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協同組織金融における社会関係資本へのアプローチ

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協同組織金融における社会関係資本へのアプローチ
協同組織金融における社会関係資本へのアプローチ
日本大学商学部 長谷川 勉
はじめに
本研究の目的は、協同組織金融における社会関係資本(ソーシャルキャピタル)の機能
及び前者と後者との関係を解明することにある。換言すれば、協同組織金融にとって、社
会関係資本は組織運営上の主要な経営資源なのか、また協同組織金融は社会関係資本を創
出する源泉なのかについて理論的に明確にすることが第一の目的である。そのためにも、
まず、社会関係資本一般についてのこれまでの議論をサーベイし、そして、協同組織にお
ける社会関係資本分析の先行研究を提示することを、第二の課題とした。その上で、これ
まで論じられてこなかった協同組織における社会関係資本の機能と影響について、様々な
社会関係資本の働きから解明することとしたい。このことは、最終的に協同組織金融の競
争優位の源泉あるいは発展要因の分析と同義であると考えられる。
1 社会関係資本におけるメタファーな言及から明確な定義までー先行サーベイ
ここでの課題は、先行する社会関係資本理論を概観することである。そのこと自体、既
に多くのデスクリサーチが行われており、オリジナルな解釈を提供する余地もなく、また
課題でもない。ここでは、そうした鳥瞰を通じて、協同組織金融にとって関係する内部資
源及び外部環境を再考することにある。そのためにも、隠喩的な言説および近年の明確な
定義づけにまで触れておく必要があろう。ここでは、Bourdieu、Coleman、PutnamそしてOECD
を取り上げる。
フランスの社会学者であるBourdieuは、文化資本という概念を用いて、社会的差異、社
会階級の再生産性について論じた。その延長線上において、社会関係資本について次のよ
うに考えていた。彼によれば、文化資本の所有は、所有者の金融資本の資源を正確に反映
するものではないという。それは、家庭環境、学校教育等によって形成され、経済資本と
はある程度独立しているとした1。
例えば、
「異なった個人は、同じ資本であっても不均等なリターンを獲得する、というの
は、彼らが、家族、エリートスクールの同窓生、セレクトされたクラブ、貴族集団の資本
を稼動できる程度によるからである2」というとき、社会関係資本の蓄積の程度が経済活動
の果実に影響を及ぼす可能性に言及していることになる。
換言すれば、
「資本とは社会的関係であり、それが生産され再生産される場においてしか
存在もしなければその効果も生みだしもしない一つの社会的エネルギーなのだから、階級
-55-
に結びついた諸特性のひとつひとつは、その価値と有効性とをそれぞれの場に特有の法則
から受けとるのだということになる3」
。
また、別の個所では、
「社会関係資本とは、資源、行為、美徳の総計であり、多かれ少な
かれ相互獲得と認知の制度化された関係に関する持続的なネットワークを有することによ
って、個人あるいは集団に発生するものである4」と述べている。
さらに、Bourdieuは、社会関係資本については、別のところで、日常用語としてのつき
あいをあげている。例えば、ある特定の人々にとって、社交的な生活こそが、主要な仕事
であることを挙げている。フランスにおけるいわゆる文化人と称する階級は、カクテルパ
ーティーに参加することが、かれらの社会関係資本の再生産に寄与するのであり、またそ
のことが経済資本の蓄積とも関係していると、Bourdieuは考える。そして、それらが、経
済資本に変換されたり、経済資本が社会関係資本に変換される様式を研究している旨を述
べている5。
この各種資本について、それぞれの所有量は各階級によって異なり、かつ生活条件を規
定しているとする。経済・文化資本にもっとも恵まれた層からもっとも貧しい層に分布し
ている。しかも、各階級の間には、経済資本、文化資本そして社会関係資本間の交換比率
をめぐって闘争があるという6。
このように、Bourdieuは、ある一定の人々の生活条件を規定するものを、経済資本のみ
にもとめたのではなく、文化・社会関係資本にまで範囲を広げ、新古典派経済学とは異な
る方法論を提示したのであった。
次に、我々は、Colemanの 社会理論について言及してみよう。
Colemanによれば、
共通の目的を達成するために協力する人々の能力を社会関係資本とし
て定義する。そして、社会関係資本はすべて社会構造のある側面からなり、個人に対して
ある種の行動を促すものであるという。そして、社会関係資本は生産的であり、代用が完
全ではない。ある種の行為を促進するために価値ある社会関係資本は、他の行為者にとっ
て役に立たないばかりか、有害な場合もある。また、他の形態の資本と異なり、社会関係
資本は人々の関係構造に内在するのであって、個人にも、生産の物理的手段にも宿るもの
ではないという7。その上で、社会関係資本の形態として、学生運動における秘密の学習サ
ークル、医師と患者との間の信頼関係、安心感に関する都市間の差異、カイロの商人間の
ネットワークを挙げている。
また、始原的な社会的資本として、その社会構造に宿る諸行為、規範、信頼等を挙げ、
それらが人生の始まりと終わりの依存期の人々を支援したという。そして、それらが解体
しつつあり、
かつ今日における団体組織がその機能の一部を代替しているという。
しかし、
それらは、始原的社会関係資本が果たしてきた機能の一部を遂行しているに過ぎないとみ
-56-
る。
子育てはこのことの典型的な例である。
Colemanは、
この課題の解決に失敗するならば、
「社会が以前あった状態に社会をとどめるだけでなく、物質資源はたくさん持つが、満足
のいく生活に必要な社会的資源を欠いた『貧乏な小さな金持ちの子供』(poor little rich
kids)の位置に、我々と我々の子どもをおく8」ことになると述べている。
Colemanにおいては、
かつての家族やコミュニティーは子育てにとって有効な社会関係資
本とみなしており、例えば、家族構成の変動、引越し等は社会関係資本の減価であり、子
育てには負の影響をもたらすとみる。彼の因果関係分析は、今日の社会学における社会問
題の取り扱いについてノスタルジックな保守的なものとみなされるかもしれない9、その意
味で、十分論争的ではあるが、ここでの課題ではない。
さて、今日の社会関係資本の議論に直接大きな影響を及ぼしたのが、次に述べるPutnam
の考え方である。
Putnamは社会関係資本を基本的に
「社会的ネットワーク」
、
いいかえれば、
「人と人とのつながり」としてみなす。そして、その社会的ネットワークがうみだす一般
的互酬性、誠実性、そして信頼もまた社会関係資本によって表されるものであるという10。
これらは、明らかに、物理的資本、個人の能力・資質に関する人的資本とは異なる。むし
ろ、二つの資本は、社会関係資本との組み合わさることによって、より大きな生産性が発
揮できるという。
社会関係資本が、このように規定されるのであれば、次に問題となるのは、類型である。
定義に関しても、常に曖昧さを孕む危険をもったものであったが、この類型についても、
その発現形態の多様性から区別に苦しめられることになる。Ross Gittel &Avis Vitalのラ
ベリングに基づき、
「橋渡し型」(bridging)と「結束型」(bonding)社会関係資本の二つに
わけて、Putnamは言及している11。後者は、内向き志向で結束力が強く、外に対してしば
しば排他的な行為をとることがある。移民による組織にしばしばみられる。他方、前者は、
外部とのつながりに優位性をもっており、緩い関係で結びついていることが多い。いずれ
にしても、彼においては、両者のもつ負の性格を認めつつも、正効果が高いことを主張し
ている。
この点については、
社会関係資本の研究者の中でも見解を異にするところである。
何故なら、結束型社会関係資本の排他性を含む負の外部効果を問題とするからである。
彼は、このような概念をもって、まずイタリア南北間の発展の差異を、つづいてアメリ
カコミュニティの崩壊過程を分析した。いずれも、社会関係資本の量と質に焦点を当てた
ものであり、その差が経済発展そして政治パフォーマンスに現れているとした。このこと
自体、各学問領域において刺激的な提起をしたことは、既に周知のことではあるが、本小
論の課題の一つはこのことを正面から取り扱うものではない。
ここでは、
Putnamによって、
取り上げられた回転信用組合と社会関係資本の関係に言及し、協同組織金融の中で位置づ
けることにある。これについては後に述べたい。
-57-
ところで、社会関係資本の対象は、今まで見てきたような地域、国家等のみに限定され
るわけではない。近年においては、これらの概念を経営組織内部に適用する試みが随分な
されてきている。例えば、あるビジネス関連の文献においては、上記で述べた社会科学の
成果を引用しつつ、
企業内社会関係投資の観点から、
社会関係資本(ソーシャルキャピタル)
とは、
「人々の間の積極的なつながりの蓄積によって構成される。すなわち、社交ネットワ
ークやコミュニティを結びつけ、協力行動を可能にするような信頼、相互理解、共通の価
値観、行動である12」と社会関係資本を定義した上で、企業にとってのメリットを次のよ
うに指摘する。すなわち、
「・ 信頼に基づくリレーションシップと共通の参照枠組み、共通の目標が確立される
ことにより、知識の共有が改善される。
・ (企業内、他の企業や顧客・パートナーとの関係において高いレベルの信頼と協力
精神が生まれることにより、取引コストが低下する。
・ 離職率が低下し、退職関連コストや採用・研修費用が低下し、頻繁な人員交代に
よる不連続性を避けられる。また、貴重な組織的知識が維持できる。
・ 組織の安定と共通理解により、行動の一貫性が向上する13」であると。
上記のような社会関係資本によるメリットは、度々企業において経験的に観察すること
の出来る事例であり、特に日本企業によく見られたエピソードであり、いまでもかなり妥
当する話である。そこにあるのは、機械設備の生産性や従業員個人の労働生産性への言及
ではない。換言すれば、生産要素の単なる和について求めているのではない。従業員のつ
ながり方あるいは経営陣と従業員のそれが企業の生産性に影響を及ぼすことに焦点を当て
ている。
このことから、企業においては、物的資本、人的資本と並んで、企業内の社会関係資本
を理解することが重要なテーマとなる。もちろん、企業外に存在する様々な利害関係者と
の間に構築されている社会関係資本についても同様のことが言えよう。さらに、このこと
を踏まえた上で、企業は、この資本への投資を行うことが、他の資本と並んで、戦略上求
められてくることになる。このことは、一言でいうほど簡単なことではない。対象が設備
投資や従業員の研修のように目に見えるわけでもなく、生産性、効率性の測定も困難であ
り、つまり費用対効果の測定が難しいからである。にもかかわらず、意識的にせよ、無意
識的にせよ、社会関係資本への投資を行っている企業は存在する。このことは、本小論の
主題である協同組織金融機関と当該資本との関係についていくつかの示唆を与えてくれる
はずである。
このような企業単位における社会関係資本の機能と特質を、企業組織から一国経済のレ
ベルまで網羅して考えたのが、Fukuyama,Fの高信頼社会と低信頼社会である14。彼によれ
-58-
ば、人々の間で高い信頼が見られる社会においては、生産性が高く、他方、相互信頼の低
い社会はその逆であると見る。前者にドイツ、日本、アメリカ等を当てはめ、後者に中国、
フランス、イタリア南部等を挙げる。信頼という社会関係資本、さらにいうならば、
「多種
多様な社会的コミュニティーを創造する『自発的社交性』15」の程度の差に、一国の繁栄
の格差を求めた。
逆に見るならば、相互信頼のレベルが低い国においては、その国や企業を機能させるた
めには、規則・規制そして訴訟・罰則を増やさなければならず、結果として取引コストが
かかることになる。あるいは、取引そのものが停滞する可能性がある。アメリカにおける
訴訟件数の多さとその負の影響、そしてインターネット上における見知らぬ取引相手への
信頼性と取引の頻度を考えただけでも十分であろう。他方、高いレベルの国においては、
この種の取引費用は比較的低く、また取引も活発となる。Fukuyamaは、このことについて、
自著の中で、集団の利益対個の利益、契約に基づく集団対有機的連帯に基づく集団、合理
的計算対習慣、中央集権対中間組織等の二項対立を用いながら、各国の差異を説明してい
る。彼のエッセイは、彼が問題としている新古典派経済学の実証主義からすれば、論証不
足ということになるし、また賛成できない部分もあるが、社会関係資本を広範囲に考える
上で示唆に富む。特に、ボーダーレス的に協同組織金融の理論と事例をサーベイする本小
論において、国ごとの文化的差つまり社会関係資本の蓄積の差がどれほどの意味を持つの
かは検証していかなければならない。
以上のような先行研究を踏まえて、ここでOECDの定義に沿って小括することにしよ
う(OECDにおいては、2001年に社会関係資本に関する報告書を刊行している)
。
まず、報告書においては、社会関係資本の福利へのインパクトを挙げている。Putnamの
教育、児童福祉、近隣地区の活力、健康、幸福、民主的政府と社会関係資本とのプラスの
関係への言及に参照しながら、次のように述べる。
まず、健康について考えると、デュルケーム16が、自殺と個人の社会への統合の程度に
は関係があると述べていたように、社会的なつながりと健康にはプラスの関係がある。逆
に社会的孤立は病気の帰結ではなく原因であると考えられる17。心理学の文献においては、
精神的健康とサポート的な関係との間には確固たる関係があるとしている18。例えば、老
