...

富 山県警察山岳警備隊の一員として

by user

on
Category: Documents
9

views

Report

Comments

Transcript

富 山県警察山岳警備隊の一員として
山岳警備隊の中で力仕事は若い者の
4.遭難現場に向かう時に
仕事であった。現場にいた隊員の中で1
連載
富山県警察
山岳警備隊の
一員として
東京で生まれ育った私にとって、幼い
ころの富山県のイメージは、「海沿いで
面積もさほど大きくない県だから大きな
遭難事故発生の知らせを聞くと、こ
うことになった。「さあ行くよ。」と声
のおばあさんを助けられなかった時の
をかけ、おばあさんをおんぶして歩き
気持ちが私の心によみがえる。そして
出した。林道までは道もない沢筋であ
その度に、
「もう、あの時のような気持
ったがさほど距離は長くない。「交代す
ちを味わいたくない。もっと早く現場
るか。
」という先輩の言葉を尻目に、結
に行き、もっと確実に遭難者を救助す
局最後まで頑張って歩き続けた。周り
るんだ。
」と自分に喝を入れる。
の者に手伝ってもらいおばあさんを私
●赤谷尾根で雪稜登はん中
●雪上搬送訓練
1.富山県のイメージ
番若かった私がまずおばあさんを背負
2.富山県警察山岳警備隊
の背中から下ろしながら、
「さあ、ばあ
1度や2度は遭難者が自分の目の前で息
ちゃん着いたよ。ここからは車で行く
を引き取る場面に立ち会うことがあり、
からね。
」と声をかけた。しかし、おば
同じような気持ちを味わったことがあ
あさんからの返事はなく、ぐったりし
る。我々山岳警備隊員にとってこれほど
た様子である。これはおかしいと思い
悔しいことはない。なぜなら、遭難者が
よく見ると呼吸がない。脈もない。誰
元気に社会復帰することこそが私たち山
岳警備隊員の願いであるのだから。
の仕事はその中でも危険な部類の職種
が、比較的元気であった。行方不明に
かが叫んだ。「すぐ病院に搬送だ。」警
であると言える。
なった辺りまでは、車が通れるくらい
察車両におばあさんを乗せ、赤色灯を
のしっかりした道がついていたが、そ
回しサイレンを鳴らしながら凸凹の林
山岳遭難事故は絶えることがなく、い
の他にも人がやっと歩けるくらいの山
道を疾走した。揺れる車内で先輩隊員
つ発生するかわからない。しかし、ひ
道が山のふもとまであった。山の中で
が、必死で人工呼吸を繰り返す。やが
とたび事故が発生すれば我々山岳警備
私も山岳警備隊員となって彼此10年
息子さんとはぐれて迷ったおばあさん
て、林道を上がってきた救急車におば
隊員は現場に走る。助けられなかった
あさんを引き継いだ。
遭難者のことを心に秘め、その人の分
ここで、富山県警察山岳警備隊につ
いて触れてみたい。
長年山岳警備隊員を続けた隊員なら、
3.心に残る遭難現場
富山県警察山岳警備隊は、文字どお
近年の中高年登山ブームも相まって、
・ ・
山もないだろうに、何で富山県(山に富む
り富山県警察の中の一つの部隊である。
」というものであった。
県)なんだろう。
隊長以下28名、富山県警の警察官と警
近くになる。これだけの間仕事をして
は、この山道を見つけ、歩いて下山し
しかし、学生時代に始めた登山で富山県
察職員で構成されている。この中に、
いると、出動した現場の数も数え切れ
ようとしたのだった。幸い天候も悪化
その後、おばあさんは街の病院に運
を訪れた時に、初めて北アルプスの山々
山岳警備にのみ従事する隊員も数名い
ない程になるが、中には心に残る現場
せず、春から夏にかけての比較的気温
ばれたが、再び息をすることはなかっ
を始めとする富山県の自然のすばらしさ
るが、多くの隊員は山岳地帯を抱える
がある。
も高い時期だったので、そのままなん
た。比較的暖かい季節とはいえ、動け
を知った。
警察署に所属し、普段は交番で勤務し
とか一夜を過ごし、翌日の昼過ぎに捜
ない状態で一夜を過ごしたのでかなり
索隊に発見されたのであった。
体力を消耗していたのだろう。懸命に
小さな面積の中に、標高
0メートルの海から3,000メートルを超
たり、自動車警ら(パトカーでのパトロール)
菜取りに入ったおばあさんが、一緒に
す山々まで様々な自然が溢れ、それらが
係員として勤務したりしている。そし
行った息子さんと離れ離れになり、行
四季折々の姿を見せる。
私の富山県
て、ゴールデンウィークや、7月から8
に対するイメージは、
「小さい中に様々
発見された場所は山道から数メート
探して、やっと見つけた遭難者が目の
方不明になるという遭難事故があった。
ル下で、そのまま山道をふもとまで歩
前で息を引き取った。しかも、私の背
月にかけての夏山登山時期などに山に
その日は、息子さんが山の中を懸命に
くにはかなりの時間がかかることが予
中の上で。この時の脱力感や虚無感、
な自然の美しさが詰め込まれた、言うな
入り、山岳遭難救助活動、パトロール
探したがどうしても見つからず、日が
想された。そこで、近くの沢筋を少し
悔しさは今でも忘れない。
れば松花堂弁当みたいな県」にいつしか
活動、登山指導等を行っている。
暮れてから下山し警察へ捜索願を出し
登り、車が入れる林道まで人力で搬送
最近の山岳警備活動においてはヘリ
た。翌朝から山岳警備隊をはじめ、地
し、そこから車で搬送することになっ
やがて私は、豊かな自然の中での生
コプターの活躍が著しい。しかし、事
元の消防団員らも出動し大捜索となっ
た。道のない山の中での人力搬送とな
活と、好きな山で仕事ができるという
故現場で細かい作業が必要な時や、天
た。かなりの人数で捜索したにもかか
れば、私たち山岳警備隊の仕事である。
ことに憧れ、10年前に富山県に移り住
候の悪い時は山岳警備隊員だけで活動
わらず、午前中は発見することができ
おばあさんに「ばあちゃんよくがんば
PROFILE
み、現在は富山県警察山岳警備隊の
することになる。我々が力を発揮する
なかった。しかし、昼過ぎになって、
ったねえ、さあ私たちがおんぶして行
柳澤 義光(やなぎさわ よしみつ)
一員として仕事をしている。
時は、言うなれば状況が悪く危険が伴
当初捜索していた辺りよりもずっとふ
くから家に帰ろう。息子さんも待っと
う時である。ある程度仕事を続けた隊
もとに近いところで、おばあさんは発
るよ。」と声をかけると、「いやあ助か
員ならば、何度かは危険な目に遭って
見された。山道から滑り落ち、岩と岩
った、ありがとう、ありがとう。」と、
いる。警察の職種は多種多様だが、こ
との間に挟まって動けなくなっていた
元気な声で返事をくれた。
変わっていった。
36
私が入隊したばかりの頃、低山で山
も、今目の前にいる遭難者を助け出し
元気に社会復帰させるために。
●積雪期訓練(大窓頭付近)
1970年東京都生まれ。
富山県警察山岳警備隊に憧れ、平成7年に富山県警察官を拝命す
る。上市警察署、黒部警察署を経て、現在、上市警察署室堂警
備派出所で山岳警備隊分隊長として勤務する。
趣味は学生時代から始めた登山。雪山登山やのんびり高い山を
縦走するのが好き。
37
Fly UP