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独逸都市法形成の社会史的基礎
増田, 四郎
東京商科大學研究年報. 法學研究, 4: 275-320
1939-02-15
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/7201
Right
Hitotsubashi University Repository
都市法の後生過程
狽逸都市法形成の枇命日史的基礎
四
結
都市法族の形成
語
中世濁逸都市の構造
都市法の地位
序
増
回
四
日
良
狗逸都市法形成の一位舎史的茶礎
(増岡)
一一七五
みたひとしくこの母胎に育くまれた深き生活感情を不可献の根基として,つまれいでた師やかしき成果であっ犬と考
部面に影響した。壮一寸族的闘家機構の形成、進取的企業精紳の議揚、近世的市民意識の誕生等のめまぐるしき展開は.
かけての彼の諸民族文化登展の謹上に現はれ、およそ東洋とは異る特異な律動をもって、その杭舎生活のあらゆる
政治・経構といはず‘弘く賦洲文化一般の史的推移の裡に‘中世都市が粛した決定的た費革は、やがて近世初頭に
一特色をなしたことは、中世文明の特質に想びをいたすもの L容易に看取し得るところである。菅に法制といはず、
欧羅巴中世紀の後半を彩る﹁都市の勃興﹂なる現象が‘東洋諸邦の塵史と封比する意味に於て、西洋史の額著な
序
へられる。
東京尚科大半研究年報法皐研究
第四時抗
三七戸
併しながら、同じく市民文化育成の温床と呼ばれるかうした都市なる制度も.これを詳細に検討吟味するならば、
Lる特色の或
吾々はそれら生成の過程に於て.またその圏悟意識の構造に於て、敵州諸園必ずしも一様の褒展一様の法制を展示
せず.却ってその聞きはめて複雑な、而も興味ある諸相を現はすことに想到するであらろ。市してか
るものは、所謂政治史的・個別的考察の操作を通じて一臆理解せらるべきであるが‘それと同時に吾々は、更にそ
れら諸現象の深奥に流れる園民的・民族的特質の遊潮たる脈動を感ぜずには居られない。例へば都市勃興期たる十
三世紀一般について概観しても、英士口利都市にみられる中央集樺下の行政匝的地方自治とギルド制優越の傾向、伊
K園民乃至は民族特紳の、社合生活に於ける最も顛著な表現の一面を一不峻ずるも
太利都市に現はれる専制化的・領邦化的性格、調漁一都市に於ける人的・地域的圏樫の結合としてのあざやかな協同
程的構成等々の諸特徴は、その各
Lに首面の問題たるゲルマン民族闘、わけでも調逸に闘し、更に幾分の見透しと犬謄な立↓一首が許される
のではなからうか。
かくてこ
ならば、吾、々はかの十二・一一一世紀を轄機として、圏内到るところに勃興した潤逸都市こそ、一冗来同町格な意味での都
市生活を解しなかったグルマン民族が、多端な文化交渉の推移を遁ひっ L、しがも彼紘一寸固有の圏樫精神に卸して.
鏡意自らの力もて築き上げた自治と統制のいみじき結晶としての ﹃枇合的形成樫﹄ (
SNsrcmEEmu であり、ま
たその進展敬まざる民族生活の要求に印藤じた意識的;匪史的なる成立過程の特質よりするも、或ひはその岡家法
制"政治経梼紘一寸あらゆる文化領域に占めた積根的なる史的意義より観るも‘固有都市制度の獲得完成こそ、まさに
中惟紀に於て彼の民挟がなし途げた最大の一位舎的・文化的記念物の一つであったと主張したい。さればこの大きな
H 文明史的に取扱ふことは国より、仮令その構造乃百一は本質を鼠・に猫逸法制史.否さらに問題を限って、
課題をいは 注
市民的法生活の中核をたした﹃都市法﹄成立史の問題としてとりあげるにしても、向且つ五日々は多大の困難を感じ、
数多き個々諸都市のあまりにも多面的・個性的なる特色に舷感されて、却って全世の本質的な性格を見失ふ危険に
逢着するわけである。尤もこのことは他の一面からいへば、活ける圏憧として各々固有の圏憧的個性を主張した猫
逸都市の、震に躍如たる面目の一端を裏書するものであるかも知れぬ。
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の HH
に理解せんと
ともあれ、か Lる都市法形成の過程を通じて硯た濁逸都市が、み一慢として猫逸法制史上に提出した新しき問題、
新しき法意識を、所謂ゲルマン的圏僅構成の理怠にひっかけ、枇舎史的背景を考慮しつ
欲する限り、五日々は﹁この一一見混沌E さへみえる個別的な都市法の大群を.或る一つの活々としたオルガニスムス
の表現として把握し、記述することこそ.より高-ぎ曲学問的使命である﹂と唱へた法制史家ガウプ(問、HFC23)
の含蓄ある言葉を想起せざるを得ない。併し賓際問題として考ふれば、個々史料の源泉を普ねく汲みつくしての綜
合的把握は、決して容易の業ではたい。吾々はまづ自らの要求に態じた問題の設定を企て、中世都市の核心に慣れ
4 片由。円-田の吋凶
。吋。
なものではあるが、しかも概ね上越せる如き意欲と見透しから出た、
ゆく研鎖の端緒を見定めなければならぬ。以下本稿に試みんとする都市法形式の枇舎史的基礎に閥する考察は、そ
れ自身未だ極めて素描的且つ
(帯同)
二七七
都市法制の研究.否弘く欧洲中世文化一般の研究途上に於ける貧しき部分的試作として、何等かのさ﹄やかな解明
を粛し得れば幸ひである。
相叫逸都市法形成の枇令史的某礎
東京商科大牟研究年報
法事研究
第凶器
二七八
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ひろく﹁都市法﹄(
﹀と呼ばれる特殊法の形成をあとづけ、それが費した新しき法意識を探り・ひいて
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-∞口げた.また
L 一般的な構造を一瞥したければならぬ。蓋し古き法形成の過程を怨ひ、そ
はその法源としての地位を訪梯せしめるまへに、吾々はまづこの法が安営し.この法を愛育せしめた素地乃至は母
胎とも見るべき中世猫逸都市そのもの
の聞から営時の法生活をいはど質感もて合得せんと企つるものには、かうした多少とも
吋
2EE-Zユ吉庄のげた考察が、会僅理解へのかすかな光明を投げかけることでもあらう。
想ふに数多き蹴削諸都市の中、特に濁逸の諸都市が吾々嘗面の興味をよびおこし、開心の焦黙となるのには‘大
様弐の如き二つの理由と根擦が存する。その第一は、都市の勃興なる現象がゲルマン民族閤殊に濁逸に於て‘あた
かも一種の民族的運動にも似た蟻んな普遍的海勢となって現はれ、この傾向を無観しては中世中期の濁逸祉舎を遁
確に措認し得ざるほどの重要な.しかも新しき文化史的展開の契機を醸成したその費生史的経過の特色に罰する興
味であり、第二は、かの園調特の封建枇舎と根強き分樺主義の憧制下に自らの新しき圏慢構成を獲得した調抱一都市
が、一晋に経梼括動に於ていはゆる﹁都市経曹}の名もてよばれる特殊の機構を形成したのみたらず、法生活に於て
も亦、すぐれてユニークな外観と内部構造の調和を持つ法的形成樺として、他闘に類例なき猫白固有の地位を、弘
く猫泌一園家法制の中に主張した意義深き史賞に劃するやみがたき関心である。
古典古代の華やかな都市的文化をよそに.幾世紀の長い問、農耕生活をその基調としてゐたゲルマン民族が、初
めて積極的にまた一般的に、都市構成の筒動に掘られたのは、比較的後世のことであった。
﹁キヴィタス﹂と綿稽
されるライン・ド 1 ナ ウ 嗣 河 に 沿 っ た 古 き 羅 馬 人 建 設 の 諸 都 市 や 、 基 督 教 の 俸 播 に 基 く 同 じ く 西 南 猫 逸 の 司 教 都 市
は、早くより彼の民族の生泊様式に少なからぬ新要素を注ぎ込み、その後の都市形成に多大の刺戟となって作用し
たことは否み難き事賞であるが、それらは未だ彼等自身による内面的生活力の協同的表現たる圏僅性乏しく、従つ
てその規模・繁柴の如何は兎に角、多分に消極的・模倣的な圏憧形式であったといはざるを得ない。これに反し、
かのザックセンその他の奥地にみられる﹁プルグ﹂(城砦)を中心とした多数の衆落形成は、錯綜せる民族的・種族
的劃立の賞際上の必要から生じた彼等固有の圏樺形式または生活様式であるが、その日的が元来防備的性格を本位
︿一﹀
としたものであるため、祉舎生活全般の新しき中按としての都市構成には未だほど速いものであった。換言すれば
古き都市的諸楽落、却ち﹁キヴィタス﹂と﹁ブルグ﹂は、共に後世濁漁一都市制度の深き源泉を提供しながら、いづ
れも未だ経構的・法制的或ひは政治的主韓たる完壁の面日を具備するに至らず、たとへ形式の類似は存しても、政
策の主僅として園家法制にまで組入れられた自治世﹁都市﹂たる内容に比すれば、米だ快くるところが多かったと
いふことになる。この献勢に新しき精気を吹き込み、都市成立史上看過すべからざる一時機を劃したものは、十・
一般的にいへ
十一世紀に見る法制史的費革とこれに伴ふ市場特模(民円高官胃円三日目的ぽロ)附典の現象であり、更にこの趨勢を促進
支持して市場の経椀的・法制的共元を昂め、都市自治制の獲得に決定的飛躍の要国を資したものは、
二七九
O) の勃興といふ目新しき諸現象であった。
ば十一世紀後半以降欧洲を通じて特に頴著に窺はれる商業活動復活の大勢であり、兵樫的にいへばそれに伴ふ市民
(増田)
的勢力の棲頭、市場的移住の普及、﹁建設都市﹂(のユロ仏H
gmgE含
担問逸都市法形成の枇曾史的茅礎
東京向朴大血中研究年報
法準研究
第四涜
一
一
八
。
かうした都市制度確立の複雑な過程については、後述﹁都市法の愛生﹂を顧みる際に、あらためて一し躍の概説を
試みるであらう。従ってその考読は兎に角として十三世紀の末葉に至れば、調逸民族の領有する慶大な中欧の各地
mBOEr) の、驚くべき多数と剖目す
は、彼等円身が得た﹁新しき生活領域﹂ともいふべき﹃都市共同盟﹄22旨m
ぺき勃興の気運に満たされた。森と野と沼津に彩られた農業園調逸の景観を一饗し、その﹁西南部地方では卒均二
乃五二・五苧方哩毎に一都市を.中部及び丙北部にあっては三乃五四千方哩、東部地方にては五乃五八平方哩毎に
レI リ ッ ヒ .
