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Title カーン王国の拠点について : カラクムルとツィバンチェ Author 佐藤

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Title カーン王国の拠点について : カラクムルとツィバンチェ Author 佐藤
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カーン王国の拠点について : カラクムルとツィバンチェ
佐藤, 孝裕(Sato, Takahiro)
三田史学会
史学 (The historical science). Vol.78, No.3 (2009. 10) ,p.103(331)- 141(369)
Journal Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00100104-20091000
-0103
社
会
の
諸
国
家
は
、
し
ば
し
ば
こ
の
両
﹁
超
大
国
﹂
を
基
軸
と
し
典
期
の
歴
史
を
語
る
上
で
き
わ
め
て
重
要
で
あ
る
。
古
典
期
マ
ヤ
考
え
ら
れ
て
い
た
カ
ラ
ク
ム
ル
を
首
都
と
す
る
国
家
は
、
マ
ヤ
古
つ
儀
式
セ
ン
タ
ー
で
、
神
官
た
ち
が
豊
穣
を
願
っ
て
祈
り
を
捧
げ
、
っ
て
き
た
。
古
典
期
マ
ヤ
社
会
は
、
神
殿
ピ
ラ
ミ
ッ
ド
が
聳
え
立
付
も
含
め
て
、
具
体
的
な
人
名
や
出
来
事
で
語
ら
れ
る
よ
う
に
な
〇
︱
九
〇
〇
/
一
〇
〇
〇
年
︶
の
マ
ヤ
の
諸
国
家
の
歴
史
が
、
日
考
古
学
資
料
に
基
づ
く
推
測
し
か
で
き
な
か
っ
た
古
典
期
︵
二
五
古
典
期
マ
ヤ
社
会
に
あ
っ
て
、
テ
ィ
カ
ル
と
並
ぶ
﹁
超
大
国
﹂
と
こ
と
も
珍
し
く
な
い
。
近
年
、
と
り
わ
け
議
論
の
的
に
な
っ
て
い
提
唱
さ
れ
て
広
く
流
布
し
た
学
説
に
、
疑
問
が
投
げ
か
け
ら
れ
る
少
な
く
な
い
。
そ
の
た
め
、
文
字
史
料
が
十
分
で
は
な
く
、
一
旦
に
わ
た
る
磨
滅
の
た
め
、
解
読
が
不
可
能
に
な
っ
て
い
る
も
の
が
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
刻
ま
れ
た
も
の
が
大
半
を
占
め
て
お
り
、
長
年
た
だ
、
古
典
期
の
文
字
史
料
は
、
石
碑
や
リ
ン
テ
ル
な
ど
石
造
、
コ
パ
ン
Tikal
、
パ
レ
な ン
ど ケ
そ
の
周
辺
に
住
む
農
民
た
ち
は
、
日
々
農
耕
に
従
事
す
る
平
和
で
、
ヤ
シ
ュ
チ
ラ
ン
牧
歌
的
な
社
会
で
は
な
か
っ
た
。
テ
ィ
カ
ル
Copan
る
の
が
、
カ
ラ
ク
ム
ル
Calakmul
︵
三
三
一
︶
の
主
要
国
を
始
め
と
し
、
数
多
く
の
国
々
が
争
い
を
繰
返
し
、
同
Yaxchilan
一
〇
三
盟
の
締
結
や
破
棄
、
ま
た
政
略
結
婚
を
行
っ
た
り
と
、
旧
世
界
の
Palenque
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
ど
こ
で
で
も
見
ら
れ
る
よ
う
な
世
俗
的
な
社
会
で
あ
っ
た
こ
と
が
遺
跡
を
め
ぐ
る
問
題
で
あ
る
。
近
年
の
マ
ヤ
の
碑
文
解
読
の
進
展
は
目
覚
ま
し
い
。
以
前
は
、
史
学
的
研
究
の
対
象
に
も
な
っ
て
き
た
の
で
あ
る
。
第
一
章
は
じ
め
に
研
究
対
象
で
あ
っ
た
古
代
マ
ヤ
社
会
が
、
文
字
史
料
に
基
づ
く
歴
明
ら
か
に
な
っ
た
︵
図
1
︶
。
こ
う
し
て
、
も
っ
ぱ
ら
考
古
学
の
│
│
カ
ラ
ク
ム
ル
と
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
│
│
佐
藤
孝
裕
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
図1 マヤ地域図
一
〇
四
︵
三
三
二
︶
て
も
っ
ぱ
ら
知
ら
れ
て
い
た
。
状
況
が
変
わ
っ
た
の
は
、
一
九
が 七
識
は
乏
し
く
、
た
だ
規
模
が
大
き
く
石
碑
の
数
が
多
い
遺
跡
と
し
〇
年
代
に
入
っ
て
か
ら
で
あ
り
、
マ
ー
カ
ス
あ
る
。
本
稿
で
は
、
主
と
し
て
カ
ラ
ク
ム
ル
遺
跡
と
ツ
ィ
バ
ン
チ
古
典
期
マ
ヤ
社
会
の
勢
力
図
を
塗
り
変
え
か
ね
な
い
ほ
ど
重
大
で
移
っ
た
と
す
る
説
が
唱
え
ら
れ
る
よ
う
に
な
っ
た
。
こ
の
問
題
は
、
を
首
都
と
し
て
い
て
、
そ
れ
が
後
に
カ
ラ
ク
ム
ル
に
ル
と
さ
れ
て
い
た
国
家
は
、
実
際
に
は
当
初
は
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
が
疑
わ
し
く
な
っ
て
き
た
。
更
に
言
え
ば
、
こ
れ
ま
で
カ
ラ
ク
ム
建
国
以
来
一
貫
し
て
現
在
の
カ
ラ
ク
ム
ル
遺
跡
だ
っ
た
か
ど
う
か
と
こ
ろ
が
、
最
近
に
な
っ
て
、
果
た
し
て
こ
の
国
家
の
首
都
が
、
呈
し
て
い
た
。
る
な
ど
、
ま
さ
に
日
本
の
戦
国
時
代
さ
な
が
ら
の
戦
乱
の
様
相
を
て
テ
ィ
カ
ル
に
与
し
て
い
た
国
が
カ
ラ
ク
ム
ル
と
新
た
に
提
携
す
た 見 物 の り が 建 い グ
︵ さ 学 密 新 、 築 る ァ カ 第
︶
。
れ 者 林 し マ 物 。 テ ラ 一
そ
る の 地 く ヤ が 面 マ ク 節
の
ま ラ 帯 、 学 分 積 ラ ム
後
で ン に こ 者 布 三 と ル カ
も
、 デ あ こ の し 〇 の 遺 ラ
、
長 ル る 二 間 て $ 国 跡 ク
マ
た 〇 で い 以 境 は ム
い
ヤ
め 年 注 る 上 か 、 ル
間
文
、 ほ 目 マ に ら メ 遺
そ
明
一 ど を ヤ わ 三 キ 跡
の
史
九 の 集 地 た 五 シ
存
上
三 こ め 域 っ ㎞ コ
在
の
一 と る 屈 て ほ 、
は
重
年 で よ 指 、 ど カ
知
要
に あ う の 大 の ン
ら
な
初 る に 大 小 と ペ
れ
遺
め 。 な 遺 約 こ チ
な
跡
て も っ 跡 六 ろ ェ
い
と
ま に 探 と た で 二 に 州
し
ま よ 検 も の あ 五 位 の
て
で っ 家 と は る 〇 置 内
の
あ て で 辺 か 。 も し 陸
認
っ 発 植 境 な だ の て 部
、
Cyrus Longworth Lundell
︶
。
そ
し
て
、
そ
紋
章
文
字
の
研
究
か
ら
、
カ
ラ
ク
ム
ル
が
古
典
期
後
期
︵
六
〇
〇
Joyce Marcus
︵
三
三
三
︶
︱
八
〇
〇
年
︶
の
マ
ヤ
低
地
南
部
の
地
域
的
首
都
で
あ
っ
た
可
能
ェ
遺
跡
に
残
さ
れ
た
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
の
碑
文
史
料
を
分
析
し
、
古
Carrasco Valgas et al. 1999 : 47 ; Folan et al. 1995 :
一
〇
五
Marcus 1976
性
を
示
唆
し
た
こ
と
に
よ
る
︵
典
期
前
期
︵
二
五
〇
︱
六
〇
〇
年
︶
に
両
遺
跡
に
ど
の
よ
う
な
政
Dzibanche
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
体
が
存
在
し
て
い
た
の
か
を
考
察
す
る
こ
と
に
よ
っ
て
、
こ
の
問
310
題
を
検
証
し
て
み
た
い
。
互
に
対
立
し
て
い
た
。
そ
の
同
盟
関
係
は
時
に
は
破
綻
し
、
か
つ
ク
ム
ル
は
、
そ
れ
ぞ
れ
様
々
な
国
と
同
盟
関
係
を
構
築
し
て
、
相
て
、
互
い
に
争
い
合
っ
て
い
た
か
ら
で
あ
る
。
テ
ィ
カ
ル
と
カ
ラ
第
二
章
∼
問
題
の
所
在
∼
蛇
頭
紋
章
文
字
と
カ
ー
ン
王
朝
古
く
、
先
古
典
期
中
期
︵
前
一
〇
〇
〇
︱
前
四
〇
〇
年
︶
に
ま
で
て 影 っ 古 る 匹 大 古 の 一 の
人 い 響 た 典 。 敵 き 典 発 九 こ
々 る 力 。 期 事 す く 期 掘 八 と
が 。 の ま マ 実 る か 前 や 〇 が
カ
点 た ヤ 、 強 か 期 碑 年 具
ラ
で 、 社 最 国 わ 末 文 代 体
ク
も 低 会 盛 だ っ の 解 の 的
ム
、 地 最 期 っ て テ 読 後 な
ル
一 南 大 の た い ィ の 半 史
に
時 部 の 都 こ た カ 進 以 実
住
は マ 国 市 と こ ル 展 降 と
み
テ ヤ 家 の が と の の で し
始
ィ 社 テ 規 、 と 衰 結 あ て
め
カ 会 ィ 模 明 、 退 果 る 浮
た
ル に カ や ら カ の 、 。 か
の
を 及 ル 人 か ラ 原 そ カ び
も
凌 ぼ に 口 に ク 因 れ ラ 上
テ
い し 優 の な ム に ま コ が
ィ
だ た る 多 っ ル 、 で ル っ
カ
と 政 と さ て が カ 不
て
ル
も 治 も の き テ ラ 明
き
に
推 ・ 劣 点 た ィ ク で
た
劣
測 軍 ら で の カ ム あ
の
ら
さ 事 な は で ル ル っ 遺 は
ず
れ 的 か 、 あ に が た 跡 、
年
の
間
に
も
儀
礼
活
動
が
行
わ
れ
た
痕
跡
が
見
つ
か
っ
て
い
る
。
〇
︱
一
五
〇
〇
年
︶
に
ま
で
及
び
、
一
四
五
〇
年
か
ら
一
五
五
〇
世
紀
に
終
焉
す
る
が
、
人
々
の
居
住
は
後
古
典
期
後
期
︵
一
二
〇
広
く
、
そ
の
強
盛
を
物
語
っ
て
い
る
。
王
国
と
し
て
の
歴
史
は
九
だ
け
で
な
く
、
紋
章
文
字
が
生
起
す
る
範
囲
も
ど
の
国
家
よ
り
も
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
Caracol
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
遺
跡
遡
る
。
先
古
典
期
後
期
︵
前
四
〇
〇
︱
後
二
五
〇
年
︶
に
な
る
と
、
そ
の
う
ち
一
〇
〇
以
上
が
こ
の
絶
頂
期
に
当
た
る
六
五
二
年
か
ら
地
域
で
最
も
多
い
一
一
七
以
上
も
の
石
碑
が
発
見
さ
れ
て
い
る
が
、
は ィ
一 カ
三 ル
〇 を
〇 も
〇 凌
$ ぐ
、 よ
総 う
人 に
口 な
は り
一 、
七 絶
五 頂
万 期
人 に
に は
も 王
及 国
ん︵ の
だ︶1 支
。 配
マ 領
ヤ 域
︶
。
六
世
紀
の
半
ば
に
は
、
カ
ラ
ク
ム
ル
の
勢
力
は
テ
存
在
し
た
こ
と
が
わ
か
っ
て
い
る
︵
Carrasco Valgas et al.
︶
。
直
接
的
な
支
配
領
域
が
広
い
七
五
二
年
の
間
に
建
て
ら
れ
て
い
る
︵
2005 : 41
第
二
節
低
地
南
部
マ
ヤ
地
域
に
お
け
る
主
要
な
国
家
の
一
つ
に
成
長
し
た
。
Braswell et al. 2004 :
他
方
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
遺
跡
は
メ
キ
シ
コ
の
キ
ン
タ
ナ
・
ロ
ー
︶
、
ナ
ク
高
さ
五
五
#
に
も
達
す
る
建
物
!
︵
図
4
︶
が
建
設
さ
れ
た
の
も
169 ; Folan et al. 1995 : 327
州
に
あ
り
、
カ
ラ
ク
ム
ル
遺
跡
の
北
東
一
四
〇
㎞
ほ
ど
の
と
こ
ろ
、
テ
ィ
カ
ル
と
Carrasco Valgas et al. 1999 : 49
に
位
置
し
て
い
る
。
こ
の
遺
跡
は
、
命
名
の
も
と
と
な
っ
た
リ
ン
ベ こ
の
頃
で
、
エ あ
ル り
・ ︵
ミ
ラ
ド
ー
ル
El Mirador
並
ん
で
、
当
時
の
低
地
南
部
の
四
大
主
要
都
市
の
一
と
し
て
重
き
Nakbe
︶
。
し
か
し
、
そ
の
歴
史
が
文
字
記
録
に
よ
っ
て
明
ら
か
に
な
Pincemin et al. 1998 :
312
を
な
し
て
い
た
と
す
る
説
も
あ
る
︵
四
二
年
か
ら
九
〇
九
年
頃
の
間
に
、
少
な
く
と
も
一
六
人
の
王
が
判
明
す
る
よ
う
に
な
る
の
は
六
世
紀
に
入
っ
て
か
ら
で
あ
り
、
五
る
の
は
古
典
期
以
降
で
あ
る
。
王
の
事
績
が
文
字
史
料
の
上
か
ら
一
〇
六
︵
三
三
四
︶
す
る
言
葉
が
カ
ー
ン
ラ
ク
ム
ル
の
も
の
と
同
定
し
た
。
な
お
、
現
マ
ヤ
語
で
蛇
を
意
味
れ
て
い
た
。
一
九
七
〇
年
代
に
入
っ
て
、
マ
ー
カ
ス
が
そ
れ
を
カ
字
﹂
と
呼
ぶ
︶
︵
図
2
︶
が
頻
出
す
る
こ
と
は
、
以
前
か
ら
知
ら
の
形
を
し
た
主
字
を
有
す
る
紋
章
文
字
︵
以
降
、
﹁
蛇
頭
紋
章
文
で
あ
る
の
! で
︵
︶
、
蛇
頭
紋
章
文
字
て
い
る
︵
レ
ッ
ク
ス
︶
、
キ
ニ
チ
ナ
ー
︶
。
こ
れ
ら
の
地
区
に
人
々
が
居
住
低
地
南
部
マ
ヤ
地
域
の
古
典
期
の
遺
跡
の
碑
文
中
に
、
蛇
の
頭
第
三
節
の
四
つ
の
区
域
か
ら
成
っ
蛇
頭
紋
章
文
字
と
紋
章
文
字
出
現
の
意
味
、
ラ
マ
イ
Lamay
し
始
め
た
の
は
、
先
古
典
期
中
期
に
ま
で
遡
る
。
そ
の
後
、
古
典
Tutil
結
果
、
テ
ィ
カ
ル
と
覇
権
を
争
っ
期
後
期
後
半
ま
で
間
断
な
く
人
々
は
居
住
し
続
け
、
遺
跡
全
体
と
Kinichná
た
古
典
期
マ
ヤ
社
会
の
超
大
国
の
し
て
見
れ
︶
。 ば
サ 、
ク 後
ベ 古
典
︵期
3後
︶
で 期
つ ま
な で
が 人
々
っ は
た 住
こ み
の 続
四 け
つ た
の ︵
地
区
Nalda 2004 : 13
首
都
と
し
て
、
カ
ラ
ク
ム
ル
が
い
Nalda
か
に
強
大
な
勢
力
を
持
っ
て
い
た
を
持
つ
国
家
あ
る
い
は
王
朝
の
名
称
を
、
特
定
の
遺
跡
と
は
切
り
離
し
て
考
え
る
た
め
、
本
稿
で
は
便
宜
的
に
カ
ー
ン
と
呼
ぶ
こ
と
を
合
わ
せ
た
総
面
積
は
二
〇
$
に
も
達
し
、
最
盛
期
に
は
四
万
人
Barrera Vásquez
︵
三
三
五
︶
か
が
判
明
し
、
古
典
期
マ
ヤ
社
会
に
す
る
。
も
! の
人
︶
。 口
こ を
れ 擁
は し
、 て
テ い
ィ た
カ と
ル 推
の 定
中 さ
心
部 れ
の て
面 い
積 る
約 ︵
一
六
$
を
上
Kaan
一
〇
七
る 回
都 る
市 も
で の
あ で
っ あ
た り
か 、
が ツ
想 ィ
像 バ
で ン
き︵ チ
る︶4 ェ
。 が
し い
か か
も に
、 広
こ 大
の な
広 規
大 模
な を
版 誇
sacbe
が
よ
り
明
ら
か
に
な
っ
た
。
そ
の
伴︵
い︶6 そ
、 れ
遺 以
跡 降
の も
建 、
築 カ
物 ラ
の ク
巨 ム
大 ル
さ 遺
や 跡
遺 の
跡 考
自 古
体 学
の 的
規 調
模 査
の の
壮 進
大 展
さ に
図2 蛇頭紋章文字
(Coe and Stone 2001 :
70 より)
図
は
、
古
典
期
前
期
前
半
に
は
既
に
達
成
さ
れ
て
い
た
よ
う
で
あ
Nalda 2004 :
︶
。
従
っ
て
、
古
典
期
前
る
。
中
央
コ
ン
プ
レ
ッ
ク
ス
、
キ
ニ
チ
ナ
ー
の
ア
ク
ロ
ポ
リ
ス
、
2004 : 23
・
!
