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地震ウィキペディア
安全研修会講演要旨
危険度評価に基づく防災・安全対策
―日常から非日常への連関の視点から―
大阪市立大学理事兼副学長
宮野道雄
ただいまご紹介いただきました大阪市立大学理事・副学長の宮野でございます。
私は以前、生活科学部に所属しており、防災等の安全対策の研究を行なってまいりました。本日は皆様の前
でお話をする機会を頂きありがとうございます。初めに本日のテーマについて説明させて頂きたいと思いま
す。
〔はじめに〕
まず本題に入る前に、どうしてこのようなテーマを選んだのかを含めまして、私の背景から話しをさせて
頂きます。大学の学部では、建設工学という建築と土木の両方を学べる学科に所属していました。防災・安
全という研究については大学院に入ってからで、1974 年に大学院の修士課程に入学しましたが、その年の 5
月に伊豆半島沖地震(1974 年(昭和 49 年 5 月 9 日)Mj 6.9、静岡県南伊豆町で最大震度 5、死者 30 人。参
考:ウィキペディア)がありました。大学院に入って間もなくでしたが、研究室から指導教員の先生と一緒
に被災地に出かけて行き、主に木造住宅を中心に建物被害の分布を調査致しました。伊豆半島の南の方にあ
ります石廊崎を中心とした被災地で地盤の良し悪しと被害の関係、そして石廊崎などでは地上に断層の一部
が出現して、断層の位置を知ることができたため、その断層の距離との関係によって被害がどのように減衰
しっかい
していくかについて、建物の悉皆調査を致しました。つまり、外観目視が中心ですが、建物すべてについて
被災度を調べて行く事が、私の防災研究の始まりでした。
また、そのころは地震が頻発しており、翌年の 1975 年には九州の大分県中部地震(大分県中部地震(お
おいたけんちゅうぶじしん)は、1975 年 4 月 21 日 02 時 35 分に大分県大分郡湯布院町扇山・庄内町内山付
近(いずれも現在の由布市)を震源として発生した内陸直下型地震である。大分地震とも呼ばれている。参
考:ウィキペディア)が発生しました。この地震の時には、墓石の転倒調査を行いました。なぜ墓石を調査
するのかというと、日本では明治時代以降広く行われており、地震が起こると地震学者や防災研究者が被災
地の墓地に出かけて行き、倒れた墓石と倒れなかった墓石の寸法を測ることにより、その地域でどのぐらい
の強さの地震動が発生したのかを推定してきたわけであります。
つまり倒れた方向の墓石底面の奥行き幅と、高さの比をとります。また倒れなかった墓石の比をとります
と、その地域でどのくらいの強さの震度が生じたのか、すなわちどのくらいの加速度が生じたのかが分かる
わけです。そういった事をこの大分県中部地震では行いました。
さらに木造建物被害調査も行ったのですが、墓石の転倒調査によって地震動の評価を行ったのはこの地震
が初めてでした。1978 年には、宮城県沖地震(6 月 12 日 宮城県沖地震 - Mj 7.4(Mw 7.4)、宮城県、岩
手県、山形県、福島県で最大震度 5、死者 28 人、津波あり。)が起こりまして、その時も仙台を中心とした
被災地で墓石等の調査を行いました。こういった墓石の転倒調査に基づくデータや木造建物被害の分布デー
タは、全国的に色々な地盤条件の所で得られていますので、そのデータをまとめて学位論文を書きました。
それが今から 30 年ぐらい前の事です。私の学位論文のタイトルは、
「墓石の転倒および木造建物被害に基
づく地動加速度の推定に関する研究」というものでした。実は、私が学位論文をまとめた 30 年前には、日本
に SMACK 型強震計という強い地震動を観測する地震計がありましたが、この強震計は全国で約 1000 台し
かなく、またそれらも東京や大阪の都市部に偏在しておりまして、全国、あまねく分布しているわけではな
かったのです。そのため地震が発生しても、震源近くの地震動の強さを測る事ができなかったし、仮に地震
計があったとしても針が振りきれてしまったりして、震源近くの地震の強さはどのくらいなのかが分からな
かったのです。そのためそれを補うのが、木造建物被害分布あるいは墓石転倒調査から得られた地震動のデ
ータ(レベル)ということで、ちょうどその震源近くの空白部分を私の研究成果が補ったという形になった
わけです。
このような事で学位論文を書き、その後大阪市立大学に就職いたしました。大阪市立大学では、工学分野
ではなく、生活科学部に専任講師として勤めることになりました。この生活科学部というのは、昔の家政学
部にあたりまして、いわゆる衣食住という、生活に密接に係わる分野について教育研究を行う学部です。私
はその中で、住居学科に所属しておりました。住居学科では、当時は関西の大学ということもあり、地震防
災研究だけはなく、日常生活において住宅の中で発生する事故等の研究をする事が求められました。
実は、この日常生活の中で、また住宅の中で発生する事故を調べていくと、意外に大きな問題が潜んでい
ることが分かってきました。そのことを踏まえて、本日のお話をさせて頂こうと思っております。住宅の中
で日常的に発生する事故と、地震のような非日常生活の中で起こる人的な被害、この両者の間には共通する
ところと相反するところがみられる事が分かってきました。防災講演会などにおいて、地震災害等に備えま
しょうと一般の方に提唱しましても、非日常的な出来事である自然災害は、なかなか自分の問題としてとら
えてもらえないところがあります。
ところが、普段の生活の中で、毎日毎日、このような事故が起こっていることを認識して頂きますと、そ
こから非日常災害にどう備えていかなければならないか、という視点も出てくるのではないだろうかと思い
始めました。
このような事で、本日は副題に書いております、―日常から非日常への連関の視点―からと題しまして、
防災安全についてお話させて頂きたいと思っております。
〔日常生活の危険〕
本日のテーマですが、基本は 2 つあります。まず1つ目は日常生活の危険についてお話いたします。皆さ
んはご存知かもしれませんが、厚生労働省が日本全体の死亡原因等をまとめた「人口動態統計」というのが
