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ウラジオストック・ロシア極東連邦大学との東アジア共同体会議

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ウラジオストック・ロシア極東連邦大学との東アジア共同体会議
ウラジオストック・ロシア極東連邦大学との東アジア共同体会議
中川 十郎
日本ビジネスインテリジェンス協会(BIS)顧問としてご指導をいただいている吉田 進
氏(元日商岩井専務、顧問、前環日本海経済研究所理事長)の計らいで、さる 9 月 13 日ウ
ラジオで行われた東アジア共同体研究会で発表のため、9 月 11~14 日ウラジオストックを
訪問した。発表者は日本側からは上記吉田氏のほかに、和田春樹・東京大学名誉教授、前
田奉司・新潟県知事政策局国際ビジネス推進担当参与、それに BIS 理事・事務局長の伊藤
正氏と中川の 5 名であった。
これまで商社時代に 1 度、大学に転職してから 1 度、モスクワを訪問したことはあるが、
成田から 2 時間そこそこで到着する日本に最も近い外国のウラジオ訪問は初めてであった。
現地で案内いただいた極東連邦大学日本学科国際研究員のモルゲン・ゾーヤ博士の研究
によると日本とウラジオの交流の歴史は 127 年以上前にさかのぼるという。西本願寺が
1886 年に初めて海外布教所を開いたのがウラジオだった。119 年前の 1894 年には最初の
日本人学校がウラジオ本願寺の一室で開校され、生徒数は 1922 年には 256 人に達した。ロ
シア極東連邦大学の前身ともいうべき東洋学院は 114 年前の 1899 年にロシア極東・東シベ
リアで最初の高等教育機関として設立され、必修の中国語と英語のほかに、日本語、朝鮮
語、満州語、モンゴル語が教授され、国際色豊かな学院であった。この極東学院を母体に
創設された国立極東大学で教鞭をとった日本人教師には前田清嗣、和露辞典で有名な松田
衛氏らがいた。
111 年前の 1902 年にウラジオを訪問した「浮雲」で有名な二葉亭四迷はゴーゴリ、ツル
ゲーネフ、ゴーリキなどのロシア文学を日本に広めた。彼は東京外国語学校のロシア語出
身で、私の大学の大先輩でもある。彼の墓はこれも東京外語英語科 1 期生の「茶の本」で
も有名な岡倉天心と同じ染井墓地にあり、私はよく大学の帰りに彼らの墓に立ち寄り、大
先輩をしのんだものである。
このように日本との関係も深いウラジオであるにも関わらず、現在在留日本人はビジネ
スマンを入れてわずかに 60 人と聞いて驚いた。この数字は私が商社支店長として駐在した
インド、ニューデリの 40 年前の数字と同じである。現在ニューデリには 4030 人の日本人
が滞在している。
(日本経済新聞 2013 年 9 月 23 日、在留邦人資料参照)。これからアジア
進出を加速化させようというロシアの橋頭保としてのウラジオに日本はもう少し将来を見
通し、戦略的な対応をすべきである。さもなくば中国、韓国のみならず、最近ロシア進出
を積極化させている米国、カナダ、オランダ、デンマークなどにも後塵を拝することにな
ろう。
今回会議を主催したロシア極東連邦大学は 2012 年の APEC 会場跡に 7 つの大学を統合
して設立され、アジア極東地域研究を目指す国際的な先端大学である。敷地面積は日本最
大の筑波大学の 60 万 m2、愛知学院大学の 50 万 m2 を凌駕する 80 万 m2 の海辺に面した
まさしくアジアへの橋頭保にふさわしいグローバル世界を見据えた壮大なキャンパスであ
る。研究所 368、教員と学生の比率は 10 対 1、300 の教科を有し、学生総数 42000 人、
大学院生 1000 人。外国からの留学生は 22 カ国から 900 人。外国人教師 90 人。ダブルデ
イグリーの交換大学は米国、中国、日本、韓国、ベトナム、オーストラリアなど 9 か国。
今後アジアの時代に備え、この野心的なロシア極東連邦大学とのビジネスインテリジェ
ンス、グローバルビジネス、国際マーケテイングなどの分野で日本ビジネスインテリジェ
ンス協会も交流をさらに深めるべく、2014 年 9 月に当協会から交流ミッションを派遣する
方向で検討中である。BIS 関係者の多数の参加を期待したい。
(筆者は名古屋市立大学 22 世紀研究所特任教授、
日本ビジネスインテリジェンス協会会長)
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