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病気の顔貌と容貌(4) - Kyushu University Library

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病気の顔貌と容貌(4) - Kyushu University Library
J. Health Sci., 13 : 143−151, 1991
病気の顔貌と容貌(4)
シーハン症候群(Sheehan’s Syndrome)について
佐々木 悠
二 宮 寛*
前 原 史 明**
川 崎 晃 一
二 田 哲 博*
奥 村 悔*
Facial and body appearances of diseases (4)
一 Sheehan’s Syndrome 一
Haruka SASAKI, Hiroshi NINOMIYA“,Tetsuhiro FUTATA’,
Fumiaki MAEHARA““,Terukazu KAWASAKI and
Makoto OKUMURA“
Summary
Panhypopituitarism is due to postpartum thrombosis of sinuses and ischemic infarction and necrosis
of the pituitary gland, usually as a result of obstetric hemorrhage and shock that occur at term. The
complete concept of the syndrome was well reviewed by Sheehan in 1937,
If a woman suffers severe hemorrhage, collapse, or shock at the time of delivery or during the early
postpartum period, she should be observed closely for several months for subsequent signs and symptoms
indicating pituitary necro$is. lf both the anterior and posterior lobes are involved and the gonadotrophins,
thyrotropin, and corticotropin are all absent, the appropriate descriptive term is “panhypopituitarism”.
Usually the clinical history is sufficient to make the diagnosis. Because the extent of pituitary necrosis in
Sheehan’s syndrome is highly variable, the clinical features may be few and involve only partial insuffcien−
cy of only one or two hormones.
We described the clinical features especially and presented our experienced cases with this syn−
drome.
(Journal of Health Science, Kyushu University, 13 : 143−151, 1991.)
はじめに
てしまいがちである。多くの症例は間違いはないであ
ろうが,出産歴や授乳歴,月経の経過などを注意して
中・高年婦人の患者さんを診察していると,何とも
尋ねてみることは大切なことではないだろうか。ちょ
一元的に説明し難い訴えに悩まされることがある。我々
っとした問診が契機になって重大な疾患を伝い出すこ
はしばしば,“更年期の症状でしょう一”などと説明し
とも少なくないからである。
Institute of Health Science, Kyushu University, Kasuga 816, Japan
“First Department of lnternal Medicine, School of Medicine, Fukuoka University,
Fukuoka 814−Ol, Japan
’“
cepartment of Radiology, School of Medicine, Fukuoka University,
Fukuoka 814−Ol, Japan
144
健 康 科 学
下垂体前葉機能低下症(hypopituitarism)は何等か
第13巻
性器,甲状腺,副腎および他の臓器の萎縮を認めるこ
の原因によって下垂体前葉ホルモンの分泌が低下した
とを記載した。Simmondsは自験の13症例中10例に敗
状態である。そのうち汎下垂体機能低下症(pan−
血症(sepsis)を認めたことより,下垂体前葉の血栓性壊
hypopituitarism)は下垂体のすべての前葉ホルモンが欠
死 (embolic necrosis)の原因は敗血症による細菌性
如している場合をいい,幾つかの前葉ホルモンの分泌
栓塞であろうと推定した。その後,いくつかの変遷を
が低下し,他は正常に保たれている場合を部分的下垂
経てSimmondsの述べた病態は下垂体性悪液質(ca−
体機能低下症(partial hypopituitarism),単一の前葉
chexia hypophyseopriva)としての概念で捉えられ,
ホルモン分泌が欠如する場合を単独(選択的)ホルモン
欠損症(isolated hormone deficiency)と呼んでいる。
XIII.
Ubet’ eitil)olisclte 1’rozesse in der Hypopltysit.
(Aus del「’P・thnl・giscl・岨1…ti・・t d・・Alig蜘・・n K…k…1・・・…S・. G…琶,】1・mb・r&,)
成人では主としてACTH, MSH, TSH, Growth
hormone(GH),及びgonadotrophinの低下により,そ
れぞれの標的器官である副腎,皮膚,甲状腺,諸種内
臓,および性腺などのあらゆる臓器の機能低下と萎縮
に基づく症状が出現する。侵されるホルモンの順序は
報告者によってまちまちであるが,GH,gonadotrophin,
ACTH, TSHの順に障害される3)4)。また,視床下部の
X prof. )f, !s’Oi”tnmonds.