人の孤立と痴呆、アルツハイマーとの因果関係を明らかにした調査もある。いずれにして
も、ひとと人とのつながりに象徴される社会関係資本は人間の肉体的・精神的状態に関係
していることが一連の研究によって明らかにされている。
次に児童福祉についてみると、社会関係資本の最小単位としてみなされる両親の重要性
は高い。ついで、社会的ネットワークがつづく。いずれにしても、児童は、そのような組
織を通して、コンプライアンスや彼らの価値への固守を会得する。
-59-
さらに犯罪についてみるならば、犯罪率は私利、経済的不平等そして社会的信頼と関係
している報告があるとする19。Halpernは経済的不平等を動機、社会的信頼を機会、私利的
価値を攻撃的行動を引き起こす手段としてみている。Sampsonは、アメリカのデータから、
貧困や他の要因をコントロールしたときですら、匿名性、限られた知己、監督されない若
者、低い市民参加に特徴付けられる地域は犯罪のリスクの増大に直面するという20。
公的施設と政府による社会的統合・内包を促進する際の効率性はかなり社会関係資本に
依拠するかもしれない。この点はPutnamの文献群において度々言及される点である。社会
的、市民的スキルは、自発的な市民アソシエーションにおいて育成され、それらのスキル
が、政府のパフォーマンスにプラスの影響を与えるからである。Putnamは、こうした育成
組織を民主主義の学校と呼んでいる。
ところで、社会関係資本の影響をこうした政治的・社会的面のみに限られるわけではな
い。同レポートでは、近年の研究成果を踏まえて、経済的面にまで言及している。
まず、企業・組織における生産性については次のようにみる。企業は様々なタイプのイ
ントラネットあるいは企業間ネットワークに具現化された協力的信頼の規範から利益を得
る存在として捉える。何故なら、これらは調整を促進し、交渉、強制、不完全情報、不必
要な官僚主義から生じる取引コストを低減するからである。
すなわち、経済主体間の信頼ベースの関係は競争優位の一部としてみている。買い手と
売り手は、信頼とネットワークに基づきこしらえられた取引の繰返しを通じて、長期協力
関係と相互義務を維持している21。このことは、一企業の生産性をもって競争力を測定す
るのではなく、企業間ネットワークの存在とその強度によって測ろうとするものであり、
産業集積論においても論じられる視点である。
地域の学習ネットワーク、協力のネットワーク、そして情報の相互流通を可能にする産
業集積は、従来から述べられてきたように、高い生産性をもたらす。これも、社会関係資
本の視点から見れば、物理的に集積された企業群が構築したネットワークの利益であり、
それらに基づく信頼、協力、義務を前提としている。
また、
企業間だけではなく、
企業内ネットワークと協力の規範はチームワークを促進し、
効率と質を高め、情報と知識のフローを改善することができる。日本の製造業にしばしば
みられ、また言及されることでもある。
職探しにおける社会関係資本の役割はBourdieu以降、
しばしば言及されるところである。
個人においてつながりの数が多い人ほど、同じ能力でそれらを持っていない人に比べて、
職業獲得機会が多いとされている。
最後にマクロエコノミーの点から見てみると、
一国のGNPと社会関係資本の指標の一つで
ある個人間の一般的信頼との間には正の関係があるという22。また、信頼は貯蓄、リスク
-60-
テイクそして投資を刺激することができるという研究結果もある23。このケースでは、社
会的信頼の高い地域においては、
家計は現金投資よりも株式投資が多く、
小切手を多用し、
フォーマル金融機関の信用へのアクセスが容易で、逆にインフォーマルクレジットの利用
は低いという結論を導いている。
ところで、社会関係資本の指標の一つである集団に属するということと経済成長との関
係は上記のことに反して明確ではない。Putnamは市民組織と経済発展との間に正関係をみ
たが、他の研究によれば、労働組合、政党、職域・業域における団体等と経済発展との間
の関係はクリアーではないという。また、他のタイプの集団においては、負の関係すら見
られるという。故に、集団に属するということと経済発展とを一義的に関係づけるデータ
には現在のところ乏しいと言わざるを得ない24。このことは、どの集団が経済発展と関係
しているのかを分析するステージに達していることを意味し、さらに、社会発展との関係
においても同時に考察を加えなければならないことも含意している。単なる経済学の範疇
における分析に終始することは社会関係資本の意味を半減することに他ならない。
その意味においては、社会関係資本のインフラストラクチャーという全体と経済指標と
の関係をみることは重要であろう。
1-2 協同組織と社会関係資本に関する先行研究
1-2-1 Svendsen& Svendsenの協同組合論
彼らは、デンマークとポーランドの比較の中から、ソーシャルキャピタルを抽出し、そ
の変容を分析している。19,20世紀初頭において、ソーシャルキャピタルは協同組織によ
って創出され、維持されたが、その後、両国においては、ソーシャルキャピタルのレベル
は異なることになる。なぜなら、共産党政権が信頼と市民生活に影響を及ぼしたからだ。
ソーシャルキャピタルは蓄積するのに長時間を要する。
故に、
共産党政権から解放されて、
今日急速な経済的移行を迎えたポーランドにおいても、ソーシャルキャピタルの蓄積量は
それほど以前とは変わらないという25。このような社会関係資本がどのようにデンマーク
において形成されたのか、特に協同組織との関係はどのように規定されるのかについて、
そして、そこから引き出された理論的フレームワークに焦点を当てるのがここでの目的で
ある。
Svendsenによれば、19世紀中葉に現れた強く内包的な橋渡し社会関係資本のストックの
出現の例は、協同組合運動である26。すなわち、農民が主体となって設立された協同組合
である。発生していた様々な農業問題について、共同事業の実施を通じて解決を図ろうと
するものであった。それは単体ビジネスの結合ではなく、デンマークの協同組合運動は社
会経済的現象としてみなされるべきものであり、個々の社会的経済的要素が分かちがたく
-61-
織り込まれている。すなわち、協同組合精神27を見ることがそこにでき、密接度を高め、
強固な経済的社会的信頼関係によって結びつけられた隣人同士がコミュニケーションし、
訪問し合い、サービスを交換し、互いに助け合うこと、すなわち互いの生活に参加するこ
とによって成立していた。28
なぜ、このような協同組合企業家が地域に現れ、大きな集団を組織したのであろうか、
つまり、自発的な集合財の供給、橋渡しソーシャルキャピタルの創造に貢献したのであろ
うか。この質問は、自発的集合財の供給が地域において経済成長をたかめ、貧困を低減し
たことから重要であるとSvendsenは考える29。集合財を供給することから得られる個人的
経済的利得がマイナスならば、それは個人にはペイしない。集合財は地元の起業家によっ
て提供され、彼らの個人的利得はマイナスであった、つまり起業家が費やした時間と労力
に比べて利得は小さかった。
にもかかわらず、集団は組織された。この矛盾は経済学では説明がつかない。それは、
社会的インセンティブ、すなわちソーシャルキャピタルによってはじめて説明可能となる
という。すべての協同組合はエネルギッシュな起業家によって形成されたのであり、公共
心をもった人々が定期的に会い、互いに知り、信頼し合うことによってはじめて可能とな
る。協同組合を設立する典型的方法は信頼に足る、尊敬された人々の集団に関してあるの
であり、一緒になって貯蓄銀行から借り入れるという行為には、無限責任をともなうので
あり、メンバー間に生じる信頼は重要な基礎であったと、Svendsenらはみる30。
彼らは、まず小さな社会集団において繰り返される定期的なフェイスツーフェイスコミ
ュニケーションをソーシャルキャピタル蓄積の前提とする。そのことによって、農民同士
が互いに知ることが可能となる。フェイスツーフェイス交換を刺激するローカル社会の小
規模な性格は、Maussによれば、社会全体の社会経済的結びつきを強化するため、やがて全
体にこの性格は広がることになった。そして、そのような「誰かを知っている」という連
鎖には、民主主義、トラスト、利益を生み出す平等の可能性を前提としている。信頼は、
共有された規範をベースとした、レギュラーな協同行為のコミュニティーにおいて生じる
期待であり、利益は共通目的の形成と同義であり、一人一票の民主主義は機会の平等を意
味しメンバー間のフラットな関係を促進する。これはSenの基本的自由の考えと一致する31。
そして、そのような関係は、組織構造のイノベーションによって、明確な明文化された
ゲームのルールという形態をとって 公式化された。この協同の公式化は、ルールを犯し
た者に対して、罰則、集団からの排除を含んでいた32。機会主義行動は他者の同様の行動
をまねく、そこには安定した長期コミットメントを発展させることはできないために、罰
則、例えば村八分は抑止力として機能した。Swedbergも同様のこととして、社会構造を再
帰性のパターン化された相互行為として定義し、サンクションによって維持されていると
-62-
した。
この書かれたルールが、標準化された協同組合の設立法の形態として農民間の協同をた
かめ、生産的なソーシャルキャピタルの蓄積を促進した。これらは、Ostromにおいても同
様の言及がなされており、これらは農夫の集団間の実行力のある長期契約における重要な
基礎であった33。これはオルソンの考えを確信させるようにおもえる。すなわち、フォー
マル機関の高い質は予測可能な行動、共通の規範、人々の間の広範囲な協力にとって重要
となったであろう。このことはノースにおいても反映されている。つづいて、このルール
は内部化され、インフォーマル化され、ソーシャルキャピタルの蓄積を促進し、一層の企
業家のリクルートをもたらした34。
つまり、明文化されたゲームのルールの中で公式な組織がキックスターターとして活動
し、それが拡大されたネットワークへといたり、つまりネットワークベースの協同が促進
され、生産的な橋渡し資本の蓄積が可能となり実りある資本形成へと最終的にいたった。
この過程は地域、ナショナルレベルにおいてアソシエーションのネットワークを設立・維
持するいくつもの世代にわたる企業家を生み出すことになった35。
他方、ポーランドにおいても、第二次大戦以前における協同組合運動等は、同様の経路
をたどっていた。
すなわち、
農民経営の組織の大部分は信頼と自発的協力に基づいていた。
そして橋渡し資本の蓄積が19世紀の長いスパンを通じて形成された。
しかし、大戦後、両者はソーシャルキャピタルに関して決定的な相違をみせることにな
る。ポーランドは、周知のように共産主義国家体制となり、すべての経済・社会体制を統
制した。とりわけ重要なことは、協同組合の考えに抵抗し、それは従属化させようと試み
た。協同組合の廃止は最も象徴的な手段の一つであった。市民は決定することよりも命令
に従うことになれた、多分有益な橋渡しソーシャルキャピタルの蓄積は破壊された。とり
わけ、共産主義国家の下で、経済への国家介入がなされ、強力な官僚システムが形成され
た結果、
橋渡しソーシャルキャピタルを破壊し、
結束型ソーシャルキャピタルへと変更し、
市民は誰も信頼しなくなったばかりか、公的な組織に対する一般的な信頼も低下した。や
がて、分断化された社会が形成され、経済衰退へといたらせたのであった36。
Svendsenは、両国の比較から、ソーシャルキャピタルに関して次のように結論付けてい
る。
すなわち、
橋渡しソーシャルキャピタルは経済成長を高める正の外部性として定義し、
過度の結束型ソーシャルキャピタルは負の外部性としてみた。協同組合間ネットワークは
橋渡しソーシャルキャピタルの典型であり、第二次大戦以前のデンマークにその事例を見
たわけであるが、他方、ポーランドにおいては、その両者をみた。
この橋渡しソーシャルキャピタルは定期的な顔を突き合わせる相互行為すなわち個人的
な親密さの原則と一致したお互いさま関係を伴う、社会的制裁と開放的かつ内包的な人々
-63-
の可能性の結果として蓄積、それらは、予見可能な行動、民主的な討論、相互義務と信頼
を育てる。
橋渡しソーシャルキャピタルはアントレプルヌールシップ、集団行動、経済成長、規模
の経済・生産の集中化のような経済解決のネットの結果を考えるとき、重要な生産要素と
なる。
集団の孤立、協力の欠如、一片の社会を意味する結束型ソーシャルキャピタルとは対称
的に、トラストのレベルを引き上げ、自発的取引を可能にする。故に、多くの補助金は橋
渡しソーシャルキャピタルのストックを破壊する。また、自発的組織は公式に制度化され
るべきでないし、サイズは増大させられるべきでない。そうでないならば、繰り返しのフ
ェイスーツーフェイス相互作用の日常効果が、減じられるであろう。同様に、行き過ぎた
集権化がソーシャルキャピタルの地域的損失へと至る。これらは、ポーランドの事例にお
いても、また現代の経済・社会体制においてもそうである。
現代的にみれば、橋渡しソーシャルキャピタルの損失は自由な市場の諸力から生じた利
得から差しひかれなければならないことになる。例えば、農民間に埋め込まれているソー
シャルキャピタルについて理解せず、物理的資本へ投資するならば、逆の効果を生むかも
しれない。生産要素としてのソーシャルキャピタルを理解していなければならない。これ
をSvendsenは新しいソシオエコノミツクスあるいはBourdieu経済学と呼んだ。物的、非物
的資本形態を同一水準で扱うことを意味する言葉である。
このように、彼らは、ソーシャルキャピタルの効用を提示し、それらの形成に協同組合
が強くコミットメントした事例を戦前のデンマークから、そしてそれらの破壊とミクロ・
マクロ的負の効果を戦後のポーランドから導出したのであった。信頼・協力・自発性・自
