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3D立体映像表現の基礎 基本原理から制作技術まで
本書を発行するにあたって、 内容に誤りのないようできる限りの注意を払いましたが、 本書の内容を適用した結果生じたこと、 また、 適用できなかった結果について、 著者、 出版社とも一切の責任を負いませんのでご了承ください。 本書に掲載されている会社名・製品名は一般に各社の登録商標または商標です。 本書は、「著作権法」によって、著作権等の権利が保護されている著作物です。本書の 複製権・翻訳権・上映権・譲渡権・公衆送信権(送信可能化権を含む)は著作権者が保有 しています。本書の全部または一部につき、無断で転載、複写複製、電子的装置への入 力等をされると、著作権等の権利侵害となる場合がありますので、ご注意ください。 本書の無断複写は、著作権法上の制限事項を除き、禁じられています。本書の複写複 製を希望される場合は、そのつど事前に下記へ連絡して許諾を得てください。 (社)出版者著作権管理機構 (電話 03−3513−6969,FAX 03−3513−6979, e−mail : [email protected]) < (社)出版者著作権管理機構 委託出版物> はじめに 近年、 3D や立体映像という言葉を耳にする機会が増えてきました。3D は、 映画や TV、 ゲームなどでの利活用が急速に進められ、 次世代の映 像メディアとして期待されています。これに伴い、コンテンツ(contents) コンテンツ への関心が目に見えて高まっています。 現在の 3D で用いられている技術は、 新たな発見や発明に基づいている 訳ではなく、原理そのものは19世紀の半ばに遡ることができます。その後、 何度かの周期的なブームを経て、現在に至っています。したがって、3Dは、 非常に長い歴史のある、 次世代の映像メディアといえそうです。 遠くの様子を見たり、 見えているように表現したいという映像メディアへ の欲求は、われわれにとって本来的なものといわれます。周期的なブーム は、 3D が、 われわれ人類の夢の一つであることを、 示唆しているように も思われます。 古くて新しい、 3Dという映像メディアを用いて、どのように表現するの か、 ひいては、どのようなコミュニケーションやライフスタイルを展望して いくのか、ディスプレイメーカーだけでなく、コンテンツの制作者や流通事 業者、そしてユーザも交えて、真剣に考えていくことが急務となっています。 そこで本書では、 3Dに興味のある学生や一般の方々をはじめ、 実際に コンテンツの制作・流通に携わる制作者や事業者に至る広範囲の読者を想 定し、 基礎的な情報から執筆時点(2010 年 8 月)での最新情報を幅広く 収集・整理し、 序章を含め八つの章にまとめました。 iii 3Dに関わる動向の活発化に伴い、 当該分野の類書も、 数多く出版さ れるようになってきました。 著者らも、 以前に、 3Dコンテンツの制作に 関する実用・入門書を上梓したことがありますし(2003)、 最近では、 Mendiburuによる詳細かつ実践的な情報を網羅した専門書が刊行されて います(2009)。これらに対して、 本書では、 何らかの形で 3Dに関わろ うとする方々にとって、 共通のテキストとなり得ることを意図しています。 さて、「3D」という言 葉は、 コンピュータグラフィクス(computer graphics:CG)の分野でも、 異なる意味で用いられることから、しばし ば混乱を生じます。そのため、 当該分野の書籍では、「立体」と「3D」を 区別して扱う場合があります(例えば、NHK 放送技術研究所, 1995など)。 しかし、 本書では、 3D 映画や 3DTVといった用語の一般化を考慮し、 画 面の前後に対象が再生される立体映像という意味で、あえて 3Dを使用し ました。 一方で、「映像」と「画像」という意味では、 上述の先行書籍(1995) にならって使用しています。 具体的には、 前者はコンテンツとしての意味 合いに、 後者は物理刺激としての意味合いに、 それぞれ重きを置くという 理解です。ただし、 他の類書や論文などにおいては、「立体」と「3D」も 含め、 厳密に区別される場合もあるので、この点、ご留意ください。 参考文献 河合隆史,田中見和 著: 『次世代メディアクリエータ入門 1 立体映像表現』カットシ ステム(2003) B. Mendiburu:3D Movie Making,Focal Press(2009) B. Mendiburu 著: 『3D 映像制作』ボーンデジタル(2009) NHK 放送技術研究所 編: 『3 次元映像の基礎』オーム社(1995) iv 本書の構成 本書では、 著者らのこれまでの研究活動を踏まえ、 今後、 何らかの形 で 3Dに関わる場合に必要となる、 最新動向も含めた基本情報を分類し、 以下の序章を含めて八つの章を構成しました。 