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寅年にちなんで 伊東 員義

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寅年にちなんで 伊東 員義
寅 年 に ちなんで
㈶東京動物園協会
東京都恩賜上野動物園 飼育展示課
ネ コ 科 最 大 の 動 物、 ト ラ は、 古 来 よ り、 ア ジ ア
の 文 化 の 中 で 力︵ 精 力 ︶や 威 厳︵ 強 健 ︶の 象 徴 と し
日本にもトラがいた
また、天明年間から岩手県九戸郡軽米町では火災安
て虎の玩具︵張り子の虎︶や摺物を飾っていました。
の人々は本物の虎を意識することなく、魔よけとし
︵一六八七年︵貞享四年︶︶の中に記述があり、当時
した。張り子の虎についても、井原西鶴の﹃男色大鑑﹄
て、虎由来の材料に武具に用いて、縁起をかつぎま
ます。武士は相手に打ち勝つ威力を有するものとし
るもの、動き始めるもの、顕現するものとされてい
十二支中で三位の寅は﹁木﹂の気を持ち、生まれ出
本列島に生存している哺乳類はこの時代の生き残り
変動による寒冷化で絶滅してしまいました。今、日
オーロックス、ヘラジカなど半数以上の動物が気候
末期︵二万年から一万年前︶には、トラを含むヒョウ、
超える哺乳類が生息していました。しかし、更新世
大陸の南や北から陸橋を通じて動物が渡り、百種を
など十数ヵ所から産出しています。当時の日本には
岡県浜松市浜北・引佐、山口県伊佐、大分県津久見
石は青森県下北半島、栃木県葛生、群馬県桐生、静
四紀更新世後期︶には生息していたのです。その化
約︵ CITES
︶により附属表Ⅰに記載され生きたトラ、
その派生物︵毛皮や骨など︶も輸出、輸入国の許可
級 動 物 に 指 定 さ れ て い ま す。 ま た、 ワ シ ン ト ン 条
トラは国の動物として、中国のアモイトラは国家一
地を失い、野生の生息数も減り、インドのベンガル
す。トラの最初の渡来は宇多天皇が八九〇年︵寛平
百 済 に 赴 き、 退 治 し た 虎 皮 を 持 ち 帰 っ た と あ り ま
におけるトラについての最初記述は﹃日本書紀﹄に
の渡来人からその存在をもたらされました。我が国
近代の日本にはトラは生息しておらず、大陸から
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て、さまざまな形で利用され、親しまれてきました。 日 本 に も ト ラ︵ ア ム ー ル ト ラ ︶が 四 十 万 年 前︵ 第
全、無病息災を祈願する﹁虎舞﹂︵遠州秋葉大権現を
なのです。
人々はトラとの戦いをしていたかもしれません。
縄文時代︵約一万六千五百年から約三千年前︶の
勧請︶が民俗芸能として今に伝えられています。
﹁虎
は千里を行って千里を帰る﹂という諺も虎の持つ不
可思議さをよく表しています。
無しでは取引ができません。飼育をするには、更に
二年︶にトラの子を入手し、これを巨勢金岡が写生
トラの渡来
特定動物︵猛獣︶として動物愛護と管理に関する法
したとされます。その後、戦国時代後半から江戸時
見 ら れ、 五 四 五 年︵ 欽 明 天 皇 六 年 ︶、 膳 臣 巴 堤 便 が
律で飼育施設、運搬の許可も必要です。
ス リ ラ ン カ に も 生 息 し て い ま し た が、 各 地 で 生 息
か つ て は 広 く ア ジ ア 大 陸 に 分 布 し、 ボ ル ネ オ や
伊 東 員 義
代にかけ、明や朝鮮半島などからの渡来はありまし
での最初のトラの繁殖でもありました。このトラは
のチャリネサーカスで産まれたものでした。我が国
生物としてのトラ
ま だ 良 く 分 か っ て い ま せ ん。 始 新 世 の 終 わ り ご ろ
た が そ の 数 は 多 く は あ り ま せ ん︵ 参 考
高 嶋 春 雄、
肉食に適した体の構造を持つ食肉目は現在約
ヨーロッパにその存在が知られるようになったの
一九〇一年︵明治三十四年︶まで十五年間飼育され
く、毛皮などを参考に描かれました。そこで、耳や
は、アレクサンドロス大王がインドに遠征したとき
プロアイルルス proailurus
が出現し、これがネコ
類 に 進 化 し た と さ れ て い ま す。 食 肉 目 は 大 き く イ
動物渡来物語︶
。今に残る掛け軸や屏風、襖絵の虎
爪などの描写が実物とはかけ離れたものとなりまし
にさかのぼります。最初にトラが持ち込まれたのは、
