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日本十二支考〈卯〉

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日本十二支考〈卯〉
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日本十二支考〈卯〉
一 月うさぎといとおしい希望―日本の神話・伝説のなかの兎
濱田 陽
1 月をながめる日本人
日本列島の人々は縄文、弥生の昔から、月を眺め暮らしてきた。月を眺めれば当然、あの黒っぽい模様
が目に入る。そして、いつからか日本でも、人々は、月にうさぎがいると考えるようになったのだ。では、
月にいるうさぎは日本ではいかなる意味をもつ存在なのか。
一言でいえば、月うさぎは、〈いとおしい希望〉である。希望とは、未だかなえられていないものへの
想いであり、いとおしさとは、胸を痛めるほどの共感をいう。それは、未だかなえられていないものを、
心を痛めるまでに想うことなのだ。
満月の夜には、はっきりと月の模様が見える(図1)。それほどにもくっきり見えるのに、私たちの手
には届かない。だから先人たちは、器の水に月を映し、飲んだりしたのだ。月までには絶対的な距離があ
るけれども、子供の目にも、老人、恋人たち、権力者、詩人の目にも、その姿を現す。かなえられていな
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い希望がそこに映し出されている。手に入れてしまった対象はすでに希望でなくなり、人は新たな願いを
持ちはじめる。だから、永遠に手が届かない月は、希望そのものを象徴することができる。そして、月の
中にいるうさぎは、人々のいとおしさを受けとめる。
2 因幡の素兎とかぐや姫
うさぎの模様はたしかに確認できるのに、なぜうさぎが月にいるのかは、にわかには分からない。月中
いなば
しろうさぎ
のうさぎに言及した初出の文献は中国の屈原の書『天問』(紀元前四~三世紀)と考えられるが、月とう
わに
さめ
さぎから、日本人がまず思い出すのは、因幡の素兎とかぐや姫だ。
因幡の素兎のうさぎは、一族の数比べだといって鰐(鮫という説がある)たちをだまして海に横並びにさせ、
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図 1 満月とうさぎ模様
提供元: PRECIOUS ORION
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おきのしま
数をかぞえながら背中を飛び越え、まんまと淤岐島から因幡の国に渡ろうとした(山口・神野志校注・訳 一九九七 七五―七九頁)
。ところが、最後のひと飛びで陸地に着くというときに、いい気になって嘘をバラし、
や そ が み
怒った鰐に衣服をむがれ、ひどい目に会わされる。さらには、通りかかった意地悪な八十神たちに海水で洗っ
て風に吹かれていれば治るとでたらめな処置法を教えられ、塩が傷に沁みて泣き伏してしまった(図2)
。
鰐たちをだます賢さを持ちながら、最後のところでヘマをし、もっとひどいだましに会って苦しんでい
る姿。
『古事記』の中で私たちが出会うのは、このような、どことなくいとおしさをかき立てる存在だ。
鰐たちの背中を飛び越えていったとき、うさぎはどれほど得意だっただろう。目的地に向かって順調に跳
ねていく心地良さを感じていたにちがいない。ところが、もう少しで到着と思ったとたん、しっぺ返しを
くらってしまった。世の中はいばらの道で、希望をもって進んでいっても、わずかな心の緩みから大変な
目に会うことがある。うさぎの失敗から、そんな寓意が汲み取れる。
やがみひめ
しかし、このうさぎは懲らしめられるだけの存在ではない。泣いている自分を心配し、真水で洗ってが
おおくにぬしのかみ
まの穂が生えている野原で寝ころがっていればいい、と適切な治療法を教えてくれた大国主神に、美しい
うさぎがみ
八上姫と結婚するのは意地悪な兄たち(八十神)ではなくあなたですと告げ知らせる。因幡の素兎は、未
来を示す存在でもある。『古事記』は、このうさぎが今は兎神と呼ばれていると語っている(図3)。
ここには月は登場しないけれども、日本人のうさぎイメージを考察するには欠かせない有名な神話だ。
うさぎに思いをめぐらすとき、誰しもがこの因幡の素兎を思い起こすだろう。そして、知らずしらずのう
ちに、月のうさぎにもそっとオーバーラップさせているのである。
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はない。ともかく、うさぎのいる月にはかぐや姫もいて、麗しい世界が存在している。月の光の神々しさ
に見えているのはうさぎだけだが、かぐや姫はあの月の宮にいる。もともと、求婚者たちにもそ
月の面
の美しい顔を見せず去っていった、帝でさえ手が届かなかったかぐや姫。こちらから見えなくても不思議
おもて