序章 本書のイントロダクションとして、 3D の歴史的な特徴と現状に関する著 者らの見解と、 現在の取り組みを紹介しました。 第1章 「視覚系が利用する立体情報」と題し、われわれが外界を立体的に知覚 するための手がかりについてまとめました。 第2章 「3D ディスプレイ」と題し、 3D ディスプレイの主な方式と原理について 紹介しました。 第3章 「3Dコンテンツの撮影」と題し、 3D 映像の代表的な撮影方法や基本パ ラメータ、 実際に使用されているシステムなどを解説しました。 第4章 「2D/3D 変換」と題し、 2D 映像に対して人工的に両眼立体情報を付加 する、 2D/3D 変換の基本原理や特徴などをまとめました。 第5章 「3D 映像の生体影響と安全性」と題し、 3D の普及への阻害要因の一 つである生体への消極的な影響について、これまでの知見を紹介しました。 v 第6章 「3Dコンテンツの設計・補正・評価」と題し、プリプロダクションにおけ る奥行き感の設計から、 ポストプロダクションにおける補正について、 著 者らの取り組みを交えて述べました。 第7章 「3D のフォーマットと標準化」と題し、 3Dコンテンツの流通に関わる フォーマットと、その標準化について、 現時点までの動向をまとめました。 巻末には、キーワードをまとめた用語集を添付していますので、 本文と 併せてご活用いただければ幸いです。 vi 目 次 はじめに———————————————————————————— iii 本書の構成 —————————————————————————— v 序 章———————————————————————————————— 1 3D の歴史的特徴と現状— ———————————————— 3 3D 表現のユーザエクスペリエンス研究— ————————— 4 第1章 視覚系が利用する立体情報————————————— 9 1.1 視覚系と立体情報— —————————————————— 11 1.2 単眼立体情報— ———————————————————— 12 1.3 1.4 1.2.1 隠蔽 12 1.2.2 相対的サイズ 13 1.2.3 相対的密度 14 1.2.4 視野内の高さ 14 1.2.5 空気透視 15 1.2.6 運動透視 16 1.2.7 調節 17 両眼立体情報— ———————————————————— 19 1.3.1 両眼視差 20 1.3.2 輻湊 21 立体情報と有効距離— ————————————————— 22 目次 vii 第2章 2.1 2.2 2.3 第3章 3.1 3.2 viii 目次 5 3Dディスプレイ——————————————————— 2 スコープ型——————————————————————— 27 2.1.1 ステレオスコープ 27 2.1.2 ヘッ ドマウントディスプレイ 30 メガネ型———————————————————————— 32 2.2.1 アナグリフ 32 2.2.2 偏光フィルタ 34 2.2.3 液晶シャッタ 37 裸眼型————————————————————————— 41 2.3.1 パララックスバリア 41 2.3.2 レンチキュラ 44 7 3Dコンテンツの撮影———————————————— 4 3D 撮影の基礎————————————————————— 49 3.1.1 3D撮影の原理 49 3.1.2 交差法 52 3.1.3 平行法 55 3.1.4 3D撮影の理論式と再生空間 57 3.1.5 撮影・呈示条件における3D空間の変化 60 撮影・呈示条件で生じるアーチファクト— ————————— 64 3.2.1 基本的なアーチファクト 64 3.2.2 キーストーン歪み 66 3.2.3 発散 67 3.2.4 フレームバイオレーション 68 3.2.5 箱庭効果と書割効果 70 3.2.6 左右反転 75 3.3 3D 撮影システム— ——————————————————— 75 3.4 さまざまな3D 撮影方法— ———————————————— 77 第4章 3.4.1 ファントグラム 77 3.4.2 ハイパーステレオ 79 3.4.3 ハイポステレオ 80 3.4.4 マイクロ立体視 81 2D/3D変換— ——————————————————— 8 3 4.1 2D/3D 変換の原理——————————————————— 85 4.2 