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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
シラーの目的論 -その史観並びに美学におけるカント体験に就いて-
Author(s)
大田, 哲夫
Citation
長崎大学教養部紀要. 人文科学. 1963, 3, p.35-46
Issue Date
1963
URL
http://hdl.handle.net/10069/9499
Right
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http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
35
シラーの目的論
-その史観並びに美学におけるカント体験に就いて大田哲夫
独語題目 Schillers Teleologie
-uber sein Kant-Erlebnis in der Asthetik
und der historischen Anschauung(37.9.29)
問題の考察に先立って,シラーの,歴史そのものに対する関心の性質,
或いはその関心の作家論的意味といったものから,起諭したい.彼の歴史
-の関心は,普通考えられているよりも違かに長い期間,即ちその殆んピ
ー全生涯に亘って窺知され得る.その関心の性格は三つに大別される.第一
は彼の幼時Lorch滞住の頃より, Stuttgartにおいて彼の文学的初潮が
見られる迄の時期におけるもの.第二は, 》Don Carlos, 1787《の完成当
時より, 》Geschichte des dreissigjahrigen Krieges, 1791-93《の完成に
至る迄.勿論是は)Die R云uber, 1781(に於けるS. u. D.が,文学的体
l験の若干の段階を経た後, 90年代初頭のカント体験によって,思藻の新し
い醸成に歩を進める迄の,彼の創作の初期及び中期に包含される時期であ
る.第三が,所謂カント体験以後の,純粋な意味に於ける歴史哲学的関心
の時期であり,この期に至って初めて,初期の史話的な,中期の史書的な
各関心が,正当な史観的なものに迄成長し,同時にこれの援用が彼の美学
を興すに力あらしめ,嬢て後期の古典主義的諸作品の完成に大きく苛与す
ることになっ、たのである.
厳密にいえば,第二期の史書的発想と第三期の美学的・古典主義的史観
大田哲夫
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は,敢然とは区別され得ない.一般的に観てシラーの美学は飽く迄も実践
論であり,性格的には天才の全体的可能性を予知する希望の業蹟であるが,
その故にこそ,それは人間の自由の確信に依拠していなければならない.
所が,自由の精神は,第二期の史書を彩る精神でもあって,第三期の古典
主義的-自由主義的な美学的史観と根源的には背馳するものではないと見
倣されて来る.勿論,自由を以ってシラーを論ずることは,逆説が許され
るならば,殆んど無意味に近い.が,この場合は矢張り自由を以ってシラ
ーの業蹟における縦の関係を窺うのが,便利でもあり,且つ妥当とも思え
るのである.
ここに,シラーにおける自由概念の変容などというのは,勿論,問題の
本質上考えられ難い事柄ではあるが,単に議論としてのみ取り上げる限り,
少なくとも彼の》自由《に対する取扱い方には,なにがしかの興味が感ぜ
られ得よう.シラ-の史書的発想の》Quelle《が存在する》Geschichte des
Abfalls der vereinigten Niederlande von der Spanischen Regierung,
1788《の,例えば第一巻の序論は,此の意味における最も興味深い論述で
ある.此処で取扱われている自由は,その形式面ではなくて,明らかにそ
れの内容である.感性によって理解された自由であり,認識論的というより
も寧ろ存在論的に把握せられた,或いは寧ろ,単に本能的にのみ獲得せら
れたに過ぎない,いわば憧憶としての自由である.偶然事によって動かされ
る1)所の, 》自然界の法則の如くに首尾一貫した,人間の心の如くに単純
な2)《世界史が,時として人間の精神に近付き,その多彩さと偉大さとを
以て再び人間を圧倒する事があるのは,随かに, 》jener Heldengeist, der
1) Geschichte des Abfalls der vereinigten Nied^rlande von der spanischen
Regierung, S.W. Meyer, Bd. 8 S. 53.
2) ebenda.