あります。この人口動態統計による死亡の項目の中で「不慮の事故」という分類があります。この不慮の事
故にも色々あり、窒息や転倒、転落等の分類ですが、事故によって様々な要素があります。具体的にはどう
いった方が亡くなっているか、すなわちお年寄りの危険度はどのくらいなのか、あるいは男女の性別の違い
があるのか、そういった事が分かります。この人口動態統計の不慮の事故分析について、発生場所の分類が
ありますので、住宅の中に限定して、どういった事故が起こっているのかを見る事ができます。このような
事例について少しご紹介したいと思います。それから 2 つ目が地震災害等による人的被害と人間行動という
ことで、私が大阪市立大学に赴任してから、工学的な視点でなく生活科学的な視点で研究を始めるというこ
とで、
「モノ」から「ヒト」へと視点を移して、人の問題として災害あるいは安全を考え始めた研究内容につ
いてです。私が赴任直後に始めた事が、昭和南海地震津波による被災地の人間行動を調べることでした。
その結果を少しご紹介し、災害時に人がどのように行動するのか、人の死亡あるいは負傷という人的被害
がどのような要因と関わり、どのように起こるのかをお話しをさせていただきまして、日常から非日常の連
関の中で何を考えなければいけないのかという話しで、最後をまとめたいと思っています。
それでは、なぜ、日常から非日常への視点が必要なのかということですが、後からお話しますが、日常か
ら非日常災害の間には被災危険度の連関性があるということと、逆に相反するという意味での関連性という
ことです。それから日常生活の中でも潜在的危険というものがあり、それが地震災害のような災害時には顕
在化するという面があるのではないだろうか。それが分かっていれば、普段の生活の中で潜在的に認められ
る危険性を排除しておけば、非常時の被害を無くすことはできないにしても、小さく抑える事ができるので
はないだろうかと考えています。そして具体的に、災害時の究極の目的というのは人的被害を少しでも減ら
す事だと、私は思っております。そのような意味で、人的被害における年齢依存性と性差ということで、日
常災害と非日常災害の間で年齢依存性がどうなのか、性差はどうなのかを見る事により、日常から非日常へ
の備えをしていこうという考え方をご紹介したいと思っています。
〔日常災害〕
日常災害というと一般には労働災害、すなわち工事現場等の労働環境の中で起こる事故を労働災害と位置
付けています。続いて、交通事故等の交通災害、そして建築上の不備による事故で建築災害があります。住
宅内事故の場合、家の作りが悪い、例えば階段の勾配が急であるとか、使用している材料が悪くて、水に濡
れていなければ問題ないのですが、水に濡れると非常に滑りやすくなってしまう等、安全性の配慮が欠けて
いるような造り方や材料選びをする事によって起こる事故を建築災害と呼んでいます。これは私の個人的な
考え方でありますが、犯罪というのも人が起こす事故とみれば、日常災害の範疇に入れて考えるべきではな
いだろうかと、本日は犯罪の話までは及びませんが、こういったものが日常災害と呼ばれるものであります。
それに対して非日常災害は何かというと、非日常的に起こる災害事象ということで、地震、落雷、斜面崩壊、
洪水といった災害事象を指します。日常災害の場合では要因が人の行動にある事が多いのですが、非日常災
害の場合には自然現象によって起こるということが多いと考えられます。
それでは、日常生活に潜む危険度にどういうものがあるのかということを、みて行きたいと思います。
これは人口動態統計に基づいた資料整理で、1950 年から 5 年ごとに 2010 年までをまとめたものになりま
す。人口動態統計の毎年の死者の内訳ですが、男女に分けて、それぞれの 10 万人に対する比率で分類してい
ます。男女の死亡率の違いをみていただければと思います。人口動態統計の不慮の事故による死亡者数の変
化を年代的にみたものでして、このようにみていただきますと明らかに、女性と比べて男性の死亡危険度が
高いことが分かると思います。1970 年というのは大阪万博の年ですし、1964 年は東京オリンピックの年で、
人数(人)
人口10万人対
1970 年前後の高度経済成長期において不慮の事故の傾向が変わってきています。特に男性の危険度が変わっ
てきている所が 1 つ注目するところだと思います。
先述した、不慮の事故の中には労働災害も入っており、工事現場での安全確保が、この辺りからかなり考
えられ対策が施されてきたという成果が示されたように思います。さらにこの図によれば、最近では男女の
差が縮まってきていますが、人口の高齢化の中で、女性の平均寿命が長くなっており、日常生活の中で不慮
の事故において危険度が高い高齢者の特に女性の死亡率が高くなっていると考えられます。この不慮の事故
の中には自然の力への曝露を含むと書いておりま
すとおり、自然災害による死者も入ってきます。
1995 年は、兵庫県南部地震が起こった年で、その
不慮の事故(転倒転落)2013年男…
前後と比べるとこの年は男性、女性ともに危険度
45
女…
40
が高くなっている事がわかります。2011 年に東日
◎わが国の年間死亡者数
35
本大震災が起きましたが、兵庫県南部地震とか東
30
■平成 25 年<2013 年)
日本大震災のような、非常にたくさんの方が亡く
25
20
なった自然災害が起こりますと、この前後の年を
・総数:126 万 8436 人
15
比べると明らかに傾向が変わった形になっていま
10
・不慮の事故(自然の力への曝露を含む)
5
す。不慮の事故の経年変化やあるいは男女の死亡
:39,574 人
0
危険度の変化を概観できると思います。
0-4 5-14 15-24 25-34 35-44 45-54 55-64 65-74 75-84 85-94
・交通事故:6,060 人
(第 5歳位)
それでは、日常災害ではどのぐらいの方が亡く
年齢
・住宅内事故:14,249
人(2010 年)
なっているのかといいますと、
平成 25 年(2013 年)
の人口動態統計の結果ですが、この年で亡くなった方は
◎住宅内事故(家庭内事故)とは?