シュバンゲンペルグ等々各方面のすぐれた専門史家が、ひとしく十三世紀を以
一都市を持つ﹂てふ地んな趨勢を一不しはじめたのは、まさにこの時代のことに属する。さればギ 1 ルヶ、シュモラ
1. フ ォ ン ・ ベ ロ ゥ ‘
E認可門田町甘え昨日目。Z 知 040]ロ昨日。ロ)
て、或ひは﹁新しき法意識の誕生﹂を詑き、或ひは﹁岡民経静的革命﹂(︿c
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甘
口
口
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岱叶山川町 HiA
H
(四﹀
の向売は、こ Lに至って技くぺか
錯綜した世紀を通じ、この閣の政治的特殊事情と商業進展のめざましき波に乗じて、他園に比し著しく﹁革命的﹂
﹁新しきイデーと新しき生活様式の務見﹂と観じたことは、決して謂はれなきことではない。十一・二世紀といふ
代と唱へ、或ひは最も深き意味での﹁文化史的特換期﹂(同己
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g口EnEHZN色丹羽g 円山町)と考へ、また或びは
(
1
)
圏瞳様式たる﹁中世調逸都市﹂とは、果して如何なる外観、如何なる構遣を具備するものであったらうか。
中世捕逸の諸都市を、その成立起閃の相違に膝じて、所前﹁羅馬都市﹂(問。52 P
6 ・﹁司教都市﹂(∞仲間口
目付 E
gp
然らば金調逸はもとより、ひろく濁漁一文化の影響頻りたる北欧グルマン文化闘の各地に.相競って族生した新しき
らざる賞勢力と友り、古き封建的批合秩序を根祇からゆるがして、新しき﹁世代の根強き陣容を固めることが出来た。
な迅速さで達成された市民的文化の普及、所謂第三階級としての
時
日仲立広)・﹁城山引都市
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乃五は﹁建設都市﹂ (CZ只宮口mgZ仏件。)等の数種に分類し.その各
kに表
L起 源 と 成 立 を 法 制 史 的 に 基 礎 づ け 、 そ の 決
L 一熔採るべき一般的方法である。併し本節での課題は w か Lる後生史的探求への闘
はれる法制的特質を比較考量することは、いはゆる狛逸都市そのもの
定的指標を探らんとするもの
心ではなく、寧ろ特殊法域たる中世猫抱一都市一般の構国を一不し、それによっていは Y法的・吐合的形成憧としての
l クの尖塔を中心に‘街衡の構成に膳じて集結した民家の敦群を、あたかも何ら
Lる一般的考察の可能性が存すると思惟す
都市共同慣の結品性を初御せしめることに存する。印ち大小各都市のもつ経樺的機能の多様性は姑く措き、少くと
ハ五)
も法制上の問題に闘する限り.十一一一・四世紀完成期の猫逸都市には、か
Lり立つ美しきゴティ
るが故に、敢てその類塑的なる素描を企てんとする吠第である。
天安にそ
かの意味世界の賓現をめざすかの如くに包括する中世猫逸の諸都市は、何よりもまづ外敵に謝[﹁平和﹂守口)の
ZHkmH
ロ仏ロロ仏翌日岳民民の掛照をさながらに、全市域を固める堅牢た市壁 (
Bロユ丘三件伊丹
Hm)
の閏績は、人魚的施
保たる L特 殊 地 域 と し て 、 自 然 的 ・ 地 理 的 傑 件 を 考 慮 し ‘ 人 魚 的 防 備 の 数 々 を 施 し た 高 共 の 緊 落 形 態 で あ っ た 。 所
謂
設最大の表現であるばかりでなく、それはまた上代の緊落並びに近代都市と直別する意味に於ける中世都市猫特の
占
景観であり、この防備によって市民守山42C
5mgmg) の圏結性が極めて象徴的に昂められたであらうことは想
像 に 難 く に mvo また市壁と共に注目すべきは、敢佃の市円台。叶片山由)と数多くの塔楼(吉円ユ出) である。 これら一一一
者は相互に関聯して自治的警備の先霊に責し、刺へ市墜と市門は都市の財政的基礎を提供しつヘ警察行政の最も
戸増間)
重大な基準を形成した。かの﹁入市税﹂その他市時閥係諸説の徴収を組び、﹁都市平和捜観罪﹂としての三区221
濁逸都市法形成の批舎史的茶礎
l
'
、
(七)
東京街科大卒研究年報
第四時抗
の交叉するところ、都市中央部の多くは虞場をなし、いはゆる﹁市
かうした施設が市民の日常生括に占めてゐた基本的意義の重要性を考ふべき
法山学研究
N 叩吋5
5mHhh の重刑を偲ぶものは、
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である。
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仲
田
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田
由
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広
巾
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片的)が地の
会市民の意志は、経梼的に、法制的に、また山一不敬的に.ひとしく圏僅の中艇部たる市場・市臨及び教舎に集結せら
壁乃至は市壁を越ゆる一定の地匝(︿。gE含wzmσg注
目LPEσ 号げ山口百﹀にまでひろがり、その地域に包容される
類型的に表現した最高不可保のシムボルであった。ざれば﹁都市平和﹂の力と光は、治安・厚生の作用となって市
せられた有機的来落形態の外貌こそ.中世﹃都市共同盟﹄ BE合唱目白山口山町) の緊縮整備せる内部構造を.いとも
観を大様共の如く概括することが出来る。部ち全市にめぐらす市壁を外郭とたし、市場・市臨・数舎の三者に統合
都市自治生活に劃する間接的な存在として一臆硯野の外に置かるべきであらう。かくて五口々は、中世猫逸都市の外
すべき多くの問題を蔵してゐるのであるが、吾、士宮面の問題たる完成期都市の構造に閲する限り、それらはいはピ
︿八﹀
利を得た一劃に建てられてゐた。そしてこの居城の所在と都市愛生経過との内的関聯は、その都市の成立史上考慮
ほか尚ほ多くの都市には、王又は都市領主 (mwEEV021﹀たる諸侯貴族の﹁居城﹂
は、すべての中世調抱一都市が競って自ら一の繁柴と柴替を誇示せんと努めた徴笑ましき歴史的紀念物であった。この
立 っ た 主 要 建 築 物 が 建 並 び 、 益 憧 と し て 都 市 心 臓 部 た る 外 観 を 呈 し て ゐ る 。 ま こ と に 数 合 と 同EEE の豪荘こそ
同 慢 の 精 神 的 慰 安 の 中 栢 た る 歌 合 、 及 び 政 治 的 意 志 と 行 政 的 統 治 の 基 憧 た る 公 街H
UFpg︿市臨)等のひときわ目
場
﹂
(FE1PRES﹀として都市の経礎的・法律的中核を構成するとともに、その周回乃至近傍には、この共
弐いで一度び市門に入れば、国内
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︿
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れ‘この交互作用の凝結するところ‘揮然たる形成僅﹁都市﹂の姿が‘経静的・法制的文化単位として、また新し
き文化の捨蛍者として.複雑な中世世合機構の裡に城爽と浮び上って来たわけである。このことのみよりしても吾
々は‘農村共同慢に比し著しく意識的・象徴的且つ対鎖的な構造を印象づけられ、従ってまた、そこに育くまれた
生活感情と法意識に‘おのづからおよそ農村と具る特異性を見出し得るであらうことは推測に難くない。
ましてや都市の住民は、圏内各地より主として市場(民RE)交易をめざして移住し来った人々であり、それらを
L、新興等族たる
E
宮町官て、の地位をかため.或ひは都市全世として園家法
中心に貴族・併侶・騎士等諸多の階級人が、相合して数千乃至一・二高の人口を擁する共同盟を結成し‘原則とし
て奮き身分と家柄の束縛から股しつ
制に、或ひは同業仲間たるギルド乃至は獣医を皐位として市営局に、また或ひは市民会憧として都市領主に、各々
圏憧的樺利の結えざる主張を績けて来た多難た史的推移を想へば、仮令個々の事例に於て、偶々専制的・貴族的統
Lあったことを見のがすわけにはゆかない。
(一
O
﹀
治の色彩を認め得ても、ー空慢として中世潤逸都市の内部には、近世に入づて開花する.かの政治的デモクラシーの
力強き萌芽が、活々と成長しつ
そしてこの民主的な気運が、前述せる如きユニークな楽落形態の隅々にまでみなぎり、営時の特殊事情と閥家機
Kは形成されゆく猫逸都市法の錯綜した姿と、諸多の契機を巧みに援用しつ注目治の完成に遁進す
構の中に、換言せば政治情勢から醸しいだされる自治と支配の興味ある接線上に、自らの客観的な﹁場﹄を見つけ
た時、そこに吾
る都市法制の活きた構造を把握することが出来る。長き歴史的素地を背景とし、比較的迅速な普及力を以て、個別
(増田)
ニ八三
的に獲得され附興せられた特殊的諸権利は、市民生括の向上に臆じて漸共にその受賞する弐元をたかめられ、集積
調議都市法形成の一位令史的茶礎
東京商科大血中研究年報
法泉研究
第四競
二八四
せ ら れ て は 市 民 衆 知 の 法 と な り 、 憧 系 化 さ れ て は 都 市 固 有 の 法 典 と た り . こ Lにグルマン的圏憧精紳に﹂即した中世
紀最後の、そしてまた近代民主的精神に目畳めた最初の﹃都市法﹄てふ地域法を賀した。大時以上の如き構造を持
(一一﹀
・v
32
o日付)・﹁樺
つ中世猫逸の諸都市は、この特殊法の法域であり、外観としては防備を、内容としては﹁自由﹂ハ
自己ロロ仏空色付
(EV
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の有
一般政治の場面に自主的に登場しても、それは決して古代世界や中世伊太利に見る如き領邦的
利﹂ (HN2V6・﹁卒和﹂(問, HHE-6 の 三 者 を ‘ 不 可 分 の 本 質 と し て 高 揚 し た 共 同 僅 で あ っ た 。 そ れ 故 ‘ 帝 圏 内 の 澄 刺
たる小園家として、
都市圏家の様相を一訴さず、飽くまでも帝園と皇帝の樺戚を仰ぎ、また﹁田舎と都市﹂
Z R円宮口え な 構 造 を 望 み 得 べ く も な か っ た 。 こ の 意 味 に 於 て 、 調 逸 都 市 の 法 的
機的開聯を維持する相例措尚一固有の圏憧形成であった。従って市民意識と都市法制の中に、所謂近代園家の小模型を認
め得ても.そこからは未だ直ちに
B) への過渡的形態であったといはたければたらぬ。
構遣は、どこまでも近代困家乃至は猫漁一的領邦(吋巾RFZ江戸
