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全メールと応答

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全メールと応答
2012 年 7 月 13 日
科学と人間(授業コメント)
今回は奴隷についての講義であった。私たちが今住んでいる世界では奴隷という文化がな
いため身近なものとしてとらえられないが、これまでの奴隷への待遇や、解放運動など長
くにわたって続いていたことが今日の講義で分かった。
講義で扱ったジム・クロウ制や異人種間禁止法は、黒人が奴隷から解放された後に、施行もしくは強化さ
れた点に特徴があります。(よ)
今回の授業で、運動選手にも肌の色で競技が分かれる傾向があると聞き、確かにと思った。
私はずっと黒人は足が速いと思いこんできた。自分の中では、黒人の先祖がいたアフリカ
は、猛獣等に追いかけられる可能性があり、追いかけられて生き延びた足の速い人間だけ
が生き延びていると思っていたのだ。おそらく間違いなのでしょう。
スポーツと人種を巡っては様々な議論がなされています。例えば、黒人の身体的特性について、ダーウィ
ンの自然淘汰説を持ち出し、奴隷制時代の過酷な労働環境の中で弱い黒人は淘汰され、強い遺伝子のみが
生き残ったといった人種主義的な主張まであります。当然こうした議論は、人種差別的な恣意性に富んだ
論調であるとして、多くの批判を受けているのも事実です。その一つとして、例えば、黒人の肉体的優越
性を強調することが黒人の知性面における劣等性を暗に示唆しているといった批判などがあります。(よ)
アメリカの禁止法関連訴訟においては、社会的所属や人間関係で人種が判定されてしまう、
という所には驚きました。明確に「人種」が区別できないのにも関わらず、
「人種」を分け
ようとするから、このような理不尽な判別の仕方も出てくるんですね。
今回はアメリカの人種差別についての講義でしたが、今まであまり触れる機会のなかった
分野だったのでとてもためになった。
黒人や白人といった判断は実 j に主観的なものだ。黒人については、1/8 が黒人であれば黒
人であるというような基準が設けられているが、白人には黒人との付き合いや道徳的であ
ることなどの血筋以外の事柄まで規定されているからだ。
また、アファーマティブ・アクションの考えやジョンソン大統領の演説は理にかなってい
るし、納得することができた。しかし、これを導入した会社がイメージ回復のために取り
入れたというのはあまりにも都合がよすぎるのではないだろうか。結果的には良かったの
かもしれないが、足元を見ているのではないかと考えた。
企業が A.A.を推進することによって、雇用が創出されるというメリットがある一方で、差異や多様性が形
骸化を伴いながら人口に膾炙している現状をどのように評価するかは日本における課題でもあるでしょう。
(よ)
人種により差別されていたという事を知りました。また、私はスポーツが好きなためスポ
ーツによってどの人種の割合が多いのかという話が一番興味ぶかっかった。人種は違って
も同じ人間である。肌の色とかなど外見で判断するのはおかしい。
アメリカの人種差別は昔に比べ少しずつ差別を是正しようとしていることはわかりました。
しかし、今でも人種差別は残っており、なかなか差別はなくならないこともわかりました。
授業では 2010 年の国勢調査で住む地域を白人と黒人で分けてしまっているとありましたが
土地が良くすみやすいところはところはやっぱり白人が占めてしまっているのでしょうか。
また黒人ではなくても私たちのようにアジアなどの他の人種がやってきた場合にも白人と
住むところを区別しようとするのでしょうか。
この点に関して、
「白人の脱出」(White Flight)という言葉があります。興味がありましたら調べてみてく
ださい。(よ)
白人と黒人で車両やトイレが分けられるなど、アメリカでの人種差別がひどいものだった
ということは知っていたが、ここまでひどいとは知らなかった。
「ウィルソン対アラバマ州
訴訟」のように、黒人と付き合いがあったという証言が人種の判別方法になるなんて、信
じられない。
「白人」の定義に’十分に道徳的である’という条件があったが、こんなこと
を行っている時点で、全く道徳的ではない。今でこそ、アファーマティブ・アクションの
ような策を行い、人種差別は以前より随分なくなっているように見られるが、本当のとこ
ろはどうなのだろうか。
現代の人種問題に関しては、様々な書物がそれを論じています。配布した資料の参考文献を手掛かりに、
調べてみてはいかがでしょうか。(よ)
こんにちわ。先週はご講義ありがとうございました。アメリカには人種問題が深く根強く
残っているとしっていましたが今回の講義でジムクロウ制度や異人種間結婚等禁止法など
について知ることはでき、より一層の理解を深めることができました。このような差別が
完全に根絶されればいいなと願っております。
黒人と白人の差別は小学生のころから、人権の授業で習っていたが、教科書やエレベータ
ーにまで白人用や黒人用という区別がされていたのには驚いた。近頃は、黒人がアメリカ
大統領に就任するなど、そのような差別は少なくなってきていると感じることが多いが、
過去の過ちを忘れてはいけない。日本でも、アイヌの人々に長年差別をしてきた。他人事
だとは思わずに、考えていくべき問題である。
今回の講義を受けて、アメリカの人種差別の実態を初めて知りました。昔だけではなく、
そのような差別が日本にもあったことが恥ずかしくてしかたなかった。将来も差別は、完
全に消えることはないと思いますが、からだに気をつけて頑張ってください。
ありがとうございます。からだに気をつけて頑張ります。(よ)
昔のアメリカは人種別に隔離することが一般的だった。今の我々の生活では考えられない
ことが行われていた。黒人と白人を完全に隔離しようとエレベーターや電話ボックスなど
の公共物を別々に使わせたり、さらに救急活動の際も黒人と白人の接触は禁じられている
ため負傷者を犠牲にしてしまったという事例もある始末である。そのような差別に基づく
概念を取り除くためにリンカーンが奴隷解放宣言を発表してからアメリカでは人種の多様
性を受け入れようという動きがあるが、いまだに差別は根強く残っている。
クロノロジカルにいうならば、1863 年に奴隷解放宣言が施行された後に、テネシー州で最初のジム・クロ
ウ法が 1875 年に採用され、その後南部の各州に拡大していったというのが正確でしょう。(よ)
今回は現代アメリカの人種問題についてであった。日本では、ほとんどの人が黄色人種で
あるので、人種について日常で意識することはほとんどない。だから、人種の選択や判定
といったことに違和感を感じた。しかし、考えてみると日本でもアイヌ民族や世界各地か
らやってきた外国人・移住労働者などに対しての差別がある。国連人権委員会が行った調
査では、日本には人種差別と外国人嫌悪が存在しているという報告があった。日本でもア
メリカで人種差別がもとになって起こったような事件が起こる可能性があるのだ。このよ
うな事実を認識し、日本を含む世界の事情を知り、正しい知識を身につけることが改善へ
の一歩であると考える。
今回の授業のコメントをします。テニス界では確かにウィリアムス姉妹は黒人選手ながら
も今ではテニスの世界ランキングで上位の選手です。しかし、彼女らの姉妹が銃殺される
という事件も起きています。やはり、黒人というだけで、いまだに偏見があるのではない
かと思います。なぜ黒人のがこのような対象になってしまうのでしょうか。
偏見の実態については、以下の文献をご参考ください。ティム・ワイズ(脇浜義明訳)(2011)『アメ
リカ人種問題のジレンマ―オバマのカラー・ブラインド戦略のゆくえ』明石書店。(よ)
今回の授業では人種差別について勉強しました。私は正直現時点でも白人や黒人といった
ものでの差別が激しいなと感じていましたが、はるか昔はもっと厳しいものだったという
ことがわかりました。日本人は白人とか黒人といったような差別はないですが、もし自分
がそういった立場に立ったらとても苦しいです。今後そういった差別がなくなるような環
境になってほしいです。
見た目上の肌の色だけではなく、少しでも黒人の血が混ざっているだけでも差別されてい
て、エレベーターや教科書なども白人用と黒人用と徹底的に分けられていたことを知りま
した。今まで人種差別はただ見た目の肌の色で差別されてきたものだと思っていましたが、
実際には血の 1 滴でさえも入っていれば黒人に分類されてしまうものだと知り、肌の色が
全てではないと感じました。
ご講義ありがとうございました。白人・黒人・ムラ-トという分け方があることは高校の
地理の授業で習ったため知っていました。しかし、それ以外のことで知らなかったことが
多く、今回の講義はとても興味深かったです。特に、血の一滴ルールに興味を持ちました。
ナチスのユダヤ人だと判断していた基準よりも厳しい基準で白人と黒人を分けていたこと
に驚きました。そもそも、なぜ白人と黒人を分ける必要があったのかと思い調べましたが
答えが見つかりませんでした。何が原因で分けることになったのかが未だに疑問です。も
しよければ教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。
取り急ぎ、次の文献をご紹介いたします。中條献(2004)『歴史のなかの人種―アメリカが創り出す差異と
多様性』
、北樹出版。
(よ)
今回は「現代アメリカの人種問題」についての授業であった。現代、企業が多様な人材を
抱えることが競争力の強化になっている。人種の話とは違うが、日本でも企業への内定書
類に血液型を書く欄があり、ある血液型しか採用しないといったことが行われている。そ
れと全く同じとは言えないが、人種や遺伝的性質を職業の場において差別しているような
ところが、私には見られた。
スポーツによって黒人選手の割合が少ない競技があるのは人種差別以外にも黒人が住む地
域にそれらの競技がよく浸透していないためだと考える。なぜなら例えばスキーは黒人が
多く住む温暖な地域ではすることができず、黒人にはあまり縁がないと考えたからである。
また、相撲には黒人の力士がいません。この理由は水泳の選手の黒人選手が圧倒的に少な
い理由(プールが汚れる)と同じ理由ですか?
