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完走レポート

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完走レポート
2010さ く ら 道 国 際 ネ イ チ ャ ー ラ ン 250km
「走っても何もいいことないから」
そうかもしれない。やめることは簡単だ。その方が身体にはいいし、誰にも迷惑をかける
こともない。第一楽チンだ。家でテレビでも見てゴロゴロしていればいい。
でも、ボクはそうしなかった。なぜなら自分が決めた道だから。
さくら道というレースがあることは、去年スパルタスロンに一緒に参加した人から教えて
もらった。なかなか参加することが難しいらしく、スパルタスロンを完走しても、最近は
完走者が増えているため参加できるかどうかわからないとのこと。ましてや自分の場合は
スパルタスロンを完走もしていないし、ウルトラマラソンの実績としてはサロマ1回切り
なので(ウルトラマラソンランナーとしては全くの初心者と言える)、まあ無理だろうと
は思ったが、ダメもとで申し込んだ。
案の定、事務局からは「補欠で9番目」という内容の通知が届き、80名程度の参加者と
聞いていたので、まずそんなにキャンセルはでないだろうとほぼ諦めていたが、その後、
選 考 の 結 果 「 参 加 決 定 」 と の 連 絡 が あ っ た 。 去 年 の 12月 の こ と で あ る 。
本 当 に 250キ ロ も 走 り 切 れ る だ ろ う か 、 ま た リ タ イ ア し て し ま う の で は な い だ ろ う か 、 そ
んな不安がよぎったが、こうなったらやるしかない。覚悟を決めた。
さ く ら 道 ネ イ チ ャ ー ラ ン は 、 太 平 洋 と 日 本 海 を 結 ぶ 266kmの 道 を 桜 の ト ン ネ ル で 結 ぼ う と
決 意 し て 、 道 沿 い に 桜 の 苗 木 を 植 え 続 け 、 志 半 ば で 病 に 倒 れ 47歳 で こ の 世 を 去 っ た 、 名 古
屋と金沢を往復するバスの車掌、故佐藤良二氏の遺志を受け継ぐ形で開催された大会で、
今 年 で 17回 目 を 迎 え る 。
コ ー ス は 、 名 古 屋 城 を ス タ ー ト し て 県 道 稲 沢 線 か ら 岐 阜 市 へ 入 り 、 国 道 156号 線 沿 い を ひ
たすら北上、美濃、郡上市白鳥を経て、ひるがの高原、御母衣ダムの荘川桜、白川郷、五
箇 山 を 経 由 し て 金 沢 兼 六 園 に 至 る ト ー タ ル 250kmを 36時 間 以 内 に 走 る 、 と い う も の で 、 途
中 、約 1 3 0 k m 地 点 と 約 2 0 0 k m 地 点 に 大 き な 峠 越 え が あ る 超 ハ ー ド な コ ー ス( 高 低 差 約 9 0 0 M )。
まさに日本版スパルタスロンだ。
コ ー ス 上 に は 大 体 5 - 6 キ ロ 毎 に 合 計 4 5 箇 所 エ イ ド ス テ ー シ ョ ン が あ り 、規 模 に よ っ て L 、M 、
S の 3 つ に タ イ プ 分 け さ れ て い る 。( S は 飲 料 水 の み 、M は 飲 料 水 、果 物 、お 菓 子 な ど 軽 食 、
Lは 飲 料 水 、 果 物 、 お 菓 子 な ど 、 お に ぎ り 、 カ レ ー 、 豚 汁 、 う ど ん 、 そ の 他 結 構 充 実 し た
食 べ 物 有 り ) そ し て 、 Lエ イ ド に は 自 分 の 荷 物 を 預 け る こ と が で き る 。
預ける荷物は事前に自分でビニール袋に入れ、預けるエイドの番号、エイドの名前、自分
