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サンゴ礁台地の島の自然と暮らし

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サンゴ礁台地の島の自然と暮らし
サンゴ礁台地の島の自然と暮らし 沖縄県宮古島 22001144..1111..44--77 0
現地研究「宮古島」2014 年度秋学期 担当:前杢英明
■テーマ:サンゴ礁台地の島の自然と暮らし
■日程:2014 年 11 月 4 日(火)〜7 日(金)3 泊 4 日
■参加者:15 名(学生)
■対象学年:2〜4 年生
■費用:30000 円(概算)ただし往復交通費は別
■募集期間:7 月 7 日(月)〜7 月 28 日(月)
■説明会:9 月 22 日(月)18:30〜19:30、BT1300
■説明会:10 月 6 日(月)18:30〜19:30、BT1300(台風のため中止)
■事前課題提出締切:10 月 20 日(月)12:00
■直前準備会:10 月 29 日(水)18:30〜20:00、BT1300(パンフ作成、部
屋割り、最終確認)
■行程:
1 日目:19:00 頃 ホテルピースアイランド宮古島集合、点呼、明日以降の連
絡事項を伝達後、自由行動。 2 日目:8:30 ホテル出発→貸切りバスで宮古島巡見(昼食は出発までに各自
準備)→ホテル(18:00)ホテル到着後、3 日目の連絡事項。夕食はホテル周
辺で各自。
3 日目:各自の課題調査計画に従って出発。ホテルには遅くても 18:00 までに
帰ること。18:00〜19:00 報告会。夕食はホテル周辺で各自。 4 日目:朝食後、解散。 ◎宿泊施設
★ホテルピースアイランド
沖縄県宮古市平良字西里 310
0980-74-1717
http://peace-k.jp/miyako/
朝食付き。
1
★事前課題一覧
1.先島諸島の地形(地形の概要)・・
2.八重干瀬とサンゴ礁地形・・
3.宮古列島の気候・・
4.宮古市の概要(人口構造、主要産業など)・・
5.宮古島の植生(概要)・・
6.宮古島の動物・・
7.宮古島の地質・・
8.明和大津波と津波石・・
9.宮古島のマングローブ・・
10.宮古島の水資源と地下ダム・・
11.宮古島の観光産業とイベント・・
12.宮古島周辺島嶼との架橋問題と下地空港・・
13.宮古島の歴史 ・・
14.御獄(うたき)文化・・
15.ビーチロックとは何か・・
★グループ研究テーマ
1.伊良部島及び下地島の自然と人々の暮らし
2.地下ダムの建造前後の宮古島の変遷
3.宮古島における観光産業と人々のくらし
4.サンゴ礁島の石灰岩地形の調査
5.宮古の自然と文化に触れる
2
★二日目(11 月 5 日)バス巡見コース
8:30 ホテルピースアイランド発
8:40 漲水御嶽 着
8:45 漲水御嶽 発
8:50 人頭税石 着
8:55 人頭税石 発
9:10 砂山ビーチ 着
9:30 砂山ビーチ 発
9:50 島尻火番盛跡 着
10:05 島尻火番盛跡 発
10:15 島尻マングローブ 着
10:35 島尻マングローブ 着
10:50 池間大橋 着発(往復)車窓
11:00 西平安名崎 着
11:15 西平安名崎 発
11:25 琉球石灰岩と島尻層群の露頭(10 分で見学)
11:45 熱帯植物園 着(各自持参した昼食を取る)
12:15 熱帯植物園 発
12:35 浦底ビーチ 着(野城泉等途中見学)
12:55 浦底ビーチ 発
13:15 東平安名崎 着
13:45 東平安名崎 発
(途中 メガソーラー車中見学)
14:25 地下ダム資料館 着
15:25 地下ダム資料館 発
(途中ムイガーを道路脇から写真撮る)
(友利の入江インギャー経由)
15:45 友利のアマガー 着
15:55 友利のアマガー 発
16:05 宮古製糖裏の道 着(ライムストーンウォールの説明)
16:15 宮古製糖裏の道 発
16:35 来間島展望台 着
16:50 来間島展望台 発
17:05 長崎ふれあい遊歩道 着(ビーチロックの説明)
17:20 長崎ふれあい遊歩道 発
18:00 ホテルピースアイランド着
3
先島諸島の地形(概説)
Ⅰ 大地形
先島諸島は、宮古列島と八
重山列島を合わせたもので、
琉球弧の南西部にある島々
である。
先島諸島の存在する琉球
弧の東側には琉球海溝があ
り、沖縄島南東を境として、
海溝軸が屈折している北東
部と琉球弧に平行な南西部
にわけられる。南西部におけ
る海溝の水深は南西に向か
うほど浅く、その幅も広くな
っている。琉球弧の西側には
沖縄トラフがある。このトラ
フの水深は、九州西岸沖で約
700m、慶良間列島西方で約
2000m と南西に向かうにつ
れて深くなり、石垣島北方で
約 2300m と最も水深が深く
なる。このトラフの本格的な
形成は前期更新世から始ま
り、現在も活動中である。
先島諸島のある琉球弧
図 1 琉球弧 (町田ほか 2001 p226 より一部加筆)
は、トカラ海峡、慶良間
海裂で区分することができ、先島諸島は慶良間海裂の南西部に位置する。琉球
弧の列島の周りには 500m 島棚面と呼ばれる大陸棚が発達している。この島棚
は慶良間海裂の南西側で特に広くなっている。また、大陸棚南東側の斜面の下
には水深 1500 から 2500m の平坦面が存在する。この平坦面は慶良間海裂から
宮古島の間で最も幅が広く、水深も浅くなっている。
4
Ⅱ 各島々の地形
表 1 各島々の分類 (町田ほか 2001 p224 より)
先島諸島を含む南西
諸島はサンゴ礁があり、そ
のほとんどが裾礁となっ
ている。ただし、石垣島と
西表島の間にある石西礁
湖は堡礁になっている。
先島諸島を含む南西諸
島の島々は大きく分けて、
(1)山地や丘陵地をサンゴ
礁段丘が囲んでいるもの
と、(2)島の頂部までサンゴ
礁段丘からなるものがあ
る。(1)はさらに、新第三紀
以前の古期岩石からなる
ものと、新第三紀層からな
るもの、火山からなるもの
に細分される。ただし、先
島諸島に火山からなるも
のは無い。(2)は島尻層群を
基盤としてサンゴ礁石灰
岩が島の頂部まで覆っているものがほとんどである。
上記のように、先島諸島を含む南西諸島の島々は、島の多くないしすべてを
石灰岩に覆われている。このため、種々のカルスト地形を見ることができる。
特に、円錐カルストや石灰岩堤が特徴的である。円錐カルストは、溶食が進む
ことによって残った円錐形の凸地が目立つようになった地形である。この地形
は、多雨や、有機物が活発に活動することで、本土よりも溶食作用が促進され
形成された。先島諸島では宮古島や石垣島で見ることができる。石灰岩堤は、
亜熱帯から熱帯気候下で石灰岩の急崖が固結する一方、石灰岩の平坦面は面を
覆う土壌による溶食作用によって浸食されることによってできる、急崖部が侵
食から取り残された残存地形と考えられている。先島諸島では宮古島や伊良部
島に発達する。
石灰岩で覆われていない西表島では、エチオピアなどで見られる熱帯山地の
谷地形に類似した樋状谷が見られ、その谷の上流部は半円谷頭となっている。
参考文献
町田ほか(2001),日本の地形 7 九州・南西諸島,東京大学出版会
5
