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裁判批判の論理と思想 (七) 木下 英夫
裁判批判の論理と 思想 英夫 木下 庶W け sein Ⅱま kundDen ) (七 ) de て GeHch 尽 kri 廿 k (7) Hi eo゜INoSITA 前稿 ( 「裁判批判の 見て い こ 論理と思想、 ( 六 ) 」 に続いて、 本稿では、 広津和郎の昭和 10 年代の創作を ) う 1. 一時期㎝中央公論』 S10 年 2 月号 ) る 作品集『一時期』あ とがき (510 年 10 。 くこの集には 気軽なスト一 リ で広津はこの 作品について 次のように述べてい 月 ) 一風のものを 大分集めた。 少し面白さを 狙い過ぎたと 云われる かもしれない。 ノく 併し自分は小説を 書き出した初期には、 自分というものにふん 掴まって 、 ジ タバタしているような 陰気なものばかりを 書いていたので、 こんなに気軽な 短編が書けるように なったのは、 自分では面白い 事だと思っている。 これからはいろいろな 方面、 いろいろな種類の ものを書こうと 思っている。 ノ ( 『広津和郎全集』第二巻四百六十一頁、 以下 n-461p のように記 す 几 これまで何度となく 言及してきたことであ るが、 広津はく自分というものにふん 掴まって -ジタバタしているような ノ 状況からの脱出を 試みては、 一時的に成功しても 又いつのまにかもと の木阿弥といったことを 繰り返してきた。 この作品でもそのような 時期のことを 取り上げてい る。 一個所だけ拾っておこう。 友人の門野からくそんな 風に小莫迦にしたように、 いる事をからかわれると、 なるほど本気で「創作」をしようというのには あ くせく働いて 彼のように一切のこの 世俗的な責任は 逃げてしまって、 その「創作」の 出来るようになるまでを、 我侭 いっぱいに振舞 っていなければならないものなのかと、 彼の生活態度が 非常に覚悟の 決まった、 徹底したものの ように思われて 来るのであ った。 一所懸命働いて、 病める父に送金するなどという これは世俗的な 人の好さに過ぎないのだろうかと。 ノ くけれども、 私は又それが 世俗的でも何で も一向差支えない、 と自分自身で 思い直すのであ った。 ノ ( Ⅱ -341p) と、 開き直って見せるの であ る。 このようなことを 繰り返しながら、 広津は自己との 闘いを続けていつたのであ 稿の 5. 「流るる時代」、 および 6. 「歴史と歴史との 間 」を参照のこと 2. 青麦 広津は ( 『中覚商業新報』 [ 作者の言葉 ] 511 年 2 (2 月 10 日) 月 15 日 事は 、 一9 月 る。 [ 本 ] 21 日、 『満州日々新聞』に 一日遅れ ) でく私は此処に 現代の若い人々の 希望、 絶望、 喜び、 悲し み、 苦しみの種々相を 書いてみようと 思う。 ノ (VI-473p) と述べている。 この「青麦」は、 登場人物の一人であ る稲本一馬が 福本和夫 モデルにしたものだとして 評判になったが こと、 「青麦一本紙小説モデル 供養 一 」 (上 ) ( 広津によれば、 . n下 L 、 ( 一時期の日本共産党の 指導者 ) を 参考にはしたがモデルではないとの s12 年 12 月 24 日・ 25 日『中覚商業新報』、 木下 2 英夫 VI-476p)、 広津の狙いは、 その稲本一馬でも 主人公の尾形 貞蔵 一つの典型 ) とであ った ( その年代のインテリ 転向青年の でもなく、 フ 3 ョというまったくの 空想の産物とされる 若い女性の姿を 描き切るこ ( 同上、 W.476 8p) 。 広津は次のように 言う。 くこの一九三 0 年代のインテリ 青年 ∼ の大部分は、 時代の波にもまれて、 ひしゃげてしまった。 尾形 貞蔵 型の青年や、 小泉型の青年は 、 左翼に希望を 失ったインテリの 間にいくらも 見かける。 一 ところが、 女性の間には、 時として、 今の社会的重圧にめげない、 為 めかも知れない。 ノく 希望の萌芽が 見える。 これは男性ほど 重圧をまともに 感じなかった 実際現実生活においては、 女性の仕事というものは、 制限されているし、 会社や銀行では、 女 ,性は「社員」にもなれなければ「行員」にもなれない。 唯 「雇員」にしかなれない。 一 この社会情勢の 中で、 それに少しもめげずに、 自分の思うままに、 どしどし現実にぶっつかっ て道を切り 妬 いて行き、 如何なる事にぶっつかっても、 失望も絶望もしない、 青麦のようにすく すくと伸びて 行く行動の女,性を、 私はあ の フ 3 ョに表現したかったのであ る。 私はそこに新しい 典型を創造したかったのであ る。 ノ (V1-478∼ 9p) つまり、 前稿でみた「風雨強かるべし」では、 なお転向インテリ 青年の駿一に 重点が置かれ、 ヒサョやハル 子は従の位置にあ ったとみられるが、 この「青麦」ではその 位置関係が逆転してい るとみることが 出来る。 貞蔵 の 妹 ・ フ 3 ョ、 恋人のヒナ 子 、 後の愛人・奉征のいずれもが、 ざまな状況を 打開して行くエネルギッシュな さま 存在として、 描写の中心に 踊り出してきている。 広 津が バンタリズムの 支配という絶望的な 時代に、 なおもしぶとく、 これらの女性達の 姿に希望を 話 そうとしていた 事は 、 極めて重要であ ろ 、おな 「風雨強かるべし」は 1931 . 2 年頃 、 「青麦」は 1934 . 5 年頃 を描いたものであ り さ ら に 「歴史と歴史との 間 」は 1935 . 6 年頃 を舞台にして 描いたもので、 また、 出版はされなかったら しいが、 「めげない人達」という 1937 . 8 年頃 を描いたものもプランとしてあ ったようであ る。 (VI-474p) さらに 194 Ⅰ 年 ( 昭和 16 年 ) には「若 い 人達」という 作品口も発表されており、 こ の作品も一連の 意図を持ったもので、 一つぼまとめる 計画があ ったようであ る。 では以下、 (1) 貞 茂一 春江一 稲本一馬 (2) 貞蔵 一 ヒナ 子 (3) 貞 茂一フミョー 小泉の関係を 軸 に 展開を追いながら、 この作品にみられる 広津の考えを 摘出して行こ Ⅰ) 貞 茂一斉正一稲本一馬 この物語の主人公・ 尾形 貞蔵 は、 胸に情熱の燃えている 青年達が、 われもわれもと 社会運動に 関心を持って 行ったあ の時代、 左翼の外郭運動の 一つであ ったプロレタリア 美術団体の中に 突入 して行った。 そして、 その左翼頽勢の 末期に近く、 たくさんの犠牲者の 救援に動いたモップル 方 面で多少働いたため、 半年近くも警察を タ ライ廻しされたが、 結局不起訴になった。 脚気を患い、 心臓衰弱の状態で 社会復帰してみると、 想像していたと うり 、 運動の情勢は 落日のように 佗 しい ものであ り、 取調べの度に 警部から聞かされていた 26 に、 あ らゆる左翼の 分野は壊滅していた。 数ケ 月は絶望の間をさまよったが、 少しづつ変化がやってきた。 ポスタ一の工房を 始めた。 そして心境にも 変化が現われた。 く彼 貞 蔵 は画家仲間と 図案・漫画・ [ 貞蔵 ] は最近何か近代派の 絵 が 鼻について来ていた。 一種の反動かと 自分でひそかに 思うのであ るが、 併し、 留置場を出て 来 てから、 絵 というものについての 考え方が少しずつ 変化して行くのを 感ずるのであ った。 地味に こつこつと目立たぬところに 骨を折ったような 絵に、 次第に心を惹かれて 来た。 一時はクラシッ クなどは現在のわれわれに 何の関係があ るのだ、 などと 力味 返って見たが、 併しいつか 何 世紀も 裁判批判の論理と 思想 (セ ) 3 前から続いている 絵画の伝統を 忽せに出来ない 気がして来ていたのであ る。 貞茂 にとって更に (VI-28p) ノ 大きな変化は、 かって稲本イズムで 一世を風擁した 稲本一馬をめぐる 恋愛 闘 手 に勝利した 春江一 酒場ハル エ のマダム 一 との付き合いが 始まったことであ った。 奉征 は 一馬の 息子・純一を 必死で育てていた。 ああ く わたしはこの 世で何も信じられないのよ。 している意味も、 して刑務所で 坤吟 な事はみんな 空の空だと思 う あ ね、 何も。 稲本が なたが留置場を 引きまおされたという のよ。 ほんとうにそ う 思 う 意味も。 一 そん のよ。 わたしそんな 事は余り見過ぎて 来 たんですもの。 だけど、 わたしが信じられるのは 親が子を思 う 事だけ。 そう云ったら 貞蔵 さんな んかは、 そんな動物的感情とお 笑いになるでしょう。 だけれどわたしはそれだけはほんとうだと 思うの。 ノ (VI-30p) 貞蔵 は春江 にずんずん惹かれて 行く。 それはくコムミュニスト 稲本一馬の昔の 妻という事が 、 彼の好奇心を 異常にそそったのと、 それに更に彼を 惹きつけたのは、 彼女の身体の 弱々しい、 な った。 