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アイ スレラン ド民謡範ng一airの特質

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アイ スレラン ド民謡範ng一airの特質
竹下英二:アイルランド民謡son翫airの特質
41
アイルランド民謡song−airの特質
一「春の日花と輝く」をめぐって一
竹
下
英
.つぶてと落ちるよ。
1.はじめに
アイルランドの民謡として有名な曲としてτ
ひばりのうちみんなそろって
ごはんがすんだら,
’黄色や青いしとねに
BeEeveme,ifa皿thogeendead且gyαmg
よく眠れ,ひばり。(4)
d㎞」がある。(譜例①) 日本人に最も馴染み一
の深いのは堀内敬三が自ら訳詞を行い日本に紹》
介したヴァージョンr春の日花と輝く」であ
る・(譜例②)彼の訳詞はムアの歌詞にかなり近い・
この歌曲の解説としてrアイルランド人は,紀
ひ い や ゆ 元前に舶欧からやって来たケルト人の血を受けて
いる。その普,ケルト人の音楽家はバードと呼ば
雰囲気が出ている。我が国の教科書や愛唱歌集
じ じ の に取り入れられているのはこの版が多い。因みに
この版の楽譜を載せたある曲目解説にはrアイルー
ランドの古民謡にアイルランド十九世紀の詩人ト
リ
マス・モーアが作詩したもの。これも代表的な民
謡として世界に知られている。」(1)(以下引用文
の点註は論者が記入)と書かれでいる。またある
高校生用教科書には「美しいアイルランドの民謡
で,世界的に愛唱されている歌曲である。こめ旋
律の美しさは。あまりにも有名で,アメリカのハ
一バード大学の校歌はこの曲である………」(のと
註記されている。
れ,国家の保護を受けて,いろいろの特有な歌曲
を作曲していた。アイルランドの民謡は,これが
しだいに発達したものである。この国陰イングラ
パ コ ンドの支配を受けていたので。いろいろの独立運
動などが起り,イングランドとの争いが続いた。
ロ
それでアイルランド民謡の中には,愛国的歌曲が
多いのである。」(5)という文章が載っている。
以上の引用から日本人の一般的,平均的なアイ
ルランドの民謡観やアイルランドの民俗音楽の日
本的な借用りしか#を飼い知ることができる。
本論ではr春の日花と輝く」を論じることによ
堀内敬三の場合とは全く対照的に生徒用に教育
り,音の中でアイルランドの「人々が生き続けて
的配慮を行って歌詞の内容を全面的に変えてしま
った例がある。それは勝承夫の歌詞による「春の
いる姿」を明らかにし,日本人のアイルランドの
『民俗音楽についての痙解状況に反省を加え,その
日」である。(3)この歌詞は春の季節感を表わした
春 の 日
ことにより世界のいろいろな地方のいろいろな人
々の音楽,所謂, r人々の歌 songs of the
peq?1e」⑤に親しみ,共感するために我菱が考え
勝 、承夫
なければならない点につい七若テの問題を提示し
1.麦の穂が光ると,ひばりが歌うよ.
てみたい。 . こ一・
もので,次の通りである。
青波かすめ飛び立ち,
ゆるゆるのぼるよ。
(尚,このテーマを論じていくにあたって必要な資
料の一つである0’Fa∬eUのrP㏄ket Companion
天にまでもとどくか,あれ,
for t地励血{虻U冠on Pipe8』▼o上1(旭01)が入
もうかげも見えない。
のどかな長い春日を,
手できず検討することができなかった。後日,その機
鳴きくらせ,ひばり。
会に恵まれたときに補足したいと思う。また,ムアの
rIrish Me1α践e8』全体の音楽的性格をより深く論じ
2.菜の花がゆれると,
てみた拙稿が日本アイルランド協会,学術研究部発行
ひばりが歌うよ。
のrエール(アイルランド研究)』第6号に掲載され
銀の月が出るころ,
ているので,併せて一読されたい。)
42
福島大学教育学部論集31号の2
1979−11
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B㎜VE ME,『ALL THOSE KNDEARING.YOUNG CHARMS.
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43
竹下英二:アイルランド民謡song−airの特質
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44
福島大学教育学部論集31号の2
1979−11
春の日の花と輝く
アイるランド ま
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緬幽ntin。1♪司2。1 一 _=__.,曲
島はるの“のはをと
2.わかき”のほひわ
54
ヴ
かぶやく
きよもに
うる
わず
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==,一_、、ず
うし
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かにあせて
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ろう
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なり
わわ
し重
あひ
一
かん身を徹したい
ゥん身をぱしたい
:
一
====自一一ρ
竹下英二:アイルランド民謡song−airの特質
45
2.ムアと彼の『アイリッシュ・メロディーズ』
ている。
この曲はアングロ・アイリッシュ(7)の詩人トー
曲にはすべてピアノ伴奏がつけられているが,
マス・ムア Thomas Mb㎝e(1779∼1852)の
それを担当したのはスティーブンスンSヒJdm
『アイリッシュ・メロディーズル∫訪1漉Joみお』
Steveロgonである。彼はヴァイオリストの息子
(8)(人によってはrアイルランド曲調』とかrア
として1762年にダブリンで生まれ,若い頃からニ
