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Title カーン王国の拠点について : カラクムルとツィバンチェ Author 佐藤
Title Author Publisher Jtitle Abstract Genre URL Powered by TCPDF (www.tcpdf.org) カーン王国の拠点について : カラクムルとツィバンチェ 佐藤, 孝裕(Sato, Takahiro) 三田史学会 史学 (The historical science). Vol.78, No.3 (2009. 10) ,p.103(331)- 141(369) Journal Article http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-20091000 -0103 社 会 の 諸 国 家 は 、 し ば し ば こ の 両 ﹁ 超 大 国 ﹂ を 基 軸 と し 典 期 の 歴 史 を 語 る 上 で き わ め て 重 要 で あ る 。 古 典 期 マ ヤ 考 え ら れ て い た カ ラ ク ム ル を 首 都 と す る 国 家 は 、 マ ヤ 古 つ 儀 式 セ ン タ ー で 、 神 官 た ち が 豊 穣 を 願 っ て 祈 り を 捧 げ 、 っ て き た 。 古 典 期 マ ヤ 社 会 は 、 神 殿 ピ ラ ミ ッ ド が 聳 え 立 付 も 含 め て 、 具 体 的 な 人 名 や 出 来 事 で 語 ら れ る よ う に な 〇 ︱ 九 〇 〇 / 一 〇 〇 〇 年 ︶ の マ ヤ の 諸 国 家 の 歴 史 が 、 日 考 古 学 資 料 に 基 づ く 推 測 し か で き な か っ た 古 典 期 ︵ 二 五 古 典 期 マ ヤ 社 会 に あ っ て 、 テ ィ カ ル と 並 ぶ ﹁ 超 大 国 ﹂ と こ と も 珍 し く な い 。 近 年 、 と り わ け 議 論 の 的 に な っ て い 提 唱 さ れ て 広 く 流 布 し た 学 説 に 、 疑 問 が 投 げ か け ら れ る 少 な く な い 。 そ の た め 、 文 字 史 料 が 十 分 で は な く 、 一 旦 に わ た る 磨 滅 の た め 、 解 読 が 不 可 能 に な っ て い る も の が モ ニ ュ メ ン ト に 刻 ま れ た も の が 大 半 を 占 め て お り 、 長 年 た だ 、 古 典 期 の 文 字 史 料 は 、 石 碑 や リ ン テ ル な ど 石 造 、 コ パ ン Tikal 、 パ レ な ン ど ケ そ の 周 辺 に 住 む 農 民 た ち は 、 日 々 農 耕 に 従 事 す る 平 和 で 、 ヤ シ ュ チ ラ ン 牧 歌 的 な 社 会 で は な か っ た 。 テ ィ カ ル Copan る の が 、 カ ラ ク ム ル Calakmul ︵ 三 三 一 ︶ の 主 要 国 を 始 め と し 、 数 多 く の 国 々 が 争 い を 繰 返 し 、 同 Yaxchilan 一 〇 三 盟 の 締 結 や 破 棄 、 ま た 政 略 結 婚 を 行 っ た り と 、 旧 世 界 の Palenque カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て ど こ で で も 見 ら れ る よ う な 世 俗 的 な 社 会 で あ っ た こ と が 遺 跡 を め ぐ る 問 題 で あ る 。 近 年 の マ ヤ の 碑 文 解 読 の 進 展 は 目 覚 ま し い 。 以 前 は 、 史 学 的 研 究 の 対 象 に も な っ て き た の で あ る 。 第 一 章 は じ め に 研 究 対 象 で あ っ た 古 代 マ ヤ 社 会 が 、 文 字 史 料 に 基 づ く 歴 明 ら か に な っ た ︵ 図 1 ︶ 。 こ う し て 、 も っ ぱ ら 考 古 学 の │ │ カ ラ ク ム ル と ツ ィ バ ン チ ェ │ │ 佐 藤 孝 裕 カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 図1 マヤ地域図 一 〇 四 ︵ 三 三 二 ︶ て も っ ぱ ら 知 ら れ て い た 。 状 況 が 変 わ っ た の は 、 一 九 が 七 識 は 乏 し く 、 た だ 規 模 が 大 き く 石 碑 の 数 が 多 い 遺 跡 と し 〇 年 代 に 入 っ て か ら で あ り 、 マ ー カ ス あ る 。 本 稿 で は 、 主 と し て カ ラ ク ム ル 遺 跡 と ツ ィ バ ン チ 古 典 期 マ ヤ 社 会 の 勢 力 図 を 塗 り 変 え か ね な い ほ ど 重 大 で 移 っ た と す る 説 が 唱 え ら れ る よ う に な っ た 。 こ の 問 題 は 、 を 首 都 と し て い て 、 そ れ が 後 に カ ラ ク ム ル に ル と さ れ て い た 国 家 は 、 実 際 に は 当 初 は ツ ィ バ ン チ ェ が 疑 わ し く な っ て き た 。 更 に 言 え ば 、 こ れ ま で カ ラ ク ム 建 国 以 来 一 貫 し て 現 在 の カ ラ ク ム ル 遺 跡 だ っ た か ど う か と こ ろ が 、 最 近 に な っ て 、 果 た し て こ の 国 家 の 首 都 が 、 呈 し て い た 。 る な ど 、 ま さ に 日 本 の 戦 国 時 代 さ な が ら の 戦 乱 の 様 相 を て テ ィ カ ル に 与 し て い た 国 が カ ラ ク ム ル と 新 た に 提 携 す た 見 物 の り が 建 い グ ︵ さ 学 密 新 、 築 る ァ カ 第 ︶ 。 れ 者 林 し マ 物 。 テ ラ 一 そ る の 地 く ヤ が 面 マ ク 節 の ま ラ 帯 、 学 分 積 ラ ム 後 で ン に こ 者 布 三 と ル カ も 、 デ あ こ の し 〇 の 遺 ラ 、 長 ル る 二 間 て $ 国 跡 ク マ た 〇 で い 以 境 は ム い ヤ め 年 注 る 上 か 、 ル 間 文 、 ほ 目 マ に ら メ 遺 そ 明 一 ど を ヤ わ 三 キ 跡 の 史 九 の 集 地 た 五 シ 存 上 三 こ め 域 っ ㎞ コ 在 の 一 と る 屈 て ほ 、 は 重 年 で よ 指 、 ど カ 知 要 に あ う の 大 の ン ら な 初 る に 大 小 と ペ れ 遺 め 。 な 遺 約 こ チ な 跡 て も っ 跡 六 ろ ェ い と ま に 探 と た で 二 に 州 し ま よ 検 も の あ 五 位 の て で っ 家 と は る 〇 置 内 の あ て で 辺 か 。 も し 陸 認 っ 発 植 境 な だ の て 部 、 Cyrus Longworth Lundell ︶ 。 そ し て 、 そ 紋 章 文 字 の 研 究 か ら 、 カ ラ ク ム ル が 古 典 期 後 期 ︵ 六 〇 〇 Joyce Marcus ︵ 三 三 三 ︶ ︱ 八 〇 〇 年 ︶ の マ ヤ 低 地 南 部 の 地 域 的 首 都 で あ っ た 可 能 ェ 遺 跡 に 残 さ れ た モ ニ ュ メ ン ト の 碑 文 史 料 を 分 析 し 、 古 Carrasco Valgas et al. 1999 : 47 ; Folan et al. 1995 : 一 〇 五 Marcus 1976 性 を 示 唆 し た こ と に よ る ︵ 典 期 前 期 ︵ 二 五 〇 ︱ 六 〇 〇 年 ︶ に 両 遺 跡 に ど の よ う な 政 Dzibanche カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 体 が 存 在 し て い た の か を 考 察 す る こ と に よ っ て 、 こ の 問 310 題 を 検 証 し て み た い 。 互 に 対 立 し て い た 。 そ の 同 盟 関 係 は 時 に は 破 綻 し 、 か つ ク ム ル は 、 そ れ ぞ れ 様 々 な 国 と 同 盟 関 係 を 構 築 し て 、 相 て 、 互 い に 争 い 合 っ て い た か ら で あ る 。 テ ィ カ ル と カ ラ 第 二 章 ∼ 問 題 の 所 在 ∼ 蛇 頭 紋 章 文 字 と カ ー ン 王 朝 古 く 、 先 古 典 期 中 期 ︵ 前 一 〇 〇 〇 ︱ 前 四 〇 〇 年 ︶ に ま で て 影 っ 古 る 匹 大 古 の 一 の 人 い 響 た 典 。 敵 き 典 発 九 こ 々 る 力 。 期 事 す く 期 掘 八 と が 。 の ま マ 実 る か 前 や 〇 が カ 点 た ヤ 、 強 か 期 碑 年 具 ラ で 、 社 最 国 わ 末 文 代 体 ク も 低 会 盛 だ っ の 解 の 的 ム 、 地 最 期 っ て テ 読 後 な ル 一 南 大 の た い ィ の 半 史 に 時 部 の 都 こ た カ 進 以 実 住 は マ 国 市 と こ ル 展 降 と み テ ヤ 家 の が と の の で し 始 ィ 社 テ 規 、 と 衰 結 あ て め カ 会 ィ 模 明 、 退 果 る 浮 た ル に カ や ら カ の 、 。 か の を 及 ル 人 か ラ 原 そ カ び も 凌 ぼ に 口 に ク 因 れ ラ 上 テ い し 優 の な ム に ま コ が ィ だ た る 多 っ ル 、 で ル っ カ と 政 と さ て が カ 不 て ル も 治 も の き テ ラ 明 き に 推 ・ 劣 点 た ィ ク で た 劣 測 軍 ら で の カ ム あ の ら さ 事 な は で ル ル っ 遺 は ず れ 的 か 、 あ に が た 跡 、 年 の 間 に も 儀 礼 活 動 が 行 わ れ た 痕 跡 が 見 つ か っ て い る 。 〇 ︱ 一 五 〇 〇 年 ︶ に ま で 及 び 、 一 四 五 〇 年 か ら 一 五 五 〇 世 紀 に 終 焉 す る が 、 人 々 の 居 住 は 後 古 典 期 後 期 ︵ 一 二 〇 広 く 、 そ の 強 盛 を 物 語 っ て い る 。 王 国 と し て の 歴 史 は 九 だ け で な く 、 紋 章 文 字 が 生 起 す る 範 囲 も ど の 国 家 よ り も 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 Caracol ツ ィ バ ン チ ェ 遺 跡 遡 る 。 先 古 典 期 後 期 ︵ 前 四 〇 〇 ︱ 後 二 五 〇 年 ︶ に な る と 、 そ の う ち 一 〇 〇 以 上 が こ の 絶 頂 期 に 当 た る 六 五 二 年 か ら 地 域 で 最 も 多 い 一 一 七 以 上 も の 石 碑 が 発 見 さ れ て い る が 、 は ィ 一 カ 三 ル 〇 を 〇 も 〇 凌 $ ぐ 、 よ 総 う 人 に 口 な は り 一 、 七 絶 五 頂 万 期 人 に に は も 王 及 国 ん︵ の だ︶1 支 。 配 マ 領 ヤ 域 ︶ 。 六 世 紀 の 半 ば に は 、 カ ラ ク ム ル の 勢 力 は テ 存 在 し た こ と が わ か っ て い る ︵ Carrasco Valgas et al. ︶ 。 直 接 的 な 支 配 領 域 が 広 い 七 五 二 年 の 間 に 建 て ら れ て い る ︵ 2005 : 41 第 二 節 低 地 南 部 マ ヤ 地 域 に お け る 主 要 な 国 家 の 一 つ に 成 長 し た 。 Braswell et al. 2004 : 他 方 、 ツ ィ バ ン チ ェ 遺 跡 は メ キ シ コ の キ ン タ ナ ・ ロ ー ︶ 、 ナ ク 高 さ 五 五 # に も 達 す る 建 物 ! ︵ 図 4 ︶ が 建 設 さ れ た の も 169 ; Folan et al. 1995 : 327 州 に あ り 、 カ ラ ク ム ル 遺 跡 の 北 東 一 四 〇 ㎞ ほ ど の と こ ろ 、 テ ィ カ ル と Carrasco Valgas et al. 1999 : 49 に 位 置 し て い る 。 こ の 遺 跡 は 、 命 名 の も と と な っ た リ ン ベ こ の 頃 で 、 エ あ ル り ・ ︵ ミ ラ ド ー ル El Mirador 並 ん で 、 当 時 の 低 地 南 部 の 四 大 主 要 都 市 の 一 と し て 重 き Nakbe ︶ 。 し か し 、 そ の 歴 史 が 文 字 記 録 に よ っ て 明 ら か に な Pincemin et al. 1998 : 312 を な し て い た と す る 説 も あ る ︵ 四 二 年 か ら 九 〇 九 年 頃 の 間 に 、 少 な く と も 一 六 人 の 王 が 判 明 す る よ う に な る の は 六 世 紀 に 入 っ て か ら で あ り 、 五 る の は 古 典 期 以 降 で あ る 。 王 の 事 績 が 文 字 史 料 の 上 か ら 一 〇 六 ︵ 三 三 四 ︶ す る 言 葉 が カ ー ン ラ ク ム ル の も の と 同 定 し た 。 な お 、 現 マ ヤ 語 で 蛇 を 意 味 れ て い た 。 一 九 七 〇 年 代 に 入 っ て 、 マ ー カ ス が そ れ を カ 字 ﹂ と 呼 ぶ ︶ ︵ 図 2 ︶ が 頻 出 す る こ と は 、 以 前 か ら 知 ら の 形 を し た 主 字 を 有 す る 紋 章 文 字 ︵ 以 降 、 ﹁ 蛇 頭 紋 章 文 で あ る の ! で ︵ ︶ 、 蛇 頭 紋 章 文 字 て い る ︵ レ ッ ク ス ︶ 、 キ ニ チ ナ ー ︶ 。 こ れ ら の 地 区 に 人 々 が 居 住 低 地 南 部 マ ヤ 地 域 の 古 典 期 の 遺 跡 の 碑 文 中 に 、 蛇 の 頭 第 三 節 の 四 つ の 区 域 か ら 成 っ 蛇 頭 紋 章 文 字 と 紋 章 文 字 出 現 の 意 味 、 ラ マ イ Lamay し 始 め た の は 、 先 古 典 期 中 期 に ま で 遡 る 。 そ の 後 、 古 典 Tutil 結 果 、 テ ィ カ ル と 覇 権 を 争 っ 期 後 期 後 半 ま で 間 断 な く 人 々 は 居 住 し 続 け 、 遺 跡 全 体 と Kinichná た 古 典 期 マ ヤ 社 会 の 超 大 国 の し て 見 れ ︶ 。 ば サ 、 ク 後 ベ 古 典 ︵期 3後 ︶ で 期 つ ま な で が 人 々 っ は た 住 こ み の 続 四 け つ た の ︵ 地 区 Nalda 2004 : 13 首 都 と し て 、 カ ラ ク ム ル が い Nalda か に 強 大 な 勢 力 を 持 っ て い た を 持 つ 国 家 あ る い は 王 朝 の 名 称 を 、 特 定 の 遺 跡 と は 切 り 離 し て 考 え る た め 、 本 稿 で は 便 宜 的 に カ ー ン と 呼 ぶ こ と を 合 わ せ た 総 面 積 は 二 〇 $ に も 達 し 、 最 盛 期 に は 四 万 人 Barrera Vásquez ︵ 三 三 五 ︶ か が 判 明 し 、 古 典 期 マ ヤ 社 会 に す る 。 も ! の 人 ︶ 。 口 こ を れ 擁 は し 、 て テ い ィ た カ と ル 推 の 定 中 さ 心 部 れ の て 面 い 積 る 約 ︵ 一 六 $ を 上 Kaan 一 〇 七 る 回 都 る 市 も で の あ で っ あ た り か 、 が ツ 想 ィ 像 バ で ン き︵ チ る︶4 ェ 。 が し い か か も に 、 広 こ 大 の な 広 規 大 模 な を 版 誇 sacbe が よ り 明 ら か に な っ た 。 そ の 伴︵ い︶6 そ 、 れ 遺 以 跡 降 の も 建 、 築 カ 物 ラ の ク 巨 ム 大 ル さ 遺 や 跡 遺 の 跡 考 自 古 体 学 の 的 規 調 模 査 の の 壮 進 大 展 さ に 図2 蛇頭紋章文字 (Coe and Stone 2001 : 70 より) 図 は 、 古 典 期 前 期 前 半 に は 既 に 達 成 さ れ て い た よ う で あ Nalda 2004 : ︶ 。 従 っ て 、 古 典 期 前 る 。 中 央 コ ン プ レ ッ ク ス 、 キ ニ チ ナ ー の ア ク ロ ポ リ ス 、 2004 : 23 ・ ! ﹁ 様︵ フ 5 式︶ で ク 建 ロ て ウ ら の れ 建 て 物 お ﹂ り な 、 ど 古 の 典 大 期 規 前 模 期 建 に 築 既 は に 、 最 ペ 大 テ 規 ン 模 に 達 1995 : 291 ; Velásquez García 2005 : 1 2 し て い た ︵ 18 19 期 前 半 に 、 ペ テ ン の 北 方 に は カ ラ ク ム ル と ツ ィ バ ン チ ェ Peten と い う 二 つ の 大 都 市 が 成 立 し 、 し か も い ず れ も 建 築 物 の Nalda 2004 : 14 24 25 カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 観 点 か ら 見 る と 、 ペ テ ン 地 方 の 影 響 を 受 け て い た と い う ・ グ ル ー プ ︵ あ る い は 中 央 コ ン プ テ ル が 発 見 さ れ た ツ ィ バ ン チ ェ ・ グ ル ー︵ プ︶2 、 ト ゥ テ ィ ル こ と に な る 。 ︶ 、 古 典 期 の 碑 文 中 に よ っ て こ こ で 、 紋 章 文 字 と そ の 出 現 の 意 味 に つ い て 見 て み た 王 名 に 伴 っ て 生 起 す る こ と を 考 慮 に 入 れ る と 、 王 を 顕 彰 自 国 で 刻 ま れ た 碑 文 に 生 起 し て い る 。 紋 章 文 字 の 多 く が よ う に な っ た の で あ る 。 る 。 表 1 を 見 れ ば わ か る よ う に 、 紋 章 文 字 の 大 多 数 は 、 首 都 は ツ ィ バ ン チ ェ で は な い か と い う 仮 説 が 提 唱 さ れ る て い る こ と か ら 、 少 な く と も 古 典 期 前 期 の カ ー ン 王 国 の ロ ッ ク に 、 そ れ が カ ー ン 王 朝 の 初 期 の 王 名 と 共 に 生 起 し 見 ら れ な い の に 対 し て 、 こ こ ツ ィ バ ン チ ェ 遺 跡 の 石 の ブ の カ ラ ク ム ル 遺 跡 の モ ニ ュ メ ン ト に 蛇 頭 紋 章 文 字 が 全 く 末 に ま で 遡 る 日 付 と 共 に 刻 ま れ て い た の で あ る 。 