くずれかかった 廃頽 美 と一気に云い 切ってしまえそうに 思えて、 何処かに 文 一脈の清楚一清純とは 云えなくとも 一なものをもっている。 ノ (VI-36p)のであ り、 く 何処かに知識の 悲しみと云ったような 哀愁を漂わせている ノ くその眼は妖しげな 悪魔の嚥 よなよした柔らかな 線であ きを 瞬 いているかと 思うと、 何か高いものを ,憧れてそれにとどかない悲しみを現しているように も見える ル ノ (VI-36p) からであ った。 春江 はといえば、 稲本やその一派の 人間たちを極めてリア にみていた。 自分はどんなにじたばたしたってプチ・ブル たという奉征 は、 その点では稲本も 同じだという。 く 根 ,性が抜けやしないんだと気がつい 自分が階級問題について 真心を持っている からだなどと 思えていた間は い いのよ。ふとそんな夢から 醒めて冷静になって 考えて御覧なさい。 一 結局、 唯強い雄のまわりに 群がる雌に過ぎないという 39p) く わたしはブルジョ 特権 面では同じだと ワ 事が解ってくるじゃあ ないの。 ノ (W- が金で女をどうかするのも 稲本が人気で 女を手 馴 づけるのも、 その 云ってやったのよ。 ねえ、 そうじゃあ りません ? ノ (VI-39p) 確かに、 貞 蔵 の動いていたのは 外郭の方なので、 運動の深い内部の 事は解らなかったけれども ハウス・ キ 一パ 一の問題などでは、 最高幹部の連中が 相当横暴な事をやっていたという 事は聞いていた。 くその 癖 、 時々査問 会 が開かれるような 場合には、 佳道徳が高調され、 い そ う云 6 点で詰問されて る男女を見る 事があ ったが、 併しそれは表向きになった 問題ばかりで、 裏 面では男女の 関係は 相当放縦に流れていた。 ノ (VI-4ゆ ) さて、 貞蔵 は春 江の頼みで、 純一を連れて 刑務所まで稲本に 面会に いく 。 貞蔵 は 、 国際社会主 義から国家社会主義への 転向、 最左翼と最右翼との 接近、 コミンターンの 作戦工作の変更など く 今これ等の問題がよく て 見る以外に信用する だ 印象的だったのは、 解らなかった。 ノ くそこで彼は 事も排撃する 事も出来ないような 何でも自分の 眼で見、 自分の感じで 感じ 心持になっていた。 ノ (W-73p) た 稲本だけが転向に 反対の声明を 出したことであ った。 ところがその 稲本は、 一見して英雄的なものは 少しもなく、 く唯 長い獄屋の不自由の 中から娑婆に 残してあ る一人子の 事 を一所懸命案じている 平凡な父親に 過ぎなかった。 ノ それは物足りない 位であ った。 が 、 く その平凡な印象の 中に 、 一つの真実 一 飾り気のない 真実があ る。 その真実がこうして 別れた後に なって心に快いものを 拡げて来るのだろう ノ 本に対して感じたのであ る。 しかし、 (VI-79p)と、 貞蔵 は 一種の好意のようなものを 春 江は厳しかった。 稲 稲本から、 純一を自分の 後継者として 育てたい、 君は純一を教育する 資格のない女だという 手紙を受け取り、 悔し涙にくれながら く「誰があ の人の空想の 後継者などにして 堪 るものですか。 あ の人の空想がどんなにみじめに 破 木下 4 壊されたか、 あ の人にはまだ 解らないの。 英夫 あ の人の空想のためにどんなに 多くの人がその 一生を 棒に振ったか。 どんなに多くの 青年がみじめな 目にあ ったか。 ノ (VI-107p) く 」 が 社会問題なの ? 何が階級闘争なの ? 」 「あ んな頭で何 ノ (VI-108p) 、 と叫ぶ。 そして 春 江は稲本への 返事の手 紙で、 くいえ、 封建的な男の 横暴そのままです。 口でこそいろいろの 理屈をこねていらっしゃっ たけれども、 あ なたの日常の 生活気分そのものは 思い上った、 御自分を英雄と 自惚れた、 自己陶 りませんでした。 ノ (VI-108∼ 9p) 、 と非難するのであ った。 一方貞 蔵 は 酔の外の何ものでもあ く一 刑務所に這入っているだけ、 今の自分達みんなが 感じているような 絶望感が 、 却って稲本に は感じられないのかも 知れない。 ノ (VI-1lop) と考え、 その自信をもって 飽くまでそうと 信じ て 、 自分の考えている 事に失望も疑惑ももっていない 一途さに、 妙に心を打たれるのであ った。 そして話は次のように 展開する。 純一が稲本の 手の者によって 誘拐され、 京都に匿われている ことが分かると、 春 江から一緒に 行ってほしいと 懇願される。 貞蔵 は、 心の上での潔癖でこの 春 江 との平行線を 望み、 それを押し通して 来たけれども、 人知れぬ感覚の 上では、 やっぱりこの 女 の 魅惑的な肉体に 或 吸引力を感じていた。 貞 蔵 は独りで京都へいき、 無事純一を取り 戻す事に成 功する。 彼は、 春江 のために復讐をしてやったと 云った 痛 , 決な 気持ち、 何か 爽 , 決な スポーツに 優 勝 したような朗らかさ 感ずるのであ った。 (W-22Op) ヒナ 子 と夢のような 1 週間を過ごす。 ( 後述 ) それから 貞 蔵 は奈良へむかう。 そして そのヒナ子に 去られた後、 貞蔵 は春 江の待つ三保 へ 行く。 ヒナ子の初々しい 清純さと比べると、 春 江の姿態には 何とも い えぬ 燗 熟した柔らかみが あ り、 く長 い間 避けていたこの 姿態に 、 ど う したわけか今は 何の嫌悪も覚えなかった。 ノ (VI- 256p) のであ る。 (2) 貞 茂一ヒナ 子 貞蔵 が 初めてヒナ子を 見たのは、 前ムム局長の 父親が二度目の 脳溢血の発作で 倒れたという 知 らせを受けて、 実家に向かう 中央線の電車の 中でであ った。 ヒナ子には、 くこの世の泥淳の 中を のたうち廻って 来たような 春 江などには到底な い 新鮮な美、 ほがらかで、 明るくて、 きらきらと 輝いたような 美が、 その頬立全体にも 体つきにも感ぜられた。 整っていないが 出来合でない 美一 何か名工が心を 篭めて作った 顔立ちででもあ るような通俗的 美 とは違って芸術 美と 云ったような 特色的なものが 感ぜられた。 ノ (VI-17p) のであ る。 父の臨終の床へ 急ぐ自分が不謹慎だとは 思 っ たが、 く 「此処が人間生活の 面白さなのかも 知れない。 滅び行くものが 滅びても、 それとは関 係なく、 生きている者の 心には絶えず 次々と何か新たなものが 湧いて来るというところ が ・…・」 ノ (VI-17p) 、 と考える 貞蔵 であ った。 しかし、 ヒナ 子 と何度となく 会うようになってみ ると、 く 藤原期を思わせる 純 日本式の顔立なのでその 表 ,清は一見単純な朗らかさに見えながら、 併しその眼にはちょっと 理解出来ないような 複雑な陰影が 閃いた。 唯 無邪気な朗らかさだけにも 取れるし、 又 何か誘いかけて 来る開けっ放しとも 見えるような、 そういった見当のつかない 微笑 であ った。 ノ (VI-113p) 、 と思うようになり、 一分の スキ もないブルジョ ワ 娘の白狐のようにも 見える彼女にふりまわされているといった 感じを覚えるようになる。 会う 度 毎に違った面を 一つ 一つ見せて来るような 少女、 その境遇にふさわしい 開放のされ方に 貞蔵 は 、 自分が飛んだ 道化者 の役まわりをさせられているように 感じるのであ る。 そのようなヒナ 子 との交際について 貞蔵 は 次のように考えた。 …‥一二年双だったらブルジョ ない。 く 女に心を惹かれるにしても、 ワ の 娘 というだけで 面をそむけていたに 違い イディオロギーからの 批判がはっきりしていた。 そうだ、 裁判批判の論理と 思想 あ の時分は心にはっきりした 遣穏 があ (セ ) ったのだ。 そして周囲にも、 た 一つの意識があ ったのだ。 ノ (W-146p) それをもり立てるはっきりし ところがく 一 このヒナ子の 何処に、 はっきりし た 思想があ るのであ ろう。 何処に階級的イディオロギーから あ 5 見て、 是認すべきところがあ るので ろう。 ノ くそんなものは 凡そ何もない。 それだのに、 自分はこの女に 惹きつけられているのだ。 この女の美、 若さ、 朗らかさ、 苦労を知らない 無邪気さ、 もって生まれたかのように 見える機智、 自然に備わっ だ媚態二 そんなものは、 実際イディオロギ 一の上から云えば 唾棄していたものであ った 。 それだのに、 それに自分は 惹きつけられているのだ。 ノ くそして而も、 自分でそう気がつ いても、 一二年前なら 厳しく胸に来たに 違いない自己批判が 、 殆ど胸にやって 来ない。 一 その事 は 自分の物の感じ 方に変化が来たためばかりではない。 いる。 ノ ( ⅥⅠ 46p) .…・そして、 周囲の意識にも 変化が来た事を 意味して く 何もかもに目をつぶり、 何もかもから 逃げて、 自然の中にひ たり込んでかく。 留置場から出て 娑婆の空気を 吸って以来、 ど う にもならないこの 目の前の現実、 どうにもならないのにそれだのに 始終良心を刺激し、 一時も心の休まる 時のな い 苛立たしい毎日。 