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『春と修羅』 の構成の中心にあるのは妹 〈とし子〉

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『春と修羅』 の構成の中心にあるのは妹 〈とし子〉
︻醗究ノート︼
永 訣
の 朝
多多tむ象スケッチ﹃春と修羅﹄ ノ⋮ト︵上︶
構 成の問題
神 子 博 昭
ごのグループ﹃風景とオルゴール﹄の詩欝は、さいしょのグループ
﹃春と修羅﹄の反照であろう.また妹生存中の小岩井行の長篇﹃小岩
ま瞬︶を暗示している。
麟化の籔動にかりたてられていて、宮沢賢治の詩のある極点︵行きど
集力を示している。この二篇に詩﹃春と修羅﹄をくわえた三篇は露己
たい。彼は妹の死をかかえこんで黙す。しかし死者はやは参死なせて
わどさをつくようにして妹の死が鍍をおそう。破にはこの死は認めが
の試みは﹃小岩井農場﹄でいちおうの達成を見る.だがこの達成のき
宮沢賢治はおのれのく修羅Vをひとつの甕然姓として鮭置づける。こ
井農場輪には、死後のオホーツク行の長篇﹃青森挽歌﹄が呼応する。
またこのスケッチ集の趨版本昌次にはそれぞれの詩に齪作︵養想か?︶
やるべきではないか? こうしてオホーツク行の挽獣撰書かれる必然
心象スケッチ門春と修羅臨の購成の中心にあるのは妹︿とし子﹀の
の弩付がつけられている。詩はすべて欝付の顧に醗列されてお鯵、さ
があったのである。旨旨
こうして心象スケッチ﹃春と修羅嶺の構成の中心に妹の死をおいて
いしょの詩﹃屈新率臨は︸九二二年⋮肩六嚢、さいごの詩﹃冬と銀海
ふつうならば、これはアドレッセンス︵思春霧︶において純化され
死である。これはさまざまな意練からして、そうだ、
鉄道﹄は一九二三年十二鍔十霞.そして妹の臨終の詩三篇はこの二年
た錘鶯筋顯望の終焉のドラマである。ひとはここから生活⋮へと、関係の
みると、この中心からそれぞれの詩篇は意味をうけとることになる。
にわたる難問のほぼ申閥、 一九二二年十一月二十七舞である.妹の死
なかへとためらいながらも一歩をふみだす。しかし宮沢賢治は、そう
まづ妹の死にさいしてつくられた﹃永訣の輯軽﹃松の舞﹄﹃無声勧奨﹄
という自然の墨来事が、ここでは意駿となっている。
ならなかった。霰の存在と詩が魅惑と異称とを瞬時にあらわにすると
購威のおおよそを示せば、こうだ。−一妹のく無策︶をささえとして
さらに臨終の詩三篇をかなめのようにして、麟後の詩︵轟︶にある
ころがあるとすれば.それはここである。
の三篇、と吟わけ麟後の二篇は、スケッチ集のなかではきわだった凝
薄窯勝うかがえる。詩は八つのグループにまとめられているが、さい
一
一i鍵一
懲禦年簸月
商学論集 第6毒巻第2号
神子:永訣の朝
心象スケッチ﹃春と修羅臨︸巻が構成するのは、 宮沢賢治の難場腰
蒼鉛いろの暗い雲から
︵あめゆじゅとてちてけんじゃ︶
ああとし子
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
さうゑん
望のドラマである。それを論じるわたしの位置は、 だから、このドラ
マを物語る語穆手の位置に透づく。
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしやうあかるくするために
宮沢賢治の妹トシは一九二二︵大豊十︸︶年十一月二十七罠になく
あ管がたうわたくしのけなげないもうとよ
おまへはわたくしにたのんだのだ
修 羅とはなにか
なっている。その馨の馨付をもつ三篇のうち、さいしょの一篇はつぎ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
こんなさっぱむした雪のひとわんを
のようである。
げふのうちに
そらからおちた雪のさいごのひとわんを⋮:
銀溝や太瞬 気圏などとよぱ為たせかいの
青い奪菜のもやうのついた
︵あめゆじゅとてちてけんじゃ︶
