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物質の聖化:キリスト教唯物論

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物質の聖化:キリスト教唯物論
物質の聖化:キリスト教唯物論
鐸木道剛
「災害・戦争・疫病Jつまり破壊を主題として、それに抗する物質肯定の思想が「美術」
であり。それは中世ピザンティンのイコン論に淵源することを記そう。
(1) <天国の表象としての美術>
先日、「天国を表象する」との題の国際シンポジウムに参加した1。そこでイスラム美術の
アメリカ人研究者とシンポジウムで同席した。ほかにはインド美術そして西洋中世美術に
ついては、ゴシック末期の作例が挙げられた。
さまざまな事例が報告され、解決すべき問題点が多く明らかとなったが、まずは次に挙
げる 3つの議論が未消化で残ったと思う。ひとつは地上に天国を実現することが可能であ
るとの「キリスト教楽観主義J2に対して、①天国は退屈であるとの反論。次に②天国を描
くのは教化のためであって、それ以上ではないとのこと。そして最後に、キリスト教は物
質肯定であるとの考えに対して,③イスラム美術の専門家から「それなら金持ちは天国の
近いということになる Jと反論があったことである。
この 3つの論点は相互に関係している。
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まず「キリスト教楽観主義」の根拠は、受肉による「物質の聖化あるいは神化 (
であるえ神であり、なおかつ人であるイエス・キリストを仲介者として、神の世界と人の
世界が繋がったという構造である。人の世界とは被造物の世界であり、朽ちていく「ものJ
の世界である。その神と人の関係は、カノレケドンの公会儀の決定に記されているとおりで
ある。すなわち「唯一・同一のキリスト、主、ひとり子にして、二つの本性において混ぜ
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)、変化することなく (
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同mω古)、分割されることなく
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国際シンポジウム「天国を描く (
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4年 3月 4日
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キリスト教楽観主義 (
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s anOp位血Ism)J という言葉を最初に知ったのは、どの文献であったか失
念したが、プルクハルト以来の、中世のキリスト教支配から脱した世俗的なルネサンス観を覆した次の論
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文集もまたキリスト教の唯物論に気付いている.首mo
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Syracuse,
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0
.ヴァードンはその巻頭論文の冒頭で、プルクハルトは、マルクスと同じ
1
8
1
8年の生まれであるから、ルネサンスをキリスト教抜きの世俗的な現象として記述したと記している。
8 r
物質の聖化(神化)
J については、前回の報告書にも簡単に記した。拙稿「松本峻介:くもの>の美か
ら破綴の美へ 近代展示思想における表象観念と文化J
(岡山大学文学部プロジェクト研究報告所 20、2013
年)所載、 57頁。また拙稿 r
<不可視の秘仏>とく可視のイコン>→E代の物質観の淵源J 東アジアのく
0
1
0年)所載、 4
1・
44頁
。
もの>と秩序.1 (岡山大学出版会、 2
1
2
J
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-31-
るJ"。この世の「もの」と神すなわち永遠との関係を記したこの個所は、まさに芸術の定
義である凡それはロマン主義の自己表現としての芸術ではなく、神すなわち永遠を再現(表
象)する中世以来の芸術である。その淵源は、キリストすなわち神を再現する肖像画であ
るイコンであり、また聖堂であり、また修道院の中庭に設えられた庭でもある。聖堂が「地
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)J と形容されるのは、 8世紀のコンスタンティノープルの総
上の天国 (emyewsoupαvo
主教ゲルマヌス(Ge
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15
・
730年総主教 733年残)の典礼解説に見られる。す
なわち「聖堂は地上の天国であり、そこでは天上の神が住み、歩いている (EKKA
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。同じことを
9世紀の
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67年
、 877
・
886年)も、コンスタンティノー
総主教フォーティオス (
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プルのファロス聖母聖堂について記している。「まるで天そのものに入り込んだようだ。 j
そして創世記 28章を引用する。「ここはなんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の
家である J (
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説教』第 1
0
)九このような形容は旧約時代から受け継がれているのであり、
また特にユダヤ・キリスト教のみにあるものでもないだろう。その創世記はヤコプの夢の
17節)
個所である (
2
8章 12,
0
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すると、彼(ヤコプ)は夢を見た。先端が天にまで達する
