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130903 [PDFファイル/29.54 KB]
空きスペースのアート空間への活用 ∼名古屋港での活動を中心として∼ 名古屋大学大学院人間情報学研究科 茂登山清文助教授 に聞く 港と芸術はイメージが合う 私の名古屋港との関わりは、1993 年に JETTY ができる時に始まる。 名古屋港水族館の開館に向けて、水族館までの流れをつくる施設を作るための事業 コンペがあり、そこにアート施設を入れようということで、私がアートディレクターとして 参加した。 その時には、マルチメディアファクトリーや多目的スペースを作り、会員制のディジタ ル作品の制作工房、展覧会やパフォーマンスのための空間をつくったが、水族館が 開館して人の流れがおさまると、施設としてリピーターを視野にいれた展開ができず に、改装されてしまった。 しかし、その時の港仲間の一人で名古屋市役所の職員の方から、名古屋港の倉庫 が空くので、何かやりましょうと言われたのをキッカケに、当時の人たちも集まり、平 成 11 年度から「アートポート」(※)という実験活用を始めた。 ※ 平成 17 年4月より「名古屋港イタリア村」として生まれ変わった。 空き倉庫の空間特性を活かして、若いアーティストが制作・表現活動をおこなったり、 子どもたちとともに「アジト」という体験空間をつくったりした。 この事業は、昨年度、デザイン博 10 周年記念の「なごや交流年」イベントの一つとし て始まり、平成 12 年度もまた行った。 港は文化のフロントでもあるので、イメージとして先端的な芸術はよくあうと思う。 味気のなさがモダンな雰囲気 倉庫は港の風景として残していく必要があるのではないか、と思っている。 横浜も残しているし、大阪も倉庫をギャラリーに改装して、港の風景として残している。 釧路のレンガ造りの倉庫もレトロな感じがしていいということで残している。 名古屋港の倉庫はコンクリートで味気がないと言われるが、名古屋の街とシンクロし ていて、そうしたモダンな雰囲気を残していきたい、と思っている。 もう、あのような重厚な倉庫は二度と建つことはないので、愛知の産業の歴史を伝え るものとして、後世に残していく義務があるのではないかと考えている。 うまく転用できるかが建物を残すカギ 空き倉庫以外にも残すべき建物というのは名古屋港には残っている。 戦後しばらくして建てられた食糧庁のサイロがある。 これは、「スライド工法」という、戦後の一時期にとられた工法で、全国でもほとんど残 っていない。 それを保存していこうという運動をおこなったのだが、残念ながら、全体を残すことは できなかった。 この時の反省点としては、うまく転用の方向性を示すことができなかったことである。 転用の方法を考えようと市民からアイデアを募り、イベント等もやったが、そもそもサ イロというのは、他の用途には使いにくい空間である。 それに対して、倉庫というのは、使いやすい空間である。 例えば、現代美術などは作品が大きく、巨大な空間を必要としているのでちょうどいい。 また、既存の発表施設ではできないようなパフォーマンス的なことをやるにもいいし、 音と映像の融合するような実験的な空間としても適しており、転用の方向が見えやす い。 元々の施設が価値のあるものであれば、その価値だけで保存することもできるが、そ れほどの価値がない名古屋港の倉庫のようなものは、転用できないと残すことができ ない。 アート活動は、いろんな所で行われている 江南市にあるうどん屋を改装したアートハウスは地元密着型である。 ここは、たまたま江南市に住んでいるアーティストがいて、酒造りの工場で展覧会を やったのがキッカケである。 まだ使われている工場でやったので、かなり気を使ったそうだ。ここは、まちづくりにも 関わっているようである。 春日井市では、N-mark というグループが、神領駅から 50 メートルくらいの空き店舗 を 1 年間借りて、展覧会等を 10 回くらいやっていた。 今は、特定の場所を持たず、あちこちで活動している。 ※現在は、名古屋港辺りの空き店舗で活動している。 西春町にある「dot」というグループは、ただの小さなスーパーマーケットだった所を自 分たちで改装してギャラリーにした。 自分たちの空間を持ちたいと思っている人は多い 空き店舗対策ということでは、覚王山がうまくいっている。 空き店舗というと特定のものに使うことがよくあるが、ここでは、商店街の店の商品を 一部置くとか、今、各店で何をやっているか、という情報提供の場としても使っている。 そこが核となって情報が流通するようになった。 今は空き店舗を使いたいという人が多く、地元のまちづくり委員会では、まちづくりへ の貢献度を選考基準のひとつとしているそうだ。 皆、場所を持ちたいと思っており、自分たちの空間を持ちたいと思っている。 建物や空間がいい、という理由で使う人もいるが、とにかく場所があったら使いたいと いう人もいる。 