Comments
Description
Transcript
学生からのコメントとそれへの応答
「科学と人間」7 月 12 日分コメント 今回、アメリカの人種問題についての授業をうけた。この人種というものについてかく。 人種とは、授業で聞いた通り明確な基準はなく、時代によっても異なるとてもあいまい なものである。このような人種という感覚は区分が増加したり減少したり、現代では複数 が選択できるようになっている。このように、時代によって変化していく人種という考え 方は、現代、存在する必要性があるのだろうか。 確かに、奴隷などの制度があった時代、この人種によって奴隷であるか、自由人である かを決めたりしていたが、現代にはこの奴隷制度はない。さらに、現代では多様性を重要 とする考え方もある。 このことからも、わざわざ人間を人種という区分に分ける必要はないのだ。 必要がないのに存在しているものは世の中にたくさんあります。 (や) 多様性の中に、人種という区分は該当しないのでしょうか。 (よ) 第二セッションのテーマである「人間はなぜ差別するのか」という内容を受けて、その 差別という概念が生じた原因を、仮に人間が差別をしなかったらどのような世界になって いたかを考えることで調べることにした。 差別しないということは、すなわち比較をしないということである。比較しない社会が 生まれれば、当然、学校での成績や企業での業績などの概念がなくなり大学や企業などの 存在意義を失う。そうなってくると世界は民主主義ではなく社会主義的な環境になりソ連 の教訓からわかるように社会主義の環境では経済発達が望めない。つまり言い換えると経 済発達を私たち人間が望んだために差別という概念が生じたということがわかる。 このことから、私たち人間が富を望んでいる限り差別をなくすことは不可能だというこ とを理解した。 憶測を書き連ねても意味がありません。 (や) 今回の講義はアメリカの人種差別についてでした。異人種間結婚禁止法について、まず この法律で異人種を区別する方法として①父母、祖父母から判断。 ②外見的特徴 ③社 会的所属と人間関係という観点で区別される。この区別の方法で人間関係というのは不確 かである。黒人と関係をもつ白人もいることはたしかである。そのほかの判断材料は少な からず納得がいく。それに白人である条件が白人との付き合いがありみすぼらしい生活を しておらず十分に道徳的である人物。というものでこれから黒人が道徳的でないと間接的 にいっているのであり、白人との付き合いがあるというのは逆にいうと黒人と関係をもっ ていても白人とも関係があれば白人であるということにならないだろうか。残りの要因も 達していなければ白人とは言えないが、この白人との付き合いがあるというのはわたしは そういう風にとらえる。つまり人間関係で判断すべきでないとかんがえる。 下線部、納得してはいけません。 (や) 異人種間結婚禁止法をめぐっては様々な訴訟が提起されました。有名なものに 1967 年のラヴィング判決 があります。これは、混血女性を妻にしたことでヴァージニア州を追放されたリチャード・ラヴィング という白人男性が訴訟を提起したことに端を発する判決です。興味がありましたら、調べてみてはいか がでしょうか。 (よ) 裁判所が、公共施設で人種別に隔離することは合憲、という判決を下したことはもとよ り、被告の社会的所属、人間関係から被告が白人であるか混血であるかの判決を下す、と いうことも白人と黒人を分離するためのものだと思う。 奴隷解放宣言は名ばかりのもの(選挙で勝つためのもの)に思えて仕方がない人種差別 を無くすためには、実現は難しいと思うが、教育機関で生徒に、人種間に違いはない、と いうことを教えて、少しずつ人種差別の考えを薄めていくしかないと思う。 いまだに「思う」と書いているのは大変残念です。 (や) 今回の授業アメリカでどのような人種差別が行われていたかを学びました。特に黒人に対 しては人種隔離を最高裁で合憲とされた歴史がかつてあり、黒人を明らかに差別化してい ました。例えば鉄道では白人と黒人の車両が分けられその他多くの公共の場での隔離が実 施され、黒人のかつて奴隷であった過去を誤った認識で白人たちは黒人に対して優位であ ると考えていたではないでしょうか。 今回の講義で人種差別について考えさせられました。黒人の血が少しでも入っていたら 黒人と扱われ、差別を受ける血の一滴ルールはとても残酷なものだと考えた。また、黒人 の判定法は客観的判断だが白人の判断は主観的判断によって決まること自体が差別のあら われだと思った。アファーマティブ・アクションは奴隷解放宣言から100年後にされた ということは、それ以前はどうだったのだろうか。奴隷制度が廃止されたといっても全然 平等ではなかっただろう。人種分離撤廃のせいでスポーツ種目の分類として最も撤廃が進 んだ種目もたくさんあり驚いた。 「思う・考える」はやめましょう。 「驚いた」など単なる感想で終わるのもやめましょう。(や) 奴隷制度が廃止された後の状況については、様々な書籍がそれについて言及していますので、参考文献 を手掛かりにして調べてみてはいかがでしょうか。 (よ) 黒人とは肌が黒い人のことを言う。というように、一括りで表現できない。ただ単に黒 人は強くて足が速いということではない。差別というのは、このように「黒人」という一 つの「種類」にしてしまうことから生まれるのではないだろうか。黒人だから危ないとい う人は、本当にその人一人ひとりを見て言っているのではない。今回、差別という事柄は 出てきていなかったが、授業中差別という言葉が頭から離れなかった。 今回の講義では、アメリカでの人種差別の歴史を学んだ。今までは肌の色でのみ黒人を 判別していると思っていた。しかし、その定義は時代によって変化し、基準も極めて曖昧 なものだった。中には一滴でも黒人の血が混じっていたら黒人にされるという「血の一滴 ルール」というものもあった。初めて知ることも多かったので、アメリカにおける人種の 背景をさらに深く学び、より人種について考え、学ばなければならないと感じた。 人種について何を考え、学ぶのですか?(や) 今回の講義では、アメリカの人種問題について学んだ。黒人に対する差別があるという ことは知っていたが、 「ウイルソン対アラバマ州訴訟」のように、社会的行為などから、人 種差別が行われていたということは、明らかにおかしなことだ。今回の講義で紹介されて いた訴訟や監獄ビジネスなどの話を聞いて、生物学的に人種という概念が存在しないが、 人種差別が存在する背景には、自分より下の存在を強引な理由付けをしてでも作りたいと いう考えがあったといえるのではないだろうか。日本においてえたひにんのような被差別民 が、牛馬の解体など、人のやりたがらない仕事を押し付けられたように、アメリカでは、 黒人という被差別民を作り、奴隷として扱うなど、人種問題にかかわらず差別には、自分よ り下の存在を作りたいという意識が根底にあるといえる。そのため、現代を生きるものと して、下の存在を作り、自分はそれより上だと考えるのではなく、平等な物事を判断する とともに、アファーマティブ・アクションに賛同し、より差別のない世界を目指していく べきだ。 下線部、 「あったといえる」理由を書いてください。 (や) 私は、アメリカの南部で人種差別があることは知っていたが、ジム・クロウ制度という ものは初めて知った。そして、このジム・クロウ制度により、黒人と白人の間にはこんな にも深い溝があった事を知り衝撃をうけた。特に今回私がこのジム・クロウ制度の具体例 を聞き、印象に残っているものは、白人女性が事故をした際、駆け付けた救急隊員が黒人 男性であったために適切な処置ができずに死亡したという出来事である。このような出来 事は、人種差別に関して無知な私には想像し難く、人種差別の悲惨さと痛ましさに胸を突 かれた。そして、人命救助より人種差別が優先されるという当時の人種差別の悲惨さがう かがえた。このような事件は、本当に信じ難い出来事であり、絶対にあってはならない。 最近は、アメリカの大統領が黒人のオバマ大統領であったり、スポーツの世界で黒人の選 手が活躍している。また、白人のシンガーソングライターが人種差別反対の歌を歌ってい る。このように、人種差別の問題は、昔より緩和されている①。しかし、いまだ黒人・白 人・ヒスパニックなどの言葉が現存していること自体、人種差別を意識させるものであり、 差別は完全に消滅したとは言えない。人種差別を世界から完全に消滅させる為には、個々 の意識を変えること以外方法はない。私の意見ではあるが、情報社会の今であるからこそ できることがある。それは、スポーツや音楽の世界で、誰しもが繋がることである。ここ では、宗教・肌の色・祖先・社会的所属などは関係ない。この世界を誰もが知ることで、 個人個人の選手の素晴らしさに気づき、いつか、 「人間」が一つになる時がくる②。 下線部①、Politically correctness という言葉を知っていますか? 下線部②、情報社会の中で何もしなければ、 「この世界を誰もが知ることで、差別の格好の口実を見つけ 出す」ことになるのではないですか。 (や) 私は今まで、特にスポーツの分野での人種間の優劣が存在するのではないかと疑ってい た。しかし、実際は人類は一つの種であって肌の色・体型などは表面的な形態の違いに留 まっているということを学んだ。一言で黒人と言っても多種多様であり、運動が得意な人 もいれば苦手な人もいる。つまり、人種間の優劣は存在しないもので、スポーツの分野で 能力がずば抜けているように見える人もその能力は個人の資質に留まり、育った環境など の後天的要素が大きな要因である。 