わたくしのやさしいいもうとの
このつややかな松のえだから
すきとほるつめたい雫にみちた
たうわん
一賃3一
︵あめゆじゅとてちてけんじゃ︶
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
⋮ふたきれのみかげせきざいに
永訣の朝
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
みぞれはさびしく赴まってみる
おまへはわたくしにたのんだのだ
︵あめゆじゅとてちてけんじゃ︶
わたくしはそのうへにあぶなくたち
いんざん
うすあかくいつさう陰惨な雲から
これらふたつのかけた晦椀に
さいごのたべものをもらっていかう
雪と水とのまっしろな二縮系をたもち
にさうぜい
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたしたちがいつしょにそだってきたあひだ
みぞれはびちよびちよふってくる
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
ビやんさい
このくらいみぞれのなかに飛びだした
二
集
蔭
もうけふおまへはわかれてしまふ
てきてください︶﹂という願いをうけて︿わたくし﹀は﹁まがったて
る。⋮一文とし子﹀の﹁あめゆじゅとてちてけんじゃ︵あめゆきとっ
この雪はどこをえらばうにも
わたくしのけなげないもうとよ
やさしくあをじろく燃えてみる
くらいびやうぶやかやのなかに
おまへはわたくしにたのんだのだ
こんなさっぱ馨した雪のひとわんを
わたくしをいっしやうあかるくするために
死ぬといふいまごろになって
ああとし子
っぽうだまのやうに﹂おもてにとびだす。
︵○馨○毒号。り銘ε臨Φ範蕉羅︹︶︶
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あんまりどこもまっしろなのだ
あ瞬がたうわたくしのけなげないもうとよ
あああのとざされた病室の
あんなおそろしいみだれたそらから
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
くわたくし﹀は雲を、妹の﹁さいごのたべもの﹂ととらえる。そして
このうつくしい雪がきたのだ
︵うまれでくるたて
こんどはこたにわ鞍やのごとばかりで
吟、嫁は︿わたくし﹀ののこりの一生をあかるくしょうとしているの
それをとってきてほしいとひどざ疹齢︿わたくし﹀にたのむことによ
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
だ、そうくわたくし﹀はうけとる,︿わたくし﹀の心は感謝の思いに
くるしまなあよにうまれてくる︶
わたくしはいまこころからいのる
露って凝集する。また妹の死後が安かれという衙念にこる.
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
どうかこ為が莱上のアイスクサームになって
おまへとみんなとに整い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスク婆ームになって
おまへとみんなとに取置い資加櫨をもた・bすや・りに
くわたくし﹀は妹︿とし子﹀の死にのぞんでいる。︿わたくし﹀は妹
からの、なにかひとことを心をはりつめさせてまっている、かのよう
わたくしのすべてのさいはひをか轄てねがふ
ここでは感謝の患いや新穆の念はこ為以上ことばにはなりえないと
なのだ、、場裏の場面としては、おそらく病旅の妹トシが、そとへ背
きたい、みぞれに溢れて歩いてみたい、冷たい雪を農にふくんでみた
い、といったことをふともらしたのだろう.富沢賢治はそこをとらえ
三
一玉里2一
第§魯巻第2謬
磁△
轟擁
学
神争1永訣の鞘
それにしても雪を﹁さいごのたべもの﹂ととらえるのは、少しへん
全体をあげて感謝し、断る姿勢をとるしがなかったのである.
