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映画を 「フィールドワークする」?
Field+ CIN E M A 映画を 「フィールドワークする」 ? 深尾淳一 ふかお じゅんいち / 映画専門大学院大学 道路脇の壁いっぱいに張 られた映画宣伝用のポス インドでは今、目覚ましい経済発展が進んでいる。 ター。インドではどの町 それは、 国民的娯楽として君臨してきた や、道路を臨んで立つ映 でも、このようなポスター 画の巨大な立て看板を目 映画の世界にも、 何らかの変化を にすることができる(写 もたらしつつあるのだろうか。 真はムンバイにて) 。 現地での調査からその現状に アプローチする。 映画を、どう「フィールドワークする」か 参入の契機やこれまでの経験などにつ カメラで映像として記録する点も、こ 話の途中で突然歌と踊りが始まること 映画を「フィールドワークする」とは、 いて語ってもらうことにより、それぞれ の研究の大きな特徴である。通常の に驚かれたかもしれない。インドの映画 どのようなことなのだろうか? の地域の映画産業の実態やプロデュー オーラルヒストリーが、文字化されうる は、一本の作品の中に、歌や踊り、コ できあがった映画の作品世界を自ら サーの役割の変遷について明らかにし 情報に主に限定されるのに対して、こ メディー、アクション、ロマンスなどの 追体験することにより、そこに描かれ ようとするものである。その意味では、 こでは、映像として記録することにより、 さまざまな要素が盛り込まれることが普 ているものから新しい知見を得ようとす 映画産業界をフィールドワークすると 言葉の抑揚や、態度、身振りなどと 通であり、その点で、誰にでも楽しめ ることをいうのだろうか。それとも、映 いった方がより正確かもしれない。 いった非言語的データをも含めた分析 るすぐれた総合エンターテインメントと 画制作の現場に実際に参画すること この研究では、オーラルヒストリーと の余地を残すことが可能となった。ま なっているのである。 で、その制作手法・制作過程や制作体 いう手法をとる点が大きな特色となっ た、将来的には、インタビューの映像 また、インド映画というと、世界で最 制を文化的視点から捉え直そうとする ている。映画にかかわる人々に対して を DVD に編集して、映像ビジネスを も製作本数が多いということが、よく話 方法のことなのだろうか。どちらも研究 インタビューを行ない、彼らの個人史 目指す人々への教育用素材として活用 題となるところである。確かに、インド の手法としては十分にあり得るもので を明らかにすることによって、文献など することも目標としている。 中央映画認証委員会の年次報告書か あろう。ただ、私たちが科学研究費補 ではわからないような映画産業の側面 助金を得て進めてきた共同研究は、そ にアプローチしようというのである。ま ら 1 年間で上映許可を得た映画の本数 インド映画とは を見てみると、直近 2009 年の長編映 れらとはまた違ったやり方に基づいた た、監督や俳優のように脚光を浴びる この研究で対象とした地域は、日本、 画の本数は 1288 本となっており、アメ ものである。「オーラルヒストリーによ ことは少ないが、映画製作全体を支え ロシア、インドに及ぶが、私は、2008 リカや日本の 2 ∼ 3 倍近い本数である る現代映画制作の研究」と題するこの る重要な立場であるプロデューサーに 年 9 月にインド映画の中心地、ムンバ ことがわかる。しかし、インド映画と一 研究は、映画製作の統括責任者として 焦点を当てていることも独自な点であ イとチェンナイを訪れ、インド映画関係 口にいっても、インドで使われているさ の映画プロデューサーに特に焦点を当 るといえよう。 者へのインタビューを行なった。 まざまな言語でつくられたものが含まれ て、彼ら自身の口から映画産業界への さらに、インタビューの様子をビデオ インドの映画を見たことのある方は、 ており、例えば、もっとも話者の多いヒ 30 Field+ 2010 07 no.4 ムンバイの大型ショッピ ングセンター、オーベー ローイ゠モールの中にあ るシネコン、PVRゴー レーガーオン。インド映 画から洋画までさまざま な作品を上映している。 右 手 端に 看 板 が 見 える 「ロックオン !!」