イルランド民謡集』と訳すが意を的確に言いあて
ていないので,そのままカタカナで書くことにす
ヵ所のダブリンにある大聖堂のオルガニストを勤
めた。作曲家としてのスティーブンスンは世間受
る。)の中に出ている。
けのするオペラを10曲程書いて有名であった。
rメロディーズ』(以下,省略する。)のピアノ
トーマス・ムアはダブリンの中心を流れるリフ
ィー川の南方の一角で生まれた。父はそこで酒屋
伴奏の作曲を担当することにより,この愛唱歌集
を経営していた。母はアイリッシュであったよう
である。ムアがトリニティ大学に入学する頃に反
が多くの人たちに親しまれることになったわけ
で,この点での彼の功績はアイルランドの人々に
カトリック法が緩和されてカトリック教の家庭の
彼にもその門戸が開かれた。そこで彼は当時カト
リック解放を叫び,イングランドからの独立運動
高く評価されている。
を指導し,その先頭に立っていたエメットRbbert
しかし,彼の補作編曲に対しでの批評はなかな
か手厳しいものもある。rデリケートさも洗練さ
もほとんど感じられない審美眼と,天分にも恵ま
E㎜et(1779∼1803)と親交を温め,そのこと
れているとは言えない」(9)編曲であり,しかも
がその後の彼の人生を支え,数々の政治的,歴史
「完成度の高い作品など理解できるはずのない少
的な散文のみならず,美しい詩を沢山産み出す原
動力となっていた。20才でロンドンに出た彼は,
女たちのピアノ・テクニックに相応しい審美限
そこでアイルランド出身の愛国的な貴族をスポン
常套的な様式を使ったものが多かった。』(10)彼
サーとして得て詩作,文学活動に入る。rアイリ
ッシュ・メロディーズ』はこのようにエメットや
貴族のパトロンの強い影響を受けて,詩人として
有名になりかけて出版業者の注目を集め,要請を
のアレンジについての悪評を軽減しようとする意
見もないわけではなかったが,概して大衆受けの
する低俗な音楽にしてしまった,という評価が多
く,単純な形でエアーを素朴に歌い続けるアイル
受けて生まれてくる。その後,長い新教徒的生活
ランドの人々の古いものをそのままに大切に守っ
からの解放を求めて心は遙か東洋風物に思いが向
ていこうとする習慣と馴染まない面があったよう
き,物語詩『ララ・ルークL躍如Rω肋』を発表
である。(11)
で,その当時評判の良かった二流の作曲家たちの
し評判になった。更にその後,フランスやイタリア
にも渡ったが,イギリスに戻り73才で病死した。
rアイリッシュ・メロディーズ』は1807年から
1834年までの問に10回にわたって発行された。内
容は,ムアが破目らアイルランドのエアーと信じ
ていた旋律を選んで,それに詩を創作してつけて
世に問うて評判をとったものである。この歌曲集
の各部はその後一冊にまとめられて出版された
が,曲数は全部で126曲からなりたっている。そ
の内訳は各部がそれぞれ12曲から成り立っている
が,第3部の5曲目(以下,部名はローマ数字,
ムアは自らのフィールド・ワークによってエア
ーを収集したわけではなく,手書きのコレクショ
ンや印刷された楽譜集や地方の情報提供者から送
られた曲を用いて詩作活動を行った。彼は声が良
くて,歌うことが好きで,歌手としても活躍する
ところがあったが,(12)詩人として,あるいは散
文作家,伝記作家として中心的に活躍した。従っ
て,音楽の選択にあたっての彼の態度は恣意的・
情意的であり,アイルランドのエアーや器楽旋律
tuneに対する深い造詣があったわけではない。
例えば,Wの3の「W㏄p㎝,weep㎝.」はこ
何曲目かはアラビア数字で示す。皿の5)の歌詞
の詩につけたエアー「The s㎝g of sormw」の
「皿Om㎝s」に2っのエアーが,またWの7の
題名が自分の詩にあっていると判断して選んだと
考えられる。この他にもWの10も同じやり方であ
歌詞「oh!where’8比e sJave go lowly」にも
2つのエアーがつけられていて,残りの4曲はX
の後に補遺(以下,Sと略す。)として加えられ
る。あるいは,彼が用いる以前にエアーにつけら
れた別の人が創作した詩のはじめの行に影響され
46
福島大学教育学部論集31号の2
1979−11
て採用したものもある。IVの6 「By that hke,
の『Po罐4Co撹ゆ¢”jo”ノb■’毒8L血止orひ陰面鶉
whose gloomy曲re」はShield のオペラの中
Pゆ8ε』4巻と(16)トムスンGeorge T㎞の
で歌われるうたの出だしの言葉rBy this墨㎝nt一
『A S4㏄∫0,μ㏄∫‘㎝夢0ガ塵溜 Sσo’勧
面’8flow’ry side」から導き出されたものと考
・4jr』4巻(1797年)とが重要である。また,当
えられる。同様なことがKの10にもうかがえる。
時有名な作曲家であったシールドWimam随一
eldのオペラ『鞠P膨So躍動r』 (1782年),
ム.アが採用したエアーの出所のうち,その依存
の度合いが最も強かったのはバンディングEdw−
rRos∫朋』(1783年), rR砺融π伽1』(1784
年)からも合計5曲採用している。
ad B皿ting(1773∼1843)であり(13)38曲に及
びおよそ全体の3分の1にわたっている。バンデ
ィングが1796年に出版したrGε酩副Cd耽∫」偽
3. 「Believe me,if aII those endearing
類すると別表の通りとなる。
young charms」について
まずはじめにこの歌曲のエアーの出所について
考えてみることにする。この曲は『メロディー
ズ』のHの12である。この詩をつけたエアーは
「My bdg垣g is㎝the oold grolmd」と記
載されている。このエアーは,オファーレルの
バンディングのコレクションの次にムアが愛
『翫舵∫c御伽伽3伽’加轍αo擁加
《ゾ伽加’㎝’腕舘Miヒ』から21曲,更に
1809年に出版したr」4G㎝θ,認C切耽’」仰げ
f舵」4撹」働’1協討‘q〆1’吻”4』(14)から17曲,
それぞれ採用している。各部別に彼の採用数を分
好した曲集はホールデンSmOllet Hok㎞の
