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平成23年度笠間市青年海外派遣レポート
平成23年度 青年海外派遣事業 報告書 < 中 国 > 上海市 上海外国語大学松江キャンパス 平成 24 年 2 月 笠間市 市民活動課 ‐1‐ 目 次 1.行程図 2.研修生名簿 3.事前研修 / 事後研修 4.研修スケジュール 5.研修視察地の報告 (1) 茨城県上海事務所 (2) 蘇州物流センター有限公司 (3) 養楽多(ヤクルト)上海工場 (4) 上海亀屋電気有限公司 (5) 上海外国語大学松江キャンパス 6.テーマ別研修報告 Ⅰ.経済と都市環境について Ⅱ.笠間市と上海市 Ⅲ.笠間市青年海外派遣事業に参加して Ⅳ.高度経済成長から福祉の充実はどのように反映されているのか Ⅴ.中国の食文化ついて Ⅵ.中国人の食に対する思想と日本の魅力について Ⅶ.自動車から見る中国のコピー文化 Ⅷ.中国人について 7.海外研修見聞記 8.海外派遣事業を実施して ‐2‐ 1.行程図 (移動手段) 車 笠間市 (所要時間) 飛行機 === 成田空港 ♯♯♯ (1:30) (2:30) 車 浦東空港 === (1:00) 2.研修生名簿 ◆派遣団員: 8名 舘 さとみ 小 薬 猛 平 戸 学 青木 健治 渡辺 忠英 江田 和輝 西川 茂明 根本 悠香 (筑波大学人文社会科学研究科) (かさまグリーンハウス) ( 魚 福 ) (茨城中央農業協同組合) (日新シャーリング株式会社) (HODUMI) (キャニヨン株式会社) (グリュイエール) ◆随 行 員: 1名 中 庭 聡 ( 笠間市 市民活動課 主査 ‐3‐ ) 上海市 3.事前研修 / 事後研修 (1)事前研修会 (2)事後研修会 [ 日時 ] [ 日時 ] 平成 24 年 1 月 21 日(土)9:30~12:00 平成 24 年 3 月 17 日(土)14:30~16:30 [ 場所 ] 笠間市役所2階 [ 場所 ] 大会議室 笠間工芸の丘 [ 内容 ] 会議室 [ 内容 ] 自己紹介/団長選出 青年海外派遣事業報告書まとめ 青年海外派遣事業概要説明 団員交流会 海外渡航手続き説明 研修目標の設定 など 4.中国研修スケジュール 月 日 摘 要 8:50 成田空港集合「成田空港第二ターミナル北2 平成 24 年 1 2 月 21 日 (火) 10:55 成田空港 出国 MU272(中国東方航空) 13:00 中国・上海 到着 14:30‐15:00 市内視察 [ 外難周辺、新浦東地区 ] 15:00 専用バスにてホテルへ 2 3 4 2 月 22 日 (水) 2 月 23 日 9:00-11:00 [ 茨城県上海事務所 ] 訪問 12:30-14:30 蘇州(昼 食)[ 山搪街、運河 ]視察 15:00-16:00 [ 蘇州物流センター] 視察 9:00-11:30 上海博物館、豫園視察 12:00-13:00 昼 食 14:00-15:00 [ 上海亀屋電気有限公司 ] 視察 11:00‐12:00 [ 養楽多(ヤクルト)上海工場 ] 視察 2 月 24 日 13:00-14:00 昼 食 (金) 14:30-15:30 [ 上海外国語大学松江キャンパス ] 交流 17:00-17:30 上海 ISETAN で「活力日本」展示視察 (木) 6:30 ホテル 出発 5 2 月 25 日 (土) 7:30 上海空港 9:10 上海空港 出国 12:50 成田空港 到着 ‐4‐ MU523(中国東方航空) 解散 5.研修視察地の報告 (1) 茨城県上海事務所 【 2012 年 2 月 22 日(水) 9:00‐11:00 】 茨城県上海事務所は、虹橋経済技術開発区の上海国際 貿易センター内にあった。センターの近辺には、日本総 領事館をはじめ、日系企業のオフィスビルが立ち並んで おり、上海のなかでも最初期の開発区である。茨城県の 事務所がある 17 階には、大手日系企業のほか各自治体 の事務所が入っている。この事務所で働いているのは、 日本人の所長、副所長と、中国人スタッフ 3 名であり、 この日は副所長の植田氏にお話を伺った。 上海事務所の行っている仕事は、大きく 2 つに分けら れる。一つは、茨城県内の企業の中国進出を支援するこ と、もう一つは、日中の交友交流の促進をはかることで ある。 まず、企業活動支援については、商談時の翻訳・通訳 支援、貿易取引支援、企業視察支援、研修旅行団の受け入れなどが主な仕事内容であり、その支 援の基盤となる各種調査や、人脈づくりに力を入れているようであった。上海には、日本人が常 時 10 万人いると言われているが、茨城県人会の会員は現在 145 名であり、年に数回、会合やセ ミナーを開催して、交流をはかっているようである。 次に、日中の交流促進活動についてであるが、これは、事務所が関わった企画事業や展覧会の 記録から、その具体的内容を知ることができる。たとえば、2010 年には、上海万博で日中青少 年音楽交流事業、世界旅行博覧会などを支援しており、2011 年には、日本観光食品展、ALL JAPAN SHOW、上海ジャパンウィークなどに出展し、また、茨城青年ネットワーク協議会「青 年の絆」事業なども行っている。交流 事業は、文化的・教育的な側面もある が、そのような文化的交流を通して相 互理解を深め、そこから経済的な発展 へつなげようという目的が根本にある。 研修の最終日に、上海 ISETAN で開催 されていた「活力日本展」を視察した が、これは日中国交正常化 40 周年を記 念したイベントで、各自治体・企業が、 観光や食品の PR を行っていた。 上海に二年間駐在し、中国の実情に 触れておられる植田氏は、これからの中国の経済的発展とその変化を次のように話していた。こ ‐5‐ れまで中国では、安い人件費を頼りに労働集約型の産業が行われてきたが、現在、中国の人件費 は毎年 2 割ずつ上がっており、今後は高付加価値のものづくりへと転換していくだろう。また、 中国沿岸部での工場創設は難しくなってきており、内陸へと向かわざるをえない。そうすると、 輸出のための輸送費がかさみ、それほど経済的効果が見込めなくなる。したがって、今後、日本 を含めた外国の企業は、中国を生産地としてではなく、消費市場として認識し、中国国内の内需 で成長していくことになる。とくに、サービス業分野での発展の可能性が大きいようだ。植田氏 のお話を聞きながら、窓外に目をやると、中国の経済的発展のうねりが見えるようであった。 (2)蘇州物流センター有限公司 【 2012 年 2 月 22 日(水) 15:00‐16:00 】 笠間市青年海外派遣事業 2 日目(2月22日) 、.私たちは蘇州物流センターを訪れました。 まず物流センターの概要の前に、保税区について説明すると、「保税区(Bonded Area;the low-tax;tariff-free zone;tax-protected zone)」とは中国の税関により設置あるいは税関が認可 して設置された特別経済区のことで、設立には中国国務院の認可も必要。保税倉庫区とも呼ば れ、税関の監督・管理下で輸入品・輸出品が一時的に保管される場所。ここでは中国国内の厳 しい規制から解放され、最も自由に貿易や販売、展示などの業務ができる。主な機能として保 税保管、輸出加工、中継貿易の3つがある。また、輸出入許可証の免税、免税、保税の政策が とられている。(人民日報社より引用) 蘇州物流センターは1997年に設立され、8.18平方キロメートルの物流圏区(5.2 8平方キロの総合保税区を含む)の開発企業である。この物流センターの機能として一番重要 となるのが、区内の企業が自社用機器設備や自社用の原材料を国外より輸入する場合において 関税、増値税、消費税がかからないことである。この区内に工場を設立すれば、輸入において の負担が軽減される。これを利用して多くの国外の企業が参入している。国外の企業の参入障 壁を減らして、中国国内へ立地させ、経済成長に寄与しているこの物流センターはまだまだ土 地もあり、今後も多くの企業を呼び込み、中国の経済成長になくてはならないものになってい くだろう。 (3)上海亀屋電気有限公司【 2012 年 2 月 23 日(木) 14:00‐15:00 】 ① 松江工業区について(上海亀屋電気有限公司が存在する地域) 上海市松江工業区は上海市人民政府の批准で設立された上 海で最初の市レベルの工業団地である。上海市西南部にある 千年の歴史を持つ古い街松江の東側に位置するこの工業区は、 予定開発面積が27平方キロメートルで、1992 年 7 月より開 発が始まった。2003 年 6 月現在、進出した企業の数が 400 社、その総投資額が 50 億USDを超えている。上海亀屋電気 有限公司の安部総経理の話によると、日系企業も約 100 社存在しているとのことだ。 ‐6‐ 松江工業区管理委員会は上海市松江区人民政府から依頼 を受けて、工業区の管理をする行政機関である。投資者の 会社設立申請、登録、登録変更、年度審査など全ての手続 きを外商投資服務公司に依頼することができる、すなわち 進出した企業は工業区を出なくても区内で全部の手続き を完了することができる。 ② 対応してくださった安部総経理の話から 昨年は震災の影響で買い替えの需要があり忙しかったが、タイの洪水の影響で思うように部 品が手に入れられない時期も続いた。毎年7月に賃金改定が行われ、上海の最低賃金の場合3 年で倍くらい?に値上げした。人件費がかなり上がっている。中国国内でも部品等の価格競争 が激しくなっている。 中国人の雇用については、中国の雇用環境は、昼食・シャワーの提供、残業のある場合は夕 食の提供が通常。派遣会社から派遣された派遣社員の多くは、上海以外の省出身で、会社近く のアパートを借りて集団で生活している。上海亀屋電気有限公司の場合は、従業員500名の うち400名が派遣社員で、そのうちの300名ほどが1年で入れ替わる。 春節(旧暦の正月)の周辺時期には、従業員が皆休暇を取るため、工場の生産が止まる。中国 では、男性:60歳、女性:55歳が定年。従業員への連絡等は、口頭ではなく、必ず書類で 伝達し、確認の印鑑をもらうようにしている。基本的に、決められた仕事以外は進んでするこ とはない。有給休暇は全て消化する。日本にはない手当もつけることが定められている。 (夏・ 冬の倉庫作業手当 等) 今後の展望として、上海は賃金がかなり高騰しているため、中国国内でも内陸の地域へ工場 を移転することも考えられるとのこと。 ‐7‐ (4)養楽多(ヤクルト)上海工場視察 【 2012 年 2 月 24 日(金) 10:00‐11:00 】 工場は広州工場、上海工場、天津工場の 3 箇所が中国にある。 上海工場の能力は 147 万本/日、9 月に需要が多くなる。現在はほぼ自動化されている。中国 では大きい物が好まれる傾向があるため 100cc のボトルを使用している。 品質を維持するため自社社員による店頭管理、自社物流にて対応している。 2011 年で 41,223 店舗にて取り扱いされている 宅配に関しては14名(2002 年)→現在 1,542 名 知名度を上げるため工場見学は現在までで累計 27 万人来工している ①シードタンクでヤクルト菌を培養する。機械はほぼ日本製 ②シロップと混ぜストレージタンクへ。 ③成形にてボトルを成形する 成形機 住友製125tが10台。 1本あたり60万本分入る ④充填ライン 4ラインあり、1ラインに 5 名程度人数がいました。 充填ラインは数名人数がいましたが、パッキング工程なども自動化されており、人件費の高 騰に左右されないような設備になっていると感じました。設備は日本製ということでしたので、 日本で確立されたシステムを移管してやられているのではないかと思われます。 ○考察 ボトルの原料、キャップなどの資材などは日本からの輸入なので製造原価自体は日本で作る よりも少し割高になっていると思われます。ただし、自動化したラインを持ち込まれているの で、今後の人件費の高騰などの影響は受けにくいと思われます。 現地での消費、拡販をメインに考えられているので、自動化ラインでの対応をされているの だと感じました。手作業から自動化という流れが中国にもきているのを感じましたし、今後日 本ではより効率のよいシステムを作ることが重要になるのではないかと思いました。 ヤクル ‐8‐ トの味自体は日本と同じもので勝負されているのが非常に印象的で、日本のものがそのまま中 国で通用しているのは少し嬉しく感じました 最後に工場の従業員について質問しました。 「中国の工場」というと安い人件費から多くの 人がラインにいるイメージであったし、先に視察した電気部品工場ではまさにそんな感じでし た。上海工場では 115 名勤務、うち日本人は 2 名とのこと。