八重干瀬とは? 池間島から北へ約 16km 沖にある、大小
100 以上に分かれている暗礁群のこと。 普段は波の下に隠れているが、大潮にあ
たる旧暦 3 月 3 日近くの 3 日間だけ、姿
を現す。 この日の潮干狩りは、「サニツ」と呼ば
れる伝統行事で、フェリーも運航される。
領域の大きさは宮古本島の 3 分の 1 とも
4 分の 1 ともいわれ、
「幻の大陸」と言わ
れる。 現地では「ヤビジ・ヤビシ」と発音される。 八重干瀬と漁師 八重干瀬周辺は古くから優良な漁場と
して知られる。しかしまかり間違えば、
航行する船は暗礁に乗り上げて座礁して
しまう。 そのため、八重干瀬の暗礁には一つ一つ
に名前が付けられ、その地名が目印にな
っている。 またその昔、スビーと呼ばれる宝貝(当
時の貨幣)が、八重干瀬を中心に近海のリ
ーフで豊富に採れた。 それらを求め、黒潮に乗って大陸から渡ってきた人々の一部が、宮古島等の島々
に定着したのではないか、ともいわれる。 八重干瀬と観光 毎年サニツの時期になると、潮干狩りやダイビング等で、多くの観光客が訪れ
る。しかし、上陸の際などの環境破壊が問題となったため、平成 16 年には生物
採取の禁止等を盛り込んだ「観光振興と環境保全のガイドライン」が策定され
た。 6
サンゴ礁地形 サンゴ礁地形は、大きく裾
礁・堡礁・環礁の 3 つに分類さ
れる。また、沈降説によると、
その順で形成される。 日本のサンゴ礁は沖ノ鳥島を
例外とすると、すべて裾礁であ
る。 サンゴ礁は海面下でしかつくられないため、海面上にあるサンゴ礁は、隆起サンゴ礁
と呼ばれる。南西諸島の約 3 分の 2 がそれによる隆起サンゴ島である。 造礁サンゴの生育条件 造礁サンゴは環境に敏感で、以下のような条件が揃ってはじめて生息が可能と
なる。 (1) 最寒月の水温が 18℃前後 (2) 水深の浅い海 (3) 泥水・淡水を避けた透明な海水 水深・透明度は、光合成を行うための照度に影響する。 また、適度な塩分濃度が必要なため、淡水では生息できない。 そのため、島から河川が流出する沿岸部分はサンゴ礁が途切れ、切れ目(クチ)
となり港が立地する。 サンゴ礁の破壊 ・人的被害 サトウキビ畑の農地造成、道路やゴルフ場
建設のため、島部の植生被覆を破壊する。 そのため、細かい土砂が海面に流出し、水
面に赤土が浮かぶ。それによって水面下が 斜光され、サンゴの生息が困難になる。 ・自然的被害 1992 年頃、鳩間島付近でオニヒトデが大量発生し、 生きた造礁サンゴの食害が起こった。 7
3.宮古島の気候
宮古島地方は、高温多湿な亜熱帯海洋性気候に属し冬季も比較的暖かく、夏季
は海から吹く風が炎暑を和らげてくれます。四季をとおして暖かい気候であり、
年平均気温の平年値は 23.3 度、年平均湿度の平年値は 79 パーセントです。
1~2 月はもっとも寒く、同月の最低気温の平年値は 15~16 度で、宮古島で
の最低気温(6.9 度、1967 年 1 月 16 日)もこの時期に観測されました。
5 月上旬ごろから 6 月下旬は梅雨、この期間に年降水量のおよそ 20 パーセン
トが降ります。梅雨が明けると本格的な夏になり、9 月頃までは真夏日(日最高
気温が 30 度以上の日)と熱帯夜(夜間の最低気温が 25 度以上の日)が連日続
きます。
夏秋季は、台風シーズンで特に 9 月頃の強い台風が襲来する傾向があります。
台風は、強風や塩害により農作物などに大きな被害をもたらし、航空機や船舶
などの交通機関にも大きな影響を与えます。しかし、一方で台風は干ばつをな
くす恵みの雨をもたらすという側面も持っています。
10 月頃になると朝夕しのぎやすくなり、寒露(24 節気のひとつ)の頃には宮
古島の秋の風物詩であるサシバの群れが東南アジアで冬を越すための中継地と
して本土から飛来します。
300.0
30.0
250.0
25.0
200.0
20.0
150.0
15.0
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50.0
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8
降水量 平均気温 宮古島 年平均気温:23.6 ℃
年降水量:2021.0 mm 統計期間:1981~2010
宮古島の台風
7 月頃から 10 月頃まで、沖縄は台風のシーズンです。宮古島の台風はハンパ
ではありません。日本の最大瞬間風速の上位 3 つのうち、2 つは宮古島で観測さ
れています。まわりが海なので台風はエネルギーを補給しながら勢力を保った
まま接近してきます。本土の台風と比べると風速が強く、速度が遅いため通過
にも時間がかかります。暴風域に入ってからぬけるまで約 27 時間以上かかった
ことも。
また、宮古島には川や山がないため、被害はもっぱら風によるものです。中
でも 2003 年 9 月の 14 号は最大瞬間風速 74.1m を記録し、風力発電機が折れて
飛ばされたり、窓ガラスが割れるなど風による被害が続出しました。
写真 台風の被害 写真 サシバ
引用元 宮古島市 http://www.city.miyakojima.lg.jp
宮古島ネット http://www.miyakozima.net
世界の野鳥 http://maroleopie.blog118.fc2.com/blog-date-201107.html
9
宮古島の概要 1 . 宮 古 島 概 要 沖縄本島から南西に約 300 ㎞、北緯 24 度、東経 125 度に位置し、宮古島・
池間島・来間島・伊良部島・下地島・大神島とともに宮古島市に属する。
面積:204 平方㎞(宮古島市)
姉妹都市:岡山県津山市・米国ハワイ州マウイ群・台湾基隆市
友好都市:福島県西会津町・東京都世田谷区・静岡県藤枝市
交流都市:新潟県上越市・北海道室蘭市・岐阜県白川町・徳島県鳴門市
人口:約 55000 人(宮古島市)
大部分は平良地区に集中している。
世帯数:24098 世帯(平成 22 年 12 月末日現在)
人口構成:以下のグラフの通りである(参考 URL より教えて宮古島!Q&A を
もとに藤田作成・平成 22 年 12 月末日現在)。
男女比はほぼ半々であり、エリア別にみると平良地区が最も多く、
次いで城辺地区、伊良部地区、下地地区、上野地区の順になってい
る。また、年齢層別にみると、20 代と 50 代がやや少ない。20 代が
少ない要因としては進学や就職によるものだと推測できるが、50 代
はなぜ少ないのであろうか。60 歳以上の高齢者の人口が多いことが
目立つ。
5925,
3127, 6% 11%
3065,
5%
女,
27612 男,
27415 男 女 平良地区 城辺地区 6780,
12%
下地地区 36138,
66%
上野地区 伊良部地区 図1 男女比 図 2 エリア別人口
10
6268
6690
5027
6525
5904
4304
人 5870
5282
3660
783
2
歳
図3 年齢層別人口
2 . 主 要 産 業 ◇農業
耕地率は 51.9%と高いものの、台風や干ばつ等の自然災害のほか、河川が
ないため推理条件にめぐまれないことや、島尻マージ呼ばれる琉球石灰岩土
壌など、農業をとりまく自然環境は厳しいものがある。このような制約のも