階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりして
ここは、なんと畏れ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、こ
いた。 Jr
こは天の門 (
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ITOUOU閃 VOU) だJ8 988年ロシアのキリスト教受容に際しでも、ロ
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‘マルー『キリスト教史 2教父時代』平凡社ライブラリ}、 1
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9
6年
、 2
5
8頁
。
E 日本のプロテスタントは、このような教義的理解を嫌う傾向がある。例をふたつあげておく。「ともすれ
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言は肉体となり、わたしたちのうちに宿ったJ
) のみが重
ば今日の神学界においてはヨハネ伝 1 ・14 (
要祝される傾向があるが、しかしこれは 3 ・16 (
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神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下
さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである J
)なくしては不可解な
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)J(WA3
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) である。こ
言素である。そして 3・16はルターによれば「悲劇的な言 (
の神の悲劇的な愛を見ることなくして諮られる「言の受肉 Jはすべて空虚な形式論である。今日の神学界
がこの形式論によって支配される傾向があるのは、実に嘆かわしいことである J(北森嘉蔵『神の痛みの神
学J2,3、1
9
4
6年初版).r
世界観というのは固定したものです。<私はこういう具合に世界を見ている、
有神論者だ。神があり、それが世界を造り、人間は罪を犯したが、キリストによって救われる>。こうい
う具合な私の考えであって、それはもはや動かないものです。しかし信仰というのは、たえず動いている
ものです。・・・ですからカール・バルトという神学者が、くいつも新しい驚きをもって、考えられること
でないかぎり、それは正しい神学ではない>というふうに言っておりますが、まことにそれはその通りで
9
1
2
・
69年「世界観
す。・・・世界観は非人間的にしますが、信仰は私たちを人間的にしますJ (鈴木正久 1
と信仰J1
9
6
8年 1
0月 2
0日説教『鈴木正久鋭教集』日本基督教団出版局、 1
9
6
9年
、 1
8
6
・
9頁)。バルトも
犯す「いつも新しい驚き J とは、受肉という不合理を受け入れる信仰の運動であって、教義のなかの運動
ではない。教義は固定しているが、それを告白することが信仰の運動である。
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8ここで「天への門」と配されていることに注意すべきである。 これを後にアノレベルティ(LeonBat
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)は、絵は『それを通じて物語をみる開かれた懲 (
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)Jであると「愈」と言い換えた。アルベ Jレティ『絵画論 (
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6頁). Leo
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論美術出版、 1
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、nezia,1547,p
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門J と「懲j はともに関口郁であることでは同じであるが、「門 j はそれを通して
出入りできるが、「窓」から出入りすることはマナー違反である。「天への門」とは、天と地上が行き来可
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シアからコンスタンティノープルに派遣された使節団が、コンスタンティノープルの聖堂
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のなかで「天国にいたのか,それとも地上にいたのか、わからなかった (
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)Jという言い回しを 11世紀以降に記された年代記
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e 1300年前後)
は伝えている 9。セルピアにおいては、聖人伝作者テオドシエ(百o
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が、聖サヴァ伝 (
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同じことは庭にも言える。ルネサンス時代のポッカチオ (
が『デカメロン{De伺皿e
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第 3日の序文のなかで、水が縦横に流れ、果実がたわわに
実る庭を詳しく記述している。「もし地上に天国(パラダイス)を造ることができるならば、
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この庭園の形以外の形ではあり得ないだろう(SeP町 a