同 時 期 そ の 文 字 テ キ ス ト の 中 に 蛇 頭 紋 章 文 字 と 王 名 が 、 五 世 紀 や 文 字 が 刻 ま れ た 石 の ブ ロ ッ ク が 多 数 見 つ か っ た の だ が 、 あ っ た が 、 現 在 で は 王 に 伴 う 王 朝 の 称 号 と み な さ れ て い て い る 。 紋 章 文 字 が 何 を 表 す か に つ い て は 様 々 な 議 論 が る こ と か ら 、 こ の 主 字 こ そ が 国 家 を 表 す も の と 考 え ら れ で 、 主 字 と 呼 ば れ て い る 。 主 字 は 国 家 ご と に 異 な っ て い に 対 し 、 残 る 一 つ は 紋 章 文 字 の 中 で 最 も 大 き な 文 字 要 素 接 字 で あ り 、 こ の 二 つ は 基 本 的 に 常 に 変 わ ら な い 。 こ れ 家 の 首 長 ︵ 王 ︶ に 対 し て 用 い ら れ る ア ハ ウ ︵ ﹁ 神 聖 な ﹂ ︶ と い う 接 字 、 も う 一 つ が 古 典 を 期 表 の す 国 ajaw す る 自 国 の モ ニ ュ メ ン ト に 生 起 す る 頻 度 が 高 く な る の は い 。 紋 章 文 字 と は 、 ベ ル リ ン k’uhul 自 明 で あ ろ う 。 発 見 さ れ た 文 字 で あ り ︵ Heinrich Berlin い ず れ に し て も 、 蛇 頭 紋 章 文 字 が い ち 早 く ツ ィ バ ン チ で 王 や そ の 家 族 の 名 前 の 直 後 に 生 起 す る こ と が 多 く 、 大 Berlin 1958 き く 三 つ の 部 分 か ら 成 っ て い る ︵ 図 3 ︶ 。 一 つ が ク フ ル が 投 げ か け ら れ る よ う に な っ た 。 こ の 調 査 で は 、 人 物 像 の 結 果 、 カ ラ ク ム ル を カ ー ン 王 国 の 首 都 と す る 説 に 疑 問 で キ ン タ ナ ・ ロ ー 南 部 考 古 学 プ ロ ジ ェ ク ト が 行 っ た 調 査 と こ ろ が 、 一 九 九 三 ∼ 一 九 九 四 年 に ツ ィ バ ン チ ェ 遺 跡 ぎ な い も の と し た か の よ う に 思 わ れ た 。 て 、 カ ラ ク ム ル は カ ー ン 王 国 の 首 都 と し て の 地 位 を 揺 ら の 歴 史 を 語 る 上 で 不 可 欠 な 存 在 に な っ て い っ た 。 こ う し 図3 紋章文字 (Martin and Grube 2008 : 17より) 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 〇 八 ︵ 三 三 六 ︶ 表1 古典期マヤの主要都市のモニュメントにおける紋章文字の生起数 遺跡名 カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 同遺跡で生起した紋章文字の数 他の遺跡で生起した紋章文字の数 ティカル 4 4 7 ヤシュチラン 9 2 3 コパン 4 0 4 パレンケ 7 9 3 ナランホ 3 0 1 4 キリグアー 1 8 1 0 セイバル 1 0 1 ピエドラス・ネグラス 2 8 3 カラコル 3 2 (Marcus(1976 : 14"15 Table は ほ と ん ど 見 ら れ ず 、 も ち ろ ん 紋 章 文 字 も 現 れ て い な い 。 し な が ら 、 こ の 当 時 ま だ 文 字 テ キ ス ト は こ れ ら の 都 市 に ︶ 。 し か れ 、 大 規 模 な 人 口 を 擁 す る 都 市 が 誕 生 し て い る ︵ Demar- ︶ 。 石 碑 の 背 面 に 、 長 期 計 算 法 に よ Mar- ︵ 二 九 二 年 七 月 八 日 ︶ の 日 付 が 刻 ま れ て 紋 章 文 字 の 初 見 例 は 、 テ ィ カ ル の 石 碑 29 に あ る ︵ est and Foias 1993 ; Braswell 2003 ; Marcus 2003 る cus 1976 : 49 Table 5 ︵ 三 三 七 ︶ い る の で 、 こ の 石 碑 は 三 世 紀 末 に 建 立 さ れ た と 考 え ら れ 8.12.14.8.15 一 〇 九 る 。 た だ 、 こ の 最 古 の 紋 章 文 字 は 、 石 碑 に 彫 ら れ た 人 物 2)を基に作成。 )7) 窺 わ せ る 図 像 が 刻 ま れ た 石 碑 等 の モ ニ ュ メ ン ト が 建 立 さ な ど で 巨 大 な 建 造 物 が 建 築 さ れ 、 ま た 神 聖 王 権 の 存 在 を に は 既 に 、 北 東 ペ テ ン 地 方 の エ ル ・ ミ ラ ド ー ル や ナ ク ベ 八 〇 〇 ︱ 後 二 五 〇 年 ︶ に 遡 る と 考 え ら れ て い る 。 こ の 頃 マ ヤ 低 地 南 部 に 国 家 が 成 立 し た の は 、 先 古 典 期 ︵ 前 一 で は 、 こ の こ と は 何 を 意 味 す る の で あ ろ う か 。 が 、 こ の 紋 章 文 字 が 出 現 し て 以 降 で あ る の は 確 か で あ る 。 カ ー ン 王 国 の 存 在 が 碑 文 史 料 に 基 づ い て 確 認 さ れ る の な っ た の で あ る 。 典 期 後 期 に は カ ラ ク ム ル に 移 っ た と の 説 が 生 じ る こ と に の カ ー ン 王 国 は ツ ィ バ ン チ ェ に 本 拠 地 を 置 き 、 そ れ が 古 ェ の モ ニ ュ メ ン ト に 出 現 し て い る こ と か ら 、 古 典 期 前 期 K’altuun Hix Aj Wosal 判 明 し て い る の で あ る 。 チ ェ に 蛇 頭 紋 章 文 字 が 初 め て 生 起 し た 後 も 、 カ ー ン 王 国 古 典 期 前 期 の マ ヤ 社 会 で 重 要 な 地 位 を 占 め て い た こ と が の 活 発 な 対 外 活 動 の 痕 跡 は 各 地 の 碑 文 か ら も 確 か め ら れ 、 Michel 1989 : 92 9.5.12.0.4 Graham 1978 : 2 : 70 ; Carrasco Valgas 2000 : 17 ; ︵ 五 三 七 年 一 月 一 六 日 ︶ に 捕 獲 さ た と え ば 、 ヤ シ ュ チ ラ ン の 建 物 12 の リ ン テ ル 35 の 碑 文 の 開 始 前 後 、 す な わ ち 五 世 紀 り し た 建 立 年 は 不 明 だ が 、 彫 ら れ た 人 物 像 の 様 式 な ど か ︵ に 生 起 し た 最 古 ︶ 。 の 表 例 面 は の 、 摩 石 滅 碑 が 一 激 の し 碑 い 文 た め に 、 見 は ら っ れ き る の 肖 像 の 頭 飾 り の 中 に 含 ま れ て い る も の で あ る 。 碑 文 中 入 る 頃 に は 既 に 巨 大 な 都 市 で あ っ た 。 し か も 、 ツ ィ バ ン あ っ た な ら ば 別 で あ る 。 し か し 、 カ ラ ク ム ル は 古 典 期 に 従 属 し て い る よ う な 、 重 要 性 を 持 た な い 小 規 模 な 国 家 で と と 言 わ ざ る を え な い 。 も ち ろ ん 、 カ ラ ク ム ル が 他 国 に と 考 え ら れ る と す る︵ と︶8 、 カ ラ ク ム ル の 古 典 期 前 期 の モ ニ 中 頃 に 建 立 さ れ た の で は な い か と 推 測 さ れ て い る ︵ ら 、 九 バ ク ト ゥ ン baktun に よ る と 、 カ ー ン 王 カ ル ト ゥ ー ン ・ ヒ シ ュ ︶ 。 他 の 都 市 の 例 を 見 る と 、 ヤ シ ュ Mar- の 一 臣 下 が 、 ︵ 年 チ ︵ ラ ン が 五 石 一 碑 38 石 四 ︶ 碑 年 で 9 ︵ あ ︶ る 、 。 ナ こ ラ の ン 石 よ ホ 碑 27 う ︶ 、 に コ 、 テ パ ィ が ン カ 五 が ル 九 五 の 三 六 石 年 四 cus 1976 : 49 Table 5 れ て い る ︵ と れ の 、 カ る 儀 同 ル ︵ 式 ト を 国 ゥ 、 王 ー カ ア ン ル の フ ・ ト ・ ・ ヒ ゥ ウ シ ー ォ ︶ 。 ュ ン サ ま の ・ ︵ 後 ︶ ヒ 五 ル た 。 を シ 四 ・ 、 継 ュ 六 チ ナ い が 年 ャ ラ だ 主 五 ン ン ・ ホ カ 宰 ー し 月 キ の ン た 五 ニ 石 王 こ 日 チ 碑 25 ﹁ と ︶ に 空 が の よ の 知 即 る 証 ら 位 碑 1 を 嚆 矢 と し 、 六 世 紀 ま で に は 古 典 期 の 主 要 な 都 市 で Naranjo 紋 章 文 字 が 使 わ れ 始 め て い る 。 つ ま り 、 六 世 紀 ま で に は 、 9.5.2.10.6 マ ヤ 低 地 南 部 の 各 地 域 に 、 紋 章 文 字 を 有 す る 王 国 が 既 に Schele and Freidel 1990 : 175 ; Martin and Chan K’inich Martin and Grube 2008 : 72 誕 生 し て い た と い う こ と に な る 。 こ の 傾 向 は 、 時 代 が 下 9.4.0.0.0 碑 文 史 料 か ら 見 た カ ー ン 王 国 の 活 動 る と と も に 増 大 し 、 と り わ け 古 典 期 後 期 に は 多 く の 国 が 9.6.10.0.0 第 四 節 紋 章 文 字 を 持 つ こ と に な る 。 こ の よ う に 、 紋 章 文 字 は 独 9.8.0.0.0 あ る 国 が 紋 章 文 字 を 使 用 し 始 め る と い う こ と が 、 独 立 立 し た 王 国 の 証 し と も 言 え る も の な の で あ る 。 Grube 2008 : 104 121 国 家 と し て の 存 在 を 宣 言 し 、 誇 示 す る こ と と 同 義 で あ る ュ メ ン ト に 紋 章 文 字 が 見 ら れ な い の は 、 か な り 異 常 な こ 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 一 〇 ︵ 三 三 八 ︶ Sky Witness ﹂ も 、 五 七 二 年 に カ ラ コ ル と の 同 盟 を 強 初 に は 対 彼 し に て 続 二 く 度 ﹁ ︵ に 渦 五 わ 巻 九 た 九 る き 年 遠 蛇 四 征 月 を 二 行 一 っ 日 た ︶ こ 、 続 と ﹂ い で 王 て 知 は ら 、 れ パ る レ 。 ン 最 ケ Scroll Serpent House C 9.8.17.15.11 ﹂ と 碑 銘 の 階 段 の 東 パ ネ ル ! に ︵ 六 一 一 年 四 月 四 日 ︶ に パ レ ン ケ を 攻 撃 し 略 奪 し た こ と ︶ 。 ま た 、 ロ ス ・ ア ラ ク ラ ネ 人 9.8.5.13.6 が 、 宮 殿 の ﹁ 家 の 石 碑 1 に よ る と 、 五 六 一 年 に 同 地 の 化 し た こ と が 、 同 地 の 石 碑 3 に 記 さ れ て い る ︵ Carrasco が 、 ﹁ 空 ス Valgas 1998 : 382, 2000 : 17 Sak B’aah Witzil ︶ 。 彼 の 名 は サ ッ ク ・ バ ー フ ・ ウ ィ ツ ィ ル Los Alacranes ! そ れ ぞ れ 記 さ れ て い る ︵ Martin and Grube 2008 : 159 161 ; D. Stuart and G. Stuart 2008 : 140 143 カ ラ コ ル の 石 碑 4 に も 生 起 し て い る 。 こ こ で は 、 が 彼 行 が っ カ ︶ 。 ﹁ 空 の 証 人 ﹂ 王 の 名 は 、 こ の 証 人 ﹂ 王 の 後 援 の も と で 王 位 に 即 い て い る ︵ Grube ラ コ ル 王 ヤ ハ ウ ・ テ ・ キ ニ チ Yajaw Te’ K’inich た 何 ら か の 行 為 を 監 督 し た こ と が 知 ら れ る 。 El Resbalon 9.9.5.13.8 カ ラ コ ル の 別 の モ ニ ュ メ ン ト 石 碑 3 に は 、 銘 の 階 段 や 、 ヨ ー コ ッ プ Yo’okop K’an 二 世 が 行 Martin 2000 : 43 ; Grube 2004a : 120 ; Wren et ︵ 六 一 九 年 一 月 九 日 ︶ に 、 カ ラ コ ル 王 カ ン の 他 に も パ レ ン ケ や エ ル ・ レ ス バ の ロ ﹁ ン 石 B ﹂ で も 言 及 の さ 碑 2004b : 35 ; Špraj 2007 : 79 al. : 92 い だ ユ ク ヌ ー ム ・ テ ィ ・ チ ャ ン れ い て も の ︶ い で 。 る エ ︵ ル ・ レ ス ︵ バ 三 ロ 三 ン 七 の 年 碑 ︶ 、 銘 最 の も 階 段 新 に し は い 、 も 最 の も で 古 7.0.16.14.? が 言 及 さ れ て い る ︵ ︵ 五 八 〇 年 二 月 一 〇 日 ︶ と い う 日 付 が 刻 ま れ て っ た 何 ら か の 行 為 に 関 連 し て 、 ﹁ 渦 巻 き 蛇 ﹂ 王 王 の の ︶ 後 。 前 の を の 名 継 最 後 に 、 ユ ク ヌ ー ム ﹁ 頭 ﹂ Yuknoom Ti’ Chan Tajoom Uk’ab’ K’a- ︵ 六 二 二 年 三 月 二 八 日 ︶ に 即 位 し た こ と い る の だ が 、 ﹁ 空 の 証 人 ﹂ 以 外 に も う 一 人 未 知 の カ ー ン 9.7.6.4.18 9.9.9.0.5 Martin and Grube ︶ 。 彼 の 名 は 、 ナ ラ ン ホ の 碑 銘 の 階 段 一 の hk’ ・ が 王 の 名 が 記 さ れ て い る 。 ヨ ー コ ッ プ で は 、 ﹁ 石 B ﹂ 以 外 Schele and Freidel 1990 : 174 王 で あ る タ フ ー ム ・ ウ カ ブ ・ カ ー ク が 、 カ ラ コ ル の 石 碑 22 に 記 さ れ て い る ︵ に も ﹁ 空 の 証 人 ﹂ 王 を 指 す と 見 ら れ る テ キ ス ト が あ る の Yuknoom ‘Head’ 2008 : 92 106 第 六 段 の テ キ ス ト の 中 で も 言 及 さ れ て い る 。 だ が 、 そ れ か ら は ﹁ 空 の 証 人 ﹂ 王 が ヨ ー コ ッ プ の 支 配 者 9.7.0.0.0 ︵ 三 三 九 ︶ katun 一 一 一 完 了 を 祝 っ て い る 。 パ で ー そ あ ト の っ ツ た ィ こ バ と ン が チ 考 と ェ え い で ら う は れ 名 、 る の 後 。 王 述 が す 、 る よ う に 、 ︵ ヤ 五 シ 七 ュ 三 ・ 年 ヨ Yax Yopaat カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 一 二 月 五 日 ︶ に カ ト ゥ ン 大 の 建 築 コ ン プ レ ッ ク ス で あ る エ ル ・ テ ィ グ レ 4 ︶ が 、 規 模 の 点 で も 形 態 の 点 で も エ ル ・ ミ ラ ド ー ル 最 ︶ 、 カ ラ ク ム ル 最 大 の 建 築 物 で あ る 建 物 ! ︵ 図 ー 都 ル 市 と を サ 凌 ク 駕 す ベ る で ほ つ ど な の が 建 っ 築 て 物 を い 擁 た し こ て と︵ い や︶9 た ︵ エ ル ・ ミ ラ ド Folan et al. ︵ 図 5 ︶ に 酷 似 し て い る こ と か ら 、 こ の 両 者 の 間 に 緊 密 典 期 後 期 に ま で 遡 り 得 る 。 当 時 、 規 模 の 点 で は 古 典 期 の 考 え ら れ る 。 カ ラ ク ム ル と ペ テ ン 地 方 と の 関 係 は 、 先 古 加 え ら れ て い な い こ と か ら 、 特 別 に 重 要 視 さ れ て い た と ム ル 唯 一 の ペ テ ン 様 式 の 宮 殿 で 、 通 時 的 に 見 て も 改 修 が ︵ Carrasco Valgas 1998 : 381 な 関 係 が あ っ た と 推 測 で き る か ら で あ る 。 1995 : 313 と こ ろ が 、 石 碑 等 の 石 造 モ ニ ュ メ ン ト に 目 を 転 じ る と 、 え が 残 る 伴 際 い の と 立 ン が ム の ク る り 次 る 国 っ よ っ に の 同 を 国 ト 存 ・ 証 ヌ ユ 、 こ 章 。 家 て う て は で 時 示 家 に 在 テ 人 ー ク ツ の 以 成 い に い 、 あ 期 し が 刻 し ィ ﹂ ム ヌ ィ よ 降 立 る 、 な カ る の て 存 ま 、 ・ 、 ﹁ ー バ う で 時 。 明 い ラ 。 モ い 在 れ そ チ ヤ 頭 ム ン に は か こ ら 。 ク し ニ る し て の ャ シ ﹂ ・ チ 、 、 ら れ か そ ム か ュ 。 、 い 名 ン ュ 王 チ ェ 現 の 在 カ カ ら に れ ル も メ そ 他 る が と ・ の ラ ー の カ に の 、 ン れ 国 。 蛇 、 ヨ 間 ェ モ 同 ク ン こ ー 対 地 外 ト に に こ 頭 判 パ に ー ニ 定 ム 王 と ン し 名 地 に も 大 の 紋 明 ー 、 ン ュ さ ン れ ル 国 を 王 、 を で は か き こ 章 し ト カ メ て と の 考 の ツ 指 カ 、 か な と 文 て 、 ル ン い ツ 首 え 戦 ィ す ー 蛇 わ 影 は 字 い ﹁ ト ト る ィ 都 併 勝 バ と ン 頭 ら 響 、 と る 渦 ゥ に 最 バ だ せ 記 ン 思 王 紋 ず 力 カ 共 限 巻 ー 名 古 ン っ る 念 チ わ の 章 、 を ー に り き ン 前 の チ た と モ ェ れ 名 文 カ 及 ン 各 で 蛇 ・ が カ ェ か 、 ニ に る が 字 ラ ぼ 王 地 も ﹂ ヒ の 疑 カ ュ は 文 言 は ク し 国 の 五 、 シ 一 生 ー 古 わ ラ メ 、 字 及 存 ム て と モ 人 ユ ュ 世 起 ン 典 し ク ン 後 を さ 在 ル い い ニ も ク 、 と し 王 期 く ム ト 述 一 れ し 自 た う ュ の ヌ ﹁ 、 て で 前 思 ル が す 切 る な 体 こ 独 メ 王 ー 空 ユ い あ El Tigre 都 市 の 巨 大 な 規 模 と は 対 照 的 に 、 不 自 然 な ほ ど 少 な い 。 