とで、さとうきびを基幹作物とし、近年は本土の端境期をねらった冬春期出
荷用としての野菜や熱帯果樹の生産機運が高まり、作物の多様化が進展して
いる。
◇水産業
熱帯海洋域に属し、黒潮の流れに隣接し漁場が近いといった水産業に比較
的恵まれた立地のもとで、沖合では浮魚礁(パヤオ)を利用したパヤオ漁業やカ
ツオ一本釣り、沿岸ではタカサゴ類を中心とした伝統の追い込み網漁業や、
銛突き漁、モズクやクルマエビ等の海面養殖業等が盛んに営まれている。
◇観光業
観光客が年々増加の傾向をたどる中で、大型リゾートホテルのほかにも新
しい観光施設等、観光関連施設整備は着実に進展している。また、全日本ト
ライアスロン宮古島大会が国際的規模のイベントとして定着し、プロ野球キ
ャンプなどスポーツ団体の合宿が行われるなど「スポーツアイランド宮古島」
としての基礎固めが浸透しつつある。
参考 URL
宮古島市ホームページ - エコアイランド宮古島 http://www.city.miyakojima.lg.jp/
教えて宮古島!なんでも Q&A http://miyacojima.com/solution/
宮古島観光協会 http://www.miyako-guide.net/
11
宮古島の植生
・気温条件
宮古列島は亜熱帯に属している。気候は本州に比べ温暖で、気象庁の観測データ(宮
古島)によると、最寒月(1 月)の平均気温は平年値(1981~2010)18.0℃、最暖月(7 月)の
平均気温は平年値(1981~2010)28.7℃となっている。また年平均気温は平年値(1981~
2010)で 23.6℃となっている。
ここ 30 年の観測史上最も低い気温を記録したのは 1987 年 2 月 4 日の最低気温 8.7℃
であり、植物にとって気温条件は良好であると言える。
・水条件
宮古列島の降水量は、年間を通じて大体 2000mm を記録している(1981~2010 年の
平年値は 2021mm)。降水量としては国内でも多く、水については恵まれていると見て
よいと思われる。ただし、降水量も 8 月~10 月の台風の時期と 5 月の梅雨の時期に多
く、台風の来ない年、空梅雨の年は旱魃のおそれもある。
また、付近の八重山列島や沖縄諸島に比べて低平な地形になっているため、一概に降
水量が多いから水条件が良いとは言えないようである。
・人為条件
宮古島は平坦地が多く、耕作地の利用がこと多い。したがって自然植生として残る植
生としては大規模な林分を残していないと言える。一方でマングローブ林(島尻のマン
グローブ林や川満のマングローブ林など)は残されており、カヤックや野鳥観察などの
観光資源として有効活用されているようである。
・植生の概要
先に示したようなことから、植生は熱帯の植物が見られる。また汽水域にはマングロ
ーブ林もある。いずれにせよ、日本列島で見られるものとはだいぶ違ったものが分布し
ていることは確かである。
・宮古島で見られるかもしれない植物
・浜辺
グンバイヒルガ
オ、シロバナミヤコ
グサ、ハマオモト、
ハマダイコン、ハマ
ボウフウなど
グンバイヒルガオ ハマオモト
12
・海辺の岩場
アダン、ハマビワ、フクマンギ、クサトベラ、テリハボク、モンパノキなど
アダン
・マングローブ
メヒルギ、オヒルギ、ヒルギダマシ、シマシラキなど
オヒルギ
・そのほか(農作物含む)
クワズイモ、ソテツ、ヤシ、デイゴ、ドラゴンフルーツ、サトウキビ、ハイ
ビスカス、島バナナ
参考
気象庁 HP(気象データ)
http://www.jma.go.jp/jma/index.html
パイヌヤマアドベンチャーパーク(植物の写真)
http://www.painumaya.com/web/
小笠原父島情報(ハマオモトの写真)
http://ogatour.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_cb2b.html
宮古島キッズネット(島に生息する植物)
http://miyakojima-kids.net/index.html
13
宮古島の動物 カラスバト(天然記念物) 常緑広葉樹林に生息する。宮古のものはヨナク
ニカラスバトとして別亜種になっている。全身
黒色だが日に当たると金属光沢の鮮やかな色彩
が観察される。日本の鳩の中で最大。時に牛の
鳴き声ににていることがある。 アカショウビン 体の大部分が茶色がかった赤色で口ばし
は太くて赤く、足も赤です。 イイジマムシクイ(天然記念物) うぐいすとほぼ同じ大きさで、その形もに
ている渡り鳥。額、頭上、後頭は灰色を帯
びた暗緑色。鶯科に属する日本固有種。夏
鳥として3月下旬から4月上旬に伊豆諸
島に飛来する。 14
宮古カナヘビ へびという名がついていますがいわゆるトカゲです。
1996年3月に宮古諸島の固有種として新記載さ
れましたが個体数が少なく目にするのは稀である。 宮古ヒキガエル 手のひらくらいの大きさがあるがですが、ヒキガエ
ルの中では小さい方だそうです。草やサトウキビ畑
等に生息し、1年中見られる。 キシノウエトカゲ 宮古島の全域に分布している固有種。体長約 40cm に
達する日本産トカゲの中では最大の種類。背中は褐色
で腹面は黄白色。見分けがつかない時が多々、近年イ
タチがいて激減が目立っている。 ホオグロヤモリ 人家の中や林の中などに広く、かなりの密度で生息し
ていて、「キョ、キョ」というなき声をよく耳にしま
す。灯りに集まる虫を食べる。 15
オオゴマダラ 宮古市の市蝶。日本最大のチョウの一つでゆるやかに
滑空するような優雅な飛び方をします。体長約4㎝で
黄金色に輝き、まるで金細工の工芸品のようです。 スジグロカバマダラ 宮古諸島以南ではほぼ1年中、海岸沿いの林から山地
などでみられるマダラチョウの仲間です。 オカガ二 陸上で生活していて、夏の満月の夜に卵を産むため
に海にやってきます。池間島ではおびただしい数の
オカガニが道路を渡り浜辺へ向かう姿を見ることが
できます。 ヤシガニ もっとも大きな陸生のヤドカリの仲間です。 その名の通り大好物はヤシの実で、これを 上手に割って中身をたべます。宮古島では アダンの実などを食べているようです。 16
宮古島の地質 1. はじめに
宮古島の地層は主に三層に分かれている。上
から島尻マージ、琉球石灰岩、島尻層泥岩であ
る。宮古島を含む周辺の島は、主にサンゴ礁由
来の島のため、ドリーネや鍾乳洞といった石灰
岩地形が多く分布する。そのため、石灰岩地形
の調査をするにあたって、最適な地域とも言え
る。このような特徴に宮古島の地質がどのよう
に関わっているのか、紹介したい。
1 図. 宮古島の地層 (上の赤土が島尻マージ、したの白い部分が
琉球石灰岩の層である。)
2. 島尻マージ
琉球石灰岩を母材とされている島尻マージは、宮古島の表土に分布する。サンゴ
の白化化石や下層の琉球石灰岩の風化によってこの層が形成された。赤褐色で琉球
石灰岩を含み、粘土質である。この土壌の性質は水はけがよく、弱酸性から、弱アルカリ
性の土壌である。また腐植含量が低く、保水性も弱いため、旱魃になりやすい特徴である。柔らか
い土壌のため、ニンジンやジャガイモなどの根菜類の栽培を行なっているところが多い。 2 図. 島尻マージ
3.