『()bJ㎞だ伽qプ玩読s1ασ4”4Q垣‘ゐ丁協85』
P膨s』の第1巻(1801年)の74ページとトムス
ンの『五S9耽’CoJ耽’伽3の「0が塵”4J Sβα勧
(15)2巻(1806年)であり全部で29曲採用されて
・4’プ3』第4巻(1797年)の79ページに出ている。
いる。内訳は別表の通りである。ホールデンはダ
前者はこのエアーがアイルランドのものであるこ
ブリンの音楽隊の秀れた指導者だった。
とを前提にして,後者はスコットランドのもので
あることを前提にして,それぞれ組み入れられて
バンディング
ホール
部属行年
・796國・8・9輔計
[ア ン
更にオニールFranc澹㎝d皿(17)の見解(18)に
I l・8・7
8い18
4い14
1
触れてみよう。St訓bfd版の『メロディーズ』
『メロデイーズ』
皿1・8・7
皿1・8・・
川18・・
v l・8・3
w I・8・5
川・8・8
州・82・
区1・824
x I・834
5..1.・ε3.4
合計採用数
21・12
・1314
・1・12
・い1・
・1213
3161g
・い12
・1213
・i一・1・
いる。
4
6
2
にはこの曲は英国起源だという理由で除外されて
いる。更に1895年のモファットAlfred M曲tの
rT加ルf∫粥∫惚妨げ加血裾』からも除外され
ている。それに対して1787年にトムスンSA.&
P・Thompsonがロンドンで出版したrT加
2
H肋筋必”」%膨』にはこの歌は「アイルランド
3
の狂い歌The h踏h M2d Song」と記されて入
1
0
れられている。オニールはこのコレクション以前
にこのエアーは見当らないと言っている。何処の
国のものか指示しないで含められているものとし
3
ては1782年に出版されたエアードAirdの『S8ム
θσ’∫㎝qプSoo鋤,E”81勧,痂ε毒婦F伽ゆ
5
.4」欝』第1巻がある。1665年,1666年,そして
2
1669年の3回に分けて出版されたイングランドの
コレクションの中にrMy lodging,it is㎝lthe
2・1・7138 129
oold grou蝕d, and, oh ! very hard 恥 my
fare」という書きだしの歌が載っていると1893年
ムアにと?て恩義のあるコレクシ.ヨンはその他
にロンドンで出版されたrO耐飾g漉毒P卿娩
にも深山あ為が,中でもオファーレルαFa”e皿
M磯叫の中でチャペルWilliam’C國が指
竹下英二:アイルランド民謡song−airの特質
摘していると,オニールは述べている。この詩は
ロックMathew↓α=kが作ったものであるが,
これにつけられたエアーは17世紀末には人々から
47
忘れ去られ,その後現在のメロディーが新たに歌
れているという点では・ケルト語による「オシア
ン神話」についても同様である。「オシアン神
話」の主だったものに対するアイルランドとスコ
ットランドとの論争は19世紀から今日まで続いて
われるようになった。このロックのものは1737年
いるといってよい。互いに自国のものであること
にロンドンで印刷されたあるバラード・オペラに
入っている。その写しがチャペルの前掲書の140
を証明するために論証が樽築され,学問上の論争
というより1閉鎖的な民俗主義の対決となづてい
ページに出ている。彼は「この詩と音楽は1775年に
る。民俗文化の借用や相互交流が親戚同志の間で
出版された『声楽音楽・y加α」1%繍』あるいは
長い時間経過の中で複雑な入り組みを繰り返しな
r歌手仲間たち丁加S砺g3惚ノ3Cω”鋤」伽』の
がら継続しているということである。一(飢)
8巻中に出ていて,その頃から古くさい歌として印
刷の中に埋められてしまった。」と言っていると,
オニールは指摘している。更に,オニールはアイル
さて,この曲の・曲名「Beneve mらifa皿
those㎝dea面ngy㎝ngc1壌ms」でもわかるよ
ランドのものだという理由として,外国人である
うに『メロディーズ』の曲名のほとんどは詩の初
スミスRゼA.Smilhが『Tゐ81掃訪ハ必”5,惚」』
XにフォードWilliam
めの1行目が代用されていて,特定の曲名をつけ
たものは少い。このことは原曲めエア山につい七
Fo団が『Tゐ8 E悔の腰綱劫 げハ血1吻』 (ロ
もいえる。ブラナッハB紬B搬触hに
ンドンで出版)がそれぞれアイルランド起源のエ
アーとし七入れている,ことを例示している。更
にプィルラシドの多くの他のエアーと同様にこの
よると,曲の最後の小節のリズムから連想してう
げられた曲名があったヴ,3度も曲名がつけ代え
られたものがあったり,「パースシアの狩PcrL
エアーも18世紀のはじめに英国へ流れていって,
蝋re Hロnt」は少ぐても60の曲名をもってい
それまで歌っていたロックのものより美しいので
取って代った,とオニールはしめくくっている。
私は現在のところそれぞれが自国の民族的立場
る。(盤)これはアイルランドの民俗音楽がたえず
(エジンバラで出版),一
かち身元を明らかにしょうとしているので,だれ
か一人だけの見解を正当化することはできない。
変化,変形しつづけながらその時々の人々の生活
と密接に結びついてきたこと∋そしてどとの地域
でも自分たちだけのかけがいのない音楽を共有し
あってきたごと,を示している。・従って,との点か
それよりもむしろ,アイルランド,ウエ’一ルズ,
らも議論中のエアー rMy bdgi㎎isαユthe
イングランドの問にmul出atera1に関係し合っ
でいるr人々の音楽」の相互の借用と帰化の問題
oo】d g㎜d』の出所がどこの国な.のか莉然とし
について,その事実を少しぐ述べてみる。イング
ランドやスコットランドのエアーを借用してそれ
この国か一国にちがいないが,このことよりもエ
を帰化させてすっかり自分たちのもの,母国のも
れの国に帰化し,人々がそれを愛し歌い自由のも
のと・して歌っている歌がアイルランドには少くな
ののように振舞うようになり,やがては借用音楽
い。これらは,「17世紀のイングランド人やスコ
ジトランド人や18・19世紀にイングランドに行っ
