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能古博物館だより 第12号
′ 氏 ︻ -2-配 . て ,ゑ l 士 r !! 〓壬 羊 掟 五 企画展開催記念発売 少 乗 ﹁於 多 福 岡 ﹂ 共催/ 福 岡市 ・福岡市教育委員会 │‐ 後援/ 福 岡県 ・福岡県教育委員会 ・西 日本新聞社 N H K 福 岡放送局 ・テ レビ西日本 徳 川 家 康 ︶ 御 採 用 の学 と し て朱 子 ︵ 。 学 派 の衣 看 板 にし ます 儒 学 を根 幹 、 にし て教 理を 立 てた学 派 に陽 明 学 占 学 派 が あ り、 大 い に朱 r 学 派 に反 、 、 推 し て そ の矛 盾 を指 摘 し ます が 。 徳 川幕 府 によ って処 分 さ れ ます 、 そ の 一つが わ が福 岡 にお け る亀 。 井 南 冥 の受 難 です 、 有 名 な福 沢 諭 吉 は ﹁身 分 と 階 級 。 、 は親 の仇 でご ざ る﹂ ま た ﹁人 は人 中 国 伝 来 の儒 学 に基 づ く朱 子 学 を 巧 、 妙 に延 用 し た も の で す べ て神 君 人分 ︵ 人 が分 け た︶ と いう観 念 を強 。 、 制 され て いたわ け です そ の教義 は 、 江 戸 時 代 と いう のは 一般 の庶 民 i ︲ま る よ うな 日 々 であ った i には忠 が! l と 思 います。 そ の最 大 の原 閃 は身 分 。 制 度 です 、 武 士 は 為 政 者 と し て庶 民 ︵ 農L 、 商 ︶ の上 に位 置 づ け ら れ ま す が 武 ■ にも厳 と し て階 級 があ り、下級士、 足 軽 な ど は上 級 士 に対 し て頭 が上 が ら ず、 これ ま た終 生 、 永 代 にわ た っ 、 て窮 屈 よ ほど の こと が な い限 り上 。 級 にはな れ ま せ ん こう し た身 分 と 階 級 は大 理 により す ! く 4 秒 理 搾 魂 戦 輪 一 一 会場/亀 陽文庫 青 セ 古博物館 総頁数 1 5 5 頁 特殊紙 ・布装 ( カラー6 0 貞を含む) 定価 3 、0 0 0 門税込 送料 3 1 0 円 期 /晋 今 Fい 甲 岬 健 縄lf千 TI,早 ず (月曜が祝日のときはその翌日) 主催/財 団法人 亀陽文庫 能 古博物館 、 、 の上 に人 を つく ら ず ﹂と 名言 にし ﹁わ が 先 生 は亀 井 が 大 信 心 で ⋮ ⋮ ﹂ 、 な ど と も 言 ってお りま す が 彼 の師 ︱ は中 津 藩 の白 右 照︱ ︱で亀 井 昭 陽 を熱 。 心 に私 淑 し ていま し た こ の相 沢 諭 占 の言 葉 も 、 す べ て明 治 にな って の こと で維 新 前 に占 って 、 お れば 南 冥同 様 に終 身 拘 束 は免 れ 。 な か った と思 いま す し か し、 こう し た開 明派 によ って 、 近 代 は つく ら れ 旧体 制 の中 にあ っ 、 て福 沢諭 吉 な ど は上 子 に勉 強 そ の 。 知 識 を も の にし た わ け です 、 、 、 、 詩 書 同 こ の文 芸 趣 向 は 身 分階級 の外 に立 つ 一つの■ き方 であ っ 、 、 。 た と思 います そし て 亀 井 少 栞 、 i川 下 篠 な ど は と も に父親 が開 明 、 、 的 な 思 想 を 持 って いた こと これが ︵ 亀 陽 文 庫 理事 長 庄 野 寿 人 ︶ 彼 女 たち に大 き く作 用 し た こと は否 。 め ませ ん 、 いま 一つ 両 女 に共 通性 が あ る の 、 は ど ち ら も後 嗣 つま り家 を継 ぐ子 。 、 孫 を得 る こと 少 茉 は 十女 を失 っ 、 、 た後 弟 の 一 男 を 一歳 で引 き取 る 。 つま り養 子 にし てL子 に勉強 させた 、 ヽ篠 は ■卜 九 歳 でニト 七 歳 の大 、 を 迎 え て三年 後 美 事 に男 子出 産 と いう当 時 の女 性 年 締 か ら は神 わ ざ に 。 