月の世界に、かぐや姫が住んでいるとロマンをかきたてられるのは、自然ななりゆきである。
て一番に思い起こす物語といえば『竹取物語』であろう。だから、満月にうさぎの模様を見ながら、あの
世界へと帰っていく(図4)。ここにはうさぎが現れないが、日本人にとって大変ポピュラーで、月を見
さて、かぐや姫は日本最古の物語として知られる『竹取物語』のヒロインである。老翁の切った竹から
生まれた彼女は美しい乙女に成長するが、並み居る求婚者たちに難題を投げかけ、帝の求婚も断って月の
図 3 兎神をまつる石川県の白兎神社
出典:川口謙二編『日本神祇由来事
典』柏書房、1993
は彼女の美しさを反映している。かぐや姫を育てた老夫婦は、去ってしまった娘をいとおしむ。月のうさ
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図 2 泣いているうさぎと大国主神
出典:The Hare of Inaba, Japanese
Fairy Tale Series, No. 11 , translated
by T.H. James and illustrated by
Sensei Eitaku, Tokyo: Kobunsha,
1886
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ぎがいとおしい希望のイメージでとらえられるのは、かぐや姫が月にいるからでもあるだろう。
日本の先人たちは、月のうさぎと因幡の素兎、かぐや姫を、神話・伝説の中で強引に融合させはしなかっ
た。月の面に見えるうさぎの影の不思議なリアリティ、因幡の素兎のいとおしさ、かぐや姫の神々しさを
それぞれに大切にしてきた。この三つが強い個性を放ちながら共棲する場は、月を眺め、神話・伝説を想
う先人たちの心そのものであった。
したがって、因幡の素兎とかぐや姫から印象的な性格付けと舞台設定をもらいながら、月のうさぎは、同
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図 4 月が故郷であることを告白するかぐや姫
出典:Princess Splendor, Japanese Fairy Tale
translated by Edward Rothesay and illustrated
by Sensei Eithaku, Tokyo: Kobunsha, 1889
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じょうが
はくとしん
時に独立した不思議な存在でありつづけることができた。因幡の素兎は白兎神として神社に祀られるように
なったけれども、月に上がったわけではない。他方、中国で有名な嫦娥伝説が日本では一部の知識人にとど
せいおう
まりけっしてメジャーにならなかったのは、かぐや姫の存在が大きかったためである。
『万葉集』の時代には
ぼ
せんじょ
日本にも伝わっていたこの伝説が一般に広まっていれば、日本の月うさぎは不老不死の薬を盗んで女神・西王
母に蟾蜍(ひきがえる)にされた仙女・嫦娥の家来として月で薬草をついていたはずだ。しかし、そうはな
らなかった。日本の神話・物語世界ではかぐや姫が月に住まい、月うさぎは独立して自由に餅をついている。
ところで、二〇〇七年から二〇〇九年にかけて日本と中国が独自の探査計画に基づいて打ち上げた月周
回衛星はそれぞれ、かぐや、嫦娥一号と名づけられていた。神話・物語のイメージは、このように最先端
科学技術を投入した国家的プロジェクトにも影響を与えているのである。
3 月うさぎと生きた観念
ところで、いとおしい希望は、人間の頭や心の中からの働きだけで湧いてくるものではない。月を見て
心を動かされるように、外界にふれて呼び覚まされる、具象性と抽象性の溶け合った、生きた観念である。
ドイツの哲学者カントが探求した理性と異なり、精神の精査だけでは手にできないものだ。カントは、天
上の星と心の内なる理性に敬意を表したが、いとおしい希望は、それらと違って、外界と精神を分けない
ところに見出される。あわただしい生活のただなかで自分の進むべき道が垣間見えたとき、あるいは、恋
しい人と幸せな家庭を築くことを夢見るとき、また、可愛い赤子を抱いてその子の未来に想いをはせると
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き、人間は自らが目にしている具体的な世界にふれながら、まだ来ぬ未来を、抽象的な希望の引力によっ
て引き寄せようとする。月のうさぎは、具体的でかつ抽象的であることによって、つまり、はっきりと目
の前に見えていながら、地上のうさぎのようには手が届かないないことによって、いとおしい希望のメタ
ファーになるのである。
現代科学では、月面に見える黒っぽい模様は、月の形成期に地球の引力にひっぱられた溶岩が冷やされ
てできた重い玄武岩の固まりであること、そして、それが地球の引力の作用で常に地球側を向いているせ
いで月は自転せず、いつも同じ模様を見せていることが明らかになった。しかし、それでも、満月にあの