今回の講義の内容は前々回の渡辺先生のものと共通するところが多く、人種に関する知 識・理解が深まった。そして、自分のスポーツに対する見方も変わった。 下線部、どう変わったのか具体的に書くように。 (や) アメリカの人種差別問題のように、長い期間の間定着していた問題をいきなり改善する というのは非常に難しいことであり、実際に差別は色濃く残っている。この問題が解決さ れるには、今まで差別が行われてきた期間よりも長い時間が必要となるだろう。 ひ と ご と あなたの文章から「他人事感」をひしひしと感じます。 (や) 今回の授業では、アメリカの人種問題についての講義を聞いた。 ジム・クロウ制度とはプレッシー対ファーガソン最高裁判決「分離すれども平等」と述 べ、公共施設で人種別に隔離することは合憲と判断した。また異人種間結婚禁止法が存在 し、当時の人種の判定方法は、家族から判定するか、外見的特徴からか、社会的所属や人 間関係からであった。 混血の割合により、3/8から5/8までのブラックの血を持つ者をムラート、1/4ブラッ クの場合クアドルーン、1/8ブラックの場合オクトルーンを使用していた。黒人の血が一 滴でも入っていれば、ニグロに分類する、血の一滴ルールで、人種の詳細な区分の廃止と ムラートの黒人化が進んだ。 積極的差別是正措置という意味のアファーマティブ・アクションが推進された。 現代では、刑務所が犯罪防止や更生のための場所ではなく、ビジネスの現場と化した。 人種に基づく先入観で警察が行う捜索や取り調べをレイシャル・プロファイリングという。 また、ホームレスであることが犯罪になった。 混血の詳細な区分や「血の一滴ルール」には科学的な根拠がなく、いずれも主観的なも のだ。にもかかわらず、ユダヤ人や日本のハンセン病のような「ジム・クロウ」制度があ ることに驚いた。そういった黒人差別に対して、アファーマティブ・アクションなどの政 策がとられてきたとありました。しかし、「過去の累積した不正を補う措置、すなわちアフ ァーマティブ・アクションが『肌の色の違いを区別しない』という原則に支えられてきた ことを評価する。しかし、その原則が現在では『逆差別』を生んでいる」*1ように、政 策や法律はごく表面的な問題しか改善してくれない。 その上、ワシントン行進や「北部の黒人は、連邦軍の兵士として、あるいはキリスト教 宣教師や学校の教師として、南部にやって来た。彼らは、北部ではすでに根づいていた政 治的行動主義、奴隷制に対する憎悪、平等な社会を築きたいという強い意欲を携えていた。 彼らは、理想主義や実用的な知識に加えて、南部黒人の考えとはまったく異なる自由の概 念や、その自由を手のにするための最良の手段を、南部にもたらした」*2とあるように、 差別を受けてきた人々はアクションを起こしている。過去の教訓から学ぶことが出来る私 たちが正しい知識を身につけることで、主観的意見に惑わされないようにしないといけな い。 第2セクションでは、 「人はなぜ人を分類し差別するのか」というテーマで様々な差別の 事例を取り上げてきた。その中で学んだことは、差別は決して他人ごとではないこと。1 つの事例・意見から判断するのではなく、複数の情報から判断する重要性がわかりました。 ひ と ご と あなたの文章から「他人事感」をひしひしと感じます。 (や) 今回の授業で、監獄ビジネスというものを初めて耳にした。刑務所は樹形者が更正する ための場所であったはずなのに、いつの間にかビジネスの舞台になっていることに違和感 を覚えた。何故監獄ビジネスというものが現れたのか、少し調べてみた。 窪田順正「何故「監獄ビジネス」が拡大しているのか――背景にあるのは」 (http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1303/19/news031_3.html)を読んでみると、日本でも 監獄ビジネスが広がっている。背景にあるのは、刑務所の高齢者の増加である。例えば、 寝たきりになってしまった高齢受刑者は介護しなければならない。これは、法律で受刑者 を健康な状態で服役をさせなくてはいけないと決まっているので、国が介護を義務として 定めているのである。では誰が介護をするのか? それが民間の介護業者なのである。 監獄ビジネスが広がる背景には、国の義務として定まっているからであった。もちろん、 今回講義にあぅたように、人件費が安いから受刑者を使うというのもある。しかし、高齢 受刑者を介護しないといけないので、介護業者が参入するのはわかるが、利益を求めて受 刑者を使うというのは、やはり違和感である。 下線部、高齢受刑者の介護に民間業者が入るのは「監獄ビジネス」 (監獄の特性を収益のために利用する) こととは違うでしょう。 (や) 今回の講義の中で、スポーツの特徴によって黒人と白人で参加率が大きく異なっていた 事例がありました。そこでは、スポーツをするための初期費用や練習のための費用が原因 であることがわかりました。そこで考えたのは、多様性を重視したアファーマティブアク ションを経済だけでなく、スポーツにも取り入れてみてはどうかということです。決して オリンピック出場選手にマイノリティー枠を作るべきだというのではなく、もっと身近な クラブ活動やチームの中で大学入学でのアファーマティブアクションのように、マイノリ ティー枠や助成金を出したらよい。 なぜなら、いろいろな選手がいるとゲームが面白くなるように、多様性が重視されるべ きなのは経済だけでなくスポーツもだからだ。そうすれば、費用によって参加率が分かれ ていたスポーツが将来均等になると予想する。 スポーツに多様性を入れることで誰が利益を得るのでしょうか?(や) 知識人の中には、黒人が学業ではなくスポーツに重点を置きすぎることの弊害を指摘している人もいま す。というのも、成功の可能性が高いとされるフットボールでさえ、20 歳から 39 歳までの黒人男性で プロになれるのはわずか 4 万 7600 人に 1 人の割合で、かつプロアスリートとして生計を立てられる黒人 男性は 3000 人しかいない一方で、黒人男性で弁護士や医師を生業とする人は 6 万人もいるという現状が あるからです(川島 2012, 193-5)。 (よ) アメリカの黒人差別の歴史だが、しばしば利潤や利益という単語が表れるのを見て、経 済的な観点ばかりが重視されていたことがわかる。 今回のスライド(吉岡宏祐「現代ア メリカの人種問題」 http://web.ias.tokushima-u.ac.jp/shin-kokusai/scienceandhumanity/2013/0712yoshioka. pdf 閲覧日 2013/07/13)によると、企業がアファーマティブアクションを支持するのは会 社のイメージ回復を目指すため、会社の多様性を確保することで継続的な成功を得るため である。監獄では黒人が全囚人の半数を占め、長い刑期のなか、安い賃金で企業が利益を 得る監獄ビジネスのために働かせられる。スポーツにおいても最も人種分離の撤廃が進む のは肌の色よりも能力が重視されたときだ。 アメリカはかつてより資本主義国家であり (横山彰人 「3 アメリカ合衆国の発展」 http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/kindai/91-usa6.html 閲覧日 2013/07/13)、利潤追求の思 想が根底に存在している。利潤追求のためには労働力が必要で、その労働力は安ければ安 いほどいい。そのため、白人優位という構図を残すことで黒人達を安い労働力として利用 していた。 (エリック・ウィリアムズ著『資本主義と奴隷制』明石書店 2004 年初版) 黒人が白人に利用されるのは、白人達の意識に、白人が黒人よりも知識的に優れている という思想があるからで、そこを是正しない限り黒人は利用され続ける。このことから黒 人という括りを使わずに、人を見る必要があることがわかる。スポーツの話から、優れた 能力を見せた場合は黒人であっても認められることがわかるが、ここにあるのはその優れ た人物を「黒人の一人」としてではなく「能力を持った一個人」として見る姿勢である。 人種という恣意的な括りを用いるから話が進展しないのならば、それを取り除かねばなら ない。 ただし、これらは特に優れた人々の話であって、アメリカは建国時から黒人差別が根付 いていたため、人種という考え方を取り除くには抜本的な意識の改革が必要であると考え られる。これらの為には親世代の教育から始めないといけない。親世代が子どもに偏見を 伝えていくという体制から打ち崩さなければ埒があかない。資本主義だというのならば、 黒人を尊重した協力体制が生む利益が偏見にも勝ることを知らしめれば良いのではないだ ろうか。 黒人の血が一滴でも残っていればその人は黒人と規定されると習った。この規定の仕方 だと、黒人の子孫はもし、法律が改訂されなければいつまでも奴隷になる運命にあったの ではないか。 なぜなら、一般的に考えて奴隷が白人と結婚するのは考えにくい。すなわち、黒人の奴 隷が結婚するなら奴隷である黒人であるからだ。しかし、奴隷が白人に性的搾取されたと いう事実もある。その性的搾取により、生まれた子供は黒人と白人との子であるので、見 た目は、黒人同士によって生まれる子供よりも肌の色は白いはずである。しかし、規定に より、性的搾取により生まれた子供もまた奴隷となるいう規定があったから、奴隷の遺伝 子を持つ子供達は皆奴隷とみなされる。 