126 万 8,436 人となっています。癌等の病気での死亡がほ
・階段=転落
とんどですが、こうち約 4 万人が不慮の事故で亡くなって
います。そして、この 4 万人の内の約 6,000 人が交通事故
・浴室=転倒、溺水
で、これは第 5 位となっています。以前は、交通事故死者
・平面床段差を有する場所=転倒
数が 15,000 人ぐらいと多かったのですが、飲酒運転の罰
・・・・住宅内の三大危険個所
則が厳しくなったことなどもあり、最近では、交通事故死
・ベランダ、屋根などからの墜落
者数は 10,000 人を下回ってきています。
ところが、住宅内事故で亡くなられる方は、2010 年のデータですが 14,249 人と、交通事故を上回る人数
が住宅内事故で亡くなっているということになります。もっとも安全であるべき住宅の中で、実は多くの方
が亡くなっているのが実態です。
では、住宅内事故というのは具体的にどのようなもの
家庭内の不慮の事故の経年変化
かというと、階段からの転落、浴室の床で滑って転倒し
5000
4500
て頭を打ち亡くなるとか、また最近多いのに溺水事故と
4000
平面床段差を有する場所での転倒です。これは階段のよ
3500
階段からの転落
3000
うな何段もある所ではなく、一段の段差です。日本の住
同一面上での転倒
2500
宅は玄関で靴を脱いで上がる段差がありますし、浴室で
2000
溺死・溺水
1500
は、脱衣室と浴室との段差があるとか、洋室と和室の敷
1000
居のちょっとした段差といった、さまざまな段差がある
500
0
のが特徴です。そのような段差で、躓き、転んで命を落
とす事故が比較的多くあるということです。そのほかに
は、ベランダとか屋根の上など高所からの墜落があり、
西暦(年)
瓦の補修時に落ちるとか、冬は雪降ろし中に落下して命
を落とす事が多い。こういった事故が住宅内事故に関わ
ってまいります。
このような浴室、平面床段差を有する場所、そして階段、これを住宅内の三大危険個所というように位置
付けています。それでは、家庭における不慮の事故によってどのぐらいの方が、どのような原因で亡くなる
かということですが、ここでは転倒・転落を一緒にしております。実際 2010 年の人口動態統計によって、
住宅内で起こった事故について整理してみますと、転倒転落が 2,656 人、溺死が 4,340 人、次に窒息、これ
は食べ物などで喉を詰まらせるとか、小さな子供が床などに落ちている物、例えばコイン等を飲み込んで窒
息するとか、あるいは赤ちゃんがベビーサークルの中で窒息するとか、また機械的窒息と言っていますが、
挟まれて窒息する等、様々な原因があり、窒息事故も意外に多いといえます。また後に出てきますが、火災
による事故で亡くなる方もありますが、これらの中で一番多いのが溺水事故であります。
これは住宅の中での事故ですので、主な原因は浴室内での溺死になります。溺水事故が多いことは、意外
かも知れませんが、経年変化(右図)を見ても非常に大きなものがあります。これは、家庭内の三大危険個
人口10万人対
人口10万人対
人口10万人対
所で起こった死亡事故者数を経年変化で見ています。1960 年から 2010 年までの 5 年ごとの変化で、一番下
が階段からの転落による死者、それから下から 2 つめが同一面上での転倒による死者、そして一番上の立ち
あがっているグラフ線は溺死・溺水による死者であります。これを見ますと、いずれも程度の違いはありま
すが、減少傾向ではなく増加傾向にあり、とりわけ溺死・溺水の死者の数が大きく増加している事が特徴的
だと思います。溺死・溺水事故につきましては、1990 年から 1995 年を境目として急激に増えております。
実は、1900 年に定められた世界基準の ICD が 1990
年に ICD10(ICD とは疾病や事故による死因を国
30
際的に統計基準としてまとめているもので、世界保
不慮の事故(溺水)2013年 男性
25
健機関の WHO がまとめている。)に変更されてい
女性
ます。10 年ごとに改定されている 1990 年の ICD10
20
の基準の変化により、死亡原因の見かたが変わり、
15
増加しているのかもしれません。つまり、溺死事故
10
にしても、たまたま酔っぱらっていたとか、若しく
5
は高血圧や低血圧によって起こった事故で、結果的
0
には、それにより最終的には溺死したにしても、原
0-4 5-14 15-24 25-34 35-44 45-54 55-64 65-74 75-84 85-94
歳
因として、疾病としてとるのか、あるいは溺死の方
をとるのかによって、違いが生じたと思います。た
だ、それ以降の傾向を見ましても、明らかに溺死・
年齢
溺水事故は増えていますので、全体的には、この危
険度が増しているのは変わりないと思います。また
1990 年あたりから、95 年あたりは、高齢化がかな
り進んできています。
ここからは、年齢を加え、又性別の違いも踏まえて不慮の事故の死亡の傾向を少し細かく見ていきたいと
思います。これは 2013 年の人口動態統計に基づいて、不慮の事故の中でも転倒転落による死者を男女別に
分けて、それぞれを 10 万人に対する比率を棒グラフで示したものです。
このグラフの横軸は、5 歳刻みの年齢となっており、0~94 歳までの年齢を示していますが、明らかに、
先ほど全体的に見て頂いたとおりに女性にくらべ男性の方の死亡危険度が高いということと、特に高齢者(一
般的に高齢者は 65 歳以上と定義しています。)で、65 歳以上の高齢者の中でも 75 歳以上の後期高齢者の転
倒転落による死亡危険度が高くなっていることが分かると思います。
次に、溺死・溺水事故を見てみますと、これも高
齢者の比率が高いですが、85 歳以上になりますと少
不慮の事故(煙、火炎への暴露)
し低減しているのは、この年齢になると、一人で入
5
2013年
浴できなくなる人が増え、介護を受けている中での
男性
事故は起こらないということもあると思います。し
女性
4
かし、全体的には女性より男性の方が、死亡危険度
3
が高いということは、相変わらず同じ傾向であるこ
2
とがわかると思います。
1
次に、煙、火炎への暴露ですが、主に火災によっ
0
て亡くなる人の分布になります。これも女性より男
0-4 5-14 15-24 25-34 35-44 45-54 55-64 65-74 75-84 85-94
歳
性が多いということは変わらないのですが、特に煙、
火炎への暴露の場合は、40 代、50 代の死亡危険度も
年齢
相対的に高いというのが特徴だと思います。この背
景には、飲酒と喫煙があり、お酒を飲んで泥酔し、寝たばこをして火災で亡くなるといったケースが多く含
まれている事になろうかと思います。
また、窒息ということで見ますと、0~4 歳児の赤ちゃん、乳幼児の死亡危険度が高いのが特徴ですが、お
年寄りも高く、こういった事が、不慮の事故の年齢あ
るいは、性別による特徴だと思います。
不慮の事故(窒息)2013年 男…
日常生活に起こる不慮の事故について、今、年代的
60
女…
に特徴があることを見てきましたが、その背景には何
50
があるのかというと、1 つは人口の高齢化があると思い
40
ます。お手元の資料では、19 歳以下、20~64 歳、65
30
~74 歳と 75 歳以上で 65~74 歳は前期高齢者で 75 歳
20
以上が後期高齢者と年齢別構成を示しています。全体
10
の高齢化の推移を見るにあたって、皆さんはご存じか
0
0-4
5-14 15-24 25-34 35-44 45-54 55-64 65-74 75-84 85-94
歳
年齢