﹁
様︵ フ
5
式︶
で ク
建 ロ
て ウ
ら の
れ 建
て 物
お ﹂
り な
、 ど
古 の
典 大
期 規
前 模
期 建
に 築
既 は
に 、
最 ペ
大 テ
規 ン
模
に
達
1995 : 291 ; Velásquez García 2005 : 1 2
し
て
い
た
︵
18 19
期
前
半
に
、
ペ
テ
ン
の
北
方
に
は
カ
ラ
ク
ム
ル
と
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
Peten
と
い
う
二
つ
の
大
都
市
が
成
立
し
、
し
か
も
い
ず
れ
も
建
築
物
の
Nalda 2004 : 14 24 25
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
観
点
か
ら
見
る
と
、
ペ
テ
ン
地
方
の
影
響
を
受
け
て
い
た
と
い
う
・
グ
ル
ー
プ
︵
あ
る
い
は
中
央
コ
ン
プ
テ
ル
が
発
見
さ
れ
た
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
・
グ
ル
ー︵
プ︶2
、
ト
ゥ
テ
ィ
ル
こ
と
に
な
る
。
︶
、
古
典
期
の
碑
文
中
に
よ
っ
て
こ
こ
で
、
紋
章
文
字
と
そ
の
出
現
の
意
味
に
つ
い
て
見
て
み
た
王
名
に
伴
っ
て
生
起
す
る
こ
と
を
考
慮
に
入
れ
る
と
、
王
を
顕
彰
自
国
で
刻
ま
れ
た
碑
文
に
生
起
し
て
い
る
。
紋
章
文
字
の
多
く
が
よ
う
に
な
っ
た
の
で
あ
る
。
る
。
表
1
を
見
れ
ば
わ
か
る
よ
う
に
、
紋
章
文
字
の
大
多
数
は
、
首
都
は
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
で
は
な
い
か
と
い
う
仮
説
が
提
唱
さ
れ
る
て
い
る
こ
と
か
ら
、
少
な
く
と
も
古
典
期
前
期
の
カ
ー
ン
王
国
の
ロ
ッ
ク
に
、
そ
れ
が
カ
ー
ン
王
朝
の
初
期
の
王
名
と
共
に
生
起
し
見
ら
れ
な
い
の
に
対
し
て
、
こ
こ
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
遺
跡
の
石
の
ブ
の
カ
ラ
ク
ム
ル
遺
跡
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
蛇
頭
紋
章
文
字
が
全
く
末
に
ま
で
遡
る
日
付
と
共
に
刻
ま
れ
て
い
た
の
で
あ
る
。
同
時
期
そ
の
文
字
テ
キ
ス
ト
の
中
に
蛇
頭
紋
章
文
字
と
王
名
が
、
五
世
紀
や
文
字
が
刻
ま
れ
た
石
の
ブ
ロ
ッ
ク
が
多
数
見
つ
か
っ
た
の
だ
が
、
あ
っ
た
が
、
現
在
で
は
王
に
伴
う
王
朝
の
称
号
と
み
な
さ
れ
て
い
て
い
る
。
紋
章
文
字
が
何
を
表
す
か
に
つ
い
て
は
様
々
な
議
論
が
る
こ
と
か
ら
、
こ
の
主
字
こ
そ
が
国
家
を
表
す
も
の
と
考
え
ら
れ
で
、
主
字
と
呼
ば
れ
て
い
る
。
主
字
は
国
家
ご
と
に
異
な
っ
て
い
に
対
し
、
残
る
一
つ
は
紋
章
文
字
の
中
で
最
も
大
き
な
文
字
要
素
接
字
で
あ
り
、
こ
の
二
つ
は
基
本
的
に
常
に
変
わ
ら
な
い
。
こ
れ
家
の
首
長
︵
王
︶
に
対
し
て
用
い
ら
れ
る
ア
ハ
ウ
︵
﹁
神
聖
な
﹂
︶
と
い
う
接
字
、
も
う
一
つ
が
古
典
を 期
表 の
す 国
ajaw
す
る
自
国
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
生
起
す
る
頻
度
が
高
く
な
る
の
は
い
。
紋
章
文
字
と
は
、
ベ
ル
リ
ン
k’uhul
自
明
で
あ
ろ
う
。
発
見
さ
れ
た
文
字
で
あ
り
︵
Heinrich Berlin
い
ず
れ
に
し
て
も
、
蛇
頭
紋
章
文
字
が
い
ち
早
く
ツ
ィ
バ
ン
チ
で
王
や
そ
の
家
族
の
名
前
の
直
後
に
生
起
す
る
こ
と
が
多
く
、
大
Berlin 1958
き
く
三
つ
の
部
分
か
ら
成
っ
て
い
る
︵
図
3
︶
。
一
つ
が
ク
フ
ル
が
投
げ
か
け
ら
れ
る
よ
う
に
な
っ
た
。
こ
の
調
査
で
は
、
人
物
像
の
結
果
、
カ
ラ
ク
ム
ル
を
カ
ー
ン
王
国
の
首
都
と
す
る
説
に
疑
問
で
キ
ン
タ
ナ
・
ロ
ー
南
部
考
古
学
プ
ロ
ジ
ェ
ク
ト
が
行
っ
た
調
査
と
こ
ろ
が
、
一
九
九
三
∼
一
九
九
四
年
に
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
遺
跡
ぎ
な
い
も
の
と
し
た
か
の
よ
う
に
思
わ
れ
た
。
て
、
カ
ラ
ク
ム
ル
は
カ
ー
ン
王
国
の
首
都
と
し
て
の
地
位
を
揺
ら
の
歴
史
を
語
る
上
で
不
可
欠
な
存
在
に
な
っ
て
い
っ
た
。
こ
う
し
図3 紋章文字
(Martin and Grube 2008 : 17より)
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
〇
八
︵
三
三
六
︶
表1
古典期マヤの主要都市のモニュメントにおける紋章文字の生起数
遺跡名
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
同遺跡で生起した紋章文字の数 他の遺跡で生起した紋章文字の数
ティカル
4
4
7
ヤシュチラン
9
2
3
コパン
4
0
4
パレンケ
7
9
3
ナランホ
3
0
1
4
キリグアー
1
8
1
0
セイバル
1
0
1
ピエドラス・ネグラス
2
8
3
カラコル
3
2
(Marcus(1976 : 14"15 Table
は
ほ
と
ん
ど
見
ら
れ
ず
、
も
ち
ろ
ん
紋
章
文
字
も
現
れ
て
い
な
い
。
し
な
が
ら
、
こ
の
当
時
ま
だ
文
字
テ
キ
ス
ト
は
こ
れ
ら
の
都
市
に
︶
。
し
か
れ
、
大
規
模
な
人
口
を
擁
す
る
都
市
が
誕
生
し
て
い
る
︵
Demar-
︶
。
石
碑
の
背
面
に
、
長
期
計
算
法
に
よ
Mar-
︵
二
九
二
年
七
月
八
日
︶
の
日
付
が
刻
ま
れ
て
紋
章
文
字
の
初
見
例
は
、
テ
ィ
カ
ル
の
石
碑
29
に
あ
る
︵
est and Foias 1993 ; Braswell 2003 ; Marcus 2003
る
cus 1976 : 49 Table 5
︵
三
三
七
︶
い
る
の
で
、
こ
の
石
碑
は
三
世
紀
末
に
建
立
さ
れ
た
と
考
え
ら
れ
8.12.14.8.15
一
〇
九
る
。
た
だ
、
こ
の
最
古
の
紋
章
文
字
は
、
石
碑
に
彫
ら
れ
た
人
物
2)を基に作成。
)7)
窺
わ
せ
る
図
像
が
刻
ま
れ
た
石
碑
等
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
が
建
立
さ
な
ど
で
巨
大
な
建
造
物
が
建
築
さ
れ
、
ま
た
神
聖
王
権
の
存
在
を
に
は
既
に
、
北
東
ペ
テ
ン
地
方
の
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
や
ナ
ク
ベ
八
〇
〇
︱
後
二
五
〇
年
︶
に
遡
る
と
考
え
ら
れ
て
い
る
。
こ
の
頃
マ
ヤ
低
地
南
部
に
国
家
が
成
立
し
た
の
は
、
先
古
典
期
︵
前
一
で
は
、
こ
の
こ
と
は
何
を
意
味
す
る
の
で
あ
ろ
う
か
。
が
、
こ
の
紋
章
文
字
が
出
現
し
て
以
降
で
あ
る
の
は
確
か
で
あ
る
。
カ
ー
ン
王
国
の
存
在
が
碑
文
史
料
に
基
づ
い
て
確
認
さ
れ
る
の
な
っ
た
の
で
あ
る
。
典
期
後
期
に
は
カ
ラ
ク
ム
ル
に
移
っ
た
と
の
説
が
生
じ
る
こ
と
に
の
カ
ー
ン
王
国
は
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
に
本
拠
地
を
置
き
、
そ
れ
が
古
ェ
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
出
現
し
て
い
る
こ
と
か
ら
、
古
典
期
前
期
K’altuun Hix
Aj Wosal
判
明
し
て
い
る
の
で
あ
る
。
チ
ェ
に
蛇
頭
紋
章
文
字
が
初
め
て
生
起
し
た
後
も
、
カ
ー
ン
王
国
古
典
期
前
期
の
マ
ヤ
社
会
で
重
要
な
地
位
を
占
め
て
い
た
こ
と
が
の
活
発
な
対
外
活
動
の
痕
跡
は
各
地
の
碑
文
か
ら
も
確
か
め
ら
れ
、
Michel 1989 : 92
9.5.12.0.4
Graham 1978 : 2 : 70 ; Carrasco Valgas 2000 : 17 ;
︵
五
三
七
年
一
月
一
六
日
︶
に
捕
獲
さ
た
と
え
ば
、
ヤ
シ
ュ
チ
ラ
ン
の
建
物
12
の
リ
ン
テ
ル
35
の
碑
文
の
開
始
前
後
、
す
な
わ
ち
五
世
紀
り
し
た
建
立
年
は
不
明
だ
が
、
彫
ら
れ
た
人
物
像
の
様
式
な
ど
か
︵ に
生
起
し
た
最
古
︶
。 の
表 例
面 は
の 、
摩 石
滅 碑
が 一
激 の
し 碑
い
文
た
め に
、 見
は ら
っ れ
き る
の
肖
像
の
頭
飾
り
の
中
に
含
ま
れ
て
い
る
も
の
で
あ
る
。
碑
文
中
入
る
頃
に
は
既
に
巨
大
な
都
市
で
あ
っ
た
。
し
か
も
、
ツ
ィ
バ
ン
あ
っ
た
な
ら
ば
別
で
あ
る
。
し
か
し
、
カ
ラ
ク
ム
ル
は
古
典
期
に
従
属
し
て
い
る
よ
う
な
、
重
要
性
を
持
た
な
い
小
規
模
な
国
家
で
と
と
言
わ
ざ
る
を
え
な
い
。
も
ち
ろ
ん
、
カ
ラ
ク
ム
ル
が
他
国
に
と
考
え
ら
れ
る
と
す
る︵
と︶8
、
カ
ラ
ク
ム
ル
の
古
典
期
前
期
の
モ
ニ
中
頃
に
建
立
さ
れ
た
の
で
は
な
い
か
と
推
測
さ
れ
て
い
る
︵
ら
、
九
バ
ク
ト
ゥ
ン
baktun
に
よ
る
と
、
カ
ー
ン
王
カ
ル
ト
ゥ
ー
ン
・
ヒ
シ
ュ
︶
。
他
の
都
市
の
例
を
見
る
と
、
ヤ
シ
ュ
Mar-
の
一
臣
下
が
、
︵ 年 チ
︵ ラ
ン
が
五
石
一
碑
38 石 四
︶ 碑 年
で 9 ︵
あ ︶
る 、
。 ナ
こ ラ
の ン 石
よ ホ 碑
27
う
︶
、
に
コ
、
テ
パ
ィ が ン
カ 五 が
ル 九 五
の 三 六
石 年 四
cus 1976 : 49 Table 5
れ
て
い
る
︵
と
れ の
、
カ
る 儀
同
ル
︵ 式
ト
を
国
ゥ
、
王
ー
カ
ア
ン
ル の フ
・
ト
・ ・
ヒ
ゥ
ウ
シ
ー
ォ ︶
。
ュ
ン
サ ま
の
・ ︵
後 ︶
ヒ 五 ル た
。
を
シ 四 ・ 、
継
ュ 六 チ ナ
い
が 年 ャ ラ
だ
主 五 ン ン
・ ホ
カ
宰
ー
し 月 キ の
ン
た 五 ニ 石
王
こ 日 チ 碑
25
﹁
と ︶
に
空
が の
よ
の
知 即
る
証
ら 位
碑
1
を
嚆
矢
と
し
、
六
世
紀
ま
で
に
は
古
典
期
の
主
要
な
都
市
で
Naranjo
紋
章
文
字
が
使
わ
れ
始
め
て
い
る
。
つ
ま
り
、
六
世
紀
ま
で
に
は
、
9.5.2.10.6
マ
ヤ
低
地
南
部
の
各
地
域
に
、
紋
章
文
字
を
有
す
る
王
国
が
既
に
Schele and Freidel 1990 : 175 ; Martin and
Chan K’inich
Martin and Grube 2008 : 72
誕
生
し
て
い
た
と
い
う
こ
と
に
な
る
。
こ
の
傾
向
は
、
時
代
が
下
9.4.0.0.0
碑
文
史
料
か
ら
見
た
カ
ー
ン
王
国
の
活
動
る
と
と
も
に
増
大
し
、
と
り
わ
け
古
典
期
後
期
に
は
多
く
の
国
が
9.6.10.0.0
第
四
節
紋
章
文
字
を
持
つ
こ
と
に
な
る
。
こ
の
よ
う
に
、
紋
章
文
字
は
独
9.8.0.0.0
あ
る
国
が
紋
章
文
字
を
使
用
し
始
め
る
と
い
う
こ
と
が
、
独
立
立
し
た
王
国
の
証
し
と
も
言
え
る
も
の
な
の
で
あ
る
。
Grube 2008 : 104 121
国
家
と
し
て
の
存
在
を
宣
言
し
、
誇
示
す
る
こ
と
と
同
義
で
あ
る
ュ
メ
ン
ト
に
紋
章
文
字
が
見
ら
れ
な
い
の
は
、
か
な
り
異
常
な
こ
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
一
〇
︵
三
三
八
︶
Sky Witness
﹂
も
、
五
七
二
年
に
カ
ラ
コ
ル
と
の
同
盟
を
強
初 に
は 対 彼
し に
て 続
二 く
度 ﹁
︵ に 渦
五 わ 巻
九 た
九 る き
年 遠 蛇
四 征
月 を
二 行
一 っ
日 た
︶
こ
、
続 と ﹂
い で 王
て 知 は
ら 、
れ パ
る レ
。 ン
最 ケ
Scroll Serpent
House C
9.8.17.15.11
﹂
と
碑
銘
の
階
段
の
東
パ
ネ
ル
! に
︵
六
一
一
年
四
月
四
日
︶
に
パ
レ
ン
ケ
を
攻
撃
し
略
奪
し
た
こ
と
︶
。
ま
た
、
ロ
ス
・
ア
ラ
ク
ラ
ネ
人
9.8.5.13.6
が
、
宮
殿
の
﹁
家
の
石
碑
1
に
よ
る
と
、
五
六
一
年
に
同
地
の
化
し
た
こ
と
が
、
同
地
の
石
碑
3
に
記
さ
れ
て
い
る
︵
Carrasco
が
、
﹁
空
ス
Valgas 1998 : 382, 2000 : 17
Sak B’aah Witzil
︶
。
彼
の
名
は
サ
ッ
ク
・
バ
ー
フ
・
ウ
ィ
ツ
ィ
ル
Los Alacranes
!
そ
れ
ぞ
れ
記
さ
れ
て
い
る
︵
Martin and Grube 2008 : 159
161 ; D. Stuart and G. Stuart 2008 : 140 143
カ
ラ
コ
ル
の
石
碑
4
に
も
生
起
し
て
い
る
。
こ
こ
で
は
、
が 彼
行 が
っ カ
︶
。
﹁
空
の
証
人
﹂
王
の
名
は
、
こ
の
証
人
﹂
王
の
後
援
の
も
と
で
王
位
に
即
い
て
い
る
︵
Grube
ラ
コ
ル
王
ヤ
ハ
ウ
・
テ
・
キ
ニ
チ
Yajaw Te’ K’inich
た
何
ら
か
の
行
為
を
監
督
し
た
こ
と
が
知
ら
れ
る
。
El Resbalon
9.9.5.13.8
カ
ラ
コ
ル
の
別
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
石
碑
3
に
は
、
銘
の
階
段
や
、
ヨ
ー
コ
ッ
プ
Yo’okop
K’an
二
世
が
行
Martin 2000 : 43 ; Grube 2004a : 120 ; Wren et
︵
六
一
九
年
一
月
九
日
︶
に
、
カ
ラ
コ
ル
王
カ
ン
の
他
に
も
パ
レ
ン
ケ
や
エ
ル
・
レ
ス
バ
の ロ
﹁ ン
石
B
﹂
で
も
言
及 の
さ 碑
2004b : 35 ; Špraj 2007 : 79
al. : 92
い
だ
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
テ
ィ
・
チ
ャ
ン
れ
い
て
も
の ︶ い
で 。 る
エ ︵
ル
・
レ
ス
︵ バ
三 ロ
三 ン
七 の
年 碑
︶
、 銘
最 の
も 階
段
新
に
し は
い 、
も 最
の も
で 古
7.0.16.14.?
が
言
及
さ
れ
て
い
る
︵
︵
五
八
〇
年
二
月
一
〇
日
︶
と
い
う
日
付
が
刻
ま
れ
て
っ
た
何
ら
か
の
行
為
に
関
連
し
て
、
﹁
渦
巻
き
蛇
﹂
王
王
の
の ︶
後
。
前
の を
の
名 継
最
後
に
、
ユ
ク
ヌ
ー
ム
﹁
頭
﹂
Yuknoom Ti’ Chan
Tajoom Uk’ab’ K’a-
︵
六
二
二
年
三
月
二
八
日
︶
に
即
位
し
た
こ
と
い
る
の
だ
が
、
﹁
空
の
証
人
﹂
以
外
に
も
う
一
人
未
知
の
カ
ー
ン
9.7.6.4.18
9.9.9.0.5
Martin and Grube
︶
。
彼
の
名
は
、
ナ
ラ
ン
ホ
の
碑
銘
の
階
段
一
の
hk’
・
が
王
の
名
が
記
さ
れ
て
い
る
。
ヨ
ー
コ
ッ
プ
で
は
、
﹁
石
B
﹂
以
外
Schele and Freidel 1990 : 174
王
で
あ
る
タ
フ
ー
ム
・
ウ
カ
ブ
・
カ
ー
ク
が
、
カ
ラ
コ
ル
の
石
碑
22
に
記
さ
れ
て
い
る
︵
に
も
﹁
空
の
証
人
﹂
王
を
指
す
と
見
ら
れ
る
テ
キ
ス
ト
が
あ
る
の
Yuknoom ‘Head’
2008 : 92 106
第
六
段
の
テ
キ
ス
ト
の
中
で
も
言
及
さ
れ
て
い
る
。
だ
が
、
そ
れ
か
ら
は
﹁
空
の
証
人
﹂
王
が
ヨ
ー
コ
ッ
プ
の
支
配
者
9.7.0.0.0
︵
三
三
九
︶
katun
一
一
一
完
了
を
祝
っ
て
い
る
。
パ
で
ー そ あ
ト の っ
ツ た
ィ こ
バ と
ン が
チ 考
と ェ え
い で ら
う は れ
名 、 る
の 後 。
王 述
が す
、 る
よ
う
に
、
︵ ヤ
五 シ
七 ュ
三 ・
年 ヨ
Yax Yopaat
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
一
二
月
五
日
︶
に
カ
ト
ゥ
ン
大
の
建
築
コ
ン
プ
レ
ッ
ク
ス
で
あ
る
エ
ル
・
テ
ィ
グ
レ
4
︶
が
、
規
模
の
点
で
も
形
態
の
点
で
も
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
最
︶
、
カ
ラ
ク
ム
ル
最
大
の
建
築
物
で
あ
る
建
物
!
︵
図
ー 都
ル 市
と を
サ 凌
ク 駕
す
ベ る
で ほ
つ ど
な の
が 建
っ 築
て 物
を
い 擁
た し
こ て
と︵ い
や︶9 た
︵ エ
ル
・
ミ
ラ
ド
Folan et al.