ただし、街中では家賃が高く、なかなか借りられない。 「dot」は、10 人くらいで負担しているそうである。 最初に一生懸命改装した、という思い入れがあるので、こうした負担にも耐えられる のだろう。 貸してもらうには苦労する 私が最初に名古屋で展覧会をやろうとした時は、場所探しに苦労した。 工場跡地とか名古屋港の石炭置場のような魅力的な空間を見てまわり、ツテなしで 貸してくれるよう交渉した。 今から思うと、当たり前かもしれないが、すべて断られてしまった(最終的には、工場 を改築した民間のギャラリーでやれることにはなったが) また、私が名古屋芸術大学にいた頃、大学への通り道に昭和初期に建てられた旧稲 沢銀行の木造建築があって、いつもいいなあと思っていたのだが、ある時、卒業生た ちと話し合って、貸してもらえないか交渉に行った。 結局、1 年ごとの契約で、しかも「住まない」という条件で借りることができた。 5年間くらい貸してもらったが、大学にも近く、日常的にはデザイン活動の拠点として、 また現代美術やパフォーマンスなどの発表の場としておおいに活用できた。 ニューヨーク、ベルリンの場合 ニューヨークのソーホー地区は、今はファッションなど高級なイメージで有名だが、80 年代はギャラリー街だった。 場所は、街の一番南の市街地のはずれの荒んでいた地区で、最初に芸術家が目を つけた。 家賃が安いからである。 そうして、芸術家が集まるようになると画廊ができ、次に飲食店ができ、ブティックがで きていった。 ベルリンのミッテ地区も同じである。 ただし、ここは政府が意識して芸術家を集めようとしており、優遇策をとることによって 芸術家を呼び込んでいる。 芸術家が集まると、あとは勝手に街がイメージアップしていくからである。 ソーホーの近くで私が気に入っている場所として、70 年代に作られた公園で、タイムラ ンドスケープという幅 40 フィート、長さ 200 フィートの公園がある。 ここは、アーティストが、アメリカ大陸が植民地化される前の植生だけを使って作った 公園である。 こういう芸術も面白い。 屋外でのアートもある 屋外でやる芸術活動としては、アースワーク(大地の芸術)というのがある。 広島の灰塚ダムでは、ダム建設に伴い、その周辺を自然と文化の調和する「環境芸 術圏」にしようというプロジェクトがすすんでいる。具体的な企画のひとつは、PH スタ ジオというグループの「船をつくる話」で、建設で伐採される木を使って 60 メートルの 船をつくり、ダムの湛水実験の力で山のてっぺんに置こうという計画である。 毎年、船の模型を作ったり、ワークショップをおこなったり、パレードしたりしている。 アートはビジュアライズされて、記憶に残るものである。 新潟の越後妻有では、去年「大地の芸術祭」というアートイベントが、十日町を中心に 6 市町村が行政の統合を視野に入れて始まった。 これは、三年に一回行なわれる巨大なアートイベントで、世界中から 140 人くらいのア ーティストが参加している。 名古屋は意外と許容力がある 名古屋は、私のような、やりたがりの人間には向いている。 私は、元々建築系の人間だが、育った環境や成り行きもあってアート系になった人間 である。 日本では、建築は工学だが、フランスでは美術大学にある。 ハードの技術を学ぶ所もあるが、基本的には建築というのは美術と深いかかわりが ある。そう考えるとおかしくはないのだが、東京や関西では、建築系だった人間が芸 術系へというように脱領域的にはなかなか動けなかった。 それぞれの専門性の密度が高く、固まっているので、専門分野以外のところへ動ける 余地がない。 その点、名古屋は、専門家の密度がそれほど高くないので、建築から情報まで、とい った幅広いことができる。また、私のような突然よその地域からやってきた者に対して 意外と許容力がある。 名古屋についてよく言われる閉鎖性を感じたことはない。都市としてのスケールはあ るが、密度がすこし低めなので、個人的にはとてもやり易い。 逆に名古屋より小さい所でもむずかしい。 地方都市において、やっていけるかどうかは、住民の意識にかかってきており、新し いものを取り入れたいという気持ちがないとダメなのではないか。 ポストモダニズムは小さな物語の充実を目指している 名古屋都市センターの雑誌に、モダン名古屋論を書こうと思っている。 客観的に説得するような文章を書く自信はないが、要するに、名古屋はグレーとか白 であるというイメージが一般的にあって、モダンなレンガ造りの建物へのコンプレック スを持っているが、それは違う、名古屋はモダンである、ということを書きたい。 モダンと言ってもいろいろあって、最近、1920 年代∼30 年代(*)のフォトモンタージュ やアバンギャルドといったモダンアートが見直されている。 名古屋の都市イメージは戦後復興の後の街であるが、そうした街と、今、評価されて いる 1920 年代∼30 年代の戦前のものをつなぎ合わせて考えてみようと思っている。 *この時代、フランスではシュルレアリスムがアバンギャルドとしての位置を占め、一方では、機能主 義的な方向が押し進められた。 ドイツでは工業技術と美術を融合するバウハウス運動があり、ロシアでは構成や組み合わせること を中心とした構成主義が全盛期となった。 また、記録するものでしかなかった写真が独自の表現を獲得した時代でもある。 この時期は、現代都市生活が成立した時期であり、自動車や飛行機といった交通機関、高層ビル、 電気等の設備、映画やラジオといったものも出揃う。 モダンアートはそうした現代都市の表現として考えられている。 モダニズムというのは、一種のレトロスペクタクル(懐かしい風景)である。実態として あるこの近代都市を名古屋のモダニズムとしてキャッチコピー的に語ることができれ ば、名古屋の都市像が描けるのではないか、と考えている。 名古屋には、名古屋城から徳川園にいたる一帯「文化のみち」やその中にある「貞奴 邸」等の戦前の建物があり、それだけで見れば確かに良いが、名古屋全体の都市像 として打ち出すには弱く、点でしかない。 現に広がっているのは、近代都市であって、そうした実態と歴史をレトリカルに(ことば を上手に用いて)語ることが大切である。 名古屋は殺伐とした近代都市であるが、それが都市のアイデンティティである。 また、1980 年代からポストモダニズムの時代と言われているが、ポストモダニズムで 言う「小さな物語」を充実させればよい。 だから、名古屋という近代都市にまつわる「小さな物語」群を、モダニズムを主題とし て描けばいいだけなのではないか。 あとは、それを対外的に打って出ればいい(名古屋は、一見、味気のない近代都市で あるが、そこにモダニズムと産業の歴史が感じられる、というストーリーを、産業勃興 期の建物等を交えながら、うまく語ることができればいい。都市の顔として、こびたよう な新しい建物を建てる必要は無く、現在の都市とその中にある古い建物をうまく組み 合わせて、都市のストーリーを描ければいい)。 アートをマネージメントする人が必要 アートポートのようなことを地方都市でやろうとする場合、問題は、プロデュースする 人がいない、ということである。 これは、教育の問題が大きく、小中学校は創造教育が中心で、鑑賞する想像力は養 われてきていない。 描くこと、作ることが大切で、人の作品を見て批評するということが欠けている。 従って、プロデュースができない。 最近、こうしたプロデュースすること、アートをマネージメントすることに対して、トヨタが 力を入れており、企業メセナ活動の一環としてアートマネージメント講座を開いている。 また、平成 13 年の 4 月から名古屋芸術大学にアートマネージメントも視野にいれた学 科ができる。 美術を支援する人の養成をようやくするようになったのである。 今までは美術を支援する人と言えば、学芸員だけで、こうした人たちは美術史を勉強 した人なので、現場に弱いところがある。 美術館は展覧会だけしていればいいかというと、そうではなく、市民へのサービスも 考えないといけない。 アートが市民の間で定着していくには、文学部で美術史を学んだ人だけでなく、美術 大学で制作している人を実際に横にみながら学んだ人とが必要だと思う。 アートポートでは、倉庫で「子どものアジト」という企画をやっているが、倉庫の中では 思う存分作ってください、壊してください、という感じでやっているので、大変興味を持 ってくれる子がいて、常連の子もいる。 愛知県の児童総合センターでも、遊びとアートをつなぐプログラムをずっとやっている し、大学の動きとあわせて、空きスペースを活用してアートのプログラムを実行してい くとき、こうした人たちの力が大きいのではないか。 アートと街のエネルギー 2002 年秋に「電子芸術国際会議」という国際学会をやることになっている。 いろんな人の協力を得てやっていかないとやれないことである。 2001 年 3 月 31 日と 4 月 1 日には「@ポート」をやる。これは、アートイベントと地元の フリーマーケット等を一緒にやろうというもので、最初、地元の人には敬遠されたが、 今はどうやら乗り気である。 アートポートを 2 年やったが、これまで地元との接点があまりなかったので、こうした地 元と一緒にやれる企画を考えた。 2002 年の国際会議では外国から大勢参加者が来るので、ただ会議に参加してもらう だけではなく、地元の人たちとも一緒になれた方がいいし、土着の文化にも愛着も持 ってもらえるのではないか、と思う。 今は、名古屋港周辺も空きスペースが多く、地元でもなんとかしたいと思っている。 一旦、駐車場になってしまうとどうしようもなくてつらい。 こうした空洞化は、街のエネルギーがないと食い止められないので、倉庫の活動とつ なげていけたら、と思っている。 (平成 13 年3月6日 於:名古屋大学 茂登山研究室 文責:土地水資源課)