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し、 お前さんが心配し骨折って栽培している果物を野生の果物とくら

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し、 お前さんが心配し骨折って栽培している果物を野生の果物とくら
し、お前さんが心配し骨折って栽培している果物を野生の果物とくら
が病む部分をまきつけ、互いに隣りの者の親指をつかみ、つながって
行われた。木の幹や枝からぶら下った何本かのロープの端に病人たち
のちに、ピュイゼギュールは﹁磁気術は治療目的だけに用いるべき
間をかけめぐるのを感じたという。
ツになる所から治療会は始まり、患者たちは磁気流体が自分たちの
べる時には、おのずからお前さんの畑の果物を見出さないかね﹂。
︵36︶ 雪斎ではこうなっている。 ﹁それだけではなく窮理学は存在す
るまじり物から細工物をつくり出し、現在はそうでなくとも、人間を
下級の創造者とするほどの証拠を化学で証明されたならば、も早何も
で、実験や見世物に使ってはならないこと﹂をさとり、 ﹁メスメルの
術者の意志であることを会得した﹂︵八三ぺ︶という︵一八〇九年︶。
物理的流体の教説の空疎さが判り、真に治療において働くものは磁気
いうことはない﹂。
いる。 ﹁これはマグネチの眠りと名づけられて、そのねむっている
︵37︶ 雪斎はここに、多分第二版にあったと思われるが、注をつけて
のちにこの方法が催眠術と名づけられた。
︵ママ︶
︵39︶ ここから句末まで、初版にはない。
︵40︶ 初版ではこうなっている。 ﹁トインマンは自分の進歩に大いに
ことを普通睡中言語︵ねぶりのうちのことば︶というのだ﹂
﹃無意識の発見︵上︶﹄ ︵木村敏・中井久夫監訳・弘文堂・﹁九八○
よろこんだ。なじみのない最もかすかな徴候でさえ昔は彼にショック
安心し、とりわけまたこれまで少しも知らなかった心の平安を感じて
︵38︶ 初版には欠く。この間の事情を、アンリ・エレンベルガーの
年︶によって紹介してみよう。
て、自然の根源がもっているのだとみなしはじめた。﹂
を与えたが、とかくするうちに今ではほとんど平静にながめ、熟考し
磁気術は、一七七五年にメスメル︵一七三四一﹁八一五︶によって
ており、なかにはライデンびんからの放電を三〇〇〇回以上もかける
ひらかれた。当時医師の一部は磁石を用いていくつかの病気を治療し
ぶ。即ち大抵二風方位なり﹂ ︵﹃日本科学古典全書・第六巻﹄朝日
は、 ﹁此身︹オランダ︺にては、西侮甚大にして、二十二度半に及
︵※︶ 川本官民・訳述﹃気海観瀾広義﹄ ︵一八五一年i五八年刊︶に
積した流体が患者の中に磁気流を生じたとし、これを﹁動物磁気﹂と
例も見られた。こうした風潮のなかで、メスメルは彼自身のなかに蓄
名づけた。そして治療には、一本のひもが患者と隣りの患者を次々に
新聞社二九四二年・二九四ぺ︶とある。
野外での集団治療法を行っていた。
結びながら、磁気桶を使ったり、またときには磁化された樹木を使う
め、国立国会図書館・東北大学︵狩野文庫︶・岡山大学︵池田文庫︶・
本稿がなるにあたっては、引用文献にお名前をかかげた方々をはじ
京都大学医学部︵富士川文庫︶、そして本学関係の杉山魏・三森太郎・
会員制のもとでフランス各地に広がったメスメルの思想にたいし
堀悦男・とりわけ山田正保の諸先生方の、お世話になりました。記して
て、国王ルイ十六世が一七八四年に動物磁気審査の特別委員会を発足
ンジャミン・フランクリンら当代一流の科学者を化学者ラヴォワジェ
させた。天文学者バイイ、医師ギヨタン、アメリカ合衆国駐仏大使ベ
あつく感謝いたします。
續ェ五年八月二八日︶
一165一
一
がリードし、 ﹁メスメルの動物磁気という新物理的流体が存在する証
した。 ︵その報告書の一部らしいものが、田中千代松﹃新霊交思想の
拠は全く見当らず、 〃想像”の力が原因である﹂との実験結果を提出
研究﹄ ︵共栄書房・改訂一九八一年︶七〇一七一ぺ!ジにある︶。
人・ピュイゼギュール︵一七五一−一八二五︶であった。﹁︵奇妙な
磁気術から催眠術への転換を行ったのは、メスメル最良の弟子の一
睡眠に入ると︶その患者たちは自分の病気を自分で診断し、今後の経
の人為的な夢遊病、彼のいう磁気睡眠は、楡︵にれ︶の大木の下でも
過を予見し、自分の治療法を決定する能力をみせた﹂︵八ニペ︶。患者
(一
田
幸
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』(巻之五)の現代語訳の試み
(38)
(37)
津山高専紀要第23号(1985)
は、くわしくは同じ社会福祉協会発行の﹃学校格致問答﹄を参照され
︵24︶ 雪斎の注はこうである、 ﹁雷雨の原因と導体の利用について
発見は一八二 〇 年 。
きますが、それとはちがうのです︶﹂板倉聖宣﹃磁石の魅力﹄ ︵仮説
まぜん。 ︵まさつ電気をおこすときは強くこすった方が電気がよくお
るからで、磁石と針金を強くこすっても磁力が強くなるわけではあり
ただ磁石と針金がくっつきあっていればそれだけ磁力.の影響が強くな
時代のすべての学者に反対して﹁火球は宇宙的起源のものである﹂と
れに対して、ドイツの物理学者クラドニ︵一七五六−一八二七︶は同
︵32︶ ﹁信頼できる○二軸。け﹂とある。
その箇所は注︵34︶で示してある。
︵31︶ 初版では、この部分はこのつぎの旦那の話の所に入っていた。
︵30︶ 彗ΦO毛甘伽。。窪窪Φ昌貯O昌ミ霧けO口話口げΦε8aΦロとある︵※︶。
説・仮説社・一九七八年・六六ページ以下︶に見える。
ついては、ギルバー干の﹃慈石倉﹄ ︵一六〇〇年、板倉聖宣抄訳・解
︵29︶ ≦p。℃oμo口つまり.賃ヨ。山のことで叙述が混乱している。これに
社・一九八○年︶六一ぺ。
たい﹂。
︵25︶ 雪斎はこれらを﹁天の石﹂と訳している。
いん
︿一七五一年にユ⋮ゴスラビアで隈石がおち、それを収蔵したウィー
ンの博物標本館長は﹁鉄塊が天から落ちた﹂という意見を否定し、
主張して、 ﹁隈石とは放電・可燃性のガス状集団などの地上的起源の
︵33︶ 注︵31︶でふれたように配列がえがあったので、ζこは当然初
﹁鉄は空中電気の作用で土壌の成分から形成された﹂と主張した。こ
現象である﹂という従来の説明をしりぞけた﹀。 ︵ダンネマン前掲書
大盤石がおちたことについて﹁この落下は何百人という人びとによっ
きことがやれる呪文と同様、欲しいものならなんでも豊富に作りだす
﹁私が帆かけ石について知識をもつ前には、ありとあらゆる驚くべ
版とかわっている。
7・三二六t三二七ぺ︶。
て目撃され、アカデミーの派遣員自身によって、詳細にわたって確認
それでも﹂。
豊じょうの角︵ホルン︶について大層なおしゃべりをしてきました。
なお、本文中にみえる一八〇三年四月二六日のエーグルピ.b茜一。に
された﹂ ︵三二九一三三〇ぺ︶などの関連記事も同書に見える。
︵34︶ 初版ではこうなっている。
︵26︶ 初版では少しちがってくる。 ﹁エレキテル物質は日々見かける
物体のもとにあって、必要な状態でえられることはほとんどない。な
の事を知らない時は、そのこと自体を多かれ少なかれ大層もっともら
﹁ここでもまた、もっとほかの出来事をとりあげてみよう。人がそ
しい原因のせいにしている。無知はいつも余りにも前へ進みすぎるか
ぜなら、ほとんどすべてのものが導体であって、湿った大地・樹木・
あともどりしすぎるかである℃磁力の伝わりようによって、それにま
草・蒸気・水などがその物質を導き去るからだ。こうして地球の表面
の釣り合が回復するのだ、たとえその不均衡がどれほど瞬時のもので
つづける。そしてとりわけ極の器機力と吸引力によって眠人はそこで
たそのカからみて、木・ガラス・銅をとおりぬけて︹磁力は︺作用し
あろうとも﹂。
はざ衛$8口Φ︶、これを雪斎は﹁展帆石︵ほかけいし︶﹂と美事に訳して
︵27︶ No一一−900ロ英語で文字通りに対応させればω今一−q。8口。 ︵実際に
この針が磁石の動く通りに動くのがみられる。テーブル板の上に磁石
ブル板の下にひそかにもって、テーブル板の上に鋼鉄の針をおくと、
をおくと、そんなふうにしてテーブル板の下に針をぶら下げることが
また驚くほど値うちがある技を完成させた。例えば、強い磁石をテー
あったので、歴史的に新しい呼び名であるNΦ苧。・け。Φ昌を﹁帆かけ石﹂、
できる。一、二の仕方で磁石をかくすと、その事実を全く知らなかっ
いる。当時日本にあった名称は、磁毛石・磁石・慈石・ハリスイイ
鼠薗oq昌Φ無は﹁磁石﹂として訳し分けておいた。
た人々を驚かし不思議がらせる見世物ができる﹂。
シ・指南石・引鍼石・吸鉄石・摂瓦石・三石・血石・縁上石などで
針・羅針盤・三三盤などという呼び方があった。
︵35︶ このあとに雪斎の訳文には、次の文章が入っている。−﹁しか
このあとに、注︵31︶の部分が入っている。
なお、コンパスについては、鍼盤・磁石盤・旱鉄拳・水鉄盤・磁
︵箆︶ ﹁針金に磁石を強くこする必要はありません。こすった面から
磁力がとびうつるわけではないからです。磁石と針金をこするのは、
一 166 一
︵8︶ 板倉聖宣﹁民間科学問答﹂ ﹃︵少年少女科学名著全集30︶日本
しい燃焼理論で説明し、 ﹁水素﹂と命名した︵一七八三年︶。
七八一年︶。それによってラヴォワジェ ︵一七四三−一七九四︶が薪
なお、ボルタは﹁沼沢の可燃性ガスに関する手紙﹂ ︵一七七六年︶
はじめての科学読物﹄ ︵国土社・一九八二年︶二七八ぺ。
︵9︶ ここの部分は初版にはない。デュ・フェ:ル︵一六九八一一七
いう名称を与えた。すでに一七九四年には、オランダの化学者グルー
ンネマン前掲注︵9︶書7の訳注九八−一〇一ぺ︶。
プが﹁油状の炭化水素﹂ ︵オレフィアントガス︶を発見している︵ダ
で沼気の研究をおこない、ドールトンが一八〇四年に﹁炭化水素﹂と
にプラスとマイナスという区別を提出した︵ダンネマン︵安田徳太郎
三九︶による二種の電気の発見︵ガラス電気と樹脂電気︶は、その名
訳︶ ﹃︵新訳︶大自然科学史6﹄三省堂・一九七八年・一二i一三ぺ
称がまちがいをおこしやすかった。そこでフランクリンが一七四七年
参照︶。だからこの箇所は前後関係が混乱している。
︵10︶ ここに、おそらく雪斎がつけた注釈が入っている。 ﹁くわしく
素ガスとメタン系ガスの﹁区別が明確でなかったように思われる﹂
宗︵一七八四一一八三三︶の﹃気海観瀾﹄ ︵一八二七年刊︶.では、水
︵坂口正男﹁舎密開宗孜﹂ ﹃舎密開宗研究﹄講談社・一九七五年・二
︵16︶ 畠oN葺く震。冒。耳。プリーストリの﹁脱フロギストン空気﹂︵﹂
八ぺ︶のは、ボイスに原因があるのだろう。
七七二年︶、ラヴォワジェがはじめ﹁純粋な空気﹂とよび︵一七七四
︵17︶ 雪斎はここでは﹁温素︵うんそ︶﹂をあてていないが、 ﹁熱素﹂