近 い願 望 達 成 を 得 ま し た 〒 819 福 岡市西区能古522-2 6(092)883-2887 館 物 博 財 Ll法 人亀陽文序 台 ヒ 古 発 行 『門 秀亀 ) 卜 少 乗伝 』 務 1 二川玉篠 二一 亀 井少美 │‐ ‐ だ ‐玄 々 =ニ 江戸後期││1無 1翻 rl闘 秀│1展 ` F成 4年 3月 31日 り よ だ 館 物 博 古 能 (増刊 'j) 12号 (1)第 fタ ︵ 訓 ユ じ 少 栞 の夫 雷 首 宛 書 簡 、 小 書 謹 呈 岩 今 朝 急 に帰 り 。 を 請 う故 不 一 一 昨 帰路 は 。 、 健 足 姪浜 より道太郎 帰 り 、 、 宗 迎 え来 り 晩 景 に家 に 。 、 達 す 道 に偶 管 蔵 にあ い 。 友 は安 心 此 の上 は無 し 今 日、 下 着 唯 子 を 作 り便 に附 。 せ んとす る に能 わず 残 念 。 、 限 り無 く 如 何す べからず 。 。 流 行無 し 安 。 不具 小妾 友拝 呈 他 は後 便 に期 す 家 は皆 無 事 。 心 七月 朔 夫 君足下 、 、 。 本 月 六 日無 事 二大 坂 着 之 書 十六 日叔父博多 ヨリ持 チ帰 り 十九 日 二兄君 今 宿 二持来 ル 、 。 、 析 々止 ム ベカ ラズ ド ヲ シタ速 ナ ル コト ニ候 ヤ 九 日 二鮮 ヲ作 ル 其 日足 下 硯海 渡 リ ノ書 達 ス。 十 九 日 二又鮮 作 ル。 順也 告 ゲ テロ ク、 今 日大 坂 ヨリ ノ書 来 ル モ知 ル ベカ ラズ ト。 果 シ テ然 り、 果 シ テ然 り。 ク候 。 、 、 先 日 叔 父 卜談 ジ 足 下 ノ誕 生 祝 ヲ三月 。 、 十 一ロ ニ致 シ候 又 営 二酢 ヲ作 ルベ シ其 。 頃 ハ江 都 着 ノ書 相 違 シ候 ハン 岳︲ ま ︲ ヘ ☆ も母 沖 , A 、 嘉 介 へ購 ど ザ ル コト心 に轍 り 忘 ル可 貯 合 一 、 、 カ ラズ 候 ヨフヤ ク案 ジ 付 キ 書 画 ヲ送 ≡ り申 シ候 。 此 ノ内 五 六 枚 お遣 シ成 サ ルベ を 一 答 よ 付 整 ,1 氏玄 え 雫 歩ず f た久■ 汲 参 濠 怒 鞭 中 鍮 繭 中為 十 翻 的 紳貯 呻車 純 。 、 書 簡 類 も ご 覧 いただ け る こと と な り ま し た 現在 福 岡 市 今 宿 亀 、 、 井 家 には少 乗 が母 や夫 息 子 にし た ため た書 簡 を はじ め 文 政 四 、 、 年 雷 首 ・少 栞夫 妻 が今 宿 に分 家 し てか ら 明 治 十 九 年 に少 栗 の 、 息 子儒 ヽ 水が亡 く な るま で の六 十 五 年 間 にわ た る書 簡 記 録 が遺 さ 。 、 れ て います 既 に 福 岡 県 文 化 会 館 によ り調査 が な さ れ た七 〇 二 、 、 点 の資 料 に 新 し く発 見 さ れ た多 数 の資 料 を加 え そ の中 か ら数 。 点 を 展 示 いた し ます 、 縦 一六 ・二 ×横 五七 ・四糎︶ は 少 栞 が夫 雷 首 上 段 右 の書 簡 ︵ に宛 てたも の で夫 の留 守 を 守 る少 栞 が、 近 況 を報告す るととも に、 、 。 夫 が安 心 す る よ う に気 遣 った手 紙 です 初 め に出 てく る人 岩 は 。 。 、 、 使 用人 道 太 郎 は親 戚 の青 年 宗 は昭 陽 の四女 少 乗 の末 妹 で 。 少 栗宅 に手 伝 い に来 て いると ころ です 日付 は七 月 朔 と な ってい ます が、 少 栗夫 妻 が今 宿 に移 転 後 、 紅 染 誕生 前、 つま り文 政 七年 。 の こと ではな いか と 思 わ れ ま す 、 縦 一六 ・二 ×横 五 九 ・五糎 ︶ は 多 数 残 ってい る少 栗 上段左 ︵ 。 、 の後 嗣 儀 永 宛 書 簡 の 一通 です 本 紙 は左 か ら巻 き 右 端 の巻 き終 ︲ 、 わ り が と じ目 と な ってお り 表 書 き の ﹁ 篤 永 殿 母 よ り﹂ の字 が紙 。 、 を透 か し て見 ら れ ま す 日付 は 二月 二十 一日認 と な ってお り 十 。 、 、 は 一項 目 が 設 け ら れ ています そ の第 九 項 目 には ヨ 母 一昨 。 