︵
図
5
︶
に
酷
似
し
て
い
る
こ
と
か
ら
、
こ
の
両
者
の
間
に
緊
密
典
期
後
期
に
ま
で
遡
り
得
る
。
当
時
、
規
模
の
点
で
は
古
典
期
の
考
え
ら
れ
る
。
カ
ラ
ク
ム
ル
と
ペ
テ
ン
地
方
と
の
関
係
は
、
先
古
加
え
ら
れ
て
い
な
い
こ
と
か
ら
、
特
別
に
重
要
視
さ
れ
て
い
た
と
ム
ル
唯
一
の
ペ
テ
ン
様
式
の
宮
殿
で
、
通
時
的
に
見
て
も
改
修
が
︵
Carrasco Valgas 1998 : 381
な
関
係
が
あ
っ
た
と
推
測
で
き
る
か
ら
で
あ
る
。
1995 : 313
と
こ
ろ
が
、
石
碑
等
の
石
造
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
目
を
転
じ
る
と
、
え が 残 る 伴 際 い の と 立 ン が ム の ク る り
次 る 国 っ よ っ に の 同 を 国 ト 存 ・ 証 ヌ ユ 、 こ
章 。 家 て う て は で 時 示 家 に 在 テ 人 ー ク ツ の
以
成 い に い 、 あ 期 し が 刻 し ィ ﹂ ム ヌ ィ よ
降
立 る 、 な カ る の て 存 ま 、 ・ 、 ﹁ ー バ う
で
時 。 明 い ラ 。 モ い 在 れ そ チ ヤ 頭 ム ン に
は
か こ ら 。 ク し ニ る し て の ャ シ ﹂ ・ チ 、
、
ら れ か そ ム か ュ 。 、 い 名 ン ュ 王 チ ェ 現
の 在
カ
カ ら に れ ル も メ そ 他 る が と ・ の
ラ
ー の カ に の 、 ン れ 国 。 蛇 、 ヨ 間 ェ モ 同
ク
ン こ ー 対 地 外 ト に に こ 頭 判 パ に ー ニ 定
ム
王 と ン し 名 地 に も 大 の 紋 明 ー 、 ン ュ さ
ン れ
ル
国 を 王 、 を で は か き こ 章 し ト カ
メ て
と
の 考 の ツ 指 カ 、 か な と 文 て 、 ル
ン い
ツ
首 え 戦 ィ す ー 蛇 わ 影 は 字 い ﹁ ト
ト る
ィ
都 併 勝 バ と ン 頭 ら 響 、 と る 渦 ゥ
に 最
バ
だ せ 記 ン 思 王 紋 ず 力 カ 共 限 巻 ー
名 古
ン
っ る 念 チ わ の 章 、 を ー に り き ン
前 の
チ
た と モ ェ れ 名 文 カ 及 ン 各 で 蛇 ・
が カ
ェ
か 、 ニ に る が 字 ラ ぼ 王 地 も ﹂ ヒ
の
疑 カ ュ は 文 言 は ク し 国 の 五 、 シ 一 生 ー
古
わ ラ メ 、 字 及 存 ム て と モ 人 ユ ュ 世 起 ン
典
し ク ン 後 を さ 在 ル い い ニ も ク 、 と し 王
期
く ム ト 述 一 れ し 自 た う ュ の ヌ ﹁ 、 て で
前
思 ル が す 切 る な 体 こ 独 メ 王 ー 空 ユ い あ
El Tigre
都
市
の
巨
大
な
規
模
と
は
対
照
的
に
、
不
自
然
な
ほ
ど
少
な
い
。
期
の
状
況
を
、
主
と
し
て
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
刻
ま
れ
た
碑
文
を
分
Yuknoom Ch’een
析
す
る
こ
と
で
、
こ
の
問
題
に
つ
い
て
検
討
し
て
み
た
い
。
︶
。
ち
な
み
に
、
後
者
は
カ
ラ
ク
期
で
あ
り
、
そ
れ
ら
は
建
物
#
!
B
と
建
物
"
で
出
土
し
て
い
る
例
を
挙
げ
る
と
、
土
器
が
最
大
規
模
に
生
産
さ
れ
た
の
は
こ
の
時
た
カ
ラ
ク
ム
ル
は
、
古
典
期
前
期
に
入
る
と
更
に
繁
栄
す
る
。
一
先
古
典
期
に
既
に
巨
大
な
建
築
物
を
建
設
す
る
ま
で
に
成
長
し
第
一
節
第
三
章
古
典
期
前
期
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
古
典
期
前
期
の
カ
ラ
ク
ム
ル
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
一
二
︵
三
四
〇
︶
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
図4 建物Ⅱ(カラクムル)
(Pincemin et al. 1998 : 313 Figure 3. より)
一
一
三
︵
三
四
一
︶
図5 エル・ティグレ(エル・ミラドール)
(Sharer 2006 : 255 Fig. 6. 19 より)
さ
い
に
も
か
か
わ
ら
ず
、
四
三
五
年
以
前
に
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
を
建
ば
れ
て
い
た
こ
と
に
な
る
の
で
あ
る
。
文
字
が
用
い
ら
れ
る
よ
う
に
な
る
前
は
、
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
と
呼
れ
た
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。
つ
ま
り
、
カ
ラ
ク
ム
ル
は
蛇
頭
紋
章
こ は
の 、
石 こ
碑 の
が 人
﹁ 物
チ が
ー テ
ク キ
・ ス
ナ ト
ー の
ブ 主
の 役
ア と
ハ︵ 考
ウ10
え
︶
﹂ ら
の れ
た る
め こ
に と
建 か
て ら
ら 、
と
い
う
地
名
を
表
す
文
字
の
最
初
の
生
起
例
で
あ
る
。
重
要
な
の
ウ
︶
と
表
現
し
て
い
る
。
こ
れ
は
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
ル
ん 碑 て
・ 、 の 114 い
ペ ベ こ と る
ル フ と 石 に
ー
だ 碑 も
カ が 43 か
ル 、 の か
カ 僅 わ
ラ か ら
の
ク に ず
よ 、 ム 二 、
う ウ ル 基 古
に ォ の し 典
、
周 か 期
カ ラ 辺 な 前
ン
ラ
に い 期
ク ト は 。 の
ム ゥ バ テ も
ル ン ラ ィ の
よ
ク カ と
り
バ ル な
規
ル は る
模
も と
は 、
ち 、
ろ 石
小 エ
わ
け
、
遺
跡
全
体
で
少
な
く
と
も
一
一
七
基
の
石
碑
が
見
つ
か
っ
支
配
し
て
い
た
か
を
示
す
文
字
史
料
に
き
わ
め
て
乏
し
い
。
と
り
裁
を
整
え
て
い
た
カ
ラ
ク
ム
ル
で
あ
る
が
、
ど
の
よ
う
な
勢
力
が
先
述
し
た
よ
う
に
、
古
典
期
前
期
に
は
巨
大
都
市
と
し
て
の
体
物 に る
を は ︵
蛇
頭
紋
章
文
字
は
見
当
た
︵
﹁ ら
チ な
ー い
。
ク そ
・ の
ナ 代 ︶
。
ー わ し
ブ り か
﹂ 、 し
の そ 、
ア の こ
ハ 人 こ
日
︶
と
い
う
日
付
で
始
ま
る
裏
面
の
テ
キ
ス
ト
に
は
、
あ
る
王
が
ま
れ
て
い
る
︵
図
6
︶
。
肖
像
が
彫
ら
れ
、
両
側
面
と
背
面
に
は
長
い
文
字
テ
キ
ス
ト
が
刻
る
。
正
面
に
豪
華
に
着
飾
っ
た
王
と
思
わ
れ
る
横
向
き
の
人
物
の
ン
完
了
を
祝
っ
て
い
る
こ
と
が
記
さ
れ
て
い
る
と
考
え
ら
れ
て
い
四
一
一
年
に
即
位
し
た
こ
と
と
、
そ
の
人
物
が
即
位
の
一
カ
ト
ゥ
8.19.15.12.13
立
し
て
い
る
都
市
が
あ
る
。
こ
の
こ
と
を
考
え
る
と
、
カ
ラ
ク
ム
Grube 2004a : 121 ; Martin 2005 : 9
ル
で
石
碑
建
立
が
遅
れ
る
の
は
不
可
解
で
あ
る
。
い
ず
れ
に
し
て
Balak-
も
、
古
典
期
マ
ヤ
社
会
に
お
い
て
、
石
碑
は
肖
像
や
文
字
を
刻
む
Uolantun
石
碑
114
に
つ
い
て
、
一
つ
付
言
し
た
い
こ
と
が
あ
る
。
そ
れ
は
、
こ
と
に
よ
っ
て
、
王
の
事
績
を
顕
示
す
る
た
め
に
建
立
さ
れ
る
の
Bejucal
表
面
に
豪
華
に
着
飾
っ
た
人
物
の
肖
像
、
残
る
三
面
に
文
字
テ
キ
が
一
般
的
で
あ
る
。
そ
の
た
め
、
石
碑
が
乏
し
い
こ
と
が
、
古
典
bal
ス
ト
が
刻
ま
れ
て
い
る
と
い
う
点
が
、
テ
ィ
カ
ル
の
石
碑
3
1
︵
図
期
前
期
の
カ
ル
ク
ム
ル
の
支
配
勢
力
を
理
解
す
る
こ
と
を
困
難
に
“chi-ku-NAHB AJAW”
7
︶
と
共
通
し
て
い
る
と
い
う
こ
と
で
あ
る
︵
し
て
い
る
。
El Peru
現
在
知
ら
れ
て
い
る
限
り
、
カ
ラ
ク
ム
ル
で
最
古
の
石
造
モ
ニ
Chiik Nahb
ュ
メ
ン
ト
は
石
碑
114
で
あ
る
。
建
物
!
の
基
部
の
壁
龕
の
前
に
設
Pincemin et al.
置
さ
れ
て
い
る
が
、
も
と
も
と
建
て
ら
れ
た
場
所
は
別
に
あ
り
、
︵
四
三
一
年
九
月
一
五
こ
の
点
に
つ
い
て
、
次
に
述
べ
て
い
き
た
い
。
そ
こ
か
ら
現
在
地
ま
で
持
っ
て
来
ら
れ
た
も
の
と
考
え
ら
れ
て
い
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
一
四
︵
三
四
二
︶
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
図8 石碑4
0(ティカル)
(Harrison 1999 : 93 53 より)
が
窺
わ
れ
る
。
ず
れ
に
し
て
も
、
こ
の
時
期
の
カ
ラ
ク
ム
ル
は
、
テ
ィ
い
る
の
で
、
石
碑
114
と
ほ
ぼ
同
時
代
だ
と
言
え
る
。
い
︵
四
六
八
年
一
月
二
〇
日
︶
に
建
立
さ
れ
て
石
碑
40
︵
図
8
︶
に
似
て
い
る
。
こ
の
石
碑
も
っ
て
い
る
と
い
う
点
で
は
、
む
し
ろ
同
じ
テ
ィ
カ
ル
の
あ
る
。
た
だ
、
構
図
の
点
、
と
り
わ
け
右
手
に
笏
を
握
の
で
、
石
碑
114
の
肖
像
の
人
物
と
ま
さ
に
同
時
代
人
で
︵
四
五
六
年
二
月
三
日
︶
に
死
去
し
て
い
る
︵
四
一
一
年
一
一
月
二
六
日
︶
に
即
位
し
、
ウ
ィ
ー
ル
二
世
で
あ
る
。
彼
は
ら
れ
た
肖
像
は
、
テ
ィ
カ
ル
王
シ
ヤ
フ
・
チ
ャ
ン
・
カ
で
、
石
碑
114
と
ほ
と
ん
ど
同
時
期
で
あ
る
。
表
面
に
彫
︵
四
四
五
年
一
〇
月
一
七
日
︶
頃
建
立
さ
れ
て
い
る
の
・
︶
。
し
か
も
、
石
碑
31
は
9.0.10.0.0
カ
ル
と
同
様
の
石
碑
彫
刻
伝
統
を
共
有
し
て
い
た
こ
と
1998 : 311 315
石
碑
43
も
建
物
!
で
発
見
さ
れ
た
。
石
碑
114
と
同
様
、
Siyaj Chan K’awiil
正
面
に
は
頭
飾
り
を
始
め
と
す
る
多
様
な
装
飾
品
に
覆
8.18.15.11.0
わ
れ
た
横
向
き
の
人
物
が
彫
ら
れ
て
い
る
︵
図
9
︶
。
9.1.0.8.0
︵
三
四
三
︶
足
下
に
う
つ
ぶ
せ
に
な
っ
た
捕
虜
が
彫
ら
れ
て
い
る
が
、
9.1.13.0.0
一
一
五
こ
の
姿
も
含
め
、
全
体
の
構
図
は
石
碑
114
の
肖
像
よ
り
図7 石碑3
1(ティカル)
図6 石碑1
1
4(カラクムル)
(Harrison 1999 : 88 51 より) (Pincemin et al. 1998 : 315 Figure
6. より)
︵
三
二
〇
年
九
月
史
学
第
七
八
巻
に
刻
ま
れ
た
人
物
︵
図
10
︶
第
三
号
第
二
節
チ
ャ
タ
ン
た
の
で
あ
ろ
う
。
﹁
チ
ャ
タ
ン
の
聖
な
る
人
﹂
と
い
う
称
号
を
有
し
て
い
生
起
し
て
い
る
。
従
っ
て
、
表
面
の
肖
像
の
人
物
は
﹁
チ
ャ
タ
ン
の
聖
な
る
人
﹂
と
い
う
称
号
が
ル
・
チ
ャ
タ
ン
・
ウ
ィ
ニ
ク
章
文
字
は
刻
ま
れ
て
い
な
い
。
そ
の
代
わ
り
に
、
ク
フ
図9 石碑4
3(カラクムル)
(Pincemin et al . 1998 : 318
Figure 9. より)
さ
れ
た
と
考
え
ら
れ
る
。
し
か
し
、
こ
こ
に
も
蛇
頭
紋
︶
、
カ
ト
ゥ
ン
完
了
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
と
し
て
建
立
日
付
で
始
ま
っ
て
い
る
こ
と
か
ら
︵
Grube 2004a :
こ
の
よ
う
に
、
古
典
期
前
期
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
の
テ
キ
ス
ト
の
図1
0 ライデン坂
(Pincemin et al. 1998 : 318 Figure 10. より)
が
、 両
側
面
に
︵ は
五 文
字
一 テ
四 キ
年 ス
一 ト
〇 が
月 刻
一 ま
六 れ
日 て
︶ い
と る
い の
う だ
9.4.0.0.0
観
点
か
ら
は
、
カ
ラ
ク
ム
ル
に
カ
ー
ン
王
朝
の
痕
跡
は
見
ら
れ
な
も
、
ラ
イ
デ
ン
板
121
い
と
言
わ
ざ
る
を
得
な
い
。
そ
の
代
わ
り
、
碑
文
に
刻
ま
れ
て
い
に
き
わ
め
て
よ
く
似
て
い
る
。
ラ
イ
デ
ン
板
は
、
も
と
も
と
テ
ィ
k’uhul chatan winik
る
の
が
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
と
チ
ャ
タ
ン
と
い
う
、
地
名
を
表
す
と
カ
ル
に
由
来
す
る
と
推
測
さ
れ
て
い
る
斧
の
よ
う
な
形
を
呈
し
た
Chatan
見
ら
れ
る
文
字
で
あ
る
。
こ
の
二
つ
の
文
字
か
ら
、
こ
の
当
時
の
ヒ
ス
イ
製
の
小
板
で
、
裏
面
に
は
Leyden Plate
カ
ラ
ク
ム
ル
の
状
況
に
つ
い
て
考
え
て
み
た
い
。
一
七
日
︶
と
い
う
日
付
が
刻
ま
れ
て
い
る
。
こ
の
二
つ
の
肖
像
の
8.14.3.1.12
酷
似
も
、
カ
ラ
ク
ム
ル
が
テ
ィ
カ
ル
、
少
な
く
と
も
ペ
テ
ン
地
方
る
の
か
も
知
れ
な
い
。
と
何
ら
か
の
か
か
わ
り
が
あ
っ
た
こ
と
を
物
語
っ
て
い
一
一
六
︵
三
四
四
︶
す
る
ア
ル
タ
ル
・
デ
・
ロ
ス
・
レ
イ
ェ
ス
組
織
に
属
し
て
い
る
こ
と
を
誇
示
し
て
い
る
の
か
も
知
れ
な
い
。
ー
ン
王
朝
の
首
都
で
は
な
く
、
チ
ャ
タ
ン
と
い
う
何
ら
か
の
社
会
と
い
う
称
号
を
伴
っ
て
い
る
こ
と
は
、
当
時
の
カ
ラ
ク
ム
ル
が
カ
ク
ム
ル
の
石
碑
43
の
碑
文
の
人
物
が
﹁
チ
ャ
タ
ン
の
聖
な
る
人
﹂
地
、
あ
る
い
は
ナ
ク
ベ
周
辺
を
指
す
地
名
と
考
え
ら
れ
る
。
カ
ラ
に
生
産
さ
れ
た
。
従
っ
て
、
チ
ャ
タ
ン
は
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
盆
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
盆
地
周
辺
や
ナ
ク
ベ
周
辺
で
、
古
典
期
後
期
れ
た
プ
ラ
イ
!