(Hicn竃星15 Tρx¢fig嘔lren.}
IVtih.rend z.ah]reitheanatomischeArbeiten s」ch initden l}rimaren Erkrankungert,
ipsleesop.de.fe den Gesehwulst})ildungen des Hirnanhanges, V)eschaftigt ha}一)eti,
sind gtt.ffallenderweise die sektntdarett Affektionen dieses Organs nttr seit’en Gegett−
st・nd d・・pathQl・gi・ch一…t・mi・che・F・rschu・g 9・w・・肌1・・1・e…d・・e gilt・du・
von e.iner Gruppe yon Vertinrlerttn.cren, die bisher fast gar[z rernachlassigt ’
唐魔盾窒р??
ist, die embolischen Prozesse in der 1{ypophysis.
、、’ss darinber bislder pttbliTietr g【tr・le,}st副lt sp;trtiぐh. Ally・t・r・delltsclsen Liter“turkent巳e
ich nut eine Ang・be v・,・1 Bemla’1・E・b・・i・ht・U・曲・…mr…e・・d・・i玉…b・i量11・9・de・P・伽・
}og’bschen Anatoniie des llirna”h“ngs nur von “iTient s’o” ihtn selbst beeh“ehtetcn :Sbsieg’se i}e.h
llinte「h・・tl・pp・II・・md ww・i・hl・・hei n・f ・i・1・MiM・・g P・nfi・ks, de・einlna日・d S・p・is
器質的,機能的病変によってもこの下垂体前葉機能低
下が出現することは言うまでもない(表1)。
本稿では,下垂体機能低下症のなかでも多彩な症状
B・・kt・rien in G・f伽・・“一・[t」1,叩hy・i・9・f・L竃[小”h・ttCL.1・hne・d・昌di鯉Eml,。li¢、u ent,iindSicl旧l
V・rti”de…tSen 1’e・nnktsb・1・・ぎ6・b・A・・tle・・ll・1副i・・hl,・Lil…ヒll・i・t・蜘巨1rdll・’・lt・i・R・1・・atb
?ine i=垣 1Doll虹iSCh?r SPru‘・量馳妙 elSC・hiし昌rlenIL Arl,eit 、rl月脂 ‘…lil、Ski I}ek‘塵tln!, 1}ies.er Autりr l,e聖・icl」ヒ?t
tibe「zw・i F・ill・v・・i’・w・S}町・t・・’1)・i・,・・1・d・・n“n der vi・e e]1・e Eiじ叩mg, lte・…1…舳・N齢w。
h・:rlh鵬Himnh…言・・1正wies・【・・・・…1蜘m F・田・r。M・d,・・i・irl・・lj・W・・d・m P・・t P・漁1・…
・},)・’1)・ ]s・’府中r・er・量1・i’he,i,m Frnu pl・en捌油旧,・isc]・ri・bo),・融・・s・・ i・・nt−r,inlj・1・nes Ofga・s.