琉球石灰岩
太古のサンゴや貝殻が堆積して形成された層で
ある。浅い海で形成されるため、形成時は海水面
付近だったこともわかり、地殻変動が起こった影
響を探るための重要な手掛かりとなる。多孔質で
あり、地下水を浸透しやすい。この性質を利用し
て、宮古島では地下ダムが建設されている。また、鍾乳洞やドリーネなどの石灰岩
地形の形成において最も重要な層である。宮古島とその周辺の島々では、たくさん
の鍾乳洞や、陥没地形をみることができ、また、宮古島ではティダガーと呼ばれる
石灰華の段丘が見られる。
17
3 図. 宮古島南部の石灰華段丘
また、沖縄では古くから琉球石灰岩を建材と
して利用している。主に道の石畳や家の石垣と
して用いられている。代表的なのは首里城のグ
スク(城)である。現在も石垣を造る際に用いら
れ、なかにはそれを専門として販売している業
者も存在する。
4. 島尻層泥岩
宮古島を形成するうえで最も下の基盤となる層である。南西諸島に広く分布する
泥岩質の層で、宮古島ではクチャと呼ばれる。また、風化したものをジャガールと
呼ばれている。地層としては頑丈だが、滑りやすく、豪雨で地滑りを起こすことも
しばしばある。
地下ダムを形成するにあたって非常に重要な層でもある。宮古島に降った降水が、
琉球石灰岩を透過し、島尻層泥岩で浸透しないため、地下水が貯められていく。こ
の水を宮古島の生活用水や、農業用の灌漑用水として、利用しているのである。
ジャガールの土壌は、中性からアルカリ性で保水力が高い。また、粘性が強く、
腐植含量が低い。主にサトウキビや野菜類を
生産している。
4 図. 地下ダム
5.終わりに
宮古島を形成する地質は、主にサンゴ礁由
来の石灰岩ということが改めて伺えただろう。
そして、海底に沈殿した泥などが隆起したも
のが基盤を形成していたのが分かった。また、
これらが地下ダムといった興味深いものを形
成しているのもわかった。
宮古島の地質が島にどのように関わってい
るか実際に現地で調査をする。
画像参照
・http://homepage3.nifty.com/okinawa-dojyou/simajiri.html
・http://okinawaisland.jp/soil.html
http://www.ritou.com/spot/view-miyako-m150.html
・http://suido-ishizue.jp/kokuei/okinawa/miyako/0207.html
・http://suido-ishizue.jp/kokuei/okinawa/miyako/0207.html
18
8.明和大津波と津波石
Ⅰ 明 和 大 津 波 1 . 明 和 大 津 波 と は 明和大津波は、1771 年 4 月 24 日の午前 8 時頃、八重山諸島・宮古諸島を襲った大津波
で、日本近海で歴史上最大級の津波災害をもたらせたと言われている。地震の震源地は、
石垣島・白保崎の南南東約 40km(東経 124.3 度、北緯 24.0 度)の海底で、地震の規模は
M7.4 とされている。(関東大震災は M7.8)
地震の直接的な揺れ(八重山での震度は4程度)による被害はほとんどなかったとされ
ているが、地震の規模に比べて大きな津波が発生し、多くの溺死者がでた。一般にこの程
度の規模の地震で想定される津波の高さは、2m~3m 程度と考えられるが、この明和大津
波における最大の高さは、現在の石垣島・宮良台地(88.7m)の牧中において約 85.4m と
推定されている。このことから明和大津波は、大きな地殻変動が通常の地震よりも長い時
間をかけ発生した「津波地震」か、長い間に海底に堆積した堆積物が地震の振動をきっか
けにして、海溝などのさらに深い場所に落下して生じた「海底地滑りによる津波」ではな
いかと考えられている。
2 . 明 和 大 津 波 に よ る 被 害 明和大津波によって、八重山では全人口(28,992 人)のうち 9,313 人が死亡し、群島人
口の 32.1%を失った。宮古では 2,548 人が死亡した。なかでも石垣島の白保村は被害が甚
だしく、人口(1,574 人)の 98%が溺死した。石垣島における家屋の流失は、2,176 戸、浸
水家屋 1,003 戸、海水に洗われた総面積は石垣島総面積の 40%に達したと言われている。
宮古諸島への被害は、宮古島の南部を中心とした、友利・砂川・新里・宮国・池間・前
里・伊良部・仲地・佐和田・塩川・仲筋・水納の 12 集落におよんだと記録されている。な
お、来間島の集落は高台にあって人的被害をまぬがれた。水納島は津波で洗われて全てが
流失した。無人だった下地島は人的な被害はないなど、集落の成り立ちなどから被災状況
もさまざまであった。友利・砂川・新里・宮国の四つの集落は特に被害が大きく、集落の
維持が不可能なことから、津波後に伊良部や池間島から移住させ、海岸に近い被災した旧
集落から程近い高台へ、新たに集落を築いた。そして旧集落は元島(むとぅすま)と呼ばれ、
当時を偲ぶ御嶽などが今も残されている。
八重山・宮古諸島を襲った津波のエネルギーは、巨大な岩を動かすほどで、石垣島・宮古
島には、今でも当時海から運ばれてきたといわれている津波石がある。
Ⅱ 津 波 石 19
津波石は、津波によって岸に打ち上げられた大岩のことである。津波は大きなエネルギ
ーを有しており、その押し波は高い水圧で海中の巨石などを運び、強い水流によって陸地
の内部にまで運ばれる。津波石の中には直径 10m もある大きな岩塊もあり、津波の破壊力
のすさまじさを物語っている。先島諸島に分布する津波石は、元々海岸のリーフを作って
いたサンゴ石灰岩であり、海中にあった頃生息していた生物が化石となって付着している。
これらの化石の年代を調べることによって、津波石が海中から陸に打ち上げられた時期、
すなわち津波の発生時期を調べることができる。
図1 東平安名岬の津波石 図2 下地島の帯岩 20
宮古島のマングローブ マングローブとは・・・
1. 概 要 マングローブ【mangrove】
(マレー語の monggi に由来)
① 亜熱帯や熱帯の河口・潮間帯の泥地に発達する特異な植物群落。ヒルギ科など
の高木・低木から成り、耐塩性で葉は常緑で厚く、支柱根・呼吸根が著しい。場所
により構成種は多様。東インド諸島・マレー、南西諸島や台湾に見られる。紅樹林。
② ①を構成する樹木。ヒルギ科のオオバヒルギ・ヒルギダマシなど。
<広辞苑より>