マ
リ
︵
11 ー
︶・
の ス
後 タ
に ン
し ダ
ば ー
し ド
ば ・
︶
。
生 シ
こ
起 ー
れ
し ク
ら
て ェ
の
い ン
る ス
土
︵
器
は
、
Primary
こ
の
文
字
は
、
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
の
北
東
ほ
ど
近
く
に
位
置
Grube
遺
跡
で
、
二
〇
〇
二
年
に
発
見
さ
れ
た
祭
壇
3
の
テ
キ
ス
ト
に
も
Standard Sequence
生
起
し
て
い
る
。
祭
壇
3
は
円
形
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
で
、
側
面
を
2004a : 119 124 ; Martin 2005 : 6 ; Mathews et al. 2005 :
︶
。
う
ち
判
読
で
き
る
文
字
が
一
一
あ
取
り
囲
む
よ
う
に
横
一
列
に
、
一
四
な
い
し
一
五
の
文
字
が
刻
ま
671 ; Martin and Grube 2008 : 102
れ
て
い
る
︵
Altar de los Reyes
り
、
そ
の
中
の
一
つ
が
チ
ャ
タ
ン
・
ウ
ィ
ニ
ク
な
の
で
あ
る
。
残
Grube 2003
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
る
文
字
の
う
ち
九
が
、
テ
ィ
カ
ル
、
カ
ー
ン
や
パ
レ
ン
ケ
の
紋
章
ン
・
ウ
ィ
ニ
ク
と
い
う
形
で
、
コ
デ
ッ
ク
ス
様
式
の
土
器
に
描
か
る ル ら 組 れ す す が 合 と に わ と ィ 治 と の ︵ が 文
し 。 ・ こ 織 ら る る 、 い か 前 か か ニ 状 推 こ 八 確 字
か
チ の を の よ 地 パ の ら 接 る ら ク 況 測 と 〇 認 で
も
ャ 地 表 紋 う 域 レ 文 、 辞 。 も と を さ か 〇 で あ
、
タ 域 す 章 に の ン 字 チ と チ 、 カ 表 れ ら 年 き る
祭
ン で も 文 ︵ も ケ で ャ し ャ こ ー し 、 、 八 る 。
壇
・ 製 の 字
の を あ タ て タ の ン て こ 祭 月 の こ
3
ウ 作 で を
の
で 除 る ン 生 ン 両 王 い こ 壇 一
が
ィ さ は 持
あ く こ ・ 起 ・ 者 国 る に 3 九 は 遺
製
ニ れ な つ
る と と ウ す ウ が の と 記 も 日 石 跡
作
ク た か 国
こ 、 が ィ る ィ 別 紋 考 さ 同 ︶ 碑 で
さ
の コ ろ 家 ︶ と エ 考 ニ ク ニ の 章 え れ 時 と 1 発
れ
文 デ う の 、 か ル え ク フ ク 社 文 ら た 期 い の 見
た
字 ッ か 総 チ ら ・ ら は ル を 会 字 れ テ に う み さ
で
が ク 。 称 ャ 推 ミ れ 、 の 表 組 が る キ 製 日 で れ
あ
頻 ス そ 的 タ し ラ る 紋 文 す 織 別 。 ス 作 付 、 た
ろ
出 様 う 意 ン て ド 。 章 字 文 を 々 こ ト さ が こ モ
う
す 式 考 味 ・ 、 ー こ 文 が 字 表 に こ は れ 刻 こ ニ
古
る の え 合 ウ グ ル れ 字 欠 に し 刻 で 古 た ま に ュ
典
の 土 る い ィ ル 盆 ら と 如 は て ま チ 典 モ れ は メ
期
も 器 と を ニ ー 地 の は し 、 い れ ャ 期 ニ て
ン
後
理 に 、 持 ク ベ を 紋 別 て 紋 る て タ 後 ュ い
ト
期
解 、 も つ と も 中 章 の い 章 こ い ン 期 メ る
で
は
で ク っ 社 は 指 心 文 意 る 文 と る ・ の ン 。
年
も
き フ ぱ 会 こ 摘 と 字 味 こ 字 が こ ウ 政 ト こ
代
Grube 2003
一
一
七
9.18.10.0.0
︵
三
四
五
︶
先
ず
チ
ャ
タ
ン
で
あ
る
が
、
こ
の
文
字
は
ク
フ
ル
・
チ
ャ
タ
ま
る
一
九
人
の
王
の
名
前
や
即
位
が
記
さ
れ
て
い
る
た
め
、
カ
ー
時
期
と
重
な
る
。
し
か
も
、
先
述
し
た
よ
う
に
、
こ
れ
ら
の
土
器
い
う
時
期
は
、
ナ
ク
ベ
や
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
が
繁
栄
し
て
い
た
自
然
な
数
字
で
は
な
い
。
ま
た
、
前
三
九
六
年
か
ら
後
一
世
紀
と
た
こ
と
に
な
り
、
実
在
の
王
の
平
均
治
世
と
し
て
、
必
ず
し
も
不
て
い
た
こ
と
に
な
る
。
一
人
平
均
約
二
〇
∼
二
五
年
統
治
し
て
い
さ
れ
た
も
の
に
は
、
﹁
空
を
持
ち
上
げ
る
者
た
一
一
ほ
ど
の
土
器
の
こ
と
で
あ
る
。
最
も
長
い
テ
キ
ス
ト
が
記
デ
ッ
ク
ス
様
式
の
土
器
の
う
ち
、
カ
ー
ン
王
朝
の
王
名
が
記
さ
れ
知
ら
れ
る
土
器
の
存
在
か
ら
も
言
え
る
。
﹁
王
朝
土
器
﹂
は
、
コ
年
! か
ら
後
︶
、 一
四 世
〇 紀
〇
∼ に
五 換
〇 算
〇 で
年 き
の る
間 と
に す
一 る
九 と
人 ︵
の
王
が
存
在
し
付
で
あ
る
。
シ
ェ
ア
ラ
ー
が
言
う
よ
う
に
、
そ
れ
ら
が
前
三
九
六
る
。
一
つ
は
、
土
器
に
記
さ
れ
た
カ
レ
ン
ダ
ー
・
ラ
ウ
ン
ド
の
日
﹂
王
に
始
ら て チ 栄 と る 器 歴 起 ル と
こ れ い ャ え は 。 に 史 し の よ
の る た タ た 、 そ は を て 石 り
こ 。 社 ン 先 巨 し 、 有 い 碑 、
会 ・ 古 大 て し し る 43 六
と
組 ウ 典 な 、 ば た こ に 世
は
織 ィ 期 廃 チ し 称 と も 紀
、
の ニ の 墟 ャ ば 号 か ク 前
俗
称 ク こ を タ 神 で ら フ 半
に
号 と と 残 ン 話 あ 、 ル に
﹁
を は で し ・ 的 る 後 ・ 建
王
表 、 は た ウ 過 と 者 チ 立
朝
し 先 な エ ィ 去 言 の ャ さ
土
て 古 か ル ニ の え 時 タ れ
器
い 典 ろ ・ ク こ る 点 ン た
る 期 う ミ で と 。 よ ・ と
可 に か ラ 表 が コ り ウ 考
能 こ 。 ド さ 主 デ も ィ え
性 の こ ー れ 題 ッ 更 ニ ら
は 地 の ル る と ク に ク れ
あ 域 こ や 神 し ス 時 の る
﹂
る を と ナ 話 て 様 代 文 カ
と
と 支 か ク 的 描 式 を 字 ラ
し
考 配 ら ベ 過 か の 遡 が ク
て
え し も が 去 れ 土 る 生 ム
、
Dynastic Vase
ン
王
朝
の
起
源
に
つ
い
て
論
じ
る
際
に
し
ば
し
ば
言
及
さ
れ
る
。
Sharer 2006 :
た
だ
し
、
こ
の
記
録
に
は
そ
の
ま
ま
史
料
と
し
て
用
い
る
に
は
危
259 261
険
な
、
次
の
よ
う
な
問
題
点
が
あ
る
。
日
付
が
カ
レ
ン
ダ
ー
・
ラ
Skyraiser
ウ
ン
ド
で
し
か
記
さ
れ
て
お
ら
ず
、
西
暦
へ
の
換
算
が
困
難
な
こ
う の ま く あ は
異 治 見 と
そ か ﹁ ま と る 、 こ な 世 す 、
﹁
れ 。 王 受 も い
の る の る 石
を
朝 け 、 は 王 よ こ 順 こ 造
朝
考
土 入 実 伝
う と 序 と モ
え
器 れ 際 説 土 な 、 が 、 ニ
る
﹂ る の 上 器 問 な 実 逆 ュ
の
は の 歴 の ﹂ 題 ど 在 に メ
に
ど は 史 人 に 点 で し 初 ン
際
う 難 的 物 記 を あ た 期 ト
し
い し 事 で さ 踏 る と の の
て
う い 実 は れ ま 。 さ 既 碑
、
性 と が な た え
れ 知 文
参
格 い 書 い 諸 て
る の で
考
を う か か 王 、
既 王 知
に
有 こ れ と は マ
知 名 ら
カ
な
す と た 推
ー
の が れ
る
る で 史 測 ー テ
カ 欠 て
点
資 あ 料 し ン ィ
ー 落 い
が
料 る と て 王 ン
ン し な
い
な 。 し い 朝 と
王 て い
く
の で て る の グ
の い 王
つ
で は 、 。 先 ル
順 る 名
か
あ 、 そ 少 祖 ー
番 こ が
あ
ろ こ の な や ベ
と と 散
、
、
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
一
八
︵
三
四
六
︶
勘
案
す
る
と
、
﹁
王
朝
土
器
﹂
に
記
さ
れ
た
王
名
が
、
仮
に
実
在
た
と
し
て
い
た
が
、
そ
の
後
こ
の
意
見
を
翻
し
て
い
る
︵
こ
れ
を
含
む
よ
り
広
い
領
域
が
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
と
呼
ば
れ
て
い
あ
る
い
は
フ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
ィ
ン
と
グ
ル
ー
ベ
は
、
当
初
、
都
市
と
し
て
の
カ
ラ
ク
ム
ル
は
ウ
次
に
、
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
に
つ
い
て
考
え
て
み
た
い
。
マ
ー
テ
第
三
節
Oxte’tuun
︶
。
事
︵
オ
シ
ュ
テ
ト
と ゥ
も ー
︶ ン
と
呼
ば
れ
、 、
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
在
し
て
い
た
と
の
確
証
が
な
い
か
ら
で
あ
る
。
こ
れ
ら
の
こ
と
を
古
典
期
後
期
の
こ
の
時
期
に
、
蛇
頭
紋
章
文
字
を
持
つ
国
家
が
存
難
い
。
紋
章
文
字
の
存
在
が
確
認
さ
れ
て
い
な
い
現
状
で
は
、
先
実
在
し
た
カ
ー
ン
王
朝
の
初
期
の
諸
王
の
も
の
で
あ
る
と
は
考
え
こ
と
に
な
る
。
従
っ
て
、
﹁
王
朝
土
器
﹂
に
描
か
れ
た
王
名
が
、
土
器
﹂
に
記
さ
れ
た
最
後
の
王
の
治
世
よ
り
五
〇
〇
年
近
く
前
の
中
の
最
も
古
い
日
付
で
も
五
世
紀
後
半
の
も
の
で
あ
り
、
﹁
王
朝
ン
チ
ェ
の
碑
銘
の
階
段
に
見
ら
れ
る
の
だ
が
、
刻
ま
れ
た
碑
文
の
し
て
も
、
実
際
に
こ
れ
ら
の
土
器
が
製
作
さ
れ
た
古
典
期
後
期
よ
ナ は
ク カ
ベ ラ
周 ク
辺 ム
で ル
製 で
作 な
さ く
れ 、
た エ
こ ル
と ・
が ミ
判 ラ
明 ド
し ー
て ル
い︵ 盆
る12
地
︶
。 、
い と
ず り
れ わ
に け
れ
て
い
た
と
す
れ
ば
、
な
お
さ
ら
の
こ
と
で
あ
る
。
わ
け
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
と
は
、
実
際
に
サ
ク
ベ
に
よ
っ
て
結
ば
け
と
し
て
利
用
し
よ
う
と
し
た
こ
と
は
十
分
考
え
ら
れ
る
。
と
り
を
擁
す
る
国
家
の
後
継
者
た
る
こ
と
を
喧
伝
し
、
自
ら
の
権
威
づ
勃
興
し
た
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
や
ナ
ク
ベ
の
よ
う
な
、
巨
大
都
市
の
揺
籃
の
地
で
あ
り
、
だ
か
ら
こ
そ
、
他
に
先
駆
け
て
こ
の
地
に
︵ 技
︵の
13 中
場
︶
、 、 で
E 持 は
グ ち 先
ル 送 進
ー り 地
プ 式 域
で
建 ア あ
ー
築
り
複︵ チ 、
が
14
三
合︶
な 用 つ
ど い 組
︶
。 が ら 神
い い れ 殿
わ ち た 構
神 成
ば
、 早 殿
古 く や
典 出 墳
期 現 墓
文 し 、
化 た 球
で
も あ
と る
も 。
と
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
盆
地
は
、
先
古
典
期
マ
ヤ
地
域
で
述
べ
る
よ
う
に
、
蛇
頭
紋
章
文
字
の
最
古
の
生
起
例
が
ツ
ィ
バ
り
、
は
る
か
以
前
の
王
で
あ
る
と
い
う
こ
と
に
な
る
。
更
に
、
後
triadic temple
の
も
の
、
あ
る
い
は
少
な
く
と
も
後
世
の
人
々
か
ら
そ
う
信
じ
ら
form
れ
て
い
た
も
の
で
あ
っ
た
と
す
れ
ば
、
ナ
ク
ベ
、
あ
る
い
は
エ
Hansen 1998 ; Sharer 2006 : 261
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
を
支
配
し
て
い
た
王
朝
の
も
の
で
あ
っ
た
可
能
Martin
性
も
あ
る
。
こ
れ
ら
﹁
王
朝
土
器
﹂
に
記
さ
れ
た
諸
王
と
は
系
譜
Uxte’tuun
︵
三
四
七
︶
上
直
接
的
に
は
つ
な
が
ら
な
い
カ
ー
ン
王
朝
が
、
か
つ
て
存
在
し
Huxte’tuun
一
一
九
た
権
威
あ
る
国
家
を
正
当
に
継
承
す
る
も
の
で
あ
る
よ
う
に
装
っ
and Grube 2000 : 104 ; Martin and Grube 2008 : 104
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
て
顕
示
し
、
自
ら
の
権
威
を
高
め
よ
う
と
し
て
い
る
と
い
う
こ
と
﹁
カ
ン
ク
ェ
ン
ho’ winikjiiy juun ?
haab’iiy i
の
略
奪
さ
れ
た
パ
ネ
ル
﹂
に
も
興
味
深
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
で
即
位
し
た
と
の
記
述
が
あ
る
︵
を
意
味
す
る
か
考
察
す
る
上
で
き
わ
め
て
重
要
で
あ
る
。
更
に
、
頭
紋
章
文
字
の
三
つ
全
て
が
刻
ま
れ
て
お
り
、
こ
れ
ら
三
者
が
何
字
で
あ
る
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
、
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
、
そ
し
て
蛇
ム
・
イ
チ
ャ
ー
ク
・
カ
ー
ク
た
と
え
ば
、
カ
ラ
ク
ム
ル
の
石
碑
9
の
碑
文
に
は
、
ユ
ク
が ヌ
、 ー
テ
キ
ス
ト
は
、
カ
ー
ン
王
国
の
所
在
を
追
究
す
る
上
で
重
要
な
文
釈
す
る
方
が
妥
当
だ
と
考
え
ら
れ
る
。
実
、
い
く
つ
か
の
史
料
か
ら
判
断
し
て
、
む
し
ろ
そ
の
逆
だ
と
解
記
述
が
あ
る
︵
カ
ー
ン
王
た
る
ユ
ク
ヌ
ー
ム
﹁
頭
﹂
が
、
そ
れ
を
命
じ
た
﹂
と
の
Tokovinine 2007 : 19 20
k’in
Cancuen
u tzakaj huk
い
テ
キ
ス
ト
が
記
さ
︵ れ
て
︶ い
る
。
先
ず
第
二
行
︵ に
は
︶
︶
。
こ
の
場
合
、
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
は
即
位
地
と
考
え
ら
Martin
︵
六
九
二
年
三
月
一
六
れ
る
の
で
、
広
い
領
域
の
名
と
い
う
よ
り
都
市
名
と
考
え
た
方
が
Yuknoom Yich’aak K’ahk’
の
石
碑
13
の
碑
よ
い
で
あ
ろ
う
。
同
じ
例
は
、
2005 : 5
日
︶
に
建
立
さ
れ
た
ド
ス
・
ピ
ラ
ス
Dos Pilas
文
に
も
見
ら
れ
る
。
こ
こ
に
は
、
カ
ー
ン
の
神
聖
王
ユ
ク
ヌ
ー
9.13.0.0.0
す
な
わ
ち
、
﹁
キ
ニ
チ
・
カ
ッ
プ
︵
?
︶
・
ネ
ー
ル
︵
?
︶
・
ア
ー
ム
・
イ
チ
ャ
ー
ク
・
カ
ー
ク
が
、
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
で
即
位
し
た
uut lajchan ha’ chan kaseew och b’ihaj K’inich K’ap?
K’inich K’ap? Neel? Ahk B’aluun
︶
。
ま
た
、
第
三
行
に
は
、
が
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
で
死
ん
だ
﹂
と
記
さ
れ
て
い
る
と
記
さ
れ
て
お
り
︵
Neel? Ahk B’aluun Otoot utiiy Chiik Naab’
ク
・
バ
ル
ー
ン
・
オ
ト
ー
ト
︶
、
カ
ー
ン
と
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
が
別
の
も
の
を
表
し
て
い
る
Schele and Freidel 1990 : 182 Fig. 5 :
︵
Guenter : 3
﹁
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
の
カ
ロ
ー
ム︵
テ16
︶
、
ユ
ク ︵
ヌ
! ー
︶
︶
。 ム
・
チ
ェ
ー
ン
﹂
と
刻
ま
れ
て
い
る
の
で
あ
る
︵
Yuknoom Ch’een Ux Te’ Tuun Kal oom te’
こ
れ
ら
の
例
か
ら
判
断
し
て
、
現
在
の
カ
ラ
ク
ム
ル
遺
跡
が
あ
Guenter : 5 6
る
場
所
が
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
で
あ
り
、
こ
の
地
を
中
心
と
す
る
領
10
]
こ
と
が
わ
か
る
。
三
つ
目
の
例
と
し
て
、
ナ
ラ
ン
ホ
の
碑
銘
の
階
Otoot
? kanal ajaw ta huxte’tuun aj
]
[
段
一
の
第
六
段
の
テ
キ
ス
ト
が
挙
げ
ら
れ
る
。
こ
れ
は
、
カ
ラ
コ
9.10.10.0.0.0
[
は ホ ル
、 ト 王
ゥ カ
ン ン
二
世
が
完
了
を
祝
っ
て
建 ︵
立 六
し 四
た 二
も 年
の 一
だ︵ 二
月
が15
︶
、 四
こ 日
こ ︶
に の
hotun
u-kabij yuk noom
域
の
名
称
が
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
だ
っ
た
と
考
え
る
の
が
妥
当
で
chi’k nahb
す
な
わ
ち
、
﹁
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
出
身
の
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
の
!
