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教育社会学特講Ⅱレポート M062210 長岡絵里佳 アメリカの

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教育社会学特講Ⅱレポート M062210 長岡絵里佳 アメリカの
教育社会学特講Ⅱレポート
M062210
長岡絵里佳
アメリカのナショナリズムと公共図書館
1. はじめに
アメリカ公共図書館は、時代に応じてその役割を変化させてきた。そのため、アメリカ
公共図書館の歴史を考察するには、その時々のアメリカの社会状況を理解しておく必要が
ある。アメリカ社会を考察する一つの視座を得るために、今回、課題論文として、岡本智
周の「20 世紀後半の米国歴史教科書に表現された『日系アメリカ人』像の変質―多文化教
育と共同体統合に関して―」を選択した。そこで論じられたアメリカの歴史教育の変質を
契機として、アメリカのナショナリズムについて整理し、アメリカ公共図書館史を研究す
る際に必要と思われる知見を整理することを、本レポートの目的とする。
2. アメリカのナショナリズム
今回課題論文として取り上げた岡本は、20 世紀後半にアメリカ合衆国で用いられた歴史
教科書の内容分析を通じて、日系アメリカ人の描写がいかに変質してきたのか分析した(参
考文献③)。その結果、まず、それまで 1988 年以降本格化したといわれる日系人学習が、
1960 年代から始められ、1980 年代に教科書内の日系人記述が増加することを指摘している。
しかし、この拡大は、「多文化的社会史学習へと転換を迫るもの」ではなく、「国民化」作
用に組み込まれた記述は、あくまで合衆国史認識の育成に目標を置いた国民国家史学習で
あった。
その内容に変化が見え始めるのは、1990 年代である。岡本は、1990 年代のアメリカ合衆
国の歴史教育を、「国史」の枠組みを超えたものではないと指摘しながらも、その内部で採
用されている価値をみれば、マイノリティが普遍的な人間の尊厳を根拠に描かれているこ
とに注意を向けている。
「共同体統合の装置として『国民教育』という形式という形式を採
用しながらも、
『国民の権利』よりも普遍的な『人権』概念の伝達を第一義とし始めている」
ように変化が見られたのである(参考文献③、141 頁)。この変化について、岡本は、西川
長夫を引用し、自らの研究成果が、世界的な規模で生じている国民国家の変容を裏付けた
ものであると結論付けている。
この世界規模の国民国家の変容の動きは、アメリカにおけるナショナリズムにどのよう
な変化をもたらしたのか。しかし、その前に、そもそも多民族で、歴史の浅い国家である
アメリカにとって、ナショナリズムとはどのようなものであったか整理したい。
石井によれば、ナショナリズムは、「民族的ナショナリズム(ethno-nationalism)」ない
しは「文化的ナショナリズム(cultural nationalism)」と、
「市民的ナショナリズム(civic
nationalism)」とに二分され、アメリカは、後者に位置づけられるという。そのナショナ
1
リズムは、言語、伝統、文化、歴史上の領土、共通の祖先の上に成り立つのではなく、イ
ギリスの自由の伝統が人類の権利として普遍化されたリベラリズムと、デモクラシーとい
う二つの概念の上に成り立つと理解される(参考文献①、109-111 頁)。
古矢もまた、「ある民族が自らの独自の生活様式を防衛し、永続化させうる一定の領地を
占有している」場合に対して、「多民族からなる流動性の高い開かれた移民社会」であるア
メリカには、異なるイデオロギーが必要であったと論じる(参考文献⑤、2 頁)。しかし、
彼は、アメリカ合衆国を成り立たせてきたイデオロギーを、アメリカ・ナショナリズムで
はなく、「アメリカニズム」と呼ぶ。それは、アメリカにおいて、血や土地に規定された共
同性という「近代啓蒙主義」的なナショナリズムを越える、より普遍的な「コスモポリタ
ンな理念」が重要な役割を果たしたことを強調したからであった。
古矢は、さらに、「アメリカニズム」は、国民的一体性を創出した一方で、「人種」の概
念や「人種差別」を存続させてきたという二面性があると指摘する(同上、3 頁)。彼によ
れば、初期のピューリタンの選民意識や 19 世紀以来の「白人の責務」論など、アメリカを
ある特定の優越民族の占有物としてみなす議論が伝統的に存在している。古矢は、この二
面性に注目し、「アメリカニズム」の展開を以下のように整理している(同上)。
まず、彼は、独立期のアメリカ社会が非常に多元的であったことを指摘している。それ