期 の 状 況 を 、 主 と し て モ ニ ュ メ ン ト に 刻 ま れ た 碑 文 を 分 Yuknoom Ch’een 析 す る こ と で 、 こ の 問 題 に つ い て 検 討 し て み た い 。 ︶ 。 ち な み に 、 後 者 は カ ラ ク 期 で あ り 、 そ れ ら は 建 物 # ! B と 建 物 " で 出 土 し て い る 例 を 挙 げ る と 、 土 器 が 最 大 規 模 に 生 産 さ れ た の は こ の 時 た カ ラ ク ム ル は 、 古 典 期 前 期 に 入 る と 更 に 繁 栄 す る 。 一 先 古 典 期 に 既 に 巨 大 な 建 築 物 を 建 設 す る ま で に 成 長 し 第 一 節 第 三 章 古 典 期 前 期 の モ ニ ュ メ ン ト 古 典 期 前 期 の カ ラ ク ム ル 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 一 二 ︵ 三 四 〇 ︶ カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 図4 建物Ⅱ(カラクムル) (Pincemin et al. 1998 : 313 Figure 3. より) 一 一 三 ︵ 三 四 一 ︶ 図5 エル・ティグレ(エル・ミラドール) (Sharer 2006 : 255 Fig. 6. 19 より) さ い に も か か わ ら ず 、 四 三 五 年 以 前 に モ ニ ュ メ ン ト を 建 ば れ て い た こ と に な る の で あ る 。 文 字 が 用 い ら れ る よ う に な る 前 は 、 チ ー ク ・ ナ ー ブ と 呼 れ た と い う こ と で あ る 。 つ ま り 、 カ ラ ク ム ル は 蛇 頭 紋 章 こ は の 、 石 こ 碑 の が 人 ﹁ 物 チ が ー テ ク キ ・ ス ナ ト ー の ブ 主 の 役 ア と ハ︵ 考 ウ10 え ︶ ﹂ ら の れ た る め こ に と 建 か て ら ら 、 と い う 地 名 を 表 す 文 字 の 最 初 の 生 起 例 で あ る 。 重 要 な の ウ ︶ と 表 現 し て い る 。 こ れ は チ ー ク ・ ナ ー ブ ル ん 碑 て ・ 、 の 114 い ペ ベ こ と る ル フ と 石 に ー だ 碑 も カ が 43 か ル 、 の か カ 僅 わ ラ か ら の ク に ず よ 、 ム 二 、 う ウ ル 基 古 に ォ の し 典 、 周 か 期 カ ラ 辺 な 前 ン ラ に い 期 ク ト は 。 の ム ゥ バ テ も ル ン ラ ィ の よ ク カ と り バ ル な 規 ル は る 模 も と は 、 ち 、 ろ 石 小 エ わ け 、 遺 跡 全 体 で 少 な く と も 一 一 七 基 の 石 碑 が 見 つ か っ 支 配 し て い た か を 示 す 文 字 史 料 に き わ め て 乏 し い 。 と り 裁 を 整 え て い た カ ラ ク ム ル で あ る が 、 ど の よ う な 勢 力 が 先 述 し た よ う に 、 古 典 期 前 期 に は 巨 大 都 市 と し て の 体 物 に る を は ︵ 蛇 頭 紋 章 文 字 は 見 当 た ︵ ﹁ ら チ な ー い 。 ク そ ・ の ナ 代 ︶ 。 ー わ し ブ り か ﹂ 、 し の そ 、 ア の こ ハ 人 こ 日 ︶ と い う 日 付 で 始 ま る 裏 面 の テ キ ス ト に は 、 あ る 王 が ま れ て い る ︵ 図 6 ︶ 。 肖 像 が 彫 ら れ 、 両 側 面 と 背 面 に は 長 い 文 字 テ キ ス ト が 刻 る 。 正 面 に 豪 華 に 着 飾 っ た 王 と 思 わ れ る 横 向 き の 人 物 の ン 完 了 を 祝 っ て い る こ と が 記 さ れ て い る と 考 え ら れ て い 四 一 一 年 に 即 位 し た こ と と 、 そ の 人 物 が 即 位 の 一 カ ト ゥ 8.19.15.12.13 立 し て い る 都 市 が あ る 。 こ の こ と を 考 え る と 、 カ ラ ク ム Grube 2004a : 121 ; Martin 2005 : 9 ル で 石 碑 建 立 が 遅 れ る の は 不 可 解 で あ る 。 い ず れ に し て Balak- も 、 古 典 期 マ ヤ 社 会 に お い て 、 石 碑 は 肖 像 や 文 字 を 刻 む Uolantun 石 碑 114 に つ い て 、 一 つ 付 言 し た い こ と が あ る 。 そ れ は 、 こ と に よ っ て 、 王 の 事 績 を 顕 示 す る た め に 建 立 さ れ る の Bejucal 表 面 に 豪 華 に 着 飾 っ た 人 物 の 肖 像 、 残 る 三 面 に 文 字 テ キ が 一 般 的 で あ る 。 そ の た め 、 石 碑 が 乏 し い こ と が 、 古 典 bal ス ト が 刻 ま れ て い る と い う 点 が 、 テ ィ カ ル の 石 碑 3 1 ︵ 図 期 前 期 の カ ル ク ム ル の 支 配 勢 力 を 理 解 す る こ と を 困 難 に “chi-ku-NAHB AJAW” 7 ︶ と 共 通 し て い る と い う こ と で あ る ︵ し て い る 。 El Peru 現 在 知 ら れ て い る 限 り 、 カ ラ ク ム ル で 最 古 の 石 造 モ ニ Chiik Nahb ュ メ ン ト は 石 碑 114 で あ る 。 建 物 ! の 基 部 の 壁 龕 の 前 に 設 Pincemin et al. 置 さ れ て い る が 、 も と も と 建 て ら れ た 場 所 は 別 に あ り 、 ︵ 四 三 一 年 九 月 一 五 こ の 点 に つ い て 、 次 に 述 べ て い き た い 。 そ こ か ら 現 在 地 ま で 持 っ て 来 ら れ た も の と 考 え ら れ て い 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 一 四 ︵ 三 四 二 ︶ カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 図8 石碑4 0(ティカル) (Harrison 1999 : 93 53 より) が 窺 わ れ る 。 ず れ に し て も 、 こ の 時 期 の カ ラ ク ム ル は 、 テ ィ い る の で 、 石 碑 114 と ほ ぼ 同 時 代 だ と 言 え る 。 い ︵ 四 六 八 年 一 月 二 〇 日 ︶ に 建 立 さ れ て 石 碑 40 ︵ 図 8 ︶ に 似 て い る 。 こ の 石 碑 も っ て い る と い う 点 で は 、 む し ろ 同 じ テ ィ カ ル の あ る 。 た だ 、 構 図 の 点 、 と り わ け 右 手 に 笏 を 握 の で 、 石 碑 114 の 肖 像 の 人 物 と ま さ に 同 時 代 人 で ︵ 四 五 六 年 二 月 三 日 ︶ に 死 去 し て い る ︵ 四 一 一 年 一 一 月 二 六 日 ︶ に 即 位 し 、 ウ ィ ー ル 二 世 で あ る 。 彼 は ら れ た 肖 像 は 、 テ ィ カ ル 王 シ ヤ フ ・ チ ャ ン ・ カ で 、 石 碑 114 と ほ と ん ど 同 時 期 で あ る 。 表 面 に 彫 ︵ 四 四 五 年 一 〇 月 一 七 日 ︶ 頃 建 立 さ れ て い る の ・ ︶ 。 し か も 、 石 碑 31 は 9.0.10.0.0 カ ル と 同 様 の 石 碑 彫 刻 伝 統 を 共 有 し て い た こ と 1998 : 311 315 石 碑 43 も 建 物 ! で 発 見 さ れ た 。 石 碑 114 と 同 様 、 Siyaj Chan K’awiil 正 面 に は 頭 飾 り を 始 め と す る 多 様 な 装 飾 品 に 覆 8.18.15.11.0 わ れ た 横 向 き の 人 物 が 彫 ら れ て い る ︵ 図 9 ︶ 。 9.1.0.8.0 ︵ 三 四 三 ︶ 足 下 に う つ ぶ せ に な っ た 捕 虜 が 彫 ら れ て い る が 、 9.1.13.0.0 一 一 五 こ の 姿 も 含 め 、 全 体 の 構 図 は 石 碑 114 の 肖 像 よ り 図7 石碑3 1(ティカル) 図6 石碑1 1 4(カラクムル) (Harrison 1999 : 88 51 より) (Pincemin et al. 1998 : 315 Figure 6. より) ︵ 三 二 〇 年 九 月 史 学 第 七 八 巻 に 刻 ま れ た 人 物 ︵ 図 10 ︶ 第 三 号 第 二 節 チ ャ タ ン た の で あ ろ う 。 ﹁ チ ャ タ ン の 聖 な る 人 ﹂ と い う 称 号 を 有 し て い 生 起 し て い る 。 従 っ て 、 表 面 の 肖 像 の 人 物 は ﹁ チ ャ タ ン の 聖 な る 人 ﹂ と い う 称 号 が ル ・ チ ャ タ ン ・ ウ ィ ニ ク 章 文 字 は 刻 ま れ て い な い 。 そ の 代 わ り に 、 ク フ 図9 石碑4 3(カラクムル) (Pincemin et al . 1998 : 318 Figure 9. より) さ れ た と 考 え ら れ る 。 し か し 、 こ こ に も 蛇 頭 紋 ︶ 、 カ ト ゥ ン 完 了 の モ ニ ュ メ ン ト と し て 建 立 日 付 で 始 ま っ て い る こ と か ら ︵ Grube 2004a : こ の よ う に 、 古 典 期 前 期 の モ ニ ュ メ ン ト の テ キ ス ト の 図1 0 ライデン坂 (Pincemin et al. 1998 : 318 Figure 10. より) が 、 両 側 面 に ︵ は 五 文 字 一 テ 四 キ 年 ス 一 ト 〇 が 月 刻 一 ま 六 れ 日 て ︶ い と る い の う だ 9.4.0.0.0 観 点 か ら は 、 カ ラ ク ム ル に カ ー ン 王 朝 の 痕 跡 は 見 ら れ な も 、 ラ イ デ ン 板 121 い と 言 わ ざ る を 得 な い 。 そ の 代 わ り 、 碑 文 に 刻 ま れ て い に き わ め て よ く 似 て い る 。 ラ イ デ ン 板 は 、 も と も と テ ィ k’uhul chatan winik る の が チ ー ク ・ ナ ー ブ と チ ャ タ ン と い う 、 地 名 を 表 す と カ ル に 由 来 す る と 推 測 さ れ て い る 斧 の よ う な 形 を 呈 し た Chatan 見 ら れ る 文 字 で あ る 。 こ の 二 つ の 文 字 か ら 、 こ の 当 時 の ヒ ス イ 製 の 小 板 で 、 裏 面 に は Leyden Plate カ ラ ク ム ル の 状 況 に つ い て 考 え て み た い 。 一 七 日 ︶ と い う 日 付 が 刻 ま れ て い る 。 こ の 二 つ の 肖 像 の 8.14.3.1.12 酷 似 も 、 カ ラ ク ム ル が テ ィ カ ル 、 少 な く と も ペ テ ン 地 方 る の か も 知 れ な い 。 と 何 ら か の か か わ り が あ っ た こ と を 物 語 っ て い 一 一 六 ︵ 三 四 四 ︶ す る ア ル タ ル ・ デ ・ ロ ス ・ レ イ ェ ス 組 織 に 属 し て い る こ と を 誇 示 し て い る の か も 知 れ な い 。 ー ン 王 朝 の 首 都 で は な く 、 チ ャ タ ン と い う 何 ら か の 社 会 と い う 称 号 を 伴 っ て い る こ と は 、 当 時 の カ ラ ク ム ル が カ ク ム ル の 石 碑 43 の 碑 文 の 人 物 が ﹁ チ ャ タ ン の 聖 な る 人 ﹂ 地 、 あ る い は ナ ク ベ 周 辺 を 指 す 地 名 と 考 え ら れ る 。 カ ラ に 生 産 さ れ た 。 従 っ て 、 チ ャ タ ン は エ ル ・ ミ ラ ド ー ル 盆 エ ル ・ ミ ラ ド ー ル 盆 地 周 辺 や ナ ク ベ 周 辺 で 、 古 典 期 後 期 れ た プ ラ イ ! マ リ ︵ 11 ー ︶・ の ス 後 タ に ン し ダ ば ー し ド ば ・ ︶ 。 生 シ こ 起 ー れ し ク ら て ェ の い ン る ス 土 ︵ 器 は 、 Primary こ の 文 字 は 、 エ ル ・ ミ ラ ド ー ル の 北 東 ほ ど 近 く に 位 置 Grube 遺 跡 で 、 二 〇 〇 二 年 に 発 見 さ れ た 祭 壇 3 の テ キ ス ト に も Standard Sequence 生 起 し て い る 。 祭 壇 3 は 円 形 の モ ニ ュ メ ン ト で 、 側 面 を 2004a : 119 124 ; Martin 2005 : 6 ; Mathews et al. 2005 : ︶ 。 う ち 判 読 で き る 文 字 が 一 一 あ 取 り 囲 む よ う に 横 一 列 に 、 一 四 な い し 一 五 の 文 字 が 刻 ま 671 ; Martin and Grube 2008 : 102 れ て い る ︵ Altar de los Reyes り 、 そ の 中 の 一 つ が チ ャ タ ン ・ ウ ィ ニ ク な の で あ る 。 残 Grube 2003 カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て る 文 字 の う ち 九 が 、 テ ィ カ ル 、 カ ー ン や パ レ ン ケ の 紋 章 ン ・ ウ ィ ニ ク と い う 形 で 、 コ デ ッ ク ス 様 式 の 土 器 に 描 か る ル ら 組 れ す す が 合 と に わ と ィ 治 と の ︵ が 文 し 。 ・ こ 織 ら る る 、 い か 前 か か ニ 状 推 こ 八 確 字 か チ の を の よ 地 パ の ら 接 る ら ク 況 測 と 〇 認 で も ャ 地 表 紋 う 域 レ 文 、 辞 。 も と を さ か 〇 で あ 、 タ 域 す 章 に の ン 字 チ と チ 、 カ 表 れ ら 年 き る 祭 ン で も 文 ︵ も ケ で ャ し ャ こ ー し 、 、 八 る 。 壇 ・ 製 の 字 の を あ タ て タ の ン て こ 祭 月 の こ 3 ウ 作 で を の で 除 る ン 生 ン 両 王 い こ 壇 一 が ィ さ は 持 あ く こ ・ 起 ・ 者 国 る に 3 九 は 遺 製 ニ れ な つ る と と ウ す ウ が の と 記 も 日 石 跡 作 ク た か 国 こ 、 が ィ る ィ 別 紋 考 さ 同 ︶ 碑 で さ の コ ろ 家 ︶ と エ 考 ニ ク ニ の 章 え れ 時 と 1 発 れ 文 デ う の 、 か ル え ク フ ク 社 文 ら た 期 い の 見 た 字 ッ か 総 チ ら ・ ら は ル を 会 字 れ テ に う み さ で が ク 。 称 ャ 推 ミ れ 、 の 表 組 が る キ 製 日 で れ あ 頻 ス そ 的 タ し ラ る 紋 文 す 織 別 。 ス 作 付 、 た ろ 出 様 う 意 ン て ド 。 章 字 文 を 々 こ ト さ が こ モ う す 式 考 味 ・ 、 ー こ 文 が 字 表 に こ は れ 刻 こ ニ 古 る の え 合 ウ グ ル れ 字 欠 に し 刻 で 古 た ま に ュ 典 の 土 る い ィ ル 盆 ら と 如 は て ま チ 典 モ れ は メ 期 も 器 と を ニ ー 地 の は し 、 い れ ャ 期 ニ て ン 後 理 に 、 持 ク ベ を 紋 別 て 紋 る て タ 後 ュ い ト 期 解 、 も つ と も 中 章 の い 章 こ い ン 期 メ る で は で ク っ 社 は 指 心 文 意 る 文 と る ・ の ン 。 年 も き フ ぱ 会 こ 摘 と 字 味 こ 字 が こ ウ 政 ト こ 代 Grube 2003 一 一 七 9.18.10.0.0 ︵ 三 四 五 ︶ 先 ず チ ャ タ ン で あ る が 、 こ の 文 字 は ク フ ル ・ チ ャ タ ま る 一 九 人 の 王 の 名 前 や 即 位 が 記 さ れ て い る た め 、 カ ー 時 期 と 重 な る 。 し か も 、 先 述 し た よ う に 、 こ れ ら の 土 器 い う 時 期 は 、 ナ ク ベ や エ ル ・ ミ ラ ド ー ル が 繁 栄 し て い た 自 然 な 数 字 で は な い 。 ま た 、 前 三 九 六 年 か ら 後 一 世 紀 と た こ と に な り 、 実 在 の 王 の 平 均 治 世 と し て 、 必 ず し も 不 て い た こ と に な る 。 一 人 平 均 約 二 〇 ∼ 二 五 年 統 治 し て い さ れ た も の に は 、 ﹁ 空 を 持 ち 上 げ る 者 た 一 一 ほ ど の 土 器 の こ と で あ る 。 最 も 長 い テ キ ス ト が 記 デ ッ ク ス 様 式 の 土 器 の う ち 、 カ ー ン 王 朝 の 王 名 が 記 さ れ 知 ら れ る 土 器 の 存 在 か ら も 言 え る 。 ﹁ 王 朝 土 器 ﹂ は 、 コ 年 ! か ら 後 ︶ 、 一 四 世 〇 紀 〇 ∼ に 五 換 〇 算 〇 で 年 き の る 間 と に す 一 る 九 と 人 ︵ の 王 が 存 在 し 付 で あ る 。 シ ェ ア ラ ー が 言 う よ う に 、 そ れ ら が 前 三 九 六 る 。 一 つ は 、 土 器 に 記 さ れ た カ レ ン ダ ー ・ ラ ウ ン ド の 日 ﹂ 王 に 始 ら て チ 栄 と る 器 歴 起 ル と こ れ い ャ え は 。 に 史 し の よ の る た タ た 、 そ は を て 石 り こ 。 社 ン 先 巨 し 、 有 い 碑 、 会 ・ 古 大 て し し る 43 六 と 組 ウ 典 な 、 ば た こ に 世 は 織 ィ 期 廃 チ し 称 と も 紀 、 の ニ の 墟 ャ ば 号 か ク 前 俗 称 ク こ を タ 神 で ら フ 半 に 号 と と 残 ン 話 あ 、 ル に ﹁ を は で し ・ 的 る 後 ・ 建 王 表 、 は た ウ 過 と 者 チ 立 朝 し 先 な エ ィ 去 言 の ャ さ 土 て 古 か ル ニ の え 時 タ れ 器 い 典 ろ ・ ク こ る 点 ン た る 期 う ミ で と 。 よ ・ と 可 に か ラ 表 が コ り ウ 考 能 こ 。 