北米大陸に関していうならば、黒人は必ずしも「温暖な地域」に多く住んでいるわけでは必ずしもありま
せん。歴史を通じて南部から北部への黒人の移動が度々発生したからです。例えば、北部の都市であるシ
カゴの黒人人口の割合を見ると、1900 年には 1.8%だったのが 2000 年には人口全体の 3 分の 1 を占める
まで増加しています。また、奴隷制時代には、南部から国境を越えて、カナダへ逃亡した黒人もいました。
ちなみに 2010 年のカナダ・モントリオール市の黒人人口比率は 7.7%です。
また、バドミントンのような室内競技は気候の冷暖に左右されないにも拘らず、黒人の競技人口が多く
はありません。
このように考えると気候だけではなく、その他の要因が考えられるのではないでしょうか。仮に相撲や
水泳の分野で活躍する黒人選手が誕生したなら、その選手を目標とする後人が輩出される可能性もあるで
しょう。(よ)
今回の講義をうけてのコメント。前々からアメリカは人種差別がひどいと聞いていたが、
これほどひどいとは知らなかった。奴隷の母親から生まれた子供は奴隷としてしか扱われ
ないという社会観は間違っていると自分は考える。じゃあいったい奴隷の祖先をもつ家計
家系はどうすれば奴隷じゃなく普通の人と対等な扱いをうけることができるのであろうか。
社会観が変わらなければ奴隷という先入観はきえないであろう。
人種差別は強引に線引きをするため境界付近などは際どい部分が多い。1930~196
0年の黒人の血が一滴でも流れてはいけないというのは非常にバッサリとした切り方だが
それは白人をも脅威に陥れる諸刃の刃とも考えられる。もしかしたら自分にもどこか黒人
の祖先がいるかもしれないと恐れた白人はいなかったのだろうか。
この点に関して、混血のかなりの割合の人が、現実には白人として社会の中でとおっているという意味の
「パッシング」(Passing)という言葉があります。1929 年には、自らを白人としてとおそうとした混血女
性の物語『パッシング』をネラ・ラーセンという作家が著しています。日本語による翻訳本も出ています
ので、ご参考までに。ネラ・ラーセン(植野達郎訳)(2006)『白い黒人』
、春風社。(よ)
今回の授業はアメリカにおける人種差別ということで非常に強く興味をもって聞けた。最
初に説明していただいた南部の人種隔離法「ジムクロウ」制度の分離すれども平等という
裁判所らしからぬ判断に驚いた。分離と差別は違うとかいう全く身勝手な考えはまさにそ
の時代の背景を醸し出しているように思う。そしてどれだけどれだけ黒人の血、白人の血
が混じり合っているかで名称が変わっていくのもまた考えられない時代だと感じた。人種
の判定方法なども正直のところ外見が主になっているわけで、人間関係からでも判定され
るなどなんとも適当すぎて笑ってしまうくらいだ。
昔勉強したことがあるのだがアメリカはたくさんの人種の人たちが混じり合って暮らして
いるため比喩として「サラダボウル」と例えられることがあると聞いた。昔こそこの表現
は白人の人たちにとっては嫌悪するような表現だったかもしれないが今となっては世界一
の大国であるアメリカの最も注目されるであろう特徴になっている。アメリカだけではな
いが、今話題になっている企業の社長は白人が多く、その自分の能力を発揮し、スポーツ
等で活躍している人たちは黒人が多くまたその能力を思う存分発揮している。アメリカの
バスケットボールなんて非常にファンタスティックでクレイジーだ。ベースボールだって
大砲と呼ばれるスラッガーはパワーのある黒人がほとんどだ。見ていて全く飽きない。ま
た白人はアイデア的な部分で世間を騒がせる。ipod や facebook などだ。
人種の違いというのがある限り本当の平等というものはないのかもしれないがそんなもの
人によって能力に違いがあるということと同じだ。そう感じた。
「管理職≒白人」、「スポーツ≒黒人」といったイメージが払拭されたなら、真の平等に一歩近づくことが
できるのかもしれません。ちなみに、民間部門で管理職に占める黒人とヒスパニックの割合はともに 7%
なのに対して、白人は 80%超というデータもあります(ワイズ 2011)。
こんばんは
昔から黒人差別がどうたら言っていたのは前から知っていましたがこんなにもいい加減な
分け方だとは知りませんでした。人種分離撤廃の進んだスポーツと進んでないスポーツが
ありましたが進んでいないスポーツの中で水泳は個人種目の度合いが高い種目だと思うの
ですが、バスケみたいに身体能力が高いスポーツとは何が違うのかがイマイチわかりませ
んでした。
今回の授業は、アメリカでの人種差別であった。アフリカ社会文化論の授業で黒人差別の
ことを習っていたので、授業の内容が分かりやすかった。人種が違っただけで、電話ボッ
クスをわけたり、動物園や映画館の切符売り場を白人と黒人で離したりしていたというこ
とを聞いたときは、とてもショックを受けた。なぜブラックの血液の割合の違いでさらに
人種をわけたのかが分からない。そこまでして人種をわけなければならなかったのだろう
か。
たかが肌の色で人間性が決められるのは聞いているだけで気分が悪くなる。確かに人は初
対面の人には外見を見てから入ります。しかし黒人であるだけで偏見を持つのはよくない。
小さい規模ではなく大きな規模の社会でも偏見を感じられる。たとえばレストランでは黒
人専用と白人専用のところもある。口だけで良くないと言うことは誰にでも言える言葉で
ある。だが、行動を起こさなければほぼ無意味である。確かに今までで行動した人物もい
る。しかし、昔よりはよくなっているが完璧に黒人差別がなくなったわけではない。黒人
差別はもはや地域だけの問題ではなく、世界全体の問題であるだろう。
今回の講義で最も印象に残っているのは異人種間結婚禁止法である。人種差別によって自
分の本当に愛する人と結ばれないということはとても悲しいことである。人種差別によっ
て差別されている人たちだけでなくそういった人たちを愛した差別されない側の人たちも
辛い思いをしたということを考えると、廃止されて本当によかった。
異人種間結婚禁止法をめぐっては様々な訴訟が提起されました。有名なものに 1967 年のラヴィング判決が
あります。混血女性を妻にしたことでヴァージニア州を追放されたリチャード・ラヴィングは、訴訟を提
起するさいに弁護士に次のように語っています。
「コーエン先生、私が妻を愛しているんだと裁判所にいっ
てください。ヴァージニアで彼女と一緒に暮らせないなんて、ほんとに不公平じゃないですか」(山田 2006)。
(よ)
今回の授業で、人種の違う人同士の結婚が2000年まで禁止されていたところがあった
のだと初めて知った。また、白人と黒人を見分ける方法に顔立ちや肌の色だけでなく、そ
の人の人間関係や社会的行為が人種判定の材料になっていたことに驚いた。また、スポー
ツなどでも、今回授業で教わるまで気づかなかったが、確かに水泳やバドミントンの選手
に黒人の選手はあまり見たことがなく、現代でもスタッキングなど黒人と白人を分ける考
え方があるのだと分かった。特定の人種に特定の役割を与えていくやり方ではなく、結果
によって役割を分担させる結果の平等を推進していくべきである。
今回の授業では、昔から近年まで続いている人種差別について改めて考えさせられる授業
だった。今では一見人種差別問題はほとんど解決したかのようだけれど、最近でも日本人
がアメリカなどに行くと黄色人種だと言われたり、南アフリカ共和国のように白人が移住
してきたために今でも白人の方が優遇される、といった差別や、財産の違いによる貧困が
生じているところもたくさんある。それらの人種による格差は歴史が生んできたものなの
でそう簡単にはなくならないけれど、アメリカでも初の黒人大統領が当選したりと少しず
つ格差が狭まってきているようだ。
アメリカでは、アジア系はしばしば「モデル・マイノリティ」(model minority)として肯定的に表象され
たりします。つまりは、アジア系の「成功物語」が人種差別や白人優越主義を否定する材料としてクロー