を呈するシーハン症候群(Sheehan’s Syndrome:post
図1Simmonds Mの原著論文
−partum pituitary necrosis)を紹介してみたい。
(Klinsche Medizin 217 : 226,1914)
たしかに,分娩施設や輸血の管理が完備した現在で
は,本症の発症は激減したことはたしかであるが,潜
1922年,Lichtwitzらによって“Simmonds病”と名づ
在性や不全型の本症はなお見落とされている可能性も
けられたのである。一方,1937年および1939年,英国
多いと考えられるからである。
(リバプール大学)の病理学者Sheehan, H.しらは分娩
シーハン症候群の歴史と概念
シーハン症候群は非腫瘍性,特発性の疾患で,分娩
後に発症した下垂体壊死の自験12例と文献的に分娩後
下垂体壊死の60例をまとめて検討し,本症の発症には
Simmondsらの指摘した敗血症によるよりは,むしろ
分娩時の大量出血,あるいはそれに伴うショック状態
1, Pituitary tumors: ‘‘chromophobe,” eosinophil, basophil
2.T.umors in the regionofthe hypothalamusand pituit:{ry stalk:cranio−
が極めて重要であると考え,下垂体の虚血性壊死(is−
pharypgiomas, meningiomas, secondary deposits(especiully breast),
hypothalamic and chiasmai gliomus, haiTiartornas
chemic infarction)がその原因であることを“Sim・
団羅撒灘鰍難二翻濃;瓢淵:
plexy, tumor infarction
5, Unknown: especially isolated defects probably due to hypothalainic
hormone deficiency; fibrosis of unknown cause
6, Miscellaneous: hemochrQmatosis, vascular malformations of the hy−
pothalamus, trauma with or without skull fracture, after surgical or
radiotherapeutic treatment of a pituitary lesion
表1 Hypopituitarismを呈する疾患(文献13より)
時の大出血やショックが原因で引き起こされる。本症
monds disease due to post−partum necrosis of the
anterior pitui亡ary”という表題のもとに発表したので
ある])2)(図2)。しかしながら,この詳細なメカニズム
については現在なお不明の点も少なくない。妊娠時に
はエスロゲンなどのホルモンの増加によって下垂体の
重量,および血流は増加しており,出血性ショックな
どによる血流減少やhypoxiaに対して極めて敏感な状
の歴史は1914年のSimmondsらによる13例の臨床的な
態にある。即ち,出血性ショックに伴う下垂体血管の
所見と剖検:所見に基づく報告にはじまる(Virchows
攣縮が引き起こされ,下垂体循環不全,下垂体梗塞・
Arch Path Anat 217:26,1914)(図!)。彼の症例のな
壊死が進行するとする考えである。また,胎盤早期剥
かには男性例(7例)も含まれており,無力,るい痩,
離や羊水栓塞などの分娩異常に伴うことも少なくなく,
無月経,インポテンツ,皮膚の萎縮と蒼白,歯の脱落,
血管内凝固(DIC:disseminated intravascular coag−
毛髪恥毛の脱落,精神・情緒障害を認め,剖検所見で
ulation)の部分症としての関与も指摘されている5)6)。一
は下垂体前葉の壊死疲痕,膿瘍形成を認める他,内外
方,最近では出産時に出血やショックなどの既往がな
病気の顔貌と容貌(4)一シーハン症候群(Sheehan’s syndrome)について一
145
6i6.83r.43一一KK)2.4:6i8.6
されることは極めて稀である。しかしながら,稀では
POST−PARTUM NECROSIS OF THE ANTERIOR
あるが大量出血に基づくよるショック状態の遷延など
\羅器
によって視床下部にも障害が波及んだと考えられる症
Fア。,n伽Researvh D¢P粥鵬翻,σ吻㎝,岬ムfω6m吻ヨ。綱・
(P“T1s mslll.一XXXVI,)
THE signifieanee of necrosis of the anterior pituitary chiefiy concerns
Classic pages in
Obstetrics and Gynecology
its relationship to the series of disorders of pituitary function
“’hich culminate in Simmonds’s disease. As the lesien is an
虻reversible one, its毘tiology is of hnportance飯o皿the 8tandpoint
of possible prophylaxis.
The firs−t p’art of this paper deals with the ear]y phase of the
H. し.SHEE}唱AN
Pos才Pαr沁m necrosi$of妻he anterior p為りiセGry.
Jaburnal Qf Pa±haiogy and Bactefiolegy, val. r15, pp. fS9・214, IP37,
necrosis, up t’潤@a month after the onset, the second with t.he later
healed stages, from 1 to over 4e years Efter onset. Tvvelve ne“T
cases are ’ 窒?ported: these occurTed in a conseeutive series ot’
76 wemen, lb of whom died in late pregnancy or at delivery and
59 during the puerperium, Horizontal or sagittal m.edian. apd
lateral seEtions 6f the gland were examined by the usual methods,
including stains for fibrin, fibrous tissue and granules.