gpe-F丘町 N目的同∞甲 IFを参照しなければならぬ。
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中世狗逸都市に見る法律関係を解︿鍵を見づけんとした最もす戸、れた研究として、
(一一) 羅馬化された西南ぬ逸のキゲィ 9スと、純粋にゲルマジ的なプルグとの、雨者の内部構造を分析することによって、
附
註
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﹁都市﹂たる所以の標識となしたことは、また自然の勢であったといはたければならぬ。蓋しグルマンの諸法.わ
結果に於て比較的劃一的に、自らの新しき社合構成に印屈せる法規範を要求し、農村とは異る特殊法域を形成して
の如何に臆じて諸多の形式を示した複雑な村落構成に比すれば、都市共同瞳が、その成立過程の多様性は兎に角、
(CEロ白日戸内リコ)の力強き支配下に、 わづかに古き俸統と因襲に彩られた圏鵠法制を育くみ、農地の情勢・耕作技術
於て、大略上述せる如き形姿と様相を具備する吐命日単位であった。 そ れ 故 、 農 耕 を 主 た る 営 み と な し 、 症 閤 領 主
外観を一不す来落形成と日一七、あらたに硝逸民族史の前景におしいだされた中世の諸都市は、極めて類型的な意味に
58) の達成を標梼する共同盟として‘また地理的には特に封鎖的なる移住様式
経梼的意味に於ては商人及び手工業者を中心とする新しき集圏の護見として、法制的には所謂﹁自治
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ものではなく‘長き過程を経て漸共に、現賞祉舎生活の内面的要求に印して、圏盤によって﹁擢利﹂︿河2 E﹀とし
て獲得されたるものなることを想へば、新しき地域圏煙たる都市が‘固有の﹁法と裁判権﹂を有する自治の完成に
(一四 U
百向付目。宮﹀は、 中世猫漁一に於ける法源一般の中に果して如何たる地位を占め. またそれ白檀として如何
遁進した所以が背かれるであらう。然らばか Lる自治的精神の具盤的表現であり、特殊法域の法規範たるべき﹁都
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市法﹂
なる構成要素より成立せるものであらうか。
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ク時代の法盟系は、王国の分裂瓦解、調抱一園家の形成瑳展とともに漸共にその影をひそめ、十一・二世紀の頃に王
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N叩仙の町田川町228 は.この期に及んでわづかに﹁和平令﹂殻
れば、これと金く趣を具にする封建潤迭の法僅系が、賞質的にほ Yその素地を固めること Lなった。印ちカロリン
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グ王朝盛時の強力友王大擢ハ別品-
布 (F山口日叶円色町出ー間的巾師四件 N
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骨2 E旬、に移りゆき、この同者の問からあらたに、封建諸関係を律する封建法(﹁巾H
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。日目白田可刊のげ4
0 と、妊関内部に於ける私的・支配的且つ慣習法的法源たる妊国法(出 O片足の宮)とが、会慣に劃する
特別法として形成された。十乃至十二世紀を以て‘これら諸法源が現賀に混在したがらしかも様相としてお芯520
(増岡)
二八七
を 寸Hpmo
叶 と す る 慣 習 法 全 盛 の 時 代 で あ っ た と す る な ら ば 、 こ れ に つ Yく十三世紀ば.かの有名な﹁ザックセン
濁逸都市法形成の批舎史的英礎
東京商科大血中研究年報
第四時肌
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法皐研究
鑑﹂ 38F85宮町内開。・﹁ドイツ鑑﹂
ロ骨gE と H各
A 日2宮 を 、 そ れ ら 各 々 の 質 質 的 措 営 者 た る 諸 種 族 乃 至 は 法 掠 白 煙 の も つ 現 賓
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2Eごとが、政治的・法制的費遁と
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成せら・れ、やがてその迅速な法糟受による普及力は、濁漁一圏内は勿論.園境を越えて中欧・北臥の各地を蔽ひ、肺秒
味して、勃興する第三階級﹁市民﹂に、ひとしく安営するところの新法掠
慣習の問から鷲らされ、さらに今あらたに、これら諸法を直接間接の素地となし、また固有の新要素を積極的に加
H2 Eこ と 荘 園 領 主 の 私 的 支 配 の 基 準 た る
閥係の一般法規たる J 、O H号
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Eこが民族的慣習を根基として形成され、 ついで封建
となし、その下にまづ最も普遍的なる﹁一般法﹂zFEH2
2Nσ3 を会憧統一の基幹
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措合、大局より観れば‘概ね自らの民族精神と多端な祉合費革の必然に臨じた錯綜せる法源整備の憧制を完成した
ハ一六)
こ Lに於て中世後期の濁漁一法憧系は、南方伊太利法拳の勃興に伴ふ羅馬法系の綾慢なる部分的糟受の世帯賓は姑く
としては公的な新しき法源であった。
の分樺的モザイIクを背景とたし、市民的祉舎の特殊性がうみいだしたところの、地域的には特殊友、しかも性格
代に該賞する。まことに、都市的諸樺利の集積たる吾々の都市法は、かうした複雑極まる法源の交叉と封建諸努力
いび得ベく、同時にまた、主口々営面の問題たる﹁都市法﹂が、多彩な推移を経て漸く完成普及の段階に到達した時
勢力に邸して、盟系化し一般化し統一化せる所謂﹁法律書﹂(列2広島常ぽ吋)編纂の風潮が一時に開花せる時代と
上越諸法源就中
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ある。諸法源の併行を認めながら、しかもその新しき契機の故に、中世後期を以て所謂﹃都市法時代﹄と名づける
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ことは、法源史的観駄よりする限り、また一腹の E営さを持つものといへょう。
中世法源としての都市法は、大様叙上の如き一般的・法源的欣勢の中に形成された。しかしそれは猫逸都市一般
に一時に典へられたる成文規範ではなく、極めて個別的に個々都市によって獲得されたるものなるため、その構成
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要素としての言葉の正しき意味に於ける﹁法源﹂ (
HW2E25HZる は 、 時 代 に よ り 各 都 市 に 臆 じ て . 少 く と も 登 生
史的には極めて多種多様な結合・作用・護展の様相を示したことを注意したければならぬ。然らば如何なる要素が、
都市法構成に直接する源泉として参興したのであらうか。杢樫として観た都市法形成の、長き過程に表はれた主要
要素を抽出し、その各々のよって来る源泉を示唆すると同時に、この法がもっ特質の一端をあとづけてみよう。
その第一は、都市が成立の首初より何らかの意味に於ける地域的圏煙たりし事賓に起因する二つの基本的法閥係
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の存在である。印ち一は﹁共同憧﹂ (C85ERHO)的 構 造 の 深 奥 に 流 れ る 圏 樫 的 ・ 慣 習 法 的 性 格 で あ り . 他 は そ の 圏
慢が蹄属する証園領主乃至は都市領主の支配的・・荘園法的色彩である。公的にたかめられた自治を本領とする都市
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k自身のめざすべき方向でたければならぬ。そしてまた、師にこの事賓より推測して、吾、々は、後に完
共同僅が、その誕生と同時に負はされてゐたこの劃立闘係を、何によって如何に庭理し・止揚したかを探求するこ
とこそ.吾
ロ骨2 E の規定が多分に採入れられ、のみならず庚義の当包丘中B2 とも見らる
成する都市法の中に、所謂 FP
諸要素が加味されてゐる所以を理解すべきであらう。
(靖国)
二八九
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) による特樺附典の形式を通じ‘法内
その第二は‘封建機構の特質から賢らされた所謂﹁特許欣﹂(匂ユirmZ
狗逸都市法形成の社合史的茶礎
東京商科大胆午研究年報
法卒併究
第四競
二九 O
容としては個別的・具樫的に、都市乃至は市民会憧が、直接間接園王の大様にまでつながりゆくいはど法的地位高
揚の契機を獲得した事貫である。少くとも法制史的見地よりする限り、都市法形成の研究は、何よりもまづ、かう
した特許献による都市的諸樺利集積過程の分析を中心としてなさるべきであらう。何となれば、この契機と渇程こ
そ‘都市共同盟を漸共公的性格にたかめ、市民の身分的自由原則を客観的に確立した最大の基礎であったから。印
ちいま極めてシェマ l ティッシュに、 フランク時代より十三世紀までに現はれる都市闘係特構内容の法制的建謹を
J55日正件付与口三広間 HBAJ
(020 の公権力を積極的に附興し、産民を自由民化する重要な
示せば、ハ一﹀園王より都市領主に輿へられたづ公的役人支配よりの除外﹂としての
(二)園王より都市領主に劃し、公的役人たる伯
民田岳町甲山4HZEg)、二一﹀主としてライン諸都市に於ける都市
契機を費した所謂﹁オット i諸帝の特許欣!一 C20
領主封市民の政治的闘争に由来するところの、園王より直接都市又は市民に興へられた特許紙、(四)進歩的諸都市
乃至は新建設都市に封し、比較的組括的に附興された特許航、の四段階に分つことが出来る。尤もこの分類は決し
て断定的なものではない。特に第三・第四の雨者に至つては、都市勃興の最盛時に首り、闘王・都市領主・市民三
者の政治的・法制的地位の諸関係は、容易に綜合・把握し難き複雑な形姿を展開してゐる。しかしいづれにもせよ.
