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見上げれば日の丸とZ旗 「海の博物館』のシンボル

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見上げれば日の丸とZ旗 「海の博物館』のシンボル
2009年 (平成21年 )11月
能古博物館 だより
(1)第59号
‖
iliを
言
ロ
章
忌
:::lil:l
!ェ
」
│!:l告
l海
の見える丘 博 物館
対 馬 海 峡 の砲 声 は福 岡 市 民 の耳
。
にも届 いたと伝 えられています
、
Z旗 に励 ま され ポ ー ルの寿 命 に
、
0 、0
負 けないよう 館 の歴 史 が3年 4年
と続 いて欲しいと願 っていると ころで
館 の関係 者 が角 社 長 にお会 いしまし
。
。
た いきなり ﹁
電 信 柱を 1本 欲しい ﹂
。
と ね だり ま し た ﹁
意 義 のあ る 仕 事
。
。
ですね 分 かり ました ﹂ ま だ 四十 代
の角 社 長 は即座 にプ レゼ ント の約 束
を し てく れた そ う ですず ﹂れ が誘 い
、
水 にな って 館 側 も 厳 しい台 所 事 情
。
の中から建設 費 用を工面 しました
、
昨 年 夏 見 事 に立 ち 上 が ったポ ー
ルを前 に筑紫丘 高 と早 大 のラグビー
部 で活 躍した角 社 長 はまたも き っぱ
。
り と言 いました。﹁
ま さに地産 地 消
。0
福 岡 県 八女 で育 った 杉 丸 大 です 5
。
電信柱並みの基礎
年間はもちますよ 谷
。
工事をや ったので済里刈に倒れません ﹂
、
日 の丸 と 一緒 に掲 げ た Z は 我
旗
。
8
明治 3
︶
が館 の旗 印 です 19 0 5 ︵
年 の日本 海 海 戦 でロシア艦 隊 を破 っ
た 東郷元 帥座乗 の旗 艦 ゴ 逐ン のマス
ト高 く掲げ られた Z旗 にあやかり ま
。
した
、
﹁
皇 国 の興廃 この 一
戦 にあり 各 員
一
層 奮 励努 力せよ︱︱ ﹂
理 事 長 兼 館 長 力 T 彦踏
﹁
海 の博 物 野 のシンボ ル
見 上 げ れ ば 日 の丸 と Z 旗
、
5材 耐用年数0
5年の優れもの
帆柱型の木製ポール 高さ7・
、
﹁
海 の博 物 館 ﹂のシンボ ル 帆 柱 型ポ ー
。
ルが建 って1年 余 が過ぎ ました 渡 船 場
、
のあたり から見 上げ ると 博多 湾 から 吹
、
いて来 る潮 風 を 受 け て へんぽんと 翻 る
日 の丸 と 国 際 信 号 旗 を 眺 める こと が で
。
きます
大きな日 の丸 の下 には日本海海戦 で有
、
名な Z旗 がはた めき そし て色 鮮 やかな
﹁
と﹁
NOKO﹂
MUSEUM﹂の国際信号
旗 が計 3本 のロープ に賑やかにぶら下 が
。
っていま曳 昨年 5月末に完成しました
本社 ・
筑 後市
施 工は九 州 木 材 工業 冊 ︵
、
。
・
角 博 社 長 ︶ 昭 和 5年 の創 業 以来 電 力
会 社 な ど の求 めに応 じ電 信 柱 を 手 がけ
、
てきた会 社 で 福 岡 県 を はじめ熊 本 ・
大
宮 崎に広大な社有林を持 っていまえ
分・
しかしな がら時 代 はセメント の電 柱 が
。
主 流 同社 は永 年培 った本材 の防腐 処 理
、
の技 術 力 を 生 かし て 公 園 のベンチや 街
、
灯 住 宅 のデ ッキ材な ど にも 販路 を伸ば
。
し ています
わたしたち は木製 のポ ールにこだわり
。
ま した 島 の豊 かな 四季 の中 に建 つ博 物
。
館 には本 が相 応 しいと 考 え たから です
。
>うノ
行 き 着 いた の が
角 社 長 の会 社 で
。
した
寛
楽 屋 話 を 一つ
原 ご披露しまし ょ
曳
競
帥
靴鋼鐸葬︶
論
機 会 が あ って
、
昭和三十八 企九六三︶年四月五日付 で 福 岡県指
、
定史跡に認定 された 当寺境内 の亀 井家 一
族 の基所
。
十三墓碑︶
︵
移設 の経緯をまとめたものを紹介する
○少 琴 女 史 墓 ︵
繊之
、
童女︶ 大甕
。
骨片少々 昭陽
。
長女
前 回移 設 の際
蓋 石 に ﹁亀 井 魯
道載妻 脇 山氏柩 ﹂
貞徹信尼 のも の︶
︵
と あ った の で元
に戻 し た 経 緯 が
。
ある
○ 吻 洲 夫 入 ︵吻 洲 ・
昭 陽 の子 ︶合 記 墓 大 甕 頭 蓋
。
骨二
○玄 谷夫 人 ︵
玄谷 ・
昭陽 の子 ︶
合 祀 墓 大甕 頭 蓋 骨
。
。
一一蓋石 に文字 〓
部 柩 父呈 書 ﹂
亀 井義 一
○雲 束亀 先 生 墓 ︵
昭揚 弟 大壮 ︶ 小甕 表面 茶
。
。
青 の袖 試 骨 片少 々
。
○樺妙 校尼 魯石
宋 夫 人 ︶ 小甕 骨 片少 々 蓋石文字
。
﹁
井
乃
亀
永
女
﹂
佳
。
○ 大年 居 士 小 甕 頭 蓋 骨 あり ︵
昭陽 弟 大年 ︶
、
付 記 す れば 今 回 の移 設 工事 で出 た いく つか の骨
いのうら じ ゅんじに敬務略 ・
︵
写真も ︶
解体作業 中の南冥先生之墓
保するために止むを得ず 一
族墓碑 の移設を申請して
。
認められたも のである
×
、
〇〇八︶年六月に県教育委員会
先ず 平成 二〇 合一
宛〓
福岡県 文化 財現状変更許可申請書 ﹂を提出して
、
、
承認を受け 八月二十五日亀井家縁 の方々を招き 墓
。
商で法要をお勤めして着工した 施五は国松石材 ︵