ド さ 主 デ も ィ え 性 の こ ー れ 題 ッ 更 ニ ら は 地 の ル る と ク に ク れ あ 域 こ や 神 し ス 時 の る ﹂ る を と ナ 話 て 様 代 文 カ と と 支 か ク 的 描 式 を 字 ラ し 考 配 ら ベ 過 か の 遡 が ク て え し も が 去 れ 土 る 生 ム 、 Dynastic Vase ン 王 朝 の 起 源 に つ い て 論 じ る 際 に し ば し ば 言 及 さ れ る 。 Sharer 2006 : た だ し 、 こ の 記 録 に は そ の ま ま 史 料 と し て 用 い る に は 危 259 261 険 な 、 次 の よ う な 問 題 点 が あ る 。 日 付 が カ レ ン ダ ー ・ ラ Skyraiser ウ ン ド で し か 記 さ れ て お ら ず 、 西 暦 へ の 換 算 が 困 難 な こ う の ま く あ は 異 治 見 と そ か ﹁ ま と る 、 こ な 世 す 、 ﹁ れ 。 王 受 も い の る の る 石 を 朝 け 、 は 王 よ こ 順 こ 造 朝 考 土 入 実 伝 う と 序 と モ え 器 れ 際 説 土 な 、 が 、 ニ る ﹂ る の 上 器 問 な 実 逆 ュ の は の 歴 の ﹂ 題 ど 在 に メ に ど は 史 人 に 点 で し 初 ン 際 う 難 的 物 記 を あ た 期 ト し い し 事 で さ 踏 る と の の て う い 実 は れ ま 。 さ 既 碑 、 性 と が な た え れ 知 文 参 格 い 書 い 諸 て る の で 考 を う か か 王 、 既 王 知 に 有 こ れ と は マ 知 名 ら カ な す と た 推 ー の が れ る る で 史 測 ー テ カ 欠 て 点 資 あ 料 し ン ィ ー 落 い が 料 る と て 王 ン ン し な い な 。 し い 朝 と 王 て い く の で て る の グ の い 王 つ で は 、 。 先 ル 順 る 名 か あ 、 そ 少 祖 ー 番 こ が あ ろ こ の な や ベ と と 散 、 、 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 一 八 ︵ 三 四 六 ︶ 勘 案 す る と 、 ﹁ 王 朝 土 器 ﹂ に 記 さ れ た 王 名 が 、 仮 に 実 在 た と し て い た が 、 そ の 後 こ の 意 見 を 翻 し て い る ︵ こ れ を 含 む よ り 広 い 領 域 が チ ー ク ・ ナ ー ブ と 呼 ば れ て い あ る い は フ シ ュ テ ト ゥ ー ン シ ュ テ ト ゥ ー ン ィ ン と グ ル ー ベ は 、 当 初 、 都 市 と し て の カ ラ ク ム ル は ウ 次 に 、 チ ー ク ・ ナ ー ブ に つ い て 考 え て み た い 。 マ ー テ 第 三 節 Oxte’tuun ︶ 。 事 ︵ オ シ ュ テ ト と ゥ も ー ︶ ン と 呼 ば れ 、 、 チ ー ク ・ ナ ー ブ 在 し て い た と の 確 証 が な い か ら で あ る 。 こ れ ら の こ と を 古 典 期 後 期 の こ の 時 期 に 、 蛇 頭 紋 章 文 字 を 持 つ 国 家 が 存 難 い 。 紋 章 文 字 の 存 在 が 確 認 さ れ て い な い 現 状 で は 、 先 実 在 し た カ ー ン 王 朝 の 初 期 の 諸 王 の も の で あ る と は 考 え こ と に な る 。 従 っ て 、 ﹁ 王 朝 土 器 ﹂ に 描 か れ た 王 名 が 、 土 器 ﹂ に 記 さ れ た 最 後 の 王 の 治 世 よ り 五 〇 〇 年 近 く 前 の 中 の 最 も 古 い 日 付 で も 五 世 紀 後 半 の も の で あ り 、 ﹁ 王 朝 ン チ ェ の 碑 銘 の 階 段 に 見 ら れ る の だ が 、 刻 ま れ た 碑 文 の し て も 、 実 際 に こ れ ら の 土 器 が 製 作 さ れ た 古 典 期 後 期 よ ナ は ク カ ベ ラ 周 ク 辺 ム で ル 製 で 作 な さ く れ 、 た エ こ ル と ・ が ミ 判 ラ 明 ド し ー て ル い︵ 盆 る12 地 ︶ 。 、 い と ず り れ わ に け れ て い た と す れ ば 、 な お さ ら の こ と で あ る 。 わ け エ ル ・ ミ ラ ド ー ル と は 、 実 際 に サ ク ベ に よ っ て 結 ば け と し て 利 用 し よ う と し た こ と は 十 分 考 え ら れ る 。 と り を 擁 す る 国 家 の 後 継 者 た る こ と を 喧 伝 し 、 自 ら の 権 威 づ 勃 興 し た エ ル ・ ミ ラ ド ー ル や ナ ク ベ の よ う な 、 巨 大 都 市 の 揺 籃 の 地 で あ り 、 だ か ら こ そ 、 他 に 先 駆 け て こ の 地 に ︵ 技 ︵の 13 中 場 ︶ 、 、 で E 持 は グ ち 先 ル 送 進 ー り 地 プ 式 域 で 建 ア あ ー 築 り 複︵ チ 、 が 14 三 合︶ な 用 つ ど い 組 ︶ 。 が ら 神 い い れ 殿 わ ち た 構 神 成 ば 、 早 殿 古 く や 典 出 墳 期 現 墓 文 し 、 化 た 球 で も あ と る も 。 と エ ル ・ ミ ラ ド ー ル 盆 地 は 、 先 古 典 期 マ ヤ 地 域 で 述 べ る よ う に 、 蛇 頭 紋 章 文 字 の 最 古 の 生 起 例 が ツ ィ バ り 、 は る か 以 前 の 王 で あ る と い う こ と に な る 。 更 に 、 後 triadic temple の も の 、 あ る い は 少 な く と も 後 世 の 人 々 か ら そ う 信 じ ら form れ て い た も の で あ っ た と す れ ば 、 ナ ク ベ 、 あ る い は エ Hansen 1998 ; Sharer 2006 : 261 ル ・ ミ ラ ド ー ル を 支 配 し て い た 王 朝 の も の で あ っ た 可 能 Martin 性 も あ る 。 こ れ ら ﹁ 王 朝 土 器 ﹂ に 記 さ れ た 諸 王 と は 系 譜 Uxte’tuun ︵ 三 四 七 ︶ 上 直 接 的 に は つ な が ら な い カ ー ン 王 朝 が 、 か つ て 存 在 し Huxte’tuun 一 一 九 た 権 威 あ る 国 家 を 正 当 に 継 承 す る も の で あ る よ う に 装 っ and Grube 2000 : 104 ; Martin and Grube 2008 : 104 カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て て 顕 示 し 、 自 ら の 権 威 を 高 め よ う と し て い る と い う こ と ﹁ カ ン ク ェ ン ho’ winikjiiy juun ? haab’iiy i の 略 奪 さ れ た パ ネ ル ﹂ に も 興 味 深 チ ー ク ・ ナ ー ブ で 即 位 し た と の 記 述 が あ る ︵ を 意 味 す る か 考 察 す る 上 で き わ め て 重 要 で あ る 。 更 に 、 頭 紋 章 文 字 の 三 つ 全 て が 刻 ま れ て お り 、 こ れ ら 三 者 が 何 字 で あ る チ ー ク ・ ナ ー ブ 、 ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン 、 そ し て 蛇 ム ・ イ チ ャ ー ク ・ カ ー ク た と え ば 、 カ ラ ク ム ル の 石 碑 9 の 碑 文 に は 、 ユ ク が ヌ 、 ー テ キ ス ト は 、 カ ー ン 王 国 の 所 在 を 追 究 す る 上 で 重 要 な 文 釈 す る 方 が 妥 当 だ と 考 え ら れ る 。 実 、 い く つ か の 史 料 か ら 判 断 し て 、 む し ろ そ の 逆 だ と 解 記 述 が あ る ︵ カ ー ン 王 た る ユ ク ヌ ー ム ﹁ 頭 ﹂ が 、 そ れ を 命 じ た ﹂ と の Tokovinine 2007 : 19 20 k’in Cancuen u tzakaj huk い テ キ ス ト が 記 さ ︵ れ て ︶ い る 。 先 ず 第 二 行 ︵ に は ︶ ︶ 。 こ の 場 合 、 チ ー ク ・ ナ ー ブ は 即 位 地 と 考 え ら Martin ︵ 六 九 二 年 三 月 一 六 れ る の で 、 広 い 領 域 の 名 と い う よ り 都 市 名 と 考 え た 方 が Yuknoom Yich’aak K’ahk’ の 石 碑 13 の 碑 よ い で あ ろ う 。 同 じ 例 は 、 2005 : 5 日 ︶ に 建 立 さ れ た ド ス ・ ピ ラ ス Dos Pilas 文 に も 見 ら れ る 。 こ こ に は 、 カ ー ン の 神 聖 王 ユ ク ヌ ー 9.13.0.0.0 す な わ ち 、 ﹁ キ ニ チ ・ カ ッ プ ︵ ? ︶ ・ ネ ー ル ︵ ? ︶ ・ ア ー ム ・ イ チ ャ ー ク ・ カ ー ク が 、 チ ー ク ・ ナ ー ブ で 即 位 し た uut lajchan ha’ chan kaseew och b’ihaj K’inich K’ap? K’inich K’ap? Neel? Ahk B’aluun ︶ 。 ま た 、 第 三 行 に は 、 が チ ー ク ・ ナ ー ブ で 死 ん だ ﹂ と 記 さ れ て い る と 記 さ れ て お り ︵ Neel? Ahk B’aluun Otoot utiiy Chiik Naab’ ク ・ バ ル ー ン ・ オ ト ー ト ︶ 、 カ ー ン と チ ー ク ・ ナ ー ブ が 別 の も の を 表 し て い る Schele and Freidel 1990 : 182 Fig. 5 : ︵ Guenter : 3 ﹁ ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン の カ ロ ー ム︵ テ16 ︶ 、 ユ ク ︵ ヌ ! ー ︶ ︶ 。 ム ・ チ ェ ー ン ﹂ と 刻 ま れ て い る の で あ る ︵ Yuknoom Ch’een Ux Te’ Tuun Kal oom te’ こ れ ら の 例 か ら 判 断 し て 、 現 在 の カ ラ ク ム ル 遺 跡 が あ Guenter : 5 6 る 場 所 が チ ー ク ・ ナ ー ブ で あ り 、 こ の 地 を 中 心 と す る 領 10 ] こ と が わ か る 。 三 つ 目 の 例 と し て 、 ナ ラ ン ホ の 碑 銘 の 階 Otoot ? kanal ajaw ta huxte’tuun aj ] [ 段 一 の 第 六 段 の テ キ ス ト が 挙 げ ら れ る 。 こ れ は 、 カ ラ コ 9.10.10.0.0.0 [ は ホ ル 、 ト 王 ゥ カ ン ン 二 世 が 完 了 を 祝 っ て 建 ︵ 立 六 し 四 た 二 も 年 の 一 だ︵ 二 月 が15 ︶ 、 四 こ 日 こ ︶ に の hotun u-kabij yuk noom 域 の 名 称 が ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン だ っ た と 考 え る の が 妥 当 で chi’k nahb す な わ ち 、 ﹁ チ ー ク ・ ナ ー ブ 出 身 の ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン の ! ︶ 。 ち な み に 、 こ の 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 二 〇 ︵ 三 四 八 ︶ カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 先 に も 述 べ た よ う に 、 こ れ ら の 石 の ブ ロ ッ ク は 、 本 来 る 四 地 区 の 中 で も 最 大 の ツ ィ バ ン チ ェ ・ グ ル ー プ で 発 見 ブ ロ ッ ク が 用 い ら れ て い る の で あ る 。 に 、 こ こ で 問 題 と な っ て い る 碑 文 や 肖 像 が 刻 ま れ た 石 の 第 二 章 第 三 節 で 述 べ た 石 の ブ ロ ッ ク は 、 遺 跡 を 構 成 す 段 が 取 り 付 け ら れ た ︵ ︶ 。 そ の う ち 一 部 第 一 節 第 四 章 ︱ ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ ︱ 古 典 期 前 期 の ツ ィ バ ン チ ェ の モ ニ ュ メ ン ト 古 典 期 前 期 の ツ ィ バ ン チ ェ さ れ て い る の だ が 、 後 者 の 第 四 期 建 築 相 に こ の 五 段 の 階 期 ︵ 八 〇 〇 ︱ 九 〇 〇 / 一 〇 〇 〇 年 ︶ に 小 規 模 な 改 築 が 施 の と ︵考 19 ︶え ︶ ら 。 ﹁ れ 捕 て 虜 い の る 建 ︵ 物 ﹂ は 、 古 典 期 後 期 と 古 典 期 終 末 Nalda 2004 : 21 ; Velásquez García の 意 図 と は 無 関 係 に 再 利 用 さ れ た も の で あ る 。 こ れ ら が さ れ た 。 こ の 地 区 の ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ と 命 名 さ れ た 建 物 の 2004 : 79 ︵ 三 四 九 ︶ 前 面 に 取 り 付 け ら れ た 階 段 に 、 捕 虜 と 思 わ れ る 人 物 像 と Nalda 2004 : 20 一 二 一 文 字 が 刻 ま れ た 石 の ブ ロ ッ ク が 多 数 あ っ た の で あ る 。 は 、 一 切 存 在 し な い の で あ る 。 典 期 前 期 に 、 カ ー ン 王 国 と カ ラ ク ム ル を 結 び つ け る 史 料 や く 七 世 紀 に 入 っ て か ら の こ と な の で あ る 。 つ ま り 、 古 す な わ ち 、 カ ー ン 王 と カ ラ ク ム ル が 結 び つ く の は 、 よ う の 階 段 一 の 第 六 段 の テ キ ス ト で あ る と い う こ と で あ る 。 ル で あ る こ と を 示 す 最 古 の 史 料 が 、 こ の ナ ラ ン ホ の 碑 銘 王 の 本 拠 地 が チ ー ク ・ ナ ー ブ 、 す な わ ち 現 在 の カ ラ ク ム 最 後 に 、 も う 一 つ 重 要 な こ と が あ る 。 そ れ は 、 カ ー ン す る こ と な く 、 ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ の 前 に 組 み 立 て ら れ た も 建 て ら れ た 建 造 物 か ら 持 ち 去 ら れ 、 刻 ま れ た 内 容 を 顧 慮 で あ る 。 こ の こ と か ら 、 こ れ ら の 石 は ど こ か 他 の 場 所 で 群 は 、 相 互 に 何 の 脈 絡 も な く 、 雑 然 と 並 べ ら れ て い る の ら と は 対 照 的 に 、 ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ の 階 段 の 石 の ブ ロ ッ ク 建 造 さ れ た も の と は 、 性 格 が 大 き く 異 な っ て い る 。 そ れ 造 の 当 初 か ら 碑 文 を 建 築 要 素 に 組 み 込 む よ う に 意 図 的 に ク は 、 コ パ ン や ド ス ・ ピ ラ ス の 碑 銘 の 階 段 の よ う に 、 築 妥 当 な 解 釈 で あ ろ う 。 が 、 ナ ラ ン ホ の 碑 銘 の 階 段 一 の 第 六 段 の テ キ ス ト の 最 も と し て こ の 領 域 を 支 配 し て い た 王 朝 の 名 称 だ と 考 え る の あ ろ︵ う17 ︶ 。 そ し て カ ー ン と は 、 当 時 チ ー ク ・ ナ ー ブ を 首 都 法 あ が り 見 、 ら こ れ︵ の る18 時 ︶ 。 期 た の だ 建 し 築 、 に こ は の 典 階 型 段 的 を な 構 ペ 成 テ す ン る 様 石 式 の の ブ 建 ロ 築 ッ 技 る 基 壇 で あ る 。 建 造 が 始 ま っ た の は 古 典 期 前 期 の こ と で ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ は 、 ピ ラ ミ ッ ド 型 を 呈 し た 三 段 か ら 成 れ る 複 数 の 人 物 が 、 小 さ く 彫 ら れ て い る 。 な お 、 後 者 の モ ニ ュ メ ン ト 16 と モ ニ ュ メ ン ト 19 に は 、 エ リ ー ト と 思 わ 物 が 、 大 き く 彫 ら れ て い る だ け な の に 対 し 、 後 者 の う ち い る 。 前 者 に は 、 体 を 縛 ら れ た 捕 虜 と 思 わ れ る 一 人 の 人 推 測 さ れ て い る 。 ま た 、 彫 ら れ た 内 容 の 主 題 も 異 な っ て 者 は 建 物 の 軒 蛇 腹 と し て 使 用 さ れ て い た の で は な い か と 来 階 段 の 石 段 と し て 用 い ら れ て い た の は 前 者 の み で 、 後 プ の ブ ロ ッ ク は 、 大 き さ も 異 な っ て い る 。 こ の う ち 、 本 加 工 の ま ま 残 さ れ て い る も の で あ る 。 こ の 二 つ の グ ル ー 一 つ は 、 彫 刻 が 施 さ れ た の は 上 半 分 の み で 、 下 半 分 は 未 て 、 文 字 や 捕 虜 の 肖 像 が 刻 ま れ て い る も の で あ る 。 も う 二 つ に 大 別 で き る 。 一 つ は 、 輪 郭 の わ ず か な 空 間 を 残 し 王 に 捕 縛 さ れ る 情 景 、 あ る い は ま た 捕 縛 さ れ た 姿 で 王 の だ 、 直 立 し た 姿 勢 の 王 の 足 の 下 に 踏 み つ け ら れ た 状 態 や 、 戦 争 で 捕 獲 さ れ た 捕 虜 の 姿 が し ば し ば 描 か れ て い る 。 た ︵ 図 11 ︶ 。 