中世後期の諸都市が、直接自ら、または都市領主たる諸侯貴旋を通じて、いはど公的にまた観念的に、園王の高樺
を仰ぎみる法制的根擦を費見したといはなければならぬ。そしてこのことよりして吾々は‘かの創と楯を把持して
立つ騎士﹁ロ 1 ランドの像﹂(問。︼ μ出向
mEZZ6E ﹁自由の十字架﹂もて象徴された所謂﹁市場汗和﹂・﹁都市卒和﹂
並びに﹁都市自由﹂の理念が、その淵源を建く闘王の保護と玉城の平和に設すると考へられた所以を想ふべきでは
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なからうか。
第三に皐ぐべきは、都市と他の封建諸勢力または他都市との聞に取結ぼれた協定文書、及び都市内部に成立した
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諸種規約の類びである。例へば司教都市に屡々見うけられる領主封市民争闘の協定、園王による市内田
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和の仲裁、都市相互聞に於ける特定事項に闘する同盟.ツンフト・ギルド共他都市内諸圏馳胞の仲間規約等がそれで
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あり.最初のうちは個別的た d井戸ロ仏P Cるロロロ 円
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成に直接間接参興したものと考へられる。
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第四の構成要素は、法的に日叩められた先進都市の﹁市参事曾﹂︿ο
ハ一一一一
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裁判所の判決である。想ふに中世濁抱一都市に於ける初出 H 制 度 の 確 立 は . 所 謂 zmxp
質的達成と共に、﹁自治盟都市﹂の完成をつげる二大指標であった。ざれば立法・司法・行政に闘する庚範な権限を
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都市領主より獲得した岡山主が.或ひは市参事員の合議により・或ひは共同捜の同意協賛を得て作製した諸法規
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pogpppzg) は、 HWPけと密接不可分の関係に立つ公的﹁都市裁判官﹂
HH目的gvωHQPJH
。伊なるの鷲らす判決と並んで.完成期に入った都市法内容の充貫整備を促進する設大の自治的源泉であったといは
な け れ ば な ら ぬ 。 尤 も か く の 如 き 公 的 自 治 機 関 と し て の 月日昨の権限と、都市領主及び都市共同盟白樫にそなはる
権限との庚狭・強弱の諸関係は、決して一様ではなく‘各都市の特質に臆じて興味ある相遣を示し、後述する﹁都
市法族﹂(宮白血R2vgF自己ぽ口)の形成に常り‘有力なメルクマールとなって作用するのを見るであらう。
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最後に、そして第五の要素ともいふべきは、都市法制の成立過程に、最初からいはピ見えざる精神的基礎として.
濁 逸 都 市 法 形 成 ω枇 舎 史 的 某 礎
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東京商科大準研究年報
法的学研究
第四時肌
調混一史をつらぬく光開ある思想史的根幹として評債さるべきはいふまでもない。しかしそれと同時に吾々は、歴史
一般民衆によって意識的に成遂げられた最初の文化史的社合草位であり.そ
の長き推移を温って、この根幹に働きかけた他の要素、わけでも基督教的精神の股存を看過してはならぬ。中世都
市の法制と構造は、この意味に於て、
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の新しき生活感情を現貫生活に、活かし、これに則る圏時的諸権利の蓄積に精
の圏樫組織の全面と生活感情の深奥に、教合組織と加特力精神の無意識的反映たる特質が秘められてゐたと考ふペ
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きではなからうか。市場の十字架を通じて園王の樺成を仰ぎ.王に愛するといはれる﹁都市平和﹂を遇じて﹁自由﹂
C52gろと﹁同胞﹂(守丘町司旦宮町)
一種の誇りをさへ畳えたであらうことは想像に難くたい。
迭した中世潤逸の市民階級が、各一々向らの都市をイデアールに、﹁王の保護と紳の柴光に耐幅された特殊法域﹂
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H品目るたる法生活に、
観じ、市民 (
濁逸中世に於ける法源一般の詳細な史的考察については、。・
20 ゲゲO の 古 典 的 名 著
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市場取引を中心とする商業祉舎の慣習がうみいだした商法の萌芽等々は、みなひとしく都市法形成の努力が粛した
みとることが出来る。都市卒和の理念より導かれた自治の精神、少くとも法的に確立された身分的差別撤農の原則、
さればそこから五口々は‘撞頭する市民社舎の貫情に遁合しゅく新しき法意識の誕生と、更に新しき法源の萌芽を汲
中一世濁逸の都市法は、概ね上越せる如き法一線史的地位を持ち、諸多の要素を復合して形成された新法源であ♂一問。
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何らかの示唆を提供したと考へられる教舎の影響である。グルマン的民族精神に彩られた町盛な圏慢構成の事費は、
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拓かれなければならぬことはいふまでもない。換言せば、前者はいはピ純粋に法律史的なる分析の態度であり、後
者はその分析達成の橡備的・基本的操作として首然なさるべき法制史的・枇舎史的考察であるともいへょう。吾・
Lげたさ Lやかな目的にそは
白色ロ仏巾﹀としての都市によっ
(CO
が本節に於て.主として都市法形成過程の一般史的概要を描出し、以て本稿営初にか
んとする所以も、全くかうした預備的操作への意欲の表はれにほかならたい。
さて、法源史的に観た都市法の内容が、師に前述せる如く‘つねに﹁共同僅﹂
c それ故.
て確保された圏憧的諸擢利を基曜としたため、その形成過程の特色も亦‘何上りもまづ個々共同樫、郎ち個々都市
白檀が樫験した成立事情の特質に、最も強く制約されるてふ現象を呈したことは否み難き事貫であった
吾、々の探求も方法上の隈格な意味では、あたかも都市成立史一般の研究に於けると同じく、数多き個々都市の成立
Lる徹底的な
事情を比較し綜合する問から‘特に法形成の契機となった本質的な史的事象を抽出し.それらを一般枇舎・法制・
政治・経漕等との史的閥聯の裡に理解するといふ緩めて困難な課題に逢荒するわけである。しかしか
一躍満足さるべきであらう。
解明と史料に印した個別的叙述とは‘到底吾々の零易に企て得ざるところであり・従って本稿ではわづかにか Lる
企画への序説乃至は一試作たるを以て、
K都 市 機 構 の 個 別 的 解 明 と 綜 合 的 把 握 を 企 て .
想ふに中世都市の成立問題をめぐる濁抱一史朗学界のめざましき研究成果は、或ひは政治法制史的観黙より、或ひは
世合経緯史的立場より、また或ひは新しき歴史地理闘争的見地より・各
そこに都市種別に閲する諸多の類型と想定を賀した。例へば﹁王宮都市﹂・﹁羅馬都市﹂・﹁城砦都市﹂・﹁司教都市﹂・
(靖国)
九
﹁建設都市﹂・﹁帝園都市﹂等の類型に見る護生史的分類、﹁市場都市﹂・﹁商業都市﹂・﹁鏑山都市﹂・﹁工業都市﹂等の
濁逸都市法形成の枇舎史的某礎
三
五
東京商科大拳研究年報
法築研究
第四時蜘
二九六
名稽に見る都市経博問機能乃至は市民構成の特質に基く種別等の如きは、その最も代表的た一例である。しかしこれ
ら諸類型の多くは、決して一都市に絡始固定されたるものではなく、時代により観賄に麿じて想定され、歴史的に
は相互に相蔽ひ得る約束をもっ概念であることに注意しなければならぬ。かの古き﹁羅馬都市﹂の CHC
EktqS1a
ロ
ロP から出愛したケルンの町が、五・六世紀の頃フランケン諸王の﹁王宮都市﹂となり.八世紀末葉大司教匿の設
(二六﹀
置を見るに及んで典型的﹁司教都市﹂たる繁柴を一不し、比類たき﹁商工業都市﹂として中世中期の世界市場に君臨
した輝やかしき事例に照らせば、この謹の一事情はおのづから明かであらう。然らば特に濁逸都市法の愛生過程を顧
みるに嘗り‘かうした諸種の成立起因と登展様相の特色をもっ都市群を‘如何に分類綜合し、釘比考設することが
Lに何らかの態度と方法の選揮を要求されること Lなる。
問題を最も遁確に把握し得る方法であらうか。 一つには叙述の混甑をふせがんがため‘他はこの研究をして五口々自
身が抱く猫逸中世史一般の構想にそはしめんがため、こ
、
、
、
この必要に劃して吾々は、大様共の諸理由の故に、調漁一都市の大群を敢て﹁司教都市を代表とする古き時代上り
の諸都市﹂と、﹁建設都市の締稽もて呼ばれる新しき市場的移住諸都市してふ二種の類型にわかち、この雨者に現は
内包吉司自己乙を中心としてなさるべきであり、事貫この期の前今
OH注 目 白HHO
れる法形成の特色を比較描出してみたいと思ふ。即ちその理由の︿一﹀は、都市法護生過程の考察は特に十世紀以降
十三世紀後半に至る所謂猫逸皇帝時代(り
に於ては、既に古き時代の王宮都市・羅馬都市乃至は城砦都市等の直別は、司敬職・大司教職の設置又は昇格によ
って概ね消滅し,少くとも法制史的観鈷上りする限り、多くは貰質上の﹁司教都市﹂たる面目をそなへてゐたと考
へられるからである。理由のつ一)は、都市法を以て法源史的に‘調逸封建制度の中から自然に粛らされた法制上
の必然的成果であると考へ、その形成に働きかけた諸要素のうち、わけても政治的動向と経礎的稜展の雨作用を霊
L法形成獲得の著
んずることによって、封建吐合そのもの L登展過程の一端を窺はんと欲するためである。そして理由の(三)は、
十二世紀乃至十三位紀前牟の所謂都市法完成期に於て.上掲二種の都市に殆んど潤照的に見らる
しき差遣を霊闘し‘そこに都市法普及の問題に闘する何らかの示唆と、封建制度の進みゆくべき新しき轄換の方向
とを見出さんがためである。
か Lる諸理由よりうちたてられた二つの都市類型に闘し、更に内容的に若干の設備的説明を加へるならば、﹁司
25叶叶﹀たる司敬の私的支配を中心に愛生し、
教 都 市 ﹂ に よ っ て 代 表 さ れ る 諸 都 市 と は 、 最 初 土 地 領 主 (CE
ロ
h領 邦 化 的 傾 向 と 、 園 土 及
B) の諸侯君主が、向領の経礎的繁栄を計ら
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濁逸都市法形成の一位舎史的基礎
(増岡)
二九七
σロ品wH吉田宮内FEmp 等の諸都市は比較的初期にみる建設都市の好例であらう。然らばこれら同種の都市は、その
の代表的な貫例であり、
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町
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的 推 移 を 経 て 登 展 し た も の で あ り 、 後 者 は 比 較 的 短 期 間 に い は Y計霊的に成立したものである。同刊かP 旨 mw NWE'
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民pmpE可阿佐一寸の古き諸都市は司教都市