それから逃げて 休息する。 一 そういう空想は 気持ちのよくないものではない。 ノ (VI-147p) と も思うのであ った。 さて場面は一転し、 奈良木テルの 方が見渡せる 小さな 藁葺 屋根の亭で、 貞蔵 と ヒナ子の目くる めくような一週間が 展開される。 く 青春のさびしさから 人に話せないような 屑のような享楽をそ つ と低級な魔窟で 拾ったり、 レポの女と明日も 解らないような 一夜の寂しさを 慰め合ったりした 以外に、 本当の恋愛などした 事のなかった 自分が、 とうとう、 恋人をかち得たのであ る。 一実際 何という新鮮な、 そして何という 勿体ないくらいな 感激であ ろう。 ノ (W-234p) 二人は口 を利き合う暇もないようなく 若い命と命との 火花 ノ であ った。 現実ばなれのした 伝説の恋のよう であ った。 貞 蔵 は思う。 く 元来これが人間の 生活であ るべき筈で、 あ んな運動に狂奔するなどは、 ほんとうは生活ではないのであ しまっているのであ る。 ノ る。 人間はつまり 本来の生活なるものを、 すっかりスポイルして しかし、 ふと小泉の憂 穆 な顔が浮かんでくる。 あ の妹の愛人が、 左 翼の壊滅後いまだに 苦悶しているのを 思うと、 自分の幸福への 理論づけが一寸恥ずかしいような 気 もしたが、 併し 恥 ずかしがる事は 何もな い のだ、 237p) そして 貞蔵 は、 から思い く ら 寄らずに見せる と貞 蔵 は自分に云 い 聞かせるのであ る。 (W- ヒナ子の初々しさと 共に、 天性とも云えるような 恋愛技巧、 差配の 陰 大胆不敵、 そして感情の 屈 m,性 とこまやかさ 日毎日毎に新しい 魅 ノく 力 め 加わって行くような 味の深さ ノ (VI-239p) にすっかり充ち 足りた幸福を 感ずるのであ った。 しかし、 ヒナ子は手紙を 残して去る。 婚約者の道雄と 結婚するためであ った。 (3) 貞 成一フミヨー 小泉 社会運動に走った 自分のために、 妹 フ 3 ョ と 二人になるとその ・ フ 3 ョの縁談がこわれたと 考える 貞蔵 は、 父の死の晩 、 事を詫びた。 すると フ 3 ョは く 「わたしだってそうよ。 自分がこうと 思った事をやろうと 思ったら、 お兄さんの事は 考えないわよ。 わたし入ってお 互いにそ う じゃな くつちゃならないと 思うのよ。 そうならなくつちゃお 互いに尊敬し 合 う 事にならないと 思 うの よ 。 」 ノ (VI-26p) などと、 しっかりした 理屈を言う。 貞蔵 は、 く 父が死んだといっていつまで も泣いている 子より、 直ぐ何か新しく 生きて行こうと 考える子の方がどんなに 頼もしいか知れな レ )0 ノ (W-28p) と ,思、 う 。 は、 友一人のアパート 住まいを始め、 働いて食べて 行く決意を している。 そしてく「わたしそれより 浮世の波風に 真向からもまれたいのよ。 そして自分がどん 木下 6 な 力を持っているか 試してみたいのよ。 英夫 ノ (VI-69p) と言う。 」 フ 2 ョは雑誌社の 社長に直談判 して、 広告取りの仕事を 始める。 その大胆不敵な 猪突,性は兄を 驚かすほどであ る。 く 「わたしそ ノ (VI-84p) と言って先輩のアドバイスを んな型にはまった 事やる気になれないものですから」 断り、 歩き回る前に 他の雑誌を研究し、 広告主の名簿を 作成し、 く 失望すべからず。 あ きらめる べからず。 怒るべからず。 投げ出すべからず。 何処までも根気。 一 、 押し、 ニ 、 押し、 三、 押し。 唯 押しの一手 (VI-89p) と手帳 に書きつけ、 どしどし仕事を 進めて行く。 彼女の家の近くの 畑 ノ にはく青麦がも うセ 八寸にのび、 朝のそょ風にさわやかな 波を打たせていた。 ところどころに 桜 と桃 とが同時に咲き、 その間に白木蓮が 眼のさめるような 白さで朝陽を 照り返していた。 こんな 風景の間を彼女は 停車場の方へ 歩きながら、 何にもめげない 若さの幸福感でその 豊かな胸を溢ら せていた。 ノ (V1-89∼ 9%) フ 3 ョは次々と成果を 挙げて行くが、 あ る時、 同僚の小泉の 開拓していたところを 横取りする 田 結果になってしまった。 それに気づいた は小泉へ手紙を 書き、 電話をかけて 謝ったが、 く 自分の心持が 相手に素直に 受け取られない、 もどかしいような、 じれづたいような 悲しさ一何 と 云っても相手の 誤解がとけない 悲しさ ノ が残り、 く 彼女は誤解されても 小泉に対して 腹 を立て 切れない何かが 胸に残るのが 悲しいのであ った。 ノ (W,103p) それでも フ 3 ヨは 、 く 一つ 一つ努力が効果を 現して行く楽しさ、 征服の喜び一 彼女の胸は幸福と 得意にいっぱいになった。 無 経験で六 ケ 敷い職場に飛び 出して行って 、 一つ一つ自分の 道を切 拓 いて行くという 事は 、 何と いう,愉快な生き甲斐のあ る事であ ろう。 ノ (VI-12lp) と思うのであ る。 一方。 小泉は会社を 辞めることになる。 小泉はく今から 四年双一その 時彼は全人関係で 一丁度 交通の方で働いていたが、 会ム が 党と同じにムム 制 破壊のスローガンをその 機関紙 XX 新聞に掲 げようとした 時、 彼はそれに反対した 一人であ った。 それでなくともインテリ 化し、 焦燥に駆ら れ、 おちつきを失い、 神経質になり 過ぎた党の指令のままに 会ム が 動く事の危険を 感じ、 全ム は 全ム で 飽くまで労働者中心に 地味に進むべきものであ ると考えていた 彼は 、 党と同じスローガン を掲げるなどはもっての 外であ る。 そんな事をすれば 労働者の信望を 失ってしまう、 とその スロ 一 ガンを掲げるかどうかの 決議の席上で 極力反対を主張した。 ノ (W-132 ∼ 3p) の結果はどうであ ったか。 全 八の幹部が一遍に 持って行かれてしまったのであ しかしくそ る。 誰も彼もが 治 安 維持法に触れてしまったのであ る。 一つまり 根 こそぎやられてしまったのであ る。 133p) 彼は、 二年の未決にⅡ 申吟 したあ く 捕らわれる前には、 しと批判する げく、 この社会も、 時代も、 事が出来、 ノ (VI- 到底想像のつかないような 時代の波の移り 変わりに あ らゆる現実の 現象は 、 総てこっちの 主観でびしび 自分の持っているイディオロギ 一で割切れるように 思われていた。 とこ ろが思いも設けぬ 現実現象の後から 後からと生起して 来るその有様 一 それは手のつけられない、 荘然 と洪 手 傍観するより 仕方がないようなものであ った。 ノ くつまり一口に 云うと、 現実を批判 していたのが、 今や逆に現実から 批判されるような 立場に立ったのであ る。 ノ (VI-133p) と考 えるようになっていた。 さて 貞蔵 は、 フ 3 ョが左翼青年と 恋をしていることを 知り、 老婆心から,i 、 配するものの、 く 生 きている事が 嬉しくって嬉しくって 堪らない ノと 言 う 妹の言葉を聞き、 く生きている 事が幸福 一 そしてその言葉は 何という物珍しさで 耳に響くのであ ろう。 本来はあ った筈の言葉、 自然であ り、 当然であ り、 そして実に平凡であ った筈の言葉 ! あ ! るのが 一 それが何という 珍しさで聞こえ るのであ ろう。 この当り前過ぎるほど 当り前の言葉を、 自分達はいつから 失ってしまったのであ 裁判批判の論理と 思想、 (七 ) ろう。 ノと 思う。 そして 貞 蔵 は自分の心持を 省みる。 く 心の中にはその 言葉を押殺した 観念の幽 霊が群がっている。 この社会の機構、 政治、 搾木で 搾 められて行くような 民衆の苦悶.….ノく併 しィ可処 までが実感で 何処までが観念なのだ ?. …‥空の青さを 青さと感じなくなり、 花の美しさを 美しさと感じなくなり、 健康の快感さえも 快感と感じなくなった、 この 夏麓 さは何処から 来たの だ ? 一 それが社会の 機構のためか あ れ、 政治のためか ? ? ノく 併し社会の機構がどうあ れ、 政治がど う 空の青さは空の 青さではないか。 花の美しさは 花の美しさではないか。 それさえも素直に 感じられないのは、 観念の幽霊の 仕業ではないか。 ノ (W-160p) 貞蔵 も、 このような現実 や実感と観念の 関係という点では、 小泉と同じような 考えに到っていたのであ る。 フ 3 ョは悩める小泉に、 自分が一人の 生活を始めてから、 く 何か無限の大空を 飛びまわる事も 出来るような 軽快なものに 自分の身体が 思われてきた。 ノと 話す。 小泉は、 男は別だと言い、 く 「男は君のような 域を既に通過して、 その次のものに ぶ 打っつかっているからさ。 構というものに、 直接に打っつかっているからさ。 この社会の機 そして 今 その現実に正直に 云えば負けた 形 を んだ。 その問題は君なんかもやがて 打つからなければならない 問題だよ。 女がほんとうに 解放さ れ、 特殊待遇から 脱せられたと 思った時、 次に来る問題だよ。 