株︶
。
である
白 髪書 童 南 冥 先生 之基 ︶
を中 心
墓所 は亀 井南冥 ︵
、
。
に 前後 二列に配置 されている 以下 それぞれの墓碑
。
解体時 の概略を述べてみる
剛列 ︵
向か って右から︶
︼
。
○昭陽夫人之墓 ︵
摩桂信尼︶
大甕 骨片多数
夫
れた ﹁
亀 井源 吾 柩 只三苫 ︶
少琴
。
①潮 音 道 喜 居 士 墓 ︵
千 秋 翁 ︶小 甕 片 の 一部 は九 州 大 学 医 学 部 から の申 し 出 によ り 学
。
、
四肢 骨 他 少 々
術 調 査 が行 わ れ ている が 結 果 に ついてはま だ 報 告
。
はな い
向か って左 から ︶
後列 ︵
、
ま た 今 回 の移 設 に当 た ってはそ の詳 経 を 記 録 写
○雷 首 山 人 之 墓 中 甕 骨 片 ・
。
。
毛髪 多 数 蓋 石 に文 字 が見 ら 真 と し て残 し ている 以上 が今 回 の移 設 に関 す る概
。
略報告 であ る
○群 妙 心尼 基 ︵
千 秋夫 人 ︶ 大甕
。
骨 片少 々 蓋石 に重ねた大石裏
。
面 に文字 があ った
○白 髪 書 童 南 冥 先 生 之墓 大 甕
。
、
骨 片少 々 伝 太 刀 一
振り なし
○昭陽 先生之基 ︵
亀 井昭揚 ︶大甕 頭蓋骨四肢骨
。
ほぼ原形
。
○貞徹信尼 ︵
南冥夫人︶ 大甕 骨片少々
墓碑の配置を示す看板
、
当墓碑 は既に昭和二十八 公九八二︶
年四月 旧国
道 202号線 拡張 のため寺域 を約五十坪提供した
。
際に 一
度 移設した経過 があ る 今 回 は二〇〇五年 の
福岡県西方沖地震 で被災した当寺本堂 の再 建事業
。
に関わる理由 で移設する ことにな った 今 回 の再 建
は築 後 一八四年 の本堂を解 体してゴ﹂れま でより 約
、
二〇坪拡張した施設として計画する中 で 前庭を確
移設 された墓所。ひときわ高 いのが 南冥先生之墓。
2009年 (平成21年)11月 (2)
能古博物館 だより
を!
ヽ
想!
う!
修!
猷!
修 猷 館と 甘 巣 館
福 岡県 立 修猷 館 高校
7代館長 中嶋 昭
第2
利
亀 井 南 冥劇 を 上 演
平 成 二十 年五月 二十九日修 猷 館創 立 二百 二十五年
記念 及び校舎 改築 記念事 業 として竣 工成 った本校 謡
堂 で﹃
筑前 藩 校 絵巻 ∼猷 を修 める者 ∼ ﹄が劇 団 ショー
。
マンシップにより上演 された
天明 四年 二月 二 つの藩 校 が同時 に弧 々の声 を 上げ
。
た 一つは上 級 武 士 を 対 象 に朱 子 学 を 教 え る東 学 問
、
稽 古 所 修 猷 館 であ り も う 一つは下 級 武 士 や 町 民 を
。
対象 に径 傑 学 を講 じる西 学 問 稽 古所 甘柴 館 であ る
、
理論 を尊 ぶ修 猷 館 と 実 践 を重 視 す る甘栄館 の生 徒
。
達 は事あ る毎に対立した やがて寛 政異学 の禁による
朱 子 学 以 外 の字 間 が禁 止 さ れ 甘 柴 館 の亀 井 南 冥 は
、
、
館 長 職 を 罷 免 され 甘 栄 館 も 焼 矢 甘 栄 館 の閉 校 が
。
決 ま った 生 徒 は全 員 修 猷 館 に編 入 されわず か十 四
。
年 で藩校 としての使金を終 えた
﹁
道 に 迷 うた ら 歴 史 に 学 べ﹂
、
劇 のクライ マックス 甘実 館 焼 失 の場面 で南 冥 の数
、
出 に駆 け つけた定 良 が ま さ に崩 れ落 ち んと す る苫
∼たとえ炎が
栄館 の問柱を必死 の形相 で支え叫んだ ﹁
。
、
この身 を 焦 がそう と 、続
bを 奪 う こと はでき ぬ 炎 よ
、
、
去れ︱我 が名 は竹 田定 良 我 が志 奪 え るも のならば
。
奪 ってみよ ︱∼ 上 瞬 にし て涙 が 一
気 に溢 れだした 隣
の席 でご覧 になられ ていた竹 田家 第 十 二代当主 竹 田
。
∼
準 氏 の肩が小 さく揺れていた ﹁
学 問 は思 想 の基 と
、
。
、
なり 思 想 は志 と な る 最
心は受 け継 がれ や がてこの
、
。
。
国 を形 作 る 学 生 達 よ 己 の道 を見 つけ道 を修 めよ
、
。
道 に迷 う た ら歴 史 に学 べ お主 達 は 一人 ではな い 先
、
。
人たち の思 いが お主達 を守 っている のだ ∼ ﹂
感動 の嵐 と鴨りやまぬ拍 子 の中 で幕 が下り 全 てが
。
。
瞬 であ った
終わ った 改 めて修猷 を想う 一
劇 団 と の出 会 い
、
昨 年 二月 本 校 ホ ームページ の﹁
修 猷 の匹季 ﹂の題
。
材を求 めて言栄館 跡地 を訪ねた ﹁
修 猷 鮮 史 跡 巡り ﹂
と いう 地 図 を 頼 り に唐 人町 商 店 街 を しば し さ ま よ
った が、跡 地 を 見 つける こと が できな い。そば にあ っ
そ この二階 で
た八百 屋 さんに ﹁
甘 栄 館 ﹂を尋 ね ると ﹁
。 、
。
す ﹂と ﹃
唐 入 暗 プ ラザ 甘 栄 館 ﹄を 指 差 された おも
、
、
む ろに二階 に上 がり 偶 々居た若 い女 性 に尋ね ると
﹁
私 も よ く 知 ら な いから そ この事 務 所 に聞 いてみた
ら どう ですか。﹂それが、﹁
劇 団 ショー マンシツプ ﹂と の
。
出会 いだ った
そ の事 務 所 の壁 一
面 に﹁
唐 人歌 舞 伎 ∼筑 繭亀 門 烈
。
伝 ﹂とポ スターがたく さん掲 示 され ていた 何 と甘柴