今日見学したライン以外にも作 業員がいるらしい。とても綺麗な工場にて従業員の満足度も高いかと思いきや、約 3 割のスタ ッフが春節明けには辞めていくとのこと。先の視察先電気部品工場では 6 割ほどの入れ替わり があるとの話であったことを考えると少ないほうなのか。社員教育も品質を守る上では重要項 目ですが、実際には苦労の連続らしい。詳しい苦労の中身は時間の関係で聞くことができませ んでしたが、2 名の日本人スタッフの労力たるや甚大なことが想像できました。中国でのビジ ネスには常に人の問題がつきまとうとの話を聞いていましたが、実際に話を聞くと、あらため て実感ができました。 (5)上海外国語大学【 2012 年 2 月 24 日(金) 14:30‐15:30 】 上海外国語大学は 1949 年に創立され、1963 年には国 務院の認可を得て全国重点大学の 1 つになりました。 前身はロシア語専科学校だったそうで、今でも校舎の 一部はロシア風の建物になっています。 「教養を高め、複合型を重視し、国際視野、創造精神 と実践能力を 備えた外国語 人材」を育成す る教育、研究、多学科制の外国語大学として力を入れてい るそうで、現在は国内外でも高い評価を得ている大学です。 キャンパスは、上海中心部の虹口と松江新都市開発区の2 ヵ所がありますが、今回は53ヘクタールもの広大な規模 の松江キャンパスを訪問しました。校舎や寮は立派な建物 で、バスケットコートやテニスコート、大変大きな図書館もありました。校庭には、校訓でしょ うか「学問に近道なし」という看板が目立ちました。 学生は全寮制で昼間は学校、夜は課題と一日中勉強で食 事は学食か外食で自炊はしないそうです。毎日勉強で忙 しいため、アルバイトをする人は居ないようで、学費・ 生活費はすべて親からの仕送りで賄っているそうです。 中国のごく一部だと思いますが「一人っ子政策」により 子供にかけるお金が多いため、幼い頃から良い塾に通わ せ、高学歴を望む親が多いそうです。日本だと大学に入 ってしまえば、 アルバイトしたりサークルで遊んだり と、勉強はおろそかになりがちですが、中国では親の期待に答えるかのように一生懸命に勉強を する姿に驚きました。 ‐9‐ 6.テーマ別研修報告 Ⅰ.経済と都市環境について 舘 さとみ 上海の浦東国際空港に着いたあと、ホテル上海 清水湾大酒店に向かう。私が泊まった 11 階の部屋 からは、ビルの建築現場が見えた。建築途中のビ ルは、経済発展の途上にある中国を象徴している ように思われた。だが、5日間この建設中のビル を朝夕定点観測していると、それはしだいに中国 の発展のスピードそのものとして見えてくること になる。研修に行く前には、 「発展途上」という言 葉が与えるイメージから、中国は日本に比べて劣 位にあると無意識に認識していた。だが、 「発展途 上」というのは名目にすぎず、中国は実質的には 発展国であり、その勢いのすさまじさをしばしば 痛感させられることになるのである。 中国において、上海は、重慶、北京に次ぐ 3 番 目に人口の多い都市である。今回の研修で現地ガイドを務めてくださった周氏によると、同じ都 市部でも、北京の建造物は、高さが低く横に広いが、それに比して上海の建造物は、細くて高層 であることが特徴であるようだ。たしかに上海の新しい建物は、近くからではカメラに収まらな いほど高いものばかりである。上海では地震が起きないということを前提に、ビルやマンション は高層のつくりになっているが、昨年大震災を経験している日本人としては、大地震が起きた場 合の光景を想像してしまう。 上海の住居は、それが建てられた年代と高さによって大きく 3 つに分類できる。まず、先に述 べたように、高層で新しい高級マンションがある。価格は、街の中心に向かうほど高くなるらし いが、100 ㎡で平均 4000~5000 万円の高値である。上海の人々の平均月収が 7~8 万円だとい うから、この高層マンションに住んでいるのは、相当なお金持ちであり、そのようなお金持ちが、 林立するマンションの部屋の数だけいると思うと眩暈がする。15 億も人口があれば、それに比 例してお金持ちも多い。やはり大陸の国だけあって、日本と比べ規模が違うなあと感心するが、 その一方で、農村と都市部との所得格差が大きいことも実感させられる。 次に、20 年から 30 年前に建てられた 5、6 階建の西洋風のアパートがある。これらの住居は、 外観の装飾がヨーロッパ風で、1970 年代の鄧小平による改革開放以降に建てられたものと思わ れる。部屋の広さは、現在建てられているマンションに比べると狭いらしいが、家賃はそれほど 高くないようだ。中国では、土地はすべて国有のため、住居の所有権は使用権というかたちで与 えられる。かつては、国や企業が人々に安い値段で住居を賃貸していたが、現在は、所有財産と いうかたちで 70 年間の使用権を買うことができるそうだ。国有でありながらも使用権を売買で ‐10‐ きるようになったため、新しいマンションの価格が高騰しているようである。 そして、さらに古い 2 階建ての長屋のような家々が、ところどころ新しい建造物のあいだに取 り残されている。それらの住居はレンガやコンクリートでできており、窓も小さい。ガラス張り の開放的な高層マンションと比べると、泥臭さく陰鬱な感じを与えるような建物である。私は 6 年前に上海を訪れているが、そのときはまだ、そのような家々が多数残っていた。人々は、家の 前に椅子をだしたりして人通りを眺めたり、隣の家の人と世間話をしたりしているようだった。 また、家の前に桶を出して洗濯をし、掃除や何かで使った汚い水を平気で道に撒いていた。その ときは、中国の人々のマナーの悪さや清潔感のなさが嫌だったけれども、今は少なくなったその ような光景が懐かしくも感じられた。 長屋のような土色の家に人々が住んでいるころは、住居そのものは外気の侵入を防ぐため密閉 性が高く閉塞的だったけれども、家の外に出ればそこには近隣の人々が集っており、人付き合い の風通しはよく、人情味のある生活があっただろうと想像できる。その一方で、現在の高層マン ションに住む人々は、大きなガラス窓から遠くを見渡せる部屋に暮らしている。それは、経済的 な開放とそれによって勝ち得た富と自由を表すような住まいである。だが、建物が上に伸び、住 む場所が地面から遠く離れるにつれて、近隣に住む人と人とのつながりの密度は低くなっていく のではないかと思われた。中国人の生活の実情を詳しく知ることはできなかったが、少なくとも、 道端で堂々と洗濯をするような間柄の生活はもはやないだろう。 人付き合いの変化は、家庭環境や教育のなかにも見出される。今回の研修では、街の中でほと んど子供を見かけなかったように思う。中国の一人っ子政策は 1979 年に始まっており少子化が 懸念されているというが、それでも子供の人口は、日本の 10 倍はあるだろう。ガイドの周氏に よれば、子供たちはふだん、学校や塾に行き、そのほかの時間は家のなかで勉強しているかテレ ビゲームをしているかで、外に出てはほとんど遊ばないということだった。一人っ子なので、家 の中でも一人で遊んでいるのだろうと思うと、少し残念な気持ちになる。また、学校教育は北京 語に統一して行われているので、上海に生まれ育ち ながらも、子供たちは上海語がわからないらしい。 言語が統一されれば、中国国内のほかの地域との交 流もさかんになるというメリットもあるし、世界の 5 人に 1 人は中国人なのだから、もしかすると英語 を凌いで世界の公用語になる可能性もある。そのよ うなグローバルな言語の広がりによって、コミュニ ケーションはワールドワイドになるが、方言によっ てつながっていたコミュニティはなくなっていくの かもしれない。 上海の都市環境の全体を見ていると、道路には車 線がいくつもあり、区画整理も大きな単位で行われ ていることがわかる。同じ都市でも、東京はもっと 細々としているように感じられた。そのように規模 の大きな都市計画ができるのも、中国が共産体制を とっているためだろう。土地も建造物も基本的には国有なので、政府の方針は必ず通るようだ。 ‐11‐ したがって、たとえば日本で道路や区画を整備したり空港を建設するとなると、土地の所有者の 反対にあったり、土地を失う代わりの補償をしたりなど、手続きに時間がかかり、企画そのもの が倒れる場合もあるが、中国ではそのようなことはないらしい。また、中国共産党の一党独裁制 のため、日本の国会のように、ねじれて政策が進まないということはなく、中国では、政府が発 表したことはかならず実現する。したがって、ここに道路を作ると国が言えば、スクラップ&ビ ルドの方式で、古い家屋は取り壊され、その上に新しい道路ができるのである。 朝、宿泊していたホテル付近を散策していると、スクラップされた家々の残骸を目にした。こ のような光景は見覚えがあるなあと考えていると、それは、大震災の津波によってがれきの山と 化した東北の光景だった。日本では自然の大津波によって家々が押し流されたが、上海では、経 済の奔流に古い街が押し流されていく。私は今回の研修で、中国の経済と都市環境の関係を個人 的なテーマとして設定していた。そして、急成長する中国経済と一新される街の現状を見ること ができた。そのような経済の大きな変革のなかで、人々の生活や言語も移り変わり、その総体と しての文化も変容していく様子を知ることができたように思う。 Ⅱ.笠間市と上海市 江田和輝 私が、テーマとして選ぶのは、 「中国の経済について」で す。日頃、ニュースや新聞、様々なメディアで中国の経 済発展は著しいと報道されています。しかし、実際それ が個人の実感としてどれほど感じられるかに大変興味を 持ちました。そして、普段の生活に近い部分での「経済」 というテーマで、中国と日本を比べていきます。また、 この笠間市青年海外派遣研修を通して感じた笠間市と上 海市の相違点や共通点も紹介していこうと思います。そ して、身近にあるその違いなどを知ってもらい、個々に 活かしてもらうことができたら幸いです。 まず日本と中国の大きな違いは、経済制度の違いです。 日本は資本主義で、中国は共産主義です。現地で非常に 驚いたことは、中国で住宅用地を購入した場合、それは 中国政府から70年間の土地使用権を得られるのみだと いうことです。個人、企業に所有権はないとの考え方か らです。日本では考えられないことではありますが、この所有権がないことによって政府主導で 各地域を計画的に発展させることができるということの裏返しでもあります。日本では、土地の 所有権を持つ各地主によってばらばらに管理されているので、地域を計画的に発展させるにして もかなりの時間と交渉が必要だそうです。個人で考えると資本主義の方が断然良いですが、地域 として考えた場合、共産主義の方が発展させやすいということもあるんだなと思いました。 ‐12‐ そして、その政治と経済という個々にあまり馴染 みのないことが要因で国民性がわかれるということ も興味深いなと思いました。いままでの中国では、 経済成長の為に、個を軽視する場合もあり、そのよ うな中で生活している中国人はまさに個人主義との 印象を受けました。上海外国語大学松江キャンパス の学生との交流で、一日どの程度の学習時間なのか を聞いたところ、小学生の頃から、7時〜24時ま で勉強している学生が大多数だとのことでした。こ れは、まさに日本の報道でもあるような日本より厳 しい受験競争があり、学歴社会だと感じました。こ ういった個人主義の傾向は、社会人になってもある ようです。上海亀屋電気有限公司(株式会社亀屋工 業所が持つ海外生産拠点)にて視察をさせて頂いた 時に、日本との違いを聞きました。いくつかある問題の中で、中国人スタッフが日系企業で働い て学んだ技術を武器に他社へ転職していってしまうことがあるそうです。日本でも同じ問題がな いとは言い切れませんが、その傾向が強いということは実際にあるとのことでした。また中国で は、賃金アップの為の転職が比較的短い期間にあるそうなので、企業としては必要な人材に長く 働いてもらうために、大幅な賃金アップで引き止めることもよくあることだそうです。日本の国 民性は、あまり個人として積極的に主張するということはあまりなく、和を大切にするという文 化です。けれども、世界的にみると、日本も中国と同じように個人主義になっていくのかなと感 じました。 上海の物価は、食料品、日用品はかなり安く感じ、贅 沢品(酒・タバコなど)や娯楽施設は日本よりやや安め の価格だなと感じました。2011年現在の中国の GDP 成長率は7.2%になり、これまでと比べると成長が鈍 化してきてはいるが、緩やかな低成長へ移行していて、 毎年人件費が約2割、食料の物価も約1割、上昇してい っているそうです。日本は現在1ドル=約80円で円高 ですし、上海は中国一の経済都市でもあるので、一般の 個人感覚としては10年以内には同水準、またはそれ以 上になる可能性もあるのではないかなと感じました。 