己決定に満ちた非公式組織たる協同組合の設立はソーシャルキャピタルの形成にとって重
要な要因となるのであって、不信頼・孤立・依存・中央集権的決定はこの資本の破壊へと
繋がると結論付けた。彼らにとっては、協同組合はこの資本を形成する主体的基礎として
みなしていることに大きな特徴がある。
1-2-2 Putnamと回転信用組合
自発的協力が、社会関係資本によって促進される事例の一つとして、Putnamは回転信用
組合を取り上げている。以下において、彼の言葉を要約してみてみよう37。回転信用組合
は、日本では、頼母子講と呼ばれてきたものであり、今日においては沖縄の模合を観察す
ることができる。また、世界中の到る所でみることができる非公式な相互組織である。基
本的には、メンバーは定期的に組合に出資し、順番に金額の一部あるいは全部を利用する
ことができる組織である。そこには、資金を手にしたとたんに脱退するという、いわゆる
-64-
裏切りのリスクがあり、しかもそれらを抑制するサンクションが整備されているわけでは
ない。にもかかわらず、集合行為の論理に反して、メンバーは義務を履行し続ける。従っ
て、メンバーの選択が重要となる。信頼と誠実について周囲から評価されている人物でな
ければ、組合に加入することはできない。そこでは、その人物の評判・名声が必要となる。
この信頼という社会関係資本があることによって、またその信頼がネットワーク間を駆
け巡ることによって、はじめて申込者は加入することができるわけである。物的・貨幣資
本の不足から一般的信用市場を利用できない者にとっても、その社会関係資本さえ蓄積さ
れていれば、組合を利用することができる。
こうして過程を経て創設された組合は、さらにその基盤となったコモンボンドの連帯を
強化するように機能する。こうして、組合と既にある社会関係資本は相互利用を通じて、
そのパフォーマンスをあるいは蓄積を高めることができる。
このように、Putnamは、地域における回転信用組合そのものと、組合における信頼とネ
ットワークの重要性について言及した。
1-2-3 Guinnaneの信頼に関する歴史的分析38
Guinnaneはドイツのライファイゼン型協同組織金融を分析の俎上に挙げ、ソーシャルキ
ャピタルの中でも信頼を中心に言及している。初期のライファイゼン型の詳細は後に述べ
ることにして、ここでは彼の見解を中心にサーベイすることにしよう。
ライファイゼン型は基本的に農村部において長期資金の貸出を主としていた。組合は、
新しいメンバーを拒絶する権利を持つと同時に、ローンの申し込みを拒絶したり、よりよ
い保証や取引条件の変更を求める権利をもっていた。農村部の協同組織金融機関の担保は
連帯保証人であった、ただし、大口は実物資産を求めることができた。供給された信用は
低価格かつ便利なものであり、
中央銀行の最優遇貸付をせいぜい1パーセントを上回るもの
であり、手数料も穏当であった。多くの借り手にとって他の信用供与者は存在せず、せい
ぜい短期資金を高利で要求する金貸しに限定されていた。
このような協同組合におけるデフォルトは稀であり、
組合そのものの失敗も稀であった。
このことから、FrevertはGuinnaneの論文に基づきながら、ライファイゼン型組合におけ
る連帯保証人を信頼の証としてみた。確かに、地区限定することにより、メンバー同士が
互いに知るようになり、他の経済・社会活動の結節点となりうることは確かであり、高い
レベルのソーシャルキャピタルを確保したことは確かであろうとGuinnaneはいう。
しかし、
続けて、信頼が協同組織金融機関の成功を考える正しい方法であるのかについて疑問を呈
している39。
そのことを、彼は実際の貸出業務や運営から明らかにしている。実物資産の市場性がな
-65-
いと判断されたり、
連帯保証人が拒絶されたりもした。
組織運営も洗練されたものであり、
理事会と監査は分離しており、後者は前者に対する監視役として内部的に機能した。外部
監査はこのことを補強した。このことから、ライファイゼン型の成功は制度にあるのであ
って、信頼ではないとした。
成功は、相互認知、デフォルトした借入者への罰則、連帯保証人に求められるべきであ
るという。メンバーは良き人々であるため互いに正しいことをするという感覚の意味で、
互いに信頼することはなかった。メンバーは厳密に書かれた保証、公式な債権そして多様
なコントロールを求めた。もし、高い信頼に基づく運営がなされたのであれば、このよう
なチェック機能を要求する必然性はなかったという40。
つまり、Guinnaneは、借入は、借入者を知っているうえで、返済は借入者の利益につな
がるような契約を構成したことにあるのであって、単なる借入者への信頼あるいは借入者
が信頼に足る者であることを求められるのではないという。
2 協同組織金融の社会関係資本への歴史的アプローチ
2-1 シュルツェとライファイゼン型の基本システム
協同組織金融が初めて現れたドイツにおいて、二つのタイプの基本的な考え方をここで
は明らかにしたい。
1)事業システム
当時のドイツにおいても、今日同様、金融上排除されていたもの、つまり、満足ゆく金
融サービスを受けることができない階層が存在した。そこにそのような不満を解消するた
め、ニッチ市場が生まれた。この市場に参入した組織は、既述したものだけでなく、次の
ような組織も小規模ながら存在した。例えば、裕福な者による援助目的の貸付金庫41、地
方自治体によって補助金を交付されたあるいは直接設立させられた団体(ベルリンには、
1850年において、115の前貸組合があった42)等があった。しかし、これらの組織の運営は
専ら支援者に属し43、従って、需要者による自立的な組織ではなく、中小零細規模の信用
需要者の要求に応えるものではなかった44。そこで、同様の目的を掲げつつ、かつ異なっ
た手法をもってこのニッチ市場に参入してきたのが、シュルツェとライファイゼンの協同
組織金融機関であった。つまり、経済的条件はドイツ協同組織金融の存立を認めた。むろ
ん、このことだけでは協同組織金融を存立させるには不十分である。これについては後述
することにする。ここでは、ひとまず、これらの機関の基本的なシステムについて、資金
調達・運用と管理部門を中心にみていくことにする。
まず、第一に調達資金について述べることにする。これらは、贈与・無利息の借入・有
利子の借入(銀行家・私人等)
、組合員からの加入金・出資金・貯金から構成されていた。
-66-
贈与は、両型にみられ、特に初期においては、組合の趣旨に賛同するその地域の裕福な者
から調達されていた。が、組織の成長につれて、そうした資金の比率は減少し続けていっ
た。無利息の借入についても、利息が免除されているという点で、贈与の形態に極めて類
似していた。1852年末のシュルツェ型の組織では、280ターレルの利息付き借入に対して、
無利息借入は44ターレルであり45、無視できない額ではあったが、発展とともに、贈与と
同様、比率は低下していった。そして、全体的には外部直接借入は減少する傾向にあった。
ただし、
シュルツェ型よりもライファイゼン型の方が低下の速度は遅かったと推察される。
というのも、後者においては依然として小農の資本蓄積は進行しなかったことと、経営
政策の相違からである。それは、次の有利子借入に関する見解からも証明することができ
る。すなわち、ライファイゼン型組合においては、
「相互金融の機関としてではなく、借金
組合として出発したのである46」と村岡が述べているように、外部資本依存(三ヶ月の解
約告知をともなう借入金)が常態化していたのであった。そして、それを支えたのが無限
連帯責任であり、さらにこれを支えたのがものの貯蓄としての不動産であった。つまり、
土地という財産の上に立脚した無限責任であり、無担保な状態に基づく無限責任ではない
ということを認識しておかなければならない。このように、農村経済が可能にした土地に
基づく無限責任に依存し続けた結果、外部資金調達からの脱却がシュルツェ以上に遅れた
と考えられる。
ただし、都市部のシュルツェ型においても無限責任が無視されたわけではない。彼にお
いても、ライファイゼン以上に、無限連帯責任が重要な意味をもっていたのであり、手工
業者・小営業者といった無資産に近いものにとっては対外信用を得るための重要な手法で
あった(無限責任は時代の要請であり、組合員の経済状態が改善されれば、特に貯蓄の蓄
積が進行すればするほど、あるいは組合の内部留保が厚くなればなるほど、無限責任への
意思は低下しつづけることになる。それは個々の組合員が全財産を挙げて、保証してまで
外部資本を導入する必要性が減じたからである)
。しかし、シュルツェ型のメンバーのエー
トスは無限責任を長期的に認めようとはしなかった。また、出資を加入条件としているこ
とから、必然的に階層は限定され、有限責任を志向する階層になったものと考えられる。
そのため、ライファイゼン型以上に自己資本・内部資金調達の必要性は高まった。
しかし、このような両者の相違はあるものの、無限責任に依拠しながら永続的に他人資
本を調達しつづけるわけには、安定性の観点からして、困難である。そこで、速度の違い
はあれ、組合の発達とともに、両組合とも員外からの借入依存から脱却し、組合員調達を
増加させていくことになる47。ここで、焦点となるのが、組合員内部からの資金調達であ
り、両タイプの相違を鮮明にする。まず、入会金についてであるが、シュルツェはこれを
徴収した。都市部において換金可能な財・サービスを生産しているメンバーにとっては、
-67-
財産を担保とするよりも現金を提供する方が容易であった。他方、ライファイゼンはその
ことを考えなかった。何故なら、前節で見たように、貧困状態の農村部においては現金収
入に乏しく、それは不可能であると考えたからに他ならない。また、信仰上の理由からも
そのように言える。
次に、出資についてみると、シュルツェは最初から徴収したが、ライファイゼンは否定
的であり、法律により強制された後ですら、最小限度に止めることを推奨していた。前者
の考えはこうである。出資は、外部依存からの脱却、組合員自身の資本蓄積の強化、そし
てこれらによる流動性リスクの軽減による安定性の確保を意味していた。従って、出資額
を高める誘因として配当を設定した、しかも近隣の貯蓄金庫より高い配当を設定した。そ
して、この配当を現金で組合員に還元するのではなく、出資に組み入れることによって自
己資本の強化を図った。尚、出資は分割払いが認められていた。他方、後者の場合、出資
は経済的環境から不可能であると考えられていた。農村部においては、組合員上層が連帯
保証として提供する、組合借入額を大幅に上回る担保は存在するものの、現金は存在しな
かったのであり48、その出資意思に関係なく、客観的に不可能であった。その意味で、貨
幣経済化の浸透速度は緩慢であった。また、主観的には上記の担保量からして必要ないと
いうのがライファイゼンの主張であった。
貯金については、シュルツェもライファイゼン(初期においては眼中になかった)も肯
定しており、必要額以上の場合でも、零細な貯蓄に関しては積極的に受け入れていた。こ
れには、経済的意義だけでなく、道徳的意義も含有していた。ところで、ライファイゼン
において言えることであるが、出資と貯金の違いが不鮮明であった。いずれも、ライファ
イゼンにとって高さの違いこそあれ金利という形で配当している貯蓄であることに変わり
はなく(ただし、流動性の相違はある)
、内部調達資金を厚くする目的には変わりはない。
もし、ライファイゼンが出資を加入時一括払いのみと考えた上で、その金額の高さ、強制
的性格を懸念したのであるならば、当時の状況から判断すれば、ライファイゼンが考える
ほどの両者の差異は存在しないように思われる。というのも、シュルツェ型においても、
その立地状況に基づき、出資の分割払いが一般的であり、一種の積立の貯金方式と大きな
相違はないからである。従って、ライファイゼンは出資に関して表面的に解釈していたの
かもしれない。いずれにしても、両者は自立的な資本蓄積を肯定していた。
ただし、
どのような資金調達ルートであれ金額の高さは両者の相違といわねばならない。
そのことは前節で述べた経済的条件の相違に依拠する。換言すれば、ライファイゼンの借
入→生産→生産手段・家屋等の蓄積(貯蓄)とシュルツェの出資→生産→配当という経済
循環は、前者がものの貯蓄49を後者がかねの貯蓄を重視したという構図を示すものであり、
必然的に、
シュルツェは組合員に対してライファイゼンと比較して高い資金調達を求めた。
-68-
また、その相違を可能にしたのは、当然の事ながら両者が属する業種の景況の相違であっ
た。
以上のことから、シュルツェとライファイゼン型との間には、資金調達方法(外部負債
借入・出資・貯金)
、金額に相違があり、これは主として経済的条件の相違に依拠していた
ことがわかった。従って、度々言及されるような思想・理念上の相違からではない。経済
的条件が主因となってそれを規定したのである。すなわち、無限責任か有限責任、無出資
か出資との間の選択は理念的にも突き詰めることは可能ではあるが、そればかりでなく、
メンバーが持つ資産・現金所得との関係からも説明が可能なのである。
次に、第二として、資金運用についてみてみよう。これらの中心は、いうまでもなく貸
付であった。これは、ライファイゼンにおいては短期・中期・長期が設定されていたが、
農業経済の性格上また資本主義的生産方法の採用が求められるにつれて(すなわち、単純
再生産の補填から飛躍的な生産性向上のための手段・耕地改良等)
、長期貸付が重視される
ようになり、この点が、短期貸付を重視するシュルツェの批判対象となっていた。彼が問
題としたのは、要するに、短期資金を原資とした長期貸付は期間構造の不一致であり、流
動性不足を惹起する可能性が高いというものであった。これに対して、ライファイゼンは
債務者に対する4週間解約告知期間留保50をもってこのリスクを回避できるとした。しかし、
この考え方は、矛盾しており、長期貸付の意味をなしていないだけでなく、流動性リスク