J Pathol B〔lct 45:ユ89,1937,
図2 Sheehan Hしの最初の原著論文(1937年)
くても下垂体前葉機能低下症に陥る症例が報告され,
抗下垂体抗体の存在,リンパ球性下垂体炎(lympho−
cytic adenophypophysitis)とも関連して,自己免疫的
機序の関与も示唆されている7)・8}。後述の症例3,5に
於いてもも抗下垂体抗体陽性が認められた(図3)。こ
の現象のみをもって,本症の発症と自己免疫的機序を
関連ずけることは無理であろうが,自験少数例のなか
で2症例にも下垂体抗体陽性例を認めたことは,今後
検討の余地があるものと考えられる。
Sheehan&Summersの剖検例の検討によると,分
娩時の出血量と症状出現とには関連性があり,何等か
の下垂体前葉不全徴候が出現するためには少なくとも
下垂体の75%以上の壊死が,完全な不全型を呈するに
は90%以上の損傷がなければならないとしている(図
4)9)。また本症は何回目の分娩でも,流産によっても
図4 Sheehanの原著:論文(1937年)の下垂体壊死組織
起こり得る(症例1)。本来,下垂体前葉と後葉では血
像(Am J Obstet Gynecol 15巻,1971. P,851
より)
例や中枢性尿崩症を呈した症例も報告されてい
る!o)・’1)・15L17)。著者らも潜在性のプロラクチノーマが存
在し,下垂体卒中くpituitary apoplexy)に陥りそれを契
機に中枢性尿崩症を併発した症例を経験しているが12),
シーハン症候群の場合も類似の機序が働いたものと考
えられる。
図3 抗下垂体抗体陽性(蛍光抗体間接法)前葉細胞,
右上:GH3 ce11,右下:AtT−20 cell
シーハン症候群の臨床症状
自験例の場合,発症の契機となった出産歴と確診に
至るまでの時期はまちまちであるが,何れの症例も初
診時,乳房の明かな萎縮と腋毛・恥毛の脱落・減少を
管支配が異なっており(図5),視床下部や後葉系が侵
認めている。一般に分娩直後から発症する症例では産
146
健 康 科 学
第13巻
後乳腺の萎縮と完全な乳汁分泌の停止でもってはじま
る。それに次いで乳房が退行し,易疲労感,無気力な
どいわゆる“産後の肥立ちが悪く,元気がない”など
の症状が出現する。下垂体前葉壊死の程度や回復の程
度によっては,軽症例,あるいは潜在性のまま経過す
皿〉●ntncl●
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li Ctinold
図6 症例1の顔貌(妊娠9カ月の流産が契機となる)。
A:41歳(入院時),老人様の顔貌
Sneurohypophysis)
B:56歳,現在も補充療法中で元気であり,発見
時に比し年齢を増しているにもかかわらず
若々しい
Sphenoid Sinus
図5 下垂体前葉と後葉の血管支配(文献13より)
る症例(so−called dormant Sheehan’s syndrome)も
数多く存在するものと思われる。これに下垂体前葉ホ
ルモン分泌不全が加わると,性腺系の機能低下に基づ
く症状の他,甲状腺機能低下,副腎皮質機能低下と多
彩な症状が出現してくる13)。
まつ産後の性器の回復が不良であり,性腺の萎縮,
稀発性月経や無月経となり,性欲も著明に低下する。
図7 症例1のCT(右), MRI(左)所見。
更に貧血による症状も加わって疲労感,倦怠感,虚脱,
(トルコ鞍はむしろ小さく,empty sellaの存在)
無気力などの症状が認められる。年齢の割に早老な感
じ(老人様顔貌:図6A)を受けることも少なくなく,
られ,意識消失発作を繰り返し入院の契機となる症例
時に眼瞼,四肢などに浮腫を認め,“下垂体性粘液水腫
も少なくない。著明なものは精神病として加療を受け,
(pituitary myxedema)”とも呼ばれる。歯槽突起の萎
“内分泌性精神症候群(endocrine psycho−synd−