シラーの目的論
37
auch der geringfligigsten Handlung emen hohern Schwung gibt33《
が歴史に対して触発せしめられる所の瞬間である-という事はシラーに
とっても論を侯たなかったが,このような神話的素朴的な歴史観とは別に,
彼にあっては一層情感的な,謂わば, 》類《としての人間に取って一層親和
性のある,一種のキリスト教的社会主義的な歴史の評価こそ枢要であった.
単純に観て,そのような歴史を現前せしめる所の人間精神,且つ又その精
神を支えるような》自由《,こそがシラーにとって好望すべきものであった
と思われる. )序論《の壁頭に述べられている事が,夫を最も簡明に表現し
ている.要するに,カント体験以前の彼の自由観は, 》DieR云,uber, 1781(
のS.u.D.的な夫に外ならず,随って,自由とは,この頃の彼にとって
は一種の生気論的な感情の内容としてのみ理解されていたように観察され
ヽ ヽ
得るのである.
そのような謂わば本能的な自由の把握は,第三期,即ちカント体験を経
たのちの美的古典主義的な時期が初まると同時に,一応表面から姿を消し
て,その代りに一層本質に迫るような自由の解釈が表立って来る.自由の
形式的思惟に拠る深化である.思惟及び深化の過程の構造的説明は後段に
於て取扱うとして,この際理解すべき要点は,カント体験を堺として殆ん
ど対立的に迄相異しているかのように見えるこの二つの自由観が,実は一
つの意識-目的意識に由って結合され得るという点であろう.
ヽ ヽ
自由のS. u. D.的系譜が存続する限り,その自由は本能的欲求の対象
ヽ
ヽ
たるに止まる.その系譜が他の何等かの精神的機構に由って中断せられ,
且つその影響が体験的に精神の上に及ぼされる時は,系譜は質的変貌と共
に再生せしめられる.此処にシラーのS. u. D.的自由観を変容せしめた
ものは頻述するようにカントの哲学であり,新められた自由の観念とは即
3) ibid. S. 40.
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大田哲夫
ち美的総合的な夫を意味するのである.シラーにおけるこの思想的図式は,
当時のドイツにおける一般的精神史の類型と完く合致している. S. vl. D.
は,夫がゲーテにおけるが如くSpmozismusを通してあろうと,将又シ
ラーにおけるが如くカント-いう迄もなくAufkl云.rung,を通してであ
ろうと,結励まKlassikに依って止揚されなければならぬものであった.
Klassik-その美的なる総べてのものの信仰,にあっては,自由はもは
や欲求の直接的対象ではない.夫は人間の道徳的教養の完成においておの
ずから彼に備わる性格に外ならない. 》Der moralisch gebildete Mensch,
und nur dieser, istganz frei4)《.要求されるべき徳性の中には,当初より
して品位が存在し_その事は一個のAnsehauungとして,シラーには先
験的に是認されていたが5),この品位- 》Wiirde《が人間の今一つの属性
たる優美- 》Anmut《と相侯って,性格の中で融合する時, 〉Furcht.
dem Gesetzgeber in ihm selbst in der Smnenwelt zu begegnen6>《の
中にあるカント的人間も,漸く真の自由を獲得する,というのが,シラー
的Klassikの一面の説明である.その性格的円現は亦所謂道徳的教養の達
成であって,シラーが謂う如く,精神の自由は品位の表現であり,品仕の
存する或いは発動する所,換言すれば徳性の存在する所には亦精神の自由
が生ずるのである.即ち》iiberhaupt bei jedem starken Interesse des
Begehrungsvermogens muss der Geist seme Freiheit beweisen, also
Wiirde der Ausdruck sein.7)《
・借て,以上が小論における便宜的区分たる,シラーの史的関心の第三期
における,自由に対する彼の考え方の概略である.先に述べた第二期の自
4) Uber das Erhabene, S.W. Meyer, Bd. 7 S. 233.
5) Uber Anmut und W荘rde, S..W. Meyer, Bd. 7 S. 146ff.