ズ・アップされるわけです。
しかしながら、ご指摘の通り様々な格差が存在しているのも事実です。たとえば、テキサス州ヒュース
トンのアジア系の社会的移動に関する調査によると、ハリス郡ではアジア系は白人よりも大学卒の割合が
50%も高いにもかかわらず、大学卒以下の学歴の白人よりも収入がかなり低く、仕事上の職位も低いとい
ったことが明らかとなっています(ワイズ 2011)。(よ)
今回の授業では人種について学んだ。高校の授業でも人種について学んだことがあったが
2000 年から人種の複数選択が可能になったということは知らなかった。テレビでオリンピ
ックやバスケットボールを見ていていつもなぜ黒人の選手はあれほど素晴らしいプレーを
するかと疑問に思っていた。でも今回の講義を聞いて少し理解できた。
アメリカで制作されたドラマや映画を見ていると、現在でも黒人への差別が残っているこ
とがわかる。なぜ、人種差別がなくならないのか不思議である。差別的なことを言われた
りされたりすると、人は当然傷つくし悲しむはずである。相手の立場になって、物事を考
えたり感じたりしたりしないのだろうか。相手の気持ちを思いやれれば、差別的なことを
することは人間として間違っているし恥ずべきことであるとわかるはずである。日本で育
った私は、自分の周りに日本人以外の人がほとんどいなかったので中学校に入るまで、人
種について考えたことがあまりなかった。今回の授業を通して、過去にどのような差別が
されてきたのか知ることはこれから差別撤廃に向けて考えていくために大切であることが
わかった。
おそらく、人種差別がなかなか解消されない原因は、人種的不平等が構造的に深く社会に根付いている
にも拘らず、そういった認識を社会全体が共有できていないところにあるのではないでしょうか。たとえ
ば、1962 年と 63 年のギャラップ世論調査によると、白人の 3 分の 2 から 90%までが、黒人は雇用面でも
学校教育面でも住宅面でも平等に扱われていると回答しています。また、1963 年の世論調査では、公民権
運動はせっかちに変化を求めすぎるとか、
「あまりにも多くを」要求しすぎると思う人は白人の 4 分の 3 を
占めたそうです。
ちなみに、この 1963 年という年は、バーミンガムの街頭で黒人が警官隊によるデモ鎮圧の放水で地面に
投げ倒され、一六番通りバプティスト教会の地下室が KKK メンバーによって爆破され聖歌隊の衣装に着
替えようとしていた 4 人の黒人女子生徒が殺害され、NAACP ミシシッピ州支部のメドガー・エヴァス
(Medgar Evers)支部長が自宅の私道で殺害され、アラバマ州のジョージ・ワレス(George Wallace)知事が
人種隔離制度を永久に続けると宣言した年でもあります(ワイズ 2011)。 (よ)
今回の授業で、アメリカにおける人種問題について学んだ。過去アメリカの最高裁で人種
によって施設を隔離することが合憲だと判断されていたことを知って驚いた。なぜなら、
人種差別はあくまで政治的・法的には間違っていることだと判断されていたものだと勘違
いしていたからだ。昔の日本人の朝鮮人差別のようなものだと考えていた。現在でも人間
を大別するのに黒人・黄色人種・白人の分類を使うが、これら人々の間に優秀下劣の差が
あるのだろうかと、考えた。ただメラニン色素の多寡によって、肌の色が異なるだけでは
ないか。オーストラリアの白豪主義や南アのアパルトヘイトなどがなぜできたのか。アメ
リカでの黒人差別はなぜ起こったのか。これは、欧州の白人が作った技術が世界的に先端
技術であったために、その技術を持たない文明下にいた黒人や黄色人種を差別したのでは
ないだろうか。そして、黄色人種の差別が黒人のそれほど顕著ではなかった理由が、中国
発の羅針盤や火薬などが欧州の白人に益をもたらしたものだったから、最低限の尊敬をあ
つめたからではなかろうか。ただの想像でしかないために、確証は全くない。また、一時
期一滴でも黒人の血が混じっていたら黒人だと判断されていたことが不思議である。ナチ
党ですら、そこまでひどい人種判断ではなかった。そして、今なお残り続ける人種差別。
これの完全解消はいつ完遂できるのだろうか。少なくとも、私が生きている間にはできな
いだろう。私たちの世代にも人種で差別する人がいる。同世代の知人に人種差別意識を持
った人がいたので、まちがいない。
今日はアメリカの人種問題についての講義だった。黒人の血と白人の血が混ざって混血に
なって外見的に黒人だと分かりにくくなっていくのに黒人だと気づかれてしまうのは、そ
のころから遺伝子検査がしっかりしていたということだろうか。黒人の血が一滴でも入っ
ていれば、二グロに分類される「一滴の血ルール」からそう考えた。黒人だと判断する基
準の中で、人間関係から黒人だと決められてしまうのは、おかしいけど私たちの生活中で
も嫌いな人と一緒にいる人が好きになれないように、そのような判断が下されるのは人間
として仕方のないことだとも考えた。この差別は肌の色の差別だけにとどまらないが、な
ぜか今の私たちも黒い肌より白い肌を好んでしまう。白は綺麗で、黒は汚い、白は善で、
黒は悪、という見方がそのような差別を生んでしまったようにも考えられる。
「黒」と「白」というただの「色」に対してすら相反するイメージが付与されているのも事実でしょう。
ためしに、英語辞典で”black”と”white”をそれぞれ引いてみてください。
(よ)
アメリカ社会に黒人差別があったことは知っていたが少しでも黒人の血がまじると差別の
対象になる血の一滴ルールの存在や細かい区分訳があり、今井先生の授業を思い出した。
この黒人差別も見た目の特徴や生活状況など非科学的で恣意性の強いモノが見られ白人の
黒人に対して持つ優越感が感じられた。この差別を是正するためのアファーマティブアク
ションは一定の効果があるようにも見られるが、根本に経済的利害が垣間見えまだまだ是
正にはいたらないと考える。
今回は、アメリカでの人種差別について勉強した。白人による黒人への差別は「血の一滴
ルール」にみられるが、相当なものだったのだと考えられる。ナチ時代のドイツ人による
ユダヤ人への差別と比べると、アメリカでは裁判を多く起こしていたことが大きな違いの
一つではないかと感じた。
黒人が差別されていたことは知っていたが、一滴でも黒人の血が入っていたら、たとえ容
姿は白人のようでも差別されるということは知らなかった。また、人種を社会的所属や人
間関係から判定し、白人の定義も曖昧であったことを知った。ナチスの時もそうだったが、
人種の区別がいかに曖昧だったのか、ということを学んだ。さらに、現在でも住宅やサブ
プライム・ローン問題などの人種問題があることを知った。
アファーマティブ・アクションは、
「マイノリティ」が大学に入りやすくしたり、
「多様性」
のためにマイノリティの雇用を増やしたりするのはいいが、遺伝子上存在しないと学んだ
人種の区別を強めているので、アファザーマティブ・アクション以外の新たな制度を考え
るべきではないだろうか。
確かに、
「人種」という概念は作られたものですが、1990 年代には、
「人種」概念が持つ利点を強調するよ
うな議論も展開されています。それによれば、白人が歴史的に非白人を従属させるために「人種」の概念
を利用するも、非白人コミュニティのいくらかはこの歴史的に作り上げられた人種の概念を流用し、それ
をもとに団結することに成功してきたという点、さらには、非白人が人種概念を積極的に転用することに
よって、自身の集団が持つ力やアイデンティティを主張したといった点が指摘されています。
Lee, J. C. (1995). Navigating the topology of race. In Crenshaw, Gotanda, Peller & Thomas (Eds.),
Critical race theory: the key writings that formed the movement (pp. 441-8). New York: New
Press.