んがため、新規に政策的配慮を以て建設した諸都市であるといへょう。それ故、前者は複雑な政治的背景の長き史
(二七
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び商業交易のめざましき蹟大愛謹の故に乗じ、有力な領邦(、吋2
いひ得ベく‘之に瓦して﹁建設都市﹂とは.十二世相中葉以降各地にその萌芽を見らる
に目叩めゆき‘絡には都市領主に謝する﹁櫨利のための闘争﹂を経て.調自の民主的法制を獲得した諸都市であると
司敬擢力の増大とともに、封建貴族としての都市領主(望包526たる司教を通じて漸共に自らの法的地位を公的
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東京商科大血中研究年報
法問晶子併究
ω
第四日抗
二九八
法形成の過程に於て、如何なる特色と差異を展開するであらうか。吾々はまづ順序として、司教都市に於ける都市
法の費生をあとづけなければならぬ
(二八﹀
﹃司教都市﹄(呂田口宮向田田区白けるの法形成は‘かのケルン市の法制に見る如き、都市護生の首一初より内在する比較
QB35比
EC を享有する弘似合
的濃厚な共同種的・公的性格を例外観するならば、組括的にいって、大様共の三段階にわけで考察されることが最
も遁営であらう。
即ちその第一期は、フランク盛時以降、主として公課及び公権力よりの免除特権
所領に、いは Y司 教 の 邸 宅 た る 出 止 を 中 心 と し て 形 成 さ れ た 都 市 的 棄 落 が 、 土 地 領 主 ( の Hd
ロ
仏rqH﹀としての可
教の私)的支配を、その主たる法的・政治的中植とたし、自らの法生活を営んだ時代である。従ってこの時代にあっ
ては、未だ都市領域と圏種的法領域とは合致せず、都市住民の法律関係は、その各々の居住する土地の所領閥係に
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2口
依存してゐたといはねばならぬ。印ち都市内部の土地は主としてはその数合領であるが、このほかに尚ほ他領も混
古2
在 し 、 ま た 古 き 自 由 民 も 少 く な か っ た と 考 へ ら れ る 。 そ れ 故 、 数 合 領 民 は 所 謂 EZB
教に封し隷層的関係に立ち、その旺法的支配と裁判樺に服し、他領の旺民は各々自らの土地領主の薙法下に律せら
れ、た Y自由民のみが玉の役人たる伯(の23 を通じ、原則として完全なる公的支配と公的裁判を享受してゐたと
Lも・しかもその上に.私的性格を
考へられる。そのため、未だ法的・政治的に確立されざる漠然たる都市領域を金程として観るならば、そこに苦々
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伊 た諸要素をいは Y見えざる一般的素地とたしつ
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は、かの士口き︿o
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もつ旺法と、公的性格の根源たる王様とが、併存闘係に於て作用してゐた事責を認めざるを得ない。而してこの事
賓こ之、統一穂としての都市の法的議展を妨げた一つの大きな原因であり・同時にまた﹁都市領主制﹂の確立に進
む過渡的形態であったといへょう。
これにつピく第二期は、この錯綜した支配闘係を.﹁封建制度の進展﹂といふ枇合的・政治的一般過程とパラレル
ハ二九)
に法制的に整理し‘都市領域の確立が賀らされた時代であり、換一一コ目すれば、オット 1諸帝による特権附典の時代が
それに該営する。想ふに封建制度の進展は、主従の身分関係と土地其他の思給関係より吟味さるべきはいふまでも
ないが‘園家法制の外形より一面的にいへば、カール大帝の頃を頂貼として凝集された﹁王に特殊なる槽利﹂、即ち
園王大樺(閃んい旦官円高丸山 Oロ﹀が‘個別的・思惑的に、本来の公法的性格を具備しながら、漸共聖俗雨界の貴族に吸
牧・移譲せられ、具樫的内符を豊富に匂識する大樫が、いはど高構として抽象化されゆく描程であるとも考へられ
る。公園分立の欣勢と諸侯貴族の接頭を、兎も角も現質的に綜合統治するといふ使命を負はされたザックセンの諸
帝は、この目的の途行にそム一手段として数合政策を重要闘し‘或ひは血族を司教に任じ土地を寄進し、或ひは特
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りされた統治政策の一表現であり、封建制度進展の穎著な一徴候と見
邑田口宮
に大擢一部の附典・移譲を行ふ等の方法を選んだ。 司教都市に典へられた所謂﹁オット l の特許昧﹂(。20
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LZEゆ る も . か と G事情のあひだから賀
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倣すことが出来る。
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H口正広の場合に於ける単なる﹁公的役人よりの免除﹂に反し
さてオット i特許般の本質は、第一期に見た如き復雑な法律閥係を.主として裁判権を中心に司教に統一し‘そ
の裁判管匝を公的に確認した黙に存する。印ち
(帯同一 ν
この特許献には積極的法内容と公法化への契機がふくまれてゐた。司教はこれによって、自らの都市及び都市所属
濁逸都市法形成の一枇舎史的基礎
九
九
ぐCH20bc
東京商科大血中餅究年報
の一定地域(例へば
法皐研究
第四球
Oつ
一
二
に封し、一営に領民に劃する旺闘領主たるのみならず、その地域内に位する全市民
の、公的﹁裁判領主﹂(の常貯の宮島町吋吋)たる地位を時保したことを意味する。換↑一一目すれば、証国領主の諸樺利と伯職
Lに町山胎するといへょう。
Lる 推 移 と の 閥 聯 に 於 て 考 へ ら る べ き で あ り . 後 世 都 市
Lなったわけである。圏内全土に正一る市場・揖閥其他の経時間的諸施設
の諸樺利とが、司教たる同一人に結合蹄鳳し、司教の地位は‘公的裁判管直に関する限り、従来の伯(の宮内)と同
等の八ム法的共一克に於て、闘王に直属すること
ハ
一
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が‘公的に確認されたことを物語る多数文書の存在も、か
が 、 あ た か も のE町田口宮、止と割等の法制的地位を主伝した起閃も‘こ
しかしこ Lに注意すべき一事は、この特許扶によって市域内住民の全てが白由民となったのではなく.従来の旺
2wE と私的なる図。R2wE とは、その
民は公法・荏法のいは Y二 重 の 関 係 に 於 て 律 せ ら れ 、 公 的 な る F Pロ己的
ま L併 存 の 姿 を 持 続 し た と い ふ 黙 で あ る 。 印 ち オ ッ ト I 特 許 肢 の 日 標 は 、 隷 属 民 を 自 由 民 化 す る こ と で は な く 、 症
閤領主としての司教の権限を認めながら、他方に於て司教を的職化し、公権力と荘法との長き権限抗争を、 一躍安
L裁 判 管 匝 で は な く 、 飽 く ま で も ﹁ 都 市 領 主 と し て の 司 教 ﹂ の 裁 判 管 直 で あ
協せしむる政策にあったともいへる。従って新しき公的裁判管区が、現貫には都市中心に確認されたとしても、そ
れはもともと﹁都市共同樫﹂そのもの
一見市民の利益とみゆるものも、その賞、司教による何らかの政策的意国乃至は財政的牧盆への配慮
ったといはねばならぬ。きればこの期に於ける都市的諸権利の獲得は、綿じて都市領主たる司数を通じて行はれた
ものであり‘
が秘められてゐた。しかしそれにも拘らず、否それなればこそ吾々は、かうしたオット!諸帝の安協政策の中に、
早くも進取的都市の性民をして妊法闘係より脱却せしめ.自治行政を核心とする自由民化への力捌き方向が示唆さ
れてゐるのを譲みとることが出来る
そしてこの示唆を官現することは、
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向上.それに基く園鶴的公法闘係の高揚に存してゐた。
一にか、って市民会憧の経梼的・政治的
L形 式 的 ・ 法 制 的 に 認 め ら れ な が ら も .
従って第三期は、都市住民自らの政治的・経時的勢力の向上が、領主たる司教の政策と衝突をきたし.新興﹁市
民階級﹂棒頭の華々しき闘争が各地に展開され、都市領主の一地位はそのま
ハコ一二﹀
L附 興 せ ら れ る て ふ 所 謂 都 市 制 度 の 確 立 、 従 っ て ま た ﹁ 都 市 法 の 完 成 ﹂ が 粛 ら さ れ
市民による賞質上の自治が、長き抗争過程を経て、対立制乃五はこれに類似する制度を中心に達成され、王の特権
が直接、都市または市民に宛て
た時代であり、具盟的にいへば.十一世紀の後半以降十一一一世紀の中葉に及ぶ時代がそれに蛍る。而してほピこの二
社紀問はあたかも都市経掛勃興の夜明け前に蛍り、加ふるに叙任権争議、東捕逸植民運動、十字軍‘囲内領邦の接
Lる一般的吐合事象との直接間接のまつはりに於て理解さるべきはいふまでもない。
頭等々.濁逸民族史は所謂﹁近世﹂に移りゆくための限りなき答き悩みと新しき青春を睦験した時代であった。そ
のため都市法形成の過程も、か
しかしこ Lに特に問題を限って‘市民階級の政治的進出についていへば、吾々はその設も端的な、また最も初期
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σ ロ品
の 貫 例 を 、 か の ハ イ ン リ ッ ヒ 四 世 治 下 の ラ イ ン 沿 岸 諸 都 市 . わ け で も 司25P 同2pmH53F 民包ロタ者{
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して敢然都市領主たる司教の政策を排し、自らの生命財産を捧げて王に忠誠を誓ひ、孤立無援
等市民の、司教への反抗暴動に窺ふことが出来る。王様と教権、闘王と事一一俗雨界貴族等.錯綜せる政治的劃立の同
に伍し.市民会憧
の王を兎も角も救ひ得たこれら市民階殺の光輝ある行震は.濁ぬ一市民階綾勃興史の上に特筆さるべき舵翠であり、
(射日)
同時に.自治への大道を賞力もて開拓しに端緒であったといふも.敢えて描三口ではなからう。かくて早くも一 C 七
間間逸都市法形成の一批舎史的茶礎
。
東京肉科大卒研究年報
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法事併究
策阿波
一一一一年八月及び一一一四年十一月‘各々スパイ
出
この反抗・暴動を契機として、司教の質質的支配カが弱められ、反割に
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中心公術となる列伊丹制を達成するまでには、山川ほ若干の蕗片を要した。否
-mE 制が確立されても、山町はそのメ
ちそれである。しかしこの興味ある過程は.各都市の政治事情に臨応じて板めて多様な様相を一不し、後に都市行政の
によって占められてゐた都市闘係諸役人の中に、噺共自らの地盤を築いて喰込んでゆく市民的役人の進出過程が印
市民の自治的精神が.極めて兵種的に.都市法制の隅々に躍っ一たといふに渇ぎね。従来司教のミ-一ステリア l レン
L
﹂雌も依然として存績したのであり、た
かしこれによって直ちに.法制的に都市領主制が時捻れたと考へてはたらぬ。即ち司教の都市領主的地位は、その後
およそ叙上の如き推移を這って、司教都市の市民達は、漸共に金樫としての圏樫的自覚のい肢を昂めて行った。し
向治樫完成への遁進を物語る貴重な資料といはざるを待たい。
ッヒ一世・フリードリッヒ二世等による都市的諸樺利の附興並びに更新文書は、いづれもこの傾向を促進せしめ.