︶
。
ち
な
み
に
、
こ
の
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
二
〇
︵
三
四
八
︶
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
先
に
も
述
べ
た
よ
う
に
、
こ
れ
ら
の
石
の
ブ
ロ
ッ
ク
は
、
本
来
る
四
地
区
の
中
で
も
最
大
の
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
・
グ
ル
ー
プ
で
発
見
ブ
ロ
ッ
ク
が
用
い
ら
れ
て
い
る
の
で
あ
る
。
に
、
こ
こ
で
問
題
と
な
っ
て
い
る
碑
文
や
肖
像
が
刻
ま
れ
た
石
の
第
二
章
第
三
節
で
述
べ
た
石
の
ブ
ロ
ッ
ク
は
、
遺
跡
を
構
成
す
段
が
取
り
付
け
ら
れ
た
︵
︶
。
そ
の
う
ち
一
部
第
一
節
第
四
章
︱
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
︱
古
典
期
前
期
の
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
古
典
期
前
期
の
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
さ
れ
て
い
る
の
だ
が
、
後
者
の
第
四
期
建
築
相
に
こ
の
五
段
の
階
期
︵
八
〇
〇
︱
九
〇
〇
/
一
〇
〇
〇
年
︶
に
小
規
模
な
改
築
が
施
の
と
︵考
19
︶え
︶
ら
。
﹁ れ
捕 て
虜 い
の る
建 ︵
物
﹂
は
、
古
典
期
後
期
と
古
典
期
終
末
Nalda 2004 : 21 ; Velásquez García
の
意
図
と
は
無
関
係
に
再
利
用
さ
れ
た
も
の
で
あ
る
。
こ
れ
ら
が
さ
れ
た
。
こ
の
地
区
の
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
と
命
名
さ
れ
た
建
物
の
2004 : 79
︵
三
四
九
︶
前
面
に
取
り
付
け
ら
れ
た
階
段
に
、
捕
虜
と
思
わ
れ
る
人
物
像
と
Nalda 2004 : 20
一
二
一
文
字
が
刻
ま
れ
た
石
の
ブ
ロ
ッ
ク
が
多
数
あ
っ
た
の
で
あ
る
。
は
、
一
切
存
在
し
な
い
の
で
あ
る
。
典
期
前
期
に
、
カ
ー
ン
王
国
と
カ
ラ
ク
ム
ル
を
結
び
つ
け
る
史
料
や
く
七
世
紀
に
入
っ
て
か
ら
の
こ
と
な
の
で
あ
る
。
つ
ま
り
、
古
す
な
わ
ち
、
カ
ー
ン
王
と
カ
ラ
ク
ム
ル
が
結
び
つ
く
の
は
、
よ
う
の
階
段
一
の
第
六
段
の
テ
キ
ス
ト
で
あ
る
と
い
う
こ
と
で
あ
る
。
ル
で
あ
る
こ
と
を
示
す
最
古
の
史
料
が
、
こ
の
ナ
ラ
ン
ホ
の
碑
銘
王
の
本
拠
地
が
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
、
す
な
わ
ち
現
在
の
カ
ラ
ク
ム
最
後
に
、
も
う
一
つ
重
要
な
こ
と
が
あ
る
。
そ
れ
は
、
カ
ー
ン
す
る
こ
と
な
く
、
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
の
前
に
組
み
立
て
ら
れ
た
も
建
て
ら
れ
た
建
造
物
か
ら
持
ち
去
ら
れ
、
刻
ま
れ
た
内
容
を
顧
慮
で
あ
る
。
こ
の
こ
と
か
ら
、
こ
れ
ら
の
石
は
ど
こ
か
他
の
場
所
で
群
は
、
相
互
に
何
の
脈
絡
も
な
く
、
雑
然
と
並
べ
ら
れ
て
い
る
の
ら
と
は
対
照
的
に
、
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
の
階
段
の
石
の
ブ
ロ
ッ
ク
建
造
さ
れ
た
も
の
と
は
、
性
格
が
大
き
く
異
な
っ
て
い
る
。
そ
れ
造
の
当
初
か
ら
碑
文
を
建
築
要
素
に
組
み
込
む
よ
う
に
意
図
的
に
ク
は
、
コ
パ
ン
や
ド
ス
・
ピ
ラ
ス
の
碑
銘
の
階
段
の
よ
う
に
、
築
妥
当
な
解
釈
で
あ
ろ
う
。
が
、
ナ
ラ
ン
ホ
の
碑
銘
の
階
段
一
の
第
六
段
の
テ
キ
ス
ト
の
最
も
と
し
て
こ
の
領
域
を
支
配
し
て
い
た
王
朝
の
名
称
だ
と
考
え
る
の
あ
ろ︵
う17
︶
。
そ
し
て
カ
ー
ン
と
は
、
当
時
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
を
首
都
法 あ
が り
見 、
ら こ
れ︵ の
る18
時
︶
。 期
た の
だ 建
し 築
、 に
こ は
の 典
階 型
段 的
を な
構 ペ
成 テ
す ン
る 様
石 式
の の
ブ 建
ロ 築
ッ 技
る
基
壇
で
あ
る
。
建
造
が
始
ま
っ
た
の
は
古
典
期
前
期
の
こ
と
で
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
は
、
ピ
ラ
ミ
ッ
ド
型
を
呈
し
た
三
段
か
ら
成
れ
る
複
数
の
人
物
が
、
小
さ
く
彫
ら
れ
て
い
る
。
な
お
、
後
者
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
16
と
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
19
に
は
、
エ
リ
ー
ト
と
思
わ
物
が
、
大
き
く
彫
ら
れ
て
い
る
だ
け
な
の
に
対
し
、
後
者
の
う
ち
い
る
。
前
者
に
は
、
体
を
縛
ら
れ
た
捕
虜
と
思
わ
れ
る
一
人
の
人
推
測
さ
れ
て
い
る
。
ま
た
、
彫
ら
れ
た
内
容
の
主
題
も
異
な
っ
て
者
は
建
物
の
軒
蛇
腹
と
し
て
使
用
さ
れ
て
い
た
の
で
は
な
い
か
と
来
階
段
の
石
段
と
し
て
用
い
ら
れ
て
い
た
の
は
前
者
の
み
で
、
後
プ
の
ブ
ロ
ッ
ク
は
、
大
き
さ
も
異
な
っ
て
い
る
。
こ
の
う
ち
、
本
加
工
の
ま
ま
残
さ
れ
て
い
る
も
の
で
あ
る
。
こ
の
二
つ
の
グ
ル
ー
一
つ
は
、
彫
刻
が
施
さ
れ
た
の
は
上
半
分
の
み
で
、
下
半
分
は
未
て
、
文
字
や
捕
虜
の
肖
像
が
刻
ま
れ
て
い
る
も
の
で
あ
る
。
も
う
二
つ
に
大
別
で
き
る
。
一
つ
は
、
輪
郭
の
わ
ず
か
な
空
間
を
残
し
王
に
捕
縛
さ
れ
る
情
景
、
あ
る
い
は
ま
た
捕
縛
さ
れ
た
姿
で
王
の
だ
、
直
立
し
た
姿
勢
の
王
の
足
の
下
に
踏
み
つ
け
ら
れ
た
状
態
や
、
戦
争
で
捕
獲
さ
れ
た
捕
虜
の
姿
が
し
ば
し
ば
描
か
れ
て
い
る
。
た
︵
図
11
︶
。
マ
ヤ
地
域
の
多
く
の
遺
跡
の
石
碑
や
リ
ン
テ
ル
に
は
、
か
が
め
て
い
る
者
、
う
つ
伏
せ
に
な
っ
て
い
る
者
な
ど
が
あ
る
っ
た
者
、
左
足
の
膝
を
わ
ず
か
に
曲
げ
て
前
に
伸
ば
し
、
右
足
を
捕
虜
の
姿
勢
は
様
々
で
、
あ
ぐ
ら
を
組
ん
だ
ま
ま
前
の
め
り
に
な
に
向
か
っ
て
、
手
首
を
紐
で
縛
ら
れ
た
捕
虜
が
彫
ら
れ
て
い
る
。
ク
で
、
い
ず
れ
も
左
端
あ
る
い
は
右
端
に
文
字
列
、
そ
の
文
字
列
こ
れ
ら
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
は
、
細
長
い
長
方
形
の
石
の
ブ
ロ
ッ
22 7
と 、
い 8
う 、
数 9
字 、
が 10
付 、
け 11
ら 、
れ 12
て 、
い 13
る 、
も 14
の 、
で 15
あ 、
る 17
。 、
18
、
20
、
21
、
こ
の
グ
ル
ー
プ
に
含
ま
れ
る
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
は
、
3
、
5
、
6
、
こ
れ
ら
の
石
の
ブ
ロ
ッ
ク
は
、
本
来
の
用
途
の
観
点
か
ら
見
て
、
第
二
節
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
の
碑
文
の
解
釈
ニ
ュ
メ
ン
ト
2
は
﹁
鵜
の
建
物
﹂
に
あ
っ
た
。
面
し
て
い
る
建
物
!
に
、
ま
た
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
3
は
建
物
"
、
モ
ュ と と 識
メ モ 、 さ
ン ニ モ れ
ト ュ ニ て
21 メ ュ い
は ン メ な
ト ン︵ か
、
﹁ 18 ト20 っ
捕 は 4︶ た
虜 階 、 こ
の 段 モ と
建 の ニ は
物 下 ュ 明
﹂ で メ ら
と 見 ン か
同 つ ト で
様 か 16 あ
ガ っ 、 る
ン て モ 。
い ニ 具
る ュ 体
し メ 的
広 、 ン に
場 モ ト 言
に ニ 17 う
散
在
し
て
い
る
こ
と
か
ら
も
、
単
な
る
建
築
資
材
と
し
て
し
か
認
ル
ー
プ
﹂
と
仮
称
す
る
。
基
づ
き
、
前
者
を
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
、
後
者
を
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ま
れ
て
い
な
い
。
製
作
時
期
に
も
違
い
が
あ
り
、
刻
ま
れ
た
日
付
Gann
う
ち
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
2
と
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
4
に
は
、
文
字
し
か
刻
み
た
い
。
両
者
を
区
別
す
る
た
め
に
、
彫
ら
れ
た
光
景
の
相
違
に
る
。
そ
こ
で
本
稿
で
は
、
こ
の
両
者
に
つ
い
て
別
々
に
検
討
し
て
か
ら
、
前
者
の
ほ
う
が
後
者
よ
り
早
く
製
作
さ
れ
た
と
考
え
ら
れ
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
二
二
︵
三
五
〇
︶
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
図1
1 モニュメント3(Nalda 2004 : 32 より)
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
3
ち
、
約
半
数
の
九
つ
に
オ
チ
と
チ
ェ
ン
ch’e’n
字
が
生
起
し
て
い
る
。
こ
の
両
方
の
文
字
が
刻
ま
れ
て
い
る
モ
ニ
och
︵ ュ
メ
ン
ト
の
碑
文
を
列
挙
! す
る
︶
。 と
、
次
の
よ
う
で
あ
る
Velásquez García 2004 : 85 101
]
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
5
b’olon ajaw och ch’e’n ...to’m
]
[
b’uluk ok och uch’e’n Xook Ucha’ . . . , yatej Yu-
[
モ
ニ [
ュ ]
メ
ン
ト
6
- h kno’m Ch’e’n, k’uh ul Kan ajaw
Kan al ?
]
...waxaklaju’n k’anasiiy och ch’e’n ... Ch’e’n ...l...
[
Ajaw
︵
三
五
一
︶
och ch’e’n ...l, ucha’tal yate’aj k’uh ul
一
二
三
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
8b
と
い
う
文
け
ら
れ
る
。
た
と
え
ば
、
こ
の
グ
ル
ー
プ
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
の
う
こ
の
こ
と
は
、
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
刻
ま
れ
た
碑
文
か
ら
も
裏
付
た
め
に
製
作
さ
れ
た
可
能
性
が
高
い
。
ら
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
も
戦
勝
記
念
、
あ
る
い
は
戦
勝
を
誇
示
す
る
明
ら
か
に
捕
縛
さ
れ
た
囚
人
が
描
か
れ
て
い
る
こ
と
か
ら
、
こ
れ
意
図
で
表
現
さ
れ
る
の
が
一
般
的
で
あ
る
。
い
ず
れ
に
し
て
も
、
御
前
に
引
っ
立
て
ら
れ
た
り
と
、
王
の
権
威
や
権
力
を
誇
示
す
る
ajaw
[ [
]
och ch’e’n Mo’ Nal ; uwaxaktal yate’aj
]
味 の て チ 指 い マ ﹁
同 ! す 町 、 ェ し う ー 穴
様
に ﹁ ン て 文 テ 、
あ
の ︶ る 入 オ
い 字 ィ る
文 。 ︵ る チ
が ン
る
い
脈
、 ・
の 用 に は
チ
で
あ
で い よ 井
チ
る ェ
は ら る 戸
ン
ェ
い
な れ と に
﹁
﹂
ン
は
く る 、 入
大
が
敵 と
、 場 戦
生
の は 地 ﹁ 合 争 る
︱
、
町 は を ﹂
起
町
す
や 戦 穴 、 、 主 と
る
都 争 ﹂ 領 単 題 い
例
市 に を 土 な と う
は
を 勝 示 ﹂ る す 意
! 攻 利 唆 の 穴 る 味
、
他
撃 し し 意 や 文 に
の
す た て で 井 脈 な
遺
る 戦 い あ 戸 で る
跡
こ 士 る る の チ 。
で
と が 。 カ こ ェ し
も
を 敗 従 ブ と ン か
見
意 者 っ ・ を と し
、
Velásquez García 2004 : 83 85 ; Martin 2004 :
[
]
モ [ モ
ニ
ニ
ュ
ュ
メ ] メ
ン
ン
ト
ト
11
10b
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
“kab ch’e’n”
]
[
wak tz’ikin waxaklaju’n paax och uch’e’n Ajya...n...
]
n...nal, uwaklaju’ntal yate’aj Yu h kno’m Ch’e’n
[
105 109
[
ら
れ
る
。
た
と
え
ば
、
先
に
も
引
用
し
た
ナ
ラ
ン
ホ
の
碑
銘
の
階
...suutz’ och u ch’e’n “GIII” ja?, yate’ k’uh ul Kan
ajaw
[
]
]
段
一
の
第
六
段
に
は
、
次
の
よ
う
に
記
さ
れ
て
い
る
。
モ
ニ
ュ
メ
[ ン
ト
12
]
[
]
]
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
15
ch’e’n ...n kan a l,
[
]
[
laj’un ajaw waxak tzik i n och
]
ta huk ak’bal waxaklajuun te’ muwaan ? sa’aal u-
こ
こ
に
は
、
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
出
身
で
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
の
カ
yate’ ku’h ul Kan ajaw
ー
ン
王
︵
ア
ハ
ウ
︶
ユ
ク
ヌ
ー
ム
﹁
頭
﹂
に
よ
っ
て
、
サ
ー
ル
[
?
す
な
わ
ち
ナ
ラ
ン
ホ
が
陥
落
し
た
と
記
さ
れ
て
い
る
の
だ
が
、
こ
モ
ニ
ュ
メ
[ ン [
ト
] 18
]
ch’e’n k’uxaj sak chuwen u-kabij yuk noom
こ
で
も
都
市
と
し
て
の
ナ
ラ
ン
ホ
の
こ
と
を
チ
ェ
ン
と
し
て
言
及
さ
し
て
長
く
も
な
い
各
テ
キ
ス
ト
に
、
こ
の
二
文
字
が
こ
れ
だ
...ju’n un ii w och uch’e’n Yax K’a h k Jol o’ m ;
け
頻
出
し
て
い
る
こ
と
か
ら
、
こ
れ
ら
が
碑
文
の
主
題
に
密
接
に
Sa’aal
︶
。
ま
た
、
同
じ
ナ
ラ
ン
か
か
わ
っ
て
い
る
と
考
え
ら
れ
る
。
オ
チ
は
﹁
入
る
﹂
と
い
う
意
kanal ajaw ta huxte’tuun aj chi’k nahb
!
味
で
あ
り
、
ま
た
チ
ェ
ン
は
﹁
穴
、
井
戸
﹂
の
意
味
な
の
で
︵
uho’tal yate’aj
“ub’aah ti och ch’een yootz”
と
の
記
述
し
て
い
る
︵
Tokovinine 2007 : 16 19
ホ
の
石
碑
2
1
に
は
、
︶
、
﹁
オ
チ
・
チ
Ba-
“och ch’e’n”
と
い
う
句
を
字
義
通
り
解
釈
す
る
と
、
rrera Vásquez 1995 : 131 ; Martin 2004 : 106
ェ
ン
﹂
一
二
四
︵
三
五
二
︶
[
]
[
[
∼
﹂
の
穴
に
入
っ
た
﹂
と
あ
る
。
カ
ー
ン
王
の
称
号
こ
そ
伴
っ
て
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
の
十
六
番
目
の
捕
虜
﹁
ア
フ
ヤ
︵
五
〇
五
年
二
月
一
五
日
あ
る
い
は
五
一
八
年
二
月
一
二
日
︶
に
、
い
る
。
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
11
に
は
、
﹁
6
メ
ン
18
パ
シ
ュ
pax
い
な
い
が
、
こ
れ
は
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
の
名
が
言
及
さ
れ
Ajya
]
た
最
古
の
例
で
あ
る
。
磨
滅
が
激
し
く
、
判
読
が
ほ
と
ん
ど
困
難
ツ ク の
後
に
、
と
ナ
ラ
い
ン
う
ホ
名
王
の
カ
都
ー
市
ク
が
、 の ・
カ 名 テ
ィ
ー が リ
生
ク
ウ
・ 起 ・
テ し チ
ィ て ャ
リ お ン
ウ り ・
・ 、 チ
チ ヨ ャ
ャ ー ー
men
]
号 な
を モ
伴 ニ
わ ュ
ず メ
に ン
生 ト
起 8a
し に
て も
い 、
る ユ
よ ク
う ヌ
で ー
あ︵ ム
る24
・
︶
。 チ
ェ
ー
ン
の
名
が
称
に 神 ン
、 殿 ・
17 チ
︵ に ャ
も ー
︶ 、 ク
ト の
ニ 侵
ナ 略
と ー を
被
い
っ
う
た
文
こ
字
が の と
王
が
用
い の わ
ら 敗 か
れ 北 る
て を 。
い 記 パ
る し レ
。 た ン
碑 ケ
文 の
K’ahk Tiliw Chan Chaak
]
こ
の
例
と
は
逆
に
、
王
名
の
代
わ
り
に
称
号
の
み
が
生
起
し
て
こ
れ
ら
の
こ
と
か
ら
、
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
の
階
段
に
用
い
ら
れ
Yootz
[
い
る
も
の
も
あ
る
。
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
8b
に
は
、
﹁
カ
ー
ン
の
神
聖
た
、
﹁
オ
チ
・
チ
ェ
ン
﹂
と
い
う
句
が
生
起
す
る
テ
キ
ス
ト
が
刻
Tonina
モ 王
に
は ﹂ ニ の
、 の ュ 二
穴 メ 番
に ン 目
入 ト の
っ 12 捕
た に 虜
﹂ は ∼
が
と 、
﹁ 、
記 カ
さ ー 穴
に
れ ン 入
て の っ
い 神 た
る 聖 ﹂
。 王 と
モ の 記
ニ 捕 さ
ュ 虜 れ
メ ﹁ て
ン
︵い
25 る
ト
︶
13 ハ 。
ま
れ
た
ブ
ロ
ッ
ク
は
、
敵
国
へ
攻
め
入
っ
た
こ
と
を
誇
ら
し
げ
に
“och i uch’e’n”
で
は
、
こ
の
戦
争
は
ど
の
国
と
ど
の
国
の
間
で
行
わ
れ
、
ど
ち
GIII
3
ヤ
シ
ュ
キ
ン
作 戦
さ 勝
れ 者
た が
と 、
考 敵
え 国
ら へ
れ の
る 勝
の 利
で を
あ︵ 文
る22
字
︶
。 と
絵
で
誇
示
す
る
た
め
に
製
メ 宣
ン 言
ト す
は る
、 も
建 の
立 だ
者 と
で 考
あ え
り ら
か れ
つ る
描 。
か つ
れ ま
た り
捕︵ 、
虜21
こ
︶
の れ
国 ら
に の
対 モ
す ニ
る ュ
ら
が
勝
っ
た
の
で
あ
ろ
う
か
。
そ
れ
を
示
唆
す
る
テ
キ
ス
ト
が
、
ja?
す
な
わ
ち
、
﹁
5
チ
ク
チ
ャ
ン
chikchan
xul
︵
四
に
、
カ
ー
ン
い
く
つ
か
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
見
ら
れ
る
。
た
と
え
ば
、
モ
ニ
ュ
yate’aj k’uh ul Kan a l ajaw
8
シ
ュ
ル
﹁
∼
ジ
ャ ︵
ガ 四
ー 九
﹂ 〇
が 年
捕 八
ら 月
え 八
ら 日
れ ︶
た に
﹂ 、
と カ
記 ー
さ ン
れ の
て 神
い︵ 聖
王
る26
︶
。 の
最 捕
後 虜
メ
ン
ト
5
を
見
る
と
、
こ
こ
に
は
﹁
11
オ
ッ
ク
ok
に
、
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
15
に
も
10
ア
ハ
ウ
っ の
た 神
﹂ 聖
と 王
記 ユ
さ ク
れ ヌ
て ー
い︵ ム
る23
の
︶
。 捕
つ 虜
ま 、
り シ
、 ョ
カ ー
ー ク
ン ・
王 ウ
国 チ
の ャ
王 の
ユ 穴
ク に
ヌ 入
yaxkin
︵
三
五
三
︶
七
一
年
七
月
二
九
日
あ
る
い
は
四
八
四
年
七
月
二
五
日
︶
の
日
付
ajaw
一
二
五
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
一
世
が
戦
勝
者
だ
と
い
う
の
で
あ
る
。
ユ
ク
ヌ
ho’ chikchan hux yaxk’in chu h kaj...B’a h lam,
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
の
名
は
、
他
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
も
生
起
し
て
る
︵
図
12
︶
。
か
な
り
磨
滅
し
て
い
る
と
は
い
え
、
三
人
と
も
頭
人
物
が
、
小
さ
く
右
を
向
い
て
立
っ
て
い
る
光
景
が
描
か
れ
て
い
は
、
左
端
に
大
き
な
二
行
二
列
の
文
字
群
、
そ
の
右
隣
に
三
人
の
れ
て
い
る
。
先
ず
、
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
16
を
見
て
み
た
い
。
こ
こ
に
残
る
二
つ
の
ブ
ロ
ッ
ク
に
は
、
文
字
群
と
光
景
の
両
方
が
彫
ら
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
よ
り
新
し
い
こ
と
は
同
様
で
あ
る
。
す
な
わ
ち
蛇
頭
紋
章
文
字
を
伴
う
王
で
あ
り
、
こ
の
ブ
ロ
ッ
ク
群
文
の
不
完
全
な
断
片
の
み
残
存
し
て
い
る
が
、
刻
ま
れ
た
日
付
が
す
な
わ
ち
、
﹁
2
カ
ン
月
二
〇
日
あ
る
い
は
六
〇
二
年
一
一
月
七
日
︶
に
、
王
は
∼
﹂
と
2
マ
ッ
ク
︵
五
五
〇
年
一
二
る
限
り
、
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
一
世
が
最
初
の
カ
ー
ン
王
、
を
指
す
と
考
え
て
よ
い
で
あ
ろ
う
。
つ
ま
り
、
現
在
判
明
し
て
い
し
て
の
み
記
さ
れ
て
い
る
者
も
、
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
一
世
れ
た
も
の
と
考
え
ら
れ
る
。
従
っ
て
、
﹁
カ
ー
ン
の
神
聖
王
﹂
と
い
る
の
で
、
同
時
期
に
同
一
の
建
築
物
に
用
い
る
た
め
に
製
作
さ
描
か
れ
た
場
面
の
主
題
や
構
図
、
捕
虜
の
様
式
な
ど
が
共
通
し
て
で
き
る
。
こ
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
は
、
は
明
ら
か
で
あ
る
。
こ
の
こ
と
は
、
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
4
で
も
確
認
ロ
ッ
ク
が
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
の
ブ
ロ
ッ
ク
群
よ
り
新
し
い
こ
と
ュ
メ
ン
ト
の
日
付
︵
五
七
三
年
一
二
月
五
日
︶
か
ら
も
、
こ
の
ブ
ゥ
ン
完
了
を
祝
っ
て
刻
ま
せ
た
こ
と
が
察
せ
ら
れ
る
。
こ
の
モ
ニ
上
記
の
例
だ
け
で
な
く
、
こ
の
グ
ル
ー
プ
の
ブ
ロ
ッ
ク
は
全
て
、
ト
ゥ
ン
を
終
え
た
﹂
と
記
さ
れ
て
お
り
、
王
が
れ
は
蛇
頭
紋
章
文
字
の
最
古
の
生
起
例
で
あ
る
。
と
共
に
、
カ
ー
ン
の
神
聖
王
と
い
う
文
字
が
刻
ま
れ
て
い
る
。
こ
す
な
わ [
ち
]
、
﹁
7
ア
ハ
ウ
3
カ
ン
キ
ン
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
-jii y
飾
り
を
か
ぶ
り
、
豪
華
に
着
飾
っ
て
い
る
様
が
見
て
取
れ
る
の
で
、
エ
リ
ー
ト
階
級
に
属
す
人
間
で
あ
ろ
う
。
ざ
ん
ば
ら
髪
で
ほ
ぼ
裸
第
三
節
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
の
碑
文
の
解
釈
k’ank’in
体
の
上
、
縛
ら
れ
た
姿
で
描
か
れ
た
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
の
捕
虜
︵
る27 は
。︶ 多
年
に
わ
た
る
彼
の
征
服
活
動
の
記
念
碑
で
あ
る
と
考
え
ら
れ
9.7.0.0.0
19
と こ
い の
う グ
数 ル
字 ー
が プ
付 に
さ 含
れ ま
て れ
い る
る モ
も ニ
の ュ
で メ
あ ン
る ト
。 は
先 、
に 2
も 、
述 4
べ 、
た 16
、
...y cha’ k’an cha’ mak u... ...ajaw
よ
う
に
、
こ
れ
ら
の
ブ
ロ
ッ
ク
は
上
半
分
の
み
に
文
字
、
あ
る
い
mak
は
複
数
の
人
物
が
表
さ
れ
た
光
景
と
文
字
群
が
刻
ま
れ
た
モ
ニ
ュ
k’an
メ
ン
ト
で
あ
る
。
こ
の
う
ち
、
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
2a
と
モ
ニ
ュ
メ
ン
huk ajaw hux uniiw utzutz u’w huk winaakhaab’...