まとめると熱帯から亜熱帯に育つ植物で、河口汽水域の塩性湿地、つまり潮の満ち
引きで海水に浸かるような土地で生育する木である。 2.特徴など ・形状として、根っこが海水に浸かりつつ地面に刺さり、そこから複数本の根っこ
が伸びて幹を持ち上げ、まっすぐ伸びた幹の先に枝葉が茂るというイメージ。 ・海水がかぶる位置といっても、激しく波が打ち寄せるようなところには生育せず、
遠浅の干潟のようなところか、波の穏やかな内湾に群生林を形成する。 ・浅い海に複雑に枝分かれした根っこを持って群生することで、「海中のジャング
ル」をつくりだす。こうした入り組んだ構造は微生物やコケ類、小動物が住み着く
ための場所をつくる。 ・宮古島のマングローブ林
低くなだらかな地形である宮古島は、島の全体が海辺の延長上のような状態にある
ため、いわゆる鬱蒼とした森林というのは余り発達していない。しかし、それを補
うように広がるのが海浜部のマングローブ林である。宮古島でのマングローブ林と
して、島尻、下地、川満マングローブがあり、島尻マングローブが最大規模のマン
グローブ林である。宮古島は川のない島であるが、それにもかかわらず島尻マング
ローブのような大規模なマングローブ林が形成されるのは世界的にも珍しい。満潮
時には様々な魚やそれを狙う鳥などが、干潮時にはシオマネキの群れやハゼなどが
21
動き回っているのが観察できる。 ・島尻マングローブ 約 1km もの入り江に発達している巨大なマングローブ。 宮古島に存在している、
すべてのマングローブの種類を見ることが出来る(ヤエヤマヒルギ・オヒルギ・メヒ
ルギ・ヒルギモドキ及び宮古列島を北限とするヒルギダマシの 5 種類が分布)。 近
年問題になっている赤土の流出による海の汚染防止にもとても役立っている ↓ マングローブは自然のフィルター マングローブは陸から流れ込む泥や土、栄養分をたくさん含んだ水を受け止めるフ
イルターのような役割を持っている。土地開発で流れ出た泥や土などがサンゴの海
に直接流れ込むとプランクトンが大量に発生したり、透明度が落ちてサンゴに必要
な光が届かなくなったりする。サンゴを中心として成り立っている海の生態系を変
えないように、マングローブはしっかりと余計なものを受け止めている。
またそれと同時に、荒い波で海岸がけずりとられるのを防ぐ役割もある。
(写真1.海中のマングローブの様子) 支柱根・・・地上茎から生じた不定根の一種。ほぼ垂直に伸びて土中に入り、主幹
の支柱となる 呼吸根・・・水中または泥中に根を有する植物の根の一部が直立して水面から出て、
空中で呼吸作用を行うもの 22
宮古島の水資源と地下ダム
宮古島の水収支
年降水量 2200mm と日本の平均を上回っているにも関わらず、宮古島では古くから水不足に悩ま
されてきた。隆起サンゴ礁による平べったい低島であるという地形・地質条件により、降水の大部
分が地下へと流出してしまっているからだ。高い山がないため大きな河川を持てず、石灰岩質で透
水性の良い地層が島の表面を覆っており、降水の大部分が地下へと流出していく。また、温暖な気
候により蒸発していく水分も多いため、地表に流れ出す水量がわずかとなっている。(図1)
50
宮古島 全国 10
40
36
0%
20%
55
40%
60%
4.54.5
80%
蒸発量 地表流出 地下流出 その他 100%
図1 宮古島と全国の水収支比較 宮古島の地下水脈
降水の多くは、表土の島尻マージと呼ばれる暗赤褐色土と、間隙の多い岩石である琉球石灰岩に
入り込んで地下水となる。この水が基盤である不透水性の島尻層群泥岩に達すると、それ以上浸透
せずに海へと流れ出ていく。
(図2)また、宮古島には北西〜南東方向に延びる正断層が多数走って
おり、南西側が緩く北東側に急なケスタ地形になっている。断層に挟まれた場所は地下谷となって
おり、ここに水が溜まって地下水脈として流れている。(図3)
図2 宮古島の地質縦断面図
23
図3 宮古島南部の地下水脈
宮古島の地下ダム
宮古島の豊富な地下水を湧水以外で利用できないかと考えて建設されたのが地下ダムである。
1971 年の大干ばつを受け、1974 年の開発調査から 20 年余りを経て 1998 年に砂川・福里の両ダム
が完成した。(図3の赤線、G1・G3)地下ダムによって地下水の利用率が大幅に上がり、宮古島
の農業発展に大きく貢献することとなった。地下水をせき止めて地下水位を上げること、地下水に
海水が混じるのを防ぐことが目的である。また、地上ダムのように土地の水没や決壊の恐れがなく、
地下水流が比較的遅いため長期にわたり安定した取水が可能である。
このように良い事づくめに思える地下ダムだが、その建設には 20 年以上の歳月と多額の費用がか
かっている。そして周辺環境への負荷や経済的変化など、現地でしか分からない事もあるだろう。
そこで私たちのグループ調査では、地下ダム建設前後において変化した事柄について、良い変化・
悪い変化を自然分野・人文分野問わずに調査してみようと思う。
参考資料・参考文献
宮古土地改良区:http://www.m-kairyouku.com
沖縄総合事務局,土地改良総合事務所:http://ogb.go.jp/nousui/nns/totikairyou/
サンゴの島の地下水保全:http://www2.miyako-ma.jp/chikasui/sango/sango_contents.html
国土調査,土地分類基本調査,50000 分の 1 表層地質図:
http://nrb-www.mlit.go.jp/kokjo/inspect/landclassification/land/l_national_map_5-1.html
宮古島市,(2013),宮古島地下水水質保全調査報告書,宮古島市
24
11.宮古島の観光産業とイベント
ここでは宮古島の基本的な観光産業の概要や観光産業の一環として宮古島の交通網・特産
品・人気観光スポットについて紹介し、宮古島のエコツーリズムについてふれている。また、
宮古島のイベントについても月ごとにまとめて紹介した。
キーワード:宮古島・観光産業・エコツーリズム・特産品・スポーツ・海岸・景勝地
Ⅰ. はじめに
宮古島は、沖縄本土同様に観光産業が盛んな場所であり、1 年間に 35 万
人もの観光客が訪れる。温暖な気候を活用してプロ野球チームが多々キャ
ンプ地にしたり全日本トライアスロン大会が開かれたりすることなどか
らスポーツの島としても、多くの観光客を獲得している。しかし、観光客