年 以来 のも と め の書 画 を 日 々書 き 申 し お り候 書 画 が な によ り ま ぎ れ てよ ろし く候 。﹂ と 記 さ れ、 少 栞 が いか に書 画 を 書 く こと を 。 楽 し み にし て いた か が偲 ば れ ま す 、 末 文 の ﹁若 様 云 々⋮ ⋮﹂ は嗣 子 篤 永 の こと で 珍 し い母 少 茉 の 。 茶 目 っ気 と さ れ ています 、 ま た 第 一項 目 には篤 永 の訪 問 先 よ り以前 か ら頼 ま れ て いた少 。 、 栗作 書 画 の贈 呈 に関 す る記事 も あ り 興 味 深 い書 簡 です 左 の書 簡 ︵ 縦 一六 ・五 ×横 八 一・五 糎 ︶ は少 栗 が 母 に宛 てたも 。 。 上 段 の二通 と は違 い ひら が な で書 か れ ていま す 年 末 の の です あ わ た だ し さ の中 で書 か れ た も のら し く 日付 は十 二月 二十 七 日と 。 娘 の紅 染 の手 習 の様 子 な ど が報 告 され て いる こ 記 さ れ て います 十 そオ ス革よ ︲ ゼ腎 ︼″冷, 幹 求, 争 矛絵 ヤ ・ み代 携 零 鮮 毛 哀 幸 ユ 4 馨館伐繁狩 緩繁 姉森強 幾 液 隷触辞牲 盟 簿盤 ボ へ 、 一 律キ み 響幣移誓 玖 ナ下 を ヶ 〓 と 拭待 盤 倉 か 脚 絵 ︱ 今そ 々ギ↑多どTを転難Tよ ■ 々 小恐 身 み 還 徳 一 ネ午払 ぱ チ 蜂落綸犠街ゃ で 押 す 張 み各 R 核 A 拭 俺 律ネ 気 ヽ ヽ 夕官る 翠永 L熱範ギ 、 カ ラ一年 ぇ L 転 力そ 難 晋彰な夕第一 投﹁そl f甘す るキを 幹 歩1メ拡Rま 判侯各考tそなt於ぐ 報 撥 犠軽路 湖 捧堪中 担綾鵜簿 商 り 能 古 博 物 館 だ よ 12号 (3)第 足 下 御 入 用 ナ ク バ皆 々お遣 シ成 サ ル ベ ク 、 。 候 一 局二本 お 局子 ガ 沢 山 コレ有 り候 テ 一 、 、 遣 シデ モ ヨシ 母 ガ忘 レてヲ ッタ コト ヲ お断 り下 サ ルベ ク候 、 一 甘 一ロ ニ紀 君 妻 君 ヲ表 向 キ ノ 買 ヒ ニ 。 相 成 候 ハヅ也 内 ニ ハ甚 太 夫 既 二相 談 致 、 候 由 此 段 ハ安 心 成 サ ルベク候 、 。 一 坂 持 和 泉 黙 五百 程 一持 チ来 ル 近 所 、 ハ断 り致 シ候 へ共 此 ノ如 キ コト追 々 コ レ有 ルベク存ジ候間、土産 ハ餘 ル程 二御 求 メ成 サ ルベク候。春甫 モ砂糖 ヲ持 チ来 ル。 二月 廿 一目認 。 寛 太 十 一日 二来 り候 越 民 卜二 相 染 ミ申 ベク候 と か ら、 七 歳 で紅 染 が早 世 す る以 前 のも の であ る こと が わ か り ま 。 、 そし て 正 月 二 日 の再 会 を楽 し み にす る ことば でし め く く ら 。 れ ていま す す 、 以上 二通 の書 簡 に つい てご 紹 介 いた し ま し た が いず れ も少 栞 。 の行 き 届 いた愛 情 を み る こと が でき ま す ー ■ ■ます r ■■ ︲ れ r 十 二月 甘 七 日 め でた く申 し上 げ 候 正 月 二 日 にめ でた く 御 め め も じ申 し候 と あ ら あ ら 独 し てか き申 し候 いづ れ 出 来 に ては 御 座 候 へど も 少 し は いた し候 へど も 此 の 頃 久 し く か き申 さず 候 故 不 ① 書 指 出 し○ し候 手 習 も 紅染 御 そま つな が ら御 歳 暮 の し るし 此 の品指 し上 げ 申 候 げ 申 し候 此 方 皆 々紅 染 き げ ん よく致 し お り申 し候 ① 遊 ば さ れ お 目出 度 く存 じ上 皆 様 益 々御 機 嫌 よ ろし く○ 久 々 に て申 し上 げ 候 いよ い よ お し つめ申 し候 御母様 ・ 一紙 の右 端 巻 き表 のか え し に ヤ d ガ 係 !左 体 o 印 本 紙 欠 損 アリ みイ ″転 な・孫 ど技 十 存 ーリ 多 ぞ ← め か A 攻 イ ノし生″7ゃ勺/1、︱ 文 中riti , どん 解︱く 毎 ク ∼41I ウY付 ウk 卜法て, 符鮮棋熔 ッ 友グ F ぱ考 り ぞ キ イ ︱ィみル 41 友 物探 , γヽ 屯 が ルター ー 犠 η 北 野中 雛 一 庄 屋 方 ハ書 状 遣 シ候 と も 甲 州行 ノ留 守 モ測 ルベカ ラズ候故、皆 々無事 二致 シ候 事 。 