この負の連鎖は南北戦争でリンカーンの軍が勝たなければ永遠に続いていただろう。 人は皆貧富の差があるにしろ、法的には平等である。しかし、法を除いて考えてみても、 人間は平等でなければ、人権が保証されない。私たちは人権を皆持っていて自由に生きる 権利があるのだから、二度と奴隷制度を敷くことは許されない。 今回の授業では、現代アメリカの人種問題について勉強した。アメリカで黒人と白人の 差別があったというのは、中学生の時から知っていた。その当時も強く感じたが、やはり 「あってはならない」という強い怒りの感情がわいてきた。なぜなら、 「分離すれども平等」 などとは言っても、それは差別する側の言い分でしかなく、差別される側は決して平等に は感じていないからだ。そもそも、どうして黒人差別が始まったのだろうか。 「イギリスは 1800 年代頃からアフリカ大陸で暮らす黒人たちを金の力や暴力などによっ て捕らえ、奴隷としてアメリカに販売し大きな利益を上げた。また、黒人奴隷たちは商人 たちによって売買されたりもした。特にアメリカ合衆国南部では黒人奴隷を多数買い入れ、 広大な平野を農地として開拓させるとともに農業の働き手として利用し、農業が大きな発 展を遂げていた。黒人奴隷は人間ではなく、単なる労働力としか認知されなかったため黒 人に対する差別を強めることとなった。もっとも、南部にも人道的見地から黒人奴隷反対 派の住民は多くいた。そのため、中にはそれらの黒人奴隷反対派の住民らが、奴隷撤廃派 の多かった北部への逃亡を手伝うこともあった。」 (ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の 人種差別 より) ここで私はもし自分が黒人だったら、反対に白人だったらどうしたのか考えてみた。も し私が黒人だったなら、生きていく希望を見いだせないだろう。なぜなら人間であるのに、 人間でないような扱いを受けるからだ。日本人として平和ボケしている現在ですら、仲間 外れになったりいじめられたりするのには耐えられない。ましてや奴隷のような扱いを受 けるのは到底我慢できないだろう。しかしそこで自殺する自由すらないとしたら、本当に 苦しくおかしくなってしまうだろう。 反対に黒人差別が認められている時、自分が白人だったらどうしただろうか。黒人が差 別されていることに反対して脱出を手伝っただろうか。それとも率先して差別をしただろ うか。おそらく私はどちらでもなく、何も考えずに普通に過ごしていただろう。これは一 番恐ろしいことである。電車の席や学校や水飲み場が違っていようが、無関心で、特別に 差別することもなく、助けることもなく、普通に過ごしていただろう。 「分離すれども平等」 だと信じて、社会を疑ったり黒人の気持ちを考えたりしなかっただろう。だから無関心は 一番怖いことなのだ。これは現代の日本のいじめ問題にも十分当てはまる点である。誰か が苦しんでいる傷ついいている社会を当たり前のように感じ、それ故、助けるという発想 すらない。麻痺しているのだ。 あなたは今でも麻痺したままですか?麻痺しないためにはどうすればよいですか?(や) 今回の講義で「自由の国アメリカ」でも、いかに多くの黒人が差別されてきたかが分か った。私は黒人奴隷制や黒人の差別という行いはとっくに廃止された出来事だと解釈して いたので、1900年代まで・そして今なお黒人に対する差別が解消されきってないとい うことに驚かされた。 そもそも黒人たちは、白人たちに文明を破壊され・奴隷という形で新大陸に売られ、そ して現在それが原因となって発展途上という状態や部族間の紛争が起こっている。先進国 に住んでいる私たちには彼らのためにやるべきことがもっとたくさんあるのではないだろ うか。 下線部、 「彼ら」とは誰ですか?「やるべきこと」とは具体的に何ですか?(や) 今回の授業は、アメリカの人種問題についてということでした。黒人も白人も黄色人種 も肌の色や目の色が違うだけで、同じ人間です。ヒトが、自分と違う外見の人を自分とは 違う存在であると思う気持ちは分かります。しかし、それが差別につながってもよいとい う理由にはなりません。 「見た目が違う」という理由で、差別をするのは、子供じみていま す。 アファーマティブ・アクションでジョンソン大統領が演説で、「100 ヤード競争で一人が 足かせをつけ、もう一人が足かせのない状況を考える。足かせをはめた人とそうでない人 を比べたときに、40 ヤードの差があり、足枷を外すことで「平等の機会」は戻ったといえ る。しかし、足枷をつけていた人を 40 ヤード進ませるのが公正というものではないのか。」 と述べています。たしかに、平等の機会が戻っただけでは、根強く残る差別が全て解消さ れるわけではありません。差別していた側の考えを根本的に意識的に改善していく必要が あります。 私は今回の講義に出てきた監獄ビジネスに興味があったので、調べてみたところ日本で も監獄ビジネスが拡大していることが分かった。 拡大の原因は主に累犯障害者が多いことである。もともと、貧しい生活を強いられてき た人が刑務所での標準的な生活に味をしめ、出所してもまた犯罪を犯してしまっているの だ。法律上、受刑者をよい健康状態で服役させねばならないが、こんなことをずっと繰り 返すのは国にとっても国民にとってもよくないことである。だから、刑務所では出所させ る時にその人がその後ある程度の生活を送れるよう支援していくのがよいと思う。職に就 けるサポートをしたり、高齢者であれば施設に入れてあげたりすればよい。 受刑者を更正させるためという目的をちゃんと果たせる刑務所になるようにしていくべ きである。 下線部、何を調べたのか、 「出所表示」をするように。 (や) 今回の授業では、現代アメリカの人種問題について学んだ。過去の人種差別から現在に 至るまでの影響を知ることができた。その中でも印象に残ったのが、 「人種」概念の恣意性 である。人種を分類する際、対象者の系譜だけではなく、外見や人間関係など、科学的根 拠と思われるものではないものが考慮されていたということは初めて知った。現代にも影 響を及ぼしている「人種」という概念をなくすためには、「白人」と「黒人」が協力して措 置を考え、実行することが大切である。 今まで人種は人類を分類する基準となる明確なものであると思っていた。しかし、今回 の講義を受けて、いかに人種というものが時代によって異なる恣意的なものであるかを知 った。例えば、人種を判断するのに社会的所属や人間関係を用いるということだ。世の中 には肌の色が黒くても白人である人もいるし、仕事や身分に関係なく黒人も白人も黄色人 も混在している。それなのに、調査者による無理やりな判断で決定するというのは理不尽 である。そもそも、なぜ黒人であるというだけで差別を受けなければならないのか。植民 地時代の名残もあるとは思うが、それを容認していた社会も恐ろしい。また、アメリカの 国勢調査では何度も人種についての区分が変化していることにも驚いた。黒人の血が一滴 でもあれば黒人であるという血の一滴ルールが存在したとあったが、極端な話をすれば、 一番最初の人類は黒人の割合が高いアフリカで誕生してそこから各大陸に移動したので、 何世代も先祖をさかのぼって考えれば、多くの人が黒人であるといえる。さらにこのルー ルにしたがうと、白人の血 99%、黒人の血 1%の人イコール白人の血 1%、黒人の血 99%の 人となる。白人の定義みたいなもののなかにも、白人との付き合いがあれば白人であると いうものもあったが、この理論でいくと白人と付き合っている黒人も白人ということにな る。人種などという普遍でない不変な枠組みに惑わされることのない社会になってほしい。 黒人差別がなくなったとされている今も差別は残っているのではないか、と思いました。 自警団の人が黒人の少年を射殺したが無実になったというニュースを読みました。警官で ない人が銃で未成年を射殺し、無罪となるのは少なからず射殺された少年が黒人というこ とが関係しているのではないでしょうか。今回の講義でも、黒人のほうが白人よりも刑務 所に入っている期間が長かったり、収監率や量刑が不均等である、とありました。またホ ームレスに対する厳罰化も進んでいます。 ホームレスが増えるのは国の責任である部分も大きいし、厳罰化する前にやるべきこと をやったほうがいいです。雇用先を増やすようにするとかできることはあります。アメリ カで行われたことが、何年か後に日本でも実行されることが多いので、日本も現在ホーム レスとして生活している人の対処方法を考えてほしいです。 今回の授業では過去にアメリカで起きた人種差別の歴史についての学習だった。南北戦 争以降から、アメリカでは黒人が非常に恣意的に差別されてきた。「分離すれども平等」と いう考え方にもとづき、ジム・クロウ法などにみられるように平気で白人を優れたもの、 黒人を下等なものとして扱った。そんな時代に、そしてそんな国に生まれることのなかっ た私たち自身もこの黒人差別の歴史を忘れることなく、どうすれば今も残る差別の現状を 是正できるのか考えていくことが大切である。私はこのテーマを期末レポートの課題とし て扱うことにした。少しでも黒人差別の実態を理解できるようにしたい。 「人種」というものは、私は初め、科学的根拠に基づいた、正しい人類の分け方だと思 っていた。だがそれは間違いであり、全く恣意的で曖昧なものであると、この2~3回の 授業でわかった。人種の定義は明確な基準がなく、また、時代によっても人種の定義が変 わる。たとえばユダヤ人の定義は、ユダヤ教を信仰している人間というものであったが、 ナチスドイツにおいては、血統をもとに分けられた。