笠間市と上海市は経済面でかなり規模が違うので、か なりの相違点がありました。ただし、観光をもって都市 を活性化させていこうとしている面では同じだと思いま した。上海では、英語も全く通じず、英語表記も町の中 ではあまり見受けられず、全くと言っていいほど言葉で意思の疎通ができませんでした。けれど も、笠間は、全く意思疎通ができない程ではないので、その点では観光には来やすいのではない かなと思います。そして、茨城県上海事務所に訪問した際に、笠間市と上海市との関係を聞きま ‐13‐ した。震災前に、笠間市として特産品などを上海へ輸出することも計画されていたそうですが、 震災の影響もあり、取りやめになってしまったそうです。けれども、茨城空港から上海への便も あるので、これから笠間市にも観光で来てもらえるようになれば、もっと笠間市は多彩な市にな っていくのではないかなと思いました。 参考文献 孔健『中国 情報地図』中国情報研究機構、2009 年。 Wikipedia『中華人民共和国』 Ⅲ.笠間市青年海外派遣事業に参加して 根本 悠香 1 はじめに 私は今回の研修参加前に次の3つのテーマを掲げた。 テーマ1:上海の伝統文化を知り、それをふまえて笠間市の街づくりについて考える。 上海における「伝統文化」の位置付けをとらえ、日本と比較することによって、今 後の日本の伝統文化の新たな普及の仕方・役割について考え、さらには、伝統文化 を利用した笠間市の街づくりについて考える。 テーマ2:仮定『上海で「日本ブランド」ビジネスをしてみよう』 伝統文化だけではなく、現在の上海の文化を知り、また、上海の人々の日本や日 本文化に対しての印象をとらえることで、仮定として『「日本」を武器に上海で ビジネスをするなら』ということを考え、プランを立ててみる。 テーマ3: 上海のお菓子屋さんの状況を調査する。 テーマを選んだ理由として、自分自身の仕事に関することから上海を「観て」みようという 思いと、個人的な日本の伝統文化への興味から思いついたということが挙げられる。研修内容 の詳細が分かる前に掲げたテーマであったため、レポートをまとめるのに十分な情報が得られ なかった部分もあることから、必要な情報を文献やネットを参考にしながら研修の成果をまと めることとする。 2 テーマ1「上海の伝統文化を知り、それをふまえて笠間市の街づくりについて考える」 上海の伝統文化の位置付けとは? 上海の伝統文化とは何だろう?日本で値するところの「きもの」とか「茶道」と同じように昔 から伝わる心のよりどころとするものはあるのだろうか?また、上海の人は伝統文化とどのよ うな関わりを持っているのか?研修先で出会った方々にお話を伺ってみた。 ‐14‐ (1) 茨城県上海事務所植田副所長の話 Q:「上海に住んでいて上海や中国の伝統文化を感じるようなことはありますか?」 A:「私が一番得意としない分野です…」 植田副所長は上海在住2年目。休日を利用して中国国内も何か所か回っているといったお話 もされていたので上記のQのように質問してみたところ、「一番得意としない分野」とのお 答えをいただいた。ということは、上海市内で普通に生活していると特に伝統文化を意識す る機会は少ないのかもしれない。なぜならば、例えば街中に「上海伝統文化」と銘を打って 並んでいるものがあるならば、特に海外から訪れた人の印象に残るはずであり、植田副所長 の目にも留まったと考えられるからだ。 (2) 上海外国語大学の生徒の皆の話 Q:「日本のきものや茶道のようないわゆる伝統文化って中国にはあるの?」 A:「中国にも茶道はある!でも日本の茶道とは根本的に違うかも。」 迎えてくれた上海外国語大学の生徒の皆さんは日本学科ということで、日本語で問題なく意 思疎通ができた。また、日本の文化への関心も深く、私の好きなきものや茶道の話を思う存 分披露させてもらえたため、その会話の中で上記Qのように聞いてみた。結果、中国にも茶 道はあるとのことだが、日常ではあまりやらないし、学校で習うこともないということ。日 本の茶道は日本人の精神の基盤になるとも思えるおもてなしの心が学べる場であり、日本人 が考え抜いて磨いて築きあげた精神鍛練の手段の一つでもあると思う。また、昔の人にとっ ては身につけることが常識でもあった。そのような日本の茶道に比べ、中国のそれは少し違 う目的に向けた文化であるらしい。あくまでお茶をおいしく入れることと、パフォーマンス であるといった話が聞けた。また、「では、学校で何か伝統文化を学んだりはするの?」と いう質問をしたところ、あまりないとのことだった。 (3) 現地ガイド周さんのお話 Q:「学校では伝統文化を学ぶ機会はありますか?」 A:「クラブ活動として伝統的な音楽を習う人もいる。」 伝統的な音楽を習う人もいるようだが、それは一部の人だけで他の多くはあまり接する機会 がないようだ。 ⇒【上海における伝統文化】 上海で生活していて伝統文化に触れ合う機会は少なく、上海の人々も伝統文化を重んじ る傾向はないようだ。 (4) 日本と上海の伝統文化の位置付けの違いとは? 日本では、伝統文化を守ろう、後世に伝えようという風潮や意識が高まっているように感じ られる。実際、 「伝統文化こども教室」 (平成16年からの文部科学省文化庁事業)にて、国を 挙げて和装・礼法や茶道などをはじめとした伝統文化を伝えていく取り組みも見かけられるし、 学校の授業カリキュラムに取り入れられるようだといった話も聞く。 それに対して、上海では伝統文化を重んじる傾向は感じられず、自国の文化や精神の尊重より もグローバルな視点を持つことに意識が向いていた。 ‐15‐ GDP成長率が 2011 年で 8.2%(中国内陸では 15%以上のところも)と、下落傾向にはあ るといってもまだまだ高い成長率を誇る「上海」と、中国に比べずっと先に経済の発展を遂げ、 不況を繰り返しながら緩やかに成長する「日本」。伝統文化を守ろうという風潮が精神文化の 高まりといえるのであれば、日本の方が精神文化における成熟度は高いといえよう。そして、 経済の発展の後にしか精神文化の成熟はやってこないのかもしれない。 上海の人々が、日本の現在のように自分たちの伝統文化に目を向けるのは、著しい経済成長の 後になるだろう。 ⇒【日本と上海の伝統文化の位置付けの違い】 日本→ 日本の精神や伝統文化を大切なものととらえ、後の世代に残す取り組みがされ ている。 上海→ 伝統文化に対する意識が薄く、「世界」へ目を向けている。 上海(中国)では、経済成長の後に伝統文化への意識が芽生えるのでは? (5) 現在の笠間市のイメージ 伝統的工芸品に指定されている「笠間焼」をはじめ、日本三大稲荷に数えられる「笠間稲荷 神社」、茨城県で唯一の「芸者」さん、など日本の「伝統的」なものが根付く街「笠間」。 観光業は重要な財政資源であり、これを発展させていくことが街づくりの大きな課題の一つ であると考えられる。 ◆「上海の伝統文化を知り、それをふまえて笠間市の街づくりについて考える」のまとめ 上海では、「伝統文化を守る意識=自国の精神文化に目を向ける意識」を持つ域には達して いなく、それは著しい経済成長後の経済の安定があってはじめて訪れる域だと考えられる。 それに対して日本では、伝統文化を守り・伝えることが重要視されはじめている。つまり、 日本は今、精神の豊かさを求める時代だということだ。観光の視点から見れば、様々なものを 見て、様々な経験をして「心を豊かにしたい」と望む人が多いことだろう。 笠間市の観光業発展のためには、簡単に言えば、人々の「心を豊かにしたい」という欲求を 満たす要素を、多く持てれば多く持つほどよい。 「日本の伝統」が求められる時代だからこそ、 「日本の伝統」が根付く笠間市は、現在ある特長を生かしつつ、「心を豊かにしたい」という 人々に対してどれだけ笠間市ならではの魅力を伝えられるか。笠間市の魅力再発見と新たな魅 力作りについては、今後の自身の課題とする。 ‐16‐ 3 テーマ2:仮定『上海で「日本ブランド」ビジネスをしてみよう』 & テーマ3:上海のお菓子屋さんの状況を調査する。 「上海に日本のお菓子屋さんを出店すると仮定してみよう」 テーマ2とテーマ3については、2つのテーマを併せて「上海に日本のお菓子屋さんを 出店する」という仮定に基づき、次の手順に沿って出店プランを立ててみることにした。 その際に、研修で訪れた「上海亀屋電気有限公司」と「養楽多(ヤクルト)上海工場」 の2つの企業から学んだことも順次まとめていくこととする。 上海に出店する動機を明確にしよう!「なぜ?」 出店規模などの条件の設定をしよう! 上海における「日本ブランド」の印象を把握しよう! 出店する企業の形態を考えてみよう! 出店に必要な「ライセンス(許可) 」について学ぼう! 中国人を雇用するにあたって経験者の話を聞いてみよう! 中国でビジネスを展開するにあたっての注意点を調べよう! 上海のケーキ事情を聞いてみよう! 商品(ケーキ)の価格帯と出店場所を決定しよう! 上海に出店する動機を明確にしよう! 出店を仮定するにあたって、上海進出の明確な動機や目的を定めることとする。 一般的に、日本企業が中国に拠点を置くことの意味は、①人件費安いこと、②世界最大 のマーケットを求めて、などが挙げられる。実際に、研修で訪れた2つの企業はこれら に当てはまると考えられる。 (1) 中国に進出した動機 【上海亀屋電気有限公司の場合】 ・輸出用の部品を製作する工場での人件費が安いため。 【養楽多(ヤクルト)上海工場の場合】 ・企業理念としている代田イズム(予防医学・誰もが手に入れられる価格で・健腸長寿) 世界中に実現するために、中国へも展開。 ・ 「世界中の人々の健康を守りたい」という理念から世界中に事業展開しているということ に間違いないが、中国を大きな消費マーケットとしてとらえてもいるはず。 では、「上海に日本のお菓子屋さんを出店すると仮定しよう」の出店動機だが、輸出目的の展 開を想定していないため、「安いコスト」ということは関係ない。中国の中でも生活水準のず ば抜けて良い「上海」を大きな消費マーケットとしてとらえ、商売の機会を見出したというこ ‐17‐ とからだとする。 ⇒【上海に出店する動機】 上海という大きな消費市場に商売の機会を見出したため。 (2) 出店規模などの条件の設定をしよう! 中国出店における規模などの条件は、以下のとおり設定することと決めた。 ⇒【出店規模などの条件設定】 ・店舗または拠点となる事務所等は上海市内に構える。 ・店舗には現地のスタッフが立つ。 ・従業員は10人未満の規模ではじめる。 ・上海で生産し、上海の方を対象に商売をする。 (3) 上海における「日本ブランド」の印象を把握しよう! あえて「日本のお菓子屋さん」としたことで「日本発」を強調することとなるのだが、中国 人は日本に対してどのような印象を持つのか。 「日本ブランド」を受け入れてもらえる土台は あるのか。今回の研修で感じた日本に対する印象等をまとめたものは以下のとおり。 ・日本のアニメは想像通り若い世代に人気。団員のひとりが以前人気アニメ「名探偵 コナ ン」の制作に関わっていた話が出ると、上海外国語大学松江キャンパスの生徒から歓声 があがり、その後も興味を持って質問をしていた。 ・中国の全国紙「環球時報」が 2009 年に北京、上海、広州、武漢、重慶在住の男女 1350 人に行った調査によると、「最も好きな国」で日本は 5 位。ただし、15~20 歳に限って 「日本が1位」という結果 みると、アニメやファッションなどの日本文化の影響からか、 が出ている。 ・歴史問題や領土問題などから、中国人の日本人に対する評価はよくない部分ももちろん あるが、その考えを個々の日本人付き合いにはそれほど持ち込まない(現地ガイドの周 さんの話から) ・日本の「きもの」はほとんどの中国人は知っていて、綺麗な衣服だと思われている。 (上 海外国語大学大学院生の馬さんの話から) (上海外 ・ 「日本に旅行した時に、日本で食べた料理はどれもおいしかった。」ということ。 国語大学の生徒さんの話から) 話を伺ったのが日本に対して好意的な印象を持つ方々だったとはいえ、歴史や領土問題を考慮 「日 しても、特に上海では「日本ブランド」を受け入れ、信頼している域にもあるようだった。 本ブランド」ビジネスは十分成り立ちそうだ。 ⇒【上海における「日本ブランド」の印象】 「日本ブランド」は上海で受け入れられ、信頼もされている。 「日本ブランド」ビジネスは成り立つ見込みがある。 (4) 出店する企業の形態を考えてみよう! 中国に進出する場合に、一番頭を悩ますのは進出形態らしい。「この選択を間違って、のち ‐18‐ に苦労した話は枚挙に暇がない」 ( 『中国ビジネス虎の巻』から)ということらしいので、最初 に決める進出形態を見極めることが成功への第一歩になると思われる。 