のゼッケン番号、名前を書いた荷札をつけて、レース前日のオリエンテーションの後に預
ける。
預ける荷物には、カーボショッツやユンケルといったサプリ系の他、途中寒暖の差が結構
あるので、それに応じた服装を用意しておく必要がある。一番重要なのは夜間装備だ。ヘ
ッドライトの他、反射タスキ(つけていない場合は失格)、また、ジャージなどの上着、
手袋、ロングタイツなども必携である。
どこのエイドに預けるかも重要だ。自分の予想タイムを計算して、夜間装備についてはち
ょうど日が暮れる前のタイミングで受け取れるようにしないといけない。
ボ ク の 場 合 は 、 結 局 、 全 部 で 7 箇 所 ( 96キ ロ 地 点 、 107キ ロ 地 点 、 143キ ロ 地 点 、 157キ ロ
地 点 、 173キ ロ 地 点 、 198キ ロ 地 点 、 212キ ロ 地 点 ) に 荷 物 を 預 け る こ と に し た 。
その他、ウエストバックに、痛み止め(頭痛薬と筋肉痛用の2種類)、胃薬(キャベ2と
も う 1 種 類 )、下 痢 止 め 、カ ー ボ シ ョ ッ ツ 7 袋 分 を 入 れ た フ ラ ス ク 、小 銭 + 1 0 0 0 円 札 3 枚 、
塩飴、非常用雨合羽、モンベルの携帯ウインドブレーカー、レース途中の様子を撮影する
ための小型ビデオカメラを入れておいた。
名 古 屋 に 入 っ た の は レ ー ス 前 日 の 4/16金 。 天 気 は 雨 、 し か も 4月 と 思 え な い ほ ど 気 温 が 低
い 。 そ の 日 は 、 ス タ ー ト 地 点 の 名 古 屋 城 の そ ば に あ る KKRホ テ ル 名 古 屋 で 選 手 受 付 と 開 会
式、オリエンテーションがあった。 自然とテンションが上がってくる。1ヶ月前に右ひ
ざ内側を傷め、まる2週間全く走ることができなかったり、1週間前に突然偏頭痛で寝込
んだりして、ちょっと(かなり?)不安があったが、ここまできたらもうじたばたしても
仕方ない。
去 年 ス パ ル タ ス ロ ン に 一 緒 に 参 加 し た Tさ ん と も 現 地 で 合 流 。 他 に も ス パ ル タ ス ロ ン で 見
た顔がたくさんいる。
Tさ ん は さ く ら 道 に 参 加 す る の は 今 回 が 3 回 目 。 フ ル マ ラ ソ ン を 2 時 間 4 0 分 台 で 走 り 別
大 マ ラ ソ ン も 完 走 、 100キ ロ マ ラ ソ ン も 8時 間 13分 で 走 る ツ ワ モ ノ だ 。
開 会 式 会 場 か ら 歩 い て 1 0 分 く ら い の と こ ろ あ る ホ テ ル に T さ ん と 一 緒 に 宿 泊 し た が 、T さ
んはその日の夜、大学時代の友人と食事するというので、ボクは一人でホテルの近くの和
食 屋 で き し め ん と 煮 魚 の 定 食 を 食 べ 、 コ ン ビ ニ で 次 の 日 の 朝 食 を 買 っ て ホ テ ル に 戻 り 、 22
時過ぎに床に就いた。
レ ー ス 当 日 は 4時 20分 に 起 床 。 5時 10分 に Tさ ん と ホ テ ル の ロ ビ ー で 待 ち 合 わ せ を し て 荷 物
を担いで徒歩でスタート地点に向かう。空からはまだ雨がぱらぱらと落ちている。そして
結構寒い。半そでシャツにアームウォーマーで走るつもりだったが、急遽薄手のウインド
ブレーカーを着て走ることにした。
スタート地点の名古屋城正門に着いてしばらくすると、雨がようやく上がった。荷物をト
ラ ッ ク に 預 け て ス タ ー ト 前 の 選 手 の 列 に 加 わ る 。参 加 人 数 は 1 0 0 名 程 度 と 多 く な い の だ が 、
交通規制をしていない関係で、ウェーブスタートになる。ボクは出走第2組で6:03の