模様を見ると、不思議な気持ちが呼び覚まされる。何万年、何千年と月を眺めて来た人類の記憶が身体に
よみがえるからだろうか。ありありと目前にしながら、手につかめない月を眺めるうちに、人間は、いと
おしい希望と表現するのがふさわしい、生きた観念を身につけるようになったのではないだろうか。しか
も、この観念は、月うさぎのように、さまざまな理由づけを受けとめながら、一つだけの正解を与えるこ
となく、こちら側の世界を照らしつづけているのである。
4 『ジャータカ物語』と玄奘三蔵
え な ん じ
不老不死の薬を盗んだ仙女が西王母によってひきがえるにされ、月に逃げるときに薬草をつくうさぎ
をつれていったとする嫦娥伝説。月にうさぎがいる理由を説明するとき、前漢時代に編纂された哲学書
(紀元前二世紀)にすでに記載があり、中国でポピュラーなこの道教的伝説は、日本人にとって
『淮南子』
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それほど心をひくものではなかったようだ。
こと
それよりも、老人の飢えを満たすため我が身を炎に投じたうさぎが月に上げられたとする仏教説話の方
が、人々に強い印象を残してきた。平安末に成立した『今昔物語集』収録の「三獣、菩薩の道を修行し、
兎が身を焼く語」と江戸後期の禅僧・良寛の長歌「月の兎」に、このことを考えるヒントがある。
この仏教説話は、南インドで成立し、仏陀の前世の姿や善行を描いた『ジャータカ物語』(紀元前三世紀頃)
に収められた「ササ・ジャータカ」(仏教説話編集委員会編 一九八一 一一一―一一九頁)に由来する。パー
リ語でジャータカは「生まれたものに関する」の意、ササは「うさぎ」の意である。「ササ・ジャータカ」
は数多くの経典に形を変えて引用された。
唐代に活躍した玄奘三蔵は、インドのガンジス河畔の聖地ヴァラナシを旅したときにうさぎの仏塔を
とおうほんじょうたん
見つけ、現地の人々が語っている話として『大唐西域記』に「兎王本生譚」を書き留めた(水谷訳注 一九九九 三五二―三五四頁)。「ササ・ジャータカ」でうさぎ、猿、山犬、カワウソだった登場動物たち
は、うさぎ、猿、狐の三獣に変化している。また、釈迦の前世の姿であることが明らかで、リーダー的役
割をし、炎のなかに入っても焼かれず堂々と菩薩行を表したうさぎは、猿や狐のように食べ物を見つけて
こられなかったためわが身を炎で焼いて犠牲になる、か弱い小動物に変容している。「ササ・ジャータカ」
では、帝釈天がうさぎ(釈迦)に感服し、その菩提心を讃えるために山々を絞った汁で月にうさぎの姿を
描いたとし、月の光は菩提心の輝きを表わしていたのだが、玄奘の『大唐西域記』で初めて、犠牲になっ
たうさぎが帝釈天の手で月輪に残されることになった。
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「ササ・ジャータカ」のうさぎには、いとおしさは当てはまらない。それは、覚者となる釈迦その人の
完璧な菩提心を体現し、仰ぎ見る対象として描かれている。これに対し、玄奘版「兎王本生譚」のうさぎ
の悲劇は、帝釈天の胸を打ち、嘆息させる。月うさぎを見るときに感じるいとおしさに、玄奘のうさぎは
よく響き合う。そして、『今昔物語集』と良寛は、玄奘の「兎王本生譚」の影響下で個性的な語りをそれ
ぞれに繰り広げていく(池上 一九八三 一四八―一五二頁)。後世の人々は、時代や場所を異にしなが
ら同じ月の模様を眺め、自らの生活に引きつけて、この説話を受けとめていったのである(図5)。
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図 5 日本漫画界の巨匠手塚治虫も独
創的な仏陀伝の冒頭でうさぎの犠牲の
話を印象深く描いた。
出典:手塚治虫『ブッダ』第一巻、潮
出版社、1974
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5 『今昔物語集』と良寛の希望
『今昔物語集』の特徴は、自然、とりわけ、野うさぎの生態に対するきわだった観察眼を土台とし、そ
の上に生きとし生けるものたちの、救いを求める必死の姿を描ききったところにある。玄奘の
「兎王本生譚」
では、うさぎが炎に飛び込んだのは、猿や狐のように自分も他者への施しの心をもっていることを証明す
るためであった。ところが、『今昔物語集』版では動物たちは一度前世で地獄を経験したことになっており、
他者への慈悲心のみならず、善行によって少しでも来生に良き生を得たいという切実な想いが描かれてい
る。それは「ササ・ジャータカ」の釈迦の菩提心のような救う立場からではなく、救われる立場から発し
たものだ。だから、玄奘の「兎王本生譚」のように帝釈天が「一途にどうしてここまで思い詰めたものか」
(水谷訳注 一九九九 三五三頁)と嘆息することもない。
どれほど野山を探しても猿や狐のように食べ物を見つけられなかったうさぎは、施しができず人や動物