館 初 代 館 長 亀 非 南 冥 や そ の思 想 を 受 け継 いだ門 下
生 を題 材 と した創 作 劇 を この小 さな 劇 団 は毎 年 上
。
演し続 けていた のであ る
竣 工記 念 のオ リジ ナ ル脚 本
折 しも 直 前 の二月 には講 堂 建 設 二事 が始 まり 翌
。
春 には十 年 がかり の校 舎 大 規 模 改築 工事 が終 わる
そ の竣工記念 を ど のような形 で執り お こなう かが私
。
の頭 を悩 ま す事 柄 の 一つでも あ った ﹁
修 猷 館 と 甘実
館 の創立時 の劇を本校 の講堂 で行う こと は可能 です
、
か?﹂と聞 く と 劇 団 関 係 者 は即答 せず に ﹁
修猷館 の
、
。
高葉を濁 された
竹田定良 は真面 日ですから ⋮直と と
、
それから二ヶ月 後 伸 谷座 長と スタ ッフの方 が学校
。
、
へ来られた 修 猷館 の歴 史 修猷文 化などをご理解 頂
、
、
き 上演 日程 費 劇等 細 部 にわた って何 田も話 し合 い
。
、
を持 った オリジナルな 脚本 が書 かれ 当 日 には本 校
、
剣 道 部 の生 徒 も藩 校 生 徒 として出 演 し 反響 の大 き
。
さから RKBミ ューズより DVDも作製 された
今 に続 く 天才 の生 命 力
、
劇団 ショー マンシツプ﹂と の出
今 から振り 返れば ﹁
、
会 いは遅 すぎ も せず 更 には早 過 ぎ も せぬ絶 好 のタ
。
イ ミング であ つた ま さ に亀 井 南 冥 が私 を し て甘 柴
。
館 に呼び込んだかのよう でもあ る
、
生 命 三十 八億 年 の歴 史 の中 で 単 細 胞 から多 網 胞
、
、
へ そし て人類 へと 進 化 す る中 で 一番 の大 きな 転 換
、
点 は 他 の生 命 体 を 内 に取 り 込 み 一体 化 でき るよう
。
にな ったと きだといわれている
﹁
は
猷
の
の
いたず﹂
2
栄
南
が
開
修
歴
史
犀
甘
館
亀
井
冥
。
の天才を抜 きにし て修 猷 の歴 史 は語 れな い ﹂と言わ
。
、
れ る 修 猷 館 は甘 栄 館 を 併 合 し 一
体 化 を図 った こと
に よ り 今 に続 く 生 命 力 を
。
得 た のであ る
なかしま としあき,
︵
敬称略︶
0年度 ﹁
=修猷館高校平成2
修猷
。
0140号﹂
の巻頭言より転載
N
中嶋 利昭 館 長
第59号
能 古博物館だより
(3)2009年 (平成21年 )11月
2009年 (平成21年)11月 (4)
能古博 物 館 だよ り
轟ン饉 ン晶鞭喉酢 ンン
。
﹁
海 の博物館 ﹂の評価 は ・・・・
。自 販 機 があ る と いい。飲 み物 は頼 みづ ら いです ズ 募 金 箱
。
、
6歳︶
福里 巾・女 ・会社員 ・2
だ れ も いな いし ︶ ︵
はあ るし
・美 し い景 色 です ね 。も う 少 し 広 告 し た ほう が 良 いか も
。
しれません でも ︵
入館者が︶多 すぎ るのはどう でし ょ
。
。
5歳︶
﹂の静 けさ が好 き です ︵
福岡市 ・女 ・征小
職 ,5
うね 力
。
。 日
く
っ
し
は
な
た
の
た
たら
良
か
が
で
晴
れ
が
残
念
天
気
今
。
8歳︶
も っと素 晴 ら しい空 間 だと 思 います ︵
那璽 巾・女 。2
・渡 船 場 から 博 物 舗 に来 るま での道 が、 花 や木 が沢 山 あ
3
り 、昆 虫 も ツバメも いて、 のどか で楽 しか った 15月 2
。
。
、
日来館 H 博 物館 内 も きれいで 展 示物 が見やすか った
3 ・ 社員︶
東京都 ・女 ・3
︵
歳 会
。
・
っ
と も
し
き
自
が
て
た
海
い
が
真 ︵フ ォト コン
れ
で
た
写
写
分
。
福岡市 ・男 ・能古中
︵
テ スト の 作 品 ︶ が あ って 嬉 し か った
3年 ・姥歳︶
。
,
いっぱ あ つ
白 っ と もく つろげ ていい
が
い
写
真
て
か
た
面
て
3歳︶
と思 います。 ︵
福岡市 ・女 ・能吉中3年 。1
6日 館 =
・博多湾は素晴らしか ったけど、閑散期 =1月 1
来
ら しく 寂 しか った。
ら し 。も つと 沢 由 の
は
特
別
展
素
晴
い
。
基界都江東区 ・女 ・主婦 ・9
5歳︶
人に見 て欲しい ︵
3歳︶
・ゆっくり出来てとても良かった。 ︵
基承都 ・
女,
会社員 ・3
。すごく眺 めが良 か った。海 に関 す るも のをも っと置 いて
。
0歳︶
福岡市 ・女 ・1
欲しい ︵
・ め て能 古 島 に
初
。
来 ました ここ
から 観 る景 色 が
全 部 好 き にな り
ンン緊騒閣S
亀 陽文庫 の倉」設 者 真藤 慎 ナく
︱︱︱ ︱︱ ︱︱ IL
。と にか く 景 色 が 素 晴 ら し い。コー ヒ ー が お いし か った 。係
。
り
も と も し か った 桜 の時 期 に ま た 伺 い
お
て
の
の
楽
話
人
。
4歳︶
OL・4
福岡市 ・女 ・
たい ︵
・能古島には何田も来 ているが、力
﹂の博物館 は初めて訪問
。
した テ
﹂
れだけの 設な のだからも っと多 く の方 が利 用
施
。
5歳︶
続岡市 ,男 ・6
するような PRが必要 と思う ︵
・展 示 物 に思わ ぬ感 動 を 覚 え ました。夕 暮 れ の能 古 島 が
。