スタート。今年はテレビ局の取材があり、スタート前の様子を撮影したり選手へのインタ
ビューなどをしている。
さ あ 、 い よ い よ ス タ ー ト 。 こ れ か ら 金 沢 兼 六 園 ま で 250キ ロ 、 果 た し て た ど り 着 け る の だ
ろうか。
スタート10秒前、5、4、3、2、1、、パーン! 長い長い旅の始まりだ。
ところが、走り始めて1キロくらいのところで歩道橋の階段を下りたときに、左足のふく
らはぎがピクっと痙攣しそうになった。えーマジかよ、こんなところで、、、一瞬ひやっ
としたが、何とか大丈夫そうだ。危ない危ない。冷や汗物である。
ス タ ー ト し て し ば ら く は ほ ぼ フ ラ ッ ト 。 第 1 エ イ ド の 設 置 は な く 、 最 初 の エ イ ド は 11キ ロ
地点の第2エイド。水分をしっかり取り先に進む。エイドには必ず立ち止まることにして
いたが、ただ、決して長居をしないこと、そしてできるだけ前半に貯金をしておく(制限
時間までの時間的余裕を持っておく)こと、これが前回のスパルタスロンでの失敗から得
た教訓だった。そして、実際それが最後に大きく成否を左右することになる。
25キ ロ く ら い を 過 ぎ た と こ ろ で 木 曽 川 を 渡 り 岐 阜 県 に 入 る 。 な か な か よ い 眺 め だ 。 調 子 は
特に悪くなさそうだ。どこまで足が持つかわからないが。。。天気も晴れて気温も上がっ
てきた。ウインドブレーカーを脱いで腰に巻く。
約 50キ ロ ほ ど で 国 道 156号 線 に 出 る と 、 後 は ひ た す ら 道 沿 い を 進 め ば い い の で 、 コ ー ス を
間違うことはほとんどない。また、コース上を大会用の自衛隊のジープが行ったり来たり
しているので、ちょっと心配になるときは、それによってコースから外れていないか確認
できる。
交通規制もしていないし、ただ一般道をとぼとぼと走っているだけなので、傍から見ると
きっと何だかよくわからないだろうと思うのだが、それでも、意外に知っている人も多い
ようで、「ガンバレー」と声援をもらったりするととてもうれしい。
80キ ロ を 超 え た 頃 に な る と 、 結 構 疲 れ が 出 て 脚 が 重 く な っ て き た 。 コ ー ス も だ ん だ ん 上 り
が多くなってきてペースも落ちてくる。でも先は長いので慌てない慌てない。じっくり落
ち着いてひたすら前に足を運ぶ。
しばらくすると、目の前の遠くかなたに、その頂に白い衣装をまとった山々が見えた。あ
あ、もしかして、あそこを登るのか、、、
96キ ロ 地 点 の エ イ ド で 初 め て 荷 物 を 受 け 取 る 。腰 に 巻 い た ウ ィ ン ド ブ レ ー カ ー を 袋 に 戻 し
て代わりにチームの長袖シャツを着る。念のため薄手の手袋も入れておいたが、2つ先の
エイドで夜間走行のためにバイク用の厚手のものを預けてあったので、ここでは特にまだ
それほど冷えてなかったため、そのまま袋に戻してエイドを後にした。
白 鳥 町 に 入 っ て き た 。 大 会 の 主 催 地 で も あ り ち ょ っ と 賑 や か だ 。 こ こ は ハ ー フ の 部 ( 143
キ ロ )の ス タ ー ト 地 点 で も あ る 。ア ー ケ ー ド を 通 っ て 1 0 6 . 9 k m 地 点 の N o . 2 1 エ イ ド に 到 着 。
こ こ の エ イ ド は 第 1 チ ェ ッ ク ポ イ ン ト に な っ て い て 、制 限 時 間 は 2 0 時 0 3 分 。時 計 を 見 る と 、
18時 09分 だ っ た の で 、 2 時 間 弱 貯 金 が あ る 。 予 想 タ イ ム よ り 40分 ほ ど 早 い 。 よ し よ し 。
