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もう一つの可能性

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もう一つの可能性
もう一つの可能性
・ソ連は1921年国内経済を疲弊させ、特に農民
層の不評であった戦時共産主義に終止符を打
ち、一時的に資本主義の復活を認めた。→新経
済政策(ネップ)と称される。
・この結果、余剰農産物の販売が自由化され、
抑圧されていた私企業が復活し、新興成金
(ネップマン)が台頭した。この時代の映画の多
くはこのネップマンを風刺したものが多い。
・ネップは1928年の「五カ年計画」の実施まで続
いた。
*革命前のロシア・サイレント映画を代表する映画
監督
*監督としてのデビューは1911年。革命前のロシ
ア映画界最大のヒット作『幸福への鍵』(1913)のほ
か『歓喜する悪魔』(1917)などの作品で知られる。
*1920年から1923年、彼はパリやベルリンに居住
し、フランスやドイツ映画界で活躍した。
*1923年Rusスタジオのモイセイ・アレイニコフの説
得に応じて帰国。その後Mezhrabpom-Rusスタジオ
で『アエリータ』(1924)を皮切りに『聖ヨルゲン祭』
(1930)、まで6年間に10本の映画を撮った。
*生涯一切政治に関わらず、映画理論に関し
ても殆ど目立った言説を残していないが、1920
年代を通じて、彼ほど一般大衆受けした作品を
残した監督はいない。
*興行収益一本槍、実験的要素の欠如、大衆
の趣味への迎合などの点で革命的気運の高
かったソビエト国内では長らく無視、もしくは黙
殺された人物だった。
『幸福への鍵』(1913)
『電話口のドラマ』(1914)
『悪魔』(1914)
『戦争と平和』(1915)
『歓喜する悪魔』(1917)
『アエリータ』(1924,原作アレクセイ・トルストイ)
『その男の使命』(1925)
『トルジョクからやって来た仕立屋』(1925)
『300万ルーブル裁判』(1926)
『ドン・ディエゴとペラゲーヤ』(1927)
『レストランのボーイ』(1927)
『41番目の男』(1927)
『白い鷲』(1928)
『官位と人々』(1929)
『ヨルゲン祭』(1930)
*演劇界との深いつながり
*文学作品の映画化
*『幸福への鍵』の成功をきっかけに多くの映
画を手がけたが、第一次世界大戦の勃発は彼
の映画製作に多大の影響を与え、1914年に19
本、1915年には12本、1916年には15本、1917
年には8本しか製作できなかった。
*1917年の二月革命は映画製作の面でも大転
換をもたらし、プロタザーノフも仕方なく革命を
テーマにした『アンドレイ・コジュホフ』『血は必要
ない』などの映画を手がける。
*1918年には革命前には映画化できなかった
トルストイ原作の『神父セルギー』を制作。
*革命の進行とつれて映画スタジオの多くがペ
テルブルグやモスクワの首都から撤退し、プロ
タザーノフ自身も1920年2月にパリに亡命。→
(ニキータ・ミハルコフ『愛の奴隷』参考)
*1921年~1923年のあいだに、フランスで5本、
ドイツで1本の映画を撮った。
*帰国後のプロタザーノフの映画の特徴は、
「ソビエト的主題+メロドラマ+恋愛もの」に公
式化できる。
*プロタザーノフの意義:
(1)革命前の映画からの連続性
(2)「物語性」の回復
(3)俳優の重要性の再認識
(4)ソビエト映画が否定したエンターテインメン
トの可能性の再発見
脱イデオロギーの
ナンセンス
*モスクワの絵画・建築学校で絵を学ぶ。
*1918年に赤軍に志願。一時期はプロのボク
サーをしていた。
*国立映画技術学校でクレショフの薫陶を受け
た。クレショフの『ボリシェヴィキ国におけるウェ
スト氏の異常な冒険』(1924)などの映画に出演。
*主な作品には、『ミス・メンド』(1926)、『帽子箱
を持った少女』(1927)、『十月のモスクワ』(1927)、
『トルブナヤ通りの家』(1928)、『雪解け』(1931)
などがある。
37年間の監督稼業のなかで20本ばかりの映画を
撮ったが、満足できたものは殆どない。お気に入りは
『帽子箱を持った少女』と『国境の町』ぐらいのものだろ
う。(……)
映画にたいするぼくの姿勢を言えば、コメディが一番
好きだ。深刻なドラマに滑稽なシーンを挿入するかコメ
ディに深刻なドラマを持ち込むのが好きだ。もちろん、
程度問題だがね。
わずかな例外をのぞいて、ぼくの映画は全部、良し
悪しは別にして、現代の生活とその問題を扱っている。
選択の余地があるときには、ぼくはつねに現代のテー
マを選んできた。そうは言っても、それを処理するのは
簡単ではない。(……)
ぼくは理論の人間じゃなかったし、今もそうじゃない。
いつも日々の生活のなかに自分の素材を見つけてき
た。(Bernard Eisenschitz. "A fickle man, or portrait of Boris Barnet as a Soviet director." Taylor, Richard and
Ian Christie, eds., Inside the Film Factory: New Approaches to Russian and Soviet Cinema. London: Routledge,
1991.)
ある日帽子店を営む店主のイレンはお針子の
ナターシャの手間賃を宝くじで支払った。ところ
が抽選の結果、その宝くじが25000ルーブルの
当たり籤であることが判明する。イレンとその夫
はなんとか債券をナターシャから取り戻そうと
悪戦苦闘。一方、ナターシャは駅で知り合った
貧乏学生イリヤの住宅を確保するため、彼と偽
装結婚するが、嘘から出たまこと、やがて二人
は恋に落ちる。ナターシャに横恋慕する鉄道員
フォーゲロフが加わって、事態はすったもんだ
のドタバタに……。
「私は今日永久に自分を人間の不動性から解放する。
私は絶えざる運動のなかにある」(ヴェルトフ)
「あなたは機械的に上へ下へと運ばれ、意志に反し
て引っ張り込まれ、すっ立っていたり座して動かないで
いる」ことはできない(プーニン)
この文化は「疾走する芸術の一瞬であり、素早い形
態のずれであり、停滞はない。あるのは嵐のような運
動だけだ」(マレーヴィチ)
建物も移動する:家は「太陽に向かって回転し、解体
され、組み立てられ、移動可能なものでなければなら
ず……部屋も家具もその配置が変わる」(ゼリンス
キー)
人々も移動する:トランク一つを持った住み替え-->
映画に登場するトランクを持った男、袋を抱えた女の
表象
家屋は大地から切り離される-->移動式家屋の発想
(ギンズブルグ、フレーブニコフ)
行くよ!/今すぐ!/五分で/空なんか/ひとっ飛
び。/こんな天気の日には/ドライブは最高。/大熊
座の下の/雲の停留所で/待ち合わせ。(マヤコフス
キー)
1930年代に入ると特定の人間が「移動」
を担い、大衆は流動性を失う
(代替としての探検隊、北極横断飛行、成
層圏飛行など)
マスメディアはそれを快挙として喧伝し、
人々は疑似体験に甘んじた
一種独特な転倒
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