もしれませんが、「高齢化社会」と「高齢社会」という言い方があります。今は高齢社会(人口に占める 65
歳以上の比率が 14%を超えると高齢社会と呼んでいます。
)をはるかに超えていますが、高齢化社会(高齢
化社会とは人口に占める 65 歳以上の比率の 7%を超えた場合になります。
)だと 1970 年ぐらいで高齢化社会
になっています。先ほど言いました万博のころになりますが、高度経済成長の 1970 年前後が高齢化社会の
時代になります。また、高齢社会に入ったのが 1995 年あたりになります。この時期は、先ほど見て頂いた、
溺死・溺水事故が急激に増えた所になり、兵庫県南部地震が起こった時がそこに当たります。
現在、高齢化は 23%を超えた所にきています。このように高齢化率が大きくなっていく中で、やはり注目
すべきは、先述したように、色々な事故にあう危険度が高い 75 歳以上の後期高齢者の数が増えてきているこ
とだと思います。いわゆる団塊の世代が後期高齢者に入っていく時代、こういった時代が日常生活の事故の
中でも潜在的危険性が非常に高くなっていく時期に相当します。人的な面と言いましょうか高齢化という人
の側からの時代の変化ということも理解しておく必要があると思います。
割合(%)
19
68
19
73
19
78
19
83
19
88
19
93
19
98
20
03
20
08
20
13
割合(%)
【住宅の階数及び構造区分の経年変化及び付帯設備】
それから、住宅内事故を考える時にもう一つ
の要素があります。それは、人の問題だけでは
住宅の階数分布及び構造区分経年変化
100%
なく、住宅そのものの問題もあるかと思います。
90.3 91.3
86 88.8
建築上の不備による建築災害というのを冒頭
82.2
80%
78
73.3
で説明しましたが、建築上の不備だけでなく、
非木造
66.1
建物構造、設備がどう変わるのかが、潜在的に
60%
56.8
防火木造
普段の生活の中で起こる事故の原因になる可
46.7
木造
40%
能性は十分にあります。ところで、住宅統計調
2階建以上比率
査あるいは住宅土地統計調査といって、住宅の
20%
ストックとフロー、すなわち従来からある建物
0%
あるいは新築の建物で、どういう構造あるいは
階数の住宅が全国にどれぐらいあるのかをま
とめた統計データがあります。それを使って作
西暦(年)
ったのがこのグラフになります。これも横軸に
年代を採り、1968 年から 2013 年の 5 年おき
のグラフになります。右図の棒グラフは 3 つに分けておりまして、グラフ下部が木造(裸木造と言ったりし
ている。
)で外壁等も木造になり、グラフ中は防火木造といい、外壁を金属で張ったり、あるいはモルタルを
吹き付けたりして防火構造にしている建物で、一番上は非木造(鉄筋コンクリートや鉄骨で造られている建
物)での構造変化の比率を表しています。住宅に限定されますが、これを見ていただければ 1968 年頃は 90%
以上が木造で、鉄筋コンクリートのマンション等はほとんどありませんでした。それが年を経過するたびに
増えて行き、2013 年には 40%近くが非木造となっています。住宅の構造が明らかに変わっているというの
が 1 つ。それから、図中の折れ線グラフは 2 階建て以上の比率となります。1968 年頃の時代では、2 階建て
以上の比率が 46.7%ですから半分以上が 1 階建の建物でした。それが現在では、2 階建て以上が 91.3%の比
率となっています。超高層の集合住宅ができており、2 階建以上の比率が増えているということは明らかで
す。2 階建以上が増えてきているということが何を意味するかというと、階段が有るか無いかということに
なります。すなわち、平屋建なら階段はない訳ですが、2 階、3 階建だと階段を上り下りする生活行為が起こ
ります。それによって階段からの転落事故が起きるというわけです。つまり、住宅の構造あるいは階数とい
ったものが、普段の生活の中で起きる事故に関わってくる面があるというわけです。特に非木造の集合住宅
ですと、外階段若しくは外に面している廊下が雨に濡れ
住宅の浴室(浴槽)保有率の経年変化
て滑りやすくなって、足を滑らせたり、躓いたりして転
倒する事故が起こる可能性があります。構造の違いによ
100
95.7
95.5
95.4
って引き起こされる事故もあるだろうということが、建
93.5
88.3 91.2
82.8
80
物の構造の変化によっても見る事ができます。
73.3
さらにもう一つの問題を提示しますと、浴室、浴槽を
65.6
60
59.1
持っている住宅比率の変化になります。かつて、日本の
40
都市住宅の場合は、浴室を持っている住宅はさほど多く
なく、銭湯に行くのが普通でした。ところが、年々住宅
20
内に浴室を持つことが増えて行き、現在では、ほぼ 100%
0
の状態になっています。住宅内に浴室が有るか無いかに
1963 1968 1973 1978 1983 1988 1993 1998 2003 2008
よってどういった違いが生じるかというと、住宅に浴室
西暦(年)
があれば 1 人でお風呂に入る事が増えます。銭湯では、
たまたま体調が悪く、溺れそうになったりしても、付近の人が助けてくれる事があると思います。しかし、
自分の家で、1 人で入ることにより潜在的危険性が高くなってくると思います。ただ、この危険性にも背景
に高齢化というのがあるわけですが、住宅に浴室が有るか無いかは、これだけ時代により変化していること
も忘れてはならない要因だとおもいます。
このように見て行きますと、住宅内で起こる事故と言うのは、年齢依存性として高齢者、特に 75 歳以上の
後期高齢者の危険度が非常に高いということが判かりますし、また、事故の種類によっては誤飲や窒息も含
めれば幼児もやや高い傾向が有ります。
余談になりますが、私が大阪市立大学に奉職して研究を始めたころには、浴室での溺水による死亡事故は、
お年寄りと小さな子供がほぼ同じ件数でした。それが最近では、ほとんどがお年寄りで、小さな子供の事故
は減少してきています。理由は、子供の数が減っていることと、子供に対する安全対策が立てられたからで
はないかと思っています。
【性差と役割行動について】
それからもう 1 つ、性差ですが、日常生活全般にいえることですが、住宅内事故も含めて、男性の方が女
性と比べると危険度が高いということです。先ほど申しましたが、お年寄りにこのような事故が多いのは生
理学的要素、つまり、身体的機能低下ということで説明できると思います。つまり、例えば視力・聴力の低
下、また、筋力の低下等によって事故に合いやすく、命を落とす危険性が高いということがあると思います。
さらにもう 1 つ考えなければいけないのは、社会的要素、つまり役割行動といいますが、これが普段の生活
の中でどのような役割を持っているのかの違いが関わってきていると思います。具体的には例えば天井の電
球が切れた時に家族内で男性と女性がいた場合、高い所に登り電球を替えるのは、女性より男性の方が多い
と思います。また、先ほど言いました、雪降ろしですが、最近は過疎化が進んで男性だけでなく女性もしな
ければいけないようになってきていると思いますが、やはり男女そろっておれば、男性の方が高い所に登っ
て作業をする。そういう危険な行為をする事は女性と比べ男性の方が多いことがあろうかと思います。そう
いう社会的要素がこういう死亡事故の性差につながっている事もあると考えています。
【非日常的災害】
次に非日常的災害として、ここでは地震災害を中心にみて行きます。具体的には、地震災害にみる人的被
害と人間行動についてみていきたいと思います。(56:27)←これは??
