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1 第 27 回 ジェンダーズの会 テーマ:田中美津「いのちの女たちへ とり乱
第 27 回 ジェンダーズの会 テーマ:田中美津「いのちの女たちへ 第Ⅳ章 とり乱しウーマン・リブ論」 子殺しの女とリブ を読む 日時:2014 年 2 月 7 日(金)18:30~20:00 場所:ゼミ室 6 発表者:藤縄真美子 参加者:11 名(司会:谷津 1. 書記:星野) プレゼン内容 「王様は裸だ!」 「エロス試論へ向けて」 参考資料として、2003 年 11 月に内閣府が出した「ワーク・ライフ・バランスに関す る意識調査」結果速報を使用する。 2. ディスカッション 「男は仕事、女は家庭」と思うようになったのはいつからなのか。商売を行っている 人も多いため、自然な形で女性は家庭のことをやりながら、仕事も行ってきていた。 「男は仕事、女は家庭」ということに対して、意識が変わってきたように感じるが、 最近のデータをみると、以前と意識はあまり変わらない。 幼い頃は、母親が専業主婦で家庭にいること、父親が仕事をすることが自然な形だっ たし、そのことに対して、疑問を抱いていなかった。しかし、女性は外で仕事をして きても、家では家事を必ずやらなければならないという暗黙の了解がある。以前は、 母親が仕事終わりに家事をすることが自然であったが、今となっては、その姿に怒り を感じるようになった。 1 女性は、男並みの仕事することで、社会で認められる。女性が仕事をすることで、自 分自身のアイデンティティの形成につながるはずなのだが、日本の社会組織の中で は、つぶされてしまっている現実があり、消極的な選択が迫られている。 一般的に、内閣府が行う質問調査には、男性と女性が逆の立場からのものがあるのだ ろうか。もしも、内閣府が行う質問調査に、逆の質問があったのならば、どのような 結果が出るのだろうか。 著者の田中美津は、本文の中で、男社会で頑張ろうとしている女性もまた敵であると 言っている。 女というアイデンティティをどこにおいて良いのか、自分で悩んでいる。いくら考え ても、答えが出ない。生育環境としては、両親が共働きで、母親は保健師で働いてい た。母親は、家事と外の仕事を両方ともこなしていた。今考えてみると、母親は家事 と外の仕事を両方やっていたのは、大変だったのではないかと思う。今現在は、父親 が家事を手伝うようになったが、もう少し若い頃から家事を少しやってくれたら良か ったのにと思う。母親と父親が同じように働いているときに、子供に何かが起こった 場合、母親と父親のどちらが休暇をとるのかということを考えるが、母親が休暇をと る場合が多いのではないだろうか。 夫婦で美容院をやっている家庭の話だが、同じ場所で働いているにも関わらず、母親 が仕事終わりに家で子供を沐浴し、父親は仕事終わりに外に飲みに行っていた。女性 が歳をとり、育児が一段落し、外に出たいと思うようになると、今度は、男性は若い ときに外にいることが多かったためなのか、家でゆっくりと過ごしたいと考え、妻に は家にいて欲しいと思うようになる。そのため、男性は、女性が外に出ようとするこ とを邪魔することがある。その構造自体が、男性優位になっているように感じる。 本文の「王様は裸」が書かれた時代は、より閉塞した空間に女性がいたのではないか と思う。そのため、世間に女性のその苦しさを伝えようとしたと思うが、それがなか なか伝わらなかったのではないかと思う。女性は男性の扶養内で働くことで、所得控 除となるため、103 万円を超えないように働く体制をことが多い。女性が社会に出る ことで、子殺しとか虐待といった社会的な問題が変わってくるのではないかと思う。 もちろん今度は逆に、保育所の待機児童などの問題などが出てくると思う。 「王様は裸」が書かれた時代の後は、オイルショックが起こっており、著者の田中美 津はそれを予期して書いていたのではないだろうか。 シングルマザーで子育てを行っている。出産の時についていた助産師に、「子どもを 殺したくなる瞬間がある」と話された。出産直後にそのことを言われたときは驚いた 2 が、半年後、自分の身にしみることがあった。子どもの夜鳴きで全然眠れなかった が、夫は全く育児に協力をしてくれなかった。母親だから、自分が子育てをしなけれ ばならないという気持ちになった。