Comments
Description
Transcript
萩は日本では最も普通なマメ科植物の一っ であ り, また日本人には万葉
東 京 大 学 理 学 ―一-5 昭和 白鳳丸航海 KH 73-4 葉 山 縦 走 記 の 近 況 “太日さん"有 難 う 私 私の読んだ本 (り 大 森 私 の 提 案 (4) 有 馬 博 郎 敏 子 均 夫郎雄 子明 アフ リカ日食観測 短 美 文七 敏幸 重 次 ﹄ 叫 い 囃 ﹃ 同 謳 ﹁ 脚 目 巻 7号 ― 48年 10月 10日 発行 2) 4) 5) 7) 8) 雄・・・・( 10) ・・(11) 朗 人・・ 《学 部 消 息》 ン●パナハギ ニ ー 部 (12∼ 18) ′ │力 70″ 4 0hwi タr″ ″″ひ 鍵″′var.′ ′ -1- 萩 は 日本では最 も普通なマ メ科植物 の 一 つ で あ り,ま た 日本人 には万葉以前 か ら最 も親 しまれ て きたが,今 日まだ 日本 に何種 あるのか判 っていな `多 ぃ。 日本 の高等植物 フ ロ ラ も 未解決 の 問題 力 ヽギ属はヒマラヤ,中 国,朝 鮮,日 本 ,オ ー い。 ′ ス トラリア,北 アメリカに分布 し,お よそ 100種 あると推定 されているが,い わゆる萩 は東 ア ジア に 特産す るもので,茎 が木 質 になる大形 の多年草 で花 が大 きく美 しいこと,閉 鎖花 のないことなど の特徴があ る。 日本 の代表的な野生種 にはヤ マハ ギ,ツ クシハギ,マ ルバハギがあ り,栽 培品には ミヤギ ノハギ,ニ シキハギなどがある。写真 のシ ロバ チハギは東京で普通に栽培 され てお り, ミヤ ギ ノハギの変 種 であるが, 自生地は不明であ る。 1 (大 橋広好:植 物) 日 フ 食 観 日 江 井 今年 の 6月 30日 に起 った皆既 日食を観測す るため モー リタニア回教共和国 の ATARと い うオ アシスに 5月 28日 か ら7月 6日 まで行 って きた。 ここはサ ハ ラの極乾 , 燥地帯 の西端に位置 し,モ ー リタニアの首都 ヌアクショ ッ トか ら約 50 km内 陸 に入 った ところに在 る。 この地 に定めたのは, 日食観測時 の太陽高度 の高いこと,晴 天 の機会が多い こと,フ ランス領であ った当時 の兵舎が在 って宿泊に使えるこ と,器 材 を運搬 で きる道路 のあるこ とによる。 フランス,ア メ リカ,オ ラング,イ タ リア , スイス,ソ 連 と日本の 7ヵ 国の合計 ■ 名の観漁0員 が こ の地に集 まってきた。 第 1図 はその時 に撮 った コ ロナの写真 である。 コロナ の輝度は太陽 の外側に向か って急激に落ち,太 陽中心か ら太陽半径 の 5倍 離れ た場所 では,太 陽表面 に近 い とこ ろに較べ て約 3.5桁 暗い。 従 って普通 の コ ロナ 写真 で 第 1図 演1 栄 二 郎 錬 京敢 台) は,ど こかが露 出過多 とな り, ど こか が 露出不足 とな る。調べ よ うとす る コロナ全域にわ た って同一 の適工露 出で撮 るためには,中 央部 は透過率が悪 く,外 側に向か って透過率 のよ くな るような特別な フ ィルターを像 の と ころに置 き,あ たか もコロナの輝度が半径方向に対 し一 定 であるように COmpensateさ せれば よい。第 1図 は こ の ような フ ィルターで撮 ったもので,普 通 の コロナ写真 に較 べ て コロナの構 造がはっき り見 える。 吾 々の見 た沙漠 は,一 面砂 と小石混 りの平坦 な荒地で あ って,そ こに棘 のある木がぽつん と孤立 して立 ってい た り,草 む らが ところ どころにあるだけ であ った。 どの 方向を向いても地平 線 のかなたまで このような単調な景 観 しか見えな いのは,救 いようのない気持 に さ せ られ る。いわゆ る砂丘は ご く一部 に しか見 られなか った。 し か し街道 は,数 力所 で砂丘を横切 り,そ こでは砂溜 りが 特殊 な フ ィル ターで撮 った コロナ。 西側 の流線 が よ く見 える -2- は橋 もで きていた。 6月 におけ る気温は,午 前時が最低 で 26∼ 28度 ,午 後 3時 が最高で 42∼ 46度 であ った。毎 日ほぼ規則的な 波型 の変化をす る。午前 9∼ 10時 におけ る気温が平均 よ り 3∼ 4度 高い と,そ の 日の昼近 くか ら砂嵐がおそ って きた り,HARMATTENに な ることがわか ったのは,滞 在 も後半 にな ってか らであった。気温が 4o度 を越す暑 さ にな ると,現 地人は,頭 に巻 いたターバンをは ぐし,眼 だけ 出るように して,頭 か ら鼻 , 口を覆 って しま う。彼 等を まねて手拭で鼻を マス クしてみ ると,吸 う空気が体 第 2図 ATARへ の道筋 に 見 られ た井戸 温 で冷や され るためか,吸 収が い くぶん楽にな った。湿 度は 20∼ 30%と 低 いので濡れ手拭 は どん どん冷える。 これを鼻にあてた り,あ るいは昼寝す るとき頭にお くと 気持ちが よか った。囲 りは どこもか しこも炎暑なので , 冷 えた水や氷は この上 もな くおい しい もの と思 った。一 方,現 地人 は熱 いお茶 を飲んでいた。中国茶 と薄荷 の葉 と砂糖を ポ ッ トに入れ小 さな グラスに注 ぎ,そ れを 3杯 飲むのが しきた りと聞 く。渋味 と甘味 と薄荷のさわやか な味が して,暑 さを しのげそ うな感 じを受け る。 あ る日夕立が降 った。雨粒 は大 き く,身 体 に当ると痛 さを感 じ,地 面には直径 5∼ 6cm四 方 に 砂を はねあげ 第 3図 ていた。水分はあ っとい うまに地面に吸 い込 まれ,あ と には,月 面 の クレーターに似 た形が残 された。初 めは毎 モール人 秒 l m2当 りに約 1ケ のク レーターができていたがそれ が 10 cm2当 りにな り,そ の うち地面が クレーターだ ら け にな る。その後は急に大雨 とな り約 30分 降 り続 いた。 地面にで きた水溜 りを見て,大 地 も充分水を吸い込めた のだろ うと思 っては っとす る。その翌 日は,木 々の緑が 実 にあざや か に な り,地 平線の遠 くまでは っきり見え た。町の中にで きた水溜 りでは,子 供 らが どろまみれに 第 4図 TABLE MOUNTAIN できていた。吾 々の傭った運転手は,ハ ン ドルをとられ ぬよう,ス リップを しないように上手に通 り過ぎたが , な って遊んでいた。 ATARの 市場 には,穀 類,野 菜 ,果 物な どは地面に ゴ ザをひいてその上に並べ て売 ってい る。 ラクダや羊 の肉 は塊 のままを 吊 している。吾 々の食事 は,こ こに一 軒あ るホテルの食堂を使 っていたが,慣 れて くるにつれ ,朝 外国の観測隊の中には,こ こで立往生 したのもあ った。 木 々が群生 しているところも見 られ,こ のような所には 水があ り部落がある。第 2図 に示す井戸では水面まで約 食 は市場でバ ンを買 ってす ます ようにな った。長 さ約 40 Cmの フランス・ バ ンが約 30円 で買えた。市場 の廻 り 10m下 に遊 んでい る子供達を見ても,や せ細 ったのを見 た こ と で あ っ た 。 ATARの 近 くに は が 見 え る し,ま た TABLE MOUNTAIN GRAND CANYONを Jヽ さ く した よ うな 谷も見える。勿論涸れた谷である。数年に一度大雨が降 ることがあって,そ の時には川が流れ るとい う。道路に -3- はなか った。 新聞に報道 された飢餓 は, NouAKCHOTT と ATARの 道筋には うかがえなか った。 自 鳳 丸 航 海 KH 73-4 浅 7月 5日 東大海洋研所属 の白鳳丸 (田 玉船長)は 晴海 埠頭 より 85日 間の外航 に出発 した。 