私は、人種差別はなくすべきだと考える。人間は人種差別を繰り返していき、何を得たの
だろう。白人と黒人を区別し差別することに何の意味があったのだろうか。私には何を得
たのかわからなかった。実際に、差別をしていたことによって人の命がなくなることもあ
った。この人種差別は命よりも大切なのだろうか。現在では、昔ほどは差別はなくなった
がそれでもやはり差別はなくすべきである。
今週の授業を受け、なぜテネシー川州メンフィスで事故が起きた時に白人たちは差別の無
意味さに気付かなかったのかという疑問を持った。これは、私が人権教育を受けているか
ら偉そうに言えるのかもしれない。白人は自尊心が高く、黒人を見下し同等の立場にみら
れることを忌み嫌っていたことは中学生の時に授業で習った。黒人が存在しないほうがい
いという感情が当時の白人には強く、また社会は白人中心に動いていた。テネシー川州メ
ンフィスで起きた事故では自分たちが「黒人男性は白人女性に触れてはならない」という
決まりを作っていたために白人女性は死んでしまった。あの決まりがなければ白人女性は
助かっていたかもしれない。白人が白人を殺したようなものだ。この女性の死から、差別
が無意味であるということをなぜ学ばなかったのか。あの事故後、差別撤廃していれば犠
牲者はかなり減ったはずだ。早期に白人は差別の無意味さに気付くべきだったのだ。
他の授業で、黒人差別についての映像をみたことがあります。奴隷として焼印をされてい
たという事実などがあり、心苦しかったです。アメリカのゲットーでは、いまだに黒人差
別がとられていると聞きます。人種差別の現状を知って、世界規模で考えないといけない
し、自分ももっとこういうことにも目を向けていきたいです。
今回の講義は、アメリカの人種問題についてだった。僕はアメリカ南北戦争によって人種
差別はほぼなくなったものと思っていたが、その後も差別が続いていたということで非常
に驚いた。調べると、終わったのは奴隷の制度であって、人種差別ではなかった。僕が少
しだけ知って深く学ぼうとしなかったために起きた愚かな結果である。今後直していきた
い。
南北戦争と奴隷制度に関して通史的に学ぶのであれば、以下の文献などはいかがでしょうか。ハワード・
ジン(猿谷要監修)(2011)『民衆のアメリカ史上巻―1492 年から現代まで』明石書店。
今回の講義を受け、社会歴史的構築物としての「人種」が明確な基準のない「人種」判別
方法が普遍で時代によって異なる「人種」区分は不変であるということを知った。だから
こういった概念は依然として過去から変わらないということである。
講義では、人種概念が「普遍」でもなければ、
「不変」でもない、というふうに説明しました。ご確認くだ
さい。(よ)
たとえ、容姿が黒人でなくても、少しでも黒人の血が入っていたら、白人の血がいくら流
れていても黒人とされる時代があって、のちに、外見特特徴から判断するまでに至った。
どちらにしても、
「差別」していることに変わりはなく、改善されたというよりむしろ酷く
なっている。黒人だということだけで、融資があまり受けられず、融資がないことでさら
に生活が苦しくなる。もし、子どもがいるなら、その生活が苦しいなかで育てなければな
らない。すると、大学も有名大学(授業料が高い)は入学できず、年収が低くかつ黒人という
だけで融資もあまりもらえないという悪循環を生み出している。
いつもお世話になっています。
今日の授業、またはこれまでの授業を通じて人種とは人為的に作り出した区分にすぎない
のだと感じた。今日の授業の紹介でもあったがスポーツなどは近年オリンピックなどで黒
人選手の活躍が目覚ましく、また人種という垣根はなくなりつつある。しかし一方でオバ
マ大統領が就任した時の当時の新聞によると、オバマ候補は白人の 40%が黒人に対して何
らかの否定的な見方を持っているという事実に直面している。白人民主党員と無党派層の 3
分の 1 以上が、少なくとも一つは「黒人に対する否定的な形容詞」に同調した。この人た
ちは、そのような見方をしない人たちに比べると、オバマに投票しそうもないことがはっ
きりしている。彼らがオバマ候補の当選に欠かせない人たちなのに、である。
「50 年前に比
べれば人種、宗教問題で頑迷な人は減ってはいるが、それでもほんの一握りではない」─
調査の分析に当たったスタンフォード大学のシニダーマン教授は指摘する。調査は面接調
査よりもオンラインでコンピューターを結んだネット調査法が取られた。この方が返事に
戸惑うような質問に答えたり、否定的な意見を述べ易いためだ。黒人に当てはまる形容詞
について聞く際に、単に質問を掲げるのはなく、モニター上に黒人と白人の顔を出して印
象を尋ね、より的確な反応を探る方法も取られた。いくつかの肯定的と否定的な黒人を表
現する形容詞を選ばせると結果は次のようだった。
「粗暴」20%、
「自慢しがち」22%、
「文句を言う」29%、
「怠け者」13%、
「無責任」11%。
このことからも現在も根強く差別の意識が残っていることがわかる。しかしこのような状
況の中で黒人の大統領が誕生したことは人種差別の歴史の中で大きな一歩を踏み出したと
いえるし、これをチャンスとすべきである。
国際化が進み、人種・民族が混ざり合って共生していく必要のある社会でより多くの人々
が暮らしやすい環境になるよう、人種のサラダボールといわれるアメリカが率先していく
べきである。これからもよろしくお願いします。
黒人に対する偏見に関しては、次の著作において、様々な調査が紹介されています。ご参考までに。ティ
ム・ワイズ(脇浜義明訳)(2011)『アメリカ人種問題のジレンマ―オバマのカラー・ブラインド戦略のゆくえ』
明石書店。(よ)
今回の講義はアメリカの人種差別についての講義だった。アメリカは人種のサラダボール
というが、それだけ多くの人種を抱えている分、問題も多く抱えているものだ。アメリカ
は自由を掲げている国でありながら、有色人種には、活動の制限であったり、区別が徹底
されていたりしていた。黒人の血が少し入っているだけで、見た目はほぼ白人と変わらな
いのに、水飲み場やトイレなどを区別されるのは不条理であるし、国を挙げて差別に合憲
判断を下したりするのはもう決してあってはならないことだと思う。
先週はご講義ありがとうございました。人種を優位なものと下位のものに分ける前の人種
差別から、人種をそれぞれのメリットとデメリットを理解し、企業などが多種多様な人種
を積極的に受け入れるようになった時代の流れは、国の経済力をあげ、また人類をひとく
くりに発展させるということからすばらしい流れであると学んだ。
人種的多様性が国の経済力のために動員されている現状をどのように考えるのかも一つの
重要な論点になるのではないでしょうか。(よ)
現代アメリカの人種問題について学んだ。1850~1860 の国勢調査では奴隷身分の人が人と
して扱われていないことが分かる。自由人と違い名前の記入の必要がないからである。名
前は個人を表す基本的な単位である。肌の色や血統を重視し、本人の能力や信条にかかわ
らず社会が人を判断していた歴史の表れといえよう。人種問題は今日ではだいぶ解消され
たものだと思っていたが人種の自己認定開始が 1970~という事実から、若い世代と高齢の
世代では人種の認識に差異があるのではないかという考えに至った。自分が思っているほ
ど解決した問題ではないのだと実感し、納得した。
こんにちは。
今回の授業では、現代のアメリカの人種問題について教わりました。現代でも黒人に対す
る差別などが根強く残っていることは知っていましたが、今回の授業で教わったことは、
私が考えていた状況よりもひどいものでした。その中でも、今回の授業の内容で私が1番
疑問に感じたのは、国勢調査による人種の分類です。現在では調査者だけが判断するので
はなく、回答者の自己認定も併用するなど、だいぶ改善されているようですが、そもそも
なぜそのような調査をする必要があるのでしょうか。そのような調査で黒人、白人など分
類してしまうから差別がなくならないのではないでしょうか。国が未だにそのような分類
を行っているうちは、絶対に差別はなくなりません。なぜなら、そのように人を人種別に
分類することそのものが差別だからです。本当に人種差別をなくすためには、まずそのよ
うな調査をなくすことから始めるべきです。
下線部に関連して、2003 年 11 月に行われたカリフォルニア州選挙において、住民提案 54 号、通称「レイ
シャル・プライヴァシー発案」(Racial Privacy Initiative)と呼ばれる住民発議が投票に付されました。そ
の目的は、「人種、民族、肌の色、出身国」による分類の禁止にあります(California 州特別選挙―公式投
票者情報ガイド 2003)。しかしながら、これが可決されれば、
「州や地方自治体は、就学率、失業率、平均
余命、年収、学歴など、社会政策を決定するうえで参考となる重要な統計において、人種別の数値を知る
ことができなくなる」のみならず、
「格差を是正する」こともできなくなるといった問題も指摘されていま
す(中條 2004)。なお、投票結果ですが、同発案は、賛成 36%対反対 64%で否決されています。
California 州特別選挙―公式投票者情報ガイド、2003 年 8 月 31 日。
中條献(2004)「変化する『ナショナリズム』―アメリカ合衆国の国民統合と公民権運動の歴史解釈―」
『ア
メリカ史研究』第 27 号、47-56 頁。
今回の授業で特に印象に残ったのが,異人種間結婚等禁止法についてです.最後に残った
アラバマ州が2000年に廃止,と教わりましたが,最近の調査では南部ミシシッピ州共
和党員の約半数が異人種間結婚は違法にするべきだ,と思っているというニュースを聞き
ました.これはいまだに差別意識がこの地方に根強く残っているということでしょうか.
NewslogUSA:アメリカ草の根ニュース管理人:マクレーン末子 http://www.newslogusa.com/
異人種間結婚禁止法を巡る問題が様々な論争に発展することは今日でもあるようです。たとえば、1994 年
に、アラバマ州の公立学校の校長が、もし異人種間のカップルが参加するなら学校の卒業パーティーを中
止すると述べました。これに対して、父親が白人で母親が黒人の生徒が、自分はどの人種の人をデートの
相手に選べばよいのかとその校長に説明を求めると、校長はその生徒のような「間違い」がおこるのを未
然に防ぐために、今回の措置を講じたのだと答えたそうです。
Harrison, E. (1994 August 12). Dating changes, discord rock a tiny Alabama town: South: A principal is
removed. A school is burned. But at heart of the tension is growing issue of race-mixing, Los
Angeles Times.