ノ (VI-172p) と話す。 フ 2 ョ 達が 」 は、 くいっそ文学をおやりになったら ノと すすめる。 く一 併し左翼に飛び 込んで行ったインテリ 、 その最初その 多感性、 敏感性から文学に 関心を持ちながら、 実際運動に携わり 始める と 一種のインテリ 性に対する反発から 文学に反発を 感ずるようになって 行ったように、 小泉もひと 頃 そうした反発を 文学に感じていた。 その心持が今でも 何処かに残っていた。 であ る。 そして、 フ 2 ノ (VI-173p) の ヨの愛の告白に 対しても消極的な 態度しかとらない 小泉であ ったが、 その ような彼にむかって、 彼女は飛び上がるようにしてその しかし小泉は 、 昔の同志との 連絡を取ろ う 唇を捉えるのであ る。 として果たせず、 かといって 、 フ 3 ョが薦めるよ う に 文学に取り組む 決心もつかず、 方向のない事、 思想の拠り所のない 事に苛立っていた。 彼は、 最近のコミンターンの 指令が懐疑・ 混乱のもとであ り、 右翼や民主主義者と 協力せよとか、 仏教 団体、 つまり民衆を 麻 痩 させる阿片であ ると云ってあ れ程までに敵視していた 既成宗教を今更利 用 せよとはどういう 魂胆なのかと 憤ってすらいた。 (W-178) くそればかりではない。 日本 の 現実というものについて 何か迂遠で、 いつも観念的にしか 見ていないコミンターンというもの についての今更ながらの 懐疑 一 それが小泉の 心を一層 憂麓 にしていた。 観念的にしか 見ていない から、 時々その観念が 現実に・ 津 っているという 事を認めては 指令をかえる。 併し次に掴むものも やっぱり観念であ る。 一 この観念から 観念への飛躍や 更変の間に 、 彩 しい犠牲者があ のように 現 れたわけなのであ る。 ノ (W-178p) タ ンが無感覚、 傲慢で、 何とも 一体何がほんとうなのか。 何が正しいのか。 コミン い えず冷たいものに 思えた。 二人の同棲生活が 始まっても、 小泉は相変わらず、 自己の内部に 向かって解決を 求めようとし ていた。 世の中では、 二十年前のようにトルストイが 復活して来ていた。 小泉の解釈によれば、 二十年前の自由主義時代には「人生とはなんぞや ? 」という抽象的な 探求が、 生活の真理を 求め るもっとも重要な 問題であ った。そこでこのトルストイの 苦悶や煩悶が 人の心を打ったのであ る。 ところが、 まもなく社会情勢の 逼迫が階級問題を 惹起した。 「人生とはなんぞや 問題よりも、 「如何にして 生きるか ? ? 」という抽象 」という現実問題が 切実になって 来た (VI-180p) という 事 になる。 くけれどもその 方向は今やすっかり 阻止されてしまった。 そこで青年達の 悶々の情は、 せめて抽象的にも 人生問題の解決を 求めなければならないというところまで 逆戻りしなければな 木下 8 英夫 らなくなった。 トルストイの 復活もそうした 現象の一つと 見る事が出来る。 ノ (VI-180P) しかし小泉はノートに、 トルストイの「無為 説 」二苦労知らずの 4目 爵 トルストイ・ お坊 ちやん的 空想、 ・驚くばかり 空疎なる教訓等と 書きつけるのであ る。 彼は、 コミンターンに 腹 を立て、 トル ストイにも腹 を立てた未に、 疲労から来る 佗 びしい反省のうちに 沈んで行くのであ った。 くこの 自分が早くも 絶望の末に無為のどん 底に落ちて行った 敗北者ではないか ノ (VI-181p) と考える のであ る。 さて 貞蔵 は、 くこの数年青年の 情熱のままに 絵を捨てて、 自分に適してもいなかった 実行運動 の渦巻に巻き 込まれたという 事が 、 何という無駄な 精力の浪費であ ったか ノと 考え、 く 而もその 運動の行きづまりから 自分の心にかち 得たものは、 えたいの知れない 懐疑と虚無であ ったし、 こ の消極的な絶望から 立直るだけでも、 並大抵なものではない。 ノ (VI-206p) と考えていた。 彼 はフ 2 ョ に端書を書き、 く 東京はインテリの 苦闘の巷だ。 東京の町そのものがインテリの だ。 一 汽車に乗 って近江の琵琶湖あ たりにインテリ 的良心を捨ててしまって、 足掻き この歴史に柔めら れた古都の自然の 中に這入って 来ると、 兎に 角 一時的にも頭の 休養になる。 ノ (VI-216p) とし、 いずれ小泉をも 誘って 、 旅に出ようと 述べた。 しかし フ 3 ョからの手紙には、 F とだけ署名が り、 近所に背広の 男が現われ、 小泉が熱のあ る身体で夕方よく 外出するようになり 大変心配し ているとあ った。 貞蔵 はくこのム人総退却の 中にも、 何処かにやはり 人知れず地下工事をやって あ いる連中がひそんでいるのであ ろうか り一種の自糞ではないか。 なくなって、 ? ノ ( Ⅵ -252p) と考え、 苦い自 潮 とともに、 く 「やっぱ 無謀を無謀と 解っているのやるのはやけ 自 糞ではないか」 ノく 気力が 唯 休息したいと 思っている自分の 心持が絶望なら、 無謀でも何でも 構わないから 何 かやらずにいられない 小泉の心持も、 やっぱりもう 一つ違った絶望なのではないだろうか ? ノ (VI-254p) と思 う のであ った。 以上が「青麦」の 要約であ る。 広津の意図にもかかわらず、 作品としては、 フ 2 ョよりも主人 公の貞蔵 や小泉の方が、 また 春江や ヒナ子の方が 印象深く描かれている。 そして、 最後の場面を 「風雨強かるべし」と 比較してみると、 時代背景の違いからなのか、 いわゆる非合法活動に 対す る広津の距離感にも、 多少の変化が 見られる。 しかしここで 重要だと思われるのは、 左翼運動に 関 わった青年達がその 挫折を乗り越えて、 自らの人間,性を 回復して行くプロセスを、 広津が繰り 返し、 手をかえ 品口をかえて、 提示しょうとしている 点であ る。 この点も含め、 この作品口の 意味を いずれ詳しく 検討する事にしよ 3. 真理の朝 ( 『日本評論』 512 年 1 月号∼ 「青麦」の後編とされている 作品 ( 未完 ) 5 月号および 12 月号 ) であ るが、 かなりの部分が 重複している。 新し い 展開を示すところは、 第二回の初め、 第四回の終り、 第五回の全部、 第六回の最終篇の 大部分 であ る。 但し、 新展開とはいえないものの、 例えば、 貞蔵 が イデオロギー 的には寧ろ左翼運動な どとは背馳しなければならない 超現実派の画家から、 どうしてあ の外郭運動に 這入って行ったか、 という問題に 対して、 く 結局何かによって 点火されれば 動き出す情熱が 既に先にあ る ノ のだとい 説明の仕方をしている 心に見ておこう。 う ( 第一回の 一、 V1-402p) のは興味深い。 以下、 簡単に 貞 蔵 の心境を中 さて、 三保でのハル エ (春江 ) との愛欲生活から 東京へもどった ( 第五回、 W-448p) 貞 蔵 を迎えた 妹フ 2 ョは、 小泉がカルモチンを 大量に飲んだことを 告げる。 妹への心配や 疲労、 億 裁判批判の論理と ,思想 (七 ) 助 な用事の引き 受けなどで苛々しながら、 「俺の知った 事かい」と云ってしまえば、 貞蔵 9 分析して行く。 く 一切の事を、 は自分の心境を 云ってしまったって 差支えないような 気がする。 こんな気持ちは、 二三年前までは、 いやに三年前どころではなく、 軽蔑すべきニヒリズムとして、 排撃したものであ った。 こ 3 いう つ い 半年ほど前までは、 最も 消極的な敗北的な 気持ちは、 分子でも、 心に忍び込んで 来る事を警戒したものであ った。 それは唯もう のほんの僅かな 寄せつけてはならない 心の堕落であ った。 ノ (W-457p) そ 無暗と しかしく一切を 自分の責任と 考え るからこそ、 そうした反省で 自分の心を ぃ じめなければならないのだけれども、 持が自分の胸に 喰 い 込んできた事は、 自分の責任であ ろうか ノく ? 一体こうした 心 一 自分の責任と 思っていたのは、 自分の自,惚れで、それを自分の 責任としなければならない 程の強さも え らさも、 自分にはな い の ではないか。 ノく又 こうも考えられる。 一 自分という人間は、 そんなに不真実に 生きていたろう か ? 自分は自分を 偽って生きてきたろうか ? 一 いや、 自分に緊張が 足りなかったとか、 自分が聡 明が足りなかったとかは 云えるだろうが、 自分で自分を 不真実に生きてきたと、 そう思い込む 必 要 はないであ ろう。 他人の真実がどの 程度のものであ るかは知らないけれども、 自分だとて、 人 並の真実の生き 方はして来たと 云っていいであ ろう。 一 それだのに、 こんな風な考えが、 いや、 感じ方が自分の 肉体をも心をも 食いつくし始めて 来ているのであ る。 ノ (W-457 ∼ 8p) 貞蔵 るが、 何処までが自分の 責任で、 何処からが自分の 責任ではないか、 そのけ じめがはっきりしないのが、 苛立たしい。 