に狩られて今生を無駄にしてしまうことを恐れ、究極の合理的選択として、炎の中に飛び込んでいったの
かもしれない。野うさぎは、敵から逃げる能力を進化させることで生き残ってきた動物種である。懸命に
走って、走って追いつめられ、とらわれて逃げ切れなくなったとき、ショック死するともいう。できるだ
け痛みを感じずに生を終えるための生理的メカニズムが働いているのだろう。また、うさぎは驚いた自分
に驚き、驚きすぎて死ぬこともある。自然から授けられた能力を総動員してなお、命を守るための手立て
が尽きたとき、突発的な行動に出る。うさぎが炎に飛び込んだのは、良き来生を得るために残された最後
の手段だったからかもしれない。
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し か し、 そ う で あ っ た と し て も、 身 を 焼 か れ る ま で の 必 死 さ は 胸 を 打 ち、 い と お し さ を つ の ら せ る。
『今昔物語集』版の読後感は、このように小さきものの、救いを求める想いが際立って印象づけられるこ
とである。さらに、「月の表面に雲のようなものがあるのは、この兎が火に焼けた煙である。
」(池上訳注
一九八〇 三〇四頁)という、「ササ・ジャータカ」にも「兎王本生譚」にもない描写を加え、いっそう
瞳を凝らして月を眺めている。帝釈天が月の中にうさぎをとどめたのは、強い信心による救済の希望を、
一切の衆生に示すためであった。ここでは月の光が、仏の救済力を暗示している。
他方、良寛の長歌「月の兎」は、他者への慈悲心がテーマとなっていて、いっそう玄奘の「兎王本生譚」
に近い(図6)。しかし、玄奘が、異類ながら仲良くしている三獣、とのみ記述したのに対し、良寛の長
歌では、一歩進んで、うさぎ・猿・狐が友人の約束をしたことになっている。さらに天帝(帝釈天)は、
うさぎの犠牲に接し、天を仰いで涙を流し、地面に倒れ伏して、胸を叩きながら、お前たち三匹の友達は、
誰が劣るというのではないが、うさぎは特に心がやさしい、と語るなど、きわめて激しい感情表現をして
いる。ここでは、友情とやさしさがクローズアップされている。
良寛といえば、子どもたちと鞠つきをして無心に遊んでいる姿が有名である。年齢や知識がどれだけ隔
たっていようと、壁を超えて友達になる。異種間であっても違いを飛び越え、友情を示したうさぎに、良
寛は胸を打たれてしかたがなかった。何度もこの長歌を墨書し、涙を流した。彼もまた、月のうさぎにい
とおしい希望を見出していたのである。このような、やさしさに裏打ちされた友情は、おそらく仏の教え
る慈悲心に、まっすぐにつながっているからである。
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図 6 良寛の長歌「月の兎」 出典:新潟良寛研究会 HP より転載
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二 野うさぎと多様なる豊穣のシグナル―日本の宗教・文化のなかの兎
1 豊穣のシグナル ― 鳥獣戯画とかちかち山 ―
月のうさぎがいとおしい希望だとしたら、野うさぎは〈多様なる豊穣のシグナル〉である。月うさぎに
おいては、くっきりと見える月の具象性と模様としての抽象性が融け合っていたが、野うさぎは、存在そ
のものが具体的かつ多様であり、その多様さは野山の生命力から来ている。
。そのうち四一羽がうさぎで、蛙
国宝の絵巻、鳥獣戯画には一〇三匹の動物が登場する(家永監修 一九九三)
二五匹、猿一六匹、狐一一匹、猫三匹、鹿・ねずみ各二匹、猪・きじ・フクロウ各一匹となっている。蛙は嫦娥伝
説、おそらく猿と狐は玄奘の「兎王本生譚」の影響が入っているが、なにより圧倒的な数で躍動するうさぎたち
が目を奪う。この独創的絵巻では、動物たちすべてが野山の豊穣を謳歌し、うさぎがその代表選手である。
「かちかち山」に登場する野うさぎも、豊穣のシグナルとしてとらえることができる。室町時代末期に
成立したこの有名な昔話は、タヌキにお婆さんを殺され食べられてしまったお爺さんの仇をうさぎが代わ
りにとってあげる話である。うさぎはタヌキと一緒に山へ薪取りに行き、帰りにタヌキの背負っている薪
に火をつける(図7)。火打石の「かちかち」鳴る音にタヌキは不思議がるが、うさぎは、あれは「かち
かち山のかちかち鳥だ」と言いくるめる。だまされて大やけどを負ったタヌキはうさぎを責めるが、うさ
ぎの方では「前山のうさぎは前山のうさぎ、藤山のうさぎは藤山のうさぎ。(藤山のうさぎである自分は)
何の関係がある?」としらを切る。次にうさぎは、やけどの薬だといって辛子をタヌキに渡して、それを
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塗ったタヌキに死にそうな思いをさせる。そして、怒ったタヌキに、今度も「藤山のうさぎは藤山のうさぎ。
杉山のうさぎは杉山のうさぎ。(杉山のうさぎである自分は)何の関係がある?」
と言いくるめる。最後は、