であることを忘れてしまう。
たり来たりしたナイルランド人によって移入され
今日の多くのアイルランドの民族音楽は二つの
た。移入されたバラードの楽譜に由来する多くの
大きな流れとしての出所を源としている。即ち,
ものは,『英国で印刷されダブリンや他の東海岸の
その一つはパシティングの『Gε溜耐C励㏄塚伽
町だに流布した。」(19)その代表的な例は「Lord
{ザ坊8」4面割玩読撫敵』 『」4・♂棚嘱
OoJ勉fjo露げ焼8」4㎝伽’M蠣鯵げ1㎞4』
B曲er」である。(⑳)これは,かって海という海
を我もの顔に伸し歩いたデーン人たちの姿ボ彷佛
としてくる歌詞がついているが,歌詞の中に出柔
ないのは当然とも言える。むしろ,その起源はど
アーがm曲tera1に交流しあう中で,それぞ
もう一つは『オニールの『力㎏Dσ”08、Mi鯵‘ゾ
1痂凶(1001曲収められている6)(幻)であ
く’る地名からスコットランド起源であることは殆
る。ところがこの曲はバンディ・ングが収集した1土
んどまちがいない。一
アーに見われる零う・にハープの調べに合わサて歌
・文化遺産の借用と帰化が.m血1t血㎞1に行わ
われる系統にも属さないし,おびただしいオ二一
48
福島大学教育学部論集訂号の2
1979・一11
ルのダンス音楽の中にも入っていない。というこ
る。曲名(r俗称」と言うべきかもしれない。)も知ら
とはアイルランド本来の特色を必ずしも持ってい
ないものがあっても彼らは次から次へとen伽
ないとも理解でき,この意味ではこのエアーは非
のように演奏する。 (というよりも曲名は音楽に
アイルランド的とも言えなくはない。
とって本質的な部分ではなく,あくまで音楽自体
を問題にしている。)旋律のはじめが鳴りはじめる
次に歌曲「Be1㎞e鵬if a皿㎞e㎝dear−
ing y㎜g d㎜」渉アイルランドの民俗音楽
の特色に照らしてどのような位置にあるかを,
1)ケルト文化の中でのアイルランドの民俗音
楽として,
2) 「愛の歌」として,
とrあの曲だ!」と共感し合い音楽が鳴り渡る。
音楽上の記憶力の優秀さは驚くほどである。ブラ
ナッハはr印刷された楽譜は記憶の手助けとして
耳から抱えそこなう音のまとまりを得るためや,
あるいはその後レパートリーに加えるために用い
るが,それは神聖不可侵のものと見倣してはなら
3)「愛国歌」として,の3点から考察するこ
ない。何故ならある旋律の形は印刷に委ねること
とにする。
によって特にもっている正当性を失ってしまう。
現在,ケルト人は純粋な人種として留めている
演奏される音楽は良くも悪くもなりうるのであ
わけではない。古代ヨーロッパに住んでいたケル
ト人は他民族との交流,混血を続けながら四方に
だけもった骸骨の欠点だらけのものとなってしま
移動し終着駅に行き着いた。そこがアイルラン
うかもレれない。ある旋律がレパートリーにつけ
ド,ウェールズ・スコットランドそしてフランス
加えうれる場合その音楽はその人の固有のものと
のブルタrニュ地方であり,いまでは彼らはそれ
ぞれに独自の生活を築き上げている。従ってケル
耳徹すべきである。もし別の演奏者が気に入った
ト人の統一的な人種的特徴を括り出すことは不可
のをためらう必要はない。目立って演奏者のやり
方を模像することにいつまでも固執すべきではな
能である。むしろケルト人とはケルト語系言語を
保有しつづけ,同時に民族的精神や社会制度や慣
る。つまり楽譜は正確になっていても,細やかさ
演奏ぶりやバリアントに出会ったらそれを借りる
習を共通に受け継いできた全ての民族をひと.まと
いが,初心者の勉強方法としては最良である。あ
る程度熟練したら音楽をその様式を習得するため
めにする文化的概念と言うことができる。因みに。
ではなく,学習するために聴くべきである。うけ
アイルランドの場合ケルト語(舳h)を日常的
うりの演奏者はいつも二流と言わざるをえない.」
に用いている人たちは年令的にはおおよそ60才以
と述べ,更に「旋律の転写や転写された素材の使
上の人たちで,しかも全国津々浦々で使われてい.
用について意見を述べるのはここでは場違いであ
る。周知のようにある伝統的な旋律は印刷されで
るわけではなく辺境の人たらに限られている。
ケルト語は本来的にも,その後の発展を考えて
も書き言葉というより話し言葉の性格を強くもっ
はじめて生成発展を中止する。つまり,この段階
になってこの旋律は紋切り型の結晶化されたもの
てきた。それはケルト人の宗教と密接に係わりあ
となり,揚句にはきっぱりと展開をやめてしまう。
っているようである。これは「ドルイド教」と言
い自然崇拝の多神教であり,輪廻思想と霊魂不減
もし,このようになってしまうとしたら,これは
学校的社会で総じて起る現象である。伝統音楽の
を唱え,呪術をその中心的機能としていた。教義
の伝達方法や儀式の進め方は口伝えによって行わ
演奏者がもっている教養は,とにかくアイルラン
ドにおいて多くの人たちが考えているより遙かに
深いし,これまでもいつもそうだった。更に文字
れた。人々が相互に,直接に心から心へ語り継ぎ
合ってきた,ということはこの宗教の伝達方法が
閉鎖的で堅固であったことを意嫁しているが,そ
通り数百の旋律が伝統音楽の演奏者たちによって
つくられた写本に現存している。しかし,耳が音
の反面今日の我々がケルトの宗教や文化を理解す
る障害となっている。この宗教的特後が音楽に強
楽の本務として働くのであり,・<本の中から〉あ
く影響を与えないわけがない。アイルランドのパ
て正確に演奏する人に深く敬意をはらうζとはな
る旋律の形を知ったとしても,演奏者は本に即し
イプ奏者たちは200曲から300曲,多い人では数百
いだろう。」(鋤と述べている。この文章にはア
曲にもおよぶダンス音楽を1曲1曲先輩のパイプ奏
者の演奏そのものから学びそれらを全部覚えてい
イルランド人の口伝えoral dr㎝】at㎞1の文化
に対する伝統的な良負と誇りが感じられる。彼ら
竹下英二:アイルランド民謡son翫airの特質
には自国の民族音楽を表記しようとする積極的な
考えがないどころか,それは音楽を無機的なもの
にする行為だとして極度に避ける傾向をもってい