わらず欝のまえで妹は死んで行く。この矛盾に耐えるには、おのれの
うしても了解できない。いや了解しようとしないのだ.それにもかか
はあたしでひとりいきます︶.破には妹がひと馨で死んで行くのがど
れる運由はひとつしかない。多多○纂○難審○自瓢ぎユ裁パ§O︵あたし
うして宮沢賢治はいちずな思いにまでつっぱしるのだろう? 考えら
どうして、こうなるのだろう? ふともれた嫁のひとことから、ど
かもそう強いられているかのようなのだ。
うとする。読むものは息をひそめていっきに讀み轟くしかない、あた
枠を破って、感謝そのもの、祷りそのもの、つま箏無書の思いになろ
いったところまでひつばら為ている.それは詩というフイクシ暴ンの
し、それにたいしてこちらも即座に論駁して背く.さいごにある仏教
どヂテ夢アン、﹁異教縫﹂も粥臆し、つぎつぎとどヂテ蓼アンに反聞
した、というのがこの認の場面設定である.大祭の式典にはアンチ・
アン大祭が得なわれ、﹁私﹂は馨本の縁者一講を代表してそれに参撫
ある年の九月、ニュウファウンドランド島の小さな出村でビヂテ夢
とした短篇である。
大祭﹄はその懸者らのつどいの機子をファルス︵寸麟︶騰にえがこう
宮沢賢治は﹁どヂテ夢アン︵菜食信者ごであった。﹃ビヂテ婁アン
く知られている。
これとは購な食の贋環からくる不安に鞍がとらわれていたことはよ
極のイメージがある。
鍔環をふたたびとざす。ここには食うことについての、宮沢賢治の窮
は、妹のうつくしいたべものであり、芙上のアイスクヲームとなって
躍
だ。なぜ雪をたべようとしたのか、雪の地方の習俗ででもあるかと俸
硅がたちあがり、釈遊は肉食を禁じなかったと演説すると、﹁私はこ
おそろしいみだれたそらから輪ふってくるにもかかわらず、雪は﹁う
陰惨な雲から﹂﹁蒼鉛いろの暗い雲から鳳淀んでくる。でも﹁あんな
る.異教の諸氏はこの考をあま鞍真麟で恐ろしいと思ふだらう。恐ろ
れかわる。﹁だから我々のまは吟の生鞠はみな永い闘の幾子兄弟であ
てきた。あるときはひとに、あるときは姦生に、あるときは天にうま
﹁私﹂は無駿夢牢で論じる。すべての生物は昔から流転に流転を垂ね
よろよろ畿て行きました﹂
の時あんま鯵ひどい今の語に頭がフラッとしました.そしてまるで
ことや
藤震害はいぶかっているが︵﹃窺代詩の鑑賞 下巻﹄︶、ここには食うこ
とをめぐっての宮沢賢治の暗いわだかまりが影をおとしていると思え
る。
雪の執購をたどってみよう。零︵みぞれ︶は﹁うすあかくいつさう
つくしい﹂.なぜなら雪は﹁銀海や太購 気屡などとよばれたせかい﹂
しいまでこの量雰は真剣な量雰なのだ瞬−−一−
いんかぐん さロコえん
からおちてくるから。そして妹の舞をへたあと、あるいはより董確に
となって︵もしくはそうなるべく︶、ふたたびそらに昇って行く︵だろ
笑歓辱拍手でいっぱいになるが、﹁けれども私はあんまりこのあっけ
人の反論はじつは演技であり、すべては式典の余興だった.式場は繊
﹁私﹂が演説をおえると場藤は急転する。異教綻と患われた一瞬の人
う︶.
なさにぼんやりしてしまいました﹂⋮⋮心の翼簸に露分でも知らずに
は、妹の病旅におそなえされたあと、零は﹁天上のアイスク夢ーム幅
銀海、太購、気騒からおそろしい鼠れた空をとおっておちてきた雪
一員i一
集
漉
一九一八︵大正七︶年玉肩十九嚢、宮沢賢治は親友像阪嘉内にあて
えとなってあらわれる。
か−一食うことをめぐる不安は、このような食の韓環にたいするおび
生きものの体をくらうことは親兄弟の憂鬱身をくらうことではない
こなう.笑いになりきらぬものを俸晶の底によどませるのだ.