ただし、今回は東日本大震災の事はあまり触れておりません。1995 年から 20 年たった阪神淡路大震災「兵
庫県南部地震」について少し詳しくみて行きたいと思います。それと、人的被害を引き起こす津波とか火災
といった場面の中での人的被害あるいは人間行動の特徴を過去の災害にさかのぼってみて行きたいと思いま
す。そこで、ここでテーマを大きく 3 つ掲げております。1:災害時の避難行動として、昭和南海地震時の津
波及び火災の被災地における避難行動。北海道南西沖地震というのが 1993 年に起こっております。このと
きも津波で 200 人以上の方が命を落としていますが、2:この北海道南西沖地震の避難行動。それと、3:災
害における人的被害。これは先ほどお話ししました日常災害と比較するということで、年齢依存性と性差に
ついて自然災害における年齢依存性と性差。そして、兵庫県南部地震における建物被害と人的被害というこ
とで、どのような建物がどういう壊れ方をして、それにより人の亡くなる件数はどうなのかというように、
建物被害と人的被害の関係を少し具体的に見ていきます。
ここに上げているのは、明治時代以降、わが国で 20 人以上の死者を出した地震を全て取り上げております。
横軸に年代をとっており明治時代以降ですので、1870 年頃から、一番右はしの東日本大震災までとなります。
縦軸が死者の数を実数で挙げています。1 つ 1 つ
のポイントが地震を示しております。三角のマー
クを付けたのが津波を伴った地震で、五角形のマ
ークを付けているのが、火災を伴った地震で、丸
がそれ以外の地震です。
ここで、見ていただきたいのは死者 100 人を超
える地震というのは、三角形と五角形のマーク付
きの地震が多いわけで、死者 100 人を超えるよう
な被害は、津波を伴った地震あるいは火災をとも
なった地震で発生しやすいということを示してお
ります。もちろんそれ以外の地震もあるのですが、
そういった傾向が明らかだと思います。
これは防災・減災の見地からして、どのような
事を意味しているのかというと、火災を伴った地
震に対しては、住宅を耐火構造化し、延焼火災に
強いまちづくりをすることによって、火災が起こりにくい、また、火災の影響を受けにくい家や街にするこ
とができます。そうすることによって火災の死者を減らす事が出来ることを示しています。
また、津波を伴った地震については、津波を止める事は出来ないけれども、防潮堤で津波の襲来を遅らせ
るとか、避難場所をあらかじめ造っておいて、避難訓練などを実施することにより、住宅は被害を受けても
人の命を守ることはできると思います。
津波を伴った地震あるいは、火災を伴った地震に対して、いかに工夫をするかということは非常に重要で
あり、こういったデータを見て頂きましても分かるのではないでしょうか。
さて、ここで注目しておかなければならない点は、1950 年に建築基準法が施行されたことです。1950 年
の建築基準法施行後、兵庫県南部地震が起こるまで、わが国で死者 100 人以上の被害を出した地震というの
は 3 つしかありませんでした。つまり、チリ地震津波と日本海中部地震と北海道南西沖地震の 3 つで、いず
れも津波によって 100 人以上の人的被害を出した地震です。しかし、地震動による建物被害は大きくなかっ
たのです。ですから、1950 年の建築基準法の制定により、日本の建物はかなり安全になったのではないか、
地震によって壊れる事は無くなったのではないだろうかと思い込んでいた節もあります。ところが、1995 年
の兵庫県南部地震では、ご承知の通り 10 万棟を超える建物が全壊し、5,502 名の方が直接的に亡くなりまし
た。5,502 名の 90%は建物被害に何らかの形で関わっています。
もちろん火災も含めてですが、多くは建物倒壊の下敷きになり亡くなっています。建築基準法ができてい
くつかの地震を経験する中で、それに伴い改正強化していったにも拘らず、兵庫県南部地震では、10 万棟を
超える建物が全壊してしまったということは、しっかりと覚えておかなければならないことです。原因とし
ては後ほど出てきますが、まだ大都市には古い建物が沢山残っているということです。要するに、建築基準
法以前とか、あるいは建築基準法施行以後でも今ほど厳しくない建築基準法で建てられた建物があって、そ
れが老朽化していき地震時に倒壊してしまう事をやはり理解
しておかなければいけません。
また、わが国では津波による死亡リスクは高いという認識も
必要です。このことは東北地方太平洋地震で思い知らされた訳
ですから、やはり海溝型地震が起こると津波が発生する危険性
があるのだと認識をして、その上で津波を防げなくても避難行
動の訓練や避難場所の設定によって救える命は沢山あるのだ
ということを、こういったデータから意識をしておかなければ
いけないだろうと思います。
ここからは、私が大阪市立大学で実際に現場調査
した事例等を話していきたいと思います。
左図は 1946 年の昭和南海地震のものですが、津波被害を受
けた徳島県の牟岐での調査結果になります。この調査を実施したのがほぼ 30 年前になりますが、当時 1946
年の南海地震を経験した人がまだ多く生存しておられましたので、その人たちに、当時どこにいて、どこに
逃げたのかといった避難行動について聞取り調査をしました。
この図中で●がいくつかありますが、これは地震の時におられた場所です。1946 年の南海地震というのは
明け方の 4 時過ぎに発生している地震ですから、ほとんどの人は自宅で就寝中でした。従って、避難開始場
所は自分の家だと思って頂ければ結構です。自分の家からどのような経路で避難したのかを、地図の上に書
き込んでもらったのが、この図になります。
湾岸を囲むように線が入っていますが、これは最終的に津波がここまで来たというラインを示しておりま
す。人々が逃げた避難場所の行き先というのは、最終的に浸水した場所のもっと高い所にある神社、お寺に
なります。神社やお寺は高台にあり、そこを目指して多くの方は逃げておられます。ですから、普段から高
台にある神社やお寺が避難場所として認識されていたのだと思います。徳島県、高知県、和歌山県などに被
害を与えた南海地震は過去何度も発生しており、江戸時代には 3 回発生しています。最近なのがこの 1946
年の南海地震で、過去数度の地震は 100~150 年間隔で規則的に発生しています。したがって、2050 年まで
には次の南海地震が起こるであろうと言われている訳であります。過去何度もこれらの地域では津波を経験
しておりますので、伝承、つまり言い伝えとして、子供の頃からおじいちゃん、おばあちゃんから「このよ
うな大きな地震が起きたら、津波が起こる危険性があるので、高い所に逃げないといけない」と聞いていた
と思います。それが、いざというときの避難行動に活かされていたということが分かります。大事なのは高
台に神社とかお寺という広い境内、いわばオープンスペースを持った場所が避難場所として位置付けられて
いたということと、こういった場所は子供たちが普段遊ぶ場所でもあるでしょうから、そこまでのルートが