ヲ足下 ヘノ書中 一 キ込 ミ呉 ヨト ノ事也 基自 。 外 二中 シ 右 之 通 り御 伝 声 下 サ ルベク候 。 陳 ジ候 事 ヨ レ無 ク候 、 先生 二宜 シ ク頼 ミ入 レ候 、 一 母 ハ足 下 ノ立 ツ の後 早 速 辰 墓 致 シ 、 道路 志 無 キ事 フ祈 ム積 リ エ候 庭 延 引 致 シ、 花 願 ヒ ニ展墓 致 シ安 心 仕 り候 一 道立 人也 、 順 也 無 事 炊 汲裁 縫 仕 り居 り候 、 宇 右 ハ天 氣 宜 キ故 日 々粥 茶 中 シ居 候 母 ハ 一昨 年 以来 ノ需 ノ書 画 ヲ国 々 カ キ 。 、 、 書 画 ガ ナ ニヨリ マギ レテ 居 り申 候 、 宜候 。 、 富 士 山 ハ既 二望 ミ成 サ レ候 ハン 話 ガ 。 、 サゾ タ マリ居 り候 ハン 、 、 、 、 若 様 江 戸 御 発 鷲 日限 未 ダ カ キ ト分 り申 サズ候 、 キ ワ マリ候 ハバ御 知 ラ セ成 サ ル ベ ク候 声エ 玄 一 キ γヽ■ n, 「 仙屋賛 竹 図」 1831年作 ( 9 5 8 ×3 6 2 ) 、 今 回 の企 画 展 では 少 乗 が得 意 と し た 四君 子 はも ち ろ ん、 他 の植 物 や 、 、 画 稿 に いた るま で 生 活 史 料 生物 も 含 め て約 百 点 を 展 示 。 いた し ま す 一 象快 な筆 運 び の菊 図 、 な ど 少 乗 の人 柄 を 見 る よう です が、 こ こ に 、 掲 載 し た作 品 は そ の 中 でも 特 に丁寧 に仕 上 。 げ られたも のでし ょう 於 て馬 を 見 す﹂ と いう仙 屋 の賛 があ り ます。 当 時 少 栞 は 三十 四才 、 仙 屋 。こ は に対 の れ が 屋 少 乗 八 十 二 才 仙 、と も て す る訓戒 の言 葉 であ るな ら 。 面 白 い作 品 です ﹁自 題 式 亀 図 ﹂ ︵ 左 ︶ は亡 く な る前 。 亀 井 家 隆 盛 の時 代 を 年 の作 品 です 少 乗 らし 。 築 いた五亀 ︵ 南 冥 ・昭 陽 ・曇 栄 ・大 荘 。大 年 を 五亀 と称 し た︶ も す で に 、 な く 彼 らを偲 び自 分 と 息 子待 永 を 。 式 亀 と し て描 い て います か ら ぬう ら寂 し さ が漂 いま す ︲ 一 た 汗セ競 空と 考れ 音 4 述せ ど なヌ んn i 主 ネ 4H 騨 鰹 ケ妥 ヤ 私 「自題 弐 亀図J1856年 作 (376× 542) ﹁仙 屋賛 竹 図 ﹂ ︵ 上︶ には ﹁女 子 進 退 は竹 に 「 色彩 野 菊図」(214× 290) 「成 4年 3月 31日 (4) よ だ 館 物 博 古 能 「 扇面 自 題 淡 彩桜花図」(156× 360) ,検 れ ,! 0 5 ﹁ 相 近 賛 手ヨ梅 図﹂ ︵9 。2 X3 .0︶ 福 岡市 博 物 館 所 蔵 摩 一 ,■ ■ 一 , ■ 4 4″ ,一 サを ‘ギサ赫〓■解■務ュ紘!拡,佐 ↓ 溢左 4 8 ・0︶福岡市博物館所蔵 1 ・8 ×2 ﹁ 1 桐近賛 梅図﹂ ︵ 驚 材■■ rt イをそヤ■を, すれ! ケ ,一 一 0 .5 福岡市博物館所蔵 4 ・O X3 ヨ ﹁ ︶ 相近賛 手 梅図﹂ ︵ 9 軍 碍 拝 写 客 習 筆 誓 i11球 筆 勢 機 撃 誓 争 酔 り よ だ 館 物 博 古 能 12号 (5)第 。 少 乗 と玉 篠 お互 い に直 接 交 流 は 。 な か った 玉 篠 の父相近 ︵ すけちか︶ 。 は、 少 栞祖 父 南 冥 の初 期 の弟 子 し か も唐 人 町 の亀 井 家 と 二川 屋敷 は約 、 百 米 の近 さ であ った が と く に両 家 。 の交 際 はな か った 後 に亀 井 家 は百 。 道 に移 転 少 栞 は玉 篠 に六 歳 の年 長 。 であ る 、 次 に 玉篠 作 品 を少 乗 と の比 較 で 、 。 述 べる 上 段 左 側 二点 の絵 は 雪 中 、 。 