オンライン 2D/3D 変換————————————————— 86 4.3 オフライン 2D/3D 変換— ———————————————— 87 4.4 4.3.1 ロトスコープ 87 4.3.2 デプスマップ 89 4.3.3 モデリング 90 4.3.4 運動視差 91 2D/3D 変換のメリット—————————————————— 92 4.4.1 3D撮影システムの簡略化 92 4.4.2 3D撮影のバックアップ 93 4.4.3 被写体サイズへの対応 93 4.4.4 アーチファクトの除去 94 4.4.5 呈示環境に合わせた視差調整 95 目次 ix 4.5 4.6 第5章 目次 4.5.1 望遠 96 4.5.2 広角 97 4.5.3 ズーム 97 4.5.4 ドリー 98 4.5.5 複雑な被写体 98 4.5.6 反射光、ハイライト 99 4.5.7 空撮、マクロ撮影 99 4.5.8 殺陣 99 4.5.9 パーティクル 100 4.5.10 透明な被写体 100 2D/3D 変換の課題—————————————————— 101 3D映像の生体影響と安全性— ————————— 103 5.1 映像の生体影響とガイドライン————————————— 105 5.2 映像酔い——————————————————————— 106 5.3 x 2D/3D 変換によるコンテンツ制作— ——————————— 96 5.2.1 動揺病の症状 106 5.2.2 動揺病と感覚不一致 107 5.2.3 視覚誘導性自己運動感覚 108 眼精疲労——————————————————————— 109 5.3.1 眼精疲労の原因別分類 109 5.3.2 眼精疲労と視覚系の不整合 110 5.3.3 輻湊・調節の不一致と視差角 111 5.3.4 映像酔いと3Dによる眼精疲労 112 5.4 5.5 第6章 6.1 6.2 6.3 3D 映像の融像範囲—————————————————— 113 5.4.1 ホロプタとPanumの融像領域 113 5.4.2 網膜性融像と輻湊性融像 114 5.4.3 Donders 線とPercivalの快適視域 115 5.4.4 被写界深度と融像範囲 116 3D 映像と安全性——————————————————— 117 3Dコンテンツの設計・補正・評価———————— 121 3Dコンテンツの設計— ———————————————— 123 6.1.1 デプスバジェッ ト 123 6.1.2 デプスブラケッ ト 123 6.1.3 デプススクリプト 124 6.1.4 デプスチャート 124 3Dコンテンツの補正— ———————————————— 126 6.2.1 左右映像の水平・垂直シフト 128 6.2.2 パースペクティブの補正 129 6.2.3 カラーコレクション 129 6.2.4 被写界深度の効果 130 3Dコンテンツの評価— ———————————————— 131 6.3.1 人間工学的評価 132 6.3.2 眼精疲労の評価 133 6.3.3 人間工学的評価と制作フロー 134 6.3.4 人間工学的評価とスケーラブル変換 139 目次 xi 第7章 3Dのフォーマットと標準化— ——————————— 143 7.1 3D 映像とフォーマット————————————————— 145 7.2 3D 映像の配置フォーマット——————————————— 146 7.3 7.4 7.2.1 サイドバイサイド 146 7.2.2 トップアンドボトム 148 7.2.3 ラインバイライン 149 7.2.4 チェッカーボード 150 7.2.5 フレームシーケンシャル 151 3D 映像のメディアフォーマット————————————— 152 7.3.1 Blu-ray 3D 152 7.3.2 MPO 153 7.3.3 HDMI 1.4a 154 放送と3Dフォーマット————————————————— 156 おわりに— ————————————————————————— 161 用語集— ————————————————————————— 163 索引 ——————————————————————————— 187 xii 目次 序章 Introduction 2 眼式立体映像 本 書で対象とする3D・立体映像は、 正式には 2 眼式立体映 像(stereoscopic images)と呼ばれています。ここで、 「stereoscopic」という言葉は、 両眼立体視の原理を発見した Wheatstoneによる造語です(1838)。ギリシア語で「solid(固 体・立体)」を意味する「stereo」と、「見る装置」という意味の接 尾語「scope」が、 語源となっています。 