年︶、のちに﹁酸素﹂と改称した︵一七八七年︶ものか。
のこと。 ﹁この本が書かれたころは、熱や光は﹁熱素﹂ ﹁光素﹂とい
う﹁重さがほとんどない物質﹂にようて生ずると思われていた﹂ ︵前
掲注︵8︶書の訳注・二七ぺ︶。
︵18︶ ︵ ︶内は雪斎の訳注。
︵19︶ ここに﹁よくω風9。応長ともいわれる﹂.という句が入っている。
竅B碧8肖︵英語の。。℃Φ#禽︶のことで、亜鉛のインゴット︵亜鉛棒︶
のことと思われる。
︵20︶ 初版では﹁スズ板﹂。
金属片︵鉛片および銀片︶で舌のさきをはさむと、ピリピリするよう
︵22︶ 初版にはない。ズルツァー︵一七二〇1一七七九︶が、二つの
︵21︶ 初版では、 ﹁銅板﹂。
で﹁かなとこ雲﹂、﹁水塔﹂は給水塔をさし積乱雲の形容かと思う。
な味がすることを発見した︵一七五〇年︶。︵前掲注︵9︶書7・一三
ボルタは味覚興奮だけではなく、光の感覚をもひき出すことに成功
︵15︶ 自Φoロけ≦9巳σ凶8冒。暮。キャベンディシュ ︵一七三一;︸八一
あることから、雷の原因を発見したものと考えたという︵﹃科学史技
した。スズ箔と銀貨を銅線でつなぎ、あるいは銀とスズを用いて舌を
六ぺ・一四三ぺ︶。
術史事典﹄弘文堂・一九八三年の﹁水素﹂の項︶。キャンベンディシュ
︵%︶ エルステッド︵一七七七−一八五一︶による電流の磁気作用の
刺激している。 ︵同書、一四八−一四九ぺ︶。
〇︶のいう貯津p臼9三Φβ⊃躍のことか︵一七六六年︶。それ以前にレム
フロギストン空気﹂︵酸素︶との反応で永が生じるのを観察した︵一
やプリーストリ︵一七三三一一八〇四︶らは、この可燃性空気を﹁脱
リ︵一六四四︵四五︶一一七一五︶は、この気体が可燃性・爆発性で
︵14︶.初版にはない。 ﹁雷頭﹂はら。爵臼・貯8︵英語の叶嘗注手白$ρ︶
︵13︶ 初.版にはない。
を備えているので、称賛すべき発明のすぐれたモデルである﹂
キツパー父子の手になる二つの風車があり、避雷針の最も完全なもの
︵12︶ 初版には次の文章がある。 ﹁ボルメフェールのコルネリス・
一九六五年︶。
﹁たこと雷﹂ ﹃︵少年少女科学名著全集5︶新発見の報告﹄国土社・
リンの一七五二年十月十六日の手紙と五三年三月の手紙︵蕗沢忠枝訳
クリン自伝﹄ ︵岩波文庫・一九五七年︶二四ニー二四四ぺ。フランク
意図をあかさなかった﹂ ︵三九ぺ︶。松本慎一・西川正身訳﹃フラン
したときに受ける嘲笑をよく知っていたので、⋮⋮だれにもじぶんの
気づいたのではない。前掲注︵9︶書の訳者注によると﹁実験が失敗
の提出された仮説を検証するために行われたもので、息子のたこから
へ う へ ゐ ヘ ヘ へ
︵11︶ 初版にはない。この実験は、 ﹁稲妻が電気と同一体である﹂と
図を見よ﹂
いうと、エレキテルの器械と名づけて﹃学校格致問答﹄にのせてある
ボイスの﹃︵学校︶格致問答.︹自然科学教科書︺﹄によった青地林
田
oQ
一167一
幸
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)’の現代語訳の試み
(36)
(35)
津山高専絶要第23号(1985)
年にブリースランド州のマッカムのある身もとたしかな女性で
九八三年︶、 ﹃民間格致問答﹄の翻刻については同﹁翻訳書﹃民間格
ボイスと訳者大庭雪斎﹂ ︵﹃津山工業高等専門学校紀要﹄第21号・一
まり雪斎の訳稿が最終的にできあがった時点からとられたものであろ
六四ページには﹁文久元年の出版﹂とあるが、これは題言の日時、つ
久米邦武編述﹃鍋島直正公等﹄ ︵中野礼四郎・一九一九年︶第三編二
︵4︶ 前注書21号・㈱ぺ上段。
されたい。
致問答﹄とその原語版﹃理学訓蒙﹄﹂ ︵同22号・一九八四年︶を参照
明らかになったとおりだ。これはその年の十一月二八日の﹁ラ
イオンの襟飾り﹂ ︹という事件?︺で説明ができることだ。
﹁自らねむりのうちに話す﹂と正気もなく思いこんだ・はなは
だ金持で美しい家に住んでいた娘さんをこのおれがまさに知っ
ているのだ。これは、他の磁気術師の奇怪な話から大方はひき
う。なお、この訳書がどのていど読まれたかについて、細野浩二氏は
同書によって﹁当時多数の読者を聚めたといわれる﹂とのべておられ
起こされて、そのために、上手な医者ばかりでなく多くの他の
医者も﹁ねむりのうちに見たり聞いたりでぎ、そのうえ身分の
るが︵﹁大隈重信と蘭学者大庭雪斎﹂ ﹃早稲田大学史記要﹄第五巻一
五五年の版らしい。
には﹁一八五五年発行﹂の文字が入っている。雪斎が訳した書が一八
師﹂と著者名︵?︶らしいものがみえるが、 ﹁巻之一﹂ ﹁巻之一ご
﹁遠西医療手引序﹂によると二八四四年十一月﹁レープシグ﹂ノ医
一i一九丁、 ﹁巻之二﹂一−四四丁が、合わせて綴じられている。
葉つづいて﹁出茜医肇引序﹂二葉﹁鍛遠西医箏引巻四一﹂
草﹂と墨書されている。はじめに本文に引用した題のない序文が三
︵6︶ 京都大学医学部︵富士川文庫︶所蔵。表紙には﹁遠西医療手引
ぺ。など。
化﹄ ︵緒方富雄編・東京大学出版会・﹁一九七一年︶ 一四四−一四七
︵5︶ 古田東朔﹁江戸期における翻訳書の文章形式﹂ ﹃蘭学と日本文
せん別︵?︶に使われたらしい。
によると、この書は明治=二︵一八八○︶年の時点でも、独立の際の
東北大学︵狩野文庫︶所蔵の﹃民間格致問答﹄巻之六の巻末の墨書
九七二年・三三ぺ︶、当該の箇所には見えない。
別に応じて話しわけさえする﹂その不思議な能力に疑いをうぽ
われるほどに、さかんに行われたものだ。大層学力があって名
高い人が気づいて、 ﹁見物人をうまくだましている﹂ことを
はっきりと示す所までいった。
ねむりのうちに話す人が、学問をつんで功績のある人でさえ
も﹁これは真実だ﹂と考えさせたのは、あの驚くぺぎ好奇心が
そそられたためであった。
キを
朱40︶ いきもの
トインマンは、旦那に、 ﹁活物のマグネチ﹂ ︹動物磁気︺に
ついて説明してもらったことに大層礼をのべた。 ︵というの
をを
は、 これ以来この術を行うのに磁石が不必要になったから
だ︶。 二、 三日後に旦那の第十二回目の話を聞きにでかけ
た。
よると、雪斎は晩年は中風を患っていたとのことである。患ったの
︵7︶ 古田東朔氏によると、 ﹁︵遺族︶安田雪子氏の筆者あて書簡に
﹁ゆきの屋のあるじ﹂なる号は知られていないようである。
︵1︶ 吉田忠﹁一八世紀オランダにおける科学の大衆化と蘭学﹂同
は、明治になってからのことかも知れない﹂ ︵﹁大庭雪斎﹂ ﹃実践国
︵注︶
編﹃東アジアの科学﹄ ︵霞草書房・一九八二年︶。
語﹄三〇二号・一九六五年・二五ぺ︶とある。これを確めえたが、患
た。
ったのは一八六〇︵万延元︶年の五五歳からそう遠くない時点であっ
︵2︶ 板倉聖宣﹁手品・超能力と科学の歴史﹂ ﹃ものの見方考え方第
2集﹄ ︵季節社・一九八一年︶三五ぺ。
︵3︶ ボイスの経歴などについては、拙稿﹁﹃民間格致問答﹄の著者
一168一
(34)
治療のためだけに使うのだ、とそれだけを定めておいて、 ﹁眠
︵37︶
れ/﹂というと、たちまちその病人がねむるのだ。ねむってい
弱く神経質な人にかけるのだから。時には、磁気術師が病気の
不思議ではないが、たやすく失神がおこる。とりわけ、普通は
も体にふれずに手か指先を動かすのだ。これによって、少しも
ける動作は指先でまぶたをそっとなでたり、またそうしながら
普通これは敏感な寝入にたいして試みられている。それをか
ける﹂ ︹磁化する︺とよんでいるのだ。
とは何の共通点もない。それなのに、人はこれを﹁マグネチ懸
ら、全く別の仕方でやってみるのだ。実をいうと、それは磁石
かも今日でもなおその術に多くの人々がつかまえられているか
こで、確めるために、磁石の作用などすべてをとり除いて、し
たことで、ただ想像力の働きだけだとはっきりとわかった。そ
いたりするのだ。しかし正確に観察すると、すべてはまちがつ
棒磁石をつかい、病人ににぎらせたり病入の体のあちこちに置
・卜曽記スル所ノモノハ、常ニコレヲ謎ホ止セリ。脈証・顔色ノ状能心
医者が書き与えた書物をちょっと読んで聞かせよう。 ﹁﹁睡中
しらく
言語スル者二︹本人が効果があると︺信ズル刺絡ヲ自ラナス﹂
ある﹂と証明してあるからだ。おれが大層腕もたち学力もある
をかける入がねむりのうちに話すことを書きあげて、 ﹁有益で
旦那 恐らくそうしたこともあるだろう。なぜなら、磁気術
ることか、だれか知った者がございましょうか。
者さんたちの助言なしにそれを用いるとどれほど不仕合せにな
をかける人のこんな助言に従うのは安易なことで︽適切なお医
懸ける﹂ことまでお話し下さって有難うございました。磁気術
トインマン 旦那さん、ご親切にも病気の治療に﹁マグネチ
させたりもしたのだ。 。
術中にやったさいには﹁それが真実だ﹂と学問のある人を信用
しばしば尊いマグネチ懸ける人とたたかったり、そのほか磁気
思議な力がそなわっているのだ﹂と思ったり、またいつわって
にしゃべる入は、自分には﹁そんな状況に自分をおけるほど不
レヲ可ナリトセザルベケン﹂。
る間に、この上なく奇妙な質⋮問に答える。例えば、遠くはなれ
く見聞したこともない家のことを話したり、自分の病気の処方
・トインマン 旦那さん、どうかもう一つだけ気がついたこと
事ビ総身ノ性質ニオイテモ、マタ証左アリトイエドモ、全クコ
箋を与えたり、あるいは、導き綱でつながれた他人から薬剤を
がございます。ねむりのうちに話す人が磁気術をかける人さえ
て住んでおり一度も会ったことのない入の様子であるとか、全
与えられると話したり、それだけではなく今ではねむりのなか
もだますのには、 ﹁自分には何でもできるという状況に自分を
せん 朱38︶
で話しする人︹被術者︺が、病人がアムステルダムからロッテ
たった今あなたがおっしゃいましたが、きっとこれは全く生活
おく不思議な能力がそなわっている、と想像するからだ﹂と
らなくても曇りを与える、というのだ。
ダムほど遠方にいても病人が着ている衣服さえあれば病症を知
キを
旦那 いやいや、そうと決まったものではない。かりにまた
の資とするためでございましょうか。
きことがあって、時としては完全な詐欺にほかならないが、よ
多くの者がそうでありえても実はそうではないのだ.一八一七
ねむりのなかで話すことには、あらゆる種類の奇怪で驚くべ
くいえぱ、想像力の働きに帰着するものなのだ。ねむりのうち
曇︵39︶
一169一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
’(33)
津山高専紀要第23号(1985)
沢と美しさで激しく力強い姿をあらわす﹂ことに、すぐ気づく
は完全であってもごく粗朴であり、人の技が必要な状況では光
うすれば、お前さんは﹁自然の多くの事柄はたとえそれ自体で
○○の事柄とそれに人の技でなした調和とを考えてごらん。そ