マ ヤ 地 域 の 多 く の 遺 跡 の 石 碑 や リ ン テ ル に は 、 か が め て い る 者 、 う つ 伏 せ に な っ て い る 者 な ど が あ る っ た 者 、 左 足 の 膝 を わ ず か に 曲 げ て 前 に 伸 ば し 、 右 足 を 捕 虜 の 姿 勢 は 様 々 で 、 あ ぐ ら を 組 ん だ ま ま 前 の め り に な に 向 か っ て 、 手 首 を 紐 で 縛 ら れ た 捕 虜 が 彫 ら れ て い る 。 ク で 、 い ず れ も 左 端 あ る い は 右 端 に 文 字 列 、 そ の 文 字 列 こ れ ら の モ ニ ュ メ ン ト は 、 細 長 い 長 方 形 の 石 の ブ ロ ッ 22 7 と 、 い 8 う 、 数 9 字 、 が 10 付 、 け 11 ら 、 れ 12 て 、 い 13 る 、 も 14 の 、 で 15 あ 、 る 17 。 、 18 、 20 、 21 、 こ の グ ル ー プ に 含 ま れ る モ ニ ュ メ ン ト は 、 3 、 5 、 6 、 こ れ ら の 石 の ブ ロ ッ ク は 、 本 来 の 用 途 の 観 点 か ら 見 て 、 第 二 節 ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ の モ ニ ュ メ ン ト の 碑 文 の 解 釈 ニ ュ メ ン ト 2 は ﹁ 鵜 の 建 物 ﹂ に あ っ た 。 面 し て い る 建 物 ! に 、 ま た モ ニ ュ メ ン ト 3 は 建 物 " 、 モ ュ と と 識 メ モ 、 さ ン ニ モ れ ト ュ ニ て 21 メ ュ い は ン メ な ト ン︵ か 、 ﹁ 18 ト20 っ 捕 は 4︶ た 虜 階 、 こ の 段 モ と 建 の ニ は 物 下 ュ 明 ﹂ で メ ら と 見 ン か 同 つ ト で 様 か 16 あ ガ っ 、 る ン て モ 。 い ニ 具 る ュ 体 し メ 的 広 、 ン に 場 モ ト 言 に ニ 17 う 散 在 し て い る こ と か ら も 、 単 な る 建 築 資 材 と し て し か 認 ル ー プ ﹂ と 仮 称 す る 。 基 づ き 、 前 者 を ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ 、 後 者 を ﹁ エ リ ー ト グ ま れ て い な い 。 製 作 時 期 に も 違 い が あ り 、 刻 ま れ た 日 付 Gann う ち モ ニ ュ メ ン ト 2 と モ ニ ュ メ ン ト 4 に は 、 文 字 し か 刻 み た い 。 両 者 を 区 別 す る た め に 、 彫 ら れ た 光 景 の 相 違 に る 。 そ こ で 本 稿 で は 、 こ の 両 者 に つ い て 別 々 に 検 討 し て か ら 、 前 者 の ほ う が 後 者 よ り 早 く 製 作 さ れ た と 考 え ら れ 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 二 二 ︵ 三 五 〇 ︶ カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 図1 1 モニュメント3(Nalda 2004 : 32 より) モ ニ ュ メ ン ト 3 ち 、 約 半 数 の 九 つ に オ チ と チ ェ ン ch’e’n 字 が 生 起 し て い る 。 こ の 両 方 の 文 字 が 刻 ま れ て い る モ ニ och ︵ ュ メ ン ト の 碑 文 を 列 挙 ! す る ︶ 。 と 、 次 の よ う で あ る Velásquez García 2004 : 85 101 ] モ ニ ュ メ ン ト 5 b’olon ajaw och ch’e’n ...to’m ] [ b’uluk ok och uch’e’n Xook Ucha’ . . . , yatej Yu- [ モ ニ [ ュ ] メ ン ト 6 - h kno’m Ch’e’n, k’uh ul Kan ajaw Kan al ? ] ...waxaklaju’n k’anasiiy och ch’e’n ... Ch’e’n ...l... [ Ajaw ︵ 三 五 一 ︶ och ch’e’n ...l, ucha’tal yate’aj k’uh ul 一 二 三 モ ニ ュ メ ン ト 8b と い う 文 け ら れ る 。 た と え ば 、 こ の グ ル ー プ の モ ニ ュ メ ン ト の う こ の こ と は 、 モ ニ ュ メ ン ト に 刻 ま れ た 碑 文 か ら も 裏 付 た め に 製 作 さ れ た 可 能 性 が 高 い 。 ら の モ ニ ュ メ ン ト も 戦 勝 記 念 、 あ る い は 戦 勝 を 誇 示 す る 明 ら か に 捕 縛 さ れ た 囚 人 が 描 か れ て い る こ と か ら 、 こ れ 意 図 で 表 現 さ れ る の が 一 般 的 で あ る 。 い ず れ に し て も 、 御 前 に 引 っ 立 て ら れ た り と 、 王 の 権 威 や 権 力 を 誇 示 す る ajaw [ [ ] och ch’e’n Mo’ Nal ; uwaxaktal yate’aj ] 味 の て チ 指 い マ ﹁ 同 ! す 町 、 ェ し う ー 穴 様 に ﹁ ン て 文 テ 、 あ の ︶ る 入 オ い 字 ィ る 文 。 ︵ る チ が ン る い 脈 、 ・ の 用 に は チ で あ で い よ 井 チ る ェ は ら る 戸 ン ェ い な れ と に ﹁ ﹂ ン は く る 、 入 大 が 敵 と 、 場 戦 生 の は 地 ﹁ 合 争 る ︱ 、 町 は を ﹂ 起 町 す や 戦 穴 、 、 主 と る 都 争 ﹂ 領 単 題 い 例 市 に を 土 な と う は を 勝 示 ﹂ る す 意 ! 攻 利 唆 の 穴 る 味 、 他 撃 し し 意 や 文 に の す た て で 井 脈 な 遺 る 戦 い あ 戸 で る 跡 こ 士 る る の チ 。 で と が 。 カ こ ェ し も を 敗 従 ブ と ン か 見 意 者 っ ・ を と し 、 Velásquez García 2004 : 83 85 ; Martin 2004 : [ ] モ [ モ ニ ニ ュ ュ メ ] メ ン ン ト ト 11 10b 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 “kab ch’e’n” ] [ wak tz’ikin waxaklaju’n paax och uch’e’n Ajya...n... ] n...nal, uwaklaju’ntal yate’aj Yu h kno’m Ch’e’n [ 105 109 [ ら れ る 。 た と え ば 、 先 に も 引 用 し た ナ ラ ン ホ の 碑 銘 の 階 ...suutz’ och u ch’e’n “GIII” ja?, yate’ k’uh ul Kan ajaw [ ] ] 段 一 の 第 六 段 に は 、 次 の よ う に 記 さ れ て い る 。 モ ニ ュ メ [ ン ト 12 ] [ ] ] モ ニ ュ メ ン ト 15 ch’e’n ...n kan a l, [ ] [ laj’un ajaw waxak tzik i n och ] ta huk ak’bal waxaklajuun te’ muwaan ? sa’aal u- こ こ に は 、 チ ー ク ・ ナ ー ブ 出 身 で ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン の カ yate’ ku’h ul Kan ajaw ー ン 王 ︵ ア ハ ウ ︶ ユ ク ヌ ー ム ﹁ 頭 ﹂ に よ っ て 、 サ ー ル [ ? す な わ ち ナ ラ ン ホ が 陥 落 し た と 記 さ れ て い る の だ が 、 こ モ ニ ュ メ [ ン [ ト ] 18 ] ch’e’n k’uxaj sak chuwen u-kabij yuk noom こ で も 都 市 と し て の ナ ラ ン ホ の こ と を チ ェ ン と し て 言 及 さ し て 長 く も な い 各 テ キ ス ト に 、 こ の 二 文 字 が こ れ だ ...ju’n un ii w och uch’e’n Yax K’a h k Jol o’ m ; け 頻 出 し て い る こ と か ら 、 こ れ ら が 碑 文 の 主 題 に 密 接 に Sa’aal ︶ 。 ま た 、 同 じ ナ ラ ン か か わ っ て い る と 考 え ら れ る 。 オ チ は ﹁ 入 る ﹂ と い う 意 kanal ajaw ta huxte’tuun aj chi’k nahb ! 味 で あ り 、 ま た チ ェ ン は ﹁ 穴 、 井 戸 ﹂ の 意 味 な の で ︵ uho’tal yate’aj “ub’aah ti och ch’een yootz” と の 記 述 し て い る ︵ Tokovinine 2007 : 16 19 ホ の 石 碑 2 1 に は 、 ︶ 、 ﹁ オ チ ・ チ Ba- “och ch’e’n” と い う 句 を 字 義 通 り 解 釈 す る と 、 rrera Vásquez 1995 : 131 ; Martin 2004 : 106 ェ ン ﹂ 一 二 四 ︵ 三 五 二 ︶ [ ] [ [ ∼ ﹂ の 穴 に 入 っ た ﹂ と あ る 。 カ ー ン 王 の 称 号 こ そ 伴 っ て ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン の 十 六 番 目 の 捕 虜 ﹁ ア フ ヤ ︵ 五 〇 五 年 二 月 一 五 日 あ る い は 五 一 八 年 二 月 一 二 日 ︶ に 、 い る 。 モ ニ ュ メ ン ト 11 に は 、 ﹁ 6 メ ン 18 パ シ ュ pax い な い が 、 こ れ は ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン の 名 が 言 及 さ れ Ajya ] た 最 古 の 例 で あ る 。 磨 滅 が 激 し く 、 判 読 が ほ と ん ど 困 難 ツ ク の 後 に 、 と ナ ラ い ン う ホ 名 王 の カ 都 ー 市 ク が 、 の ・ カ 名 テ ィ ー が リ 生 ク ウ ・ 起 ・ テ し チ ィ て ャ リ お ン ウ り ・ ・ 、 チ チ ヨ ャ ャ ー ー men ] 号 な を モ 伴 ニ わ ュ ず メ に ン 生 ト 起 8a し に て も い 、 る ユ よ ク う ヌ で ー あ︵ ム る24 ・ ︶ 。 チ ェ ー ン の 名 が 称 に 神 ン 、 殿 ・ 17 チ ︵ に ャ も ー ︶ 、 ク ト の ニ 侵 ナ 略 と ー を 被 い っ う た 文 こ 字 が の と 王 が 用 い の わ ら 敗 か れ 北 る て を 。 い 記 パ る し レ 。 た ン 碑 ケ 文 の K’ahk Tiliw Chan Chaak ] こ の 例 と は 逆 に 、 王 名 の 代 わ り に 称 号 の み が 生 起 し て こ れ ら の こ と か ら 、 ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ の 階 段 に 用 い ら れ Yootz [ い る も の も あ る 。 モ ニ ュ メ ン ト 8b に は 、 ﹁ カ ー ン の 神 聖 た 、 ﹁ オ チ ・ チ ェ ン ﹂ と い う 句 が 生 起 す る テ キ ス ト が 刻 Tonina モ 王 に は ﹂ ニ の 、 の ュ 二 穴 メ 番 に ン 目 入 ト の っ 12 捕 た に 虜 ﹂ は ∼ が と 、 ﹁ 、 記 カ さ ー 穴 に れ ン 入 て の っ い 神 た る 聖 ﹂ 。 王 と モ の 記 ニ 捕 さ ュ 虜 れ メ ﹁ て ン ︵い 25 る ト ︶ 13 ハ 。 ま れ た ブ ロ ッ ク は 、 敵 国 へ 攻 め 入 っ た こ と を 誇 ら し げ に “och i uch’e’n” で は 、 こ の 戦 争 は ど の 国 と ど の 国 の 間 で 行 わ れ 、 ど ち GIII 3 ヤ シ ュ キ ン 作 戦 さ 勝 れ 者 た が と 、 考 敵 え 国 ら へ れ の る 勝 の 利 で を あ︵ 文 る22 字 ︶ 。 と 絵 で 誇 示 す る た め に 製 メ 宣 ン 言 ト す は る 、 も 建 の 立 だ 者 と で 考 あ え り ら か れ つ る 描 。 か つ れ ま た り 捕︵ 、 虜21 こ ︶ の れ 国 ら に の 対 モ す ニ る ュ ら が 勝 っ た の で あ ろ う か 。 そ れ を 示 唆 す る テ キ ス ト が 、 ja? す な わ ち 、 ﹁ 5 チ ク チ ャ ン chikchan xul ︵ 四 に 、 カ ー ン い く つ か の モ ニ ュ メ ン ト に 見 ら れ る 。 た と え ば 、 モ ニ ュ yate’aj k’uh ul Kan a l ajaw 8 シ ュ ル ﹁ ∼ ジ ャ ︵ ガ 四 ー 九 ﹂ 〇 が 年 捕 八 ら 月 え 八 ら 日 れ ︶ た に ﹂ 、 と カ 記 ー さ ン れ の て 神 い︵ 聖 王 る26 ︶ 。 の 最 捕 後 虜 メ ン ト 5 を 見 る と 、 こ こ に は ﹁ 11 オ ッ ク ok に 、 モ ニ ュ メ ン ト 15 に も 10 ア ハ ウ っ の た 神 ﹂ 聖 と 王 記 ユ さ ク れ ヌ て ー い︵ ム る23 の ︶ 。 捕 つ 虜 ま 、 り シ 、 ョ カ ー ー ク ン ・ 王 ウ 国 チ の ャ 王 の ユ 穴 ク に ヌ 入 yaxkin ︵ 三 五 三 ︶ 七 一 年 七 月 二 九 日 あ る い は 四 八 四 年 七 月 二 五 日 ︶ の 日 付 ajaw 一 二 五 ー ム ・ チ ェ ー ン 一 世 が 戦 勝 者 だ と い う の で あ る 。 ユ ク ヌ ho’ chikchan hux yaxk’in chu h kaj...B’a h lam, カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て ー ム ・ チ ェ ー ン の 名 は 、 他 の モ ニ ュ メ ン ト に も 生 起 し て る ︵ 図 12 ︶ 。 か な り 磨 滅 し て い る と は い え 、 三 人 と も 頭 人 物 が 、 小 さ く 右 を 向 い て 立 っ て い る 光 景 が 描 か れ て い は 、 左 端 に 大 き な 二 行 二 列 の 文 字 群 、 そ の 右 隣 に 三 人 の れ て い る 。 先 ず 、 モ ニ ュ メ ン ト 16 を 見 て み た い 。 こ こ に 残 る 二 つ の ブ ロ ッ ク に は 、 文 字 群 と 光 景 の 両 方 が 彫 ら ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ よ り 新 し い こ と は 同 様 で あ る 。 す な わ ち 蛇 頭 紋 章 文 字 を 伴 う 王 で あ り 、 こ の ブ ロ ッ ク 群 文 の 不 完 全 な 断 片 の み 残 存 し て い る が 、 刻 ま れ た 日 付 が す な わ ち 、 ﹁ 2 カ ン 月 二 〇 日 あ る い は 六 〇 二 年 一 一 月 七 日 ︶ に 、 王 は ∼ ﹂ と 2 マ ッ ク ︵ 五 五 〇 年 一 二 る 限 り 、 ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン 一 世 が 最 初 の カ ー ン 王 、 を 指 す と 考 え て よ い で あ ろ う 。 つ ま り 、 現 在 判 明 し て い し て の み 記 さ れ て い る 者 も 、 ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン 一 世 れ た も の と 考 え ら れ る 。 従 っ て 、 ﹁ カ ー ン の 神 聖 王 ﹂ と い る の で 、 同 時 期 に 同 一 の 建 築 物 に 用 い る た め に 製 作 さ 描 か れ た 場 面 の 主 題 や 構 図 、 捕 虜 の 様 式 な ど が 共 通 し て で き る 。 こ の モ ニ ュ メ ン ト に は 、 は 明 ら か で あ る 。 こ の こ と は 、 モ ニ ュ メ ン ト 4 で も 確 認 ロ ッ ク が ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ の ブ ロ ッ ク 群 よ り 新 し い こ と ュ メ ン ト の 日 付 ︵ 五 七 三 年 一 二 月 五 日 ︶ か ら も 、 こ の ブ ゥ ン 完 了 を 祝 っ て 刻 ま せ た こ と が 察 せ ら れ る 。 こ の モ ニ 上 記 の 例 だ け で な く 、 こ の グ ル ー プ の ブ ロ ッ ク は 全 て 、 ト ゥ ン を 終 え た ﹂ と 記 さ れ て お り 、 王 が れ は 蛇 頭 紋 章 文 字 の 最 古 の 生 起 例 で あ る 。 と 共 に 、 カ ー ン の 神 聖 王 と い う 文 字 が 刻 ま れ て い る 。 こ す な わ [ ち ] 、 ﹁ 7 ア ハ ウ 3 カ ン キ ン 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 -jii y 飾 り を か ぶ り 、 豪 華 に 着 飾 っ て い る 様 が 見 て 取 れ る の で 、 エ リ ー ト 階 級 に 属 す 人 間 で あ ろ う 。 ざ ん ば ら 髪 で ほ ぼ 裸 第 三 節 ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ の 碑 文 の 解 釈 k’ank’in 体 の 上 、 縛 ら れ た 姿 で 描 か れ た ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ の 捕 虜 ︵ る27 は 。︶ 多 年 に わ た る 彼 の 征 服 活 動 の 記 念 碑 で あ る と 考 え ら れ 9.7.0.0.0 19 と こ い の う グ 数 ル 字 ー が プ 付 に さ 含 れ ま て れ い る る モ も ニ の ュ で メ あ ン る ト 。 は 先 、 に 2 も 、 述 4 べ 、 た 16 、 ...y cha’ k’an cha’ mak u... ...ajaw よ う に 、 こ れ ら の ブ ロ ッ ク は 上 半 分 の み に 文 字 、 あ る い mak は 複 数 の 人 物 が 表 さ れ た 光 景 と 文 字 群 が 刻 ま れ た モ ニ ュ k’an メ ン ト で あ る 。 