松本悠子(2008)「『人種』と結婚―人種混淆をめぐる政治学」
、川島正樹編「アメリカニズムと『人種』」、
名古屋大学出版会、250-79 頁。
異人種間結婚禁止法に関連する訴訟における人種の判定方法は、被告の家族や外見、社会
的所属、人間関係から規定されるもので、非常に主観的であったということがわかった。
ただし、アメリカの国勢調査における人種の分類については、人がどの人種の血をどのく
らいの割合で持っているのかがどうやったら分かるのか、というところが疑問である。ま
た、アメリカの企業が多様性を重視し、マイノリティの差別を撤廃させようとアファーマ
ティブ・アクションを起こしたことについては、差別是正のためには必要なことであった
と言える。しかし、企業のイメージアップや経済的発展が目的であったために、アファー
マティブ・アクションの結果、差別が是正されても、その経緯や理由の点から見ると、人々
に注目はされるだろうが、いい印象を与えるわけではないだろうと考えられる。
私は、現代の人種差別を減らすためにアファーマティブ・アクションの方針は必要である
と考えます。なぜならば、過去のジム・クロウ制度による影響は今も住居差別や教育差別
などであって、これは公民権法を出してからもなくならなかったということになり、機会
の平等を行っても差別は減らず、ならば、アファーマティブ・アクションで積極的な措置
を行ったほうが差別を減らすために有効だと考えたからです。アファーマティブ・アクシ
ョンは、有色人種の社会進出を積極的に進めるため、白人の社会進出の機会が減り、逆に
白人への差別になりうるのではないかという否定的な考えもありますが、そうでもしない
と有色人種の社会進出が難しくなり、もし能力をもった有色人種の人がいたとしてもアフ
ァーマティブ・アクションを行っていないせいでその人材を見過ごすことにつながるかも
しれません。また、企業も多様用な人種の人がいたほうがさまざまな意見を商品に取り入
れることができ、企業の売上向上にもつながります。
今回の授業は、アメリカの人種問題についてでした。今回の授業の中で、企業などがアフ
ァーマティブ・アクションを支持した背景の紹介がありました。そして、その理由のほと
んどが経済的な理由と知りました。この理由を聞いて僕は、経済的理由であれども、アフ
ァーマティブ・アクションを推進し多様性を実現していったことはよかったことだと考え
ました。なぜなら現実として、雇用の不平等性などは解消されているからです。
実際に雇用が創出されているという現実と、差異や多様性が経済的利益のために回収されているという現
状をどのように評価していくかは、日本においても今後の課題となるのではないでしょうか。(よ)
今回の講義で学んだことは、以下のようなことである。過去のアメリカでは、人種区分の
基準は明確でなく、また時代によって異なっていたが、一貫して人種差別があり、多くは
黒人が不利益を被っていた。現代のアメリカでも、スタッキングや人種操舵、サブプライ
ム・ローン問題において人種差別があるが、一方で、アファーマティブ・アクションによ
る多様性の実現も推進されている。
今回の講義で扱われた、大学入学におけるアファーマティブ・アクションを合憲または違
憲と判断する2つの訴訟のように、アファーマティブ・アクションは良い手段だとは言い
切れない。差別されてきた人を優遇することで平等が達成されるとも考えられるが、逆に
それまで差別されていなかった人が差別されることになるとも考えられるからだ。
アファーマティブ・アクションという差別を撤廃し、多様性として実現していく取組みは、
差別も多様性もそれぞれお互いの違いはそのままであるので、少し考え方をどちらかに傾
けるだけで、大きくとらえ方の印象が変われるということを感じました。逆に言えば、も
ともと多様性という考えのもとで認識していたそれぞれの違いは、違いのある相手に対し
悪い考えがでてくるような人種間の問題が発生したとしたら、それはすぐに多様性という
概念から差別にかわってしまう危険性を持っているのではという感じがしました。
今回は、人種差別について学んだ。様々な公共施設で、人種別に隔離されたり、立ち入り
が制限されたりしていたことは知っていたが、隔離することが合憲と判断された「分離す
れども平等」の考え方は初めて知った。隔離することで特定の人種だけに差別的扱いをす
るわけではなく、人種による区別をするだけなので、何も問題はない、というのである。
ただし、今回の講義のテーマでもあった通り、人種概念は曖昧なもので、時代や場所によ
って異なる。1890 年~1920 年には、何分の何が何人の血だからこの人種、と定義が細かく
定められていたし、1930 年~1960 年には、先祖に 1 人でも黒人がいればその人は二グロ(ブ
ラック)に分類されるという、「血の一滴ルール」があった。それを知って私が考えたのは、
先祖を細かく辿っていって人種を定めるなど無駄な労力だ、ということだ。各人種の定義
は、各時期には明確な定義とされていただろうが、全体を通して見ると、数十年単位で基
準がコロコロと変わっている。当時の人々は、人種を区別することに正当性を感じていた
からこんなことをしていたのだろう。しかし現代の日本で暮らす私からすると、揺るがな
い基準があるわけでもないのに、そこまでして調べて何が得られるのだろうか、と考えて
しまう。
人種差別というと、私は過去に行われていたものというイメージを持っていたが、人種の
概念は現代でも実体のあるものとして残っていると学んだ。スポーツ種目の分類を見ると、
スポーツ人口に偏りがあり、まだ白人・黒人の区別が格差を生んでいることが分かった。
現代では人種の複数選択ができ、アファーマティブ・アクションも推進されている。世界
には様々な国の人がおり、人種をなくすのは不可能だが、ある人種だけが差別的な扱いを
受けるのは許されることではない。アファーマティブ・アクションを支持している大学や
企業もあるが、イメージ戦略や多様性の確保などで、「黒人を何名受け入れたから優れてい
る」というように、人種差別を利用していると感じられる。雇用や入学試験などでは、も
っとその人の中身を評価して採用してほしい。また私たちも、現代でも人種による格差が
なくなっていないということを知る必要がある。
この前の授業ではアファマーティブ・アクションを支持した企業の背景には、1企業のイ
メージ戦略助言書を提出した大企業 33 社のうち 4 分の 1 以上が人種差別関連訴訟を提起さ
れていた⇒A.A.関連訴訟において A.A.擁護の姿勢を見せることによって、企業は低コスト
でイメージを回復させようとした(Anonymous 2001, June 22)。と書かれていました。確か
に、世間の風評は大事です。会社が繁栄するかどうかは、風評にかかっているところもあ
るでしょう。でも、悪いイメージを持たれた企業のイメージアップのために、つまり利益
のためにアファマーティブ・アクションを採用するということに対しては、私は反対です。
しかし、強く反対することはできません。なぜなら、利益の追求のためにアファマーティ
ブ・アクションを採用したとはいえ、被差別者の中にはそれで就職の口が見つかり、助か
った人もいるからです。このことは、世の中は綺麗事だけでなりたっているわけではない
と教えてくれるいい例でしょう。
【再】実際に雇用が創出されているという現実と、差異や多様性が経済的利益のために回収されていると
いう現状をどのように評価していくかは、日本においても今後の課題となるのではないでしょうか。(よ)
今回の授業はアメリカの人種問題についてでした。
アメリカでは、その人の人間関係や社会的所属で人種を判断されていたということがわか
りました。スポーツや住宅までもが差別の影響をうけているということにも気づきました。
スポーツは、お互いが全力を出して競技て勝負するべきものだから水泳などの種目も人種
分離を撤廃していくべきです。また、アファーマティブ・アクションは今までの差別の影
響を無くすためにも、よりたくさんの人が社会で活躍できるようにするためにも推進して
いくべきだと考えます。
水泳に関しては、その後黒人系の選手が活躍しているようです。カリフォルニア州出身のアンソニー・ア
ービン(Anthony Lee Ervin)がその人です。彼は、2000 年のシドニーオリンピックで、米国水泳初の黒
人系代表選手となり、50m 自由形で、同僚のゲーリー・ホール・ジュニアと同着で金メダルを獲得したそ
うです(Wikipedia)。(よ)
今回の講義で取り上げられたアファーマチィブアクションについてとても良い政策である
と考える。たしかに、多数派にとっては同じ土俵での勝負ではなく不平等であると感じる
かもしれない。しかし、差別によって同じ土俵に入ることのできない人間にチャンスを与
えることは、結果的に多様性という考えのもと多数派に対しても恩恵をもたらすという点
である。さらに、この政策は機会の平等から結果の平等とういう考えに改善されている。
現在でも多くの政策が出されているが、表面的な政策も多く存在する。例えば、男女雇用
機会均等法など男女平等を謳った法律ができて制度的には男女平等になったが、就職試験
や昇進試験などに対して男女の不平等はなくなったとはいえないだろう。つまり、本質的
な問題は多く残っているのである。しかし、アファーマチィブアクションは機会の平等か
ら結果の平等という改善を行って本質から変えようとしていることが理解できる。このよ
うな点から、よい政策であると考える。
今回は近現代アメリカの人種差別についての内容でした。アメリカが黒人を徹底的に隔離
していた時代から、徐々に変わっているのが分かりました。その中の 19 世紀から現在にか
けてのアメリカ国の人種の分類基準の移り変わりについての説明が印象に残りました。今
まで私は黒人の扱いは奴隷解放宣言により表裏を返すように急に変わったと思い込んでい
ました。しかし、それ以前にも以降にも黒人(奴隷)に関する決まりが少しづつでも動い
ていたことを知って驚きました。また、アファーマティブ・アクションは奴隷解放宣言か
ら 100 年後にされたということは、それ以前の 100 年間の黒人の社会での扱いはどのよう