進出形態には独資、合弁(合資)、合作、委託加工貿易、技術提携、販売代理店契約、支店・ 駐在員事務所などいろいろあるが、今回の場合は、直接形態の範囲で考えているので、独資、 合弁、合作の中で選択してみようと思う。 ・独資企業 → 100%自らの出資による法人。 ・合弁企業 → 中国企業との共同出資による法人。 ・合作事業 → 中国企業との共同事業で、法人を設立するものとしないものがある。 別添の参考資料例1、例2を参考にすると、小規模のお菓子屋さんの場合は、合作または合 弁企業の形態をとって進出することが多いのかもしれないが、その場合は主導権中国側に握ら れてしまう傾向があるため、自分の思ったように展開できないというデメリットが大きい。ま た、特に中国からの撤退時にはトラブルになるケースも多いようだ。自由な意思決定が反映さ れるのはやはり独資企業だが、経営・運営していくのに必要なライセンス(次の項目(5)に て説明)はかなり細やかであり、それらを全て独自の力だけで取得することは根気と知恵がい るように思われる。進出形態決定はメリットとデメリットをよく把握し、現在の自分の企業の 力と今後の展開予定を照らし合わせ、十分に検討する必要のある大きな課題であると感じた。 ⇒【上海に出店する企業の形態】 独資、合作、合弁企業のそれぞれのメリットとデメリットを把握し、十分に検討する ことが必要。→ 今回は独資企業を想定することとした。 (5) 出店に必要な「ライセンス(許可)」について学ぼう! 中国で会社を設立しても、業務を行うには「ライセンス(許可)」が必要となってくる。 合弁、合作企業の場合は、必要なライセンスは中国側が取得している場合が多いが、独資企 業の場合は、必要なすべてのライセンスを自ら取得しなければ、何も業務ができないこととな る。「大事なのは、自分の会社が滞りなく事業活動するための許可証がいったいどれだけ必要 なのかを完全に把握し、それらの許可を100%取得することだ。 」と、独資で中国に進出し た U.F.O グループ CEO の谷氏は、著書の中で何度も完全なライセンス取得の重要性につい触 れている。 例えば、営業許可証や国税・地税・財政登記証などは比較的簡単に取れるが、省を超えて自 由に取引できる貿易権、労働局の許可証などは取得が難しいらしい。直接に従業員を雇用する ためにも許可が必要であり、労働局の許可なしには派遣会社を通して人材を派遣してもらうし かなく、従業員選出に関する幅広い決定権も得ることができず、また派遣会社を通す分、人件 費も多くかかることとなる。 また、北京中央政府の許可がない限り、限られた地域にしか効力を持たないことも頭に入れ ておかなければならない。例えば上海市で許可を取った場合には、上海市と華東六省でしか効 力を持たない。 独資企業の場合は、その後の会社展開に見合ったライセンスの全てを、きっちりと最初の段 階で取得することが大切だ。 ⇒【出店に必要なライセンス(許可)とは?】 ‐19‐ ・中国で事業活動を行うには各種ライセンスの取得が必要であり、それらの取得は難 しい。 ・ケーキ屋出店に必要なライセンスは、営業許可証、国税・地税・財政登記証、労働 局許可証など、多種にわたると考えられる。 ・最初の段階での必要なライセンスの完全取得が成功の鍵。 ・中国全土での活動を考えた場合、北京中央政府発行のライセンスが必要。 ・スムーズなライセンス取得のためには、ライセンス申請窓口担当者との人間関係も ポイント。 (6) 中国人を雇用するにあたって経験者の話を聞いてみよう! 中国人スタッフを雇い入れることを前提条件としたが、中国人を雇用するにあたって、日本 と違うところや、苦労することは何だろうか?研修で伺った経験者の話をまとめてみた。 【上海亀屋電気有限公司阿部総経理の話】 中国の雇用環境は、昼食・シャワーの提供、残業のある場合は夕食の提供が通常。 派遣会社から派遣された派遣社員の多くは、上海以外の州出身で、会社近くのアパートを 借りて集団で生活している。 春節(旧暦の正月)の周辺時期には、従業員が皆休暇を取るため、工場の生産が止まる。 中国では、男性:60歳、女性:55歳が定年。 従業員への連絡等は、口頭ではなく、必ず書類で伝達し、確認の印鑑をもらうようにして いる。 基本的に、決められた仕事以外は進んですることはない。有給休暇は全て消化する。 日本にはない手当もつけることが定められている。(夏・冬の倉庫作業手当 等) 以前は、現地のスタッフを日本へ研修させることもあったが、その経験を武器に別会社へ 転職されてしまった。 【茨城県上海事務局上田副所長の話】 現在の日本以上に転職することが当たり前であり、様々な会社で経験を積み、転職後は即 戦力として働く。奥ゆかしさはなく、権利力が強い。日系企業との労働契約トラブルが多 い。 【その他の情報】 中国人の「任せてください」「大丈夫」などの言葉は鵜呑みにしない方が良い。 自分本位の思考をしがちで、会社のものでも「いらないものなら、自分が使おうと勝手 に自分のものにしてしまうことがある。 給料の額の多さだけでは、優秀な中国人を引きとめておくことはできない。 やりがいや信頼、人生設計までを考慮していい環境を提供することが必要。 上司の命令には従うし、与えられた仕事に明確な価値を感じることができれば、よく働 く人間が多い。 報酬に関する要求は、日本人以上に明確だ。 中国の場合は、業務経験が備われば、給与が大きく切り上がるので、若手をベテランを うまく組み合わせれば、効率的な組織が作れる。 ‐20‐ 誤解を避けるため、交渉を有利に進めるため、通訳は使うと都合がいいが、通訳を特別 扱いしない、頼り切らないことが必要。 (7) 中国でビジネスを展開するにあたっての注意点を調べよう! ・企業と企業の付き合いよりも「個人」と「個人」でビジネスをする文化がある。 ・店舗の建設時から厳しくチェックする必要がある。当初の予定と違う材料を使用する場合も ある。また、設計図は別の専門家に見てもらうことが必要。 ・印鑑は自分で握ること。 ・合弁・合作企業の場合は、撤退時にはトラブルになることが多い。機械設備をそのまま中国 に残さなければならない場合や、かなりの金額のお金を払わなくてはならなくなる場合もあ る。また、撤退の話を持ち出した後、日本人が監禁されたという話もよく出ている。訴訟に なっても日本側が勝つケースはまれである。 (8) 上海のケーキ事情を聞いてみよう! 現地ガイドの周さんの話によると、上海には日 本のケーキショップが何件かオープンしているら しい。また、最近は誕生日にケーキを注文する際 に、お客様の希望するデザインに合わせてお客様 オリジナルのケーキを作るのが流行しているとの こと。一昔前までは、中国のケーキといえば生ク リームよりもバタークリームを使ったものが主流 で、見た目もどちらかというと「けばけばしい」 印象の方が好まれていたようだが、日本のケーキ の味は「おいしい」と受け入れられているようだ。 研修期間中に団員の青木さんが誕生日を迎えられたため、同じく団員の渡辺さんの粋な計ら いのもと、周さんが購入してきてくれた「上海ケーキ」を食べる機会にも恵まれた。 (9) 商品(ケーキ)の価格帯と出店場所を決定しよう! 上海統計局 2010 年データを参照すると、2009 年上海の平均年収が 42,789 元で日本円にする と約 60 万円(1 元=14 円で計算)ほど。前年比 110% 前後で毎年上昇していることを考慮して も、所得額はまだまだ日本の比にはならないが、 全土に広がる所得格差はひどく大きい。1~3 億 円ほどの高級マンションが浦東地区を中心にず らりと建ち並ぶ一方、ちょっと歩けば、貧しい 暮らしをしている人々がいることが分かる。上 海に住む富裕層は日本よりはるかに豊かであり、貧困層は日本よりはるかに貧しいのは明らか だった。 ‐21‐ 上海では平均所得を参考に価格設定を行うのではなく、日本で商売をする時以上にターゲッ ト絞って、そのお客様の水準にあった価格設定、品質にする必要がある。つまり、ケーキ店の 場合は、ターゲットは上海富裕層、出店場所は高級デパートまたは高級住宅街付近などがいい だろう。併せて、価格の設定も平均所得からすればかなり高級品ということになるかもしれな いが、それほど平均所得にこだわらず、大雑把に言うと、日本のそれと変わらないくらいでい いのかもしれない。 スターバックスレポート 上海のスターバックスでは「スターバックスラテ トールサイズ」 が 27 元。 日本円にすると 378 円(1 元=14 円で計算)である。日本では同 じものが 380 円なので、平均所得からすればかなり高い商品であ る。それにも関わらず、店内には高校生や大学生くらいの年代の 人達で溢れており、日本と全く変わらない光景だった。 ⇒【ケーキの価格と出店場所の決定】 ・所得格差が大きいため、ターゲットをしぼる必要がある。 ・ターゲットは上海富裕層、出店場所は高級デパートまたは高級住宅街とする。 ◆テーマ2&テーマ3「上海に日本のお菓子屋さんを出店してみよう」のまとめ 今回は(1)~(9)の項目に沿い、 「上海出店計画」として研修の結果をまとめてみたが、 実際に出店するとなると、情報収集及び具体的な意思が足りないのは明らかであろう。ただ、 今回このような視点を持って研修に臨んだことで、より深く中国に対して興味を持てた。また、 今後の自分の仕事に対してもより前向きに取り組める良き機会となったと思う。ビジネスの基 本となることかもしれないが、柱となる揺るがない理念を掲げ、顧客となるターゲットをしぼ ってよく調べ、法律を把握し、さらには従業員とうまく付き合うということが大切であると再 確認できた。 【参考】 ・谷 絹子 著作『中国ビジネス虎の巻』、2007 年 発行:㈱幻冬舎メディアコンサルティング、発売:幻冬舎 ・水野 真澄 著作『知りたくなくても知っておかなきゃならない 発行:明日香出版社 ・http://j-net21.smrj.go.jp/well/qa/entry/608.html ・http://www.shanghai.or.jp/osaka-city/news/21.html ・http://www.china-b-japan.org/archives/271 ‐22‐ 中国人のルール』、2011 年 Ⅳ.高度経済成長から福祉の充実はどのように反映されているのか 小薬 猛 (1)動機 近年の中国経済は、急成長を遂げた理由を知りたいという思いの他に、中国経済の発展及び 社会的開放政策に伴い、外国人が中国国内にて就労する機会が増加しています。優秀な海外の 人材の確保及び、福利厚生において企業内での公平且つ平等を図るべきと判断し、これまでの 中国人社会保険加入義務化に引続き、加入対象者を外国人にまで拡大するといった、中華人民 共和国社会保険法が 2011 年 7 月より施行されました。 現在、日本では、医療を支える国民皆保険があり、育児を支援するこども手当・母子家庭自 立支援、高齢者を支える介護保険制度にて、国民の福祉を支えています。 中国の社会保険法が外国人まで加入対象となり、実際の医療・育児・高齢者介護等の福祉分 野について、どのような保障内容で高度成長が 反映されているのか、また世界最大の人口を 支える為の社会保障制度をどのように進めていこうとしているのかということと、そして何よ りも中国での福祉の現場で、特に私も勤めています介護の分野では、どのような状況であるの かを見聞きし、学びたいと思いました。 (2)中国の社会保障 中華人民共和国社会保険法について、外国人の加入者に対して、保障内容は平等に整備さて いるそうですが、保険料の「掛け捨て」「二重保険料支払い」問題というものがありました。 中国では保険加入期間が 15 年を超えないと年金が支給されないとあり、15 年超えずに帰国し てしまうと、掛け捨てで終えてしまう問題と、中国と外国間での社会保障の決め事が整備され ずに 2011 年 7 月より施行された為、勤務している中国と国籍のある母国の互いの国に保険料 を支払う二重支払いとなっているそうです。永年中国で住み続ける人はよいのですが、すぐに 帰国してしまう人や、二重に保険料を支払い事は問題であると思います。中国における格差問 題解決の一助となる社会保障分野の整備がなされること自体は歓迎すべきことだが、二重支払 いは国家間で早急な調整は、中国も優秀な人材確保に繋がるのではないかと思いました。 次に、高齢者を支える介護保険制度が、日本は 2000 年より、韓国では 2008 年より施行と なっているが、中国は傷害保険や医療保険などはありますが、日本・韓国のような介護保険制 度はまだ整えられておりません。 ただ、障害者の日常生活や、リハビリ、および福祉関連機器の購入については、政府の補助 金政策があるそうですが、地方によって補助金額は違うようです。