には理論的に耐えうるものではなかった。が、ライファイゼンは過去の危機的状況のもと
においても、債権取立は生ぜず、経験上問題ないと考えていた51。むしろ、都市部の金融
機関の方が危険であると主張していた。なぜ問題がなかったと経験的にいえたのか。ライ
ファイゼンの考えとは別に筆者は以下のように考える。すなわち、第一義的には組合に対
する信用が高かったこと、流動性リスクに地域差があり、そのリスクが低かったことが想
定される。換言すれば、内生的・外生的に関わらずショックが生じた際に、地域住民の反
応には差異があり、閉鎖された空間においてより強固な共同体が組合を中心に形成されて
いる場合には、引出しが頻発するわけではないということが考えられる。今日でも、この
点は重要である。
さて、この流動性リスクに加えて、考慮すべき点は信用リスクである。両者とも、この
計測にあたって、事業の存続・成長可能性の他に、何よりもまず借入者の誠実・勤勉・秩
序等の道徳的部分を重視している。それは、たとえ返済する資力があったとしても、モラ
ルハザードが発生する可能性は当時においては今日以上に高かったからである。そこで、
その為に、採用された手法は保証人制度であった。保証人ほど、借入者の支払能力につい
て掌握している人物は他にないからである(金額に応じて保証人数が変わる累進的仕組み
も導入されていた)
。また、組合員情報を獲得する能力が高い委員も選出されるべきとされ
-69-
た(シュルツェ型の組合にはこうした審査に基づき組合員の信用リストすなわちクレジッ
トスコアリングが存在した)
。さらに、ライファイゼンにおいては、土地への抵当権の設定
や動産担保の提供を求める場合もあったという52。シュルツェにも、こうした記録はある
が、恐らく、対人信用が中心であったと思われる53。
以上のことから、両型においては、対人信用という点で一致し、かつ保証人制度を求め
ることでも一致していた。それは、情報生産費を低減させ、ランニングコストを引き下げ、
かつ貸倒リスクを軽減する有効な手法であった。しかし、物的担保については、ライファ
イゼン型の方が求める頻度は高かったと推察される。それは、前に指摘した階層間差異に
基づく物的担保量の差異と貨幣化の程度を反映していた。
このように、資金は、様々なリスクを管理しながら、組合の管理費用・配当金・準備金・
借入金利払い・預金利払いをカバーする程度の金利を課して、生産資金として(ライファ
イゼンにおいては、時に生活資金として使用されることもあったが)貸出された。他方、
流動性確保や単なる余剰として貸出されない資金も存在した。その場合は、中央預け金、
他の金融機関への預金、証券投資(20世紀になるまでは金額が少なかった)へと向かった。
そして、こうした過程を経て生じたのが、剰余金であり、問題となったのは配分である。
配当は、株式形態企業においてはほとんど理論的には問題とならない(近年のステイクホ
ルダー議論に照らせば別であるが、基本的に株主の所有高に比例する)
。他方、協同組織型
は理念的に議論の対象となる。しかも、意思決定の為に考慮しなければならない項目は多
い。売り上げから管理費用、借入利息、貯蓄に対する利子を差し引くことにシュルツェ、
ライファイゼン共に相違はない。
相違は出資への配当と不分割基金ないしは準備金にある。
シュルツェは積極的に、利用高・組合員の頭割りではなく、組合員の持ち分すなわち出資
金に対する配当を行った。そのことは出資に対する誘因となった。ただし、それらは、出
資金増強の為に組合内部に出資として止まることが多かった。これらを通じての彼の目的
は貯蓄意欲の増進、それによる景気変動に左右されない為の自己資本の増強、そして自助
と所有と所有感の創出であった。しかし、過剰配当に対する批判がなされ54、後には配当
ハンター55が登場することがあった。
他方で、ライファイゼンはこの配当を全く行わなかった。というのも、出資金を取らな
いかあるいは僅少であり、反対給付をする理由がないからである。また、利用高配当も存
在しなかった。そこで、彼が重視したのは、利益の不分割基金への繰入であった。これは
組合の共同財産であり、組合が仮に解散したとしても、その村落・教区の内部において公
共的な目的ないしは組合再生の為に使用されることになっており、組合員に分割される意
図はなかった。その背後には確固たる村落共同体が控えていたのであり、組合という民間
組織であっても、その一部として共有されるという意識があった。これに対して、シュル
-70-
ツェ型においても、準備金という形で、組合内部に積み立てられた。意図はライファイゼ
ン同様、組合の強化にあったが、こちらの方は、解散の場合、組合員に分割される性格を
もっていた。従って、両者においては、組合資産の所有を巡って相違があり、ライファイ
ゼン型の社会的資本、シュルツェ型の私的資本として分類する事が可能となる。そのこと
は、ステイクホルダーの観点からして前者はより広い階層を想定したのに対して後者は限
定的であったことを意味する。また、前者は地域共同体と一体化するのに対して、後者は
地域の一セクターに過ぎないことを含有している。その場合、危機に陥った際、地域はこ
れら組織に対して全く異なった対応を示すであろう。しかし、いずれにしても、危機に陥
る前に、両者が損失に備え各々の組織の自己資本強化に努めたことは確かである56。
2)組織
さて、この節の最後として上記の資金フローを管理する両者の管理組織についてみてみ
ることにしよう。周知の如く、基本的には、両者の間に大きな相違はなく、最高意思決定
機関としての総会、この総会の選任に基づく理事会・監理委員会(ライファイゼンの場合、
初期においては理事会のメンバーと同一であった。それは、委員の不足と理事会に対する
絶対的信頼に基づいていた。というのは、委員は、私財を提供するため、モラルが高く、
かつ保守的となる為、必要以上にリスクを抱えることはないとライファイゼンが考えたか
らだ。しかし、1867年の協同組合法によって分離した。
)
、そして理事会が任命する会計士
(出納役)となっていた。理事会は、そのメンバーの道徳的素養を前提として、組合員に
対する金融を通じての教育(ビジネス、その他)
、組合員に対するリスク管理すなわち情報
生産、付随機能を果たさなければならなかった。会計士は文字通り、理事会で決定された
業務を実際に遂行する役割を果たす。それ故、それは単に資金の出し入れと記録に止まる
ものではない。そして、監理委員会は、これら決定・遂行された業務を定期的に監視する
ことを目的としていた。
良い組合は良い監理委員会を有しているといわれるほどであった。
各々が決定・実行・監査の機能を分担し、峡域で密接な人間関係をもつ社会において起こ
りがちな情実融資を牽制する仕組みが構築されていた。小規模な金融機関にとって信用が
第一であり、
不正・不公平は信用を損なう第一の原因として排除されるべきものであった。
こうした任務は、
ライファイゼンにおいては、
会計士を除いて無報酬が原則であったが、
シュルツェにおいては、報酬を認めていた。前者の役員は、共同体内部でも、相対的に富
裕かつ知識人層であって、村落長・牧師・教師等がついていた57。この名望家達が自らの
財産をもって連帯保証を行った為、彼らが組合を制御することは、自らの財産保持と組合
の健全性という観点からして望ましかった。そうした富裕層が貧者を救済するという構図
を支えたのが、ライファイゼンによれば、キリスト教の隣人愛であった58。詳細について
は後述したい。他方、後者の考えでは、組合業務には、できる限り多くの組合員を参加さ
-71-
せることにあり、フラットな階層はそれを可能にした。これにより、組合の運命への関心
と責任感を保持することが意図された59。しかし、総会に限って言えば、出席率はライフ
ァイゼン型に比べて低下する傾向にあった。これはより専門的な金融機関化したためであ
ると思われる。ここに、経営と運動の乖離という協同組織金融における重要課題の萌芽が
みられることになった。他方、ライファイゼンにおいては、その機構を支えていたものが、
限定されたメンバーのもつ隣人愛であり、それを受容する共同体であったが、それはシス
テムに依存するわけではなく人に依存することになるため、その人と精神性の確保に常に
課題を残すことになる。
尚、後に中央機関が設立され、各協同組織金融機関の資金過不足の調節、新規金融機関
設立への支援、各協同組織金融機関への検査、教育活動・業務の統一化・普及が行われる
ようになった。ライファイゼンはこれらを積極的に採用したが、シュルツェは独立という
点から否定的であったことは興味深い点であり、この点についても後に抽出・分析してみ
たい。
このように、幾つかの点で相違を示しているが、後の協同組織金融と比較して両者を完
全に区別するほどではない。というのも、この当時、業務がまだ高度化していなかった為、
管理システムに関して傾注することが少なかったためであろう。しかしながら、理事会等
の構成メンバーと無報酬、そして連合組織という点で両者は相違を示していた。何故、そ
のようなことが生じたのであろうか。それは、ライファイゼンとシュルツェのもつ非経済
的要素とそれに基づいて集結した担い手の属する階層のエートスに相違があり、それが投
影された結果ではないかと筆者は考えている。
2.2 イタリアの協同組織金融
イタリア協同組織金融の創設者であるルツァッティは60、1841年3月にベニスに生まれ
る。彼の両親はユダヤ系イタリア人で、かなりの裕福であった。その中にあって、彼は幼
少のころより自由に教育を受けることが出来た。パドヴァ大学の法学部を卒業し、政治経
済学を講義することになるが、オーストリア政府にその見解を危険視されることになる。
彼は、ヴェネツィアを離れ、新生イタリア王国へと移住し、1863年に、ミラノ工科大学で
職を確保する。1864年には、シュルツェの協同組織金融を研究するために、ドイツへ行く。
そして、1864年に、友愛組合と提携して、ローディにて、最初の庶民銀行(The Banca Mutua
Populare Agricola)を設立する。前節で論じた農民層の状況を鑑みるならば、彼が、農民
層のための信用組合を組織したことは驚くにあたらない。しかし、その後の道はライファ
イゼン型を導入したウォーレンボルクに譲ることになる。1866年には、ミラノで、農民向
けではなく、事業者・労働者向けの庶民銀行を設立するようになる。これが彼の庶民銀行
-72-
設立までの経歴であるが、彼は、これらとは別に、政治的経歴をもっており、これが彼の
理論を評価する上で様々な影響を与えてきた。彼の最初の政治的経歴は、1869年における
農商省の事務官に始まり、1891年に、大蔵大臣となり、1896年に、再び大蔵大臣に、さら
に、1903年には、三度目の大蔵大臣となっている。また、この間、産業関係の大臣も勤め
ている。そして、首相にもなっている。このように、彼の政治経歴は、多彩であり、この
時期の政治史を研究する上で、彼の存在を省くことはできないのである。が、我々の課題
は、彼の政治の軌跡や彼のその方面に与えた影響を探ることではない。ここでの課題に戻
ることにしよう。
さて、ルツァッティは具体的にどのように資金運用を構想したのであろうか。まず、資
金調達からみてみることにしよう。資金の調達方法には、出資、預金、債券、入会金があ
った。これらの方法は、表面的には、先行した協同組織金融機関に共通しているように思
われるが、内容においては、異なっている。逆に言えば、それぞれに地域・国・時代によ
って、名称が同一であっても、質的に異なるということである。出資金は、当時のドイツ
のシュルツェ型に比べて、小額であったという61。シュルツェは、貯蓄を強制することに
よって強制的に貯蓄を蒐集する銀行を目指した62。確かに、強固な資本を迅速に蓄積する
ためには、最も有効な手段であった。しかし、ルツァッティはそうした手段を採用せず、
小額出資としたが、その一方で、出資分割払いの期間を短縮しようとした。そこには、庶
民銀行に対して、小額ではあるが限定的で確実な資本を提供することと、低所得者層への
参入障壁を低くするという意図があった。ただ、後者については、短期的に小額とはいえ
払い込まなければならないということ、そして当時の絶対額から考慮すると、必ずしもそ
うとは言えなかったという批判もある63。いずれにしても、額が小さい故に、積極的な出
資の完全な払込の推進がなされる一方で、組合員を大量に集めることにもつながった64。
イタリアの庶民銀行がドイツの協同組織金融機関に比して、巨大となった一因がここにあ
るといえるであろう。また、潜在的な資金需要があったことの証左である。
それ故、後に述べるように、この巨大な組織を運営するために、旧来の組織運営とは異
なった組織原理を必要とした。つまり、ドイツ型とは異なる手法が必要された。それは、
ドイツ型からの飛躍であり、新しいタイプの発生であったと筆者は考えている。他方、巨
大化の弊害として、単体が大きいことから連合組織が長い間形成されず、連合による最低
限の統一的性格の付与ができなかった為に個々の庶民銀行によって性格が異なることにな
り、協同組織金融機関としての統一した像が往々にして作りだされなかった。尚、この出
資金の性格は、貸付資本というよりもむしろ保証資本として機能した。つまり、現在でい
う自己資本として庶民銀行の債権者(預金者、出資者、債券購入者)に対して一定の保証
を与える役割を果たした。その点で、出資金を貸付資本として運用する他の協同組織金融
-73-
機関とは異なっている。恐らく、その背景には、イタリアの金融社会における庶民銀行に
対する認知度の低さと当時の繰り返し発生した信用不安があるのであろう。また、同様の
意図をもって、入会金についても、保証資本として機能していた。
次に、預金についてみてみよう。預金は、ルツァッティの独立の思想を支える要である。
ライファイゼンは富裕者からの借入等により、自己資本蓄積の乏しい農民に対して資金供
