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<郊外>的な感覚のありか

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<郊外>的な感覚のありか
<郊外>的な感覚のありか
筑波大学講師
五十嵐泰正
これは、昨年度に千葉県柏市において筑波大学社会
学類で行った社会調査実習からのファインディングスに基
づいた報告である。地域に強い愛着を持ちながら、近年
の都市論でありうべき<まち>とされてきたものとは異な
る将来像を柏に望む住民の姿から、われわれは何を読み
解くべきだろうか。
都市の特性把握のためのマトリックス
報告の冒頭に提示したのが、調査プロジェクト全体の作業仮説として設定した以下のマトリック
スであり、サロンでもここを起点として議論が展開された。(このマトリックスは、同調査実習に参加
したハンドルネーム klov 氏の作成した図を、五十嵐が再構成したものである。氏のブログ記事
http://d.hatena.ne.jp/klov/も参照されたい。)
千葉県の委託を受けて 10 の市民イベントの会場で行った数量調査では、この図式上における
「文化×スペクタクル」の象限を柏に期待するのは外来者であり、柏の街に長期居住して強い愛
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着を持っている層であるほど、柏の将来像に文化性ではなく機能性を要望する傾向が顕著である
ことが確認された。この結果は、地域の文化的な固有性や場所性を重視し、地域アイデンティティ
を確立することが、住民のシビック・プライドや地域への愛着を醸成するという、現在広く行われて
いる「まちづくり」戦略の基本的な発想の前提を、掘り崩しかねないものであると言えるだろう。し
かもこの結果は、音楽系・アート系の市民イベントに
訪れた人々を対象とした質問紙調査から得られたも
のなのである。
近年さまざまな形で批判されてきた機能的なだけ
の空間に埋め尽くされてゆく「どこでも同じ」郊外――
たとえば三浦展の「ファスト風土」――に、ザッハリッ
ヒに満足しきっているかのように見える柏市民のこの
「機能」志向を、われわれはどう理解していったらよい
のだろうか。
郊外都市のテイクオフ
この調査結果を受けて橋爪紳也は、「街がどこでも
同じでなぜ悪いという論理にはある種の抗いがたさ
があるが、ほかの街との比較をするようになると必ず
我が街の固有性の有無に眼が向くようになる」と指摘
した。ある程度以上の人口を抱え、商業的な集積が
進んだ郊外の中核都市に、市町村合併などで政治的
な中核機能も付与されてくると、市民にもほかの都市
との比較の視点が芽生え、文化や固有性の領域へ
の発展を欲するようになる--それはまさに、大都市に従属するものとしてしか存在しえず、都市
の対概念でしかありえない郊外が、大都市の重力からひとつの独立した<都市>へとテイクオフ
する瞬間、あらたな<都市>が生まれる瞬間である。報告者はこの数量調査の分析と併せて、柏
のアートスペースにおける実践のレポートも行ったが、郊外の現在を描写するのにサブカルチャ
ー的空間を事例として取り上げることが一定の意味を持つこと自体、従来的な意味での郊外から
柏はテイクオフしつつあることを示唆するものであろう。現時点での調査結果でも、確かに柏の都
市像に機能性を最も強く求めていたのは、長年柏に居住して愛着を持つようになった中高年齢層
=郊外第一世代である。だとすれば、「裏柏」やストリート・ミュージシャンなどのブームを経て、柏
という郊外に自生的に生まれつつあるユースカルチャーを享受している郊外第二世代以降は、文
化的固有性や場所性を重視したより都市的な柏のアイデンティティを模索していく可能性がある
のだろうか。
地理学的に見れば、ここに別の興味深い論点も指摘できる。90 年代以降問題化された「国道
16 号線沿線」に象徴されるような「荒んだ郊外」――柏はまさに、その中央部を国道 16 号線が縦
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断している――は、おおむね東京 40 キロ圏に位置している。このことに関して、ヨーロッパ諸都市
のコンパクトな地理感覚を内面化している何人かのサロンメンバーから、大都市の 40 キロ圏の空
間が郊外として完全に都心に従属的なものとして成立してきたこと自体、世界的に見れば稀なこ
とであるとの指摘がなされた。東京人が当たり前のものとして見過ごしがちな、あまりに広範囲に
郊外が郊外としてのっぺりと成立し続けてきたという事実と、都市化から 40 年以上も経てようやく
真の都市としてのテイクオフ――第二の都市化――を模索している「国道 16 号線沿線」の現在。
そうした郊外をめぐる議論を出発点に据えることで、20 世紀型の産業資本主義に牽引されて、世
界的に見ても類を見ないほど急速かつ高度に膨張した都市としての東京の特性を、逆照射するこ
とも可能ではないだろうか。
<生活>と<ライフスタイル>の関係
またサロンでは、前掲のマトリックスに関して、「機能・生活」と「文化・固有性」という、住民が都
市に求める2つの要素は、背反するものではないのではないかという指摘もなされた。まさにその
通りである。数量調査では質問紙に落とし込む段階で、この 2 要素を対立概念として操作的に取
り扱わざるを得なかったが、報告者の調査チームでも、元来この2つの要素を二階建てのものとし
て構想していた。多くの住民は、「機能」の領域で基礎的な<生活>ニーズを満たした上で、「文
化・固有性」の領域で多様な<ライフスタイル>を楽しむというようなスイッチングを、普通に行っ
ていると考えられるからだ。ロードサイドのスーパーで冷凍食品を買いだめし、ファストフード店で
朝食を、牛丼チェーンで昼食をかき込みながらも、休日の昼下がりにはお気に入りのカフェでボサ
ノヴァとベトナムコーヒーを楽しむ。これがごく普通の現代人の日常だろう。
それでは、柏に「機能」を期待するこの調査結果は、柏で<生活>を満たし、都心に移動して<
ライフスタイル>を満たそうという、古典的な郊外住民のニーズを反映したものなのだろうか。しか
し、必ずしもそうは読み取れない。柏の将来像に「機能」を求める層ほど、実際には休日に柏の街
を訪れる頻度が高く、同時に柏への愛着も強いからだ。むしろ、「機能」的な<生活>にしか関心
.....