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しかし聖堂にしろ、庭にしろ、これらは天国の表象であって、天国そのものではないこ
とに注意が必要である。実際の天国は、男女の性の違いもなく(あるいはあっても気付か
ず) 12、時間もない場所であり、そこでは「神と顔と顔を合わせてみる J13などという想像
もできない場所である 14。地上の天国が天国そのものではないこと、すなわち表象と表象さ
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)Jと「意味されるもの (
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れるものの存在論的違い、また「意味するもの (
の区別は 7
87年の第 2ニケア公会儀でイコン肯定の根拠を述べた際の受肉論にならんで、
重要な論点であった。「我々がイコンに捧げるのは「接吻 (
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)J と「畏敬のプロス
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神の表象は神そのものではないのであって、神は絶対的崇敬(ラトレイア:A
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) の対
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)の対象でしかない。
象であるが、神の表象は相対的崇敬(プロスキネーシス :πmσKUV
能であることを示す。これが古代ならびに中世の天国観である。近代の人間主義(ヒューマニズム)は天
と地上とを切り離した。ロシアやセルピアなど正教会では天国と地上の連続感はいまなおある。教会での
典礼にそれはうかがえる。
日間初年代則、中村喜和編釈『ロシア中世物語集J(筑摩書房、 1
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1 平川祐弘釈『デカメロン』河出書房新社、 2
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復活のとき、人はめとることも、とつぐこともなく、天の使いと閉じようである J(マタイ 2
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、マ
ルコ 1
2
:
2
5、ルカ 2
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3
5
)
1
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今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。そのときには顔と顔を合わせて見ることになる J( コ
リ
ント人への第 1 の手紙~ 1
3
:
1
2
)
1
4 だから「天国は退屈な場所である」との言説は当然である。ただし退屈なのは、この世に生きる人聞の
基準からしての話である。「天国は退屈』との言説は、当然ピザンティン時代にもあった。むしろピザンテ
イン時代のクリシェであった(はずである)。
1
6 ラトレイアとプロスキネシスの観念がもっ現代的意味については、拙稿「イコン論と現代 J 続・神秘
の前に立つ人間』新世社、 2
0
1
0年
、 2
4
2頁
。
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イコンは、イコンが表象する神あるいは聖人そのものではないのである。
イコンは「もの」でしかない施。そう考えることは動物としての人類がすべてもっている
アニミズムの感受性を否定することであり、近代の科学的思考の成立に繋がって行く合理
主義である。
イコンは板や絵具でしかない。それは、芸術は「もの Jでしかないことも意味する。だ
から美術は展示が可能なのであり、後世になって美術館や博物館も成立するのである。聖
なるものの展示 (monstrance,
ostensorium:聖体顕示台)から美術館での展覧会 (mostra)
への展開は連続しているのであり、キリスト教文化では美術館が中世以来のキリスト教に
よって根拠付けられているのである。美術だけでなく、音楽も音という空気の振動であり
「もの Jである。音階を数学的に決めようとする平均律の試みもそこに由来するのであり、
それに根拠を与えたのがキリスト教の物質観である。
(2) <物質肯定>
近年、物質観 (ma
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)についての研究が欧米で目立つ。研究史を整理しておこう。
物質観の研究の前に「美術Jの観念の再確認がある。美術が魔術を否定して成立したこと、
それ以前の「美術Jの観念が否定した魔術の感受性の再確認である。ちょうどロシアのキ
リスト教受容の 1000年の記念の年である 1989年に出版されたフリードパーグの研究がそ
の嘱矢としてよいだろうへ「美術J以前、彫像が動き 1
8
、生きて影響を及ぼした 1
9
。また「も
のJは展示可能であり、逆に「見る」ことによって「ものJ となる。あるいは「見る J こ
とは、「もの」扱いすることになる。ロラン・バルト(Ro
landBarthes1915・80) の言を引
用しておこう。
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<写真>は主体をオブジェに変えた。それもいわば博物館にあるようなオ
ブジェに変えた(LaPho旬 graphietransformaitl
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6 最近のへンリー・マグワイヤーの研究から引用しておこう。「イコノクラスム以降、イコンは木であり
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絵具でしかないこと解釈されることとなった。それは聖愚者アンドレイの言葉でもわかる (A
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-34-
きている、「もの」は表象ではなく、それ自体として存在しているという美術が否定した観