3Dの歴史的特徴と現状 3D の歴史的な特徴として、 周期的にブームが訪れることが指摘されて います。大きなものでは、 1950 年代、 1980 年代の 3D 映画ブームがあ げられます。そのため、 近年の動向を、 3 度目のブームと位置づける場合 もあります。また、 2010 年は「3D 元年」と呼ばれることもあり、 現在ま で 3Dが普及してこなかったことが分かります。 過去のブームが一過性に終わった主な原因として、ディスプレイ開発や コンテンツ制作に関する技術的な未熟さに加え、 質的・量的なコンテンツ の不足があげられています。これに対して近年では、 映画館のデジタル化 のタイミングと同期して、 従来に比べ導入しやすい 3D ディスプレイ技術が 提供され始めました。例えば、1 台で 3Dコンテンツを上映可能なプロジェ クタや、ホワイトスクリーンなどの既存設備を活用して 3D 対応する技術で す。さらに、 ハリウッドを中心として、 品質の高い 3Dコンテンツが、 継続 的に制作・公開されていることが、 過去のブームとは一線を画しています。 「3D 元年」と呼ばれる要因として、その顕著な波及効果についても、こ こで指摘しておきたいと思います。 主要なセットメーカー各社から、 3Dに 対応した TV やゲームが次々と発表・市販されている現状は、 われわれを 含む多くの研究者や業界関係者の予測よりも急速な展開といえるでしょう。 こうした急速な拡大に対して、コンテンツの制作方法や観察に際しての安 全性をはじめとした 3D のメディアとしての特性に、 未知の点が多いことが 懸念されています。 3D の歴史的特徴と現状 3 3D表現のユーザ エクスペリエンス研究 一方で、 3Dを有効に活用するためには、 消極的な側面でなく、 積極的 な側面についても、 十分な検討が必要です。 「映画が 3Dになると、どん な良いことがあるのか?」という問いに対して、 少なくとも「飛び出す」ある いは「引っこむ」というのは、 答えではありません。われわれが、 3D の、 どの要素に魅力を感じるのか、 未だ不明瞭な段階にあるためです。3D 表 現による効果は、 2Dとは異なる気分や情緒を伝達し得ることが期待されま ユーザエクスペリエンス す。そのため著者らは、 3D 表現の品質と観察者の体験全般(ユーザエク スペリエンス:user experience)に関する、さまざまな取り組みを行っ 人間工学 てきました。その目的は、 3D 表現を、 安全性や快適性に関わる人間工学 (ergonomics)的アプローチと、 ユーザエクスペリエンスの心理学的側 面と統合し、 最適化することにあります。 一対比較法 最近の取り組みの一つとして、 一対比較法(paired comparison)と インタビューを組み合わせた画質の評価手法による、ボキャブラリの収集・ 分析があげられます(2008)。3Dの付加価値を理解する上で、 「飛び出す」 「引っこむ」以外の、 3Dコンテンツを形容する多様なボキャブラリの獲得 は、 重要な課題の一つといえます。また、 2Dと比較した際の、ユーザエ 眼球運動 クスペリエンスの差異について、 観察中の眼球運動(eye movement) の測定により検討を行っています(2010)。図 1は、 共同で研究を行って いる、ヘルシンキ大学心理学科での測定風景です。 4 序章 ●●図 1 3Dコンテンツ観察中 の眼球運動の測定風景 3D ディスプレイ 眼球運動測定装置 これは、現在も進めている研究テーマですが、結果の一例を紹介します。 図 2 は呈示したコンテンツの 1ショットです。 図 3 は、 2D で呈示した際の 注視点(point of gaze fixation)の分布を、コンテンツにマッピングした 注視点 ものです。この図から、 2D の場合には、 人物、 特に顔に視線が集中して いることが分かります。 一方、 同じコンテンツを3D で呈示した図 4 では、 人物の顔を注視している点は共通していますが、 手前の構造物にも視線 が集まっています。こうした傾向は、コンテンツの空間的な構成と関連す る可能性があるため、 第 1 章で述べる立体情報が、どのようにコンテンツ に含まれているかについても分析しています。このような取り組みの推進・ 蓄積によって、 3D のメディア特性の理解と、 安全で快適な制作・利活用 へのフィードバックを目指しています。 