与を行ったが、ルツァッティは、そうした行為よりも、むしろ預金に依拠した65。それは、
独立という点だけでなく、ドイツと異なって無限責任を否定し、有限責任を導入した時点
からの当然の帰結であったし、協同組織金融機関における資金調達の中で簡便な手段の一
つであった。だが、ルツァッティは貯蓄をこうした資金調達手段としてよりも、むしろも
っと広範囲な文脈で捉えていた。つまり、貯蓄はものとかねの節約であり、経済的には自
己の資本蓄積を形成するが、他に自立共助の考えを育成するための教育手段にもなりうる
と考えていた。そして、さらに、貯蓄を地域資金循環の核として考えていた。この考えは、
貯蓄資金がミラノ等の大都市に集中し、それ以外の地域では資金枯渇している資金偏在を
反映していたのであろう66。
このように、貯蓄にはルツァッティにとって様々な意義が含蓄されていたが、そこには
欠点もあった。その簡便性の表裏として引出し可能性、つまり流動性が高かった。そこで、
これを補完する形で考えられたのが、長期の利子生み債券であった。そしてこれは、流動
性の高い預金としてというよりも長期保有の目的で購入されたようである。しかし、利子
率も高く、庶民銀行にとっては重荷であったと推察される67。ただし、債券が資金調達全
体において占める割合は小さく、またこの試みは期待したほどは成功しなかったといわれ
ていることからして68、重要視すべきではない。また貯蓄預金の引出しも実際には結果と
して問題にはならなかった。いずれにしても、この事に関しては、資料が不足しており、
ルツァッティの詳細な考えとその結果が不明であり、後の検討に委ねたい。
最後に、上述以外の資金調達手段として、シェアは小さいながらも、貯蓄銀行や友愛組
合からの有償・無償の支援があったことも付言しておきたい。それは、これらの組織が、
全組織ではないにせよ、社会的目的を持つ機関として認知されていたことを意味する
さて、次に資金運用についてみる。ルツァッティは、恐らく二つの、すなわち、引受手
形割引と現金信用を認めていたと想定される。引受と現金信用の間には、生産物とサービ
スの生産時点を前後するという意味において、異なった性格を有するが、ルツァッティが
融通手形を拒絶するという観点から考えれば、いずれの種類も基本的には、実物経済に根
拠を置いているということで一致する。すなわち、生産的・家政的目的以外の貸付は拒絶
されたということである69。そこで、これらを踏まえた上で、担保として最も重要視され
たのが、借入者の性格であった。この性格とは、
「誠実」を意味し、ルツァッティによれば、
-74-
この行為をもって、
「誠実の資本化70」といわしめたほどである。そして、それは、複数の
保証人によって、確認され、補強された。そこには教育的な意義すなわち相互信頼の熟成
の必要性が付与されていた。筆者は、協同組織金融を形成する上で、メンバー個人のシグ
ナリングと情報生産が重要だと考えている。そして、それは他の企業形態によっては完全
に模倣できない手法である。また、経営的に見ても効率的なシステムであるといえる。さ
らに、これを補強する形で、様々な動産担保が用いられた。それは、職業や事業によって、
様々であった。むろん、こうした二次的担保は借入の絶対的条件であったというのではな
い。あくまでも「性格」が第一順位を占有していた。他方、このような動産に対して、不
動産担保は敬遠された。また、出資に基づき2倍まで貸出を行う仕組みがあったが、有産
者優遇という理由で強い批判に常に晒されていたし、全ての庶民銀行において行われてい
たというわけではない。
貸出額は、一般的に小口であった。それは、彼の非集中化という思想が反映された結果
である。しかも、リスク分散と流動性を高めるという結果にもなった。
尚、オナーローン(Loan of Honour)という制度を取り入れた庶民銀行もあった。これ
は、貧しい人々に対して、貸し付ける制度であり、慈善ではないが、貸付に際して、金利
やその他の条件等で様々な優遇措置があった。これは、
”to please Luzzatti”と呼ばれて
いた。
さて、上述の如き様々な貸出を通じて、庶民銀行にはその結果として一定の収入そして
収益が確保されることになった。この収益は、他国の協同組織金融機関において見られる
ように、四分の一から三分の一の割合において、準備として蓄積させれられた。そして、
残余に関しては、組合員に配当されたのであった。尚、後に、ルツァッティの意図とは別
に、イタリアの庶民銀行の一部には、収益の一部を借入者に還元する動きもあった。
以上の如く、資金の調達・運用の仕組みについて見てきたが、次に、それらを可能にす
る庶民銀行の組織について述べてみることにする。タッカーが、
「全く無給の職員によって
この複雑な仕事を行うために、ルツァッティは必然的に複雑な管理組織を工夫した71」と
述べているように、ルツァッティ型庶民銀行は多くの委員会を有し、運営を行っていた。
まず、総会であり、全ての組合員が参加でき、出資額に関係なく、一人一票の権利を行
使することが出来る庶民銀行における最高の議決機関である。この総会は通常一年に一回
であるが、理事会の一定数、あるいは組合員の一定数の発議がなされた場合、緊急に招集
することが出来た。
しかし、年一回の総会では、庶民銀行を実際に運営することは出来ない。そこで、理事
会(Consigrio)がある。この理事会は、庶民銀行の業務の全てに対して、その実行に関す
る最終権限を有している。それ故、この権限の不正使用、つまり経営管理リスクを防止す
-75-
るために、理事会のメンバーは、毎年三分の一ずつ、総会の選挙によって改選された。ま
た、無給であった。
次に、この理事会を現実の実務面から支えるのが、運営委員会(Sindaci)である。この
委員会による経営管理機構は理事会の意志を忠実に実行することにその使命がある。その
意味で、事業時間における理事会の代理として全ての権限を有している。基本的に、職員
は無給であり、総会ではなく、理事会によって任命された。
ところで、これら組織は主として庶民銀行全般を扱ったものであるが、次に見るのは、
より個別的な委員会である。まず、挙げなければならないのは、貸付委員会(Comitato di
sconto)である。この委員会は、他の委員会に比べて、年次総会によって、二年を任期と
して、比較的大きなメンバーによって構成されていた。そして、この委員会は、理事会や
運営委員会からも独立した存在になっている。そのことによって、組合員から申し込まれ
た融資の承認・拒絶に関して独立性を確保しているのである。また、この委員会は、業務
の円滑化を意図して、組合員による融資申込みの有無に関係なく、組合員の信用度を計測
し、記録(Castelletto)に止める作業を行っていた。
さらに、この委員会に続いて、貸出に関して、リスク委員会(Comitato dei reschi)が
存在した。この委員会は、
「全てのローンと貸付の軌跡を記録し、全ての借入者と保証人を
記録にとどめ、支払い能力に支障をきたすかもしれない全ての事実をノートする72」こと
にあった。前述の委員会が、借り手の支払能力に関する情報の収集・分析する能力を果た
す機関であるのに対して、いま述べている委員会は、むしろ借り手の支払努力を監視し、
債権の保全を目的とするいわば債権管理機能を発揮している機関であった。
ところで、貸出に関して付け加えたいことは、オナー委員会の存在である。前述の貸出
に関する運営を司る委員会である。
これは全ての庶民銀行に存在していたわけではないが、
存在していた庶民銀行では、損失も少なく73、委員会の意図は成功を証明していたと考え
られる。この意義については後に述べることにする。
最後に、ルツァッティ型庶民銀行の全機構の行為に関する苦情の申立を受ける調停委員
(Probiviri)の委員会があったことを明記しておきたい。この委員会は、組合員の融資申
込みに対する拒絶や除名処分、非組合員の加入拒否等の申立を調停する組織である。この
組織の決定は最終的な判断であり、絶対であった。
2.3 デジャルダンのケースポピュレールの特質―カナダの協同組織金融
ここでは、クレジットユニオンの原型であるカナダの協同組織金融を特質に限定してみ
ることにしよう。
第一に、彼は協同組織金融機関の営業範囲を教区という地域の枠組みに厳密に規定した
-76-
ということである。すなわち、棚町が「当時カトリック教会の小教区(paroisse, parish)
はそのまま行政単位、地域共同体であったから、ここにつくられた信用組合は共通信仰、
自然近隣、同一行政区という三つの絆によって結び合わされた信頼共同体であった74」と
述べているように、いくつかのコモンボンド(共通の絆)がここに重層的に存在していた。
このように、小地域に限定するのは、住民同士の信頼の度合いを増加させ、互いの生活情
報を把握することによって、信用リスクを軽減し、組合資金の安定性と流動性(流動性選
好)を保証する効果があった。別言すれば、山口茂が造出される貨幣の方法について「向
こう三軒両隣貨幣75」と述べているように、信用組合から貸出される資金は、相互理解と
相互信頼によって容易に創出される。地域貨幣は自己が他者を信頼・信用することによっ
てのみ、創出され、流通し、還流してくるのである。組合資金の容易な創出性・安全性は
こうした形で保証されてゆくとみてよい。しかも、小教区は、協同組織金融機関の情報生
産費を低減させ、取引費用は低下させる効果があった。これらは、意識的にせよ無意識的
にせよ、彼の信用組合を成功させる重要な条件であったといわなければならない。と同時
に、経済的・政治的・キリスト的形態規定が働いた結果である。
ただし、我々が注意しなければならないのは、これら三つの共通項がなければ、協同組
織金融の存立条件を充足していないと言うのではない。デジャルダンは、設立の基盤とし
て、教区・友愛的組織・区・近隣組織・団体を挙げており76、必ずしもすべての要素を要
求しているのではない。アメリカにおいては、職域の組合が多いことはこのことの証左で
もあろう。ただ、こうしたコモンボンド条件が重複すればするほど、成功確率は高くなる
ことは確かである。
第二として、ヨーロッパの初期の信用組合においてはほとんど採用されていた対人信用
である。デジャルダンは「庶民金庫の組合員の性格・誠実・高潔・道徳上の習慣77」とい
い、組合成功の条件としているが、ここでは、借入に際して次のように適用される。つま
り、借入の第一担保は、人的担保であり、借入者にとっての最高価値である。一方、商業
銀行が第一とする物的担保はここでは二次的であるに過ぎない。不慮の事故、例えば病気
や失業等を除けば、
「誠実」は資金の利用方法を明らかにさせ、返済を確実にする人間のも
つ価値であり原理である。もちろん、誠実だけがこのことを保証するのではなく、キリス
ト教の様々な戒めは同様の働きをする。
デジャルダンが人的担保という言葉を用いるとき、
行間にはクリスチャンの精神が非経済的形態規定条件としてある。そして、これら良き性
格の多くは、
地上にではなく天国に宝を積んでいる労働者や農民が持っていると主張する。
それ故、彼らの為の組合がその彼らの唯一の財産を担保として貸し出すという行為は必然
的であるともいえよう。また、一節において述べた経済的条件によって析出されたメンバ
ー層を分析した結果である。
-77-
第三に、節約・倹約精神の高揚が挙げられる。協同組合運動の中で、彼はこの運動を重
視した。というのは、節約精神は、怠惰な生活、浪費を戒めることによって、貧困からの
脱却を促そうとしたからだ。デジャルダンは、貧困原因の一部は、怠惰な浪費的な生活に
あるとみていた。その為、庶民金庫を節約の学校として位置づけ、さらには、
「子供もまた
組合員であるべきである。何故なら最初の歳のころ悲しくもわれわれの性格のなかで急速
に発展する浪費と大食いの本能と戦うことは彼らにとって最も重要であるからだ78」と主
張している如く、子供にも節約の精神を浸透させる為に、学校に子供金庫を創設し、倹約
教育を促進したほどであった。生育期における社会的環境の重要性を認識していたのであ
り、長期的に見れば、協同組織金融の形態規定条件として正の方向に働く。
これらの意義は、組合員の蓄積による生活改善、組合の自己資本の強化へと結節するこ
とにあり、自立的な組合員による自律的な組織を形成するための必要条件であった。
ただ、ここで注意しておかなければならないことは、デジャルダンは貧者に対して一様
に無理な貯蓄を強制したのではないということ、彼らの能力の範囲内においてこれを推進
したということである。従って、出資についても小額で分割可能方式であった79。加えて、
他の貯蓄銀行やただ単に節約や倹約のみを説く者達と異なり、蓄積された資金が貯蓄した
者に対して貸出として還元された。その点は、明確に区別されなければならない。
第四は、会計年度末に発生す余剰金の分配方式である。彼は、民主的な方法で以下のよ
うな分配経路を作った。
① 純利益の10%を積立金とした80。そして、積立金の分配を精算時において禁止した。
その理由として、デジャルダンは「将来世代の利益の為に彼らの組合の恒久性を保証する
という主要な目的からこの蓄積をした先行者の節約の結果を個人の集団が私用に供する権
利を持っているということは不公平81」であると述べている。従って、この積立金は、法
に基づくのであるが、地域の公益事業に使用されることになっていた。この考え方は、社
会的資本説として今日捉えられている82。つまり、協同組合の資本というものは、社会的
なものであり、地域社会全体の共有財産であるという考えに立っている。これは、ライア
ァイゼンのそれに類似しており、思想的形態規定条件の影響といえる。
② 積立金の残余は、前年度に完全に支払われた出資額に応じて、組合員に配当として
分配されることになっていた。その率は4.5%ないしは5%さえ当時において支払い可能と
なっていた。
以上の方式が捉えているわけであるが、とりわけ①は優先されていた。その理由は、
「あ