縮により歯も脱落する。また下垂体性ACTH,メラニ
rome)”と呼ばれている。本症の脳波所見についても基
ン刺激ホルモン(MSH)の欠如のため皮膚は蒼白で,日
礎律動の徐波化が特徴的であり,重症例ではα波の消
焼けも少なく,発汗も減少している。また,基礎代謝
失,θ波が優位になる。自験例の全症例に同様の脳波所
の低下のため体温は低く,四肢は冷たい。低血圧も多
見を認め,ホルモン補充後に明かな改善が認められた。
くの症例で認められる。Sheehan自身も強調した点で
このことから推定すると,かかる脳波異常は器質的障
あるが,自験例でも比較的体重は保持されており,著
害によるものではなく,内分泌障害の結果であると考
明なるい痩を認める神経性食欲不振症やSimmonds病
えられる4)。
との鑑別として重要である6)・14)。胃腸症状を訴える症例
以上述べた臨床症状の多くは何れも甲状腺機能低下,
も多く,悪心・嘔吐,下痢,便秘,腹痛などと多彩で
副腎皮質機能不全に基づく下垂体前葉ホルモンの欠落:
ある点も注意が必要である。
による症状の混在であり,侵されるホルモンの種類や
一方,症例によっては精神症状を呈する症例も存在
程度,放置期間などによっ個々の症例で少しつつ異な
する。一般に言語は緩徐となり,動作は緩漫で,周囲
っている。典型的な症例の診断は必ずしも困難ではな
環境に対する反応は悪く,先述のごとく無関心,無力
いが,不全型や軽症例は不定愁訴,あるいは他の疾患
状となる。症例3のごとく低血糖発作もしばしば認め
として片付けられる可能性がある。現に,西川ら5)の集
病気の顔貌と容貌(4)一シーハン症候群(Sheehan’s syndrome)について一
147
計によると多くの症例が貧血,胃腸疾患,低血圧,寄
乳房がはることもなく,乳汁の分泌も認めなかった。
生虫,腎疾患,慢性肝炎,粘液水腫などの診断を受け
また階段昇降時の下肢の倦怠と脱力感あり,声も低く,
ていたことを指摘している。確診を下すためには各種
緩徐となってきた。以前は毛深い方だったが頭毛はつ
内分泌負荷試験が必要であろうが,,分娩歴の聴取と諸
やがなくなり,腋毛・恥毛も自然に減少してきた(図8)。
症状を一元的に考えることの重要性を物語っている。
貧血(RBC 292×104, Hb 9.5g/dl, Ht 27.5%,
自験例を入院時までの経過と臨床症状を中心に紹介
hypoplastic marrow)を認め,内分泌検査の結果, cor−
する。
tisolの低値と日内変動の欠如,末梢甲状腺ホルモンの
症例1:K.M,41歳,家婦。生来健康,第一子より第
低値。metopirone負荷にて反応なく,LDOPA, Insu−
6子まで正常分娩。昭和49年6月,第7子を妊娠9カ
lin−stress負荷試験にてGH,cortisolの反応なく“シ
月にて流産し,出血多量のため某病院に緊急入院,貧
ーハン症候群”と診断された。L−T4, hydrocortisone
血によるショック状態(RBC 188xlO4, Hb 4.2g/dl,
の補充療法をおこない臨床症状は著明に改善し,貧血,
WBC 38,200)と産じょく熱を認め3000 mlの輸血を受
肝機能障害も正常化,確診12年後の現在も元気で日常
けた。同病院退院後は普通に生活していたが,同8月
生活を行っている。昭和63年(48歳時)MRIを施行,
易疲労感,食欲不振あり近医受診したところ肝機能障
empty sellaの存在が確認された(図9)。抗下垂体抗
害を指摘され,その後無理をしない様にしていた。10
体は陰性であった。
月再び食欲不振,全身倦怠感あり肝障害(GOT 370,
GPT 370, ALP 16.6 K−AU)を指摘され,福岡大学病
症例3:H.Y,46歳の脚継。生来健康。昭和36年(36
院を紹介され,精査のため入院した患者である(図6A)。
歳時),帝王切開にて第二子満期分娩,その時出血多量
流産以後4カ月間に体重6㎏減少,月経は正常量で不
規則ながら認められた。入院時151.5cm,40.3kg。脈拍
