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「トラにつきまして」PDF文書 クリック

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「トラにつきまして」PDF文書 クリック
●まず「トラ」という呼び名につきまして。英語の「tiger」(タイガー)という呼び名の由来は何処に。まず、この点に着目してみ
たい。「tiger」の語源は、ラテン語の「tigris」から来ているという有力な説がある。この tigris はメソポタミア文明発祥の地、ティグ
リス川の「ティグリス」であり、古代アルメニア語に「ティグリス」という言葉があり、これは「とても流れの速い川」という意味以外に
もう一つ「矢」という意味があります。
この当時カスピ海周辺には相当数のトラがいて、このトラの敏捷性や力強さが「tigris」と命名される事になったのではないか
と考えられています。
さて、日本語の「トラ」という言葉の語源ですが、残念ながらどうして日本語でこの動物を「トラ」と呼ぶのかは本当の所よくわか
っていません。そもそも日本には元来この「トラ」と呼ばれる動物は生息しておらず「トラ」を説明するような文言や文書はありま
せん。そこで最も有力な仮説では(あくまでも仮説ですが) 中国南部の古い方言に「帯浪(タイラ)」という言葉があり、これがト
ラの事をあらわしていたそうです。そして朝鮮半島ではトラを「ホーラ」とよびます。これらが日本語の「トラ」の語源になったの
ではないかといわれています。
この「タイラ」が発音的に tigris や tiger に酷似しているというのは、気になる点で、両地域で似た言葉が自然発生したとはちょ
っと考えにくい。中国南部という事からも、どちらが先に誕生した言葉なのか解明しないことには、その伝播ルートは確定でき
ませんが、シルクロードは「絹の道」であったと同時に、「言葉の道」でもあったと考えると楽しい所ですね。
●トラの起源は?・・ 現在、生物学者の間では一般に、トラはヒョウの仲間がライオンへ進化していく過程の 中間段階で出
現したと考えられています。つまり、生物進化の樹形図でいえば、ヒョウはトラより根っこに近く、ライオンはトラより梢に近い、と
いうことです。
実際のトラの起源につきましては。古生物学者の間では「北方起源説」が有力なようだ。これは、トラの直接の祖先と見られる
化石がニューシベリア諸島の洞窟から発掘されたことを根拠に、トラの祖先は、いまから700万年前~400万年前にシベリア
や中国東北部に出現し、 南下して行ったというのである。スリランカにヒョウがいるのにトラはいないというのも、この北方説の
根拠になっています。ヒョウはトラより早く出現していたので、スリランカがまだインド亜大陸と陸続きだった時代に分布を広げ
ることができ、トラは後発だったので南下が遅れ、すでに島になっていたスリランカには渡れなかった、と推論されます。
しかし、この「北方起源説」に疑問を投げかける声もあります。トラはシベリアにいるのに、どうして北アメリカにいないのか?
アジアにだけその棲家を限定しなければならない必然性が何かあったのか?シベリアとアラスカが陸続きだった頃には、たく
さんの動物種が往来している。ヒトも例外ではなく、モンゴロイドは北米だけでなく南米にも到達した。しかし、トラにはその痕
跡がない。トラの化石はアメリカ大陸から出土したことがないのだ。これは何を意味しているのか?という疑問である。もう一つ
の着眼点は、バリ島。現在のバリ島には、ネコ科では最も原始的なタイプの種と言われるベンガルヤマネコが生息しているが、
1940 年代ごろまではトラもいた。しかし、ヒョウはどうか?近くのジャワ島には古くからいたのに、バリにはいない。
案外古くからトラは東南アジアに分布していたかもしれない。研究者のなかには、まったく別の見方もあります。トラは、アジア
南東部(中国南部)でまず進化したというのである。トラの原型は、中国に現存する「アモイトラ」に見られる。短い頭蓋骨、小さ
めの脳室といった原始的な形態的特徴を持っているのが、その根拠なのだそうだ。アモイトラは、野生では、もはや 20 頭くら
いしか生き残っていないらしい。現存する「5つの亜種」の中で、最も危急存亡の危機にあるといえるこのアモイトラに、 トラの
起源の秘密が隠されているとはなんとも皮肉な話ですね。
●トラは何処にいるでしょう。トラはかつて、西はカスピ海、東は朝鮮半島、北はシベリア、南はインドネシアまで分布していた。
ほんの 60 年ほど前までバリ島にもトラがいたという事実は、一般にあまり知られていません。この分布にともない、カスピトラ、
アムールトラ(シベリアトラ)、アモイトラ、ベンガルトラ、マレートラ、スマトラトラ、ジャワトラ、バリトラの8つの亜種に分類されて
いました。
カスピトラ
マレートラ
アムールトラ
(シベリアトラ)
スマトラトラ
アモイトラ
ジャワトラ
ベンガルトラ
バリトラ
20 世紀初頭には、地球上に 10 万頭ものトラがいました。1940 年代にまずバリトラが絶滅、1970 年代にカスピトラが絶滅、
1980 年代にはジャワトラも姿を消した(まだ数頭生き残っているという噂もあります)。残った5亜種もすべて絶滅へのカウントダ
ウンに入っているといわざるを得ません。現在、世界に生息しているトラの総数は――わずか 5000 頭程度。
※IUCN(国際自然保護連合)は、5000~7000 頭と推定しています。
最もトラの密度が高いのは、インドである。インドには世界のトラの 5 割以上が生息しているのではないか、
ともいわれていますが、「実際には1000頭以下ではないか」 と言われています。さて、ここが問題です。トラのこの 100 年間
