言葉のなかにすでに明らかであった。
●
宗教詩人としてのエリオットをめぐって 79
…… @しかしまた,より高い形式の宗教的霊感でさえ,それだけでは宗教生活の
すべてを満たすには足りないし,どんなに熱狂した神秘家でも,俗世界に立ち戻り,
その神秘的体験の成果を日常生活において用いるために,理性を使わなければなら
ない、この体験を神との合一と呼んでもよいし,精神の一時的結晶と呼んでもよい。
科学がそのような現象を思いのままに再生する方法をわたしたちに教えてくれるよ
うになるまで,科学はその現象を解明したとはいえない。したがってこの現象はそ
の成果によってのみ判断する以外にない。㊨①
エリオットの宗教的作品がなぜホプキンズの『まぐそ鷹』の宗教的悦惚を知らず,
『神の壮麗』や『斑の美』の神にたいする熱烈な讃辞の言葉を持たなかったのか,そ
の理由がまたここでひとつ明らかになる。「宗教的霊感」への素朴な信仰にたいする不
信は,ひとつには彼の生得的な懐疑的知性の直接の作用であったかもしれない。彼は
たしかに『フランシス・ハーバート・ブラッドリー』F7αηcおHe76θ7孟B7αdJ曙(19
27)のなかで,「叡智は主に懐疑と非冷笑的な幻滅とからなっている………そしで1裏疑
と幻滅は宗教的理解にとっての有用な装具である」㈱と述べている。しかしこれらの
言葉が,このエッセイのなかで,新奇さと粗雑さ,焦燥と無責任などを特徴とする諸
々の近代思想の動向にたいする警鐘というコンテキストにおいて語られていることを
考えるならば,宗教的霊感にたいする彼の不信にもうひとつの要素,すなわち彼のモ
プリズムの作用を見ることもさほど困難ではないだろう。エリオットが『灰の水曜日』
において,彼個人の救済の可能性をたえず時代の精神状況の展望のなかから眺めるの
は,彼の精神の実質を規定するこのモラリズムのために他ならない。
Where shall the word be found, where will tbe word
Resound? Not here, there is not enough silence
劃 Not on the sea or on the islands, not
噸 On the mainland, in the desert or the rain land,
For those who walk in darkness
Both in the day time and in the nig血t time
The right time and the right place are not here
No place of grace for those who avoid the face
No time to reloice for those who walk among noise and deny the voice
(II,♂ム11−19.)
どこでその言葉はみつけられるのだろうか,どこでその言葉は
鳴りひびくのだろうか。ここではない,静けさがたりない
海のうえでも,島のうえでもない
本土でも,荒野でも,雨のふる土地でもない,
ひるも夜も
暗やみを歩くものにとって
80 茨城大学教養i部紀要(第6号)
ここは正しい時でも,正しい場所でもない,
御姿をさけるものにとって恩寵の場所でもない
さわがしさのなかを歩いて,御声をこばむものにとって喜びの時でもない
『灰の水曜日』は,歴史の展望に目を開きつつ,なおその展望あかなたに神の国を
望見するゴ信仰者の手になる作品であった。わたしたちは,詩人個人の救済の希望は,
おそらく時代精神の救済が成就されないかぎり実現されることはないだろうというこ
とを了解する。歴史そのものとの接点で運動を展開する宗教的精神は,歴史の重心か
ら身をひきはなち,宗教的霊感の一瞬へと飛翔し去ることをつねに自分で牽制するも
のであるからだ。
一信仰者としてすでに神を仰ぎ見たエリオットにとって,詩作の究極の目標は,い
うまでもなく神の言葉を詩の言葉に肉化することにほかならないだろう。しかし,宗
教的同意にもとつく共通の言語をもたない今日的世界において,私的な宗教的エクス
タシーへの短絡に陥ることなく,この神の言葉の肉化を実現することは,困難で苦痛
にみちた作業となるにちがいない。エリオットはそれゆえに,『灰の水曜日』において,
この神の言葉を己れの詩の言葉の射程内にとらえるために,まず歴史と実存とが交差す
る緊張の一点 「青い岩のあいだを/三つの夢がいきかう寂蓼の場」(“The place
of solitude where tbree dreams cross/Between blue rocks” !1sんWe伽θ8(2αッ.
VL,∫,21) を,言葉の視座そのものから照射しようとしたのである。
『灰の水曜日』においてエリオットがとった宗教詩人としての基本的態度は,『詩の
効用と批評の効用』Tんθσ8θげPoθ殉α蜴抗θσ8θげσ7漉c‘8賜(1933)のつぎの
一節がもっとも端的に語ってくれるだろう。わたしたちは,これらの言葉の根祇に,
『プルーフロック』の詩人がやはり《観察》を言葉とイメジの造形の原点としながら
も,観察する主体そのものの自我の分裂のゆえに見出すことができなかった信仰の希
望が存在することを想起するならば,『灰の水曜日』の詩人が呈示する《現在》は,な
お《見る》ことをもっとも主要な機能とする想像力によって捉えられたものでありな
がら,これまでのエリオットの作品が知ることのなかった《未来》と《過去》への明
確な展望を所有するものであることを理解するはずである。
詩人にとって本質的な特権とは,とりあつかうべき美しい世界をもつことではな
い。それは,美醜の根祇を洞察する力である。倦怠を,恐怖を,栄光を見ぬくこと
である。㈱
劇
、 宗教詩人としてのエリオットをめぐって 81
注
(1) T.S.Eliot;Tんε∫(feαoプαCん7ごs診∫αηSoc‘θ勿, (London:Faber& Faber,1939), p.62.