ここには夜間装備の荷物が預けてあるので、それを受け取ってテントで着替える。ハーフ
タイツの上からロングタイツをはき、長袖シャツの上にジャージを着て、反射タスキをか
ける。最後にヘッドライトを装着し、手袋をはめて準備完了。同封したユンケルをグビッ
と飲んでさあ出発。
しばらくすると辺りは急に暗くなり、間もなくヘッドライトのスイッチを入れる。長い長
いナイトステージの始まりだ。
そ し て 最 初 の 大 き な 難 関 で あ る 「 ひ る が の 高 原 」( 標 高 9 0 0 M コ ー ス 最 高 地 点 ) 越 え を 迎 え
ることになる。
第 1 チ ェ ッ ク ポ イ ン ト を 過 ぎ た 後 、 延 々 と 上 り が 続 き 、 124キ ロ 地 点 に あ る エ イ ド を 過 ぎ
たところから急激なのぼりが始まる。無理して走らずに歩く。
道は舗装されているが、明かりは全くなく暗闇の世界。ランナーの照らすライトが遠くに
ゆらゆらと揺れている。
それにしてもめちゃくちゃ寒い。途中道路沿いにあった気温計にはマイナス3度と表示さ
れていた。
ウエストポーチに入れておいたモンベルのウインドブレーカーをジャージの上から着る。
寒いとは聞いていたがこれほどとは。
エ イ ド ス テ ー シ ョ ン は テ ン ト の よ う に な っ て い て 、中 に は ス ト ー ブ が あ っ て と て も 暖 か い 。
しかも、暖かい豚汁とかうどんとかも食べれるので、ついついそのままずっとそこにいた
くなってしまう。でもそんな誘惑を断ち切り「お世話になりました」とお礼をしてボラン
ティアの方の「頑張って」という声に送られてエイドを後にする。そしてエイドを出たと
きがまた前よりも増してめちゃくちゃ(凍えるように)寒くとてもつらいのだ。
や が て コ ー ス 最 高 地 点 の ひ る が の 高 原 128.4キ ロ 地 点 の エ イ ド に 到 着 。 時 間 は 夜 の 1 0 時
くらいだろうか。とにかく寒さと疲労でかなり限界に来ている。でもまだ半分しか来てい
な い 。気 が 遠 く な り そ う だ っ た が 、と り あ え ず 最 初 の 難 関 は ク リ ア し た の で 、ほ っ と し た 。
そこからはしばらく下りだったが、左足の膝の外側がかなり痛くなり、痛み止めを飲みな
がら何とかだましだまし走った。
しばらくすると、前方の暗闇の中でライトに照らされ幻想的に白く浮かび上がる大きな木
が現れた。荘川桜だ。思わずビデオカメラを取り出して撮影する。疲れていて、そのとき
はてっきり桜が咲いているものと思ったのだが、後で聞いたらまだ咲いていなかったそう
だ。それにしても、今まで見たことがないようなとても立派な桜の木だ。
そ の 先 に 143キ ロ 地 点 の エ イ ド の 明 か り が 見 え た 。
真 っ 暗 な 山 の 中 を 走 り な が ら 、ふ と 空 を 見 上 げ る と 、そ こ に は 満 天 の 星 空 が 広 が っ て い た 。
天の川も見えた。ちょっとだけではあるけれど気分がまぎれた。
や が て 1 5 7 キ ロ 地 点 の N o . 3 1 エ イ ド の 平 瀬 温 泉 を 過 ぎ 、つ い に 去 年 の ス パ ル タ ス ロ ン で リ タ
イ ア し た 158キ ロ を 越 え 、 こ れ ま で で 最 長 距 離 を 突 破 し た 。
スパルタスロンのときはすでにもう歩くのさえままならない状態になっていたが、それに
比 べ れ ば ま だ か な り マ シ だ っ た 。 ま だ こ の 先 100キ ロ 近 く あ る も の の 、 と り あ え ず ま だ 何
とか行けそうだ。