青春 を再び呼び戻してくれたよう です 時間 があればも
。
︲透
う一
女・
福里巾・
主婦 ・7
度鑑賞したい ︵
5
︵
福岡市 ・男 ・会社員 ・5歳︶
。
。
O月 1
3日
・少 し暑 い Hl
来 館 = エア コンを 入れ て欲しい
。
。
︲
ました また来 ま す
︵
北九州市 ・女 ・栄養士 ・2歳︶
な
り
気
持
ち
0
︵
東京都葛飾区 ・女 ・事務員 ・4歳︶
・永 福 寺 の横 を 上 ってき て門 が
あ った ので こ こか な と 思 いま
、
し た が 博 物 館 の建 物 ま での
れ てい
石 量 の道 がち ょ っと 舎加
。
る ︶ 草 は生 え ている し 残 土 置
場 みた いな のがあ って道 を 問
。
﹂れ では 来 館 者
違えたかと ア
。
も 引 き 返 し てし ま いま す よ
福岡市 ・女︶
︵
・窓 外 の欄 を 少 々刈 り 込 ん で海
の跳 望 を も う 少 し広 げ る と 良
。
基 氷奎 一
鷹市・
いと 思 いま す ︵
3歳︶
男 。大学教員 ,4
セヽ
に
リ ニュー アル後 の展示内容 を来館 者 はどう受 け止 めて
。
いるか o・・・
。
来館者 が寄せたアンケートから さぐ つた
︵
糟 庫 郡篠 栗 町 ・女 ・会 社 役
。 晴らしい場所です︶
しかし入り日の鋼像 ︵
素
真藤慎太郎︶
。
は亀 井 南 冥 にすべき ですね 真 藤 像 は下 の庭 に移 し て
。
8歳︶
はいかがでし ょう ︵
那覇市 ・男 ・会社員 ・5
。
4歳︶
・檀 一
福岡市 ・男 ・
無織 ・6
雄についての展示も欲しい ︵
・眺めも良く、静かでのんびりとリフレッシュできました。
お食事 ︵
有料 ︶のサービスがあ ったらいいなと思 いまし
。
︲歳︶
福岡市 ・女 ・販売員 ,2
た ︵
。開 舗 日 が 変 則 約 。今 日 は た ま た ま 開 いて いた の で訪 れ
。
ま した も う 少 し 時 間 を 取 ってま た 訪 れた いと 思 いま え
る
く
き
れ
×
0月から本年 0
3カ月 にアン ート
1月 ま での1
昨年 1
間
ケ
用
。
6
紙 7枚を回収した
。
質 問 項 目 は 二 つ 最 初 の質 問 では
。
﹁
展示 の何が興味深か ったか﹂を聞いた
1
1
項目 ︵
今年 3月 の大型ジオラマ展 示
2
後は1項 目に増やした︶を列挙して1
番 から 5番 ま での順 位 を 記 入 し ても
。
ら った ︵
人気投票 ︶
。
海 の部
二つ目 の質問 では新設した ﹁
屋 ﹂を中心に館全体 の印象や展示内容
、
に ついて 率 直 な感 想 を書 いてもら っ
。
た︵
評価 ︶
。
まず ︵
をご紹介しよう
評価 ︶
◇全 体の印象◇!! !!
・新緑 と海 をヤ 分 に味わわせ て頂 き、
この世 の暗 い︶
時忘れさせられるぜいたくを
王 ︱スを 一
しました。またゆ っくり館内を観 る ことができ、と ても
リ ッチ な 時 間 を 過 し ま し た
6
員 ・6
成︶
・ 岡 に いな がら 知 ら な いこと ば かり でと ても 勉 強 にな
福
、
り ました。
丁寧に展示品 の案内をして頂 き より深く知 る
。
0歳︶
ことができて良か ったです ︵
福岡市 ・女 ・非常動職貝。3
・すご く く つろげ て良 か った です。博 物 館 に こんな と ころ
。
4歳︶
飯塚市 ・男 ・学生 。2
があ ると は思 いま せん でした ︵
館の前庭に大きなゴザ (館の備品)を 敷いて持
参 の弁 当を楽 しむグル ース サクラの季節は隠
れた人気スポットだが、手入れが行き届かず歩
道のでこぼこや樹木の繁茂が目立つ。
。
窓 辺 に広 がる博 多 湾 の景 色 が素 晴 らしい なんと も 心
。
地よい素 敵な ひと時を過ごせました コーヒーもおいし
。
。
5歳︶
か った 感 謝しています ︵
福岡市 ・女 ・4
。
音 のこと がよく 分かり ました 景 色 が良か った です。ま
7歳︶
︵
福岡市 ・女 ・学生 ・1
ました
。
︲
︵
福岡果 ・女 ・5
歳︶
・海 の部 屋 か ら の博 多 の町 は最
。
尚でし た も っと アピ ー ルし て
一
沢 山 の方 が来 舗 し て鑑 賞 でき
。
︵
相岡市 ・女 ・
た ら 良 いです ね
2
主婦 ・6歳 ︶
。いつもとは反対の方角 ︵
能古島︶
から補 岡 市 内 の方 を 見 て素 敵
0 ︶
i婦 ・6
歳
・素晴しいのひと こと です的いつも向 い ︵
百道浜︶の我が家
。
。
から こちら を 眺 めています また来 ます ︵
福岡市 ・女 ・
来 ま した
・窓 越 し に見 る 光 景 が 分 か る 主 な 山 や 建 造 物 な ど のガ イ
1
ド図 あ ば い
はな いでし ょう か = 同 じ く 1 月
が
れ
良
の
で
。
2
8歳︶
福岡市 。男 ・6
2日米 館 日 ︵
・福 岡 市 が 一望 でき て落 ち 着 いた 空 間 でし た 。ゆ っく り 盛
。
2蔵︶
︵
広島市 ・男 ・会社員 ・5
。
だ な と 思 いま し た 大 き な ガ ラ ス窓 の向 こう は 素 晴 ら
。
し い写 真 を 見 て いる よ う に 感 じ ら れ ま し た 盆 岡市
3歳︶
・女 ・主婦 ・6
。初 め てき ま し た 。対 岸 の福 岡 市 内 が 分 か る よ う な も の
があ れば いいと 思 いま す H ジ オ ラ マ展 示 前 の1 月 3 日