こ の う ち 、 モ ニ ュ メ ン ト 2a と モ ニ ュ メ ン huk ajaw hux uniiw utzutz u’w huk winaakhaab’... ト 4 に は 文 字 の み が 刻 ま れ て い [ る 。 ] モ ニ ュ メ ン ト 2a に は 、 に 、 彼 の は カ 7 ト カ 一 二 六 ︵ 三 五 四 ︶ の 用 途 だ け で な く 、 製 作 意 図 も 全 く 異 な る こ と が 明 瞭 に カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 図1 2 モニュメント1 6(Nalda 2004 : 49 より) 一 二 七 ︵ 三 五 五 ︶ に 製 作 さ れ た も の で あ ろ う 。 文 字 の 大 き さ が 全 く 異 な る の で 、 別 々 の 表 し 方 は 類 似 し て い る が 、 文 字 ン ト 16 と モ ニ ュ メ ン ト 19 は 、 人 物 人 物 た ち で あ る 。 た だ 、 モ ニ ュ メ 華 に 着 飾 っ た 、 エ リ ー ト と 思 し き る 。 モ ニ ュ メ ン ト 16 と 同 じ く 、 豪 恐 ら く は 五 人 の 人 物 が 描 か れ て い 物 と 、 球 技 を 見 物 し て い る ら し い そ の 右 に は 、 球 技 場 の 片 一 方 の 建 可 能 な 数 十 の 文 字 が 刻 ま れ て い る 。 い 囲 い の 中 に 、 ほ と ん ど 判 読 が 不 技 者 、 そ の す ぐ 右 に は 正 方 形 に 近 に 球 モ 技 ニ で ュ あ メ る ン ︵ ト 図 19 13 の 主 ︶ 。 題 左 は 端 明 に ら 球 か ー ト ︶ と い う 名 前 が 生 起 し て い る 。 る ︵ ヤ シ ュ ︶ ? ・ ヨ ア ー ト ︵ ヨ パ ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン と は 別 の 名 で あ た ち と は 、 扱 わ れ 方 が 大 き く 異 な る 。 ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ と 見 記 て さ 取 れ れ て る い 。 る 左 。 端 こ の こ [ テ に キ は ] ス 、 ト カ に ー は ン 、 神 聖 王 と し て 、 ユ ク ... ...y Yo’aat k’uh ul Kan ajaw, ajaw? u...jiiy 図1 3 モニュメント1 9(Nalda 2004 : 52 より) と ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ の ブ ロ ッ ク が 、 製 作 時 期 や 元 々 で あ る 。 こ れ ら の 建 築 物 の 軒 蛇 腹 が 、 ﹁ エ リ ー ト グ ル ー ー プ の 建 物 $ と 建 物 ! 、 及 び ト ゥ テ ィ ル の T ! 1 と T ! 2 え る 上 で 有 用 だ と 考 え ら れ る の が 、 ツ ィ バ ン チ ェ ・ グ ル ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ の モ ニ ュ メ ン ト の 製 作 時 期 を 考 の か も 知 れ な い 。 ツ ィ バ ン チ ェ の 石 の ブ ロ ッ ク の 場 合 は 、 恐 ら く も と も と ら こ こ に あ っ た と は 限 ら な い か ら で あ る 。 し か し 、 こ の 現 在 ツ ィ バ ン チ ェ に あ る か ら と い っ て 、 必 ず し も 最 初 か ロ ッ ク が 、 ど こ か ら 持 ち 去 ら れ た の か と い う 問 題 で あ る 。 先 ず 、 ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ に 再 利 用 さ れ た こ れ ら の 石 の ブ 何 が 言 え る の か 、 あ る い は 何 が 問 題 な の か を 考 察 し た い 。 わ か っ た 。 こ こ で は 、 こ れ ま で 述 べ て き た こ と か ら 一 体 と ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ の 建 造 時 期 の 差 に 相 応 し て い る と が 知 ら れ て い る 。 こ の 時 間 的 差 が 、 ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ シ ュ と ﹁ 空 の 証 人 ﹂ と い う 少 な く と も 二 人 の 王 が い た こ 一 世 と ヤ シ ュ ・ ヨ パ ー ト と の 間 に は 、 カ ル ト ゥ ー ン ・ ヒ 第 二 章 第 四 節 で 述 べ た よ う に 、 ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン に か か わ る も の で あ る と い う 点 で は 一 致 し て い る こ と が 彫 ら れ た 内 容 、 製 作 時 期 の い ず れ も 異 な る が 、 カ ー ン 王 ク と ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ の ブ ロ ッ ク と で は 、 大 き さ 、 討 し て き た 。 こ れ に よ っ て 、 ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ の ブ ロ ッ れ ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ と ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ に 分 け て 検 こ と に な る 。 こ れ ま で ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ の ブ ロ ッ ク に つ い て 、 そ れ ぞ 了 の 儀 式 を 行 っ た の は 、 ヤ シ ュ ・ ヨ パ ー ト で あ る と い う 第 四 節 ﹁ 捕 虜 の 建 物 ﹂ の ブ ロ ッ ク 製 作 の 諸 事 情 ︶ 。 だ と す る と 、 の カ ト ゥ ン 完 ニ ュ メ ン ト を 構 成 し て い た 一 部 で あ ろ う ︵ し て い る の は モ ニ ュ メ ン ト 2a で あ る 。 ベ ラ ス ケ ス ・ ガ ル の 大 き さ や 刻 ま れ 方 か ら 見 る と 、 モ ニ ュ メ ン ト 16 に 酷 似 る 五 こ 。 七 の 三 こ 年 と 、 は あ 、 る 碑 い 文 は に 六 刻 〇 ま 二 れ 年 た で 日 あ 付 る の と う い ち う 、 事 最 実 古 と の 符 も 合 の す が プ ﹂ の モ ニ ュ メ ン ト が 製 作 さ れ た の も そ の 頃 で あ ろ う 。 Velásquez ツ ィ バ ン チ ェ の 建 物 の 一 部 と し て 利 用 さ れ て い た も の で プ ﹂ の ブ ロ ッ ク と 大 き さ が ほ ぼ 同 じ で あ る こ と か ら 、 建 9.7.0.0.0 あ ろ う 。 一 つ に は 、 こ れ ら が 後 世 に 再 利 用 さ れ た 際 、 敬 造 年 代 も 同 じ 頃 と 推 測 で き る の で あ る ︵ García 2004 : 97 註 6 ︶ 。 こ れ ら の 建 物 が 初 め て 建 て ら れ た の は 、 古 典 期 Nalda 2004 : 22 後 期 の 初 め 頃 と 考 え ら れ て い る の で 、 ﹁ エ リ ー ト グ ル ー シ ア が 言 う よ う に 、 こ の 両 者 は そ れ ぞ れ か つ て 同 一 の モ 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 二 八 ︵ 三 五 六 ︶ ︵ 三 五 七 ︶ 破 壊 の 痕 跡 が 見 ら れ る な ど 、 こ の 勢 力 交 替 に は 戦 争 を 想 製 作 さ れ 、 建 築 物 の 石 材 と し て 利 用 さ れ た と み て 間 違 い と か ら も 、 こ れ ら の ブ ロ ッ ク が も と も と ツ ィ バ ン チ ェ で で あ る 。 同 じ 石 材 を 使 っ た 建 築 物 が 複 数 現 存 し て い る こ の T ! 1 と T ! 2 と 同 時 期 に 製 作 さ れ た と 考 え ら れ る か ら バ ン チ ェ ・ グ ル ー プ の 建 物 $ と 建 物 ! 、 及 び ト ゥ テ ィ ル い て 述 べ た 際 に 触 れ た よ う に 、 こ れ ら の ブ ロ ッ ク が ツ ィ で あ る 。 も う 一 つ の 理 由 は 、 ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ に つ テ ィ ル の 二 つ の 建 物 は 、 古 典 期 後 期 が 始 ま る 頃 に 火 災 や う よ り も 、 支 配 勢 力 の 交 替 を 窺 わ せ る 。 た と え ば 、 ト ゥ そ れ が 古 典 期 の 中 頃 を 境 に 、 突 然 廃 れ る の で あ る ︵ 築 に 一 般 的 に 見 ら れ た 建 築 様 式 は 、 ペ テ ン 様 式 で あ っ た 。 が 見 ら れ る 。 第 二 章 で も 述 べ た よ う に 、 古 典 期 前 期 の 建 製 作 さ れ て 間 も な く 、 ツ ィ バ ン チ ェ の 建 築 様 式 に は 変 化 と こ ろ が 、 ﹁ エ リ ー ト ・ グ ル ー プ ﹂ の モ ニ ュ メ ン ト が ︶ 。 こ の 急 激 な 変 化 は 、 単 な る 流 行 の 変 化 と い Nalda 起 さ せ る 暴 力 的 な 要 素 が 伴 っ て い た よ う な の で あ る な い で あ ろ う 。 で あ れ ば 、 わ ざ わ ざ 遠 隔 地 か ら 運 ん で く る 意 味 が な い の 字 に 何 の 顧 慮 も 払 わ ず 、 単 な る 建 築 資 材 と し て 用 い る の 従 っ て 、 ツ ィ バ ン チ ェ の 例 の よ う に 、 彫 ら れ た 光 景 や 文 か わ る 人 々 が 居 住 し て い た と 考 え ら れ る 。 が 製 作 さ れ た 時 期 の ツ ィ バ ン チ ェ に は 、 カ ー ン 王 朝 に か て も ﹁ エ リ ー ト グ ル ー プ ﹂ に し て も 、 こ れ ら の ブ ロ ッ ク ん で 新 た に 築 造 し た の で あ る ︵ 内 容 に 利 用 で き る 価 値 が あ る か ら こ そ 、 わ ざ わ ざ 遠 路 ︶ 。 運 め に 、 碑 文 が 刻 ま れ た モ ニ ュ メ ン ト の 場 合 は 、 刻 ま れ た 誇 示 な ど の 政 治 的 目 的 に 利 用 す る た め で あ っ た 。 そ の た い は そ の 一 部 を 移 築 す る 場 合 は 、 支 配 者 の 権 威 や 権 力 の ラ ン ホ の 碑 銘 の 階 段 一 の 例 の よ う に 、 他 都 市 の 建 築 あ る 材 と し て 雑 然 と 利 用 さ れ て い る か ら で あ る 。 先 述 し た ナ 意 を 払 う ど こ ろ か 何 の 意 図 も 脈 絡 も な く 、 単 な る 建 築 資 ﹁ 超 大 国 ﹂ に 相 応 し い と 言 え よ う 。 ﹁ 捕 虜 グ ル ー プ ﹂ に し 地 域 の 他 国 と 比 べ て も 、 か な り 早 い 部 類 に 属 す る 。 テ ィ い し 四 八 四 年 と い う の は 、 紋 章 文 字 の 生 起 と し て は マ ヤ た こ と は 間 違 い な い 。 第 二 章 で も 述 べ た が 、 四 七 一 年 な か ら 、 遅 く と も こ の 頃 ま で に は カ ー ン 王 朝 が 成 立 し て い の 碑 文 に 、 蛇 頭 紋 章 文 字 の 最 古 の 生 起 例 が 見 ら れ る こ と 字 の 存 在 が 鍵 を 握 っ て い る と 思 わ れ る 。 モ ニ ュ メ ン ト 15 Tokovinine 2007 : 15 一 二 九 次 に 、 こ れ ら の ブ ロ ッ ク を 最 初 に 製 作 し た の は ど う い 2004 : 25 カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て っ た 人 た ち で あ ろ う か 。 こ の 点 に つ い て は 、 蛇 頭 紋 章 文 カ ル と 共 に 、 古 典 期 マ ヤ 社 会 の 中 枢 を 占 め る こ と に な る * 蛇 頭 紋 章 文 字 が カ ラ ク ム ル と 結 び つ く の は 、 七 世 紀 初 ュ メ ン ト に 戦 勝 記 念 と し て 言 及 さ れ て い る 。 名 が 、 五 世 紀 後 半 の 日 付 と 共 に 、 ツ ィ バ ン チ ェ の モ ニ ) 恐 ら く 最 古 の カ ー ン 王 で あ る ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン の 王 国 の 建 築 様 式 ︵ ペ テ ン 様 式 ︶ が 消 滅 し 、 ま た い く つ か な ぐ 史 料 は 何 も な い 。 つ ま り 、 ツ ィ バ ン チ ェ か ら カ ー ン の 史 料 で あ り 、 こ れ 以 前 に カ ラ ク ム ル と カ ー ン 王 国 を つ が カ ラ ク ム ル の 地 名 チ ー ク ・ ナ ー ブ と 初 め て 結 び つ い て 段 一 の 第 六 段 の テ キ ス ト に 言 及 し た 際 に 、 蛇 頭 紋 章 文 字 な 対 外 活 動 を 展 開 し て い た こ と が 窺 え る 。 蛇 頭 紋 章 文 字 を 伴 う 数 人 の 王 が 、 マ ヤ 低 地 南 部 で 活 発 ネ ス 、 パ レ ン ケ な ど の 遺 跡 の 碑 文 か ら 、 古 典 期 前 期 に ( ' & % ヤ い チ ー 古 用 名 る 古 す 古 シ る ャ ル 典 い は チ 典 る 典 ュ 。 タ 盆 期 ら 古 ー 期 の 期 チ ン 地 前 れ 典 ク 前 に 前 ラ と に 期 て 期 ・ 期 対 期 ン い 由 の い を ナ の し に 、 う 来 カ る 通 ー カ 、 、 ナ 地 す ラ 。 じ ブ ラ カ ツ ラ 名 る ク て と ク ラ ィ ン が 権 ム 他 い ム ク バ ホ 、 威 ル 国 う ル ム ン 、 称 に の で 文 の ル チ カ 号 か 石 も 字 石 に ェ ラ の か 碑 カ が 碑 は で コ 一 わ 43 ラ 生 114 欠 は ル 部 っ に ク 起 に 如 蛇 、 と て は ム し は し 頭 ロ し い 、 ル て 、 て 紋 ス て る エ の お 同 い 章 ・ 用 と ル 地 り 地 る 文 ア い 見 ・ 名 、 の 。 字 ラ ら ら ミ と こ 名 が ク れ れ ラ し の で 生 ラ て る ド て 地 あ 起 ! ︶ 。 六 四 二 年 に 建 造 さ れ た ナ ラ ン ホ の 階 ム ル を 表 す 文 字 と 共 に 生 起 す る ︵ じ る 古 典 期 後 期 の 始 め 頃 、 初 め て 蛇 頭 紋 章 文 字 が カ ラ ク Nalda y Balanzario 2006 : 46 め で あ る 。 生 起 し て い る こ と に 触 れ た 。 こ れ は 、 カ ー ン 王 国 の 中 心 ︵ の 建 築 物 が 破 壊 さ れ る 頃 、 カ ー ン 王 朝 の 紋 章 文 字 が 初 め Schele and Freidel 以 上 の こ と か ら 、 古 典 期 前 期 に 関 し て は 、 カ ー ン 王 国 の カ ー ン 王 朝 の 変 遷 が カ ラ ク ム ル ︵ チ ー ク ・ ナ ー ブ ︶ で あ る こ と を 示 す 最 古 1990 : 176 Fig . 5 : 7 ; Grube 2004 a : 117 ; Velásquez 拠 点 は ツ ィ バ ン チ ェ に あ っ た と 考 え る の が 妥 当 で あ る 。 第 五 章 て カ ラ ク ム ル と 結 び つ い た 形 で 現 れ る の で あ る 。 García 2005 : 2 3 き 考 い た 察 て 前 。 を 、 章 進 カ ま め ラ で て ク に き ム 、 た ル 古 わ と 典 け ツ 期 だ ィ 前 が バ 期 、 ン の 以 チ カ 下 ェ ー の の ン よ 碑 王 う 文 国 な 史 を こ 料 巡 と を る が 主 問 確 と 題 認 し に で て つ 興 味 深 い こ と に 、 ツ ィ バ ン チ ︶ 。 ェ の 建 築 様 式 に 変 化 が 生 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 三 〇 ︵ 三 五 八 ︶ カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て ︵ 三 五 九 ︶ が 、 不 便 に な っ て き た の で は な か ろ う か 。 そ の た め 、 戦 南 部 の ほ と ん ど 北 端 に 位 置 す る ツ ィ バ ン チ ェ と い う 場 所 た 時 期 で も あ る 。 こ の よ う な 活 動 を 遂 行 す る 上 で 、 低 地 攻 撃 し た り と 、 低 地 南 部 に お け る 対 外 活 動 を 活 発 化 さ せ ー ン 王 国 が ヤ シ ュ チ ラ ン と 関 係 を 持 っ た り 、 パ レ ン ケ を ム ル の 方 が 戦 略 的 に 有 利 で あ ろ う 。 ま た 、 こ の 時 期 は カ カ ル と の 戦 争 を 遂 行 す る に 当 た っ て は 、 よ り 近 い カ ラ ク 恐 ら く 先 古 典 期 後 期 に 巨 大 都 市 エ ル ・ ミ ラ ド ー ル と 密 接 居 住 を 開 始 し た の は 先 古 典 期 中 期 に ま で 遡 る 。 し か も 、 だ ろ う か 。 カ ラ ク ム ル も ツ ィ バ ン チ ェ と 同 じ く 、 人 々 が ー ン 王 朝 と そ の 国 家 と の 関 係 は 、 ど う い う も の だ っ た の の は ど の よ う な 国 家 だ っ た の だ ろ う か 。 