らゆる可能な損失から出資と貯蓄を保護することであり、また可変資本に基づくシステム
を強化すること83」ことにあった。組合の安定はこうして確保された。
第五に、出資の方法が挙げられる。出資の方法は、他のヨーロッパの信用組合とは異な
-78-
っている。まず、デジャルダンによれば、
「通常、出資額は5ドルである。われわれがすで
に述べたように2,3セントとそれぞれの少ない分割払いが可能である。これらの出資は
将来のニーズの為になされた貯蓄を表している。それらは、常にあらゆる緊急事態にい対
する準備の為、貧困に直面することを強いられない為、彼の近隣からチャリティーを求め
ざるを得ないようにならない為に、
誰もが徐々に蓄積すべき準備であり小資本を形成する。
それは馬鹿げた支出への誘惑のはるか頭上に置かれた小さな宝庫である、そしてそれは忍
耐をもって増加させられ、一財産あるいは家屋の所有者にさせるに十分な額としばしばな
る84」と、出資の特質を示している。これはライファイゼンともシュルツェとも異なった
独特のシステムであるといえるが、イタリアのルザッチの形式に類似しており、経済的形
態規定条件(潜在的参加階層)と思想的形態規定条件(キリスト教とルザッチ)が働いた
結果だ。つまり、デジャルダン方式においては、出資をもってまず倹約精神を養い、近隣
のチャリティーに依存するのではなく、自助によって信用組合への参加の精神を高め、さ
らに額を小さくし分割を可能とすることによって、幅広い庶民を結集することに効果を発
揮した。それは、彼らの貯蓄意欲を決して削ぐものではなく、前述した形態規定条件とし
てのカナダの労働者層の状態、
すなわち彼らの生活水準を正確に分析した結果でもあった。
デジャルダンは、金額を高くすることは労働者の良き意志を破壊することを理解していた
のである。また、最も節約を奨励し、資金を必要としたのは、零細な預金者であり、額を
大きくすることはそれらの人々を排除することにほかならなかった。
第六として、民主的な金融方法をカナダにおいて確立したということであり、出資額の
大小にかかわらず投票権は一人一票であったということと、運営方法における三つの委員
会にその事は現れている。役員は、組合員の一般会議によって進出される。役員は、組合
の運営に関して全て任されているが、その権限は無限ではなく、組合員の一般会議に従属
する召使であるに過ぎなかった。また、ここの点がライファイゼン型やルザッチ型と同一
であるのだが、マネジャーと職員を除いて、役員は原則的に無給である。これは、キリス
ト教のボランティア精神に規定されたものである。
こうして選出された中で、
まず理事会は組合の一般的経営を行う。
その中で重要なのは、
組合員の加入・除名である。彼らはその仕事を組合員の良き性格という基準で常に判断し
ている。決して財産等で判断してはならないとした。また、理事会は調停委員会の役割も
果たすべきとした。これについては、ヨーロッパ型のそれと大きく異なるところはない。
次に、組合運営の中で重要視されるのは、貸付委員会である。
「その義務は繊細である、
そしてその組合員の選択は配慮をもってなされなければならない。
経験と思慮分別をもち、
一般的によく組合員の道徳上の性格について熟達している人が選ばれるべきであり、とい
うのは、借入額の忠実な返済の最高の保証であろうものは借入者の道徳的性格である85」
-79-
と主張されているように、借入者の道徳的性格を見抜く能力を役員には要求された。これ
は、今日でいうモラルハザード問題である。それを防止するということは、小地域である
からこそ可能であることはすでに述べた。また、借入に際して、その決定は役員の満場一
致を必要としている。一人でも反対者がいるならば、その貸付は否決される。尚、役員の
任期中の借入は不正防止の為禁止されていた。
さらに、これら二つの委員会を監視する機能を持つものとして監査委員会がある。役員
の条例違反、勘定の不正、貸付の正確な価値、債権の健全性、役員の公正な業務の遂行等
に関する検査がここでなされている。つまり、組合員の一般会議が常に開催されているよ
うな形となっており、恒常的に役員を監査し続けた。
以上のような協同組織金融の歴史的発展過程を踏まえて、以下においてはその始まりか
ら現代における発展過程の中で現れた社会関係資本について理論的に展開することとした
い。尚、回転信用組織あるいは頼母子講に言及することも、社会関係資本分析において有
効であるが、ここでは紙幅の都合上割愛する。
3 協同組織金融理論と社会関係資本
3-1 協同組織金融からみた社会関係資本の概念
第一章の社会関係資本に関する先行研究と第二章の協同組織金融における社会関係資本
の歴史アプローチを参照しながら、ここでは、協同組織金融と社会関係資本との関係につ
いて理論的展開を行いたい。
協同組織金融にとって、社会関係資本の存在が事前的であれ事後的であれ、まず、機能
面からみて、定義していく必要がある。すなわち、ここでの定義は、第一に、協同組織金
融に関わるメンバー間のつながりとしてみなすことができる。これは、メンバー間のネッ
トワークと置き換えることもできる。ただし、つながりが意味するところとネットワーク
の語感が意味するところの網目状のつながりとは完全な対称性を示すわけではない。当該
組織内部におけるこのつながりは、必然的に個人所有の資本ではなく、また物的資本でも
なく、集団によってはじめて現れるものである。決して、一つの人格に備わるものではな
い。このことは、従来から言われているように、資本結合体に対する人格的結合体といわ
れる所以である。
次に、この「つながり」によって、はじめて「協同」と「相互性」が組織内部において
促進されることになる。つながりと協同・相互性は社会関係資本において同等に置くこと
が可能であるように思われるが、メンバー以前の人が協同するためには、前提として人が
つながっている必要があるという点から、つながりは定義の第一項に属する。
つながりを前提とした協同組織金融にとって重要な社会関係資本である協同・相互性は
-80-
以下のように定義することができる。すなわち、メンバーがつながりを通じて、経済的・
社会的問題群の解決に向けて、共通の目的を設定し、解決を図ろうとする共同行為である
と定義することができる。この場合、協同は物的・貨幣的・用役的であり、かつ時間軸を
含んだ行為とみなされる。デンマークにおいては、内包的なネットワークによる協力は信
頼とレギュラーなフェイスツーフェイス相互行為すなわちプラスのソーシャルキャピタル
を基礎としており、公共心にあふれた人々が定期的に会い、互いを知り、信頼し合い、し
ばしば無数の協同組合に参加していたーしばしば信頼されたボードメンバーとしてー。
また、これらは、
「-すべき」という運営指針であると同時に、実際に見られる自然発生
的な客観的行為であり、かつ協同組織金融の経済上のパフォーマンスを支える戦略上のツ
ールである。従って、単なる心的態度ではなく、協同組織金融という場においてメンバー
が繰り広げる経済取引・参加のあらゆる場面に登場する。しかし、それらは一般的に外部
から見えやすい形のものから見えにくいものまであり、かつメンバーが総じて意識してい
るとは言い難い。場合によっては、無意識的に取引を通じてこうした協同と相互性に参加
している可能性がある。この協同の発現形態は様々である。まず、基本的に見られるのは、
預金者と借入者が相互に協同することによって、資金を融通し合う行為であり、日本にお
ける無尽・頼母子講、世界に散見する回転貯蓄信用組織が、その事例である。また、資金
関連として、長期継続関係における組合員間利害シェアシステムは、ローンポートフォリ
オの組成にみられるように、短期経済合理性に基づく取引条件を個別経済主体に要求する
のではなく、組織全体のポートフォリオから決定される。そこにはほとんど意識されない
相互性がある。
利害関係という観点から言えば、メンバーが受けることができる便益は、複雑かつ多岐
にわたっている。整理すると、メンバーは金銭的・物的・サービスを協同組織に提供する
が、それらは一様ではない。他方、受け取ることができる便益は、借入金利、預金金利、
配当、借入と預金に関する金融取引の機会、取引条件、そして他の金融サービス・商品等
に分けることができる。故に、預金者と借入者との間の単線的な資金融通のみに成立する
協同と相互性に協同組織金融を限定することは狭隘な考えと言わざるを得ない。しかしな
がら、協同の開始時点=組織への加入から脱退ないしは組織の解散までの間に、一メンバー
が提供したものと受け取ったものが必ずしもバランスするとは限らない。この問題は、便
益計算の困難さを伴って解消を難しくしている。
従って、この場合、協同するというインセンティブは、確実な見返りに基づくわけでは
ないということになる。そこには、見返りへの期待と見返りを期待しない心的態度が見ら
れる。
ライファイゼン型協同組織金融機関の初期にみられた理事の構成メンバーには、見返り
-81-
を期待する態度は見られない。これは、古典派・新古典派経済学において設定されている
ような満足極大化・利潤極大化行動に基づく合理的経済人から説明することはできない行
為である。
ところで、メンバーは、上述した仕組みの下で、様々な協同行為を実行する。列挙する
ならば、まず、出資配当制限・内部留保による全体利益の優先がみられる。換言すれば、
内部留保の蓄積は世代を超えた蓄積の結果であり、その時々の果実を拒否したもの、従っ
て資産は世代にわたる共有資産であり、
社会関係資本たる協同の実物的結果に他ならない。
次に、連帯責任による協同と相互性が挙げられる。ただし、歴史的経験と一部の地域に限
られる。これは、組織が外部から資金調達を行う際、効果を発揮する。すなわち共同信用
を創出することを通じて、外部に対する保証機能を果たすからである。保証人制度は、借
入者のモラルハザードを防止することと、借入者の担保不足を補填する合理的機能を果た
す役割があるが、これらは当該組織内部における社会関係資本の蓄積を前提としている。
尚、メンバー間を超えて、一定の集団間同士における相互保証制度を導入している地域も
ある。これは、橋渡し社会関係資本の蓄積の結果である。また、協同組織金融機関におけ
る中央機関の存在は、別の形での協同・相互性の外延形態であるといえよう。
最後に、無償の経営へのコミットメントという形も述べておかなければならない。初期
のライファイゼン型協同組織金融機関及び現代のクレジットユニオンに見られるものであ
る。この行為は協同・相互性によって説明することが主としてできるが、互酬性という用
語によって説明がなされる場合もある。
その場合は、互酬性は個人・集団間の財の絶え間ない交換において経験的に観察される
ものとして言及される。Maussによれば、無数の財の交換において観察される互酬性はこの
社会を編み上げ、共通規範、共通アイデンティティー、信頼、連帯をつくり、強い経済的
結びつきを作り出すという86。また、Colemanにおいては、互酬性は社会関係資本の意味に
おいて、共通目的のために協働する人々の能力として定義される。互酬性は、ローカルな
社会的ネットワークの束に蓄積され、このやり方で、社会的ネットワークはボトムアップ
な社会的コントロールを創造することを可能にし、誰もがだれもにコミットするという社
会的統合が保障されると考えられる。しかしながら、このような社会全体としての互酬性
の機能については明らかにされつつあるが、協同組織金融機関との関連においては、交換
される対象と交換の頻度については必ずしも明らかではない。相互性において述べたよう
な時間軸が挿入された行為との異同も不明である。他日に期したい。
協同・相互性と並んで、社会関係資本の一要素としてみなされる可能性があるのが、
「信
頼」という概念である。Guinnaneにおいての議論を後回しするならば、協同組織金融機関
の成功の要因として、しばしば信頼が取り上げられる。信頼という心的態度も、今述べた
-82-
ものと同様、つながりを基礎としている。メンバーがメンバーを信頼することによって、
金銭貸借が発生するとみる。逆にいえば、不信は金融取引を生み出さないことになる。こ
の論理は、他の経済取引についても同様に当てはまる。取引参加者の相互信頼あるいは公
共的なものに対する一般的信頼があればこそ、財・サービスの取引が成立し、しかもその
時発生する債権債務関係の清算が先延ばしにすることもできる。
この信頼という概念は、協同組織金融機関においては、貸出においては借入者への信頼
として、預金においては組織そのものへの信頼という形で機能する。Guinnaneは取引の基
礎に信頼があるという考えを否定する。逆に、借入者が信頼に足る人物であるかどうかに
関係なく、返済を実行させる仕組みがあったのであり、信頼と組織的成功とは無関係であ
ると考える。
確かに、信頼のみに依拠して貸出を実行したと考えることは難しい。第二章においても
示したように、ライファイゼン型には、貸出の返済、特にモラルハザードを防止するよう
な仕組み、デフォルト後の残余資産の扱う仕組みがあった。しかし、このような仕組みが
あることと、信頼が金融取引に不要であることとは必ずしも関連をもたない。何故なら、
その後の協同組織金融の歴史において、同一の仕組みを持っていたとしても、認知的社会
関係資本(信頼・結束・協力等)87の相違は、組織のパフォーマンスに影響を与えてきた。
相互不信に満ちた人々によって構成される協同組織金融の業績は低迷を示し、場合によっ
ては、組織の存立そのものも許さなかった。このことは、現代においても、発展途上国に
諸制度を移植する場合にしばしば不適合という形で示される。
返済への期待は信頼と同義であり、返済を期待しない単なる物的・人的担保に依存し貸
出とはデフォルト率においては差異が出てくるはずである。その差を担保でフォローする
仕組みは取引コストや名声リスクの点からみて、信頼のある場合に比べて劣位であろう。
さて、組織全体は協同・相互性・信頼という社会的関係資本を中心に成立するわけであ
るが、協同組織には規範・価値というものがあり、また規範・価値から逸脱した場合の制