は、多民族間の融合だけではなく、13 の憲法と主権を持つ植民地の政治的統合、各植民地
の相対的に自律的な地域産業の統合、多様な教派集団が散在する宗教的モザイクというよ
うに、多様な要素を活かしながらも統一を図る柔軟性に富んだ統合制度であった。しかし、
その統一の過程で、先住民インディアンと黒人奴隷という二つの「人種」は周辺に置かれ
ている。この矛盾を解消する最初の機会は、南北戦争であった。その結果、奴隷制は廃絶
されるが、南部の支配構造は温存されたために、白人と黒人の隔離は残されたままとなる。
この構造に変化をもたらしたのは、世紀転換期から第二次世界大戦後におよぶ、農本的
社会から大規模産業社会への転換であった。この時期、労働力の不足を補うべく、新たに
大量かつ多様な移民がなだれ込み、改めて「アメリカ人とは何か」という問いが突きつけ
られることになる。このとき「メルティングポット論」や「文化多元主義論」といった統
合理論モデルが論じられるが、いずれもアメリカ社会が内包する普遍的な価値や信条の存
在や正当性を共通の前提としていた。この普遍文化に立脚したアメリカ国家の一体性が、
アングロサクソンを頂点とする人種階統制による統合と並存していた点は注意する必要が
ある。後者の考えによれば、新移民たちはアジア系東欧系問わず、皆、アメリカ的な価値
や信条への同化不能な「人種的な劣者」だとみなされ、相変わらず矛盾は残されるからで
ある。1950 年代までに、新移民の中でもヨーロッパ系移民たちは、次第に「白人」へと脱
皮する一方で、アジア系の移民は、その後第二次世界大戦や冷戦にまつわる外交的、政治
的配慮に促され、いわば「上から」市民権を与えられていく。その中で、最下層に位置づ
けられた黒人は、依然として隔離されたままであった。
この文化多元主義の限界を打破したのは、1950 年代から 60 年代の公民権運動であった。
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黒人たちによる解放の夢が生み出したこの大衆運動は、大恐慌や世界大戦、冷戦などの内
外の危機にともなうナショナルな一体感情の強化とアメリカ民主主義の見直しという気運
に後押しされていた。この運動の成果として、人種的、民族的少数者集団に対する広範か
つ反憲法的な差別の実態が暴かれ、その改善に向けて国民世論は突き動かされる。しかし、
その過程の中で、社会経済に根付いた差別的配分の構造は、なお越えがたい現実であるこ
とが思い知らされるのである。
その後、アメリカ社会は、多文化主義の時代に入ったといわれる。多文化主義では、文
化多元主義と異なり、アメリカ人としてのアイデンティティの獲得に価値を見出すのでは
なく、個別、特殊な帰属集団のアイデンティティを優先する。古矢は、この変化によって、
権力資源の再配分をめぐる人種集団間の競争意識と対立感情が生まれ、「歴史」の解釈権や
「教育」の主導権やカリキュラムをめぐる「文化戦争」の時代となったと指摘している。
さらに、そうした対立感情によって、それぞれの集団のアイデンティティは強化されるだ
が、それらは、権力や資源配分の便宜から再構築されることになる。例えば、一つの人種
集団に一括された黒人や、ヨーロッパ系移民たちが「(ヒスパニック以外の)白人」として
まとめられていった。このように、多文化主義によって、多様な少数者集団の自己主張が
可能となったが、同時に、それまでの伝統的な統合原理への不信と弾劾がつきつけられた。
いまやアメリカは、新たなパラダイムの創出を必要とする時期に来ているのである。
以上古矢の論をもとに概観したように、アメリカのナショナリズムは、時代の中で絶え
ず変化してきたといってよい。そして、近年のグローバリゼーションの動きは、さらに変
化を促すものとなっている。大津留は、グローバリゼーションは、国家のもつ意味を問い
直すとともに、国家とは異なるレベルでの統治の可能性を示すものであると指摘する。彼
女は、このような変化の中で、多様性を抱合するアメリカの新たなやり方を、市民社会の
再活性化を求める動きとして論じている。彼女によれば、1980 年代から、新たなあるべき
アメリカの市民像を作り出そうとする、多くの草の根の活動が行われているという(参考
文献②、310-324 頁)。川島もまた、人種を超えた市民における連帯の構築に注目している
が、とりわけ新しい政治的連合が創出されつつあることに期待を寄せている(参考文献④、
365 頁)。
3. アメリカのナショナリズムと公共図書館をみる視点
アメリカの公共図書館の歴史を概観する際に、上記のナショナリズムの議論は、以下の