都市の経椀的・政治的向上に資ぜんとする記念すべき兵樫的表現であった。そしてその後の諸帝、就中フリードリ
慢とする都市法完成の位傍を供したことは‘すべてこれ、前述せる如き﹂新興階級の賞勢力を認め、他方また共同盟
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等の用語を持つ諸積免除・貨幣信治・土地蹄属時殻等に闘する康範な特許欣を附典して‘市民を主
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ル及びウォルムス市民に劃し、 h
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・02ロ巾出門戸己宮企izgm18口氏自。仏CFREE52日仏丸信号官官EZ足
また市民勢力の侮るべからざるを知ったハインリッヒ五世が、
四年一月、園王ハインリッヒ四世はウォルムス市民に封し王領関税地六ケ所に於ける徴税免除の特許欣を附興し、
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ムパーには司教の家臣たる騎士ミニステリア I レンの要素強く・これを純然たる市民の掌中に獲得するまでには.
相営長き経緯を経なければならたかった。部ちその極めて早き貫例を供するストラスプルグに於てさへ、同主制の
(ゴ一四﹀
(一二五﹀
成 立 を 見 た の は 漸 く 一 一 二 四 年 以 降 、 殊 に は 一 二 二O年 乃 至 一 二 八 二 年 の こ と に 麗 し 、 ケ ル ン の 如 き は 一 二 五 八 年
に至って初めて、ケルン都市法の基礎たる市民・大司教相五の仲裁協定を獲得したに過ぎない。
その詳細に闘する吟味は兎も角、この期に至って司教都市の多くは、形式的に司教の領主樺を認めながら.漸共
ひとしく自治完成の方向に進みゆき・闘王と市民とが特殊的に結合開聯し得る場面が、政治的・法制的に形成され
たと考へられる。換言せば、司教の専制に耐えかねた市民は暴動の形をとってその買力を示し、これを牧拾する客
観的方策としてム口議樫伺丘 の 制 度 と 市 政 参 輿 の 道 を 拓 き 、 更 に そ こ に 働 く ミ ニ ス テ リ ア I レ ン の 貴 族 的 色 彩 を 迫
びやることによって、市民的デモクラシーの獲得に精進したといふべきであらう。そしてこの最後の努力を通じ‘
普ねく市民の乎によるほピ完全に近き自治制を確立し、都市法の柴えある完成を粛したのは、各都市により千差高
別の形姿を一不すとはいへ、まづ十三世紀中葉の出来事と観て差問たからう。
吾々が司教都市に於ける法形成の第三期として叙述した以上の如き二世紀聞は、まことにその異質の意味に於て、
﹃自治(九日丘。口。百円。)への闘争﹄の名にふさはしき時代であった。しかしそれが達成された十三世紀中葉は、他方
Lあ る 時 代 で あ っ た 。 さ れ ば 苦 々 は こ Lに 考 察 の 眼 を 轄 じ て 、 第 二 の 都 市
調滋一東北部被民運動の全盛期にや同り‘圏内及び新開地を縫って新たに建設された無数の新興都市は‘まさに自らの
経憐的飛躍への準備を着々として進めつ
(増田
類割、即ち﹁建設都市﹂に於ける法形成の遁程を顧みなければならぬ。
狗逸都市法形成の枇合史的某礎
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東京商科大挙研究年報
法事研究
崎中四時肌
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﹃建設都市﹄(のユロ仏戸口問g
zaZ) の成立を可能ならしめた経構的基凶は.司数都市の繁栄と同様、
片付宮口出門主開︼ロロ
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一般的には.
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町
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﹀ を基調としたことはいふまでもないが、吾々嘗面の闘心はか Lる基本的分析に存する
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十 二 世 紀 後 半 以 降 に 於 け る 猫 逸 を 通 じ て の 商 業 的 護 展 で あ り 、 そ の 形 成 遁 程 の 本 質 が . リ l チェルの所謂市場的移
性(出向
のではなく、都市法形成上に持つこの都市類型の特色に限られなければならぬ。そしてそのためには.何よりもま
L内 容 を 、 個 別 的 ・ 兵 標 的 に 考 へ る な ら ば 、 こ の 種 に 属 す る 都 市 と 雌 も . 決 し て 簡
づ、建設都市成立池程の特質を、法制的・政治的動向との聯闘に於て把握することを要する。
想ふに﹁建設都市﹂そのもの
け
(一二七)
の形を一不し、また或ひは会く新しき土地または異民族の褒落跡に設立される等、
皐な一様の形成を示したわけではなく、例へば古品川}濁逸都市の市直蝿張の形をとり・或ひはその近傍に新建設され
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民
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た辺各叩 H田
H 宮内ロ乃至は
麗々雑多な様式・形態を認めることが出来る。しかしこれらを綜括してその特色をいへば.そのいづれもが閤王ま
たは領主の何らかの政策関象として、計霊的に企閲された﹁建設﹂(の司伊良山口口市川﹀に外ならなかったといふ事賞であ
り、そしてまさにこの黙に‘建設都市に見る法形成の特質が秘められてゐた。
抑々十一二世紀を頂賄とするかの驚くべき都市建設の風潮は、直接園王に依る場合は兎に角、 一般的にいって.
方では領邦形成の策運といふ封建祉舎の新動向と、他方では東滴逸権民運動の進展による新領土の時四大てふ二つの
民族史的推移を背景として、考察把握さるべき研鑓課題であらう。即ち園玉大権の個別的移譲を.漸攻康範囲に乃
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仏巾佐。
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芹を獲得し、自領の領邦的経桝政策に専念せん
8m) ・謹彊伯(民号付司え﹀らは.十二股紀中葉以降に王
一五は牡襲的に字け来った圏内諸侯貴族、めけても公ハロ2
れば、早くもその地方の小君主にも似た統治様、郎ち
とする傾向の萌茅を一不し.殊に東北諸地方では.植民政策てふ貫際上の兵償的必要を加味して‘益々この傾向を促
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進した。都市建設の企ても、その政策的側雨上り見れば.会くかうした新しき動向・新しき精神の表現といひ得べ
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(出。山口止のげ門円2F04﹃白)の都市建設
その初期に於ける最も顕著な好例である。
さて・叙上の如き事情を.直接の背景として設立された建設都市は、司教都市に於けるとは全く具り・建設首時に
見る一般的祉舎情勢と.蔽ふべからざる市民階級の経掛的・政治的貫カとを考慮した領主の政策的配慮の中で‘最
初から或る程度まで出来上づた特構内容を.所謂﹁都市建設文書﹂(宮包仲間円岱HHERE井口E g﹀ と し て ‘ 比 較 的
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劃一的に、 一時に附奥されるてふ領向を持ってゐた。尤も﹁建設文書﹂はそのま L ﹁都市法﹂ではなく・自ら別個
の性格を有し.主としては市域の確認・市場交易の諸規定等を主眼とするものであるが、その具種的内山?と精一脚が.
都市法形成に直接する極めて符接な関聯を有したことに一任意しなければならぬ。否、史上の兵樫的事例としては、
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口巾内広ロ) の形式を採るもの多く.その樫裁が未だ後世に見る如き成文化された法典都市法の形を
建設文書と都市法とを直別することには多分の困難をふくみ、寧ろこの両者を包括するいはピ﹁建設特権文書﹂
(の江戸戸仏ロ
具備せずとも、吾 Kはこの特許欣内容を以って、所謂﹁都市的諸纏利の集積﹂としての都市法の賞樫なりと見倣し
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て. 一磨差問なき賞情に接するであら一う。然らば‘かくの如き﹁建設に際しての特許欣﹂乃去は﹁建設都市の都市
間四逸都市法形成の枇曾史的茶礎
東京商科大卒研究年報
法拳研究
第一四放
法﹂は‘如何なる法源より委し.また如何なる特色を示したであらうか。
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5Oz--owwE呼ばれた建設都市の康範なる特擢文書は‘既に前述せる如く‘
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動の途行をめざす領主の意識的計量より策、りされたるものなるため、そこにはおのづから、進みゆく時勢に来ぜん
とする領主の政策的意闘と、霞頭する市民階級の澄刺たる動きが織込まれてゐた。之を例せば︿一﹀圏内各地上り
の植民・移性を奨働する人口政策、(二)外闘商人の自由交易を許可する市場政策、(一二﹀移住市民の白治的行政を最
大限に是認せんとする都市政策等がそれであり、﹁特許欣﹂に盛られた諸政策の具僅的表明こそ、建設都市の都市法
を彩る進歩的特色に外ならない。殊に東北猫抱一の新興諸都市に於けるが如く、都市建設の事業が、主として遠隔地
-cgZB白﹀の手によって‘いは Y投機的・請負的に途行された事買を想ふ時、吾々はそこには
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たらく極めて濃厚たる人常的計輩性と‘領主の領邦政策に合流して自らの活動領野をひろめんとする町盛な一部市
民階級の優越性の存在を見逃がすわけにはゆかぬ。ざればかうした都市法の兵髄的内容が、法源史的に見て、︿一﹀
L進歩的・民主的諸法制、(四﹀都市移住民の母闘乃
長き史的推移を経て集積された他都市の諸樺利、(二)経静的に優越せる司教都市其他に行はる、商慣習.(一ニ)ライ
ン下流をはじめ回融諸邦に比較的早くから行はれたと推測さる
五は母都市(殊にはウエストフアリア・フランデルン等)に於ける都市法制及び慣習法等を直接間接に耀交し、加
ふるに自由交易を高調する領主の政策的配慮を混へ、営初から比較的進歩的な、また法鍵系としても比較的整備さ
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へ四回﹀
れた統一性を持つ傾向を示したことは、その形成史上の特質より、営然の成行として首背せらるべきであらう。
尤 も か く い へ ば と て 、 建 設 都 市 の 法 形 成 が ‘ 純 じ て た Y 一同の特権附典によって達成されたと考へてはならぬ。
叙上の綜括は仮に司教都市との比較を明かにするため、極めて類型的に描寝された護展過程の叙述に外ならない。
従って事買は寧ろかく簡明なるものではなく、その都市の護展が一不す政治的・経持的動向に鷹じ.領主または園王
による数弐の更新・確認・増補等の特許献を経て、完成された場合多く‘相首複雑な推移を現はしてゐる。例へば.