6) ibid. S. 154.
7) ibid. S. 145.
シラーの目的論
39
由観との比較を繰り返せば,第二期の物質的,直接的,更にいえば政治的
な夫に対して,第三期の夫は一面形而上学的に整理されたものでありなが
ら,寧ろ一層内面的に深化されたものとなっている・何故に内面化されて
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
ヽ
いるかといえば,夫が単に外的政治的な事柄に適用されているだけに止ま
らず,一個の人間学的課題として,性格の機構上の要素として,実践的に
前提化される事になったからである.そして,この事を彼の史観に適用す
れば,第二期の謂わば帰納的具体的な彼の史観が,第三期に至っては演樺
的精神的なものになったと言えるのである.
そこで,自由観の是等の二つを共通的に結合する所のものの検討に移り
度い.初めに述べたように,論者はシラーの美学-随ってその史観も一種
の実践論であった,という前提から論を進めているのであるが,此処にい
う実践論とは,単に道徳的なもの-一般的に精神的なものの際立った構造
を,物理的世界-一切の運動する経過の中に投入しようとする,一般的に
倫理主義的なシラーの態度そのものを指していっているのに過ぎない.随
って,そこに具体的な》政策論《や》技術主義《が期待されるべきではな
い.何となれば,シラーの論考は説明的ではあるが,決して記述的ではな
いからである.この事は,カント体験以前の,換言すれば彼の古典主義的
美学設計以前の彼の自由に対する考え方を考慮しても肯けよう.
夫故,シラーは,最も内面的な意味においてではあるが一種のOptimist
であった.又夫故にこそ,初めはその二大史書8)におけるが如く自由の革
命的意義を信じ得たのであるし,後に至っては人間の美による教育9),即
ち既に本来的に所持する所の品位を優美10)によって綜合化する事の,一口
8)前記Geschichte d. Abfalls d. v. N.及びGeschichte des dreissigjahrigen
Krieges, 176ト93.
9) Uber die云sthetische Erziehung des Menschen, 1764.
10)前記Iiber Anmut und W缶rde.
so
「大田哲夫
にいえば人間の調和的完成の可能性の確信を持つことも出来たのである.
この意味におけるOptimismusが,彼のAnthropologieを支えていると
いう事が,結局,シラーをして(後述するように)カントを超えしめたの
である.シラ-はレッシングに此改する時一層理想主義的であるが,ロマ
ン派と比較する時は,当然の事ながらその地に着いた論理構造と編み合っ
たこの楽天主義の故に,著しく現実主義的な土臭を発散するのである.哩
想主義的現実主義とでも称すべきであろうか.
是等の論議の中から,前後二期の自由観を共通的に結合する観念的な線
が,おのずから明瞭となる.即ち夫は或る種の現実的な意識に支えられた
人間完成の-個体としてであれ,類の全体としてであれ,拡大すれば当
然社会迄行きつく人間の完成の,確乎とした確信である.即ち,謂わば先
験的観念ともいうべきこの安定した思想が.二つの自由観の様態の相異に
も不拘,夫等の双方に一個のIdeeとして働いているのである.そしてそ
れは,既に述べたような直観のもとに或る観念上の意企を貫徹しようとす
るものである所から.一種の認識論的目的論としての性格を失わないので
ある.
目的論としての性格は,シラrの思想を著しく教育学的なものにしてい
る.所謂》padagogischer Trieb《は, 》Nathan der Weise, 1779《と
》Erziehung des Menschengeschlechts, 1780《の作者11)よりも,又老カン
トの敵であり, 》Metakritik zur Kritik der reinen Vernunft, 1799《と
》Ideen zur Philosophie der Geschichte der Menschheit, 1784-91《の著
者12)よりも,一層多くシラーに賦与されており,それはかの《教育者《ゲ
-テさえも一筆を輸する程のものであった.
ll) G. E. Lessing, 1729-1781.
12) J. G. Herder, 1744-1803.