点で示唆に富むものと思われる。
第一に、アメリカ公共図書館の利用者についての視点である。アメリカ公共図書館は、
1850 年代の成立期から、あらゆる人々に知識を得る機会を普及するために努力を重ねてき
た。しかし、図書館の利用者に、貧しい人々や遠方に住んでいるために利用が困難な人が
含まれるには、いくぶん時間がかかっている。さらに、上記の議論を踏まえると、公共図
書館を利用できる「アメリカ市民」として認められる人々と、そうでない人々が存在し、
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時代に応じてその境界が変化したことが予測できる。そのため、時代ごとに変化する公共
図書館の利用者の内実を詳細に見る必要がある。
第二に、アメリカ公共図書館をめぐる議論の中心となった図書館員についての視点であ
る。博士課程前期の論文においては、彼らの議論やその背景にある思想について詳細に分
析する予定である。彼らの思想には、彼らの出身階級や性別だけでなく、彼らがどの人種
または民族に属していたかという点が影響を与えていた可能性がある。彼らが所属する集
団が当時どのような社会的地位にあり、他の集団とどのような関係にあったかを探ること
で、公共図書館員の抱いた考えに近づくことができるだろう。
第三に、アメリカ公共図書館の社会的役割についての視点である。初期の公共図書館は、
人々の啓蒙を重視した教育的役割を担っていた。アメリカ市民として必要な教養を見につ
けさせるという目的が前提にあるならば、何をもって「アメリカ市民」とみなしたか、当
時の社会状況に応じて理解する必要がある。一方、第一次世界大戦中、アメリカの公共図
書館が展開した戦時サービスを理解する際には、対外関係とともにアメリカ内部で強めら
れようとしたアメリカ国民の一体性の特質について、注意深く検討することが重要だろう。
さらに、公共図書館は、次々と流入してくる移民たちを「アメリカ人」として統合する「ア
メリカ化」の役割を果たしたのか、果たしているならば、その方法と度合い、帰結につい
て見ておく必要もある。
第四に、アメリカに限らず世界中の公共図書館に及ぼすグローバリゼーションの影響と
いう視点である。グローバリゼーションの動き、とりわけ、情報ネットワークの広がりは、
公共図書館に、一国の内部を対象としたサービスだけでなく、世界中の人々を対象とした
サービスも視野に入れる必要を迫っている。さらに、個々の多様なニーズに応じて、特色
のある図書館づくりが重要となっている。このような今日の変化を踏まえ、アメリカ公共
図書館史を考察する問題意識を深めていく必要がある。
4. おわりに
以上、アメリカのナショナリズムについて概観し、公共図書館をみる視点を整理した。
今回、主に市民社会や人種、民族といった視点からアメリカのナショナリズムを整理した
が、他にもジェンダーや対外関係におけるナショナリズムの特質があるだろう。上記では、
触れなかったが、例えば、油井らは、「内的」
、
「境界的」、
「外的」な「アメリカニゼーショ
ン」を考察し、普遍的な価値に基づく市民的ナショナリズムに基づくアメリカが、「外的」
に自らの思想や文化を「普遍」として押しつけようとする姿勢がみられることを指摘する
(参考文献⑥)。さらに、グローバリゼーションに伴うアメリカのナショナリズムの変化も、
より多様な視点で論じることができるだろう。これらの点については、今後さらに理解を
深めていき、アメリカ公共図書館史を考察する土壌を培っていきたい。
5. 引用・参考文献
4
① 石井修「アメリカのナショナリズムと“ジャパン・バッシング”
」大津留(北川)智恵
子、大芝亮編著『アメリカのナショナリズムと市民像―グローバル時代の視点から―』
ミネルヴァ書房、2003 年。
② 大津留(北川)智恵子「アメリカの市民的意識の育成と市民社会」大津留(北川)智恵
子、大芝亮編著『アメリカのナショナリズムと市民像―グローバル時代の視点から―』
ミネルヴァ書房、2003 年。
③ 岡本智周「20 世紀後半の米国歴史教科書に表現された『日系アメリカ人』像の変質―
多文化教育と共同体統合に関して―」『教育社会学研究』第 68 集、2001 年。
④ 川島正樹編著『アメリカニズムと「人種」』名古屋大学出版会、2005 年。
⑤ 古矢旬「アメリカニズムと『人種』」川島正樹編著『アメリカニズムと「人種」
』名古屋
大学出版会、2005 年。
⑥ 油井大三郎、遠藤泰三編著『浸透するアメリカ、拒まれるアメリカ』東京大学出版会、
2003 年。
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