この航海は GDP の一環をもかねている。 この船 は うす いベージュにぬ ら れ煙突には東大 のマークであるイチ ョウの しるしがつい 田 敏 (地 球物理) の した くをは じめた。地震計は 5点 に入れ るのであるか らロープは全部で 40 krnに なる。 ロープは甲板上に「 コ イル」 され ,錨 やチ ェイ ン等の部品が甲板上 にな らべ ら れ る。 ている。 1967年 以来活躍 してい るわが国では 数少ない 40 kmの 長 さ の あ る 直径 12ミ リのナイ ロンロープ 専用 の研究船である。6基 のデ ィーゼルエ ンジンをそな を処理するのは大変な仕事である。 この準備だけ で 1週 えた電気推進方式を とってお り,プ ロペ ラは二軸 で,船 首にはバ ウス ラスターを持 っているので 3000ト ンの船 間はかか る。 この準備が ほぼ終 った後,今 後 の大仕事に そなえて一息入れ るため 13日 に グアムに入港 した。 体をきわめて微妙 にあやつ ることがで きる。 研究員の室 は 15あ リー室 に 2人 が標準である。主席 研究員 (海 洋研友田教授)と それを補佐す る次席研究員 (海 洋研小村助教授)の 室は ブ リッジの す ぐ下 の階にあ るが,こ の階は研究員室のある階 の 2階 上 にあたる。 食費は 1日 400円 で夜食も出る。食物の ことで文句を 言 う人はいない。その上すべ ての研究者は大量 の飲み も の と食いものを 自分用 に も持ち こん でいる。 研究室は第 9ま であ り我 々の 目的には十 分である。 こ の 航 海 の 前 半 の 主 目的は マ リアナ海盆 で,long range shOt,長 距離爆破 の観測を海底地震計に よって行 な うことである。 測線の長 さは 1500 kmに お よび,こ の ような規模 の観測が大洋底 について行なわれた例はま 地震計 のための ナイ ロンロープ の一 部。 ロープの 直径 は12ミ リで エイ トア ミとい うあみ方 に なっ て い るので よじれ ない だない。 GDP(ジ ォ ダイナ ミックプロジェク ト)の 一部 として この観測を行な う理由は上部 マン トルに存在す ると考 え られ ている低速度層のこ とをで きるだけ定量的に知 るこ とである。 これ までの低速 層 の研究は大部分表面波を用 いて行なわれたのであるが,こ れには表面波の性質上 ど うしてもあい まいさがつ きまとうか らである。 我 々の用 いている海底地震計は アンカー ドブイ とぃ う 方式によって設置され る。 これはカプセル型 の地震計を ロープで海面上 のブイ とつな ぐ方式で, ロープの下端 に は錨がつけ てある。 我 々は 6000米 の深海に地震計を入れ るのであるか ら ロープの長さは 8000米 くらい必要 となる。 ブイをつか って海底に測定装置等を設置する方式 の ことを ブイテク ノロジー といって米国で特に くわ しく研究 されている。 事柄 自体はきわ めて簡単明瞭であ るが,実 際はそ う簡単 ではない。 東京港を出てか ら甲板部の人 々はただちに ロープ関係 -4- 耐圧容器に入った地震計,甲 板上での準備。地震 計 の全 組織は きわめて小 さくま とめられている グアムは熱帯の島,せ ま くて特別な ものは何 もな い。 特産物 もない。 しか し訪間 も三度 日三度 目となる と土地 の事情 もわか り,と な りの町の ような気が して くる。 バ スな どはないので紳土風 の人 々はタクシーにの り,ず う ず うしい人 々は ヒ ッチハイクな どを して見物 した。利 ロ 手前 よ リメイ ンブイ,標 識 ブイ。 これ らが 8000m のロープで海底 の錯 とつながれている。 地震計はパ イ レンロープ くさ りに よって錨につながれている な人 々は後 のセブ寄港 にそなえ ドルは 1セ ン トもつかわ ず,少 した りない人 々は大 いに散財 した。 セブは フ ィリ ドレッジの成‐ 果。6000m海 底の岩 である ッピン第二の都市 であ り,物 価は東京 の 1/8で あるとい る。地震計組は設置がおわって しま うとや る こ と力ヽな う。 い。気象大田教授の模範演技 ?を 見物することとする。 28日 に予定の爆破は全部おわ り,4日 間をかけて地震 計を回収,グ アム入港の 6日 まで南太平洋上をは しりま わる。自鳳丸はは しりまわるだけでデータをためこむ こ 3日 間の休息ののち 目的の海域 にむか う。爆破を うけ もっている東海大学 の望星丸 (林 船長)が 7月 末 に現場 に到着するので,そ れ までに地震計 の設置を しておかな とができる。その “たね''は 航海衛星に よる位置の決定 (■ 30m), 船上重力計 (友 田型)に よる重力の測定 (士 数 ミリガル)プ ロトン磁力型による地球磁場の測定・超 ければな らない。5点 の観測点が 500 kmの 間に 125 km の間隔で配置 される。それぞれの点 に 2乃 至 3コ の地震 計がおかれ ている。 7月 24日 早朝南太平洋上最南端 のサイ トより1500 km 音波による深さの測定等である。 望星丸は一足さきにグアムに入港,の りこみの諸氏は 北方 で 望星丸 とランデブーする。 自鳳丸 は 望星丸 と 同 伴,望 星丸は海中爆破を行ないなが ら南下する。主席 は 科学博物館村内氏がつ とめる。白鳳丸の同伴は航海衛星 骨休みと見物。自鳳丸は 3日 お くれて 8月 6日 にグアム に入港,筆者をふ くめて一部の人 々は望星丸 にの りうつ り,そ のまま清水港にかえって来た。 に ょる位置の精密 な決定のためである。爆破 は大小あわ せ て 61回 であ った。1ト ン以上 の爆破はたいへんな大 データは目下整理中である。 これ も海上作業におとら の労働 ないはどの大仕事であるが,な ん といっても最大― は自鳳丸が 9月 25日 に 85日 の外航か らかえって来て: 8ト ン積みと 10ト ン積みの トラックが理学部三号館に 仕事である。 最後 の 56発 は 100 kg以 下 であるが,測 線の上を 10 ノ ッ トで航行 ,ほ とん ど連続的に爆発を行な う。その間 「16ト 器材を満載 してや って来たときであ った。1日 に ンの石炭」をは らなければな らない炭鉱夫はいかにつ ら いであろうか大変 よくわかることになった。 自鳳丸 は一 点 で ドリフ トし,ハ イ ドロフォンで記録を行 な う。 この 51発 は数時 間 で完了 し,そ の間に記録は解 析 され ,走 時 曲線がつ くられ る。 目のまわ るいそが しさ であるが,こ れが伝統的な海底地殻研究 の や り方 あで 葉 縦 山 記 走 長 今度はどこに行 こうか しらとあてもな くガイ ドブック や地図を繰る時,私 の日に とまるのは変 った名前を持つ -5- 美 子 働 物) 山々である。奥多摩 の天平尾根,丹 沢西端の菰釣山,西 上州の最南端父不見山な ど,皆 そ うして探 した 山 で あ り,実 際 に出かけてその期待を裏切 られた ことは一度 も 無 く,い つ も静かな尾根歩 きを楽 しんだ ものであ った。 今夏 も 7月 下旬 の水長沢か ら平 ケ岳 ,そ して上信越 の み。途中伐採 のための地図にない道が出現 した りして行 きつ,も どりつするので暑 さは増すばか り。 ようや く葉 山登山 口三本橋沢入 口の道標を見 た時 の嬉 しか った こと 国境をた どる 10日 間の山行を終えた後,そ うして見付 けた山,山 形県葉山に出かけたのは 8月 10日 ,お 盆休 っとも下山後 聞 く所 に よる とこの林道 4時 間は地元 の人で も歩かず,温 泉か ら車で来る との こと, しか し今 みにはいって汽車に乗 るのが 一苦労 と い う盛夏であっ 考 えるとここを歩 いてこそ今回の山旅 の収支があ った感 た。