76/整,血圧95/60mm Hg,眼瞼結膜軽度貧血を認め,
恥毛,二毛は粗で,眉毛も外側半分は薄く,腋毛は脱
落:,顔貌は老人様であった(図6A,)。入院時,四肢の冷
感を訴え,電気アンカーの使用を希望した。内分泌検
査にて尿中17−OHCS,17−KSの三値, ACTH試験に
て明らかな反応を示したが,metopirone試験に無反応
であった。またInsulin stress試験, L−DOPA, arginine
負荷試験にてGH,およびcortisolは無反応であった。
一方,TRH,およびLH−RH負荷では反応性が認めら
れ,partial hypopituitarismを呈した“シーハン症候
群”と診断された。確診15年後の現在もL−T4,
hydrocortisoneの補充療法を継続,比較的元気で日常
生活を営んでいる(図6B)。昭和64年施行のMRIにて
empty sellaの存在を確認した(図7)。抗下垂体抗体は
陰性であった。本例は流産でも本症発症の原因となり
得ること,性腺系が比較的温存されている症例の存在
を示唆している。
症例2:39歳,家婦。生来健康。昭和48年11月(35歳),
第三子出産時,出血多量(1200 ml)にてショック状態と
なり約1400mlの輸血を受けた。翌1月頃より全身倦怠
感,食欲不振を認め輸血後肝炎の診断にて約一ヶ月半
入院加療。以後某病院にて外来にて経過観察,昭和51
年には肝硬変の診断をうけ,52年5月精査を目的に入
院した患者である。第三子牛産後は月経は発来せつ,
図8 症例2の全身像(腋毛,恥毛の脱落)
148
健 康 科 学
第13巻
悔
図9.症例2のMRI
(empty sellaの存在,右下:トルコ鞍)
にて輸血をうけた(出血量?)。乳汁分泌なく,半年後
蚊より脱毛傾向を認め,一年後には腋毛・恥毛はまっ
たく消失,月経も認めなくなった。40歳頃より寒がり,
易疲労感,下肢脱力感を自覚するようになった。昭和
53年になって時に回転性のめまいを認め同7月低血糖
発作と思われる意識消失発作にて某病院に緊急入院。
貧血の診断にて3000リットルの輸血を受けた。その間,
肺炎を併発したが好転しないため同8月福岡大学病院
図10症例3(46歳)の全身像
に転院となった患者である(図10)。
(乳房の萎縮と腋毛・恥毛の脱落)
入院後も貧血(正色素・隠球性,RBC 242×104, Hb
7.7g/dl)の進行と低血糖発作(25mg/dl)の頻発,低ナト
試験にて無反応であり,病歴上の分娩時出血歴ともあ
リュウム血症(125mEq/1)を認め何等かの副腎機能低下
わせ,シーハン症候群と診断,hydrocortisoneと甲状
が疑われ内分泌学的検索を施行,その結果,LH−RH負
腺末の補充療法を行い臨床症状の著明な改善と貧血の
荷にて下垂体・性腺系は僅かに機能を保持しているが,
改復を認め退院した。確診11年後の現在(平成2年),
TSH, prolactin(PRL),GH,ACTH系は種々の負荷
同剤としT4の補充により元気に日常生活を続け,外来
”
経過観察中である。
.y ・/
本例は出産時出血より10年後に本症候群と確診され
’写㌦蜘。
た症例であり,それまでに貧血症状と低血糖発作が混
紳・擁
在した意識消失,めまいなどを自覚している。当院入
難
fseV
院時は肺炎と腎孟腎炎を併発,副腎クライシス(adrenal
crisis)に近い状態であったと考えられる。本例は昭和63
年,MRI検査を施行, empty sellaの存在が確認され
た(図11)。また,補充療法中にも拘らず抗下垂体抗体
蛍光抗体間接法にてGH3 cell, AtT−20 ce11にて陽性
が認められた(図3)。
図11症例3のMRI所見(完全なempty sella)
症例4:55歳家婦。元来健康。24歳時第一子分娩(男
児)時,胎盤癒着のため大量出血あり,意識消失,輸血
病気の顔貌と容貌(4)一シーハン症候群(Sheehan’s syndrome)についで一