に固 い書 を 見 せ る梅 右 は夜景 の梅 これ も 梅 花 と す る に早 い図 であ る。 、 、 右 下 段 は 色 彩 で鯛 漫 の桜 花 図 。 いず れ も 少 栗 にな い図 柄 であ る 、 玉 篠 図 の特 徴 は 淡 墨 で画 面 を 薄 、 暗 くし て雪景 の梅 或 いは夜 の梅を 表 、 、 現す る手法 また色彩 で桜花 そ の樹 。 幹 を 手 荒 いタ ッチ で描 く画 法 これ ら は少 栗 に見られな い。少 乗 は、白地 。 に梅 花 を 具 象 的 に描 く ま た絵 の対 、 象 は 少 乗 は多 種 多 様 に及 ぶ特 長 が 。 、 あ り 両者画技 の上下 は論外 にす る 2 3 ﹁ 1 ・0 ×郷 ・6︶ 相近賛 桜花図﹂︵ 5 0 0 ﹁ 1 ・5 ×3 .5︶ 相 近賛 梅 花図﹂ ︵ ︲ “ 路 礁轟 二 川 相 近 ︵一七 六 七 ∼ 一八 王 六 ︶ の二女 と し て枡 木 屋 町 。 福 岡 市 中 央 区 ︶ に生 ま れ る ︵ 、 父 相 近 は福 岡 藩 士 であ り 書 家 ・ 。 今 様 の歌 人 と し て知 ら れ る 二川 家 、 、 は 代 々藩 の料 理方 で 祖 父 の相 直 は御 料 理人 頭 を勤 め た人 であ る。 相 直 は か つてよ り儒 者 亀 井 南 冥 と 親 じ く、 息 子 の相 近 は亀 井 塾 に入 門 さ せ 、 てお り 相 近 は そ の影 響 で 経 政 の 。 学 を 志 す 十 六 才 か ら は書 道 に 専 、 心 二十 八 才 のと き料 理方 の家 に生 、 ま れ な が ら 福 岡 藩 主 斉 隆 公 よ り書 。 道 師 への転 業 を 命 ぜ ら れ る 琵 琶 を 、 得 意 と し 和 歌 や今 様 にも 巧 みな人 。 、 であ った し か し と く に病 身 のた 文 化 二︶ 年 ︵ 下 本 文 中 は玉 篠 と す る︶ は 一八 ① 五 、 。 二川 瀧 子 ︵のち 玉 篠 と号 す る 以 ● め と いう 理由 が あ った わ け でも な い 、 よう だ が 亡 く な るま で の二十 年 間 、 は 自 宅 よ り門 外 へ出 よう と は し な 。 か った 玉 篠 には鶴 子 と いう十 才 年 長 の姉 、 があ るが 鶴 子 と は母 を 異 にし て い る。 玉篠 の母 は中村氏 の女 であ るが、 。 相 近 にと っては 二人 目 の妻 であ る 、 、 姉 鶴 子 の母 であ る妻 は 菅氏 の女 で 、 長 男 旗 男 が 四才 で早 世 し た後 それ が原因 であ ろう か相 近 は鶴 子 の生 母 。 を離 縁 し た の であ る 玉 篠 二才 のと き ︵一八 〇 六 年 ︶ 祖 、 母 ︵ 相 近 の実 母 ︶ が亡 く な るが 父 三 十 年 にわ 相 近 が終 生 た り家 を 出 な く な った この少 のは ▼ し 以 前頃 か ら だ と いわ 。 相近 はか た く な れる と も思 わ れ る頑 固 さ で で いた よ う 外 出 を拒 ん 、 で 春 山 育 次 郎 著 ﹃野 村 望 東 尼篤 ﹄ には ﹁ 藩 主 の斉 清 公 よ り近 所 の源 光 、 院 ︵ 現 在 の西 公 園 二川家 か ら歩 い 、 て十 分 の距 離 ︶ に召 さ れ ても 辞 を 設 け て辞 し た る事 実 あ り﹂ と 記 され 。 て いる 自 宅 に籠 も り き り の生 活 の 、 、 、 、 、 日 々相 近 は 書 今 様 和 歌 。 琵 琶 に研鑽 を か さ ね た そ の真 摯 な 中 、 態 度 は 石 松 元 啓 著 ﹃二川相 近 博 ﹄ 、 の中 の ﹁︵ 相 近 は︶ そ の帯 の中 より 、 三 四寸 の筆 の軸 の切 り た るを出 し 、 、 て見 せ 朝 夕 机 に のぞ ま ざ る の間 ま た、 無 用 の客 来 た り て、 長 話 す る 、 、 、 時 尤 長 夜 に て 寝覚 めせし時 など これ を ひね り て、 人 知 れず 筆 法 を 練 、 、 習 す ると いえど も そ の志を得ずと 。 