一行 4名 ,兄 や甥な どとの気楽な家族山行 である。 10日 朝 8時 ,上 野発 のひば り2号 に乗 り,福 島でをが じで良か ったな と思 ったのだが)。 (も 1号 に乗 りつ ぐ。漸 くその頃か ら一杯 に開け た窓か ら入 葉 山本流―の沢の流れは原始林 の トンネルに包 まれた 美 しい沢 である。流れ に果物を冷 して食べ,冷 たい水を って来る田園の香 りに東京のよごれた影を吹 き払 って 思いが山へ と急速 に傾斜 して行 く。新庄 に降 り立 ったの 飲む。今 までに味わ った ことがな いよ うな何 ともいえな い軟かい感触 の最上等 の飲み物 にみんな大満足,こ の一 が昼過 ぎ,裏 日本独得 のの蒸 され るような暑 さを背 に今 日の宿泊地,肘 折温泉 に向 うバ スに乗 りこんだ。 バスは 瞬 のために山に来たのだ といいた くなる程 の楽 しい休息 である。 そ してあ くまでも澄 んだ美 しい流れを見 ている と過去 の山行 の様 々な記憶が甦えって来 る。 , 土ぼ こりの山村 の道を抜け,最 上川 の谷を下 ってその上 流,銅 山川の谷にはいる。やがて牧場に牛の姿を見 る下 湯 ノ台高原を過 ぎると月山を初め,葉 山 とそれを囲む峰 11時 , 時間のたつのを惜 しみつつ 出発 , 沢をつ たっ て登ると葉山頂上直下 に出る筈なので安心 して どん どん 高度をかせ ぐ。次第 に細 くなる流れ の中を岩 か ら岩 へ跳 々が美 しい姿 を展開する。肘折温泉 は坂道を一 気 に下 っ た所に不意 にあ らわれた街並みである。 1,100年 前か ら んだ りよ じのば った り,沢 歩 きの爽快 な一刻 である。原 開け た とい う温泉場 はいわゆる 湯治場 であ り,92度 の 始林 の トンネルが次第に両側か ら迫る頃涸沢 とな り,あ 熱 さと豊富な湯量に恵 まれ た半ばひなびた風情を持ち 半 ば今流行 の新開地的雰囲気を持 った温泉場 であった。 た りも低い灌木 に変 って来 る。再 び太陽の強烈な洗礼を , 翌朝は 5時 出発 ,朝 もや に包 まれた温泉街 の処 々か ら 受け ると同時に可愛 らしいお花畑に飛び出す。紫 色の名 の知 らぬ花がひっそ りと淋 しげに咲 いている。花 の頃は 湯治客 の焚 く朝食の煙が上 っている。足音を忍ばせなが ら小 さな神社の裏をまわ って林道 に向 う。坦 々とつづ い 10分 ,12時 半,山 頂をふむ。頂 きは数峰 にわかれ ,本 た 2車 線の立派な林道 で,僅 かに上 りなが ら山裾にそっ て曲 りつつ奥へ と進む。右手は祓川の深 い谷 で時 々を足 峰 には新 しい小 さな社殿があ り,石 の大黒様がち ょこん と坐 っておいでだった。360度 の展望が得 られ る とい う を とめてのぞ き込む と豪快にそそ り立つ岩壁の奥 に清冽 山頂 も折か ら湧 き上 って来た ガスのために空 しく,さ っ きまで見えていた月山も姿を隠 して しまった。 しか し人 な流れが見える。空を仰 ぐとまだ太陽の光が とどかない うす曇 りの空に葉山がなだ らかなや さ しい シルエ ッ トを 描 いて, じっとわれわれを迎えて くれ ているよう。次第 に濃 い青 に変 る空に歓声をあげ,明 かるい緑 の木 の間か らさす朝の光 の美 しい ブナ林 に嘆息をつ く。7時 ,左 沢 か らの林道 との分岐で朝食,食 事後分岐 を左に,ア ラ ミ 沢 に沿 った林道を進み,や がて沢 と別れ て右手に山腹を まいて行 く。行手に葉山のなだ らかな ス ロープを見,チ ェー ンソーの音 の響 く林道 にウグイスや ホ トトギ スの声 さぞきれいだろ うとち ょっ び り残 念。葉 山頂上 まで約 影一つない静け さが何 よりも嬉 しく,下 界の騒音な どど んなに耳を澄 ま して も聞 こえて来な いのだか ら万才だ。 ゴヨウマ ツ, ミネカエデ, シャクナゲの群落 に覆われ た 山頂にわれわれ 4人 の声のみが響 き,そ れ も四方 の山 々 に吸 い込 まれ て行 く。無数に積 まれた石 の山は,石 を積 めばお金 も積 もる とい う信仰か らとの こと。昼食後 ,ゆ っ くりと石 の椅子に坐 っている と,ま さに私 の天国 に遊 ぶ感が深い。 14時 ,未 練を残 しつつ 出発 , 葉 山の 最高峯大森山が が耳を楽 しませて くれ る。 何時 の山行 でもどこかで,何 でこんな辛 い思 いを, と 思 う時があるものだが,今 回の葉山の くれた落 し穴 も朝 優美な ドームを見せているが,展 望を得 られないことも あって通過。再 び登 りに か か っ て 大 ツボ石 の頂上 をふ 食後 の 2時 間。やがて 8時 をまわ り,自 い雲が風 と共に 遠 くに運 tボれ て行 くと真夏の太陽が容赦な く照 りつける む。古い火山である葉山の火 口壁が富並川 に落ち込む断 崖 と共に荒 々しい景観をな し,今 までの女性的なお山の 林道歩 き,去 年 の夏,南 アか ら下 りて来た道 もこんなだ 姿か ら一変 して男性的な様相を呈 している。山のいろい った と思い出 している うちはまだ余裕がある間であ り ろな姿の移 り変 りは驚 く程。それ か らは苅 り開 きのない 林道歩 き 4時 間 の終 りには ブラウスは しばるような汗 気楽なお しゃべ りな ど忘れ た よ うに 黙 々と足を運ぶの 丈 なす草をわけ てひたす ら下る。再 びぼ っか りお花畑に 出るとまたその穏やかな優 しい山に帰 った葉 山の姿を見 , , -6- てほ っとする。次第に陽が西に傾 き,タ ベ の気配が濃 く なるにつれて道が細 く消え,踏 跡を探 しなが ら歩 くよ う ―のみ,静 け さを求めて山を歩 く私達 には 100パ ーセン になる。時折行 きつ, もどりつ, とい うもどか しさ。そ 寺 で聞いたその名前 の出来 は「 この山には他に見 られな い程草木 の種類が多 く,820種 にのぼる といい,寺 は医 れでも灌木帯が終 り,美 しぃブナ林な どに 慰 め られ つ つ,磁 石の東を指す方向に強 引に下る。道標の少ない山 の楽 しさか もしれない。 夕闇迫る 18時 ,山 の神 ,大 円院跡分岐 に出て一安心 , トの満足を与えて くれた素晴 らしい山であ った葉山。お 王山 と号す」 との こと。そ のお話 の端 々にあま り有名に な って登山者が多 くなることを望 まない こ と,本 当 にそ の土地 の人 々のお山 として愛 され ていることが うかがわ 大円院跡に出る筈が山 の神 の道を来 て しまったことが こ れ,申 し訳ない ことを した ように感 じて思わず激 を見合 こで判明,大 笑 とな る。 で もこの分岐 に古びた可愛 らし い石 の道標があ り,ひ らがなで ``右 や ま"“ 左はや ま" わせる。東京か らわ ざわ ざ来る人はまずないね。なぜ来 たのか と聞かれ て,わ が選択に鼻を高 くす る一方 ,お 山 としるしてあるのがいかにもお山 とい う親 しさが感 じら を冒 したおわびにち ょっび り首を す くめ る私達であっ ま こ。 れ て印象的であった。 宿泊を無理 にお願 い してあ った大円院に 着 い た の は 翌朝岩野 の部落か ら奥羽線楯岡に 出て,臨 時急行 で帰 18時 45分 。冷 しておいて下 さった西瓜のおい しか った こと。1日 14時 間,歩 き続け た楽 しさが身に滲み て感 京。上野 の駅 で再び都会 の騒音 の中に立 った時,ま た次 の山行を夢見 ていることは何時 の山旅の後 で も同 じ私 で じられ,一 段 とお しゃべ りのはずむ夕食 であった。今 日 一 日で会 ったのは地元 の人 らしい 4人 連れ の 1′ く―テ ィ あった。 私 の 近 況 竹 私は福井県生まれ の田舎者であって,た だ もう働 くこ とが大好 きであ る。 ただそ の働 き方 には注文があって , 願わ くは自分の好 きな仕事を朝か ら晩 までや らせては じ い と思 っている。