ヌ 亜 目 と ネ コ 亜 目 の 二 つ に 分 け る こ と が で き、 ネ
二百七十種が知られています。しかし、その起源は
た。広く人々がその実物を見ることができたのは、
紀元前十九年にローマ皇帝アウグストゥスにイン
コ 亜 目 に は ジ ャ コ ウ ネ コ 科、 ハ イ エ ナ 科、 ネ コ 科
ました。
一八六一年︵文久元年︶に渡来したトラが江戸麹町
ド の 使 者 が ト ラ を 献 上 し た と き と 言 わ れ て い ま す。
も多くは絵師が本物のトラを見て確かめることな
の福寿院境内で見世物として陳列されたときでし
が 含 ま れ ま す。 米 国 の 研 究 チ ー ム に よ る 現 存 す る
た。我が国での動物園での飼育は恩賜上野動物園が
ネコ科三十七種の遺伝情報や化石の分析によりネ
コ 科 の 動 物 は 約 千 八 十 万 年 前、 ア ジ ア で ヒ ョ ウ や
体色が薄く、大型のアムールトラ(多摩)
撮影(財)東京動物園協会
最初で一八八六年︵明治十九年︶でした。上野が入
に変化しました。
tiger
5
英語・ドイツ語の tiger
はペルシア語の thigra
︵鋭
い・尖った︶から、ギリシア語で tigris
と呼ばれ、
手したトラはこの年に東京で興行していたイタリア
体色が濃く、小型のスマトラトラ(上野) 撮影(財)東京動物園協会
可 能 性 が 高 い こ と が 分 か っ て き ま し た。 上 顎 犬 歯
約四百六十万年間で八つの主要な系統に進化した
ライオン、トラの祖先が分かれたのを始めとして、
した。現存する個体はすべてこの子孫です。
ばれ、インドのレワの森で一九五一年に見つかりま
た、ベンガルトラの白変種はホワイトタイガーと呼
シュでベンガルトラの黒変種の記録があります。ま
としての増加率はそんなに高いものではありませ
十二歳の間におよそ三回出産をします。その個体群
から離れます。寿命は約十五歳で、メスは三歳から
め、六ヵ月齢で離乳し、二歳半を過ぎるころに母親
6
が強大なサーベルタイガー︵漸新世後期から更新世
ん。
20世紀後半に消滅
バリトラ
バリ島
スマトラトラ
スマトラ島
インドシナトラ
インドシナ半島
マレートラ
マレー半島
トラの体重はオスでは百二十から二百八十㎏ 、メ
中国南部
に 栄 え た 剣 歯 虎、 二 〇 〇 三 年 に 福 島 県 富 岡 町 の 約
アモイトラ
スでは九十から百八十五㎏ です。アムールトラは体
1980年代に消滅
二百五十万年前の新生代後期の富岡断層から前歯
ジャワ島
重が三百㎏ を超える個体もおり、大きなライオンの
ジャワトラ
︵ 切 歯 ︶の 化 石 が 初 め て 発 見 さ れ、 当 時 の 日 本 で の
491-510
アジア東北部
体重を超えます。スマトラトラ︵ハリマオ︶はトラ
736-1275
アムールトラ
分布が確認された︶はトラの祖先につながると思う
400-500
西アジア
の亜種の中では小さく、オスの体長は二m 三十㎝ 、
ています。 少なくとも二から三日に二十㎏ のホエ
1940年代に消滅
カスピトラ
か も し れ ま せ ん が ネ コ に 近 い と さ れ ま す。 ト ラ は
トラはマングローブや落葉、常緑樹林、針葉樹な
トラは体に縞を持ち、繁みに体を隠すのに良く適
ジカを、若しくは二から三週に二百㎏ のスイロクを
431-529
インド大陸
体重百二十㎏ 、メスの体長は二m 、体重は九十㎏ ほ
マトラ島、ジャワ島、バリ島とさまざまな気候帯に
どの森やその周辺でくらし、単独行動で、主に夜間
応しています。縞模様は縦縞と言われますが、体の
捕 ら え な け れ ば な り ま せ ん。 泳 ぎ は 得 意 で す。 爪
1970年代に消滅
ベンガルトラ
ヒョウ属五種のうちの一種で、
アジアからシベリア、
分布域を広げ、九亜種︵地理的に隔離された地域個
に野生のウシ、シカ、イノシシを狩ります。前脚よ
正中線に沿ってどうかと考えると実は横縞なので
跡や尿でマーキングをして、縄張りを示し、その存
状 況
どです。
体群︶に分類されます。中国南部に生息するアモイ
り長い後脚で跳躍し、前脚と肩は強大で、牙や爪と
す。アムールトラの被毛は白が強く、南の個体群ほ
在をほかのトラに知らせます。オスの縄張りは複数
1841-2463
生息地
最近の生息数(頭)
亜種名
インド、中近東、インドシナ半島、マレー半島、ス
トラがトラの種の起源と考えられています。遺伝的