歎 息 せ ら れ き 時 に六 十 余 歳 の時 な 、 蹴 鞠 な ど を はじ め 高 い教 養 を 身 に 。 つけ さ せ た 、 、 玉 篠 は 書 に関 し て ﹃大 指 の頭 、 、 の腹 に人 指 を 以 て 字書修行す る に いか程 の大 字 も いか程 の小 学 も書 か る るも の也 ﹄ と教 えを う け、 そ の こ と ば は指 導 の 一端 を物 語 るも のと し 。 て相 近 伝 に の こる 画 を 最 も 得 意 と す る玉 篠 の作 品 には父 相 近 の描 いた も のと見 分 け が つかな いも のも多 く、 和 歌 はあ ま り詠 ん で いな いよ う であ るが、 音 楽 は父 の仕 込 み によ り姉 妹 と も ど も 心 得 、 管 弦 雅 楽 には そ の 一 。 、 、 員 と し て加 わ った ま た 玉篠 は 、 運動 神 経 も 発 達 し て いた よ う で 蹴 鞠 も特 技 の ひと つであ った よ う であ Z。 O 、 鶴 子 は琵 琶 を 弾 じ 玉篠 は琴 を よ く し た が、 姉 妹 は い ろ いろな意 味 で 書 的 な役 割 を こな し た のは姉 の鶴 子 、 であ り 彼 女 は温 和 な 性 格 と優 れ た 。 記憶 力 で信 頼 を 得 て いた こ の姉 妹 は、 鶴 子 が 四十 歳 ︵ 後に 対 照 的 な 性 格 の女 性 であ ったと いわ 。 れる 相近 の外事秘書的 な役割 にあ っ 、 た のは玉 篠 で 彼 女 は画 風 か ら も う 、 、 か が え る よ う に 活 発 いわ ゆ る男 。 ま さ り の性 格 であ った 一方 内 事 秘 、 玉 篠 と姉 の鶴 子 の姉 妹 は 才 女 と し て評 判 の二人 であ った。 こ の姉 妹 友 古 と称 す る藩 医 鶴 原 氏 の子 息 方 作 、 、 を婿とす るが 子 はうまれなか った︶ ●鶴 子 と玉篠 が教 えを う け た のはも ち ろ ん父 相 近 、 、 、 であ り 父 は娘 たち に童ミ 画 音楽 り。﹂ と いう記 事 よ り 伺 い知 る こと 。 が でき る 玉篠 「 竹図」(275×186) 福岡市博物館所蔵 平成 4年 3月 31日 (6) り よ だ 館 物 博 古 能 玉 篠 が 三十 九 歳 のと き にそれ ぞれ結 。 、 婚 し て いる 当 時 と し ては 非 常 に 、 遅 い結 婚 であ り それ も相 近 が亡 く 、 。 な った後 の こと であ る 二人 の娘 は それ ぞれ の性 質 を生 か し て父 を 助 け 、 た の であ ろう が 家 族 の様 相 と し て 。 はか な り個 性 的 であ る 外 出 嫌 い の 、 父親 と適 齢 期 を 過ぎ た未婚 の娘 たち 風 変 わ りな家 だ と好 奇 の目 を む け ら 。 、 れ る こと も あ った であ ろう しかし 彼 女 たち は こ のよ う な家 庭 環境 の中 、 で存 分 に才 能 を 育 み 殊 に玉 篠 は独 、 特 の個 性 を 発 揮 闇秀 画 家 と し て晩 。 年 ま で活 躍 す る 奇 抜 と も 思 え る構 、 図 や筆 遣 い の作 品 が 日 に つく が そ 、 れ らを 描 か せ た豊 か な感 性 は 父相 近 の世 間 の常 識 にと ら わ れ な い自 由 な教 育 の中 で つち か わ れ たも の であ フ つう。 し か し、 天保 七︶ 年 そ 一八 三六 ︵ 。 の父 も亡 く な る 長 い間外 出 す る こ と を拒 み続 け た にも か か わ らず、 藩 。 には重 く扱 わ れ た存 在 であ った 享 。 年 七 十 歳 であ った ●玉篠 の結 婚 以後 、 一八 四三 ︵ 天保 十 四︶ 年 玉篠 は 。 野 村 貞 賃 の二男 鉄 太 郎 と結 婚 当 時 玉 篠 は闇 秀 画 家 と し て才 媛 の名 を ほ し いま ま にし て いた が、 年 齢 はす で 。 に三十 九 歳 であ った これ に対 し、 大 の鉄 太 郎 は 二十 七 。 。 歳 十 i歳 年 下 の婿 であ る 鉄 太郎 、 、 の父 野 村 新 三郎 貞 賃 は 福岡藩■ で そ の後 妻 が有 名 な 女 流 勤 皇 家 であ り 。 