ただ思 ってい るだけでな く,そ うい う 気 ままな仕事がで きるように,私 は私な りの努力を して 内 均 (地 球物理) ら出版 し,そ の初版 の 500部 を買 いとって,こ れを 同学 の人たちに配 った。題名か らす ると,こ の本は地球科学 に関す る哲学的考察を した本の よ うに 聞 こえ る。 しか し,実 はそ うではな くて,こ の本は地球科学におけ る間 題集 であ り,そ の意味 で具体的に多 くの人 々に役立 つで きた。ふ り返 ってみ ると,そ うい う気ままな仕事をす る ことが,私 自身を生か しまた社会に報いるもっとも良い あろ う木 であ る。 方法 ともなってい る。 ふ しぎな ことに,そ うい う仕事を しているうちに,大 とい うことで,理 学部 に 100万 円の寄付を させていただ いた。 これは 日本の各県 ごとに約 5ケ 所 づつ,地 球科学 学 でいただ く給料の他に,い くらかの金が入 って くるよ うにな った。正直の ところ,私 は この ような金を得 よう として働いたのではな く,私 な りの仕事を したか ったか 的にみて興味深 い場所を選 んで,さ しあた りそれ らの写 真を撮 り,ま た地球科学的記述をす る と い う計画であ らこそ働いたのであ る。 この主 旨をは っきりさせ るため に,私 は最近私 の得 た この ようなll■ 入の 1部 を社会に還 元 し始めた。 さしあた りは,1年 に 100万 円程度の金を この 目的のために使 うつ も りでいる。昨年は「地球科学 の諸問題」 と題す る本をつ くって,裳 華房 とい う本屋か -7- 今年 は「 日本列島の地球物理学 お よび地質学的調査」 る。今私 の研究室 の連中が手分け して 日本全国を まわ っ ている。 きれ いな写真や ポイ ン トをついた地球科学的記 述 もさることなが ら,彼 らが この旅行 の間に得 るであろ う生 の 自然 と人間 との接触 の方 に,私 は よ り多 くを期待 している。 “太 田 さ ん" 有 難 前 川 文 夫 。佐 藤 七 郎 。佐 々木敏雄 清 水 幸 子 。原 山 重 明 た時 ,以 外 に速 い退職 と思い込んだ。それ位大田さんは 太 田 さん の 思 い 出 前 川 文 夫 図書以外 の事柄 には触れたが らな いのであった。今後 ど うな さるのか も知 らないが,御 健勝 を祈 るや切な るもの (植 物) がある。 大田さんがなんで教室へ入 られたのかは 私 は 知 らな い。多分私が兵隊で中支に行っていた間の こ との よ う だ。だが,大 田さんが来 られて,教 室は大変なプラスに なったことは否定できない。 こん ど定年で退職され るの は,教 室 としては大きなマイナスで,で きれば特例を作 ってもう少 しのば したいと思っているのは私一人ではあ るまい。 図 書 守 り大 田 さ ん 佐 藤 七 郎 願 物) 私が日含の高校か ら進学 して きて初めて教室の図書室 を案内された とき, どうい うわけか,そ このイメージが 大田さんは人一倍地味な人柄 である。会 であれ ,人 の 神域 とい う感 じを うけたのを忘れ る こ とがで きな い。重 い扉 でさえ ぎられ て薄暗 い書庫 の奥深い静け さ,壁 面高 集 まるところにはでたが らない。一 寸はがゆい程 に控 め である。教室 には教室会議があって,誰 で も出ては しい く掲 げ られた歴代教授たちの少 々大 きす ぎて威圧的な 肖 像画な どがその舞台装置だったが,戦 時中 とい う時代の のだけれ どもこれに もめ ったに顔 を出さない。 ふんい きで もあったのだろ う。そ こで働いてお られ た太 それでいて,大 田さんは人一倍親切な人柄 で もある。 植物学教室 の図書 も年 々ふ えて,そ の所在 に困 り,そ れ ほ ど必要でない ものは棚 の最上段 に挙げた り,別 室 へ持 田さんは巫女のようにみえた。 戦争中,欠 講が多い ころ,私 はその書庫 の中に開 じ込 もる ことが多か った。文字通 り万巻 の書 に囲 まれ て好 き って行 った り,四 苦 八苦の態 た らくであって,分 類 に関 な本を自由に読めるのは楽 しか った。連 日空襲におそわ 係 した書物が得 て してこの厄にあったのだが,そ れを よ れ ,い よい よ末期に近 づいていた戦争 の喧曝か らそ こだ けは完全 に隔絶 されてあった。聞 こえて くるもの といえ く覚えていて,い うとす ぐに 出 して くれ たものである。 私な どは大分そのおかげを被 った。今 で も感謝 している ところである。何 の気な しに,話 した ことについて,二 三 日するとそれに関連 した項 目で,数 冊 の本が揃 って 出 され てぃて,先 ずあ っけに とられ ,つ いでいた く感激 し た ことも二三に とどま らない。 そ して大田さんは人一倍規帳面 な人である。図書は借 りた ら返す のが本則であって,だ か ら返済 同時 を必 らず 書 き込む。 ところが申訳ない ことだが,時 に忘れ る,イ ヤ覚えていてそれで返 しそびれ ていることもある。そ う い う場合,返 済の 日付か ら少 し経 っている時,何 気な く 傍 に寄 って来 て,一 寸一 言,い うのである。それが痛 く 身 にこたえて,ア タフタと返 しに行 った こ とも,お はず か しなが ら何回かあった。 こうして教室の図書はよ く整 ば,大 田さんのたた く軽や かな タイプの音 と, ときどき 書庫 に出入 りされ る大田さんのかすかな気 配 だ け だ っ た。大 田さんのタイプの音が しば らくの間止んだ ときに 私 は ノー トを 閉 じて帰宅の仕度をは じめれば よいのであ った。本郷地域が一面の焼野 にな って しまった 日に も太 田さんはそ うして静かに働 らいてお られ た よ うに思 う。 戦争が終 って教室 の中に若 い者 もふえて少 しは賑や か にな ったころ,植 物教室 の七不思 議 とい うのが伝わ った こ とがある。そのひとつに大 田さん のお年があった。 当 時 の先生方は ごぞん じだ ったのか も しれな い。けれ ども 若 い連中には 誰 にもそれがわか らなか った。 20才 代 と も 30代 ともそれ 以上 ともいわれ た。 こ とさ らに詮索 し のない努力がこの図書を全くしていたといっても過言で てこの不思議 を解いて しまお うとす る者 もいなか った。 だか ら私 には,2年 ほ ど前,大 田さんが近 く停年 だ と知 らされ て驚 くまで,そ れが不思議 のまま残 っていた。 はない。 今回 9月 30日 で停年退職 され ることにな った ときい 大 田さんが教室に こ られてか ら,ず いぶん 多 くの方が 大田さんのお世話にな っている。教室 に来 り去 った人 で 頓 され,よ く活動 している。大田さんの地味だが,抜 目 -8- 太田さんを憶えていない人はな い。そ のことを思 うと長 い年月が経 ったと思 う。 しか し一 方,こ の間に,大 田さ んの誰 彼のへだてのな、νいの こもった親切 と行届 いた完 壁のサー ビスは少 しも変 らなか った。それ どころか,こ の間に太田さんは ドイ ツ語 ,ロ シア語 ,ラ テン語を習得 して既得の英仏語に加えてサー ビス領域を広 め られた。 太 田さんが欲 しが っていた ロシア語のタイプライターを を設け るのも困難で,不 利な身分に お か れ る 場合が多 い。 大田さんの図書館におけ る業績を考える と,東 京大学 におけ る図書行政 の貧困 さが痛感 され ,早 い機会 に改革 して もらいたいものだ と思われ る。 太 田 さん お 幸 せ に 備えてあげ られなか ったのが図書係 りとして長年 にわた っていろいろと我ままを きいていただいた私 の心残 りで ある。 大田さんは真底か ら木が好 きで図書 のお守 りを してお られるようであった。