170キ ロ 過 ぎ の 白 川 郷 は 合 掌 造 り の 集 落 で 有 名 な と こ ろ で ユ ネ ス コ の 世 界 遺 産 に も 登 録 さ
れている。そんな集落の中を暗闇の中通っていくのは何とももったいない気がした。せっ
か く な の で 持 っ て い た ビ デ オ で 撮 れ ば よ か っ た の だ が 、そ の よ う な 気 力 が す で に な か っ た 。
いくつかのトンネルを抜けると、いつの間にか外は白んでいた。山々には沸き立つように
うっすらと霞みがかかり、荘厳な雰囲気をかもし出している。頭を締め付けていたヘッド
ライトをはずし、ウエストバックにしまった。長かったナイトステージは終わった。
ほっとする間もなく次の大きな難関が待ち構えている。五箇山だ。
1 9 8 キ ロ 地 点 の エ イ ド を 過 ぎ る と 、急 な 上 り 坂 に 入 る 。当 然 歩 く 。も う フ ラ フ ラ だ 。で も 、
一歩また一歩と前に足を運ぶ。もう限界、と何度思ったことだろう。
やがて五箇山の頂上と思われるところにたどり着いた。山の斜面に目をやると一面雪が敷
き 詰 め ら れ て い る 。 よ く こ こ ま で 来 た も の だ 、 、 、 あ と 50キ ロ 。 。 。
そして今度は約3キロある長い長い五箇山トンネルに入る。
まるで永久に続くかと思うような長いトンネルをようやく抜けると、本来はそこにエイド
ステーションがあるはずなのだが、事前のオリエンテーションでそこにはエイドはなく、
その代わりに自衛隊の車が停車している、と聞いていたが、そのとおりだった。やっぱり
エイドが欲しかったなあ、、と思いつつ、自衛隊の人に水をいただき、最後の痛み止めを
飲む。
ここから下りになるので、がんばって走らないといけない。
そ し て 212キ ロ 地 点 の 第 4 チ ェ ッ ク ポ イ ン ト を 過 ぎ る と 、 ま る で 苛 め の よ う な 最 後 の 険 し
い ア ッ プ ダ ウ ン が あ り 、 230キ ロ を 過 ぎ た く ら い の と こ ろ で 遂 に 石 川 県 金 沢 市 に 入 っ た 。
遂 に こ こ ま で き た 。 う れ し か っ た 。 あ と 20キ ロ 。 何 と か 行 け る か も し れ な い 。 で も 油 断 は
禁物。いつ足が壊れてもおかしくない。
こ こ で ゼ ッ ケ ン 番 号 1 番 の N さ ん と そ の 仲 間 の 人 た ち と 合 流 し た 。N さ ん は 、6 6 歳 で 今 大 会
最高齢。毎年のように参加されている有名人のようだ。テレビ局もずっとこの方を追いか
けている。ただ今回は左腰を痛めているらしく、身体を大きく右斜めに傾けながら走って
おり今にも倒れそうだ。
ボクは人のことなど気遣っている余裕は全然ないのだけれど、たまたまこれまでボクとず
っ と 一 緒 に 走 っ て き た Sさ ん ( ス パ ル タ ス ロ ン に も 参 加 さ れ て い た 常 連 。 途 中 何 度 も 声 を
かけてくれてとてもお世話になった)がその方のサポート役となり、ボクも成り行きでそ
のグループに加わることになってしまった。
すでに全く余裕のなかったボクは、こうなったらこの人たちについて一緒にゴールまで行
こ う か 、 と 思 っ て い た の だ が 、 Nさ ん が い よ い よ つ ら そ う な 状 況 に な り 、 立 ち 止 ま る こ と
が多くなってきた。都度取り巻きの人がマッサージをしてあげたりしていたのだが、さす
がにちょっとこのまま一緒にいるとまずい状況になってきた。
Sさ ん は 「 こ の ま ま だ と ち ょ っ と 危 な い か ら 先 に 行 き な さ い 」 、 と 言 っ て く れ 、 ボ ク は 申