の減少率を求めると、100,000 頭が 5000 頭になったということは?おわかりのように、減少率 95 パーセント。これがもしヒトの社
会なら、どういうことが起こるか考えてみてください。
● トラの生態につきまして。 日本には「トラは一日に千里を行き、千里を帰る」と言う諺がありますが。これはまんざら嘘とい
うわけではありません。さすがに千里(4000km)は無理ですが、行動範囲としてはアムールトラで1000k㎡~ベンガルトラで
50k㎡もあり一日に約 20~40km も歩き回って狩を行って生活しています。
ライオン等アフリカのサバンナに生息する大型のねこ科の動物は獲物を待ち伏せして狩るのでそのイメージが強いのですが
トラの場合一日中歩き回って捕食活動をします。これはトラの餌になる動物の数がアフリカのサバンナに比べてアジアの森に
はぐんと少ない、これがトラを働き者にする要因となっています。一般にトラの獲物としては 鹿やレイヨウ(カモシカの一種) イ
ノシシが中心だが、サルも襲うことがあります。アムールトラは鮭や鱒などの魚類も上手に捕獲して食べます。
現在でもトラの生態については不明な部分が多々あります、それは密林に潜み群れを成さず単体で行動する習性がこのトラ
という生き物の観察をいっそう難しくしているからです。
● トラの持つイメージとしては。 トラは古くからその強さや大きさ、見た目の立派さや美しさから神格化され東南アジアでは
神の使い又は神様として崇められています。そして日本でも奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末から8世紀初頭)には、
西向きの壁面に「白虎(びゃっこ)」と呼ばれる虎の神が描かれています。 これは中国の神話・信仰が起源になっていて、殷
王朝(紀元前 1500~1100 年頃)までには確立されていたと考えられています。白虎の他に青龍(せいりゅう)、朱雀(すざく)、
玄武(げんぶ)の計4神が信仰されていました。この四神には方位と色が割り当てられ、青龍(東・青) 白虎(西・白) 朱雀
(南・赤) 玄武(北・黒)となり、四方の地を分担して守ると考えられていました。
白虎
青龍
玄武
朱雀
次にトラは「恐ろしい・怖い・乱暴」といったイメージがあり、日本でも激しく酒によった人を「トラになる」(手がつけられない状態
を表す)等と言います。中国では「人虎伝説」があり、唐の時代(約8世紀半ば)の「広異記」という伝記集は最も有名で、簡単
に説明しますと、虎に食われた人の霊が悪霊となり その食った虎にとりつき、人を誘い出しては次々と虎に襲わせるというも
のです。この中国の人虎伝説はかなり広く流布されましたがそれには理由がありまして。
まず一つ目は唐代には夥しい数の虎が中国にはいたはずでそれらが 人や家畜を襲い「虎は害獣だ!駆除しなければ」と言
う事と、二つ目には虎の体のパーツ(骨やペニス・内臓)が漢方薬の材料として、虎の皮が権力者の衣類やインテリアとして、
中国人に珍重されているため、虎を捕獲する大義名分に人虎伝説を流布する必要があったということです。これによってアモ
イトラが絶滅の危機に瀕していることは言うまでもありません。
またトラを退治する事や、その牙や皮をアクセサリーや衣類とする事で 武芸者や権力者がその力を誇示する事が古くから語
り継がれ、日本でも「太閤記」(戦国時代)にある「加藤清正の虎退治」で太閤秀吉に虎の皮を送った話や、「応仁記」(室町後
期)では山名宋全が周防の大内氏から虎の皮をおくられて大変喜ぶ話 がでています。現代人にしてみれば正に「虎の威を
借る狐」にしか思えませんが、当時としてはそれらを身に着ける事が とてもすごく見えたんでしょうね。
また日本では「虎の子」「虎の巻」「虎穴にいらずんば虎児を得ず」等にあるように、とても貴重で大切かつ非常時に役に立
つ物を「虎」をつけて表します。これは日本に元来トラがいなかった事と、トラはその子に対する愛情がとても深く 子を大切に
するという昔話からきているようです。
後に漢の時代になると十二支に動物を当てはめ、方位や時間を一般にわかりやすくする習慣が始まりました。日本でも
奈良時代に国家の暦として制度化され「寅」はトラとして解釈されました。この十二支における丑と寅の間を風水や陰陽道で
は「鬼門」又は「鬼神門」と呼び、方位としては北東(風水学では東北)にあたり昔から様々な言い伝えがあります、暦学では丑
の年の後半から寅の年の前半が 不景気の底であったり 飢饉や疫病の最悪の時であると言われています。
そこで過去を振り返ると
12 年前の 1997~1998
バブル崩壊後の「空白の 10 年」のピーク時で失業率が過去最高を記録し、前年度から問題になった「腸管出血性大腸菌
O157」が猛威を振るいました。
24 年前の 1985~1986
バブル最高の頃で異常な投資・金融・政策で日本の経済を根本から狂わせ、日本を世界一の大借金国にする原因を作りま
した、中でも住専に対する銀行の異常な貸付は、後の銀行倒産・合併の引き金になりました。
36 年前の 1973~1974
1973 年 10 月 第 4 次中東戦争の勃発により、原油価格がいきなり 70%も上昇した「オイルショック」が起こり、それに伴って日
本国内でもインフレーションや物資不足が起こりました。1リットル60円だったガソリンが 100 円になり トイレットペーパーや洗
剤がお店から無くなって騒ぎが起きたのを覚えていらっしゃるでしょうか?
このように考えると、「如何なる悪く異常な状況」も寅年の後半からは少しづつ改善の方向に進むと考えられます。2009 年の
「新型インフルエンザ」や「世界同時不況」が日本国内にも深刻な影を落としている昨今ですが、寅年こそは虎の勢にのって
経済も人間も体力を回復する状況になってほしいと心から望むところです!
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