見本である人間は、常に活動している自然とその法則を発見す
になった、そして﹁理性的な生き物であり神の創造物の立派な
この罪なく賢明な神さまがかつて自然とその法則をおつくり
ないものである﹂と認めたままなのかね。
例えば、鉱山からでたままの﹁金属﹂をみてごらん。そいつ
ともいえよう。
人の利益になるように完全に仕上げるために必要なのである﹂
最もすぐれた学問を人の自由におまかせになられたのだ。 ﹁そ
そのために必要なことを学び知って使えるようにと、神さまが
雇用をつくりだすための能力をお与えになっただけではなく、
自身が人間に自然のおびただしい産物から自分の利益や安楽や
るだろう﹂と神さまがお望みになった。そのために、神さまご
︵35︶
はあらく不純で、いろいろのものがまじりあっているのがわか
の学問とは何か﹂というと、それがこの窮理学だ。一窮理学
だろう。そこで、 ﹁人間の技術は、自然の多くの働きや産物を
るだろう。しかし、その同じものが人間の技術と働きによって
とは人をなんと偉大にすることか。−またどれくらい人をけ
み ビス
あらく不純なものをすべてとり除いてから一それから美しい
だかくすることか。どりわけ舎密学︹化学︺によって自然の諸
セ ミ
力を利益になるように変え、こうして以前には存在しなかった
高価な製品が大層心血を注ぎ研きあげられて作られてから、一
度ながめてごらん。ぞうすれば、この状態で金属をくらべる
物をつくりだすことを学んだことによって。これによって、
ろう。それは、ダイヤモンドの原石とみがいたものとを互いに
と同じものをながめているのだとは、ほとんど信じられないだ
きと壮麗さで人目をひいているのを見ると、鉱山からでたもの
像もで・きないだろう。そのうえ、これらの金属が精錬されて輝
到達し、そこで生ずることをどれほど長くまた数多くあろうと
ございます。万事を別のやり方でながめだして、自然の働きに
多く他のことまでお話し下さって私はまるで別入になる思いで
トインマン ありがとうございます、旦那さま。こんなにも
﹁この学問が人類を下級の創造者にする﹂ことを人がみずから
おを
証明しているのだ、といっても過言ではないそ。
幹︵36︶
と、なんとしたちがいがあることか。金・銀・銅・鉄・錫・
くらべる時とちょうど同じことだ。 ﹁未加工なものをみると、
も知りたく思います。
鉛、どれをとってくらべても同じ物質を見ているのだ、とは想
大方みがいたものがわかる﹂ とは信じることができないだろ
しかし、まだ一つ思いつきました。磁沼で病人を治療すると
︹磁気術︵のちの催眠術︶をかける︺というのだ。いくつもの
会ったことがある。その.人がすることを﹁マグネチ懸ける﹂
旦那 そんなことをすることができると主張している人に
いうあの不思議なことは本当でございますか。
う。しかし、お前さんがどれほど確信していても、 ﹁ダイヤモ
ンドは加工したものの方が未加工な物よりずっと美しくもっと
輝いている﹂ のを疑うだろうか。 にもかかわらずお前さんも
﹁現に存在するものの目的にこたえている﹁自然﹂ ︵神︶の創
造と成果のどれもが立派で美しいし、その真価からみて申七分
一 170 一
(32)
些︵31︶
が板にかきつけているからだ。磁石の力は鉄と鋼鉄の他はすべ
中の穴の前に絵や花をかいてみせるのだが、これは内にいる人
問をステッキでさし示し、 ﹁魔法の絵師﹂と﹁花の箱﹂は箱の
人﹂ ︵これはチロル出の男をえがいた図だが︶は提出された質
槽の下にいて指図.するからだ。また、同じやり方で ﹁チロル
木の白鳥が、カードや質問をさし示す﹂のだ一1これは人が水
﹁コンパスは地球のある場所ではなぜ静止するのか﹂とか、
をキ
つも示す﹂ことはいうまでもない。
あっても﹁方位針がその向きでどんな番号になっているかをい
の番号をすきなようにいれかえても、また箱のふた、が閉じて
上では、いつも立つのだ。方位針の方向が一度わかると、四つ
石の北極でこすりつけたのだから南極にあたっている針の先の
おり、その方位針は、北極ではいつも針の南極をひきつけ、磁
﹁なぜもはや全く水路をさし示さないのか﹂の理由はわかる。
てのものをとおりぬけて作用するので、針を机の下に置きその
机の上に強い棒磁石をもってぎてあちらこちらへ動かすのだ。
例えば、磁石の傾ぎが上下になって九〇度である場所では、コ
︵32︶
ある人が磁石でできる術をすべて書きあげている。それにそ
ンパスは水路をさすことが全くできない。なぜなら、自然の磁
ら、まず番号をつけた小箱でトリックをやってみましょう。し
さん。小さな方位針と磁石にすりつけた針が手にはいりました
トインマン そいつは大層不都合でございますね。だが旦那
が北か南の方向をさすことがないからだ。
教33︶
力は伏角があらわすとおりにまったく上下にばかり働いて、針
のための道具立ての多くは一般に大層よく知られているものな
ので、ニューレンブルクの書店の市で大量に見かけることがで
ぎよう。これらの術の一つがよくわかるように、お前さんにも
うまくできるものを教えてあげよう。それはたった今話した
﹁番号箱﹂というものだ。
さ,て、四角のコルク片を四つとり、また磁石の同じ極で強く
かしながら、 ﹁天然の帆かけの石の力はごくわずかしかものを
を
ひきつけず、技をもって磁力を配当した棒磁石の力ははなはだ
こすりつけた鋼鉄の小針を四本とってごらん。そしてこの小針
をコルクの中につっこみ、そのコルクに白い紙をはってその上
強いものだ﹂とあなたからお聞きしまして、大層びっくりして
最善であるにちがいない﹂と、人はつねつねいっておりますの
おります。 ﹁﹁自然︵神︶﹂が臼ら産み出した物は最強にして
ナチユ ル
に番号をかきなさい。一・二・三・四と決めて、番号の一番は
針の先の上におぎ、二番は青白の右側に、三番は下に、四番は
左側にくるようにするのだ。それからその番号をたがいに並べ
に。
片がひっくりかえったり、ほかの向ぎにならないようにして。
をキ
何の術も加えていない磁石は弱いものだ。さて、 ﹁﹁自然﹂が
旦那 お前さんにいったとおり、鉱山からほりだしたままで
管︵34︶
そうして小さい方位針をそれぞれの番号の上におくと、さぎに
うみ出したものは最強のものであり、最善のものでなければな
ておき、つぎにぴったりとはいる小箱に入れてごらん。コルク
帆かけ石の北極で針先をこすっておいたので、その針が番号の
らない﹂というお前さんの意見については、これ自体はともか
くも放棄することはない。 ﹁自然﹂がうみだす中のわずか一〇
一番では上の方に立ち、二番では右側に、三番では下に、四番
では左側に立つのが見えるだろう。なぜなら、おれがいったと
一171一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
(31)
津山高専紀要第23号(1985)
だ。これなしには大洋でコースを見つけることはできないだろ
旦那 うん、コンパスというものは不思議で大切なものなの
た伏角のことはよくわかりません。
だ。⋮さて応用問題をやろう。
り南の部分を重くこしらえるのに十分気をつけねばならないの
旦那 よくわかったな。コンパスの製作者は針の北の部分よ
針も前に傾いて地面につき当ってしまうでしょうに。
がり針をのせた小さなコルク片を水の入った容器に浮べたもの
らでたままではかえってかなり弱いので、手立てをほどこすこ
我々はすでに﹁天然の帆かけ石の力は、全く鎧装せず鉱山か
応用問題
う。そこでコンパスが発明されるまでは、海岸から遠くはなれ
ることは決してできなかった。方位針でコンパスをつくって軸
の上で回転させる以前には、不完全ではあっても︹次のように
が、そのコンパスであった。この針は、帆かけ石にすりつけら
とによってはじめて強くなる﹂ということを知っている。そこ
して︺求める方向を限定していたのだ。つまり、上に縫針かか
れて、そこではいつもそのコルク片を方位針がさすポイント
真っすぐに立っても、コンパスの針が北と南に置かれさえずれ
斜がごく強くて、さっきいった通りある場所では全く上下に
点を基準にしてその傾きをいうのだ。この伏角つまり前への傾
さて﹁方位針の伏角とはどういうものか﹂というと、北の一
かすことは決してありえないのだ。
に知ることができるし、そのためにコンパスでまちがいをしで
するときはいつも、船長は太陽や星を観測してその変化を精密
うものだから、我国の岸や陸から遠くはなれた地方や国へ航海
の経度・緯度での偏角はまた我国︹オランダ︺でとは全くちが
も正しいかのように、ちょっと仮定してごらん。例えば、ほか
よって正しい北がわかるからだ。コンパスが少し変化していて
ない。というのは、どれだけちがうかを精密に知って、それに
ところで、コンパスが真北を指さないのは少しも悪い事では
知らなければとっても不思議なことをしでかすものであった。
などがあるのだ。この道具は磁石の反知力と吸引力とを十分に
石の白鳥、チロルの占い師、魔法の絵師、花の箱や番号の箱
ともっともらしい魔術をやることができる。その技には、磁
わざ
磁力の性質・その両極の反地力と吸引力によって、多くの技
話も力を失うことになる。
えていった所、その磁力でひきつけられた﹂という同じような
﹁羊飼いがくぎをうちつけた靴をはいて帆かけ石の多い山をこ
う事もばかげたことである。これは全くでたらめな話だ。また
開祖だ︶の死体は二個の帆かけ石の間で宙に浮んでいる﹂とい
メット︹五七一か一六三二︺ ︵トルコの僧で、その国の宗教の
は大いに衰えるし、また同じ理由で﹁鉄の棺の中にあるマホ
使って作った船を.ややもすると海底に沈めたものだ﹂という話
大いに力をなくしてしまう。 ﹁海底にある磁石が、鉄を多く
で、他のことによってはできなくてもこの事実だけで次の話は
ばそれでよいのだ。
ちょっと考えてもごらん。 ﹁水をいれた銅の水槽に浮んでいる
︹方位︺に浮べたものだった。
トインマン へえ一、旦那さん。とすると、どのコンパスの
一 172 一
れはさまって天の同じ一点に向かう。くわしくいうと、北極の
転する時、糸でつり下げても回転軸の上でまわるにしても、そ
② 帆かけ石の力のある棒や針がある一点を中心に自由に回
小箱のまんなかに置いたときは、 いつでも﹁コンパス︵羅針
をうけとる。さて、こうした磁化した針を軸の上で回転できる
力を鉄に配分する。それだから鋼鉄の針はこすりつけると磁力
⑤ 磁石は鉄にすりつけたり鉄の近くにもつてくれば、その
のだ。
近辺をさし、他の方は当然反対の南極の近辺をさす。そこで帆
盤︶﹂がえられる。これは曇ったり暗い天候のさい、海上の
作用が妨げられることはない。
かけ石には互いに相反した二つの場所があり、その作用が最も
コースを調整できるすばらしい装置だから、航海者たちにとて
しずつ徐々に変わって、地球上の場所によってちがいがある。
﹁指針の誤指﹂ ︹偏差︺と名づけている。この偏角はほんの少