また、この福祉関連機器も 中国国内産の物又は、欧米からの輸入が多く、その為か安価であるが質が落ちる物や、中国人 の体格にあっていない物(写真)ばかりで、補助金を活用する方は少ないそうです。 ‐23‐ (中国で見かけた車椅子。欧米のサイズな為か、ひじ掛けの位置など体格にあっていない) (3)日本の中国介護市場進出 近年、日本では介護保険や、日本式のきめ細かな介護サービスのノウハウ、並びに同じアジ ア人として体格がほぼ同じであることから、日本産の車椅子など福祉機器の中国展開を進める 企業が増えてきているようです。 ドイツ・日本・韓国・中国の人口高齢化スピード(2010 年調べ) 各高齢化水準に到達した年度 所要年数 超高齢社会 7% → 14% 14% → 20% 20% の所要年数 の所要年数 1972 年 2012 年 40 年 40 年 1970 年 1994 年 2005 年 24 年 10 年 韓国 2000 年 2018 年 2026 年 18 年 8 年 中国 2000 年 2025 年 2035 年 25 年 10 年 国 高齢化社会 7% 高齢社会 14% ドイツ 1932 年 日本 近隣国の高齢化については、以上のように、高齢化社会になるまでに中国は、日本より遅い 時期となりましたが、高齢社会・超高齢社会となるまでにかかる所要年数は日本とほぼ同じで す。しかし、人口自体は日本より格段に多いため、すべての高齢者を支えていくという事は、 中国の今後にとって大きな課題となっていくのではないかと思います。また、韓国の所要年数 は早く、急速な少子高齢化が見込まれているため、2008 年に介護保険制度が施行されたと思 われます。この経緯を見ても中国の高齢者を支える為の介護保険のような制度の整備が今後重 要となるのではないかと思いました。 中国では 1979 年に始まった人口規制政策、俗に言う一人っ子政策によって人口増加の抑制 を行っていますが、これにより人口増加は落ち着きを取り戻しましたが、少子高齢化を招くこ ととなりました。中国では従来親子が同居し、親の老後は家族がするという伝統が健在である ‐24‐ のですが、一人っ子政策による子による親の介護負担が重くなってきたことと、経済成長によ り都市部へ上京する親子別居が増えてきており、家に残る者がいない為、孤独死を迎える方が 増加しているとのこと。これは中国全土に増加している為、対策として中国都市部において民 間介護保険制度というものがあり、 上海市などの大都市部において 2006 年に制度化された「全 無慮長期介護保険」というものです。これは,高齢化にともなう家族扶養機能の低下を見込み, それを補完するものとして損害保険会社などが商品化する民間介護保険に注目した制度だそ うです。 では、実際の介護現場はどのようなものであるかというと、都市部には老人ホームは整備さ れてきているようですが、家族介護が伝統の中国では親を施設に入れることは敬遠されていた 為、「三無老人」という労働能力、親族、収入のない高齢者を主に対象として、国による公的 支援が行われており、公立施設は料金も安く日本円で食費込み約3万円 (中国人の平均月収約 6万円) 。その為、希望者も増えてきているようです。しかし、私立施設はかなりの費用がか かるらしく富裕層と呼ばれる方たちのみの利用となっているそうです。 また、当初の入居条件としては元気な方が条件となっており、これは日本で言う有料老人ホ ームやケアハウスのような位置づけのようです。介護の必要な方は、入れなかったそうですが、 現在では介護が必要な方も徐々にではありますが、入居できるようになってきたそうです。し かし、いまだに認知症、寝たきりといった要介護状態にある重度な方は、受入れはされていな いそうです。理由としては、介護士が足りないからというもので、これは介護士という職種の 認知不足もあるのではないかと思いました。 これまで老人ホームなどの福祉事業は、外資参入が認められなかったのですが、2006 年か ら正式に開放され、日本からもいくつかの企業の中国進出が見られています。 日本企業のウィズネット代表取締役社長の高橋行憲氏は、「中国の介護施設は衛生的とは言 えず、そこで働く従業員は介護の知識を十分に持っていない。そこで日本のような介護ヘルパ ーを育成する必要性を感じた」と介護技術の向上のために介護ヘルパーの養成事業を行い、ロ ングライフホールディングでは、中国でも受け入れられている有料老人ホームを開業されてい ます。ニチイ学館では、日本人と中国人の体格が合っている事での優位点を生かした車椅子等 の福祉機器販売を行うなど、徐々に日系の福祉企業が、中国に新たな市場として目を向けてい ました。 (4)まとめ 福祉業界で勤務して12年の私ですが、中国の福祉は正直、日本に劣っていると思います。 しかし、現在、中国の福祉のニーズが高まってきているこの時に、驚くべき経済成長を続ける 中国には、やると決めたことへの推進力は計り知れず、福祉分野においてのノウハウを持つこ とができれば、5年・10年後には日本と肩を並べる事の出来る充実した社会保障制度の整備、 福祉施設の設立、人材の育成がなされているのではないかと可能性を感じました。 中国人の勤勉さ、向上心は、今の日本人にはないもので、その結果が高度経済成長なのだと 思います。日本はその精神力を、中国は福祉分野について、互いに学びあい、隣国として刺激 しあえるような関係を今後も持っていくべきであると思いました。 ‐25‐ Ⅴ.中国の食文化ついて 西川 茂明 どこのレストランでもそうでしたがまずは前菜が出てきます。 (帰って調べた所、目黒雅叙園が発祥 回転するテーブルは日本からの発祥という話に一同驚き。 というのが有力な様です) ドアの外で北京ダックを切り分けてくれています。少し高級な店だからかも知れませんが、食事 を楽しく出来るような工夫が結構あったと思っております。 ‐26‐ 2 日目の昼食ですが、昼食でこのボリューム・・・ 味付け はあっさりで、非常に食べやすかったです。 蘇州料理だったと記憶しています。 夕食 四川料理はやはり辛かったですが、香辛料が複雑でな んとも言えない味でした。日本とは少し違う感じでしたが、 私はこちらのほうが好みです。 この店では中国料理の特徴を思い出しました。 ①選料厳格(材料の選択は厳格にさせる) ②刀工精細(切りは精巧で細密にさせる) ③調味講究(味付けるのに研究する) 特に複雑な調味料の使い方は真似できないなと思いました ④注意火候(火加減に気をつける) 食事の後の変面パフォーマンスに大興奮でした。こういった パフォーマンスが普通にレストランであるのはすごいなと 思いました この店でもやはり日本よりも食事を楽しむというのが強い かなと感じました 3 日目の夕食の海鮮料理(おそらく広東料理)はあっさりし て非常に食べやすかったです。 食事の際に、茨城上海事務所の植田さんよりいろいろな話を 聞くことが出来て、本当に充実した時間を過ごせました。 ‐27‐ 4 日目の昼食は盛り付けが綺麗で、いろんな種類の料理が混ざ っていました。 中華料理の奥深さを感じました。遅めの昼食で結構食べたのが 夕食に響くとはこの時は思っても見ませんでした(笑) 夕食は夜景が素敵な上海料理のレストランです 1階の大きなフロアで地元の企業の宴会があって大盛り上 がりでした。 大変美味しい料理でしたが、遅めの昼食でお腹いっぱいでし っかり食べれなかったのが非常に残念でした。味はやはり少 し濃いめの感じです。店からの夜景はとても綺麗で、天気が 良ければもっと素晴らしかったと思います。 ◆総括 今回我々が食事したレストランはおそらく少し値段が高い店でしたので、サービスなどもし っかりしていたのではないかと思います。僕が事前に聞いていた店員の態度がよくないとかい うのは少しだけしか感じることが出来ませんでしたが、サービスなどは日本は少しやり過ぎな のかなとも思いました。 日本と比較すると、料理の量などは少し多め(おそらく少し残すくらいの設定ではないかと ‐28‐ 思います) 、店員にはそれぞれ役割分担がきっちりしているように感じました。テーブルの担 当などがあるのは日本ではなかなか無いと思います。 今回食事で感じたのは味付けなどの種類がすごく豊富で、ものすごく奥が深いなと感じまし た。香辛料の使い方など、改めてまた勉強したいと感じました。食事だけでなく、お茶も豊富 で、やはり水があんまり良くないからこうした香辛料やお茶、油などの使い分けが発達したの ではないかと思います。 私が以前滞在した北アイルランドの中華料理とは全く別物でした。北アイルランドでは味付 けが濃く、大雑把な味付けだったように記憶しています。食材などの違いもあるかとは思いま すが、やはり現地に即した味付けになっていたのだと思います。 街中にあった食堂はベトナムのものとよく似ていて、出来れば一度食事してみたかったです。 建物なども本当によく似ており、雰囲気も都市部以外では非常に似ていました。蘇州で少し散 策した際の市場などはまさに私がベトナム滞在時に買い物していたところとそっくりでした。 “中国人は飛ぶものは飛行機以外、四足のものは机以外何でも食べる”なんてよく聞きますが、 どんな食材でも調理する方法を持っているというか美味しく出来てしまうからかなと思いま す。 食べるということに対しての意識は日本人とは比較にならないくらい強いと感じました。 以外にも地元料理しか食べないという方もいらっしゃるみたいで、何でも食べてしまうとい うのは少し違うのかなとも感じました。実際に飛行機で隣になった方は、地元料理以外ほとん ど食べないと言ってました 今回非常に印象的だったのは、現地の方は楽しそうに食事をされているということです。そ してよく喋る。 日本人ももう少しゆっくり食事を楽しむことが必要かなと感じました。 ただファーストフード店もかなり流行っているみたいで、若い世代は少し違ってきているの かもしれません。ちなみに日本にあるコンビニ(セブンイレブン、ローソン、ファミリーマー ト)があったのには驚きました。 いろんな国へ行っていつも感じていたことがあります。どこの国でも中国料理はあり、そこ で生活をしている中国人がたくさんいること。 実際に北アイルランドでは料理店の近くにア ジアマーケットというスーパーがありアジア全般の食材を取り扱っていましたがほとんどが 中国の食材でした。 イギリス、フランス、オランダ、スイス、アメリカ、ニュージーランド、 ベトナムでも必ずこういった中国料理の店というかコミュニティがあり、華僑の人が活躍して いました。 中国の人のバイタリティの強さなども当然あると思いますが、食に対する思いの 強さが一番影響しているのではないかと今回感じました。 このテーマはもう少し時間をかけて、追求してみたいなと思います。今回飛行機の隣の方が 行きも帰りも中国人でいろいろ話をさせてもらいました。オススメの料理を紹介してくれたり、 日本人にたいしてどう思っているかなど話してくれたり大変刺激になりました。 今回の研修では、ほんの表面しか見れていないと思います。ただ実際に行ってみて同じ空気 を体感できたこと、自分自身の目で見たこと、雰囲気を肌で感じれたことはとってもよかった です。 食べることをもっと楽しむ。これが今後のテーマになるかなと思います。 今回、訪問した上海からだけでなく、一緒にいった仲間からも大変刺激をうけました。 短期間でしたが、なかなか自分では出来ない経験ができ、成長することが出来たのではない かと思います。 ‐29‐ Ⅵ.中国人の食に対する思想と日本の魅力について 平戸 学 はじめに 今回、私は「中国人の食に対する思想と日本の魅力について」というテーマについて取り組み ました。1つ目の「中国人の食に対する思想」とは、私の職業(調理師)と関わりの深い料理に ついてです。中国の食文化や現在の中国人の食に対する考え方や嗜好について興味がありました。 もう1つの「日本の魅力について」とは、中国人が日本のどこに魅力を感じ、何に興味があるの か、それを知る事によって観光客を茨城・笠間に誘致できるチャンスがあるのではないかと考え たからです。 (1) 中国人の食に対する思想 皆さんご存知のように中国料理は世界三大料理の1つといわれており、現在では世界中で親 しまれどこでも簡単に食べることのできる料理となっています。中国料理は主に四つに分類さ れていますが、 国土も広く他民族国家のため郷土料理等をあわせると計り知れない数の食文化が点在して います。また、野菜や香辛料の種類が豊富で、調理法も炒(チャオ) ・爆(バオ) ・炸(ジャ)・ 煎(ジェン) ・煮(ジュ) ・蒸(ジョン)・烤(カオ)その他多くの調理法があるため、1人の 料理人が作れる料理は数万種類と言われるそうです。 