それらの曖昧な定義だけで多くの人 間が迫害され、虐殺された。 今現代ではこの曖昧な人種というものを元にした差別は無くなったないしは少なくなっ たように思えるが、実際にはスポーツ界におけるスタッキングのように、まだまだ根強く 残っている。 同じ人間として平等かつ公正に暮らしていくために、これらの、 「人種」という間違った 考え方についての現状や正しい知識を、私たちは自覚し身に付ける必要がある。 最近別の講義でも黒人差別について学んだので非常に興味深い話題でした。黒人がどう いう人かということを恣意的に決められてしまっていたこと、異人種だからということで 結婚を認められていなかったこと、考えたらとても悲しいことです。アファーマティブ・ アクションという制度ができてよかったけど、まだ残っている差別を忘れないようにして いきたいです。 今回は現代アメリカの人種問題について学んだ。アメリカでは過去に人種差別問題があ り、ジムクロウ法と呼ばれる黒人の一般公共施設の利用を禁止制限した法律もあった。プ レッシー対ファーガンソン裁判では「分離すれども平等」という判決を下し、合法的に人 種差別をされるようになった。ジムクロウ制度の実例としては、エレベーターや電話ボッ クスを白人用と黒人用に分けたり、学校で使う教科書でさえ、白人用と黒人用で分けられ た。他にも、怪我をした白人女性のもとに駆けつけた救急隊員が黒人男性だったせいで、 適切な処置ができず、その白人女性が死亡したという事件も起きた。このように、黒人を 差別したせいで、逆に白人が被害を受けるという、自業自得とも言えるようなことも起き たのである。また、黒人が差別される場はスポーツの場にまで及んだ。なぜ、白人はこう までして黒人を差別したのであろうか。今でも KKK のような団体がいる。この世界から完 全に差別がなくなる日はまだまだ遠い。 下線部、他人事ですか。 (や) 今回の授業で人種とは科学的にも生物学的にも全く根拠のない概念であることが分かっ た。人種の区分というものは、本当に恣意的で先入観であるのだ。スポーツにおいては特 に、黒人選手は身体能力に優れているとよく言われるが、これに関しても「人種」の特徴 がすべての人に当てはまるわけでなく、すべての黒人が優れているのではないことが分か り、私たちは知らず知らずのうちに黒人だから白人だからという見方をしているというこ とに気付かされた。 そして、今回の授業で私が最も驚いたことと言えば、黒人の人種差別において被害者で あったのは黒人だけではなかったという話だ。白人女性が大けがをしたとき、駆け付けた 救急隊員が黒人男性であり、黒人は白人に触れてはいけないという決まりのせいで、十分 な処置が行われず、女性が死亡してしまったという事実を聞き、本当に人種差別とは意味 のないものであると実感した。今まで私はこのような人種区分による被害者は黒人である と認識していたので、白人も被害を被っていたことを知ることができて、人種差別に対す る見方の視野を広げることができた。このような何のメリットも生み出さない人種差別が 根絶されるのは難しいことかもしれないが、それが実現することを心から願うとともに、 自分にそういう見方をしている部分がないか改めて見つめなおしていくことが大切だと学 んだ。 今回の講義は現代アメリカの人種問題についてでした。 渡部先生の講義では人種という区分がいかに不適当であるか学びました。しかし、未だ 人は肌の色などによって人を差別し、それがさも当然であるかのように振る舞う人間がい ます。もちろんそれはその人が生まれつきそうであるはずもなく、周りの反応や思想、親 の影響などが大きいでしょう。それはまさに山口先生のおっしゃられていた「子供を自分 好みに改造する」ことの悪い例です。これは差別がなくならない一因であるはずです。 アファーマティブ・アクションは差別撤廃のための是正措置です。しかし、機会均等を実 現しようとしましたが、根強い差別によって形式的にしか実現できず、結果の平等の方向 へ切り替えたりと多難でした。雇用の機会均等などは歓迎すべきですが、それによる白人 がないがしろにされるという逆差別が起こりうることもままあり、加減の調整が必要です。 人種間の問題はこうすればいいという単純明快な答えが一つ存在するわけでもなく、提示 される解決策もそれぞれが複雑な問題をはらんでおり、未だ人種問題は解決されていない。 根深い問題であるが、根気強く向き合い歩み寄らなければ差別や偏見はなくならないもの です。 今回の授業で、アメリカでジム・クロウ制度によってエレベーターや電話ボックス、動 物園や映画館の切符売り場などの公共施設で黒人用と白人用に分けたり、学校の教科書も 白人用と黒人用で別々に保管するなどしてあることを初めて知った。人種差別という言葉 は聞いたことがあったが内容までは詳しく知らなかった。しかし、なぜ黒人というだけで 人種差別をうけるのかがよくわからない。肌の色が違っていようと 1 人の人間には変わり ないからだ。ジム・クロウ制度によって黒人男性が白人女性に触れることができないとな っていたため、黒人男性の救急隊員が事故で負傷した白人女性の処置ができずその女性が 死亡したなど、人種差別をしたって何の利益も得もない。黒人など白人など黄色人種など ヒトを人種で区別する必要がそもそもないのだ。 世の中には必要がないのに存在しているものがたくさんあります。 (や) 今回の授業で黒人の人がスポーツ面で優れているというのが、勘違いだと分かりました。 それに、スポーツによって人種分離があることに気づくことも出来ました。アメリカの人 種問題が昔からずっとあり、現在でも存在することだと分かりました。日本にいるとあま り身近に感じない問題ですが、もっと調べて、しっかり考えていきたいです。 今回はヒトラーの優生学から引き続いての授業だったので、あの虐殺が終わってもまだ 差別の問題は根深く形を変えて残っていることが残念だった。 奴隷解放宣言があっても、人種は自己認定することができるようになっても、差別をな くすように考えだされた制作でさえ新たな差別を生んでいるようで、人間はどうやっても 差別をしてしまう生き物なのかとがっかりした。 しかし、今回の授業を受けて黒人のスポーツにおける優位性は特にないと考えることが できたのは、自分の中にあった恣意的な人種という概念を考え直すのに良いことであった。 歴代の人種の定義には、疑問を感じざるを得なかった。そもそも、「人種」というものが 本当に存在するのなら、時代によって区分や判定方法を変えることはできないはずである。 区分や判定方法を変えているということは、人種差別を行った当事者たちも、「人種」とい うものが科学的に定められた不変のものではないとわかっていたのではないだろうか。 「人 種」というものが本当に存在したとすれば、そこには不変で普遍的な人種の判定基準が存 在するはずだ。もし、明確な判断基準があったとしても、人種差別する理由にはならない。 差別を行う理由は、差別をする者自身が作りだしていたのではないか。 元奴隷の人々は、まともな教育も受けることができていなかった。そのため、やむを得 ず賃金の低い仕事に就いたり、貧しさに耐えかねて犯罪行為に手を染めたりするしかなく なってしまった。その結果、世間に「黒人は危ない」というイメージが植えつけられ、「深 夜にタクシーがひろえない」という状況になってしまったのだろう。いくら人種が社会の 作りだしたものにすぎないとはいっても、私が当事者なら、社会からつまはじきにされて いるという悲しさや理不尽な差別に対する怒りを感じるだろう。 かといって、私はアファーマティブ・アクションにも賛成できない。確かに、差別の是 正は大切だ。しかし、それを行うことで別の問題も生まれてくる。例えば、大学入試でマ イノリティの入学者の枠を一定数用意したとする。すると、本来入学できる点数を取って いたマイノリティでない人々が不合格になってしまったり、取るべき点数を取って合格し たマイノリティが「枠があったから合格したんだろう」と非難を浴びてしまう。 こういった事態を起こさないためにも、平等は結果でなく機会に求めるべきである。 どのような施策を取っても、ほとんど必ずデメリットは発生します。メリットとデメリットを比較衡量 して最大限のメリットが得られる道を探ることが必要です。 (や) ちなみに、入学者の枠を一定数用意するといった、いわゆる割当制(クォーター制)は、1978 年の合衆国 最高裁によるバッキ判決において違憲とされています。以後は、多様性を確保するために多様な要因の 一つとして人種を考慮することが慣行として行われています。 (よ) 今回の授業で黒人か否かの判断をする時の判断基準をお聞きしました。そこで3つある 判断基準のうち①の「被告の祖父母・父母らの人種から被告の人種を判定」と③「被告の 社会的所属、人間関係から被告の人種を判定」という条件を見たとき、ニュルンベルク人 種法でも同じようなことが条件として挙げられていたことを思い出しました。そして改め て、 「人種」の定義がひどくあいまいだということを認識しました。 また、 「分離すれども平等」という言葉について調べてみたところ、 「1930 年の南部では、 黒人生徒一人当たりに費やされる予算は、白人生徒一人当たりの 28%だったとも言われて いる(引用: 「劣等性のしるし」を取り除くこと一アメリカの公立学校における人種統合の 施行について 権田建二 検索日 2013/7/15 URL: http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/207/1/eibun-16_1-17.pdf)」というこ とや、 「ケネス・クラークらが心理学の実験をしてみたところ、北部の子供たちにははっき りと劣等感を拒絶する子供がいるのに、南部の子供たちの中には劣等感を受け入れてしま っている子供がいた(参考文献:同上 検索日:同上) 」ということがわかりました。 