歌 人 の野村 望 東 尼 であ る 野 村 夫 妻 は、 大 隈言 道 を師 と し て入 門 し て い 、 た が 大 隈 言 道 は相 近 の門 人 でも あ 玉篠 「 菊図J ( 6 6 8 × 3 9 0 ) 福岡市博物館所蔵 り よ だ 館 物 博 古 能 12'ぢ (7)第 り、 相 近 は言 道 を と お し て野村 夫 妻 と親 交 を も って いたと 思 わ れ る。 二 、 り 折 女 の玉 篠 に迎 え る婿 の ことも にふ れ て夫 妻 に話 し て いた であ ろ う し、 野村 夫 妻 も相 近 や そ の娘 たち の 学 才 に少 な か ら ぬ畏 敬 の念 を抱 い て 。 いた の ではな いだ ろ う か こ のよ う にし て姉 鶴 子 と友 古 夫 妻 の間 に子 供 、 が な か った こと も あ って 鉄 太 郎 は 。 玉 篠 の婿 と し て迎 え ら れ た 玉 篠 の 、 大 鉄 太 郎 と いう人 は のち に幸 之 進 、 、 相 遠 と称 し 国 学 和 歌 な ど のた し 、 、 な み 武 芸 にも 秀 で 書 家 と し て の 。 家 職 を 襲 う 性 質 は いた って温 和 な 。 人 であ った ら し い 当 時 評 判 の間秀 、 画 家 玉 篠 が 十 二歳 年 下 の優 し い印 象 を伝 え ら れ る鉄 太 郎 と結 婚 し た の 、 は 二川家 の家 督 を 嗣 ぐ も の の誕 生 。 を望 ん で の こと であ ろう 、 念 願 か な って 結 婚 後 三年 た った 弘 化 三︾ 年 二川家 の嫡 子 一八 四六 ︵ 。 幸 之 進 が出 生 す る そし て同年 玉 篠 の結 婚 と 二川 家 後 嗣 の誕生 を 見 た玉 。 篠 の母 は安 堵 のう ち に永 眠 に つく し か し、 それ か ら十 年 後 の 一八 五 、 八 ︵ 安 政 五︶ 年 四月 夫 鉄 太 郎 は 四 。 十 二歳 で妻 子 を遺 し て世 を 去 る 当 。 、 時 玉 篠 は五十 四歳 であ った しかし 未 亡 人 と な ってか ら も そ の才 名 を ま 。 す ます 高 く し て い った 、 そ し て 一八六 五 ︵ 慶 応 元︶年 四 、 月 二川 玉篠 は享 年 六 十歳 の生 涯 を 、 。 閉 じ 円応 寺 二川家 の墓 に眠 る 、 相 近 は 玉篠 と鶴 子 を それ ぞ れ の 、 性 質 に応 じ て教 育 し それ ぞ れ を愛 し、 彼 女 たち も父 を こよな く敬 慕 し 、 、 。 た 相 近 を中 心 と し た鶴 子 玉 篠 、 ら 彼 の間 でど のよう な精 そ し て母 神 的 交 流 がな され た のか 具 体 的 な事 。 、 実 は ほと んど残 っていな い しかし 、 玉 篠 を 語 ると き 相 近 の影 か常 に つ き ま と う。 そし て、 主 篠 の結 婚 は、 当 時 と し ては最 も重 要 と さ れ た こと 、 な の であ う が いか にも 二川家 の後 。 嗣 を 遺 す た めと いう様 相 を 呈 す る も し、 友 古 、 鶴 子 夫 妻 に後 嗣 が生 ま 、 れ て いれ は 玉 篠 は生 涯 独 身 で 一心 に書 画 を書 き続 け た か も し れ な い、 。 な ど と筆 者 は想 像 す る それ ほど に 玉 篠 は ユ ニークな 女 性 であ った であ 。 ろ う そ の玉篠 の才 能 を 開 花 さ せ た 。 