大 田さん の勤勉,図 書利用者 へ の 親切,相 手を分けへだ て しない言葉遣い,て いねいな図 書 の取扱 い,徹 底 した参考サ ー ビス,そ して失なわれた 図書への思い遣 り,そ ういった ものはすべ て太田さんの 清 水 幸 子 (総 合図書館) 「植物の大田さん定年 で退職なさるそ うよ」「 もう定 年ですって,髪 は薄いけれ ど,お 若いのでその様なお年 とは思ってもみなかったわ」 これ は或 日のお茶の時間の会話 です。 この事実 は私達 に とって寝耳 に水 で したので,た だ驚 くばか りで した。 個人的なお付 き合いはあ りませんで したが,仕 事を通 図書への限 りない愛情か らで た も のであった と私 は思 じての大田さんは,親 切 で,謙 遜家 で,そ の反面真 の強 う。 さをお持ちにな り,木 目の細やか さを感 じさせ るお人柄 の様 にお見受け してお りま した。三年位前 で したか,図 うかが うところに よると,大 田さんは退職後はゆ っ く りと読書 の生活を送 るのを楽 しみに してお られる との こ とである。 書館の中でお会い した所「 ドイ ツ語 の研修 です の,続 け てお りません と忘れ て しまいますので」 と云 うことで し た。そ の一年位前 にも一緒 に ロシヤ語 に出ていた筈なの に,普 通の方な ら恐 らく,も う年な ので と止めて しま う 太 田 さん と図 書 館 だろ うに。 この様 に地味な;債重ねを怠 らず,努 力 と情熱 佐 々 木 敏 雄 (農 学部図書館) を仕事 に傾け てい らっしや った姿が 目に浮かん でまい り 太田さん との出会 いは,終 戦後 のま もな いころ,一 利 ます。 用者 として植物の図書室を 訪 ねた時 であった。 1800年 代の中 ごろに出版 された隠花植物 に関す る本のことであ ったが,大 田さんは直ちに,「 そ の本は 日本には一冊 し こち らか らの依頼 に対 して,出 来得 る限 り調査 して適 確な る Informationを 与えて下 さり,一 気に話 され る 独特な早 口は忘れ ることが出来ません。 」 との答えであ かな く,Jヒ 大の官部先生がお持 ちです。 り,そ の広 い知識 にまず驚か された。そ の後 もいろいろ 総合図書館 の Reference workの 範囲が広 い為,高 度 な専門的な分野は,学 部図書職員の援助な しには出来 ま とお世話にな ったが,こ の ような人 のい る図書室を利用 せん。特 に 自然科学を専攻 した職員 は数名です ので,専 で きる植物の研究者を常 に うらや ま し く思 っていた。 図書館 に関係する ことにな ってか らは,お 世話 になっ 門知識 (Librarianと しての)を 豊富に蓄積 してい らっし や った太 田さんの存在価値 は多大 で した。図書館学の発 た りな られた りであ ったが,農 学部 の図書館職員は,理 展 に従 って,理 論が先行 し実際が伴わず,地 味な仕事 を 妹 う人 の増えて きている昨今 ,良 き意味 で も悪 しき意味 学部値物か らの参考質問は,余 り歓迎 していないよ うで あった。 とい うのも,太 田さんが調査 され てわか らない ものが くるので,む ずか しい質問が多 く,そ の多 くが回 答不能である とい うのが理 由 らしい。図書館職員が大田 さんか ら刺激を うけ ,勉 強 にな った点 は は か り知れな い。 大学の図書行政を考 えてみる と,学 科単位の小図書室 には多 くの問題がある。職員数が 1∼ 2名 とい う職場 で は,病 体や年休を とるに も不 自由であろ う。また研修な どは,図 書館職員 としては不可欠の ものだが,出 席 もな かなかで きないであろ う。待遇 の面で も,係 長 のポス ト -9- で も大変貴重 な模範 である と思 っています。研究 の蔭 の 力 とな った実績 は計 り知れな い ものがあった事 と思いま す。叉私達 も何か と教 え られ ,反 省させ られ与え られ た 影響 は大 き く,SpeCialistと して非常 に惜 しまれ る数少 ない人材 である と痛感致 してを ります。今後 の御多幸 を 祈 って。 畏 れ 多 い太 田 さん 原 山 重 明 ② 毎年 ,新 年 のお とそ気分がまださめない時期,図 書室 に現われた我 々は,必 ず太田さんの丁寧な新年 のあ (植 物) 植物学教室図書室の主,大 田さんが今月限 りで定年退 職 され る。若 き日々,彼 女に情熱を傾け た古参か ら,彼 いさつを受け る。品の一かけ らもない研究室 の雰囲気 に 染 って しまった僕は,そ の時 ,失 な って しまった礼を想 い出す。そ して,折 目正 しい彼女に,生 れか育ちか知 ら 女が もう定年 の歳である事を知 って驚 く新参 まで,い ろ いろの感概を持 って彼女を送 ろ うとしている事 と思 う。 ないが,そ んな差を感 じている。 日頃か ら,彼 女 に世話をかけ っばな しの,な まけ もの大 学院生が,送 別の辞な ど畏れ 多い気がする。だか ら,何 破 目に追いこまれた 僕は,そ れ を 捜 しに 図書室に行 っ 故畏れ多いと感 じる様にな ったのか を,少 し書かせて も らお うと思 う。 ① 僕は ドイ ツ語が全然駄 目である。だか ら, ドイ ツ 語 の雑誌 のタイ トルを,今 だ に 正確に 読む 事が出来な い。 「 この………とぃ う本 (ド イ ツ語 )を 借 りたいのです が。 」 と本の名を,英 語 。フランス語 。ローマ字流 ミッ ③ 一度,18oO年 代 の 論文を 読 まなければな らない た。そ して,そ の本が,植 物学教室蔵書 としてあ った事 に驚 ろか され たが,そ れ よ りも,そ の 本 を,大 田さん が,狭 い空 間の中に うず高 く積 まれ た本 の山の中か らす ぐ見つけ 出 して きた事には もっと驚ろか され た。見 かけ の雑然性 と能率性 と必ず しもパ ラレルでない事を彼女に 知 らされた思いが した。 くだ らない事 で紙を使 い果 して しまった。畏れ多い太 クスに読む と,大 田さんは,そ れを読み直 しなが らメモ を取 ってい く。 (彼 女 の発音が正確か否かを僕 は判断 で きないが,皆 の話だ と彼女は ドイ ツ語はもちろん ロシャ 田さんが去 って しまわれ たあ と,我 々は多 くの不 便 に直 面する事 と思 う。 しか し,そ の不便解消の努力を新 しい 語 の勉強 もしているのだそ うである。 )だ か ら僕は彼女 に コンプレックスを感 じている。 しい,一 層便利な図書室 づ くりを していかねばな らない 私の読んだ本 司書 の方一 人に負わ せる事な く,皆 の知恵 と協力で,新 と思 う。 (5) 杉 村 新 著 「 Eた 地 の 動,き を さ ぐ る」 (岩 波書店,1973) 大 森 博 雄 (地 理) 地殻運動,特 に地震 に関 しては多 くの人 々が興味を持 っている。 マ ス コ ミで も,最 近 の地殻運動の成果を紹介 学者であ ることか らくるのであろ うか,歴 史的にみた地 殻運動の “現在 "の 位置付けに追 って くる著者の研究過 し,“ 海洋底拡大説 "と い うよ うな用語は,そ の内容を いちいち説明す る必要がな い くらいであ る。 この本 の題 程が紡彿 として くる。 著者はまず,山 形県 の最上川 の支流小国川 において 名を一見 した時 ,こ の ような最近の地殻運動の研究成果 の解説書 であろ うと予想 した。 しか し, 本書の 目次を 第三紀層の溜 曲構造 と段丘面の変形 とが一致す ることを つ きとめ,活 曲の確認をす る。そ して この活沼曲は少 見,パ ラパ ラと目を通 した時 ,予 想はみごとにはずれ 寧 ろ,大 きな興味をいだかせた。 