あやまりざし
つ風の方角をさすのだ。これを﹁差回﹂ ︹偏角︺・とよんだり、
スの針︶というものは、真北をささずにおおよそ北から西へ二
︵30︶ ちがいざし
も大切な働きをしてくれるのだ。しかしながら、そのコンパス
さしばり
は、くわしくいうと完成された器具としての﹁指針﹂ ︵コンパ
強い所を﹁極﹂と名づけているのはそのためだ。北の方をさす
一点を北極、反対の所を南極と、いう。注目すべきことは、磁石
がそのすべての力を両極へ向け、極からはなれるにつれてだん
だんと減って、両極のちょうど中央には磁力が少しもない所が
あることだ。
③ 磁石を鉄のやすり粉の中でころがせば、高くずのくっつ
きようでこの両極が見つかり、まんなかの方にしだいに減少す
しておけば、その不思議な性質を見ることができる。一方の北
る。二個の磁石を互いに近づけてその二個が自由に動くように
④ 磁石にはエレキテルで知ったのとほとんど同じ現象があ
ども強められる。
帆かけ石﹂というのだ。これによってしばしぽ力が二〇〇倍ほ
装︺といい、こうして装備された石を﹁︹鉄の兜で︺武装した
作用でぎるようにすればよい。こうすることを﹁束帯﹂ ︹鐙
してその作用が鉄にそって同じ方向に向き、極の両端が同等に
い︶を強めようと思う時は、鉄で石の両極をこすりつけ、こう
た。ところが、あなたのお話を聞きますとそうではございませ
針はいつも正しく精密に北を指すものとばかり思っておりまし
ンパスは必要なことをしないのでしょうか。私はコンパスの
いります。帆かけ石とはなんと奇妙なものか、またどうしてコ
トインマン 先をきけばきくほどいよいよ不思議になってま
場所もあるんだ。
下の場所とか、あるいは伏角が九〇度で上下に真っすぐに立つ
いた傾斜となるのだ。こうした傾斜が一つもない昼夜平分線の
針を磁化するときは、そのバランスを失って約七二度のかたむ
ある。くわしくいうと、オランダで釣り合のとれている鋼鉄の
なお、方位針には偏角のほかに﹁傾斜﹂ ︹伏角︺というものが
うつむき ふっかく
極を他方の南極の側にもってくれば互いに強くひっつき、北極
ん。これではきっと役に立たない道具でしょう。あの神さまも
る力が見つかる。天然の帆かけ石︵これだけでは力が大層弱
と北極、南極と南極とを近づけるといずれも強くつきはなす。
時には欺かれなさいますなあ。それに、旦那さんがお話下さっ
そう ︵29︶ かぶと
しょうそくする がい
はたらき
ちがう極は互いにひっつき、同じ名前の極は互いにつき放すも
一173一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
(30)
(29)
津山高専紀要第23号(1985)
姿をあらわすことがないのは至極明らかだ。作用中のエレキテ
はどうしてか﹂。お前さんのいう通り、それ以上にはおのずと
﹁エレキテル物質が作用するのをそれ以外には見かけないの
する﹂ということだ、つまり、船長がある水路や個所をめざし
れわたっているものだ。あとの名称は、 ﹁ある石の種類を意味
︵72︶
れは、 ﹁マグネチの石﹂ ︵磁石︶または﹁帆かけ石﹂の名で知
て、たった今やったようにお前さんと一緒に考えてみよう。こ
地球の表面の釣り合を回復させる。そのために、エレキテル物
水などがこの物質を導き去ってへった分だけ、それだけす早く
ら、目にすることはできないのだ。湿った大地・草木・蒸気・
含まれていて釣り合がとれている間は、多くの物体が導体だか
現われているはずだ。なぜなら、エレキテル物質が物体ごとに
ない。エレキテル物質は日々見かける物体にあって、いつでも
ことによって、鉄にもまた配分される。それで磁石や帆かけ石
ひきつけたり鉄にひかれたりする力だ。この力はこすりつける
﹁マグネチの力﹂つまり﹁帆かけ石の力﹂ ︹磁力︺は、鉄を
りあげようと思ったわけだ。さあ、ようく気をつけてお聞き。
力がうまくあらわされている。そこでまた今回の話でこれをと
石﹂と名づけているのだ。もともとこの名前でこの石の性質や
えるので、 ﹁方々へ帆かけていくための石﹂として﹁帆かけ
て行くのにみな﹁序盤﹂ ︹コンパス、羅針盤︺をこれでこしら
はりだて
ル物質は見てとることはでぎない。もし見ることができるなら
ば、ガラス・曇ろう・松脂・絹などに董田えられているにちがい
質の不均衡は上の大気心外にはどこにも自分から姿をあらわす
には、天然物と技術で作られた人工物との区別があるのだ。
ゑ26︶
ことはない、雲は導体であり、雲が浮んでいる大気がこの物質
天然物は、多くの鉄物質をふくんだ黒色の石で、世界の三カ
ル性のもので、この物質を誘わないからだ。人がエレキテル物
というのは、大気はちょうど勝ろうやガラスのようにエレキテ
人工物つまり技術で作りだした帆かけ石は、天然の磁石の上
はとりわけスウェーデンやロシアの鉄山に多くある。
所、アジア・アフリカ・ヨーロッパで見られる。ヨ1ロッパで
むを
を十分は蓄えて停滞させなければ見ることはできないのだ
質が造物主によって︵これも同時にお前さんに説明した︶雲の
のものより大層強い。また鉄片を他の鉄とこすりあわせるだけ
に鉄片を強くこすりつけてできたものだ。その力は多くは天然
︵%︶
たった今絹ひもでやって見せた具合に技術によってのみ地球の
で入筆の帆かけ石をつくることもでぎる。そこで磁力があるも
中でだけ活発であるのを見るのは、当然のことである。おれが
表面で同様なことを起こすことができ、大装置にはエレキテル
のは、石でも鉄でも同じだからみな帆かけ石とか磁石とよんで
しかけ
機関器でやるのだ。一−じゃあ、始めよう。今またよく考えな
いるのだ。iさて、磁石の性質をもう少しくわしく見て.みよ
力は様々な他の物質をつきぬけて作用し、火でも真空でもこの
ば少しも妨げられずに鉄をひきつけ、また鉄にひかれる。この
①磁石もしくは帆かけ石は、間においたものが鉄でなけれ
ろ!。
がら第十一回目の話を聞きなさい。
第 十一回目の話
もう一つ別の・注目する値うちがあって驚くべき物質を見せ
一 174 一
キテル物質はいつも眠っているように見えます。
所をおれが左手でさわっている﹁装フラスコ﹂ ︹ライデンび
ちょっと、これをごらん。内部を充満させたもので、銀箔の
と外の方とを導体で結ぶ時には、強く欠けた釣り合をとりもど
旦那 いい所に気がついたぞ。機械で実験して見せなくて
ん︺というのを見てごらん。さて、お前さんの左手とおれの右
ましょう。一度たくさんの火花をぜひとも見たいものと思って
は、お前さんを大して進歩させることはでぎないね。少しだけ
手をつなごう。それからお前さんの右手でフラスコの内部につ
そうとしてエレキテル物質が大層激しく内から外の方へととぶ
でも見たり感じたりしょうと思うなら、こちらへおいで。さ
ながっている銅線にさわってごらん、そうすると、またたく間
やみつきになったようで⋮⋮。このエレキテル物質はそれだけ
あ、おれがここにもつている絹のひも、]方の端におもり、他
にこの物質がお前さんの右手を導体として飛ぶように流れるだ
ように流れることは、不思議ではない。この飛躍が﹁エレキテ
方の端にふさがついているこのひもをにぎってごらん、そっち
ろうよ。お前さんの胸をま横にとおって左手に達し、そこから
では見えないのはどういう訳か、十分には納得できません。ガ
の端をお前さんがもって、こっちの端はおれがもって、しゃん
おれの右手に、つぎにはまたおれの胸をよこぎって左手に達し
ルの衝撃﹂︹電撃︺を組み立てているのだ。
と引っぱるんだ。またここに、細長いフラスコに中に半分ほど
て、欠けた釣り合をとりもどすためにフラスコの外側の錫箔に
ラスや封ろうや松脂や絹などでこすって起こさなければ、エレ
銅のけずり粉をいれ、外の方にはその高さだけ銀箔をはりつけ
到達するのだ。さあ、それじゃあ、ちょっとこの銅にさわって
が大層欠けた。フラスコの内部にはエレキテル物質が充満し
て内部の銅粉が蓄えただけの物質を失う。さて、これで釣り合
い。それとちがって、フラスコの外側はにぎっている手を通し
えるから、 ここからはエレキテル物質が逃げることはでぎな
てフラスコの内部の銅粉に入っていく。フラスコのガラスが蓄
よって絹ひもの中におきるエレキテル物質は、銅線を導体とし
すった絹ひもにふれるように持っている。このやり方で摩擦に
の皮でこすりながら、銅線の三角形の所で終始下の方からこ
指でフラスコをはさもう。絹ひもを親指と人さし指ではさみ猫
の毛皮をおれが親指と人さし指でつまんで、同じ手の小指と薬
のコルクをとおして上の方を三角に曲げてある。さて、この猫
は、もともとは非常に強い電撃のために死ぬというわけだ。
装置になると稲光となるのだ。そのために稲光にうたれた人
かの電撃は少しも有害ではない。さて、この小装置の電撃が大
的で機械を扱かってはならない、というわけだ。しかし、わず
だろう。そこでまた、無知でその装置に不慣れな人々がその目
スコを動かすと、たいそう簡単に健康を傷つけることができる
ではなく胸にも感じるのだ。そこで、強力な機械と大きなフラ
旦那 やあ、そりゃあなんでもないんだ.機械をつかって大
つめ
きなフラスコに蓄電るとそこに入ってきて、ショックを腕だけ
とっても不思議で⋮⋮。
トインマン ああ一、旦那。 こりやあ奇妙な感じで、腕が
ごらん。
つめ
たものがある。内部の銅粉には︵見た通り︶銅線をさしこみ栓
て、外の方はこの物質が手をつたわって逃げたからだ。内の方
一 175 一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
(28)
く27)
津山高専紀要第23号(1985)
とか﹁かがやいてとびまわるオーロラは大風と雷雨の前兆だ﹂
かんばつ
いには、 ﹁火球をともなうすごく赤いオーロラは旱越の印だ﹂
になったので、だれ一人迷信をつくる者はいなかったし、しま
人に衝撃を与えたのだ。しかし、その時分にはすぐに慣れっこ
から我々の上空にまでのびだし、実際無学な者や不慣れな見物
形、たたかう軍勢と互いに衝突しあう炎の姿をとって、北の方
れはあんなにも恐ろし炎の現象t火球や火柱や手槍や火剣の
およそ五〇年以上も昔、大層大きなオーロラがあった、そ
考えて﹁変ったものだ﹂と思うものをあげてみよう。
日にフランスのある場所に落ちたのもそれだ。気体の類似物つ
を出して大地に激しく落ちることがある。一八〇三年四月二六
があり、ややもすると石をつくりだして、それがすざまじい音
時には、その燃焼で落下する物質が分離して互いに固まること
て、街道を馬車がつらなって走るようにゴロゴロと音をたてる
いものではないのだ。こうした火球が一たくさんの炎にさけ
ない。熟慮し敬意をはらって観察してごらん。少しも恐ろし
には大気の上方に現われるものは、どれも決して恐れることは
火球や火柱やどのような形のものであろうが、天・げんみつ