る。
49
しながら美しい旋律線を創り出す能力が要求され
ていて,将に一回的な音楽の生きた姿が具現され
る。従って,アイルランドの民謡はひとりでうた
うことが規準であり,和音をつけたり.二部合唱
以上はケルト文化の特徴を概略したが,次にア
にしてうたうのは一般的ではない。(鋳)
イルランドの民俗音楽とダンスとの係わりについ
それに対して,ムアのメロディーは・スティー
ブンスンの伴奏,編曲も手伝うて多分に当時のヨ
ても少しく触れなければならない。アイルランド
人にとって「アイルランドの音楽」という表現は
歯切れが良くないし,似つかわしくもない。音楽
ーロッパのロマン主義的な感情の耽弱が強い。従
ってムアのものはアイルランド人たちが伝統的に
は踊りながら聞くものであり,歌いながら踊るも
維持しつづけてきた音楽の様式,中でも歌唱法か
のである。音楽と踊りとは一体になっていて,ア
イルランドの「人々の音楽」を考えるときにダン
らはとても容認され難いものであったことは容易
に想像がつく。
.ス音楽を除外して考えるとその全体像が歪になっ
てしまう。その際,彼らは,’ムアの「Be㎞
me, 廷 a皿山06eαodea血g young d㎜」
次は「愛の歌」としての「B61i㎝e m馬 迂a皿
を踊るというより,エアー「My k,dgiηg徳㎝
the oold g㎜d」に意識が引き寄せられて踊っ
ている。かなり速めのテンポ,即ち所謂「ジーグ
してみる。アイルランドの民謡を機能別にみてみ
・テンポ」で民俗音楽バンド(フィードル,パイ
プ,ホイスル,アコーディオン,コンチェルティ
ーナ,フルート,バンジョー,バウラン等を主体
とした編成)が演奏する旋律tlme rMy lodging
廿106e codea血g y㎝ng d㎜」について考察
ると,r仕事歌」あるいは「労働の歌」は極めて
少い。例えば,スコットランドにもアイルランド
にも家内織物のツィードを収縮させる工程wa−
ulkingがあるが,前者にはその仕事歌での倦怠
をなくすための歌があるにもかかわらず,後者に
18㎝the oold g㎜d」に合わせて地方の人た
は存在しない。このことは,アイルランド人が賑
やかに踊り歌い合ったり,陽気に酒を飲みながら
ちは踊っている。時にはウェールズやスコットラ
ンドやリヴァプールの訪問者や招待者たちと一諸
歓談している様子を考えると,あえて労働の能率
を考えるというよりも,彼らの楽天的な気質が労
にこの旋律を演奏したり,この旋律に合わせて踊
働と娯楽の関係をきっぱりと区別しているところ
がら生まれてくるのかもしれない。「子もり歌」
っている姿をアイルランドの地方の町や村で見る
ことができる。このエアーの出所がどこの国かは
っきりしないということがかえって国際親善を高
が少ないことも特徴である。更に「宗教歌」も少
めるのに役立っている。音楽も踊りもそれぞれの
歴史を考えると当然である。それに対して「愛の
国の人々が自国のものと見倣していながら・それ
にもかかわらず共有できるという特殊な構造をケ
歌」は非常に多い。r混み入ったものではない求
愛の簡単な喜びから別離のあとの忘我的な諦めに
至るまで全てのムードや感情がこれらの歌の中に
ルト文化圏の人々はもっている。リバプールとエ
ジンバラとシカゴとダブリンの人々は文化的に一
つの絆でつながっているという実感を我々が今日
でも抱くことはそんなに難しいことではない。
更に,アイルランドの民俗音楽の旋律の性格に
ついて触れておく必要がある。アイルランドの民
俗音楽の旋律は本来メリスマ的なものや装飾的な
いが,これは長いアイルランドの過酷な被抑圧的
写し出されている。……」(26)厳しい忍従の中で
それを何とか取り除こうというより,その状況を
そのまま愛け容れて,その中でいかにしたらこの
現世にパラダイスを築くことができるのか,を考
える現実主義的なアイルランド人の生活観が「愛
の歌」を豊かに産み出す基盤になっている。従っ
ものが多い。演奏する人あるいは歌っている人に
て,中には「子もり歌」とr愛の歌」とr酒飲み
よって旋律線は可変的であり,生得的な音楽能
力の秀れた人々を尊重する習慣が今日でも守られ
歌」とがごっちゃになったものすらある。このこ
とはアイルランド人のr愛の歌」に対す性格をよ
ていて各人の個性的な芸として磨きがかけられ
る。歌い手には旋律に装飾を施したり,拡大して
変化や豊かさを与えたり,すべり音を多用したり
く物語っている。一(留)
ムアのr愛の歌」に関しての評価は賛否両論が
ある。彼はロンドンに出てからは貴族や上流階級
50
福島大学教育学部論集31号の2
の人たちとの交際の機会に恵まれ金銭や生活面で
は比較的裕富であり,「Wein・Weib・und Ge一
脚9」にあけくれしていたという評価がある。サ
ロンでのムアは明るい美しい声の持主であり,自
らのrメロディーズ』.を歌う様に貴族たちは惚れ
1979−11
友人エメットのように政治的な才能に恵まれて
いなかったムアにとって自国への愛情や独立に対
する熱望を詩so㎎の中に吐露することによって
彼の理想は具現化されたと言える。それは文字に
するのではなく口からロヘ,心から心へ歌い継が
dmwing一㎜eute献血er」というニックネー
れ,広まっていく詩SO㎎によってこそはじめて
実現されるという信念に基づいていた。rBelieve
ムがつけられた。これは彼のこのような生活を皮
肉づた表現であるが,その反面彼の愛に対する態
鵬ω血鯛曲gy㎜9C㎞S」
もこのような一連のr愛国歌」の性格を備えてい
惚れした。このようなムアに対してr客間の芸人
度は非常に真摯だったとし)う人もいる。ハーリー
る。
ンドンで女優ダイク嬢と結婚したが,まもなく彼
ムアの『メロディーズ』には素朴なアイルラン
ド・エアーにのせて自国のことを美しく力強く想
女は皮膚病におかされて彼の愛を失うのではない
像力に盗れた詩としてよんだものが少くない。緑
㎞撃N..Healyによると,ゐアは1811年にロ
かと恐れ戦いて∼・た9.ムアは出題業者の要請をう
の島E蜘への讃歌rWe may ㎜thro’
けて商売上から歌を書かなくて一はならなかった