シラーの目的論
41
以下,第三期カント体験以後の,主として美学論文を取扱う事によって,
シラーにおける目的論的な問堰を展開して行きたい.
この問題を展望すべき二つの視座が考えられる.社会的と人間学的なそ
れである.然しながらこの二途は,元来,可逆的なものとして夫々の内部
に或る成極的な構成要素を有し,それが動的な過程の中で恒常的に相互に
志向し合って,終りに解明される可き唯一の構造に到達すると考えられる,
故,当然これを本質的に切断して問題の上に投影せしめる訳には行かない
が,論議のすすめ方の、上から,一応分けて処理するのが便利であろう.
問題の人間学的考察に就いては既に鞍説した.それを別個の表現で再説
t
すれば,要するに,個体としての人間は類としての人間に移行する過程の・
中で》美的《とならねばならず,又(同義に過ぎないが)調和され総合的
に高められなければならない.その結実は類においてと個体においてと同
時に実現して,個体の自由が直ちに類の自由となり,人間的世界に直の価`
債と浄福とが蘭らされることとなる.そして,斯ういった様動の論理的構=
達を契機づけるものは,人間の持つEthos的なもの.即ち一種の倫理的
雰囲気であると共に,一方又そのPathos的なもの-つまりシラ-にお
いては形成能力を意味する所のもの13)及び夫等とは別に外部の物理的偶
然的なるもの-即ち歴史的世界などである14)厳密に言えば,夫等三者
の総合である.
上の要約の中には,既に社会的政治学的な視座が要求する所のものが解
明されている.人間の》類《概念のみならず,精神的なものに対する歴史
的なものの接触がそれである.然しながら,この観念の弁証法的な基本図
式を更に追跡して見よう.
13), 14) Vgl. Uber Anmut u. Wurde, S.W. Meyer, Bd. 7 S. 1461.
大田哲夫
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先ずシラ-は精神15)に対するものをどのように解釈しているであろうか.
その問題を,彼は品位の問纏に関連させて,端的に斯う説明している,即
ち》Da die Wdrde ein Ausdruck des Widerstandes ist, den der selb一
唱t云.ndige Geist dem Naturtriebe leistet, dieser also als eine Gewalt
muss
angesehen
werden,
welche
Widerstand
notig
macht‥
‥16)《.
潔, )Gern unterwerfen wir der physischen Notwendigkeit unser
′wohlsein
und
unser
Dasein
;
denn
das
erinnert
uns
eben,
dass
sie
諒ber unsre Grundsatze nicht zu gebieten hat. Der Mensch ist in
二Ihrer Hand, aber des Menschen Willen ist in der seinigen.1"(要する
に自然的-偶然的なものは,精神に対してはその自由意志を侵すことが出
演ず,単に意志の手前にあって精神の全体に働らきかけるのみである.然
しながら,精神の自主的活動の根拠が問われる際には,此処にいう》意志《
の先験論的考究が十分になされなければならない,何となれば,今述べた
ように,偶然的なもの-材質的なものは,精神的-形式的なものに立ち向
かう場合には意志の手前に迄しか手を似ばし得ないと全く同様に,精神の
方は逆に自然に働きかける場合,自然,即ち感受される一切に対する意志
の決定を,何としても経なければならないからである.
暫く》Asthetische Briefe《の論述に従って,感性と理性,偶然性と必
然性,歴史的なものと論理的なもの,要するに自然と精神の論理的世界構
_造の意味を考察して見たい.
ユ5)シラーの,精神的一形式的-道徳的という概念系列に於て,それが必ずしも明
確さを欠くという訳ではないが,概念の使い分けの上で,例えば道徳と倫理は
別としても,形式は内容の反対概念というよりも寧ろ精神そのものと同一のも
のとして取扱われる場合がある・(Vgl. Asthetische Briefe)ここに用いられ
た「精神」は勿論物質そのものの単なる反対概念ではなく,感受や感性の反対
概念でもある.
16) ibid. 146f.