念について、つまり偶像(アイドル)論である n。
そして「もの」自体が考究される。これはイコン論と芸術論の確認である。「もの」に命
がないゆえに展示も可能となるのであり、また収集も可能となる。生きているもの(つま
りは意識のあるもの)を収集するのは許されない。動物は動くが意識はないと考えられる
ので、動物園は可能なのである。今、物質研究を管見の及んだかぎりであるが、列挙しよ
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最近はローマ美術がまだ非美術であったとの研究舗や、現在のジェノヴァ周辺での呪術的
な行為について人類学者の調査がある 24。非西欧だけでなく、西欧においても、キリスト教
社会のなかに実は前近代の感受性が残存しているとの意識が強まってきていると思われる。
ピザンティン帝国の影響下にあったが、ノレネサンスを知らないセルピアでは前近代の異教
が日常生活に残っていることはセルピア人には周知であり、最近の研究書もある 260
これら欧米の研究は、美術以前の呪術的な例について研究しているが、「美術」以前を語
りながらも、キリスト教の近代的物質観を再確認しているようにみえる。それは歴史的背
景の異なるセノレピアにおいても同じであり、そこには EU連合に近づく意図もある。合理
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)~の研究が近年最も注目される。パイナムはそこで、キリス
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ト教の物質観のパラドクスは、弁証法的なものではなく、対立する命題を同時に主張(和
解ではなくて)することにあり、それはキリストの受肉だけでなく、物質と神との関係で
あるといい、中世末期の神秘主義的傾向を例に挙げながら、それを単なる迷信として整理
するのではなく、キリスト教の根幹である受肉を根拠とする物質主義の長い歴史のなかで
位置づける 26。
しかしこの「もの」に命が宿らないとの反アニミズム・脱魔術の考えは、古来、表明さ
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.55BC) の『事物
れている。ローマ時代の哲学者ルクレティウス (
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Jの第 4章はすべてイメージ論であり、イメージを生
の本性について (Der
きていると考えて恐れることを否定し、イメージは「もの j であり、そこに生命はないこ
とを繰り返し主張している。これは旧約のアニミズム否定と一致する。すなわち「物の像
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のように空気の中を、あちらこちらに飛びまわっている。・・私たちが目を覚ましていなが
ら、また眠りの中で、・・私たちの心を恐れさせ、また疲れて眠っている私たちをしばしば
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恐怖で驚き目ざませる。・・・・・いかに鈍い心にも、次のことはわかるだろう。物の像 (
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) および希薄な形は、その表面からその物によって放出されているのだJ (
第 4巻
30節以下) 27。脱魔術のルネサンスはルクレティウスのこの著作の発見がきっかけとなっ
て成立したとの解釈を提出したグリーンプラットの著作が、昨年邦訳された28ことは話題に
なったが、ルクレティウスのこの魔術否定の合理主義がルネサンスを導いたとの主張は首
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肯できる。またローマ時代のギリシア人著述家フィロストラトス (
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) は『ティアナのアポロニウス伝』のなかで次のように記す。「絵画や素描を見
る人は、模倣の能力が必要である。誰も予め馬や牛を知らなければ、何が描かれているか
わかるはずがないからである J (2:22) 眠ここで「もの」の認識は、主体からの働きかけ
によるとしている。このことは、夢窓疎石 (1275・
1351 年)の「山水には得失なし。得失
oを想起させ、またパウロの『ローマ人への手紙』の一
は人の心にあり J (~夢中問答集~) s
節でもある。「それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える
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)。そこでは「もの j 自体に固有の性質はないとい
人にだけ、汚れているのである J (
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.邦訳は、スティーヴ
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J(河野純治釈)柏書房、 2012年。
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初夢窓疎石『夢中問答J(佐藤泰舜校訂)岩波文庫、 1
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うことになり、人生において最も悲惨なことである死すら肯定される。西欧ゴシック時代
にその後の西欧の近代を意味付けた聖人である聖フランチェスコ (
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)は、詩編 1
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8篇に倣って、 1225年夏に『兄弟太陽の讃歌 (
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)~を歌う。「ほめられよ、わが主よ、おんみの全被造物によって、特に兄弟なる太陽
によって。・・・姉妹なる月と星によって、・・・兄弟なる風によって、空気と雲と晴れと
すべての天候によって、・・・姉妹なる水によって、・・・兄弟なる火によって、・・・われ
らの姉妹なる母、大地によって、・・・大地はわれらを養い世話し、あらゆる果実ときれい