認識されていたということだと思います。それがいざという時に役にたっているのです。
このような事例は他に高知県や和歌山県でも同様に見られます。高台に寺院とか神社があって、そこが避
難場所になっていました。この図は同じ 1946 年の南海地震ですが和歌山県新宮市の事例で、これは地震火
災になります。広いエリアではありませんが、市街地が地震の後に発生した火災によって燃えています。
地震の後の火災によって、人がどのように避難をし
たかというと、同じように避難経路を見ているのです
が津波との違いは、高台に逃げるのではなく広い場所、
つまり火災による安全な場所はオープンスペースとい
うことで、その北側にある熊野川の河川敷に避難をし
ています。たまたま、この時は津波による被害は無か
ったのでよかったのですが、河川敷に避難することに
よって津波の被害を 2 次的に受ける危険性が潜在的に
はありました。結果的には多くの方が高台ではなく、
オープンスペースである熊野川の河川敷に避難をする
という行動をとっておられます。
ただ、この図からでは時系列の要素が見られません
が、聞き込みをしてみると、津波の場合は一目散に高
台に逃げておられますが、火災の場合はなかなか逃げ
ておられません。自分の家、若しくは隣の家が燃え始めてようやく避難をしておられます。ここには現れて
おりませんが、時系列の避難行動の特徴というのは、災害種別ごとに理解をしておいて、それに対してどの
ような対応をとるのかということを、考える必要があるとおもいます。
これは津波の被害ですが、1993 年に北海道南西沖地震
が起こっています。この北海道南西沖地震は、奥尻島と
ういう北海道の一番南の方ですが、奥尻島のあたりを震
源地として起こった海溝型地震になります。大きな規模
の地震でしたので、津波が発生しております。この奥尻
島では、地震発生直後の 5 分後ぐらいに津波に襲われて、
大きな被害を出しております。ところが、ここはその 10
年前の 1983 年ですが、日本海中部地震というやはり日
本海側で起こった海溝型地震によって、津波が起こりま
して、若干ではありますが、浸水被害を受けています。
この地区では、その経験をうけて海岸の低地から 10m位
の高台に逃げる避難階段あるいは、乳母車など押して上
がれる坂を沢山造っていました。この避難路によって多
くの人が助かっています。この図は、奥尻島青苗地区と
いうところですが、方角としては右側が北になっております。少し黒く色を付けている所が高台で、白い所
の海岸からは 10m位高いところに当たります。海岸付近の低地に住宅が沢山ありまして、海岸線の白くなっ
ているところに建てられていた建物が、津波の被害によってほとんど流されてしまいました。これは地震の
直後すなわち 5 分以内の避難行動を示しています。つまり、5 分以内にその時にいた場所から、避難した場
所までの経路を示しております。徒歩で逃げた場合の避難経路を示しています。注目して頂きたいのは、こ
の図の一番左側の青苗 5 区というところですが、奥尻島の南端部にあたるところになりますが、この地域と
いうのは、西の方から津波が押し寄せてきて、5 分後ぐらいに全部流されてしまっています。しかし、この
図では、青苗 5 区の方も、地震直後 5 分以内に徒歩で逃げています。どこに逃げているのかというと、高台
に逃げておられます。高台も先ほど見て頂きました南海地震のように避難場所として深く認識していたわけ
ではなくて、やみくもに高台に逃げている避難行動です。ここに空港があるのですが、その奥まで逃げてい
る事が見受けられますけれども、とりあえず高台に逃げる
行動をとっています。
同じく地震直後 5 分以内に車で避難した人の行動経路
ですが、車で逃げる場合はどうしてもルートが限られてし
まいます。実際この時も交差点のところでは、車の渋滞が
起り、津波が西側から襲ってきていますので、西側を通っ
て高台へあがるルートもあるのですが、このルートを通っ
た車は避難が遅れた場合には津波に流されてしまってい
ることがあります。
5 分後以降の調査もしておりますが、当然 5 分後はこの
青苗 5 区からは逃げられた人は一人もいません。ただ、徒
歩で言うと、先ほど写真を見て頂きました、避難経路を通
って、高台の陰になっている青苗の 1 区 2 区 3 区 4 区からはまだ避難をしております。
日本海中部地震あるいは、北海道南西沖地震からでしょうか、今回の東日本大震災の時も大きな問題にな
りましたけれども、避難手段として、車を使うことの是非が問われています。実際、北海道南西沖地震の時
も年代等の関係で、車で避難した人、また徒歩で避難した人の比率をみてみると、明確にお年寄りほど徒歩
で逃げている人の方が高く、若い人ほど車で逃げている事が判ります。先ほど見て頂いたとおり、避難のタ
イミングからすれば車で逃げた事によって助かった場合もありますが、やはり渋滞等も起こっていますので、
どうしても避難のルートが限定されてしまうということもあるので、自動車による避難は原則するべきでは
ないと思います。ただし、特にお年寄りとかあるいは、徒歩で避難できない方の場合に車を有効に使うとい
うことは、地域の中での合意を持った上でならばあり得ることだと思います。
津波のような一刻も早く安全な場所に避難をしなければならない災害の場合は、やはりお年寄りの死亡危
険度は高いです。その理由としては、日常災害でも見て頂
いたとおり生理的要因すなわち、身体機能の低下が要因に
あると思います。それを年齢によって避難速度がどれぐら
い変わるのかを調べてみました。北海道南西沖地震の奥尻
町の被災者の人に聞いて、まとめたのがこれ(左表)にな
ります。もちろん結果的にこれは助かった人しか聞いてお
りませんから、亡くなった方の実状は分かりませんが、助
かった方のヒアリングの結果から整理しますと、あきらか
に年齢依存性があります。要するに 30 代の避難速度は 1
分間で約 90mですからかなり早い小走りくらいの速度で
逃げているのに対して、60 歳を超えるとその半分以下、毎
分 35mぐらいに落ちています。これも傾向として明らかで
すけど、年代が高くなるにつれて、避難速度が落ちている
ことがこのデータから分かります。したがって年をとるにつれて、避難速度が遅くなる。これは、津波のよ
うな一刻でも早くより安全な場所に避難をしなければならない災害の場合、生理的な要因として無視できな
い要因であることが実証できたのではないかと思います。
東日本大震災について、事例は一つだけになりますがお示しします。私たちの研究室では、地震後に宮古
市の田老地区というところに調査に出向いております。ここは昔から三陸地震津波による被害を受けて、そ
れに対する対策をたててきたところです。明治三陸津波、昭和三陸津波それからチリ地震津波も経験してお
ります。昭和三陸津波の後、高さ 10mの防潮堤を造って町を守るということで、現地復興といって高台に移
転するのではなく元の場所で町を再建した代表的な地区が田老地区です。このようなことから、私も過去何
度か田老地区に行って調査や様々な活動してきたところです。