。
5歳︶
東京都世出谷区 ・男 ・会社員 。4
立企麟 = ︵
衰 えないサザ エ さん人 気。
◇ サザ エさん 誕 生◇
i
・貴 重 な 長 谷 川 町 子 さん のイ ラ スト を 見 る こと がl
1来 て
︱
と ても 嬉 しか った。生 き 生 き と し たイ ラ スト はず っと 見
。
ていても 飽 き ま せん でした 福 岡 にいな がら 知 ら な いこ
とば かり で、と ても 勉 強 になり ました。丁 寧 に展 示 品 の
、
案 内 をし て き より く る こと ができ て良 か った で
頂
知
深
0歳︶
ェ。
福
岡
︵
市 ・女 ・非常勁職員 。3
す
、
◇ 里上 初 ヨ ツト で太 平 洋 単 独 往 復 ◇
。
。ここは
き
まし
の
な
を
に
い
私
て
大
好
で
す
年
来
場
所
毎
桜
見
、
9日
た が 子 ど も が死 ん で3年 ぶり に来 ま した =3月 2
。
。
来 館 = 涙 が出 た け ど 来 て良 か った 桜 が待 っていてく
。
4歳 で、死んだ
れました 牛島龍 介 さんの最初 の冒険 が2
。
子ども の歳 と同じでした 大きなお写真 が子 の笑顔 とだ
。
、
ぶりました 今頃 ︵
子ども は︶空を冒険している こと で
。
2歳︶
し ょ>
つ ︵
福岡市 ・女 ・6
。牛島 さんと 一
緒 に旅 をした犬 のスキ ッパーはそ の後 どう
。
9歳︶
な ったか気になり ます ︵
福匡巾・女 左吾
社員 ・4
◇海外 引揚げの話臓◇
。引揚げ 港 といえば 舞 鶴しか知らなか った。博多 港 の記録
。
、
を見た のは初 めて 伯 母 が満 州引揚げ 者 で ソ連 の悪 日
ば かり 聞 か さ れ てき た だ
こん な に悲 惨 な も のと は
。
知 ら な か った 原 爆 と 引
、
揚 げ は 中 身 が違 う が ど
ち ら も 二度 と 起 こし ては
。
ならない
︵
福岡市 ・男 ・
︲
無職 ・6歳︶
▲ 別 館 2 階 の︶ 上 が って
す ぐ のと こ ろ に 掲 示 さ
した
。
3
︵
福岡市 ・女 ・5歳︶
・金印 の話や東西 の学問所、亀井家 の文章に興味 があり ま
◇亀井南 冥◇
・母や姉たちに聞 いていた引揚げ時 の話 が、展示 された絵
。
や コメントでと ても よく 分かり ました 戦争 の経験 はし
、
。
たくない させたくないと強く思いました ︵
福岡市 ,女 ・
8歳︶
無職 ・5
2歳︶
福岡市 ・女 ・無職 ・8
︵
3歳︶
無職 ・6
。
︲ 0
。私 も 引 揚 者 です。2
年 1 月 に 引 揚 げ てき ま し た 写 真 や
。
。
ビ デ オ を 見 て感 動 し ま し た も う い っべん 来 た いです ね
れ ている ﹃
海外引 げ の
揚
。
記 憶 ﹄の森 田 さん の説 明 文 にジ ー ンと な った ﹁
母 さん の
。
手 を離 さな いで , ・ 。﹂当 時 3般 だ ったば く のイメージ
と 重 な り ま し た。優 し く て強 い母 でし た。 ︵
福里 巾・男 ・
6 0 数 年前の 「
海 外 引揚 げの記憶 」
はいまも生々しい。
た来 ま す ね ☆
メ ッチ ャ景 色 き れ いで感 動 です 7,, こん ど は晴 れ の日
7歳︶
に来 た いな と 思 いま す ☆ ☆ ︵
福岡市 ・男 ・工
局校生 ・1
と ても 素 敵 な 空 間 です。自 分 た ち 独 自 の歴 史 に ついて考
。
え る ラ ッキ ーな 機 会 にな り ま し た 次 回 は大 入 だ け で
。
。7
ゆ っく り 来 てみた い ︵
種里巾・主婦 3
歳︶
。
整 然 と し てき れ いだ った ﹁
命 の授 業 ﹂の写 真 がと ても 良
。
4歳︶
い ︵
柄岡市 ・女 ・“務典 ・6
。
福岡市 ・女 ・バイト ・0
4歳︶
能 古 島 に住 みた く な り ま し た ︵
5
全宮市 ・男 ・会社員 ・5歳︶
。
。
素 晴 ら し いのひと こと 機 会 があ ったら ま た 来 ま す
◇﹁
海 の部 屋﹂
◇
と ても素敵な眺めで大変気に入り ました。対岸を 一
望で
。
き る場所 って初 めてでした またゆ っくり のんびり友 人
0歳︶
と眺めに来ます。 ︵
福岡市 ・女 ・非常助職員 。3
ぅ能古島 の片想 い〃
い
を聴きながら湾を眺めるなんて粋 ︵
。
き︶な はからいですね 陽水世代 の自 分としては涙 がこ
ば れ そう にな り ま
。
した
福 岡 市 ・女
︵
3蔵︶
.5
ん な 知 識 が 広 がり
古 島 に出 来 し た 色
晴 ら し いだ ろ う と
。
想 像しました 能
て聴 いて感 激 し ま
。
した 夜 景 は美 し
く 、 桜 の季 節 も 素
。井 上 陽 水 の″
能古
島 の片 想 い〃を 初 め
牛島竜介さんが世界 一周航海 に使 った本
船用霧笛の轟 ( ごう) 音に驚く子どもら。
第59号
能古博物 館だより
(5)2009年 (平成21年 )11月
5
4
︲ 日
4
︲ 日
2
︲ 日
月
3
月
︲
︱
月
展 示 物 の人 気 投 票
首位は ﹁
海 外 引 揚 げ の記 録 ﹂
地元 の昭 和 史 に深 い関 心
。
﹁
え 押嬢 鶴 溢 じ ゃなか った の﹂ ﹁
隠多
雄 が要 あ げ 稼 受 拶 入れ 国 ぬ 一だなん て
。
知 ら な か っ施 旗 ﹂ 鯛 餓 塗簿 の反 示 ﹁
海