一一五七年ハインリッヒ獅子公より附輿されたといはれるリュ I ペックの特許献は.原本文書を散糾問して具僅的内
容を知る白もなく、わづかに他都市法との比較並びにその後に於けるリュ l ペック市特許献を通じて、規定の概略
を推測し得るに遁ぎない。殊に十二・三世紀に見る都市の勃興は、各自共同惜の柴春を誇示せんとして、都市関係
(四五)
文書の儒作並びに改京の驚くべき風潮を示し、都市研究上級めて悶難な.またその故に極めて興味ある課題を投げ
かけてゐる事責に徴せば.建設都市の究明も決して容易ならざる所以を想ふべきであらう。た Yしかし、この種都
市が持つ成立過程の特殊性の故に、剛山主制の確立・自治制度の獲得、従ってまた﹁都市法の完成﹂は、さきに見た
司教都市の場合に比し、透かに﹁革新的な迅速さ﹂を以って、また市民階級劃都市領主聞の葛藤・乳蝶少く、いは
ピ常にプログレッシ lずな精神に燃えて、短歳月のうちに達成されたと主張することが出来る。﹁自由﹂・﹁擢利﹂・
﹁卒和﹂の三者を‘その思想的根基として高揚する市民階級の柴えある特殊法が、却って建設都市に早く完成を見
たことは‘決して偶然ではない。事賞、既に十二世紀の後半以降、進歩的都市法獲得への諸俊件に窓まれたすぐれ
(場悶)
三C 七
たる一部建設都市が、史料の上で確貫に 同と制の存在を主張するのは、まづ十三世紀の初頭、わけでもその一一一十
狗逸都市法形成の枇舎奥的募礎
東京尚利大間学研究年報
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法泉研究
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年代.乃至は一般的にはそれ以降であり‘その或るものは司教都市に先んずる趨勢をさへ示してゐる。従って建設
都市の動向が、再び逆に司敬都市に反映し‘後者の、法形成に促進的作用を及ぼしたと思考さる L場合も少くない。
しかしその考誰は姑く措き‘以上の銭、述よりして吾々は、本節の冒頭に掲げた中世猫謹都市の二類型、﹁司教都
市﹂と﹁建設都市﹂の雨者が、ほピ十三世紀の中葉に王って、くしくもひとしく民主的精神に彩られた内自治樫都
市﹄の法制を獲得完成し、第一・第二の雨節に結べたが如き類型的構造と類型的都市法を持つ市民的共同樫、﹁中
世都市﹂の躍如たる面目を瑳揮するに至ったと結論し得るわけである。之を換言すれば.司教都市が長き苦闘の歴
Lなる。きれば﹁猫ぬ一都市﹂の、正しき意味に於ける全盛期の綜合
史を経て憧得した貴き成果を、建設都市は領主の領邦政策的配慮と新開地に躍動する市民の進取的精神の故に、僅
かに半世紀齢の推移を経て糧受獲得し得たこと
的考察は.法制史的にも経揖史的にも.まづ十三壮紀の前期を新しき出荷担鮪または轄換期として考へらるべき充分
の理由と根撮を持つであちう。
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都市類型の柄者が‘かうした共通の段階に達してより以降の法制史的展開、印ち一方ではパトリチアIト (
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びにこれら雨要素の交錯過程等に謝する考誰は、本稿蛍面の課題ではなく・他の機舎に譲らなければな b ぬ。た
こ Lでは‘その後に於ける都市法そのもの
成﹂に関する簡単な叙越を試みたい。
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( 四 七 ) こ の 問 題 に 関 聯 し 、 終 済 枇 合 同 学 的 観 貼 よ り 興 味 あ る 研 究 成 果 を 示 し た も の と し て 、 マ ッ ク ス ・ ウ ヱ l パーの論文、
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一腹系統的にめとづけ待たと考へる。そして吾々が最初主として政治・法制史的観
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主 憧 と す る 問 主 制 の 獲 得 、 従 っ て ま た 白 治 制 の 完 成 期 に 到 達 し . 所 前 32包 己 ロ 注 目 見 宮 守 ゆ っ 原 則 を 高 揚 す る
結よりうちたてた﹃司教都市﹄・﹃建設都市﹂なる雨都市類型が‘あたかも十三世紀の中葉に至り・ひとしく市民を
制の史的背景との閲聯に於て、
前節に於て吾々は.極めて概括的にではあるが、中世猫滋一都市にみる都市法の賞質的愛生遁程を. 一般社合・法
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東京尚科大摂研究年報
法血中研究
第四時抗
一部諸都市も.その後展油稜に於ける公法的諸闘係の差遣は兎も角、自治制僻立てム親知上りすれば.ほ伸弘前建一一
類型のいづれかに似た経路をたどり‘成果を得たものと観て諮問なからう。然らばかくの如く、すぐれた諸都市に
北日ねく、貫質的に形成された都市法は、その後の所謂都市全保期に於て、如何なる展開と普及の経過を呈したので
丘 E昆 吋03FVH25) の竣展過程に閥聯ぜしめ、極めて素描的に
あらうか。中世後期に於ける﹁都市と領邦L2E
この問題の輪郭を叙越し、吾、々自らの今後の考察に資せんとするのが本節の目的である。
十三世紀中葉に完成した諸都市の法が、その形成過程に於て、既に他都市の法乃豆諸特権 L
﹂・広川接な法源史的関
聯を有したことは、前節の叙述によっても明かであらう。'即ち.白治的精神に則る都市法完成の背後には、諸都市
、、、︿四八)
間の複雑な法的交渉が有力な一前提、またはそれ自身一法源として作用したわけであり、そこに吾々は、早くも都
一部都市のすぐれたる都市法は、そのまヘま
市相五聞に於ける法耀受の萌芽を認めることが出来る。この傾向は、その後領主による領邦政策の進展 L
﹂‘都市自
らの経済殻展に臆じて益々顕著となり・十三世紀後牛に入つては、
たは多少の修正を経て、所謂﹁母法﹂(区三Z32FC として多数の諸都市に檎受され、都市法普及の別目すべき趨
勢を賀した。法制史家が‘名づけて﹁都市法族の形成﹂と辞する一般的動向が印ちそれである。
vzF552φ の形成には二重の意味が合ま
しかしながら‘この問題を詳細に吟味すれば、﹁都市川民族﹂(密主可2
Eロ伊豆島)な見方であり、他は更に客観的な意味に於
れてゐる。即ちその一つは、いはど法源史的(室町ロg
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2岳山口宮FF﹀ な 見 方 で あ る 。 前 者 は 昌 三 宮7 BE2 の関係に立つ雨都市法を徹底的に分
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本位に解明せんとする方法であり、従ってそこでは.前述せる都市法完成以前の初期法櫨受の事賓と雄も‘そのま
ま研究の封象となり得るわけである。この研究を通じて五日々は、都市法が単に出来あがった都市誌としてのみなら
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A同l、﹁C口伊件。叶血片山仲色丹巾 の闘怖に於て考へ、
謂グルマニジ 1 ル ン グ の 波 に 乗 っ て 、 か う し た 基 礎 的 法 源 の 受 賞 領 域 が 、 園 境 を 越 え て 弘 ま り ゆ く 体 大 な 文 化 史 的
事象に接し得るであらう。これに反し後者は、法極受の過程を
母都市の裁判所をひとしく﹁高級裁判所﹂ (Cσ2300として仰ぎみる一群の都市集圏によって‘漸共に形成されゆ
mBE担問。白色号岳民C の構造を描出し、枇合的・文化的単位としての都市の活動を‘法制
く由同大な﹁、法協同樫﹂ (
﹁都市法﹂の普及過程を
史的考察一般の側面から理解せんとする方法であり、従って研究の霊駄が、都市相庁一聞の政治的・経静的諸閥係と、
k蛍面の考察も・まづこの方向にむけられなければたらぬ。
成文化された完成都市法自慢の俸播経路に限られるてふ傾きが強いといふべきであらう。
窺知せんとする吾
想ふに、都市的諸擢利の集積としての貫質的都市誌は、十三世紀の後半に入って以来、他の一般法律書出現の風
潮と共に、私人または公街の手を通じて、形式的にも整備の姿を持った汽。仏日として編纂される傾向を示した。
の規定・ツンフトの規約等を加味し、後
この編纂の年十︽は‘都市により相常の遅速を呈してゐるが、いづれもその編纂に際し、従来の特権以外の諸要索、
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﹂呼ぱる L諸 誌 は 固 よ り 、 行 政 ・ 警 察 ・ 裁 判 ・ 刑 罰 ・ 租 税 等 々 、 お よ そ 自 治 僅 都 市 に 必 要 な 一 切 の 法 規
例へば mE の決議・都市裁判所の判決・商慣習法・一般法
世﹁私法﹂
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定を.整然たる一個の法典にまとめあげんとした黙に於て.共通の特色を持ってゐた。かくして編纂された法典都
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市法は、その後直ちに市合・領主または王によって公的に認められ、都市法並 H及 の 客 観 的 形 式 を 獲 得 し た わ け で あ
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十 三 世 紀 の 中 葉 以 降 、 か Lる経過を経ていは ym
平調的に成立した法典都市法の教は.恐らく相合同の多数にのぼっ
た こ と で あ ら う 。 然 る に 現 賞 に 於 て は 、 そ れ ら 都 市 法 の う ち 特 に 或 る 一 部 の も の の み が ‘ ぬきんでて優勢な地位を
獲得し.多数他都市の母法となり・高級裁判所を持つ母都市となって.由聞大な誌協同盟の指率的役割を損ずる情勢
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を粛らした。リュ 1 ペック・マグデブルグ・フランクフルト・ア l へン・フライプルク・プラン アンプルグ・ニユ