しかし、 そのけじめをはっきりつけるために 考えるの はこう考えるのであ は 、 億劫なことに 思えるのであ る。 (W-458p) そして、 ものぐさ太郎とでも 云 モフ気質を思い 浮かべ、 「オブロモフィズ ム を克服しなければならない」という 言葉とともに、 と 思い、 う べきオブロ 左翼陣営の合い く貞 蔵 などもやはり 自分の心内にあ るオブロモフィズ ムと 闘わなければならない 始終自分で自分をいじめっけた ノ 事を想起するのであ る。 く 併し、 今一寸した視点の 相 違から、 何と物事は違った 風貌を現して 来るものなのであ ろう。 一 この排撃されたオブロモフが 、 世にも親しみを 持って感ぜられて そのものと云っていいような ような 温か味を以って 感ぜられて来るではないか。 貞 蔵 の独白をみるとき、 と 考えるべきであ 来るではないか。 これこそ一番自然な、 人間らしい、 寧ろ謙遜 (VI-459p) この 広津自身のニヒリズムとの 闘いは、 どのような段階に 達していた ろうか。 前進なのか、 停滞なのか、 後退なのか。 悪化し、 まもなく死去する。 小泉の肺病が ノ 貞 蔵 は威圧に感じられていたものが 除去され、 また 自分と妹との 間にはさまっていたいた 余計なものが 消え、 なにかほっとしたものを 感ずる。 ハ ルエ も帰京し、 純一も含めた 三人の新しい 生活を始めようとする 貞茂 に対して、 ハル エ はく 「 あ なたのは、 そうね、 生意気な事を 云うと、 観念と闘っているのね。 ですから、 失望も希望も 観念 的ね」 ノ (VI-470P) と手厳しく批判する。 「生活」のまわりを 空回りしている、 というのであ る。 謙遜な 、 小さな生活の 積み重ねなんていうものに 我 ,漫がならないというハル エ は、 一人で生きて 行くとつっぱ ぬ るのであ る。 4. 心臓の問題 512 年 1 月号 ) 文章は、 創作というよりは 随筆といった 方がよさそうだが、 中期短編小説の 中にまとめられているので、 ここに入れた。 かなり反権 力的な発言 「私」という 『全集』では ( 『文芸春秋』 一人称で書かれたこの が 見られるせ いか 、 広津に よ れ ばく 「心臓の問題」は 支那事変が始まって 間もない頃 書いたもの で、 当時の雑誌には 発表出来たが、 単行本の中には 今日まで入れる 事が出来なかった。 ノ ( 大 『 Ⅰ 木下 0 和路 Ⅰの「あ これは、 とがき」 あ s22 年から、 Ⅱ -462p) 英夫 との事であ る。 の ニ ・二六事件の 2 ケ月 ほど後、 「私」は長男と 一緒に新宿を 歩いている時、 その 長 男が一人の巡査から「おいこら」と 警視総監に手紙を 書こ 呼び止められ、 無茶なことを 言われた。 そのことについて、 とした、 という話であ る。 「私」はその 出来事の半年ほど 前、 狭心症で う 倒れた。 その時、 死、 特に突然の死という 考えが閃く。 く -Ⅱ弄 し大体生涯の 終りに 掩 いて考える のは、 結局こんな事なのか ? 何かもう少し 閃レ 、 た 事でも考えそうなものなのに、 こんな現実的な その場限りの 事しか浮かんで 来ないものなのか。 それにしても、 何か予定や目的がこの 人生にあ った筈であ ったのに、 此処でいきなり 中断されるというのは 一体何事であ ろうか ? ノ (n-358p) そして、 それからしばらくの 間はく感じ易く 、 激し易く、 そして物事に 忍耐がなくなって 来た。 そうした精神の 苛立ちは確かに 生理が原因に 違いなかった。 もうこの辺で 怒るまいと頭の 方では 考えているのに、 心臓が波立ってしまうので、 怒りの感,清が消えないのであ る。 ノ (n-359p) しかし「私」はくその 姿勢がすでに 物に負けた姿勢であ る。 物にぶつかるのには 身体をのばし、 大手を拡げて 真正面からぶつかりたい。 背中を丸め、 内臓を庇いながら、 老人のようにち ぢ こま ってはぶつかりたくない。 ノ ( Ⅱ -359p) とも考えている。 そこで二・二六事件であ る。 その理不尽さについて「私」は 激しく弾劾する。 くそんな莫迦な 事はなり、 不合理な事はないと 考えたとしても、 ズブリとやられたら、 それで「そんな 莫迦な 事 はない、 不合理な事はない」と 考えた 事 さえも、 そのまま何も 後に残さずに 消えていってしまう のか。 ノく 恐ろしい事であ る。 私は身体中がぞくぞくする 程、 その恐怖を肉体的に 感じた。 ノ く一体どういう 観念 一 その暗殺という 行動に導く観俳 一 から他人の生命を、 その意思に反して 中 断 してしまって 差支えないという 思想が湧くのであ ろうか。 一体それは何という 暴慢な思想であ ろう。 人間が持つ、 それ以上の悪しき 暴慢はないと 云えるほどの 暴慢ではないか。 他人の生命を その意思に反して 絶つ事によって、 一方的な正義感を 誇る感情が人間にあ るなんて ! く 私は ノ その暴慢を敢えてした 若い人々の動機や 心理を調べて 見るために、 その当時手に 這入り得る文書 一 秘密文書を集めて 読んでみた。 政治的ないろいろないきさつも 了解出来た。 それが偏狭な 認識の上に立ったものであ 解り、 彼等の,憤 礒の原因もほぼ るとは云え、 彼等並の憂国の 情には人を打 つものがない 事もなかった。 併しそれだからと 云って、 他人の生命をこっちの 意思で、 その生命 の所有者の意思を 踏みにじって、 中断してさしつかえないという かった。 ノ ( Ⅱ -360P) 理由は、 依然として見出し 得な くおお、 それにしても、 その人々の意思、の源泉であ る生命を絶たなけ れば、 自分達の意思が 逆に圧迫されなければならないというような、 そういう感じ 方 一 互いに 他 人の意思を否定し 合わなければ 成り立たないような 権 力の争奪という 事は 、 何という野蛮なもの であ ろう。 ノ ( 同上 ) そして、 くわれわれには 解らさずに、 知らさずに、 すっかり目隠しをし て 置いて、 それで何かを 企てたり謀らんだりしている の結果は 、 ひしひしとわれわれの 代 ! 指導 層一 それでいて、 それで企てや 謀らみ 日常生活に大きな 影響を持ってくるというこの 政治的 恐 , 柿時 ノく 実際、 われわれは生命を 絶たれずして、 その意思を絶たれているのであ る。 ノく 事毎に 、 刻々に加わって 来て、 このわれわれの 意思の上に蔽いかぶさって 来る他の者の 意思 361p) という よ ! ノ (n- うに、 この時代そのものの 批判にまで進んでいる。 見られる よう に 、 実に痛烈な告発であ る。 しかしこの弾劾・ 告発の特徴はいわば 生理的・肉体 的なものでもあ ったというところにあ ろう。 く 私はこの誰にでも 解り切っている、 今更云うのが 馴れっこになっている 人がおかしいと 思うであ ろうようなこんな 事を 、 弱まった感じ 易い神経の 裁判批判の論理と 思想 お 陰で ( お除 か、 わらぬものは、 lp) それとも災 いか ) 苦しいほど感じたり 考えたり、 それで結局われわれ 政治に携 どう に 肉体的に痛みを 11 (七 ) 感じたり考えたりしたところで、 どう する事も出来ない 事なのに、 それだの 覚える 程 感じたり考えたりしなければいられなかったのであ く 心臓のお陰で (或はその災いで ) 六 以後のいろいろな 現象を感じていた。 る。 ノ (D-360 ∼ どうとも他に 誤魔化しようのない 迫り方で、 私は ニ ノ ・ 二 (D-361p) そして、 新宿の事件が 起る。 く 私は暫くあ きれて巡査の 顔を見成った。 何 は 何でもそんな 事は 云うまいと信じられない 種の事を、 この巡査は威 丈 高になって私に 向かって云ったのであ る。 ノく 的に云 う 警察というものを 知るまい。 訊問、 検束みな自由なのだ ぞ 。 それを人民に 向かって威嚇 のであ る。 ノ (n-362p) それに対して「私」は 、 く 訊問はまだよろしい。 併し人民を 検束する事が 警察の自由であ るとは。 一 これは一つの 恐怖であ る。 われわれは警察が 人民を保護 している事を 信じるからこそ 安心していられるのであ る。 家族が外出して、 帰りが遅くなっても、 警察の保護があ るから、 と思って安心していられるのであ る。 ところが、 検束が警察の 自由と 傲 話 されると、 われわれの家族がいつ 検束されるかわからない。 帰りがおそくなると、 これは何の 罪もないのに 警察に検束されているのではないかという 不安が胸に来る。 警察があ るが故に 、 善 良 な国民がそうした 不安と恐怖とに 駆られなければならない。 ノ (n-362 一 3p) と考え、 そこで 警視総監への 手紙を書きかけたが、 疲れて根気がなくなって 止めてしまったというのであ る。 さてこのような 問題は 、 決して警察官の 問題だけではない。 