3D 表現のユーザ エクスペリエンス研究 5 ●●図 2 呈示した 3Dコンテン ツの例 ⓒ Stereoscape ●●図 3 2Dコンテンツとして 観察時の注視点の分布例 注視点の主な分布範囲 ●●図 4 3Dコンテンツとして 観察時の注視点の分布例 6 序章 注視点の主な分布範囲 参考文献 C. Wheatstone:Contributions to the physiology of vision.-part the first. On some remarkable, and hitherto unobserved, phenomena of binocular vision, Philosophical Transactions of the Royal Society of London,Part II,pp.371-394 (1838) J. Häkkinen,T. Kawai,J. Takatalo,T. Leisti,J. Raduna,A. Hirsaho,G. Nyman:Measuring stereoscopic image quality experience with interpretation based quality methodology,SPIE,Vol.6808,pp.68081B-1-12(2008) J. Häkkinen,T. Kawai,J. Takatalo,R. Mitsuya,G. Nyman:What do people look at when they watch stereoscopic movies?:SPIE, Vol.7524, pp.75240E-1-10(2010) 3D 表現のユーザ エクスペリエンス研究 7 第 1 章 視覚系が利用する 立体情報 視覚系 3 D で表現するためには、2Dに比べ、 われわれの 視覚系 (visual system)について、より意識する必要があるで しょう。 視覚系とは、 光として入力される情報を手がかりとして、 外界の構造を推定する仕組みの総称です。その中で、外界を立体 奥行き知覚 的に知覚することを奥行き知覚(depth perception)と呼び、そ 立体情報 のための手がかりは、立体情報(depth cue)と呼ばれています。 ここで、 われわれにとって外界とは、 すべてが奥行き方向に存 在することに注目すべきかもしれません。つまり、 3D 映像におけ る「飛び出す」「引っ込む」という感覚は、 奥行き知覚の観点から は、 本来、 異質のものですが、 画面の前後に対象を表現するた めの手がかりの多くは共通しています。 本章では視覚系が奥行き感を得るために利用している手がかり である、 立体情報について紹介します。 1.1 視覚系と立体情報 第 単眼立体情報 眼立体情報(stereoscopic depth cue)に分類することができます。単 両眼立体情報 1 章 立体情報は、 大きく、 単眼立体情報(monoscopic depth cue)と両 眼立体情報は、 片眼でも奥行き感を得ることのできる手がかりで、 その多 くが絵画や映画などでの遠近感を表現する手法として活用されています。 一方、 両眼立体情報は、 両眼で見て、はじめて奥行き知覚が可能となる 手がかりです。表 1.1に、視覚系が利用している、主要な立体情報を示し ました。 単眼立体情報 両眼立体情報 網膜像による手がかり 隠蔽 相対的サイズ 相対的密度 視野内の高さ 空気透視 運動透視 両眼視差 筋肉制御系の手がかり 調節 輻湊 ●●表 1.1 視覚系で利用する 主な立体情報 1.1 視覚系と立体情報 11 1.2 単眼立体情報 知覚心理学や認知科学などの学問分野では、 立体情報に関して、 現在 も多くの研究がなされています。特に単眼立体情報は、 多様な手がかりが 報告されていますが、ここでは Cutting(1995)らの分類をもとに、 7 種 類を紹介しています。 1.2.1 隠蔽 ある視点において、 前方の対象が背後の一部を隠す状態が、 隠蔽 隠蔽 (occlusion)です。この状態では、 隠されている対象が遠いと判断され ます。 隠蔽の成立条件としては、 対象が不透明であることや、 前後の対 象が交わる輪郭部分に歪みのないことなどがあげられます。そのため、 図 1.1 の上の図では前後関係が判断できますが、 下の図形では判断できませ ん。隠蔽の特性として、 その感度が距離によらず一定であることから、 単 眼立体情報の中では、 最も強力な手がかりの一つといえます。 ●●図 1.1 隠蔽の例 12 第 1 章 視覚系が利用する立体情報 1.2.2 相対的サイズ 同じサイズの対象が複数存在するときに、 網膜像(retinal image)の 小さい方が遠いと判断されます。これを相対的サイズ(relative size)と 網膜像 相対的サイズ 第 いいます。 