(2) T.S.Eliot;、4βε7 S抄αηge God8:4P7‘mθ70f Mo(fθゲπHεゲε8シ, (London:Faber&
Faber,1933),p.53.
(3) T.S.Eliot;SeZec孟θ(f E88α〃8, (London:Faber& Faber,1932),p.421.
(4) T.SIEliot;Se’θc彦θd Essα〃8, p.427.’
(5) C7記θγδoη 9 (1930).P.357.
(6) ‘‘Observations,” Ego‘8孟 5 (1918),P・69・
(7) T.S.Eliot;Tんε Wαs孟θ五αη(f:五丁んεB冠再α‘o〆診んe、Dεα(!,♂.30.
●
i8) Marion Montgomery;’.8.e’‘o孟:αηε88α㌢oη孟んεα珊e婬cαη糀αg駕8, (Athens:University
of Georgia Press,1969),p.70.
(9) Stephen. Spender;TんθSε駕gg‘θo斧読e Modeγπ, (London:Methuen;University Paper・
backs, 1965),p.213.
(1① Guillaume Apollinaire;L’E8p鏡πo卿εα礁θ孟♂e8 Po就θ8, Mercure de France, Decemb一
re 1918.
(11) T.S,Eliot;SeJεc孟ed E88α〃s, p.449.
(1⇒ T.S.Eliot;SθJec診ε(∫E88αシ8, p.388.
(13) T.S.Eliot;!1μeア5置7απgθ God8, p.48.
(1の「
v.H.Gardner;Geγα7d M伽鞠Hop庖η8 (1844−1889),ハS加吻of Poε言‘c 14‘08騨c7α8シ
砒RθZα琵oπ孟oPoθ孟∫c T7α曲εoπ, voLii.(London:Martin Secker&Warbury,1948),p.182.
(1励 丁んθLe鴛θ780〆Ge7α7(∫Mαπ‘θ穿Hop腕η8置δ、Ro6θ7孟Bヅ認ges, ed. by C.C. Abbott, (Lo・
’ndon:Oxford University Press,1935),p.225.
⑯ F.RLeavis;/>εωBeα7肋g8ぬEηg‘ゴ8んPoε靱,(London:Chatto and Windus,1961),
P.193.
r (1の Herbert Read;Essα㌢8ゴπC幅厄cゴ8η, (London:Faber&Faber 1969),p.200.
(1⑳ T.S.Eliot,、4βεγS〃αηge Go(f8, p.48.
(19> F.R.Leavis;.1Vθ宅〃Beα万η98碗Eηg薦8んPoθ孟η, P・159・
⑳ Thomas McGreevy;7マんo呪α8 Sオθαγη8 E百o言,(New York:Haskel House Pablishers,),p.62.
⑳ E。E.Duncan Jones:“Ash−Wednesday,”T. S.EJゴoε:4 8施吻of Hど8 W疵‘η886〃8θηθ.
7α‘んαη(f8, ed. by B.Ralan (New York:Russe11& Russe11,1966),p.40.
㈱ Tんe五睨θγ8・ブGe7α冠Mαη鞠H・蜘π8オ・R・ゐeπB磁gθ8, P・221・
⑫の T.S.Eliot;Se♂ec㌍(1 E88α〃8, p.18.
②◎ T.S.Eliot;τんθσ8e oプPoe孟惣απ(1置んe σ8θoブC7甜‘cゴ8?η, (London:Faber&Faber,
1946),p.155.
⑫萄 T.S.Eliot;Sε」θc置cd、E8sα〃s, p.391.
(2⑤ T.s.Eliot;sθ♂θc孟θd.Essα穿8, p.31.
⑫7) C7甜ε7ごoη 6 (1927),P.386。
⑫⑳ T.S.Eliot; “A Dialogue on Dramatic Poetry”, 8e♂θc診ed E88α〃8, p。55.
⑫の Stephen Spender;Tんe D¢8彦物c麗ηθ EJθ物ε瞬, (Philade董phia:Albert Saifer,1953),p.160.
82 茨城大学教養部紀要(第6号)
㊨Φ T。S.Ehot;Se’θcZe(J E88α〃s, p.405.
(31) T.S.Eliot;Sε’θc渉ed E88α〃8, pp.449−450.
㈱ エリオットは『灰の水曜日』と同年に発表された『詩とプロパガンダ』Poθ鞠α屈P70po一
gα屈α (1930)のなかで詩をつぎのような言葉で定義している。
P・θ鞠”°’”i・n・tthe asse・ti・n th・t・・m・thi・g i・t・・e, b吐th・m・ki。g th。t truth
m・・ef・11y・eal t…;it i・the creati・n・f a sens・・us emb・dim・・t. It i・th・m。ki。g
the Word flesh, if we remember that for poetry there are various qualities of Word
milar t・th・i口se f・r phi1…phy……exercise in assumpti・n・・ent・。t。i。i。g id。a。.
’…’
o・et・y p・・Ves s・・cessively,・・f・i1・t・P・・ve, th・t cert・i・w・・1d・。f th。。ght and
fee丑i・g areρ・8・ガ6’・・lt p・・vid・・沁t・11ect・al san・ti・n f・・feeli・g, and aesth。tic san.
ction for thought. (Bookman, New York, Feb.1930, p.601.)
㈹T.S.Eliot;Tんeσ8e oプPoeオ留αηd読eσ8εoズC7記‘cゴε況, p.106.
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