になっていたのでしょうか。A.A.が発足したこと自体から考えても、奴隷制度は廃止され
ましたが平等と呼ぶには至っていないことが見て取れます。やはり、人々の根本にはまだ
黒人を劣等と見なす思考があり、いくら制度で改善しようとそこは今現在もあまり改善さ
れていないようです。私たちが黒人のことを「黒人」と呼ぶのが差別になってしまうのも
それが理由です(black が差別用語なため)。規模的にも歴史的にも世界で一番大きい差別
問題ですが、さらに時間をかけていくしかない問題なのでしょうか。ナチスの歴史と照ら
し合わせてもう少し詳しく調べてみたいです。
授業に関しては、具体的事例を多く取り上げていたため、複雑な歴史の内容なのにとても
分かりやすかったです。
「黒人」の呼称に関してですが、1960 年代に入り「アフロ・アメリカン」(Afro-American)、
「アフリカン・
アメリカン」(African American)、
「ブラック・アメリカン」(Black American)、
「ブラック・ピープル」(Black
People)、
「ブラックス」(Blacks)が使われるようになり、現在でも特に差別的意味合いがなく使われていま
す。一方で、強い軽蔑的なニュアンスをもつ呼称として「ニガー」(nigger)という言葉があります。現在で
は、この言葉の代わりに「n-ワード」( n-word)という表現が使われたりします(バーダマン 2011)。
こんにちは。今回は吉岡先生による「現代アメリカの人種問題」というテーマの授業内容
でした。私は今回のレポートで吉岡先生の課題を選択したのでいつも以上に真剣に話を聞
きました。
今回の講義では人種が明確な意味を持っていないということが認識できた講義内容であっ
たと感じられました。たしかに、黒人や白人、アジア人など外見から人種を判断していま
す。実際、人種により特徴的な肌の色や体のパーツ、体毛などが人種を判断するための特
徴となっています。しかし、ホーマ―・プレッシーは外見が黒人ではなく、8 分の1黒人の
血が流れていたために、白人車両に座ったら逮捕され、そのことが経緯となり、南部の人
種隔離法として「ジム・クロウ制度」が行れていたという話でした。その制度が行われて
いたための実例で、1927年にテネシー州メンフィスで負傷した白人女性に救急隊員の
黒人が触れることが出来なかったため、白人女性は亡くなってしまったという話や、19
42年まで赤十字が白人、黒人の血を分けて保存し、輸血の際も白人黒人に適した血を採
血していたという話は、
「ジム・クロウ制度」が施行されていたことを理解できた内容でし
た。そもそも、
「ジム・クロウ制度」の背景で白人が優位とされていたのは、wikipedia に
よると、
『南北戦争後の南北統合期(1865)に、当時工業で発展しはじめていた北部都
市とは異なり、南部では黒人労働力による農業が依然として経済の基礎であった。その為
「黒人が白人と平等になっては困る」というのが南部経済を支える有力な白人農園主たち
の本音であったと考えられる』そうです。
この講義で重要であったと感じた、人種の概念については、人種の判定方法は曖昧なもの
で、社会的所属や人間関係からも判定されていたとの事でした。人種という概念がつくら
れたものであることを学びました。
また、アフォーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)によって、
「機会の平等」か
ら「結果の平等」へと向かい法律上では差別がなくなったとの事でした。このアフォーマ
ティブ・アクションはアメリカにおいて様々なプラスの面があり、多様性という観点から
もメリットを理解しました。これについて、マイノリティを抱えることが他人を理解する
ことにもつながるし、
「人種のるつぼ」ともいわれる、アメリカの多民族国家では、他の民
族を理解し尊重することが、経済発展や人間関係の確立に関係することが容易に考えられ
るからです。
今回の講義はアメリカにおける人種の背景を学び、より人種について考え、学ぶ機会に恵
まれました。これからの学習につなげていきます。
「人種」概念については、様々な研究の蓄積があります。配布した参考文献を手掛かりに、考察をさらに
深めてみてはいかがでしょうか。(よ)
過去の人種差別として南部の人種隔離法「ジム・クロウ」制度があると知った。人種分離
撤廃の度合いによるスポーツ種目の分類として最も撤廃が進んだ種目では陸上、ボクシン
グ、野球、アメリカン・フットボール、バスケットボールがある。またこれらに共通して
いるものは低コストで練習を積むことのできる競技であることと巨額の資本に支えられて
発展したということである。また非白人の台頭によって注目を集める種目にはテニス、ゴ
ルフがある。これらに共通しているのは低所得の非白人には手が届かないとされながらも、
高コストなスポーツである。現在なお白人が圧倒的多数を占める種目として水泳、アーチ
ェリー、バドミントンなどがある。これらに共通しているのはこれらの種目のオリンピッ
ク代表はアメリカ史を通じてほぼ白人だということである。
今回の吉岡先生の授業は現代アメリカの人種問題についてでした。
ジム・クロウ制度によって、学校やトイレ、病院が黒人と白人とで分けて使われていたと
いうことは知っていましたが、まさか墓場まで別だとはある意味で徹底していると感じま
した。また1927年のテネシー州メンフィスで白人女性が事故をし、救急隊員がかけつ
けたのにもかかわらず、黒人男性であったため適切な処置ができずに死亡したという出来
事がありました。人命にかかわることであるのに、それよりも人種隔離法が優先される、
その女性は助かったかもしれないのに、救急隊員が黒人男性であったがための不幸だと当
時は思われていたのでしょうか。
「人種」は明確な基準がなく、時代によっても区分が違います。それなのに今でも、黒人
や白人という概念が存在し、特に黒人は見下げられていることが多いです。しかしケネデ
ィ、ジョンソン両大統領が発布したアファーマティブ・アクションによりマイノリティの
差別が撤廃され、多様性の実現が求められるようになりました。多様性を擁護する企業も
現れ、その背景には人種差別関連訴訟によるイメージの回復と自社の経済的発展という目
的がありました。後者の目的には、今後ユーザーや消費者の可能性となるマイノリティの
声に耳を傾けることが必須です。やはり多様性が必要です。最近では、優秀で労働意欲の
ある外国人を採用する企業が多くなっています。わたしが就職活動をする頃には、多くの
外国人がライバルとなるでしょう。人種によらず、働く機会があるというのは良い方向に
向かっていますが、わたしたちも負けないように頑張らなければいけません。そしてもし、
彼らと同じ職場で働くことがあれば、文化や価値観を理解できるようになっていたいです。
ジムクロウ制度があった頃のアメリカを描いた映画を見たことがある。黒人に対して白人
と使うトイレやバスを分けたりととても理不尽な現状が映っていた。肌の色の違い、また
黒人というだけでそのような差別を受けることはあってはいけない。二度とこのようなこ
とを繰り返してはいけない。
今回の授業を聞いて、南部の人種隔離法「ジム・クロウ」制度の実例や異人種間結婚禁止
法などの人種差別があったことを学んだ。人種差別の実例としては知っているものがいく
つかあったが知らないものも多くあった。そもそも人種差別は許されるべきではないので
すが、その人種の判定方法が何の根拠もないものであったことは驚きでした。まだ祖父母・
父母らの人種によって判断するのは理解できないことはないですが、人間関係によって人
種を決定することは全くもって意味が分かりませんでした。人種差別あったことは知って
いたのですが現在は完全になくなっていると思っていたのですが、今でも過去の差別の影
響があるのだと改めて感じた。実際問題として人種によって向き不向き(スタッキング)があ
るのでスポーツにしても、社会にしても違いが生じてくる。しかし、これらは多様的な環
境や様々な背景をもっているというだけなので経済的発展等にいかしていくことが出来る
のである。人種が違うからといってマイナスにとるのではなく、プラスにとることが大切
であると考える。(人種が違うからと言ってる時点で人種差別などの考えが頭の中にあるの
かもしれませんが。)
南部の人種隔離法「ジム・クロウ」制度について学んだ。黒人にのみ被害があるのだと思
っていた。実際、黒人の人たちも辛い思いをしてきているが、「ジム・クロウ」制度によっ
て、治療することができずに亡くなった白人女性がいることも知った。輸血に使う血液も
黒人用と白人用に分けたり、エレベーターや電話ボックスを分けたり、と黒人と白人の隔
離の徹底ぶりに驚いた。
「黒白分離論者は学校問題にあたっては、黒人の知能が低い事、不潔な事、道徳観念の低
い事、犯罪者が多い事などをあげて黒白の共学に反対するのであるが、所によっては黒人
市民の教育程度の方が白人市民より高い場合もないではなく、「分離されているが平等」
(separate but equal)という南部の人種問題処理の原理をもじって「分離されているが優
越」
(separate but superior)という句が黒人のために生まれたりする。」*1
とあるが、確かに白黒分離論者の考えはよいものではない。知能が低い、不潔、など明確
な理由もないのに判断すべきではない。だが、「分離されているが優越」という句も、白人
と黒人の溝をさらに深めるような表現である。黒人だから、白人だから優劣が存在すると
いう考えではなく、すべての人が平等であるという考えが普及すればいい。しかし、今日
の吉岡先生の授業で学んだように、黒人と白人の間の溝というものは私の思っていたより
ずっと深いものであった。黒人と白人の定義、というものがひどく曖昧なので、その人個
人を見るようにしてほしい。
*1
三輪公忠、「海外評論誌展望:米国の人種問題;リトル・ロック事件」『ソフィア:
西洋文化ならびに東西文化交流の研究、7(1)』1958-04-15
http://repository.cc.sophia.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/830/1/200000010063_0001