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魚をとろうといって土の船をつくらせ、自分は木の船に乗りタヌキを沈めて殺してしまう。
れたことを象徴しているとみることもできる。これも多様なる豊穣のシグナルの一つである。前山、藤山、杉
お婆さんをタヌキが殺して食べる前半とうさぎがタヌキをいじめて殺す後半は、もともとは別の話だったと
する説が有力で、仇討ちとしてもうさぎの残酷さが際立つ。しかし、それは、野山の生命力が過剰となって現
図 7 タヌキの背負っている薪に火をつけるうさぎ
出典:Kachi-Kachi Yama, Japanese Fairy Tale
Series, No. 5 , translated by David Tompson and
illustrated by Sensei Eitaku, Tokyo: Kobunsha,
1885
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山のうさぎは、本当は同じうさぎだが、タヌキが別のうさぎと信じ込んだこと自体、山々に繁殖する野うさぎ
の多産性を暗示する。そして、この多産性は、ときに他の生き物や人間を圧迫するものともなる。野山の生命
力はときに人間の想像を超える。うさぎは、私たちが自然の生命力を侮ることを戒めてもいるのである。
2 多重象徴性と白のマジック
野うさぎは野山の生命力をさまざまなヴァリエーションをもって示す。跳躍し、疾走し、単独で行動しな
がら多産で、多くの生き物が寝静まっている夜中に人知れず活動し、雪についた足跡を逆に戻って消すほど
賢い。目を見張る知恵を発揮するその生態は、野山の生命力を実に多彩に表象する。このように、野うさ
ぎの象徴性は、けっして一つに収斂せず、多重象徴性を特徴とする。たとえば、跳躍や疾走、あるいは、多
産の一方に注目するのでは、野うさぎの象徴性はつかめない。野うさぎは外敵から逃げて生き延びることを
選択し進化してきた動物種であり、一瞬の機会をのがさず生殖するのは、種の保存のための不可欠の行動
である。こうした生態的背景を無視し、多産の象徴性だけを肥大化すれば、バニーガールのようなセックス・
シンボルになるが、それでは野うさぎのシンボリズムを正確にとらえることはできない。
猪や鹿、蛇も山の神や山の神の使いとして強烈な個性を示す生き物だ。しかし、目立たない小動物であ
りながら、スピーディーで、跳躍し、弱い個体ながら傑出した繁殖力によって種としての強靭さをあわせ
持つ野うさぎは、さまざまな象徴のシグナルを繰り出すことができる。そして、それらのシグナルの源泉
をたどっていけば、野山の生命力の豊穣にたどり着く。
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民俗上神聖な色とされる白色の猪、鹿、蛇がふいに現れて神意を示すことがあっても、これらの動物種
のトータルなイメージはけっして白色ではない。ところが、うさぎは種全体が白のイメージで受けとめら
れる。これは不思議なことである。日本の野うさぎは黄褐色で、東北や北陸など雪が積もる地域でだけ冬
場に毛が生え変わって白化する(図8)。おそらく補色作用を利用して外敵から身を守るためであり(川
道 一九九四 八二頁)、耳や手脚などひんぱんに動かさなければならないところから生え変わっていく
(河合 一九九六 一六八頁)。野うさぎが白化するのは隠れるためであって目立つためではない。まれに
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突然変異によって白うさぎが誕生し、白猪、白鹿、白蛇のように吉兆と受けとめられることもあったが、
図 9 天寿国曼荼羅繍帳に描かれた月う
さぎ 薬草をつくのは中国文化の影響
国宝・天寿国曼荼羅繍帳(部分)
7 世紀 奈良・中宮寺蔵
白鳥や白鷺のように白くないにもかかわらず、種全体のイメージが白色で受けとめられる動物は他に見当
たらないのではないだろうか。
図 8 野うさぎの白化現象
出典:川道武男『ウサギがはねてきた
道』紀伊國屋書店、1994
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てんじゅこくまんだらしゅうちょう
月のうさぎはもともと黒い色をしていた。法隆寺の玉虫厨子や中宮寺の天寿国曼荼羅繍帳に描かれた月
うさぎも黒色である(図9)。じっさいに月を眺めれば、見えるのは黒っぽい、
あの模様である。玄奘の「兎
王本生譚」では、飢えた老人に施しをしようと炎の中に飛び込んでわが身を焼き、黒く焦げた野うさぎが
帝釈天の手によって月に移されたとあり、月うさぎが黒いのは理にかなっているようでもある。「兎王本
生譚」は『今昔物語集』や良寛の長歌「月の兎」にも取り入れられた。にもかかわらず、うさぎといえば
圧倒的に白のイメージである。神話「因幡の素兎」の素兎は、『古事記』ではもともと鰐にとっちめられ
衣服(あるいは毛皮)を失った素裸のうさぎの意だったのだが、いつのまにか発音を同じくする白兎に変