これは、本来ならば拒絶したいと思うはずのことでも、拒絶したいはずの状況から逃れ られないと知ることで抵抗しようという考えすらなくなってしまうという、危険な反応を 示しているといえます。そしてこれは、マーティン・セリグマンの学習性無気力(コトバ ンク 検索日:同上 URL: http://kotobank.jp/word/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%80%A7%E7%84%A1%E5%8A %9B%E6%84%9F)の実験が示すように、条件さえ合えば誰にでも起こりうる、危険な反 応なのではないかと、危機感を覚えました。 全体として趣旨が不明です。 (や) 血の割合でも人種の呼び方が違う時代もあるとは知らなかった(クアドルーンやオクト ルーン) 。後には「血の一滴ルール」により一滴でも血が混じっていれば二グロ(黒人)と されることも。外見ではわからないような違いも見逃さないのだなと思った。そうまでし て白人と黒人を区別することに何の意味があるのだろうと感じる。 「思う」 「感じる」はやめましょう。 (や) 人種のサラダボールともいわれるアメリカ合衆国で黒人への差別が歴史的にあったのが わかりました。しかし今日では、ヒスパッニクや黒人への差別がないとはいえないが、軽 減されているのがわかりました。この先差別はなくなっていくでしょう。つまりアメリカ は、人種差別がない国の先駆けとなります。日本でも人種差別はないと思われます(?)が、 日本でもし白人の5~6人の集団がいたとすると私たちは違和感を覚えます。そういった ことすらなくなる事が今後のアメリカでおこるはずです。これは、素晴らしいことです。 授業のどの部分から、 「差別が軽減されているのがわかった」のでしょうか?(や) 現在においても、各種マイノリティに対する差別が存続していることを示す研究は枚挙にいとまがあり ません。取り急ぎ、授業で触れた参考文献表よりティム・ワイズの著書をご紹介させていただきます。 (よ) 今回の講義は、黒人の話であった。一番衝撃だったのが、人種の判別方法である。身内 や外見はともかく、交友関係で人種が分けられることは衝撃であった。この前、別の講義 で、 「ルワンダ戦争」のことを習った。フツ族がツチ族を虐殺していった事件であるが、こ の「ツチ族・フツ族」は、ベルギーがルワンダを植民地にしたときに、農耕を営んでいる か遊牧を営んでいるかなど、あいまいに「なんとなく」で分けられたものだと習った。こ れらから、今まで人種というのははっきり定義されているものだと思っていたが、実はあ まりあてにならないということが分かった。 1890 年から 1920 年には人種の詳細な区分がなされ、クアドルーンやオクトルーンとい う混血の割合による名称の違いがあったのだと初めて知った。初め「そこまで細かく区別 したいのか、それはもう区別ではなく差別でないのか」と思ったが、続くスライドを見て、 違和感を感じた。なぜなら、 「黒人の血が 1 滴でも入っていればブラックというものだった からだ。黒人に分類されることはいけないことではないが、大多数を占める血のほうに分 類されるべきではないかと思ったからである。そのような黒人とその他を区別するような 誤った制度が昔はあったのだな、と、差別的な見方が残る今日だが、とりあえずそのよう な制度はなくなったことに安堵した。 監獄ビジネスの話で、一番に思ったのは「強制収容所」である。低賃金で強制労働、し かも検挙されるのは人種差別のように黒人やヒスパニックが多いという現状。これは、ユ ダヤ人が人種差別をされナチスに捉えられて強制収容所に連れていかれ、強制的に労働さ せられたことと類似している。 現代にも人種差別的な考えが根強く残っているが、長年の間に人々の無意識の領域に染 みついてしまっているので、取り除くには人種で差別しない考えを同じくらいの期間をか けて染み込ませていかないと治らないのだろう。良いほうに変わることのむずかしさを感 じた。 おそらく、人種差別がなかなか解消されない原因は、人種的不平等が構造的に深く社会に根付いている にも拘らず、そういった認識を社会全体が共有できていないところにあるのではないでしょうか。たとえ ば、1962 年と 63 年のギャラップ世論調査によると、白人の 3 分の 2 から 90%までが、黒人は雇用面でも 学校教育面でも住宅面でも平等に扱われていると回答しています。また、1963 年の世論調査では、公民権 運動はせっかちに変化を求めすぎるとか、 「あまりにも多くを」要求しすぎると思う人は白人の 4 分の 3 を 占めたそうです。 ちなみに、この 1963 年という年は、バーミンガムの街頭で黒人が警官隊によるデモ鎮圧の放水で地面に 投げ倒され、一六番通りバプティスト教会の地下室が KKK メンバーによって爆破され聖歌隊の衣装に着替 えようとしていた 4 人の黒人女子生徒が殺害され、NAACP ミシシッピ州支部のメドガー・エヴァス(Medgar Evers)支部長が自宅の私道で殺害され、アラバマ州のジョージ・ワレス(George Wallace)知事が人種隔離 制度を永久に続けると宣言した年でもあります(ワイズ 2011)。 (よ) 今回の授業で出てきたスタッキングをめぐる問題について白人の方が専門知識が豊富で 的確な状況判断ができて統率力に優れているという感覚はありませんでしたが、黒人の方 が力強く、 走ったり、ボールを遠くに飛ばしたりするのに適した身体的能力を持っている という感覚はありました。そして、それは科学的にも正しいものであると認識していまし た。また、それが差別的な思考に結びついているという認識もありませんでした。 そこで、黒人の走ることに関する優位について調べてみると狩猟の仕方や、通学の状況、 植民地時代との関係があり、結果として遺伝的なものや生活環境、過去の歴史など、様々 な要素が影響して優位にたっているといった話がありました。 (URLhttp://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/125618.html2013/7/15) このような認識の仕方であれば問題ないのでしょうか。 そもそも「黒人の」走ることに関する優位性について調べている点で間違いです。 (や) 今回の授業は人種差別についてでした。今回の授業を通して、誰が黒人なのかという基 準が時代によって異なっていたことを知り、人種という区分の曖昧さを改めて認識しまし た。これまで黒人に対する差別は肌の色を基準に行われていたのだと考えていましたが、 時代によっては少しでも黒人の血が流れているだけで黒人とみなれることがあることも分 かり、黒人に対する偏見や嫌悪感が大きいものであったことのあらわれではないかと考え ました。また、現代では人種は自己認定で複数選択が可能であることを知り、黒人や白人 といった人種の考えの必要性に疑問を持ちました。自己認定が可能とされるのであれば、 人種は個人の意志に基づいて決定されます。そうであるならば、人種を選択したりそれを 調査したりする必要はないのではないかと考えました。 下線部に関連しまして、レイシャル・プライヴァシー発案というものがありますので、そこでの議論を ご参照ください。 (よ) 今回の授業はアメリカにおける人種差別についてでした。私はこれまでアメリカの人種 差別が酷いことは知っていましたが、制度としての人種差別が存在していたことは知りま せんでした。ジムクロウ制度のもとで白人と黒人を差別することが義務づけられていたと いうのは酷いことです。本来なら差別や偏見を是正する立場にあるはずの国家が、自分た ち白人の地位を守るために差別を進めてきたのは許されることではありません。そして制 度化されてきた差別により、黒人を差別することが当然となって来たのではないでしょう か。また、アファーマティブアクションが逆差別につながりうるということが かりました が、黒人に対する優遇措置をとらなければこの先も人種差別がなくなることはありません。 白人に配慮することは必要ですが、アファーマティブアクションは廃止すべきではありま せん。 私は、白人と黒人の差別で、トイレを分けたり、車両を分けることは、以前聞いたこと があったが、今回の授業を聞いてここまでひどいものとは思わなかった。アメリカには人 種差別が根強くあるとは知らなかった。異人種間結婚等禁止法などを知れ、深く考えるこ とができた。ショックを受けたのは、黒人の血が入っていただけで人種をわけ、あんなに 差別をしたのか理解できない。このような差別はこの世からなくなるべきだ。日本でも、 もちろん全世界で差別について深く考えるべきだ。世界には様々な人種がいて、一部の人 種だけ差別を受けるのは許されるべきではない。もし、今でも人種差別が存在するのなら、 考え直し、必ず撤廃すべきである。一つの人種だけ優遇されるのではなく、多様性を大切 にすべきなのだ。 今井先生の授業に関して、ナチスが行ったユダヤ人迫害の歴史を第 3 者の立場で、自分 には関係がない歴史上の話だと授業中は捉えていた。しかし授業を終え、ユダヤ人の歴史 やホロコーストに関する本を読んで、ナチスが行ったユダヤ人への迫害行為がどんな方法 で、またどのような苦しみを与えたのかを資料を通じて、授業の中で出てきた話を再確認 することができた。