41760_75.pdf
ジム・クロウ制度について、被害を被ったのは黒人だけではなく、実際に白人にも例があ
ることを初めて知った。しかし、白人が被害を被っても、黒人に対する差別がまだ続いて
いたのはなぜだろうか。
被告の祖父母、外見的特徴、社会的特徴だけでなく、さらに人間関係から人種を判定する
ということであったが、人種によって差別する法律が制定されるなど、政府が差別を生み
だしたという側面がある一方、国民がその差別を促進したという側面も見られる。
今回の講義では、人種差別について学びました。アメリカの南部では人種差別があったこ
とは知っていましたが、
「ジム・クロウ」という制度は初めて聞きました。他にも州によっ
て、例えばジョージア州ではエレベーターを白人と黒人用に分けられていたりと、詳しく
区別されていることに驚きました。年代によってもいろいろ区分されていて、アメリカで
の人種差別は自分が想像していたより、ひどかったです。日本ではあまり人種について言
われてこなかったこともあるかもしれませんが、アメリカだけでなくヨーロッパの方ので
も同じような人種差別が進んでいたはずです。もし今でも、間違った人種差別についての
考えがあったら考え直すべきです。
今回の講義で,
「ジム・クロウ」制度が挙げられていた。この制度では,公共施設で人種別
に隔離することは合憲と判断されていた。しかし,その人種(白人か黒人か)について 1/8
が黒人の血であるだけで,いくら容貌が黒人ではなくても黒人と定義される。つまり,黒
人の血が一滴でも混じっていれば黒人とするということである。これにより,動物園や映
画館の切符売り場やエレベータまでもが白人用と黒人用に分けられていた。では,なぜこ
のような分離が続いていったのか。NHK で放送された「NHK特集ワールドTVスペシャ
ル 青い目・茶色い目~教室は目の色で分けられた~」
(1988 年 4 月 29 日放送)という番
組の中である実験が行われた。
実験は,小学校 3 年のクラスを青い目と茶色い目の子どもに分け、
「青い目の子はみんな良
い子です。
だから 5 分余計に遊んでもよろしい」
「茶色い目の子は水飲み場を使わないこと。
茶色い目の子はダメな子です」というように、青い目の人は優れていて茶色い目の人は劣
っていると決めつけて1日を過ごす。茶色い目の子は差別されている象徴のようなカラー
(襟)を着用させられる。遊具を使うことも給食でおかわりすることも許されなかった。
また、先生は茶色い目の子供が何か失敗をするたびに「茶色い目の子供はこれだから困る」
というように非難する。すると、15 分もしないうちに子供たちは真っ二つに分かれ,青い
目の子は茶色い目の子をバカにするようになった。昼休みには殴り合いのけんかまで起こ
り、子供達は一瞬で互いを憎みあうようにまでなってしまった。
この実験により,
「人は他人から認められたり,自信を持つことで持っている能力を十分に、
あるいはそれ以上に発揮することができる」*と考察されている。今回の人種の分離もこの
実験のように「黒人」
「白人」と明確に区分され,白人優越思想が広まるにつれ,白人は「自
分たちは優れている」と意識し黒人は「自分たちは劣っている」と意識する。そして,2
つの人種は分離されていく。
* 岐阜大学寺島研究室 HP(http://teraken.gooside.com/aoimechairoime.html)
特定の環境下で、付与された特性を内面化していくという点では、スタンフォード監獄実験を想起させま
すね。(よ)
早速ですが、授業のコメントをさせていただきます。今回の授業で取り上げていたスポー
ツと人種の関係についてですが、その中でもスタッキングについて意見があります。授業
を聞く限り、私はスタッキングが「適材適所」であるとしか解釈できません。なぜなら、
選手から管理職になるのが黒人にとっては難しいとありましたが、陸上の短距離などでは
白人は選手にすらなるのが難しいからです。個人にあったポジションにつくことがどれほ
どの利益を生み出すかは、現在の諸企業を見れば明らかです。抜群に指導力や統率力に長
けていれば、人種に関わらず管理職になれるでしょう。むしろ、
「アメリカンドリーム」を
叶えたことで成功者となった人の多いアメリカであるからこそ、そういうチャンスはたく
さんあるに違いありません。
人種によりスポーツの活躍種目が分けられている遠因に関しては、「ロール・モデル」(role model)理論
というものがあります。ご参考ください。また、黒人選手の現役引退後の生活の実態に関しては、当事者
の言説も数多く残っています。取り急ぎ、以下の文献をご紹介させていただきます。NFL サンディエゴ・
チャージャーズで活躍したケレン・ウィンスロウの言葉:ケレン・ウィンスロウ「序文」(ケネス・L・シ
ロップシャー『黒と白―アメリカにおける人種とスポーツ』1996 年)。原典の邦訳が以下の書物に一部掲
載されています。古矢旬編(2006)『史料で読むアメリカ文化史 5 アメリカ的価値観の変容 1960 年代―20
世紀末』東京大学出版会。
また、民間部門で管理職に占める黒人とヒスパニックの割合はともに 7%なのに対して、白人は 80%超
というデータもあります(ワイズ 2011)。このことから、管理職に就くということに限って言うならば、黒
人にとっての「アメリカンドリーム」とは非常に限定的なものといえるのではないでしょうか。(よ)
今回の授業は「現代アメリカの人種問題」についてでした。私は高校では地理をとってい
たので、人種差別についてはあまり詳しく知りませんでした。そのため、人種差別といっ
てもアメリカは自由の国と言われており、またオバマ大統領というアフリカ系と白人の混
血の人が大統領であるためほとんど差別はなくなっているのではないかと考えていました。
しかし、住宅差別やサブプライム・ローン問題があることを知り、まだまだ白人と黒人の
差別は根強く残っていると感じました。やはり、差別が残っている原因は奴隷制時代を知
っている人やまだ差別が公に行われていた時代を知っている人の考えが受け継がれている
ためだと考えます。日本でも部落差別があり、部落差別について知っている昔の人は「部
落の人は性格が悪いく、気性が荒い。」など人間性を決めつけている人もいます。例えば、
アメリカでも事件が起こり黒人の人が犯人だった場合「やっぱり黒人は暴力的だ。」や「こ
れだから黒人の人は。
」と考える人もいるのではないでしょうか。スポーツの世界ではむし
ろ黒人の人は能力が高いといわれ重宝されている場合もあるようです。このような人の外
見ではなく、能力や中身だけで判断される世界になるまでには、意識改善をしていからな
くてはならないのではないかと考えました。
禁止法関連訴訟における人種の判定方法について、
1.被告の祖父母・父母らの人種から被告の人種を判定
2.被告の顔立ちや皮膚の色などの外見的特徴から被告の人種を判定
は知っていたが、
3.被告の社会的所属、人間関係から被告の人種を判定
は初めて知った。
国語辞典をひくと、人種とは、"人類を骨格・皮膚・毛髪などの形質的特徴によって区分し
たもの"と書かれている。このことからも、社会的行為自体が人種の判定材料になるのはお
かしいと言える。また、水に関係する種目(水泳、カヌー・カヤック、ヨットなど)において
白人が多くを占めているのも差別意識が残っている証拠と言える。差別をなくすには、一
人ひとりの意識を変えることが必要であるが、差別の意識は人間に根付いているため、非
常に難しい。
○感想
吉岡先生の授業は声も非常に聞き取りやすく、先生の優しさが伝わってきて、今までで一
番有意義な授業でした。ありがとうございました。
より良い講義を行えるようさらに精進して参ります。(よ)
本日も有意義な授業をありがとうございました。
以前から続いていた人種差別、実をいうと私の中ではすっかり風化してしまっていました。
最近はこのワードを聞くことも少なくなっていて、世間の人たちの認識も薄いと考えられ
ます。しかし、今日授業を受けてみると2000年代まで人種差別に関する訴訟や風潮が
残っていて、かなり身近な問題だと知りました。
「人種」という概念にとらわれて、まった
く意味も根拠もない差別をしてきた人類について、今の私なら「おかしいな」といえます。
なぜ歴史的にこのような愚行が行われ続けてきたのか。もちろん政治的な要因も十分考え
られます。しかし、ナチスの優生政策にしろ黒人差別にしろ、行ってきた本人たちの「知
識不足」が一番の原因だと考えられます。ありもしない事実を信じ、自分の考えだけで行
動を起こすとこのようにとりかえしのつかない事態になります。この「科学と人間」の授
業で学ぶことで、それに気づくことができました。真実を追求し、わからないことは自分
の中で完結させずに『調べる』ことの大切さを痛感しています。
次回の授業も楽しみです。
人種問題は今でも人々の胸の奥に隠れている。日本人はあんまり意識してはいない傾向の
方が多く見受けられる。これは、アジアではほとんどの人がおうしょく黄色人種だからで
ある。あんまり外見から判断しても一瞬何人なのか分からないことがある。中国人なのか、
日本人なのか、韓国人なのかなどである。それに比べ、本当にアメリカはアジアよりすご
く意識している。特に、黒人と白人。私は、こういった経験がないので分かりませんが今
日行った授業で少し理解できた。アメリカの州によっても、黒人が多い地域と白人が多い
地域があり、それが昔なら普通、さらに制度にもなっていたことであった。
ここからは、意見です。レポート課題は、吉岡先生の人種問題についてするので、どうか
お手柔らかにお願いします。
今回の講義を受けて、私は特に、企業による「多様性」の擁護論について具体的に考える
ことができた。企業による「多様性」の擁護論では、企業や国がグローバル化経済におい
て利益を得、競争に勝ち残るという目的のために、多様な人材を導入することを大いに推
進している。これは一見すると、人種や民族、性別などによって人々が雇用等の面で差別
をされなくなってきたと、人種差別に関して肯定的・前向きに捉えることができる。しか
し、見方を変えると、この「多様性」擁護論は、
「多様性」を経済的利益という面において、