し、同様にお前さんに話したところだ。
ひのやりひのつるぎ
とかの天候を予言するためのものを除くと、気にかける者さえ
まり石の現象は、窮理学者の庫の中におさめられているのだ。
︵25︶
この大切な話が終ってから、トインマンは前よりはるかに学
ないくらいだった。−一1しかし、 一八〇五年一〇月二三日に、
オランダのある地方で﹁あちこち浮びまわりいろいろの形に
れほど望むなら、事は重要だから復習するように﹂とトイソ
問好きになり、 ﹁もっと先に進んで下さい﹂と旦那にねんご
し、多くの人々がこの現象を災難や新しい戦争の前兆として心
マンに申し渡した。一、二日あとで新しい話を聞ぎにきて、
なって、ついには消えうせた大きな火球が現われた時分の状況
づもりしていた。 ﹁どうしてか﹂というと、とっても変ってい
﹁ぜひとも﹂とねだったので、次のような簡略な話が始まつ
ろにお願いをした。旦那がまたトインマンに約束して、 ﹁そ
たためだった。ああ、また思い出したが、この年のごく小さな
た。
はどうであったのか﹂というと、人はみな恐ろしがつたものだ
オーロラがこの火球の姿をしていて大層不気味だったからだ。
に大きいことだ。確かに、すべての燃える大気中の現象は、そ
同様の性質のものだ。この二つの物のおもな違いは火球が非常
も慣れからだ。しかし、さきほどの恐ろしげな火球もやっぱり
いうだけで、格別に恐れはしない。どうしてかというと、これ
の自然の出来事をながめて、 ﹁ああ、あそこで星が流れた﹂と
ぎることでもございましょうし、 ︵あなたがおっしゃったよう
ついてはおたずねいたします。しかし、多分余りにも高尚す
だ大分考えなければなりません。そのうち多くの特別な事柄に
トインマン ええ、旦那さん。エレキテルについてはまだま
ことを熱心に復習したかい。
旦那 やあ、親方。エレキテルについてこの前おれが話した
いわゆる﹁流れ星﹂をみて、これほどに恐れる者はいない。こ
れがどのように見えても自然が造りだしたものなのだ。どこか
な︶エレキテルの機関器なしにはうまくいかないこともござい
からくりどうぐ
ら生じたかの理由については、原因を解明することができる
一 176 一
(26)
いるからだろう。しかし、偏見も迷信も立派な神さまをこれほ
あろうし、あるいはまた﹁本当に刑罰をかせられる﹂と思って
ら雷鳴で重い刑罰を加えられるのだ﹂とだまされているからで
怒の徴候だ﹂と考えている。これは、 ﹁人聞が罪をおう身だか
これをどうよびたいのかね一は、 ﹁雷鳴と稲妻は創造主の憤
ど間髪をおかず雷鳴を聞くものだ。偏見や迷信1お前さんは
去ったものだからだ。稲光が害をおこす場合は、稲光とほとん
ことができる、危険をもたらす稲妻はもうとつくの昔に過ぎ
激しい雷鳴を恐れるのは偏見だ。雷はいつでも恐れずに聞く
のないのは何故か、がはつぎりとわかっただろう。
ど鉄砲の一撃がただ時には強いとどろきを起こすだけで全く害
害を与え、雷鳴だけでは越南以外の何ものでもない−1ちょう
雷と稲光とについて説明したすべてから、稲光だけが危くて
とはない。
というのだ。こんな火事も火事にはちがいなく、火のついた燃
たものかといえば、 ﹁雷雨でおこった火事は水では消せない﹂
も、一層馬鹿らしくて実にうら恥ずかしいものである。どうし
しかし、もう一つの偏見は、同じ根拠によっているけれど
神の御手を払いのけた﹂と想像しているのだ。
ことをした﹂と人が想像し、 ﹁創造主の御手に抗して動かし、
いる。 ﹁お前さんはたった今かえって罪深く不穏当に取り扱う
のことだ。それでも愚かな迷信はなお力ずくでそれに反対して
ろう。こうした手段とはすでに話してきかせた導体︹避雷針︺
も、すべての.災害が防がれ、雷雨からすべての恵みをうけるだ
の中で明らかにされた手段を用いよう﹂と思ったときにはいつ
家の危ない場所に立って、 ﹁天がお命じになったように、自然
も大層多くの災害をしばしばひき起こすものだ。がもし、人が
たった一度の大風が雷鳴と稲妻を一緒にしたすぺての雷雨より
稲光でおこるとてつもなく有益な雨が、乾きあがった大地や動
から一緒に集まったあらゆる有害な蒸気が燃やされるからだ。
いたり、大木の下に隠れないようにした方がよい。というの
くには行かない方がよい。またとくに煙の出ている煙突の側に
雷雨のさいには、特に注意して鋼鉄や銅や鉄などの導体の近
える物質がもえるので全く普通の火事と同じだから、水で消す
物や植物に水をやり、雷のあとではよみがえって呼吸がいよい
は、これらのものはみな稲光をひきよせてその場を危うくし災
ど辱しめることはない。 これほど真実と反するものはないの
よ自由になり、天地が再び多野したように思える。しかしなが
害をもたらすからだ。 ︵ここであつかったあれこれについて
ことができる。再三再四の経験から同じことだとわかっている
ら、時としては稲光のために災害がおきるのは本当だ。しか
だ。というのは、この自然現象は刑罰であるどころか偉大な恵
し、稲光によってもたらされる利益とくらべれば問題にはなら
は、 ﹃雷雨の原因と避雷針の必要さについての対話﹄ ︵一八○
︵24︶
五年・社会福祉協会発行︶という小冊子を参照されたい︶。
のだ。
ない。自然現象の作用で人に害をもたらすものをあげた場合
雷と稲妻だけではなくて、慣れていなければ不学の者が衝撃
みなのだ。一稲光によって、大地から上昇してどこか他の所
に、ひとり稲光だけがそうなのか、雷鳴だけがそうか、どれが
をうけ恐怖にかられる他の燃える大気中の現象がある。おれが
かいびゃく
災害をひきおこすのか。いやいや、まさしくそうではない。
一 177 一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』(巻之五)の現代語訳の試み
(25)
津山高専紀要第23号(1985)
レキテルを起すことはできないのだ。ここから人は、自然には
の作用のほかには、エレキテル体を摩擦することを除いて、エ
八︺という人が第一番目の発見者であったからだ。今日までこ
が、それはイタリアの大学者ガルバ!二 ︹一七三七一一七九
とも名づけられている。また﹁ガルバー二の柱﹂ともいわれる
る。ここで火の側にいる猫の背を暗い所でなでると、これと同
絹にエレキテルがひきおこされたことをはっきりと現わしてい
見るだろう。このプチプチいう音はその火の粉から出るので、
音を聞くだろう。そして暗い所では靴下から火の粉がでるのを
の靴下をなでまわす時は、かすかにプチプチいうかじるような
とことんわかるでしょう。
たのご親切にすがってこの話をもう一度私も家でやってみれば
のは少しだけでどうしても全部は分かりません。しかし、あな
と、どれほどすばらしいかわかりません。けれども、わかった
じたりしてあぎれてしまいました。これらみんながわかります
だけで、眼にあんなに光線が見えたり、ロにはあんな酸味を感
なことをお聞きしたことでしょう。亜鉛と銀とを触れあわせた
トインマン 旦那さん、なんてまあ多くのびっくりするよう
け湿らさないように気をつけた方がいいよ。
らだ。エレキテルの実験にはとくに諸物を乾かして、できるだ
液というものは導体であって。エレキテル物質を送るものだか
に分けてその釣り合を保つ原因となっている。というのは、体
このほか、体中にみちわたった体液はこの物質を導き、同等
に破れるのを観察している。
雷雨のさいの大気中以外にもエレキテル物質のバランスがまれ
の発射で音がでるように一雷鳴は稲光におくれて聞くもの
雲の中の稲光は雷鳴と同時にでるけれども一ちょうど鉄砲
苦しいほど暑い天気のさいに雷雨が多いのはそのためだ。
ず、そのためにエレキテルをひき起こすことはできないのだ。
気のように一様につめたくて蒸気がいちじるしくは濃ゆまら
けではなくごく微量だし、それに大地の近くの空気は上空の空
からだ。しかし、冬にはまず第一に蒸発の回数がごくまれなだ
つも冷たい上の空気中へ昇りながら、強く濃ゆまって帯電する
な時は蒸気はまたこの上なく激しく膨張して、冬でも夏でもい
ればならないのは、そのためだ。つまり、下の空気が大層暖か
がほとんどあったことのない冬よりも、大層多くの雷雨がなけ
と﹂を我々は知ったのだから、下の空気が暖かな夏には、雷雨
気が寒気でいちじるしく濃ゆまる時は、いつも雲が帯電するこ
﹁昇り上った蒸気がエレキテル物質を送り、そして上空の蒸
をたて火の粉を出すからだ。
じことがおこる。というのは、その時には毛皮がプチプチと音
︵23︶
旦那 大いに結構なことだ。しかし今はすぐに応用問題をや
だ。雷は音がひろがってくる道筋からばかりしてくるもので、
四、五秒あるいは脈で四、五心を数える間は、危険を恐れるこ
はく
険は一層少ないのだ。稲光を見てから雷を聞くまでに、まだ
の音がおそくくればくるほど、いよいよおくれて雨がふり、危
おれが声について話したさいに示した通りだ。稲光のあとで雷
ろう。
応用問題
絹の靴下をはき、よく乾くぐらい火の側にすわって、手でそ
、
一 178 一一
(24)
固体を形づくって、かくして天より石をおとすこともおこるだ
をふくんだ蒸気が燃えることによって、多量の蒸気が上昇し、
いた蒸発気が・大層さまざまな状態で熱意と結合した金属分子
︵61︶
える物質を燃やすことがある。燃気と清気﹁純粋な空気︺とが
レキテルの作用が現われるのだ。片手で下の方の鉛にふれ、も
と名づけるのだ。さて、この柱の中に大層感じられるほどのエ
たたみばしら
うに置かねばならぬ。この金属や布をその形から﹁畳柱﹂︹柱︺
ちがいに積み上げよ。かならずこの順序で積まなければいけな
︵21︶
い。下の方の一番目に三文銭があって頂上には亜鉛板があるよ
には三文銭・亜鉛板・ラシャなどと六〇ないし一〇〇片を互い
みたくわえて患部から火の粉をとったり、あるいはわずらった
また、エレキテルを治療に用いて、この物質を馬券の体につ
け見られるものだ。
いろいろの形は、上の空気の作用で燃やされた物質によってだ
竜や火食などがまれにおこる原因はここにあるのだ。こうした
は、下と上とから柱に触わろうとする指を湿らせた方がよい。
おって感じられるほど強いものだ。この伝導を助けるために
は、 エレキテル流動物の流れはヒリヒチ・チクチクと腕をと
きりと現われているのだ。手で上と下とを同時におさえる時
両端にプラスのエレキテルとマイナスのエレキテルが大層はっ
う一方の手で柱の頂上の板に触れると衝撃を感じるから、柱の
燃えて空気よりさらに濃い物質ができるように、多量に結びつ
︵71︶
ろう。すべて火のようなものの現象で、火球や火柱や火蛇や火
体に震蕩、を与えることができる。本当によく知れわたったその
またはなはだ簡単にこのエレキテルをお前さんに感じさせる
しんとう
功能によって、しばしば効果をあげてきたのだ。
ことがでぎるぞ。さあ、 この三文銭、 これを口にくわえて、
ゑ22︶
おれの考えでは、これでエレキテルと天空の応用問題はひと