調べていくと、 「THE WAVE」という映画を知った。これはあるアメリ カの高校で授業の一環として、実際に行われた実験を基に作られた映画である。やる気の ない生徒に対して教師は、自分に敬意を払う様に命じた。この命令は翌日になっても、生 徒の中で続けられていて、やがてその集団は「THE WAVE」と名付けられ、自分たちの教 えに背くクラスメイトや他のクラスの友人たちに、教室へ入ってはいけない、また同じ白 色のシャツを着て、学校に登校することを強制するようになった。この現象がここまでに なるのにかかったのは、ほんの数日で、いかに集団心理が恐ろしいものかを生徒たちは実 感する。今日ナチスが起こしたことは、もう 2 度と起きないと考える生徒の心境は私と同 じだった。このことから、集団の空気を読むことは容易で、従ってさえいれば自分に危害 が及ぶ心配をしなくていい。そのため多くの生徒が決まりを守り、自分の属するグループ が絶対だと思い込むことも簡単だと分かる。またそのグループを指揮するリーダーが言う ことは守って当たり前だと思い始める。ナチスが大衆の人気を集めたのに特別な理由はな く、誰もがヒトラーになり得た。ユダヤ人迫害の歴史はナチスの中心にいたヒトラーだけ の問題ではなく、ヒトラーの周囲をとりまいていた大衆が最終的に作り上げたものである。 このため私はユダヤ人迫害の歴史を同じ人類が起こした出来事として覚えておかねばなら ないことを知った。 アメリカの黒人差別問題は有名ですが、実際こんなに細かく分類され、それにもかかわ らず、曖昧な判断で黒人の人を差別していたことを初めて知りました。中でも印象に残っ たのが、 「ジム・クロウ」制度の実例で、黒人男性の救急隊員が、負傷した白人女性の手当 てができなかったというものです。 この当時、黒人差別があると誰もが認識しているなら、なぜ救急隊のなかでこのような ケースが起こりうる可能性を考慮できなかったのでしょうか。 いろいろ考えてもやはり差別の影響が強いのがいけなかったのです。例えば、先程のよ うな事件が起こらないようにするために、白人も連れていれば良かったのでは、と考えら れますが、そもそも救急隊員の中でも差別意識はあったはずですから、黒人とペアなんて 組まなかったでしょう。 このような事件を通して、差別をすることがいかにいけないことかを改めて学べました。 「ジム・クロウ」制度が合法的であったという事実は、現代日本人にとって想像しがた いものではないだろうか。 「差別はだめだ」であったり、「区別も差別である」といった、 学校教育で差別は忌むべきものであるとして何度も聞かされてきているからである。 けれども、事実として「分離すれども平等」という言葉がまかり通っていたように、過 去のアメリカでは人種隔離が容認されていた。現在では制度としての人種区分は事実上な くなった。しかし、人々の考え方に根付く差別的意識はそう簡単に消えるものではない。 レイシャル・プロファイリングがその一例として挙げられるだろう。その結果、白人より も黒人のほうが初犯の刑が重くなるという。マイノリティは「監獄ビジネス」の歯車にさ れているのである。そしてマイノリティは刑務所の中で、要するに奴隷として扱われてい るのと等しくはないだろうか。白人よりも黒人は罪に問われやすく、ホームレスはそれだ けで犯罪者として扱われる。そして刑務所の中で働かされる。これは明らかな選別と言え るはずである。 制度の改善ももちろん必要であるが、次は人々の認識を新たにしていかなければならな い。 今回の講義で、人種の区別基準について理解できた。確かに黒人の血が入っているのに 白人の外見の人の人種判断は困る。現在では自分で人種が決められる上に複数選択が可能 である。これによって、外見が黒人でも白人の血が入っていれば白人になることが可能で ある。しかし、このように白人と黒人を区別して人種を選ぶことができるようにしている こと自体間違いではないだろうか。これは差別的な思考が残っているからである。オバマ 大統領の就任など、黒人差別はなくなってきている。少しずつでも差別の思考をなくす努 力を世界的に行っていくべきである。 下線部、今年も Racial Privacy Initiative の話ができますね。 (や) 下線部に関連して、2003 年 11 月に行われたカリフォルニア州選挙において、住民提案 54 号、通称「レ イシャル・プライヴァシー発案」(Racial Privacy Initiative)と呼ばれる住民発議が投票に付されました。 その目的は、「人種、民族、肌の色、出身国」による分類の禁止にあります(California 州特別選挙―公 式投票者情報ガイド 2003)。しかしながら、これが可決されれば、 「州や地方自治体は、就学率、失業率、 平均余命、年収、学歴など、社会政策を決定するうえで参考となる重要な統計において、人種別の数値 を知ることができなくなる」のみならず、 「格差を是正する」こともできなくなるといった問題も指摘さ れています(中條 2004)。なお、投票結果ですが、同発案は、賛成 36%対反対 64%で否決されています。 California 州特別選挙―公式投票者情報ガイド、2003 年 8 月 31 日。 中條献(2004)「変化する『ナショナリズム』―アメリカ合衆国の国民統合と公民権運動の歴史解釈―」 『ア メリカ史研究』第 27 号、47-56 頁。 先日の科学と人間の講義を受けて、最後までよく理解できませんでした。しかし、全体 を通してなぜアメリカなどでは肌の色だとか血液で差別し始めたのかということに疑問を 持ちました。外見の違いでいじめが始まることは私の小学生の時の経験から理解しました。 誰でも人と違うところは気にしたりします。ですが、血液という見た目では分からないと ころで差別が始まることに関しては理解できませんでした。 講義の中盤から「多様性」と いうことばをよく耳にしましたが、海外の企業ではその多様性を重視しているようですが、 この考えは「みんな違ってみんないい」というような考えで、いろんな人(いろんな国の人) がいることをその企業の売りに使って「いろんな人がいるわが社は、素晴らしいでしょう。」 と多様性を利用して、今では宣伝のために使われている言葉なのでしょうか。 ウェブなどを利用してきちんと復習しましょう。 「血液で差別」という話はしていませんよ。(や) 現在では、多様性が販売戦略の観点から、形骸化をともないながら人口に膾炙している現状があります。 興味がありましたら、「多様性の管理」 (diversity management)や「企業型多文化主義」 (corporate multiculturalism)といった言葉を調べてみてはいかがでしょうか。 (よ) 第2セクションの講話を通して印象的だったのは子供の遺伝子を操作し、より優れた子 供を産むということだった。確かに遺伝子操作により優れた子供を産むということは、社 会的にメリットは大いにあるとは思いますが、倫理的には好ましい方法ではないとおもう。 他の動物で考えると、牛などの動物に関して近年、より美味しい肉にするため遺伝子を操 作したり、クローンでさえ作ることがある。人間の欲求のままにそのような活動を続けれ ば、いずれ生態系が崩れるだろう。これは、人間にも同様に言え、遺伝子を操作し優れた 子供を作ろうとすれば、いずれ新種の病気などが生まれるかもしれないと思う。 「思う」はやめましょう。 (や) 自由と平等を謳うアメリカでも元はイギリスからの植民活動から生まれた国であり、当 時のヨーロッパの風潮をそのまま受け継いで独立してしまった。白人第一主義の考えは我 が国日本にも大きな影響を及ぼしたようで、開国後当時の日本人達がヨーロッパの軍事力 や科学に圧倒されると同時に自分たちが劣等人種であることに深い負い目を感じていたそ うで、だからこそ明治維新後も唯一のアジアの列強として渡り合えて行けたのではないか と考える。 ところで、アメリカの差別は黒人だけに限らずアラブ系、中国や韓国、日本などのアジ ア系、さらには同じキリスト教でありながらカトリック系のキリスト教徒に対する差別ま で存在いていた。歴史的背景からくる差別や戦争や事件、経済的な事情でアメリカに何ら かの不利益が生じると戦争の相手国や事故を起こした人の国の人種が差別を受けている。 偏見や国の事情が絡むとどうも私たちはその人たち全体を悪いもののように考えてしま う傾向があるようだ。うわべっつらだけで人種を判断するのではなく、しっかりと文化や 歴史から理解していくことが大切だと考える。 今回の授業を聞いて、白人と黒人の差別をより詳しく目の当たりにした。黒人男性が一 生のうち刑務所に入る確率より、カリフォルニアの黒人男性が州立大学へ進学する率の方 が低いことが分かった。刑務所も犯罪防止のためではなく、低賃金の強制労働を伴うビジ ネス工場であるために、より黒人が逮捕され、収容されやすくなるのだろう。 同じ人間であるのに、肌の色や見た目が違うだけで、ここまで差別される。こんなに理 不尽なことはないだろう。現代もこのような差別や偏見が残っている。しかし、かつては もっと酷かったにちがいない。グローバル社会が広がる中、差別問題とも向き合うべきだ。 監獄ビジネスについて関心を持ちました。たしかに、低賃金で同じようなものを作るこ とができることは、企業にとってメリットが大きい。だが、メリットが高いとはいえ、囚 人たちを使う企業の姿勢はいかがなものだろか。そして、企業と刑務所が癒着していない かが心配である。