な花と草を生む」とすべての被造物に向かって神を讃えよと歌うが、その最後は次のよう
に締めくくっている。「ほめられよ、わが主よ。わたしたちの姉妹である肉体の死によって、
生あるものはだれもそれを逃れられない。ーおんみのいと高いみ旨を見出す者は幸いであ
るJ31。すなわち現実世界の最も悲惨な死をも肯定する。死をも含む物質世界の全体を肯定
しているのである"。
(3) r
ものj の観念と美術
美術そして芸術は「もの」なのであり、それが永遠を映す。その根拠は受肉である。だ
から芸術は宗教に取って代わることができる。「ものj と永遠を繋ぐことはできない。だか
ら「受肉 J という「人がどんなに説明して聞かせても、とうてい信じないような」鈴、「人
の心にも思い浮びもしなかったJs4、「ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かな
もの」 舗であるパラドクスが必要となるのである。受肉論がないところでは、神秘主義に依
るほかない。イスラム文化では、それをスーフイズムが行い、ユダヤ文化ではハシデイズ
ムがその役割を果たしている。
最近の新聞で、次のような記事があった。国立新美術館で開催中の展覧会「イメージの
力 j についての論評である。それは吹田の国立民族学博物館の収集品を美術館で展示した
もの舗で、その展示を見た、ある文化人類学者が、かつて欧米の美術館で、「アフリカやオ
セアニアの神像や彫像を鑑賞した時、逆に自分が<見られている>と気付き、言い知れぬ
畏怖の念にうたれ」、
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<美の根源がここにある>と感じ、<ピカソやモジリアニらの絵画
がアフリカやオセアニアの文化に大きな影響を受けたことが如実にわかった >J という記
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.ヨノレグンセン『アシジの聖フランシスコ』永野藤夫駅、平凡社、 1997年、 333・
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3頁
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7年のイギリス皇太子妃ダイアナの葬送式の際のウエストミンスタ}聖堂のチャプレンのウ ェスレ
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)師の勧告が想起される。「神と神のために、我々の死と 弱 さを俸げよ う (
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コリント人への第 1の手紙J2
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コリント人への第 1の手紙J1
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描 展示する、つまり展示物を「もの j として扱う点では、博物館で展示しょうが、美術館で展示しょうが、
何の遣いもない。世界の神像を「もの j として展示する、 あるいは展示する ことによ って fもの j 扱いす
る (ロラン ・バルト)博物館の思想もキリスト教の産物である。
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事である Sに
これはかつて 1
984年にニューヨークの現代美術館 (MoMA) でウィリアム・ルピン
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展で、アフリカの神像を「もの」として扱い、ピカソらの作品と並べた展覧会の際の議論
を思い出させる叱アフリカの神像を「もの Jとして扱うこの展覧会を批判して、アフリカ
の神像はそもそも「ものJではない、それを「もの」と見なすのは、ヨーロッパの近代(キ
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リスト教)の見方であるとジェイムズ・クリフォード (
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9年のポンピドゥー・センターでの「大地の魔術師 (
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る。そしてそののちの 1
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)J展では、クリフォードのいうように、アフリカの神像をそのコンテクストに戻し
て神像として展示したという。しかしこれは非美術(見えないもの)を美術館で非美術(見
えないもの)として展示する(見せる)という倒錯した企画であり、谷川渥も「むしろく
大地の魔術師>展のほうがタチが悪いJ と書いている。
つまりピカソやモジリアニは、アフリカの神像を、形として、つまり「もの J として扱
っているのであり、それはシュールレアリズムのイデオローグであるアンドレ・プルトン
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) が、神像をテープノレの上に置いて、美術品として扱っている
のと同じである 【
図 1)。アメリカ・インディアンの精霊カチナについては、壁にピンで留
。
めて並べてぶら下げているほどである 【
図 2)
アフリカの神像は「ものJ と見なされて初めて美術となる。それが生きていると思うの
なら、展示は不可能なのであり、美術ではない。「ものJ として、色と形によって永遠に繋
がる「もの」、それがイコン論で成立した議論であり、それが美術である。であるから、件
の文化人類学者の感受性は美術以前のエジプト的感受性であり、西洋キリスト教の美術理
解からすると 2段階手前にある。つまり旧約聖書のアニミズム否定、そして新約聖書の受
肉による「ものJと永遠の繋がりの回復である。原初的な感受性を、しかしやはり「もの」
見
として楽しむアンドレ・プルトンのシューノレレアリズムが成立するのはその後である 890 r
られている畏怖の念」は本能的なものであり、それを豊かに保持しているのが我々である。
87 朝日新聞記事『みんぱく資料
アートな存在 J
、2014年 3月 1
5日付