ト
4
に
は
文
字
の
み
が
刻
ま
れ
て
い
[ る
。
] モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
2a
に
は
、
に
、
彼
の は
カ 7
ト カ
一
二
六
︵
三
五
四
︶
の
用
途
だ
け
で
な
く
、
製
作
意
図
も
全
く
異
な
る
こ
と
が
明
瞭
に
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
図1
2 モニュメント1
6(Nalda 2004 : 49 より)
一
二
七
︵
三
五
五
︶
に
製
作
さ
れ
た
も
の
で
あ
ろ
う
。
文
字
の
大
き
さ
が
全
く
異
な
る
の
で
、
別
々
の
表
し
方
は
類
似
し
て
い
る
が
、
文
字
ン
ト
16
と
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
19
は
、
人
物
人
物
た
ち
で
あ
る
。
た
だ
、
モ
ニ
ュ
メ
華
に
着
飾
っ
た
、
エ
リ
ー
ト
と
思
し
き
る
。
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
16
と
同
じ
く
、
豪
恐
ら
く
は
五
人
の
人
物
が
描
か
れ
て
い
物
と
、
球
技
を
見
物
し
て
い
る
ら
し
い
そ
の
右
に
は
、
球
技
場
の
片
一
方
の
建
可
能
な
数
十
の
文
字
が
刻
ま
れ
て
い
る
。
い
囲
い
の
中
に
、
ほ
と
ん
ど
判
読
が
不
技
者
、
そ
の
す
ぐ
右
に
は
正
方
形
に
近
に
球 モ
技 ニ
で ュ
あ メ
る ン
︵ ト
図 19
13 の
主
︶
。 題
左 は
端 明
に ら
球 か
ー
ト
︶
と
い
う
名
前
が
生
起
し
て
い
る
。
る
︵
ヤ
シ
ュ
︶
?
・
ヨ
ア
ー
ト
︵
ヨ
パ
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
と
は
別
の
名
で
あ
た
ち
と
は
、
扱
わ
れ
方
が
大
き
く
異
な
る
。
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
と
見
記
て
さ
取
れ
れ
て
る
い
。
る
左
。
端
こ
の
こ [ テ
に
キ
は ] ス
、
ト
カ
に
ー
は
ン
、
神
聖
王
と
し
て
、
ユ
ク
... ...y Yo’aat k’uh ul Kan ajaw, ajaw? u...jiiy
図1
3 モニュメント1
9(Nalda 2004 : 52 より)
と
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
の
ブ
ロ
ッ
ク
が
、
製
作
時
期
や
元
々
で
あ
る
。
こ
れ
ら
の
建
築
物
の
軒
蛇
腹
が
、
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
ー
プ
の
建
物
$
と
建
物
!
、
及
び
ト
ゥ
テ
ィ
ル
の
T
!
1
と
T
!
2
え
る
上
で
有
用
だ
と
考
え
ら
れ
る
の
が
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
・
グ
ル
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
の
製
作
時
期
を
考
の
か
も
知
れ
な
い
。
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
石
の
ブ
ロ
ッ
ク
の
場
合
は
、
恐
ら
く
も
と
も
と
ら
こ
こ
に
あ
っ
た
と
は
限
ら
な
い
か
ら
で
あ
る
。
し
か
し
、
こ
の
現
在
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
に
あ
る
か
ら
と
い
っ
て
、
必
ず
し
も
最
初
か
ロ
ッ
ク
が
、
ど
こ
か
ら
持
ち
去
ら
れ
た
の
か
と
い
う
問
題
で
あ
る
。
先
ず
、
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
に
再
利
用
さ
れ
た
こ
れ
ら
の
石
の
ブ
何
が
言
え
る
の
か
、
あ
る
い
は
何
が
問
題
な
の
か
を
考
察
し
た
い
。
わ
か
っ
た
。
こ
こ
で
は
、
こ
れ
ま
で
述
べ
て
き
た
こ
と
か
ら
一
体
と
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
の
建
造
時
期
の
差
に
相
応
し
て
い
る
と
が
知
ら
れ
て
い
る
。
こ
の
時
間
的
差
が
、
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
シ
ュ
と
﹁
空
の
証
人
﹂
と
い
う
少
な
く
と
も
二
人
の
王
が
い
た
こ
一
世
と
ヤ
シ
ュ
・
ヨ
パ
ー
ト
と
の
間
に
は
、
カ
ル
ト
ゥ
ー
ン
・
ヒ
第
二
章
第
四
節
で
述
べ
た
よ
う
に
、
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
に
か
か
わ
る
も
の
で
あ
る
と
い
う
点
で
は
一
致
し
て
い
る
こ
と
が
彫
ら
れ
た
内
容
、
製
作
時
期
の
い
ず
れ
も
異
な
る
が
、
カ
ー
ン
王
ク
と
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
の
ブ
ロ
ッ
ク
と
で
は
、
大
き
さ
、
討
し
て
き
た
。
こ
れ
に
よ
っ
て
、
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
の
ブ
ロ
ッ
れ
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
と
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
に
分
け
て
検
こ
と
に
な
る
。
こ
れ
ま
で
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
の
ブ
ロ
ッ
ク
に
つ
い
て
、
そ
れ
ぞ
了
の
儀
式
を
行
っ
た
の
は
、
ヤ
シ
ュ
・
ヨ
パ
ー
ト
で
あ
る
と
い
う
第
四
節
﹁
捕
虜
の
建
物
﹂
の
ブ
ロ
ッ
ク
製
作
の
諸
事
情
︶
。
だ
と
す
る
と
、
の
カ
ト
ゥ
ン
完
ニ
ュ
メ
ン
ト
を
構
成
し
て
い
た
一
部
で
あ
ろ
う
︵
し
て
い
る
の
は
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
2a
で
あ
る
。
ベ
ラ
ス
ケ
ス
・
ガ
ル
の
大
き
さ
や
刻
ま
れ
方
か
ら
見
る
と
、
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
16
に
酷
似
る 五 こ
。 七 の
三 こ
年 と
、 は
あ 、
る 碑
い 文
は に
六 刻
〇 ま
二 れ
年 た
で 日
あ 付
る の
と う
い ち
う 、
事 最
実 古
と の
符 も
合 の
す が
プ
﹂
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
が
製
作
さ
れ
た
の
も
そ
の
頃
で
あ
ろ
う
。
Velásquez
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
建
物
の
一
部
と
し
て
利
用
さ
れ
て
い
た
も
の
で
プ
﹂
の
ブ
ロ
ッ
ク
と
大
き
さ
が
ほ
ぼ
同
じ
で
あ
る
こ
と
か
ら
、
建
9.7.0.0.0
あ
ろ
う
。
一
つ
に
は
、
こ
れ
ら
が
後
世
に
再
利
用
さ
れ
た
際
、
敬
造
年
代
も
同
じ
頃
と
推
測
で
き
る
の
で
あ
る
︵
García 2004 : 97
註
6
︶
。
こ
れ
ら
の
建
物
が
初
め
て
建
て
ら
れ
た
の
は
、
古
典
期
Nalda 2004 : 22
後
期
の
初
め
頃
と
考
え
ら
れ
て
い
る
の
で
、
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
シ
ア
が
言
う
よ
う
に
、
こ
の
両
者
は
そ
れ
ぞ
れ
か
つ
て
同
一
の
モ
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
二
八
︵
三
五
六
︶
︵
三
五
七
︶
破
壊
の
痕
跡
が
見
ら
れ
る
な
ど
、
こ
の
勢
力
交
替
に
は
戦
争
を
想
製
作
さ
れ
、
建
築
物
の
石
材
と
し
て
利
用
さ
れ
た
と
み
て
間
違
い
と
か
ら
も
、
こ
れ
ら
の
ブ
ロ
ッ
ク
が
も
と
も
と
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
で
で
あ
る
。
同
じ
石
材
を
使
っ
た
建
築
物
が
複
数
現
存
し
て
い
る
こ
の
T
!
1
と
T
!
2
と
同
時
期
に
製
作
さ
れ
た
と
考
え
ら
れ
る
か
ら
バ
ン
チ
ェ
・
グ
ル
ー
プ
の
建
物
$
と
建
物
!
、
及
び
ト
ゥ
テ
ィ
ル
い
て
述
べ
た
際
に
触
れ
た
よ
う
に
、
こ
れ
ら
の
ブ
ロ
ッ
ク
が
ツ
ィ
で
あ
る
。
も
う
一
つ
の
理
由
は
、
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
に
つ
テ
ィ
ル
の
二
つ
の
建
物
は
、
古
典
期
後
期
が
始
ま
る
頃
に
火
災
や
う
よ
り
も
、
支
配
勢
力
の
交
替
を
窺
わ
せ
る
。
た
と
え
ば
、
ト
ゥ
そ
れ
が
古
典
期
の
中
頃
を
境
に
、
突
然
廃
れ
る
の
で
あ
る
︵
築
に
一
般
的
に
見
ら
れ
た
建
築
様
式
は
、
ペ
テ
ン
様
式
で
あ
っ
た
。
が
見
ら
れ
る
。
第
二
章
で
も
述
べ
た
よ
う
に
、
古
典
期
前
期
の
建
製
作
さ
れ
て
間
も
な
く
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
建
築
様
式
に
は
変
化
と
こ
ろ
が
、
﹁
エ
リ
ー
ト
・
グ
ル
ー
プ
﹂
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
が
︶
。
こ
の
急
激
な
変
化
は
、
単
な
る
流
行
の
変
化
と
い
Nalda
起
さ
せ
る
暴
力
的
な
要
素
が
伴
っ
て
い
た
よ
う
な
の
で
あ
る
な
い
で
あ
ろ
う
。
で
あ
れ
ば
、
わ
ざ
わ
ざ
遠
隔
地
か
ら
運
ん
で
く
る
意
味
が
な
い
の
字
に
何
の
顧
慮
も
払
わ
ず
、
単
な
る
建
築
資
材
と
し
て
用
い
る
の
従
っ
て
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
例
の
よ
う
に
、
彫
ら
れ
た
光
景
や
文
か
わ
る
人
々
が
居
住
し
て
い
た
と
考
え
ら
れ
る
。
が
製
作
さ
れ
た
時
期
の
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
に
は
、
カ
ー
ン
王
朝
に
か
て
も
﹁
エ
リ
ー
ト
グ
ル
ー
プ
﹂
に
し
て
も
、
こ
れ
ら
の
ブ
ロ
ッ
ク
ん
で
新
た
に
築
造
し
た
の
で
あ
る
︵
内
容
に
利
用
で
き
る
価
値
が
あ
る
か
ら
こ
そ
、
わ
ざ
わ
ざ
遠
路
︶
。 運
め
に
、
碑
文
が
刻
ま
れ
た
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
の
場
合
は
、
刻
ま
れ
た
誇
示
な
ど
の
政
治
的
目
的
に
利
用
す
る
た
め
で
あ
っ
た
。
そ
の
た
い
は
そ
の
一
部
を
移
築
す
る
場
合
は
、
支
配
者
の
権
威
や
権
力
の
ラ
ン
ホ
の
碑
銘
の
階
段
一
の
例
の
よ
う
に
、
他
都
市
の
建
築
あ
る
材
と
し
て
雑
然
と
利
用
さ
れ
て
い
る
か
ら
で
あ
る
。
先
述
し
た
ナ
意
を
払
う
ど
こ
ろ
か
何
の
意
図
も
脈
絡
も
な
く
、
単
な
る
建
築
資
﹁
超
大
国
﹂
に
相
応
し
い
と
言
え
よ
う
。
﹁
捕
虜
グ
ル
ー
プ
﹂
に
し
地
域
の
他
国
と
比
べ
て
も
、
か
な
り
早
い
部
類
に
属
す
る
。
テ
ィ
い
し
四
八
四
年
と
い
う
の
は
、
紋
章
文
字
の
生
起
と
し
て
は
マ
ヤ
た
こ
と
は
間
違
い
な
い
。
第
二
章
で
も
述
べ
た
が
、
四
七
一
年
な
か
ら
、
遅
く
と
も
こ
の
頃
ま
で
に
は
カ
ー
ン
王
朝
が
成
立
し
て
い
の
碑
文
に
、
蛇
頭
紋
章
文
字
の
最
古
の
生
起
例
が
見
ら
れ
る
こ
と
字
の
存
在
が
鍵
を
握
っ
て
い
る
と
思
わ
れ
る
。
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
15
Tokovinine 2007 : 15
一
二
九
次
に
、
こ
れ
ら
の
ブ
ロ
ッ
ク
を
最
初
に
製
作
し
た
の
は
ど
う
い
2004 : 25
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
っ
た
人
た
ち
で
あ
ろ
う
か
。
こ
の
点
に
つ
い
て
は
、
蛇
頭
紋
章
文
カ
ル
と
共
に
、
古
典
期
マ
ヤ
社
会
の
中
枢
を
占
め
る
こ
と
に
な
る
*
蛇
頭
紋
章
文
字
が
カ
ラ
ク
ム
ル
と
結
び
つ
く
の
は
、
七
世
紀
初
ュ
メ
ン
ト
に
戦
勝
記
念
と
し
て
言
及
さ
れ
て
い
る
。
名
が
、
五
世
紀
後
半
の
日
付
と
共
に
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
モ
ニ
)
恐
ら
く
最
古
の
カ
ー
ン
王
で
あ
る
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
の
王
国
の
建
築
様
式
︵
ペ
テ
ン
様
式
︶
が
消
滅
し
、
ま
た
い
く
つ
か
な
ぐ
史
料
は
何
も
な
い
。
つ
ま
り
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
か
ら
カ
ー
ン
の
史
料
で
あ
り
、
こ
れ
以
前
に
カ
ラ
ク
ム
ル
と
カ
ー
ン
王
国
を
つ
が
カ
ラ
ク
ム
ル
の
地
名
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
と
初
め
て
結
び
つ
い
て
段
一
の
第
六
段
の
テ
キ
ス
ト
に
言
及
し
た
際
に
、
蛇
頭
紋
章
文
字
な
対
外
活
動
を
展
開
し
て
い
た
こ
と
が
窺
え
る
。
蛇
頭
紋
章
文
字
を
伴
う
数
人
の
王
が
、
マ
ヤ
低
地
南
部
で
活
発
ネ
ス
、
パ
レ
ン
ケ
な
ど
の
遺
跡
の
碑
文
か
ら
、
古
典
期
前
期
に
(
'
&
%
ヤ い チ ー 古 用 名 る 古 す 古
シ る ャ ル 典 い は チ 典 る 典
ュ 。 タ 盆 期 ら 古 ー 期 の 期
チ
ン 地 前 れ 典 ク 前 に 前
ラ
と に 期 て 期 ・ 期 対 期
ン
い 由 の い を ナ の し に
、
う 来 カ る 通 ー カ 、 、
ナ
地 す ラ 。 じ ブ ラ カ ツ
ラ
名 る ク
て と ク ラ ィ
ン
が 権 ム
他 い ム ク バ
ホ
、 威 ル
国 う ル ム ン
、
称 に の
で 文 の ル チ
カ
号 か 石
も 字 石 に ェ
ラ
の か 碑
カ が 碑 は で
コ
一 わ 43
ラ 生 114 欠 は
ル
部 っ に
ク 起 に 如 蛇
、
と て は
ム し は し 頭
ロ
し い 、
ル て 、 て 紋
ス
て る エ
の お 同 い 章
・
用 と ル
地 り 地 る 文
ア
い 見 ・
名 、 の 。 字
ラ
ら ら ミ
と こ 名
が
ク
れ れ ラ
し の で
生
ラ
て る ド
て 地 あ
起
!