向けの大規模施設はあまり多くなく、レンタカーなどを移動手段とした景
勝地巡りなどエコツーリズムが主要である。
Ⅱ.宮古島の特産品
宮古島ではたくさんの特産品があり、それらの特産品は観光産業としての役割を
担っている。いくつかの宮古島の特産品についてこの章では、説明していく。
宮古上布
→400 年の歴史を持ち日本四台上布のひとつにもなっている。すべて手織りである。
宮古織
→縦糸に木綿、横糸に麻を使っているのが
特徴。
古んつぅ(宮古みそ)
→こうじで泡盛を使用するため独特の風味
がある。
うるぅ
→海藻を固めたもので食物繊維豊富なため
近年注目の健康食品。この他にも島バナナやサンゴ細工、海ブドウなどがある。
Ⅲ.宮古島の主な観光地
宮古島の人気観光スポットには、池間大橋や来間大橋・通り池などの景勝地、砂山ビー
チやイムギャーマリンガーデン・パイナガマビーチなどの海岸、人頭税石や大和井などの
史跡、他にうえのドイツ文化村・宮古島海宝館などのアミューズメントパークがある。
図 1 与那覇前浜(宮古ホームページ引用)
Ⅳ.宮古島の交通
25
宮古島では鉄道は通っておらず主な
交通手段は路線バスである。また、タ
クシーも多く使われている。
図 2 バス路線図(宮古ネット引用)
図のようにバスは大抵の観光地に行
くが便数があまり多くないのが難点で
ある。
Ⅴ.宮古島のイベント
1 月宮古島 100 ㎞ワイドーマラソン
2 月ロマン海道伊良部マラソン、オリックス宮古島キャンプ
4 月八重干瀬観光、宮古島海開き、全日本トライアスロン宮古島、うえの文化村鯉のぼり
フェス
5 月ビーチバレー大会宮古島、ミュージックコンベンショイン、日本一早いひまわりまつり
6 月ツール・ド・宮古島、ハーリー(海神祭)、Miyako island rock festival、スツウブナ
カ、方言大会
7 月宮古水まつり、マンゴーまつり、うえのドイツ文化村ダンケフェス、宮古島夏祭り、オリ
オンビアフェスト、宮古牛まつり、サニッ浜カーニバル
8 月宮国大綱引き、宮古島ジュニアトライアスロン、豊年祭
9 月多良間の八月踊り、なりやまあやぐまつり
10 月伊良部トウガ二まつり、島尻のバーントウ
11 月クイチャーフェスティバル、多良間一周マラソン、エコアイランドマラソン、宮古の
産業まつり、Kaze jetsk 耐久レース in 宮古島
12 月南部忠平杯ゴルフ宮古島大会、ドイツ文村イルミネーション
参考文献
「まっぷる石垣・宮古」昭文社(2014)
宮古島市ホームページ
http://www.city.miyakojima.lg.jp/kanko/tokusanhin/
宮古島ネット
http://www.miyakozima.net/acces/bus.php
26
宮古島周辺島嶼との架橋問題と下地島空港
Ⅰ すでに架橋されている島 1. 池間島―宮古島(池間大橋)
写真1 宮古島から池間大橋を望む。「池間島ねっと」より引用。
池間島は、人口699人(2012年現在)、面積2.83㎞²の島である。元々は南北に細長い
内浦によって2つの島に分かれていたものが干拓により一つの島となったものであり、1982 年の漁
港工事により内浦は外海と遮断され、淡水化して湿原となり、沖縄県内最大の湿原である池間湿原
を生んだ。湿原には多くの野鳥が生息しており、島全域が鳥獣保護区に指定されている。
池間島と宮古島とを結ぶ池間大橋は1992年に開通した。全長は1425m であり、来間大橋
が開通する前は沖縄県で最長の離島架橋であった。現在、宮古島からのアクセスは全て池間大橋に
よるものであり、宮古島の中心街からバスが出ている。
架橋の構想そのものは開通の30年前から出されていた。11年間の工事の末に橋は開通し、住
民の生活は向上した。それでも島の人口は減少を続けており、橋が島の経済に何かしらの形で良い
影響を及ぼしたかどうかについては疑問を呈する人も少なくない。池間大橋やその周辺では、その
美しい景色を求めて多くの観光客が訪れるようになったが、ほとんどが景色を楽しむだけで島の経
済に貢献できていないのが現状であるという。
2.来間島―宮古島(来間大橋)
写真2 宮古島上空から来間島を望む。「来間島ねっと」より引用。
来間島は、人口175人(2012年現在)、面積2.84㎞²の島である。集落は嘉手苅集落
のみであり、残りはさとうきび等の畑として利用されている。漁港より少し北の方に「来間ガー」
と呼ばれる泉があり、宮古島から海底水道が通されるまではこれが島で唯一の水源であった。
27
宮古島と来間島を結ぶ来間大橋は1995年3月に開通した全長1690mの橋であり、現在の
ところ沖縄県内で一番長い離島架橋となっている。現在では宮古島からのアクセスは全て来間大橋
によるものであり、池間島同様に宮古島の中心街からバスが出ている。
来間島の人口も、橋が開通した後、池間島と同様に減り続けている。来間大橋の開通に伴って宮
古島市街地に人口が流出する「ストロー効果」や高齢化が問題となり、さらに2013年度限りで
統廃合によって島の中学校が廃校となった。宮古島市は様々な振興策を進めているが、それでも人
口の減少を食い止める事は難しいのが現状である。
Ⅲ 現在架橋が進行中の島―伊良部島 写真3 宮古島より伊良部大橋を望む。沖縄県のサイトより引用。 伊良部島は、人口5719人(2012年現在)、面積29.05㎞²の、宮古諸島で宮古島の次
に大きい島である。集落は、宮古島から船便が就航する佐良浜港周辺と、下地島と橋で繋がる西部
に集中しており、島の大半はサトウキビ畑で占められている。島で一番標高が高い牧山周辺には亜
熱帯の原生林が広がっている。周囲にはサンゴ礁がありダイバーに人気のスポットとなっている他、
「青の洞窟」と呼ばれている海中洞窟を巡るツアーも催されている。
宮古島と伊良部島を結ぶ伊良部大橋では、2015年1月31日の開通に向け準備が進められて
いる。すでに橋の構造そのものは9月に完成しており、あとは道路の舗装や関連標識の設置を待つ
のみである。開通すれば全長3540m と、沖縄県で最長の離島架橋になるだけでなく、日本最長
の完全無料の橋ともなる。
(日本最長の橋である瀬戸大橋では、自動車は通行料を徴収される。伊良
部大橋では自動車は無料で渡ることができる。)橋の伊良部島側は佐良浜港周辺の集落からも下地島
近くの集落からも少し離れた所にあるが、それでも宮古島との交通手段は海上交通と比較して飛躍
的に安定性を増し、物流コストの軽減や島民の生活の向上などにもつながることが期待されている。