プ レー トテク トニクス な くとも洪積世後 “ 期か ら現在 に至 るまで継続的に運動 し や海洋底拡大説 とい う言葉を本書 の 中にみいだす ことが で きなか ったか らであ る。 次に,房 総半島 の各地で,関 東地震 に ともな う隆起量 の約 11倍 の高度の所に,組 文時代 に形成 され た海成段 著者は高校時代の地殻運動に対す る興味か ら筆を起 こ し,研 究生活の半生をふ りかえる。活断層や活櫂曲のよ 丘の存在す ることをみ いだす。そ して,地 質時代 か ら現 在まで地殻運動 の速度は一様 であ るとい う考 えに至 る。 うな“生 きた地殻運動"に ついて述べている。地殻運動 のさまざまな現象の基礎的な解説 と同時に,著 者が地質 さらに,木 曾川 の阿寺断層 の研究 において,断 層運動 の速度は一様 であ ることを確認す る。 また,′ 4c法 に よ , , た と考 える。 ―- 10 -― る河岸段丘面の年代 と面 のズ レとの関係か ら運動速度を 知 り,そ れ とズレの証拠 の最大の もの との関係か ら,運 動 は約 100万年前か ら起 こった と推定 した。 小国川においても,約 100万 年前 か ら櫂曲運動が起 こ っていることをつ きとめ る。 さらに,関 西 の六 甲山地 に おいても,約 100万 年前 か ら地殻運動が開始 された とい う資料等をあげ,最 近の 100万 年間は地殻運動 の激 しい 時期であ るとい う結論を導 き出 してい る。現在 は地質時 代を通 して,地 殻運動 の激 しい時期なのか,現 在生起 し ことであった こともわ か る。 本書は “岩波科学 の本''の 第 8巻 として,中 学生・ 高 校生を対象 に書 かれた ものであ る。むずか しい事柄 がや さ しい言葉使い と解説的な文章 で書かれ ,親 しみ や す い。著 者の研究生活上 のエ ピソー ドが各所に盛 り込 まれ てい ることが親 しみやすさを倍加 させてい る。 また,著 者 も “自讃 "す るように,写 真や 図版 の配置や描 き方 に 新 らしい くふ うを こらしてい ることに も好感が持て る。 さて,本 書 には,プ レー トテク トニクスや海洋底拡大 て,一 つの答を与 えて くれ てい る。 説な どマス コ ミで盛んに取 り上 げ られ てい る言葉は使わ れていな い。使われ ていないばか りか,そ れ らの考 え方 さえも紹介 され ていないのであ る。著者はす でにプ レー このほかに,水 平 ズレ断層 の分布が非常に系統的な格 子模様を示す こと,こ の格子模様や断層 のズ レの方向は トテク トニクスについて何編かの論文を書 いている。活 断層 の格子模様や海底 の大断層 についてまでは筆を進め 力学的にみて,日 本列島が東西に圧縮 され ていることを 示唆 していると指摘 している。 でた らめに発生す ると思 なが ら,何 故だ ろ うか。 本書は研究経過を述べ ることに多 くの紙数を費 してい われがちな断層が,そ の実,秩 序だ って存在す ること る。著者 自身が実際に野外で調査 し,体 験 した経過 であ るか ら実感が こもってい る。研究成果 の出て くる過程 と 研究生活 のダイナ ミックな動 きとが バ ランス良 く描 かれ ている地殻運動様式は何時始 まった のか,そ れ以前 の地 殻運動 とどの ような関係にあ るのか といった疑間に対 し , 個 々の小 さな断層が 日本列島全体を押す ような力 と関係 していることは興味深 い。 さらに,全 国の主要都市 で問題 にな っている地盤沈下 は地下水 の くみあげに よる沖積層 の収縮 に よるもので , 地殻運動 とは異質なものであ ること。 かつて,地 殻 の上 下運動 の反映 と考えられた洪積世以降の海進 。海退 は氷 河 の拡大・ 縮小に よる海面変動に よって生 じたものであ ることも説明されている。 これ らの問題 の検討 は単な る てい る。著 者は プ レー トテク トニ クスを ことさら取 り入 れ ることに よ り,本 書が一般的な地殻運動 の解説書 に陥 ることを さけたのではなかろ うか。一研究者 の研究生活 の半生をふ り返えることに よって,``科 学す る''こ との “お も しろさ"を 本書は教えて くれ てい るように思われ る。 トピックではな く,著 者の研究を発展 させ る上で必要な 私 の 提 案 (4) 羽 田 アキ 有 小堀 さんか ら久 し振 りにお電話 をいた だ い た らば , 馬 朗 ト メ、 (物 理 ) で述べ てられ ますので,私 の出 る幕ではな く,大 いにあ 「何か提案を書け」 との御依頼 で した。 どうもそ の裏は 「や つ は しょちゅ う文句ばか り言 っているので何か書け わてま した。 となる と,一 層 の ことうん とどろ くさいこ るに違 いない。時間 もないことだ しあいつ にたのめ」 て ることに します。 とを一そ のかわ り実現性は多い ものを 1つ 2つ 書 いてみ なわけ じゃないか とかん ぐる次第 です。 で も小堀編集長 この頃はあま り言わな くな りま したが,「 羽田 シ ョッ の御依頼は こ とわ りに くく,ま ん まと引 き受け させ られ たわけです。 ところで何を提案 しよ うかな と考えた らど うもあんま り素晴 らしいものはな く,多 くの方 々が実現 ク」 とい う言葉があ りま した。 この言葉が持 っているい ろいろな意味のなかで,私 に とって一番 の も の は 街 の 溝や便所 の臭 さであ りま した。 ところが大学 へ来 てみる の可能性の有無にかかわ らず素晴 らしい提案を既に方 々 と,こ の便所がまた,ぼ ろで臭 さ くて,つ まっているな んてことが しば しばです。せめて大学 の便所 ぐらいは , 臭 くない きれ いなものにな らない もので しようか。古来 日本では便所 は不浄な場所 であるわけですか ら, くさ く 汚れ ているこ とはあた りまえで,皆 が まん しているので しようか。理解 に苦 しみます。 ところで物理洋室以外 ではそ うい うことはない ?と 思 いますが,す くな くとも物理 (5号 館)の 廊下 の壁 の きた な さは天下一 品です。そ して部屋 のガラス も指で字がか け る くらいはこりがついている所が多 い と思います。物 うす こ し大学を きれ いに して欲 しい と思います。一ただ し机 の上の書 もつのこ とは除いて下 さい一。 もう一つ大変話が飛 びますが書 きたい こ とは旅費 のこ とです。国外出張はいわ ず もがな一私 も外国への出張を かな りしま したが,大 日本国か ら出張費をいただ く光栄 に浴 した ことはただの一度 もな く残念 に思 っています。 何時 もブラジル,ギ リシヤな ど経済的にめ ぐまれなぃ国 を含めて相手持ちで 出掛け ています。 どうも太鼓持ちの よ うで肩身のせまい気が しています。国内の学会 出張 で 理屋はいろいろ式を書 くこ とが多いので,わ ざわ ざそ う す るむ きもあるか も知れ ません。 この夏 2ヶ 月ばか リオ す ら年にただの一回, しか も赤字が出るよ うなのは大変 ックスフォー ドの核物理教室 (Department Of Nuclear ポケ ッ トに残 る とまでは行かな くとも良いですが,も う す こ し増せない もので しようか。我 々自身の出張費 もさ Physics)で 暮 らしたのですが,夏 休み中にち ゃん とガラ 困 ります。他のお役人 の方 々の よ うに出張すると黒字が スふ きが来 て地階か ら七階まで実にきれ いにふいて行 き ま した。なん とか これ くらいのことは東大 ともあろ う所 ができないもので しようか。廉下だってち ょっと一 とい 来るよ うにな らない もので しよ うか。 セ ミナーに呼ぶ旅 うとそんな金はない とい う声がす ぐ聞えて来そ うですが ―手を入れれば きれ いになる と思います。