外 畿 あ げ の融 績 ﹂が蒸 簿 蕪 アンケ ー 益
。
﹁
郷壌 深か ったも の﹂のホ ップ縁 占 めた
既 に普 樫癒 滅& 繭 進な る騒 欄 費 のひと
、
コマ進 縁 く の乗 鶴 議 がく ぎづけ鷹織 っ
。
た
設間 ﹁
特 別 企 画 展 を 見 て興 味 深 か った のは 何 でし た か ﹂
1番 か ら 5 番 ま で順 位 を 付 け て下 さ い。
順 位 1番 2番 3呑 4寄 5番
0 長谷川町子さんの写真 5 2 6 3 4
3 4 7 2 2
①海外引揚げの記録・
写真 1
②ヨットマン午鳥竜介育年の記録。
写真 9 7 5 3 5
0新たに建造した本製の和船 9 4 5 1 2
特 別 展効 果 で入館 者 4割 増
。
、
。
※数字は入舶者による投票数 O は本年3月 新たな展示に伴い追加した項田
︵
U浜谷町町子さんと百道浜の関係 4 2 4
の作品集 3 6 3
海外引揚げ漫画家﹂
0﹁
0本裂の小型ヨット 2 3 3
0森田季次さんの辞下ろし作品6点 1 2 1
③家古軍船 の礎石 1 3
⑩五ケ浦廻船の失物模型 6 5
0癖多湾の大型ジオラマ 2 2
②日の丸と細際信号族の掲揚ポール
32451245
<注 >
平成 2 1 年 度 は1 0 月末 まで7 ヶ月間のデ ータ。
日
140
月
1,715
日
122
日
21
0
︱
143
日
2,153
日
15]
。
最 適 昏等 総 の麟館 輝数と総 入館 態 数を まと めた
、
を含 ん
審 議 機 生 援下 や据待 騒 糖 な ど︶
無 糠 人揚悲 ︵
。
でおり 入館 綿 施瞳癒 す るデ 母夕ではな い
20
8
︲
3
︲
5
︲
5
︲
2
︲
8
106
w月
附
5
︲ 日
5日 月
︲
1,749
2月
12月
入 館 者 数 月 間 最 高 483 人 を 記 録
、
3
︲ケ月 間 毎 月 3ケ タ を 達 成 中
智ン
︲
3隷ンンン餡餡雛
165
95
14
日
110
日日
麺 ヽ熙ンンンンヽ経ンヽ
5
︲
︲
爾
4
中
︲
5 ンンンンンンンヽ鱗
︱
臨
︵
端
い
押
欺
鵡
艘
,
一
郷
︲・
︲6
19
2,615
│:li盗
1盗
5
︲
2
M月
︲
8
2
4
亜月
︲
滋 圏 され る の
は平 成 鮒年 魔 の
整適 当 たり 人 揚
蕪 数 の相 騒 であ
。
る 愚劇 強 呂 進
錮 器 移な 郷 疑 年
戴 念 播 劇展 の効
繋 な 反 毅 じ て磁
密 魔 に競 べ4制
。
彊 じ 進 な った
魂 薄競 蕃 触筆 魔
も 好 調 稜播 続 じ
。
ている
275
107
│
│
13繁
11310326
18
2,943
平成 1 7 年度 2 7 5
ゑ
γl 雫
7
︲
2
︲
期
0
中
3
鞭 畿 頑 後 の滋 議 幾 な 知らな い議 い人
たち 慮秘 あげ 捜 醸 家 の会 のイ ラストほ
6 く つ
は な た療 塚 不 二夫 さん
騒 入 つた 一
。
も 重んな態 鋳 稜じた のか ﹂寧 隻 風 の襲
。
女 がけんみり 識 移倫 っていた 韻 揚げ 鶴
験 密 法 議感 じき轟 総 議 の第嬢 艤会揚 遣
、
設 選 じ 施品 録 ぜデ 溶 の機 像 巻 繭 鷹 そ
っと涙 縁 込いていたc登鞭 縄 透 く 動 越う
。
&じな い繊 磁 の安 盤 の姿 もあ った
ついで﹁ヨヅ革蕎 年 磐 晶 寵 介 さん ﹂が
人気 縁 集 めたず転ち ら 鹸麹 元 癒 嫁 の議
。
論 が 範年癒 にや っての勝漁搬挙 しかし
ウ シジ マ フ韓 ?﹂の
多 く の乗 鶴 雄 が ﹁
。
躍 じ鞠 代 の堀 涯 蕎 年 艤鯨
箱 様 だ った ﹁
っていま す か﹂& 異 田冠 音 艇講 じ、郷 故
のと︱ 醇離 が鬼 串 進意 れ法 ら れ ている
。
寵 越 縛 徽 鮮 が毅 り
現 実 進驚 伸ていた ﹁
上げ てく れな か った ら 鬼 全 艇怠 れ法 も
。
れ ていま したね ﹂触 変 な 題め〓 襲 艇懃
。
幕もあ った
綴 する 一
、
総 じ て盟 穐 費 の関 儀 が畠 く サず 重
。
さんな蔭 適 淡 の震 示 も 上綾 漣な った
◇騒醒鶴鶴闘鶴闘寵寵畿麹総八畿籠畿◆
│
│
。
最 近 3年間 の各 月ごと の入
をグ ラフにし てみた 開
館
者
数
、﹂こ も 0
館 日数 と の関 係 で単純 な 比較 は出 来な いが テ
で 2周年
、
1月 と 今 年 1月 を 除 き 今
調 念 特 別展 の効 果 は顕 議 で 昨 年 2
。
、
1 月 ま での3
1 ケ月 間 毎 月 3ケタ の入 場 者 数 を 記 録 本
年0
。
年 5月 のフル操業 では48 3人 の最高 記 録 を マークした
400
野 ■
純認
300
最 近 3年 間 の 入 館 者 数 (月別 )推 移
中キ寿率寺 2007(平成19)年度
‐│■
‐‐12000(平成20)年度
2000(平成21)年度
ン
※停グラフ下の挙字は甲館日率
500
(人)
2009年 (平成21年)11月 (6)
能古博物館だより
グ ループ の来館増加
、 、
高校盆 露予 郷土彙稜学ぷ会 ︰︰
。
グ ループ で館 を訪れる人々が増 え てきた
、
今 春 4月 福 岡 県 紘 修 猷 館 高 校 の生 徒 た ち が中
。
嶋 館 長 に引 率 され てや ってき た 亀 井南 冥 と 修 猷 館
と の関 わり を 南 冥 劇 の校 内 上 演 ︵
本 誌 3貰 参 照 ︶で
。
、
知 って 能 古島 遠 足 の帰途 立 ち寄 った