のは相 近 であ る 福岡藩幕末歌人 二川鶴子 的前 田淑著 ﹃ ︵ 学芸員 松尾由美子︶ ︱その家系 ・生涯 ・作品 ︱﹄ O i川瀧 二郎著 ﹃二川相近風韻﹄ 0石松元啓著 ﹃二川相近篤﹄ 0 に掲載 側春山育次郎著 ﹃ 野村望東尼伝﹄ 福岡県百科事典﹄ 0西 日本新聞社 ﹃ 江戸 後 期 筑 前 闇 秀 展 主 な出 品 目 録 蔵 者 個 人 所 ﹁図 象 写 形 高 古 抑 止 ﹂ 備 考 制 作 年 材 質 形 状 紙 本 墨 画 淡 彩 ・掛 幅 題 個 人 作 口m 名 福 図 自 多 於 ﹁ 女 子 進 退 竹 於 見焉 ﹂ 個 人 個 人 幅 福岡市 博 物館 幅 紙 本 墨 画 ・掛 紙 本 淡 彩 ・掛 ﹁ 孝 筍満 庭千祥 高福﹂ 個 人 個 人 一八 三 幅 ﹁飛 琴 上 ﹂ 個 人 個 人 幅 絹 本 淡 彩 ・掛 紙 本 墨 画 ・掛 画 中 に署 名 が生 か され た作 品 竹 図 仙 屋賛 色 彩 野 菊 図 色 彩 野 菊 図 雷首賛 竹 図 昭陽賛 紙 本 淡 彩 ・掛 幅 紙 本 墨 画 淡 彩 ・掛 幅 ﹁ 堂 有真 人在 相借 延大齢﹂ 福岡市 博物 館 鶴 図 自 題 式 亀 図 自 題 福岡市 博 物館 本誌好評連載中 の亀井少 乗 ︵一七 九 八 ∼ 一八五七︶を中心とした企画展を 開 催 す る こと になりました。少乗 は亀門学 の大 儒 ・ 、 、 南冥 の孫 昭陽 の長女とし て学問 に励 み 。 家塾 の発展 に大 いに貢献したと いわれます これは女性 の社会進出 が常識 になか った当 、 時 とし ては希有 のこと であり 注 目 に値 す る存在 です。また、同時期間秀 画 家 と し て 評判 であ った二川玉篠 ︵一八〇五∼ 一八 六 、 五︶ の作品もあわせ てご覧 いただ き 江 戸 後期を生き た二人 の女性 の詩書画 三絶 の技 。 をぜ ひご鑑賞 いただきた いと思 います また、今展覧会 に つきまし ては、 亀 井 准 、 、 輔 秋子ご夫妻 福岡市博物館 渡 邊 雄 二氏 、 を はじめ学芸課 の方 々 福岡市民 図 書 館 首 、 藤卓茂氏 より多大 のご協力を いただ き 二 、 川玉篠 に関し ては 福岡女学院短 期 大 学 前 。 田淑先生 よりご教示を賜りました 心 よ り 。 感謝申 しあげます ︵ 松尾︶ 亀陽文庫 能 古 博 物 館 個 人 福 岡 市 西 区 能 古 5 2 2 - 2 ( 姪 浜 か ら フ ェ リー で 1 0 分 ) a(代 表 )092-883-2887・ FAX883-2881 扇面 淡 彩 桜花 図 自 題 紙 本 墨 画 テ クリ 紙 本 墨 画 淡 彩 ・メク リ 一八 五 四 紙 本 墨 画淡 彩 ・掛 幅 亡 く な る前 年 の作 品 全 長 七 ・六 五 メ ー ト ル 個 人 9: 30-17: 00・ 入 館 は 16: 30:資で 月 曜 休 館 月 曜 が 祝 日の場 合 は翌 日 ―一姐史500F可、卓岸生ヒ ・65,「芝文」は250F可 主 催 :財 団 法 人 亀 陽 文 庫 能 古 博 物 館 共 催 :福 岡市 ・福 岡 市 教 育 委 員 会 後 援 :福 岡県 ・福 岡 県 教 育 委 員 会 ・西 日本 新 聞 社 NHK福 岡 放 送 局 ・テ レ ビ西 日本 葡 萄 ︵画 稿 ︶ 本 本 本 本 本 本 本 個 人 井 少 乗 _ _亀 二 川 玉 篠 平 成 4 年 4 月 7 日 四 ∼ 6 月 2 8 日0 高 士 遊 歩 図 一八 五 六 紙 本 淡 彩 ・掛 幅 紙 本 淡 彩 ・巻 子 個 人 紙 紙 紙 紙 紙 紙 紙 紙 本 墨 画 ・掛 習 字 一 一 何 室日 図 図 図 図 図 図 図 福岡市 博 物館 十八 三 扇 面 は他 九 点 を 展 示 福 岡市 民図書館 桜花 と と も にそ の幹 が構 図 に いか さ れ た作 品 個 人 背景 に墨 色 が施 さ れ た作 品 個 人 〃 福 岡 市 博 物 館 〃 福 岡 市 博 物 館 〃 福 岡 市 博 物 館 福岡市 博物館 福岡市 博物館 江 戸 後 期 竹 図 詩 画 巻 自 題 一八 五 六 一 扇 面 墨 画 上局 面 紙 本 淡 彩 テ クリ 少 乗九歳 の作 品 個 人 色 ・掛 幅 画 ・掛 幅 画 ・掛 幅 画 ・掛 幅 墨 墨 墨 墨 墨 墨 着 画 ・掛 幅 画 ・メク リ 画 ・掛 幅 筑 前 閣 秀 展 山 水 図 蘭 竹 図 自 題 当 時 の採 点 表 幅 一八 ① 六 紙 本 墨 画 衣 類 整 理 の覚 え書 き 紙 本 一八 四七 紙 本 ・ 布 。長 帖 相 近賛 相近賛 相近賛 相近賛 相近賛 亀井塾 難 取表 梅 梅 花 花 衣類大 数 備忘 菊 竹 雪 梅 雪 梅 桜 (8) 平成 4年 3月 31日 り よ だ 館 物 博 古 能 第 12号