調ジェイムズ・クリフォード「部族的なものと近代的なものの歴史 Jr
文化の窮状』人文書院、 2003
年
、2
4
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7
2
頁。またこの議論については、展覧会カタログの翻訳に付録として詳しく紹介がされている a ウィリアム・
世紀美術におけるプリミティヴイズム: r
部族的Jなるものと f
モダ
ルーピン編(小林留美ほか釈) r20
ン」なるものとの親縁性』淡交社、 1
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自分の幼年時代の最良の部分を昂揚とともに再び生きる Jr
世にも豊かなものと考えている Jr
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ルレアリズム宣言 (
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)~ 1924年、邦訳、岩波文庫、 1992年
、 71・72頁
一羽一
一周遅れの感受性であるが、フロイトがわざわざ「無気味なもの J40と発見せねばならなか
った感受性を、我々が忘れていないことは人類にとって貴重なことである。
最後に欧米とわれわれの物質観の違いを端的に示す例を日常生活から挙げておこう。サ
ンテクジュベリの『星の王子さま』の台詞「かんじんなことは、目に見えないんだよ J41は
とても有名で、大人が引用すると必ずこの個所であるが、この観念は東洋的である。キリ
スト教、そしてキリスト教によって形成された欧米では、神は見えるのだから、大切なも
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) の『魔笛
のは目に見えるのである。モーツアルト (
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42の最初に、美しいタミーノを眺める
3人の女性が歌う。「優しそうな
若者、愛おしくて、美しい。いままでわたし、見たことがないくらい美しい。そうそう絶
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。美しいものは絵に描けるので
ある。それに対して日本では、同じく歌から例を出すと、「むかしむかし浦島は、助けた亀
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1年「尋常
に連れられて、龍宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ J (W浦島太郎~ 1
小学唱歌J
)。わが国では美しいものは絵に描けないのである。平安時代の伝説的画家であ
る巨勢金岡が、美しい景色を描こうとしたが、あまり美しいので、筆を捨てたという逸話
1世紀初に成立したという『源氏物語』の冒頭「桐
の島も出雲にある(筆投げ島)。また 1
壷」の巻にも、「絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければ
いとにほひ少なしJ とある。やはり美しい楊貴妃の姿は、優れた画家でも描けないのであ
る。ほかにも例はあるだろう。東西のこの物質観の違いは、我々が日本語を使っている限
り、なくならない。欧米の言語がキリスト教によって成立しているのと同じであって、我々
はアニミスティクな感受性から逃れることはできない。しかしこれは自然状態の人間の感
受性であって、旧約の啓示によってのみ否定が可能となる。アニミズムを否定する根拠は
それ以外のどこにもない。
アニミズム否定ののちに新約の受肉による物質の肯定がある。それは繋がるはずのない
物質と永遠が受肉によって繋がったという、そもそも矛盾した論理である。物質的な宮が、
さらにはこの世での働きが、そのまま肯定されることがないことは、マリアとマルタの逸
話 (Wノレカによる福音書~
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)
ωからも明らかである。物質世界にはプロスキネーシ
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無気味なもの (
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一度抑圧を経て、ふたたぴ戻ってきたく周1れ親しんだもの>である (
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1 サン=テグジュペリ『星の王子さま J(内藤沼訳)岩波書底、 1
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1年初演。台本はシカネーダー (EmanuelS
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マルタを「活動的生 (
-39-
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相対的)姿勢、永遠に対してのみラトレイアの(絶対的)姿勢であること。これも
第 2ニケア公会議に記されている決定事項である。永遠を描くのは、ローマの教皇聖グレ
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けではなく、明確に教義に根拠付けられている。その根拠がパラドクスであるため、 物質
と永遠の関係もパラドクシカノレである。「美術Jは、そして「芸術Jはそこに根拠を置く。
普いほうを還んだ」とする。 G
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“教皇グレゴリウスが司教セレヌス(Mars
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解するに懸かな人々にとって絵は、読むことのできる人々にとっての型書である。なぜなら、その絵のな
かに無知な人々はお話を見、字を知らない人々は読む。それゆえ主として民衆にとって絵は読むためであ
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役に立つのは、絵によって偉業が心に伝わるからである (
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