149
をうけた。その後乳汁の分泌なく,体重が増加し始め
された例である。本例も性腺系は比較的保持されてお
た。また月経量も多くなった。その後25歳,32歳,35
り,発症後に三回の流産を経験している。早い時期に
歳時に妊娠したが各々4カ月,2カ月,2カ月時にい
診断され,適切な補充療法を受けていたならば妊娠に
ずれも流産であった。最後の流産丁丁より寒がりと便
維持と分娩は可能であった症例と考えられる。
秘を自覚,また比較的規則的であった月経周期は不順
となり,41歳で閉経した。50歳頃より家人より物忘れ
症例5:38歳,家婦。生来健康。昭和63年3月某産
が多いことを指摘されるようになり,活気がなくなっ
科にて第2子児顔面位にて帝王切開分娩。その時,出
た。昭和61年4月(55歳),特に誘引なく悪心・嘔吐,
血とその後の発熱あり(出血量不明),貧血,起立性の
失神を認め,総量2000m1の濃厚赤血球輸血を受け退院
した。その後も倦怠感が持続,次いで嘔気を伴う食欲
5
不振,尿の濃染に気付き5月福岡大学外来受診(GOT
462,GPT 260,総ビリルビン1.9 mg/d1),輸血後肝
炎の診断で入院した患者である。入院時,157cm,45㎏,
脈拍102/分・整,血圧124/60mm Hg。球結膜に黄疸あり。
歎 ,
図12 症例4(55歳)
A:入院時,B:補充療法後,老人様の顔貌が明
かに改善している
図14症例5(38歳)の全身像(乳房萎縮と腋毛の脱落)
図13症例4のCT, MRI所見(empty sella)
A: enhanced CT, B & C: Metrizamide CT,
D: MRI
図15症例5のCT, MRI所見
(発症から3カ月後にempty sellaに移行)
A:CT, B:MRI, C:トルコ鞍
四肢のnon−pitting edemaを認め近医受診,成人病セ
ンターを紹介,甲状腺機能低下症と診断され福岡大学
乳房萎縮を認め,圧迫にで乳汁分泌は認めず,腋毛・
病院に精査のため入院した(図17)。
恥毛は粗であった(図14)。
各種の内分泌学的検査所見,empty sellaの存在(図
本例は分娩時の出血と輸血歴,その後の乳汁分泌不
13)などより,“シーハン症候群”と診断,hydrocor−
全と比較的短期感の腋毛・恥毛の脱落,低Na血症,肝
tisone, L−T4の補充療法を開始,臨床症状の著明な改
炎に対するglucagon.insulin療法時に低血糖の頻発,
善を認めた(図12)。24歳時の原因発症より21年に確診
内分泌学的検索にて下垂体前葉ホルモン分泌不全,抗
150
第13巻
健 康 科 学
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1988
図16症例5の臨床経過(post−partum painless thyroiditisとpituitary necrosisの合併)
下垂体抗体陽性,MRIによるempty sellaの確認(図
様であることを物語っている。本症は適切な補充療法
15)など極めて早期に確診された“シーハン症候群”で
を行うことによって完全な社会復帰が可能な疾患であ
ある。さらに旧例の特異な点は本症と同時に産後一過
る。これら患者の早期発見はきわめて重要であり,詳
性甲状腺中毒症(post−partum painless thyroiditis)
細な問診と視診の過程での本症の存在そのものを念頭
を合併した点である(図16)。極めて稀な症例ではある
に浮かべることの重要性を改めて強調したいと思う。
が充分の留意が必要であり,詳細は拙論文を参照され
たい16)。
文
献
以上,自験例のすべてに,頭部CT, MRIにてempty
1) Sheehan HL: Simmonds disease due to
sellaの存在(図7,9,11,13,15)が確認された。本症候群
postpartum necrosis of the anterior pituitary.