あんま りrls下 費 のわ くす らないなんて とい うのは全 くあきれ ます。 こ んなに きゅ うくつな国は世界で も珍 らしいのでわ ないで が きたなければ ビラを張 ってか くしてや ろ うとい う気に しよ うか。 もなるで ようし,つ ば もは きた くな るで しよ う。 と言え ば各教室や,各 研究室だって,夕 方 になる と掃除係が来 て きれ いにする とい うことが常識みたいに 思 う の で す 1講 座か 2講 座に 1人 ぐらいは流動的に外人が どん ど ん来 ていて しかるべ きです。学振を頼めば良い と言 って も, うん と前か ら準備 して しか もきまるのが遅 く,そ し が,我 々の身辺 ではそ うい うこ とがあ りません。他の教 て人数があま りに も少 くないのではな くとも不便 で しよ 室 ではいかがで しよ うか。 うがあ りません。 環境が きたないなんてことにや きもきするのは,お 前 さんの研究心や学問 に対する情熱がた りないか らだなん て言われそ うですが,私 はそ う思 いません。 ともか くも ることなが ら,も っと,外 人を呼んだ り,国 内で も同 じ 仕事を している人を気軽に呼んで討論や研究が 自由に出 今や経済大国 ?な んですか ら,も うす こしきれ いな場 所に,も っと外国人や,こ の大学外の人を 自由に呼べ る よ うに したい と思いますが,い かがで しようか。 3.研 究生入学お よび期間延長について 4.学 内事情報告 (学 部長 5,国 立大学協議会か らの大学改革案 ア ンケー トにつ 9月 理学部会合 日誌 ) 10 日 (月 ) 2:00∼ 3:40 理学系研究科委 員会 12日 (水 )lQ00∼ 1230 会計委員会 1:30- 4:00 3:00- 4:00 17 日 (月 ) 12:30∼ 1:20 19日 (水 ) 1:00∼ 駄4o いて 6.理 学部建物について 教務委員会 (下 郡山) 予定 より若干遅れ ,今 年度内に契約,着 工は来年度 人事委員会 となる見込 学部長 と理職の定例交渉 7.計 算機実習 (い わゆる ソロバ ン塾)に ついて (飯 田 教授会 ) 来年度か ら開始する予定 で準備中。「情報科学」 の 講義 の前 に 3∼ 4週 行な う。対象は理学部全学生の うち希望者。 教 授 会 メ モ 9月 19日 (水 8.臨 カリにつ いて (霜 田) 一 般教育科 目は 49年 度 まではいままで通 り,50年 )定 例教授会 度 について も変更は考えていない。51年 度か らは 高校 における カ リキ ュラムの変更 に伴 い,臨 カ リー 理学部四号館会議室 1:00∼ 540 , 1.前 回議事録の承認 2.人 事異動報告 般教育科 目の変更 もあ り得 る。 9.全 学 ゼ ミナ ールを担当 して下 さるようよびかけが -12- 教室 に昭和 35年 か ら務め られ るよ うにな りま した。松 田さん ,長 い間本当に御苦労様 で した。 再度あ った。 10.評 議員改選 大木教授 の任期満了に 伴い,後 任 として田丸教授が 地質学教室一 同 (太 田直子 さんについては 8頁 参照) 選出され た。 11.会 計委員会報告 (田 丸) 48年 度貸付金貸付案お よび 48年 度共通経費案 が提 出され承認され た。 なお消防関係 の施設 につい ては全学的問題であるので, しば らく留保す ること に した。 研究教育 のための部 長保留金 (約 600万 円)に つい ては,各 教室毎に審議 して 1∼ 2件 の応募 を して欲 峯岸 竜 太郎 さん を偲 ん で 植物学教室で用務員をなさっていた峯岸さんが,去 る ,7ヵ 月の入院の末,亡 くな られ ま した。 9月 5日 しい 旨学部長 より発言があった。 太 田さん と松 田さん の退 職 植物学教室 の図書係 として昭和 17年 以来勤続 され た 太田直子 さん と, 地質学教室の用務員 として, 昭和 35 年以来勤続 された松田三四作 さんが,9月 30日 附 で停 年退職 された。御二人 ともそれぞれ の職場 にあたって最 理学部二号館にお出にな った方な ら,先 生方 のお顔 は 知 らな くても,だ るま大師のような風貌の峯岸 さんを ご 善をつ くされ ,残 された関係者はポ ッカ リあいた穴の大 きさにびっ くりしているようである。御二人 とも大変御 の方 は多 い と思います。特徴 の あ る あ の 大 きな 目 存タロ と,大 きな声で宿直室か らどな られた方 も少な くない こ 元気なので,ま だ時 々 2号 館 で御顔を拝見す ることがで きると思 うが,長 い間の御苦労 に対 して,理 学部一 同で その労を心 か らね ぎらい感謝申 しあげたい。 (こ ) とで しょう。一見 こわそ うに見える峯岸 さん も,旅 行先 な どでは,十 八番の「愛染かつ ら」を セ リフ入 りで上手 に歌い,次 々に リバイバルソングを披露 して下 さった も ので した。今年 の秋 の職員旅行 を楽 しみに しておいでで したが,も う三度 とあの元気な歌を聞 くことがで きない “松 田さん"御 苦労様 と思 うと残念 です。 松田さんは地質学教室の用務員で,9月 30日 で御退 職にな りま した。67才 です。地質 の教室 では最年長 で 理学部に勤務 して 13年 だったそ うです が,2号 館 の 名物男 といわれ,ユ ニークな存在 だった峯岸 さんがい ら これで明治生れ の人は教室には一人 もいな くな りま し た。松 田さんは山梨県中巨摩郡 の産 で,農 業や造兵廠勤 っしゃ らな くな って,教 室 も大変 さび しくな って しまい 務な どを された後 ,東 大工学部 に用 務員 として務め られ ていま した。一時床屋 さんを されていま したが,地 質学 峯岸 さんのご冥福を心か らお祈 りいた します。 浅見 のぶ子 (植 物) , 人 しまた。 異 事 名 氏 柳 谷 夫 茂 夫 子 〓 . 童日 義 暁 相 森 李 小 松 職 手 手 手 ↓官 助 助 助 働室 理 理理類 教 物 物 物 人 発今年 月 日 48. 48. 8. 1 8. 31 48。 9。 1 48. 9。 20 -- 13 -― 動 備 異 動 内 容 エ ル ー 授昇任 ギ ネ 物理学研究所助教 高 退 職 高 エネルギー物理学研究所助手転任 助手 に採用 範 平 樹 光 夫 三 栄 成 浩 直 詔 茂 洋 松 下 口 水 崎 野 藤 手 手 助 助 平 野 徳 清 矢 浜 加 手 手 助 助 理 研 理 理 理 物 化 物脚物物物地生 48. 9. 20 助手に採用 48. 10. 1 電通大講師昇任 48. 10. 1 48. 10. 1 休 職 助手に採用 48. 10. 1 助手に採用 48. 10, 1 休 職 48. 10. 1 教養学部助教授昇任 7月 海 外 渡 航 者 教 室 職 名 化 学 教 授 地 教 授 球 氏 名 藤原 鎮男 島内 武彦 化 学 渡航先国 渡航期 間 アメ リカ合衆 国 7.1∼ 7.8 マ リアナ,フ ィリ ピン,カ ロリン公 海上 ユ ー ゴス ラビア ドイ ツ連邦共和 国 ス ウェー デ ン ア メ リカ合衆 国 7. 5∼ 8.11 , 7. 8- 9.18 , 渡 航 目 的 ハ ワイ州 ホノルルにて開催 され る計算 機利用 による研究設計 日米 セ ミナー出 席 のため 東京大学研究船 白鳳丸 に乗船,マ リア ナ,カ ロリン,フ ィリピン海盆 の地 球 物理学的地質学的研究を行な う。 「化学研究 および教育」におけ る コン ピューター国際会議「科学 データ処理 のための人間機械伝達」 に関する シン ポジウム第 27回 IUPAC, 第 18回 CODATA,第 8回 CODATA総 会 出 席並 びに化学 データに関す る研究連絡 ケ ンブリッジ,ス コ ッ ト極地研究所 に て門催 され る 1973年 度南極研究科学 委員会評議員会 出席 のため 地 球 永田 連 合王 国 7. 