わってしまった。
白色でないのに種全体が白のイメージで受けとめられるようになったのは、やはり野山の生命力のシグ
ナルとして、うさぎという動物種自体が特別の意味を有してきたからであろう。
3 野山の生命力と野うさぎの民俗
日本の村々には、猪、鹿、蛇ではなく野うさぎを山の神の使い、もしくは山の神そのものと考えたとこ
ろも少なくない。白兎を獲らない、山の神の祭日には山に入らない、もし山に入って白兎に出会えば命を
落とすなどの禁忌・伝承があった。日本の民俗では、山の神は、さまざまな山の幸や田畑に欠かせない豊
富な水源をもたらす豊穣神であり、山はこの世を去った人間の魂が帰る場所でもあることから祖霊神とも
されてきた。このような、仏教的、また民俗信仰的な世界のとらえ方から、白山地域など野うさぎを氏神
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とする習俗も出てきたと考えられる(南方 一九九四 一〇九頁)(赤田 一九九七 三七―三八頁)。そ
の世界観においては、祖先も野うさぎも輪廻転生して他の獣や人間として生まれ変わり、あるいは山の神
となって生命力の源泉に参画するのである。
余談だが、ペットでも、飼い主を犬は主人と見、猫は異族扱いするのに対して、うさぎは同族と考えて
いるといわれることがある。ペットのうさぎは穴うさぎを改良した飼いうさぎで、野うさぎではないが、
人間とうさぎの距離の近さを想起させる性質といえよう。
野山の豊穣は単に山菜や果実、獲物がたくさん採れることのみをいうのではない。狩猟、畑作、稲作な
ど生活の営みそのものを成り立たせる自然の生命力が湧いてくることを意味している。狩猟や畑作に携わ
る山の民も、稲作と畑作を生業とする里の民もそれぞれの仕方で野山の生命力を感受し、野うさぎをその
顕著なシグナルとして受けとめてきた。
野うさぎの繁殖力は、熊や猪などの大型獣とは比較にならないほど強い。また、ふいに現れては畑を荒
らし、植えた杉の芽を食べたりして山の民の生活を脅かす。狭い畑でとれる作物だけでは生活が成り立た
ない山の民は、大型獣だけでなく野うさぎを仕留める。数が多く、熊や猪のような危険がともなわないた
めに日常的な獲物だった。うさぎは作物を荒らして厭われるが、仕留められて毛皮や肉を山の民にもたら
す。害をなすのも糧を与えるのも野山の生命力のなせる技である。
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よりしろ
ようじ
の落葉低木)の木にきれいに結びつけて捧げた(赤田 一九九七 二二〇―二二五頁)(図 )
。また、子
はら
を孕んだ野うさぎはとろうとしなかった。鉄砲も使用したが、鷹や、鷹のような威嚇音を出して驚かせて
山の民は仕留めたうさぎを山の神の依代である香りのよいクロモジ(楊枝や箸の材にもなるクスノキ科
図 11 ワラダとその投げ方
出典:赤田光男『ウサギの日本文化史』世界
思想社、1997
たりもした(前掲 一五六―一六六頁)(図 )(天野 二〇〇三 二七―六四頁)。山の民の営みは、野
うさぎを絶滅させるような一方的なものではなく、その苦しみも喜びも野山の生命力とともにあった。野
つかまえる円盤状の投げ道具(藁を編んでこしらえるためワラダとよばれる)を用い、罠を仕掛けてとっ
10
うさぎの舞台である野山を数々の知恵や禁忌、信仰によって尊んできたのである。
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図 10 山の神に捧げたうさぎ
出典:国立国会図書館蔵『写本古今要覧稿』
(赤田光男『ウサギの日本文化史』世界思想社、
1997 より再転載)
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日本十二支考〈卯〉 160
ところで、江戸時代、徳川将軍家では正月に参内した大名や家臣たちに年頭料理として野うさぎ肉の吸
せ ら だ ありちか
物をふるまう慣習があった。徳川家の先祖、世良田有親が室町時代に権力闘争に巻き込まれ信州に落ちの
びたとき、身をかくまってくれた主人から元日に接待を受けたことに由来する(赤田 前掲 一九六頁)
。
主人が有親をもてなそうと雪中狩りをしてやっととれた野うさぎ一匹から徳川将軍家が興隆したのだか
ら、その効力ははかりしれない。先祖の労苦を偲び、その威光を示す風習であったが、野うさぎが野山の
生命力のシグナルであることを昔の人々が察知していたからこそ、将軍家の慣習になったのではないだろ
うか。
チュソク
4 野と月の交感 ― 中秋の名月と餅つくうさぎ ―
日本では旧暦八月一五日(隣の韓国では秋夕にあたる日)には一年でもっとも美しい満月に向かって里
芋、豆、団子、すすき、萩などを供える。すでにお盆(もと旧暦七月一五日、現代は、多くの地域で新暦
)。宮中に取り入れられたのは、文献上は平安初期、著名な儒学者・菅
八月一五日を中日とする三日間)にすましているため、秋夕のような墓参はないが、中秋の名月として全