関公民館長 に島の歴史を学ぶ 「
郷 土史
のぼせもん倶楽部」の会員 たち。
ヽ
紙:
‐
群群蒼
修猷館高校 の生徒たち(前列右端は中嶋館長)
卵
痩
的
韓
呻
唯
嘩
靱
押
鋪
印
般
の
研 究 した こと でも 知ら れるよう
、
に 事物 への学 問的な まなざ しは
。
編澤にも影響 を与え ている ﹂
・
白
に
を
え
石
山
照
い
た
強
影
響
与
。
と﹃
福 翁 畠 伝 ﹄は言 及 し ている
、
南 冥 の名 は今 日 士
心賀 島 で発 見
された金 印 を いち早 く 実 証 的 に
2度 目 の開催 函 区の術事 庭移 鶴
0
2
周 年 記 念 事 業 の 一環 ﹁
親
子 で学ぶ五カ浦廻船クルーズ﹂
は昨 年 に続 き 小 戸 ヨット ハー
日︶
に開 催 し
バー で9月 解日 ︵
。
た 今 年 から 福 岡 市 西 区 の
題 だろう
年 の検 討 課
。
が 一因 と み
。
られる 来
徴収した の
﹁
西 区 ま るご と 博 物 館 IN小
夏 8月 には平 和を考え る会 の女性たちがお子 さん
。
戸 只主 催 。
西区 ま るごと博 物
遵れで来 館した 隅会 は福 岡 友 の会 ︵
雑誌 ﹁
婦 人 の友 ﹂
。
。
コ野 原 ホー
のメ ンバー が中 心 ﹁
愛 読 者 の金 田 組 織 ︶
館 推 進 会 ︶に移 行 事 業 継 続
、
、
。
亀 井南 冥 昭陽父 子の肖像 画
日
ル﹂を使 って引 揚げ 体 験 者 の話 を聞 き 持 参 した ﹁
に弾 みが ついた
。
﹁ を ひらく 。
4人。ハーバー のクラブ ハウ ス2階 で
に鶴
意
品
乗
諭
泰
の丸弁 当 ﹂を食 べて敗戦 後 の食 糧 難 を偲 んだ
未
福
澤
震
展
﹂
は
者
参
加
総勢 1
、
福 岡市美 術館 で開催
座 学 を行 い 黒 田康 介 理 事 の解 説 で能 苗島 や糸 島 半
。
、
島 の廻船 の歴 史 を学 んだ 江戸 時 代 の輝 かしい史 笑
当館 が所蔵 常 設 展 示している亀 井南 冥 と長 子 昭
、
、
目 の前 の海 に千 石船
を知 る人 は地 元 でも 少ないが ﹁
4
日
け
に
陽 の掛 け幅 が 5月 2日から 6月 1
て
岡
か
福
0 も
と
と、子供た
市 美 術 館 で開 催 さ れた ﹁
福 澤 諭 吉 展 ﹂ が 5隻 浮 かんでいた﹂ 黒 田理事 が話 す
未来 を開 く ・
。
ちば かり かな いお父 さんやお母 さんま でが驚 き の表
に踏 品
された に
展
示
写
真
。
情 を見せた
亀 井 南 冥 と 福 澤 諭 吉 はど のよう な 関 係 にあ った
クルージ ング は昨 年 同 様 2隻 の外 洋 ヨットを 使 っ
◇
。
のだ ろ う か ﹁
種 澤 諭 吉 の思 想 形 成 只 今 永 清 二著 ・
海 戦 わた つて熱 心 に聞 いた
。
て行 った 政 命 胴 衣 を付 けた親 子 は絶 好 の風 のも と
19 79年発 行 ︶は次 のよう に記 し ている。
。
を帆 定した
先 人 の海 ﹂
約 2時聞 にわた って﹁
◇ 主 な グ ル ー プ 来 館 次 の通 り ◇
﹁
1 743∼ 18 14︶
と長
福 岡 の儒 者亀 井 南 冥 ︵
天 候 に恵 まれな がら 参 加 者 数 は予 定 した 0
5人を
、
。
子 昭 陽 父 子 の学 風 は 福 澤 の師
昨年
大 き く 下 出 った 主 催 者 が参 加 費 1 人 千 円 ︵
は 無 料 ︶を
、
、
▽1月 =能古中生徒 3 牛島竜介氏筑紫丘高校同級生 8 士ロ
、
0
田福岡市長 一
行 5▽2月 =吟行 7 日野原先生講演会 7▽3
、
4、能古 小教員 8、地
月 =愛 宕 体育 振興会 8 九大奥 野先生 2
、
8
元 の東町内会花見 1▽4月 =小田部公民館 5 修猷館高校教
、
5
7、 旬会 7、
円
謡曲 の会 9 新老人 の会 1▽5月
員及び生徒 2
光
︲、
2、
5、
=小田部公民館 2
九大能古会 OB会 3 光円句会 3 ディサ
4、
1
ー
ービ ス清 和園 2
9
ン
シ
タ
▽6月 =福 岡高 校
人
セ
ル
材
バ
︲、
6、
5▽7月 =西日 リビング の旅 3
O B2
地元大学生 1 地元
本
︲、
0
旅館投宿者 2▽8月 =平和を考え る会 6 少年科学文化セン
0
0、
5
=
9
タ16
月
▽
大阪同企連 1 のぼせもん倶業部 7▽1月 =西
8、山の 8
2、のぼ もん倶業部 1
会
区公務員退職者連絡会 2
せ
L
黒 田理事 のていね いな解 説。
親子を乗せ出航する外洋
ヨット。
背景は能古島。
第59号
能 古博物館 だより
(7)2009年 (平成21年)11月
(8)第59号
能古博物 館だより
2009年 (平成 21年 )11月
森
森
杜
南
轟
全
暑
冒
寮長
恵高
笙属
暑
言
君
晶番
留募
出営
属
震
沓
幾
雀
秦奮
弊膏
余森需黎
膳
皿
冒
享
愁
暑
繁 験攣 牧 集 聡 進 進
雷 曇 ョ ラ 軍 茅製短警壱疹攣館寝暑寧
享
( 徒歩 約 5 分 )
名 所 旧跡
お食事 、
主要 施 設 な と
博 物 館 案 内板
少 し急な勾配の
一 般道(
車通行可)
網 め 踊 える 縮 擦 物 館
‐ H報
猷歎
蓋十
A
轟議畿譲簿轄
観韻
寵
軽
!鄭
■
■│■ 罷
/搭
て
は ■
本
石
│
雪
亀
断蔽承
バ ス停
議策播 ‐■ ■
・
挑
筆
単軍
統歩和6 オ) 福