東日本大震災においてこの地区は、結果的には高さ 10mの防潮堤を津波が越えて壊滅的な被害を受けてし
まいました。しかしこの時の避難行動がどのようにされたかを聞いています。そうすると、やはり高台に避
難された方は沢山おられました。この地区は、高さ 10mの防潮堤だけで、自分たちの町を守りきれると考え
てはいなかったと思います。なぜかと言うと、明治三陸津波を経験しているのですが、その時の津波の高さ
は 15mで、昭和三陸津波が 10mだったのです。町を守るために防潮堤の高さを決める時に町民自らが決め
た訳ですけれども、15mの防潮堤でなく 10mの防潮堤にしたのは、昭和三陸津波ぐらいなら守れたとしても、
今回の東日本大震災の津波は 16mを越えてさらに高かったので守れませんし、明治三陸津波クラスは守りき
れないということを自覚していたと思います。しかし、ソフトな対策として、高台に沢山の避難場所を造っ
て毎年 3 月 3 日に避難行動訓練をやっていたわけです。それが実際、東日本大震災の時にも役に立って、多
くの人が高台に設定された避難場所に逃げています。そして今回の浸水域も高さ 10mの防潮堤の効果もある
と思いますが、かつての明治三陸津波、昭和三陸津波とほぼ同じエリアでとどまっております。防潮堤によ
るハードな効果があり、また避難場所への避難訓練の効果もあ
って人命がまもられた部分があったと、私はそういう認識をし
ています。
それでは、もう一度、人的被害の話にもどりますと、これは
1946 年の南海地震の津波被災地での死亡危険度を男性と女性
に分けてみたものです。横軸に年齢をとっています。大きな傾
向でいえば、やはり高齢者の死亡危険度が高いということと、
男性に比べて女性が高いことがわかります。先ほどの日常災害
の場合は女性に比べて男性の死亡危険度が高かった。しかしこ
れは、自然災害、特に津波のような災害の場合には男性と比べ
女性の死亡危険度が全年齢層をみて高い。特に矢印で示してい
る 30 代前半の死亡危険度が非常に高かった。これはなぜかと言うと、30 代前半の中でも特に小さな子供の
世話をしていた女性つまり、母親になります。お母さんが子供を連れて避難したことにより逃げ切れなくて
亡くなったケースが非常に多く見られた。これは地元の記録をみたり、ヒアリングした結果でわかりました。
要するに、男性と比べて女性の死亡危険度が高かったのですが、中でも 30 代前半の死亡危険度が高かった。
これは、先ほど言いました役割行動になってくると思います。普段の生活の中で、赤ちゃんや小さな子供の
世話をしていた母親にあたる女性が災害時でもそれにより命を落とす結果となってしまったということが、
この資料からわかると思います。
これは 1948 年の福井地震で、地震火災によって被害を受
けた福井市の火災被災地だけに限定して同じように死亡危
険度をみたものですが、図の右の方の高齢者、また、自分だ
けで逃げられない乳幼児の死亡危険度が高いのと、やはり男
性と比べて女性の死亡危険度が全体的に高いと見受けられ
ます。
また地震ではなく、台風の時の高潮災害では津波と違って、
低気圧による海面の上昇と強風による吹き寄せ効果によっ
て、地上に海水があふれ出してくる現象ですが、この場合に
もお年寄り、小さな子供そして男性と比べ女性の死亡危険度
が高いという傾向が見受けられます。
これまでみてきました、津波、地震火災、高潮といったよ
うな災害の場合、お年寄りの死亡危険度が高くかつ男性と比
べ女性の死亡危険度が高いという傾向があり、私は流体(津波、高潮、地震火災のように流れるもの)から
の避難を必要とする災害の特徴と考えています。
後で出てきますが、兵庫県南部地震の場合は、流体からの避難を必要とした災害ではないため、少し傾向
が異なり、男女の差が無くなります。津波災害でも異なった傾向のものを一つだけ見て頂きますと 1993 年
の北海道南西沖地震の事例です。津波によって奥尻島でも約 200 人の方が亡くなられていますが、この場合
はお年寄りの死亡危険度が高いというのは変わりありませんが、30 代女性の危険度が必ずしも高くないのと、
男性と女性の死亡危険度に大きな差がなかったのが特徴です。これがなぜかというと、これも聞き取りで調
べましたが、この北海道南西沖地震が起こったのは、7 月の夜 10 時過ぎの地震ですが、奥尻島という島だっ
たこともあり、ほとんどの人が自宅に帰っていました。つまり家族がそろっていたのです。家族がそろって
いた事によって、男性が子供を連れて逃げています。つまり役割分担ができていた。災害弱者という言葉が
あり、災害弱者に女性は位置付けられてはいないのですが、流体からの避難を必要とする災害の場合は実態
として、女性の危険度が高かったのですが、そういう意味での弱者と位置付ければ、男性が子供を連れて逃
げた事によって母親層の年代を助けているのかなと思います。これは役割分担がうまくいった例としてお示
しをしました。
このように、北海道南西沖地震の調査から人間の属性と行
動の関係をまとめたのがこの結果になります。先ほど具体的
な数字で示しました通り、避難速度というのは年齢が高くな
るにつれて低下をしていますし、それから車で逃げるか徒歩
で逃げるかの避難手段には老若の差が見られました。今回は
具体的なデータでは示しておりませんが、揺れの最中の行動
では男性の方が積極的な防災行動をとる傾向が見られたと
いうことと、避難時の愛他的行動は男性の方がやや多かった
ということで、女性の特に母親層の死亡危険度を低く押さえ
る事が出来たのではないでしょうか。ただ、女性について言
うと、とっさの判断が取れなくて、避難が遅れてしまった人
が多かったというのも特徴でした。こういう特徴は、1946
年の昭和南海地震の津波災害でもみられています。このような点に注意を払って、今後の防災・減災対策を
講じる必要があると思っています。
以上をごく簡単にまとめますと、災害における人的被害では、死亡率は乳幼児でやや高く、高齢者で特に
高くなる年齢依存性がみられる。それから、男性に比べて女性の死亡危険度が高くなる傾向があり、津波、
延焼火災、高潮被災地など流体からの避難を必要とする災害で顕著になる傾向がある、ということだと思い
ます。
非日常災害における人的被害には、死亡率の年齢依存性がみられて、とくに高齢者については生理機能の
低下によって、避難速度の差において年齢依存性がでてしまうということ。それから、人的被害の性差につ
いては、男女の体力差という生理学的性差によって違いが出てくる。とくに流体からの避難を必要とする災
害に現れてくることと、日常災害でもみられましたけれども、普段の役割行動、これを社会的性差といって
いますが、この影響が非日常的災害でも現れてくる傾向があるのではないかということです。このようなこ
とが結果としてまとめられます。
日常災害と非日常災害を比べてみますと、死亡率が高齢になるにつれて高くなる傾向は非日常災害も日常
災害も同様に見られます。ただし性差については逆の傾向になります。そして、死亡危険度の年齢依存性は、