相対的サイズの成立条件は、 少なくとも二つ以上の対象が存 在することや、 対象が大きすぎたり、 近すぎたりしないこと、 対象のサイ 1 章 ズに関する知識を持っていることなどがあげられます。 ●●図 1.2 相対的サイズの例 1.2 単眼立体情報 13 1.2.3 相対的密度 相対的密度 相対的密度(relative density)では、 網膜上の対象のきめが密な場 合に遠いと判断されます。 隠蔽と同様、 距離によらない手がかりですが、 相対的密度に比べ、 相対的サイズの感度が高いとされています。 ●●図 1.3 相対的密度の例 1.2.4 視野内の高さ 視野内の高さ 視野における対象の位置の 相対的な高さを視野内の高さ(height in visual field)といいますが、これも奥行き感を得るための手がかりとして 働きます。日常的に、 近くの対象から遠くの対象へと視線を移すときに、 下方から上方へと移動する場合が多いことも関連しています。視野内の高 さの成立条件は、 重力があることや、 地面が曖昧でないことなどがあげら れます。 有効距離は、 数 mから1000m 程度にかけて、 徐々に感度が低 下していきます。 ●●図 1.4 視野内の高さ 14 第 1 章 視覚系が利用する立体情報 1.2.5 空気透視 空気透視(aerial perspective)とは、 遠くの対象ほど、 大気中の光 空気透視 線が乱反射して、 彩度・明度が低下して見えるというものです。 例えば、 第 近くの木々の葉よりも、 遠くの山々の緑の方が薄く、 青白く見えるのは、 広く経験されることです。成立条件は大気が存在することですが、 霧など 1 章 天候によって距離感が変化します。有効距離は、100m前後から数千mで、 遠方ほど感度が上昇する点に特徴があります。 ●●図 1.5 空気透視 1.2 単眼立体情報 15 1.2.6 運動透視 運動透視 運動透視(motion perspective)とは、 視点の位置が変化すること で、 視野全体の対象に、 距離に応じた動きが生じることを意味します。 運動視差 なお、 視点の移動に伴う対象間の相対的な動きは、 運動視差(motion parallax)として区別される場合があります。運動透視の成立条件は、 外 界そのものが流動的でないことがあげられます。また、 その有効距離は、 歩行や電車といった、 視点の移動速度によって変化します。 ●●図 1.6 運動透視 ●●図 1.7 運動視差 進行方向 16 第 1 章 視覚系が利用する立体情報 1.2.7 調節 調節(accommodation)とは、 水晶体(lens)の形状を変化させ、 網 膜上に対象の鮮明な像を形成する機能です。 図 1.8に、 右の眼球の水平 調節 水晶体 角膜 体、 硝子体などを通過して、 網膜に到達します。 水晶体の周囲にはチン チン氏帯 1 章 前面の角膜(cornea)から光が入射します。 入射した光は、 前房、 水晶 第 断面図を示しました。 眼球は、 直径約 24mm の球状の形態をしており、 氏帯(zonula ciliaris)と呼ばれる無数の繊維が付いており、さらにその 周りを毛様体筋(ciliaris muscle)という輪状筋が取り巻いています。毛 毛様体筋 様体筋の緊張と弛緩によって、 水晶体の厚みは変化します。具体的には、 毛様体筋が緊張するとチン氏帯は弛緩し、 水晶体は自己の弾性により厚み を増します。それにより、屈折力が上昇し、近方にピントが合います。一方、 毛様体筋が弛緩するとチン氏帯は緊張し、 水晶体は周りに引っ張られる形 で薄くなり、 結果として遠方にピントが合います。 調節の有効距離は、 鮮明に見ること(明視:clear vision)のできる最 明視 も遠い点(遠点:far point)と、最大の屈折力で明視できる最も近い点(近 遠点 点:near point)からなる範囲として規定することができます。このことは、 近点 視力が個人で異なるように、 調節の有効距離は個人差が大きいことを示し ています。同時に、加齢によって水晶体が硬化し、近見障害を生じる老視 老視 (presbyopia)も大きく影響します。また、 調節は、 注視点の前も後も 同様にぼけが生じることから、 前後関係を判断する手がかりとして弱いとも いえますが、 距離の異なる対象にピントを合わせることによって、 感度が 上昇していきます。 1.2 単眼立体情報 17 ●●図 1.8 眼球の構造 毛様体 チン氏帯 虹彩 網膜 硝子体 角膜 中心窩 光軸 視軸 瞳孔 前房 視神経 水晶体 盲点 ●●図 1.9 調節 対象が遠い 対象が近い 水晶体が厚くなる 18 第 1 章 視覚系が利用する立体情報 水晶体が薄くなる