が,一実際は彼女への思いやりがあったからこそ瑞
曲WQrld」(Hの6),祖国への本当の勇気や
愛を歌ったrCo鵬 send㎜d the w㎞e」,
々しい美しさをたとえ失うことがあっても貴女へ
(∬の10),祖国への忠誠が悲しい中にも浸み渡
9愛は変わらないという内容のrBelieve me・
if.a皿tho8e㎝dea血g young cham拾」の歌詞
ってくる「Come rest血thjs bosom」(Wの
90㎎・が出来あがつたのだ,とノ・一リは主張して
ぱ.「愛の歌」を調べにのせて表現するとき呪文の
を歌うrAs vanquished E血」(凪の7),祖国
の解放のために立起を鼓舞するようなrSong qf
中e batt㎞e」(Xの3),そして,往時のアイ
ように綿々と心に染み渡ってくると言われている
意味でこのカテゴリーの歌として人々に喜ばれる
深く歌っている「Song of lnnisfai1」(Xの7)
要因とな1っている。
等と枚挙にい孝まカ∼ない。
いる。.(28!ムアの詩gもつ甘美な格調sw㏄tness
8),征服されてしまった国への愛情と不屈の魂
ルランドの蘇生を夢み,自国への頬ぎ歌を優しく・
岨dlosゆ㎝deadng young蜘s」について
r1798年,1801年,1848年そして1867年の悪し
い飢饉のときも人々がアイルランド魂を持ち続け
ることがでぎたのは彼の(ムアの)それを鼓舞す
検討してみることにする。民衆的な性格をもρた
愛国的ないしは国民的な歌はアイルランドの「人
蒙っている。」(3P
々の歌」の中には極めて少い。ごくわずかのその
ような歌も・元来はr愛の歌」であったものが転化
しかし,自国の逆壌を政治的な主体性で邦関し
ようという前提に立ってより積極的に,しかも直
した場合が多い。ムアのものにしてもこのよう年
接的に音楽の力を利用してい;うとする立場塑ら
「愛の歌」と係りあった,あるいはr愛の歌」に
名を借りたr愛国歌」、という・一面をもっている。
はムアの音楽はr愛国歌」のカテゴリーの中から
除外されてしま.う。ガルバンPatdck Galv血は
デーン人やイングランド人等に侵略され自国を自
彼のrアイルランドの抵抗の歌玩読So”夢げ
国の主体性として発展させることのできなかった
アイルランド人たちの愛国心は当然深層に隠るこ
R酪如撹8』の中で,ムアの歌はその範ちゅうか
とになる。歌はそのために格好の場であったにち
扱い,.同時に批判も行っている。(盟)rムアの
がいな吟。人を愛するr愛の歌」の中で愛国的感
『メロディーズ』はアイルランドの本当の音楽的
情を自由に,一思い切り歌うことができた。ムア峠
特徴も誇りも,堅固で英雄的な魂も真の意味で示
いつもアイルラ著ドを伝説的に語り伝えられてい
しているとは言えない。彼の魅惑的なエアー,耽
るかつての黄金時代のような幸福と自.由に満ち牟
溺的で野蛮なハーモニーはアイルランド的という
’第三は「愛国歌」としての 「Believe me・if
国にしたいと夢見ていた。一(凶)それをポーPoeに
「鋤」と言った6即)’
るために作られた数々の歌があったことに御陰を
らは除外し,関連はあるがその他の歌として取り
よりイングランド的である。」・と酷評している。
また,古い素朴なアイル』ランドの民謡を敵である
竹下英二:アイルランド民謡song」勧fの特質
51
英国のヂしかも上流階級の部屋で歌うとは何事で
み研究者の中には自国の民族的誇示を日輪んだ研1
あるかと「客間の芸人」・を罵倒する。汀彼の歌ほ
究態度から決別し,実証的,客観的な方法による研
オコンナーの演説(詔)より危険H麺gongs are far
究に取り組む人々が出てきてアイルランドめ民俗
m㎝5da㎎e㎜sthanσoα㎜en’sspeo血es,二・
音楽研究にも活気が出てき・た』・(鋤中ぞもブラナ
である」と 『The Time8∫という’新聞に.書かれ
ッノ・はその中心的人物であるが,彼は「国民の貯
て,これがムアに対する評価とそれま笠さ鱈置き
えとして保存されているエアーや旋律のほどん・ど
たが,ガルバンによるとこれはデピスThomos
は最近の3世紀に作られたもので,大部分のもの・
Davisに対する.ものである6「詩人ト産マス・デ
はだいてい18世紀後半から19世紀㊧は・じめの10年1
ヴ才スとチャールズ・ギャパン・ダフイは,文学
と政治とを愛国精神にょっで結びつけ,国民を啓
にかけてのものである。」(3E)と慎重な検討を進め
発しよ’う’という意図のもとに1842年に『国民細書
在来のアイルランド人の先入観に釘を刺してい
を発刊し』紙上に詩を掲載した。それらの詩はイ『
る。アイルランドの民謡は18世紀の後半に誰がの
ギリスの支配に対する政治的反抗や新教徒と旧教
手庭よらて作られ,人々の一口から百菰伝えられ,
徒,地主と小作人との平等を主張する愛国的な,
作り手の名が忘れら・れ,’いろいろ.なバリ∫アン・トが}
る中で述べ,甲それよりも遙かに古いと考えている、
または政治的な意図で書かれた・ものが多がうたも
出来,無名性an㎝鋼ty・a血ym幅e鎚’棚&
そう’した議論調の詩は文学的に価値が高いとは言
明面こ音楽に定着して今日に至らて斗.・ると理解ず
えないが,’.国民精神を向上させ’るうえでは大いに・
ることができる。エアーヨ七や器楽的挺律∫t聯
役宣りたことはし.・うまでもない。アイルランド国
のこのような性格は何もアイルランードに限った壱
民を精神的にカづけ,気力の衰退を未然に防ぎ・
とではないが,このようなメ域ディぞにのせで詩
新しい熱意をもたせようとする’のがレこの丁国民
人たちが自らの詩的形象を表現しようとすみとご
紙』’のねらいだったからである。」(額)
ろにアイルランドの特殊性がある。つまり口伝え・
以上の考察で理解できるように』r愛国歌」とし
によって歌い継がれてきて人々の心に染み渡づて・
てのrメロディ歯ズ』も母国の人々にとって複雑
な見方をもづて迎えられているどいわざるをえな
いるメロディの文字通り空気のように自然なて人
士的でない)樋r・と芸術家の想像力の遜ウが秩序
い。
化されたSO㎎とが詩人の側から結合されて新.