裁もあった。多くの協同組織金融機関において、初期において価値・規範がメンバーの間
で創出され、共通経験を通じてそれらが相互に伝達され、共有されることになった。そし
て、世代間にわたって、口承と行動によって伝達されることになる。規範はやがてフォー
マルな明文化されたルールとなり、場合によっては一般的に承認される法となり、残りは
内規として組織内部の規定として残った。これらルールはメンバーの行為を規定し、ある
いは逸脱に対する罰則として機能するようになった。これによって、インフォーマルなル
ールが消滅したわけでなく、併存し、公式ルールへと働きかける機能を果たした。自己強
化的組織、明文化されていないルールをもつインフォーマルな組織は強制的な協力を強い
られた公式組織とは対照をなすものであり、インフォーマルなルールが生産され続けるこ
-83-
とは自律的組織にとって発展の一要因となっている。
価値は、ルールに比べて伝達が困難であり、特に明文化された段階で価値の共有を困難
にした。にもかかわらず、長期にわたって、教育、経験そして伝承を通じて理解される試
みがなされた。ライファイゼン型そしてシュルツェ型の内規を掲げることはここでの証左
に有効であるが、ルールと価値の融合という点から、世界クレジットユニオン連盟の運営
原則を示すことがより適宜であろう。ルールと価値は、認知的社会関係資本そのものであ
るが、組織をうまく働かせる仕掛けが備わっていることがよくわかるはずである。すなわ
ち、以下のとおりである。
1 組織の民主制
組合加入の自発性と開放性
民主的運営
人種・宗教・政治による差別の排除=無差別の原則
2 組合員への奉仕
奉仕(サービス)
配分
資金の安定化
3 社会的使命
教育活動の積極的推進
協同組合間の協同
社会的責任
上記について若干の説明を加えよう。世界クレジットユニオン連盟は、1984年に運
営原則を採択している88。この運営原則とは、世界中にあるクレジットユニオンの相違を
尊重しながらも、クレジットユニオンの定義あるいは普遍性を確保することを意図して確
立された。運営原則の冒頭には以下のことが述べられている。すなわち、
「以下のクレジッ
トユニオン運営原則は、協同組合の理念とその中心的価値である平等,公平、自立共助に
根ざしたものである。世界各地で、クレジットユニオンの精神は、様々な形で実行されて
いるが、この原則の核心には、人間開発と人類の兄弟愛という理念があり、この理念は自
分達と社会全体のためよりよい生活を目指して協働する人々を通して表される」と。この
文言がクレジットユニオンの最も純化した表現である。そして、その表現に基づき、具体
的に以下のような原則が示されている。我々は、協同組合の原則といえば、ロッチデール
原則以降の協同組合原則を想起するが、ここでの原則は、いくつかの点で共通項を持つも
のの、それらとは異なった独自の原則を示している。
-84-
原則は三つのパートに分かれ、第一に、組織運営の方法として「組織の民主制」を挙げ
ている。そして、これには、組合加入の開放性と自発性、民主的運営、人種・宗教および
政治的差別の排除という項目が含まれている。これらは、クレジットユニオンばかりでな
く、協同組織金融全体に通じる原則である。しかしながら、実態レベルにおいてはこの原
則から乖離した運営も見られる。民主主義は時間とコストがかかるため、経営レベルにお
いて忌避される傾向にあり、かつ近年の環境の急変とそれらを反映したスピード経営が民
主的運営方法に圧力をかけているためである。このような制度変化は無視すべきではなく
適応も必要とされるが、次の理念上の観点も無視すべきでない。すなわち、所属する経済
的・社会的階層に関係なく無差別に組織に参加し、出資の高低に関係なく、一人一票の権
利を行使する統治システムは、
他の企業形態と区別される最も重要な特質である。
そして、
そのことは単なる経済学上の機会コストのみで計測するのではなく、より広範囲な評価基
準を用いて評価されるべきである。尚、クレジットユニオンは実態レベルにおいて最も忠
実に理念を実行している協同組織の一つである。協同組織全体における一つの座標軸とな
りうるのである。
第二に、
「組合員への奉仕」を掲げ、その中で組合員への奉仕、組合員への配分、資金力
の安定強化を主張している。これらを咀嚼するならば、組織そのものの利潤動機で運営さ
れるべきでなく、組合員志向を貫徹させることを希求している。ただし、その方法は多様
であり、従って、最善の組み合わせは、第一の項目の民主的決定に基づく合意に依拠しな
ければならない。
個々の事業が組合員のためになされているのかについての評価は難しく、
また価値判断基準も移動するため、調整は民主的な合意に委ねられることになる。
第三に、
「社会的使命」を述べ、教育活動の積極的推進、協同組合間の協同、社会的責任
といった協同組合内部にとどまらず、広く社会的な観点から共助組合と社会の関係につい
て述べている。
組合が社会的存在である以上、
たとえシステム的に自己完結型であっても、
社会的外部環境を無視することはできない。まして、クレジットユニオンは、無差別の原
則を掲げており、射程範囲を一組織内部の組合員のみに止めることはできない。協同の連
鎖は無限であることにこの原則の意味があり、従来重要視されてこなかった点である。つ
まり、社会的使命を無視するのであれば、同業組合や経済団体等と何ら異なることはない
からである。
以上のごとく、協同組織金融における社会関係資本はメンバー間の「つながり」を核と
して、協同・相互性を促進する仕組みであることがわかった。しかも、そこにはメンバー
の行動・行為に影響を及ぼす価値とルールが社会関係資本として蓄積されていることも理
解された。次項においては、つながりそのものの形態に焦点を当て、他の社会関係資本と
の関連をみることにする。
-85-
3-2 発現形態
協同組織金融機関の社会関係資本が、第一章で述べた区分、すなわち橋渡し型89か結束
型かのいずれかに属するのかについて断定することは困難な作業である。まず、時空的に
異なっているからであり、同一地域であっても、組織そのもの、すなわち組合員における
結束型社会関係資本と個々の組織を結節する橋渡し型社会関係資本が見られる場合がある
からだ。そこで、まず、歴史的に形成され今日まで継承されている明文化された価値から
この区分を導出し、そこからの乖離という形で二つの型をみることにする。
今まで見てきたように、結束型社会関係資本は、家族、民族組織を例にとるように、内
向き志向であり、その強い結束力がメンバーに対して正の効果をもたらすこともあるが、
全体として負の外部効果をもたらすことが指摘され、しばしば社会関係資本の負の側面と
して言及された。協同組織金融においては、先に述べた価値に基づくならば、メンバーは
加入・脱退の自由が認められる開放性の原則に基づいており、無差別の原則が貫徹してい
る。そのうえで、コモンボンドすなわち共通の紐帯が存在するのである。
協同組織金融にはなんらかのコモンボンドを基盤として組織が形成されるわけであり、
リスク管理と取引コストに貢献するばかりか、社会的結束にも貢献する。これらはもとも
とつながりを示しているのであり、結束型社会関係資本を表面的に体現しているかもしれ
ない。しかし、これらが協同組織金融内部において活用されると、結束型の性格は後退し、
橋渡し型の性格が表れるようになる場合がある。もしそうであるならば、結束型社会関係
資本であるメンバー間のつながりよりも、認知的社会関係資本である価値・規範の一つ、
開放性の原則が優先する。結果としていえることは、二つのタイプが併存しているが、橋
渡し型社会関係資本の方が協同組織の価値と一致しているということである。ただし、単
体の協同組織金融機関同士が連携し連合組織あるいは中央組織を形成する場合、外向的運
動であることから、そこには橋渡し社会関係資本がみられる。故に、中央組織は橋渡し社
会関係資本の象徴としてみることができる。これらは、Svendsenのデンマークの事例と符
合する。
さて、協同組織金融においては、
「つながり」という資本は様々な局面において現れる。
そして、その場所によって異なった認知的社会関係資本を要求する。以下においてみるこ
とにしよう。
まず、経営層とメンバーとの関係においてみられる。これらは、近年においてはメンバ
ーがプリンシパル、組織運営側がエージェントとして捉えるエージェンシー関係、あるい
はメンバーの経営層に対する統治関係でみるガバナンスとして捉えられている。次に、経
営層と職員との関係あるいは組織内部における人と人との関係においてみられる。これに
ついても、人的資源管理、内部統制、インナーマーケティングといった観点からしばしば
-86-
論じられる。さらに、役職員と顧客との関係であり、一面においては、今日、リレーショ
ンシップバンキングとして言及される。最後に、役職員と地域住民との関係であり、地域
というコモンボンドをベースとして展開されるネットワーク関係であり、マルチステイク
ホルダー分析の枠組みから見ることが可能な関係である。尚、この枠組みの中で、メンバ
ー間の関係についても観察することは可能である。
以上のごとく、社会関係資本たるつながりは、協同組織金融の様々な場において観察す
ることができる。そして、それぞれの場において、様々な価値・規範が現れることになる。
しかし、それらは無秩序におかれているわけではなく、メンバーの共通目的、すなわち集
合財としての協同組織の目的を達成するための「協同」という社会関係資本の下で構築さ
れる先に言及した価値と規範に合致する形で理論的には配置されている。ただし、それら
はしばしば葛藤と矛盾を抱えていることも現代の協同組織金融機関にみられる性格である。
3-3 社会関係資本の協同組織金融における意義
協同組織金融における社会関係資本は、上述したように、つながり、そこから派生する
協同・相互性、そして様々な価値・規範としてみなしてきた。このことはメンバーの共通
目的に資するものでなければならず、従って、これら資本の蓄積によって何らかの経済的・
社会的満足がもたらされるものでなければならない。既に、貨幣資本・物的資本の重要性
は自明であり、また個々人の人的資本のそれも指摘されているところである。社会関係資
本に関しては、次のことを概括的に整理することができる。
すなわち、当該資本の蓄積は、協同組織金融機関におけるリスク管理能力を強化する。
これは、つながりを通じて相互認知が深まることで情報生産が高まる。ただし、情報の非
対称性が完全に解消するということにはならない。その場合、もし金融取引が実行された
ならば、担保等の保証機能と並んで、トラストのような社会関係資本が取り引きを促進す
る。また、制裁ルールがモラルハザードに対する抑止力として機能する90。規約は、さま
ざまなルールを包含し、ただ乗り、排他的マイナスの社会関係資本形成を防止する機能も
果たす。例えるならば、自分だけ質の悪い財をうる、あるいは多人数で質の悪い財をうる
行為を防止する。
同様に、取引コストの低減にもつながる91。これは、今述べたことに加えて、メンバー
の参加を期待することができるからである。この点において、組織とメンバーとの間の金
融取引に関する共同生産志向が高まることから、両者の間の関係性が強化されることにな
り、競争優位の要因の一つになりうる。
他方、経済的満足ばかりでなく、社会的満足も期待することができる。コモンボンドと
なっている地域あるいは集団内部において、社会関係資本は安定と秩序をもたらす。これ
-87-
らはメンバーそしてメンバー外利害関係者に対して心理的安堵感を与える。さらに、人的
資源の再生産にも貢献するであろう。
以上のようなことから、協同組織金融においては、貨幣資本、物的資本、人的資本と並
んで、
社会関係資本も経済的成果と社会的満足という点で重要な要素であることが分かる。
さらにいうならば、これら資本の融合こそ、シナジー効果を発揮し、高いパフォーマンス
を示すのではないかと考えられる。
おわりに
協同組織金融運営においては、パフォーマンスを高める金銭的インセンティブを組み込
んだ制度的仕組みとともに、様々な形の社会関係資本が産出され、蓄積されていることが
理論的に確認できた。この資本は、協同組織金融以前にすでに対象のコモンボンドに蓄積
されているものと、組織それ自身が生み出したものに分かれる92。いずれにしても、当該
組織に関係する資本が他の経営資源(貨幣資本、物的資本、人的資本)と協力して協同組織
金融の発展を高めてくれることは確かだ。逆にいえば、いずれか一つしか存在しないケー
スに比べて、シナジー効果からより良い結果を期待することができる。
その仕組みとは、開放性93をもったフェイスツーフェイスな接触によるつながり、つま
り橋渡し社会関係資本をベースとした、協同・相互性の存在を構造化しているのであり、
この協同は民主主義、信頼、そして利益獲得の平等性といった社会関係資本を伴っている
必要がある。
ところで、この社会関係資本の蓄積量が不変であるということはない。歴史的過程を通
じて、量と質において変化していることは事例的に確認できることである。
本研究の今後の課題は、この変容を理論的にも・実証的にも捉えることである。そして、
その変化を踏まえたうえで、協同組織金融機関における政策的対応を提示することも求め
られるであろう94。経験的に言えることは、蓄積量が低下しているということであり、確
認されるならば、社会関係資本への投資という課題が浮かび上がってくるであろう。これ
は、決して容易な道ではない。従来、社会関係資本の有効性すら議論されてこなかったの
であり、
ましてこれらに対して意図的に投資することを考えることは難しかった。
しかし、
経営資源あるいは諸資本のミックスによるシナジー効果を考慮するならば、協同組織金融
機関における社会関係資本投資というテーマは不可避である95。また、これらに関連して、
社会関係資本の蓄積が高い協同組織金融機関と低いそれとの間で、生産性の差を比較する