ユ7) Uber das Erhabene, S.W. Meyer, Bd. 7 S. 237.
シラーの目的論
43
如何にして,斯のように対立し分離せられているものが調和的に統一さ
れ,そしてそれがどのような形態において世界の中に導入され得るか.鰭
論を先取すれば,この無限の絶対的な拒りの中間に置かれた意志が,二つ
の強制力の夫々から自由であり,時間の中において,理性と感性の各々に
ヽ ヽ
作用を及ぼす時,意志は自覚として人間の生命の中で,所謂内的自由を把
捉出来得るのであり,獲得されたこの内的自由が人間の中に両者の統一を
達成するのである.ここに認められる意志の内的自由的造動が所謂》spielen《であり,人間の中に理想的に現象化せられるこの状態が》云sthetisch《
なもの,といわれるのである.
美は人間が二重の緊張の中に,即ち概念による強制と感受による強制の
二重の圧力のもとにある時,人間の生存に対して或る中和的な条件を整え
ることによって,そのような中立的且つ積極的なspielenの力学を示すも
のであるが故に,その本質は自由の上に置かれ,自界は亦, 》nicht Gesetzlosigkeit, sondern Harmonie von Gesetzen, nicht Willklirlichkeit,
sondern hochste innere Notwendigkeit18《である,又,美は精神の能動
的能力の作用即ち思考に対して影響を与えるとき,それ自身の特殊な意味
を見出す,即ち》mcht msofem sie [Schonheit] beim Denken hilft. ‥.,
bloss msofern sie den Denkkraften Freiheit verschafft, ihren eigenen
Gesetzen gemass sich zu云.ussern, kann die Schonheit em Mittel
werden, den Menschen von der Materie zur Form, von Empfindungen
zu Gesetzen, von einem beschr嵐nkten zu emem absoluten Dasein zu
fiihren. 19) <
言う迄もなく対象なき思考はあり得ないし,客観なき主観は,ドイツ的
18) 18. Brief, S.W. Meyer, Bd. 7 S. 337.
19) 19. Brief, S.W. Meyer, Bd. 7 S. 340.
EG!
大田哲夫
観念系列の内部では考えられ得ない.シラーにあっては,上述の如き精神
の美的作用の強調による主観と客観-理性と感性の二元性の統一が,その
目的論的思考の帰結となるのであるが,然しそれは決して二つの均質的な
ヽ
ヽ
ヽ
る力の単純な相互媒介に基く統一ではない.シラ-にあっては,優先すべ
きものは依然として理性的精神的なものであって,感性的自然的なものは
前者に対する反対命題として,前者を具体化する一種の弁証法的契機と見
放される.即ち,精神に品位が要請せられる場合に当然考えられて来る或
る力関係において,その品位そのものを浮かび上がらせる所の,外ならぬ
その反対衝動を意味するに過ぎない.夫故に, 》Anmut und Wurde《の
中で明言されている通り,自然或いは人間の自然本能は》抵抗を必要なら
しめる所の威力と見依されなければならない20)《
シラ-における人間性の(凍て世界に迄拡大されるべきものでもあるが)
ヽ ヽ
美化即わち教養化の図式は略々上述のようなものであるが,このヘレニス
テ1ツシュな思想構造は当然の事ながら後期におけるシラーの思考の全般
的領域に及び,その国家及び政治に関する要求もこの線の上に現われて来
るし,随って亦彼の歴史哲学の設立もこの辺に由来することになるであろ
ラ.
借て,カントのこの面に関する思想はどのようなものであったか.彼の
})Ideen zu einer allgemeinen Geschichte in weltbiirgerhcher Absicht,
1874《中に示された)非社交的社交性《という自然の一般的性格の発見は,
後の》Mutmasshcher An fang der Menschengeschichte, 1786《におい
て更に発展せしめられ,結局》Kritik der Urteilskraft, 1790《や》zum
ewigen Frieden, 1795《等において完成された目的論的統一的歴史観の基
礎をなすものと思われる.就中,彼の第三批判における,美のア・プリオ
20) Uber Anmut und Wiirde, S.W. Meyer, Bd. 7 S. 147.