自分が眠れていないと、自分が考えてもいないよ うなことをしてしまう自分がいて、そんな時に、「子どもを殺したくなる瞬間があ る」と助産師に言われたことを思い出した。夫には、子育てを一緒にして欲しいと思 うが、思っているとおりに返ってこないことが、不満につながる。 大日向先生はある講演会で、「子どもを殺したくなる瞬間があるか」と会場で質問す ると、80%の女性が賛同した。しかし、ある会場にいた男性が、その結果が逆なので はないかと反論した。男性が、こんなにも育児に対して、女性が抱く気持ちを理解し ていないのだと思った。 日本では、マスメディアが「リケジョ」「イケメン」というような綺麗な言葉でオブ ラートにし、本質的な問題を隠していることが多い。 以前の調査結果で、なぜ理系の女性は少ないのかという質問に対して、家庭で家事を 遂行しなければならないという理由が多かった。国家をあげて、理系に強い女性を支 援するというプロジェクトが立ち上がったが、本質にある原因と違う観点からプロジ ェクトが立ち上がっており、根本的な部分がずれているように感じる。 最近話題になっている小保方さんに対して、マスコミの取り上げ方が、服装のブラン ドはどこなのかといった、まるでファーストレディーのような取り上げ方である。根 本にある研究内容の方が重要なのではないだろうか。日本全体的にみても、医学部に 進学する女性は増えてきている。一方で、東大出身の高学歴の女性は、合コンでもて ないという話もある。 紀子様と雅子様でどちらが良いかという質問があったときに、世間一般的には、女性 でキャリアがある人より、かわいらしい人を選ぶ傾向が強い。男性は、容姿ではな く、学歴が少なく、支配しやすそうな女性を好む傾向にある。まるで、奴隷頭のよう だ。 奴隷頭の奴隷は誰のことを指すのだろうか。誰が、奴隷だったり、奴隷頭から解放さ れた人なのか。 奴隷じゃない人は、資本主義社会であり、著者の田中美津は、恨んでいる。 先ほど「子どもを殺したくなる瞬間がある」と言った助産師は、ある種逸脱した行動 を起こしており、母親に対して、取り乱してもよいということをアピールしている。 そこまで追い詰められた母親を境地から支えるには、やはり女性自身が、世の中に必 死にアピールしていかなければならないと思う。 3 赤ちゃん連れの母親が、泣いている子供の顔を見る人のことを、すごくよく見てく る。その時にこそ、リブ魂を伝えることが大事だと思う。 「女の夜が介してのことだ。主婦は何で自分を耐えているのか。エクスタシーとか SEX が、実は、男たちが社会でしていることに近い。自己凝固としての生産性のある 仕事に没頭している。女性は、夜の生活の中で、男の中でしか自己凝固活動ができな い。セックスは、自己凝固活動であるのと同時に、仕事に通ずるものである。」 (p.204)ここの一説は、子宮とかの比喩を使っており、女性は産む性ということを 象徴している。 女性が男性と平等であることを示すときに、子どもを産める体であることをアピール することが多い。 生物のシステムとして、女性にしか子どもを産むことはできないが、子どもを持ちた いと思う気持ちの根底はどこにあるのだろうか。女性は、子どもを支配したいのか。 本文の中で、「未婚の母親は最高だ」と話す部分がある。妊娠して生みたいと思った ときに、生むことができる社会が良いのではないか。それは、社会構造も関係してお り、産むか産まないか、奴隷頭になるか、結婚によって相手の家庭、特に小姑・舅も ついてくる。 女性目線では、結婚しようがしまいが良いのだが、男性の立場から考えてみると、父 親になる機会をなくしてしまうことになるのではないか。そのため、今の日本の制度 ができているのではないかと思う。女性が結婚をしないことを選択する人が増える と、男性は父親になる機会を逃すため、そのことを必死で止めるのではないかと思 う。 日本の根底にある家父長制に、そもそもの問題があるのではないか。女性が中心にな れば、問題が少ないのではないか。 私たちはアイデンティティをどこに持つかで、ものの見方が変わってくるのではない かと思う。世界を見渡すと、女性が家庭に入って子どもを持つことにアイデンティテ ィを持つ人たちもいる。婦人科で勤務していて感じることは、子宮を残したいという 女性が多いことである。女性は、出産が終わっていても、子宮に価値を持つ人が多 い。 日本人は特に、自分が子どもを産むことや自分の子宮を使うことに、こだわる人が多 いように感じる。 女性がは本音を言うことが多いが、男性は建前と本音を分けている。 4