ど、黄色が濃くなります。スマトラトラでは縞が重
の メ ス を 含 む こ と も あ り ま す。 メ ス は 妊 娠 期 間 約
ともに獲物を狩る武器となります。狩りの成功率は
なり、縞が多く感じられます。トラの尾の黒い輪は
百三日で、一度に二から四頭を出産し、子育てを自
な変異の研究から二〇〇四年にマレートラが新たな
十が普通です。ネコ科の動物には全身の皮膚や毛に
分の縄張りで行います。このとき通常の五割増しの
高くなく十回に一から二回しか成功しないと言われ
黒色の色素、メラニンが沈着する黒変種がみられま
獲物が必要となります。子は八週齢で狩りを学び始
亜種になりました。
す。
トラでも今までに三回、
北インドとバングラデッ
トラの亜種とその状況 (WWFの2009年の報告を参考)
にまで激減していることが分かりました。
の ト ラ の 分 布 や 生 息 数 が 減 少 し た の は、 大 型 肉 食
で、 二 〇 〇 九 年 で は 約 四 千 頭 と さ れ ま し た。 野 生
れ て い ま し た が、 一 九 九 四 年 の 調 査 で は 約 六 千 頭
二十世紀初めには野生の推定生息数は十万頭とさ
生 息 地 は 分 断 さ れ、 国 立 公 園 と し て の 保 護 区 は 約
います。スマトラトラも政府に保護されていますが
ロシアでの野生個体数は四百から五百頭で安定して
置を取り、保全活動を進めました。最近二十年間の
まで減少し、ロシア当局は一九四七年に狩猟禁止措
一九四〇年代にアムールトラは二十から三十頭に
動物への怖れや人との競合︵森を農地にする︶のた
四二%にとどまっています。
今を生きるトラ︵二十世紀に四亜種が絶滅︶
めの排除、狩猟︵権威を得るための狩、伝統や漢方
それぞれの個体群が生息する地域では、保全のた
る調査などがそれぞれの生息地で進められていま
薬としての需要︶などによるものでした。九亜種の
一九七〇年代に、ジャワトラは一九八〇年代にそれ
す。最近の種ごとの野生生息数は別表のとおりで、
めに自然保護区を指定し、獲物も含めた生態に関す
ぞれ消滅してしまいました。二十世紀後半にはアモ
生残する五亜種で四千頭のみと報告されています。
う ち、 バ リ ト ラ は 一 九 四 〇 年 代 に、 カ ス ピ ト ラ は
イトラも野生から消失と言われていますので、二十
の生息数を調査することは、大変面倒なことなので
血統登録が行われています。飼育下の動物の国際血
世界の動物園で飼育されているトラは亜種ごとに
野生のトラの生息域内の保全に支援をすると同時
世紀に四亜種が絶滅したことになります。野生動物
す。直接観察、カメラなどによる自動撮影、足跡、
野生のトラの生息数はおよそ四千頭、飼育下のト
に、動物園などの生息域外でトラの個体群を維持す
は三千五十九頭を記録しました。この頭数の倍増は
ラは血統登録されたトラが約千頭です。このすべて
統登録は一九二三年に始まったヨーロッパバイソン
保護活動の
﹁プロジェクト・タイガー﹂
の成果でした。
を合わせても五千頭しかいないことになります。
マーキングの痕跡や糞による推定などを組み合わせ
1,054
る取組みが野生の保全と連携していくことで、今を
8,031
が最初ですが、トラは一九六〇年のモウコノウマに
144
て広大な生息地に多くの調査員を動員し行います。
245
生きるトラへの理解と保全への活動をより効果的に
インドシナトラ
次いで三番目の種として一九六六年から始まりまし
40
インドでは野生生物保護法により国立公園、野生生
295
進めることができると思います。生態系の頂点に立
アモイトラ
た。二〇〇七年の国際血統登録によると、トラの登
199
物保護区、自然保護区、村落共同利用区、トラ保護
1,019
つトラの保全にはその生存に欠かせない多くの偶蹄
ベンガルトラ
録数は八千三十一頭で、生存個体は千五十四頭でし
207
区がインドのベンガルトラの生息する場所として分
1,341
類の動物が持続的に生存できる豊かな森や草地が必
スマトラトラ
た。この登録には亜種の不明なもの、亜種間雑種は
464
類され、一九七二年から﹁全国トラ統計﹂が実施さ
5,131
要なのです。
アムールトラ
含まれません。
しかし、以後漸減し、二〇〇八年には千四百十一頭
7
生存数
全登録数
亜種
れ、一九七二年には千八百二十七頭、一九八四年に
2007年トラ国際血統登録
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