ことも併せて重要な課題である。
メンバー間・非メンバー間のつながり、協同・相互性、そして価値・規範がもつ機能に
関して経済的・社会的生産性から視点を当てた、より一層の研究が求められている。
-88-
1
文化資本についての Bourdieu の考えについては、Bourdieu,P.(1979),La Disinction,石井 洋二郎訳(1990),『ディスタ
ンクシオン』Ⅰ、藤原書店,参照。
2
Bourdieu(1980),Le capital social:note provisiners, Actes de la recherché en sciences socials,2-3.p.2
3
ブルデュー、
『デイスタンクシオン』Ⅰ、176 ページ。
4
Bourdieu and Wacquant(1992),An invitation to Reflexive Sociology,p.119.
5
Bourdieu,P.(1980),Questions de sociologie.田原音和監訳(1991),『社会学の社会学』藤原書店、71-72 ページ。
6
ブルデュー、
『デイスタンクシオン』Ⅰ、190 ページ。
7
Coleman、J.(1990),Foundations of social theory, 久慈利武監訳『社会理論の基礎』青木書店、上、475 ページ参照。
8
同訳書、下、501 ページ参照。
9
Coleman は、始原的社会的資本の解体とそれに代わる団体の機能不全を論じており、決して懐古趣味的であるわけではな
い。ここでの論争的という意味は、特定の社会的資本と教育との関係の分析にある。
10
Putnam,R.(2000),Bowling alone: The collapse and revival of American community, 芝内康文訳(2006)、
『孤独なボー
リング』柏書房、14 ページ参照
11
同訳書、19 ページ。
12
Cohen, Don & Prusac, Laurence(2001), In good company, 沢崎冬日訳(2003)『人と人のつながりに投資する企業』ダイ
ヤモンド社、7 ページ。
13
同訳書、18 ページ。
14
Fukuyama,F.(1995), Trust: the social virtues and the creation of prosperity. 加藤寛訳『信無くば立たず』三笠
書房、
15
同訳書、4 ページ。
16
Durkheim,E.(1897),Le suicide : etude de sociologie. 宮島喬『自殺論』中公文庫、1985。
17
OECD(2001),The well being of nations ,p.53
18
Brown &Harris(1978),Social Origins of depression.
19
International Crime Victim Survey, in OECD report,p.54.
20
Sampson,R(1995),”The Community”,in J.Wilson and J.Petersilia(eds.),Crime,pp.193-216.
21
Humphrey &Schmitz(1998),”Trust and inter-firm relations in developing and transition economies”, The journal
of development studies, 34(4),pp.32-45.
22
OECD(2001),The well being of nations,p59.
23
Guiso et al.(2000),”The role of social capital in financial development”, NBER working paper No.7563.
24
OECD(2001),The well being of nations, p60.
25
Svendsen,G.L.H and Svendsen,G.T.(2004),The creation and destruction of social capital,p.47
26
Ibid.,p.73.
27
ここでいう協同組合精神は、ICA の諸原則に基づいている。
28
Svendsen,op.cit.,p.86.
29
Ibid.,p.95.
30
Ibid.,p.51
31
Ibid.,p.83
32
Ibid.,p.95
33
Ibid.,p.80
34
Ibid.,p.96
35
Ibid.,p.67
36
Ibid.,p.175
37
Putnam,R.(1993),Making democracy work. 川田潤一訳『哲学する民主主義』NTT 出版、2001 年、206 ページ以下参照。
38
Guinnane,T., ”Trust: A Concept Too Many”, Economic growth center discussion paper,No.907,pp.1-34. これらの
議論に関する論文として以下の文献も重要。
Guinnane,T.(1997),”Regional organizations in the German cooperative banking system in the late 19th century,”
Research in Economics.p.251-274.
Guinnane,T.(2002),”Delegated Monitors, Large and Small : Germany’s Banking System,1800-1914,”Journal of
Economic Literature,pp.73-124.
39
Ibid.,p.17.
40
Ibid.,p.19.
41
Hans Pohl,Manfred Pohl,Deutsche Bankengeschichte Bd.,2,1982,S.203.
42
Zeidler,Geschichte des deutschen Gennossenschaftwesens der Neuzeit,1983,S.18.
43
Hermann Kellenbenz,”Verkehrs-und Nachrichtetwesen,Handel,Geld-Kredit-und Versicherungswesen 1800-1850”,in
H.Zorn Aubin(hrsg.),Handbuch der deuschen Wirtshafts-und Sozialgeschichte Bd.2,S.418.
44
Richard Finck,Das Schulze-Delitzsch’sche Genossenschaftswesen und die modernen genossenschaftlichen
Entwickelungstendenzen,1909,S.12.
45
Schulze Delitzsch,Assoziationsbuch fur deutche Handwerker und Arbeiter,in Schriften und Reden, Bd I,1990,S.120.
訳書、.東信協研究センター翻訳『シュルツェの庶民銀行論』日本経済評論社、1993,18 ページ。
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92
93
村岡範男『ドイツ農業信用組合の成立』日本経済評論社、1997、111 ページ。
同書、202 ページ。
F.W.Reiffeisen,Die Darlehanskassen-Vereine,7 Aufl.,1887,S.58.
Ed.,S.59.
F.W.Reiffeisen,Die Darlehnskassen-Vereine,8 Aufl.1966.田畑雄太郎訳『信用組合』家の光協会、1971、120-121 ペ
ージ。
Reiffeisen,a.a.O.7.Aufl.S.88.
村岡『前掲書』
、172 ページ。
Fink,a.a.O,S.40.
特に、貯蓄金庫との競争において、配当率を高めに設定しなければならなかったという事情もある。
Vgl.,Fink,a.a.O,S.30.
Wollf, H.(1919)People’s Banks,p.108.
Ibid.,p.79.シュルツェの場合、急速に出資額の 10%間で積み立てることが求められていた。
村岡『前掲書』
、136 ページ。ただし、ライファイゼン型がドイツ全土に普及する過程において、大地主が組合員になる
ケースがみられた。Max Grabein,Wirtschaftliche und soziale Bedeutung der landlichen Genossenschaften in
Deutschland,1908,S.157.
Reiffeisen,a.a.O.,7 aufl,S.19-20.
Fink,a.a.O,S.47.
Donald S.Tucker, Evolution of People's bank,1967,pp.211-212.
Ibid.,p.200.
Ibid.,p.200.
T.Herrick,R.Ingalls,Rural Credits:Land and Cooperative,1914,p.353.
Tucker,op.cit.,p.216.
一部の株式銀行からの借入もあった。
Wolff,op.cit.,p.224.
Ibid.,p.224
Tucker,op.cit.,p.216.
Jon S.Cohen,Finance and Industrialization in Italy,1894-1914,1977,pp.74-81.
Wolff,op.cit.,p.202.
Tucker,op.cit.,p.216.
Ibid.,pp.219-220.
Ibid.,p.220.
棚町健之助「日本共助組合-歴史的展望-」
『社会学論集』( 5,1980),23 ページ。
山口茂『恐慌史概説』剄草書房 ,1976,24 ページ。
Desjardins,A.(1941) The cooperative people’s bank,,p.9.
Desjardins,op.cit.,p.9.
Ibid.,p.11.
Ibid.,pp.12-13
Ibid.,p.22.
Ibid.,p.23.
堀越芳昭『協同組合資本学説の研究』日本経済評論社 ,1989,47-96 ページ参照。
Desjardins,op.cit.,p.23.
Ibid.,p.12.
Ibid.,p.18.
Svendsen,op.cit.,p.38.
内閣府国民生活局編(2003)『ソーシャルキャピタルー豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めてー』独立法人国立印刷
局。
World Council of Credit Union, Official Statement of Credit Union Operating Principles,1984.
Cf.,Woolcock,M and Narayan,D.(2000),”Social capital : implications for development theory,research and policy2,
The world bank research observer.Vol.15 No 2,pp.225-49.
Bastelaer,T.V and Leathers,H.(2006),”Trust in Lending :Social Capital and Joint Liability Seed Loans in South
Zambia,” World development ,Vol.34,No 10, p.1792.
Cf.,Hall,R.E and Jones,C.I.(1999),”Why do some countries produce so much more output per worker than
others?”,Quarterly Journal of Economics,Vol.114 No.1,pp.83-116.
特定の社会関係資本の存在が非営利組織の創設を促進するという実証研究もある。
Saxton,G and Benson,M.(2005),”Social capital and the growth of the nonprofit sector”, Social science
quarterly,Vol.86 No.1.pp/16-36.
同種の議論として弱いタイという考え方がある。
Cf.,Granovetter,M.(1973),” The strength of weak ties”, American Journal of Sociology,Vol.78 No.3,pp.1369-80.
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95
社会関係資本の争奪という事態も想定できる。
Hannan,M. and Freeman,J.(1987), “The ecology of organizational founding rates: The dynamics of foundings of
American labor unions,1836-1975”, American Journal of Sociology 92,pp910-43.
社会関係資本の投資という視点からの概説書として以下を参照。
Hooghe,M. and Stolle,D.(eds)(2003),Generating social capital,pp.256.
Field,J.(2003), Social Capital,pp.165.
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