この亜鉛の棒をお前さんの目頭のすみに鼻にそっておいてごら
さらにもう一つやってみよう。この三文銭を舌の下におき、
とおりとりあつかったつもりだ。しかし、摩擦ではなくてただ
ギルダー ︵81︶ ︵19︶
れはごく簡単なのだ。三文銭︵銀銭︶と、︹卑︺金属で同じ大ぎさ
それにふれずに三文銭の大きさの亜鉛板を舌の上に置いてごら
ん。それからその亜鉛の棒のもう一方の端で三文銭にさわって
の亜鉛の板と、同じ大きさのラシャの布とをとっておくれ。こ
ん。そうして手で舌の上の亜鉛板をつかんで三文銭とふれあわ
いろいろの金属と液体との相互作用だけでエレキテルをひきお
のラシャの布は酸性の液か塩水で湿らせなければならない。た
せるのだ。たちまち酸っぱいひどい味がするだろう。亜鉛板を
ごらん。眼の中でエレキテルが光を出すのがわかるだろう。
とえば、水に硫黄精︹硫酸塩︺を加えて湿らせたり、とくに水
こすやり方について、ひとことふれなければなるまい。が、こ
にどう砂︹塩化アンモニウム︺を加えた溶液が最もよろしい。
しや
パビアの大学者ボルタ︹一七四五−一八二七︺という人がこ
のだ。
をを
舌の上か下に置くたびに味覚がちがうだろう。これが普通﹁ガ
しるし
ルハ一路﹂ ︹ガルバー二電流︺と名づけるエレキテルの効験な
さて、こうして準備してから次の順序で積み上げなさい。まず
一番はじめに絶縁のために封ろうの一片を置ぎ、次に交わりを
よぐすることがでぎるように鉛の一片をおぎ、そのほかにはは
の柱を作動させた第一人者であった、そのため﹁ボルタの柱﹂
寮竿 三 猷 解’..﹂駄羅戦︵20︶
じめに三文銭・つぎに亜鉛板・それからラシャ、またそのつぎ
一179一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』(巻之五)の現代語訳の試み
(23)
津山高専紀要第23号(1985)
て危うくはない。雷雨のとどろくまっただ中で、導体の近くに
ない。しかしながら、うまく設置した所では、その導体は決し
親方とか主人とかだれもがいつでも自分自身でしなければなら
ければ雷雨のために︹かえって︺危うくなる。そこで、慎重な
ければいけないからだ。もしその導体の置き方がうまくできな
転するとき導体がたやすくひき離れて、また新しくこしらえな
慎重にしなければならないことだ。なぜならば、 ︹風車が︺回
にせよ、すべて下の方からみなつつむにせよゾ気をつけて特別
ないこと、最後に風車の導体については、 ︵屋根だけをつつむ
らないこと、第二に導体が切れずにつながっていなければなら
くて無ければ、おれが前に説明したように、帯電した蒸気がそ
かっている。さて、雲が普通かかる場所の上の空気が大層うす
は、 エレキテル物質がおのずと火炎を現わすことも実験でわ
はっきりと見られる。空気がとても稀薄か真空である場所で
エレキテル物質の影響は、こうして天気や雲の状況に大層
するたびに雨がざっと降ってくるのはそのためだ。
まで集まり降らせるのだ。上空に雷雨がかかる時分に、稲光が
ん光のためにエレキテル物質を失うことが、蒸気分子を雨水に
にまでさらに結びつくことが防がれるにちがいない。稲光のせ
雷頭や水塔などの著しい現象が起こる。この作用によって雨水
雲を作っている蒸気のすでに濃縮した部分が一種に帯電してい
甚︵14︶
る間は、いつもたがいに反町しつづけ、これによっていわゆる
ん光でとけたりとけだしたりしないように気をつけなければな
行くかその導体に触わらなければ決して危なくはない。なぜな
の高さにまで昇る時はいつもそのエレキテルをあらわして、そ
れによって火球や火炎や火柱を空中に見せるにちがいない。我
ひばしら
々の地方ではそれがときどき北方の大気中に多くおこる場所が
あり、そこでは﹁北の光﹂ ︹オーロラ︺の名でしられている。
によって同時に雷と名づける音を起こすこと以外に、すべての
雲の中のエレキテル物質は、稲光を起こし雲の中でその放電
が、ここでまた話をすすめよう。
もすると脇の方に当たり、家の低い所に当るからだ。1だ
ようの雷撃を出すとたちまち、おれが鬼火についてのべた通り
の油性の物体からなっている。さて、燐が燃犀と結びついて燐
になる。この蒸発気分子は、まず燃気、ほかには硫黄・燐や他
なって当然のことながら普通の雲の場所より上にとどまること
高い所で保たれるので、地球の余分の蒸発気が水煙りより軽く
一 180 一
らいとう キを
ら、この場合にはまさしくエレキテル物質を伝導するからだ。
といっても、なるだけ事故を防ぐためには、いつも羽根がま
わっている風車のふちに金属の縁をつけるという才智ある手立
へり
︵12︶
てを考え出したのだ。
大地からのすべての蒸発気が空気より軽い聞は空中にのぼり
ぜんき ︵15︶
あがり、くさい溝や沼に発生する普通の空気よりよほど軽い
大気中の現象についての一つの大きな役割をなおまた果してい
燃え上って、燃えながら天空を走って火球を現わすのだ。そし
燃気︹可燃性の空気︺は激しく上方にのぼりあがって空のごく
る。雲を空中で支えて、すぐに蒸気が集まって流れてしまうの
てまた天空の高い所でエレキテルの火の粉が、燃気のような燃
かみなり
を防ぐために、この物質がとりわけ大きな助けとなっている。
のように十文字形の鉄でこしらえるのだ。なぜなら稲光はやや
をを
このごろでは導体は家の高い所だけではなく、家が大きけれ
かざみ
ば脇にも置いている。それはちょうど塔の上の南北をさす風見
P3︶
斎(
まで人はいたしましょうか。よくはわかりませんが、私も自分
ざいます。でも稲光を追っぱらうことができるようにと、そこ
トインマン なるほど、旦那さん。実に驚くべきことではご
分に守られているからだ。
稲光のために砕かれるのに、導体を備えたものは全く無傷で十
の導体を引く利益は、驚くほどだ。なぜなら、近くの家や船は
たその規則を知ることによって人問がその手立てをとぎあげる
の影響から身を守るために、神さまが自然に配りつけておかれ
なるまでに人が習い知った手立ての用い方なのだ。自然の現象
れは、善良な才智ある恵み深い神さまによって、人間の利益に
うして妨げとなろうか。いいや、妨げというものではない。こ
けて、家や風車を守ることを学んだのである。だが、これがど
せ、それによって、入は鋼鉄の先端や金属の鎖や鉄線をすえつ
学をこんなにも聞いた者がそんな考えをするとは、おれには残
旦那﹁はじめの事はどうしたものか﹂というと、すでに窮理
ない﹂と始終私が恐れるからでございます。
る﹂ことでもございましょうし、また一つには﹁導体の側は危
︹そんなことは︺何よりも釈たちの葺神さまの籔を妨げ
供たちが知ったさいに、子供たちの﹁親﹂が喜ぶよ.うに、人間
た。しかしながら、その知識を本来の利益に役立てることを子
ともと︺神さまは我々にこの知識を少しもお許しにならなかっ
洋で大浪に堪えるように作りあげることを知ったように。 ︹も
霰から守ることを習い知ったように、また舟大工がその船を大
ことなのだ。ちょうど家や屋根や覧で、降ってくる雨水や雪と
かけひ
の家や風車にそんなものをわざわざつけたいとは思いません。
念なことだ。お前さんが﹁我々の尊い神さまの事業を妨げる﹂
の最善の﹁親﹂である神さまもまた﹁その子孫︹人間︺が、自
は極めつきの大馬鹿者として卑しめをうけ、あざけり笑われた
ずに﹁神さまの御亭を妨げる﹂と思った時はいつも、その人物
かならないかをちょっと考えてごらん。かつて人聞が先を考え
として否定しないだろうが、あの雷雨は暴風や豪雨や大雪や
喜びとされるにちがいあるまい。たしかに、これはだれ一人
る危険から身を守るために習い知ったものを役立てる﹂ことを
然の元来の使い方にもかかわらず自然の作用の多くをひきいれ
あられ
と思ってはじめから恐れているが、しかし、それが妨げになる
ものだ。だが、ここでのあり様はどうかというと、すべての生
﹁二番目のことはどうしたことか﹂というと、それには導体
あられの大降りと同様に全く神さまの弁明ではないが、これら
の置き方について大層慎重でなければならず、次の事にごくご
きとし生ける物の尊い親父様である神さまが、自然全体と物の
がこの物質の場所替えをゆるし、それによって雲と大地との聞
く気をつけなければならないということだ。まず、導体︵まさ
はしばしば激しい雷雨よりももっと多くの被害をもたらすから
の釣り合が欠けたことをお許しになった。神さまのこの法則
しく当今では大きな鉛ののべ板で屋根をおおい完全につつんで
成り立ちに必要なものとしてのエレキテル物質とを同時にお造
が、雷雨によってその釣り合がもどるようにと強力な仕方で命
だ。
じられたのだ。しかし、この同じ法劉がこの物質はどんな性質
こしらえる︶の金属が厚くて十分に強く、したがって稲光のせ
りだしになられた。そして神さまの定め置かれた自然の諸法則
であるかをさらに人に示して、わざわざ導体の金属を吟味さ
一 181 一一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
(22)
(21)
津;山高専紀要第23号(1985)
られたエレキテル物質である﹂、ことを見つけ出された。こうし
稲光物質は、も早少しも疑いを残さずに、強く大方一緒に集め
ものでやったような事柄をすべてやって、その結果﹁雲の中の
クリンは、たこの送ったこの物質で、エレキテルの機関器その
のと同じ火の粉が確実にできる﹂のを発見した。そこでフラン
︹ライデンびんの︺銅の導体に、 ﹁エレキテルの機関器による
せて、彼はその糸の端に、ガラスの上に絶縁されて立っている
をより合わせた糸を用いてあった。このようにしたたこを飛ば
けたりするのだ。
たこ
にはいつも稲光に出会って、でくわす導体次第では砕けたり焼
に届くことができると、これらのものが稲光の通路にあるとぎ
にやってぎて、エレキテルの火、つまり稲光のせん光がそれら
い家やとくに煙の出ている煙突や樹木や船のマストなどの近く
り自分の重さで大地の方へずっと垂れ下がって、塔や風車や高
だ。それでも雲同士のすれあいが強くなり、そのため雲がさが
だ。こういう起源で雷雨が上空にできて、しかも全く無害なの
フランクリンが﹁エレキテル凧﹂でした証明と大気中の雷の
火がエレキテルの導体に完全に従う様式とから、彼はこう考え
た事をどのように理解したかを見れば、どの物体にもエレキテ
ルがあるものだ。
た、 ﹁いつも雷雨のさいに危ない塔や風車や高い家などを︵よ
い導体をつけると︶あらゆる点でたしかな仕方で稲光から保護
そういうわけで夏にはことに大量に大地から上る蒸気にも、
エレキテルがある。この蒸気は上空で雲にまで濃くなって、上
を形づくる。その上、たいていは同じように強く帯電している
第に積み重なれば、またますます帯電して﹁風雨﹂というもの
だから、地面からみてプラスに帯電するのだ。この雲が次第次