生物学的要因の要素が大きく、性差は社会的な要因いわゆる役割行動の影響が大きいのではないだろうかと
思っているところです。
このようなことをまとめると、日常災害と非日常災害を比較してどこをどう押さえれば、それぞれの人的
←図1)被害をより低く抑えられるかというのが大きなポ
イントになると思います。今回はあまり触れませんでした
が、日常災害の場合だと、20 代前後の男性の死亡危険度が
高いのは交通事故になりますが、こういった日常災害でも
年齢的にある特徴が表れていますので、その特徴を押さえ
ることによって非日常時での災害でも低く押さえるヒント
になるのではないかと思います。
次に兵庫県南部地震の死亡危険度でいうと、この地震で
は 5502 名が直接的原因で亡くなっているのですが、そのほ
とんどが建物倒壊による圧死でした。短時間に建物が倒壊
して逃げだすゆとりが無く、死亡しましたので性差はほと
んどみられませんでした。高齢者の死亡率は、他の地震災
害と同様に高いことは共通しておりますが、性差はほとん
ど見られないというのが特徴です。(図1)
兵庫県南部地震による神戸市東灘区における木造建物被害調査結果によれば、建築年代が新しくになるに
つれて、死者が発生する比率が減っています。とくに昭和 56(1981)年ですけども、新耐震設計法という法
律ができて、以後に建てられた建物で亡くなった人は、我々の調査範囲では一人もいませんでした。
建築基準法が 1950 年に施行された後、いくつかの被害地震を経験することにより、強化されてきています。
従ってより新しい年代の方が、建物が強くなっているといえると思います。(図2)
それから、これ(図3)は死者が発生した建物において、1 階で亡くなった人が多いのか、2 階で亡くなっ
た人が多いのかを調べたものですが、やはり 1 階の方が潰れやすいので 1 階で亡くなった人の比率が、2 階
で亡くなった人の比率の 3 倍又は 4 倍高いことがわかりまし
た。地震の危険度については 1 階の方が高いといえると思い
ます。つぎに、私たちが調査したエリアの死者発生建物の属
性になります。
↓図2
圧倒
的に木造建物が多かったのですが、階数別では 2 階建てが多
くて建築年代では 1975 年を境に亡くなった人が急激に減っ
ていくことと、1986 年以降の新耐震設計施行以後に建てられ
た建物で亡くなった人はいませんでした。また、1 階の危険
度は 2 階の 3~4 倍でした。ただし、気をつけなければいけ
ないのは、
地震時を考えれば 1 階より 2 階の方が安全ですが、
今日冒頭でお話ししましたように 2 階建ての場合は階段の上
り下りが有りますので、日常生活における階段の安全性を確
保した上で、2 階で寝起きをするということが必要であると
いえます。そのあたりの兼ね合いを考えなければいけないと
思います。
また、これは私たちが木造建物被害調査エリアで行った調
査の結果分かった事ですが、地震の前から、シロアリの被害
を受けていたり、柱の根元が水漏れなどにより腐っていた住
宅では建物用途に拘らず、90%以上全壊していました。
↓図3
ですから普段の生活の中で、メンテナンスができているかど
うか、つまり潜在的な危険性を把握しているかどうかという
ことで、特に木造住宅の場合は、シロアリに限りませんが、
害虫により損傷を受けていると当然、構造的に弱くなっていますので、地震時には被害を受けやすいという
ことです。普段のメンテナンスが重要であることを強調するため、ここでお話ししました。それと、兵庫県
南部地震の直接死である 5502 名のほとんどの方が住宅の倒壊で亡くなっているのですが、マスコミ報道で
は家具の下敷きで亡くなった人が多かったといわれることがありました。しかし実際転倒家具の下敷きだけ
で亡くなった方がどれくらいいるのかと思いましたので、私たちの方で調査をしました。その結果、単独の
死亡原因としては住宅がほとんどで、90%ぐらいが建物だと思います。死亡要因では何が多かったかと言う
と、建物倒壊により胸部又は胸腹部を圧迫され、呼吸が困難になり窒息される方がほとんどでありました。
骨折を負った重症の場合は下半身の受傷が多くて大腿骨とか骨盤骨折が多く、これは建物の倒壊と家具の転
倒がほぼ半々でした。したがって、家具転倒の下敷きを単独原因として起こる人的被害というのは、お年寄
りや小さな子供の場合にはあり得ますが、成人の場合はあまり無くむしろ家具の転倒によって骨折する危険
度が高いと認識することができます。
〔まとめ〕
今日お話ししたことは、日常生活での事故の実態とそれから、地震等の非日常災害の実態で、その両者に
よる人的被害を比較してきました。また、人的被害には人の要素だけでなく例えば建物構造の変化であると
かあるいは、設備の変化のような物的な要素もあるだろうということです。
それで物的な要素、人的な要素をより地域に広げて行った時には、
「地域特性に応じた自主防災まちづくり」
が必要であろうということです。私たちの研究室が大阪市の事業として実施したもので、大阪市消防局の救
急出動記録の分析を行い、日常生活においてどのような事故が起こっているのかを地域分布として明らかに
し、一方では地域特性資料によって地域にどのような構造、階数、用途の建物がどのくらい建っているのか、
あるいは、高齢者比率、独居率はどれぐらいなのかを調べてその両者の比較を行いました。
そうすると、大阪市の場合だと、北区、中央区、西区のように都心性が高い所では、つまり夜間人口より
昼間の人口が非常に多い地区がはっきりと現れてまいります。それから大阪市の周辺部の南から東部にかけ
ては古い木造住宅が残っている所があります。また周辺部には住宅や工場が混在しているなど多様な地域特
性がみられます。それを日常生活での危険性を比べてみるといくつかの興味深い事が分かります。すなわち、
古い木造が残っている地域は一般的にお年寄りが多く、昼間に住宅の中でお年寄りが日常生活事故にあう危
険性が高いということを示しています。
先ほど夜間人口に対する昼間人口比率が高い地域の話をしましたが、この地域の建物属性をみれば商業建
物が多い所になります。そういった所では、夜間の住宅外(すなわち公共空間)での一般負傷が多いことが
わかります。すなわち、地域の物的な特性と人的な特性そして、日常生活に起こる事故の危険度などとの重
なりから、日常災害の延長線上で地震時等の非日常災害における危険性を、空間的にある程度予測してそれ
に対する対策を、それぞれの地域に応じた形でたてていくということが求められます。それが冒頭に申しま
した、いつ来るかわからない非日常災害に漠然と備えるだけではなく、普段の生活の中の危険性を認識した
うえで備えて行くという視点であり、これが大切な事だと思いますし、より実行しやすい防災になるのでは
ないだろうかと思っている所であります。
以上が、日常から非日常への連関の視点を持った危険度評価に基づいて防災安全対策をたてるための考え
方の一端をご紹介したものでございます。(以上)
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