し訳ないと思いつつ、ここまで来てゴールできなかったら洒落にならないので、先を急い
だ。
や が て 242.8キ ロ 地 点 に あ る 最 後 の エ イ ド に た ど り 着 い た 。 あ と 7.2キ ロ 。 エ イ ド に あ っ た
スイカを食べ、最後の力を振り絞った。
最後は止まらずにゴールまで走って行こうと思ったのだが、少し走るとどうしてもすぐ歩
い て し ま う 。身 体 が 言 う こ と を 聞 い て く れ な い 。も う ど う し よ う も な か っ た 。時 計 を 見 る 。
ゴールまで歩いても十分間に合う。もう無理せず歩くことにした(というか歩くのさえや
っ と と い う 状 況 だ っ た ) 。 最 後 の 7キ ロ が 異 様 に 長 く 感 じ ら れ た 。
ようやく兼六園近辺に来た、と思ったらなかなかそれらしき場所が見えてこない、ちょっ
と焦った。道を何度か折れて、ようやく蛍光ピンクのジャンパーを着たスタッフの人たち
が立っている兼六園の入り口が見えた。
そしてゴールに向かう最後ののぼり坂。これがまた結構キツイ。
満開の桜が並ぶ道を進むとゴール地点の佐藤桜がボクを迎えていた。
や っ と 着 い た 。 。 制 限 時 間 の 18時 ま で ま だ 少 し 余 裕 が あ っ た 。
ゴールの瞬間、もっと感動するかと思ったのだが、不思議とそういう気持ちはあまり沸い
てこなかった。それよりも、とにかく長くて辛いレースが終わったという安堵感、疲労感
でいっぱいだった。とにかく休みたい。。
ゴールしてしばらくゆっくりしたかったのだけど、係りの人に声をかけられて、すぐ、自
衛隊のジープでホテルに運ばれた。
ホ テ ル に 着 く と 、 一 緒 に 参 加 し た Tさ ん に 会 っ た 。
一 足 先 に 無 事 完 走 し て い た よ う だ 。 Tさ ん も 80キ ロ 地 点 く ら い か ら ず っ と 胃 腸 の 調 子 が 悪
くかなりつらいレースだったようだ。お互いの健闘を称え、握手を交わす。
気分がすぐれず、休憩室で横になっていると、近くにおいてあったビニール袋に吐いてし
まった。どす黒い液がビニール袋に溜まった。そして、しばらくしてもう一度吐いた。
その後、バスで白鳥まで移動し、各自宿が割り振られ、迎えの車でそれぞれの宿に向かっ
た。なかなかいい感じの古い旅館だったが、ボクは気分が悪くて皆と一緒に食事をとるこ
とができず、一人で風呂に入ってそのまま夕食を食べずに部屋で寝た。
翌日は、エンドで預けた荷物の受け取り、物産センターでの買物の後、記念植樹のセレモ
ニーがあり、その後、閉会式と表彰式があった。
表彰式では、完走者一人一人名前を呼ばれ、ヒノキに文字を彫ったとても立派な完走証を
もらった。ヒノキのいい香りがした。とても嬉しかった。
さて、走り終わって何かいいことがあっただろうか?
身体はボロボロだし、何もいいことはなかったかもしれないけど、諦めずに最後までやり
遂げた充実感があった。それで十分じゃないか。
<記録>
名古屋城スタート
6:03
第 1 チ ェ ッ ク ポ イ ン ト ( 106.9km ) 18:09( 制 限 時 間 20:03)
第 2 チ ェ ッ ク ポ イ ン ト ( 143.0km ) 23:55( 制 限 時 間 2:03)
第 3 チ ェ ッ ク ポ イ ン ト ( 172.6km ) 4:42( 制 限 時 間
6:33)
第 4 チ ェ ッ ク ポ イ ン ト ( 212.0km ) 10:45( 制 限 時 間 12:33)
兼六園ゴール
17:19( 制 限 時 間 18:03)
所要タイム
35時 間 16分 ( 104名 中 65位 )
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