謹ののんきな状溌とはそぐわない.こうして一篇はファルスにな陰そ
ひめていた不安を思わず麟にのぼせてしまった﹁私﹂は当然ながら周
鵡な思いではあろうが、それまでにも妹の食の綴さ、その不薯籠に意
懸樋にえがきだした食の瞬環だ。これはたしかに臨終の瘍における極
である、とは籔のとらわれている悪夢のような食のイメージが衰らの
らおちてくる雪が﹁たべもの﹂で、それこそ﹁天上のアイスク夢ーム﹂
トシの食の耀さ、というよ吟その不可龍はどううつったか? 気圏か
ろう。肉蔑撫食む食の悪しき贋環におびえていた宮沢賢治の目に、妹
くにつれ、ほとんどたべものをうけつけないこともしぱしばであった
雄察するに妹トシは病旅にあって食が纏かったであろう。死が近づ
麩らのかたむきを舞定すればするほど妹トシの実繰の肉体はおとろ
喋を見鐵して行こうとするかたむきがなかったか、どうか。ところが
てつぎのように書いている.
私は春から生物のからだを食ふのをやめました。けれども先馨
﹁天上のアイスクワーム篇を祷る、その念のはげしさはかえって矛盾
えはてて行くのである。この矛盾に綾が無§覚であったとは思えない。
たべました.⋮⋮食はれるさかながもし私のうしろに居て見てみた
の露覚を暗示している。﹁ふたきれのみかげせきざい⋮⋮のうへにあ
妹トシは一九二一︵大豆十︶年内鳶ごろ不治の病の鎌についている。
あせやいたみでもだえてみるとき
一董欝一
﹁歓会恥と﹁連絡繍を﹁とる﹂おまひ撫ゑにまぐろのさしみを数鋳
ら侮と思ふでせうか。
ぶなくたち﹂雪をとる姿勢そのままに、ふたつの食の贋環の狭開に宮
侮とも患はず呑みこんでしまった。⋮⋮われらの巻族をあげて尊い織
臨終詩篇の第二篇﹃松の舞﹄では嚢責の念をこめながら、つぎのよう
沢賢治はあやうくたちすくむのである.
⋮−もし又私がさかなで私も食はれ私の父も食はれ私の母も食は
れ私の妹も食はれてるるとする.私は人々のうしろから見てみる。
しい命をすて∼さ玉げたものは人々の︸寸のあはれみをも買へない。﹂
に一九二二︵大正十一︶年の奏または夏のことが懸想されている。
﹁あ㌧あの人は私の兄弟を箸でちぎった。とな参の人とはなしながら
私は前にさかなだったことがあって食はれたにちがひありませ
さかなを食うとき、食われるさかなが背後にたって見つめている、
わたくしは騒のてるとこでたのしくはたらいた吟
おまへがあんなにねつに燃され
と想像することはどう考えてもふつうではない。ここにはものを食っ
ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてみた
ん。
て轟分を維持するしかない生きものの根本的な条件にたいして、奉質
的なところで了解が欠落しているとしか患えない。
五
第6{}巻第2号
譲
学
神子二永訣の朝
これは一九二二年三月二手馨の馨付をもつ詩篇のほとんど欝家撰罵
沢賢治としては、この双子はどうしても、義もなぐ襲累もなく夜どお
ろう。しかも家業をつぐのを拒み、家督穏続を留探しつづけてきた宮
六
である.