「私」は防空演習の 時の体験か らく私は若し 何かの規則を 作って、その規則で何かを 民衆に云っても 好いという権 限を与えたら、 日本人はみな 警官になり得る 素質を持っているかも 知れないと考え と うとう苦笑して、 鷹人 を 消してしまって、 ベッドの上に 仰向けに転がった。 一人をとがめていいという 権 限を与えたら、 日本人はみなその 人をとがめる 権 限を享楽しそうであ る。 規則の内容は 問題にせずに、 その規則 の 適用範囲を拡げるだけ 拡げて、 人をとがめる 事に喜びを感じそうであ る。 ノ ( Ⅱ -364p) と思 う。 そしてさらに、 それは日本人だけの 問題でもない、 もっと深い根を 持ったものだと 考える。 例えば、 く 時代が狂気じみた 戦乱の渦巻にまき 込まれると、 良識ハウプトマンでさえもこんな 法な放言をするに 至るのであ る。 秋 になって健康が ノ 無 (D-365p) というように。 快復し、 田園コートでのテニスの 試合を見に行くと、 例の日本人の 規則適用 拡大性に出会う。 しかしく私は 別段腹 は立たなかった。 ……が 、 腹 が立たなかったのは、 恐らく 私の心臓が快方へ 向かった事もその 一因には違いないであ ろう。 ノ (D-367p) くそうだ、 確か に私は近頃 はひと頃 のようには腹 が立たなくなって 来たと共に、 今まで腹 の立ついろいろの 原因 に 数えたものの 中に、 田園都市のカーキ 一服の青年のような、 腹 を立てるよりも、 そこからとぼ けたユーモアを 感じさせるようなものも 大分まじっている 事に気がつき 始めたのであ る。 (n-367p) ノ くこれからどんな 現象にわれわれはぶっつかるか 解らない。 それを一々忍耐して 見 るから、 実際一々腹 を立てていたら 生きつづけられるもので はない。 ノく 心臓が恢復して 来た事は何と 云っても私にはあ りがたい。 ノ (n-367p) 成って行かなければならないのであ 以上が「心臓の 問題」の概要であ る。 広津の面目躍如といったところ か 。 いずれにしても 広津の自己との 闘 いは 、 横暴な権 力との闘いと 絡んで展開されているのだが、 身体問題も微妙に 関係しているのが それと健康問題・ 明らかにされており、 広津を知る上で 興味深い文章といえ ょ 12 木下 英夫 5. 流るる時代印改造』 sW6 年 3 月号 ) 五十オを過ぎた 作家・牛島五郎は、 作家としても 家庭火としても、 一応体裁は保っているもの の 、 異母 弟 ・ 十 吉の金銭問題、 恋愛関係にあ る作家志望の ミキ子 との不調和、 妻カネ 子 との形だ けの夫婦関係、 それに加えて 女優志望のミスズとの 関係から生ずるトラブルを、 その場しのぎで 何とかこなしている。 作家としても、 なかなか自分が 書きたいものが 書けず、 金を作る必要に 迫 られて書かされているというのが 実情であ る。 そのような生活に 苛つきながら、 五郎は 、 く 何処 か 自分で自分を 弁解したいと 見える。 自分を責める 心持と弁解する 心持とはいつでも 同時に動い ているものと 見える。 ノ う 言葉を思い浮かべては、 (n-392p) と自己を分析し、 古来の人倫の 道とか、 ヘドニズムとかい 自 潮している。 例えばこんな 風に。 く 明治末期から 大正初期にかけて 青年時代を過ごして 来た彼は、 偶像破壊とか、 新道徳の追求とか、 何よりも 己 自身の納得する 生 活 とか、 そういう合言葉の 中から巣立って 来たのであ るが、 それ等が全部破産したかのように、 古来の人倫の 前に、 こうして手もなく 降参しそうな 自分に向かって、 ちくりと皮肉をいってやり たいような心持も、 まだ胸の何処かには 持っていた。 それが「それも 一種のへドニズム う 苦笑いになって 現われてくるのであ る。 ノ ( Ⅱ -393p) また、 く 「 さ 」とい 俺 ぐらいの イ ゴイスト はないかも知れない」と 彼は自分のそうした 内心を省みながら 心に眩く。 この世の負担はみなや り切れない。 一 併し事態をリードしている 間は人間は い。 ノ (n-400 ∼ イ ゴイストにならずに 済むのかも知れな lp) く併し自分の 心の奥底は、 自分には解っているけれども、 せる必要はな い だろう。 やっぱりやれるところまでは、 みんなに解ら 良き良人、 良き父親、 良き恋人の仮面を かぶり通うす 20 仕方あ るまい。 それが生活を 背負う男の痩我慢というものだ。 一便我慢、 かく なる上からは、 痩 我慢でもそれはこの 消極的な気持ちを 暴露するよりは 道徳的であ ろう。 ノ (D-401p) という具合であ る。 さて、 総ては自分の 生活のだらしなさ・ 怠惰から生じていると 考える五郎にとって、 二三 ケ月 前に開かれた 老大家・島村繁樹の 出版祝賀会での 島村のスピーチはショックであ 先輩の作物の 一つ一つぼ感心しているわけではなかった。 った。 彼はこの 併しこの作家がほんとうに 書きたいも のしか書かなかったというその 厳しい態度には、 日頃 から一種の威圧を 受けていた。 そして、 島村はそのスピーチで、 ( Ⅱ -407p) 書きたいものは 心残りなく総て 書き切ってしまった、 と述べ たのであ る。 くい や、 それは言葉の 立派さではない。 生活の立派さなのだ。 その生活の一歩一歩 踏みしめた確実さなのだ。 一 牛島五郎はその 時その言葉を 聞きながら、 びしびし面を 叩かれた う な痛さを感じた 程 感動した。 ノ (n-408p) ょ 五郎は 、 何か自他を慰め 合えるような 甘やか しの仮定を立てていた 自分に気づき、 く 自分の立っている 地盤が急に揺れてきたような 気がした。 やった男があ るのだ。 人がやれないと 思っているから 自分を慰めていられたものの、 現に目の前にいるのだ。 一 自分にはどうしてやれないのだ。 やった男が それは生活があ やふやだからだ。 生 活 が一歩一歩確かさをもって 踏みしめられていないからだ。 ノ (n-408p) と思う。 純粋の創作 生活をするような 生活の整理が 足りなかったのだと。 その話を五郎は、 自分よりも一時代後の 四十双後の作家であ る瀬川克彦にしたのであ るが、 瀬 川は 、 あ の島村の生活整理には 明治の匂 い がすると言い、 仝の現実の中で 生きて行くには、 現象 の 変化について 行くしかないと 言 う 。 そして、 なお、 われわれの生活・ 時代がこれで 好いのかと 問わざるをえないのではないか、 と言う五郎に 対して、 く 僕は寧ろそういう 自問自答を止めるこ 裁判批判の論理と 思想 とだと思いますよ。 あ 13 (七 ) なた方はあ なた方の時代が 求めたヒューマニズムが、 時代の霞の中に 消え てしまったので、 戸 まどいしているように、 僕には見えますね。 殊に牛島さんなんぞはそれにふ ん個 り 過ぎていると 思いますね。 一 その ネゑ,悔 という奴を止めるんですよ。 fゑ, 海なんか全然不必要 ですよ。 一 その代わり忍耐という 奴を持ち出すんです。 何が来って忍耐していてやるぞ、 んですよ。 もちろん忍耐なんて いう それな ものは真理じゃあ りませんま。 併しそれが現われるまで 先ず 忍耐するんですよ」 ノ (n-409 一 10) そうこうしているうちに 五郎は、 流 4〒,性感冒による 高熱が一週間も 続き、 「余儀ない休息」を 強いられる。 その折の五郎はく 仝どうしようもない 自分の生活については 暫く考えまいと 思った。 一 肉体の責任停止をやっても、 頭の責任停止をやらなければ 何にもならない。 一彼は文学 書 でな い書籍、 現代の世界の 政治の事を書いた 書籍を枕許に 並べて見た。 ノく 彼は世界の瞠目の 的にな っているナチスの 事なども調べて 見た。 この最近接頭した 独 逸の恐るべき 強力政治は 、 い わゆる 世界の文化人というものをひどく て 所謂人民戦線風の 恐怖させも 嫌 いさせたが、 そして現に日本でも、 それに対抗し 文化団体が生まれ、 ナチスのユダヤ 人排撃などに 対してはるばる 抗議書を送 ったりしたが、 併しやがてその 文化団体は、 当局からの穏やかな 忠告によって 自由解消した。 一 牛島五郎もその 団体に名を連ねた 一人であ った。 一だが、 欧州戦争に敗北した 後の独 逸 政界の混 乱の状態を調べるにつれ、 そして聯合国 派 の 独逸に 対する過酷な 圧迫を調べるにつれ、 やっぱり 何か強力政治が 起って来なければならなかった 気がする。 ノ (D-415p) 事情が、 おぼろげながら 解らない事はないような そして、 五郎はまたく ソ ヴィエットの 粛正工作の真相も 知りたい と、 いろいろの書籍をあ さった。 到底文士の神経では、 そうした現代の 世界政治のなまぐささに はついて行けないけれども、 それかといって、 アンドレ・ジッドのあ の肉体のない 精神苦悶では、 もう解り過ぎていて、 今何か大きく 溢れて来るように 感ぜられる世界の 波濤は割切れないように 思われる。 ノく 五郎は日本の 事をも知りたいと 思った。 併し日本の政界の 内幕はとざされていて、 それを探るよ す がもない。 …‥ ノ (n-416p) 恐らく広津は、 五郎 と瀬 Jllの間のところで 悩んでいたのであ ろう。 しかし、 次に取り上げる 「歴史と歴史との 間 」では、 その両者とも 否定された格好に 6. 歴史と歴史との 間 ( 『改造』 見える。 516 年 5 月号 ) 「流るる時代」と 同一の人物設定であ り、 連作的な意図あ るいは長編小説としての 完成を意図 していたようであ るが、思想統制の激しかった 戦時の険悪な 空気と出版界の 困難な事情もあ って 、 その意図は果たせなかった。 この作品では、 前作「流るる 時 ィ土」を受けながら、 新しい展開の 中 に、 前作とは若干異なった 考えも示されている。 そのような点を 以下に幾つか 拾ってみよう。 まず愛人・ミキ 子 との関係であ るが、 ミキ子の方から 別れ話が持ち 出される。 牛島五郎は 、 く 「仝日は君から 言い出したからいうが、 僕も始終その 事を考えていたんだよ。 一僕では君を幸 福 に出来ない、 と。 何故といって、 僕の人生観は 暗過ぎる。 僕は双にはそうも 思っていなかった んだけれども、 近頃 はそれを自分でつくづく 感ずる。 そして自分でもどうしようがないんだ。 際の事をいって、 僕自身自分を 持余しているんだ。 」 ノ (DP428p) と言う。 ミキ 実 子は自分で言い 出しながら、 五郎のそうした 言葉を聞くと、 興奮したり、 泣いたりするが、 結局は五郎の 老いを 実感し、 別れを決断するのであ る。 五郎は 、 く 感情や精力の 分散する生活 一 それは自分の 老衰を 早め、 自分の活力を 眼に見えて消耗させる。 何かそういう 余力はすっかり 自分にはなくなって 行 14 木下 ってしまったような 気がする。 ノと 英夫 考え、 その僅かに余っている 自分の活力を 一つ事に凝集させ たいという心持にあ せっている自分、 仝まで無駄使いした 活力をすっかり 惜しんでいる 自分を思 うのであ る。 (n-429p) このように、 悲劇のない恋愛解消の 見込みが立ってきた 五郎は、 「仕事」に専俳しようと 張り 切る。 ところが、 妻 ・カネ子はそれに 水を掛けるような 冷淡な態度をとる。 五郎は 、 俺は金取り 機械ではない、 いままでの俺の 良心の犠牲をどうしてくれる、 を 知っているのはこの と苛立つ。 自分という人間の 限度 女 だ、 妻の眼の底にあ る自分に対する 不信用を見て 取り、 痛 痛を起こしそ うになる。 しかし、 そのような五郎を 、 妻は意外にも 優しく心配する。 五郎はく俺が 何も書けな くなり、 俺が時代から 落伍し、 俺が疲れ衰えて 廃人のようになっても、 俺について来、 俺を守り、 俺を心配して 呉れるのはカネ 子 かも知れない・…・ た、 負けた人間のセンチメンタリズム、 や 「 0 ノ (Ⅱ -439p) と思ってしまうのであ る。 年取っ 切れない真実」等の 言葉をめぐって 、 堂々巡りを する五郎であ った。 しかし、 「ほんとうの 仕事」と焦ってみても、 「ほんとうの 仕事」の中身も、 「ほんとうの 事」 もはっきりして 来ない。 く いや、 それどころか 何か、 始めて ぺン を持ちでもしたように、 考えの 纏め方も、 それの表現 怯 も一かつてはそれによって 物のかけた構想のコ ソ も、 技巧も、 そんなも のは今は何の 役にも立たない 事がだんだん 解って来るのであ った。 大概の事が小説になった 時代 一人生で触れ、 見、 聞きしたものが 片っ端から小説に 書けた時代が、 十年前にはあ ったが、 どう してそんな器用な 事が出来たか、 今は不思議であ った。 併し 又 そういう時代が 恥ずかしくもあ り、 堰 きつぼいような 反発を感じてくる ノ (n-445p) 五郎であ った。 自分のそのような 時期にあ る のが瀬川で、 瀬川のいう「強さ」や「 還 しさ」は実業家や 政治家にとっては 陳腐な野心であ り、 く 一文学をやる 連中が代々排除して 来たあ の「強さ」だ。 一 弱さの強さ、 それがどんなに 強 いものであ るかという事が 瀬川には解らないのだ 一ノ ( Ⅱ -445p)、 と瀬川を批判する。 また、 島 村繁樹についても 疑問を呈する。 彼の言葉は解ったようで 解らないところがあ る。 歴史家ならば それで良いかもしれないが、 作家はそれとは 違う。 く 決勝点のないトラックを 死ぬまで走りつづ けているのが 作家生活だ。 倒れるまで走っているのが 作家生活だ。 ノ (Ⅱ -445p) こ う 考え ているところに、 ニ ・二六事件の 一報が入る。 五郎は理由が 分からないままに、 何かむらむらとした 憤激が胸に来た。 その憤激は、 高橋蔵 相 の 襲撃にあ ったと言っても 好かった。 高橋のフランクな 性格に作家らしい 親しみを感じていたか らであ る。 五郎は政治評論を 書いている知人の 三浦から渡された 謄写版刷の文書を 読み、 総ては ロンドン会議から 糸を引いている 事が解った。 彼は高橋の死についても、 く 誠心誠意 成 時期の国 家の進みに貢献した 忠臣も 、 次の時期の国家の 進みには反動的な 役割しか演じなくなる 歴史的 悲 劇一瀧 げながらそんな 感じが 呑 込めて来た。 ノ (D-450P) そして、 謄写版 刷の 「ムム改造 法案」を姉浦から 借りて読み、 英米に依存する 日本資本主義の 真相を書いた 本はないか、 と探し て見るが、 くここ何年かの 綜合雑誌に現われた 諸論文は、 国際的な見地に 立った抽象的な 資本主 義攻撃が多く、 この日本の内部に 仝起って来ている 特殊な現象を 解釈して呉れるのに 役立つもの は 殆どなかった。 一考えて見るとこれは 驚くべき現象だとかえる。 併し五郎自身も 仝までにそれ を怪しんで見た 事は一度もなく、 国内的のいろいろなそういう 動きを、 ひたすら反動的という 言 葉 で総括する、 所謂進歩主義者のいう 事を是認していたのであ った。 ノ ( Ⅱ -45%) 二日ほどあ ちこち動き回って 知識を集めている 間に、 五郎は身体の 不調を感ずる。 帰宅と同時 裁判批判の論理と 思想 に 脳溢血で倒れる。 「これで終りか」と 15 (七 ) 落ち着いている 自分を感じ、 これも一種のニヒリズムの せいかと五郎は 苦笑する。 ふと一つの光景が 頭に浮かぶ。 それは二十数年前の 大帝崩御の際の 二 重橋 前の広場一五郎が 生涯で出会った 最も悲壮な厳粛なそして 無限に美しい 光景であ る。 夢 うつ つの中で五郎は「兵に 告ぐ」を聞く。 そしてく上御一人に 対して、 日本人はみな 自分を相対だと 思っている。 自分が絶対だとは 日本人は決して 思っていない。 反逆の名に放いて 呼ばれれば日本 人はいつでも 上御一人の御双に 畏伏する・…・ ノ ( Ⅱ れで 臆ち 得たものは虚無だけだったのだ。 -454p) と考えた。 く 五郎は眼をつむった。 そ そしてそれが 当然だったのだ。 そうだ、 最初から考え 直して見なければならない、 と彼は眩いて、 一所懸命意識を 集中しようとして 見たが、 頭が 檬瀧 となって来た。 何か長い間無駄な 遠道を迂廻して、 すっかり疲れ 切ってしまったのだといった 感 覚だけがその 檬瀧 とした中に残っていた。 ノ (n-454p) 五郎はその二日後に 死んでしまった。 この作品の終り 方は少し気になる。 二重橋双の光景の 事、 最後に残ったのは 虚無だけだったと いう事、 そして五郎の 死。 内外の政治情勢を 必死に掴もうとしていた 広津は一体どのような 思い でい たのだろうか。 7. 若 い 人達 516 年 6 月号 ) ( 『中央公論』 広津によれば、 この作品は「時局を れ きまえない」ものとして 当局から非難されたものであ が 、 指導階級から 非難されても 別に何とも思わなかったが、 る 文学者の中にも 同じ理由で非難した ものがあ ったのには、 少なからず腹 が立った、 という。 (全集第三巻あ とがき、 m-535p) 王 大公 は堀 J@ 真三。 木挽町の裏 道・駄菓子屋の 二階の四畳半に 下宿している。 順三は故郷の 助川で 発電所の電気技手をしていたのだが、 ンパ 自勺 ィ受割 る ?寅 じたという廉で まだ 余臆 のくすぶっていた 階級運動に関心を 持ち、 少々 、ン 職を逐われ、 上京したもののブラック・リストに 載せられている らしく、 電気技士の仕事には 就けなかった。 順三は 、 く 「 赤 」で 賊 首になってから 暫くは、 一度あ あ いう思想にふん 掴まると多くの 青年が そうなるように、 物の考え方がその 方向以外になかなか 出られなかった。 つまり眼の前に 立ちふ さがつている 階級の障壁を 突破するのでなければ、 あ らゆる幸福も 希望もあ りうべきものではな い、 たといあ ったところでそんなものは 個人的逃避以覚の 何ものでもない、 といったような 観念 から離れることが 出来ず、 それ以外に考える 余地が絶対にあ り得ないように 思われていた。 それ だから、 彼がシンパ的関係を 持っていた 或 大きな組合の 壊滅を眼の前に 見た時には、 全くこの世 が、 思わないわけに 行かなかった。 