という作 品は、ロック音楽を題材 に、若者の夢や挫折、友 情、愛をリアルに描いて 大ヒットした。 ム ン バ イの フィル ム シ ティ内に 2006 年に設立 されたホィッスリング゠ ウッズ国際映画学院のメ インビルディング。これ までは、映画づくりのノ ウハウは、代々伝統的に 受け継がれるもので十分 であったが、映画産業の 発展とともに、専門的な 映画ビジネスの知識を体 ムンバイのエロス映画館。1938 年建造。 系的に身につけることが 求められるようになった。 チェンナイの映画製作 会 社 AVM プ ロ ダ ク ションズ。1946 年創 設のタミル語映画界最 古参の映画製作会社で ある。 ムンバイのホィッスリ ング゠ウッズ国際映画 学院。映画関係の技術 ムンバイ、ホィッスリング゠ウッズ国際映画学院で 者、 監 督 な ど の 養 成 の映画制作実習の様子。学内には、2 つのスタジオ コースとともに、プロ や最新鋭設備を備えた編集室などがあり、アジア デューサー専門のコー でも最大規模の映画学校となっている。 スも設けられている。 ンディー語の映画は、その本数が年間 から資金を集めることが容易になってき ことが、設立の大きな目的だという説 250 本程度であり、この数字は日本映 たのである。これまでは映画の世界の 明を聞くことができた。 また、今やインドの家庭に深く浸透 画の年間上映本数よりも実は少ないの 仕事というと、親族や親しい友人の間 また、ひとつの建物の中で複数の作 し、映画を凌駕するほどの存在となっ である。 で経験を通して伝えられることで受け 品を上映する、いわゆるシネマコンプ たテレビの長編連続ドラマについては、 インド映画を語るときには、その製作 継がれてきた側面が強かった。例えば、 レックス(シネコン)が、ここ数年イン それらの多くが、中流家庭を舞台にし 本数のみをことさらに強調するよりも、 チェンナイの大手製作会社 AVM プロ ドの都市部で著しい成長を見せてきた たメロドラマ仕立てのもので主婦層に むしろインド社会における映画の持つ意 ダクションズでは、創業者の故 A.V. メ が、このことも映画興行のあり方を大 絶大な人気を誇るのに対して、映画は、 味や映画作品の海外への広がりなどの イヤッパン氏(社名は彼の名に由来す きく変えたという。かつてはその作品 若者をターゲットにしたリアルな作品を 観点から評価することが重要である。 る)が、自らの地元の親しい人たちを の題材や性格を考慮したうえで、製作 もっとつくるべきであるとある若いプロ 中心に人材を集めて育ててきた様子 者側の意見を受けて、個々の作品に応 デューサーは述べている。確かに、最 インド映画のいまとこれから がインタビューからうかがわれた。彼 じた上映計画が練り上げられたものだ 近のインド映画には、かつてのような 今回のインドでのインタビューで何人 は今も、 「アッパッチ」 (土地の言葉で が、シネコンの普及以降は、手軽に収 超絶的なヒーローが大活躍する夢物語 かの映画関係者から聞かれたのは、近 「父」の意味)とみんなに親しみをこ 益を上げたいという劇場側の意向が強 のような作品よりも、中産階級の若者 年ようやく映画が産業としての地位を めて呼ばれている。しかし、映画がビ く反映され、どの映画も公開から数日 たちが悩んだり、恋したりする等身大 とれる。 認められたことを歓迎する声であった。 ジネスとしての性格を強めるようになる 間ほど多数の映画館で集中的に上映し の姿を描く作品が増えているように思 かつては、産業として十分な認知を得 と、人材の育成の仕方にも変化が生じ て興行収入の大半を稼いでしまうとい われる。 られず、資金調達も容易ではなかった てきた。ムンバイの最新鋭の映画学校、 う、日米と同様のブロックバスター型の インドは今急激な変貌を遂げている ため、裏社会などとのつながりに依存 ホィッスリング ウッズ国際映画学院で 興行が普通となった。 映画産業のグロー 最中である。映画の世界にもその影響 することもあった映画の世界も、インド は、映画製作にこれまでとは違った知 バル化とともに、興行形態も画一化し、 は及び、今インドの映画は大きく変わろ の経済発展とともにさまざまな企業など 識や能力が求められるようになってきた 地域の特性が失われていく様相がみて うとしているのである。 Field+ 2010 07 no.4 31