し天で笛を吹くチュンセ童子とポーセ童子︵﹃双子の星﹄︶のようでな
ければならなかった。そのような麗係にある妹︿とし子﹀にはじめて
けふはぼくのたましひは疾み
係において姓を否認したあり方︵双子のあり方︶を縫靖化しようとす
との閥係は無壕をおびやかすものとしてあらわれる.つまり鰐縫の聡
しかしこの麗係に愚昧をもとめて行けば行くほど、﹁ほかのひと鳳
恋 と 病熱
馬出﹂へ正観艸かできない
彼はおのれのく無場Vを投影しえたのである。
あいつはちやうどいまごろから
るため、姓は無援定に、ふいに噴濃し.綾を不安におとしいれること
プ ぽンヅ
からす
つめたい青銅の病室で
になるのである。
ぱ ら
春光院議
透明薔薇の火に燃される
ほんたうに けれども妹よ
けふはぼくもあんまりぴどいから
屠には、盤的存在としてほとんど中性化されて行っただろう。いのち
さてこれも想像によるしかないのだが、病床の妹トシは宮沢賢治の
も箏ぬくかという苦難だった。
れる愛からも身をひいて、いかにしておの為の︿無偏﹀をひそかにま
もない.むしろ家族というものに請けられる愛からも、異性に海けら
うの三角縫係の危機でもないし、海親愛か恋愛かという選摂の開題で
にたって、ひとつの危機にあったと予想される。もちろんこれはふつ
この詩を書いた時蟻、宮沢賢治は妹トシと﹁ほかのひと鳳のあいだ
ただそれつき参のことだ
頬がうすあかく瞳の茶いろ
︵ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ︶
うつくしさは潰えるぞ
ただそれつき讐のことだ
ほう
春は葦穂に呆け
しんとくちをつぐむ
髪がくろくてながく
どういふことかわかってみるか
やなぎの薦もとらない
のヴォルテージを下げて行くトシをまえにして、兄と妹という関懸か
︵おおこのにがさ青さつめたさ︶
いったいそいつはなんのざまだ
らはあとうかぎり姓の鰯面がとりのぞかれ、のこったのはほんとうに
淡い、あるかないかの工馨スで結ばれた﹁双子﹂のイメージであった
一i総一
集
論
商
表霞吏のうえからいえぱ]九一セ︵大正六︶年、萩原鱗太郎の詩集
﹃月に吠える﹄が鐵版されている。ここではエロスが蝿縫の隣保であ
簿原猛は宮沢賢治の思想の寧心をなす法華経からの影響をつぎの三
轡 生命の懇懇
点にまとめている︵﹃地獄の懇懇﹄︶。
麦畠されている。﹃春光愛護﹄の感受のし方もそれから遠くない。こ
麟 修羅の思想
る恋愛にいたらず.生遷的な魅惑とおびえのアンビヴァレンツとして
こでことばを発しているものは、露戯してきた牲におびえているのだ。
麟 菩薩の思想
と人擦とに解体してしまった近代懇懇にたいするアンチテーゼたらん
宮沢賢治の生命懇懇の核心をなすのは、人聞を勃饗的化学的な勃質
﹁髪﹂﹁くち﹂、そして﹁頬﹂﹁瞳﹄にどうしょうもなくひかれながら、
ひかれる嚢分が不安でたまらない。﹁蒼ぐろくてがらんとした輪とこ
﹁蒼ぐろくてがらんとした﹂ところにいることなのだ、この心のうご
とする部分である、そう梅原は見る。﹁人聞は、自然の大生命のあら
ろにいるからおびえるのではない.、ひかれ、岡持におびえる状態こそ
きは恋愛にまでいたらない.髪、くち、蟻、瞳がひとりの異性の像を
われのひとつにすぎない。⋮⋮自然の大生命は、大きな流れである.
・⋮この大生禽は天地自然に、出耀のなかにも、植物のなかにも、嚢
結ばないのだ。それらは無名の、エロチックなイメージにとどまる。
ここでもまた宮沢賢治は矛薦にぶつかる。妹︿とし子﹀との関係の
とおびえのアンどヴアレンツに解体して行ってしまう、しかも無擁な
命をもっているのである。そして、そこでえがかれるのは、勃勃と人
こでは、勃勃は人聞と蝿等な意瞭をもつ。動物も人間と対等な瞬じ生
勃のなかにも、大閤のなかにもあらわれているのではないか。⋮⋮そ
るくとし子﹀そのものが、破の願望の投影なのである.︿とし子﹀像
聞が共通にもっている生動の運命である鳳
︿無娠﹀に執養すれば、﹁ほかのひと﹂との恋愛の可能性は姓の魅惑
の背後から妹トシはのがれて行くだろう.