かんけ
国的にみられる習慣である(図
原道真の菅家以降であるが、この風習がどれほど時代を遡るのかは明らかになっていない。米でつくった
団子を供えず、里芋や豆など畑の収穫物が中心の村々も少なくないことから、稲作が伝わる以前からこの
ような習慣があったとも考えられている。月が農耕に不可欠な暦の基準であり、水の恵みをもたらす神で
もあったため、田畑の豊かな実りを与えてくれたことを感謝したと考えられる。また、すすきと萩はどこ
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161 日本十二支考〈卯〉
でも摘むことができる手近かな草花であり、とくにすすきは野うさぎの好物として供えられた(赤田 前
掲 一一一頁)。
中秋の名月は、野山の豊穣と月の輝きが感応し合う、特別な時である。このとき、うさぎは野山にもい
て、月にもいる。そして、人も野うさぎも月を見る。有名なわらべ唄はそのことを歌っている。
「うさぎ、うさぎ、何見て跳ねる、十五夜お月さま見て跳〜ね〜る」。
「うさぎ、うさぎ」と親しみを
江戸時代に文献上の記録が残るこの唄は、日本人なら誰でも知っている。
込めて呼びかけ、
「何見て跳ねる」でリズミカルな跳躍を表現し、
「十五夜お月さま」でゆったりと荘厳な
満月を描くように唄のスピードを緩め、
最後の「見て跳〜ね〜る」は最大限に引き伸ばして哀愁を漂わせる。
豊穣のシグナルである地上の野うさぎが、天の月に感応して跳ねている。月は、ゆったりと円を描くよ
うな気持ちで唄ってみたくなるように、くっきりと見えている。野うさぎも人間も、いくら高く跳ねても
月の世界に届くことはない。メロディはその哀感をなぞるかのようだ。
しかし、届かない月が、暦と水の恵みをつかさどり、地上の豊穣に神秘の保証を与えてくれる。月の光
がふりそそぐように、月の神は、春や秋の定まった日に地上に顕現し、農事を見守る。地上では、野うさ
ぎが春に種籾をまき、秋に稲穂を拾うという伝承もあるように、野山の豊穣の恵みをうけて作物が育って
いく。月は暦をもって明日への希望を与え、野山は生命を与えるのだ。
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図 13 餅をつくうさぎ
1987 年年賀切手
モチ
の語源については数多くの説があり、はっきりしたことは分かっていないが、音が同じで、形も真ん丸で
そもそも江戸前期の国学者・契沖は、餅の呼称そのものが満月の望に由来すると考えていた。米をつい
て丸めた餅のかたちが欠けるところのない満月と同じで、そこからモチ=餅になったというのである。餅
モチ
いう説が民俗学者の間でも唱えられている(吉野 一九九四 一〇二頁)。ちなみに満月が望月と呼ばれ
るのは、望(モチ)が満つ、の意味から来ているためである。
。いつの頃から餅になっ
ところで、日本では月うさぎは中国のように薬草ではなく餅をついている(図 )
たのかは明らかでないが、満月を望月=もちづきと呼び、そこから餅をついているという発想が生じたと
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あるため、由来がどうあれ月うさぎの餅つきのイメージが成立した後は容易に広がり、定着していったの
だろう。
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図 12 中秋の名月の供えものの例
すすきと団子
出典:埼玉県所沢市・星の民俗館(私
設)HP より転載
163 日本十二支考〈卯〉
また、稲作を営む農村では米粉を溶かして丸めた月見団子を月に供えたことから、月うさぎも米をつい
て餅をつくっていると想像する方が自然だったと考えられる。月うさぎの餅を想像するのは、日本の民衆
にとって不老不死の薬草を想像するより楽しい身近なことだった。秦の始皇帝のように不老不死の薬を手
に入れられると信じた人はほとんどいなかったが、庶民にとって餅はこの地の豊穣がかたちとなったもの、
手にとどく財産であった。生活の具体的な憧れを、月うさぎにたくしてきたのである。月うさぎの餅つき
は、地上の豊穣への願いが天空に映し出されたものなのである。
5 野と日月 ― 卯と大嘗祭 ―
野うさぎが豊穣のシグナルであるとしたら、十二支の卯と結びつけられたのも納得がいく。卯は象形文
字で開門の形であり、新芽が二つに分かれて地上に出ている形ともいわれる(吉野 前掲 八七頁)(図 )。
五行説では木火土金水の木気を占め、木気は五穀をふくむ一切の植物を包括する。すなわち、野うさぎは
大地の生命力が芽吹く気に結びつけられているのだ。
そもそも夜行性の野うさぎは月と関係が深いが、卯という言葉の向こうでは太陽が顔をのぞかせている。
卯は、方角は真東、時刻は午前五時から七時で、太陽がのぼる方角と時間を表す。月もまだ見えているが
主役は太陽に譲られる。野うさぎと卯の組み合わせは月から日へのバトンタッチ、あるいは月と日を合わ
せた世界そのものを意味しているとも解釈できる。