また、これはあくまで個人的な予想であるが、橋の伊良部島側周辺に新たな集落ができるのではな
いかと考えている。
しかし、元来伊良部島の玄関口として機能してきた佐良浜港は、橋が開通すると宮古島とのフェ
リーや高速船の就航がなくなり、周辺では住民や観光客の減少、産業の衰退などが懸念されている。
そこで、観光客向けに漁業などの体験型ツーリズムを展開し、伊良部大橋が開通した後も継続して
地域の活性化に繋げることが検討されている。
28
Ⅴ 下地島空港の利用状況と将来
写真4 上空より下地島空港を望む。沖縄県のサイトより引用。
下地島空港は、それまで米国に頼ってきた航空機のパイロット訓練を日本国内で行うことを目的
として建設された空港の一つである。現在、パイロット訓練専門の空港は、国内では下地島空港の
みである。1980年に本格的なジェット機の訓練が始まり、同年に那覇空港から定期便が就航し
たが、利用客の減少により1994年に運休となった。その後も不定期便が運行されたが、201
0年を最後に旅客便は存在しない。 下地島空港での訓練も減少している。実機を使用した訓練は他の空港でも行われており、またフ
ライトシミュレーターが普及したため、下地島空港を訓練目的で使用する必要性がなくなりつつあ
る事から、JALは2011年に撤退し、ANAも2014年度の訓練予定は白紙となっている。
現在では琉球エアコミューターや海上保安庁のみが時々訓練を行うのみである。秋頃には日本トラ
ンスオーシャン航空が訓練を行う予定である。 旅客便がなくなり、JALが撤退した後、県や宮古島市は空港の今後について検討を続けている。
ここでは毎年の様に休港案が出るが、微細ながら訓練を続けている航空会社が存在していることも
事実であるため、中々休港に持ち越せないものと思われる。また、今後完全に航空会社が訓練目的
での下地島空港の利用から撤退した場合、空港を宮古諸島のハブ空港として再利用する、自衛隊ま
たは米軍の基地にする、災害時の物資・人員輸送の拠点にするなどの案も出ているが、いまだに行
政の考えはまとまっていない。 参考資料 1.
宮古島市役所 http://www.city.miyakojima.lg.jp/index.html 2.
沖縄県 http://www.pref.okinawa.jp/index.html 3.
一般社団法人 沖縄しまたて協会 http://www.shimatate.or.jp/20kouhou/simatatei/
4.
宮古毎日新聞 http://www.miyakomainichi.com/ 5.
宮古新報 http://miyakoshinpo.com/ 6.
琉球新報 http://ryukyushimpo.jp/ 7.
株式会社 たけしょう http://www.takesyou.co.jp/ 29
8.宮古島の歴史 *宮古島の歴史年表* 14 世紀
三山(北山・中山・南山)分立時代
この頃宮古は各地に豪族があらわれ争乱が続き,やがて与那覇原一党が宮古島全域で力を振る
うようになる
宮
古
島
時
代
1365 年
目黒遠見親が与那覇原一党を破り宮古島を支配する
1429 年
尚巴志が三山を統一
1470 年
金丸が王位につき新しい琉球王朝になる(第2尚氏)
1474 年
仲宗根遠見親が主長に命じられる
1500 年
オヤケアカハチの乱勃発
仲宗根遠見親は功績を認められ宮古頭職となる
1522 年
仲宗根豊見親、与那国の鬼虎を征伐
1583 年
悪税の宮古上布が始まる
1591 年
豊臣秀吉が薩摩を通して朝鮮出兵を求める
宮
古
島
1609 年
島津摩藩が琉球に侵行
1611 年
祥雲寺建立。砂川に頭職がおかれ、三頭制になる
島
津
藩
支
配
下
時
代
1629 年
宮古島に在番をおく
1637 年
宮古・八重山で悪税「人頭税」を施行
1771 年
明和の大津波
宮
古
島
近
代
宮
古
島
戦
争
時
代
1691 年
~1844 年
疱瘡や飢饉、干ばつなどの悪天候に見舞われ農作物への被害や大量の餓死者が出る
1847 年
宮古島に南北小学校ができる
1849 年
割重事件
1853 年
ペリー来航
1871 年
宮古の貢納船が台湾に漂着し,54人が殺害される
サンシー事件勃発(下地仁屋利社斬殺される)
1903 年
人頭税が廃止される
1905 年
久松五勇士、「バルッチク艦隊みゆ」を通報
1920 年
宮古・八重山で衆議院議員選挙の投票が始まる
1941 年
第二次世界大戦
1944 年
宮古島守備部隊(先島集団)来島(総兵力、陸軍 28000 人、海軍 2000 人、計 30000 人)
1945 年
英国艦隊、先島に艦砲射撃 平良町内空襲される、町内の大半が焼失
6月23日沖縄終戦、8月15日敗戦
1946 年
アメリカ軍政府は沖縄民政府を作り知事を任命
1972 年
日本復帰
*オヤケアカハチの乱*
オヤケアカハチの乱が勃発する以前、首長の仲宗根豊見親(空広)は宮古島全土を統一して
いた。当時空広は八重山にも力を及ぼそうとしており、その力に対抗できる者はいなかっ
た。そこで、オヤケアカハチは八重山でばらばらに台頭していた按司たちを束ねて大きな
勢力を作り、空広を味方する勢力を排除していった。空広を味方する獅子嘉殿や仲間満慶
山は討伐された。石垣の長田大主の弟たちも殺され、弟たちを殺された長田大主は古見に
逃げていった。こうしてオヤケアカハチは石垣島全土のほとんどを制圧にした。竹富や波
照間、小浜島なども勢力下に置いた。また、オヤケアカハチは貢物を迫る空広に対し、宮
古を攻めようともしたのだ。
オヤケアカハチは波照間島に生まれた。八重山の支配を強いる首里王府の強硬策に対抗
し、年貢の献上を拒否し続けていた。
1500 年、琉球政府の力を借りた空広は援軍とともに石垣島を攻め、オヤケアカハチと
戦う。首里の軍団は、筆頭大里親雲上や安波根里主直張などを頭とし、46 隻、3000 人の
軍団であった。2 月 12 日に石垣島に到着し、古見に逃げていた長田大主が空広と首里王
府の官軍を誘導し戦いが始まった。しかし、海岸沿いに陣取るアカハチ軍を前に、上陸す
ることすらできず、官軍は苦戦した。当初、オヤケアカハチ軍が優勢だった。そこで、夜
を狙い首里王府軍が登野城と新川の二手に分かれ上陸する。オヤケアカハチはこの作戦に
対応できず 2 日間の激闘の末、オヤケアカハチは底原山に逃こんだところを討たれてしま
った。