︶
。
六
四
二
年
に
建
造
さ
れ
た
ナ
ラ
ン
ホ
の
階
ム
ル
を
表
す
文
字
と
共
に
生
起
す
る
︵
じ
る
古
典
期
後
期
の
始
め
頃
、
初
め
て
蛇
頭
紋
章
文
字
が
カ
ラ
ク
Nalda y Balanzario 2006 : 46
め
で
あ
る
。
生
起
し
て
い
る
こ
と
に
触
れ
た
。
こ
れ
は
、
カ
ー
ン
王
国
の
中
心
︵
の
建
築
物
が
破
壊
さ
れ
る
頃
、
カ
ー
ン
王
朝
の
紋
章
文
字
が
初
め
Schele and Freidel
以
上
の
こ
と
か
ら
、
古
典
期
前
期
に
関
し
て
は
、
カ
ー
ン
王
国
の
カ
ー
ン
王
朝
の
変
遷
が
カ
ラ
ク
ム
ル
︵
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
︶
で
あ
る
こ
と
を
示
す
最
古
1990 : 176 Fig . 5 : 7 ; Grube 2004 a : 117 ; Velásquez
拠
点
は
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
に
あ
っ
た
と
考
え
る
の
が
妥
当
で
あ
る
。
第
五
章
て
カ
ラ
ク
ム
ル
と
結
び
つ
い
た
形
で
現
れ
る
の
で
あ
る
。
García 2005 : 2 3
き 考 い
た 察 て 前
。 を 、 章
進 カ ま
め ラ で
て ク に
き ム 、
た ル 古
わ と 典
け ツ 期
だ ィ 前
が バ 期
、 ン の
以 チ カ
下 ェ ー
の の ン
よ 碑 王
う 文 国
な 史 を
こ 料 巡
と を る
が 主 問
確 と 題
認 し に
で て つ
興
味
深
い
こ
と
に
、
ツ
ィ
バ
ン
チ ︶
。
ェ
の
建
築
様
式
に
変
化
が
生
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
三
〇
︵
三
五
八
︶
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
︵
三
五
九
︶
が
、
不
便
に
な
っ
て
き
た
の
で
は
な
か
ろ
う
か
。
そ
の
た
め
、
戦
南
部
の
ほ
と
ん
ど
北
端
に
位
置
す
る
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
と
い
う
場
所
た
時
期
で
も
あ
る
。
こ
の
よ
う
な
活
動
を
遂
行
す
る
上
で
、
低
地
攻
撃
し
た
り
と
、
低
地
南
部
に
お
け
る
対
外
活
動
を
活
発
化
さ
せ
ー
ン
王
国
が
ヤ
シ
ュ
チ
ラ
ン
と
関
係
を
持
っ
た
り
、
パ
レ
ン
ケ
を
ム
ル
の
方
が
戦
略
的
に
有
利
で
あ
ろ
う
。
ま
た
、
こ
の
時
期
は
カ
カ
ル
と
の
戦
争
を
遂
行
す
る
に
当
た
っ
て
は
、
よ
り
近
い
カ
ラ
ク
恐
ら
く
先
古
典
期
後
期
に
巨
大
都
市
エ
ル
・
ミ
ラ
ド
ー
ル
と
密
接
居
住
を
開
始
し
た
の
は
先
古
典
期
中
期
に
ま
で
遡
る
。
し
か
も
、
だ
ろ
う
か
。
カ
ラ
ク
ム
ル
も
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
と
同
じ
く
、
人
々
が
ー
ン
王
朝
と
そ
の
国
家
と
の
関
係
は
、
ど
う
い
う
も
の
だ
っ
た
の
の
は
ど
の
よ
う
な
国
家
だ
っ
た
の
だ
ろ
う
か
。
そ
し
て
新
来
の
カ
ナ
ー
ブ
を
根
拠
地
と
し
、
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
を
領
有
し
て
い
た
っ
た
と
す
る
と
、
そ
れ
以
前
に
カ
ラ
ク
ム
ル
す
な
わ
ち
チ
ー
ク
・
カ
ー
ン
王
国
の
首
都
が
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
か
ら
カ
ラ
ク
ム
ル
に
移
と
戦
い
を
繰
り
広
げ
、
最
終
的
に
は
勝
利
を
収
め
て
い
る
。
テ
ィ
は
、
カ
ラ
コ
ル
と
同
盟
関
係
を
結
ん
だ
カ
ー
ン
王
国
が
テ
ィ
カ
ル
対
外
関
係
が
か
か
わ
っ
て
い
る
と
思
わ
れ
る
。
六
世
紀
の
後
半
に
そ
れ
に
は
ユ
ク
ヌ
ー
ム
﹁
頭
﹂
王
に
至
る
ま
で
の
カ
ー
ン
王
国
の
言
え
な
い
。
と
が
ど
の
よ
う
に
か
か
わ
っ
て
い
る
の
か
、
現
時
点
で
は
何
と
も
の
こ
と
と
、
カ
ー
ン
王
国
が
首
都
を
移
転
さ
せ
た
と
思
わ
れ
る
こ
を
境
に
勢
力
交
替
が
起
こ
っ
て
い
た
と
見
ら
れ
る
点
で
あ
る
。
こ
ユ
ク
ヌ
ー
ム
﹁
頭
﹂
王
の
治
世
に
首
都
が
移
さ
れ
た
と
す
る
と
、
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
建
築
物
に
破
壊
の
痕
跡
が
見
ら
れ
、
し
か
も
こ
れ
と 世
は で
確 あ
か る
で 七
あ︵ 世
る28
紀
︶
。 前
半
に
は
、
首
都
が
カ
ラ
ク
ム
ル
で
あ
っ
た
こ
キ
ス
ト
か
ら
判
断
し
て
、
遅
く
と
も
ユ
ク
ヌ
ー
ム
﹁
頭
﹂
王
の
治
外
活
動
を
展
開
し
た
。
し
か
し
、
ナ
ラ
ン
ホ
の
碑
銘
の
階
段
の
テ
カ
ー
ン
王
国
は
同
地
を
中
心
に
、
低
地
南
部
に
お
い
て
活
発
な
対
そ
の
治
世
は
五
世
紀
後
半
で
あ
っ
た
。
続
く
数
人
の
王
の
治
世
に
、
に
名
前
が
生
起
し
て
い
る
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
一
世
で
あ
り
、
現
在
判
明
し
て
い
る
限
り
で
最
古
の
カ
ー
ン
王
は
、
同
地
の
碑
文
れ
て
お
か
ね
ば
な
ら
な
い
の
は
、
古
典
期
後
期
が
始
ま
る
頃
に
ツ
王
国
に
と
っ
て
、
そ
れ
に
ふ
さ
わ
し
い
象
徴
的
価
値
を
獲
得
す
る
来
の
伝
統
を
誇
る
テ
ィ
カ
ル
を
凌
駕
す
る
よ
う
に
な
っ
た
カ
ー
ン
歴
史
と
規
模
を
持
つ
場
所
を
首
都
に
す
る
こ
と
は
、
先
古
典
期
以
な
点
だ
け
で
な
く
、
カ
ラ
ク
ム
ル
と
い
う
テ
ィ
カ
ル
に
匹
敵
す
る
し
て
い
る
よ
う
に
︵
根
拠
を
移
し
た
の
か
も
知
れ
な
い
。
ま
た
、
マ
ー
テ
ィ
ン
が
指
摘
と
い
う
意
味
で
重
要
だ
っ
た
と
考
え
ら
れ
る
。
た
だ
、
考
慮
に
入
Martin 2005 : 11
一
三
一
略
的
に
よ
り
優
位
な
立
地
条
件
に
あ
る
カ
ラ
ク
ム
ル
に
、
活
動
の
︶
、
こ
の
よ
う
な
実
利
的
建 少
物 な
! い
に モ
再 ニ
設 ュ
置 メ
し ン
た ト
り で
も あ
し る
て 石
い︵ 碑
る30
114
︶
。 と
古 石
典 碑
期 43
前 を
期 、
に わ
、 ざ
ツ わ
ィ ざ
中
規
模
な
い
し
小
規
模
の
都
市
で
あ
る
。
そ
の
た
め
、
各
都
市
が
ル
の
よ
う
な
大
都
市
は
む
し
ろ
例
外
的
で
、
多
数
を
占
め
る
の
は
そ
れ
ら
の
規
模
は
非
常
に
多
様
で
あ
り
、
カ
ラ
ク
ム
ル
や
テ
ィ
カ
す
る
こ
と
な
く
使
用
し
続
け
る
の
に
加
え
て
、
古
典
期
前
期
の
数
建
物
!
の
よ
う
に
、
古
典
期
前
期
に
建
立
さ
れ
た
建
築
物
を
破
壊
低
地
南
部
マ
ヤ
地
域
に
は
、
数
多
く
の
都
市
遺
跡
が
存
在
す
る
。
ェ
の
碑
文
史
料
に
基
い
て
、
こ
の
問
題
に
ア
プ
ロ
ー
チ
し
て
き
た
。
り
、
変
化
は
な
い
︵
Braswell et al. 2004 : 167 168
バ
ン
チ
ェ
に
は
蛇
頭
紋
章
文
字
、
カ
ラ
ク
ム
ル
に
は
チ
ャ
タ
ン
や
!
︶
。
更
に
、
要
で
あ
る
。
本
稿
で
は
、
主
と
し
て
カ
ラ
ク
ム
ル
と
ツ
ィ
バ
ン
チ
っ
て
い
る
の
は
、
先
古
典
期
後
期
以
来
ず
っ
と
ペ
テ
ン
地
方
で
あ
器
の
観
点
か
ら
見
て
、
カ
ラ
ク
ム
ル
が
最
も
強
い
結
び
つ
き
を
持
し
た
痕
跡
が
見
当
た
ら
な
い
の
で
あ
る
。
ま
た
、
建
築
様
式
や
土
を
本
拠
地
と
す
る
カ
ー
ン
王
国
が
、
武
力
で
カ
ラ
ク
ム
ル
に
侵
略
で
は
な
か
っ
た
よ
う
に
思
わ
れ
る
。
な
ぜ
な
ら
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
問
題
は
、
古
典
期
マ
ヤ
社
会
の
歴
史
を
考
え
る
上
で
き
わ
め
て
重
ど
れ
く
ら
い
の
も
の
で
、
そ
の
首
都
が
ど
こ
に
あ
っ
た
か
と
い
う
た
時
代
で
あ
っ
た
。
そ
れ
だ
け
に
、
カ
ー
ン
王
国
の
勢
力
範
囲
が
カ
ル
王
国
と
カ
ー
ン
王
国
が
、
他
国
を
巻
き
込
ん
で
覇
権
を
争
っ
古
典
期
は
、
低
地
南
部
マ
ヤ
社
会
の
二
つ
の
﹁
超
大
国
﹂
テ
ィ
力
の
関
係
を
確
言
す
る
こ
と
は
困
難
で
あ
る
が
、
敵
対
的
な
も
の
も
乏
し
い
た
め
、
カ
ー
ン
王
国
の
首
都
に
な
る
前
と
後
の
支
配
勢
第
六
章
お
わ
り
に
い
。
蛇
頭
紋
章
文
字
が
生
起
す
る
以
前
は
、
文
字
史
料
が
余
り
に
だ
が
、
以
前
と
比
べ
て
大
き
な
変
化
が
あ
っ
た
と
は
感
じ
ら
れ
な
が
始
ま
る
前
後
に
カ
ラ
ク
ム
ル
は
カ
ー
ン
王
国
の
首
都
に
な
る
の
の 立
も さ
と れ
に 、
統 恐
治 ら
し く
て は
い エ
た ル
の ・
で ミ
あ ラ
ろ︵ ド
う2︶9ー
。 ル
そ 盆
の 地
後 に
、 由
古 来
典 す
期 る
後 権
期 威
痕
跡
が
現
わ
れ
る
以
前
に
、
か
な
り
強
力
な
支
配
体
制
が
既
に
確
い
た
こ
と
を
考
え
併
せ
て
も
、
カ
ラ
ク
ム
ル
に
は
カ
ー
ン
王
朝
の
な
関
係
が
あ
っ
た
。
巨
大
な
規
模
を
誇
る
建
物
!
が
建
設
さ
れ
て
る
こ
と
も
可
能
で
あ
る
。
た
と
も
、
あ
る
い
は
同
一
王
朝
に
属
す
る
都
市
で
あ
っ
た
と
考
え
現
状
で
は
、
カ
ラ
ク
ム
ル
と
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
が
別
々
の
国
で
あ
っ
な
い
。
両
遺
跡
と
も
古
典
期
前
期
の
テ
キ
ス
ト
が
非
常
に
少
な
い
ヌ
ー
ム
﹁
頭
﹂
が
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
出
身
の
カ
ー
ン
王
と
表
現
さ
か
わ
る
異
な
る
文
字
が
碑
文
に
生
起
し
て
い
る
。
し
か
し
、
ユ
ク
チ
ー
ク
・
ナ
ー
ブ
と
い
う
よ
う
に
、
両
者
に
は
国
家
の
名
称
に
か
れ
て
い
る
こ
と
か
ら
見
て
も
、
こ
れ
を
排
他
的
に
考
え
る
必
要
は
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
三
二
︵
三
六
〇
︶
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
先
古
典
期
後
期
に
台
頭
し
た
カ
ラ
ク
ム
ル
を
首
都
と
す
る
王
国
が
、
て
命
名
さ
れ
た
名
称
で
あ
る
。
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
・
グ
ル
ー
プ
で
発
の
名
称
が
判
明
し
つ
つ
あ
る
が
、
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
は
最
近
に
な
っ
の
が
明
確
な
の
は
、
古
典
期
後
期
に
入
る
頃
か
ら
で
あ
り
、
そ
れ
カ
ム
ハ
と
い
う
よ
う
に
、
近
年
マ
ヤ
の
都
市
の
本
来
い
ず
れ
に
せ
よ
、
カ
ラ
ク
ム
ル
が
カ
ー
ン
王
国
の
中
心
に
な
る
の
新
た
な
碑
文
史
料
の
発
見
や
解
読
が
不
可
欠
で
あ
ろ
う
。
王
国
と
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
、
カ
ラ
ク
ム
ル
の
関
係
の
解
明
も
、
今
後
の
は
、
新
た
な
碑
文
の
発
見
や
解
読
の
進
展
で
あ
っ
た
。
カ
ー
ン
意
味
す
る
の
か
わ
か
ら
な
か
っ
た
。
結
局
こ
の
問
題
を
解
決
し
た
︵
︵ 註
2
1
︶
総 ︶
人 こ
テ
口 れ
ィ
は に
カ
一 対
ル
五 し
は ︶
。 ・ 〇 、
ヤ
万 テ
シ
・ 人 ィ
ュ
で カ
・
あ ル
ム
っ の
タ
た 最
ル
と 大
推 支
定 配
さ 領
れ 域
て は
、
い 一
パ
る 二
レ
︵
ン
六
ケ
〇
は
〇
ラ
$
、
Braswell
見
さ
れ
た
木
製
の
リ
ン
テ
ル
の
一
つ
に
、
長
期
計
算
法
で
五
五
四
以
前
に
こ
の
都
市
を
本
拠
地
に
し
て
い
た
国
が
ど
う
い
う
存
在
で
et al. 2004 : 162 167 171 ; Folan et al. 1995 : 310 ; Folan et
年
の
日
付
が
刻
ま
れ
て
い
る
も
の
が
あ
り
、
こ
の
リ
ン
テ
ル
に
ち
あ
り
、
ま
た
そ
の
国
と
カ
ー
ン
王
国
と
が
ど
の
よ
う
な
関
係
に
あ
Yax Mutal
な
ん
で
、
遺
跡
全
体
が
﹁
木
の
文
字
﹂
を
意
味
す
る
︶
。 ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
と
名
付
け
ら
れ
た
の
で
あ
る
︵
っ
た
か
は
現
在
の
と
こ
ろ
明
ら
か
に
な
っ
て
い
な
い
。
従
っ
て
、
al. 2001 : 227
っ だ 表
た け 面
。 で を
な 漆
く 喰
、 で
数 鋪
十 装
㎞ さ
離 れ
れ て
た い
都 た
市 。
を 都
つ 市
な 内
ぐ の
長 各
大 地
な 区
も を
の つ
も な
あ ぐ
︵
3
︶
マ
ヤ
語
で
﹁
白
い
道
﹂
を
意
味
す
る
道
路
。
石
と
土
で
盛
ら
れ
、
古
典
期
を
通
じ
て
低
地
南
部
マ
ヤ
社
会
の
一
大
強
国
と
し
て
の
強
Lacamha’
︵
三
六
一
︶
で 盛
あ を
る 誇
と っ
言 た
わ よ
ざ う
る に
を 語
得 ら
な︵ れ
い31
て
︶
。 い
本 る
稿 現
で 状
は は
、 、
蛇 き
頭 わ
紋 め
章 て
文 不
字 適
を 切
Nalda 2004 : 15
一
三
三
持
つ
国
に
対
し
て
﹁
カ
ー
ン
王
国
﹂
と
い
う
仮
称
を
用
い
、
そ
の
文
字
を
有
し
て
い
る
こ
と
が
判
明
し
た
当
初
、
こ
の
事
実
が
何
を
よ
う
に
、
距
離
が
離
れ
て
い
る
に
も
か
か
わ
ら
ず
、
同
一
の
紋
章
て
も
納
得
し
や
す
い
。
し
か
し
、
テ
ィ
カ
ル
と
ド
ス
・
ピ
ラ
ス
の
に
、
近
距
離
に
あ
る
都
市
の
場
合
は
、
同
一
国
家
に
あ
っ
た
と
し
の
が
困
難
な
場
合
が
あ
る
。
ド
ス
・
ピ
ラ
ス
と
ア
グ
ア
テ
カ
よ
う
の
複
数
の
都
市
が
単
一
の
国
家
に
属
し
て
い
た
の
か
、
判
断
す
る
独
立
国
家
の
首
都
な
の
か
、
そ
れ
と
も
二
つ
あ
る
い
は
そ
れ
以
上
た で あ の
い き る 支
。 な い 配
か は 勢
っ 全 力
た く に
。 別 関
こ 個 し
の の て
問 勢 は
題 力 、
に な カ
つ の ー
い か ン
て 明 王
は 確 朝
今 な と
後 判 同
の 断 一
検 を の
討 下 勢
課 す 力
題 こ な
と と の
し が か
っ
た
と
の
説
に
従
っ
た
。
し
か
し
、
古
典
期
前
期
の
カ
ラ
ク
ム
ル
首
都
が
最
初
は
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
で
あ
り
、
後
に
カ
ラ
ク
ム
ル
に
移
て
い
る
の
が
特
徴
で
あ
る
。
率
Hansen
K’ak’ Tiliw Chan
ラ
ド
ー
ル
と
の
間
は
多
数
の
サ
ク
ベ
で
結
ば
れ
て
い
た
︵
サ
ク
ベ
で
ナ
ク
ベ
と
つ
な
が
っ
て
い
た
が
、
と
り
わ
け
エ
ル
・
ミ
所
の
入
口
が
あ
り
、
天
辺
に
屋
根
飾
り
が
置
か
れ
た
神
殿
が
載
っ
︵
9
︶
先
古
典
期
後
期
の
北
東
ペ
テ
ン
地
方
の
ほ
と
ん
ど
の
大
都
市
は
、
式
。
ピ
ラ
ミ
ッ
ド
状
に
聳
え
る
基
壇
の
上
部
に
、
中
央
部
に
一
か
で
あ
ろ
う
。
時
間
が
か
か
っ
た
の
も
、
テ
ィ
カ
ル
が
そ
の
先
駆
け
だ
っ
た
か
ら
の
で
あ
り
、
王
国
が
成
立
し
て
か
ら
紋
章
文
字
が
出
現
す
る
ま
で
が
統
べ
る
政
治
体
を
示
す
も
の
と
し
て
紋
章
文
字
が
案
出
さ
れ
た
は
、
個
々
の
建
築
ま
ら
ず
、
建
築
物
に
つ
い
て
も
言
え
る
。
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
を
調
査
︵
4
︶
ツ
ィ
バ
ン
チ
ェ
の
規
模
の
壮
大
さ
は
遺
跡
自
体
の
面
積
に
と
ど
突
出
し
て
早
い
。
恐
ら
く
、
王
権
が
成
立
し
て
以
降
、
そ
の
王
権
の
点
で
も
、
他
の
古
典
期
マ
ヤ
の
諸
都
市
と
比
べ
る
と
時
期
的
に
る
カ
ラ
ク
ム
ル
を
除
く
と
、
王
権
成
立
の
点
で
も
紋
章
文
字
出
現
し
た
碑
文
学
者
の
グ
ル
ー
ベ
Nikolai Grube
が
指
揮
す
る
メ
キ
シ
コ
国
立
人
類
学
歴
史
学
研
究
い
る
カ
ン
ペ
チ
ェ
自
治
大
学
、
続
い
て
カ
ラ
ス
コ
︵
1
0
例 ︶
し こ
か の
な 称
い 号 ︶
。
。 の
一 生
つ 起
は 例
キ は
リ き
グ わ
ア め
ー て
少
な
く
、
に 他
あ に
り は
、 二
同 つ
国 の
王 事
Quirigua
の
名
が
﹁
チ
ー
が
八
〇
〇
年
に
建
立
し
た
石
碑
Ⅰ
に
、
七
三
六
年
の
日
付
カ
ッ
ク
・
テ
ィ
リ
ウ
・
チ
ャ
ン
・
ヨ
ア
ー
ト
所
が
大
々
的
な
調
査
を
実
施
し
て
い
る
。
1998 : 75
と
共
に
ワ
マ
ウ
・
カ
ウ
ィ
ー
ル
ス
が
同
書
を
出
版
し
た
当
時
、
蛇
頭
紋
章
文
字
が
ま
だ
他
の
遺
跡
︵
5 ︵
物
︶
の
ペ
大
テ
き
ン
さ
地
方
が
の
カ
テ
ラ
ィ
ク
カ
ム
ル
ル
遺
跡 註 に
で3
9比
典 ︶ 肩
型 。 し
的
う
に
る
見
と
ら
述
れ
べ
る
て
建
い
築
る
様
Velásquez García 2004 : 102
で
は
ほ
と
ん
ど
確
認
さ
れ
て
お
ら
ず
、
従
っ
て
参
考
に
は
な
ら
な
Yoaat
ク
・
ナ
ー
ブ
の
ア
ハ
ウ
﹂
と
し
て
言
及
さ
れ
て
い
る
︵
Martin and
註
2
︶
。
の も
ブ う
ロ 一
ッ つ
ク は
に カ
あ ラ
り ク
、 ム
七 ル
五 の
一 建
年 物
の1
3
日 の
付 残
と 骸
共 で
に 見
こ つ
の か
称 っ
号 た
が 碑 !