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日本十二支考〈卯〉 164
だいじょうさい
一一月の卯の日に執り行われる。一年で最も太陽が遠ざかるこの日に向かって、太陽はどんどん光を弱め
じつは、最も重要な宮中祭祀である大嘗祭(天武天皇二(六七三)年に開始)は、冬至に一番近い旧暦
ていく。新たに即位した天皇が稲の神とともに儀式的な死を体験し、新たな稲の霊を受けて蘇生する国家
祭祀である。大嘗祭の終了とともに万物は蘇生し、太陽は光の力を取り戻し、新天皇の権威が確固とした
ものとなる。
このように、大嘗祭は稲をはじめ五穀とあらゆる植物を包括する卯の気なくしては成立しえない。それ
ら植物の豊穣は、太陽のみならず、野山の生命力によって支えられている。
この野山の生命力の豊穣をさまざまなシグナルとして示すのが、まさに野うさぎであるのだ。
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図 14 卯の甲骨文字
出典:白川静『新訂 字統』
平凡社、2004
165 日本十二支考〈卯〉
主要文献
赤田光男 一九九七 『ウサギの日本文化史』世界思想社
天野武 一九九九 『狩りの民俗』岩田書院
――― 二〇〇三 『わが国における威嚇猟とその用具 野兎狩りの場合を中心に』岩田書院
家永三郎監修 一九九三 『折本 日本古典絵巻館 鳥獣戯画(甲巻)高山寺蔵〈国宝〉』貴重本刊行会
池上洵一訳注 一九八〇 『今昔物語集8 天竺部』東洋文庫、平凡社
池上洵一 一九八三 「天竺から来た説話―月の兎―」『『今昔物語集』の世界 中世のあけぼの』筑摩書房
石破洋 二〇〇〇 『イナバノシロウサギの総合研究』牧野出版
今橋理子 二〇〇四 『江戸の動物画 近世美術と文化の考古学』東京大学出版会
内山淳一 二〇〇八 『動物奇想天外―江戸の動物百態』青幻舍
河合雅雄 一九七一 「飼ウサギ」『日本動物記1』今西錦司編、思索社
―――― 一九九六 『河合雅雄著作集1 動物社会学への旅立ち』小学館
川道武男 一九九四 『ウサギがはねてきた道』紀伊國屋書店
シートン、アーネスト・T 一九九八 『シートン動物誌
ウサギの足跡学』今泉吉晴監訳、紀伊國屋書店
スタジオ・ニッポニカ編 一九九九 『百分の一科事典・ウサギ』小学館
関敬吾編 一九五六 『こぶとり爺さん・かちかち山』岩波文庫
手塚治虫 一九七四 『ブッダ1』潮出版社
中沢新一 一九八九 『野ウサギの走り』中公文庫
仏教説話体系編集委員会編 一九八一 『仏教説話体系4 ジャータカ物語(一)』中村元・増谷文雄監修、すずき出版
水谷真成訳注 一九九九 『大唐西域記2』東洋文庫、平凡社
南方熊楠 一九九四 『十二支考』上、岩波文庫
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柳宗玄 一九九五 『十二支のかたち』岩波書店(同時代ライブラリー)
山口佳紀・神野志隆光校注・訳 一九九七 『新編 日本古典文学全集1 古事記』小学館
吉野裕子 一九九四 『十二支 易・五行と日本の民俗』人文書院
事典類
荒俣宏 一九八八 『世界大博物図鑑』第五巻[哺乳類]、平凡社
石上堅 一九八三 『日本民俗語大辞典』桜楓社
石川弘義他編 一九九一 『大衆文化事典』弘文堂
井筒雅風他編 一九七九 『日本風俗史事典』弘文堂
伊藤亜人監訳 二〇〇六 『韓国文化シンボル事典』川上新二編訳、平凡社
相賀徹夫編 一九六八 『大日本百科事典』第二巻、小学館
―――― 編 一九七四 『万有百科大事典』 、動物、小学館
川口謙二編 一九九三 『日本神祗由来事典』柏書房
ギブニー、フランク・B編 一九七二 『ブリタニカ国際大百科事典』2、TBSブリタニカ
(財)古代学協会・古代学研究所編 一九九四 『平安時代史事典』角川書店
下中邦彦編 一九八四 『平凡社 大百科事典』第二巻、平凡社
白川静 一九九六 『字通』平凡社
二〇〇四 『字統』平凡社
―――
――― 二〇〇五 『字訓』平凡社
薗田稔・橋本政宣編 二〇〇四 『神道史大辞典』吉川弘文館
日本国語大辞典第二版編集委員会 二〇〇一『日本国語大辞典 第二版』第二巻、小学館
福田アジオ他編 一九九九 『日本民俗大辞典』上、吉川弘文館
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167 日本十二支考〈卯〉
付記
イ
ヒャンス
本稿は、財団法人・韓中日比較文化研究所(ソウル)の依頼により執筆した原稿を元にしており、韓国語版(翻訳 李 淑)
が『十二支神 卯』
(李御寧編 センガゲナム出版、二〇一〇年一〇月、原題『십이지신 토끼 이어령 편 생각의나무』
)に、
「月
うさぎと日本の神話・伝説」
(原題「달토끼와 일본의 신화ㆍ전설」
)
、
「野うさぎと日本の宗教・文化」
(原題「산토끼와 일본의
종교 문화」
)として掲載されている。
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