その後、八重山は琉球王府下入ったが首里から遠い八重山は実質的には空広一族の支
配下となった。八重山の城は竹富島の豊見城におかれ、八重山を統括した。
写真 1 オヤケアカハチの像
写真 2 オヤケアカハチの誕生地跡
31
御嶽(うたき)文化
概要
御嶽(うたき)とは、琉球の信仰における祭祀などを行う施設である。御嶽は琉球の神話の
神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。地域の祭祀にお
いては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。
琉球の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。現
在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。
起源
御嶽はもともと古代社会において集落があった場所と考える説が有力である。その証左
として、御嶽の近くから遺骨が見つかる例が少なくない。これは、祖先崇拝であることに
強く関係していると考えられる。また、多くの川や泉が御嶽もしくはそれと同格の扱いを
されているが、これは保水力の乏しい琉球石灰岩からなる沖縄県周辺の土地性などから、
古代社会では水源が神聖視されたためと考えられる。
グスクには拝所が存在するものも多いが、このことから、グスクは元々御嶽を中心にした
集落であったものが発展し、城砦化したと指摘する説がある。また、首里城、玉城城など、
城そのものが御嶽とみなされていた城もある。鳥居が設置されている御嶽が散見されるが、
これは明治維新から琉球処分以降の皇民化政策による神道施設化の結果であり、本来のも
のではない。沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いが、宮古や八重山地方の御
嶽の多くには戦後もそのまま鳥居が残されている。
写真1:南城市にある斎場御嶽(せーふぁうたき)
宮古島の御嶽
漲 水 御 嶽 ( ぴ ゃ る み ず う た き )
32
宮古島を作った神・古意角(こいつの)と姑依玉(こいたま)の二神を中心として、島
内最高の霊場として島の人々の信仰を集め、その周りをめぐる石垣は、1500 年のオヤケ赤
蜂の乱の戦勝記念として仲宗根豊見親(なかそね とぅゆみゃ)が奉納したと伝えられている。
ここには宮古の創世神話の神々が祭られており、その神話の一つの概略は以下の通りであ
る。
『まだこの世界に人が現れる以前、恋角(古意角)・恋玉(姑依玉)の二神が漲水に天降り、
一切のものを生みだして昇天しました。この跡地に建てられた御 嶽が漲水御嶽です。それ
から数百年後、平良のすみや里の夫婦の娘が聟を取る以前に妊娠してしまいます。驚いた
父母が娘に問うと、毎夜清らかな若者がきて夢心地になっているだけだと語ります。不審
に思った父母は、とても長い糸をつけた針を若者の髪に刺すよう に指示し、翌朝糸をたど
って行くと、漲水御嶽の洞窟に、首に針を刺した大蛇に出会います 。その夜、若者は娘の
夢に現われ、
「我はこの島を創った神恋角の変化なり、この島の守護神を仕立てるために汝
に思いをかけた。3人の娘が生れ3歳になったら連れてくるよう に。」と告げます。やが
て娘3人が生れ、3歳になって連れていくと、3人はそれぞれ大蛇の 首、腰、尾に抱きつ
き睦まじい様をみせ、大蛇は光を放って天に昇り、3人の娘達は御嶽内に姿を消して宮古
の守護神になりました。』
(沖縄情報 IMAhttp://www.okinawainfo.net/miyako/harimizu.html より引用)
写真2:漲水御嶽(ぴゃるみずうたき)
33
15.ビーチロックとは何か ビーチロックは、砂浜の潮間帯に生ずる固結した海浜堆積物で、おもに石灰のセ
メント作用により膠結されていることが多い。その定義は,亜潮間帯から潮上帯ま
での高さにおいて膠結された,完新世の砂岩・礫岩とされ,成因・傾斜角・構成物・
固結物などは問題にしないことが述べられている。 ビーチロック(岐阜大学教育学部理科教育講座より引用) 地中海、カリブ海、熱帯から亜熱帯の大西洋沿岸、太平洋・インド洋の環礁に多
い。日本では、主に琉球列島において発達している。 形成場所は、 潮位差が 2m 以下の撹拌の少ない海浜で形成されやすくサンゴ礁が
発達する地域に多い。 厚さ数十 cm に層が何層か重なり、海に向かって 5°~7°傾斜し、陸側に急傾斜
を持つミクロケスタ状を呈する。走行はほぼ浜のものと一致する。規模は様々で、
34
長さ・幅が最大で数百mとなるものもある。厚さは最大で 2m 程度である。 構成する物質は、一般に周辺の砂浜と等しく、膠結物質は主に Mg カルサイトある
いはアラゴナイトからなり、その起源により変化する。その他アルミ・シリカから
なるものも存在する。ビーチロックを構成する砂や礫の主なセメント物質は CaCO3
であり、その Ca 成分は主に海水由来である。 内部構造は、一般に表面は硬く、内部ほどもろい。また古いものほど間隙率は小
さくなる傾向がある。砂粒子などは成層構造・斜交葉理といった堆積構造をもつこ
とがある。しばしば内部は未固結でまわりの海浜砂礫へ移化している。 約 1000~5000 年前に形成されたものが多く、数百年前程度のものも存在する。た
だし、ビーチロックは陸側から海側へ順次形成されるため、一般に海側と陸側で形
成年代が異なる。 膠結物質の起源は、陸側からの地下水起源説、海水起源説,さらにバクテリアの
生物作用説などに大別されるが、乾燥地域の低いサンゴ礁島で淡水の作用がほとん
ど期待できない所にもビーチロックが存在することや、膠結物質の炭酸カルシウム
の結晶型としてアラゴナイト(アラレ石)が確認されることなどから、海水起源説が
有力視されている。 なおビーチロックは奄美・沖縄地方ではイチャジキ(板敷)とかイタビシ(板干瀬)
などと呼び、板状でかつ神聖な海石として、かつては魔よけの一種の石敢当(せき
かんとう)として三差路に置いたり、この地域に一般的な 2 棟造の家や高倉の礎石
として、あるいはかまどの石としても利用されていた。 35
ビーチロックの形成メカニズムの模式図
(http://www.maedakksz.or.jp/pdf/pdf24/H24-1-1.pdf より引用) 36
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