中国料理の代表的な4種類 北京―味付けが濃く、豚や鶏などの肉類を素材にするのが特徴 上海―濃いものと、素材の味を生かした淡白なものの両方がある 広東―素材の味を生かす、さっぱりした味付け 四川―唐辛子、山椒等の香辛料をたっぷり使った辛さが特徴 このように歴史と技術がある中国料理ですが、最近の味や嗜好は変化しつつあります。街には ファーストフード店が沢山あり、洋食店や日本料理店、回転寿司店等も上海市内では珍しくあ りません。交流した学生から話を聞くと、普段は中国料理が中心ですが、ハンバーガーやパス タ・ピザなども好んで食べるそうです。年配の方は抵抗がある方も多いようですが、最近では 寿司や刺身も若者に人気のようです。日本も高度経済成長期に様々な食材や料理が取り入れら ‐30‐ れてきましたが、現在の中国でも同じような事が 起こっているのだと感じました。 上海市内に於いては、ほぼ日本と変わらない物 が食べられると思います。日本にあって上海で見 当たらない飲食店はファミリーレストランぐらい でしょうか。 食べ物に関してもう1つ気になっていた事があ りました。それは震災以降日本の食品をどう考え ているのか、ということです。現在中国では10都県か らの食品輸入を禁止しています。これについて何人かの 中国人に聞いたところ、多くの方は安全が確認できれば 食べます。特に気にしていない。という答えでした。私 達日本人、そしてその10都県に入っている茨城県民と しては嬉しい答えでした。 安全な物をしっかり確認せずに、適当な線引きをして 強引に決めてしまう国の政策と、冷静な国民の考え方に は多少ずれがあると思いました。 (2) 日本の魅力について 現在、来日する中国人観光客は年間100万人 を超えています。震災後は一時低迷した上海―茨 城便の利用者も、昨年11月には過去最高を記録 しました。その観光客は富裕層が中心ですが、彼 らは日本に対して何に魅力を感じ何に興味があ るのでしょうか。今回は残念ながらターゲットと なる富裕層の方と接する機会がなかったので調 べてみました。 「日本のどのようなところに興味がありますか?(複数回答)」 ・食べ物(日本食や和菓子など):47.6% ・アニメ・マンガ:45.0% ・伝統生活文化(茶道、華道など):42.2% ・電化製品、41.1% ・温泉:39.4% ・先端科学技術(ハイテク技術):37.7% ・自然・風景:36.3% ・ドラマ・映画:29.2% ・遊園地・テーマパーク:27.0% ・経済(経営、ビジネスモデル、):26.5% ・ゲーム:25.4% ・芸術(現代芸術、古典芸術など):25.0% ・化粧品・美容:24.8% ・ファッション:23.6% ・音楽:21.7% ・医療技術:15.3% ・現代建築物:14.3% ・歴史(城などの歴史的建造物、歴史人物):14.5% ※サーチナ総合研究所調べ ‐31‐ 結果を眺めてみると、日本国内のほとんどの場所が観 光資源になりえる事に気づきます。もちろん茨城・笠 間も可能性はあるはずなのですが、残念なことに茨城 空港へ降りた中国人のほとんどは東京都内 へ行って しまうそうです。初めは東京や京都などメジャーな場 所に行ってみたいという意見も多いようですが、茨城 県内でも中国人に興味を持ってもらえる場 所や施設 をアピールすることができれば誘致は可能 だと思い ます。ちなみに茨城県内の写真で最も中国人に人気が あったのは、北茨城・花園渓谷の紅葉だそうです。 (3) まとめ 茨城・笠間には海や山の自然、歴史的な建造物、笠間焼きなどの工芸品があります。 そして新鮮な魚や肉、野菜があります。とくに笠間の生産者の方々は安心安全を心がけ一生懸命 作っています。原発の問題で直ぐには難しいと思いますが、これらは間違いなく中国人にアピー ルできるポイントのはずです。 (元気 今回、私達は日中友好40周年記念事業の1つとして上海で行われている「活力日本」 な日本)の一部を見学することができました。これは震災時に中国が支援してくれた事に感謝し、 復興した日本の元気な姿を紹介するイベントで、物産、工芸品はもちろん、アニメや芸能も紹介 され日本人タレントもゲストに迎えた大々的な活動でした。今後、このような活動に積極的に参 加し、外国人観光客を呼び込めるインパクトのあるイベントや施設があれば、国際的な観光都市、 笠間として魅力のある街になるのではないかと思います。 Ⅶ.自動車から見る中国のコピー文化 青木 健治 最近では中国製の商品で様々なコピー商品が多く見られる。テレビや映画、CD などのいわゆ る海賊版。iPhone そっくりだけど、動作に難ありの携帯電話。豫園で見たのはテレビで見たこ 「ドラえもん」については逆にそれで個性にも見える気がす とのある「ドラえもん」のコピー。 るが、日本のアニメキャラクターも何の気なくコピーされているのが現状である。 人口も国土も大きい中国。マスコミで取り上げられるコピー商品はほんの一部かもしれない。 多い少なかれ日本のものをコピーするということは日本製が中国人に大きく影響しているに違 いない。今回は自動車を中心に中国人の心情や、中国国内の状況も私なりに分析したい。 この海外派遣事業では主に上海を拠点として研修を行ってきた。道路は右側通行。市街地は慢 性的な渋滞。交通規制は日本と比べると緩い、というかマナーが悪い。それは文化の違いである から否定するつもりはないが、気を付けないと信号が青で横断歩道を歩いていても車にひかれる 危険もある。 上海市内を走っている自動車に目を移すと、たくさんの外国産の自動車(いわゆる外車)を見 かける。フォルクスワーゲン、ベンツ、BMW、アウディ、プジョー、etc…。日本のメーカーも ‐32‐ 良く見かけた。トヨタ、日産、ホンダ、三菱、マツダ、スズキ、スバル、などのメーカーが確認 できた。 ちょっと多いが確認できた車名はマーク x、クラウン、クラウンマジェスタ、ハイエース、カ ムリ、アルファード、ハイランダー、ベルタ、カローラ EX、ヴィッツ、bB、カローラ VIOS、 プリウス、ランドクルーザープラド、エスティマ、アリスト、以上トヨタ。ティーダ、ティアナ、 サニー、ブルーバードシルフィー、スカイライン、スカイラインクロスオーバー、デュアリス、 エクストレイル、パスファインダー、セフィーロ、以上日産。シビック、オデッセイ、CR-V、 アコード、フィット、ストリーム、以上ホンダ。パジェロ、シャリオグランディス、グランディ ス、ランサーエボリューション、エアトレック、アウトランダー、ギャラン、以上三菱。アテン ザ、アクセラ、プレマシー、以上マツダ。SX-4,スイフト、ジムニーシエラ、エスクード、以上 スズキ。フォレスター、アウトバック、レガシィ、以上スバル。GS、LX、RX、以上レクサス。 日本名と中国名では車名を変えているものや、日本では販売していないものもあるので、上記以 外でも車名が確認できないものもあったが、日本車が走っているのを見て日本企業の頑張りを見 て微笑ましく感じた。 中国のメーカーが製造する自動車について、すべての車種がコピーされたものではないし、人 によってはコピーではないと感じる方もいるとは思う。どういった中国製自動車が日本を含めた 外国製自動車にコピーして似ているか。インターネットで検索すれば結構あることがわかる。ど のようなものがあるかは後で紹介したい。 こうしたコピー文化は今もなお続いているが、技術が追いつくまでは日本も同じようなことを してきた。工業製品の内部の設計は特にではあると思うが、日本もアメリカの製品を見よう見ま ねでコピーしてきた。それは、技術が確立されていない発展途上国においては仕方がないことか もしれない。私は終戦直後からの日本をリアルタイムで経験したことはないが、何か日本と違う ような気がする。日本は技術が追いついてくるにつれ、そうしたコピーをすることはなくなった。 しかし、中国は今現在で技術的に確立してきたように見えても、ますますコピー商品が増えてい るように感じる。 現在、医薬品、農薬、消火器、食品、家電製品、高級ブランドまであらゆるとこでコピー商品 が横行している。2011 年1月の新華社電によると、中国は知的財産権保護の重要性を一段と認 識するようになっており、近年はコピー商品の取り締まりに継続的に取り組んでいる。北京、天 津、山西、江蘇、広東、四川などの1級行政区が著作権侵害出版物・海賊版出版物集中廃棄活動 を一斉に行い、一回目では出版物を 520 万部ほど廃棄したという。中国では知的財産保護に重 きを置く企業はほとんどいないようだ。 中国でコピー商品に対しての規制は行ってはいるが、こうした規制に限らず統制がとれていな いのが、現状であろう。それは国土や人口、風土や文化、所得格差問題など、様々な要因が重な っての問題になっていると考えられる。 年に一度、東京モーターショーが開催されている。私も日程が合えば、見に行っている。10 年くらい前から足を運んでいるが、ショー自体もなんとなく出展量が減っているような、あまり コストをかけていないような、そんな感じを抱いている。自動車供給先として日本はもう過渡期、 衰退期。世界から見れば今後も多くの需要を望めるのが、中国、東南アジア等である。世界の自 動車メーカーは需要が多い中国のモーターショーにもさらに力を入れて PR しているように感じ る。私も行ったことはないが、東京モーターショーより規模も大きく賑わっているのではないか と思う。 そのモーターショーで注目をひくため各社ブースは大いに力を入れているが、中国メーカーも もちろん出展している。出展車はショーだけあって新型車などだが、そこにもコピーしたであろ ‐33‐ う車が見られる。世界が注目する場所で堂々と PR するのだから、それはそれで中国人の勢い、 コピーもデザインのひとつだというような感じにとれる。中国人だからできる、中国人だから成 せることなのかと逆に関心してしまうほである。 私はこの派遣事業において初めて中国に行ったのだが、このコピー商品には怒りすら感じてい た。個人的な話だが、私の以前乗っていた車は、トヨタのハイラックスサーフ(HILUX SURF) というものであった。何年前か忘れてしまったが、愛読している自動車の雑誌に中国車の特集が してあり、ハイラックスサーフに良く似た車が掲載してあったのだ。そして名前までも良く似て いる…その名は「SAFE(セーフ)」 。コピーが多いとは聞いていたが、外見から名前まで(内装 はわからないが)するとは考えられないくらい驚いた。たぶん車に興味ない人が見たのでは区別 がつかないだろう。 ただ、実際、中国へ行ってみると大した問題に感じなくなる。それは、中国の方へのイメージ が悪くなかったからだと思う。コピーも文化の一部ようにしてしまう彼らはすごい。日本人のよ うに、内気でなくどんどん前に進む積極性も見習うべきである。 先にも述べたように、コピー商品の撲滅へはまだまだ厳しい状況であると思う。 やがて内陸部、農村部、あちこちの都市がそれなりの発展を遂げてくれば、設計開発費、広告費 をかけずとも売れるコピー商品の恩恵に与らなくても良い時代が訪れる日がくるだろう。 コピー商品の規制に限らず、国としての法規制は、多くの人種を抱えている大国が国民と足並 みをそろえて世界と向き合うためにはちゃんと実行されないとまとまっていかない。政府はひと つひとつの問題とちゃんと向き合っていかなければ、早急な解決には至っていかないのではなか ろうか。最後に一部ではあるが、コピー自動車を紹介したい。 ホンダの CR-V トヨタのランドクルーザープラド ‐34‐ ベンツ C クラス (上:中国 下:日本) カローラ内装 (上:中国 下:日本) Ⅷ.中国人について 渡辺 忠英 日本を追い越した経済大国、多くの日本企業はその経済にあやかり、距離的にも近い国、にも かかわらず何故か絶対的な信頼を感じられない国。しかし今後の交流は不可避であり理解を深め るべきは人なのでは、ということから中国人について知りたいと思いました。 「うるさい」 「謝らない」 「ニセモノを作る」「マナーが悪い」これらの日本人が思い描いてい る中国人像には理由がありました。人口の多い中国では生存競争が激しく、生きていく為には自 己主張が必要。だから必然的に声が大きくなる。そして相手より声が大きければ「勝ち」であり、 勝った者が偉いという価値観を中国人は持っている。勝つ為には過ちは認めてはならず、たとえ 悪いと分かっていても謝罪はしない。勝つ為には他人をも騙す。騙すより騙される方が悪い、子 供の頃からの教えだそうです。 これらの考え方の根底は何なのか。吉田隆著「中国人はなぜうるさいのか」(講談社)にはこ う書かれています。現在の中華人民共和国は 1949 年に建国されたが、それは選挙ではなく「力」 によって作り上げられた。毛沢東の共産党と蒋介石の国民党との間でおきた覇権を争う内戦で、 負けた国民党は台湾に渡り、勝った共産党は中国本土に建国をした。共産党という独裁政権は現 在まで続いているが、この独裁社会では頂点に立つ者の考え方で社会の仕組みを変えてきている。 