がsecondary empty sellaの重要な要因であることを
Quart.J.Med., 8: 277−309,1939.
示唆しているものと考えられる16)・18)。
おわりに
2) Sheehan HL: Post−partum necrosis of anterior
pituitary. J.Pathol.Bact., 45: 189−214,1937.
3) Dizerega G, Kletzky OA and Mishell DR:
著者らが経験した症例はいずれも他の疾患の疑われ
Diagnosis of Sheehan’s syndrome using a se−
て入院,精査の過程で本症候群の確診に至った症例で
quentiat pituitary stimulation test.
ある。これらはホルモンの分泌障害の程度,種類,発
Am.J.Obstet.Gynecol.,132 : 348−353, 1978.
症からの期間によって臨床症状は極めて多彩,かつ多
4)佐々木 悠,上野道雄,浅野 喬,平橋高賢:下
病気の顔貌と容貌(4)一シーハン症候群(Sheehan’s syndrome)について一
151
垂体性ゴナドトロピン分泌能に異常を認めなかっ
日内分泌会誌,66:9−21,1990.
た不全型Sheehan症候群の一症例.
13) Christy NP and Warren MP: Other clinical
福大医紀要,2:263−270,1975.
syndromes of the hypothalamus and anterior
5)西jll光夫,森脇要:内科と産婦人科:とくにShee−
pituitary, including tumor mass effects. ln:
han氏病.最新医学,21:1666−1971,1966.
Endocrinology Vol.1., Ed by DeGroot LJ.
6)西川光夫,岡野錦弥編集:臨床内分泌学,医学書
W.B.Saunders company, Philadelphia, P.419
院,東京,1969,P87.
−453, 1989.
7)飯田さよみ,森脇要:Sheehan症候群,
14) Sheehan HL and Kovacs K: The subvent−
現代医療,20:1601−1605,1988.
ricular nucleus of the human hypothalamus.
8) Pouplard A: Pituitary autoimmunity.
Brain 89:589M614, 1966.
Hormone Res., 16 : 289−297,1982.
15) Whitehead R:The hypothalamus in post−par−
9) Sheehan HL: The recognition of chronic
tum hypopituitarism.
hypopituitarism resulting from postpartum
J.Pathol., 86 : 55−67, 1963.
pituttary necrosls.
16)佐々木悠,司城博志,植木敏晴,延原幸嗣,秋吉
Am.J.Obstet.Gynecel., 15 : 852−854,1971.
恵介,漢幸太郎,栄本忠昭,奥村洵:Sheehan症
10) Winer P, Ben’lsrael J and Plavnick L: Shee−
候群発症に伴った産後一過性甲状腺中毒症(post
han’s syndrome with diabetes insipidus.
partum painless thyroiditis)の一例と病態.
Isr.J.Med.Sci.,15:431−433,1979.
総合臨床,39:379−385,1990.
11) Schwartz AR and Leddy AL: Recognition of
17) Bakiri F and Benmiloud M: Antiduretic func−
diabetes insipidus in postpartum hypopituitar−
tion in Sheehan’s syndrome.
ism. Obstet. Gynecol., 59 : 394−398, 1982.
Brit Med J., 289 : 579”580,1984.
12)佐々木悠,大西 修,前原史朗,秋吉恵介,嘉島
18) Fleckman AM, Schubart UK, Danziger A and
太郎,片伯部広太郎,山本登士,浅野 喬,奥村
Fleischer N: Empty sella of normal size in
洵:下垂体卒中を契機に下垂体前葉機能低下症,
Sheehan’s syndrome.
中枢性尿崩症に加え,一過性甲状腺中毒症(pain−
Am J Med., 75 : 585−591,1983.
1ess thyroiditis)を呈した症例と病態について.
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