そ し て 新 来 の カ ナ ー ブ を 根 拠 地 と し 、 ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン を 領 有 し て い た っ た と す る と 、 そ れ 以 前 に カ ラ ク ム ル す な わ ち チ ー ク ・ カ ー ン 王 国 の 首 都 が ツ ィ バ ン チ ェ か ら カ ラ ク ム ル に 移 と 戦 い を 繰 り 広 げ 、 最 終 的 に は 勝 利 を 収 め て い る 。 テ ィ は 、 カ ラ コ ル と 同 盟 関 係 を 結 ん だ カ ー ン 王 国 が テ ィ カ ル 対 外 関 係 が か か わ っ て い る と 思 わ れ る 。 六 世 紀 の 後 半 に そ れ に は ユ ク ヌ ー ム ﹁ 頭 ﹂ 王 に 至 る ま で の カ ー ン 王 国 の 言 え な い 。 と が ど の よ う に か か わ っ て い る の か 、 現 時 点 で は 何 と も の こ と と 、 カ ー ン 王 国 が 首 都 を 移 転 さ せ た と 思 わ れ る こ を 境 に 勢 力 交 替 が 起 こ っ て い た と 見 ら れ る 点 で あ る 。 こ ユ ク ヌ ー ム ﹁ 頭 ﹂ 王 の 治 世 に 首 都 が 移 さ れ た と す る と 、 ィ バ ン チ ェ の 建 築 物 に 破 壊 の 痕 跡 が 見 ら れ 、 し か も こ れ と 世 は で 確 あ か る で 七 あ︵ 世 る28 紀 ︶ 。 前 半 に は 、 首 都 が カ ラ ク ム ル で あ っ た こ キ ス ト か ら 判 断 し て 、 遅 く と も ユ ク ヌ ー ム ﹁ 頭 ﹂ 王 の 治 外 活 動 を 展 開 し た 。 し か し 、 ナ ラ ン ホ の 碑 銘 の 階 段 の テ カ ー ン 王 国 は 同 地 を 中 心 に 、 低 地 南 部 に お い て 活 発 な 対 そ の 治 世 は 五 世 紀 後 半 で あ っ た 。 続 く 数 人 の 王 の 治 世 に 、 に 名 前 が 生 起 し て い る ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン 一 世 で あ り 、 現 在 判 明 し て い る 限 り で 最 古 の カ ー ン 王 は 、 同 地 の 碑 文 れ て お か ね ば な ら な い の は 、 古 典 期 後 期 が 始 ま る 頃 に ツ 王 国 に と っ て 、 そ れ に ふ さ わ し い 象 徴 的 価 値 を 獲 得 す る 来 の 伝 統 を 誇 る テ ィ カ ル を 凌 駕 す る よ う に な っ た カ ー ン 歴 史 と 規 模 を 持 つ 場 所 を 首 都 に す る こ と は 、 先 古 典 期 以 な 点 だ け で な く 、 カ ラ ク ム ル と い う テ ィ カ ル に 匹 敵 す る し て い る よ う に ︵ 根 拠 を 移 し た の か も 知 れ な い 。 ま た 、 マ ー テ ィ ン が 指 摘 と い う 意 味 で 重 要 だ っ た と 考 え ら れ る 。 た だ 、 考 慮 に 入 Martin 2005 : 11 一 三 一 略 的 に よ り 優 位 な 立 地 条 件 に あ る カ ラ ク ム ル に 、 活 動 の ︶ 、 こ の よ う な 実 利 的 建 少 物 な ! い に モ 再 ニ 設 ュ 置 メ し ン た ト り で も あ し る て 石 い︵ 碑 る30 114 ︶ 。 と 古 石 典 碑 期 43 前 を 期 、 に わ 、 ざ ツ わ ィ ざ 中 規 模 な い し 小 規 模 の 都 市 で あ る 。 そ の た め 、 各 都 市 が ル の よ う な 大 都 市 は む し ろ 例 外 的 で 、 多 数 を 占 め る の は そ れ ら の 規 模 は 非 常 に 多 様 で あ り 、 カ ラ ク ム ル や テ ィ カ す る こ と な く 使 用 し 続 け る の に 加 え て 、 古 典 期 前 期 の 数 建 物 ! の よ う に 、 古 典 期 前 期 に 建 立 さ れ た 建 築 物 を 破 壊 低 地 南 部 マ ヤ 地 域 に は 、 数 多 く の 都 市 遺 跡 が 存 在 す る 。 ェ の 碑 文 史 料 に 基 い て 、 こ の 問 題 に ア プ ロ ー チ し て き た 。 り 、 変 化 は な い ︵ Braswell et al. 2004 : 167 168 バ ン チ ェ に は 蛇 頭 紋 章 文 字 、 カ ラ ク ム ル に は チ ャ タ ン や ! ︶ 。 更 に 、 要 で あ る 。 本 稿 で は 、 主 と し て カ ラ ク ム ル と ツ ィ バ ン チ っ て い る の は 、 先 古 典 期 後 期 以 来 ず っ と ペ テ ン 地 方 で あ 器 の 観 点 か ら 見 て 、 カ ラ ク ム ル が 最 も 強 い 結 び つ き を 持 し た 痕 跡 が 見 当 た ら な い の で あ る 。 ま た 、 建 築 様 式 や 土 を 本 拠 地 と す る カ ー ン 王 国 が 、 武 力 で カ ラ ク ム ル に 侵 略 で は な か っ た よ う に 思 わ れ る 。 な ぜ な ら 、 ツ ィ バ ン チ ェ 問 題 は 、 古 典 期 マ ヤ 社 会 の 歴 史 を 考 え る 上 で き わ め て 重 ど れ く ら い の も の で 、 そ の 首 都 が ど こ に あ っ た か と い う た 時 代 で あ っ た 。 そ れ だ け に 、 カ ー ン 王 国 の 勢 力 範 囲 が カ ル 王 国 と カ ー ン 王 国 が 、 他 国 を 巻 き 込 ん で 覇 権 を 争 っ 古 典 期 は 、 低 地 南 部 マ ヤ 社 会 の 二 つ の ﹁ 超 大 国 ﹂ テ ィ 力 の 関 係 を 確 言 す る こ と は 困 難 で あ る が 、 敵 対 的 な も の も 乏 し い た め 、 カ ー ン 王 国 の 首 都 に な る 前 と 後 の 支 配 勢 第 六 章 お わ り に い 。 蛇 頭 紋 章 文 字 が 生 起 す る 以 前 は 、 文 字 史 料 が 余 り に だ が 、 以 前 と 比 べ て 大 き な 変 化 が あ っ た と は 感 じ ら れ な が 始 ま る 前 後 に カ ラ ク ム ル は カ ー ン 王 国 の 首 都 に な る の の 立 も さ と れ に 、 統 恐 治 ら し く て は い エ た ル の ・ で ミ あ ラ ろ︵ ド う2︶9ー 。 ル そ 盆 の 地 後 に 、 由 古 来 典 す 期 る 後 権 期 威 痕 跡 が 現 わ れ る 以 前 に 、 か な り 強 力 な 支 配 体 制 が 既 に 確 い た こ と を 考 え 併 せ て も 、 カ ラ ク ム ル に は カ ー ン 王 朝 の な 関 係 が あ っ た 。 巨 大 な 規 模 を 誇 る 建 物 ! が 建 設 さ れ て る こ と も 可 能 で あ る 。 た と も 、 あ る い は 同 一 王 朝 に 属 す る 都 市 で あ っ た と 考 え 現 状 で は 、 カ ラ ク ム ル と ツ ィ バ ン チ ェ が 別 々 の 国 で あ っ な い 。 両 遺 跡 と も 古 典 期 前 期 の テ キ ス ト が 非 常 に 少 な い ヌ ー ム ﹁ 頭 ﹂ が チ ー ク ・ ナ ー ブ 出 身 の カ ー ン 王 と 表 現 さ か わ る 異 な る 文 字 が 碑 文 に 生 起 し て い る 。 し か し 、 ユ ク チ ー ク ・ ナ ー ブ と い う よ う に 、 両 者 に は 国 家 の 名 称 に か れ て い る こ と か ら 見 て も 、 こ れ を 排 他 的 に 考 え る 必 要 は 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 三 二 ︵ 三 六 〇 ︶ カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 先 古 典 期 後 期 に 台 頭 し た カ ラ ク ム ル を 首 都 と す る 王 国 が 、 て 命 名 さ れ た 名 称 で あ る 。 ツ ィ バ ン チ ェ ・ グ ル ー プ で 発 の 名 称 が 判 明 し つ つ あ る が 、 ツ ィ バ ン チ ェ は 最 近 に な っ の が 明 確 な の は 、 古 典 期 後 期 に 入 る 頃 か ら で あ り 、 そ れ カ ム ハ と い う よ う に 、 近 年 マ ヤ の 都 市 の 本 来 い ず れ に せ よ 、 カ ラ ク ム ル が カ ー ン 王 国 の 中 心 に な る の 新 た な 碑 文 史 料 の 発 見 や 解 読 が 不 可 欠 で あ ろ う 。 王 国 と ツ ィ バ ン チ ェ 、 カ ラ ク ム ル の 関 係 の 解 明 も 、 今 後 の は 、 新 た な 碑 文 の 発 見 や 解 読 の 進 展 で あ っ た 。 カ ー ン 意 味 す る の か わ か ら な か っ た 。 結 局 こ の 問 題 を 解 決 し た ︵ ︵ 註 2 1 ︶ 総 ︶ 人 こ テ 口 れ ィ は に カ 一 対 ル 五 し は ︶ 。 ・ 〇 、 ヤ 万 テ シ ・ 人 ィ ュ で カ ・ あ ル ム っ の タ た 最 ル と 大 推 支 定 配 さ 領 れ 域 て は 、 い 一 パ る 二 レ ︵ ン 六 ケ 〇 は 〇 ラ $ 、 Braswell 見 さ れ た 木 製 の リ ン テ ル の 一 つ に 、 長 期 計 算 法 で 五 五 四 以 前 に こ の 都 市 を 本 拠 地 に し て い た 国 が ど う い う 存 在 で et al. 2004 : 162 167 171 ; Folan et al. 1995 : 310 ; Folan et 年 の 日 付 が 刻 ま れ て い る も の が あ り 、 こ の リ ン テ ル に ち あ り 、 ま た そ の 国 と カ ー ン 王 国 と が ど の よ う な 関 係 に あ Yax Mutal な ん で 、 遺 跡 全 体 が ﹁ 木 の 文 字 ﹂ を 意 味 す る ︶ 。 ツ ィ バ ン チ ェ と 名 付 け ら れ た の で あ る ︵ っ た か は 現 在 の と こ ろ 明 ら か に な っ て い な い 。 従 っ て 、 al. 2001 : 227 っ だ 表 た け 面 。 で を な 漆 く 喰 、 で 数 鋪 十 装 ㎞ さ 離 れ れ て た い 都 た 市 。 を 都 つ 市 な 内 ぐ の 長 各 大 地 な 区 も を の つ も な あ ぐ ︵ 3 ︶ マ ヤ 語 で ﹁ 白 い 道 ﹂ を 意 味 す る 道 路 。 石 と 土 で 盛 ら れ 、 古 典 期 を 通 じ て 低 地 南 部 マ ヤ 社 会 の 一 大 強 国 と し て の 強 Lacamha’ ︵ 三 六 一 ︶ で 盛 あ を る 誇 と っ 言 た わ よ ざ う る に を 語 得 ら な︵ れ い31 て ︶ 。 い 本 る 稿 現 で 状 は は 、 、 蛇 き 頭 わ 紋 め 章 て 文 不 字 適 を 切 Nalda 2004 : 15 一 三 三 持 つ 国 に 対 し て ﹁ カ ー ン 王 国 ﹂ と い う 仮 称 を 用 い 、 そ の 文 字 を 有 し て い る こ と が 判 明 し た 当 初 、 こ の 事 実 が 何 を よ う に 、 距 離 が 離 れ て い る に も か か わ ら ず 、 同 一 の 紋 章 て も 納 得 し や す い 。 し か し 、 テ ィ カ ル と ド ス ・ ピ ラ ス の に 、 近 距 離 に あ る 都 市 の 場 合 は 、 同 一 国 家 に あ っ た と し の が 困 難 な 場 合 が あ る 。 ド ス ・ ピ ラ ス と ア グ ア テ カ よ う の 複 数 の 都 市 が 単 一 の 国 家 に 属 し て い た の か 、 判 断 す る 独 立 国 家 の 首 都 な の か 、 そ れ と も 二 つ あ る い は そ れ 以 上 た で あ の い き る 支 。 な い 配 か は 勢 っ 全 力 た く に 。 別 関 こ 個 し の の て 問 勢 は 題 力 、 に な カ つ の ー い か ン て 明 王 は 確 朝 今 な と 後 判 同 の 断 一 検 を の 討 下 勢 課 す 力 題 こ な と と の し が か っ た と の 説 に 従 っ た 。 し か し 、 古 典 期 前 期 の カ ラ ク ム ル 首 都 が 最 初 は ツ ィ バ ン チ ェ で あ り 、 後 に カ ラ ク ム ル に 移 て い る の が 特 徴 で あ る 。 率 Hansen K’ak’ Tiliw Chan ラ ド ー ル と の 間 は 多 数 の サ ク ベ で 結 ば れ て い た ︵ サ ク ベ で ナ ク ベ と つ な が っ て い た が 、 と り わ け エ ル ・ ミ 所 の 入 口 が あ り 、 天 辺 に 屋 根 飾 り が 置 か れ た 神 殿 が 載 っ ︵ 9 ︶ 先 古 典 期 後 期 の 北 東 ペ テ ン 地 方 の ほ と ん ど の 大 都 市 は 、 式 。 ピ ラ ミ ッ ド 状 に 聳 え る 基 壇 の 上 部 に 、 中 央 部 に 一 か で あ ろ う 。 時 間 が か か っ た の も 、 テ ィ カ ル が そ の 先 駆 け だ っ た か ら の で あ り 、 王 国 が 成 立 し て か ら 紋 章 文 字 が 出 現 す る ま で が 統 べ る 政 治 体 を 示 す も の と し て 紋 章 文 字 が 案 出 さ れ た は 、 個 々 の 建 築 ま ら ず 、 建 築 物 に つ い て も 言 え る 。 ツ ィ バ ン チ ェ を 調 査 ︵ 4 ︶ ツ ィ バ ン チ ェ の 規 模 の 壮 大 さ は 遺 跡 自 体 の 面 積 に と ど 突 出 し て 早 い 。 恐 ら く 、 王 権 が 成 立 し て 以 降 、 そ の 王 権 の 点 で も 、 他 の 古 典 期 マ ヤ の 諸 都 市 と 比 べ る と 時 期 的 に る カ ラ ク ム ル を 除 く と 、 王 権 成 立 の 点 で も 紋 章 文 字 出 現 し た 碑 文 学 者 の グ ル ー ベ Nikolai Grube が 指 揮 す る メ キ シ コ 国 立 人 類 学 歴 史 学 研 究 い る カ ン ペ チ ェ 自 治 大 学 、 続 い て カ ラ ス コ ︵ 1 0 例 ︶ し こ か の な 称 い 号 ︶ 。 。 の 一 生 つ 起 は 例 キ は リ き グ わ ア め ー て 少 な く 、 に 他 あ に り は 、 二 同 つ 国 の 王 事 Quirigua の 名 が ﹁ チ ー が 八 〇 〇 年 に 建 立 し た 石 碑 Ⅰ に 、 七 三 六 年 の 日 付 カ ッ ク ・ テ ィ リ ウ ・ チ ャ ン ・ ヨ ア ー ト 所 が 大 々 的 な 調 査 を 実 施 し て い る 。 1998 : 75 と 共 に ワ マ ウ ・ カ ウ ィ ー ル ス が 同 書 を 出 版 し た 当 時 、 蛇 頭 紋 章 文 字 が ま だ 他 の 遺 跡 ︵ 5 ︵ 物 ︶ の ペ 大 テ き ン さ 地 方 が の カ テ ラ ィ ク カ ム ル ル 遺 跡 註 に で3 9比 典 ︶ 肩 型 。 し 的 う に る 見 と ら 述 れ べ る て 建 い 築 る 様 Velásquez García 2004 : 102 で は ほ と ん ど 確 認 さ れ て お ら ず 、 従 っ て 参 考 に は な ら な Yoaat ク ・ ナ ー ブ の ア ハ ウ ﹂ と し て 言 及 さ れ て い る ︵ Martin and 註 2 ︶ 。 の も ブ う ロ 一 ッ つ ク は に カ あ ラ り ク 、 ム 七 ル 五 の 一 建 年 物 の1 3 日 の 付 残 と 骸 共 で に 見 こ つ の か 称 っ 号 た が 碑 ! 生 文 ︶ 。 い か ら で あ る 。 Wamaw K’awiil ! に 取 る と 、 紋 章 文 字 が 出 現 し て い な い か ら と 言 っ て 、 王 Grube 2008 : 114 ; Martin 2005 : 10 ; Tunesi 2007 : 15 16 Martin 2005 : 10 11 ; Tunesi 2007 : 16 起 し て い る ︵ 国 が ま だ 成 立 し て い な か っ た と は 考 え ら れ な い 。 な ぜ な Ramón Ca- ら 、 テ ィ カ ル で 王 権 が 確 立 し た の は 、 紋 章 文 字 の 出 現 よ ︵ 6 ︶ 一 九 八 〇 年 代 以 降 、 先 ず フ ォ ー ラ ン William Folan り か な り 遡 る と 思 わ れ る か ら で あ る 。 テ ィ カ ル で は 先 古 ー チ い ル ャ ず ー れ ク の ・ 例 カ も ー 、 ク 六 が 九 テ 五 ィ 年 に カ 八 敗 ル 月 れ の に 、 ハ カ 衰 サ ー 退 ウ ン 期 ・ 王 に チ ユ 入 ャ ク っ ン ヌ て ・ ー 以 カ ム 降 ウ ・ の ィ イ Jasaw Chan K’awiil PSS ︵ 1 1 ︶ も の で と あ 略 る し 。 て 用 い ら れ る 。 マ ヤ 文 字 テ キ ス ト の 中 で 、 典 期 後 期 、 紀 元 後 一 世 紀 ま で に は 世 襲 王 権 が 確 立 ・ し て い ︶ 。 た 可 能 性 が 指 摘 さ れ て い る ︵ ︵ 7 ︶ カ ラ ク ム ル の 事 例 を 表 中 に 含 め て い な い の は 、 マ ー カ rrasco Valgas こ れ は 初 め て 紋 章 文 字 が 生 起 す る 約 二 〇 〇 年 前 の こ と で Moholy-Nagy 2003 : 90 103 あ る 。 こ の よ う に テ ィ カ ル の 場 合 は 、 こ こ で 考 察 し て い ︵ 8 ︶ た だ し 、 古 典 期 マ ヤ 最 大 の 国 家 で あ っ た テ ィ カ ル を 例 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 三 四 ︵ 三 六 二 ︶ ︵ 1 6︵ な ︶ 、 カ 数 ロ カ ー 国 ム に テ 支 配 ︶ を 。 