旅館
製麺所
食 事処
岡能古郵便局 督 │
食 事処
‐■
1 渡 船場
入 館 料/ 大 人4 0 0 円 高校生以下無料
X 団 体にてご入 館の 場 合は 曜 日にかかわ らず ご相 談 くだ さい
由轟
寵
贔
熙ン
30ま
で)
開館 時間/ ] 0 ! 0 0 ∼ ] 7 : 0 0 ( 入
館1 6 を
サ1 6 : 0 0 )
:10i00ヘ
( 冬: 妄
00
0∩ ∩
1
│
〒819-0012福 岡市西区能古522‐ 2 TEL 092中 883‐ 2887 FAX 092‐
http://nokOnOshima… museum orづ p E― ma info@nokonoshima中
理 事 長 兼 館 長 原 覚
'日 曜 と祝 日
日 /毎 週 金 曜 土 曜
(注)冬 季 (12月 ∼ 2月 )は、年末年始及び展 示
物 入 れ替 えなどで臨 時休 館 する場 合 が
あります。事前 にお問い合せ願 いま抗
5 。
3一
m
4一
開 館
問合せ
姪浜旅吾待合所T E L 0 9 2 - 8 8 1 - 8 7 0 9
能古旅富待合所T E L 0 9 2 - 8 8 1 - 0 9 0 0
。。 5
3
3
4
一
i
,
一
。3
。1
。0
5
0
一
,,
京
市営地下鉄 : 「
姪浜駅」下車 乗り継ぎ
西鉄バス姪浜駅 南回
9 8 番 能古渡船場行 i 約1 5 分
タクシー i 約1 0 分
能古島渡船場より博物館 まで
徒歩 5 ∼ 1 0 分 ( 2 つのル ー トあり)
西鉄バス 「
学校前」下車、
徒歩約2 分
り
0﹁
能 古博 物 館だより﹂を年 数 回お送、
。
こ
致します また会員の皆様 の御寄稿 ネ
。
意 見は同紙に掲載致します 但し諸事
。
情 で掲 載 を見送 る場 合が ござ います
。
予めご了承下さい
0 館 が企 画する催 物 のご案 内 と参 加 費
の割 引を致します。
︵
財︶
亀 陽文庫 能古博物館
天神 三越前 l A の りば
3 0 0 、3 0 1 、3 0 2 香 能古) 受
n合
場イ
子: ネ
匂3 0 分
市営渡船( フェリー)
姪浜 一能古島 間 : 約1 0 分
︲セ
56789︲
0︲
一!一一一!
一
アクセス
ス
西鉄′ヽ
」R 博多駅 博多田正面A の りば
3 0 0 、3 0 1 、3 0 2 香 能古) 受
舟
匂5 0 分
合場イ
テi ヤ
み料 は当 館 に て負 担 さ せ て頂き
0 振 込。
ます
、
0 受付け次第 △蚕員証とヨーヒーチケツト
。
をお送り致します
。
0会費有効期限は1年と致します
0 入館時に会員証 貧こ同伴1名まで有効︶
。こ
を受付 けにご提 示 下さ い ネ
入館 は随
。
意 で回数制限はなく無料 です
0 コーヒーテケットで挽 きた ての香り豊
。
かなコーヒーをサービ ス致します
魂難‐
・さ
配
鑓諌‐
│.‐
友 の会 入 会 の ご案 内
協賛会 ・
>
一協賛会会費
<
,
何口でも可︶
個人︱ロ ー0,000円︵
法人︱口 30 000円︵
何口でも可︶
口友の会会費
,と
,
キ甲の
,
,`F…
お 勧 め ヨー ス
( 往歩 約 1 0 分 )
, 健 脚 向 き コー ス
︱口 3,000円 ︵
何 口でも可︶
※ 会費 の納 入方法
9I
60970
郵便振替01730モ
財団法人 能古博物館
‐― 主 な 道 路
‐ ■■‐= │ バ ス 通 り
散策踏
釘幣純転惜L龍輪槃鋪
増藤福 原 原永戸
田井 山 野 井
真寛
康 鉄智澄 豊 雅
治夫美
貴
日順
︵
敬称略 主 十立
寺寺出
津津多平
田
坂日
村田籍
祐
隆親 二
曙 援賓智
暑
暑
雷
醤
昌
置
昌
昌
昌
暑
旨
暑
]曾
昌
冒
母
替
昌
暑
曾
母
暑
昌
旨
魯
昌
暑
暑
暑
暑
季李ξ晶壕安隻
鰻八騒麓畿畠
古
家〓一
彰
明三
元則
二郎
善之
律子
昌夫
小山 一
示子
小山 一
境 ト モエ
榊 和美
執行 敏 彦
篠田 栄太郎
篠原 ヨシ子
柴本 隼 太
白橋 裕 美
進藤 邦彦
杉 原 正毅
杉山 謙
住本 霞
住本 直 之
瀬 戸 美都 子
瀬 野 雄 市
美
芹 野 一一
高木 いづみ
高 崎 幸 江
襄
高根 一
武 田 洋 子
田坂 大 蔵
田里 朝 男
題代 朝 子
泉
立 石 一
鶴田 スミ子
泊 秀治
菖ヽ
水 靖 雄
長 尾 動小
太
永岡 童犀内
中島 怜 子
敬 称略 ・
五十 音 順 ︶
魔 鶴 姦蚕姦誘締
襲 ︵
添仁見 朔朔 毛熊
島保 地 戸 谷
敬称略 ・
五十音順︶
濃 人寵 甍畿 畠 ︵
医療法人 笠松会 有吉病院
︵
株 首豆友 技 建 工業
シー
エイ ・
税理士法人 エム・
︵
有 ︶タカ テクノサービ ス
ギ r フリー倉
医療法人社団江頭会 さくら病院
特別養護老人ホーム なごみの里 ︵
株︶ホームケアサービ ス
医療法人社 団廣徳会 岡部病院
︵
株︶サンコー
浄満寺
福 岡住宅流 通サービ ス︵
有︶
︵
株︶メディカルアシスト言葉
西日本シ アイ銀行土井支店
C D S
医療法人恵光会 原病院
福 岡り八ビ リテーション病院
センタ ービ ジネ ス
︵
株︶彩苑
福 岡 メディカ ルリー ス
g冒
雪
岳
雪
]曾
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久亀岡上石安明
保井部野 野藤石
883‐ 2881
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