生 文
︶
。
い
か
ら
で
あ
る
。
Wamaw K’awiil
!
に
取
る
と
、
紋
章
文
字
が
出
現
し
て
い
な
い
か
ら
と
言
っ
て
、
王
Grube 2008 : 114 ; Martin 2005 : 10 ; Tunesi 2007 : 15 16
Martin 2005 : 10 11 ; Tunesi 2007 : 16
起
し
て
い
る
︵
国
が
ま
だ
成
立
し
て
い
な
か
っ
た
と
は
考
え
ら
れ
な
い
。
な
ぜ
な
Ramón Ca-
ら
、
テ
ィ
カ
ル
で
王
権
が
確
立
し
た
の
は
、
紋
章
文
字
の
出
現
よ
︵
6
︶
一
九
八
〇
年
代
以
降
、
先
ず
フ
ォ
ー
ラ
ン
William Folan
り
か
な
り
遡
る
と
思
わ
れ
る
か
ら
で
あ
る
。
テ
ィ
カ
ル
で
は
先
古
ー チ い
ル ャ ず
ー れ
ク の
・ 例
カ も
ー 、
ク 六
が 九
テ 五
ィ 年
に カ 八
敗 ル 月
れ の に
、 ハ カ
衰 サ ー
退 ウ ン
期 ・ 王
に チ ユ
入 ャ ク
っ ン ヌ
て ・ ー
以 カ ム
降 ウ ・
の ィ イ
Jasaw Chan K’awiil
PSS
︵
1
1
︶ も
の
で
と あ
略 る
し 。
て
用
い
ら
れ
る
。
マ
ヤ
文
字
テ
キ
ス
ト
の
中
で
、
典
期
後
期
、
紀
元
後
一
世
紀
ま
で
に
は
世
襲
王
権
が
確
立
・ し
て
い
︶
。
た
可
能
性
が
指
摘
さ
れ
て
い
る
︵
︵
7
︶
カ
ラ
ク
ム
ル
の
事
例
を
表
中
に
含
め
て
い
な
い
の
は
、
マ
ー
カ
rrasco Valgas
こ
れ
は
初
め
て
紋
章
文
字
が
生
起
す
る
約
二
〇
〇
年
前
の
こ
と
で
Moholy-Nagy 2003 : 90 103
あ
る
。
こ
の
よ
う
に
テ
ィ
カ
ル
の
場
合
は
、
こ
こ
で
考
察
し
て
い
︵
8
︶
た
だ
し
、
古
典
期
マ
ヤ
最
大
の
国
家
で
あ
っ
た
テ
ィ
カ
ル
を
例
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
三
四
︵
三
六
二
︶
︵
1
6︵
な ︶
、 カ
数
ロ
カ
ー
国
ム
に
テ
支
配
︶
を
。
及
ぼ
す と
よ は
う 、
な テ
強 ィ
大 カ
な ル
権 や
力 カ
を ー
持 ン
つ の
国 よ
の う
の
よ
う
な
少
数
の
都
市
で
は
、
ホ
ト
ゥ
ン
完
了
が
祝
わ
れ
た
だ
が
、
キ
リ
グ
ア
ー
や
ピ
エ
ド
ラ
ス
・
ネ
グ
ラ
ス
に
引
き
続
い
て
、
! 土
器
・ の
Kaloomte
Piedras Negras
最
も
よ
く
見
ら
れ
る
文
字
群
で
あ
る
。
き
わ
め
て
定
式
化
さ
れ
た
Sharer 2006 : 754
Ox-
テ
キ
ス
ト
で
、
も
っ
ぱ
ら
土
器
表
面
の
口
縁
部
の
下
、
あ
る
い
は
刻
ま
れ
る
こ
と
は
滅
多
に
な
い
。
Coe 1992 : 224 225
La
︵
1
7
だ ︶ 王
と ウ の
考 シ み
え ュ が
る テ 称
と ト す
、 ゥ る
カ
こ
ラ ー と
ン
ク
が
ム が で
カ
ル
き
の ラ た
ク
近
称
郊 ム 号
ル
に
で
あ を あ
含
る
る
オ む 。
広
シ
ュ い
ペ 領
ム 域
ル の
名
称
基
底
部
の
上
に
沿
っ
て
帯
状
に
描
か
れ
、
逆
に
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
所
有
者
の
名
前
や
称
号
が
記
さ
れ
る
︵
PSS
245 248 265 ; Coe and Stone 2001 : 99 103
Porvenir
の
碑
文
で
、
同
地
の
王
が
﹁
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
の
オ
シ
Zacatal
、
ラ
・
ム
ラ
ー
リ
ャ
︵
1
2
︶
ナ !
ク
、 ベ ・
サ 以
カ
タ 外
ル に
、
エ
ル
・
、 ミ
ポ ラ
ル ド
ベ ー
ニ
ル
ー 、 !
ル ラ
・ ︶
。
ム
エ
、 ル
パ タ
カ
Muerta
Špraj
︶
。
こ
の
場
合
、
オ
シ
ュ
ペ
ム
ュ
ペ
ム
ル
王
﹂
と
し
て
言
及
さ
れ
て
い
る
の
も
得
心
が
い
く
︵
、
テ
ィ
ン
タ
ル
pemul
ル
王
が
ウ
シ
ュ
テ
ト
ゥ
ー
ン
と
い
う
領
域
に
対
す
る
支
配
権
を
主
ヤ
La Muralla
Martin and Grube 2008 : 73 95 ; To-
え
ら
れ
て
い
る
。
カ
ラ
コ
ル
を
打
ち
破
っ
た
ナ
ラ
ン
ホ
が
、
一
種
2007 : 79 ; Tokovinine 2007 : 21
kovinine 2007 : 15
れ 建 の
た 物 戦
よ1
8利
う が 品
な 現 と
の 在 し
で 見 て
あ ら そ
る れ れ
︵ る を
規 持
模 ち
に 帰
増 り
築 、
さ 七
れ 世
た 紀
際 の
に あ
取 る
・ り 時
付 期
け に
ら 、
︵
︵
1
9
1
8
ホ ︶ く ︶ 張
の こ 三 な し
碑 の つ お て
銘 よ の 、 い
の う 地 ペ る
階 な 区 テ と
段 例 の ン 解
一 は 初 様 釈
は 、 期 式 で
、 他 の の き
元 に 建 建 る
々 も 物 築 。
は 見 に 技
カ ら 明 法
ラ れ 瞭 は
コ る に 、
ル 。 見 ト
で た い ゥ
建 と 出 テ
造 え せ ィ
さ ば る ル
れ 、 。 地
た ナ
区
と ラ
を
除
考 ン
な
ど
で
出
土
し
て
い
る
が
、
い
ず
れ
も
土
器
の
化
学
成
分
は
異
な
Tintal
は
長
期
計
算
法
と
呼
ば
れ
る
暦
が
用
い
ら
れ
、
と
り
わ
け
石
造
モ
︵
1
3
つ ︶ っ
の 截 て
小 形 い
神 ピ る
殿 ラ ︵
が ミ
向 ッ
き ド
合 型
い の
、 基
全 壇
体 上
で で ︶
。
三 、
角 中
形 央
を の
構 大
成 神
す 殿
る の
よ 前
う に
に 二
Pacaya
ニ
ュ
メ
ン
ト
に
刻
ま
れ
た
。
こ
れ
は
紀
元
前
三
一
一
四
年
九
月
八
︵
︵
1
5
1
4
る ︶ い ︶ 配
。 ホ る
太 置
本 ト 建
陽 さ
文 ゥ 築 の れ
で ン 複 周 た
し と 合 期 も
ば は 。 を の
し 、
観 。
ば カ
測
引 ト
す
用 ゥ
る
し ン
た
て の
め
い 四
に
る 分
建
が の
設
、 一
さ
古 の
れ
典 期
た
期 間
と
マ の
考
ヤ こ
え
社 と
ら
会 で
れ
で あ
て
Grube 2004a : 124
tun
︵
2
0
の ︶
数 各
字 ブ
が ロ
付 ッ
さ ク
れ は
て モ
い ニ ︶
。
る ュ
。 メ
こ ン
の ト
う と
ち 命
、 名
モ さ
ニ れ
ュ 、
メ 2
ン か
ト ら
2
22
、 ま
モ で
k’in
︵
三
六
三
︶
二 ニ
つ ュ
に メ
分 ン
け ト
ら 7
れ と
て モ
お ニ
り ュ
、 メ
モ ン
ニ ト
ュ 8
メ の
ン 三
ト つ
1
0は
は 、
a 更
、 に
b a
、 と
c b
の の
bak’tun
一
三
五
て
石
碑
な
ど
の
記
念
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
が
建
立
さ
れ
た
り
し
た
の
winal
カ
ー
ン
王
国
の
拠
点
に
つ
い
て
カ ︵ ︵ を 日
2
01
8
ト カ ウ 最 を
ゥ ト ィ 小 起
ン ゥ ナ と 点
と
の ン ル
期 ︶ ︶ し す
間 の 、 て る
の 単 カ 、 一
完 位 ト ウ 種
了 で ゥ ィ の
絶
は 構 ン
︵ ナ 対
重 成2
0ル 暦
要 さ ト
で
視 れ ゥ
、
さ て ン
︵ 一
れ い ︶2
0日
、 た 、 キ に
し 。 バ
相
ば 中 ク ン 当
し で ト ︶
、 す
ば も ゥ ト る
王 と ン ゥ キ
に り
ン ン
よ わ
っ け
在
す
る
カ
ー
ン
王
で
あ
り
、
王
朝
の
創
始
者
で
あ
る
可
能
性
が
高
︶
。
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
と
い
う
の
は
、
恐
ら
く
最
古
の
実
朝
の
創
始
者
と
考
え
ら
れ
て
い
た
こ
と
が
窺
え
る
︵
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
二
世
が
カ
ラ
ク
ム
ル
を
拠
点
と
す
る
王
︵
2
8
と ︶ こ
石 そ と
碑 の も
8 こ で
の と き
テ を な
キ 示 い
ス 唆 。
ト す
が る
挙 も
げ の
ら と
れ し
る て
。 、
こ カ
の ラ
テ ク
キ ム
ス ル
ト の
か 石
ら 碑
は 115
、
Xook
い
と
思
わ
れ
る
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
一
世
と
同
名
で
あ
る
。
Xook Mo’
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
二
世
が
即
位
に
際
し
て
こ
の
王
名
を
採
の
入
り
口
と
も
考
え
ら
れ
て
い
る
の
で
、
﹁
穴
に
入
る
﹂
と
い
う
表
K’ak’ Mo’
用
し
た
こ
と
に
は
、
自
分
が
新
し
い
都
で
始
ま
る
王
朝
の
創
始
者
現
は
、
死
ぬ
べ
き
運
命
に
あ
っ
た
捕
虜
が
、
死
後
地
下
世
界
へ
と
︵
2
2
別 ︶ モ
ば
、
の ナ ニ
解 ル ュ 、 モ
釈 ダ メ モ ニ
も は ン ニ ュ
提 、 ト ュ メ
ン
1
示 こ2
メ
し の の ン ト
5
て ﹁ 捕
ト の
い オ 虜1
7
る チ は の 捕
虜
。 ・ カ
彼 チ ッ 捕 の
に ェ ク 虜 名
よ ン ・ は は
る ﹂ モ シ シ
ョ ョ
と と
ー ー
、 い
ク ク
穴 う
・ ・
は 句
地 に で モ ウ
チ
下 つ あ
ャ
世 い る
界 て 。
へ 、
、
Ucha’
で
あ
る
こ
と
を
誇
示
し
よ
う
と
す
る
意
図
が
込
め
ら
れ
て
い
る
の
︶
。
し
か
し
、
石
碑
に
し
て
も
リ
ン
テ
ル
に
し
て
も
、
お
入
っ
て
行
く
こ
と
を
表
し
て
い
る
と
い
う
の
で
あ
る
︵
Martin 205 :
か
も
知
れ
な
い
。
こ
れ
は
、
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
ェ
ー
ン
二
世
の
治
よ
そ
マ
ヤ
地
域
の
モ
ニ
ュ
メ
ン
ト
は
、
支
配
者
が
自
ら
の
権
威
や
8
六 世
五 で
七 王
年 朝
に に
ユ 断
ク 裂
ヌ が
ー あ
ム っ
・ た
チ こ
ェ と
ー を
ン 意
二 味
世 し
が な
建 い
︵ 立 。
五 し と
九 た 言
三 石 う
年 碑 の
3も
八3
、
権
力
を
視
覚
的
に
顕
示
あ
る
い
は
正
当
化
す
る
た
め
に
建
て
ら
れ
Nalda
に
、
﹁
渦
巻
き
蛇
﹂
王
の
即
位
や
、
彼
が
た
も
の
で
あ
る
。
従
っ
て
、
敗
者
の
地
下
世
界
へ
の
旅
を
わ
ざ
わ
2004 : 29
月
二
二
日
︶
に
カ
ト
ゥ
ン
完
了
の
儀
式
を
行
っ
た
こ
と
が
記
さ
れ
9.8.0.0.0
Martin 2000 : 43, 2005 : 7 ; Martin and
て
い
る
か
ら
で
あ
! る
︵
︶
。
こ
の
こ
と
か
ら
、
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
チ
︵
2
3
シ ︶ ざ
ア 本 モ
に 稿 ニ
よ の ュ
メ
る ツ ン
ィ
ス
ト
ペ バ で
ン
イ
チ 表
ン ェ 現
語 の し
訳 碑 た
︵ 文 と
の は
訳 考
は え
、 ら
ベ れ
ラ な
ス い
ケ 。
ス
・
ガ
! ル
Velásquez García 2004 : 87
B’ahlam
ェ
ー
ン
二
世
が
﹁
渦
巻
き
蛇
﹂
王
と
同
一
の
王
統
に
属
し
て
い
た
Grube 2008 : 105 106
こ
と
が
推
測
さ
れ
る
。
﹁
渦
巻
き
蛇
﹂
王
に
関
し
て
は
、
彼
こ
そ
が
︵
2
4
ェ ︶
ー 判 ︶
ン 読 に
の で 依
文 き 拠
字 る し
だ の て
け は い
で 、 る
あ バ 。
る ー
。 ラ
捕 ム
虜
の
肖
像
も と
ほ ユ
と ク
ん ヌ
ど ー
残 ム
っ ・
て チ
102
GIII
︵ ︵
5
2
62
︶ ︶ い
な
モ
い
ニ
。
ュ は
メ 、
ン い
ト わ
2
2ゆ
に る
は ﹁
、 パ
同 レ
日 ン
に ケ
別 三
の 神
捕 ﹂
虜 の
が 一
捕 柱
ら で
え あ
ら る
れ 。
た
チ
ェ
ー
ン
一
世
も
含
め
て
、
複
数
の
王
で
あ
る
こ
と
を
否
定
す
る
文
字
が
磨
滅
し
て
い
て
も
、
名
前
が
わ
か
る
例
も
あ
る
。
た
と
え
ニ
ュ
メ
ン
ト
で
事
績
が
顕
彰
さ
れ
て
い
る
の
は
、
ユ
ク
ヌ
ー
ム
・
状
を
し
た
飾
り
で
も
表
わ
さ
れ
て
い
る
。
従
っ
て
、
テ
キ
ス
ト
の
か
生
没
年
さ
え
も
不
詳
で
あ
る
。
従
っ
て
、
こ
の
戦
勝
記
念
の
モ
︵
2
1
捕 ︶ 三
虜 興 つ
の 味 に
ベ 深 分
ル い け
ト こ ら
の と れ
背 に て
中 、 い
の 捕 る
あ 虜 。
た の
り 名
に は
ぶ テ
ら キ
下 ス
が ト
っ の
て 中
い だ
る け
頭 で
の な
形 く
、
︵
2
7
ブ ︶ こ
ロ ユ と
ッ ク が
ク ヌ 記
に ー さ
し ム れ
か ・ て
生 チ い
起 ェ る
し ー 。
て ン
い 一
な 世
い の
た 名
め は
、 こ
詳 の
細 ツ
な ィ
経 バ
歴 ン
は チ
お ェ
ろ の
史
学
第
七
八
巻
第
三
号
一
三
六
︵
三
六
四
︶
2004 : 102
Velásquez García
Martin
2009
Martin 2008 ; Esparza Olguín and Pérez Gutiérrez
Snake Kingdom
る 王 文
︵ 国 字
を
︶
。
持
つ
国
家
を
特
﹂ 定
あ の
る 遺
い 跡
は と
カ 結
ー び
ン つ
の け
名 る
称 こ
で と
通 な
し く
て 、
﹁
い 蛇
Barrera Vásquez, Alfredo
Braswell, Geoffrey E.
de la Socíeté des Américanistes 47 : 111 119.
1958 El glifo “emblema” en las inscripciones mayas. Journal
Berlin, Heinrich
rial Porrúa, S. A., México, D. F.
︶
。
こ
の
説
に
よ
る
と
、
ン
王
国
が
衰
退
し
た
八
世
紀
前
半
に
再
び
カ
ラ
ク
ム
ル
を
奪
回
し
1995 Diccionario Maya : Maya-Español Español -Maya . Edito-
!
た
。
カ
ラ
ク
ム
ル
の
建
物
!
に
古
典
期
前
期
の
﹁
コ
ウ
モ
リ
王
カ
ー
ン
王
国
に
首
都
を
奪
わ
れ
た
﹁
コ
ウ
モ
リ
王
国
﹂
は
、
カ
ー
国
﹂
時
代
に
建
立
さ
れ
た
石
碑
が
再
設
置
さ
れ
た
の
は
、
そ
の
せ
2003 Introduction : Reinterpreting Early Classic Interaction .
D., Wayne K. Howell and Stanley P. Guenter 2008 : 25
and Stanley P. Guenter 2007 : 187 208 ; Hansen, Richard
Freidel, David A., Hector L. Escobedo
Transition, and Transformation
In The Terminal Classic in the Maya Lowlands : Collapse ,
2004 ‘Defining the Terminal Classic at Calakmul, Campeche.’
Abel Morales López, and Michael D. Glascock
Domínguez Carrasco, William J. Folan, Laraine A. Fletcher,
Braswell , Geoffrey E . , Joel D . Gunn , María del Rosario
Texas Press, Austin.
Interaction Braswell, Geoffrey E., ed. : 1 43. University of
!
In The Maya and Teotihuacan : Reinterpreting Early Classic
!
︶
Naach-
あ
っ
た
の
が
、
後
に
カ
ラ
ク
ム
ル
に
移
っ
た
と
の
説
が
、
次
第
に
容
認
さ
れ
つ
つ
あ
る
︵
︵
Uxul
︶
。
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