限定して肯定しているのであって、実際には、人種差別に関して、その本質的な部分にお
いてはほとんど理解が示されていないのではないかと考えられる。経済的な面では「多様
性」を肯定し、人種差別などの解決に貢献しているように見えるが、これはあくまで経済
的利害が関係しているからである。仮に、「多様性」を導入しても、経済的利益が得られな
い場合は、やはり企業は雇用面における人種差別を放置したままだったのではないかとも
考えられる。これらのことから、利害関係などにおいて人種差別の解決を求めるだけでは
なく、実際に、その人種差別についての本質を理解した上での、本当の意味での差別の解
決や「多様性」の受け入れが必要なのではないかと考えた。
下線部に関連して、社会・経済的不平等を利用する形で、企業が経済的利益を実現するシステムの例とし
て「監獄ビジネス」というものがあります。(よ)
今回の講義では、アメリカでの人種差別、主に黒人と白人との差別について学びました。
黒人差別のことは、 今までの世界史の授業などで習っていたので、少しは知識がありまし
た。でも、あくまで歴史の一部として学んでいたのでそこまで詳しくは知りませんでした。
講義のなかで一番気になったのは、
「人種分離撤廃の度合いによるスポーツ種目の分類」の
部分でした。まず、スポーツ競技に人種差別があったということさえ気にしたことがあり
ませんでした。確かに、競技によって黒人、白人の比率が違うなあと納得しました。歴史
の中では、黒人とされた人々は色々な権利が与えられていなかったので、スポーツ競技出
場についての規制もあったでしょう。でも、現代では人種分離の撤廃が進められているよ
うなので、自分的にも嬉しく感じます。まだ、圧倒的に白人のオリンピック代表が多い種
目では、黒人に対する差別的なものがあるというわけではないかもしれないけど、もし人
種差別に関わる事柄が影響しているのならば、その競技の人種分離の撤廃も進めていって
欲しいです。では、次回の授業もよろしくお願いします。
過去ナチスドイツが行ったユダヤ人迫害やアメリカでの白人黒人の強い区別といった人種
に関する問題に触れ、
『人種』は人間がほかの人間を支配、迫害するために作りあげたもの
だと考えました。なぜなら、人種に明確な差はないこととある枠組みを一度つくってしま
えば、あとは気に入らないものをそ s の枠組みに入れることで簡単に支配する側、される側
が決まるからです。
人種とは何なのかについて考えさせられた。見た目や宗教や文化によって科学的な根拠も
なしに区別されることはおかしいことだ。しかしそれがごく普通に行われていたのは恐ろ
しいことである。今でもアメリカの映画で黒人が真っ先に殺されるなど、直接的ではない
にしろ人種差別の思想が残っている。そのため、人種に関しての問題は過去のものだとし、
自分とは関係ないものだとするのではなく、きちんと知っておくべきである。
映画の中で黒人がどのように表象されているのかを扱った研究もあります。ご参考までに。岩本裕子(1999)
『スクリーンに見る黒人女性』
、メタ・ブレーン。
今回の講義内容は現代アメリカの人種差別というものだった。
現代に至るまでアメリカでは肌の色によって、黒人は差別されてきた。そして、その差別
が現代社会において、緩和され、すでに削除された考え方えであるように思える。しかし
黒人差別という固定概念は簡単に消えるものではなかった。スポーツ選手と種目の白人、
黒人にたいするイメージは差別の背景として現代にも残っている。
そして完全に差別意識が消えたら、次に是正すべきは「結果の平等」であり、教育面、雇
用面などで黒人を白人と同じ立ち位置に立たせることが真の差別意識撤廃といえよう。
今回の講義では、MLB 黒人差別についての話があった。私は、以前にテレビでジャッキー
ロビンソンという黒人で初の MLB 選手についての特集を見たことがあり、とても印象深か
った。そこで、黒人差別とベースボールの歴史について調べてみる。
19 世紀末、黒人選手は白人選手と混じって野球をし、活躍をしていた。1887 年のシーズン、
ホワイトストッキングスというチームを率いていたアンソン監督が、相手チームにいたジ
ョージ・サベイというカナダ出身の黒人選手に対して、
「ニガーをフィールドから追い出せ」
と言った。このことがきっかけで、メジャーリーグの中における人種差別が表面化した。
つまり、メジャーリーグでは黒人差別が表面化するまでは、肌の色は関係なしにプレーし
ていたのだ。1888 年以降、マイナーリーグでは黒人選手が白人選手と混じって野球をする
ことができなくなり、また、メジャーリーグでも球団経営者たちの中で「黒人選手は雇わ
ない」という暗黙の了解事項があった。そして、黒人はメジャーリーグから締め出された
のである。しかし、黒人は野球をすることは止めず、1920 年、「ニグロリーグ」というメジ
ャーリーグとは違う自分たち自身のリーグを発足した。黒人選手はニグロリーグでニグロ
リーガーとして活躍し、ニグロリーグにはメジャーリーグでも活躍できるような有能な黒
人選手も多くいたが、メジャーリーグは白人のものであり、黒人は締め出されていたため、
メジャーリーグでプレーをすることはできなかった。そして、メジャーリーグでプレーす
ることができないまま、ニグロリーグで選手生活を終える選手は多くいた。
そんな中、ブランチ・リッキーという当時のブルックリン・ドジャース(現在のロサンゼ
ルス・ドジャース)の会長兼ゼネラルマネージャーは、人種平等の意識が高く、黒人選手
がメジャーリーグで活躍する姿を見てみたいという願望を持っていた。彼は、1945 年 10
月 23 日、ジャッキー・ロビンソンという黒人選手と、ニューヨークにあるリッキーの事務
室で話し合った。そこで、会長はジャッキーに次のように尋ねた。「あなたはメジャーリー
グでの人種差別に耐えられますか?」と。ジャッキーは迷ったあげく、イエスと答えた。
そして、ブルックリン・ドジャースの傘下の 3A チーム、モントリオール・ロイヤルズでプ
レーする契約を結び、ジャッキー・ロビンソンは 1946 年のシーズンでデビューした。ロビ
ンソンは、そのシーズンで好成績をおさめ、翌年の 1947 年、モントリオール・ロイヤルズ
からブルックリン・ドジャースに昇格し、黒人初のメジャーリーガーとなった。このこと
をきっかけに、次々とメジャーリーグで野球をすることを夢見ていた黒人選手がメジャー
リーグでプレーするようになり、「人種の壁」は破られた。
しかし、黒人への差別は消滅したわけではなかった。黒人選手を故意に怪我させたり、観
客から黒人選手に物が投げられたり、人種差別的な言葉を浴びせられたり、手紙などで脅
迫されたりされていた。現在でも、投手や捕手、内野手は白人選手が多いが、外野手は黒
人選手が多い。これは、白人選手が重要なポジションにつき、黒人選手は外に回されてい
ることを意味していると考えられる。また、監督やコーチも、白人が多い。これらのこと
を考えると、アメリカ野球には、「人種の壁」が破られた当時は、外から見てもわかるよう
な差別が黒人に対してあった。また、現在ではもう「人種の壁」が破られて何年もたち、テ
レビでメジャーリーグを見ても黒人選手が活躍している場面や、白人選手と黒人選手が雑
談している場面などを見ることもあり、表向きとしては黒人への差別は消滅しているよう
に見える。しかし、私たちが気づかないところで差別は消滅していないのだ。野球に限ら
ず、スタッキングにより重要なポジションに黒人が任せられないのは、悲しい現実である。
参考文献:http://jinbunweb.sgu.ac.jp/~nakamura/zemron06-15.htm
今回、吉岡先生の講義を受けて人の違いについて考えることができた。体の中に少しでも
黒人の血が混血しているだけで黒人扱いされて差別されてきた事実をしり、怒りの感情が
生じた。一つは体の8分の1だけの血で人種を判断していたことから人間を判断する材料
はそんな簡単なことでいいのかということ。そして、もう一つはその考えが浸透していた
ことである。違いを認めていくことを企業の戦略としている企業もあるぐらいで心から相
手の違いを認めることができる日はまだまだ先であると今回の講義を受けて思い知った。
今回の授業も大変興味深かったです。ムラートやオクトルーンのように混血の割合で呼び
名が変っていたことや、赤十字社で白人の血と黒人の血を分けて保存していたこと等を今
回初めて知りました。個人的に 1 番興味深かったのはジョンソン大統領の演説の話です。
今まで自分は”平等”について考えるとき、無意識に「機会の平等」を考えて、
「結果の平
等」についてほとんど考えていなかったので、次からはそこにも注意したい。
私は人種差別は絶対にあってはならないと考えている。もっと人種差別についての教育を
国がしっかりして、人種差別の”おかしさ”についてもっと幼いうちから教育するべきだ。
人種差別により、黒人だけが被害を受けてきたという印象があったのですが、その差別に
より、処置ができず白人にも少なからず被害があったという話を聞いて区別する必要性が
ますますわからなくなりました。区別によりしていた側が被害を受けるのは自業自得です
が、損害があってもなおする必要はないでしょう。理由として自分とは違うからとするの
ならば、今話題になっているいじめと根本は同じです。また、その人の人間関係から判断
するというのは、あの子と話してるからあいつもいじめようぜという考えと似ています。
人種差別というのは国家単位でのいじめなのだなと考えました。
遺伝子改造についての質問に対する私の答えは、他人がやるのは止められないということ
だ。自分の子供にないものを遺伝子改造によって手に入れるのは、倫理的によくないとい
う意見もあるだろう。しかし、授業でも取り上げられていたレーザー手術、また、今日で
は当たり前になりつつある整形手術も同じことがいえるのではないだろうか。多くの人が
自分をよりよくするために、自分で負担して行っているのだから、もし遺伝子改造が可能
で身近な人がすると言ったとしても、私は止めることができないだろう。
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