ールンベルグ・グィIン・クルム・イングルハイム等の都市誌は、その代表的なるものであり,わけでもリュ 1 ぺ
Lに 問 題 と な る の は 、 何 故 に . ま た 何 が 根 按 と な っ て ‘ か く の 如 き 普 及 ・ 倖 播 の 様 相 を 展 開 し た の で あ ら う か
ツク・マグデプルグ雨都市法の普及領域は.驚くべき庚範を示してゐる(附闘参照)。
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といふ黙である。この問題に闘しては‘筆者の未熟たる研究は、未だ解明・叙述の域に達してゐない。のみならず
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それは、おのづから別個のテIマの下に論越せらるべきであらう。何となれば、本稿の目的は同丘制の獲得・自
治制の完成に至るまでの杭食史的経過を、﹁都市誌の形成﹂を主題としてあとづけることに存したから。従づてこ
ではた y. この問題の解明に考慮すべき二三の要黙を指摘して、本節の叙述を終りたい。
その第一は、領主の政策と都市法普及との閥係である。領邦政策に口畳めた領主が、白領の中心都市に自ら進歩
的なる法を附輿し、または他領のすぐれたる都市誌を種受せしめ‘これを基本的たる法として、領内多数の諸都市
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に同系の法を認めたであらうことは想像に難くない。集圏的分布を一不す都市法群の或るものは、かと Q事情に起因
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ずるところ大なるものがあらう。そして吾々は、組じてこの傾向を.特に都市詰普及の初期に於て認めることが出
来る。
その第二は.司数乃玉大司教直の努力と都市法詐及との関係である。司教及び大司教が都市領主として有した政
治的勢力は兎に角、その地方一帯の精一抑的中桐として仰がれた司教都市の見えざる力は、法権交の上にも何らかの
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影響となって作用したのではなからうか。殊に東万植民運動に劃する故初且つ故大の基黙となったマグデプルグ都
市誌の驚くべき普及を恕ふ時.この大司教職の傘院が及ぼした無形の努力を偲ばざるを得ない。宗敬的たるもの
世俗界に及ぼすカは、弐に掲ぐる摂惜別的なる活動のそれと共に、遥かに政治的領邦を越へゆく性格を有した賞時の
事情に、深き想ひをいたすべきであらう。
その第三は、都市の経掛活動と都市法権交との関係である。この問題については、吾々は二つの相兵る傾向の一存
在 に 逢 荒 ず る 。 そ の 一 つ は 、 ケ ル ン に 見 る 如 く ‘ 都 市 に 行 は る ﹂ 商 慣 習 共 他 の 進 歩 的 法 規 が ‘ い は Y個別的に極め
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て庚範闘に糟交されたがら、都市法白樺としては.この都市が持つ経掛的優位に比し、さほど顕著なる普及を鷲ら
さなかった場合であり、他は、リュ l ペ ッ ク に 見 る 如 く ‘ 母 都 市 の 経 済 活 動 と 法 停 播 が 時 ん ど パ ラ レ ル に 進 展 し た
場合である。この二つの傾向の併存は‘恐らく各母都市の歴史・環境・所在との閥聯に於て解明さるべき興味ある
問 題 で あ ら う 。 査 達 せ る 西 南 猫 逸 の 諸 地 方 に 於 て は 、 か の ラ イ ン 都 市 同 盟 ・ シ ュ ワ lペ ン 都 市 同 盟 の 如 金 大 規 模 な
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る政治的闇結を見ながら、それに佐じた都市法の統一が環みりされず.他方東北ハンザ交易凶を通じて、リュlペッ
グ 市 訟 の 塵 倒 的 優 越 を 見 た の は 、 会 く か うL た 刑 者 の 歴 史 的 背 景 に み る 相 違 に 由 来 す る も の と 考 へ ら れ る
そ の 第 四 は 、 移 住 乃 五 は 航 氏 関 係 と 都 市 法 俸 掛 と の 関 聯 で め る 。 文 化 水 準 の 両 き 移 住 民 は . ス 一 フ lヴ ェ ン の 位 し
た束万諸地に商標的移住を行ふに常り.自らの母都市の法又は植民基地の優越的都市法を、新設都市の誌に採用し
た。リュ i ぺ ッ ク . 殊 に マ グ デ プ ル グ の 都 市 法 が 、 大 小 無 数 の 植 民 都 市 に 権 交 さ れ た 理 由 の 一 つ は 、 か3 心事情に
内在するといへる。リュ l ペ ッ ク 都 市 法 が 、 硝 議 商 人 の 移 住 と 共 に 、 遠 く ウ ィ ス ビ i ・リガ等にまで普及した史貫
に徴せば、この遁の事情はおのづから明かであらう。
このほか向ほこの問題の解明につきでは、考慮すべき諸多の関係と検討すべき俺雑な疑問が存することであらう。
しかしこれを要するに、都市法族形成の問題は、(一)、以種公を可能ならしむる個々中世都市白慌の門部機構、(二)
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領内諸都市を何らかの意味で統一ぜんとする領主の政策的配慮、(一二領邦政策に反して自らの法的封鎖性または訟
的精立性を固守し.他方に於ては‘被民相周一勤・命救の努力と共に、領邦及び同境を越へ、自らの経椀的活動領野を
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いはて闘際的・世界的に損保せんとする中段都市の持?主の
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十一世紀の後牛以降‘十三世紀中葉に至る二世紀間は、まさに市民階級勃興の盛時に嵐し.圏程的諸特権の集積と
しての都市法が、苦闘の歴史を経て完成に向ふ時代であった。丁度その頃.東北猫逸に於ける植民運動と、圏内に
見る領邦成立の気運は、内外到るところに新しき建設都市の建生を粛らし.自治的精神に則る進歩的法制を.急速
に賞現せんとする趨勢を示してゐた。かくて十三世紀の中葉に五れば、奮き都市と新しき都市は.共にひとしく市
EPHゅの宮を形成し、都市は農村とは全く別箇の﹁特殊法域﹄となり、自由と平和を
民階級を本位とする特別法 ω
基調とする民主主義的精紳の‘挙き母胎が完成したわけである。
吾々はこの長会推移を‘主として都市法の形成油程を中心に概観し‘最後に‘十三世紀中葉以降、弘まりゆく都
L特別法の裡に、深く内在する文化史的・一般的性格を、調逸法制史金憧との関聯に於て
hに再び以上の会叙越を顧み、﹁中
牡猫逸都市法﹂と呼ばる
Lやかな結語としておきたい。
市法の倣んな一般的情勢と.そこに含まる L問題の所在とを簡単に一瞥した。こ
特色づけ.本稿会檀のさ
想ふに濁逸都市法の精神は.その本質に於て、所謂濁逸皇帝時代を背景として醸しいだされた封建一世舎盛時の産
L護達した諸樺利の集積であった。然るに十二世紀の後半以降、調逸封建枇合白樫が、領邦の形成てふ新
物であった。換言すれば、それは後に封建抗舎を越へる精紳でありながら、その生成過程に於て‘封建枇合にアダ
プトしつ
しき轄換の萌芽を示した。勃興する市民階級は、巧みにこの情勢を利用し.自らの自由を損ふことなしに、圏僅的
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結束をより兵瞳的にかためることに成功した。こ﹄に於て都市法は、更に高弐の段階を獲件し、十一一一社紀の中葉に
(増田)
玉って都市は完全なる特殊法域となり・領主の地位を形式的に認めながら.自らの政治的・経時的強展に専念する
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東﹂ぷ尚科大尽研究年川市
法場研究
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洗一都市の勃興﹂がそれであり、
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一方では、折角子生えた領邦の護連は.都市の進出によって.
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立
Lる発生史上の特質の故にほかならない。
る動向とをよみとることが出来よう。
れ昭和一一一了一一二二一一﹀
他方では路頭する領邦の政治的支配の中へと、大様二つの方向に展開しゅく﹁濁抱一都市﹂の、くしき運命と興味あ
L て、早くも十三除紀中葉の個々都市法の中に盛りこまれ、それを通じて五日々は、やがて一・万では更に自主的に、
中世吐舎から費生し‘しかも中秋枇舎を越へて進みゆく硝抱一的市民意識の粍心は、向治と統制のいみじき結合と
のベた所以のものは、会くか
した中壮紀最後のもそしてまた近代的・民主的精神にけ覚めた設初の法一と
法を以って、﹁ゲルマン的閤樫精神に 印
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々がさきに、調逸都市を以って﹂人的・地域的関山間胞の結合'としてのあざやかな協同樫構成﹂といひ.また濁逸都市
したものといひ待ベく・まさにその故に、他闘に比類なき調漁一固有の法形成であっ一たと結論し得るわけである。吾
るものといムべきであらう。之を要するに‘濁ぬ一都市民は、調逸領邦との閲係に於て特に注目すべき幾展過程を一日
世紀以後の領邦に見る如き他圏、殊に羅馬法の影響下に立のた組織的・近陸的法形成とは.およそその陸を具にせ
この故に、円都市法いは飽くまでも中世中期の拙逸に躍ったグルマン的法形成の原理に準捺したものであり‘十六
しばらく背景におじゃられる結果となったわけである。
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