しい音楽が出来上るのである。“これが,=・所謂ジア
4.若干の考察
イルランドの90㎎一aiゴである。一その場合,・勿論
’ゲイルランドめ民謡はおよぞ次の3種類に分類
詩人ば自分の’poemをあく玄でも人々によづで
ずるごとができるも
広範に歌い働ζれて欲しいどし.・う願望をもつ{“
1) アイルランド語の歌詞がついて“て,一現在
るから一こそエ.ア㌘の自然な流れにのせて詩作を行
でも地方セ歌われているもめ
2〉 所謂丁歌詞付旋律go㎏」{血」一
ぎ)』19世紀以降都会で新しく作られるようにな
つた下灘t−eo㎎『=
うのであるα「ak.は少しづつ変化しその嬬リゲーン’
トを確や.してい.く・がその基本的な構造を保有・し続
けるという点では不変的.であり,..保守的であ轟:・「一
それに対して,so㎎はその時瞬の時代思潮ど地方
本論では1)ば最もアイルランド的な加th」
の特殊性を反映させながら芸術.家の創造的精神に・・
entic民謡というごとができ為が,2)寮特殊ア1
よづて恒に改められてい・くという可変的.,’1生成的一
イルランド的性格を強くもっているという理由で
性格をもっている。こρ,よかに騨,母rπにξまレ・
今回の研究対象とした。3)についてはr人々の
言わば自然的叛ものと人工的なものが結合さ粒る
歌手の一種でばあるが,アイルランド的というよ
ことにより,それらの聞に緊聾・拮抗がで豊・,ぞ
り流行歌の性格が強く,アイルランドの風土や歴一
の.ことにより新鮮な息吹炉感じられ1,・生ま払でぐi
更や人寿との生活とめ結びりきの点からではなく
る,.という特色炉あ為。つまヶ古いも参を環形縫
別の観点’で論を起ごす必要があると思われる’ので
けると同時に古いものぱ新し・く変えら拓ネ遷砕
今回は除外したゼ
現在アイルラン’ドで歌われている民謡ば一子体い・
つ頃生まれたものだろう? ’最近レアイルランド
生き続ける一という構造をもっている。。一』 ,、イ,・・
ヨドま ロ ロラロゴ
ノ・= r 一』 ・一.} , .ンン
ーさて.・TB6㎞m馬㌧士fゴ.瓠廿1膿メ海“醜・
52
福島大学教育学部論集31号の2・
1979−11
卿mg c㎞」に即してアイルランドのgo㎎一
d㎞」の他国版からの翻訳であるという点で
曲rの性格について考察してみることにする。既
に検討したようにこの詩をあてはめたエアーは
し,これまで考察してきたようなアイルラン・ド音
「My1噸㎎i80ロthe ooM g㎜d」であっ
「民俗歌曲」の日本版ということができる。しか
た。このエアーはアイルランド文化の特殊性,人
寿の音楽への係り方,更にアイルランドの伝統的
楽の屈折した複雑な特色はそこからほとんど除外
されて,単に美しい「愛の歌」,しかも東洋的な
情感と響き合うような「愛の歌」として広く我が
な旋律の特色の点から考えてアイルランド的な特
国で親しまれてきた。
徴を明確に色濃く持っているとは言い難い。しか
更に「春の日」の位置を考えるとこの曲はアイ
し,それを理由にしてこのエアーがアイルランド
ルランドの民謡の名には全く相応しくない。むし
のものではないと結論づけるのは早計である。む
しろそのような複雑に屈折している姿こそがアイ
ルランド・エアーの真の有り様なのである。
たる日本の歌曲である。内容の価値は別にして,
ムアの「Bd㎞m◎if I血Uloee{蜘
である。
ろ,アイルランドのエアーを借用して作った純然
アイルランドのムアの位置が勝承夫の位置と同じ
フo皿嬉d㎜8」はこのエアーから詩的想念がふ
くらみ生まれてきた。 この詩は彼持前のswoe一
本論のrはじめに」が若干の引用文を載せた
螂を十分に駆使しながら美しく「愛の歌」と
して表現しながら,恋愛の熱き懐を借りてこよな
が,以上の考察をふまえて論者が記した点註部分
についての説明が少しく必要である。「アイルラ
く自国を慕い,人々の愛国心を鼓舞させる「愛国
ンドの古民謡」とはエアーのことである。r歌曲」
歌」として形象化されている。ムアは人々の心に
とは「民俗的歌曲」の性格を備えている。「曲」
深く染み込んでいる文字通り空気のようなエアー
の調べにのせて誇らしげに自国への思いを歌って
いる。従って『メロデ才一ズ』は民謡の性格と歌
ことである。「紀元前に北欧からやって来たケル
曲の性格とをもつ「民俗的歌曲」ということが出
来る。また,ムアの音楽の扱い方は極めて恣意
的,思いつき的であるが,旋律に歌詞をつける単
なる作詩家の仕事とみるわけにはいかない。自ら
の詩をより効果的に人々の心に伝えるために単に
都合の良いエアーを借りてきたと考えるべきでは
ない。あくまでも自らの詩作活動を音楽の中で,
とは「Mylodg塊is㎝伽cold g畑」の
ト人……」この件りは本論の範囲ではないが,
「北欧からやって来た』のはデーン人であり,
rケルト人」は古代ヨーロッパに住んでいて,他
民族との交流,混血を繰り返えし,アイルランド
に行き着いたのはその一分岐である。従って,デ
ーン人とケルト人は別人種である。「ケルト人の
音楽家はバードと呼ばれ」というのは多分,ケル
ト語りャーキリreaca㎞eの英語訳であろう。ま
音楽と共に営んでいくものと考えている点で音楽
家の仕事である。更に,ムアの仕事はアイルラン
ドのエアーをアイルランドの人々だけでなく,世
…」というのは既に本論で述べたように,その昔
国家の保護を受けた歌曲とは関連性がない,あっ
界中の人々に現しまれるように広めたという点で
は高く評価されなければならないが,その反面ア
国的歌曲」はムアに代表される.ような特色はなか
イルランドの伝統音楽への深い認識と洞察に欠け
ていたことが,誤ったアイルランドの民俗音楽観
た「・一…これがしだいに発達したものである。…
たとしても証明できるものではない。取後にr愛
なか理解の難しい構造をもっているので教科書の
叙述にあたってはパラフレーズする必要がある。
を我々に与えたという問題点も残る。
次に「春の日花と輝く」は堀内敬三がアメリカ
5.むすび
ないしはドイツの世界民謡集から翻訳して世に問
うたものと考えられる。従って誤ったアイルラン
ド音楽観に基づいて,しかも当時流行していたロ
アイルランドの民謡,中でも歌詞つき旋律
マン主義音楽観の影響を受けていることは否定で
きない。しかし,これは堀内の責任として攻める
90㎎一a姪としての民謡はアイルランドの複雑な
屈折した歴史や文化や風土を反映しているが,こ
のことは逆に彼らが何よりも音楽を必要としてき
た証左でもある。彼らは自らの音楽を伝統的にし
べきではないだろう。「春の日花と輝く」はムア
っかり守り続けながら,しかも日々にその生きた
の一「86藤㎝e偽証a皿thoee蜘gyoung
姿を変えながら楽しんでいる。彼らが国としての
竹下英二:アイルランド民謡so血g−airの特質
音楽の貯えを口伝えの文化であるにもかかわらず
豊かに保有している秘密がそこにある。
53
っている。しかし,ムアが『メロディーズ』のそれ
