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嘉吉 純夫 - 日本大学文理学部
平成26年度 日本大学文理学部個人研究費 研究実績報告書 所属・資格 哲学科・教授 申請者氏名 嘉吉 純夫 研 究 課 題 古代ギリシアにおける中庸性の研究 研究目的 および 報 研究概要 告 研 究 の の 結 果 印 概 アリストテレスの徳論において最も重要な概念として働いているのは、いわゆる「中庸性 (mesotes) 」の概念であるが、本研究では、すでにギリシア神話やギリシア悲劇に現れてい る「度を超すなかれ」という格言的な教えとの関連を考慮しつつ、その成立過程を探求した い。また、アリストテレスの「中庸の徳」の理論 — 特に勇気論と節制論 — が、彼の快楽論 とどのような整合性を保持しているのか考究したい。さらには、彼の師プラトンがその著『プ ロタゴラス』において指摘している快楽計算上のミスとしての「快楽に負ける」という事態 について、アリストテレスがこの問題をどのように受け止め、解決を図っているかを探求し たい。 当研究は、いまだ継続中であり、部分的な探求の積み重ねの段階にとどまっているが、プ ラトンのテキストを踏査するなかで、一つのアイデアを得ることができた。それは、『パイド ン』における通俗道徳について述べられている一節、「節度ある人たちは、一種の放縦のゆえ に節度があるのではないか…彼らは、ある快楽を熱望し、それを奪われるのを恐れて、つま りある快楽に支配されて、別の快楽を節している。快楽に支配されることを彼らは放縦と呼 んではいるが、実際は、彼らがある快楽を支配しているのは、別の快楽に支配されてのこと なのだ…彼らはある意味で放縦のゆえに節度がある」という一節である。ここには、 「快楽に 負ける」という事態がなぜ起きるのかが示唆されている。すなわち、節制は放縦の対極に位 置するものではないし、その中庸性も禁欲的な道徳によって保持されるものではないという ことが暗示されている。むしろ、ある一つの節制は別の快楽への放縦によってこそ保持され るのである。この逆説を超える地点へと人を導くものがあるとすれば、はたしてそれは何か、 それを今考察しているところである。 要 研 究 の 考 察 ・ 反 省 探求の初期段階において、早くも予想を超えた問題の広がりに直面し、 「日暮れて道遠し」 を実感しつつ現在にいたっている。しかし、その枝分かれした一つの部分から新たな着想を 得ることができた点で、若干の進展はあったと自負している。とは言え、課題はあまりにも 多く残されている。来期に向かって一層の精進を重ねたい。 ※この欄は,本報告書提出時点で判明している事項についてご記入ください。 研究発表 学会名 発表テーマ 年月日/場所 研究成果物 テーマ 誌名 巻・号 発行年月日 発行所・者