中国が法治国家でなく人治国家と言われる所以であり、人民もその政治に慣れてしまっている。 人民は支配する側に少しでも近づき恩恵を受けたい、なので勝ちにこだわり上昇志向が強い。 ‐35‐ 今回の上海視察中に、様々な「勝ち」にこだわる場面に出くわした。 【道路にて】 道路の光景を見た時にこの国の人口の多さを感じた。車、バイク、自転車、歩行者が入り乱 れており、信号はあるものの交通ルールはあるのだろうかと思った。車もバイクも容赦なくク ラクションを鳴らし、歩行者も負けまいと車が行き交う中、中央線を平然と歩いている。常に 隙を見て我先へと急いでいる。というより、のんびりしていると恐らく少しも進めない気がす る。まさに道路の中は戦争の様で、何度も「危ない!」と声を上げそうになった。 【商売・仕事】 豫園に行った時のこと、観光地だけあり露店が数多く出ていた。同じ様な土産物屋が並ぶ中、 自分のところで買って欲しいと大声をあげる。中には腕を掴む者もおり、勝ってもらうまで離 さない勢いだ。仕方なく商品を見れば偽物のミッキーマウスのキーホルダー。明らかに偽物だ が、ドラえもんやアンパンマン、スーパーマリオ、マクドナルドのドナルドもあった。少しで もコストを抑えるためなのだろうが、全員にミッキーのような耳が付いてしまっている。路上 には「ルイヴィトン 300 元!」の叫び声。商売の熱心さ?は他でもみられ、市内高級茶店、空 港の免税店などでも購入させるのに必死であった。 電気部品工場では従業員が黙々と仕事をしていた。こちらが見ていても全く気にせずこちら を見る様子もまるでない。すごい集中力だと思った。しかしラインの見学を最後列で通過後、 うしろを振り返ると、多くの従業員が話をしながらこちらを見ている。上司の前では評価をあ げたい、あとはそれなりに、そのような印象を持った。案内をしてくれた阿部さんも言ってい た、従業員の管理が大変であると。 【建築】 極端なほど密接したマンション群を見て競争世界を感じた。日本の建築では当たり前に見ら れる建物と建物の間隔が全くない。例えば、防火の為や日照権を考えた間隔、環境に配慮した 緑地など。日本の建築では 13 階程度のマンションが多いがこれは火災の際、消防車のはしご が架けられる高さでありそれ以上の高さになると非常用のエレベーターが必要になる。これだ け高層マンションが立ち並ぶこのあたりでは、火災が起きればかなりの延焼を巻き起こすので はないかと思う。業者の儲け主義からこういった住居ができているのだろう。帰国後ネットで 調べれば、欠陥住宅の情報がたくさん出てきた。火災で丸焦げになった高層マンションや、最 上階でないのに雨漏れする部屋、中には 1 棟そのまま倒壊したマンションもあるようだ。 とは言ってもこれだけ多くのマンションを建てられるこの国に、もの凄いエネルギーと勢い を感じた。 【学習】 日本語学校の生徒たちとの交流では彼女らの勉強時間に驚いた。8 時過ぎから夜の 11 時頃 まで、ほとんど勉強の時間にあてているらしい。当然、友達との遊ぶ時間はない。日本の大学 ではよく見るキャンパス内での若い男女の戯れもここではほとんど見られない。変わりに室内 ‐36‐ で黙々と勉強をしている学生の姿が目に映った。 街中でも学習意欲の高い人達を多く見た。ガイドをしていただいた周さんはじめ、日本語の 話せる人がたくさんいる事に驚いた。その大半は日本に 1 回も行った事がないという。日本人 で海外生活をせずにあれだけ流暢な外国語をしゃべれる人は何人いるだろうか。 ここまで見てきて、日本人と中国人の間で大きな違いがあることを知りました。日本の比で は全くないくらいの競争社会の中国では、勝つか負けるか生きるか死ぬかの生活を皆日々おく っている。なもので上昇志向が強く、努力を惜しまない。これが大きな経済発展にも繋がって いる。反面勝つ為には、時には自分勝手とも思える行動をする。広東省で起きた 2 歳児ひき逃 げ事件などはその最たる例なのでは。 全体的にみれば中国人に対して尊敬もするが違和感の方が多い、上海視察の終りころまでそう 思っていました。しかし、こうも思いました。世界的に見てスタンダードなのはどちらなのかと。 日本人が海外旅行に行く際に添乗員らに必ず言われる「荷物は肌身離さず、置引きに注意」。日 本にいる感覚でいると盗難にあいますよという戒めの言葉だが、世界中の人にとっては当たり前 の話らしい。常に自分は安全であるという過信は、裏をかえせば自己責任のなさ、感覚の鈍さに 繋がっている。 上海の光景の中で、道路上での出来事にこの縮図を見た気がした。あれだけ「危ない!」と声 をあげそうになったものの、一度も事故は目撃しなかった。勝ちへのこだわりからか全員我先に と急いでいるように見えるが、そこには「暗黙の優先順位」と「究極の自己責任」が存在してい る、だから事故が起きないのでは。 中国人が勝ちにこだわる先の例でもそれが当てはまる。視察先の電気部品工場では毎年 6 割の 従業員が入れ替わるという。仕事は自分の為にやっている、そのため高い給料が得られるのであ れば迷わず他へ行く、自己責任のもと転職をしており、雇う側もそれを暗黙のルールとしている。 建築の規制が一見少ないように思えるのも自己責任、選んだ人は失敗しても文句は言わない。学 習意欲が高いのも、そうしないと弱者は社会から取り残されるということが分かっているため。 日本では、交通ルールがしっかりしているようだが、毎年 3 万人もの人が亡くなっているし、 終身雇用に守られた従業員は、雇用調整で解雇なんてことになると猛烈に抗議しあげく路頭に迷 う。建築の規制は厳しく土地の利用が大きく制限されており、有効活用ができているか疑問であ り、学習をしない日本学生の学力低下は言われて随分久しい。 中国人について知りたいと思っているうちに日本人の習慣、思考を反省する事にもなってしま った。日本人にとって時に不可解に映る中国人の行動は、厳しい世界を生き抜く為には必要不可 欠なことなのだろう。最近の中国首脳らがよく使う言葉に「中国模式」という言葉があるそうだ。 英語に直すとチャイニーズモデル、スタイル、スタンダード。中国首脳らはこの言葉を、従来と は違う独自の発展モデル、スタイルを指して言っているらしい。日本を追い抜き、アメリカに迫 っている国の自信のある言葉に感じる。この言葉に興味を持ち、近藤大介著「中国模式の衝撃」 (平凡社新書)という本を一読した。政治、経済、外交など現在の中国の姿を紹介しているが、 著者は書中に中国を「昇龍」と表現し、逆に日本を「落日」と記している。まさに対照的であり、 中国は闇の部分もあるけれど、勢い、潜在力は日本のはるか上であるという。 ‐37‐ しかしそんな中でも、日本が中国に今後も勝っていくのであろう事柄が3つあるという。その ひとつが「サービス力」。日本のサービスは世界的にみても群を抜いて高い。1 例としてコンビ ニでのやりとり、日本では店員が笑顔で応対し、商品は袋につめ、客が持ちやすいようにと袋の 先端を丸めて手渡ししてくれる。これに対して中国では、客がレジに並んでいても店員が来ない ことだってザラにあり、商品は投げて渡す、もちろん挨拶、会釈など望むべくもない。今の中国 社会に巣食っているのは不信と不公平の連鎖であり、このような社会ではサービス文化など普及 するはずがない。これに対し日本は相互信頼と公平さを基調としており、心からのもてなしが可 能となる、とのこと。 中国での「サービス」は確かに良くなかったが、そんな中でもいくつかのシーンではちょっとし た心遣いにほっとさせられた。 ・視察先電気部品工場での一部従業員の「いらっしゃいませ」のあいさつ ・蘇州物流センターや養楽多工場での私達を出迎えてくれた welcome ボード ・レストランにてトイレを探している様子を察しての店員さんの案内 ・時間外に行ってしまったホテルの朝食会場にて、食事ができない事を申し訳なさそうに 謝ってくれたホテル従業員 ・前日に行ったマッサージ店にて忘れ物の品をきちんと保管してくれていた店員 ・接客をしてくれていたが中国語がわからないと知ると、急いで日本語や英語の喋れるス タッフを探してくれた洋服屋の店員 2010 年に日本の内閣府の発表した中国に親しみを抱いていない人 77.8%、中国人が嫌いな国 第 2 位が日本。気になる数字ではありますが、お互いの理解がすすんでいないからであろう事か ら生じる数字でもあるかと思います。私自身、今回の視察くらいではこの隣国について完全に理 解したとは言えませんが、実際に見たこと、聞いたこと、調べたことにより、かなり捉え方が変 わりました。今後より理解を深め、どう交流し、どう貢献できるか考えていきたいと思います。 ‐38‐ 7.海外研修見聞記 団 長 西川 茂明 (キャニヨン株式会社) NISHIK A WA SHIGEAKI まずは行く前にインフルエンザにかかってしまい体調が万全でなく、いろいろご迷惑をおかけ してしまいました。体調管理の大切さを身にしみて痛感しました。団長としての役目をきちんと 果たせなかったのが今回の一番の反省点です。ただ一緒に行った仲間が皆とても素晴らしかった ので、何も問題なく研修を終えることが出来、本当に感謝しています。 今回研修でいった工場や施設は個人の観光ではいけない場所なので非常に良かったと思いま す。実際に現地で働いている日本人の方とお話できたのはとっても刺激になりましたし、上海大 学の学生たちとの交流も良い雰囲気で出来たと思います。一生懸命働いている方、勉強している 若者とコミュニケーションをとれたのは自分にとっても大きなプラスでした。 上海は自分が思っていたよりも都会で、圧倒されることが大きかったです。まだまだビルなど が建設中で、現時点でも発展途上だということに少し焦りを感じました。 笠間とのつながりを持たせるためには、もっと日本の文化、笠間の観光名所など PR する必要 があると感じましたし、僕自身ももっと中国のことを学ばなくてはいけないと感じました。 今回こちらから行きましたが、中国からこちらへの研修というのも良いのではないかと感じま した。その際は工場見学など協力出来る所はさせていただきたいと思っております。 今回一緒にいった方と交流が出来、今後又一緒に何か出来ればと思っております。結局は人と 人とのつながりしかないと思いますので、これから積極的に色々なことに関わっていきたいと思 います 本当にありがとうございました。 副団長 根本 悠香 (グリュイエール) NE MO TO YUK A 高々とそびえる高層ビルや富裕層が所有するリッチなマンション、日本の節電傾向なんて全く おかまいなしのギラギラした夜景、絶え間なく鳴り響く車のクラクション。私にとって初の上海 は、想像以上に衝撃的な場所だった。 事前にネット情報や本を読んで「中国」や「中国人」について知識を入れていったために、 「中 国人はズルイ、うるさい」といった悪印象が先走ってしまったが、現地で数日過ごしてみた感想 は、「友達としても、例えビジネス関係になったとして分かりあえる」ということだ。実際に、 現地ガイドの周さんはとても真面目で、私達を時間ぴったりに誘導してくれたし、聞けば何でも ‐39‐ 教えてくれた。夜に出かけたマッサージ店では、施術してくれたお兄さんが一生懸命中国語を教 えてくれて、私に覚えたての中国語でコミュニケーションをとる練習をさせてくれた。(お陰様 でマッサージ店に行ったら、伝えるべき最低限の言葉は覚えられた)上海外国語大学の日本学科 の生徒達は、みんなとても可愛らしく日本人よりも慎ましく感じたくらいだ。もちろん付き合っ ていくためには、文化や習慣の違いをよく把握することを前提とするし、ビジネスでの関係を持 つ場合、油断は禁物、上に立った場合は必要な監視と教育を行うべきだとは感じたが、中国人と の付き合いも「人」と「人」との付き合いであることに変わりはない、というのが私の感想だ。 また、今回私がレポートを書くテーマとして選んだのが「上海でビジネスをするなら」という ことであったので、各研修先では特に「中国人を雇用するということ」「中国での雇用環境」が 気になった。欲を言えば、それぞれの研修先でもっと時間をいただきたかったし、他の企業にも 伺うことができたらと思ったが、本当に多くの方のお力で実現できた研修だと強く感じている。 「得たい」と思えるき 逆に言えば、そういった欲をかいてしまうくらい、刺激的で、 「知りたい」 っかけをくれた研修になった。 今回の研修では、先に挙げた衝撃的な第一印象を始め、その他上海から強いパワーを受けた。 目に映ったすべてを見逃さないように観察し、様々な物事を考え、自分自身を見つめ直す機会に もなった。中国を知ろうとして日本を感じたし、日本人としての自分、茨城県民としての自分、 さらには笠間市で商売をしながら生きている自分を感じた。上海から比べたら笠間市は小さいと 感じる人も多いかもしれないが、笠間市とここに住む人々にも大きな可能性と魅力を感じていた。 