を向け得ない層が柏の市民イベントに集っており、同時に彼らは、<ライフスタイル>を楽しむ層
以上に、「どこでも同じ」郊外に愛着を持っていたと解釈するほうが自然に思える。
それは、今回の調査対象者が柏の国勢調査データと比しても、子育てファミリー層と女性が多
かったことに傍証されるだろう。子育て中の主婦をはじめとして、身体の自由がきかない高齢者や、
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日々の長時間労働を強いられる人々は、圧倒的に移動そのものや、移動を前提として「街を選ん
で消費を楽しむこと」、別の言葉で言えば「ほかの街との比較の視点を持つこと」から疎外されて
いる。彼らに<ライフスタイル>の次元を楽しむゆとり
はほとんどない。時間的にも、金銭的にも、さらに言
えば、もしかしたら文化資本的にも。下北沢や中央線
沿線のサブカル・タウンを論じる北田・東が示唆する
ように(『東京から考える』)、文化的な魅力のある街
で<ライフスタイル>にこだわった暮らしを送ろうとす
るハビトゥス自体、往々にして、時間とカネに余裕の
ある一部の独身者や DINKS 世帯の特権である。
階層的に再定義される「郊外」?
三浦展も指摘するように、郊外住民の定着化・ブロック化が進行する一方で――三浦のデータ
によれば、その傾向が最も顕著な地区のひとつが柏を含む千葉県北部だ――、郊外から「出て行
く」唯一の流れは、「勝ち組」化した一部の郊外第二世代の都心回帰/進出であるという(『下流社
会』)。こうした議論では、郊外が「上昇できない/する意欲のない」人々が居住する階層的に定義
された空間になっていることが危惧されており、若者論の文脈でも、比較的低学歴・低階層の若
者たちの「地元つながり」の高まりや「再ヤンキー化」が強調されている(たとえば速水健朗や新谷
周平の論考)。報告者の調査結果も、こうした現状把握と響きあうものではあるが、子育て中の主
.......
婦や中高年を含めた幅広い住民層に、機能的に便利な柏への愛着や定着志向が確認されたわ
けであり、「意欲のない若者」の問題化へと水路づける欲望が感じ取れる一部の議論とは一線を
画す。しかしいずれにせよ、さまざまな領域での社会的格差が増大する今日、郊外は、そうした<
生活>にしか眼が向かない/眼を向ける余裕のない人々が取り残される空間として、内閉しつつ
あるのだろうか。
だとすれば、都心にも<生活>に囲い込まれたものとしての「郊外」は存在している、というよ
り、存在せざるを得ない。都心的なるものがきらびやかにメディア化され、名指されるまさにその渦
中にも、そうした<ライフスタイル>とは無縁に生きざるを得ない無数の人々が存在するはずだし、
そもそもサスキア・サッセンが主張するように、そうした労働者たちのサービス提供に下支えされ
てはじめて、都心のきらびやかな文化は成立するの
だから。そう考えると、<生活>の集積の末にいずれ
は大都市からテイクオフするという意味での郊外とは
また違う、「郊外」の存在可能性が見えてくる。そのた
めには、柏のような 16 号線沿線の典型的な郊外の現
在を見るだけではなく、都心に陥入する「郊外」を見て
いくことが必要なのかもしれない。青山のデニーズや、
六本木のドンキホーテを観察することによって。
以上
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