ノ (fmm-l1∼ 2p) 「お 先真 暗になった」と くけれどもどうや らその暗い気持ちが 近頃 は少しずつ消えてきた。 兎に 角 働かなければならない。 そして母を安心 させなければならない。 この事の重要さは 観念の重要さよりももっと 重要な現実当面の 身につい た問題であ るということが、 少しずつ解りかけて 来たのであ る。 ノ (ID-l2p) あ る日、 街中で順三は、 助川時代のオルグ・ 倉沢と再会する。 倉沢は 、 見るからに胸の 病気が 相当に進んでいるようであ り、 各 だというのに 夏服を着ていた。 党 と同じ天皇制打倒のスローガンをその 一人であ った。 ノ (T-37p) く 倉沢は彼が属している 組合が 機関紙に掲げようとした 時、 飽造反対意見を 持っていた そんなことをすれば、 労働者の支持を 失うばかりでなく 治安維 時法にひっかかって 組合そのものが 潰滅してしまうと、 彼は危,呉 したのだが、 現実はその危惧 う ど りになってしまった。 しかし順三はくあ の頃 のこの倉沢の 意気組や熱のあ る言葉を見聞きして いた時分は 、 間もなくそうした 運動の 力 がこの世の中に 大きな形の仕事を 成し遂げるように 思い、 16 木下 若い血汐を燃え 立たせたものであ ったが、 英夫 仝目のあ たり敗残の姿の 倉沢を見、 それからその 後の 世の中のファッショ 的情勢を見ると、 それ等の勢力が何か空洞のようなものの 中に 跡方 もなく、 何の余韻もなくすうっと 呑まれて行ってしまったというような 空虚感が湧いてくる。 ノ (ID-3%) のを覚える。 そしてく突然この 倉沢に向かって 責任を問い、 みだりに人を 迷いに誘い込み、 その 生活を破壊してしまった 罪を詰ってやったら ? ノ くどんなに 沢 m の自分達のような 人間が、 こう した倉沢 達 によって暗黒の 中に導かれたかを 此処で思いきり 糾弾してやったら ? ノと思、 うもの の 、 倉沢の弱り果てた、 疲れ切った姿を 見ると、 それに信頼を 持った自分が 腹 立たしくなって 来 るのであ る。 (fmm-39p) 下宿に帰り、 前の八畳間に 住んでいる瀬尾女史が 男と言い争う 声を聞きながら、 順三はく何か 漠然とした厭世観見たようなものが、 心ばかりではなく 手足の端々にも 流れて来るような 疲労 ノ を感ずる。 併しこうした 気持ちは前に 感じた「お 先真暗 」の感じとは 違ってくもっと 複雑で濁っ ている ノ (fmm-40P)ものであ った。 瀬尾女史も 、 隣の四畳半の 女給も、 倉沢も、 その日その日を 誤 魔化している 水野も、 自分もく誰も 彼もみな同じく 方向のない、 その日暮らしの 佗 びしい存 在 ノ のように思え、 くそうした人間共の 悲劇喜劇が 、 身をつんざくような 木枯しの音を 聞いてい ると、 哀れ む みじめなものに 考えられてきた。 (T-41p) ノ しかし、 そうして慶滋 な意気 錦 枕 した毎日を送っていた 順三の心の底に、 ほのかながらも 新しい興味と 希望の萌芽のようなもの が 萌え始めた。 それは彼が仝毎日取扱っているラジオに 対する興味であ った。 (T-47p) く 厭 々取りつけて 中井えばその 日の生活など 考えて、 やけな捨て 鉢 な気で投げやりにやった 仕事で は 、 ラジオはほんと う の音を出さなかった。 同じ事をやっていてもいつかその 事に 惹き 込まれ、 唯 好い音を出そうという 以外に余念のなくなった 機械から出て 来たりした。 ノ (DI-48p) む 明るい喜びを 感ずる順三であ った。 りでなく最近までそうであ 時、 今まで思い及ばなかったような 肉声が突然 突如として眼の 前の夜が明けて 来たというような , 愉 ,決 く 彼は階級運動に 関心を持っていた 頃 は、 いや、 そればか ったが、 ラジオの 潰 しものがだんだん 反動的になって 行くという事に 反発を感じていた。 つまりラジオを 聞いていてもラジオの「 昔 」は気にならず、 放送されている 事の意味しか 頭に来なかったのであ る。 ノ くところがいつか 放送されている 事の意味は殆ど 耳に 伝わらなくなった。 それが俗悪な 浪花節であ れ、 明治三十年代に 逆転したかのような 詩吟の タ で あ れ、 前には彼に嫌悪を 感じさせたようなその 意味は聞こえなくなり、 その音ばかりが 聞こえる のであ った。 どこまで原音に 近い音を出しているかという 事だけが問題であ った。 そして昔が好 いラジオを聞くと、 その意味とは 何の関係もなく、 そこに一種 胱 ,惚に似た決感を 覚え始めたので あ る。 ノ (m -48p) 順三は心の何処かに 張合いが出てきた、 おぼろげながら 一つの方向が 出 てきた事を感じていた。 く階級問題に 頭がつかまっていた 時には、 その政治運動の 行きづまりが 人を窒息させ、 この世を生きるに 値しないものであ も人生はそんなに 狭く見切りをつけるものではない。 のであ る。自然は発見されるためにあ ら ゆる る よ うに思わせたが、 併し音階ひとつ 考えて 音階というものは 発見すれば即ち 存在する リズムやメロディーを 無限に貯蔵 しているのであ る。 これは何という 不思議な 、 何という楽しいことであ ろう ! ノ (ID-5の ) 十二月も半ばを 過ぎた夜、 順三は低いうめき 声を聞く。 瀬尾女史が猫いらずを 飲んで自殺をは かったのであ る。 彼女は胸を掻きむしって 苦しみながら 絶命した。 五十を越えた 下宿屋のおかみ であ る老婆の顔は 、 くこの突然の 迷惑をどうして 呉れるのだといったような、 誰を相手にしてい いか持って行きどころのない 憤漁に 歪んでいた。 医者の露骨な 不機嫌といい 老婆の露骨な , 憤りと 裁判批判の論理と 思想 17 (セ ) いい、 死んで行く人間に 対する遠慮や 思いやりというものが 微塵もなかった。 順三はそこに 年老 いた人間どもの、 他の人間の事は 考えずに い エゴティズムをてきめんに め いめい自分だけの 事を考えている、 味も素っ気もな 見せつけられた 気がした。 それは冬の木枯しのように 佗 びしいうそ 寒さであ った。 ノ (m -53p) しかし瀬尾女史が 遺書を残し、 おかみに十分すぎる 配慮をして い た事が解るとその 態度は一変する。 く 順三はその現金さが 片腹 痛くも浅狭しくも 思われたので、 老婆に露骨に 軽蔑の眼をむけたが、 それも一瞬で、 彼の頭はそれよりも 仝のかきおきから 受けた 感動でいっぱいであ った。 一 この女はやっぱり 苦しんでいたのだ ! ノ (m-56p) 綱渡りのよ うにして複数の 男を手玉にとっていた 彼女も、 その良心は麻 痩 していなかった。 ところが、 すず 子 [ ふとした同情から 順三が同居するようになった 女性。 喫茶店の女給からダンサーへ、 女優への転身を 狙っている ] さらに は、 順三から瀬尾女史が 自殺した事を 聞いて、 一瞬ぎょっとするも のの、 すぐに自殺するものは 大莫迦だと言い 放っ。 順三が「君には 良心の苛 責 なんてものはない」 と詰ると、 スズ子はく「そうよ」 ノと 明らかに冷笑を 浮かべて彼の 軽蔑の眼 附に 答えた。 く 「 わ たしはそんな 厄介なものは 持合わせていないわ。 良心の苛 責 なんて、 そんなもの 何よ 。 一 わたし はこの世の中が 面白くて面白くて 堪らないのよ。 だから、 どんな事があ ったって死んでなんかや るものですか。 ノ (T -60P) 順三は一種の 威圧を感ぜざるをえなかった。 葬儀屋は慣れた 手っきで後片付けをしながら、 さて五十五・ 六の 不景気になるとなかなか 人は死なない、 などと おかみの老婆と 話している。 く人生の大部分を 生きてしまった、 それ故に大概のむごたらしい 現 実を見ても平然として 感情の動かないといったような、 この老婆と老爺との 会話は、 一人の若い 女が悩み死んだその 八畳の悲劇を、 てんから問題にしていないような、 ものであ った。 ノ (T -62p) 順三は僧侶が 鳴らす鉦の音を さばさばとした 朗らかな 聞きながら、 蓄音機の蜘八の セォ リ一では最高の 権 威とされる K 博士のセオリ 一に反する思いつきが 頭に浮かび、 今まで世界にな かったような 好い昔の電気蓄音機を 組み立てられる、 という希望を 持つのであ る。 以上が要点であ るが、 順三も倉沢も 、 既に我々には 馴染みのあ る人物であ る。 ただ、 この作品 では主人公の 順三も 、 彼をめぐる人々も 庶民であ り、 当時の学生や 文士や資本家や 官僚達の世界 とはかなり違った 場面が展開している。 順三が「 昔 」との関わりの 中で自己自身を 取り戻して 行 くという構想が、 目新しいし、 面白いところといえよう。 本稿も殆どノート 的なもので終わってしまった。 次稿 げるが、 そのうえで引き 続き 検討を加えてみようと 思 う (九 ) 以後で、 こ (八 ) は昭和 20 年以降の創作を 取り上 れまで残してきた 諸問題について 様々な角度から 。 Ⅰ 999. 5. 10