及 ぼ す と よ は う 、 な テ 強 ィ 大 カ な ル 権 や 力 カ を ー 持 ン つ の 国 よ の う の よ う な 少 数 の 都 市 で は 、 ホ ト ゥ ン 完 了 が 祝 わ れ た だ が 、 キ リ グ ア ー や ピ エ ド ラ ス ・ ネ グ ラ ス に 引 き 続 い て 、 ! 土 器 ・ の Kaloomte Piedras Negras 最 も よ く 見 ら れ る 文 字 群 で あ る 。 き わ め て 定 式 化 さ れ た Sharer 2006 : 754 Ox- テ キ ス ト で 、 も っ ぱ ら 土 器 表 面 の 口 縁 部 の 下 、 あ る い は 刻 ま れ る こ と は 滅 多 に な い 。 Coe 1992 : 224 225 La ︵ 1 7 だ ︶ 王 と ウ の 考 シ み え ュ が る テ 称 と ト す 、 ゥ る カ こ ラ ー と ン ク が ム が で カ ル き の ラ た ク 近 称 郊 ム 号 ル に で あ を あ 含 る る オ む 。 広 シ ュ い ペ 領 ム 域 ル の 名 称 基 底 部 の 上 に 沿 っ て 帯 状 に 描 か れ 、 逆 に モ ニ ュ メ ン ト に 所 有 者 の 名 前 や 称 号 が 記 さ れ る ︵ PSS 245 248 265 ; Coe and Stone 2001 : 99 103 Porvenir の 碑 文 で 、 同 地 の 王 が ﹁ ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン の オ シ Zacatal 、 ラ ・ ム ラ ー リ ャ ︵ 1 2 ︶ ナ ! ク 、 ベ ・ サ 以 カ タ 外 ル に 、 エ ル ・ 、 ミ ポ ラ ル ド ベ ー ニ ル ー 、 ! ル ラ ・ ︶ 。 ム エ 、 ル パ タ カ Muerta Špraj ︶ 。 こ の 場 合 、 オ シ ュ ペ ム ュ ペ ム ル 王 ﹂ と し て 言 及 さ れ て い る の も 得 心 が い く ︵ 、 テ ィ ン タ ル pemul ル 王 が ウ シ ュ テ ト ゥ ー ン と い う 領 域 に 対 す る 支 配 権 を 主 ヤ La Muralla Martin and Grube 2008 : 73 95 ; To- え ら れ て い る 。 カ ラ コ ル を 打 ち 破 っ た ナ ラ ン ホ が 、 一 種 2007 : 79 ; Tokovinine 2007 : 21 kovinine 2007 : 15 れ 建 の た 物 戦 よ1 8利 う が 品 な 現 と の 在 し で 見 て あ ら そ る れ れ ︵ る を 規 持 模 ち に 帰 増 り 築 、 さ 七 れ 世 た 紀 際 の に あ 取 る ・ り 時 付 期 け に ら 、 ︵ ︵ 1 9 1 8 ホ ︶ く ︶ 張 の こ 三 な し 碑 の つ お て 銘 よ の 、 い の う 地 ペ る 階 な 区 テ と 段 例 の ン 解 一 は 初 様 釈 は 、 期 式 で 、 他 の の き 元 に 建 建 る 々 も 物 築 。 は 見 に 技 カ ら 明 法 ラ れ 瞭 は コ る に 、 ル 。 見 ト で た い ゥ 建 と 出 テ 造 え せ ィ さ ば る ル れ 、 。 地 た ナ 区 と ラ を 除 考 ン な ど で 出 土 し て い る が 、 い ず れ も 土 器 の 化 学 成 分 は 異 な Tintal は 長 期 計 算 法 と 呼 ば れ る 暦 が 用 い ら れ 、 と り わ け 石 造 モ ︵ 1 3 つ ︶ っ の 截 て 小 形 い 神 ピ る 殿 ラ ︵ が ミ 向 ッ き ド 合 型 い の 、 基 全 壇 体 上 で で ︶ 。 三 、 角 中 形 央 を の 構 大 成 神 す 殿 る の よ 前 う に に 二 Pacaya ニ ュ メ ン ト に 刻 ま れ た 。 こ れ は 紀 元 前 三 一 一 四 年 九 月 八 ︵ ︵ 1 5 1 4 る ︶ い ︶ 配 。 ホ る 太 置 本 ト 建 陽 さ 文 ゥ 築 の れ で ン 複 周 た し と 合 期 も ば は 。 を の し 、 観 。 ば カ 測 引 ト す 用 ゥ る し ン た て の め い 四 に る 分 建 が の 設 、 一 さ 古 の れ 典 期 た 期 間 と マ の 考 ヤ こ え 社 と ら 会 で れ で あ て Grube 2004a : 124 tun ︵ 2 0 の ︶ 数 各 字 ブ が ロ 付 ッ さ ク れ は て モ い ニ ︶ 。 る ュ 。 メ こ ン の ト う と ち 命 、 名 モ さ ニ れ ュ 、 メ 2 ン か ト ら 2 22 、 ま モ で k’in ︵ 三 六 三 ︶ 二 ニ つ ュ に メ 分 ン け ト ら 7 れ と て モ お ニ り ュ 、 メ モ ン ニ ト ュ 8 メ の ン 三 ト つ 1 0は は 、 a 更 、 に b a 、 と c b の の bak’tun 一 三 五 て 石 碑 な ど の 記 念 の モ ニ ュ メ ン ト が 建 立 さ れ た り し た の winal カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て カ ︵ ︵ を 日 2 01 8 ト カ ウ 最 を ゥ ト ィ 小 起 ン ゥ ナ と 点 と の ン ル 期 ︶ ︶ し す 間 の 、 て る の 単 カ 、 一 完 位 ト ウ 種 了 で ゥ ィ の 絶 は 構 ン ︵ ナ 対 重 成2 0ル 暦 要 さ ト で 視 れ ゥ 、 さ て ン ︵ 一 れ い ︶2 0日 、 た 、 キ に し 。 バ 相 ば 中 ク ン 当 し で ト ︶ 、 す ば も ゥ ト る 王 と ン ゥ キ に り ン ン よ わ っ け 在 す る カ ー ン 王 で あ り 、 王 朝 の 創 始 者 で あ る 可 能 性 が 高 ︶ 。 ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン と い う の は 、 恐 ら く 最 古 の 実 朝 の 創 始 者 と 考 え ら れ て い た こ と が 窺 え る ︵ ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン 二 世 が カ ラ ク ム ル を 拠 点 と す る 王 ︵ 2 8 と ︶ こ 石 そ と 碑 の も 8 こ で の と き テ を な キ 示 い ス 唆 。 ト す が る 挙 も げ の ら と れ し る て 。 、 こ カ の ラ テ ク キ ム ス ル ト の か 石 ら 碑 は 115 、 Xook い と 思 わ れ る ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン 一 世 と 同 名 で あ る 。 Xook Mo’ ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン 二 世 が 即 位 に 際 し て こ の 王 名 を 採 の 入 り 口 と も 考 え ら れ て い る の で 、 ﹁ 穴 に 入 る ﹂ と い う 表 K’ak’ Mo’ 用 し た こ と に は 、 自 分 が 新 し い 都 で 始 ま る 王 朝 の 創 始 者 現 は 、 死 ぬ べ き 運 命 に あ っ た 捕 虜 が 、 死 後 地 下 世 界 へ と ︵ 2 2 別 ︶ モ ば 、 の ナ ニ 解 ル ュ 、 モ 釈 ダ メ モ ニ も は ン ニ ュ 提 、 ト ュ メ ン 1 示 こ2 メ し の の ン ト 5 て ﹁ 捕 ト の い オ 虜1 7 る チ は の 捕 虜 。 ・ カ 彼 チ ッ 捕 の に ェ ク 虜 名 よ ン ・ は は る ﹂ モ シ シ ョ ョ と と ー ー 、 い ク ク 穴 う ・ ・ は 句 地 に で モ ウ チ 下 つ あ ャ 世 い る 界 て 。 へ 、 、 Ucha’ で あ る こ と を 誇 示 し よ う と す る 意 図 が 込 め ら れ て い る の ︶ 。 し か し 、 石 碑 に し て も リ ン テ ル に し て も 、 お 入 っ て 行 く こ と を 表 し て い る と い う の で あ る ︵ Martin 205 : か も 知 れ な い 。 こ れ は 、 ユ ク ヌ ー ム ・ チ ェ ー ン 二 世 の 治 よ そ マ ヤ 地 域 の モ ニ ュ メ ン ト は 、 支 配 者 が 自 ら の 権 威 や 8 六 世 五 で 七 王 年 朝 に に ユ 断 ク 裂 ヌ が ー あ ム っ ・ た チ こ ェ と ー を ン 意 二 味 世 し が な 建 い ︵ 立 。 五 し と 九 た 言 三 石 う 年 碑 の 3も 八3 、 権 力 を 視 覚 的 に 顕 示 あ る い は 正 当 化 す る た め に 建 て ら れ Nalda に 、 ﹁ 渦 巻 き 蛇 ﹂ 王 の 即 位 や 、 彼 が た も の で あ る 。 従 っ て 、 敗 者 の 地 下 世 界 へ の 旅 を わ ざ わ 2004 : 29 月 二 二 日 ︶ に カ ト ゥ ン 完 了 の 儀 式 を 行 っ た こ と が 記 さ れ 9.8.0.0.0 Martin 2000 : 43, 2005 : 7 ; Martin and て い る か ら で あ ! る ︵ ︶ 。 こ の こ と か ら 、 ユ ク ヌ ー ム ・ チ ︵ 2 3 シ ︶ ざ ア 本 モ に 稿 ニ よ の ュ メ る ツ ン ィ ス ト ペ バ で ン イ チ 表 ン ェ 現 語 の し 訳 碑 た ︵ 文 と の は 訳 考 は え 、 ら ベ れ ラ な ス い ケ 。 ス ・ ガ ! ル Velásquez García 2004 : 87 B’ahlam ェ ー ン 二 世 が ﹁ 渦 巻 き 蛇 ﹂ 王 と 同 一 の 王 統 に 属 し て い た Grube 2008 : 105 106 こ と が 推 測 さ れ る 。 ﹁ 渦 巻 き 蛇 ﹂ 王 に 関 し て は 、 彼 こ そ が ︵ 2 4 ェ ︶ ー 判 ︶ ン 読 に の で 依 文 き 拠 字 る し だ の て け は い で 、 る あ バ 。 る ー 。 ラ 捕 ム 虜 の 肖 像 も と ほ ユ と ク ん ヌ ど ー 残 ム っ ・ て チ 102 GIII ︵ ︵ 5 2 62 ︶ ︶ い な モ い ニ 。 ュ は メ 、 ン い ト わ 2 2ゆ に る は ﹁ 、 パ 同 レ 日 ン に ケ 別 三 の 神 捕 ﹂ 虜 の が 一 捕 柱 ら で え あ ら る れ 。 た チ ェ ー ン 一 世 も 含 め て 、 複 数 の 王 で あ る こ と を 否 定 す る 文 字 が 磨 滅 し て い て も 、 名 前 が わ か る 例 も あ る 。 た と え ニ ュ メ ン ト で 事 績 が 顕 彰 さ れ て い る の は 、 ユ ク ヌ ー ム ・ 状 を し た 飾 り で も 表 わ さ れ て い る 。 従 っ て 、 テ キ ス ト の か 生 没 年 さ え も 不 詳 で あ る 。 従 っ て 、 こ の 戦 勝 記 念 の モ ︵ 2 1 捕 ︶ 三 虜 興 つ の 味 に ベ 深 分 ル い け ト こ ら の と れ 背 に て 中 、 い の 捕 る あ 虜 。 た の り 名 に は ぶ テ ら キ 下 ス が ト っ の て 中 い だ る け 頭 で の な 形 く 、 ︵ 2 7 ブ ︶ こ ロ ユ と ッ ク が ク ヌ 記 に ー さ し ム れ か ・ て 生 チ い 起 ェ る し ー 。 て ン い 一 な 世 い の た 名 め は 、 こ 詳 の 細 ツ な ィ 経 バ 歴 ン は チ お ェ ろ の 史 学 第 七 八 巻 第 三 号 一 三 六 ︵ 三 六 四 ︶ 2004 : 102 Velásquez García Martin 2009 Martin 2008 ; Esparza Olguín and Pérez Gutiérrez Snake Kingdom る 王 文 ︵ 国 字 を ︶ 。 持 つ 国 家 を 特 ﹂ 定 あ の る 遺 い 跡 は と カ 結 ー び ン つ の け 名 る 称 こ で と 通 な し く て 、 ﹁ い 蛇 Barrera Vásquez, Alfredo Braswell, Geoffrey E. de la Socíeté des Américanistes 47 : 111 119. 1958 El glifo “emblema” en las inscripciones mayas. Journal Berlin, Heinrich rial Porrúa, S. A., México, D. F. ︶ 。 こ の 説 に よ る と 、 ン 王 国 が 衰 退 し た 八 世 紀 前 半 に 再 び カ ラ ク ム ル を 奪 回 し 1995 Diccionario Maya : Maya-Español Español -Maya . Edito- ! た 。 カ ラ ク ム ル の 建 物 ! に 古 典 期 前 期 の ﹁ コ ウ モ リ 王 カ ー ン 王 国 に 首 都 を 奪 わ れ た ﹁ コ ウ モ リ 王 国 ﹂ は 、 カ ー 国 ﹂ 時 代 に 建 立 さ れ た 石 碑 が 再 設 置 さ れ た の は 、 そ の せ 2003 Introduction : Reinterpreting Early Classic Interaction . D., Wayne K. Howell and Stanley P. Guenter 2008 : 25 and Stanley P. Guenter 2007 : 187 208 ; Hansen, Richard Freidel, David A., Hector L. Escobedo Transition, and Transformation In The Terminal Classic in the Maya Lowlands : Collapse , 2004 ‘Defining the Terminal Classic at Calakmul, Campeche.’ Abel Morales López, and Michael D. Glascock Domínguez Carrasco, William J. Folan, Laraine A. Fletcher, Braswell , Geoffrey E . , Joel D . Gunn , María del Rosario Texas Press, Austin. Interaction Braswell, Geoffrey E., ed. : 1 43. University of ! In The Maya and Teotihuacan : Reinterpreting Early Classic ! ︶ Naach- あ っ た の が 、 後 に カ ラ ク ム ル に 移 っ た と の 説 が 、 次 第 に 容 認 さ れ つ つ あ る ︵ ︵ Uxul ︶ 。 こ の 問 題 に つ い て は 、 tun ! 、 バ ラ ク バ ル な ど か な り の 範 囲 に わ Grube 2005 : 97 100 た っ て い る ︵ 、 ウ シ ュ ル ラ ク ム ル 以 外 に も 、 オ シ ュ ペ ム ル 、 ナ ー チ ト ゥ ン い だ と い う の で あ る 。 こ の ﹁ コ ウ モ リ 紋 章 文 字 ﹂ は 、 カ 2005 : 5 15 ; Tokovinine 2007 : 15 22 ! 引 用 文 献 遷 都 の 実 行 者 で あ る と の 説 も あ る ︵ ︵ 2 9 か ︶ の た 原 と 因 え で ば ︶ 放 、 。 棄 エ さ ル れ ・ た ミ 後 ラ 、 ド 支 ー 配 ル 勢 が 力 先 が 古 新 典 た 期 な 後 本 期 拠 末 地 に と 何 し ら ︵ 3 0 章 ︶ て 文 カ 移 字 ラ り に ク 住 持 ム ん つ ル だ 国 に の 家 は が が 、 カ 存 カ ラ 在 ー ク し ン ム て 王 ル い 国 だ た 以 っ と 前 た の に の 説 コ か が ウ も 知 あ モ れ リ る な ︵ の い 頭 を 。 紋 ︵ 3 1 頭 ︶ 稿 紋 近 を 章 年 改 文 、 め 字 こ て を の 検 持 状 討 つ 況 し 国 に て 家 も み の 徐 た 首 々 い 都 に 。 が 変 、 化 当 が 初 見 は ら ツ れ ィ つ バ つ ン あ チ り ェ 、 で 蛇 Pol Box Carrasco Valgas, Ramón Press of Colorado, Boulder. ! ︵ 三 六 五 ︶ dence M. Rice, and Don S. Rice, eds. : 162 194. University ︶ Demarest, Arthur A., Pru- ︵ 一 三 七 64 ; Martin and Grube 2008 ︶ 。 ま た ! 、 昨 年 発 表 さ れ た ダ ラ ! 遺 跡 に 関 す る 論 文 で は 、 蛇 頭 紋 章 ス 美 術 館 所 蔵 の 祭 壇 に 関 す る 論 文 や 、 今 年 発 表 さ れ た ポ ル ・ ボ ッ ク ス カ ー ン 王 国 の 拠 点 に つ い て 第 七 八 巻 第 三 号 1998 ‘ The Metropolis of Calakmul , Campeche . ’ In Maya 学 Schmidt, Peter, Mercedes de la Garza and Enrique Nalda, eds. : 372 385. Rizzoli Internatinal Publications, Inc., New 2009 Archaeological and Epigraphic Studies in Pol Box, Quin- Esparza Olguín, Octavio Q. and Vania E. Pérez Gutiérrez ︵ 三 六 六 ︶ Rosario Domínguez Carrasco, Laraine Fletcher, and Abel Mo- Carrasco Valgas, Ramón y Marinés Colón González Latin American Antiquity 10 1 : 47 58. 1999 New Evidence on Jaguar Paw, a Ruler from Calakmul. 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