小さくなれば、多くのエレキテルが余って上空で濃くなるもの
ろう。上昇する蒸気もまたそうなのだ。蒸気が表面積で有爵か
に、表面積が五平方フィートなどと小さくなると過剰となるだ
が一〇平方フィートの物体は、同量のエレキテルを保存するの
るものなのだ。例えば、エレキテルが自然の状態にある表面積
た経験から、この導体︹避雷針︺を使って塔や風童・のような建
を与えずに地中の水にまで垂れ下がるだろう。それ以来こうし
ルの規則に従って、最もよい導体をえらんで鎖を伝わり、被害
上では爆発が衰えるものだからだ。そこでこの物質はエレキテ
はなはだ強くしかしやわらかにひきつけて、この鋼鉄の先端の
ちることは全くない。なぜなら、その先端がエレキテル物質を
上に激しい雷雨がかかる時は、その先端の上には稲光の線が落
まで垂れ下がらせた。さて、もしこのような導体を備えた家の
よく太い鉄か銅の鎖をその鋼鉄の先端から下の方に地中の水に
することができる﹂と。そのために、フランクリンは鋼鉄の先
わけでは決してない重なりあった上方の雲からなるこの大雨
造物を守るために完ぺきに作ることができることを習い知った
昇したさいの稀薄であった時よりもずっとせまい場所を占め
は、これらの雲と一緒になって次のことをひさ起こすのだ、す
のだ。また船の上にもこの導体をつかりて結構なお陰をうけて
端をつけた鉄棒を塔や風車とか他の建物の上にも置いて、ほど
なわちエレキテル物質を他のものより多く含む雲が余ったもの
きたのだ。さて、雷雨が普通の土地より激しく危うい場所にご
る。ところで、エレキテルというものは必ず表面の方に帯電す
を他に与えようとし、そのためにこの雲の上に稲光を発するの
一 182 一
にある。たった今お前さんにはっきりと示した通りだ。
しい火の粉と聞える音とで、またたく間にとりもどすのだ。こ
に、はなはだしく充満した内の方と欠けへった外の方とを銅線
でじかに結べば、エレキテル物質がその大層欠けた釣り合を激
同じようにこすったガラスや駆ろうの表面が大きければ食き
て
いほど、またこすり人がうまくやればやるほど、その活動つま
れを﹁エレキテルの手動﹂ ︹電撃︺という。しかし、内側から
げきどう
外側への導体が、全然切れていない銅線か鎖であれば、始めの
り釣り合の欠けがいよいよ激しくなる。そこで多量の物質を起
こすためには半円形のガラスをもち、うまくネジでとめた枕の
放発︹放電︺以上には何も起こらない。ところが、その導体を
ふきだし
間でこするのだ。そのさいガラスの上に絶縁して置いた銅の
切って二つの間に人が入る時は、その人がある種の衝撃を自分
それに近づける時にはいつでもおびただしい火の粉を出して、
う。そこで、もっと大きいフラスコかつなぎあわせたフラスコ
て、松脂をぬった綿をその間に置くと、その衝撃で燃えてしま
の関節に覚え、とくに腎の部分に感じるものだ。蓄電を強くし
ひじ
その物質が流れ下るのだ。この装置をエレキテルの機関器・エ
を使ってもっともっと強めてやれば、生き物をうち殺し、ガラ
からくりどうぐ
レキエルを懸ける器機︹いわゆるエレキテル、摩擦発電機︺と
どうぐ
質を下の方に導けるようにと、普通のたこの糸は使わずに銅線
このたこには、鋼鉄の先端が上空でひきつけることができる物
れぽ強く流れ出させることを発見しておられたからだ。さて、
はなはだ強くまた目に見えずに引きつけ、あるいは充満してお
な凧をこしらえた。というのは、この先端がエレキテル物質を
このことをよく調べるために、上に鋼鉄の先端をつけた大き
の凧の糸に、エレキテルの現象を見つけたからだ。
たこ をむ
た。なぜなら、思いがけなく急にふりだした電雨でぬれた息子
静︵11︶
像ぼ確実に純粋のエレキテルの現象だ﹂と思いつかせたのだっ
ている大層学問があって功績のあみ人に、 ﹁稲光というものは
九〇︺に、アメリカの歴史上、多くの栄光をともなって知られ
の事が早くも一七五二年にあのフランクリン︹一七〇六−一七
で、エレキテルはどう考えても稲光と一致したものとなる。こ
置の稲光ででぎることがらを小さな装置でやれるのだ。そこ
スや材木を砕き、鉄線をとかし、それだけではなく時には大装
れる。その結果、第一導体というこの銅から、導体を少しでも
しかけ
装置によってガラスの平円盤からとり除かれて、 一緒に集めら
r
︵10︶
いっているのだ。
トインマン だが、旦那さん。さらにおたずねしますが、エ
レキテル機関器︹機械︺とは何でございまずか。度々話には聞
きましたが、それがあんな火の粉を出すのですか。見ればきっ
とすばらしいでしょう。でも、私の思いますには、大装置のエ
おおしかけ
レキテル機関器は小装置の漁ろう棒のようなものでございまし
ょう。
からくりどうぐ どうぐ
旦那 まさにそうだ。機関器ないし器械とは、ガラスの上に
すえつけた銅の装置があるだけだ。機関器によってひき起こさ
れた物質がこれによって一緒につみ集められて、そのために余
計に力強くなり、物質が火の線のようになっておのずと起こる
のだ。が、もしフラスコの内の方と外の方から一定の高さまで
はく
錫箔もしくは銀箔を張りつけたり、他の金属物質を中に入れて
おいて、この物質を内部に積み高めて外の方で減らす時には、
これを﹁装る﹂ ︹蓄電︺と名づけるのだ。そしてそうなった時
つめ チヤ ジ
一 183 一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
(20)
(19)
津山高専紀要第23号(1985)
釣り合って静止している。しかし、摩擦によってか配分により
この二つの物質が舎密術︹化学︺様に結合した時には、諸物が
の現象を起こし、淘ろう様はマイナスの現象を起ごすものだ。
る﹂と考える︹人もいる︺のだ。ところが、ガラス様はプラス
ス様物質と封ろう︵松脂︶様物質との二つから構成されてい
ところが、今日でも当然のことながら大層忠実に﹁プラスと
おも
マイナスとは成り立たない﹂と想い、 ﹁エレキテル物質はガラ
ないものなのだ。
え間ない試みであって、自然の釣り合がもどらない間は静止し
用は、余分のものを無くし、失りたものを再びえようとする絶
ものをたえず無くそうと活動している。そこでエレキテルの作
また鉄板には余分にあってプラスに帯電しているから、余った
の作業によってエレキテルの作用が本当にうまれたことは、結
こすり人が十分に乾燥しておりさえずればそれでよろしい。こ
スに積み高められてプラスに帯電するのだ。二つの場合とも、
する時には、物質がこすり入を通ってガラスの方に流れ、ガラ
ちがって、お前さんがほどよい太さのガラス管をとって絹でこ
通って去って行ぎ、封ろうがマイナスに帯電したのだ。これと
もって、それを猫の皮でこするのだ。その時は量ろう棒がそれ
て
のもつ物質を幾分かだけ失う。 これは物質がこすり人の手を
例えば、我々が允つた今用いたものより少し大ぎな封ろう棒を
とおりに、ひたすらエレキテル体をこすらなければいけない。
エレキテル物質を活動させようと思う時には、おれが言りた
ことになる。
にガラスの脚のある台の上に立つ人は、絶縁されて障りている
こで、この説は学者達にまかせて、我々が始めた通りにしてお
なので、本当の区別はお前さんにははなはだ高尚すぎよう。そ
通りに、その小さな物体がみな激しく上に飛び下にとんで、机
解ろう棒かガラス管を上にもってきてごらん。たった今やった
接骨木の実などのこまかいものを置いて、お前さんがこすった
セ ミ
よりつ
甚︵9︶
てその物質が二つに分けられる時には、エ,レキテルの現象が現
果がはっきり示すだろう。 机の上に小さな鳥の羽か乾いた
いて進もう。iさて、またさっぎのように話をしよう。
からこすった管の方に飛びつくのが見えるだろう。そして暗い
にわとこ
われるのだ。ところが、この現象についての説は大方同じこと
導体は、まず第一に帯電した物体の側に置く時に好んでエレ
所では、火が出るのが見えるだろう。エレキテルのアンバラン
て、その物質を活動させる。しかし導体は、多くのエレキテル
と誘うのでそう名づけたのだ。 エレキテル体はそれとちがっ
従っている。つまり、帯電した物体は、一方がプラスであり他
したものだ。この反挑力と吸引力とは、次のきまった規則に
スは、吸引力と反応力とによって火花をともな5ほどはっきり
やを
キテルの流動物を取り、他方ではその流動物をつぎからつぎへ
を受け取ってガラスや封ろうの上に置かれた時はその物質を保
つき放すのだ。くわしくいうと二つともプラスに帯電している
方がマイナスであれば互いにひっつく。しかしそれが同名なら
動物を全く導かないものだ。エレキテル体の上にあるこのよう
か二一つともマイナスに帯電している時は、互いにきまってつ
存して、空気中にいつもある液体がそれを取り除くまでその流
な導体を他の導体に触れずに置く時に、 ﹁断縁﹂とか﹁独立せ
き放すものだ。自然には釣り合をもどすためにこの働ぎが大い
えんきる いっぽんだち
しめる﹂ ︹絶縁する︺というのだ。そこで、他の物に触わらず
一 184 一
(18)
レキテル物質について話す事をよく頭を働かせて聞いていなさ
え、別の物体ではこんなことは起きないので、増やすか減らす
よってのみ、この物質を増やしたり減らしたりできる。とはい
万有学家︹窮理学者︺は、エレキテル物質をただ摩擦によって
ナふノユヨルキユンぜア
他のものに近づけるかひつつけて起こさなけれぽならない。
かして起こすためには、すでにエレキテルかけた︹帯電した︺
い。
﹁臨+回目の話
だけひき起こしうる自然の中の物体を﹁エレキテル体﹂と名づ
こはく
エレキテルもしくはエレキテルの流動物とは、號珀のギリ
け、摩擦によってはできない他のものはみな﹁導体﹂と名づけ
みちびきもの
シャ名にちなんで名づけたもので.その石にこの物質の現象を
差別なく含まれている。しかしながらこの物質は、強い反揆力
ちょうど熱量やその他の流動物のように自然の中にはどれにも
体、蒸気とすべての湿った蒸発気が属しているのだ。
もに銅・その他の金属類や水銀、動物の体や水とすべての液
黄・絹糸・空気などのものがそれに入っている。導体には、お
ている。エレキテル体には、とりわけガラス・松脂・渡青・硫
チャン
がその中にある所の物体がもつ吸引力と釣り合っている間は、
トインマン どうか旦那さん、あなたに質問がございます。
初めて発見したからだ。この物質はすべての物体に存在し、
目につかない。しかしその釣り合がやぶれると、すぐにこの物
それでは私たちの周りの物体は、すべてエレキテル物質を備え
もせず気づきもしないとはいっても、つまり、その物質がプラ
質がまたたく間に現われるのだ。−この釣り合がやぶれるのは、
合っている一方の分量を︹人が︺増やすか減らすかしても起こ
スにかマイナスにか帯電していることがうまくつかめたとして
ておりますか。その物質が増えたり減ったりしないうちは見え