7- 7.13 物 理 吉川 庄一 ソビエ ト連邦 7.29- 8. 5 小堀 ア ラブ首長国連邦 サ ウジア ラ ビア クウ ェー ト,イ ラ ン,イ ラク 7.28∼ 9,15 沙漠開発事業計画調査 のため 7.30∼ 8.31 ブル ックヘ ブン国立研究所 にて高 エネ ルギー物理学 の研究,討 論 のため ハ ワイ州ホ ノルルにて開催 され る計算 機利用 による研究設計 セ ミナー出席 の ため ペ ンシルバニア大学 , ミネ ソタ大学 カリフォル ニア大学 において蛋 白質 の 構造変化の研究 および研究連絡 地 理 助教授 厳 モスクフ市にて開催 され る第 6回 ヨー ロッパ・ プラズマ物理核融合会議 出席 のため , 物 理 ″ 猪木 慶治 ア メ リカ合衆 国 情報研 ″ 国井 利泰 アメ リカ合衆国 7.1∼ 7.8 物 理 池上 アメ リカ合衆国 7. 2- 9.17 化 学 徳丸 克巳 アメ リカ合衆国 7.20- 8.18 国井 利泰 アメ リカ合衆国 7.18∼ 情報研 ″ ―- 14 - 8.3 , チ ル トン大学 にて開催 され る有機光化 学 の ゴン ドン会議 出席 および IBM, BELL研 究所 , アイオ ワ州立大学 に おいて有機化学 に関する研究連絡 国立医学図書館 お よび メ リーラン ド大 学 において,毒 物情報 データベースお よびネ ッ トワークの調査並 びに医学情 報 ネ ッ トワークの調査 を行な うため 化 学 助 手 梅沢 喜夫 ア メ リカ合衆 国 7.1∼ 7.8 ハ ワイ州ホ ノルルにて開催 され る計算 機利用 による研究設計 セ ミナー出席 の ため 化 学 助 手 森 山 祥彦 フ フ ンス 7.10-49.lo.31 ユ ー ゴス ラ ビア, 7.12∼ フランス政府給費留学生 として天然物 研究所 にて研究 に従事す るため ユー ゴスラビア国ベオ グラー ド市 にて 開催 の第 8回 電子原子衝突国際会議 出 席 および欧州各国の原子物理 に関する 研究調査 のため 野生チ ンパ ンジーの生態学的・社会学 的学術調査 物 理 蟻川 達男 8.6 オ ー ス トリア,フ フンス,ス イ ス, ギ リシ ャ 人 類 西日 利貞 ベ ルギ ー,ケ ニ ア, 7.21-49,2.20 ザ イ ー ル , ブル ン デ ィ,タ ンザ ニ ア 地 球 石崎 克彦 8月 名 授 球 職 教 室 学 教 化 地 氏 名 7.25- 8.24 ア メ リカ合衆 国 サ ンフェルナ ン ド地震に関する共同研 究 海 外 渡 航 者 渡航先国 渡航期間 渡 航 目 的 第 27回 IUPAC委 員会 および,第 24 回 IUPAC国 際会議 おょび第 7回 国際 ホ ッ トア トム化学 シンボジウムに出席 並びにカナグ,フ ランス,ア メ リカ合 衆国の研究機関にて研究連絡 理 文 物 天 斎藤 信房 ドイ ツ連邦共和 国 カナダ,フ ランス アメ リカ合衆国 8.5∼ 9.20 吉田 耕造 アメ リカ合衆国 8.5∼ 8.20 国際海洋研究十年計画 の湧昇実験 に関 す る討論会 出席 藤井 ドイ ツ連邦共和 国 8,6∼ 9.5 国立電子 シンクロトロン研究所 との共 同研究のため パ リ天文台において大陽物理学研究の ため 忠男 8.11-11.10 海野和三郎 フ ラ ンス 物 理 山崎 敏光 ドイ ツ連邦共和国 8.15∼ 化 学 藤原 鎮男 ドイ ツ連邦共和国 8.19∼ 9.9 第 27回 IUPAC総 会 および第 24回 国際会議出席のため 天 文 高倉 達雄 オ ース トラリア 8.19∼ 11.30 連邦科学工業研究機構において太陽電 波 の研究 および研究連絡 植 物 飯野 徹雄 アメ リカ合衆国 8.19∼ 9,7 生 化 岡田 吉美 アメ リカ合衆国 8.21∼ 9.6 第 13回 国際遺伝学会議出席な らびに 遺 伝学 に関する研究打合せ 植物 ウ ィルスの生体外におけ る構造形 成に関する シンポジウムに出席 ,講 演 し,座 長をつ とめ,ま た 2,3の 大学 を訪問 し学術上 の意見 の交換並びに研 究連絡 オ ランダ,フ ラン ス,ノ ル ウェー 連合王 国,ハ ンガ リー 8.24∼ 10.4 アメ リカ合衆国 8,1∼ 物 理 久保 亮五 9,10 , 化 学 荒田 洋治 ―- 15 -― 8.31 原子核構造国際会議 出席並 びに ミェン ヘ ンエ科大学において核物理学 の研究 を行な う 統計力学国1祭 会議出席 , ラウェランジ ュバ ン研究所 , トロン トハイムエ科大 学,キ ャベ ンデ ィッシュ研究所におけ る研究連絡,国 際物理学連合執行委員 会出席 のため スタンフォー ド大学において生体高分 子 の核磁気共鳴 による研究を行な うた め 地 鈴木 秀夫 理 オ ランダ,ス イス 連合王国 ,フ ラン ス,ス ペ イ ン,イ 8. 3- 8.24 ヨーロッパ研修団の指導および地理学 関係施設視察のため 師 手 講 助 学 学 化 化 数 生 タ リア,ギ リシャ オ ー ス トリア, ド イ ツ連邦共和 国 太郎 アメ リカ合 衆 国 8. 9- 8.19 国際有機金属会議 出席 のた五 榎本 彦衛 オ ー ス トラ リア 8.10- 8.26 国際群論会議 に出席 し講演 ゴー ドンコンファレンス 出席 並 び に C.F.ヶ タ リングス研究所 , イ ンデ ィ アナ大学において生物化学に関する研 究連絡を行な う 国立大気科学 センターにおいて太陽電 磁流体力学 の研究を行な う 植物 ウ ィルスの生体外 におけ る構造形 成 に関する シンポジウムに 出席 し他の 大学 において植物 ウ ィルスに関す る意 見 の交換な らびに研究連絡 斎藤 加藤 栄 ア メ リカ合衆 国 8.10´ψ 8.24 天 文 吉村 宏和 アメ リカ合衆国 8.15-49.8.15 生 化 大野 畔司 アメ リカ合衆国 8.21- 9. 8 物 理 石井 カナグ 8.22-49,8.31 人 類 鈴木 正男 アメ リカ合衆国 8.26´ ‐ 9.12 地 球 藤井 直之 アメ リカ合衆国 8.27-49.9,3 アメ リカ合衆国 8.31-49.9.1 物 理 トロン ト大学 において4/J理 学特 に低温 物理学 の理論的研究を行な う 第 9回 国際人類学民族学会議参加 のた め スタンフォー ド大学 において地球物理 特 に固体地球 に関する研究 メ リー ラン ド大学において物理学特 に 素粒子論に関する研究 を行な う 9月 海 外 渡 航 者 名 手 職 功 室 学 教 中川 化 化 氏 徹 竹田満州雄 学 学 質 数 地 森 田 茂之 教 授 数 学 物 理 名 講 師 飯島 東 渡航先国 ソビエ ト連邦共和 国,チ ェコス ロハ キ ア, ドイ ツ連邦 共和国,ベ ルギー フランス,不 イス 連合王国 渡航期 間 渡 航 目 的 9. 2∼ 10. 5 第 3回 高分解能分子分光学会議 に 出席 並びに欧州内各国の研究所 において分 子分光学に関する研究連絡を行 な う 9. 7・ -49,7.6 メスバ ウアー分光法 による金属錯体の 電子状態 およびその化学的性質の研究 のため ドイ ツ連邦共和国 9. 7-49,9.6 フランス 9.15- 9.23 位相数学に関する研究を行な うため ボーキサイ トおよび アル ミニ ウム酸化 連合王国 物 ,水 酸化物研究 国際委員会第 3回 国 際集会出席 のため 微分位相幾何学 の研究 および教育を行 なう 手 授 助 教 理 理 物 物 日本寸 一郎 アメ リカ合衆国 9.20-49.1.15 矢崎 紘一 アメ リカ合衆国 9.20´ ‐49.10.1 原子核物理学 の理論分野 での研究のた め 永嶺 謙忠 アメ リカ合衆国 9.15-12.31 山 口 嘉夫 アメ リカ合衆国 9.17∼ 10.27 ミュー中間子 ス ピン回転 の研究 高 エネルギー物理学 の研究を行な うた め ―- 16 -―