旅行気分で参加した団員は一人もいなく、皆必死に自分に役立つ何かを得ようとしていたよう に思う。 最後に、今回お世話になった全ての方々にお礼を申し上げます。貴重な経験をありがとうござ いました。 団員 舘 さとみ (筑波大学人文社会科学研究科) T A CHI S A TO MI 日本人が中国に抱いているイメージは、ネガティヴなものが多い。たとえば、マナーが悪く、 自己中心的な振る舞いをするとか、反日的な感情を抱いているとか、日本人観光客をだますなど。 それらの行為は、日本の文化に浸りきっている私たちにとっては、理解しがたいものであり、批 判したくなるようなものでもある。しかし、今回の研修でもっとも印象に残っている言葉が、そ の日中の文化的な溝を埋めるヒントになったように思う。 印象に残ったその言葉というのは、茨城県庁上海事務所でお会いした植田氏の話のなかにあっ た。植田氏は、中国に駐在することになって、同じ一つの出来事についての報道が、日本と中国 とでは全く異なっていることに驚いたそうである。中国の経済成長率が前年比をわずかに下回っ ただけでも、日本の新聞は中国経済に対して否定的な見解を出す。しかし、中国の経済はまだ十 分な余力を残しており、中国国内においては、誰もそのような多少の減速を嘆いてはいない。日 ‐40‐ 本あるいは中国の新聞のいずれかが嘘をついているというわけではない。そのような見解の相違 が生じてしまうのは、同じ一つの出来事でも、それを受け取る国によって解釈は異なるからであ る。 同様に、同じ一つの身振りや一つの言葉でも、それが発せられた場所が違えば、その意味する ものは全く異なることとなる。中国のレストランやホテルで、従業員が無表情で愛想がなくても、 それはこちらに対して嫌な態度を示しているわけではない。また、中国では、親しい者どうしは 「謝謝(ありがとう) 」をあまり言わないそうであるが、それは、その言葉を発することが、親 しみよりもよそよそしさを表してしまうからだ。 つまり、身振りや言葉は、その国や地域に根差した独自の意味を持っており、それらの一つひ とつが寄り集まって、その文化的体系の全体を作り上げている。したがって、相手の身振りや言 葉を、こちらの文化的体系においてとらえようとしても齟齬が生じてしまい、相互理解がはかれ ないのは当然である。異文化との交流をはかる際に重要なのは、その身振りや言葉をこちらの文 脈において了解するのではなく、自らが相手の文化的体系のなかに身を置き、その意味を理解し ようと努めることではないか。 団員 青木 健治 (茨城中央農業協同組合) AOKI TAKEHARU 2月21日~25日の中国の研修において、一番印象に残ったことは中国の街並みや人々の勢 いである。小学校の頃習った中国とはまるで違うもので、 「発展途上国」というイメージからは 想像もできないほど、大国になっているというのが率直な印象だ。上海を見て高層ビルの多さ、 人の多さには衝撃を受けた。上海市の統計局発表では2010年11月現在で2301万910 。中国政府は現在 0人になり、10年前より628万ほど増加したと言われている(共同通信) も一人っ子政策を行っているので、政策がちゃんと実行されていれば人口は減少するはずである が。上海などの大都市は内陸部や農村部からの移住者もあるので、逆に増加しているようだ。 日本の首都東京の人口は1317万5079人(平成23年4月1日)である。面積では東京 の方が小さいが、あふれるばかりの人がいて、ちゃんと雇用もあるというのが、まだまだ成長し ている証でもあるのだろう。日本のように一つの会社に勤めあげるというこはまるでなく、少し でもいい条件があれば自分を売り込んでいくという中国人のスタイルは、日本人にはあまり見ら れないものかもしれないが、見習うべきことでもあると思う。 70億人とも言われる世界の人口の中で、中国が13億人というかなりのウエイトを占めてい る状況は今も変わらないが、都市に多くの企業が参入して経済が発展してある程度人件費になれ ば、また別な都市に参入となっていくのだろうか。人口があれば内需で経済が回る。日本の高度 経済成長時代を経験したことはないが、経済が上向きならば人々にもやる気が生まれる。それが 目に見えて感じた「勢い」であった。 ‐41‐ 団員 江田 和輝 (HODUMI) E D A K AZ UKI 今回、上海への笠間市青年海外派遣は非常に密度の濃い時間を過ごさせて頂く事ができました。 たくさんの経験の中でも特に一番印象的だったのは、普通にいる現地在住の日本人との何気ない 会話でした。夜、ホテル近くのかなりローカルお店でセルフサービスのシステムがわからず入る かどうか迷っていたところ、たまたま現地在住の日本人がそのお店に入るところで、そのお店に 一緒に入ることができました。そして、その方と雑談の中で日本と中国の話になりました。「今 までは、出稼ぎで日本で働く外国人が多かったが、これからは、日本人が外国に出稼ぎに行くよ うな時代になる可能性もある。そして、現に上海にそういった日本人が10万人以上いて、ここ 2〜3年で増えてきている」とのことでした。これは、ただの雑談であり、事実ではないが、一 般人が肌感覚で感じていることが、この何気ない会話にあるのではないかと感じさせられた出来 事でした。そして、こういったことが事実になることもそう遠い未来ではないのではないか、と いうような危機感を持って個人一人一人が生活をしていくべきだと思いました。 団員 小 薬 猛 (かさまグリーンハウス) K OG US URI T AKES HI 今回、笠間市の代表として中国研修に参加させて頂き、内ばかりを見るのではなく、外へ目を 向けるべきなのだと感じました。今の自分の仕事・家庭・社会環境を、どうしても見える範囲の 中だけで評価・判断してしまい、世界観を狭めてきたのだなと思います。震災による支援活動や 仕事上の研修にて、国内の各地域の方たちと出会えるだけでも大変な勉強となると思っておりま しが、今回のように、中国という言語・文化・風土といった自分が全く経験したことの無いもの や、異国の人との出会い、交流により、いかに自分は世界を小さく見ていたのだろうと痛感しま した。 なにより中国人の向上心には一番驚かされました。よい大学を出ることで、よい会社に入り、 よりよい生活を送ることをステータスとしているとの事で、小さい頃から学習に励み、昔のよう に外で遊ぶ子供の姿は、今はみられないとの事でした。就職してからも、自分を磨き、より評価 してもらえるよう自分の持っている能力は主張し、評価してくれる会社への転職を続けるアクテ ィブさは、今の日本には無いものだと思います。 この5日間で私が経験したこと、感じたことを、もっと若い世代の方、これからの日本を担っ ていく子供たちにも知ってもらい、どんどん世界に目を向けてほしいと思いました。私もその為 のお手伝いが出来れば、幸いかと思います。 ‐42‐ 団員 平 戸 学 ( 魚 福 ) HI RAT O MAN AB U 私は数年前、仕事の都合で北京に住んでいました。当時はオリンピックに向け凄まじい勢いで ビルや地下鉄ができ、日々街が変化していったのを鮮明に覚えています。今回上海は初めての訪 問でしが、高層ビルが立ち並び地下鉄や高速道路が整備され、ブランドショップが点在する町並 みは、中国の経済成長の凄まじさを改めて実感することができました。さらに上海人の活気は、 まだまだ成長を続ける証だと思いました。 今回この研修では、なかなか個人では行くことのできない工場見学もありました。もっとも印 象的だったのはその中で働く中国人の姿です。私は中国人に対して、おしゃべりでダラダラする イメージを持っていましたが工場の中は違いました。皆、黙々と自分の仕事を進め目標生産量を はるかに上回る仕事をこなしていたのです。また、大学の交流会でも、中国の大学生達は遊ぶ間 もないくらい勉強をしていることを知りました。 これらは私にとって貴重な体験で、とても刺激を受けました。 笠間に住み仕事をしていると、外の世界を見ることがなかなか出来ません。それは自分次第で どうにかなる事かも知れませんが、このようなきっかけがないと難しいと思います。今回数年ぶ りに外から笠間を見て思った事、感じた事が沢山あります。今後この経験を踏まえて、私は地元 笠間に何が出来るのかを改めて考えていきたいと思います。 最後に、今回一緒に参加したメンバー、上海でお世話になった方々、そしてこのような機会を 与えて下さった方々に感謝いたします。 団員 渡辺 忠英 (日新シャーリング株式会社) WA T A N A B E T A D A HI DE 「百聞は一見にしかず」という言葉があるが、正に今回の視察ではそれを感じました。もとも と中国に対する知識はそれほどなく、あるのは過去 1 回の渡航経験と数人の中国人友人との触れ 合いだけでした。 上海視察行きが決まった時から中国という国について随分と興味が湧きました。それと同時に こんなにも日本に入ってくる中国の情報が多い、それだけ中国という国は日本にとって重要度が 高いのだと感じました。新聞を見れば中国関連の記事が載っていない日は 1 日もありませんでし たし、書店に行けば中国に関する書物があふれかえっていました。また中国に関する情報につい て、友人の中国人に話を聞き真偽のほどを確かめたりもしました。 現地に入りましたら 5 日間はあまりにも短く、見たいもの、知りたいことを充足するには至り ませんでしたが、新たな発見や感動、事前に得た情報をより鮮明に脳裏に焼き付ける事ができ、 ‐43‐ 大きな経験が出来た事には満足感一杯です。今回は中国という国、とりわけヒトについて見る事 をテーマに掲げましたが、心残りといえば彼ら彼女らとさしたる会話もできなかった事でしょう か。言葉ナシでもコミュニケーションが図れた部分もありましたが、やはりそれなりの言葉を発 しなければより深い交流は図れないと思いました。事前の準備が足りなかった事、悔やまれます。 茨城県上海事務所を訪れた際の話から、また上海世貿商城にて行われていた日本活力展の開催 など、茨城県、笠間市では外国人観光客の受け入れに力を今後更に入れていくとのことを知りま した。茨城県以外にも日本の各地方都市では中国からの集客に力を入れているそうです。中国人 にとってのゴールデンルート以外では、映画のロケ地になったことから来訪者が増えている北海 道や、食で勝負を試みている島根県、LCC就航をきっかけにしたいと意気込む佐賀県など、様々 な施策にて挑戦をしているようです。 茨城県に中国人を呼び込むのはむずかしいよ、中国人の友人の言葉です。彼らの今までの考え 方では望みは薄そうです。しかし、バブル経済のやや冷めつつある中国国民の中には、派手さや 見栄を重視する観光から、食や健康、教育などの為に日本を訪れたいと思っている人たちもいる ようです。これほどまでの経験をさせて頂きました、多少なりともこの経験を生かし、わずかで も地域振興に役立てるように尽力したいと思っております。 ‐44‐ 8.海外派遣事業を実施して 第3回目となる笠間市海外派遣事業は、社会人を中心に募集をし、8 名の方に参加を頂まし た。昨年に引き続き「中国」を視察先とし、発展著しい「上海市」の現状を直接現地で学ん でもらうこととしました。 今回は、「上海市」を中心に、茨城県上海事務所での研修、日本から上海に進出した企業の 工場視察、蘇州物流センター視察、上海外国語大学の日本語を専攻している学生との文化交 流などを行いました。 研修生の皆さんには、この研修会を通じて日本で報道されている中国と現地での実状との違 いを知ることで、国際社会・国際経済を正しく理解する考え方や、国際感覚、国際理解の精 神を養うことができたと思います。 さらに、随行した私自身も中国に対して意識して情報を見るようになりました。今回、東日 本大震災があった際、中国の救援隊 15 人が国際救援隊の中で最も早く日本に来てくれ、 3,000 万元(約 3 億 6 千万円)の緊急無償人道支援を行い、さらに燃料油 2 万トンの提供等 その援助は今までにないものであったことが、今になってわかりました。 どうか研修生の皆様も、この研修をただの経験で終わらせることなく、これからの人生に生 かしていただければ幸いです。 最後になりますが、この研修を実施するにあたり、多大なるご支援をいただきました小薬正 男様、研修地の手配及び研修先案内をしていただきました茨城県上海事務所の職員、現地工 場の皆様方、上海外国語大学生の皆様、多方面でご指導いただきました関係者の皆様方に心 から御礼申し上げます。 笠間市 市民活動課 謝謝 ‐45‐ 平成 23 年度 笠間市青年海外派遣事業 報告書 発行 編集発行 平成 24 年 3 月 17 日 笠間市市民活動課まちづくりグループ 〒309-1792 茨城県笠間市中央3-2-1 ℡.0296‐77‐1101(内線 135) ‐46‐