シラーの目的論
45
リな原理の確立,及び,人間の美的対象の把握,即ち美的判断力が自然の
形式的合目的性に基くものであるという見解は,シラ-の既述の思想的前
提と完全に合致するものである.前記Mutmasslicher An fang.《はシラ
ーの接した最初のカント論文といわれ,その影響は》Rheinische Thalia《
誌上に)Etwas iiber die erste Menschengesellschaft nach dem Leitfaden der mosaischen Urkunde, 1790《なる論文を草せしめているが,
その中でシラーが強調することは,楽園喪失に由来する自然と精神の分離
が人間の単なる永続的悲劇を蘭すのみのものではなくて,人間の文化発展
の必然的な前提を意味するものに外ならない,という事である.即ち此処
でも文化に対する自然の主観的意義,自然の有する先験的合目的性の認識
論的考察が見出されるのである.カントの前記》Ideen.《中に最初に述べ
られた非社交的社交性とは,自然が精神に対して及ぼす雑多な世俗的欲求
が,道徳的なものを滅すのではなく却って社会を道徳的全体に統一し昂め
る所のものであり.,所謂社会の社会化的なものに対する自然の瓢立!化的な
ものの抗事関係の中に窺われる自然の一般的性格であって,若しこれがこ
のまま追求されるならば,文化は非社交性の結実,両衝動の敵対関係の果
実,ということになるであろう,斯ういう所にカントの一種のDarwmismusが考えられ得るのである.然しそれとても,決して単なる力関係の決
定を意味するものではなく,飽く迄も類としての人間が或る調和-の方向
ヽ
の中に置かれるべきであることが示唆されているのである.元来,生ける
被造物の中に二つの衝動-自然的本能と道徳的能力が併置されてあるこ
と自体が,新のような力関係の決定を許すべきものではないのである21)
少し前の個所で,論者はシラーにおいては理性が自然に優先すると述べ
た.凡ゆる誤解を避けるためにこの事を繰り返せば,それは決して両者が
21) Mutmasslicher Anfang der Menschengeschichte, S. 57, K. W. Vorl玩nder.
46
大田哲夫
形式論的に分立していて理性が自然を誘導するというようなことでもなけ
れば,又自然が単に理性に対立したり,それに庄伏されてそれとの調和を
計る等ということでもない.既に品位に就いて触れた個所を再び繰り返せ
ば,シラーは理性における品位の先験的可能性を確信していた,という点
にこそ,問題の焦点が合わされるべきなのである.
カントにおいては,閉経はむしろ純粋の法律国家的なものに関係してい
た.成程,人間は最大の可能性を持ち,その文化が単なる理念としてでな
く,何時かは完成されたものとして最後には自然的なものに再帰するであ
ろうが,そこに至り着く永遠の期間は,常に摂理と法律が必要であるとさ
れる.随ってこの文化の自然的完成という啓蒙主義的理念が,要するに彼
にあっては人類の道徳的規定の最終的目的を意味したのである.カントが
留まった新のような啓蒙主義的限界こそシラーによって超えられねばなら
なかった.又,シラーとしては,そこから出発することによって,彼の所
謂sentimentalisches Dichtertumが充足され得べき方途があける訳でも
あった.
要するに,直系的Humanist-所謂》naiver《 Dichterたるゲーテが,そ
のHeidentumに由ってKlassikを完成したように, 》sentimentalischer《
Dichterたるシラーは,論理的啓蒙主義的なものの超克を体験することに
由って,漸くWeimar的Hellenismusに特色づけられたドイツ古典主義
的な境地を開き得たといえるのである.その間の性格学的事情は興味深い
問超として保留するとして,とも角も,上述の如き点にシラーのカント体
験の精神史的意味が考えられはしないであろうか・
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