もし、癒着していれば大問題である。また、人種に基づく先入観により 警察の捜査に偏りがあることはあってはならず、これも大問題である。過去の人種、身分 差別の名残は、いくら法律などで禁止しても先入観といった心の部分に残り続け、歴史を 学ぶ以上、仕方がないのかもしれない。歴史を学び、「黒人たちは昔は奴隷であったのに」 と捉えるのではなく、「昔はそうであっても今は平等」と思えるような教育が必要である。 昔は日本も伝統的身分制度があったにもかかわらず、私たちはそのことをあまり意識し ていない。身分差別は身分制度廃止後に年月をかければ廃れ消えていくのだろうが、人種 というのは年月をかけても変わらず、人種差別の根の深さを考えさせられました。 白人や黒人というように人種を区分しても結局、何にもならない。肌の色が異なってい るというだけで人々の行動に差が現れたり、他人に対して何らかの影響を及ぼしてしまっ たりすることはないからだ。逆にそのような状況をつくっているのは、人間自身である。 授業でも言っていたようにレイシャル・プロファイリングでは、憶測で判断された人たち が収監されているという状況が生じている。その人の人生がかなり簡単に変わってしまう ため、これは大きな問題である。 人種という観点からその人を判断するようになった原因は一体、何なのだろうか。大衆 間における白人、黒人イメージの一致が根本的な要因だろう。あるいは、人々のそのよう な思想の統一を目指して政策や法律がつくられたからかもしれない。つまり、事実かどう か分からないことを勝手に解釈してしまったことで差別が生まれたのだ。肌の色が異なっ てもみんな同じ人である。考え方や性格など人によって多少なりとも異なる部分を見ずに 外面的なところで一方的にその人となりを判断してはいけない。単なる思い込みにすぎな いからだ。世間一般の思想に流されず、社会のなかでどれほど自分を確立していくことが できるのかが課題である。何もこの人種に関する事例に限ったことではなく、世の中の諸 問題に対して自分の考えをしっかりもっておくことが必要だ。 私たちは、人種や人種差別について知ることが出来る。人種の歴史と今を見ることが出 来る。依然として存在する人種という概念は根深い。それゆえ、それらを主観や感情論で はなく知識として得ることは大切だ。しかし、私たちはその知識を得てそれだけで終わっ てしまってよいのか。私は今回の授業でアファーマティブ・アクションという言葉に興味 を持った。ジョンソン大統領の演説はまさにそのとおりであるだろう。また、A.A.を支持 する社会的背景についても理解できた。実際に行われた A.A.に関連した訴訟がその後にど のような変化をもたらしたのかを今後機会があれば調べてみたい。そして、私たちに出来 ることは少ないかも知れないが、人種差別問題を今までよりも身近に捉え、どのように向 き合っていけばよいかを検討していきたい。 今回の授業では「アメリカの人種問題」が取り上げられていた。 私が今回の授業を受けるまでにアメリカの人種について知っていたことは「リンカーン の奴隷解放宣言」だけであった。しかし今回の授業を受けて、刑務所での労働、スポーツ における「人種」の議論などはじめてきくないよう聞く内容ばかりであった。 「黒人の選手にはスポーツでは勝てない」これが私のイメージであった。しかしオリン ピックなどの国際大会で、陸上やバスケットなどではこのように思っても、新体操や水泳 ではこのようなことは思ったことがない。黒人がスポーツの舞台で活躍するには「お金が かからない」というキーワードが不可欠である。アメリカ全体の貧困率(4 人家族で年収 2 万 2 千ドル以下)は 14.3%だが、ヒスパニックと黒人では約 25%、白人 9.4%、アジア人 12.5%である。つまりアメリカではヒスパニックと黒人の世帯では 4 家族に 1 家族が貧困 層である。今回の授業で取り上げられていた陸上、ボクシング、三大スポーツは人種分離 撤廃が進んでいるスポーツ種目であり、アメリカでの貧困層の割合と関係している。これ に加えてこのようなスポーツでは黒人の活躍が顕著にみられている。 参考資料:http://www.suzukinoriko.com/2010/09/2009.html 今回はアメリカの人種問題についてでした。異人種間結婚禁止法での人種の見分け方につ いてですが、その人の外見的特徴や社会的所属、人間関係などを用いることは、他の人の 主観が入り込みます。また、時代によっては自ら自分で決定付けることもでき、論証や検 証を使って多様な視点から決められるものではありません。従って、白人や黒人などの人 種の枠組みは、科学的根拠で決定付けられているものではないと気付きました。 また、多様性を支持する企業が増えたといっても、それは人種差別の解決という目標に向 かって行っている訳ではありません。人間は自分の利益を優先する生き物であり、経済的 発展を目指すもので、根本的な差別の解消とはならないと捉えられました。また、監獄ビ ジネスが深刻である件についても、強制労働を行わせるなど更に差別の発展が見受けられ、 これからも差別は止まらないと受け取りました。 それでは困ります。 (や) 今回は、アメリカにおいての人種の問題について学んだ。私はジム・クロウ法が非常に 恣意的だったことを学んだが、特に「分離すれど平等」のところが一番理解しがたかった。 人種の定義を社会的な帰属や人間関係といったものすごく主観的な判断しているのに、そ うやって分けた人種を明らかに不当な差別をしていたようなのに、「平等」という扱いにな るのには驚いた。 さらに驚いたのは、あまり知らなかったことだが、今でも犯罪事件について、人種(と 世間一般で言われているものを以下人種とする)に基づく先入観で警察官の操作や取調べ が行われているということである。囚人の人種別の比率と監獄ビジネスを考慮すると、こ れは過去の黒人の奴隷化と同じではないだろうか。 こういった今でも根付いている人種、差別問題の解決策を模索するために、どうすれば よいか。日本人は日本が島国で外国の方、異なる人種との交流が少ないが、異なる人種を 平等に見ているといえるだろうか。むしろ、そういった人たちと交流がないからこそ、偏 見がよりあるのかもしれない。確かに、アメリカのように多民族国家でも歴史の関係もあ り人種ごとの差別、偏見が大きくあるが、実際に会う機会が少ない日本人もかなり偏見が るのではないか。こういった問題は法の管理だけではとても解決しなので、日本人をはじ め、色んな人種、民族が異なる人種が実際パーソナルに付き合えば、人種による良し悪し というより、各個人によってさまざまということが分かるのではないか。 アメリカでのアファーマティブ・アクションは「1965 年のジョンソン大統領による大統 領行政命令 11246 号によって始まった」*1。しかし、これより前に「ケネディ大統領が 1961 年 3 月大統領行政命令 10925 号を公布。雇用機会均等委員会を設置するとともに雇用にお いて人種差別をなくすために、アファーマティブ・アクションを採用するよう連邦政府の 事業契約者に求めている」*2。また、アファーマティブ・アクションには 3 つの種類があ り、 「ひとつは、政府の事業契約者や補助金を受けた機関への義務条項としての措置だ。も うひとつは裁判の結果、企業などに命じられるもの。最後に、企業などが自主的に行うア ファーマティブ・アクションがある」*3。企業などが自主的に行うアファーマティブ・ア クションは自分たちの企業のイメージアップのために行っているところも多くある。 私は、アファーマティブ・アクションには賛成である。白人の人たちは長い間黒人たち を差別し、残虐な行為も多くしてきた。そのためアファーマティブ・アクションにより過 去の出来事を反省し、同じスタートラインに立ち平等に競い合っていくのだ。しかし、企 業のイメージアップのためにアファーマティブ・アクションを行ったのでは人種平等とは 言えない。なぜなら、機械的に行われており、反省が見えないからである。 アファーマティブ・アクションをするにおいて初めに強制化させ、その後緩和していく ことが必要である。なぜなら、初め人種差別のなごりがあり進んでする企業が少ないから である。そして、その後一緒に働いてみて黒人の能力の高さに気付くはずである。そうす れば、企業も自ら進んで黒人たちを雇うようになり機械的ではなくなり同じスタートライ ンに立つことができるだろう。 第2セッションの中で印象に残っているのがデザイナー・ベイビーである。親の子供へ の愛には二つある。一つは受容の愛でもう一つの愛は変容の愛である。「受容の愛とは子供 の存在を肯定するすることであり、変容の愛とは子供の福利を探求することである」*4。 この両者が偏っているとデザイナー・ベイビーのような現象を引き起こすのである。その ためこの受容の愛と変容の愛がつりあった状態を保たなければいけない。変容の愛ばかり にとらわれていると「完璧さを追い求め、子供のあらゆる側面での成功を焚きつけたり要 求したりする」のだ*5。親が子供を塾に通わせているのも、この変容の愛が強すぎるため だ。子供の思い通りにさせすぎるのもよくないがある程度やりたいようにさせ、受容の愛 を追及していく必要があるのだ。 *1、*2、*3)大阪市立大学大学院創造都市研究科 教授 柏木宏 『米最高裁のアファ ーマティブ・アクション判決』http://www.co-existing.com/essay/kh5.html 2013 年 7 月 15 日閲覧 より引用 *4、*5)マイケル・J・サンデル 著 林 芳紀、伊吹友秀 なくてもよい理由ー遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』 2010 年 訳 『完全な人間を目指さ 株式会社 ナカニシヤ出版 より引用 参考文献 大阪市立大学大学院創造都市研究科 教授 柏木宏 『米最高裁のアファーマティブ・ アクション判決』http://www.co-existing.com/essay/kh5.html 2013 年 7 月 15 日閲覧 マイケル・J・サンデル 著 林 芳紀、伊吹友秀 よい理由ー遺伝子操作とエンハンスメントの倫理』 訳 『完全な人間を目指さなくても 株式会社 ナカニシヤ出版 2010 年 「黒人」が虐げられてきたことは知っていたが、人種の判定に社会的関係が用いられてい たことは初めて知り、以前学んだユダヤ人種の規定と同様に、人種分類に明確な基準がな いことをよく理解できた。主観的な理由でのマイノリティの差別がなぜこうも社会的に広 がってしまうのか分からないが、今も昔も「そんなことで?」と思うような理由からひど い差別がおこり、悲しい結末を迎える人が大勢いる。日本には人種の区分がないから人種 問題はどこか他人事な気がしてしまうが、グローバル化が進む現代、たくさんの国からい ろいろな人が日本を訪れている。そうした状況で外国人だから、などと敬遠したり偏見を もったりせずに関わっていきたい。 差別はたいていの場合、無知と思い込みから起こっているように思える。だからまずは 相手を知ろうとする努力が必要になってくる。昔からある差別意識を変えることは難しい だろうけど、現在を生きる人たちが過去に起こったことをおかしいと感じ、変えていく努 力をすることで、虐げられる人を減らすことができるかもしれない。 アファーマティブ・アクションは、もっと推進されるべきである。今までの「機会の平 等」を保障するとして行われてきた政策は、社会に残っている過去の差別の影響により、 結果的には不平等で終ってしまうことが多々あった。そこで、欧米では、歴史的・社会経 済的条件によってマイノリティの権利実現が著しく制約されている場合に、「結果の平等」 を認めるとして、アファーマティブ・アクションが導入・展開されていった。アメリカで は、特に人種や雇用における差別を解消する目的で行われ、差別是正に貢献している。 しかし、アファーマティブ・アクションは、個々人の努力や成果や貢献などが無視され、 個人の尊厳が害される恐れもある。そのため、根拠や目的・手段が合理的な範囲で、また、 あくまで差別是正が行われるまでの暫定的な措置として行われなくてはならない。 「暫定的な措置」という点に関しては、グラッター対ボリンジャー訴訟において、 「今後 25 年の間に、 もはや人種的優遇措置を用いる必要性がなくなることを我々は期待している」との点が言及されていま す。ご参考までに。 (よ) 世界の多くの国々では、日常生活の中でも人種間差別が蔓延している。 アメリカ合衆国では、この人種間差別を少しでも撤廃する為に、1960年代にケネデ ィ・ジョンソン両大統領が“アファーマティブ・アクション”を発布した。 “アファーマテ ィブ・アクション”とは、不公平な待遇を受けてきた黒人などの一部の有色人種に、教育 や雇用の機会を優先的に与える政策のことである。 植民地時代からの流れで、 “黒人は奴隷だ”という考えが一部の地域では流布していたで あろう。この一方的な考えによって、“黒人には、白人と同様の教育を受けさせたり、雇用 の機会を与える必要はない”といった風習が、アメリカ合衆国などでは一般社会に存在し ていたのかもしれない。また、この様な差別を受けてきた黒人たちには、十分な教育を受 ける機会や資金も、白人と比較すればあまりなかったであろう。これらによって、黒人が 大学に入学することなどは非常に困難になっていった。この社会的な差別を少しでも解消 する為に、アメリカ合衆国では、 “アファーマティブ・アクション”が発布された。 この政策により、黒人たちに与えられる教育や雇用の機会は増大したであろう。しかし、 入学・就職した後で、優遇措置によってこれらの機会を得たということで差別を受けたり、 能力的には劣っている可能性があることから、勉学や職務についていけなくなってしまう 人がでてくるかもしれない。これでは、何の為の差別是正措置だったのか分からなくなっ てしまう。また、黒人が優遇されたことによって不利な扱いを受けてしまった白人も出て きて、黒人に恨みを覚えると、黒人への差別が更に拡大してしまうかもしれない。 この様に、人種間の差別をなくす為には、 “アファーマティブ・アクション”の様に、政 策として黒人を優遇するのも良いことではあるが、黒人などの有色人種は白人に比べて劣 っている、といった様な人間の心に根付いた考えを、排除しなければならないのではない だろうか。なぜなら、政策だけを振りかざすよりも、人間の心情から根本的に変えなけれ ば、本当の差別撤廃とは言えないからである。 参考文献: ・アファーマティブ・アクションとは - 時事用語 Weblio 辞書 http://www.weblio.jp/content/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3 %83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A F%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3(7月15日閲覧) 「黒人の血が一滴でも入っていれば、黒人としてみなされる」ということに疑問を感じ ました。 以前の渡部先生の講義で、次のことを学びました。 「人種」の外見的特徴の差異は、異な る環境に対する適応変化によって決まるものであり、現存するヒトは、全てホモ・サピエ ンスの単一種である。そして、始めはアフリカにいたが、ヨーロッパ、アジア、アメリカ 大陸へと移動していった。 であるなら、全人類が、 「黒人」という「人種」の血を一滴程度はもっていると考えられ ます。この考えに従えば、第三者を「黒人」だとみなす「白人」の人々も「黒人」という ことになり、矛盾が生じてしまうのではないですか。 あと、去年の吉岡先生の授業に対するコメントを、少しですが、読ませていただきまし た。しかし、吉岡先生の応答コメントが灰色で表示されていたので、読みづらかったです。 今回の授業コメントの応答は、読みやすい色で表示してもらえるとありがたいです。 今日は人種主義についての講義でした。人種に科学的な根拠はないのにもかかわらず差 別がされていることは以前の授業で知りました。しかし、裁判でも人種の判断の根拠に外 見上の特徴や祖父母の人種からはまだわかるものの人間関係から決めていたことには驚き ました。そして、白人の定義として「白人との付き合いがあり、みすぼらしい生活をして おらず、十分に道徳的である人物」というようなあいまいなものであったことにも驚きま した。司法の場は裁判官の良心と法律から判決がくだされるものですが、この規定では裁 判官によて罰される人されない人、刑の重さまでも変わってきてしまいます。黒人か白人 かを判断する科学的根拠はないのだから当たり前ですが、これは白人の優位性を世界に知 らしめるための定義に過ぎないです。今となってはテレビで白人も黒人も活躍しているよ うすをみることができますが、だれが純粋な黒人で、例えばだれが母は白人で父は黒人な のかはわかりません。このことから人は自分より立場の弱い人を作らないと生きていけな いことがわかりました。今、国家による人種差別はないようですが、国民の暮らしのレベ ルで見ると学校でのいじめもこの差別の流れをくんでいるのではないかと感じました。 公共施設で人種別に隔離することを合憲とした、 「ジム・クロウ」制度について、初めて 学んだ。高校の歴史の資料集に、郵便局で、白人と黒人で受付を分けられている写真が載 っているのを見たことがあり、白人と黒人を分けていたということは知っていたが、今ま であまり詳しくは知らなかった。 異人種間結婚禁止法についても初めて学んだ。1660年代に施行されてから、200 0年にアラバマ州で最後に廃止される、つい最近まで、そんな法律が存在していたという ことを初めて知った。また、社会的行為自体が人種判定の材料になったということや、あ の人は黒人と仲良くしているから、黒人である。というような主観的判断によって「人種」 が決定されていたということも初めて知った。 国勢調査にみる「人種」について学んだ際には、自由人と奴隷に区分されていたという ことを初めて知った。今まで自由人という言葉を聞いたことがなかった。また、どのくら い黒人の血を持っているかで細かく、ムラートや、クアドルーン、オクトルーンに分けら れていたということも知った。時代ごとに人種の区分についても様々で、1930~19 60年代にはOne drop ruleと言って、黒人の血が一滴でも入っていれば、 ニグロ(ブラック)に分類されていたということも知った。 アファーマティブ・アクションについても学んだ。 「塀のある工場」としての刑務所につ いての話も聞いた。黒人やヒスパニックなど、マイノリティの収監率が、白人と比べて大 幅に高いということを聞いた。これは、レイシャル・プロファイリング、人種に基づく先 入観で警察が行う捜索や取り調べが影響されているということを聞いた。監獄ビジネス= 新たな奴隷労働システムだということも聞いた。スタッキング=ポジションの固定など、 現在でもとても多くの差別が存在しているということを知った。