い、そのあ鯵方こそ解修羅なのだ、と。
の魅惑とおびえというアンビヴァレンツとしてしかあらわれようがな
し子﹀との無策なる弱係から見たとき、﹁ほかのひと﹂とのそれは姓
根食む悪しき食の聾蒙にとらわれているということであむ、また︿と
ームという︿とし子﹀の食の需環から見たとき、︿わたくし﹀は内競
りあえずこうこたえられる。それは気鬱ーー雪一!炎上のアイスク舅
さて、修羅とはなにか? ここまでくればこの購いにたいしで\と
てはまちがっていない.むしろ典型的な宮殿賢治の読み方ですらある。
に生きもの嗣士のくらいあいの姿とを見つけることは、それ嚢体とし
宮沢賢治の詩や童認のなかにあらゆる生きものの競諏の姿と、疑時
行によってのみ.仏の量弊へ背けると考えていたよう燐ある﹂
示しているものこそ菩薩の思想である。﹁賢治はおのれを殺す利飽の
は見ているわけだ。そして修羅の童舞をはなれて仏の鍵界へ行く道を
いの量雰㎏であるから.この認識が修羅の懇懇の根本である、と梅原
梅原はいう。なぜなら﹁すべての生きとし生けるものの量雰は殺し合
しかし瞬時に恵沢賢治の心のなかには﹁大きな惹しみ﹂がある、と
もう半歩、すすめてみよう.
七
T8一
一・
第6§巻第2号
学
神子1永訣の輔
ている、と論じたのでは、宮沢賢治の詩や童誌を談んだときのこる、
ただあらゆる生きものは大きな生命の流れにいて、かつ殺しあいをし
あらゆる生きものが綬秘し、ひとつになる宇宙像はその裏藩に、あ
かれ盤におびえ、まぐわい、子をなす。
間はけだもの以下の轄だものにおちて、またその不安のなかで性にひ
八
あの奇妙な不安感がふれられぬままになってしまう。この不安感はな
教のことばでいえば、︿人聞﹀はただ叉に昇るか、地獄におちるかし
らゆる生きものは蕪落しうるという逆の遍程をふくんでいる。ここで
ときとくに強く心にのこる、あのいやあな感じといったものである。
て行く、六道のうちの一道︵賠榛︶でしかないわけである。人聞とし
かなかそれとは捲摘できないのだが、たとえば﹃蝋蝶となめくじと狸﹄
生きものはアミノ酸の合成からはじまって、さまざまな縷雑な進化・
て生きて行くこと、それが宮沢賢治にはどうしても了解できない。人
は︿人聞﹀という凝念が露蕎のカテゴ夢一として露立しないのだ。仏
変転・分化・潰滅の過程をへてきたわけだが、人聞が人間となるため
聞をこらえることが稜にはできないのである.
門蛙の潰滅﹄あるいは﹃フランドン農学校の蘇﹄といった童謡を読む
にどうしても窮りすてざるをえないものがたくさんあった。そのとり
しかしおちて行くとして、なぜ︿修羅﹀なのか? なぜ︿蓬生﹀
にあるあいまいさを感じてならない、 ︵つづく︶
︿餓鬼﹀ではないのか? ︿地獄﹀ではなぜないか? わたしはここ
のこされたあらゆる部分・器官・機能、あるいは人聞以外の生きもの
がここにあつまり、窮りすて、と鯵のこし.さきへすすんで行った人
しているf一悪夢ににた不安感をたとえていえばそうなる。
聞の非を暗くとがめだて、うらめしく露分たちの題によびもどそうと
﹁生命の懸想﹂はほんとうをいえば二露盤をもっていたと患われる、、
︼嚢ではそれは生きものの親愁をいい、人間.動物、縫物、鉱勃、§
然のあらゆるもの藤大きな生命の滾れのなかにあるという宇憲像を繕
ぶ。しかし鰹藩、あらゆるものがひとつの流れのなかにあるとは、境
雰がない、あるいはそれが漉動的だということを意際する.人間は動
物に、勃勃は植麹に、等々それぞれ潜境界を失ってなんにでもな鯵う
るわけである.だから入閣がん瞼分蚕まで飽のぴとや動物を殺すわけ
ではない。大周は人聞以下のものに於ぢて殺生するのである。げんみ
つにいえば、おちて行く不安のなかで殺生するのである.これが﹁修
羅の懇懇﹂の中心にあるものだ。ふみしめていた建場をさっとひき撫
かれたような嶺落感ににた、請後の不安はここからくる.、人聞は酵だ
もの以下のけだものにおちて、またその不安のなかで肉をくらう。人
一欝7一
Fly UP