ぞれの曲の但し書きの部分でホールデソのことを言
及しているのは稀有である。
(16) これまでオファーレルのコレクションはアイル
(1) 音楽の友社独唱名曲80番』211∼212ベージ
発行)4∼5ベージ
ランドでもバソティソグ,ハドソン,ベトP,フォ
ード・ピゴット,グッドマンそしてジョイスといっ
た主要な収秦家たちのように大切にされなかった
(2) 教育出版社r新訂 高校音楽1』 (1969年12月
(3) 教育出胴上『新版 中学生の音楽』 (1954年12
が。近年ブラナッハなどによりその正しい評価が行
月発行)6∼7ベージ
われている。
(4) 上掲書62ページ
(17)彼は16才でアイルランドを飛びだし,船乗りを
(5) 上掲書7ページ
し難破を経験した後,アメリカへ渡り羊飼い,学校
(6) ここでは民謡という用語を広く人々の歌「so㎎s
教師,鉄道書記等をして1873年にシカゴの警察に入
of the peqplo」という意味で用い。厳密な定義を
り,所長にまでなった人である。1903年に出した
行い,いろいろな曲をふるいにかけることは本論の
『7諏8ハ鮒σ{ゾ1惚」σ”41は1850曲にもおよぶア
日的とは直接関わりがないので避けることにした。
イルラソドのダンス音楽を中心としたコレクション
(7) Aag10rld3山とは,アイルランドとイングラソ
であり,彼の二冊目の『7勉D㈱81臆げ
ドとの間のr合併法(又は)合同法the Act of
Uaio凱」(1800年)が成立する少し前から原住民の
Irishとイングランドからの移住者たちとの結痔が
繁んに行われ,同盟的関係が次第に結ばれるように
なり生まれた民族である。
(8) 本論で用いたテキストはThomas Moore
「酬醜」協Jo4蝕3」symphonies and accomI㎜im−
ents by Sir John Stevenson Mus、D㏄.and
S丘Henry Bishop,Gm and飾n,DuMnであ
る。
(9) Ita margaret Hoga聴, 」4㎏b一ル‘動 」臨動
1780∼1卿, Cork University Press, P、178
窃副』(1907)は今日までアイルラγドの伝統
音楽の実践者・たちのバイブルとなっている。
(18) この件りのオニールの見解は∫Cゆ・F臣nci8
0●Nei11, 1露読 」Fb疎 燃。一」4 E翻伽g
月b吻, 19聡, EP P並bn面㎎, Yαd臨hk◎,
Eng㎞d,pp.184∼186に言及されている。
(19) Breaad直島 B㎜㎞ach, 」Fb伽 」蜘ヒ姻
㎞3‘ザh副,The Mercier Pr鵬Dub髄n
aud Cork, 1977,p.30
(2D) ib紅 PP。130∼131
(21) 中村徳三郎訳,オシァン(ケルト民族の古歌)
(10) ibd. P.178
岩波文庫,あとがき443∼473ベージ
(11) ibd.P.179
(22) Breathnach,ibid・PP・63∼64
(12) James H,Healy,五ω8S碗83厚踊8琳5み量
(23) ダンス音楽に関しては母国の収集家の仕事はオ
P.38一
ニールに比べると微々たるものであり,今日でも彼
(13) 竹下英二,rアイルランド伝統音楽の収集家た
に依存することが多い。
ち」rエール(アイルランド研究)第5号』63∼64
ベージ
(24)
Breathnach,ib圭d.P.123
(25)
Breathnac血, ibid.pp.100∼102
(14) 現在ではr」4α,μ8σ’伽夢’勉 廊」8ガ
(26)
Breathnach・ ibid. pp・21∼22
謝鯵。ゾ漉」σ”4」(1840)「」4G伽瑠CbJJ8‘f伽
(27)
Peter Kennedy, Fb‘為Sb”830ゾB■露8」”4”4
oゾ伽んκf副1臨画。ゾ1溜」4”4」(1809)「孟
1惚」4”4, Casse1,P.79
G8切溜(婦」8σ∫jo”げ伽」肋」剛癬sゐル血3」σ」
(28) James W。Healy,伽S伽83夢伽ル鋤.
(1796)が合本され『7ん」勉」傭1㎞夢
P.40
1館」召納 (1969)として Walton’s Piano and
Musical Instnmlent Ga皿eries,Dub丘nから出版
されている。
(29) Wdton’s Musical Iロtrument, 刀㎞㎜
ハ伽溜, Preface, P。ii
(30) ムアの『メロディーズ』を詩の側面から論じた
(15) 考古学の権威であり,アイルランド王立アカデ
ものとしてrゴールデン・トレジャリー』吉竹迫夫
ミー会員で,アイルランドの民俗音楽の収集家とし
著,培風館 222∼233ページに詳しい。
ても貴重な仕事をし,ムアにもそれらの情報を提供
(31) 注(29)の上掲書p.i
したペトリGeorge Pethe(1789∼1866)は,ム
(32) Pat㎡ck G組vin,17ま訪S碗830ゾ勘欝血”c4,
アがこの曲集から沢山採用し,それらのエアーによ
Oak Publications, London and New YorK,
って彼の詩が清められ,世界中に有名になったと言
1962, pp.77〔イ9
54
福島大学教育学部論集β1号の2
(磐)、彼は19世紀初頭に反ヵト.リック法の撤廃を叫ん
・で立起し挺。彼の演説の才能に極⇒て秀れたもので
1979−11
(弩) 尾島庄太郎・銘木弘共著rアイルランド文学
史』北星堂書店,42㌘43べ㌘ジ
多くの民衆に共感を与え,ぐの組織力は英国支配者
(35) 竹下英二,上掲論文68ベージ
.威の恐怖の的であっ之。・r・
(36) Breatぬnach, ibid.18
Th6Di醜ing叫ighing Features of kish Song−airs
」一C㎝㎞g uう㎝Moofe,s奪Belie7e me,if all those㎝dea翁㎎you㎎一charmsノー
理葺TAK㎜TA
.価e・中興g」ea⑩齢呼M曲.s・ng一面.arem瞬酸¢臨㎞副y闕如
』ゆ群師団畷鵬舘v㏄d㎞鴫細d㏄剛yd捻醐d騰砿伽㎜妙・
、、Uコdor these drcロmst遡,.璃h peqpIe trad{tion謡1y have図1y needed.sα㎎s aコd tunes
・.釦D珂邸ぜy噂1鵬職eyhaye坤tr血gtb蘭励tm醐㎝飢餓・9b嚇
・㎏t伽yαmぞt8e㎝t・S砒ωth㎝asdeadc巳1伽℃.一㎞ny血ey㎞祀a1舶ysゴ㎞
addh㎎ω・廿1em some吐血9 PeW a丑d、dlehr own・bプー伽σ’蘭of 曲9㎞g and dand且g b
・舳上d凶弾αb・血erw・血・se㎝bgly。・n嫡面・一 ィ一k卿車町㎞耐㎝’醇
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