る。増やした場合は、余った物質を少ない諸物体に配分しよう
も、何のことやらすつぎりとはわかりません。
自然によっても起こり、また諸物体にあるエレキテルの釣り
とする。 このような物体を﹁陽にエレキテル懸ける﹂ ︹陽荷
旦那 ちょっと、こう仮定してごらん。例えば、この机と
あらわにつむ
あらわ か
電︺とか﹁陽積﹂ ︹プラス︺と名づけている。減った場合に
椅子と鉄板とが普通の釣り合の状態で、エレキテル物質が机に
る﹂という意味だ。さて、この﹁エレキテルの発動﹂ ︹起電︺
のがある﹂という意味であり、 ﹁マイナス﹂とは﹁不足してい
.テル懸ける﹂ ︹陰荷電︺と名づけている。 ﹁プラス﹂とは﹁も
するからだ。この事を﹁陰積﹂ ︹マイナス︺とか﹁陰にエレキ
エレキテルが作用を現わすと、机と椅子とがマイナスに帯電し
〇分・椅子は一〇分少なくなるだろう。このとき三体すべてに
三〇分余計に自然より多くもつだろう。それに反して、机は二
〇分を鉄板に与えたと想定しよう。その時には鉄板がちょうど
ま釣り合を欠けさせたとして、机からは二〇分・椅エJからは一
一〇〇分・椅子に八○分・鉄板には一二〇分あるとしよう。い
ぶん
いす
も同様の現象がある。なぜなら、失った物体が多くの物質を
もっている周りの物体から、失ったものを再びとりもどそうと
を定めるには、物体の種類に従って二つの特別な方法が必要で
て、諸方から失ったものを再びえようと努めるにちがいない。
かくれにつむ かくれ
ある。しかしこれらの物体は自然にある物体であって、摩擦に
一 185 一
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
(17)
津山高専紀要第23号(1985)
旦那 何事も起らないというのだね、お前さん。じゃあ、
つともずっと死んだ物のようでございます。
え、しかもどれも私どものような人間にもわかるほど名の通っ
ちょっと見ていなさい。自然には死んだようなものは何にもな
トインマン ねえ、旦那さん、自然についての私の知識がふ
た知識がふえるようにと、あなたがさずけて下さるのをもう一
い。物質本体が死んだように見えても、しかしきっと賢明この
する事柄について話してきた。例えば、水というものは我々が
すつもりだ。これまでは、すぐ手ぢかにあって見たり触ったり
旦那 さて、これからの話では実に全く奇怪に見える事を話
ものでございますか。
みが立ちません。ご親切にも今日なさって下さるお話はどんな
.くお聞きすべきかは想像はできても、しかし今の所は全く見込
且那 ただ飛びつくだけではなく、閉ろう棒から机にとびお
から封ろう棒に飛びついている。
トインマン アアー、これは不思議、小さな羽がみな机の上
まかな羽の上にもってきた︶。
ん﹂ ︵といって、旦那が封ろう棒を上着の袖で強くこすってこ
然の法則をうけついでいるのだ。 ﹁さあ、 ちょっと見てごら
罪ない造物神︹創造主︺がその物質の中に配分しておかれた自
てんとうさま
度お聞きしとうございます。もう一度どんなことを間ちがいな
見たり触ったりす・る。また空気は少しも見ることはできない
りて、昇ったり下ったりしているぞ。
だんな
が、大層よく感じることはできる。また蒸気はややひき縮まっ
トインマン なるほど、それも目にとまります。でも、これ
は奇妙でございますなあ。物をこすっただけで引きつけたりつ
き放したりするそんな力を与えるのですか、あなたは摩擦の他
て濃くなるとたちまち知ることができる。しかしながら、ここ
ストフ
にまだ弾力ある流動物︹気体︺の中に数えいれる他の物質が、
自然にはあるのだ。その物質は一瞬も気づかないが、自然の中
上に忘れて置かれたこの銀のお針箱でやってみましょう﹂ ︵と
旦那 いやいや、お前さん、そうはならないんだ。象ろうや
とせん。
根の上にもってくる︶。ヤヤ、小羽根は一つとして飛び上がろう
いって、トインマンが銀の針箱を自分の服で強くこすって小羽
には何もされなかったのですから。 ﹁それでは私も奥様が机の
で大きな役割を果していて、ありとあらゆる物体に含まれてい
が
る。さて、ちょっとおれにそのインキつぼに立ててある鶏ペン
と、その側にある湿ろう棒をとっておくれ。
トインマン はい、旦那さん、かしこまりました。私はもう
新奇な事が見たくって心がうきたつようでございます。これで
何をなさるのですか。
ガラスや松脂︵ハルス︶や絹糸のようなものだけができるの
まつやに
だ。また真っ露な所ですると、摩擦によってある物質が現われ
旦那 それじゃあ、おれが何をするか気をつけてごらん。ペ
ンの小さい羽根を少しばかりむしって机の上に置き、そうして
たという証拠として、小さな花火が見えるよ。その物質は火と
が﹁エレキテル物質﹂といわれるものだ。さて、おれがこのエ
して現われて、この吸引や反擁をひき起こすのだ。そしてこれ
はんぱつ
この携ろう棒を真上にもってくる。これではなんにも起こらな
いね。
トインマン さようでございます。何事も起こりません。二
一 186 一
(16)
ん﹂と考がうるから、おのがうつしぶみの﹃民間格致問答﹄
はそんなことを考えながら読んでみてください﹂と付言されて
もむかしの入びとは科学をどんなふうに考えていたか、とぎに
初版の復刻版︵一八五八年・国立国会図書館所蔵︶と対照する
と板倉氏同様思われ、当初はわかりずらい部分を主に長崎での
大庭雪斎の訳文は、 ﹁今からみてもたいへんすぐれている﹂
︵8︶
いるゆえんでもあろう。
のためしになんならい、さとびことばにうつしかえてけり。
︵僅び言葉︶
⋮⋮︵中略︶.⋮⋮わが国のさとびことばはかゆき所に手のと
どくようにて、 こよのうめでたきものにてなんある。⋮⋮
︵下略︶⋮ ⋮ 。
ゆきの屋のあるじ
つもりであったが、結局全文を検討した。ここでは、巻之五か
石︶をとりあげた。そのさい、雪斎の訳文︵第二版︶と初版と
︵びん︶
かくち
これをみれば、 ﹃民間格致問答﹄の翻訳がおわり刊行をひか
が大きくちがう箇所には苦i英*をつけてある。これに︵注︶
ら、第十講のエレキテル ︵電気︶ と第十一講のマグネチ︵磁
えた時点で竜﹁さとびことば﹂が徹底せず、家庭の救急医療書
での復刻版が本文では忠実なものであり、雪斎の訳文が第二版
をつけていない場合は第二版で増補された部分である。 ︵長崎
巨蕪ちた・う萎み・れ・雪︶︵最鯨遠西医攣引
の忠実な訳−対応した箇所をみる限り十分そう判断できる
の前半三冊については、板倉聖宣氏が現代語訳されて一九八二
やすくどう表現したか﹂という観点からすると、原文の内容を
今回の訳文は、 ﹁ボイスが現代日本語をしっていればわかり
一 187 一
である﹃遠西医療手引﹄を﹁中風﹂の体験をへて改訳してか
草﹄とある巻混一には、 ﹁西肥佐嘉藩医学館長大庭悠景徳・重
とばである。
一である、としたうえで︶。︹ ︺は訳者が適宜におぎなったこ
行されたようである︶。それにしても、たしかに﹃民間格致問
雪斎の訳は、先述のようにまことにすぐれたものであるが、
ただ﹁神が自然を創造したのだから、自然は法則性をもってい
るにちがいない﹂ということがっかみずらかったように思え
年に出版されている︵国土社・﹁民間科学問答﹂ ﹃︵少年少女
まずは日本語におきかえるという以上にはでられず、雪斎のレ
る。
科学名著全集30︶日本はじめての科学読物﹄︶。 コ五〇年域
ベルにどこまでせまりえただろうか。
×
いのに﹂ と訳書の ﹁はしが・ぎ﹂ で問題を出しておられるが、
単なる蘭学史上・科学史上の一資料ではなく、近代科学の誕生
時のエネルギーにふれることがでぎる思いがする。 ﹁百年以上
×
上も大むかしの科学読物なんか無理して現代語訳しなくてもい
﹃民間格致問答﹄全六巻六冊のうち、巻之一から巻之三まで
︵三︶
答﹄の翻訳が彼にとっても画期であった。
訳﹂とみえるので、彼が引退する一八六五年一月︵か︶までに刊
嘩
幽
幸田
ボイス著・大庭雪齋訳『民間格致問答』 (巻之五)の現代語訳の試み
(15)
津山高専:紀要第23号(1985)
ボイス著・大庭雪斎訳﹃民間格致問答﹄
︵巻之 五 ︶ の 現 代 語 訳 の 試 み
明治初年の窮理熱の先駆
幸 田 正 孝
︵昭和六十年九月十三日︶
翻訳にあたって一
版一八=年︶というこの書は、プロテスタントの一宗派︵メ
ノナイト︶が組織した﹁社会福祉協会︵共益社︶﹂の中央委員を
長い間つとめたボイスにふさわしい著作であり、同協会の出版
物であった。この書の第二版︵一八三一年︶を佐賀藩好生館の
頭取・大庭雪斎︵一八〇五−一八七三︶が全訳し、 ﹁訳書全六
巻を幕府に献本した時点から数えても、出版にこぎつけるだけ
︵4︶
で十年はかかって﹂一八六三︵文久二︶年から六五︵元治二︶
年にかけて出版した。
俗語を使ったその訳文は、日本の国語学史で先駆的なものと
︵5︶
しても注目されている。そうした画期的な翻訳をした彼の足跡
を別の文献でさぐってみよう。
︵二︶
オランダ語とヨーロッパ科学を学ぶさいに、幕末の日本人が
れており、明治初年の窮理熱をさきどりするものであった。
ている。しかし、幸いにも標題の書が幕末の日本で全訳出版さ
﹁ふつうの科学思想史の本をみてもとりあげられていないの
︵2︶
で、そのような本の存在を知るのも容易ではない﹂ともいわれ
ための書がかかれることもある。 とはいえ、 そうしたものは
て民衆的な要因をもつだけに、これをふまえて迷信を批判する
オランダにおける近代科学も各都市にうまれた地域ごとの学
︵1︶
会や啓蒙活動のなかから成立してくる。こうした科学はすぐれ
多くの人にうちあけて知らせんはこよなき事にしもや﹂と思
にやあらん﹂と思えれば、 ﹁おのれひとり秘めおかんより、
もしてけるは、もはらこの文の教えを守りつつしみてける故
しなきにしもあらずして、いまはいささか歩きもし読みかき
にて長生のことなども、おのが病のある体にてさえそのしる
つつこの訳し文を寝てもさめても考え見るに、 ﹁いとよき文
に、中風となんいう病にかかり、三年あまりの月日をおくり
国のかなをまじえ、万延元︹一八六〇︺年のころ訳しおきし
⋮⋮﹃遠西医療手引﹄と名づけ、唐国の文にかたどり、わが
る。その一部を表記の仕方を改めて紹介してみよう。
︵一︶
もっともだよりとしたのが、実業家であり有力な科学者・啓蒙
い、かのうつしぶみをふたたび読みかえして見れば、 ﹁もの
うつ ぶみ
︵6︶
家であったヨハネス目ボイス︵一七六四一一八三八︶のもので
︵3︶
あった、といってもよい。原名を﹃民衆の自然科学。初心者む
よむ人のためによかめれど、大方の人のためにはいかがあら
﹃遠西医療手引﹄のはじめに三葉の序 ︵ただし無題︶があ
けの自然科学の授業i誤解・偏見・迷信を防ぐために﹄ ︵初
一 188 一一
NDC 402.105
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